2005年03月
2005年03月30日
映画に現実の反映を
ライブドアvsフジテレビにソフトバンク参入で、また新たな展開&新キャラ登場。これだけ世間に話題になっているし、特にネットでは、これを機にブログを書き始めた人もいるほど。このバトルは単なる企業経営や経済問題じゃなくて、人々を駆り立てる「何か」を含んだ問題なのだ。
こういう「何か」を含んだ問題は、何年かごとにときどき起きる。そのたびに、それをテーマにした映画を作ったらおもしろいのになあと思う。もちろん日本映画の話。ハリウッドは社会的テーマを取り入れた映画を作るのがうまい。(そんなに映画ファンじゃないので、すぐ例を思いつかないが)
このバトルの決着がいつ着くかわからないが、その3年後では見る気もしない。1年以内に、そこそこの大作で、もちろん斬新な切り口の映画が見たい。日本映画に足りないものはいっぱいあるけれど、こういった社会性を含んだ問題をエンタテイメントにする努力もして欲しいと願うしだい。
自分のいいたいことをいうのは簡単。しかし世の中の動きからネタを拾って、自分なりに消化して表現するのはとても難しい。だからこそ、うまく表現できたときは評判がいい。そうですよね、ブログを書いている皆さん(^_^)
本日は“人が何に関心を持っているのかを知る嗅覚はマーケティングの基礎です映画会社の皆さん”の下書きでした。
こういう「何か」を含んだ問題は、何年かごとにときどき起きる。そのたびに、それをテーマにした映画を作ったらおもしろいのになあと思う。もちろん日本映画の話。ハリウッドは社会的テーマを取り入れた映画を作るのがうまい。(そんなに映画ファンじゃないので、すぐ例を思いつかないが)
このバトルの決着がいつ着くかわからないが、その3年後では見る気もしない。1年以内に、そこそこの大作で、もちろん斬新な切り口の映画が見たい。日本映画に足りないものはいっぱいあるけれど、こういった社会性を含んだ問題をエンタテイメントにする努力もして欲しいと願うしだい。
自分のいいたいことをいうのは簡単。しかし世の中の動きからネタを拾って、自分なりに消化して表現するのはとても難しい。だからこそ、うまく表現できたときは評判がいい。そうですよね、ブログを書いている皆さん(^_^)
本日は“人が何に関心を持っているのかを知る嗅覚はマーケティングの基礎です映画会社の皆さん”の下書きでした。
2005年03月29日
食事を済ましちゃいけない?
昨日に書いたブログ。書きながら気にはなっていたのだが「業者」という表現をしてしまった。私はこの言葉が嫌い。何となく相手を一段低く見ているようなニュアンスがあるから。「出入りの業者」なんて言葉はとても感じが悪い。
じゃなぜブログに業者と書いたのか。それは他にいい表現が思い浮かばなかった、考えている時間がなかったから。企業とか会社と書いても間違いではないけれど、もう少し個人とやりとりしているニュアンスを出したかったのかもしれない。それでも「プログラムとはちょっと筋違いの業者に」ではなく「プログラムとはちょっと筋違いの企業の担当者に」とは何となく書きづらかった。私の感覚では業者は、企業もその従業員も両方含む言葉。
しかし、業者は私としては使用禁止用語なので何か対策を考えなければーーーと思ってはいるものの、すぐにはいいアイデアもない。そうだ!どうしても業者という言葉が必要なときは、とりあえず「業者さん」と呼ぼう(^^ゞ
言葉の感覚は人によってずいぶん違うから、私の意見を理解できない人も多いかもしれない。出入りの業者さんで??と感じる人もいるはずだ。それはある程度仕方がない。
某一流企業、ここの人たちのほとんどは私に何か書いて送ってくるとき「晴れ時々マーケティング殿」と殿づけする。「殿」は上位のものが下位のものを丁寧に呼ぶときに使う言葉。私の感覚ではそうだし、どこかでそう読んだこともあるから、これはたぶん日本の常識。
その一流企業の皆さんは私を下位のものと扱っているわけでは決してない。たぶん彼らの感覚では「様」より「殿」のほうがより高級な言葉なのだ。私より常識のありそうな人たちばかりの会社なのだが、これはもうその会社の企業文化というしかない。
言葉の感覚は人によってずいぶん違うーーー私がすごく印象に残っていることをひとつ。「お食事はもう済まされましたか?」と尋ねるのは、いつもは「メシもう食ったぁ?」という私にとって、とても上品で丁寧な言葉なのである。しかし、どこで読んだか忘れたが「済ます」という言葉に憤慨している人がいた。その人の感覚では「済ます」というのは「片づける」とか「処理する」というニュアンスで、食事という大切な行為を「済ます」とは何事か、そんなことだから社会が乱れるのだー(怒)というような主張だったと記憶する。
その主張を理解できなくもないが、私の感覚とはちょっと相容れない。いずれにせよ何とも言葉遣いは難しい。
本日は〜という、いつもの締めを最近どうも書きづらい。中国日記を書いてから調子が狂ったかも? そのうちまた提案型のマーケティング・ブログに戻すので、気長におつきあいを。
じゃなぜブログに業者と書いたのか。それは他にいい表現が思い浮かばなかった、考えている時間がなかったから。企業とか会社と書いても間違いではないけれど、もう少し個人とやりとりしているニュアンスを出したかったのかもしれない。それでも「プログラムとはちょっと筋違いの業者に」ではなく「プログラムとはちょっと筋違いの企業の担当者に」とは何となく書きづらかった。私の感覚では業者は、企業もその従業員も両方含む言葉。
しかし、業者は私としては使用禁止用語なので何か対策を考えなければーーーと思ってはいるものの、すぐにはいいアイデアもない。そうだ!どうしても業者という言葉が必要なときは、とりあえず「業者さん」と呼ぼう(^^ゞ
言葉の感覚は人によってずいぶん違うから、私の意見を理解できない人も多いかもしれない。出入りの業者さんで??と感じる人もいるはずだ。それはある程度仕方がない。
某一流企業、ここの人たちのほとんどは私に何か書いて送ってくるとき「晴れ時々マーケティング殿」と殿づけする。「殿」は上位のものが下位のものを丁寧に呼ぶときに使う言葉。私の感覚ではそうだし、どこかでそう読んだこともあるから、これはたぶん日本の常識。
その一流企業の皆さんは私を下位のものと扱っているわけでは決してない。たぶん彼らの感覚では「様」より「殿」のほうがより高級な言葉なのだ。私より常識のありそうな人たちばかりの会社なのだが、これはもうその会社の企業文化というしかない。
言葉の感覚は人によってずいぶん違うーーー私がすごく印象に残っていることをひとつ。「お食事はもう済まされましたか?」と尋ねるのは、いつもは「メシもう食ったぁ?」という私にとって、とても上品で丁寧な言葉なのである。しかし、どこで読んだか忘れたが「済ます」という言葉に憤慨している人がいた。その人の感覚では「済ます」というのは「片づける」とか「処理する」というニュアンスで、食事という大切な行為を「済ます」とは何事か、そんなことだから社会が乱れるのだー(怒)というような主張だったと記憶する。
その主張を理解できなくもないが、私の感覚とはちょっと相容れない。いずれにせよ何とも言葉遣いは難しい。
本日は〜という、いつもの締めを最近どうも書きづらい。中国日記を書いてから調子が狂ったかも? そのうちまた提案型のマーケティング・ブログに戻すので、気長におつきあいを。
2005年03月28日
目的を伝える大切さ
パソコンで「ある作業」と「ある作業」と「ある作業」をする。その作業の間のデータや処理の引き渡しは基本的に手作業。これがとても面倒。ミスもしがち。
ということで、これを連携するプログラムを作ってもらおうと思い、電話でざくっとした見積もりを聞くと「いつもお世話になっているから安くしますよ、20〜30万円」。ウ〜ンと唸ってペンディング。
プログラムとはちょっと筋違いの業者に、そんな話をすると「だったら、あのソフトを使えば」とアドバイスされる。で、そのソフトは3〜4万円!
そんなソフトがあることは知っていた。しかし、それは少し前まで業務用セミオーダーのようなソフトで100万円近かったのだ。そういえば私が昨年、販売提携しないかと持ちかけられたとある分野の業務用ソフトは、10年ちょっと前なら開発費込みで1億円以上、その後市販ソフトが出てきて数年前なら300万円くらいだったのが、40万円になっていた。ソフトの世界の変化はとっても早い。
今回のミス(その1)
情報不足。というよりなまじ古い情報を知っていたためのミス。
今回のミス(その2)
最初に相談した業者には、時間がなかったせいもあって、依頼したいことだけを伝えて、その目的をあまり話さなかった。もし彼も私の目的を知っていたら、その3〜4万円のソフトを勧めてくれたはず。プロの教えを請わなかった私の姿勢のミス。
自分が仕事を引き受けるときは目的とか問題意識を納得するまで聞き出すのに、そこがあやふやな仕事は断ることもあるのにーーーと反省しきり。
ということで、これを連携するプログラムを作ってもらおうと思い、電話でざくっとした見積もりを聞くと「いつもお世話になっているから安くしますよ、20〜30万円」。ウ〜ンと唸ってペンディング。
プログラムとはちょっと筋違いの業者に、そんな話をすると「だったら、あのソフトを使えば」とアドバイスされる。で、そのソフトは3〜4万円!
そんなソフトがあることは知っていた。しかし、それは少し前まで業務用セミオーダーのようなソフトで100万円近かったのだ。そういえば私が昨年、販売提携しないかと持ちかけられたとある分野の業務用ソフトは、10年ちょっと前なら開発費込みで1億円以上、その後市販ソフトが出てきて数年前なら300万円くらいだったのが、40万円になっていた。ソフトの世界の変化はとっても早い。
今回のミス(その1)
情報不足。というよりなまじ古い情報を知っていたためのミス。
今回のミス(その2)
最初に相談した業者には、時間がなかったせいもあって、依頼したいことだけを伝えて、その目的をあまり話さなかった。もし彼も私の目的を知っていたら、その3〜4万円のソフトを勧めてくれたはず。プロの教えを請わなかった私の姿勢のミス。
自分が仕事を引き受けるときは目的とか問題意識を納得するまで聞き出すのに、そこがあやふやな仕事は断ることもあるのにーーーと反省しきり。
2005年03月26日
立花隆とジャパネット
ちょっと時間がないので、他人の記事を紹介してお茶を濁す。
立花隆の「メディア ソシオ-ポリテクス」〜ライブドアvs.フジテレビ」
前書きによると、これは立花氏の一種の個人ブログのようなものらしい。今のところ5本の記事が読める。ブログで読むライブドアとフジテレビに関する投稿は、感情的な応援あるいは反対論だったり、にわか評論家ぶった底の浅い論評がほとんどだけれど、これは視点といい、事実関係を押さえながらの筆の進め方といい、さすがに超一流の物書きの文章。ライブドア騒動なんてもう飽きたという人にお勧め。
ついでに“売る”という職人芸を社員と顧客に捧げる ジャパネットたかた社長
ホリエモンとは(たぶん)対照的なキャラクターの高田氏について書かれた記事。ジャパネットは顧客目線でマーケティングするという点では、とても参考になる企業。私は高く評価してる。個人情報漏洩事件の時の対応も見事だった。
そんじゃ皆様よい週末を。
立花隆の「メディア ソシオ-ポリテクス」〜ライブドアvs.フジテレビ」
前書きによると、これは立花氏の一種の個人ブログのようなものらしい。今のところ5本の記事が読める。ブログで読むライブドアとフジテレビに関する投稿は、感情的な応援あるいは反対論だったり、にわか評論家ぶった底の浅い論評がほとんどだけれど、これは視点といい、事実関係を押さえながらの筆の進め方といい、さすがに超一流の物書きの文章。ライブドア騒動なんてもう飽きたという人にお勧め。
ついでに“売る”という職人芸を社員と顧客に捧げる ジャパネットたかた社長
ホリエモンとは(たぶん)対照的なキャラクターの高田氏について書かれた記事。ジャパネットは顧客目線でマーケティングするという点では、とても参考になる企業。私は高く評価してる。個人情報漏洩事件の時の対応も見事だった。
そんじゃ皆様よい週末を。
2005年03月24日
うちの会社は特殊
とある企業を訪問。一通り説明を受ける。問題意識は明確、資料もよく揃っている。私はマーケティングの「頼まれごと」をされに企業に行くわけだが「頼み方の話し方」で、その人の要領度合いは大体わかる。打ち合わせの進め方や渡される資料の内容や揃い具合で、その会社の社風も大体わかる。
今回はレベルが高かった。ところが
「この業界はなかなか特殊でして」「うちの会社はちょっと特殊でして」というトークが連発。
こういうときはいつも「出たっ!特殊攻撃!」と内心思ってしまう。
仕事柄いろんな業種、いろんな会社の人と接する。多くの人が「この業界は特殊、うちの会社は特殊」と言いたがる。私は、この職業を辞めるまでに一度でいいから「平均的な業界の平均的な会社」に出会いたいと思っているのだが(^_^)
実際に、その特殊さでプロジェクトに支障を来したことは今まで一度もない。マーケティングを考えるときに、おにぎりも金融商品も9割は同じ理屈が通用する。残り1割を無視しろとはいわないが、9割のところを改善した方が成果は上がる。特殊という思いこみが視野を狭めたり、言い訳の原因になっていることも多い。
「特殊」は以前に書いた「 難しい」と同じように、何か別のことの言い換えのような気がする(うまく表現できないけれど)。つい使ってしまう言葉ではあるが、それによって後ろ向きにならないように気をつけたい。
本日は“みんな特殊なんだから、あなたのところだけがことさら特殊な訳じゃないですよ”の下書きでした。
今回はレベルが高かった。ところが
「この業界はなかなか特殊でして」「うちの会社はちょっと特殊でして」というトークが連発。
こういうときはいつも「出たっ!特殊攻撃!」と内心思ってしまう。
仕事柄いろんな業種、いろんな会社の人と接する。多くの人が「この業界は特殊、うちの会社は特殊」と言いたがる。私は、この職業を辞めるまでに一度でいいから「平均的な業界の平均的な会社」に出会いたいと思っているのだが(^_^)
実際に、その特殊さでプロジェクトに支障を来したことは今まで一度もない。マーケティングを考えるときに、おにぎりも金融商品も9割は同じ理屈が通用する。残り1割を無視しろとはいわないが、9割のところを改善した方が成果は上がる。特殊という思いこみが視野を狭めたり、言い訳の原因になっていることも多い。
「特殊」は以前に書いた「 難しい」と同じように、何か別のことの言い換えのような気がする(うまく表現できないけれど)。つい使ってしまう言葉ではあるが、それによって後ろ向きにならないように気をつけたい。
本日は“みんな特殊なんだから、あなたのところだけがことさら特殊な訳じゃないですよ”の下書きでした。
2005年03月22日
F1グランプリに思う情報とイマジネーション
朝日の朝刊、第1面の紙面紹介トップに「トヨタ4年目で初の表彰台、F1マレーシア・グランプリ決勝」とあった。
メデタイことなのだが、トヨタがF1に参戦しているのはかろうじて知っていても、4年も続けていたとは知らなかった。つまりそれくらい印象が薄い。トヨタのPRが地味なのか、私がF1に関心がないのか、それともF1自体の人気や話題性がないのか。たぶん3つとも正解。
アバウトな記憶ではF1が一番盛り上がっていたのは15〜10年前くらいか。私もF1関連の渉外の仕事をしたし、そのコネで入手困難だった日本グランプリのチケットを友人に手配したりもした。鈴木亜久里が鈴鹿で3位になったときは思わずガッツポーズ。そんな熱気も今は昔。セナと共にF1人気も去ったような気がする。少なくとも日本においては。
実は私とF1の出会いはとっても古い。中学生の頃だから30ウン年も前! たまたま手にしたAUTOSPORTというカーレース雑誌がきっかけ。あんな雑誌もうないだろうなあと思って検索したら、まだしっかりあった。しかも週刊になっている。表紙のイメージが変わっているのでAUTOSPORTだと気づかなかったけれど、コンビニでいつも見ているような気もする。(今は、それくらい関心がない)
当時は隔週刊。biweeklyという言葉も、その雑誌で知った。もともとクルマも好きだった私はカーレースにすっかりハマって、隔週刊のその雑誌をむさぼるように読んでいた。当時の私のヒーローはエマーソン・フィッティパルディという舌をかみそうなブラジル人。ロータスのF1に乗っていた。彼のライバルが、これは今でも時々大御所として名前を見かけるジャッキー・スチュワート。タイレル(ティレルは当時こう訳されていた)のドライバー。他になぜか今でも名前を覚えているのがフェラーリのカルロス・ロイテマン。今でいうチームオーダーがアーダコーダという記事があって、そのタイトルが「カルロス・ロイテマンは譲らず」という彼を擁護する内容で、私も何となく判官贔屓で「このオッサン、なかなかカッコイイじゃないか」などと思っていた。たぶんニイサンだったはずだろうが、当時の私からすればオッサン。
ほかにもCANAMというアメリカのレースや富士のグラチャン(FVCやBDAときいて何のことかわかる人がいれば、是非一緒に飲みたい)、それと三菱ギャランが活躍していたオーストラリアのサザンクロスラリーなどが記憶に残っている。思春期の頃の懐かしい思い出。
ところで当然ながら、当時の私はF1を観ていない(もちろんテレビ放送などない)。隔週刊のその雑誌で1ヶ月以上も前に行われたレースの記事を読んでいたのである。イマジネーションをふくらませて楽しみながら。今テレビで観戦するより、当時のほうがもっとリアルにF1を感じ取っていたような気もする。
ちょっと話の途中を省略するが、今は膨大な情報にアクセスできる。企業もあらゆる情報を消費者に届けようと、あの手この手を使う。情報過多だとイマジネーションがふくらまない。情報不足だとイマジネーションできないから、そのへんのさじ加減は難しいのだけれど、イマジネーションを呼び起こすコミュニケーション、イマジネーションを購買その他につなげるマーケティングというのは、情報過多時代ゆえに重要なテーマかも知れない。いずれじっくり考えよう。
本日は“情報は一杯発信すればいいというモノじゃない。何事も腹八分目、人はイマジネーションで生きている”の下書きでした。オタッキーな用語ばかり御容赦を。
メデタイことなのだが、トヨタがF1に参戦しているのはかろうじて知っていても、4年も続けていたとは知らなかった。つまりそれくらい印象が薄い。トヨタのPRが地味なのか、私がF1に関心がないのか、それともF1自体の人気や話題性がないのか。たぶん3つとも正解。
アバウトな記憶ではF1が一番盛り上がっていたのは15〜10年前くらいか。私もF1関連の渉外の仕事をしたし、そのコネで入手困難だった日本グランプリのチケットを友人に手配したりもした。鈴木亜久里が鈴鹿で3位になったときは思わずガッツポーズ。そんな熱気も今は昔。セナと共にF1人気も去ったような気がする。少なくとも日本においては。
実は私とF1の出会いはとっても古い。中学生の頃だから30ウン年も前! たまたま手にしたAUTOSPORTというカーレース雑誌がきっかけ。あんな雑誌もうないだろうなあと思って検索したら、まだしっかりあった。しかも週刊になっている。表紙のイメージが変わっているのでAUTOSPORTだと気づかなかったけれど、コンビニでいつも見ているような気もする。(今は、それくらい関心がない)
当時は隔週刊。biweeklyという言葉も、その雑誌で知った。もともとクルマも好きだった私はカーレースにすっかりハマって、隔週刊のその雑誌をむさぼるように読んでいた。当時の私のヒーローはエマーソン・フィッティパルディという舌をかみそうなブラジル人。ロータスのF1に乗っていた。彼のライバルが、これは今でも時々大御所として名前を見かけるジャッキー・スチュワート。タイレル(ティレルは当時こう訳されていた)のドライバー。他になぜか今でも名前を覚えているのがフェラーリのカルロス・ロイテマン。今でいうチームオーダーがアーダコーダという記事があって、そのタイトルが「カルロス・ロイテマンは譲らず」という彼を擁護する内容で、私も何となく判官贔屓で「このオッサン、なかなかカッコイイじゃないか」などと思っていた。たぶんニイサンだったはずだろうが、当時の私からすればオッサン。
ほかにもCANAMというアメリカのレースや富士のグラチャン(FVCやBDAときいて何のことかわかる人がいれば、是非一緒に飲みたい)、それと三菱ギャランが活躍していたオーストラリアのサザンクロスラリーなどが記憶に残っている。思春期の頃の懐かしい思い出。
ところで当然ながら、当時の私はF1を観ていない(もちろんテレビ放送などない)。隔週刊のその雑誌で1ヶ月以上も前に行われたレースの記事を読んでいたのである。イマジネーションをふくらませて楽しみながら。今テレビで観戦するより、当時のほうがもっとリアルにF1を感じ取っていたような気もする。
ちょっと話の途中を省略するが、今は膨大な情報にアクセスできる。企業もあらゆる情報を消費者に届けようと、あの手この手を使う。情報過多だとイマジネーションがふくらまない。情報不足だとイマジネーションできないから、そのへんのさじ加減は難しいのだけれど、イマジネーションを呼び起こすコミュニケーション、イマジネーションを購買その他につなげるマーケティングというのは、情報過多時代ゆえに重要なテーマかも知れない。いずれじっくり考えよう。
本日は“情報は一杯発信すればいいというモノじゃない。何事も腹八分目、人はイマジネーションで生きている”の下書きでした。オタッキーな用語ばかり御容赦を。
2005年03月20日
初乗り運賃の理不尽
切符を買おうとすると渋谷まで160円だったのが150円になっている。んっ?と思って周りを見回すと、今日から運賃が改定になったらしい。ハンバーガーや牛丼の値下げは何度も経験したが電車賃が下がるのは初めて。理由はこういうことらしい。ややこしい文章で読む気もしないけれど、10円安くなったと素直に喜んでおこう。
東京以外の人に説明は難しいのだが、私が乗る「東急電鉄:田園都市線」は渋谷から「東京メトロ:半蔵門線」と名前が変わる。乗客は同じ電車に乗ったままなのに運行会社が変わる。渋谷で運転手と車掌も入れ替わる。
運行会社が変わるからなのだろうが渋谷をまたぐと、そこからまた初乗り運賃になる。つまり
三軒茶屋→池尻大橋→渋谷だと田園都市線初乗り運賃で120円(3駅分)
渋谷の隣の表参道まで半蔵門線初乗り運賃で160円。
三軒茶屋から表参道まで乗ると120円+160円で280円かかる。(4駅分)
たった1駅増えただけなのに160円もとられる。これがどうにも納得がいかない。
ちなみに三軒茶屋の隣の駒澤大学から渋谷までは30円高い150円。(4駅分)
田園都市線だけで4駅なら150円だが、田園都市線〜半蔵門線の4駅なら280円。同じ1駅なのに87%も高い。
もし東急電鉄と東京メトロが合併して1つの会社になったら、国土交通省は田園都市線と半蔵門線を1本の路線として運賃を認可するはずである。三軒茶屋から表参道まで280円はないはず。そして現在も乗客の立場から見て、田園都市線と半蔵門線は1本の路線として運行されているのである。つまり私は日々、大変不条理な料金を取られている。(論理的におかしくないよね?)
フジテレビもいいけれど、東急電鉄と東京メトロを買収してくれないかなあ(^_^)
東京以外の人に説明は難しいのだが、私が乗る「東急電鉄:田園都市線」は渋谷から「東京メトロ:半蔵門線」と名前が変わる。乗客は同じ電車に乗ったままなのに運行会社が変わる。渋谷で運転手と車掌も入れ替わる。
運行会社が変わるからなのだろうが渋谷をまたぐと、そこからまた初乗り運賃になる。つまり
三軒茶屋→池尻大橋→渋谷だと田園都市線初乗り運賃で120円(3駅分)
渋谷の隣の表参道まで半蔵門線初乗り運賃で160円。
三軒茶屋から表参道まで乗ると120円+160円で280円かかる。(4駅分)
たった1駅増えただけなのに160円もとられる。これがどうにも納得がいかない。
ちなみに三軒茶屋の隣の駒澤大学から渋谷までは30円高い150円。(4駅分)
田園都市線だけで4駅なら150円だが、田園都市線〜半蔵門線の4駅なら280円。同じ1駅なのに87%も高い。
もし東急電鉄と東京メトロが合併して1つの会社になったら、国土交通省は田園都市線と半蔵門線を1本の路線として運賃を認可するはずである。三軒茶屋から表参道まで280円はないはず。そして現在も乗客の立場から見て、田園都市線と半蔵門線は1本の路線として運行されているのである。つまり私は日々、大変不条理な料金を取られている。(論理的におかしくないよね?)
フジテレビもいいけれど、東急電鉄と東京メトロを買収してくれないかなあ(^_^)
2005年03月19日
バトル観戦
本日から三連休。だが、たぶん三連休どころではないと思われるのが、ライブドアとニッポン放送、それにフジテレビの関係者。報道で見る限りバトルは第2段階に突入しつつある模様。
ふと思ったのは、プロ野球はオープン戦の時期。本来なら楽天の名前がメディアにもっと登場するはずだったのだろうが、連日のライブドア報道にかすみがち。このバトルで一番割を食ったのは楽天かも知れない。それとスポーツニュースでソフトバンクの名前を聞いても、なぜか古〜い企業のような気がするから不思議。インパクトという点でライブドアは今現在、日本で一番の企業ブランドになった。
さて、バトルは興味深く楽しく観戦させてもらっている。実は十数年前にM&A関連の仕事をかじっていたこともあって、ホワイト・ナイトとかシャーク・リペレントとかパックマン・ディフェンスとか、当時勉強した言葉がいろいろと出てくるのも懐かしい。なぜかM&A用語には洒落たネーミングが多い。
全くの部外者として、私なりに今回のバトル観戦ポイントは2つ。1つはインターネットという「新興メディア」の企業が、「既存メディア」企業であるテレビに触手を伸ばしていること。
インターネットは産業革命に匹敵する変化を社会にもたらすといわれたりする。そんな気もするし、今さらインターネットのない社会は考えづらい。社会や生活を支える存在であることには異論がない。しかしネットに蓄積され流れている膨大な情報量と比較して考えると、人々の考えや生活に与えるインパクトはとても小さいとも思う。例えば10万の(個人レベル)サイトが、ある特定のテーマについて書いたり意見表明したりしたりするよりも、テレビニュースで10秒、新聞で10行報じられた方が「世の中」は動くし騒ぐ。
アメリカではネット発のムーブメントで大統領選挙の行方が変わる。中国の反日感情も震源地はネットだとも聞く。しかし日本ではネット発で世間全般に大きな影響を与えた事例はないのではないか? 理由まで考察したことはないが日本のネットには社会性が欠けている。
ネットでは硬軟併せて実に様々な情報や、いろんな人のユニークな意見や考えに接することができる。「個人的に」刺激や影響を受けることも多い。ブログブームもあって、その発信元は日々増殖中でもある。それらに社会性を与えるにはテレビというメディアが必要なのである。それらに社会性を与えるのは正義だとも思う。
ライブドアがフジテレビを買収して、どう料理しようとしているのかは知らない。しかしネットに埋もれている情報や意見に社会性を与えるような構想が含まれているなら面白い。
本日は“ひょっとして晴れ時々マーケティングも全国放送? きっかけは〜フジテレビ!”の下書きでした。もう1つの観戦ポイントはまた後日に。
ふと思ったのは、プロ野球はオープン戦の時期。本来なら楽天の名前がメディアにもっと登場するはずだったのだろうが、連日のライブドア報道にかすみがち。このバトルで一番割を食ったのは楽天かも知れない。それとスポーツニュースでソフトバンクの名前を聞いても、なぜか古〜い企業のような気がするから不思議。インパクトという点でライブドアは今現在、日本で一番の企業ブランドになった。
さて、バトルは興味深く楽しく観戦させてもらっている。実は十数年前にM&A関連の仕事をかじっていたこともあって、ホワイト・ナイトとかシャーク・リペレントとかパックマン・ディフェンスとか、当時勉強した言葉がいろいろと出てくるのも懐かしい。なぜかM&A用語には洒落たネーミングが多い。
全くの部外者として、私なりに今回のバトル観戦ポイントは2つ。1つはインターネットという「新興メディア」の企業が、「既存メディア」企業であるテレビに触手を伸ばしていること。
インターネットは産業革命に匹敵する変化を社会にもたらすといわれたりする。そんな気もするし、今さらインターネットのない社会は考えづらい。社会や生活を支える存在であることには異論がない。しかしネットに蓄積され流れている膨大な情報量と比較して考えると、人々の考えや生活に与えるインパクトはとても小さいとも思う。例えば10万の(個人レベル)サイトが、ある特定のテーマについて書いたり意見表明したりしたりするよりも、テレビニュースで10秒、新聞で10行報じられた方が「世の中」は動くし騒ぐ。
アメリカではネット発のムーブメントで大統領選挙の行方が変わる。中国の反日感情も震源地はネットだとも聞く。しかし日本ではネット発で世間全般に大きな影響を与えた事例はないのではないか? 理由まで考察したことはないが日本のネットには社会性が欠けている。
ネットでは硬軟併せて実に様々な情報や、いろんな人のユニークな意見や考えに接することができる。「個人的に」刺激や影響を受けることも多い。ブログブームもあって、その発信元は日々増殖中でもある。それらに社会性を与えるにはテレビというメディアが必要なのである。それらに社会性を与えるのは正義だとも思う。
ライブドアがフジテレビを買収して、どう料理しようとしているのかは知らない。しかしネットに埋もれている情報や意見に社会性を与えるような構想が含まれているなら面白い。
本日は“ひょっとして晴れ時々マーケティングも全国放送? きっかけは〜フジテレビ!”の下書きでした。もう1つの観戦ポイントはまた後日に。
2005年03月09日
帰国
中国三都の出張を終え無事成田に到着。
成田エキスプレスに乗って、まず渋谷まで戻る。途中の車窓で感じたのは「上海は東京と似た都市」と思っていたのが「やっぱり東京は狭い!」ということ。海に行って、そんなに日焼けしていないと思っても、自宅の鏡で見ると真っ黒ということがあるように、帰ってこないとわからないこともある。わかりにくい例えでゴメン。
車内販売でアイスコーヒーを買う。販売していた女性のとても愛想がよく丁寧な応対に、ちょっと大げさだが“感激”する。愛想がよく丁寧というのも中国では、あまり経験できない。友人客人には酒を注いだりタバコを勧めたりと、ホスピタリティ溢れる中国人なのに接客業ではまだまだ。
以前にも書いたように日本の接客業のレベルを高いと思っていないし、それにお客様は神様ではないけれど、それにしても中国ではまだまだ。
資本主義的経済になってまだ日が浅いからという解説を聞いたこともあるが、中国を体験してみると、もっと根本的なメンタリティが違う気もする。中国にはまた行く機会もあるだろうから、その辺はいずれじっくり。
しばらくは中国ネタも交えつつ、次回からは今まで通りの晴れ時々マーケティングに。今回の中国日記のように写真を入れるとブログが華やかになるので、時々は写真入りもエントリーしたいと思っている。引き続きごひいきに。
成田エキスプレスに乗って、まず渋谷まで戻る。途中の車窓で感じたのは「上海は東京と似た都市」と思っていたのが「やっぱり東京は狭い!」ということ。海に行って、そんなに日焼けしていないと思っても、自宅の鏡で見ると真っ黒ということがあるように、帰ってこないとわからないこともある。わかりにくい例えでゴメン。
車内販売でアイスコーヒーを買う。販売していた女性のとても愛想がよく丁寧な応対に、ちょっと大げさだが“感激”する。愛想がよく丁寧というのも中国では、あまり経験できない。友人客人には酒を注いだりタバコを勧めたりと、ホスピタリティ溢れる中国人なのに接客業ではまだまだ。
以前にも書いたように日本の接客業のレベルを高いと思っていないし、それにお客様は神様ではないけれど、それにしても中国ではまだまだ。
資本主義的経済になってまだ日が浅いからという解説を聞いたこともあるが、中国を体験してみると、もっと根本的なメンタリティが違う気もする。中国にはまた行く機会もあるだろうから、その辺はいずれじっくり。
しばらくは中国ネタも交えつつ、次回からは今まで通りの晴れ時々マーケティングに。今回の中国日記のように写真を入れるとブログが華やかになるので、時々は写真入りもエントリーしたいと思っている。引き続きごひいきに。
2005年03月08日
グローバル←→ローカル
インターネットは世界をぐっと身近にした。読める読めないは別として世界中のサイトにアクセスでき、あらゆる情報を手に入れられる。日本語で書かれた世界中の情報も溢れかえっている。間違いなく人々をグローバルにする道具である。
しかし海外出張にでると、その逆の感覚も覚える。中国にいても普段からチェックしているサイトは、いつもと同じように見られる。オフィスにいるときと同じように日本のニュースに接することができる。いろいろな仕事は、ほぼいつもと同じようにこなせる。パソコンの画面に向かっている限り、日本にいる感覚である。ホテルでメールのやり取りをしたり、ネットで調べ物をしたり、このブログを書いていると中国にいることを忘れてしまう。
パソコンで何かをすることを“情報処理”だと定義するとする。生活の中で情報処理に費やしている時間は長い。職業柄、私などはとても長い。インターネットがなかった時代、海外に出て行くのは“身体”だけだったが、今は“生活”のかなりの部分が一緒に付いてくる感覚である。リアルなグローバルな環境にいながら、インターネットは人々をバーチャルなローカルに保つ、あるいは縛り付ける道具でもある。
ITの進化はグローバル←→ローカルという概念を消滅させると大胆に予言しておこう!
しかし海外出張にでると、その逆の感覚も覚える。中国にいても普段からチェックしているサイトは、いつもと同じように見られる。オフィスにいるときと同じように日本のニュースに接することができる。いろいろな仕事は、ほぼいつもと同じようにこなせる。パソコンの画面に向かっている限り、日本にいる感覚である。ホテルでメールのやり取りをしたり、ネットで調べ物をしたり、このブログを書いていると中国にいることを忘れてしまう。
パソコンで何かをすることを“情報処理”だと定義するとする。生活の中で情報処理に費やしている時間は長い。職業柄、私などはとても長い。インターネットがなかった時代、海外に出て行くのは“身体”だけだったが、今は“生活”のかなりの部分が一緒に付いてくる感覚である。リアルなグローバルな環境にいながら、インターネットは人々をバーチャルなローカルに保つ、あるいは縛り付ける道具でもある。
ITの進化はグローバル←→ローカルという概念を消滅させると大胆に予言しておこう!
2005年03月07日
2005年03月06日
生ビール
生ビールも何故か中華料理レストランにはない。お酒を注ぎ合う文化にそぐわないからか? ちなみに中国ではタバコを吸うときも、自分のタバコを周りの人に勧めてから吸うのがマナー。
新天地は昔の六本木(60年代〜70年代前半:キャンティとかニコライとか話として知っているだけだけれど)のようなところ。外人と金持ち上海人や芸能人などが夜な夜な集まる。白人比率は30%以上、アジア人も含めた外人比率はたぶん50%以上。日本語でいうところの“業界人”ぽい上海人もちらほら。女性客の美人度も高い。そんなわけでレストランの値段は高い。日本とそんなに変わらない価格設定。この店ではフィリピンバンドが演奏。腕前はまあ、はっきりいって中高生の文化祭レベル(^_^) この値段の店でこの演奏は日本ではあり得ない。上海はリッチで近代的な国際都市だが、エンタテイメントなどのソフト面のレベルが成熟するにはまだ時間がかかる模様。
新天地は昔の六本木(60年代〜70年代前半:キャンティとかニコライとか話として知っているだけだけれど)のようなところ。外人と金持ち上海人や芸能人などが夜な夜な集まる。白人比率は30%以上、アジア人も含めた外人比率はたぶん50%以上。日本語でいうところの“業界人”ぽい上海人もちらほら。女性客の美人度も高い。そんなわけでレストランの値段は高い。日本とそんなに変わらない価格設定。この店ではフィリピンバンドが演奏。腕前はまあ、はっきりいって中高生の文化祭レベル(^_^) この値段の店でこの演奏は日本ではあり得ない。上海はリッチで近代的な国際都市だが、エンタテイメントなどのソフト面のレベルが成熟するにはまだ時間がかかる模様。
2005年03月05日
2005年03月04日
ギャップ
雑貨を売っているリヤカー屋台もあった。
中国に来て感じるのは近代化された街並みと、そこを歩いている人とのギャップ。端的にいうと、大きな通りにある建物は東京と変わらない。つまり経済的に発展しているイメージ。しかしその通りを歩いている人の服装はまだまだ経済水準の低さを感じる。顔つきもそう。子供の頃なので確かに記憶しているわけではないが、中国人は昭和30年代の日本人の顔つきに似ている。まだ顔に険しさが残っている。
東京なら広尾のようなおしゃれな街に昭和30年代のまだ豊かとはいえない人々が歩いているミスマッチ。六本木ヒルズの隣に戦後間もないような薄汚れた路地があるミスマッチ。このミスマッチというかギャップを中国にいると、とても強く感じる。
経済発展のレバレッジが効いて、ある部分が先行して豊かになっているのか、それとも資本主義経済的に貧富の差が拡大しているのか、それは私にはまだよくわからない。しかし戦後の日本のように国全体国民全体が均等に豊かになっているのではなさそうだ。
中国に来て感じるのは近代化された街並みと、そこを歩いている人とのギャップ。端的にいうと、大きな通りにある建物は東京と変わらない。つまり経済的に発展しているイメージ。しかしその通りを歩いている人の服装はまだまだ経済水準の低さを感じる。顔つきもそう。子供の頃なので確かに記憶しているわけではないが、中国人は昭和30年代の日本人の顔つきに似ている。まだ顔に険しさが残っている。
東京なら広尾のようなおしゃれな街に昭和30年代のまだ豊かとはいえない人々が歩いているミスマッチ。六本木ヒルズの隣に戦後間もないような薄汚れた路地があるミスマッチ。このミスマッチというかギャップを中国にいると、とても強く感じる。
経済発展のレバレッジが効いて、ある部分が先行して豊かになっているのか、それとも資本主義経済的に貧富の差が拡大しているのか、それは私にはまだよくわからない。しかし戦後の日本のように国全体国民全体が均等に豊かになっているのではなさそうだ。
崋山病院
6時間ほど点滴を受けてYさんの痛みも少しは治まる。ドクターの許しも出て何とか短い入院生活?を終えホテルに帰れることに。病名ははっきりわからなかったものの「中華料理の食べ過ぎ」や「ゲテモノ食い中毒」ではなく急性胃炎だった模様。たぶん日頃のストレスが中国に来てドッとでたのだと思う。ということでD社の皆さん、Yさんをもっといたわってあげましょう。彼女も人間ですから(^^ゞ
入院していたのは崋山病院というところ。読み方はよくわからないが「ふくたん」とかいう有名な大学の付属病院。英語のしゃべれるドクターやナースが多く外人慣れしているということで上海のリサーチ会社会長Sさんが選んでくれた。
写真でもわかるかも知れないが、とても立派な病院。ちなみにZさんの病室は15階だった。たぶん20階以上あったと思う。病室も豪華でテレビ、トイレ付きの個室。ミネラルウオーター完備。ちょっとバブリー。治療&6時間の入院費は1490元=約2万円。これも外人料金かも知れない。
入院していたのは崋山病院というところ。読み方はよくわからないが「ふくたん」とかいう有名な大学の付属病院。英語のしゃべれるドクターやナースが多く外人慣れしているということで上海のリサーチ会社会長Sさんが選んでくれた。
写真でもわかるかも知れないが、とても立派な病院。ちなみにZさんの病室は15階だった。たぶん20階以上あったと思う。病室も豪華でテレビ、トイレ付きの個室。ミネラルウオーター完備。ちょっとバブリー。治療&6時間の入院費は1490元=約2万円。これも外人料金かも知れない。
2005年03月03日
Cさん
上海で通訳を頼んだCさん。高校生の時は日本に短期留学していたこともあるそう。キュートで可愛い女性。可愛いだけでなく責任感が強い。インタビューが終わった後、その速記録を確認する作業があるのだが、その分量の多さに私が音を上げそうになると「早く進めましょう」とせかされる。もう夜も遅いから明日にしましょうと気を使っている振りをしてサボろうとすると「今日の仕事を今日中に仕上げなければ、私は眠れません」と叱られる(^^ゞ
Cさんは中国と日本の文化交流会を主催する、上海ではちょっとした有名人。毎週日曜日にイベントを開いている。いろんな人脈もあるので、これからコーディネーションの仕事を頼むかも。また茶器のお店も開く予定だとかでとてもエネルギッシュ。10年後は大物になっている予感が。
Cさんは中国と日本の文化交流会を主催する、上海ではちょっとした有名人。毎週日曜日にイベントを開いている。いろんな人脈もあるので、これからコーディネーションの仕事を頼むかも。また茶器のお店も開く予定だとかでとてもエネルギッシュ。10年後は大物になっている予感が。
2005年03月02日
上海到着
広州を後にして上海へ移動。中国は国内線のセキュリティ・チェックが厳しく、ペットボトルのミネラルウオーターもキャップを外して匂いを嗅がれる。私は旅行の時にいつも持ち歩くアーミーナイフを、ついうっかり機内持ち込み鞄に入れたままだったので不審人物扱いされてしまった。財布の中、靴底、ベルトの裏側まで調べられる。
上海は今までの北京、広州と較べると東京に近い街並み。ビジネス街なら道路標識が漢字でなければ東京と勘違いしそう。今回の中国初体験で感じたのは中国はやはり広く多様な国だということ。ニューヨークとロサンゼルスで感じる都市イメージの違いよりも中国の3都市で感じた違いのほうがはるかに大きい。
上海が東京と同じような街並みになってきたのは、いわゆる近代化の影響だろう。日本の地方都市が、この30年でみんな同じような街並みになったように、中国もそうなっていくと思われる。近代化=西洋化、アジア人の考える西洋化はワンパターンだなと感じる次第。
上海で宿泊するのは東湖(とんぐー)ホテル。日本のガイドブックにはほとんど載っていない穴場的存在。昔の富豪(マフィアだったらしい)の大豪邸を改造した5階建ての古くてこぢんまりしたホテル。周りには東湖グループの新しいホテルや近代的なコンドミニアムもあるが、あえてこの旧館に泊まる。
上海は今までの北京、広州と較べると東京に近い街並み。ビジネス街なら道路標識が漢字でなければ東京と勘違いしそう。今回の中国初体験で感じたのは中国はやはり広く多様な国だということ。ニューヨークとロサンゼルスで感じる都市イメージの違いよりも中国の3都市で感じた違いのほうがはるかに大きい。
上海が東京と同じような街並みになってきたのは、いわゆる近代化の影響だろう。日本の地方都市が、この30年でみんな同じような街並みになったように、中国もそうなっていくと思われる。近代化=西洋化、アジア人の考える西洋化はワンパターンだなと感じる次第。
上海で宿泊するのは東湖(とんぐー)ホテル。日本のガイドブックにはほとんど載っていない穴場的存在。昔の富豪(マフィアだったらしい)の大豪邸を改造した5階建ての古くてこぢんまりしたホテル。周りには東湖グループの新しいホテルや近代的なコンドミニアムもあるが、あえてこの旧館に泊まる。