2004年12月
2004年12月31日
2004年12月29日
「第9」
♪雪やコンコ、あられやコンコ。本日、東京は夕方くらいまで雪。積もるほどではなかったが寒い1日。いよいよ年の瀬も押し迫ってきた。
なぜかベートーベンの交響曲「第9」が年末の風物詩ということになっている。演奏会も多いしCDもよく売れる。いつ頃から始まった風習なのか、日本だけの現象なのかはよく知らない。有名な「歓喜の歌」の詩も年末とは無関係な内容だ。しかし、すっかり洗脳されたせいか第9を聴くと年末っぽい雰囲気になってくる。12月以外に聴くと場違いな感じさえ受ける。もし仕掛け人がいたのなら、その人物は一級のプランナーかも。
クラシックは好きでよく聴くものの、詳しい知識はない。専門家は何というかわからぬが、私が見つけた音楽の法則は「時代が上がるにつれてだんだん難しくなる」。モーツアルトはシンプルで美しい旋律、たいていの人が和める音楽だ。少しだけ後のベートーベンでやや難しくなるが、まだまだ身体で感じられる音楽。それが100年後のワーグナーやマーラーになると、かなり「理解」を要求される。現代音楽にいたっては理解を超越した洞察力?がなければついていけないものもある。
この法則はクラシックに限らないし、アーティスト自身の歴史にも当てはまる。ビートルズもだんだん難しくなり初期と後期では、まったく違う音楽だ。ファンキーモンキーベイビーのイントロを聴くと今でも思わず腰が動くが(^_^)、最近の矢沢永吉はいかにも大御所なロックを歌っている。ジャズにも、これが音楽かと思うくらい難解で抽象的なものもある。
向上心と、それを可能にする腕前がついてきて、音楽がだんだん難しくなってくるのだと勝手に理解している。アーティストの自己表現としては、それでいい。しかし売れる音楽となると話は別。たとえば演歌は歌謡曲らしさを失って難しくなりすぎた。
この法則を無理矢理、企業やマーケティングに当てはめようとは思っていない。一律に言い切るには、ちょっと守備範囲が広すぎるから。でも活気が足りない、議論が噛み合わない、焦点が定まらない、消費者の反応が悪くなった、販促効果が上がらない−−−などの問題意識がある場合は「難しくなりすぎていないか」をチェック項目の1つに。本日は“いつも心に ROCK'N ROLL”の下書きでした。
なぜかベートーベンの交響曲「第9」が年末の風物詩ということになっている。演奏会も多いしCDもよく売れる。いつ頃から始まった風習なのか、日本だけの現象なのかはよく知らない。有名な「歓喜の歌」の詩も年末とは無関係な内容だ。しかし、すっかり洗脳されたせいか第9を聴くと年末っぽい雰囲気になってくる。12月以外に聴くと場違いな感じさえ受ける。もし仕掛け人がいたのなら、その人物は一級のプランナーかも。
クラシックは好きでよく聴くものの、詳しい知識はない。専門家は何というかわからぬが、私が見つけた音楽の法則は「時代が上がるにつれてだんだん難しくなる」。モーツアルトはシンプルで美しい旋律、たいていの人が和める音楽だ。少しだけ後のベートーベンでやや難しくなるが、まだまだ身体で感じられる音楽。それが100年後のワーグナーやマーラーになると、かなり「理解」を要求される。現代音楽にいたっては理解を超越した洞察力?がなければついていけないものもある。
この法則はクラシックに限らないし、アーティスト自身の歴史にも当てはまる。ビートルズもだんだん難しくなり初期と後期では、まったく違う音楽だ。ファンキーモンキーベイビーのイントロを聴くと今でも思わず腰が動くが(^_^)、最近の矢沢永吉はいかにも大御所なロックを歌っている。ジャズにも、これが音楽かと思うくらい難解で抽象的なものもある。
向上心と、それを可能にする腕前がついてきて、音楽がだんだん難しくなってくるのだと勝手に理解している。アーティストの自己表現としては、それでいい。しかし売れる音楽となると話は別。たとえば演歌は歌謡曲らしさを失って難しくなりすぎた。
この法則を無理矢理、企業やマーケティングに当てはめようとは思っていない。一律に言い切るには、ちょっと守備範囲が広すぎるから。でも活気が足りない、議論が噛み合わない、焦点が定まらない、消費者の反応が悪くなった、販促効果が上がらない−−−などの問題意識がある場合は「難しくなりすぎていないか」をチェック項目の1つに。本日は“いつも心に ROCK'N ROLL”の下書きでした。
2004年12月28日
ブログリサーチ
面白い記事を読んだ。インターネットにおいて個人が発信する情報、例えばブログや掲示板への書き込みは相当な量になる。それを収集し、目的に合わせた分析を提供するサービスが米国で始まりつつあるらしい。例えばデジカメに関する個人発信情報を収集し、どのような内容・傾向かを分析し、マーケティングの判断材料とするといったサービス。
このサービスには3つのキーテクノロジーが必要だ。
1.情報を検索し収集するシステム。
2.収集した情報から価値のある情報だけを選択するシステム。
3.収集した情報を分析者が扱えるよう、ある程度、内容を整理するシステム。
1は、さほど難しくあるまい。2と3はテキストマイニングというテクノロジーに依存する。マイニング(mining)とは採掘するという意味で、膨大なテキストデータの中から欲しいデータを探したり、そこに何が書かれているかを解析するもの。つまりインターネットなら1万件の書き込みを集めるのは簡単だが、そのすべてに分析者が目を通すのは不可能だから、ある程度コンピューターに情報処理させなければならない。簡単に説明すると、どんな単語が使われている、どんな単語同士が一緒に使われているかなどを解析する。結果、Aという商品には高級概念の記述が多い、Bの商品にはファミリーに関する記述が多い−−−などと分析していく。
2年ほど前にテキストマイニングに関心を持ったとき、いろいろ調べたりセミナーに参加したりした。その時の結論は、マーケティング分析に使うには、まだまだ荒っぽすぎて無理。2年経ってどうなったかと思い、テキストマイニングの分析では評価の高いI社H社長を訪ねてみた。仕事納め、大掃除の日だったにもかかわらず、いろいろとレクチャーしてもらった。ありがとうございました。さて詳しくは書けないが、2年前と較べて、かなりこなれてきた感じ。分析の下材料としては、そろそろ実用化レベルに達してきたようである。ただしマイニングソフトにデータを通せば一発で解析されるわけではなく、途中に専門知識の要求される、かなりの作業量が必要なようだ。エクセルでグラフを作るようなわけにはいかない。
ところでH社長によればブログをビジネスのネタにしようという動きは活発で、私が興味を持ったマーケティングデータとしての活用以外にも、いろいろな企画が駆けめぐっているらしい。そしてかってのITベンチャー投資ブームを思わせるような資金の動きが見られるとのこと。
おそらく来年中には日本でも冒頭に書いたようなサービスが始まる。ただし実用性は当初、それほど高くはあるまい。IT系マーケティング企業は、品質よりも新規参入の早さにビジネスチャンスを見いだすから。しかし、面白い動き、そしてリサーチとしては画期的な手法であることに間違いがない。各社のサービスを見極めながら、それをプラットフォームとして私も何か考えよう。イヤ、実はもう企んでいる。そのうちこのブログにも書いていくので乞うご期待。
本日は“クリックひとつで分析ができたら商売あがったりだけど、来年はよい年でありますように”の下書きでした。
このサービスには3つのキーテクノロジーが必要だ。
1.情報を検索し収集するシステム。
2.収集した情報から価値のある情報だけを選択するシステム。
3.収集した情報を分析者が扱えるよう、ある程度、内容を整理するシステム。
1は、さほど難しくあるまい。2と3はテキストマイニングというテクノロジーに依存する。マイニング(mining)とは採掘するという意味で、膨大なテキストデータの中から欲しいデータを探したり、そこに何が書かれているかを解析するもの。つまりインターネットなら1万件の書き込みを集めるのは簡単だが、そのすべてに分析者が目を通すのは不可能だから、ある程度コンピューターに情報処理させなければならない。簡単に説明すると、どんな単語が使われている、どんな単語同士が一緒に使われているかなどを解析する。結果、Aという商品には高級概念の記述が多い、Bの商品にはファミリーに関する記述が多い−−−などと分析していく。
2年ほど前にテキストマイニングに関心を持ったとき、いろいろ調べたりセミナーに参加したりした。その時の結論は、マーケティング分析に使うには、まだまだ荒っぽすぎて無理。2年経ってどうなったかと思い、テキストマイニングの分析では評価の高いI社H社長を訪ねてみた。仕事納め、大掃除の日だったにもかかわらず、いろいろとレクチャーしてもらった。ありがとうございました。さて詳しくは書けないが、2年前と較べて、かなりこなれてきた感じ。分析の下材料としては、そろそろ実用化レベルに達してきたようである。ただしマイニングソフトにデータを通せば一発で解析されるわけではなく、途中に専門知識の要求される、かなりの作業量が必要なようだ。エクセルでグラフを作るようなわけにはいかない。
ところでH社長によればブログをビジネスのネタにしようという動きは活発で、私が興味を持ったマーケティングデータとしての活用以外にも、いろいろな企画が駆けめぐっているらしい。そしてかってのITベンチャー投資ブームを思わせるような資金の動きが見られるとのこと。
おそらく来年中には日本でも冒頭に書いたようなサービスが始まる。ただし実用性は当初、それほど高くはあるまい。IT系マーケティング企業は、品質よりも新規参入の早さにビジネスチャンスを見いだすから。しかし、面白い動き、そしてリサーチとしては画期的な手法であることに間違いがない。各社のサービスを見極めながら、それをプラットフォームとして私も何か考えよう。イヤ、実はもう企んでいる。そのうちこのブログにも書いていくので乞うご期待。
本日は“クリックひとつで分析ができたら商売あがったりだけど、来年はよい年でありますように”の下書きでした。
2004年12月27日
クリスマスケーキ
天皇陛下の誕生日を祝い、イエス・キリストの誕生日前日を祝い、当日を祝い−−−と3日も痛飲してしまった。ついでに昨日は迎え酒。ブログは休んでしまったが、由緒正しき年末の過ごし方である(^^ゞ 具合でも悪いのかと電話をくれた方、年内の更新はしないのかとメールをくれた方、ありがとう。年末年始はちょっとペースが落ちるかも知れないけれど、また読んでください。
しかし24日のイブは別として、今年の年末、東京の繁華街は結構静かである。ある飲食店のオーナーいわく「今年の年末は、ただの月末」。先日乗ったタクシーの運転手も「例年の年末の2/3位しか走行距離が伸びない」とぼやいていた。世の中まだまだパッとしない。
日曜日の朝日新聞によると、04年の家計消費支出は10年前より1割近く減ったとある。大型スーパーの平米あたり売上高も92年の8万円をピークに04年は5万円だ。来年の景気がどうなるか専門的な知識はないが、急変動するとは考えづらい。仮に上向くにせよパッとしない時代はしばらく続く。
価格を下げるのは自分の首を絞めるとか、価格を下げないような売り方を考えなさい−−−などと書いてある本は多い。ソレガデキリャ苦労シナイヨ。下がる余地がある限り下がり続けるのが価格の法則。それが健全なマーケット、そして余地とはあなたの会社の余地だけではない。
価格とは価値。バブルがはじけて長い不景気の間にモノに対する価値の見直しが相当進んだと思う。平たく言えば消費者の目が肥えた。だから「景気が悪い→モノが売れない→値下げする」が通用しない時代でもある。価値のないモノは金をもらっても要らないのが消費成熟社会。
自社の商品ジャンルが生活者の中で占める価値、大切さ、エラさを5年前、10年前、20年前と較べて把握することは大切。日用品や必需品でも結構、変動がある。趣味性のある分野ならなおさら。ファッションに無頓着な若い女性が増えたと聞く。それでも変な格好の女性を見かけないのは、アパレル産業のレベルが上がったからだろう。商品が進化すると価値が下がるというやっかいな法則もある。
価値のポジションを見極めてマーケティングを組み立てないとニーズとミスマッチになる。下がっている場合、何が何でも高付加価値化をはかればよいものでもない。そして利益を上げる方法も高付加価値化だけではない。また上下どちらにでもポジションが変動したときはビジネスチャンスでもある。例えば健康の価値は、この20年で飛躍的に向上した。
本日は“あなたの商品は26日のクリスマスケーキになっていないか”の下書きでした。
しかし24日のイブは別として、今年の年末、東京の繁華街は結構静かである。ある飲食店のオーナーいわく「今年の年末は、ただの月末」。先日乗ったタクシーの運転手も「例年の年末の2/3位しか走行距離が伸びない」とぼやいていた。世の中まだまだパッとしない。
日曜日の朝日新聞によると、04年の家計消費支出は10年前より1割近く減ったとある。大型スーパーの平米あたり売上高も92年の8万円をピークに04年は5万円だ。来年の景気がどうなるか専門的な知識はないが、急変動するとは考えづらい。仮に上向くにせよパッとしない時代はしばらく続く。
価格を下げるのは自分の首を絞めるとか、価格を下げないような売り方を考えなさい−−−などと書いてある本は多い。ソレガデキリャ苦労シナイヨ。下がる余地がある限り下がり続けるのが価格の法則。それが健全なマーケット、そして余地とはあなたの会社の余地だけではない。
価格とは価値。バブルがはじけて長い不景気の間にモノに対する価値の見直しが相当進んだと思う。平たく言えば消費者の目が肥えた。だから「景気が悪い→モノが売れない→値下げする」が通用しない時代でもある。価値のないモノは金をもらっても要らないのが消費成熟社会。
自社の商品ジャンルが生活者の中で占める価値、大切さ、エラさを5年前、10年前、20年前と較べて把握することは大切。日用品や必需品でも結構、変動がある。趣味性のある分野ならなおさら。ファッションに無頓着な若い女性が増えたと聞く。それでも変な格好の女性を見かけないのは、アパレル産業のレベルが上がったからだろう。商品が進化すると価値が下がるというやっかいな法則もある。
価値のポジションを見極めてマーケティングを組み立てないとニーズとミスマッチになる。下がっている場合、何が何でも高付加価値化をはかればよいものでもない。そして利益を上げる方法も高付加価値化だけではない。また上下どちらにでもポジションが変動したときはビジネスチャンスでもある。例えば健康の価値は、この20年で飛躍的に向上した。
本日は“あなたの商品は26日のクリスマスケーキになっていないか”の下書きでした。
2004年12月22日
社員とブランド
古い友人と会った。たまたま当日は彼女の配下部署の忘年会だということで、それに無理矢理連れて行かれた。ティー教室のインストラクターをしている若い女性が数名と、これまた若い新婚ほやほやの広報マン氏が1名が参加。素敵な女性たちだった。初対面なのにまったく壁を感じなかった。オヤジの下ネタはさらりと流す態度も見事(^^ゞ 広報マン氏も気配りがスーツを着ているような人だった。
「ティー」で「インストラクター」な人たちである。おそらく日頃からホスピタリティが身に付いているのだろうと感ずる。彼・彼女らがいる会社は、きっといい会社だと思う。実際その会社は急成長している。やはりブランドの最後の決め手は社員だ。
逆のケースもある。テレビや雑誌の取材依頼があれば企業はPRになると応じる。でも、その時には多少の注意も必要だ。
ケース1
国内時計メーカー。デザインが大変評価されているブランド、そこそこ高級品。その設計開発者がテレビでインタビューを受けていた。彼は工場で着るような「作業服」を着ていた。好きなブランドだったが幻滅した。
ケース2
ある再建中の企業。いろいろな動向が紹介されたのち、テレビカメラは会議室に。「あれもダメだし、これもダメだし、う〜ん困った、どうしよう」という暗い会議風景が映り出されて画面は終わった。お先真っ暗という言葉が頭に浮かんだ。
設計開発者が普段何を着ていても構わないが、人前に出る時、彼は自分がブランドの一部だということを認識しなければならない。作業服を着た人に「私が作ったデザインセンス溢れる時計です」といわれても誰も買う気はしまい。
会議室が映し出された企業は付き合いがあったので後に尋ねた。会議後半はいろんな対策を議論して前向きな結論を出したが、放送でそこはカットされたそうだ。実際、しばらく後にその企業は黒字に転じている。マスメディアは事実を報道するとは限らない。彼らなりのストーリーに沿った描写をする。テレビ局の意図は知らぬが、会議室にいた社員は苦悩を表現する素材だった。
「社員の立場」にあるときは気づきにくいが、消費者や社外の人の立場になれば、社員の振る舞いの重要性は理解できるだろう。大型量販店でトンチンカンな対応が2人続けば、あの店はバカ「ばっかり」と思う、取引先の社員の態度が不誠実だったら、その企業が嫌いになるなどの経験は誰にでもあるはずだ。
本日は“人の振り見て我が振り直せ、あなたはブランドの体現者だ”の下書きでした。私も下ネタはもっと上品に話そう(^^ゞ
「ティー」で「インストラクター」な人たちである。おそらく日頃からホスピタリティが身に付いているのだろうと感ずる。彼・彼女らがいる会社は、きっといい会社だと思う。実際その会社は急成長している。やはりブランドの最後の決め手は社員だ。
逆のケースもある。テレビや雑誌の取材依頼があれば企業はPRになると応じる。でも、その時には多少の注意も必要だ。
ケース1
国内時計メーカー。デザインが大変評価されているブランド、そこそこ高級品。その設計開発者がテレビでインタビューを受けていた。彼は工場で着るような「作業服」を着ていた。好きなブランドだったが幻滅した。
ケース2
ある再建中の企業。いろいろな動向が紹介されたのち、テレビカメラは会議室に。「あれもダメだし、これもダメだし、う〜ん困った、どうしよう」という暗い会議風景が映り出されて画面は終わった。お先真っ暗という言葉が頭に浮かんだ。
設計開発者が普段何を着ていても構わないが、人前に出る時、彼は自分がブランドの一部だということを認識しなければならない。作業服を着た人に「私が作ったデザインセンス溢れる時計です」といわれても誰も買う気はしまい。
会議室が映し出された企業は付き合いがあったので後に尋ねた。会議後半はいろんな対策を議論して前向きな結論を出したが、放送でそこはカットされたそうだ。実際、しばらく後にその企業は黒字に転じている。マスメディアは事実を報道するとは限らない。彼らなりのストーリーに沿った描写をする。テレビ局の意図は知らぬが、会議室にいた社員は苦悩を表現する素材だった。
「社員の立場」にあるときは気づきにくいが、消費者や社外の人の立場になれば、社員の振る舞いの重要性は理解できるだろう。大型量販店でトンチンカンな対応が2人続けば、あの店はバカ「ばっかり」と思う、取引先の社員の態度が不誠実だったら、その企業が嫌いになるなどの経験は誰にでもあるはずだ。
本日は“人の振り見て我が振り直せ、あなたはブランドの体現者だ”の下書きでした。私も下ネタはもっと上品に話そう(^^ゞ
2004年12月21日
社内投票のすすめ
マーケティングの仕事を始めて長い。私が駆け出しの頃と較べるとマーケティングリサーチはすっかり企業の日常業務となった。インターネット調査によって少ない予算でも実施できるようになり、モニター登録の普及でグループインタビューなども短期間で準備できるようになったなどの影響も大きい。
リサーチで仮説を検証したり、生活者の視点で企画を見つめ直すのはもちろんいいことだ。ただし企業のルーチンワークにリサーチが組み込まれ「この段階でリサーチをすることになっているから」「リサーチ結果を企画書につけて提出しないと受け付けない規定になっているから」というような“通すための”リサーチが増えてきたのも事実。それは残念だ。
一方で依然としてリサーチをあまりしない企業・業界もある。代表はアパレル。理由はやはり商品サイクルの短さだろう。季節毎つまり最長でも3ヶ月単位で商品が入れ替わる。いちいちリサーチを掛けている余裕はないのかも知れない。例えば企画開発に4年、その後4年売り続けるクルマ業界とはやはりスタンスが違う。業種にかかわらず規模の小さい企業もリサーチはあまりしない。資金的な余裕や社内にそういった担当者がいないなどが理由だ。
どこかで読んだことの受け売りなのだが、リサーチをあまりしない企業に私が提案していることがある。仮にアパレルだとしよう。デザインしたものを全て商品化するわけではない。どこかでセレクトの段階がある。その時にできるだけ社内の幅広い部署の人たちに品評してもらい、どのデザインを商品化するかを投票させる。投票結果にしたがって商品化するデザインを決める必要は、とりあえずない。誰が何に投票したかを記録する。そしてシーズンが終わったら実際の売れ行きと、その記録を照合する。何回か続けるうちに社内の誰が「目利き」がわかってくる。
プロの考えと生活者の嗜好がずれることはよくある。そのためにリサーチで検証したりするのだが、それができないのなら社内の多くの眼で代用する発想。社内の目利きもプロあるいは業界人のはずだが可能性は2つ。プロなのに生活者の視線も併せ持つプロ中のプロ。あるいは生活者と変わらないアマチュアなプロ。でもどっちでもいいじゃないか、より精度の高い予測ができるのなら。
本日は“ひと手間掛けるだけでコストゼロの代用リサーチ、お試しあれ”の下書きでした。
リサーチで仮説を検証したり、生活者の視点で企画を見つめ直すのはもちろんいいことだ。ただし企業のルーチンワークにリサーチが組み込まれ「この段階でリサーチをすることになっているから」「リサーチ結果を企画書につけて提出しないと受け付けない規定になっているから」というような“通すための”リサーチが増えてきたのも事実。それは残念だ。
一方で依然としてリサーチをあまりしない企業・業界もある。代表はアパレル。理由はやはり商品サイクルの短さだろう。季節毎つまり最長でも3ヶ月単位で商品が入れ替わる。いちいちリサーチを掛けている余裕はないのかも知れない。例えば企画開発に4年、その後4年売り続けるクルマ業界とはやはりスタンスが違う。業種にかかわらず規模の小さい企業もリサーチはあまりしない。資金的な余裕や社内にそういった担当者がいないなどが理由だ。
どこかで読んだことの受け売りなのだが、リサーチをあまりしない企業に私が提案していることがある。仮にアパレルだとしよう。デザインしたものを全て商品化するわけではない。どこかでセレクトの段階がある。その時にできるだけ社内の幅広い部署の人たちに品評してもらい、どのデザインを商品化するかを投票させる。投票結果にしたがって商品化するデザインを決める必要は、とりあえずない。誰が何に投票したかを記録する。そしてシーズンが終わったら実際の売れ行きと、その記録を照合する。何回か続けるうちに社内の誰が「目利き」がわかってくる。
プロの考えと生活者の嗜好がずれることはよくある。そのためにリサーチで検証したりするのだが、それができないのなら社内の多くの眼で代用する発想。社内の目利きもプロあるいは業界人のはずだが可能性は2つ。プロなのに生活者の視線も併せ持つプロ中のプロ。あるいは生活者と変わらないアマチュアなプロ。でもどっちでもいいじゃないか、より精度の高い予測ができるのなら。
本日は“ひと手間掛けるだけでコストゼロの代用リサーチ、お試しあれ”の下書きでした。
2004年12月20日
吉野屋とソニー
ある人とランチ。なぜか吉野屋の話になる。聞けば彼は吉野屋の牛丼の熱烈なファンで、牛肉輸入再開を心待ちにしているという。年明けに米国出張らしくYOSHINOYAに是非行きたいと笑っていた。
今年の2月か3月だったか、牛肉が輸入禁止になって牛丼がメニューから消えた時のことはよく覚えている。というより大変興味深くニュースを見ていた。マスメディアの扱いの大きさもさることながら、街頭インタビューで牛丼を語る人の「熱さ」が印象的だった。特に吉野屋の人気は別格で、現在、牛丼を再開した他の店もあるようだが、吉野屋じゃなきゃダメだという人は多い。
吉野屋って、すごいブランドなんだなと再認識した。そしてブランドを評価する物差しはいろいろあれど、コアなファンがどれだけいるかが最終的に大事だと考えるようになった。
例えばソニー。最近ちょっと業績はパッとしないが、依然、日本を代表するブランドである。私もそう思っている。しかしソニーのファンってどれだけいるのだろう。吉野屋以外の牛丼じゃダメだというようなソニーファンってどれだけいるのだろう。
パッと部屋を見回して私が持っているソニー製品はテレビくらいである。それもたまたまソニーだったに過ぎない。しかし私はソニーを一流ブランドだと思っている認めている尊敬している。じゃブランドがマーケティングに「効く」というのは間違いか? 少なくとも私の場合、ソニーのブランドは私を客になし得ていない。客を作らないマーケティングって意味があるのか?
ブランドを高めるのは大事だが、それとモノが売れるのとは、ちょっと違うメカニズムが働いている気がする。少なくともブランドは万能の神ではない。逆に考えればブランドで負けていても、勝算のあるマーケティングは可能だ。
本日は“吉野屋とソニー、どっちがブランドで勝ってる? それと、そのへんのとこと上手く解説している本があったら私に紹介してね”の下書きでした。
今年の2月か3月だったか、牛肉が輸入禁止になって牛丼がメニューから消えた時のことはよく覚えている。というより大変興味深くニュースを見ていた。マスメディアの扱いの大きさもさることながら、街頭インタビューで牛丼を語る人の「熱さ」が印象的だった。特に吉野屋の人気は別格で、現在、牛丼を再開した他の店もあるようだが、吉野屋じゃなきゃダメだという人は多い。
吉野屋って、すごいブランドなんだなと再認識した。そしてブランドを評価する物差しはいろいろあれど、コアなファンがどれだけいるかが最終的に大事だと考えるようになった。
例えばソニー。最近ちょっと業績はパッとしないが、依然、日本を代表するブランドである。私もそう思っている。しかしソニーのファンってどれだけいるのだろう。吉野屋以外の牛丼じゃダメだというようなソニーファンってどれだけいるのだろう。
パッと部屋を見回して私が持っているソニー製品はテレビくらいである。それもたまたまソニーだったに過ぎない。しかし私はソニーを一流ブランドだと思っている認めている尊敬している。じゃブランドがマーケティングに「効く」というのは間違いか? 少なくとも私の場合、ソニーのブランドは私を客になし得ていない。客を作らないマーケティングって意味があるのか?
ブランドを高めるのは大事だが、それとモノが売れるのとは、ちょっと違うメカニズムが働いている気がする。少なくともブランドは万能の神ではない。逆に考えればブランドで負けていても、勝算のあるマーケティングは可能だ。
本日は“吉野屋とソニー、どっちがブランドで勝ってる? それと、そのへんのとこと上手く解説している本があったら私に紹介してね”の下書きでした。
2004年12月19日
頭の肥満
同年齢のP社A社長は毎朝、結構ハードなトレーニングをしてから出社する。その話に刺激を受けて、平日は飲まずに帰ってきたら、まず腕立てとスクワットを100回するというルールを2年間続けてきたのだけれど、ちょっと理由があって秋頃にやめた。ジョギングもさぼりがち。
太った(/o\)
実は体重は知らない。私の関心事はウエストのサイズのみ。プロフィールに貼り付けてある写真の頃は72センチ位だったと思う。胸囲はそのころからほとんど変わらず1m前後ある。胸板か背中の贅肉かの違いはあるけど(^^ゞ で、ウエストが胸囲に接近しつつある。夏に測った時は10センチの差があって、年内に15センチにすると意気込んでいたのに。あ〜あ、何とかしなくては。
本日は日曜日なので、こんなネタで。
ところで太るのは摂取カロリーから消費カロリーを引いた残り。最近、頭が肥満している人が多くなっている気がする。理由のひとつはインターネット。調べようと思ったら、あらゆる情報が手にはいる。クチコミ的な情報も多い。友人の奥さんはネットでの口コミ情報が気になって、一時なかなかモノを買えなくなったそうだ。私が知っている何名かの人は、びっくりするくらいビジネス関連の書籍を読んでいる。それだけでは飽きたらずインターネットのあちこちで販売されている3万円くらいのビジネス冊子を購入している人もいる。彼らは確かに「うんちく王」だが−−−。調査結果の数字を論評するだけで、自分の判断を持っていないクライアントもいなくはない。
身体の肥満は見た目や体重で気づく。実行できるかどうかは別としてダイエット方法もある。頭の肥満は気づきにくいしダイエット方法も特にない。なにより情報収集や勉強は悪いことじゃない。
しかし情報の消費カロリーや基礎代謝をどう高めるかを考える時期にきている気がする。事件のニュースを見て、頭の肥満が原因かなと思う時もある。むつかしい問題ではありますが。
とりあえず、明日は2駅歩こう。
太った(/o\)
実は体重は知らない。私の関心事はウエストのサイズのみ。プロフィールに貼り付けてある写真の頃は72センチ位だったと思う。胸囲はそのころからほとんど変わらず1m前後ある。胸板か背中の贅肉かの違いはあるけど(^^ゞ で、ウエストが胸囲に接近しつつある。夏に測った時は10センチの差があって、年内に15センチにすると意気込んでいたのに。あ〜あ、何とかしなくては。
本日は日曜日なので、こんなネタで。
ところで太るのは摂取カロリーから消費カロリーを引いた残り。最近、頭が肥満している人が多くなっている気がする。理由のひとつはインターネット。調べようと思ったら、あらゆる情報が手にはいる。クチコミ的な情報も多い。友人の奥さんはネットでの口コミ情報が気になって、一時なかなかモノを買えなくなったそうだ。私が知っている何名かの人は、びっくりするくらいビジネス関連の書籍を読んでいる。それだけでは飽きたらずインターネットのあちこちで販売されている3万円くらいのビジネス冊子を購入している人もいる。彼らは確かに「うんちく王」だが−−−。調査結果の数字を論評するだけで、自分の判断を持っていないクライアントもいなくはない。
身体の肥満は見た目や体重で気づく。実行できるかどうかは別としてダイエット方法もある。頭の肥満は気づきにくいしダイエット方法も特にない。なにより情報収集や勉強は悪いことじゃない。
しかし情報の消費カロリーや基礎代謝をどう高めるかを考える時期にきている気がする。事件のニュースを見て、頭の肥満が原因かなと思う時もある。むつかしい問題ではありますが。
とりあえず、明日は2駅歩こう。
2004年12月18日
バックトラック
トラックバックを書き間違えたのではない。土曜日はブログネタを書くことが多いけど、本日はちょっと引っかけてバックトラックの話。
(ちなみにトラックバックとはブログ用語で、誰かのブログの記事に触発されて自分のブログに関連することを書いたら、その誰かさんの記事のページに自分のページとのリンクを張ること。そうやってコミュニケーションの輪を広げること)
さてバックトラック。私はリサーチのスキルとして学んだが、カウンセリングなどでも使われる用語。いわゆる「オウム返しトーク」。
1.相手の話の最後を繰り返す。
2.相手の話を要約する。
3.相手の話のキーワードをピックアップする。
あたりが代表的な手法。例えば女性が「彼が浮気をして、自分はいろいろひどい目にあって、もうすぐクリスマスなのに、結局別れた」という話を長々としたとしよう。
1.相手の話の最後を繰り返す→別れたんだ。
2.相手の話を要約する→浮気は許せないよね。
3.相手の話のキーワードをピックアップする→もうすぐクリスマスなのにね。
簡単に書くとこんな感じ。相手の話の最後を繰り返すのはすぐできるが、2と3は結構むつかしい。まず話をよく聞かなければならない。そして相手の主張や関心を脳ミソを全開にして探らなければならない。しかし逆も真なりでバックトラックするつもりで聞くと、相手の話がよく理解できる。
もともとバックトラックは相手との心理的な距離感を詰めるためのコミュニケーションスキル。理解を示す、信頼関係を築くというステップだ。ビジネスでは相手に賛同ばかりはしていられないが、自分の主張をする、反論をする前に一言バックトラックすることをお薦めする。それで信頼関係が築けるとはいわないが、会話は多少スムーズになる。
本日は“バックドロップならぬバックトラックでプロレスを盛り上げよう”の下書きでした。「?」と思った人は12月15日ハッスル、ハッスルも読んでね。
(ちなみにトラックバックとはブログ用語で、誰かのブログの記事に触発されて自分のブログに関連することを書いたら、その誰かさんの記事のページに自分のページとのリンクを張ること。そうやってコミュニケーションの輪を広げること)
さてバックトラック。私はリサーチのスキルとして学んだが、カウンセリングなどでも使われる用語。いわゆる「オウム返しトーク」。
1.相手の話の最後を繰り返す。
2.相手の話を要約する。
3.相手の話のキーワードをピックアップする。
あたりが代表的な手法。例えば女性が「彼が浮気をして、自分はいろいろひどい目にあって、もうすぐクリスマスなのに、結局別れた」という話を長々としたとしよう。
1.相手の話の最後を繰り返す→別れたんだ。
2.相手の話を要約する→浮気は許せないよね。
3.相手の話のキーワードをピックアップする→もうすぐクリスマスなのにね。
簡単に書くとこんな感じ。相手の話の最後を繰り返すのはすぐできるが、2と3は結構むつかしい。まず話をよく聞かなければならない。そして相手の主張や関心を脳ミソを全開にして探らなければならない。しかし逆も真なりでバックトラックするつもりで聞くと、相手の話がよく理解できる。
もともとバックトラックは相手との心理的な距離感を詰めるためのコミュニケーションスキル。理解を示す、信頼関係を築くというステップだ。ビジネスでは相手に賛同ばかりはしていられないが、自分の主張をする、反論をする前に一言バックトラックすることをお薦めする。それで信頼関係が築けるとはいわないが、会話は多少スムーズになる。
本日は“バックドロップならぬバックトラックでプロレスを盛り上げよう”の下書きでした。「?」と思った人は12月15日ハッスル、ハッスルも読んでね。
2004年12月17日
クリスマスにマーケティングで思うこと
クリスマスシーズン到来。最近は電飾デコレーションをベランダなどに施している家庭も多い。私の自宅から駅までの通勤路でも3軒程楽しませてくれている。
さて毎年、この季節になると思い出すのだが、キリスト教と仏教を較べると、キリスト教は「マーケティング的に」よくできている。
■キリスト教は日曜日に教会に行くことになっている。定期的な顧客との接触が確保されている。仏教の場合、接触するのは葬式くらい。 LTVならぬ生涯接触数の違いは明らかである。
■聖書は普通の文章で書かれている。製品の内容が理解できる。顧客とのコミュニケーションが成り立っている。お経はありがたいと思わせる演出力はすごいが、中身はさっぱりわからない。だから企業ロイヤルティが高まらない。
■クリスマス、バレンタインその他、折に触れてイベントやセールスプロモーションを展開している。またプレゼントやデートなどをセットとして付加価値向上にも余念がない。
■キリスト教にもいろいろ流派はあるがイエス・キリストは共通のアイデンティティ。つまり企業ブランドがしっかりしている。仏教は事業ブランドでの展開で分散気味。( 12月9日CBOのブログもご参考に)
■十字架というビジュアル・シンボルを持つ。営業拠点である教会において露出に努めるのはもちろんのこと、ファッションやアクセサリーなどの媒体を通じても、その浸透を図っている。
神罰が下らないよう、これ位にしておきます(^^ゞ
本日はちょっと強引だけれど“売上が伸びないと嘆く前に、旧来からのマーケティングを見直してみませんか”の下書きでした。
ついでに私の好きなジョークを。人間には3段階の成長過程があるそうな。
1.サンタクロースを信じる
2.サンタクロースを信じなくなる
3.サンタクロースになる
さて毎年、この季節になると思い出すのだが、キリスト教と仏教を較べると、キリスト教は「マーケティング的に」よくできている。
■キリスト教は日曜日に教会に行くことになっている。定期的な顧客との接触が確保されている。仏教の場合、接触するのは葬式くらい。 LTVならぬ生涯接触数の違いは明らかである。
■聖書は普通の文章で書かれている。製品の内容が理解できる。顧客とのコミュニケーションが成り立っている。お経はありがたいと思わせる演出力はすごいが、中身はさっぱりわからない。だから企業ロイヤルティが高まらない。
■クリスマス、バレンタインその他、折に触れてイベントやセールスプロモーションを展開している。またプレゼントやデートなどをセットとして付加価値向上にも余念がない。
■キリスト教にもいろいろ流派はあるがイエス・キリストは共通のアイデンティティ。つまり企業ブランドがしっかりしている。仏教は事業ブランドでの展開で分散気味。( 12月9日CBOのブログもご参考に)
■十字架というビジュアル・シンボルを持つ。営業拠点である教会において露出に努めるのはもちろんのこと、ファッションやアクセサリーなどの媒体を通じても、その浸透を図っている。
神罰が下らないよう、これ位にしておきます(^^ゞ
本日はちょっと強引だけれど“売上が伸びないと嘆く前に、旧来からのマーケティングを見直してみませんか”の下書きでした。
ついでに私の好きなジョークを。人間には3段階の成長過程があるそうな。
1.サンタクロースを信じる
2.サンタクロースを信じなくなる
3.サンタクロースになる
2004年12月16日
オタクというカテゴリー
芸能プロダクションのイエローキャブが何やらもめているらしい。イエローキャブといえば巨乳アイドル、アイドルといえば−−−で始まり始まり。
秋葉原がオタクの集まる街になってひさしい。最近はクルマオタクとか映画オタクとか、マニアやファンを何でもオタクと呼び換えることも多いが、秋葉原の場合は元祖であるアイドル好きやアニメ好きのオタクである。 野村総研の発表によるとアニメ/アイドル/コミック/ゲームの合計市場規模は約2兆3,000億円。このうち280万人と推定されるオタクが支出しているのが2580億円で11%を占める。「萌え萌えビジネス」恐るべしである。
さてオタクは今や主要カテゴリーとなった。カテゴリーとは、とりあえず「世間に認知された独立した分類項目」とでも定義しておこうか。実はマーケティング、特に新しいビジネスの場合、このカテゴリーを創り出せるかどうかが成功や市場規模拡大の分かれ目になる。また“ブランド”として認められるかにも関わる。
あまりいい例ではないが、ロリコン、ストーカー、援助交際、オレオレ詐欺−−−カテゴリーとなりネーミングもついて「マーケットが急拡大」した。それぞれは元からあったビジネスや現象である。巨乳アイドルというカテゴリーを確立したイエローキャブはブランドとなった。
ニッチなマーケットを狙ってビジネスを始める。それはカテゴリーの確立を戦略目標として掲げるべきだ。商品の差別化を図る。それは新カテゴリーを目指す位の内容でないと、他社と似たり寄ったりのものに終わる。
本日は“オタクと認知されればマーケットも広がるカテゴリー確立の重要性”の下書きでした。
秋葉原がオタクの集まる街になってひさしい。最近はクルマオタクとか映画オタクとか、マニアやファンを何でもオタクと呼び換えることも多いが、秋葉原の場合は元祖であるアイドル好きやアニメ好きのオタクである。 野村総研の発表によるとアニメ/アイドル/コミック/ゲームの合計市場規模は約2兆3,000億円。このうち280万人と推定されるオタクが支出しているのが2580億円で11%を占める。「萌え萌えビジネス」恐るべしである。
さてオタクは今や主要カテゴリーとなった。カテゴリーとは、とりあえず「世間に認知された独立した分類項目」とでも定義しておこうか。実はマーケティング、特に新しいビジネスの場合、このカテゴリーを創り出せるかどうかが成功や市場規模拡大の分かれ目になる。また“ブランド”として認められるかにも関わる。
あまりいい例ではないが、ロリコン、ストーカー、援助交際、オレオレ詐欺−−−カテゴリーとなりネーミングもついて「マーケットが急拡大」した。それぞれは元からあったビジネスや現象である。巨乳アイドルというカテゴリーを確立したイエローキャブはブランドとなった。
ニッチなマーケットを狙ってビジネスを始める。それはカテゴリーの確立を戦略目標として掲げるべきだ。商品の差別化を図る。それは新カテゴリーを目指す位の内容でないと、他社と似たり寄ったりのものに終わる。
本日は“オタクと認知されればマーケットも広がるカテゴリー確立の重要性”の下書きでした。
2004年12月15日
ハッスル、ハッスル
昨日、駅を降りたら忘年会の1次会が終わって、さあ2次会はどこへ行くんだ!みたいな団体さんが陽気に騒いでいた。で、その中の一番うるさいのが盛んに連呼していたのが「ハッスル、ハッスル」。たぶん宴会の時に受けがよかったんだろうなと思いながら眺めていた。通行人としては迷惑だったが(^^ゞ
ハッスルやアントニオ猪木の「ダァー!」とかは知っているけど、プロレスは詳しくない。小学生の頃は友達とコブラツイストとか四の字固めを掛け合って遊んだが−−−。当時のプロレスは完全なショーアップ。最初負けていた日本人レスラーが、最後は悪役外人レスラーを必ずやっつける。今は、そういうプロレスもあれば、もっと真剣勝負に近いプロレスもあるらしい。
「もっと真剣勝負に近い」と書いたのは、仮に真剣勝負でもプロレスには、他の格闘技にはない暗黙のルールがあるから。
・相手が掛けてきた技は、それを封じるのではなく、
必ず受け止めなければいけない。
・例え相手が弱くても一方的に勝つのではなく、時々隙を見せて
相手の攻撃を誘う。
・押さえ込まれて、それをすぐに押し返す余裕がある時でも
カウント2までは押さえ込まれたままでいる。
カウント3で負けはプロレス独自のルールだから別としても、上2つは他の格闘技、あるいはスポーツ全般でも考えられないことである。プロレスにこのような暗黙のルールがあるのは「試合を盛り上げる」ため。強いレスラーほど相手の魅力を引き出す試合運びをする。
さて、このプロレスルールは会議や討議といったコミュニケーションに応用できないだろうか。議論をプロレスと考え、反論をどんどん受け止めながら、時には負けそうなポーズも見せながら、出席者の知恵を引き出す。特に「偉い人」や「頭のいい人」は心掛けて欲しい。1ラウンドでKOされたらモチベーションを保つのは難しい。社員の活気を保つのも、偉い人頭のいい人たちの責任である。ジャイアント馬場も「ウップゥ」と言いながら、よく倒れていたではないか。
本日は“プロレスのルールに学ぶ、コミュニケーションを盛り上げる必殺技”の下書きでした。
ハッスルやアントニオ猪木の「ダァー!」とかは知っているけど、プロレスは詳しくない。小学生の頃は友達とコブラツイストとか四の字固めを掛け合って遊んだが−−−。当時のプロレスは完全なショーアップ。最初負けていた日本人レスラーが、最後は悪役外人レスラーを必ずやっつける。今は、そういうプロレスもあれば、もっと真剣勝負に近いプロレスもあるらしい。
「もっと真剣勝負に近い」と書いたのは、仮に真剣勝負でもプロレスには、他の格闘技にはない暗黙のルールがあるから。
・相手が掛けてきた技は、それを封じるのではなく、
必ず受け止めなければいけない。
・例え相手が弱くても一方的に勝つのではなく、時々隙を見せて
相手の攻撃を誘う。
・押さえ込まれて、それをすぐに押し返す余裕がある時でも
カウント2までは押さえ込まれたままでいる。
カウント3で負けはプロレス独自のルールだから別としても、上2つは他の格闘技、あるいはスポーツ全般でも考えられないことである。プロレスにこのような暗黙のルールがあるのは「試合を盛り上げる」ため。強いレスラーほど相手の魅力を引き出す試合運びをする。
さて、このプロレスルールは会議や討議といったコミュニケーションに応用できないだろうか。議論をプロレスと考え、反論をどんどん受け止めながら、時には負けそうなポーズも見せながら、出席者の知恵を引き出す。特に「偉い人」や「頭のいい人」は心掛けて欲しい。1ラウンドでKOされたらモチベーションを保つのは難しい。社員の活気を保つのも、偉い人頭のいい人たちの責任である。ジャイアント馬場も「ウップゥ」と言いながら、よく倒れていたではないか。
本日は“プロレスのルールに学ぶ、コミュニケーションを盛り上げる必殺技”の下書きでした。
2004年12月14日
オンリーワンの落とし穴
♪花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた〜スマップの 「世界に一つだけの花」は、今でもカラオケで人気がある。人と競って一番になるのじゃなくて、オンリーワンを目指そうよという唄。忘年会で歌った人も多いかも知れない。唄うのは苦手だが、私も好きな曲である。
ナンバーワンよりオンリーワンとは、ビジネスでも格言扱い。社長のインタビュー記事や企業メッセージなどでもよく見かける。また中小の製造業では一種の合い言葉になっているとも聞く。
間違った発想ではない。しかしオンリーワンを目指しているなどという企業から話を聞くと、ちょっと待てよと思うことも多いのだ。
その1
よくある(/o\)パターンは
1.特に具体策がない、単なるキャッチフレーズ。
2.それってナンバーワンと同じ土俵で競っていた時と、
ほとんど変わらない戦略、企画じゃないかと突っ込みたくなる。
3.二言目には絞り込むとか、特徴を出すとかの答しか返ってこない。
など。今まで半数以上はこういう「なんちゃってオンリーワン」トークを聞かされた。もちろん、これでうまくいくはずがない。真剣に取り組んでいる企業でも、とても苦労している。オンリーワンは楽な道では決してない。
ひとつだけヒントを。とある企業でオンリーワンを目指すための「製品化すべき技術と商品企画候補一覧」というものを見たことがある。しかしオンリーワンは製品や技術だけで考えていては、なかなか道筋が見えてこない。 11月19日のプラネタリウムのブログにも書いたが、ターゲットや売り方などの見直しも含めた総合的なマーケティング戦略が肝心だ。 12月11日のブログも参考にして欲しい。
その2
オンリーワンなら勝ち残れるのか? それは幻想だ。世の中にはオンリーワンな商品はたくさんある。しかし、それら全てが飛ぶように売れているわけではない。なぜなら販売力やマーケティングが弱い企業が多いから。あえていえばオンリーワン開発に力を入れすぎてマーケティングがおろそかになっているから。
オンリーワンには「いいものなら売れるはず」という「モノ作り信仰」が見え隠れする。作る技術と同等に売る技術が優れていなければマーケットでは成功しない。つまりオンリーワンは必要条件の1つでしかない。大企業でいえばシャープはオンリーワン的な企業だ。ではシャープはマーケティングに手を抜いてる? そうじゃないのは皆さんご存じのはず。製品ではなく技術を売る企業でもこれは同じ。特に中小企業ではマーケティングを軽視しているところが多い。
「世界に一つだけの花」を聴くと肩の力が抜けてホッとする。癒し系の唄だ。だがビジネスではそうも言っていられない。ターゲットを絞り込みましょうと提案すると尻込みする企業は多いが、オンリーワンを目指しましょうというとバラ色の未来に目が輝く。どちらも特化なのだ。オンリーワンにはそんな言葉のマジックもある。コンサルタントはそうやってたぶらかすからご用心(^^ゞ
オンリーワンは発想を転換したり、企業戦略の選択肢を広める意味においてはいいヒントだ。ただし魔法の戦略ではない。オンリーワンを達成すれば何事もうまくいくと考えるのを私は「オンリーワン症候群」と呼んでいる。本日は“そんなに言うならオンリーワンを目指すのはとめないけれど、マーケティングに手を抜いちゃダメだよ”の下書きでした。続きを読む
ナンバーワンよりオンリーワンとは、ビジネスでも格言扱い。社長のインタビュー記事や企業メッセージなどでもよく見かける。また中小の製造業では一種の合い言葉になっているとも聞く。
間違った発想ではない。しかしオンリーワンを目指しているなどという企業から話を聞くと、ちょっと待てよと思うことも多いのだ。
その1
よくある(/o\)パターンは
1.特に具体策がない、単なるキャッチフレーズ。
2.それってナンバーワンと同じ土俵で競っていた時と、
ほとんど変わらない戦略、企画じゃないかと突っ込みたくなる。
3.二言目には絞り込むとか、特徴を出すとかの答しか返ってこない。
など。今まで半数以上はこういう「なんちゃってオンリーワン」トークを聞かされた。もちろん、これでうまくいくはずがない。真剣に取り組んでいる企業でも、とても苦労している。オンリーワンは楽な道では決してない。
ひとつだけヒントを。とある企業でオンリーワンを目指すための「製品化すべき技術と商品企画候補一覧」というものを見たことがある。しかしオンリーワンは製品や技術だけで考えていては、なかなか道筋が見えてこない。 11月19日のプラネタリウムのブログにも書いたが、ターゲットや売り方などの見直しも含めた総合的なマーケティング戦略が肝心だ。 12月11日のブログも参考にして欲しい。
その2
オンリーワンなら勝ち残れるのか? それは幻想だ。世の中にはオンリーワンな商品はたくさんある。しかし、それら全てが飛ぶように売れているわけではない。なぜなら販売力やマーケティングが弱い企業が多いから。あえていえばオンリーワン開発に力を入れすぎてマーケティングがおろそかになっているから。
オンリーワンには「いいものなら売れるはず」という「モノ作り信仰」が見え隠れする。作る技術と同等に売る技術が優れていなければマーケットでは成功しない。つまりオンリーワンは必要条件の1つでしかない。大企業でいえばシャープはオンリーワン的な企業だ。ではシャープはマーケティングに手を抜いてる? そうじゃないのは皆さんご存じのはず。製品ではなく技術を売る企業でもこれは同じ。特に中小企業ではマーケティングを軽視しているところが多い。
「世界に一つだけの花」を聴くと肩の力が抜けてホッとする。癒し系の唄だ。だがビジネスではそうも言っていられない。ターゲットを絞り込みましょうと提案すると尻込みする企業は多いが、オンリーワンを目指しましょうというとバラ色の未来に目が輝く。どちらも特化なのだ。オンリーワンにはそんな言葉のマジックもある。コンサルタントはそうやってたぶらかすからご用心(^^ゞ
オンリーワンは発想を転換したり、企業戦略の選択肢を広める意味においてはいいヒントだ。ただし魔法の戦略ではない。オンリーワンを達成すれば何事もうまくいくと考えるのを私は「オンリーワン症候群」と呼んでいる。本日は“そんなに言うならオンリーワンを目指すのはとめないけれど、マーケティングに手を抜いちゃダメだよ”の下書きでした。続きを読む
2004年12月13日
追悼
三浦様
数時間前、あなたが土曜日に亡くなられたとの知らせを受けました。
なぜか、三宅島への社員旅行で、あなたが帽子をかぶったまま海に飛び込んだ時のことを思い出しました。その時ほぼ初対面だった私は、80年代も半ばだというのに、遅れてきたヒッピーのような出で立ちのあなたに鮮烈な印象を受けたものです。
どこの誰とも較べられない強烈な個性を持ちながら、あなたは何かに固執するということがなかった。頭脳明晰なのに、それをひけらかすような素振りは一切見せなかった。どんなときでも人生をおもしろがっていた。誰にでも心を開いて接していた。
若気の至りで、まだ構えたり突っ張ったところのあった私は、あなたと知り合って一歩成長できた。今まで口にしたことはなかったけれど、私はあなたから大きな影響を受けた。いろんなことを学んだ。ありがとうございました。
最後にお目にかかったのは10年ほど前でしょうか。また何かご一緒にとの気持ちは常に持っていましたが、それもかなわぬこととなってしまいました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
数時間前、あなたが土曜日に亡くなられたとの知らせを受けました。
なぜか、三宅島への社員旅行で、あなたが帽子をかぶったまま海に飛び込んだ時のことを思い出しました。その時ほぼ初対面だった私は、80年代も半ばだというのに、遅れてきたヒッピーのような出で立ちのあなたに鮮烈な印象を受けたものです。
どこの誰とも較べられない強烈な個性を持ちながら、あなたは何かに固執するということがなかった。頭脳明晰なのに、それをひけらかすような素振りは一切見せなかった。どんなときでも人生をおもしろがっていた。誰にでも心を開いて接していた。
若気の至りで、まだ構えたり突っ張ったところのあった私は、あなたと知り合って一歩成長できた。今まで口にしたことはなかったけれど、私はあなたから大きな影響を受けた。いろんなことを学んだ。ありがとうございました。
最後にお目にかかったのは10年ほど前でしょうか。また何かご一緒にとの気持ちは常に持っていましたが、それもかなわぬこととなってしまいました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2004年12月12日
誰かにお願い
本日は日曜日。いつもの「下書き」ではなく、たまにはお願いをひとつ。
ヒット商品番付が相次いで発表される季節。いろいろなところが発表しているが「ヒット商品番付」の横綱は日経MJと三井住友系の SMBCか。(日経はネットでは見られないようである) 過去の番付もあわせて見ると、それなりに世相を反映していて楽しいし、タメにもなる。
ヒット商品番付でも、その背景が解説されているが、もう少し待つと電通や博報堂などから、1年間のヒット商品や社会現象を分類・グループ化して考察し「今の時代の気分は〇〇〇だ」というようなレポートが発表される。ちなみに電通の 過去3年のタイトルは
2003年:多自由構造な生活
2002年:オフバランス消費
2001年:スロー、スロー、クイックで
博報堂の2005年予測は 「灰をまけ! ぬけがけ願望をプッシュせよ!」らしい。
こういったレポートで、自分が持っていなかった視点を見つけるのは大事。ただし、世の中これからはこうなるという話しを、あまりまともに信じてはいけない。年に1回の、ちょっと飛躍した仮説のお祭りなんだから。
さて、将来の社会を予測するのに、次のような手法も面白いのではないかと私は考えている。テーマはいわゆる「良識ある大人が眉をひそめること、理解に苦しむこと」。例えば電車の中でものを食べる、化粧をする。例えばデートしているのにお互いが携帯電話で他人とメールしている。
・そういう事象を満遍なく収集し
・いい悪いの判断は抜きに、社会の必然と受け止め
・悲観的にも楽観的にもならずに分析し
・将来の社会を予測する
明治の人から見れば今の我々は「眉をひそめること、理解に苦しむこと」ばかりなのではないか? だが今が明治より悲惨になった訳ではない。いい世の中のはずだ。水は低きに流れるとか、悪貨は良貨を駆逐するなどの言葉は真理だと思うが、ネガティブな視点に発想の限界があるような気もする。
ヒット商品番付や広告代理店のレポートは、日の当たっている事象の分析である。ちょっとダークサイドで、かつ、そんなに深刻過ぎない事象での分析も、たまには読みたいと思った次第。自分でやるには骨が折れすぎる(^^ゞ 企画料は要らないから、どなたか書いてください。
ヒット商品番付が相次いで発表される季節。いろいろなところが発表しているが「ヒット商品番付」の横綱は日経MJと三井住友系の SMBCか。(日経はネットでは見られないようである) 過去の番付もあわせて見ると、それなりに世相を反映していて楽しいし、タメにもなる。
ヒット商品番付でも、その背景が解説されているが、もう少し待つと電通や博報堂などから、1年間のヒット商品や社会現象を分類・グループ化して考察し「今の時代の気分は〇〇〇だ」というようなレポートが発表される。ちなみに電通の 過去3年のタイトルは
2003年:多自由構造な生活
2002年:オフバランス消費
2001年:スロー、スロー、クイックで
博報堂の2005年予測は 「灰をまけ! ぬけがけ願望をプッシュせよ!」らしい。
こういったレポートで、自分が持っていなかった視点を見つけるのは大事。ただし、世の中これからはこうなるという話しを、あまりまともに信じてはいけない。年に1回の、ちょっと飛躍した仮説のお祭りなんだから。
さて、将来の社会を予測するのに、次のような手法も面白いのではないかと私は考えている。テーマはいわゆる「良識ある大人が眉をひそめること、理解に苦しむこと」。例えば電車の中でものを食べる、化粧をする。例えばデートしているのにお互いが携帯電話で他人とメールしている。
・そういう事象を満遍なく収集し
・いい悪いの判断は抜きに、社会の必然と受け止め
・悲観的にも楽観的にもならずに分析し
・将来の社会を予測する
明治の人から見れば今の我々は「眉をひそめること、理解に苦しむこと」ばかりなのではないか? だが今が明治より悲惨になった訳ではない。いい世の中のはずだ。水は低きに流れるとか、悪貨は良貨を駆逐するなどの言葉は真理だと思うが、ネガティブな視点に発想の限界があるような気もする。
ヒット商品番付や広告代理店のレポートは、日の当たっている事象の分析である。ちょっとダークサイドで、かつ、そんなに深刻過ぎない事象での分析も、たまには読みたいと思った次第。自分でやるには骨が折れすぎる(^^ゞ 企画料は要らないから、どなたか書いてください。
2004年12月11日
ヨン様で気づくべきこと
ヨン様ブーム、ブレイク中である。彼を見たり聞かなかったりしない日はない。経済波及効果も何千億円といわれている。財務省は感謝せねばならぬ。
ヨン様ブームの担い手、特に追っかけは中年のオバサンが主体だ。つまり私と同世代。いい大人がいかがなものかという論調もある。日本の女性はプライドがないのかと韓国での街頭インタビューにもあった。「中年女性が大挙して押し寄せ、その人数は成田空港史上最大」なんて記事を読むと一瞬、この国はやはりおかしいなんて思ってしまうが、それは古い常識に縛られた思考停止。
40歳だろうが60歳だろうが、遊びや趣味に関するマインドで、人間は歳をとらない。さすがに幼稚園の頃と同じとは思わないが、高校生となら気持ちは同じである。ワーワーキャーキャー騒ぐのは誰だって楽しい。多少、世間体を気にしたり身体がついてこなかったりはするが、大人というキーワードで区別するのは間違い。30歳がガンダムを集めたり、定年になってから大型バイクを乗り始めるのは「大人が変わってきた」のではなく「社会の許容量が増えた」からだ。恋多き人は身体がついてくる限り不倫する(>_<)
遊びや趣味に関するマインドで、人間は歳をとらない。つまり需要がある。だが供給側は大人や年齢といったキーワードに縛られがち。日本は若者文化の国だから、中高年は遊びや趣味で見放されたターゲット。だからたまに供給があると需要が殺到する。みのもんたのワイドショーが50歳以上の女性に人気絶大なのは、彼だけがテレビで唯一彼女たちをもてなしてくれるキャスターだからだ。お笑い番組も若者向けばかり。だから綾小路きみまろがオバサマ・マーケットで一人勝ちする。笑い転げる姿は女子高生と変わらない。
どの分野に限らず見放されたターゲットは一杯ある。まだ行ってないが伊勢丹はオヤジ向けファッション売り場に力を入れ始めて好調だそうだ。 「説明書の入らない」ツーカーの携帯電話が老人向けに順調に売れている(どこまでヒットするか実は興味津々)。渋谷は過激すぎてついていけないと池袋に集まる高校生もいる。
昔、マスマーケティングは終わりだということで細分化したターゲットへのアプローチが流行した時代がある。間違ってはいないが、そこまで極端にならずとも、ちょっと見回せば、皆さんが勝手に見放しているターゲットはいるはず。本日は“見放された人々に救いの手を、それでお互い幸せになれる”の下書きでした。
ヨン様ブームの担い手、特に追っかけは中年のオバサンが主体だ。つまり私と同世代。いい大人がいかがなものかという論調もある。日本の女性はプライドがないのかと韓国での街頭インタビューにもあった。「中年女性が大挙して押し寄せ、その人数は成田空港史上最大」なんて記事を読むと一瞬、この国はやはりおかしいなんて思ってしまうが、それは古い常識に縛られた思考停止。
40歳だろうが60歳だろうが、遊びや趣味に関するマインドで、人間は歳をとらない。さすがに幼稚園の頃と同じとは思わないが、高校生となら気持ちは同じである。ワーワーキャーキャー騒ぐのは誰だって楽しい。多少、世間体を気にしたり身体がついてこなかったりはするが、大人というキーワードで区別するのは間違い。30歳がガンダムを集めたり、定年になってから大型バイクを乗り始めるのは「大人が変わってきた」のではなく「社会の許容量が増えた」からだ。恋多き人は身体がついてくる限り不倫する(>_<)
遊びや趣味に関するマインドで、人間は歳をとらない。つまり需要がある。だが供給側は大人や年齢といったキーワードに縛られがち。日本は若者文化の国だから、中高年は遊びや趣味で見放されたターゲット。だからたまに供給があると需要が殺到する。みのもんたのワイドショーが50歳以上の女性に人気絶大なのは、彼だけがテレビで唯一彼女たちをもてなしてくれるキャスターだからだ。お笑い番組も若者向けばかり。だから綾小路きみまろがオバサマ・マーケットで一人勝ちする。笑い転げる姿は女子高生と変わらない。
どの分野に限らず見放されたターゲットは一杯ある。まだ行ってないが伊勢丹はオヤジ向けファッション売り場に力を入れ始めて好調だそうだ。 「説明書の入らない」ツーカーの携帯電話が老人向けに順調に売れている(どこまでヒットするか実は興味津々)。渋谷は過激すぎてついていけないと池袋に集まる高校生もいる。
昔、マスマーケティングは終わりだということで細分化したターゲットへのアプローチが流行した時代がある。間違ってはいないが、そこまで極端にならずとも、ちょっと見回せば、皆さんが勝手に見放しているターゲットはいるはず。本日は“見放された人々に救いの手を、それでお互い幸せになれる”の下書きでした。
2004年12月10日
ゲーム脳
数日前、報道ステーションでゲーム脳の特集があった。ゲームをやりすぎると脳の前頭前野(額の裏側らしい)の活動が衰える。ここは思考や判断力と共に感情抑制も司る部分で、だからゲームをやりすぎる子供は「キレやすい」傾向にあるという内容。また前頭前野を鍛えるには暗算が効果的で、柔道の谷亮子選手が階段登りのトレーニングの合間に、暗算の訓練?をしている風景が紹介された。試合での瞬時の判断力が向上するという。でも、その風景は結構笑えた。
最初はゲームの話だったのだが、番組の途中からゲームやパソコンをやりすぎると、脳が衰えアホになっていくという論調に。まあ、それはいい。私の気を惹いたのは「そりゃそうですよね。考えるところをゲームやパソコンに、代わりにやらせるんですから衰えます」という古館一郎の決めコメント。
気を惹いた理由1
遠い未来、人類は進化して脳はますます大きくなり、生活はどんどん楽になって体は退化する。そんなイメージをいだいていたのだが修正せねば。そういえば電卓がないとちょっとした計算もできないし、漢字は読めて「打てるが」書けない。「乗り換え案内」に頼り切っているので駅で路線図を見るとクラクラする。やっぱりアホになっている。
気を惹いた理由2
マーケティングでも思い当たる節がある。マーケティング産業の発達で判断すべき情報は増える一方だ。市場調査、POSデータ、顧客データベース、各種統計資料etc。すべてに目を通すのは不可能だから、ある程度分析され、まとめられたものを読むようになる。ポジションが高い人ほどそうだろう。すると、どうしても深い考察ができなくなってくる。それはジワジワとやってくる。漢字は読めて打てれば普段は困らないが、イザという時に字が書けないことを思い知る。
これといった方策は思いつかない。自分の判断が、どのような判断の集合体かは意識しておく必要はあるだろう。刑事ドラマじゃないけど、必要があれば現場を何回でも確認することは大事だ。本日は“暗算、書き取りがマーケティングを強くする。あっ、それと私の報告書を読んでキレないでね(^^ゞ”の下書きでした。
◆◆◆◆◆◆
後日追記
ゲーム脳の学説には、科学的に実証できていないという批判も多くあります。
最初はゲームの話だったのだが、番組の途中からゲームやパソコンをやりすぎると、脳が衰えアホになっていくという論調に。まあ、それはいい。私の気を惹いたのは「そりゃそうですよね。考えるところをゲームやパソコンに、代わりにやらせるんですから衰えます」という古館一郎の決めコメント。
気を惹いた理由1
遠い未来、人類は進化して脳はますます大きくなり、生活はどんどん楽になって体は退化する。そんなイメージをいだいていたのだが修正せねば。そういえば電卓がないとちょっとした計算もできないし、漢字は読めて「打てるが」書けない。「乗り換え案内」に頼り切っているので駅で路線図を見るとクラクラする。やっぱりアホになっている。
気を惹いた理由2
マーケティングでも思い当たる節がある。マーケティング産業の発達で判断すべき情報は増える一方だ。市場調査、POSデータ、顧客データベース、各種統計資料etc。すべてに目を通すのは不可能だから、ある程度分析され、まとめられたものを読むようになる。ポジションが高い人ほどそうだろう。すると、どうしても深い考察ができなくなってくる。それはジワジワとやってくる。漢字は読めて打てれば普段は困らないが、イザという時に字が書けないことを思い知る。
これといった方策は思いつかない。自分の判断が、どのような判断の集合体かは意識しておく必要はあるだろう。刑事ドラマじゃないけど、必要があれば現場を何回でも確認することは大事だ。本日は“暗算、書き取りがマーケティングを強くする。あっ、それと私の報告書を読んでキレないでね(^^ゞ”の下書きでした。
◆◆◆◆◆◆
後日追記
ゲーム脳の学説には、科学的に実証できていないという批判も多くあります。
2004年12月09日
CBO Chief Brand Officer
ずいぶん昔の話しだが、これは実話。ある家電メーカーにて。
私「御社は企業広告はやらないのですか?」
相手「いえ、日経ビジネスなどで年に数回は展開しています」
私「え!」
日経ビジネスなどに、その企業の広告が掲載されていることは知っていた。でも、それは普通の商品広告。他の雑誌に掲載されているものと全く同じ内容。結論を言うと、その企業では一般の雑誌に出稿するのは「商品広告」、ステイタスが高いとされる経済雑誌に出稿するのが「企業広告」と分類されていた(/o\) ちなみにその商品は経済雑誌を読むような人がターゲットの商品ではない。
その話しを某広告代理店超やり手社長に話すと「そういうのはね、君」と、こんな解説が。日経ビジネスは経営者の間でよく読まれている。そこに出稿すると、例えば業界団体の集まりなどで「おたくの広告見ましたよ」と社長が、よその社長にいわれる。社長は広告効果があると思いこんで、予算が確保されるという訳。広告代理店が仕組んだり、企業の広告担当者とグルになってやるそうだ。ふ〜ん、マーケティングも奥深い。
そんなわけで(どんなわけ?)ブランドの話し。浮き沈みが激しいマーケティング流行語にあって“ブランド”は健闘している。栄枯盛衰。CIやCSは、もう本屋に並んでいない。いろんな見解が提案されているけど、ブランド神学論争に参加するつもりはない。ヴィトンなどの「ブランド商品」とは、ちょっと意味合いの違う言葉の使い方だというのが、一般のビジネスマンにも浸透してきてよかったと眺めているしだい。
ブランドは3つのレベルに分類できる。変種はいろいろあるけど大雑把には
企業ブランド:トヨタとか日産とか
事業ブランド:パナソニックとかauとか
製品ブランド:チキンラーメンとか
どちらが大事だとか、どうミックスすべきだとか、企業の商品構成によって対応は違うとかブランド論はいろいろある。効果だけをいうと上位の企業ブランドがしっかりしていた方が効率的。ただし知恵もお金も時間もかかる。ベンツというだけで高級感がある。トヨタは個別にクルマの良さをアピールしなければ売れない。極端にいうとアメ車と聞いただけで心配になる。
傾向としては製品ブランドを高めようとするマーケティングが多い。一概に悪いとは考えないが、企業が投資効率をきちんと分析しているかは少し疑問。製品ブランドは使い捨てされる運命にある。例えばトヨタも日産も新しい車種名をどんどん出している。これらはゼロからのブランド作り。そして廃止になった車種へのブランド投資はすべて無駄になる。他の業界も似たり寄ったり。
企業ブランドに、もっと力を入れるべきというのが私の一般論。そしてやっと本題。
企業ブランドの責任者って誰? 製品なら、その開発、売上そしてブランドイメージなどすべてを統括する最高責任者はいるはず。企業ブランドの最高責任者は?
経営トップだというのも間違っていないが、もっと実務的に企業ブランドを担当する最高責任者が必要だと思う。CFOやCIOならぬ「チーフ・企業ブランド・オフィサー」語呂が悪いんでCBO(Chief Brand Officer)とネーミングしてみた。企業広告の担当者ではない。企業の全活動を通じて企業ブランドについて指揮を執る役職。
体制がなければ活動はない。予算も付かない。本日は“マネジメント体制から見直す企業ブランド論”の下書きでした。
私「御社は企業広告はやらないのですか?」
相手「いえ、日経ビジネスなどで年に数回は展開しています」
私「え!」
日経ビジネスなどに、その企業の広告が掲載されていることは知っていた。でも、それは普通の商品広告。他の雑誌に掲載されているものと全く同じ内容。結論を言うと、その企業では一般の雑誌に出稿するのは「商品広告」、ステイタスが高いとされる経済雑誌に出稿するのが「企業広告」と分類されていた(/o\) ちなみにその商品は経済雑誌を読むような人がターゲットの商品ではない。
その話しを某広告代理店超やり手社長に話すと「そういうのはね、君」と、こんな解説が。日経ビジネスは経営者の間でよく読まれている。そこに出稿すると、例えば業界団体の集まりなどで「おたくの広告見ましたよ」と社長が、よその社長にいわれる。社長は広告効果があると思いこんで、予算が確保されるという訳。広告代理店が仕組んだり、企業の広告担当者とグルになってやるそうだ。ふ〜ん、マーケティングも奥深い。
そんなわけで(どんなわけ?)ブランドの話し。浮き沈みが激しいマーケティング流行語にあって“ブランド”は健闘している。栄枯盛衰。CIやCSは、もう本屋に並んでいない。いろんな見解が提案されているけど、ブランド神学論争に参加するつもりはない。ヴィトンなどの「ブランド商品」とは、ちょっと意味合いの違う言葉の使い方だというのが、一般のビジネスマンにも浸透してきてよかったと眺めているしだい。
ブランドは3つのレベルに分類できる。変種はいろいろあるけど大雑把には
企業ブランド:トヨタとか日産とか
事業ブランド:パナソニックとかauとか
製品ブランド:チキンラーメンとか
どちらが大事だとか、どうミックスすべきだとか、企業の商品構成によって対応は違うとかブランド論はいろいろある。効果だけをいうと上位の企業ブランドがしっかりしていた方が効率的。ただし知恵もお金も時間もかかる。ベンツというだけで高級感がある。トヨタは個別にクルマの良さをアピールしなければ売れない。極端にいうとアメ車と聞いただけで心配になる。
傾向としては製品ブランドを高めようとするマーケティングが多い。一概に悪いとは考えないが、企業が投資効率をきちんと分析しているかは少し疑問。製品ブランドは使い捨てされる運命にある。例えばトヨタも日産も新しい車種名をどんどん出している。これらはゼロからのブランド作り。そして廃止になった車種へのブランド投資はすべて無駄になる。他の業界も似たり寄ったり。
企業ブランドに、もっと力を入れるべきというのが私の一般論。そしてやっと本題。
企業ブランドの責任者って誰? 製品なら、その開発、売上そしてブランドイメージなどすべてを統括する最高責任者はいるはず。企業ブランドの最高責任者は?
経営トップだというのも間違っていないが、もっと実務的に企業ブランドを担当する最高責任者が必要だと思う。CFOやCIOならぬ「チーフ・企業ブランド・オフィサー」語呂が悪いんでCBO(Chief Brand Officer)とネーミングしてみた。企業広告の担当者ではない。企業の全活動を通じて企業ブランドについて指揮を執る役職。
体制がなければ活動はない。予算も付かない。本日は“マネジメント体制から見直す企業ブランド論”の下書きでした。
2004年12月08日
ハードルの低い商品開発
トーヨータイヤのCMを見た。一度しか見ていないのでうろ覚えだが、元F-1ドライバーのジャン・アレジが運転しながら、独り言を言う。
「クルマを買ってから手放すまで、交換の必要がなく、晴れでも雨でも雪でも使えるのが理想のタイヤだ」などとフランス語で渋くしゃべっている。
タイヤ交換もせず、スタッドレスタイヤ(雪用タイヤ)も買ってくれなくなるとタイヤメーカーは経営に困るはず。が、そんなことはおくびにも出さず「高いハードルにチャレンジしてますよ」というメッセージをサラッと表現して好感を持てる。映像もいい。
ハードルの低い商品開発が多いんだなあ。消費者としても思うし、幸か不幸か商品開発の現場に携わっても思う。例えばユーザー調査をする。商品の不満や希望を聞く。好き勝手な応えが返ってくる。その中から、即対応できることしか担当者が取り上げないというのは何度も経験した。ちょっとがんばれば何とかなりそうなことも「それは次の課題として」と及び腰。あまり次が来た記憶がない(/o\)
理由はいろいろある。技術やコストや、社内説得の難易度いろいろあるけど、とりあえず、それらはよしとしよう。私が問題に思うのは「忙しさ」。たとえば20年前と較べて、ほとんどの業界で製品の開発サイクルは短くなっている。サラリーマンが日常「情報処理」しなければならない業務も格段に増えた。また最近はリストラのしわ寄せで担当案件が増えた人も多い。それやこれやで「じっくり仕事に取り組もう」度合いが低くなってきたように感じる。
人間の企画開発「脳」力は20年前と同じだ。効率化、スピード化を図れない仕事はある。最近、自社の商品がパッとしない思ったらプロジェクト・マネジメントを洗い直すことをお薦めする。
本日は“もう一度マーケティングの原点を思い出そう。アンタが忙しいのは、消費者の知ったことじゃない!”の下書きでした。
「クルマを買ってから手放すまで、交換の必要がなく、晴れでも雨でも雪でも使えるのが理想のタイヤだ」などとフランス語で渋くしゃべっている。
タイヤ交換もせず、スタッドレスタイヤ(雪用タイヤ)も買ってくれなくなるとタイヤメーカーは経営に困るはず。が、そんなことはおくびにも出さず「高いハードルにチャレンジしてますよ」というメッセージをサラッと表現して好感を持てる。映像もいい。
ハードルの低い商品開発が多いんだなあ。消費者としても思うし、幸か不幸か商品開発の現場に携わっても思う。例えばユーザー調査をする。商品の不満や希望を聞く。好き勝手な応えが返ってくる。その中から、即対応できることしか担当者が取り上げないというのは何度も経験した。ちょっとがんばれば何とかなりそうなことも「それは次の課題として」と及び腰。あまり次が来た記憶がない(/o\)
理由はいろいろある。技術やコストや、社内説得の難易度いろいろあるけど、とりあえず、それらはよしとしよう。私が問題に思うのは「忙しさ」。たとえば20年前と較べて、ほとんどの業界で製品の開発サイクルは短くなっている。サラリーマンが日常「情報処理」しなければならない業務も格段に増えた。また最近はリストラのしわ寄せで担当案件が増えた人も多い。それやこれやで「じっくり仕事に取り組もう」度合いが低くなってきたように感じる。
人間の企画開発「脳」力は20年前と同じだ。効率化、スピード化を図れない仕事はある。最近、自社の商品がパッとしない思ったらプロジェクト・マネジメントを洗い直すことをお薦めする。
本日は“もう一度マーケティングの原点を思い出そう。アンタが忙しいのは、消費者の知ったことじゃない!”の下書きでした。
2004年12月07日
マリア様
12月4日に書いた「レット・イット・ビー」の関西弁訳の印象が強烈だったせいかヤフーニュースで、こんな記事が目に入った。「聖母マリアの処女懐胎を信じている人は米国民の79%」。
意識が何かの対象に向いていると、どんな小さな記事や広告でも目にはいる。そんなことは皆さんも経験ありませんか?
私は小学校の初恋のオンナのコ、仮に山田さんとしよう。富士“山”とか“田”畑を社会科の教科書で見ただけでドキドキしたものだ(^^ゞ 11月11日の日経ビジネスの広告調査では、そんなことも書きたかったのだけど、書ききれなかった。広告は既に関心を持っている人をターゲットにするのか、世間の関心を惹くために広告を打つのかで方法論は全く違う。そこがわかっていないと広告代理店の“お得意様”になるだけだ。この話はいずれまた。でも一言だけ。「あなたの会社ごときの広告で、『関心のない人』が振り向いてくれると思ったら大間違い」。ちょっと毒舌かな。業界トップかそれに準ずる企業の方は忘れてくれていい。
さて、本題の「聖母マリアの処女懐胎を信じている人は、米国民の79%」。これを素直に信じてアメリカ人は信心深いと思ったあなたは“調査会社のお得意様”の可能性が高い。
この調査の背景はわからないから一般論となるが、調査結果には本音と建て前が混在している。調査内容にもよるが、建前のほうが多いと思った方がいい。回答者がいい加減な訳ではない。人は見知らぬ人(調査)には、まず建前をいうものなのだ。それに調査は警察の取り調べではない。真相追求にも、おのずから限界がある。
この本音と建て前の混在した調査結果をどう分析するかがキモなのだが、この話もいずれまた。ただし特別なテクニックはない。勘と経験によるところが多い。そして最後にものをいうのは実績の積み重ね。例えば「買いたい」と50%の人が答えたら、このジャンルの1000円の商品なら、過去にどれくらいの売上が見込めたか−−−のような。これをきちんと把握している企業は多くない。
さてマリア様だが、これは建前を飛び越えてタブーの領域だ。しかも、どう答えようが本人の行動や将来には影響がない。当然数字は跳ね上がる。聖母マリアの処女懐胎グッズを売り出しても、そんなに売れないよ(^^ゞ
本日は“悪人なおもて建前いう、いわんや善人をや”の下書きでした。
「データが変だと思ったら」という記事のある「大西宏のマーケティング・エッセンス」と、その元ネタとなった「利用最多のブログは『ウェブリブログ』、満足度では『楽天』」のある「珠丸の覚書」をリンクしておきます。興味があればどうぞ。どちらも人気のあるブログです。そこにあるトラックバックやコメントを読むのも面白いですよ。
意識が何かの対象に向いていると、どんな小さな記事や広告でも目にはいる。そんなことは皆さんも経験ありませんか?
私は小学校の初恋のオンナのコ、仮に山田さんとしよう。富士“山”とか“田”畑を社会科の教科書で見ただけでドキドキしたものだ(^^ゞ 11月11日の日経ビジネスの広告調査では、そんなことも書きたかったのだけど、書ききれなかった。広告は既に関心を持っている人をターゲットにするのか、世間の関心を惹くために広告を打つのかで方法論は全く違う。そこがわかっていないと広告代理店の“お得意様”になるだけだ。この話はいずれまた。でも一言だけ。「あなたの会社ごときの広告で、『関心のない人』が振り向いてくれると思ったら大間違い」。ちょっと毒舌かな。業界トップかそれに準ずる企業の方は忘れてくれていい。
さて、本題の「聖母マリアの処女懐胎を信じている人は、米国民の79%」。これを素直に信じてアメリカ人は信心深いと思ったあなたは“調査会社のお得意様”の可能性が高い。
この調査の背景はわからないから一般論となるが、調査結果には本音と建て前が混在している。調査内容にもよるが、建前のほうが多いと思った方がいい。回答者がいい加減な訳ではない。人は見知らぬ人(調査)には、まず建前をいうものなのだ。それに調査は警察の取り調べではない。真相追求にも、おのずから限界がある。
この本音と建て前の混在した調査結果をどう分析するかがキモなのだが、この話もいずれまた。ただし特別なテクニックはない。勘と経験によるところが多い。そして最後にものをいうのは実績の積み重ね。例えば「買いたい」と50%の人が答えたら、このジャンルの1000円の商品なら、過去にどれくらいの売上が見込めたか−−−のような。これをきちんと把握している企業は多くない。
さてマリア様だが、これは建前を飛び越えてタブーの領域だ。しかも、どう答えようが本人の行動や将来には影響がない。当然数字は跳ね上がる。聖母マリアの処女懐胎グッズを売り出しても、そんなに売れないよ(^^ゞ
本日は“悪人なおもて建前いう、いわんや善人をや”の下書きでした。
「データが変だと思ったら」という記事のある「大西宏のマーケティング・エッセンス」と、その元ネタとなった「利用最多のブログは『ウェブリブログ』、満足度では『楽天』」のある「珠丸の覚書」をリンクしておきます。興味があればどうぞ。どちらも人気のあるブログです。そこにあるトラックバックやコメントを読むのも面白いですよ。
2004年12月06日
管理職から支援職に
私の15年前からの主張をひとつ。
それをテーマに本を書けと出版社から誘われたこともある。誘いに乗らなかった理由はよく思い出せない。忙しかったのか、あまりにシンプルな主張なので5ページにしかならないと思ったからか。
私は管理職という言葉が嫌いである。
私を管理しようとする管理職は、もっと嫌いである(^^ゞ
なぜ嫌いなのか、そもそもマネジメントとは−−−なんてめんどくさい話しは、今日はナシ。ある日、管理職を「支援職」と呼び換えれば、私の管理職嫌いが解消することに気が付いた。ちょっと大げさだが企業やビジネスを幸せにすると考えた。
たとえば営業部長の仕事は3つである。
1.営業の仕事をする。
2.営業マンと、その仕事を管理する。
3.営業マンと、その仕事を支援する。
その営業部に100名いたとしよう。営業部長がどれほど優秀でも彼自身の営業力には限界がある。営業部長の仕事は100名の営業マンが、おのおの最高のパフォーマンスを発揮できるよう支援することにつきる。管理は、そのための手段だ。
当たり前のことなのに「支援」の概念が希薄なのは「管理職」というネーミングにあると私は思っている。支援すれば業績は上がる。管理は業績とは関係ない。優秀な営業部長は支援に長けているはず。ネーミングは一番の本質を表さなくてはいけない。
管理と名の付くあらゆることを、支援の視点で再検討することをお薦めする。顧客管理、店舗管理はいうにおよばす、売れ残りの在庫管理だって在庫支援という視点を持てば打つべき対策が見える。何の対策もない企業が多いのは「管理」しかしていないからだ。
本日は“♪よ〜く考えよう、言葉は大事だよ〜支援、支援”の下書きでした。
それをテーマに本を書けと出版社から誘われたこともある。誘いに乗らなかった理由はよく思い出せない。忙しかったのか、あまりにシンプルな主張なので5ページにしかならないと思ったからか。
私は管理職という言葉が嫌いである。
私を管理しようとする管理職は、もっと嫌いである(^^ゞ
なぜ嫌いなのか、そもそもマネジメントとは−−−なんてめんどくさい話しは、今日はナシ。ある日、管理職を「支援職」と呼び換えれば、私の管理職嫌いが解消することに気が付いた。ちょっと大げさだが企業やビジネスを幸せにすると考えた。
たとえば営業部長の仕事は3つである。
1.営業の仕事をする。
2.営業マンと、その仕事を管理する。
3.営業マンと、その仕事を支援する。
その営業部に100名いたとしよう。営業部長がどれほど優秀でも彼自身の営業力には限界がある。営業部長の仕事は100名の営業マンが、おのおの最高のパフォーマンスを発揮できるよう支援することにつきる。管理は、そのための手段だ。
当たり前のことなのに「支援」の概念が希薄なのは「管理職」というネーミングにあると私は思っている。支援すれば業績は上がる。管理は業績とは関係ない。優秀な営業部長は支援に長けているはず。ネーミングは一番の本質を表さなくてはいけない。
管理と名の付くあらゆることを、支援の視点で再検討することをお薦めする。顧客管理、店舗管理はいうにおよばす、売れ残りの在庫管理だって在庫支援という視点を持てば打つべき対策が見える。何の対策もない企業が多いのは「管理」しかしていないからだ。
本日は“♪よ〜く考えよう、言葉は大事だよ〜支援、支援”の下書きでした。
2004年12月05日
休日はのんびり
本日は日曜日。休日の過ごし方はいろいろあるだろうけど、あまり外出せずに、ただノンビリしたい場合のテクニックを2つ。
(その1)テレビをつけない。
テレビはCMごとに、また番組ごとに、あなたの時間を一方的に分断する。ノンビリするには長〜い時間の流れが必要。 ましてCMや番組は、あなたのテンションを上げたり下げたりして、意識が高まるように作られている。これがノンビリを妨げる。退屈な番組を撮ろうと思っている制作者はいないのだから。
休日にテレビを見なくたって生活に影響はない。ニュースはインターネットで確認できる。どうしても見たい番組は録画して別の日に。テレビを見ないで過ごすと1日が長く感じられるはず。だからボーっとノンビリできる。最初は暇を持て余したり、かえって落ち着かないかも知れない。ボーっとしないよう普段は生活しているから、ボーっとするには多少の訓練が必要。
ラジオも同じ理由でダメ。ビデオも最初は見ない方がいい。本や新聞はもちろんいい。音楽CDもいい。要は時間の区切りを自分でコントロールすること。
まずは「夜まではテレビをつけない」からトライを。何事も無理は禁物だし、家族の協力が必要かも。私は正月3が日のテレビ断ちをと思っているのだけれど、毎年、誘惑に負けている(^^ゞ
(その2)超早起きする。
どんなに眠くても、根性で夜明けと共に起きる。ノンビリするには長い1日が必要だから。昼過ぎまで寝ていては、体の疲れは取れても心はノンビリできない。
私は夏なら5時前に起きる。珈琲を飲みながら新聞をじっくり読んで、それから散歩かジョギングに出かけて、戻ってシャワーを浴びて、ビールか白ワインで2〜3杯やって、午前8時に昼寝する(^_^) それから目覚めても、まだ午前中! これが大事。
まあ、この朝酒&昼寝をニンジンにして早起きするのだが、1日が倍になった気がする。有効利用してもいいし、ノンビリしてもよし。冬場はちょっとツライが、皆さんもお試しを。
(その1)テレビをつけない。
テレビはCMごとに、また番組ごとに、あなたの時間を一方的に分断する。ノンビリするには長〜い時間の流れが必要。 ましてCMや番組は、あなたのテンションを上げたり下げたりして、意識が高まるように作られている。これがノンビリを妨げる。退屈な番組を撮ろうと思っている制作者はいないのだから。
休日にテレビを見なくたって生活に影響はない。ニュースはインターネットで確認できる。どうしても見たい番組は録画して別の日に。テレビを見ないで過ごすと1日が長く感じられるはず。だからボーっとノンビリできる。最初は暇を持て余したり、かえって落ち着かないかも知れない。ボーっとしないよう普段は生活しているから、ボーっとするには多少の訓練が必要。
ラジオも同じ理由でダメ。ビデオも最初は見ない方がいい。本や新聞はもちろんいい。音楽CDもいい。要は時間の区切りを自分でコントロールすること。
まずは「夜まではテレビをつけない」からトライを。何事も無理は禁物だし、家族の協力が必要かも。私は正月3が日のテレビ断ちをと思っているのだけれど、毎年、誘惑に負けている(^^ゞ
(その2)超早起きする。
どんなに眠くても、根性で夜明けと共に起きる。ノンビリするには長い1日が必要だから。昼過ぎまで寝ていては、体の疲れは取れても心はノンビリできない。
私は夏なら5時前に起きる。珈琲を飲みながら新聞をじっくり読んで、それから散歩かジョギングに出かけて、戻ってシャワーを浴びて、ビールか白ワインで2〜3杯やって、午前8時に昼寝する(^_^) それから目覚めても、まだ午前中! これが大事。
まあ、この朝酒&昼寝をニンジンにして早起きするのだが、1日が倍になった気がする。有効利用してもいいし、ノンビリしてもよし。冬場はちょっとツライが、皆さんもお試しを。
2004年12月04日
それで、ええやないか
土曜日なので、ブログネタをいくつか。
11月14日にもネタを拾わせてもらった 週刊!木村剛にビートルズの名曲「レット・イット・ビー」の関西弁訳が。
♪♪♪♪♪♪♪
わてにどないせぇっちゅうねん! ってなったら、
聖母マリアはんが来てくれてな、
ええこと、ゆうてくれまんねん。「それで、ええやないか」
ドツボで、目の前まっ暗闇のわての、まん前に立たはってな、
ええこと、ゆうてくれまんねん。「それで、ええやないか」。
「ええやないか、かめへん、かめへん」
「ええやないか、かめへん、かめへん」
ほんま、ええこと囁いてくれまんねん。
「それで、ええやないか」
英語は
When I find myself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom Let it be
And in my hour of darkness
She is standing right in front of me
Speaking words of wisdom Let it be
Let it be Let it be
Let it be Let it be
Whisper words of wisdom Let it be
♪♪♪♪♪♪♪
論評不要。素直に感動した。ブログを読み書きし始めてもうすぐ1ヶ月。これを読めただけでも幸せ、儲けものである。ただし歌うには超早口、あるいは一部省略が必要。歌う人はいないか? 私はトライしてみた(^_^)
翻訳したのは プログレッシブな日々さん。音楽ネタと社会ネタで硬軟充実したブログ。お薦め。彼には全訳をお願いしたい!
木村剛氏つながりで、もうひとつ。12月1日に書いた なっちゃん。彼女からメールが来た。またオヤジ殺しされた(^^ゞ で、そのメールの一部。
>先日も、〇〇〇〇の帰り、八重洲ブックセンターに行ったら
>ブログで書いていらした木村剛サンのご本が
>フェアで、山積みになっていたので「日本再生会議」買ったもん。
>踊らされた!
おお、私のブログが735円の経済波及効果を!
週刊!木村剛にトラックバックするので、恩着せがましく書いているのでは、もちろんない。ブログが世の中に与える効果を身近に感じて、ちょっと大げさに感じ入った次第。
「でも、しかし」が3つ目のネタ。ブログを知っている人は、まだまだ少ない。現時点で読み書きの経験率は日本人の3%以下と思う。半年前なら1%に満たなかったはずだ。もちろん急速に普及しつつある。おそらく2005年はブログ元年になるであろう。日経ニュースによれば、既にアメリカで 「今年もっとも注目された流行語はブログ」だという。アメリカでは政治家がブログをうまく活用している。私がブログに興味を持ったのも、民主党大統領予備選挙の記事がきっかけだった。
アメリカでブログを普及させたキラーコンテンツが政治だとして、日本ではどうなるのか。風土が違うので政治はあり得ない。小泉メールマガジンをやめて、小泉ブログを始めたら面白いと思うが。いや、ブログに熱心な木村剛←→竹中平蔵ラインであり得るかも。
企業が本格的にマーケティングに取り入れるのは2006年になるだろう。来年は、いろいろと模索の年になりそうだ。そういえば昔、HP(ホームページ)とか、WWW(ワールド・ワイド・ウエッブ)とか企画書にいちいち但し書きを入れていたのを思い出す。
プログネタ最後の4つ目は自慢と不安。11月21日に書いた グーグルしてみた。ブログが検索エンジンにヒットしやすいことの実験結果である。
その時、5ページ(私の設定では150件)までにヒットしなかった「セダン復権」。それを書いたのが実験前日だったので、日数が経てばどうかと思い、またやってみた。さて本日ただいま現在、我が晴れ時々マーケティングはグーグル検索で
「セダン復権」 510件中、1位
「セダン 復権」 3600件中、1位 (AND検索)
居並ぶマスコミ各社のニュースサイトを押さえて堂々の1位である。ホンマカイナ? ひょっとして、私がよく見るサイトをクッキーの情報から上位に表示させるのかと疑い、クッキーを削除して再トライ。(クッキーのことがわからない人、ゴメン。誰かに訊いて)
結果は同じ。
とりあえず\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/万歳三唱
しかしちょっと不安にもなる。もっと個人日記のようなブログが大幅に増えて、検索でブログばかり上位ヒットしたらどうなる。本当に調べたい情報に、なかなかたどり着けなくなってしまう。検索サイトのオプションに「ブログは除外」とかできるのか? それもまた不便だ。企業のマーケティングにも使えなくなる。いずれ検索エンジンの仕様が最適化されるとは思うが。
さて、あまり先の心配はやめよう。
「ええやないか、かめへん、かめへん」なのだ。
11月14日にもネタを拾わせてもらった 週刊!木村剛にビートルズの名曲「レット・イット・ビー」の関西弁訳が。
♪♪♪♪♪♪♪
わてにどないせぇっちゅうねん! ってなったら、
聖母マリアはんが来てくれてな、
ええこと、ゆうてくれまんねん。「それで、ええやないか」
ドツボで、目の前まっ暗闇のわての、まん前に立たはってな、
ええこと、ゆうてくれまんねん。「それで、ええやないか」。
「ええやないか、かめへん、かめへん」
「ええやないか、かめへん、かめへん」
ほんま、ええこと囁いてくれまんねん。
「それで、ええやないか」
英語は
When I find myself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom Let it be
And in my hour of darkness
She is standing right in front of me
Speaking words of wisdom Let it be
Let it be Let it be
Let it be Let it be
Whisper words of wisdom Let it be
♪♪♪♪♪♪♪
論評不要。素直に感動した。ブログを読み書きし始めてもうすぐ1ヶ月。これを読めただけでも幸せ、儲けものである。ただし歌うには超早口、あるいは一部省略が必要。歌う人はいないか? 私はトライしてみた(^_^)
翻訳したのは プログレッシブな日々さん。音楽ネタと社会ネタで硬軟充実したブログ。お薦め。彼には全訳をお願いしたい!
木村剛氏つながりで、もうひとつ。12月1日に書いた なっちゃん。彼女からメールが来た。またオヤジ殺しされた(^^ゞ で、そのメールの一部。
>先日も、〇〇〇〇の帰り、八重洲ブックセンターに行ったら
>ブログで書いていらした木村剛サンのご本が
>フェアで、山積みになっていたので「日本再生会議」買ったもん。
>踊らされた!
おお、私のブログが735円の経済波及効果を!
週刊!木村剛にトラックバックするので、恩着せがましく書いているのでは、もちろんない。ブログが世の中に与える効果を身近に感じて、ちょっと大げさに感じ入った次第。
「でも、しかし」が3つ目のネタ。ブログを知っている人は、まだまだ少ない。現時点で読み書きの経験率は日本人の3%以下と思う。半年前なら1%に満たなかったはずだ。もちろん急速に普及しつつある。おそらく2005年はブログ元年になるであろう。日経ニュースによれば、既にアメリカで 「今年もっとも注目された流行語はブログ」だという。アメリカでは政治家がブログをうまく活用している。私がブログに興味を持ったのも、民主党大統領予備選挙の記事がきっかけだった。
アメリカでブログを普及させたキラーコンテンツが政治だとして、日本ではどうなるのか。風土が違うので政治はあり得ない。小泉メールマガジンをやめて、小泉ブログを始めたら面白いと思うが。いや、ブログに熱心な木村剛←→竹中平蔵ラインであり得るかも。
企業が本格的にマーケティングに取り入れるのは2006年になるだろう。来年は、いろいろと模索の年になりそうだ。そういえば昔、HP(ホームページ)とか、WWW(ワールド・ワイド・ウエッブ)とか企画書にいちいち但し書きを入れていたのを思い出す。
プログネタ最後の4つ目は自慢と不安。11月21日に書いた グーグルしてみた。ブログが検索エンジンにヒットしやすいことの実験結果である。
その時、5ページ(私の設定では150件)までにヒットしなかった「セダン復権」。それを書いたのが実験前日だったので、日数が経てばどうかと思い、またやってみた。さて本日ただいま現在、我が晴れ時々マーケティングはグーグル検索で
「セダン復権」 510件中、1位
「セダン 復権」 3600件中、1位 (AND検索)
居並ぶマスコミ各社のニュースサイトを押さえて堂々の1位である。ホンマカイナ? ひょっとして、私がよく見るサイトをクッキーの情報から上位に表示させるのかと疑い、クッキーを削除して再トライ。(クッキーのことがわからない人、ゴメン。誰かに訊いて)
結果は同じ。
とりあえず\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/万歳三唱
しかしちょっと不安にもなる。もっと個人日記のようなブログが大幅に増えて、検索でブログばかり上位ヒットしたらどうなる。本当に調べたい情報に、なかなかたどり着けなくなってしまう。検索サイトのオプションに「ブログは除外」とかできるのか? それもまた不便だ。企業のマーケティングにも使えなくなる。いずれ検索エンジンの仕様が最適化されるとは思うが。
さて、あまり先の心配はやめよう。
「ええやないか、かめへん、かめへん」なのだ。
2004年12月03日
徳川慶喜と先見性
矛盾していることを平気でいうのがコンサルタント。だって世の中やマーケットは矛盾が一杯(^^ゞ 昨日12月2日のブログと矛盾しているような、していないような話をひとつ。
徳川慶喜。ご存じ徳川幕府、最後の将軍。数年前大河ドラマの主人公にもなった。
それよりずっと以前に慶喜のことが気になっていた時期がある。最後の将軍の名前が慶喜だということくらいは知っていた。ヨシノブとは読めなかったが。大河ドラマ以前、世間一般の認識はそんなものではなかったか。歴史の主役ではなかったはず。
そして何代も続いた将軍家の最後の人物、てっきり飾り物のバカ殿だと思っていた。受験歴史は得意だったが、あのころは討幕派が主役、彼についての記述は少なかったと記憶する。あるいは言い訳する(^^ゞ
ある日どこかで、慶喜は家康に次ぐ名君と書かれた文章を目にした。えっバカ殿じゃなかったの? ガーン! 親から、実はおまえは本当の子供ではないといわれた気分。いわれたことはないが。
大河ドラマの頃、それを思い出し少し勉強。一言でいえば、彼は幕藩体制の終焉が時代の要請と理解しつつ、将軍としての立場で政治を行わなければならなかった人だ。考えと違う行動を取らざるを得ない。それが彼の能力を縛る。
そして私の記憶に残っている言葉。「慶喜の悲劇は先見性がありすぎて、目先のことに熱中できなかった一点にある」。誰の本か忘れた。言葉もたぶん正確じゃない。
先見性は大事だ。だが、ありすぎても目が「曇る」。いろんな商品企画を提案したり紹介したりも私の仕事。「いい商品だが、何年かしたら大手メーカーが手がけて−−−価格競争になったら」なんて返事はよくある。それまでに儲けて勝ち逃げすればいいのだ、今逃げてどうする!という言葉をぐっとこらえる(^^ゞ
2度書く。先見性は大事だ。しかし「あえて」それよりも
・経営者は3ヶ月後のことに熱中するのが大事。
・営業マンは3週間後のことに熱中するのが大事。
・政治家は3日後の−−−(これは冗談)
と、私は考える。「熱中する才能が必要」と書けば、より賛同いただけるか。本日は“今を熱中できなければ、その先の未来はない”の下書きでした。続きを読む
徳川慶喜。ご存じ徳川幕府、最後の将軍。数年前大河ドラマの主人公にもなった。
それよりずっと以前に慶喜のことが気になっていた時期がある。最後の将軍の名前が慶喜だということくらいは知っていた。ヨシノブとは読めなかったが。大河ドラマ以前、世間一般の認識はそんなものではなかったか。歴史の主役ではなかったはず。
そして何代も続いた将軍家の最後の人物、てっきり飾り物のバカ殿だと思っていた。受験歴史は得意だったが、あのころは討幕派が主役、彼についての記述は少なかったと記憶する。あるいは言い訳する(^^ゞ
ある日どこかで、慶喜は家康に次ぐ名君と書かれた文章を目にした。えっバカ殿じゃなかったの? ガーン! 親から、実はおまえは本当の子供ではないといわれた気分。いわれたことはないが。
大河ドラマの頃、それを思い出し少し勉強。一言でいえば、彼は幕藩体制の終焉が時代の要請と理解しつつ、将軍としての立場で政治を行わなければならなかった人だ。考えと違う行動を取らざるを得ない。それが彼の能力を縛る。
そして私の記憶に残っている言葉。「慶喜の悲劇は先見性がありすぎて、目先のことに熱中できなかった一点にある」。誰の本か忘れた。言葉もたぶん正確じゃない。
先見性は大事だ。だが、ありすぎても目が「曇る」。いろんな商品企画を提案したり紹介したりも私の仕事。「いい商品だが、何年かしたら大手メーカーが手がけて−−−価格競争になったら」なんて返事はよくある。それまでに儲けて勝ち逃げすればいいのだ、今逃げてどうする!という言葉をぐっとこらえる(^^ゞ
2度書く。先見性は大事だ。しかし「あえて」それよりも
・経営者は3ヶ月後のことに熱中するのが大事。
・営業マンは3週間後のことに熱中するのが大事。
・政治家は3日後の−−−(これは冗談)
と、私は考える。「熱中する才能が必要」と書けば、より賛同いただけるか。本日は“今を熱中できなければ、その先の未来はない”の下書きでした。続きを読む
2004年12月02日
お笑い芸人
最近はお笑いブーム。ギター侍も流行語大賞に入ってメデタシである。私も「エンタの神様」はよく見ている。ツービートやB&Bが活躍した時代を第1次ブームと呼ぶのだったか? 当時は漫才ブームと呼ばれた。テレビを見て感じるのは、新人でもレベルが高いこと。漫才ブームの頃は、たいして面白くない連中も、ブームにあやかってテレビに出ていたように思う。それだけ層が厚くなり、選ばれた人だけが出演しているのかと思う。
実も蓋もない話しだが、このブームもいずれ終わる。今、世間の注目を浴びている芸人の大半は、やがて消えていく。(テレビで活躍できるという意味で)生き残れるのは誰か。それは、お笑いの才能が一番ある芸人ではない。いわゆるバラエティ番組に適応できる才能のある芸人である。司会や進行役をこなせる芸人が「タレント」として次のステージに進む。とにもかくにも日本の芸能界やテレビは、そういう仕組みで動いている。
まだ名もない若い芸人達は、少しでも笑いの技術を磨こうと懸命の努力をしている。彼らには客席が何回湧いたかしか眼中にない。しかしプロダクションやTVプロデューサーは、これぞと見込んだ若い芸人には、笑いの技術だけではダメだということを徹底的に教えると聞く。お笑い芸人か、タレントかで稼ぎは10倍100倍違ってくるのである。
次のステージを読む、描くのが企業戦略である。本日は“お笑い芸人の身の振り方に学ぶ企業戦略”の下書きでした。続きを読む
実も蓋もない話しだが、このブームもいずれ終わる。今、世間の注目を浴びている芸人の大半は、やがて消えていく。(テレビで活躍できるという意味で)生き残れるのは誰か。それは、お笑いの才能が一番ある芸人ではない。いわゆるバラエティ番組に適応できる才能のある芸人である。司会や進行役をこなせる芸人が「タレント」として次のステージに進む。とにもかくにも日本の芸能界やテレビは、そういう仕組みで動いている。
まだ名もない若い芸人達は、少しでも笑いの技術を磨こうと懸命の努力をしている。彼らには客席が何回湧いたかしか眼中にない。しかしプロダクションやTVプロデューサーは、これぞと見込んだ若い芸人には、笑いの技術だけではダメだということを徹底的に教えると聞く。お笑い芸人か、タレントかで稼ぎは10倍100倍違ってくるのである。
次のステージを読む、描くのが企業戦略である。本日は“お笑い芸人の身の振り方に学ぶ企業戦略”の下書きでした。続きを読む
2004年12月01日
なっちゃん
時々、仕事でご一緒する「なっちゃん」という女性。たまにメールのやり取りなどもする。なっちゃんと仕事をしたりメールをすると楽しい。それは彼女がとてもほめ上手だから。朗らかな人で気が付くとこちらも笑顔になっている。オヤジ殺しである。私より年上なのだが(^^ゞ
人のよいところはほめましょうとは、マネジメントでも教育でも一般的な人間関係でもよくいわれる。が、ほめ上手な人はそう多くはない。ほめるには、よいところを見つけなければいけないが、それが難しいのだ。ちなみに、よいところではなく何でもほめるのはヨイショなので間違えないように。
商品でも企業でも、よい点より悪い点を見つけるほうがが簡単、あるいは目に付く。しかし考えてみれば、これは当然。悪い点とは解決しなければならない課題だが、よい点は問題のない状態だからだ。防衛本能として人間は悪い点に、先に目が向くようになっているような気がする。企業診断などで「自社のよい点、悪い点」を上げてもらうと、必ず悪い点のほうが多い。「〇〇〇は御社のよい点では」と水を向けると「あまりに当たり前のことなので気が付かなかった」ということはよくある。
さて、商品のモデルチェンジ。前モデルの悪い点は全力で改善しなければならないが、同じ努力でよい点も次期モデルに継承しなければならない。これができていない商品は多い。マーケティング分析でもアラ探しが中心になりがちだ。ブランドができていないとかアイデンティティが弱いといわれる商品や企業ほど、自分たちのよい点に気づいていない、全部やり直そうとする。ローマは1日にしてならず。よい点の継承もマーケティングの重要テーマである。
よい点に気づく、ほめ上手になるには、ある種の才能が必要なのかも知れない。しかし心構えも大事だろう。例えば優秀なホステスさんたちは、努力して観察眼を磨いているに違いない。あまり縁がないけれど。
本日は“オヤジ殺しに学ぶブランドの高め方”の下書きでした。
人のよいところはほめましょうとは、マネジメントでも教育でも一般的な人間関係でもよくいわれる。が、ほめ上手な人はそう多くはない。ほめるには、よいところを見つけなければいけないが、それが難しいのだ。ちなみに、よいところではなく何でもほめるのはヨイショなので間違えないように。
商品でも企業でも、よい点より悪い点を見つけるほうがが簡単、あるいは目に付く。しかし考えてみれば、これは当然。悪い点とは解決しなければならない課題だが、よい点は問題のない状態だからだ。防衛本能として人間は悪い点に、先に目が向くようになっているような気がする。企業診断などで「自社のよい点、悪い点」を上げてもらうと、必ず悪い点のほうが多い。「〇〇〇は御社のよい点では」と水を向けると「あまりに当たり前のことなので気が付かなかった」ということはよくある。
さて、商品のモデルチェンジ。前モデルの悪い点は全力で改善しなければならないが、同じ努力でよい点も次期モデルに継承しなければならない。これができていない商品は多い。マーケティング分析でもアラ探しが中心になりがちだ。ブランドができていないとかアイデンティティが弱いといわれる商品や企業ほど、自分たちのよい点に気づいていない、全部やり直そうとする。ローマは1日にしてならず。よい点の継承もマーケティングの重要テーマである。
よい点に気づく、ほめ上手になるには、ある種の才能が必要なのかも知れない。しかし心構えも大事だろう。例えば優秀なホステスさんたちは、努力して観察眼を磨いているに違いない。あまり縁がないけれど。
本日は“オヤジ殺しに学ぶブランドの高め方”の下書きでした。