2005年01月

2005年01月31日

医者嫌い

約1週間ほど苦しめられた風邪も、9割方はよくなり熱もなくなったのでブログを再開。ご心配をおかけしました。

毎年、風邪気味程度にはなっても、これだけしっかり風邪になったのは10数年振り。まだ完治はしていないけれど、今回の風邪を振り返るとこんな感じ。

1月23日(日)朝起きると発熱を感じる。
1月24日(月)発熱+下痢、吐き気
1月25日(火)発熱+下痢、吐き気
1月26日(水)ちょっと回復する
1月27日(木)発熱+のどの激痛
1月28日(金)発熱+のどの激痛
1月29日(土)38度になり医者に行く
1月30日(日)発熱+のどの痛み
1月31日(月)のどの痛み

月曜か火曜の段階で医者に行けば、こんなに苦しむこともなかったのだが、市販の風邪薬を飲みながら何となくズルズルと−−−。


なぜ早く医者に行かなかったのかを自己分析すると

■もともと医者に行くのは好きじゃない。
■10数年間、医者に行ったことがなく、掛かり付けの医者もいない。
■しょせん風邪。医者に行っても行かなくても、そのうち治ると考えていた。
■今まではずっとそうだったし。
■とりあえず市販の風邪薬は飲んでいるし。
■仕事に追われているうちに、気がつくと開業時間を過ぎているし。


というあたりか。しかし、そっくりだな。業績が落ちていくダメ企業と。

ダメ企業も
■業績は落ちているが、それは一時的なもの、そのうち上向くと信じている。
■今までも、ピンチはあったが「がんばって」何とかしてきた。
■自分たちなりに、それなりの対策は打っているつもり。

−−−と、医者に行くのを先延ばしにしたがる。それに医者嫌いで、いろいろ検査、診断されたり、苦い薬を飲まされたり注射を打たれたりするのを嫌がる。気軽に診てもらえる掛かり付けの医者もいないので、余計に病院から足が遠のく。
つまり、ダメ企業=自己能力の過信+医者嫌い。この場合の医者とはコンサルタントと読み替えて欲しい。あるいは企業のマーケティングをサポートする様々な企業でもいい。


自己能力の過信+医者嫌いと書いてはみたものの、私の今までの営業活動において、医者嫌いというファクターは見逃していた気がする。それに医者嫌いかどうかはなかなかわからない。医者(=コンサルタント=私)に面と向かって「私は医者嫌いです」とは言わないから。
ダメ企業であろうと優良企業であろうと、こちらの提案がなかなか受け入れられないときは、その企業あるいは経営者が医者嫌いでないかどうかをチェックすることにしよう。もし医者嫌いだったら、早めに見切りをつけたほうがよさそうだ。たまに病気をすると営業のヒントまで浮かぶから不思議(^^ゞ


本日は“コンサルティング提案とかソリューション提案とか、いろんな業界で言われているけれど、クライアントが医者嫌いじゃないかどうかも見極めてマーケティングしましょう”の下書きでした。

wassho at 23:31|PermalinkComments(2) マーケティング、ビジネス 

2005年01月25日

責任は「取る、取らない」 原因は「ある、ない」の問題

NHKの海老沢会長が辞任したとのニュースが流れた。

ことの是非はさておく。

基本的な流れはNHKのプロデューサーやディレクターが制作費をネコババしたり不正流用したりの悪事が発覚して、受信料の不払いが増えて、その責任として海老沢会長が辞任−−−という認識を私はしている。最近になってNHKと朝日新聞がもめはじめたが、時期的にも今回の辞任に直接の影響はないのだろう。(あまり詳しくないので事実誤認があるかも知れないが、本日のエントリーの趣旨に照らせば、それは重要ではない)


さて、責任という言葉を聞いていつも思い出すのは、こんな光景。

   社内ミーティング。
   あるプロジェクトで起きたミスについて誰が悪いのかという話になる。
   それなりの責任者が「私の責任です」と言う。
   責任者の部下が「私にも責任があります」と主張する。女性スタッフの場合は
   泣き出したりもする。
   かばい合い大会になったり泣きが入ったりで、結論を出せずミーティングが終わる。


皆さんも多かれ少なかれ、そういう体験はあるだろう。
多少の経験を積んで私が得た教訓は−−−

   責任と原因をはっきり区別する。
   責任は「取る、取らない」の問題。
   原因は「ある、ない」の問題。


海老沢会長の例を引くと、ネコババや不正流用を彼が指示したり彼が私腹を肥やしていたのではないから、原因は彼に「ない」。その意味ではお気の毒な話。 (管理怠慢とかは話がややこしくなるので省略) 
しかし事態を収拾するには彼が責任を「取って」辞任するしかなかった。それが上に立つ者の仕事でもある。


原因は真相追求だから白黒はつけやすい。しかし責任は人間的な要素が絡む問題だから対応が難しい。NHKも問題が起きた初期の段階でけじめをつけたのなら会長ではなく理事や局長クラスが責任を「取る」ことで収まっただろう。つまり責任とはまわりをどう納得させるかの交渉術でもある。真相とは無関係な場合も多々ある。


責任と原因をゴッチャにすると話がこじれる。何でも私の責任ですという人は正義感が強くても、まわりを混乱させることも多い。


本日は“責任を取る取らない、原因のあるなしを区別した議論で感情論を排し、無駄な時間を節約しよう”の下書きでした。ついでに“本当に怒るべきは朝日新聞ともめている件の真相解明だとも思うのだが、大衆(と、あえて書く)が反応するのはお金が絡んだわかりやすいテーマということも、大声でいう必要はないけれど心の片隅に覚えておこう”の下書きでした。


身体の具合は昨日よりは楽になりました。
心配頂いた皆さん、ありがとうございました。
でもまだ本調子じゃないのと、
こんな体調なのに何と今夜は徹夜でお仕事(涙) 
直メールのお返事やコメント返しは、
今しばらく放置プレーで御容赦をm(_ _)m

wassho at 22:59|PermalinkComments(2) 社会、政治、経済 

2005年01月24日

意気込み

予算ウン十億の行政系プロジェクトの、ごくごくごく片棒を担ぐことになった。
プロモーションメディアとしてブログの活用を提案するつもり。ブログで世論を喚起するといった、アメリカの大統領選で起きたようなことを、日本でも仕掛けようと企んでいる。



しかし意気込みとは反対に発熱で頭が回転せず。
本日も早く寝ます。

wassho at 20:11|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 生活、日常 

2005年01月23日

た〜さん

昨日、寝る前は何ともなかったのに、今朝起きたら熱っぽくフラフラする。日曜日だが仕事関連の細かい資料整理をせねばならずツライ(;_;) 昨日しておけば楽勝だったのに。やはり「今できることは今やっとけ」である。

とりあえず8時には寝て、明日は超早起きする戦略的先延ばしにかけよう。



■■おもに南青山五丁目研究会の皆様へ■■

彼の大学からの友人“いけない人妻リエちゃん”から
昨日届いたメールによると
“た〜さん”の身辺にオメデタイ事態が進行中とのこと。


日曜だし、熱もあるし、暴露系ブログで。

wassho at 18:08|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2005年01月22日

なんちゃって明石焼き

昨日は「青山研究会」とは別の「南青山五丁目研究会」で朝の5時まで研究してしまった。10何年ぶりの顔ぶれもちらほら。みんなそれぞれ立派になった。社長な人、取締役な人、大学教授な人も何人か。不思議と昔話はあまりでない。本日の朝日新聞のコラムに、昔を懐かしがり過ぎる人は「変わらぬ過去をなでることで、精神安定の効果を得ている」という精神科医の分析が載っている。昨日集まった連中はタフだし、触れられたくない若い頃の恥ずかしい思い出を一杯持っている(^^ゞ


飲むと、あまり食べない方なので家に帰ってからおなかがすく。最近気に入っている、そんな時のメニューを紹介しよう。

1. これを買っとく。そんなに食べくらべていないけど、
  知ってる限りではこれが一番ウマイ。


2.これを買っとく。


3.1を深めの器でチンして2を適量ふりかけ、お湯をかける。


4.なんちゃって明石焼きの出来上がり。


ソースの代わりだからと2を濃くしないこと。うどんと同じ濃度でよい。
夜食にもお試しあれ。

本日は土曜日なので、こんなエントリーで。

wassho at 23:53|PermalinkComments(1) 生活、日常 

2005年01月21日

天才集団

H氏は某業界1位企業に勤める中堅社員。まだ若いが重要なポジションを歴任し、エリートコース候補生であるのは衆目の一致するところ。


具体的な仕事での付き合いはないが、何回かランチなどをしながら話をしたことがある。勤務先や業界についての問題意識が高く、いつも内容の濃い会話ができる。彼の勤務先は、人もうらやむ一流企業。しかし問題・課題のない企業などない。


しばらく前にH氏から届いたメールの一部。

> こちらは全く変わりなしです。
> ということは、当社も全く変わっておりません。
>
> 今のところ、過去最高利益が今後も続く予想らしいですが、
> もしかすると、当社組織は本当に天才集団かもしれません。
> これほど、社員の能力が最大限に発揮されない組織の中で、
> これほどの利益を稼ぐのですから。


う〜ん、なかなか返答の難しいメール。皆さんなら何と?

本日はブログの時間が取れないので“予告編”でした。
あしからずm(_ _)m

wassho at 18:39|PermalinkComments(2)TrackBack(0) マーケティング、ビジネス 

2005年01月20日

言わないことは存在しない

昨日、以前に勤めていたコンサルティング会社で一緒だったTさんとばったり会う。相変わらずおうつくしい。アラ、ヨイショッと(^^ゞ


そのコンサルティング会社は、経営やマネジメントに関するオリジナル語録のようなものを作るのが好きで、それをクライアントにも伝えたい、普及させたいという意図・野望もあった。


いくつかは今でもよく覚えている。そのひとつが「言わないことは、聞こえない」。言わなくても相手がわかってくれるだろう、配慮してくれるだろうというようなコミュニケーションを期待するのは会社やビジネスでは禁物というような主旨。

例えば上司が自分のことをわかってくれないという前に、主張すべきことをちゃんとしたか−−−等の文脈で使われた。それもせずに嘆いたりふてくされたりするのは、己の無能をさらけ出しているようなものという諫め。わたしは「聞こえない声を聞けるかどうか問われるのが上司の能力」とも思っていたが、あまり大声で「言わなかったから、聞こえなかった」かも知れない(^^ゞ


この前、マーケティング的な含蓄を含んだ言葉を見つけた。先ほどの言葉と連作として紹介しよう。

言わないことは、伝わらない。
伝わらないことは、存在しない。

何々したつもり、何々なはず−−−はマーケティングでも厳禁。本日は“自分に厳しく顧客に甘えず”の下書きでした。

wassho at 22:52|PermalinkComments(5) マーケティング、ビジネス 

2005年01月19日

新生銀行の衝撃

個人の銀行口座はU銀行とMZ銀行を主に使っている。自宅近くの支店はずいぶん前にATMだけになり、しかも台数が少なく待ち時間が長い。しかしMS銀行は現在も支店があり何よりATM台数が多い。


そこでMS銀行に口座を開こうと年末に出かけた。しかし仕事の合間をぬってだったので自宅とも仕事場とも関係のない支店に。フロアにいた行員に新規口座開設の旨を伝えると、住所はどこかと尋ねられる。「ここは通りすがりの支店だが、自宅近くの支店を利用したくて」というと「自宅か仕事場に近い支店でしか口座は開けない。オレオレ詐欺とかで、いろいろ規制が厳しくて」との返答。フ〜ンと思って帰ろうとすると「手続きはこの支店でできる。口座が自宅近くの支店に開かれることになる」と行員に慌てて止められる。ソレヲサキニイエヨ。


というか、これって意味があるのか。免許証などで本人確認はするし、自宅近くの支店の行員が自宅に尋ねてくるわけでもあるまい。よくわからないセキュリティ対策。


ATMでの出し入れは、どうしても時間外になることが多い。105円とか205円を余計に取られて気分が悪い。なんて話を友人にしていたら新生銀行なら時間外手数料を取られないと教えてくれた。ちなみにその友人は違う銀行勤務(^^ゞ

しかし新生銀行の店舗やATMって数が少ないから−−−といいかけたら、たいていの銀行のATMが無料で使えるとのこと。私がその気になったのはアイワイバンク(セブンイレブンにある)で入出金が無料との一言。アイワイバンクの口座ですら時間外手数料を取るのに!


そんな話をしたのはずいぶん前なのだけれど、グズグズしていて口座は開いていなかった。ネットで申し込んでから、免許証をコピーして送ったりするのが面倒だったから。ところが先日、銀座を歩いていたら新生銀行の店舗を発見。最初はショールームかと思った。それくらい変わった作り。何となくサテライト店舗風の位置づけらしい。


手続きも結構衝撃的。

1.口座開設の旨を伝える。
2.免許証を渡す。
3.こちらへどうぞとパソコンの前に座らされる。

何だ、自分で打ち込むのかと思ったが

4.そのパソコンで1分間のデモムービーを見せられる。
5.その間に免許証をコピーした用紙が作られ、その用紙には名前や住所を書く覧がある。記入する。勤務先とか家族構成とか自宅に何年住んでいるか等の質問はナシ。

普通、口座開設の用紙は何枚か重ねの専用の用紙だが、新生銀行はペラ1枚のコピー用紙!

6.しばらくお待ち下さいといわれる。どうも本店かどこかにファックスしている模様。ピ〜ヒョロヒョロの音が聞こえた。
7.2分くらいで口座が開設されましたと告げられる。はやっ!
8.キャッシュカードを作るので5分お待ち下さいといわれる。その間に若干の説明を受ける。フォルダに収められた説明書を渡される。

MS銀行ではキャッシュカードは10日くらい後に郵送されてきた。なお新生銀行は通帳がない。月に一度取引明細が送られてくる。判子でもサインでも口座は開ける。珍しいので私はサインを選んだ。

9.5分かからずにキャッシュカードが出来上がる。
10.暗証番号を自分で打ち込む。

終了。That's all

はっきりいって感激した。マーケティングの仕事も長いと「スレタ人間」になって、ちょっとやそっとでは驚かないのに充分に感激した。この手続きのシンプルさ、早さ。そして感激したもうひとつの理由は、説明を受けたときに知ったのだがネットでの振り込み手数料が無料。この銀行はたいていのことが無料でできる。

ちなみにMS銀行の他行あてネット振り込みは3万円以上なら420円。だから家賃振り込みに年間5040円取られる。なお、この金額は時間内のATM振り込み手数料と同じ。


しかし、時間外手数料、ネット振り込み手数料、各種手続き−−−同じ銀行なのにどうしてこうも違うのか。もちろん最大の理由は長銀の国有化、解体(だったかどうかはよく覚えていないが)などを経て、新生銀行はゼロに近い形でスタートできたからだろう。現状に縛られず理想を追求できる。


でも、おそらくそれだけではない。手数料無料もコストを切りつめて無料にしたのではなく、無料を前提にビジネスモデルを組み立てたに違いない。銀行業界には詳しくないが、それくらいの発想ができるレベルにないと、このような違いを実現できないことは私の経験でわかる。現状に縛られず理想を追求できたと書いたが、理想を描く能力のある企業自体が実は少ない。


これだけほめたが、問題ももちろんある。まず新生銀行は何となく信用力が不安だ。全預金を新生銀行に一本化する気はもちろんない。まだあまり深い付き合いでないからオペレーションレベルも未知数。銀行が口座管理手数料を取る時代が来れば、この銀行はおそらく先陣を切るだろう。


それでもである。どの業界でも日本の同業各社はほとんど似たり寄ったり。しかしやろうと思えば、他社とこれだけ差別化できる見本を新生銀行は示した。しかも金融機関という規制だらけの業界で。どの業界も見習うべき点は多いはず。勇気をもらえるはず。本日は“新生銀行に口座を開きにいって、為せば成るとマーケティングの可能性を感じよう”の下書きでした。

ところで新生銀行では500円の商品券をくれた。MS銀行ではティッシュひとつくれなかったが。MS銀行では本日はいくらご入金いただけますかと尋ねられ1000円入れたが、新生銀行では尋ねられない。つまり0円で口座を開ける。口座を開いて500円儲けた(^_^)

wassho at 23:43|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2005年01月18日

0.2秒の判断と先入観

とあるミーティング。こっちは私とH君、先方はS社長。ミーティングが終わってしばらくしてH君より「S社長のメールアドレス知ってますかあ?」と尋ねられる。名刺交換したはずなのに? 「名刺にアドレス書いてないんですよ」とH君。


そんなバカな。今時メールアドレスがないなんて。そんな会社もあるけどS社長のところはホームページ制作会社! 名刺を確認する。やっぱりない。変な会社。さっきの発注は取り消そうか。


−−−なんてことを思いながら名刺をしばらく眺めて気がついた。結論をいうとメールアドレスは書いてあった。名刺の一番上に、社名より大きなサイズで色まで変えて! だから見落とした。私もH君も名刺の下にある住所や電話番号を書いてあるところを何回も見直していたのだ。最上段にブルーの文字で美しく大きく記載されていたメールアドレスは“名刺のデザイン”として脳は認識していたのだ。


名刺の面積なんてほんの僅か。なのに注視しても、探しているメールアドレスを見つけられない。脳というか認知の仕組みの不思議さを改めて感じた。


本当の実験結果かどうか出典を確認したこともないのだけれど、マーケティングの世界で広く信じられている心理学理論に「人間は0.2秒で状況を理解し、次の0.2秒でその後の行動を決定する」というのがある。例えばスーパーで何か商品を探しているとき、0.2秒で棚にある商品が何かを見分け、次の0.2秒でそれが自分の探している商品かどうかを区別して、もっとよく見るか、無視して次の棚を探すかを判断する。


先の名刺では0.2秒でブルーの文字を模様と認識ミスし、次の0.2秒でアドレスではないから無視するとプログラム通り脳は決定した。ブルーの模様と思ってしまったのは、メールアドレスは住所の下に小さな文字で書いてあるものという先入観念。


マーケティングリサーチは先入観を排除した仕事のイメージを持たれるかも知れないが、残念ながらそうでもない。1つ上げると調査対象をどんな人にするかで先入観がある。この商品は女子高生向けとか主婦向けとかの先入観(あるいは過去の実績)で、調査対象者も女子高生や主婦が選ばれることも多い。その商品に一見無関係な中年オヤジやバアサンも調査すれば、面白いヒントが得られると思うのだが、そこまで手の回るプロジェクトは滅多にない。


企業が予想していなかったターゲットや使い方で商品がヒットすることは結構ある。古い例えだが、外回り営業マン用に開発されたポケベルは女子高生のコミュニケーション遊び道具になって回線がパンクするほどヒットした。NTTは外回り営業マンは充分に調査したはずである。しかし先入観による当たり前の調査対象者にリサーチしただけでは、やはり当たり前のマーケティング・プランしか描けない。

本日は“調査予算を2倍にしてくれれば予想していなかったことを、予想できるから太っ腹でお願いします”の下書きでした。なお、脳には特別な能力もある。私は街で女性とすれ違ったとき振り向くかどうかを判断するのに0.2秒もかからない(^^ゞ

wassho at 23:45|PermalinkComments(3) マーケティング、ビジネス 

2005年01月17日

難しいは、面倒という意味

昨日は日曜日だったのに、勘違いしてマーケティング・ネタを書いてしまった。

と思っていたらいくつかのメールが。有名ブログへのトラックバックやランキング登録といった「広報活動」をほとんどしていないので、私のブログにつくトラックバックやコメントは少ないが、知り合いからの直メールはよく来る。


今回のメールの1つには「昨日のエントリーは、ロジック展開がいつもと違う」。さすが同業者、鋭い指摘をしてくる。実は昨日の「さて、もう1つの理由が今日の本題」と「名前を付ければ価値が高まる」の間に、もうひと文章あったのだけど省略した。ちょっと企業秘密(おおげさ)に関わるところがあって、それを避けながら書けると思って書き始めたのだけれど、なかなかうまくいかず時間が無くなってしまった。いずれ、そのうちにでゴカンベンを。


ところで最近マーケティングとは直接関係ないバックオフィス的な業務にいくつか携わり始めた。勝手が違うので難しい。いや違う。面倒くさい。

ビジネスにおいて相手から「それは難しい」といわれて、本当に実行や解決が難しいケースは滅多にない。大抵は面倒くさい。そうは言えないから難しいと言う。新しいことや挑戦的なことを始めるのは面倒くさいものなのだ。いろいろ準備しなくちゃいけない、あちこちに説明したり調整や根回しも必要、うまくいくのかとか失敗したらなども脳裏をよぎる−−−。いろいろ考え始めて「難しくなる」。


だから相手を説得するには、面倒さを感じさせない、面倒なところも一緒に解決するような提案が必要。若い頃は「難しい」をクライアントに連発され「こいつはバカか?」と本気で思ったものだ。私も少しは大人になった(^^ゞ


もうひとくさり。新しいことをする、違うことを始めるには最初に大きなエネルギーがいる。自転車をこぐのと同じ。最初を乗り切ればあとは普通だが、乗り切らない限り、ずっと苦しい。私も新業務を頑張ろう。おまえもガンバレ(←限定1名の読者向けメッセージ)

本日は“熱湯を注げばカップラーメンは3分でできるが、ぬるま湯だと永遠にできない”の下書きでした。

wassho at 23:28|PermalinkComments(4) マーケティング、ビジネス 

2005年01月16日

ネーミング

ちょっとビジネス環境の変化もあってブログを休みがち。更新されていないときに見に来てくれた皆さん、申し訳ございません。


時々質問されるのはプロフィール覧に記載してあるwasshoという名前。ワッショと読む。語源は「わっしょい」。ハッスルハッスルに対抗心を燃やしているのかという人もいたが。実は10年ほど前に、ある商品のネーミング開発をしたときに作ったもの。つまり採用されなかったネーミング(^^ゞ しかし、何となく気に入っていたのでライブドアのIDを取得するときに使ってみたという次第。


マーケティングにおいてネーミングはとても大切。これには2つ理由がある。1つはいうまでもなくアピールしたり、商品内容を伝えたりとコミュニケーションの問題として。ネーミングの善し悪しで売れ行きが大幅に左右された事例はとても多い。最近の成功事例は所ジョージや小倉優子が宣伝している 「ワンダ・モーニングショット」。中身は普通の缶コーヒーだが「朝専用」というコンセプトで健闘している。缶コーヒーはサラリーマンが午前中に買う比率が高いというデータに照準を合わせたマーケティング、それを的確に伝えるネーミング。


さて、もう1つの理由が今日の本題。モノを売るには絶対不可欠な要素がある。それは「値段を付ける」こと。何の価値もないガラクタでも石ころでも、値札を付けて店に並べるあるいはオークションに出せば価値のある商品に見えてくる。価値があって値段が付くのだが、値段を付ければ価値も生まれる。ちょっと哲学的。

そして、そのガラクタや石ころに名前を付ければ、名無しより高く売れる。あなたがどこかの河原で拾ってきた石ころ。値札を付ければ10円で売れるかも知れない。それに「河原の自然石」とか「癒しの小粒」とかネーミングすれば50円になる可能性もある。つまりネーミングが付加価値を生むし訴求力も増す。


名前を付ければ価値が高まる−−−マーケティングに関係ない人でも、これは覚えておいて損はない。よく飲みに集まるメンバーがいて、その内の1人は、その飲み会を勝手に「青山研究会」と名付けている。wassho達と飲みに行くというのと青山研究会で集まるというのでは奥さんの態度が違うらしい。

本日は“名付けよ、さらば儲からん、救われん”の下書きでした。

wassho at 23:39|PermalinkComments(2) マーケティング、ビジネス 

2005年01月13日

マーケティングはフォルテだけじゃ

12月29日は音楽に関する 「だんだん難しくなる法則」を書いた。それはクラシックを聴いて発見?した。昨日はストーンズやサザンの話。今、私が聴く音楽の半分以上はクラシックであるが基本的には何でも聴く。気合いを入れて分析報告書を書くときはトランスがよかったりもする。


クラシックとロックの違い。もちろんとっても違うが、どちらも聴く私が発見?したのはクラシックは音の強弱がすごく幅広い。ピアニシモからフォルテシモまで。ロックは音の強弱があまりない。ずっとフォルテ。もちろんそうじゃないロックがいっぱいあることは百も承知だが、あえて分ければそうなる。


話は脱線するが、マーケッターは人を分けるのが好き。サッカー派と野球派とか、カジュアル派とエレガンス派とか、すぐ2種類に分けたがる決めつけたがる。私の好きなジョークをひとつ。

   人は2種類に分けられる。
   人を2種類に分けられると思う人と、思わない人に。


クラシックとロックのどちらがいい悪いの話じゃないことをまず最初に。さて、1曲30分ずっとフォルテのロックを聴くのはたぶんツライ。クラシックなら音の強弱があるから愉しめる。30分くらいの曲はざらにある。


マーケティング、その中でも「訴求」はずっとフォルテになりがち。フォルテのほうが強いから、より訴求できると考えてしまう。しかしピアノがあるからフォルテが盛り上がる。ピアニシモに心が引き込まれることもある。抑揚、メリハリは関心をひく、飽きさせない大切な要素、あるいはテクニック。


コマーシャルの作り方だけの話ではない。広い意味で考えて欲しい。本日はちょっと未完成だけど“マーケティングは3分間勝負じゃない。じっくり聴かせる構想力が大事。そういやクラシックは途中でテンポが変わったりもする”の下書きでした。

wassho at 23:34|PermalinkComments(3) マーケティング、ビジネス | 音楽、オーディオ

2005年01月11日

ローリング・サザン

1月9日に書いたDASH村。日本があんな暮らしだったのはいつ頃のことか。

世の中はどんどん変わっていく。だから企業やマーケティングも、それに対応しなければならない。それに異論はあるまい。私もそう考えている。変化に対応するとは、変化を追いかけるのではなくて、変化の波に乗ること。


だが変化に対応するのと自分を見失うこととは違う。ローリング・ストーンズとサザン・オールスターズ。40何年と20何年のキャリアを持つバンド。彼らの音楽はどちらもずっと変わっていない。時代に応じて「音」は今っぽく変わってきたが、彼らが変わったとは感じない。アイデンティティに揺るぎはない。そしていまだに第一線で活躍し多くのファンに支持されている。


彼らは自分たちのコアとして何が大切か知っていると思う。だから変えちゃいけないことと、変えてもいいことが何かもわかっている。そこの判断やバランスを誤らなかったから長く活躍できる、色あせない、愛され尊敬されている。


企業や商品の業績が思わしくない場合「何を変えてきたのか」も振り返ってみよう。そこに失ってはいけないものはなかったか。育てるべきものはなかったか。
変えないことは勇気が要る。何事も短期間での成果を求められる今日、目先の効果を出すことを優先しがち。しかしマーケットで勝ち続けるのはコアのしっかりとある企業や商品。それがブランド。

本日は“これから40年間、守り続けていくスタイル持ってる?”の下書きでした。

wassho at 21:17|PermalinkComments(2) マーケティング、ビジネス 

2005年01月10日

成人の日

本日は祝日、成人の日。

ということでブログは休刊日、明日は休肝日。

2度目の成人式からもかなり年月は経つが、大人になったという実感はあまりない。大人には違いないが子供の時に想像していた大人とはずいぶん違う。そんなものだろうなと大人的に考える。

時々、地下鉄の窓に映ったあまりに大人な?自分の姿にびっくりすることはあるけど(^^ゞ

wassho at 23:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ノンジャンル 

2005年01月09日

鉄腕DASH !

なにげに鉄腕DASH!を見る。(このテレビ番組を知らない人は後半から読んでね) 休日には夜明けと共に起きるとかテレビを見ないとも書いたが、いつもそうなわけじゃない。


この番組、けっこう好き。いろんなバカらしいテーマを大真面目に取り組んでいるところがいい。制作に気合いが入っている。タレントが遊んだり、はしゃぐだけでカンペ目線丸出しの大抵のバラエティ番組とは「こころざし」が違う。


番組の名物企画がDASH村。どこかの農村の古民家を借りて農作業をしながら暮らす様子を映し出す。ジャパニーズ・スローライフな生活。便利で快適とは対極にある暮らしだが、どこか日本の良さ、失ってしまった大切なことを感じさせてくれる。DASH村の生活は私よりはるかに上の世代が経験した暮らしのはずなのに、なぜかDNAが揺さぶられる気がする。


さて、ここからは鉄腕DASH!を見たことがない人にもわかる話を。


80年代からレトロブームというのは周期的にやってきている。今はその時期。昭和30年代風の居酒屋、ラーメン屋などが増えているし、オモチャや食玩などでももてはやされている。
懐かしかったり、それを知らない世代には新鮮だったりでレトロはブームになる。しばらくすると飽きられてブームは終わる。しばらくたって、また−−−大体そういう構図。


表面的な商品じゃなくて、社会の進化の過程で「失ったものは何か」を掘り下げると面白いかも知れない。簡単だけど「ひと手間だけ」かける料理法なんかが女性雑誌によく紹介されている。「手間をかける」も失ってきたものの1つだ。でも「ひと手間だけ」なら現代でも受け入れられる。ま、そんな発想。


いくつかまとまったら、またブログに書こう。本日は“失っても、タダでは起きないマーケティングの勧め”の下書きでした。

wassho at 23:25|PermalinkComments(3) マーケティング、ビジネス 

2005年01月08日

占い

何回かコメントをくれた「ちえぞぉ」さんのブログに☆踊る大捜査線占い☆(*ノωノ)というのが紹介されていたのでやってみた。結果は

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晴れ時々マーケティングさんは 室井慎次/柳葉敏郎 さんです(*ノωノ)キャー

● 【室井慎次/柳葉敏郎】さんだったあなたは…

プライドが高く、常に高みを目指しているタイプです。
自分をより価値のある存在にしていくために、日々の努力を怠りません。
リーダーシップを取るのも得意で、いったんグループの中心になったら、周囲の人々に細やかな配慮を示します。
リーダーの座に納まってワガママを言うのではなく、リーダーとしての責任を十分に果たし、グループ全体をさらに良い状態へと導いていける人なのです。
こういった性格は職場でも良く生かされ、あなたはどんな困難にも負けず、着実にキャリアを積み重ねていくことでしょう。

恋愛面でも、主導権はあなたのほうに。
自分たちがもっと親しくなれるように、みずから二人の関係をリードしていくはずです。
● 晴れ時々マーケティングさんの開運ダンスは、フォークダンスです!
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

ちょっとうれしいかな。あんまり当たってないけど 、こうなるように努めましょう。でもフォークダンスは勘弁して欲しい(^^ゞ


こんなことを書いておいてナンだが、占いに興味や関心を持ったことはない。少し前に動物占いが流行ったことは知っているが、どんな内容かはいまだに知らない。もちろんプロに占ってもらったこともない。

だから占いに関する知識や情報はほとんどないけれど、何人かの「プロに占ってもらう好き」の人から聞いた話を思い出すと、

■一方的に占い結果を提示されるのではなく
■占い師とのやり取りで悩みの相談に乗ってもらったり
■それなりに含蓄のある話を聞く

のが楽しいらしい。だから占いとはカウンセリングやコーチングの要素も大きかったりする。踊る大捜査線占いや動物占いなんかは友達との会話のネタ、コミュニケーションの道具だ。占いに対する期待も多様化している、あるいは変化しているのだろう。占い=非科学的とすぐ思ってしまう私は頭が固いかも知れぬ。


変化しているのだがネーミングが変わらないので、頭がついていかないものはよくある。私にとっての占いのように。逆にネーミングや固定概念にとらわれずマーケティングを組み立てることも大事。コンビニは外に持っていくものだったお弁当を、自宅の食卓で食べるように仕向けて成功した。


本日は“ネーミングに惑わされずに世の中を見つめよう。「消費者」の関心事はヤフーオークションで「売る」ことだったりする”の下書きでした。

wassho at 22:25|PermalinkComments(1) マーケティング、ビジネス 

2005年01月07日

タクシー

タクシーに乗って運転手さんとちょこっと雑談。その運転手さんは情報サイトを毎日チェックして、どこでどんなイベントがあるかを調べてから街を流すそうだ。昼間に限っていうと、そうするしないで売上は2〜3割違うらしい。


なるほどと妙に納得。


考えてみれば、彼はごく当たり前のことをしているだけだ。しかしこれがなかなかできない。企業も個人も。私も。当たり前のことをなおざりにして、新しいことや変わったことをしようとする。


正しい解決策はたいていの場合シンプルだ。ちょっと短いけど本日は“Back to basicsは大事と反省”の下書きでした。

wassho at 23:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) マーケティング、ビジネス 

2005年01月06日

大物ボスに売るマーケティング

とある人とランチ。久々の再会で話もはずむ。もともとまじめな性格で、この正月休みにも何冊かのビジネス書をじっくり読んだそうだ。職業は設計開発のエンジニア。マーケティングそのものは業務ではないが、知識としては精通している。


で、彼が尋ねる。「ところでマーケティングって何? どこからどこまでがマーケティングなの?」マーケティングの何たるかがわかっていないのではない。彼なりの定義を探しているのだ。


こういう質問は時々受けるが、じつに答えにくい。「人生って何?」と聞かれても答に困るようなもの。が、私もこの商売長いので、いくつかの回答パターンは用意してある。


ちなみに、教科書っぽい本で必ず引用されるアメリカ・マーケティング協会による定義は

「マーケティンングとは、個人や組織の目標を満足させる交換を創造するために、アイデア・商品・サービスについて、コンセプトの作成、価格設定、プロモーション、流通を計画し実行するプロセスである。」

この定義を読んで「なるほど」と思った人はマーケティングに向いていないというのが私の主張(^_^)


本日、私が彼を煙に巻いた回答は

マーケティング:客が欲しがっているものを売ること
なぜなら:売るのが簡単だから。


実はこれ、何かの映画で観たワンシーン。麻薬ディーラーに変装した特捜刑事が大物ボスのところへ麻薬を売りに行く。大物ボスは絶対の権力を持っているという設定。ただし最近「仕入れ」には困っている。

  変装刑事:100万ドル
  大物ボス:80万ドルにしときな
  変装刑事:値切るんだったら150万ドル
  大物ボスは慌てるが渋々150万ドルを承認。
  変装刑事:手間とらせやがったので200万ドル。

商談成立。大物ボスの事務所を出るとき、変装刑事の素性を知らないで同行していたコールガールが「あなたって凄腕のビジネスマンね」とウットリ。変装刑事いわく「なーに、客が欲しがっているモノを売るのは簡単さ」とうそぶく。大物ボスが仕入れに困っているのは、実は警察がブツを倉庫から押収したから。


みたいなストーリー。ちょっと乱暴な事例かもしれないが、真理はついていると思う。

作る労力は
自分が作りたいor作れるものを作る<客が欲しがるものを作る

だが、売る労力は
客が欲しがるものを売る<客が欲しがっていないものを売る

客が欲しがっていないものを売るのはとても大変だからマーケティングが大切。本日は“あとで楽するために最初に苦労するのがマーケティング”の下書きでした。

wassho at 23:18|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2005年01月05日

マツケンサンバと三波春夫

紅白歌合戦でマツケンサンバが白組の最高視聴率! レコード大賞でもマツケンサンバが瞬間最高視聴率!ーーーだそうである。実は私もマツケンサンバを見たくて、彼の出番を見計らって紅白にチャンネルを合わせていた。


楽しかったなあ。彼が唄っているあいだは、ずっとニコニコしていた気がする。あのイケメン将軍吉宗である。「成敗」していた人である。それが、これ以上派手な衣装はないというラメラメの着物で、腰元ダンサーズを引き連れてサンバのリズム。ちょんまげ姿もセクシーに♪恋せよアミ−ゴ踊ろうセニョリータ! 参りましたm(_ _)m


マツケンサンバのことは知っていたけど、もっと余興ぽっいものを想像していた。違う。あれは本物だ。観客を楽しまそうというエンターテイメント魂に溢れている。松平健の舞台を観たオバサン・バアサンが元気いっぱいになって劇場から出てくる姿が浮かんでくる。最近はコンサートもあるらしい。行ってみたいような(^^ゞ


実は紅白でマツケンサンバを観ながら、私は三波春夫を思い出していた。共通点は一級のエンターテナー。それより派手な着物が連想させたかもしれないが。
一時代を築いた国民的歌手。そして「お客様は神様です」の言葉を残した人物。彼のことを知らない若い世代でも、この言葉は聞いたことがあるはず。


しかし、まったくもって彼の責任ではないが「お客様は神様です」は日本のマーケティングをミスリードしている言葉だ。

■客に対してへりくだるのは得意だが、フレンドリーに接することができない。
■客の発する言葉の裏にある意味までを探ろうとしない(何たって神のお言葉だからね)
■客の無理難題に答えること「だけ」が正しいと思っている。
■客にNOという勇気がない。
■客に対する悪しき平等。儲けにならない不要な客まで抱え込む。

普段の生活で感じるのは1番目だろう。デパート、ホテル、航空会社、金融機関、その他ちょっとレベルの高い店では神様である客をハレモノのように扱う。多少のプライドはくすぐられるかも知れないが、ちっとも楽しくない。あまり経験はないが海外の一流ホテルやレストランは、もちろん礼儀正しいがもっとフレンドリーだ。そしてそれが好感度につながっている。日本では客とのあいだに壁がある。例えばホテルのチェックインの時、神様なのに私はいつも緊張する。


客を客扱いしていない時代があった。そんな時に「お客様は神様です」はまさに神の声に聞こえたというのが私の仮説。もともと謙譲が美徳の国だ。お客様は神様ですは国是となりDNAに刷り込まれた。CS(Customer Satisfaction:顧客満足)ということが盛んに叫ばれた時期にもピントのずれた議論は多かった。


長くなったので結論を急ごう。お客様は神様ではなく「人間様」。神様でも客でもなく人間扱いすることが大切。神や客だとへりくだってるうちに、相手が血の通った人間だということを忘れてはいないか。そして大事なのはサービス精神。喜ばせよう、びっくりさせよう、うならせてやろうという気持ち。マツケンサンバにはそれがあった。どんな商品企画にも、この要素は欠かせない。

客という概念でとらえたときに、客の姿は見えなくなるものだ。本日は“お客様と♪恋せよアミ−ゴ踊ろうセニョリータ”の下書きでした。

wassho at 23:44|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2005年01月04日

売り場と並べ場

お正月はいかがお過ごしでしたか。
本年もご愛読の程よろしくお願いします。



いつ頃からそうなったか記憶が定かではないけど、デパートもスーパーも元旦か2日から営業するようになって久しい。消費者としては便利と思う反面、従業員は大変だなあと感謝半分・気の毒さ半分の気持ちを毎年いだく。正月に働いている人は一杯いるけれど、デパートとスーパーに対して特にそう思うのは、そこまで営業しなくてもという感覚があるからかも知れない。


さて、そのスーパーでは昨年末にダイエーが産業再生機構送りとなった。他社もあまりパッとしない。スーパーという業態が曲がり角に来ているのは間違いない。

スーパーは「売り場」を「並べ場」に変えた。少ない人員で大きな店舗の運営を可能にし、それが販売価格を引き下げた。だが同時に、店員と客とのコミュニケーションも失われた。スーパーには膨大な販売データがあるが、客の気持ちはわからない。会話がないからね。店内で目にする従業員は、ならべ係とレジ係だ。何がどの棚にあるかは教えてくれるが、店員としての商品説明や売り買いのやりとりはない。「売る仕事」をしているのはディスプレーでありポップであり音声テープだ。


黙々と商品を選び、かごに入れてレジに運び「精算」し、無言で店を出る。普段は何の疑問も抱かないが、考えてみれば少しヘンだ。商売、コミュニケーションあるいは人間としての営みの何かが欠けている気がする。


スーパーのような販売方式をセルフ販売、店員とやり取りするのを対面販売という。セルフ販売はアメリカでスーパーという業態と共に発明された。日本で最初に取り入れた店については諸説あるが、ダイエーの発展が、その普及を大いに後押ししたのは間違いない。そして今日、あらゆる小売り業態でセルフ販売は取り入れられている。ほとんどの買い物を無言で済ますことができる。


そのダイエーが再生機構送り。一方で、皮肉なことにネット通販で繁盛している店は、詳細な商品説明はもとより、店主のプロフィール紹介や日記があったり、メールがマメに届いたり、購入者の商品レビューが読めたりと店と客とのコミュニケーションが濃密である。マーケッターとして時代の変化を感じずにはいられない。


まだ仮説の仮説の段階だが、セルフ販売の普及で「売る」という行為の意味合いが大きく変化したのではないか。売り買いはとても高度な交渉術だ。それをセルフに置き換え、品揃えや並べ方や集客にマーケティングを駆使しているうちに肝心の売り方を忘れてしまった。そして、それはスーパーや流通業界の問題だけでなく、そこで無言の買い物をしているほとんどの日本人、つまりほとんどの企業のマーケティングにセルフ販売は影響を与えていると考えている。消費不況は売り方不況だとも思う。


「売る」とはマーケティングの根元に関わる問題だ。じっくり考えていきたい。併せて無言で暮らせる社会におけるコミュニケーションもテーマにしようと思う。

何となく新年の抱負っぽくなってきたかな(^_^) 本日は“仕入れて並べるのは商売のスタート地点。そこから先が大事だよ”の下書きでした。

wassho at 23:43|PermalinkComments(3) マーケティング、ビジネス