2006年07月

2006年07月31日

渋谷にて

昨日の日曜日、渋谷へ行ってきた。
東急ハンズやロフトや、そのほかの店で引っ越し先のあれやこれやを買いそろえるために最近、渋谷へよく行く。今回の引越の買い物ポリシーは「一気に買わない(つい、いらないものまでまとめてオヤジ買いしちゃうから)」なので、必然的に行く回数も増える。


渋谷以上に人が一杯集まっている街は世界にいくつもあるけれど、渋谷ほど若者が集中している街は、おそらくないと思う。ちなみに今年の女性ファッションは肌の露出が少し控えめで残念。でも絶滅したはずのヤマンバも、またチラホラ見かけるようになった。なぜか私はヤマンバを見ると嬉しくなる(^_^) 

帰りにタクシーでクラブ街を抜けていくと、このエリアでは女性の日焼け率が高い。昔のガングロみたいなのはいなかったが。そうえいばギャルオみたいなのはいるけれど、だんだんと着こなし的に洗練されたのか、こっちが見馴れたのか、昔のような違和感は感じない。


一人一人をじっくり見れば、そんなに変わっていないのだが、集団で「渋谷の若者」という視点で眺めると、やっぱり強烈というか、大人というかオッサン・オバハンとはまったく違う何かを感じる。彼ら彼女らをターゲットにマーケティングをするなら、その何かを感じることはとても重要。そして彼ら彼女らも10年20年経てば、大人というかオッサン・オバハンになるのである。オッサン・オバハンをターゲットにするのなら、その予備軍の生態を観察することも必要である。


昔、何回かクライアントの役員達を渋谷ツアーに連れて行ったことがある。だいたいパターンは決まっていて、金曜の夜8時か9時、ハチ公前に集合。そこからセンター街を歩いてマクドナルドまで行き、そこでシェイクを買うというルール。だいたいハチ公前に集合した時点で、ほとんどの人の顔がこわばっている。では始めましょうというと、全員で行動しようとするので「一人づつ15分間隔でお願いします」と、まるで肝試しの幹事のようになる(^_^)


彼らの感想や、渋谷ツアーから受けた影響は人それぞれだったが、何人かの人は何かをつかんだと私は確信している。肝試しシーズンだし、よかったら皆さんもどうぞ。

wassho at 14:12|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2006年07月28日

99%

ご覧になった方もいるかもしれないが、日立から「99%と業界最高の脱臭率」を実現したという空気清浄機が 発表された。


素直に読めば「99%、スゴイね。あと1%で全部じゃん」となる。私も最初は、そう思った。そして「これが業界最高水準なのだから、他の空気清浄機はどれくらい? 90%? いや70〜80%くらいかな?」とも思う。


後で他の新聞で読んでビックリしたのは、何と、この日立の前の機種の脱臭率は98%なんだそうだ。「え〜、たった1%の向上かよ! わざわざ新機種にして発表するほどのことか」


しかし記事によれば、この1%が大きな違いらしく、人間が悪臭がなくなったと感じるには98%ではダメで、99%以上の悪臭物質の除去が必要らしい。1%を嗅ぎ分ける程の嗅覚が人間にあるとは知らなかった。


仕事のレベルが上がれば上がるほど、よりよい仕事をするには一層の努力が必要で、どんどん困難になってくる。空気清浄機のテクノロジーは知らないが、一般論で言えば50%の脱臭率を90%に向上させることより、98%を99%にすることのほうが難しい(あくまで例え話です)。私の仕事で言えば、クライアントにインパクトのある提言をすることはできるけれど、それ以上のインパクトを10年以上与え続けることはとっても難しい。でも、それができないとそのクライアントからの仕事は先細りになる。コンサルタントなんて、好き勝手なことを言いたい放題言っているようで、けっこうキツイ仕事なのです(^^ゞ

wassho at 20:30|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2006年07月27日

不覚にも

本日、某企業へプレゼンテーションに行く。
実は21日にも訪問したのだが、出直しの再訪問。


なぜ、こんなことになったかというと本日のアポ、つまり27(にじゅうひち)日を21(にじゅういち)と聞き違えていたから(>_<) 長いこと社会人をやっているが、こんな漫画みたいなミスは初めて。反省しきり。不幸中の幸いは21日のアポを27日と間違えなかったこと。すっぽかすよりは二度訪問した方がもちろんまし。


ミスはミスするかもと思っている時は、たいていしない。油断、過信、慢心その他いろいろパターンがあるけれど、そのうち恥を忍んで「不覚」体験をシリーズ化したいと思います。

wassho at 20:08|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2006年07月26日

情報と実体験の差 秋葉原にて 

ちょっとオフィスを抜け出し秋葉原へ行く。

引っ越し先のマンションはやたら照明がついていて、リビングにもメインの照明とダウンライトが埋め込まれている。メインの照明は大型電球が3つで夜にくつろぐには明るすぎるし、小型電球2つのダウンライトだけではちょっと暗い。そこでダウンライトと同時に使う照明をと思って。スタンドタイプじゃなくて、できたら棚の上に置いてダウンライトの反対側の天井を照らそうと思っているので、なかなかこれといったものが見あたらない。この前、東急ハンズで「これで妥協しようか」というのを見つけたが、ひょっとしたら秋葉原ならと思いーーー。でも、本日も無駄足だった。


ところで秋葉原といえば、電気街からパソコン街、そして今はオタクと萌え〜の聖地と呼ばれている。久しぶりの秋葉原だったが、よく考えたらメイド喫茶が大通りにオープンカフェで開いているわけではないので、普通に歩いている限りはオタクと萌え〜の聖地な感じはそれほどしない。路面店でアニメ系ゲームのお店が増えたなと感じる程度。聖地はビルの奥にあるのだ。


でも、ところどころにメイド姿や、その他のコスプレっぽい衣装を着たビラ配りの女性が立っている。実はコスプレをした生身の人間を見るのは初めて。いや〜結構かわいいもんだなあ。ひょっとして私はオタクの素質があるのか?


コスプレがなんなのかは、もちろん情報で知っている。写真や映像で何度も見ている。それをやっている人間には職業柄とっても興味があるとしても、萌え〜な気持ちが起こるかというと、私のストライクゾーンからは離れている。と、思っていたのだけれど、実物は想像以上に楽しかった。


例えば、どんなに美人でセクシーな女性が超ミニスカートで足を組んでいたり、水着でエロいポーズを取っていても、それを写真や映像でみてもドキドキしたりはしない。でも、実物なら少々ブサイクでも(^^ゞ そりゃやっぱり目が釘付けになる。


百聞は一見にしかずというけれど、頭で知っているつもりなことと、実際に体験していることとは違う。人生のほとんどは情報処理活動ではあるが、いかに実体験を増やすかが意義深く生きるかのコツかもしれない。料理番組を見て食べた気になったり、温泉や旅行の番組を見て行った気になっていてはいけないのだ。

wassho at 18:56|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2006年07月25日

アホ基準と個人情報バカ

個人情報保護は世の中の趨勢である。マーケティングにはリサーチがつきものなので、世間一般の人より私は深く関わっている。しかし思うのである。世の中はだんだんとアホを基準に社会の仕組みが作られつつあると。


ドラマや映画などの最後にはたいてい「この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件などにはいっさい関係ありませんーーー云々」という但し書きが入る。それを読んで「ああそうか、実話じゃないんだ、安心安心」と思ったことのある人はまずいないはずだ。でもまれに勘違いする人がいるのか、そしてクレームでもつけるのか、こういう但し書きは入れることになっているらしい。宇宙人が出てきても但し書きを読まされる。アホ基準の対策である。


話は変わるけれど、随分前に見たドラマか何かで「この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件などにはいっさい関係ありませんーーー云々」というおきまりの文言ではなく、ただ一言「これは作り話です」と流れたことがあった。そのセンスと反抗精神(たぶん)にニヤッとしたことを覚えている。


最近は何か商品を買うと、とっても注意書きが多い。コンビニでお箸をもらうと「爪楊枝が入っているので」と注意書きがある。携帯電話でもパソコンでも「そんな使い方を誰がする!」というような注意書きで埋まっている。この前買ったやかんには「お湯を沸かすとやかんが熱くなるので注意して下さい」と書いてあった(>_<) アホ基準の対策である。PL法ができて、その傾向はますます強まっている。


マンションの広告では部屋の写真に「家具は含まれていません」と書かれている。日本の場合、それは常識の範疇ににもかかわらず(欧米では家具付きも多い)である。家族が団らんしているような写真が添えられているとする。そこには「これはイメージです」と書かれている。花の写真、青空の写真、コーヒーカップの写真ーーーすべてに「これはイメージです」と書かれている場合もある。アホ基準の対策である。

ちなみにこれらは広告主が、万が一のことを考えて慎重に表現するよう制作会社に指示をしているのではない。もう広告制作の現場ではお約束になっていて、黙っていても入れられる。アホ基準の対策は、もう誰も疑うことのない空気のような存在となっている。


個人情報保護に関しても、何かあってはいけない、というより何か揚げ足を足られてはたまらないというので、アホ基準対策のオンパレードである。病院でクスリをもらう時に名前で呼ばれなくなったなどというのは、明らかに行きすぎでアホ基準である。


そんな話を、個人情報保護の専門家と雑談で話した。すると彼は得意げに小鼻を膨らましていった。「いや、そんなことはないですよ。ある病院でですね、ある企業の経営者が名前を呼ばれてですね、たまたま、そこにある証券会社の人間がいてですね、それでその企業の株価が下がるということがあってですねーーー」。


専門家で、このていたらくである。まず、そんな話は「よくできた」作り話だ。仮に実話だったとしても、多くの人が勘違いしていると私は考えているけれど、個人情報は保護されなければいけないとしても、それは匿名で生活を送ることを目指したり保証するものではない。


彼のような個人情報バカが、あることないことを騒ぎ立て、アホ基準の対策ルールを山ほど作る。でも、この流れは止まらない。世の中はどんどんとアホを基準に社会の仕組みが作られていく。本日は、ちょっとぼやいてみただけでした。


ちなみに私は法学部出身で専攻したテーマは「プライバシー」である。個人情報保護の専門家や、その関連の業務をしている人に話すと「さすがwasshoさん、先見の明がおありで」と必ずいわれる。エッヘン。しかし、実は当時、プライバシーは法学のテーマとしては超マイナーで、読むべき本も数冊で、主要な判例(判決文のこと。それを読んでいろいろ勉強します)もほんのわずかで「楽そうだったから」選んだことは内緒である(^_^)

wassho at 17:54|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2006年07月21日

浄水器メーカーにお願い

86359011.jpg何かにつけデザイン優先物件である引っ越し先のキッチンは、ご覧のように上にも下にも何の収納もない。写真ではちょっとわかりにくいがシンクもとっても小さい。料理なんかしたら部屋が汚れるからやめておきなさいというインテリア・デザイナーの意志が伝わってくる(^^ゞ


食器や鍋釜はそんなに持っていないが、さすがに床に転がしておく訳にもいかないので、シンク・コンロの下側には無印良品で買って組み立てたステンレスのラックと引き出し式の収納ボックスを並べている。最近、私は無印良品のヘビーユーザーである。


さて、問題は物件選びの時からイヤな予感がしていた水栓(水のでるところです)。キッチンには このページの上のタイプがついている。そして泡沫水栓といって水が跳ねないようにフィルターのようなものを通して水が出てくるわけだが、口径16ミリという珍しいサイズ(ほとんどの水栓は23ミリか24ミリ)なので、いろいろ調べたりメーカーに問い合わせてみたものの、どんな浄水器も取り付けられないのである。水栓のところに取り付けられない場合、分水器というものを蛇口の下に取り付ける方法もあるが( このページの下の方)、その方式にも対応していない。


残された方法は2つ。

(1)浄水器についている 泡沫水栓アダプターをサイズに合わせて1点ものでオーダーする。特殊なネジを1点からでもオーダーできるネジ製作所はネットで何軒かみつけた。

(2)水栓ごと取り替える。その場合、水栓につけるのではなく ビルトインタイプにすることもできる。

(2)より(1)の方が安いと思うけれど、それでも多少の出費になるし、必ずしもうまくフィットするとも限らない。


浄水器メーカーさん、アダプターのバリエーション増やしてください。数千円なら喜んでオプション料金として支払いますから。


それで、私の結論は、引越に関して他にもいろいろやることがあるので、とりあえず「結論は先送り」。浄水器がなくても生活はできるし。


なんだけれど、こんな 浄水ポットを昨日買ってきた。浄水器の宣伝を見るとセラミックとかナノテクとか、いかにもハイテクなのに対して、この浄水ポットはカートリッジに活性炭が入っているだけ。カートリッジを振るとシャカシャカと、キムコと同じ音がする。大丈夫か?


おそるおそる水道水と飲み較べてみる。結果は満足\(^o^)/ おいしい水になったとは言わないが、私が気になっていた点はクリアしている。


よくカルキ臭いことが問題となるが、このマンションでも前のマンションでも、それはあまり感じない。それよりも金属的というか、何か舌にピリッとしたものを感じるのが私は嫌い。水道管の何割が金属かは知らないものの、私は水道管の仕業だと思っている。


カルキ臭いということに関して水道局でもかなりの努力をしていて、以前テレビで水道局の人が「水道の水がまずいなんてことはない。昔より浄水方法も進歩しているし、測定しても市販のミネラルウオーターと遜色ない、偏見だぁ」と嘆いているのを見たことがある。


たぶんカルキについてはそうなんだろう。でも浄水場で測定する水道水は金属の水道管をほとんど通過していない。(私の金属管犯人仮説が正しいかどうかは別として)本日は “何事も会議室や実験室ではなくて、現場を見なければ本当の姿は見えてこない” の下書きでした。

wassho at 16:38|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2006年07月20日

日本沈没に学ぶテーマ設定の重要性

日本沈没という映画が封切られている。テレビでも宣伝をよく見る。この映画を観に行くことはないかもしれないが、昔のテレビドラマのことはよく覚えている。


小学校か中学校の時か忘れたが、小松左京が書いた小説と、それを原作にしたドラマはとてもセンセーショナルで、大げさにいうと日本中から注目を集めた(ように思う)。


理由はおそらく単純で、誰も日本が沈没するなんてことは想像もしていなかったから。宇宙人が攻めてくるとか怪獣が暴れるような設定はそれまでに馴れていたし、リアリティもないけれど、大規模な地震や火山活動で日本が沈没するというのは何となく科学ぽっかたし、だから恐怖心的好奇心のようなものをかき立てられたのだと思う。


つまりテーマ設定はとても大事だという話。恋愛映画やアクション映画でヒットを飛ばすのはとても難しいし、どうがんばればいいのかもわからないくらい。しかしテーマ設定は「目新しさがあって、誰もが関心を持ちそうなこと」を探す作業だから、見つけられるかどうかはともかく、何から手をつければいいのか途方に暮れることはない。要は頭を絞り手当たり次第資料を探って調べればいい。内容がイマイチでもテーマ設定が新鮮なら、ある程度は当たる。実際、日本沈没はB級作品で、結論として日本が沈んだのかどうかも覚えてないくらい。でも毎週観ていたように思う。


マーケティングでは健康食品とかダイエット関連はテーマ設定で持っているといってもいい。アガリスクとか何とかコンブとかキトサンとかプロポリスーーーとかいった素材であったり、体脂肪や骨密度や最近ならメタボリックなどというキーワード。次々手を変え品を変えである。


健康食品とかダイエット関連は、はっきり言って内容がないからテーマ設定イノチである。他の産業も、テーマ設定にもう少し真剣になった方がいい。昔からいわれているように、人々はキーワードを消費するのである。私は消費者ニーズを探ることと同じくらい、テーマ設定は大事だと思っている。映画を作るような感覚でテーマ、ストーリー、キャスティングなどを考えるのはマーケティング戦略でも役に立つ。



<イタリア沈没>
ついでに、うろ覚えのブラックジョークを。

(イタリアは北部と南部で仲が悪いらしい/北部の方が経済発展している)
ある時、神様がイタリア北部の男に願いを3回かなえてやるといった。

北部男「イタリア南部を海に沈めてください」
そんなことをすれば大惨事になるけれど、約束してしまったので神様はしかたなく南部を海に沈めた。当然、阿鼻叫喚の地獄図になった。

次の望みは何だと神様は尋ねた。
北部男「イタリア南部を元に戻してください」
神様は、この男にも人間の心が残っていたと喜び、南部を元に戻した。

最後の望みは何だと神様は尋ねた。
北部男「もう一度イタリア南部を海に沈めてください」
なぜ、そんなことをするのかビックリして神様は理由を聞いた。

北部男「北部に出稼ぎにきている南部人が、最初の惨事を聞きつけて慌てて南部に戻っている頃なので、これで全滅できます」

wassho at 17:08|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2006年07月19日

海猿で爆笑

ネットで見たニュースによると、海上保安庁の隊員の活躍を描いた映画「海猿」がニューヨークで上映され、日本では観客の涙を誘った、主人公が携帯を使ってプロポーズをするシーン(たぶん極限的に困難な救出活動の途中でと思う/私は見ていないので想像だけれど)が、ニューヨークでは爆笑だったそうだ。「こんな大変な時にプロポーズするヘンな奴」と思われたらしい。


ところ変われば人変わるである。


ところは変わらなくても、世代が違えば人変わるだとも思う。

日本人には大人気とされ、映画やテレビで何度も制作されている忠臣蔵。私はあれが理解できない。何で、あそこまでして殿様の敵を討たなければいけないのだ。そして満足して死んでいくのだ。もちろん頭ではわかっている。当時は忠義という概念が尊ばれていて、忠臣蔵はまさにその実例だと。


私が子供の頃はテレビで時代劇もまだたくさんあって、忠義というのもそれを通じて何となく知ったような気がする。今は時代劇もほとんどないし、忠義を知らない子供達が忠臣蔵を見てどう感じるか知りたいものだ。外国人ならどうだろう。作品では浅野藩側に好意的に描かれているからバイアスがかかるけれど、事実関係だけを取り出したら逆恨みで執念深いテロリスト集団の物語と思われても不思議はない。


え〜、本日はオチやまとめはありません(^^ゞ 何となく物事にはいろんな見方があるものだと改めて感じただけで。

wassho at 19:56|PermalinkComments(2)TrackBack(0) ノンジャンル 

2006年07月18日

仕事のブラックボックスに囲まれて

引っ越した時に洗濯機を買い換えた。本当は縦型というか斜め型というか洗濯物がぐるぐる回っているところが見えるタイプが、デザイン的に生活感がないような気がしていいなと思っていたのだが、洗濯機置き場のスペースが1〜2センチ足らず、従来からある形式の洗濯機を買った。


それまで使っていた洗濯機は20年以上も前に買ったもので、メーカーはなんとNEC。ビックカメラの店員に「昔、NECも洗濯機を作っていたの知ってる?」と尋ねると「申し訳ございません、不勉強でーーー」と謝られた。私もNEC製と気づいたのは買ってから10年以上経ってからだったけれど(^^ゞ


NEC製はシンプルな二槽式。今回のは一漕式で乾燥機もついている。洗濯から乾燥までしてくれるのを全自動洗濯機と呼ぶと思っていたが、全自動洗濯機は脱水までの洗いを自動で行ってくれるものを指し、乾燥まで自動で行うものは洗濯乾燥機と呼ぶようである。全自動洗濯機のほうが何となくネーミングとしてありがたみがあるような気がするのは私だけか。


それで、今回の洗濯機。20年以上前の洗濯機を使ってきた私にとっては浦島太郎状態でハイテクな機能満載なのである。

洗濯だけの標準コースというのを選ぶと

・洗剤溶かし
・ホット高洗浄(温風を吹きかけながら洗うらしい)
・低水位から徐々に給水を増やす3STEP洗い
・回転シャワーすすぎ
・ためすすぎ
・脱水

と難解なプロセスを実行し、さらに洗う時は押し洗いやもみ洗いをしているらしい。音を聞いていると今までの洗濯機と違ってザザーッという感じの波のような音が聞こえる。乾燥させる時はマイナスイオンまで出る。


そのありがたいプロセスなんだけれど、洗濯槽の中が見えないので(内ブタと外ブタの二つを閉じないと洗濯機は動いてくれない)、何をやっているのかさっぱりわからない。


こうやって、だんだんと「仕事」がわからなくなる。二槽式なら洗濯機が何をしているかは目で見て理解できる。全自動や洗濯乾燥機しか知らない今のほとんどの子供は洗濯機の仕組みを理解することは難しいだろう。クルマも今はボンネットの下はほとんどがカバーで覆われていて、それぞれの部品を見ることができない。考えてみればテレビやパソコンの原理を正確に理解している人はほとんどいない。身の回りのほとんどのものはブラックボックスだといっていい。


クラスター、コレスポンデンス、コンジョイント、一対比較、ラダー、評価グリッド、回帰、重回帰ーーーーーこれらはリサーチ分析の手法の一部である。メジャーなものだけでも数十種類はある。統計学というか数学的にデータを処理加工するのだが、これらも今は統計ソフトを使えば、あっという間に結果を出せる。でもどういうデータの処理加工をしたのか理解できている人はマーケティングのプロでもほとんどいない。しかし、これらの分析手法で得られた結果は企業のマーケティング戦略にしっかりと反映されている。実はマーケティングもブラックボックスにとても依存しているのだ。


追伸
新しい洗濯機。脱水した後、洗濯物がほとんど絡まっていないのにはちょっと感動した。しかし肝心の汚れの落ち具合は20年前のものとそんなに違わない気がする。

wassho at 19:36|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス | 生活、日常

2006年07月14日

儲けさせることは儲けること

前にも似たことを書いたかもしれないーーー記憶が曖昧でm(_ _)m


少し前のニュースになるがビル・ゲイツが後何年かでマイクロソフトを離れ、ビジネス界からも引退して慈善事業財団の仕事に専念するという。また、その財団に寄付する金額も何兆円かという巨大な金額だった。絵に描いたようなサクセスストーリー。彼は世界長者番付で、この12年間トップでもある。


マイクロソフトを成功させシコタマ稼いだからこそできる芸当。じゃなぜ成功してシコタマ稼げたのか? 独占的地位を利用してあくどく稼いだから? それも多少はあるかもしれないけれど、あくどいだけでは12年間もトップの座は絶対に守れない。


計算した訳ではないが、マイクロソフトがウインドウズを売って稼いだ金額よりも、世の中の企業や人々がウインドウズを利用して稼いだ金額のほうが遥かに大きいはず。つまりビル・ゲイツは他人を稼がせたから自分も稼げた。世の中全般にまで範囲を広げなくて、パソコン関連のハードやソフトを開発する企業に絞っても、トータルではマイクロソフトより稼いでいるはずである。

アマゾンのアフェリエイトもヤフオクも、人々にちょっとした小遣い稼ぎの手段を提供することで成長の原動力となっている。『儲けさせることは儲けること』なのである。極論を言えば、儲かると思うからマルチ商法に引っかかる連中が生まれるわけで、正義ではないがビジネスとしては理にかなっている。


それで、自分がどれだけ他人を儲けさせたかを考えるとウ〜ン実に心許ない。『儲けさせることは儲けること』というのはけっこう真理っぽいことに気づいたと思っているのだけれど、気づいたからといってソレデドウヨな自分にトホホである。


さてビル・ゲイツは何年か前に結婚してしまったので、もう使えなくなったが、独身時代の彼についての私の好きなジョークを。

「ビル・ゲイツはなぜ結婚しないの?」
「マイクロでソフトだからさ」

本日は、このブログ始まって以来の下ネタでした(^_^)

wassho at 18:25|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2006年07月13日

頭突き

中田が寝ころんでジダンが頭突きをしてワールドカップは終わった。決勝戦がどんな試合だったかより、なぜジダンは頭突きをした?相手のイタリアの選手が何を言ったかというゴシップネタのほうが報道量が多いと思う。世間一般の関心というのは本質より、その周辺に向くものだと改めて実感する。芸能人がどんな芸を持っているかより、誰と付き合っているかのほうが大事なのである。


それはもちろんマーケティングにも当てはまる。話はずれるけれど「いいもの」を作れば売れるというモノヅクリ信仰に関しては私は無神論者である。最大の理由は「いいもの」なんて作れないから。この場合の「いいもの」とはライバルが数年は追いつけないようなものをいう。そういう「いいもの」を目指す姿勢や努力は大切だが、それをあてにしてマーケティングや企業経営は組み立てられない。多大な努力をして開発した自社の製品は他社の製品とドッコイドッコイというのを前提とすべきである。


そして試合よりも頭突き、芸よりもゴシップに関心が集まるように、マーケティングでは開発者の考えている商品の本質より、他のたわいのない要素が重要な場合が多々ある。実例はいくらでもあるけれど、皆さんがイマジネーションを膨らませやすいように書かないでおきます(と手を抜く)


話を戻して、ジダンが退場した後フランスがPK戦を制して優勝していたら、頭突き事件はどのような扱われ方をしていただろう。その可能性は充分あった。歴史は if を考えるから楽しい。

wassho at 12:39|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2006年07月10日

引越その後

引越後片づけ作業は進んだような進んでいないような。50個ほどあった段ボール箱は10個ほどに減ったものの、その中身を収納する家具をまだ揃えていないので、ここから先は長いかもしれない。テーブルや机の類もまだないので、空の段ボール箱を食卓にして、段ボール箱を平たくしたものをクッション代わりにして床に座っている。一応デザイナーズマンションなんだけれどなあ。


引っ越してから2回あった休日は、片づけ作業ばかりしていたので、周辺の探検はまだしていない。駅の周辺にはいろいろ洒落た店も多いみたいだ。でも一人で行くのもつまらないし。でも昨日はダイエー碑文谷店に行ってきた。郊外には巨大なスーパーはいくらでもあるが、都心部でこれだけの大きさの店舗はあまりない(たぶん)。


それで、ビックリしたのは売り場でも品揃えでもなくーーーお客さん。このダイエーにはなぜか太った女性の客が多い。それも小学生から中高年まで年齢を問わずである。理由はよくわからない。駅周辺を歩いていて観察できる通行人のデブ係数は、前の自宅周辺と変わりないのに、スーパーの中は明らかに高い。たぶん10倍以上。食材売り場が充実しているから? そんなはずはないと思うけれど、もう少し観察したら仮説でも立ててみよう。

wassho at 18:06|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2006年07月05日

あの〜すみません

有楽町を歩いていたら、つかつかと近寄ってきた女性に声を掛けられた。

「有楽町マリオンに行きたいのですがーーー」


マリオンは、そこから目と鼻の先。もうビルが見えている。でも地方からきてたり土地勘がなければ迷うというか頭が混乱することは充分にあり得る。「あそこに見える二つビルが並んでいるところですよ」と指さして教える。お辞儀をしてお礼を言って、その女性は立ち去っていった。30歳前後、茶色の半袖のニットにベージュのスカートの清楚系、色白、やや顔がたるんで見えるタイプーーー瞬時にいろいろ観察するのは職業病か。感じのいい人だった。


しかし街でいきなり声をかけられると、ビックリするというか身構える。昔は、そういう場合たいてい道を尋ねられたのだろうが、今はキャッチセールスだったり宗教の勧誘だったり、その他ありがたくない場合のほうが圧倒的に多い。できたら声をかけられたくない。そういえば数年前、荻窪で道に迷って男子高校生に「すみませ〜ん」と声を掛けたら走って逃げられた! カツアゲでもされると思ったのか? そんな怖い顔してるのかなあ(^^ゞ


声を掛けられたら用心しなければいけないなんて、イヤな世の中になったな〜と思いつつ、今日はひとつ人助けをしたと、ちょっといい気持ちになったりしたーーーのだが。


その後、丸の内で用事を済ませ、2時間後にまた有楽町を通る。そしたら何と、先ほどの女性が道行く人につかつかと歩み寄って声をかけているではないか! 離れた場所で見ていたけれど、明らかに道を尋ねている。声を掛けられた女性が私と同じようにマリオンを指さしている。そう、彼女は精神的にアブナイ人だったようだ。


まったくそんな風には見えなかったけれど、お気の毒に。他人にそんなに迷惑をかけていないのがせめてもの慰めか。どうしておかしくなっちゃうんだろう。なんとなく複雑で悲しい気持ちの1日でした。

wassho at 20:51|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2006年07月04日

デザイナーにお願い(その2)

実は今回の引越で大きな家具や電化製品のほとんどを、前のマンションで処分してきた。大きいもので持ってきたのは冷蔵庫とテレビくらい。2年ほど前になぜか家電製品が次々と壊れるという怪奇現象?が起こり、その2つは、その時に買い換えたもの。


前のテレビは、ある日突然、スイッチを入れたら画面が「真っ赤一色」になった。冷蔵庫は、冬に帰宅すると部屋が妙に暖かく、不思議に思いつつも冷蔵庫の中のものを取り出そうとドアに触れると、やけどしそうなくらいに熱かった。他にもいろいろあったが、いちばん不思議だったのはバスルームの電球が切れて(切れた瞬間を目撃)、次の日に電球を買ってきたのだけれど、切れたはずの電球がまた点いたこと(オオコワァ)


話は戻って、2年ほど使っていた製品だから、そんなにボロくはないにしても、それなりに汚れている。それで、引越トラックに積み込む前に汚れは拭いておいたのに、新築のマンションの中に運び込んでみると、これがビックリするくらい汚い。前のマンションでは、この2つは「きれいな」ほうだったから、どれだけ私の部屋が汚かったかがわかる(^^ゞ


それで日曜日に改めて洗剤を使ってクリーニング。やってみてわかったのは、いかに意味のない凹凸とかで形成されたラインや模様の「デザイン」が多いことか。そして、そういうところにこびりついた汚れはなかなか落ちない。私の冷蔵庫の天板は、不思議なことに左側の約1/3に細かい凹凸で作られたラインが斜めに走っている。そして、そこには2年間、冷蔵庫の上にあった電子レンジから何かを取り出す時にわずかずつこぼしたものの汚れがこびりついている(/o\) その凹にこびりついた汚れはなかなか取れない。ぞうきんでゴシゴシこすっても、半分取れて半分取れないので余計にムカツク。ブラシとかを使えばいいかもしれないが、とりあえずはあきらめた。


見た目だけでなくて、機能性や使い心地まで考えるのがデザインの仕事とよく言われる。そこに掃除や手入れのしやすさも加えるべきだ。見た目>掃除しにくいは、単なるアホデザインだけれど、機能性との両立はけっこう難しいかもしれない。私の冷蔵庫の凹凸は(2年間気づかないほど意味のない)飾りでしかないが、製品によっては強度を高めるためや滑り止めで表面に凹凸を入れる場合がある。そういった場合はデザイナーとエンジニアの腕の見せ所。

本日は “形あるものはすべて汚れる” の下書きでした。掃除や手入れのしやすさをユニバーサルデザインの概念に入れることを提唱したい。

wassho at 17:22|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2006年07月03日

デザイナーにお願い(その1)

6ba0d428.jpg写真は引っ越したマンションの洗面所。スクエアで浅めの洗面台。デザイン的に流行りらしい。私はそんなにカッコイイとも思っていないけれど。使ってみると、やはり浅いので水が跳ねる。うがいをした後は静かに吐き出さなくてはならない。サングラスが汚れていたので洗っていたら、そこら中に水が跳ねた。なにかとストレスの溜まる使い心地である。



そういえば、昨年泊まったバンコクのコンラッド。こちらは ボールが洗面台の上に乗っているようなデザインで、これも最近の高級系の流行り。

こちらはボールの高さがあるので水は跳ねない。しかし蛇口とボールのすきまが狭く顔は洗いにくかった。それと洗面台の流し部分は、洗面台より掘られて深い位置にあるという感覚が身体に染みついているので、屈む時に違和感がある。使ってもらわないと理解できないかも知れないが、顔を洗う時は、目が洗面台天板との距離を無意識に測り、それに応じて顔を洗う時に屈む角度を決める。このボール方式は天板より高い位置にあるので浅く屈まなければいけないのだが、つい天板との距離に応じた角度で屈んでしまう。3日あれば慣れるとは思うけれど。(でもホテルに3日も泊まらない)


新しいデザインにはどんどんチャレンジして欲しいとは思う。しかし見た目優先で機能性が低いものは困る。やっかいなことに機能性は使ってみなければわからないことも多い。もし私がボール式を使ったことがなくて、ごく普通の洗面台と、スクエア浅めと、ボール式の3つをカタログでチョイスさせられたら、見た目のインパクト重視でボール式を選んだと思う。


念のためにいっておくと、機能性優先でもつまらない。見た目も機能性も両方素晴らしくなくてはイヤだ。だからこその「お願い」なのである。消費者はわがままなものなんだよ、デザイナー諸君。

wassho at 18:20|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス