2007年01月
2007年01月31日
うっかりミス
今朝、駅に着いたら定期券を忘れたことに気がついた(>_<)
財布だったり、携帯だったりをよく忘れるので、いつの頃からかは「忘れたけれど」、私は自宅とオフィスを出るときには「5つ」数えて確認することにしている。
つまり
財布
定期券
携帯
タバコ
鍵
の5つ。5つ数えながらポケットに入れる。
なのになぜ定期券を忘れたのか。原因はすぐに気がついた。今朝も、イチ、ニイ、サンーーーとやっているとき、タバコの箱に1本しか残っていないことに気がついた。それでもう1箱を棚から取り出し、それがヨンになってしまった。ちなみに何から数えるかまでは決めていない。エッ?決まった場所にそれらを置いておけって? オッシャルトオリデスm(_ _)m
まあ、うっかりミスというのは、大体こんな感じで起こる。
子供の頃よくやったのは「このパンチをブロックできる?」といって顔にパンチを向けるとブロックされる。「じゃ、ボディは?」といって腹にパンチを向けると、もちろんこれもブロックされる。そこで「じゃこれは?」と顔にパンチを向け、もう一方の手で「同時」に腹にもパンチくくり出すと、まず腹には命中するのだ。
当たり前だけれど、何かに気を取られていると、他がおろそかになる。
理屈はわかっていても、気を取られるのを防げないから、うっかりミスをなくすのは難しい。いろいろ工夫はできても、根本的には不動の心を持つ精神修行が必要。
クソッタレ! 往復620円分、損した!
ヤッパリ精神修行足りないかも(^^ゞ
財布だったり、携帯だったりをよく忘れるので、いつの頃からかは「忘れたけれど」、私は自宅とオフィスを出るときには「5つ」数えて確認することにしている。
つまり
財布
定期券
携帯
タバコ
鍵
の5つ。5つ数えながらポケットに入れる。
なのになぜ定期券を忘れたのか。原因はすぐに気がついた。今朝も、イチ、ニイ、サンーーーとやっているとき、タバコの箱に1本しか残っていないことに気がついた。それでもう1箱を棚から取り出し、それがヨンになってしまった。ちなみに何から数えるかまでは決めていない。エッ?決まった場所にそれらを置いておけって? オッシャルトオリデスm(_ _)m
まあ、うっかりミスというのは、大体こんな感じで起こる。
子供の頃よくやったのは「このパンチをブロックできる?」といって顔にパンチを向けるとブロックされる。「じゃ、ボディは?」といって腹にパンチを向けると、もちろんこれもブロックされる。そこで「じゃこれは?」と顔にパンチを向け、もう一方の手で「同時」に腹にもパンチくくり出すと、まず腹には命中するのだ。
当たり前だけれど、何かに気を取られていると、他がおろそかになる。
理屈はわかっていても、気を取られるのを防げないから、うっかりミスをなくすのは難しい。いろいろ工夫はできても、根本的には不動の心を持つ精神修行が必要。
クソッタレ! 往復620円分、損した!
ヤッパリ精神修行足りないかも(^^ゞ
2007年01月30日
2007年01月29日
情報に対する4つの判断基準
納豆、レタス、あずきーーーと何かと騒がしいようで。
あるある大事典という番組をあまり見たことはないが、、科学バラエティみたいな番組だったと思う。マスコミのいうことをすべて鵜呑みにするなとはいわないけれど、バラエティ色が多少でもついている番組を真(ま)に受けちゃいけない。テレビ用語において、バラエティとは「冗談」という意味なんだから。
話は変わるが、
人間は何かの情報に接したときに、次の4つの判断をするという説がある。
1.本当かウソか
2.自分に関係あるか、ないか
3.得する話か損する話か
4.(正義として)正しいことか、そうでないか
4つの順番の組み合わせや、それぞれの相互関係など、難しく、かつもっともらしい理論だったはずだが詳しい内容はさっぱり忘れた。
この理論によれば、4つの判断は、些細な情報なら潜在意識において瞬時になされるらしいけれど、私はたまに意識的にやっている。そして5つめ6つめと判断の基準を増やしてみたりしている。そうすると自分でも気づいていなかった判断基準というか、自分の気持ちみたいなものがわかってくるから結構おもしろい。暇なときにでもやってみて。
あるある大事典という番組をあまり見たことはないが、、科学バラエティみたいな番組だったと思う。マスコミのいうことをすべて鵜呑みにするなとはいわないけれど、バラエティ色が多少でもついている番組を真(ま)に受けちゃいけない。テレビ用語において、バラエティとは「冗談」という意味なんだから。
話は変わるが、
人間は何かの情報に接したときに、次の4つの判断をするという説がある。
1.本当かウソか
2.自分に関係あるか、ないか
3.得する話か損する話か
4.(正義として)正しいことか、そうでないか
4つの順番の組み合わせや、それぞれの相互関係など、難しく、かつもっともらしい理論だったはずだが詳しい内容はさっぱり忘れた。
この理論によれば、4つの判断は、些細な情報なら潜在意識において瞬時になされるらしいけれど、私はたまに意識的にやっている。そして5つめ6つめと判断の基準を増やしてみたりしている。そうすると自分でも気づいていなかった判断基準というか、自分の気持ちみたいなものがわかってくるから結構おもしろい。暇なときにでもやってみて。
2007年01月24日
カップヌードル詰め替え
あのカップヌードルから詰め替え式の式のパッケージが販売される。カップヌードルの中身と、しっかりした材質の専用カップの組み合わせ。中身だけを買い足せば、発泡スチロールのカップを毎回捨てなくてもいいという仕組み。詳しくは こちらで。
ヘビーユーザーが、これを使えばゴミが減っていいんじゃないか。できたら各社のカップ麺で使える共通規格にすれば素晴らしいと思う。
カップヌードルが発売されたのは私が中学生の頃。それまでインスタントラーメンといえば、今は袋麺と呼ばれる「麺とスープの素だけ」が入っているものしかなかった。具も入っているカップヌードルは、それは画期的だった。
実は私はカップヌードルが発売される1年くらい前から、つまり秘密裏に開発されている段階から、その存在を知っていた。エッ?中学生の時から業界紙でも読みあさっていたのかって? それともwasshoは日清につながる「華麗なる一族」の生まれかって? だったらよかったんだけれど。
種を明かせば、同級生の兄貴が開発に関わっており、そこから漏れてきたインサイダー情報。もっともしょせんは中学生、秘密めいた雰囲気はまったくなく
同級生「オイ、知ってるか? 今度、具も入っているラーメンが発売されるぞ」
私 「ウソツケ! ボケ!」
という会話で終わったのでした(^^ゞ
今なら株でも買っておくのに。残念!
ヘビーユーザーが、これを使えばゴミが減っていいんじゃないか。できたら各社のカップ麺で使える共通規格にすれば素晴らしいと思う。
カップヌードルが発売されたのは私が中学生の頃。それまでインスタントラーメンといえば、今は袋麺と呼ばれる「麺とスープの素だけ」が入っているものしかなかった。具も入っているカップヌードルは、それは画期的だった。
実は私はカップヌードルが発売される1年くらい前から、つまり秘密裏に開発されている段階から、その存在を知っていた。エッ?中学生の時から業界紙でも読みあさっていたのかって? それともwasshoは日清につながる「華麗なる一族」の生まれかって? だったらよかったんだけれど。
種を明かせば、同級生の兄貴が開発に関わっており、そこから漏れてきたインサイダー情報。もっともしょせんは中学生、秘密めいた雰囲気はまったくなく
同級生「オイ、知ってるか? 今度、具も入っているラーメンが発売されるぞ」
私 「ウソツケ! ボケ!」
という会話で終わったのでした(^^ゞ
今なら株でも買っておくのに。残念!
2007年01月22日
誰にリサーチする?
そのまんま東が宮崎県知事に当選。
次の参議院選挙は、タレント候補だらけになるな。
さて、そのまんま東知事(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
民主主義において選挙は平等に1人1票ということになっている。
カシコイ人でもアホな人でも1票である。カシコイ人の判断だけのほうが正しい判断ができるはずだが、何がカシコイのか、どこまでがカシコイのかの線引きができないし、基本的人権の問題もあるし、とにかく1人1票ということになっている。このシステムに挑戦した事例は議員選挙ではおそらく世界中に例がない。(昔の話は別よ)
国連もまた1国1票のルールである。超大国も聞いたことのないような国も、日本のように分担金を一杯払っている国もいない国も、1国1票である。ただしこちらは別のルールもあって、安全保障に関しては常任理事国5ヶ国は拒否権を持つ。米ソ英仏中の1ヶ国でも反対すれば他の191各国が賛成しても議決は流れる。
またサミットも、先進国だけで世の中を動かそうゼという、1国1票の国連システムへの挑戦の意味合いもあったと思う。あまりうまくいってないが。
投票権の平等について(/_')/ソレモコッチニオイトイテ
問題はマーケティングリサーチである。
何か他人に相談したいとする。手当たり次第には相談しないはず。やはり相談する相手を選ぶ。それと同じで、単純な知名度を測定したいような場合は別だが、よりマーケティングの参考となる情報を得たいならば、やはり聞くべき相手にリサーチをしなければならない。
それで、これがむつかしいんだなぁ。
いろいろと手法は開発されている。
でも、やっぱりむつかしいんだなぁ。
まあ、難しいというのは往々にしてこういう 意味でもあるけれど。
続く、そのうち。
次の参議院選挙は、タレント候補だらけになるな。
さて、そのまんま東知事(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
民主主義において選挙は平等に1人1票ということになっている。
カシコイ人でもアホな人でも1票である。カシコイ人の判断だけのほうが正しい判断ができるはずだが、何がカシコイのか、どこまでがカシコイのかの線引きができないし、基本的人権の問題もあるし、とにかく1人1票ということになっている。このシステムに挑戦した事例は議員選挙ではおそらく世界中に例がない。(昔の話は別よ)
国連もまた1国1票のルールである。超大国も聞いたことのないような国も、日本のように分担金を一杯払っている国もいない国も、1国1票である。ただしこちらは別のルールもあって、安全保障に関しては常任理事国5ヶ国は拒否権を持つ。米ソ英仏中の1ヶ国でも反対すれば他の191各国が賛成しても議決は流れる。
またサミットも、先進国だけで世の中を動かそうゼという、1国1票の国連システムへの挑戦の意味合いもあったと思う。あまりうまくいってないが。
投票権の平等について(/_')/ソレモコッチニオイトイテ
問題はマーケティングリサーチである。
何か他人に相談したいとする。手当たり次第には相談しないはず。やはり相談する相手を選ぶ。それと同じで、単純な知名度を測定したいような場合は別だが、よりマーケティングの参考となる情報を得たいならば、やはり聞くべき相手にリサーチをしなければならない。
それで、これがむつかしいんだなぁ。
いろいろと手法は開発されている。
でも、やっぱりむつかしいんだなぁ。
まあ、難しいというのは往々にしてこういう 意味でもあるけれど。
続く、そのうち。
2007年01月18日
遠くを見る訓練
もともと視力がいい方ではないが、最近とみに衰えを感じる。
幸いにもローガンにはなっていない。
子供の頃は左右とも1.5ずつあった。
中学生くらいの時に1.0を切ったように思う。
ガクンと下がったのは大学受験の時。0.5くらい。
充実した学生生活を送ったおかげで、その後、視力はある程度回復した(^^ゞ
でも社会人になってからは下がる一方。
運転免許の更新は裸眼でパスしているから0.3はあるはずだが、
次の更新では眼鏡が必要かもしれない。
近眼というのは、遠くを見る能力が衰えるということだから、最近、こんな努力というか気休めをしている。
外にいるとき
1)できるだけ遠くを見る
2)ただし、目に力を入れたりスボメたりしない
要は自然に遠くに焦点が合うように、目のレンズを調節する訓練(のつもり)
それで、この訓練で視力が回復するかどうかはわからないけれど、これをすると不思議なことに、何か頭がスッキリするのである。
それと、普通歩いているときには数メータ先をぼんやり見ているものだが、意識的に遠くを見ると、微妙に普段の景色が違って見える。わずかに世の中が広くなった感じがして気持ちがいい。
目が悪い人も、いい人も気分転換に試してください。
幸いにもローガンにはなっていない。
子供の頃は左右とも1.5ずつあった。
中学生くらいの時に1.0を切ったように思う。
ガクンと下がったのは大学受験の時。0.5くらい。
充実した学生生活を送ったおかげで、その後、視力はある程度回復した(^^ゞ
でも社会人になってからは下がる一方。
運転免許の更新は裸眼でパスしているから0.3はあるはずだが、
次の更新では眼鏡が必要かもしれない。
近眼というのは、遠くを見る能力が衰えるということだから、最近、こんな努力というか気休めをしている。
外にいるとき
1)できるだけ遠くを見る
2)ただし、目に力を入れたりスボメたりしない
要は自然に遠くに焦点が合うように、目のレンズを調節する訓練(のつもり)
それで、この訓練で視力が回復するかどうかはわからないけれど、これをすると不思議なことに、何か頭がスッキリするのである。
それと、普通歩いているときには数メータ先をぼんやり見ているものだが、意識的に遠くを見ると、微妙に普段の景色が違って見える。わずかに世の中が広くなった感じがして気持ちがいい。
目が悪い人も、いい人も気分転換に試してください。
2007年01月15日
2007年01月10日
ジーコの食料品引き換えチャリティ
日本ではワールドカップの監督としてあまりいい印象を残せなかったジーコだが、母国ブラジルでは、例えるなら長嶋茂雄以上の存在。好かれているだけじゃなくて大変尊敬されてもいる。自費でサッカー場を作ったりして社会貢献もしているらしい。
昨日のニュース番組で紹介されていたのがジーコが主催するチャリティのサッカー試合。チャリティのイベントはたくさんあるけれど、おもしろいと思ったのは、この試合はチケットを買うのではなくて、2キロの食料品と引き替えにチケットをもらうシステムになっている点。
チケット売り場というか事務所のようなところに、自分で米とかパスタとかを持ち込んでチケットをもらっている人々が紹介されていた。「チャリティに、サッカー試合に参加しているんだ」とみんな満足気。その食料は貧しい子供達に分配されるのだという。(リオデジャネイロの1/5の人はスラムに住んでいるらしい)
効率からいえば、このシステムは非合理的だ。人々が食料を買った分のお金を現金でもらい、ジーコがまとめ買いした方が、より多くの食料を買える。配達も食品会社持ちでしてもらえるかもしれない。
しかしチャリティへの参加意識をより喚起できるのは食料を運ぶという行為だろう。2キロの重みは世の中の役に立てた善意として記憶に残る。その記憶はまた次の助け合い精神を発揮しようという意識につながっていく。金を払うだけ、ましてやコンビニの端末や銀行引き落としでの支払いなら、そういった感動は得られない。
マーケティングではよく参加型とか体験という意味のエクスピリエンスというキーワードが重視される。より深く消費者に印象づけようということなのだが、広告だけじゃなくてイベントで商品に触れてもらったりとか、そういうことである。懸賞でハズレのティッシュが送られて来たらムカツクだろうが、ガラガラと福引きを回してのハズレなら、それなりに楽しい。「実体験」にはそれだけのプラス効果がある。
ところが、この参加型マーケティング、言うは易しなんだけれど、実際はとても難しい。イベント現場は盛り上がっても、それが売り上げにつながるような成功例はあまり聞いたことがない。
マーケティングとチャリティでは人々の心理的要件はかなり違うとしても、2キロの食料とチケットを引き替えるというシンプルで、ちょっと大胆な方法に「いろいろなやり方があるものだなあ」とヒントのヒントを感じたようなーーーと本日は控えめな下書きでした。
昨日のニュース番組で紹介されていたのがジーコが主催するチャリティのサッカー試合。チャリティのイベントはたくさんあるけれど、おもしろいと思ったのは、この試合はチケットを買うのではなくて、2キロの食料品と引き替えにチケットをもらうシステムになっている点。
チケット売り場というか事務所のようなところに、自分で米とかパスタとかを持ち込んでチケットをもらっている人々が紹介されていた。「チャリティに、サッカー試合に参加しているんだ」とみんな満足気。その食料は貧しい子供達に分配されるのだという。(リオデジャネイロの1/5の人はスラムに住んでいるらしい)
効率からいえば、このシステムは非合理的だ。人々が食料を買った分のお金を現金でもらい、ジーコがまとめ買いした方が、より多くの食料を買える。配達も食品会社持ちでしてもらえるかもしれない。
しかしチャリティへの参加意識をより喚起できるのは食料を運ぶという行為だろう。2キロの重みは世の中の役に立てた善意として記憶に残る。その記憶はまた次の助け合い精神を発揮しようという意識につながっていく。金を払うだけ、ましてやコンビニの端末や銀行引き落としでの支払いなら、そういった感動は得られない。
マーケティングではよく参加型とか体験という意味のエクスピリエンスというキーワードが重視される。より深く消費者に印象づけようということなのだが、広告だけじゃなくてイベントで商品に触れてもらったりとか、そういうことである。懸賞でハズレのティッシュが送られて来たらムカツクだろうが、ガラガラと福引きを回してのハズレなら、それなりに楽しい。「実体験」にはそれだけのプラス効果がある。
ところが、この参加型マーケティング、言うは易しなんだけれど、実際はとても難しい。イベント現場は盛り上がっても、それが売り上げにつながるような成功例はあまり聞いたことがない。
マーケティングとチャリティでは人々の心理的要件はかなり違うとしても、2キロの食料とチケットを引き替えるというシンプルで、ちょっと大胆な方法に「いろいろなやり方があるものだなあ」とヒントのヒントを感じたようなーーーと本日は控えめな下書きでした。
2007年01月09日
チョット猛進
猪突ではなくチョットだけ猛進してみようかというのが今年の抱負。
今さらですが、皆様新年明けましておめでとうございます。
ニュースによるとニューヨークは22度の気温で人々は半袖。例年は5度程度らしいから、やっぱり異常気象かも。そういえば東京もクリスマスの前くらい(だったとおもう)に20度の日があった。こちらは1日だけだったけれど、12月の20度は生まれて初めて(のはず)。
温暖化はだんだんと進んでいるのだろう。へそ曲がりの私としては寒冷化よりはマシかと楽観的。しかし南極や北極の氷が溶けて土地が水没してしまうような事態は困るので、寒い国の人が暮らしやすく農業生産にもプラスな「ほどよい温暖化」で止まることを初詣で願おうか。
今年もこんな感じで。どうぞよろしく。
今さらですが、皆様新年明けましておめでとうございます。
ニュースによるとニューヨークは22度の気温で人々は半袖。例年は5度程度らしいから、やっぱり異常気象かも。そういえば東京もクリスマスの前くらい(だったとおもう)に20度の日があった。こちらは1日だけだったけれど、12月の20度は生まれて初めて(のはず)。
温暖化はだんだんと進んでいるのだろう。へそ曲がりの私としては寒冷化よりはマシかと楽観的。しかし南極や北極の氷が溶けて土地が水没してしまうような事態は困るので、寒い国の人が暮らしやすく農業生産にもプラスな「ほどよい温暖化」で止まることを初詣で願おうか。
今年もこんな感じで。どうぞよろしく。