2005年01月04日
売り場と並べ場
お正月はいかがお過ごしでしたか。
本年もご愛読の程よろしくお願いします。
いつ頃からそうなったか記憶が定かではないけど、デパートもスーパーも元旦か2日から営業するようになって久しい。消費者としては便利と思う反面、従業員は大変だなあと感謝半分・気の毒さ半分の気持ちを毎年いだく。正月に働いている人は一杯いるけれど、デパートとスーパーに対して特にそう思うのは、そこまで営業しなくてもという感覚があるからかも知れない。
さて、そのスーパーでは昨年末にダイエーが産業再生機構送りとなった。他社もあまりパッとしない。スーパーという業態が曲がり角に来ているのは間違いない。
スーパーは「売り場」を「並べ場」に変えた。少ない人員で大きな店舗の運営を可能にし、それが販売価格を引き下げた。だが同時に、店員と客とのコミュニケーションも失われた。スーパーには膨大な販売データがあるが、客の気持ちはわからない。会話がないからね。店内で目にする従業員は、ならべ係とレジ係だ。何がどの棚にあるかは教えてくれるが、店員としての商品説明や売り買いのやりとりはない。「売る仕事」をしているのはディスプレーでありポップであり音声テープだ。
黙々と商品を選び、かごに入れてレジに運び「精算」し、無言で店を出る。普段は何の疑問も抱かないが、考えてみれば少しヘンだ。商売、コミュニケーションあるいは人間としての営みの何かが欠けている気がする。
スーパーのような販売方式をセルフ販売、店員とやり取りするのを対面販売という。セルフ販売はアメリカでスーパーという業態と共に発明された。日本で最初に取り入れた店については諸説あるが、ダイエーの発展が、その普及を大いに後押ししたのは間違いない。そして今日、あらゆる小売り業態でセルフ販売は取り入れられている。ほとんどの買い物を無言で済ますことができる。
そのダイエーが再生機構送り。一方で、皮肉なことにネット通販で繁盛している店は、詳細な商品説明はもとより、店主のプロフィール紹介や日記があったり、メールがマメに届いたり、購入者の商品レビューが読めたりと店と客とのコミュニケーションが濃密である。マーケッターとして時代の変化を感じずにはいられない。
まだ仮説の仮説の段階だが、セルフ販売の普及で「売る」という行為の意味合いが大きく変化したのではないか。売り買いはとても高度な交渉術だ。それをセルフに置き換え、品揃えや並べ方や集客にマーケティングを駆使しているうちに肝心の売り方を忘れてしまった。そして、それはスーパーや流通業界の問題だけでなく、そこで無言の買い物をしているほとんどの日本人、つまりほとんどの企業のマーケティングにセルフ販売は影響を与えていると考えている。消費不況は売り方不況だとも思う。
「売る」とはマーケティングの根元に関わる問題だ。じっくり考えていきたい。併せて無言で暮らせる社会におけるコミュニケーションもテーマにしようと思う。
何となく新年の抱負っぽくなってきたかな(^_^) 本日は“仕入れて並べるのは商売のスタート地点。そこから先が大事だよ”の下書きでした。
本年もご愛読の程よろしくお願いします。
いつ頃からそうなったか記憶が定かではないけど、デパートもスーパーも元旦か2日から営業するようになって久しい。消費者としては便利と思う反面、従業員は大変だなあと感謝半分・気の毒さ半分の気持ちを毎年いだく。正月に働いている人は一杯いるけれど、デパートとスーパーに対して特にそう思うのは、そこまで営業しなくてもという感覚があるからかも知れない。
さて、そのスーパーでは昨年末にダイエーが産業再生機構送りとなった。他社もあまりパッとしない。スーパーという業態が曲がり角に来ているのは間違いない。
スーパーは「売り場」を「並べ場」に変えた。少ない人員で大きな店舗の運営を可能にし、それが販売価格を引き下げた。だが同時に、店員と客とのコミュニケーションも失われた。スーパーには膨大な販売データがあるが、客の気持ちはわからない。会話がないからね。店内で目にする従業員は、ならべ係とレジ係だ。何がどの棚にあるかは教えてくれるが、店員としての商品説明や売り買いのやりとりはない。「売る仕事」をしているのはディスプレーでありポップであり音声テープだ。
黙々と商品を選び、かごに入れてレジに運び「精算」し、無言で店を出る。普段は何の疑問も抱かないが、考えてみれば少しヘンだ。商売、コミュニケーションあるいは人間としての営みの何かが欠けている気がする。
スーパーのような販売方式をセルフ販売、店員とやり取りするのを対面販売という。セルフ販売はアメリカでスーパーという業態と共に発明された。日本で最初に取り入れた店については諸説あるが、ダイエーの発展が、その普及を大いに後押ししたのは間違いない。そして今日、あらゆる小売り業態でセルフ販売は取り入れられている。ほとんどの買い物を無言で済ますことができる。
そのダイエーが再生機構送り。一方で、皮肉なことにネット通販で繁盛している店は、詳細な商品説明はもとより、店主のプロフィール紹介や日記があったり、メールがマメに届いたり、購入者の商品レビューが読めたりと店と客とのコミュニケーションが濃密である。マーケッターとして時代の変化を感じずにはいられない。
まだ仮説の仮説の段階だが、セルフ販売の普及で「売る」という行為の意味合いが大きく変化したのではないか。売り買いはとても高度な交渉術だ。それをセルフに置き換え、品揃えや並べ方や集客にマーケティングを駆使しているうちに肝心の売り方を忘れてしまった。そして、それはスーパーや流通業界の問題だけでなく、そこで無言の買い物をしているほとんどの日本人、つまりほとんどの企業のマーケティングにセルフ販売は影響を与えていると考えている。消費不況は売り方不況だとも思う。
「売る」とはマーケティングの根元に関わる問題だ。じっくり考えていきたい。併せて無言で暮らせる社会におけるコミュニケーションもテーマにしようと思う。
何となく新年の抱負っぽくなってきたかな(^_^) 本日は“仕入れて並べるのは商売のスタート地点。そこから先が大事だよ”の下書きでした。
wassho at 23:43│Comments(3)│
│マーケティング、ビジネス
この記事へのコメント
1. Posted by ぞぉ 2005年01月05日 01:02
この記事を読むと幼き頃に母親に手を引かれて
商店街を歩いたことを思い出します。
スーパーと普通の(?)八百屋、魚屋、肉屋等が混在する商店街、
母親の買い物の仕方を思い出してみると…
質を重視するなら対面販売、
スピードを重視するならセルフ販売
そんな傾向があったように思います。
スーパーの中でもテナント店舗を好む今の母親は
やはり店員さんとのコミュニケーションの中で
信用というものを一緒に買い物しているように感じます。
そんな母親の買い物の仕方を見てきたせいか、
私も、対面販売を選びがちです。
どちらが良いとは言えませんが。
商店街を歩いたことを思い出します。
スーパーと普通の(?)八百屋、魚屋、肉屋等が混在する商店街、
母親の買い物の仕方を思い出してみると…
質を重視するなら対面販売、
スピードを重視するならセルフ販売
そんな傾向があったように思います。
スーパーの中でもテナント店舗を好む今の母親は
やはり店員さんとのコミュニケーションの中で
信用というものを一緒に買い物しているように感じます。
そんな母親の買い物の仕方を見てきたせいか、
私も、対面販売を選びがちです。
どちらが良いとは言えませんが。
2. Posted by ちえぞぉ 2005年01月05日 01:03
失礼しました。
↑のコメントはちえぞぉと同一人物であります。
↑のコメントはちえぞぉと同一人物であります。
3. Posted by 晴れ時々マーケティング 2005年01月06日 00:34
ちえぞぉ様
コメントありがとうございます。
セルフ販売は経済成長期に普及し、やはりそれに適した売り方だろうと思っています。スーパーは全体に不振ですが、特に衣料品の落ち込みが大きい。たんすは一杯だから服を買わせるには、強い動機付けが必要です。そういうのはセルフ販売は苦手ですよね。といって対面販売が優れているとも限らない。人件費もかかるし従業員教育も大変。
マーケティングの区切りである「売る」という段階で何かいい知恵はないか、あわよくばそれで大儲けできないかと企んでおります(^_^)
コメントありがとうございます。
セルフ販売は経済成長期に普及し、やはりそれに適した売り方だろうと思っています。スーパーは全体に不振ですが、特に衣料品の落ち込みが大きい。たんすは一杯だから服を買わせるには、強い動機付けが必要です。そういうのはセルフ販売は苦手ですよね。といって対面販売が優れているとも限らない。人件費もかかるし従業員教育も大変。
マーケティングの区切りである「売る」という段階で何かいい知恵はないか、あわよくばそれで大儲けできないかと企んでおります(^_^)