2007年05月
2007年05月30日
詫び方
悪人が自殺した。
こういうときはなかなか心中複雑である。
悪人は裁きを受け、刑によって償いをしなければならないのに、逃げやがったという憤りの気持ち。
例えば撃ち殺されて当然と思う凶悪犯もいるけれど、彼の場合はカネをちょろまかしたりカスめた程度の悪人であり、死ぬまでのことはないのにという同情の気持ち。
亡くなったからにはすべて水に流そうという仏教的?な気持ちと、それとこれとは別で死者にむち打っても事件は解明されるべきだという気持ち。
なかなか心中複雑である。
でもまずはご冥福を祈りたい。
しかし「志半ばで、さぞ無念であったでしょう」というようなコメントには釈然としない。それは病で倒れたとかの場合の台詞ではないか。悪人は自ら死を選んだのである。また霊柩車が国会議事堂や農水省の前を回り、多くの議員や役人が見送って、まるで「英雄」扱いだったのも違和感がある。もちろん手厚く弔われるべきだが、彼の自殺は敬意を持って見送られるには値しない。ニュースを見ながら政府の広報部門が動いているなと勘ぐりたくもなった。
遺書には死んで詫びるというようなことが書いてあったらしい。
詫び方というのは難しいものだ。
こういうときはなかなか心中複雑である。
悪人は裁きを受け、刑によって償いをしなければならないのに、逃げやがったという憤りの気持ち。
例えば撃ち殺されて当然と思う凶悪犯もいるけれど、彼の場合はカネをちょろまかしたりカスめた程度の悪人であり、死ぬまでのことはないのにという同情の気持ち。
亡くなったからにはすべて水に流そうという仏教的?な気持ちと、それとこれとは別で死者にむち打っても事件は解明されるべきだという気持ち。
なかなか心中複雑である。
でもまずはご冥福を祈りたい。
しかし「志半ばで、さぞ無念であったでしょう」というようなコメントには釈然としない。それは病で倒れたとかの場合の台詞ではないか。悪人は自ら死を選んだのである。また霊柩車が国会議事堂や農水省の前を回り、多くの議員や役人が見送って、まるで「英雄」扱いだったのも違和感がある。もちろん手厚く弔われるべきだが、彼の自殺は敬意を持って見送られるには値しない。ニュースを見ながら政府の広報部門が動いているなと勘ぐりたくもなった。
遺書には死んで詫びるというようなことが書いてあったらしい。
詫び方というのは難しいものだ。
2007年05月29日
蕎麦の食べ方
昼飯は最近ほとんど蕎麦にしていると以前に書いた。あれから一軒ちょっと旨い店も見つけた。特盛りとか2枚盛りとか頼んでいるのでダイエット効果は微妙とはいえ、とりあえず寒くなるまでは続けようと思っている。
蕎麦通は蕎麦をあまりツユに漬けないという。またそれが粋な食べ方らしいとも子供の頃から何となく知っていた。でも、それが美味しいとは思えなかったので、おそらくほとんどの人と同じように、蕎麦をいったんツユに浸してから食べている。
蕎麦はいろいろビタミンとかが含まれていて健康にいいといわれている。しかしほとんど毎日蕎麦を食べていると、ツユ=醤油=塩分みたいな連想で、そちらの方が気にかかってくる。それで先日、生まれて初めてあまりツユに漬けない食べ方にトライ。
旨かった(^_^)
正確にいうと旨かったというより、蕎麦の味がよくわかって楽しかった。
考えてみれば蕎麦とは繊細で言い換えれば薄い味である。それをツユにドップリ漬けたらツユの味が勝ってしまうのは当たり前。よくグルメガイドなんかで「口に含むと蕎麦の香りがいっぱいに広がりーーー」なんて書いてあって、結構な高級蕎麦屋にも行ったことがあるのにそんな経験はないなあと思っていたけれど、ツユにあまり漬けないで食べると、その意味がよくわかった。
食べ方はちょっとコツがあって、箸ですくった蕎麦をツユのお椀に垂らし半分浸したところで、蕎麦を上(箸のところ)から口の中に吸い込む感じ。当然1回に食べる分量は吸い込める分量だけだから少なめに。
ただし吸い込むからズズズッと大きな音がする。普通に浸して食べるときの倍くらいの音量。日本文化的に麺類はそれでいいとなっていても欧米人はビックリするかも。今度海外クライアントが来たら、蕎麦屋に連れて行こうと企んでいる(^^ゞ
蕎麦通は蕎麦をあまりツユに漬けないという。またそれが粋な食べ方らしいとも子供の頃から何となく知っていた。でも、それが美味しいとは思えなかったので、おそらくほとんどの人と同じように、蕎麦をいったんツユに浸してから食べている。
蕎麦はいろいろビタミンとかが含まれていて健康にいいといわれている。しかしほとんど毎日蕎麦を食べていると、ツユ=醤油=塩分みたいな連想で、そちらの方が気にかかってくる。それで先日、生まれて初めてあまりツユに漬けない食べ方にトライ。
旨かった(^_^)
正確にいうと旨かったというより、蕎麦の味がよくわかって楽しかった。
考えてみれば蕎麦とは繊細で言い換えれば薄い味である。それをツユにドップリ漬けたらツユの味が勝ってしまうのは当たり前。よくグルメガイドなんかで「口に含むと蕎麦の香りがいっぱいに広がりーーー」なんて書いてあって、結構な高級蕎麦屋にも行ったことがあるのにそんな経験はないなあと思っていたけれど、ツユにあまり漬けないで食べると、その意味がよくわかった。
食べ方はちょっとコツがあって、箸ですくった蕎麦をツユのお椀に垂らし半分浸したところで、蕎麦を上(箸のところ)から口の中に吸い込む感じ。当然1回に食べる分量は吸い込める分量だけだから少なめに。
ただし吸い込むからズズズッと大きな音がする。普通に浸して食べるときの倍くらいの音量。日本文化的に麺類はそれでいいとなっていても欧米人はビックリするかも。今度海外クライアントが来たら、蕎麦屋に連れて行こうと企んでいる(^^ゞ
2007年05月23日
家族は競い合わない
時々バイトに来てくれる女優の卵の卵の劇団員をしている女性が、某商品のホームページに出演している。キャンペーン広告で展開されている、様々な職業の女性の1週間をドキュメンタリー風に追いかけて、その商品と結びつけるというショートフィルム。いろいろ事情があるので商品名は書かないでおく。ゴメン。
さて、そのホームページにレストランのプロデューサーのような仕事をしている女性のドキュメンタリーもあった。開店1週間前なのに内装工事は遅れている、従業員のトレーニングは終わっていないドタバタ、ドタバターーーみたいな内容。
彼女はとても厳しく従業員を訓練するのだが、反省会みたいなところで言った言葉が印象的だった。
「私はお店(従業員)というのは家族だと思っている」
「家族は競い合わないでしょ」
「家族は助けあうもの」
日本的経営とされるものの1つに家族的経営といわれるものがある。どんな経営なのか特に定義はないものの、社員を家族のように大切に扱うというようなことを指す場合が多い。それ自体は悪いことではないが、悪しき平等主義つまり能力主義の反対ーーー仕事ができてもできなくても給料に差が出ないとかーーーどちらかというと現在では否定的なニュアンスで使われることが多い。
その社員は家族だという経営者は少なくなっていると思う。そりゃリストラでどんどん解雇するから、とても家族とは呼べない。今までリストラしない方針だった企業がリストラに踏み切ると家族的経営からの脱却ーーーなんて言われたりもする。脱却というのは肯定的評価だ。
さて、どんどんと競争社会である。競争すれば勝ち負けが生まれ格差社会になっていく。それはさておきなぜ競争するのかというと、競争によって進歩・成長するから。みんな平等、1億総中流でやっていける古き良き時代にはもう戻れない。格差は、是正するかどうかは別として、それは競争の結果生まれる必要悪。そして競争を怠れば日本自体が負け組になってしまう。
ーーーだとは思うんだけれど
「競い合わないで助け合う」というのは妙に心に引っかかるフレーズなのである。
労働者はみんな等しく平等という古典的な共産主義は、怠けてがんばらないやつが出てくるという人間性を無視しているから当然成り立たない。助け合うという言葉の響きは美しいが、これも助けるやつと助けられるやつに別れていくはず。つまりは成り立たない。
そんなことはわかっていても、競争と格差是正の中間に何か必要だと感じているから「競い合わないで助け合う」が心に引っかかったのかも知れない。
さて本日は “このへんのところを上手に理論化、コンセプト化して、どちらの政党でも構いませんから「格差是正!」と中身のないキャッチフレーズの変わりにお使い下さい” の下書きでした。
さて、そのホームページにレストランのプロデューサーのような仕事をしている女性のドキュメンタリーもあった。開店1週間前なのに内装工事は遅れている、従業員のトレーニングは終わっていないドタバタ、ドタバターーーみたいな内容。
彼女はとても厳しく従業員を訓練するのだが、反省会みたいなところで言った言葉が印象的だった。
「私はお店(従業員)というのは家族だと思っている」
「家族は競い合わないでしょ」
「家族は助けあうもの」
日本的経営とされるものの1つに家族的経営といわれるものがある。どんな経営なのか特に定義はないものの、社員を家族のように大切に扱うというようなことを指す場合が多い。それ自体は悪いことではないが、悪しき平等主義つまり能力主義の反対ーーー仕事ができてもできなくても給料に差が出ないとかーーーどちらかというと現在では否定的なニュアンスで使われることが多い。
その社員は家族だという経営者は少なくなっていると思う。そりゃリストラでどんどん解雇するから、とても家族とは呼べない。今までリストラしない方針だった企業がリストラに踏み切ると家族的経営からの脱却ーーーなんて言われたりもする。脱却というのは肯定的評価だ。
さて、どんどんと競争社会である。競争すれば勝ち負けが生まれ格差社会になっていく。それはさておきなぜ競争するのかというと、競争によって進歩・成長するから。みんな平等、1億総中流でやっていける古き良き時代にはもう戻れない。格差は、是正するかどうかは別として、それは競争の結果生まれる必要悪。そして競争を怠れば日本自体が負け組になってしまう。
ーーーだとは思うんだけれど
「競い合わないで助け合う」というのは妙に心に引っかかるフレーズなのである。
労働者はみんな等しく平等という古典的な共産主義は、怠けてがんばらないやつが出てくるという人間性を無視しているから当然成り立たない。助け合うという言葉の響きは美しいが、これも助けるやつと助けられるやつに別れていくはず。つまりは成り立たない。
そんなことはわかっていても、競争と格差是正の中間に何か必要だと感じているから「競い合わないで助け合う」が心に引っかかったのかも知れない。
さて本日は “このへんのところを上手に理論化、コンセプト化して、どちらの政党でも構いませんから「格差是正!」と中身のないキャッチフレーズの変わりにお使い下さい” の下書きでした。
2007年05月22日
中間の中間
コンビニの売り上げ(既存店)が10ヶ月連続で前年実績を下回った。コンビニの数が増えコンビニ同士で客を奪い合っていること、また他業態との競争も激しいと報じられている。おごれる平家も久しからずか?
私自身も昨年引っ越してからコンビニに行く機会が極端に減った。理由はきわめて単純で、駅の改札をでたすぐ先に中型規模のスーパーがあって、そこが夜の12時まで開いているから。
ただ、そのスーパーはお弁当やお総菜の類はあまり充実していないというか、夜遅いともう売り切れているし、そもそもあまり美味しくないし、お総菜は揚げ物に偏っている。トッテモ不満。
それで、土曜か日曜のテレビで観たこのnews-chef。詳しくはホームページを見てもらうとして、簡単に言うと「生の素材」が「プラスティック容器」に納められていて、一緒に付いてくるソースや調味料を入れてレンジでチンすれば料理が出来上がるというもの。レンジでチンするレトルト食品はいろいろあるが、この商品は生の素材というのが特色。テレビでは米を炊いてかやくご飯のようなものを作っていた。
食べてみないことには美味しいかどうかわからないが、テレビで見た限りではなかなかよさそう。でもホームページを見てガッカリしたのは、現時点で取扱店は都内で5店舗しかないこと。もし美味しいのなら、駅前のスーパーはお総菜売り場を縮小、いや撤廃してもいいから取り扱って欲しい。
ところで、この商品がおもしろいと思ったのは、
私の食い意地が張っているからではない。
前にも書いた 中食(なかしょく)。この商品もチンするだけだからコンビニ弁当と同じ中食に分類されるんだろうけれど、同じチンでも暖めるのではなくて、素材を調理するチンだから、中食とウチ食の中間のような気がする。そもそも外食とウチ食の中間が中食だったのに、さらにその中間というところがマーケティング的におもしろい。いろいろと応用できる業界や業態はありそうだ。
本日は “無から発想するのは難しいものだが、とりあえず中間とか、中間の中間とかの視点で眺めれば何かひらめくかも” の下書きでした。
私自身も昨年引っ越してからコンビニに行く機会が極端に減った。理由はきわめて単純で、駅の改札をでたすぐ先に中型規模のスーパーがあって、そこが夜の12時まで開いているから。
ただ、そのスーパーはお弁当やお総菜の類はあまり充実していないというか、夜遅いともう売り切れているし、そもそもあまり美味しくないし、お総菜は揚げ物に偏っている。トッテモ不満。
それで、土曜か日曜のテレビで観たこのnews-chef。詳しくはホームページを見てもらうとして、簡単に言うと「生の素材」が「プラスティック容器」に納められていて、一緒に付いてくるソースや調味料を入れてレンジでチンすれば料理が出来上がるというもの。レンジでチンするレトルト食品はいろいろあるが、この商品は生の素材というのが特色。テレビでは米を炊いてかやくご飯のようなものを作っていた。
食べてみないことには美味しいかどうかわからないが、テレビで見た限りではなかなかよさそう。でもホームページを見てガッカリしたのは、現時点で取扱店は都内で5店舗しかないこと。もし美味しいのなら、駅前のスーパーはお総菜売り場を縮小、いや撤廃してもいいから取り扱って欲しい。
ところで、この商品がおもしろいと思ったのは、
私の食い意地が張っているからではない。
前にも書いた 中食(なかしょく)。この商品もチンするだけだからコンビニ弁当と同じ中食に分類されるんだろうけれど、同じチンでも暖めるのではなくて、素材を調理するチンだから、中食とウチ食の中間のような気がする。そもそも外食とウチ食の中間が中食だったのに、さらにその中間というところがマーケティング的におもしろい。いろいろと応用できる業界や業態はありそうだ。
本日は “無から発想するのは難しいものだが、とりあえず中間とか、中間の中間とかの視点で眺めれば何かひらめくかも” の下書きでした。
2007年05月18日
スケジュール調整の見切り
ちょっとだけ昨日の続き。
他人とのスケジュール調整は面倒な作業だ。ところで以前勤務したコンサルティング会社にはユニークな制度があった。
社員には全員A4サイズのダイアリーが支給される。そこに予定を書き込んでスケジュール管理をするわけだけれど、ポイントは他人のダイアリーに勝手に予定を書き込んでいいこと。つまりAさんとBさんと一緒に明日の午後1時に(株)ワッショへ行きたければ、彼らのダイアリーを見て空いていれば、そう書き込む。
そしてAさんとBさんの了承は要らない。原則的に書き込まれた予定は拒否できない。外出はしないが社内で仕事をしたいときは、ダイアリーにその旨を書いておかなければならない。また書き込みは上下の関係なく可能。平社員が社長のスケジュールを押さえることもできた。
外出先でスケジュール調整をするとき、自分のダイアリーがどうなっているかわからないという欠点はあったものの(ダイアリーは常にデスクに置いてなければならない)、相手の都合を構わず社内のスケジュール調整に時間をかけなくていいというメリットのほうが上回っていたと思う。今はパソコンでダイアリーを共有したり、それを外出先から携帯で操作するということもできる。
でも、空いていれば相手の了承なく勝手に書き込んでいいという「見切った」ルールがなければ時間節約にはならないはず。それに連れて行きたい人間を自由に連れていけるというのは社内の活性化にもつながっていたと思う。よかったらお試しを。
他人とのスケジュール調整は面倒な作業だ。ところで以前勤務したコンサルティング会社にはユニークな制度があった。
社員には全員A4サイズのダイアリーが支給される。そこに予定を書き込んでスケジュール管理をするわけだけれど、ポイントは他人のダイアリーに勝手に予定を書き込んでいいこと。つまりAさんとBさんと一緒に明日の午後1時に(株)ワッショへ行きたければ、彼らのダイアリーを見て空いていれば、そう書き込む。
そしてAさんとBさんの了承は要らない。原則的に書き込まれた予定は拒否できない。外出はしないが社内で仕事をしたいときは、ダイアリーにその旨を書いておかなければならない。また書き込みは上下の関係なく可能。平社員が社長のスケジュールを押さえることもできた。
外出先でスケジュール調整をするとき、自分のダイアリーがどうなっているかわからないという欠点はあったものの(ダイアリーは常にデスクに置いてなければならない)、相手の都合を構わず社内のスケジュール調整に時間をかけなくていいというメリットのほうが上回っていたと思う。今はパソコンでダイアリーを共有したり、それを外出先から携帯で操作するということもできる。
でも、空いていれば相手の了承なく勝手に書き込んでいいという「見切った」ルールがなければ時間節約にはならないはず。それに連れて行きたい人間を自由に連れていけるというのは社内の活性化にもつながっていたと思う。よかったらお試しを。
2007年05月17日
今週は第20週
ドイツから来たメールに「日本に行くのは34週以外なら30週から37週にしたい」とあった。ナンノコッチャ?と思って尋ねると、ヨーロッパでは1月1日のある週を第1週とし、その後を順番に数えるらしい。(たまたまヨーロッパから来たメールなので、アメリカや他の地域でもそう数えるかどうかは知らない)
つまり先ほどのメールは「8月20日から26日以外ならば、7月23日から9月16日までの間に日本に来たい」という意味。
ところ変われば文化も変わるけれど、ヨーロッパの人は第34週と聞いて「ああ、8月20日の週ね」とすぐピンと来るのだろうか? ナゾ。とりあえず日本人としてはわかりにくいことこの上ない。
尋ねて理屈はわかったが、日本のカレンダーには第何週なんて書かれていない。ネットで第何週か書かれているカレンダーを探したが、その数え方の名前を聞き忘れたこともあって「週単位 カレンダー」とかいろいろ検索したが見つけられず。あきらめて数えるか、メンドクサーーーと思っていたところ、ふとシステム手帳のダイアリー(手帳の部分のことです)を見ると、第何週か書かれていた。今週は第20週です。
さてシステム手帳。昔は普通の大きさ(バイブルサイズというのかな)のを使っていたが、いま持っているのはいちばん小さいサイズ(1ページが手のひらの半部くらい)のもの。小さいサイズにしたのは、ほとんど使わないから。
ダイアリーも毎年いちおう買うものの、ほとんど書き込んだことはない。仕事でメモをとるときはB5サイズのノートを使っている。システム手帳が活躍するのは、そのノートを忘れたときくらい。使わないからいつもカバンの中にある(^^ゞ そろそろリストラしてもいいのだが、何となく習慣で持っている。
ダイアリーを使わないのならスケジュール管理はパソコンかというと、パソコンも使っていない。基本は頭の中。営業マンじゃないから書き留めないと覚えきれないほどの細かいスケジュールというわけでもない。ちょっと先のスケジュールは卓上カレンダーに書き込む。立て込んだややこしいスケジュールはポストイットに書いてパソコンに貼り付けてある。
ちなみに私のパソコンモニターのポストイット、とりあえずのメモは下側、スケジュール関連は右側、To Do(やること)リストは左側という法則にいつのまにかなった。そしてとっても重要や緊急なことは上側に貼る。外出先でスケジュール調整が必要と予想されるときは、右側に貼ったポストイットをノートに貼り替えて持って行く。
何となくローテクな方法であるが、私の場合、これが最も便利に使える。オフィスにいるときは基本的にパソコンに向かっているから、その「同じ視界の中に」すべての必要な情報があるわけで密かに究極の情報管理術だとも思っている。
欠点はたまにポストイットが剥がれて落ちていること(>_<)
つまり先ほどのメールは「8月20日から26日以外ならば、7月23日から9月16日までの間に日本に来たい」という意味。
ところ変われば文化も変わるけれど、ヨーロッパの人は第34週と聞いて「ああ、8月20日の週ね」とすぐピンと来るのだろうか? ナゾ。とりあえず日本人としてはわかりにくいことこの上ない。
尋ねて理屈はわかったが、日本のカレンダーには第何週なんて書かれていない。ネットで第何週か書かれているカレンダーを探したが、その数え方の名前を聞き忘れたこともあって「週単位 カレンダー」とかいろいろ検索したが見つけられず。あきらめて数えるか、メンドクサーーーと思っていたところ、ふとシステム手帳のダイアリー(手帳の部分のことです)を見ると、第何週か書かれていた。今週は第20週です。
さてシステム手帳。昔は普通の大きさ(バイブルサイズというのかな)のを使っていたが、いま持っているのはいちばん小さいサイズ(1ページが手のひらの半部くらい)のもの。小さいサイズにしたのは、ほとんど使わないから。
ダイアリーも毎年いちおう買うものの、ほとんど書き込んだことはない。仕事でメモをとるときはB5サイズのノートを使っている。システム手帳が活躍するのは、そのノートを忘れたときくらい。使わないからいつもカバンの中にある(^^ゞ そろそろリストラしてもいいのだが、何となく習慣で持っている。
ダイアリーを使わないのならスケジュール管理はパソコンかというと、パソコンも使っていない。基本は頭の中。営業マンじゃないから書き留めないと覚えきれないほどの細かいスケジュールというわけでもない。ちょっと先のスケジュールは卓上カレンダーに書き込む。立て込んだややこしいスケジュールはポストイットに書いてパソコンに貼り付けてある。
ちなみに私のパソコンモニターのポストイット、とりあえずのメモは下側、スケジュール関連は右側、To Do(やること)リストは左側という法則にいつのまにかなった。そしてとっても重要や緊急なことは上側に貼る。外出先でスケジュール調整が必要と予想されるときは、右側に貼ったポストイットをノートに貼り替えて持って行く。
何となくローテクな方法であるが、私の場合、これが最も便利に使える。オフィスにいるときは基本的にパソコンに向かっているから、その「同じ視界の中に」すべての必要な情報があるわけで密かに究極の情報管理術だとも思っている。
欠点はたまにポストイットが剥がれて落ちていること(>_<)
2007年05月16日
ウェッブで検索してね
最近テレビコマーシャルの最後のほうに、検索窓にその商品名が入ってボタンをクリックするというような図柄が流れることが多い。詳しいことはウェッブで検索してねというアピールである。
ちょっと話は横道にずれるが、テレビのコマーシャルを英略語で書いたり話すとき普通はCMという。しかし広告・テレビ業界的にはCFという言葉を使う。さてCMは「コ」「マ」−シャルの略ではなく
CM=コマーシャル メッセージ
CF=コマーシャル フィルム
理屈的にはCMはテレビのコマーシャルだけでなくすべての宣伝を含む。だからテレビコマーシャルに限定するときはCFという。しかしCMで雑誌広告を連想することはないわけで、CFとわざわざ呼ぶのは何となく業界キザっぽいところがあって私は好きじゃない。広告関連の打ち合わせでは、いつもCMと言ってささやかな抵抗をしている。あっ!こんなことを書いて初めて気づいたけれど、ラジオのコマーシャルは別の呼び方があるのだろうか?
さてCMでウエッブで検索してねというアピールがされるようになったのは最近のことだ。そんなことを気にしてテレビを見ているわけではないから正確じゃないかも知れないが、わーっと増えてきたのは数ヶ月前からだと思う。
CMでいちばんコアなメッセージを訴え、後はウエッブでよろしくーーーというのは理論的には正しいように見える。CMは15秒間だから、伝えられる情報量には限界がある。ウエッブでは限界はない。
しかし私は、このウエッブで検索してね方式がうまく機能するかにはちょっと疑問があるというか興味深く観察している。
1)
CMを見ても関心のない人はいくら叫ばれてもウエッブには行かない。つよく関心を持てば言われなくてもウエッブで調べる人も多いだろう。問題は、その中間のちょい関心があって「検索してね」と言われてはじめてウエッブに行く人をどれだけ獲得できるか。
2)
ウエッブに引きずり込んだら商品を買うとは限らない。そこでさらに関心を持ったり納得させなければならない。「検索してね」とCMしている商品のホームページをいくつかいってみたが、トホホな内容のところも少なくなかった。
3)
そもそも情報が多ければ多いほど、商品を買いたくなると考えるのは間違っている。商品内容にもよるが、消費者はほとんどの商品をそれほど深く検討して購入するわけではない。トホホなホームページは情報過多な場合も多い。CM連動型のホームページのあり方は大きな課題だ。
4)
上にも関連して「後はウエッブで検索してね」だとCMのクリエイティビティが下がらないか心配である。15秒で売ることに知恵を絞りに絞ってCMは発展してきた。それでなくても出来のいいCMが少なくなっているのに。
最近マーケティング・ネタが少ないとお叱りを受けることも多いので、
久しぶりにそれっぽい話を。
ちょっと話は横道にずれるが、テレビのコマーシャルを英略語で書いたり話すとき普通はCMという。しかし広告・テレビ業界的にはCFという言葉を使う。さてCMは「コ」「マ」−シャルの略ではなく
CM=コマーシャル メッセージ
CF=コマーシャル フィルム
理屈的にはCMはテレビのコマーシャルだけでなくすべての宣伝を含む。だからテレビコマーシャルに限定するときはCFという。しかしCMで雑誌広告を連想することはないわけで、CFとわざわざ呼ぶのは何となく業界キザっぽいところがあって私は好きじゃない。広告関連の打ち合わせでは、いつもCMと言ってささやかな抵抗をしている。あっ!こんなことを書いて初めて気づいたけれど、ラジオのコマーシャルは別の呼び方があるのだろうか?
さてCMでウエッブで検索してねというアピールがされるようになったのは最近のことだ。そんなことを気にしてテレビを見ているわけではないから正確じゃないかも知れないが、わーっと増えてきたのは数ヶ月前からだと思う。
CMでいちばんコアなメッセージを訴え、後はウエッブでよろしくーーーというのは理論的には正しいように見える。CMは15秒間だから、伝えられる情報量には限界がある。ウエッブでは限界はない。
しかし私は、このウエッブで検索してね方式がうまく機能するかにはちょっと疑問があるというか興味深く観察している。
1)
CMを見ても関心のない人はいくら叫ばれてもウエッブには行かない。つよく関心を持てば言われなくてもウエッブで調べる人も多いだろう。問題は、その中間のちょい関心があって「検索してね」と言われてはじめてウエッブに行く人をどれだけ獲得できるか。
2)
ウエッブに引きずり込んだら商品を買うとは限らない。そこでさらに関心を持ったり納得させなければならない。「検索してね」とCMしている商品のホームページをいくつかいってみたが、トホホな内容のところも少なくなかった。
3)
そもそも情報が多ければ多いほど、商品を買いたくなると考えるのは間違っている。商品内容にもよるが、消費者はほとんどの商品をそれほど深く検討して購入するわけではない。トホホなホームページは情報過多な場合も多い。CM連動型のホームページのあり方は大きな課題だ。
4)
上にも関連して「後はウエッブで検索してね」だとCMのクリエイティビティが下がらないか心配である。15秒で売ることに知恵を絞りに絞ってCMは発展してきた。それでなくても出来のいいCMが少なくなっているのに。
最近マーケティング・ネタが少ないとお叱りを受けることも多いので、
久しぶりにそれっぽい話を。
2007年05月14日
ソニータイマー
ソニータイマーというのは、ソニーの製品は保証期間が過ぎた頃によく壊れるーーー>ソニーはその高度な開発テクノロジーを駆使して、まるでタイマーをセットするがごとく、保証期間が過ぎた頃に壊れるように製品を設計・加工しているーーーという噂話。
そんな設計をしているはずもないのだが、私もソニーの製品はあまり耐久性が高くないイメージを持っている。ウオークマンとかもよく壊れた。といっても、私が大学生くらいの時の話だけれど。ブランドイメージって引きずるね。
そういえば 徳大寺有恒という自動車評論家が書いていた「間違いだらけの車選び」という本の初期の頃(この本は今は終刊となったが、たぶん30年近く毎年発刊されていたように思う)、あまりモデルチェンジをしない欧州車と4年でモデルチェンジする国産車を比較して「国産メーカーは4年で陳腐化するデザインをコンピューターで計算している」と書いていたように記憶する。
ソニータイマーも4年で陳腐化するカーデザインも、いってみればユダヤ人が影で世界を支配しているといった妄想と発想は同じ。自分の知らないところで巨大な力が働いていると考える。きっと日本の政治も実は影の総理と裏の総理と謎の老御前ら数名で仕切っていると信じている(^^ゞ
話は戻って、ソニーの製品じゃないが(戻ってないか)自宅のCDプレーヤーが不調で一部の機能が作動しなくなった。購入したのは一昨年の12月。不調になったのは今年の1月。きっちり保証期間を過ぎた13ヶ月目。タイマーじゃぁ〜。
まったく聴けないわけではないので、ズルズルとそのままにしていたけれど、連休が終わったら購入したビックカメラの修理コーナーに持って行こうと決意。しかし意外と大きくて、用意した手提げの紙袋に入らずクジケル。修理引き取りサービスがないかメーカーに問い合わせようと思っているがグズグズと。あったとしても土日はやっていないかも。
そういえば、あまり家電製品を修理に出した記憶がない。最近はあまり壊れないし。しかしアフターサービスやクレーム処理にはメーカーや販売店の力量があらわれる。そのうちの顛末記お楽しみに。
そんな設計をしているはずもないのだが、私もソニーの製品はあまり耐久性が高くないイメージを持っている。ウオークマンとかもよく壊れた。といっても、私が大学生くらいの時の話だけれど。ブランドイメージって引きずるね。
そういえば 徳大寺有恒という自動車評論家が書いていた「間違いだらけの車選び」という本の初期の頃(この本は今は終刊となったが、たぶん30年近く毎年発刊されていたように思う)、あまりモデルチェンジをしない欧州車と4年でモデルチェンジする国産車を比較して「国産メーカーは4年で陳腐化するデザインをコンピューターで計算している」と書いていたように記憶する。
ソニータイマーも4年で陳腐化するカーデザインも、いってみればユダヤ人が影で世界を支配しているといった妄想と発想は同じ。自分の知らないところで巨大な力が働いていると考える。きっと日本の政治も実は影の総理と裏の総理と謎の老御前ら数名で仕切っていると信じている(^^ゞ
話は戻って、ソニーの製品じゃないが(戻ってないか)自宅のCDプレーヤーが不調で一部の機能が作動しなくなった。購入したのは一昨年の12月。不調になったのは今年の1月。きっちり保証期間を過ぎた13ヶ月目。タイマーじゃぁ〜。
まったく聴けないわけではないので、ズルズルとそのままにしていたけれど、連休が終わったら購入したビックカメラの修理コーナーに持って行こうと決意。しかし意外と大きくて、用意した手提げの紙袋に入らずクジケル。修理引き取りサービスがないかメーカーに問い合わせようと思っているがグズグズと。あったとしても土日はやっていないかも。
そういえば、あまり家電製品を修理に出した記憶がない。最近はあまり壊れないし。しかしアフターサービスやクレーム処理にはメーカーや販売店の力量があらわれる。そのうちの顛末記お楽しみに。
2007年05月11日
ドコモ 2.0
ドコモが「そろそろ反撃していいですか?」と挑発的なコピーでの広告を始めている。
依然50%以上のシェアを持つ王者ドコモだけれど、番号ポータビリティー制では7ヶ月連続で転出が転入を上回り「1人負け」とも揶揄されている。反撃しますというのは、裏返せば、今まで負けていたことを認めることでもあり、ずいぶん思い切ったコピーでもある。
「そろそろ反撃していいですか?」のコピーの下にはドコモ 2.0と書かれている。これはウエッブ2.0というIT系マーケティングの用語をもじったもの。
ウエッブ2.0とは、会社案内がホームページに置き換わっただけのような、すなわち一方通行な情報発信の時代(ウエッブ1.0)から、例えばブログや各種の書き込み掲示板のように参加者主体というか相互の情報発信の形態に変わってきたことを指す。1.0とか2.0というのはソフトウエアのバージョンアップになぞらえたものだろう。
マーケティングやコンサルティングの業界はキーワードをぶちあげて、それを一人歩きさせて騒ぎ立て、稼ぎの種にする傾向があるが、ウエッブ2.0はここ1年くらいその先頭を走っているキーワードの1つ。
さて、ドコモ 2.0の正体は1台の携帯に2つの電話番号を持てるのと、その2つめの料金がソフトバンクのホワイトプランより安いというのがメインらしい。その評価はさておいておいて、この時期に2.0という言葉を使うのはいいセンスだ。
携帯電話が好きな&デジタルやITが好きなオタク系な消費者なら、今この言葉は旬である。半年前なら理解できる人数が少なすぎただろう。半年先ならマーケティングキーワードの宿命で、もうすたれているかもしれない。消費者全体で考えれば2.0の意味を理解できる人は限られるが、2というのは1(最初)の次のイメージがあるので、ドコモの宣伝量をもってすれば、多くの人に「新しい」というイメージは伝わるはずだ(これが3.0や4.0では難しい)。最初に書いたように負けを認めたことも、余裕すら感じさせる。
1.0から2.0へ大きなバージョンアップという視点で、自分やビジネスを振り返ってみるのもいいかもしれない。私は普通のサラリーマンを辞めて、この仕事を始めた時点でwassho 2.0になったと思っているが、それはずいぶん大昔。とっくに3.0になっていなければいけないのにソレガナカナカ。努力を重ねれば2.1、2.2−−−とコンマ以下のマイナーチェンジはできるかも知れないけれど、1の位を動かすには、それ相当に改革しないと。皆さんも死ぬまでに5.0を目指しましょう!
依然50%以上のシェアを持つ王者ドコモだけれど、番号ポータビリティー制では7ヶ月連続で転出が転入を上回り「1人負け」とも揶揄されている。反撃しますというのは、裏返せば、今まで負けていたことを認めることでもあり、ずいぶん思い切ったコピーでもある。
「そろそろ反撃していいですか?」のコピーの下にはドコモ 2.0と書かれている。これはウエッブ2.0というIT系マーケティングの用語をもじったもの。
ウエッブ2.0とは、会社案内がホームページに置き換わっただけのような、すなわち一方通行な情報発信の時代(ウエッブ1.0)から、例えばブログや各種の書き込み掲示板のように参加者主体というか相互の情報発信の形態に変わってきたことを指す。1.0とか2.0というのはソフトウエアのバージョンアップになぞらえたものだろう。
マーケティングやコンサルティングの業界はキーワードをぶちあげて、それを一人歩きさせて騒ぎ立て、稼ぎの種にする傾向があるが、ウエッブ2.0はここ1年くらいその先頭を走っているキーワードの1つ。
さて、ドコモ 2.0の正体は1台の携帯に2つの電話番号を持てるのと、その2つめの料金がソフトバンクのホワイトプランより安いというのがメインらしい。その評価はさておいておいて、この時期に2.0という言葉を使うのはいいセンスだ。
携帯電話が好きな&デジタルやITが好きなオタク系な消費者なら、今この言葉は旬である。半年前なら理解できる人数が少なすぎただろう。半年先ならマーケティングキーワードの宿命で、もうすたれているかもしれない。消費者全体で考えれば2.0の意味を理解できる人は限られるが、2というのは1(最初)の次のイメージがあるので、ドコモの宣伝量をもってすれば、多くの人に「新しい」というイメージは伝わるはずだ(これが3.0や4.0では難しい)。最初に書いたように負けを認めたことも、余裕すら感じさせる。
1.0から2.0へ大きなバージョンアップという視点で、自分やビジネスを振り返ってみるのもいいかもしれない。私は普通のサラリーマンを辞めて、この仕事を始めた時点でwassho 2.0になったと思っているが、それはずいぶん大昔。とっくに3.0になっていなければいけないのにソレガナカナカ。努力を重ねれば2.1、2.2−−−とコンマ以下のマイナーチェンジはできるかも知れないけれど、1の位を動かすには、それ相当に改革しないと。皆さんも死ぬまでに5.0を目指しましょう!
2007年05月10日
がんばって【る】ね
「いってきま〜す」とか「いただきま〜す/ごちそうさま」などは、そういう挨拶をする文化が英語にないので直訳はできない。「よろしくお願いします」とか「そこをなんとか」とかというのもよく使う表現だけれど、英語にするのは難しい。似たような例としては「がんばる」もそうだ。
例えば球場で選手をガンバレー!と応援するようなときはbreak a leg!とかいうらしい。直訳すると「足を折れ!(骨折)」。日本語的には「死ぬ気でガンバレ」というようなニュアンスなのかな?
さて、がんばるとか、がんばろうとかは、日常的によく使う言葉である。本当にがんばるときにも使うし、特に深い意味はなく挨拶的な言葉としても使われる。とにかく日本人はがんばるという表現が好きである。
ところで、誰かにがんばってもらいたいとき
「がんばってね」と声をかけるのと「がんばってるね」と声をかけるのでは「る」1文字の有る無しだけど、ニュアンス的に違いは大きい。心理学っぽくいえば
「がんばってね」ーー>期待の表明
「がんばってるね」ー>承認 〃
もし、その人ががんばっているのなら「がんばってるね」と声をかけるのが正しい。人間は誰しも認められたいという心理的欲求がある。それでさらにがんばれる。言い方にもよるけれど、がんばっている人に「がんばってね」というのは、努力を否定されたと受け止められたり、過剰なプレッシャーを与える場合もある。
お願い上手は、ほめ上手。
例えば球場で選手をガンバレー!と応援するようなときはbreak a leg!とかいうらしい。直訳すると「足を折れ!(骨折)」。日本語的には「死ぬ気でガンバレ」というようなニュアンスなのかな?
さて、がんばるとか、がんばろうとかは、日常的によく使う言葉である。本当にがんばるときにも使うし、特に深い意味はなく挨拶的な言葉としても使われる。とにかく日本人はがんばるという表現が好きである。
ところで、誰かにがんばってもらいたいとき
「がんばってね」と声をかけるのと「がんばってるね」と声をかけるのでは「る」1文字の有る無しだけど、ニュアンス的に違いは大きい。心理学っぽくいえば
「がんばってね」ーー>期待の表明
「がんばってるね」ー>承認 〃
もし、その人ががんばっているのなら「がんばってるね」と声をかけるのが正しい。人間は誰しも認められたいという心理的欲求がある。それでさらにがんばれる。言い方にもよるけれど、がんばっている人に「がんばってね」というのは、努力を否定されたと受け止められたり、過剰なプレッシャーを与える場合もある。
お願い上手は、ほめ上手。
2007年05月09日
並べただけじゃ
一時ほどコンテンツ!コンテンツ!と念仏のようにはいわれなくなったものの、ITビジネス、その中でもホームページに来てもらって成り立つタイプのビジネスでは、そのコンテンツが最重要であることに変わりはない。
コンテンツとは直訳すれば中身とか内容という意味。内容が大事なのは昔から当たり前だけれど、IT時代になってコンテンツと呼び名も「昇格」し、ことさら重視されるようになったのは、雑誌や新聞を発刊するのと較べて、器(ホームページ)を作ることが飛躍的に簡単になったからだろう。器はできても、見せるものがなければーーーである。
ちょっと前の話になるが、ずいぶんとITカブレした会議に出席した。
いわく「当社のビジネスモデルはーーー云々」。言っている本人も聞いている人たちも、おそらく曖昧にしか理解していない業界用語てんこ盛り。
そして「当社が資本参加している、あるいは提携している企業から、これだけのコンテンツの供給を受けることが可能です」。
山ほどリストアップされたそれらのコンテンツは玉石混淆ではあったが、筋のいいものも少なくなかった。
でも、情報があるだけじゃコンテンツじゃないんだよなあ〜。
たとえば写真と記事を集めただけじゃ雑誌はできない。編集のテーマやポリシー、それと全体として構成を作り上げる編集力が不可欠。(20歳前後の女性が読むファッション雑誌に喪服の情報は要らないよね) もちろんインパクトを感じたり興味を誘うようなレイアウトも必要。
たとえば商品をただ並べただけじゃ売り場にはならない。
そういうお店も多いが絶対に流行らない。
個々のコンテンツを取捨選択したり、編集やレイアウトするのは業界用語っぽくいえばプロデュースする能力である。ゼロからコンテンツを生み出す方が絶対的には難易度が高いと思うが、プロデュースには最後を詰めるというまた違った難しさがある。
本日は “細かく観察すればなかなかいいものを持っているのに、イマイチパッとしないあなた。セルフプロデュースしてる?” の下書きでした。
あなたを自分と読み替えて私も反省(^^ゞ
コンテンツとは直訳すれば中身とか内容という意味。内容が大事なのは昔から当たり前だけれど、IT時代になってコンテンツと呼び名も「昇格」し、ことさら重視されるようになったのは、雑誌や新聞を発刊するのと較べて、器(ホームページ)を作ることが飛躍的に簡単になったからだろう。器はできても、見せるものがなければーーーである。
ちょっと前の話になるが、ずいぶんとITカブレした会議に出席した。
いわく「当社のビジネスモデルはーーー云々」。言っている本人も聞いている人たちも、おそらく曖昧にしか理解していない業界用語てんこ盛り。
そして「当社が資本参加している、あるいは提携している企業から、これだけのコンテンツの供給を受けることが可能です」。
山ほどリストアップされたそれらのコンテンツは玉石混淆ではあったが、筋のいいものも少なくなかった。
でも、情報があるだけじゃコンテンツじゃないんだよなあ〜。
たとえば写真と記事を集めただけじゃ雑誌はできない。編集のテーマやポリシー、それと全体として構成を作り上げる編集力が不可欠。(20歳前後の女性が読むファッション雑誌に喪服の情報は要らないよね) もちろんインパクトを感じたり興味を誘うようなレイアウトも必要。
たとえば商品をただ並べただけじゃ売り場にはならない。
そういうお店も多いが絶対に流行らない。
個々のコンテンツを取捨選択したり、編集やレイアウトするのは業界用語っぽくいえばプロデュースする能力である。ゼロからコンテンツを生み出す方が絶対的には難易度が高いと思うが、プロデュースには最後を詰めるというまた違った難しさがある。
本日は “細かく観察すればなかなかいいものを持っているのに、イマイチパッとしないあなた。セルフプロデュースしてる?” の下書きでした。
あなたを自分と読み替えて私も反省(^^ゞ
2007年05月08日
リカちゃんとホットペッパー
電車の中吊り(天井からぶら下がっているやつです)で見つけて、思わずじっくり観察してしまった広告。ホットペッパー・ビューティー。
ホットペッパーというのは全国展開しているかどうか知らないが、飲食店の割引クーポン満載のフリーペーパー。飲み食いする店はホットペッパーに載っているところから選ぶ、というより載っている(=割引される)ところしか行かないという人を何人か知っている。
そのホットペッパーの美容室版がホットペッパー・ビューティーらしい。そして最近始まったこの美容室版はリカちゃん人形とタイアップして広告をしている。
とりあえず、 ここクリックして。
ちょっとリカちゃんの顔が小さくてわかりづらいけれど、ここにいる10人のリカちゃん、顔は同じで髪型が違うだけなのに、顔まで違って見えない?
実は最初中吊りを見たとき、見たというより視界の中にあった程度だけれど、10タイプの人形だと思っていた。それが何かの拍子に「あっ、髪型が違うだけだ!」と気づいたというわけ。
エッ? それがどうしたって? イヤ、別に(^^ゞ 髪型だけでこれだけ印象が違うのかと新鮮だっただけで。
エッ? 今日はそれだけかって? ハイ、基本的に(^^ゞ
ヘアスタイルの違うリカちゃん人形を見ると、それぞれ別人のように見えるのに、生身の人間の女性で、いわゆるギャル系で、もう少し正確に言うとアホギャル系のオネエチャンを見ると、みんな同じ顔に見えるのはなぜだろう。
ホットペッパーというのは全国展開しているかどうか知らないが、飲食店の割引クーポン満載のフリーペーパー。飲み食いする店はホットペッパーに載っているところから選ぶ、というより載っている(=割引される)ところしか行かないという人を何人か知っている。
そのホットペッパーの美容室版がホットペッパー・ビューティーらしい。そして最近始まったこの美容室版はリカちゃん人形とタイアップして広告をしている。
とりあえず、 ここクリックして。
ちょっとリカちゃんの顔が小さくてわかりづらいけれど、ここにいる10人のリカちゃん、顔は同じで髪型が違うだけなのに、顔まで違って見えない?
実は最初中吊りを見たとき、見たというより視界の中にあった程度だけれど、10タイプの人形だと思っていた。それが何かの拍子に「あっ、髪型が違うだけだ!」と気づいたというわけ。
エッ? それがどうしたって? イヤ、別に(^^ゞ 髪型だけでこれだけ印象が違うのかと新鮮だっただけで。
エッ? 今日はそれだけかって? ハイ、基本的に(^^ゞ
ヘアスタイルの違うリカちゃん人形を見ると、それぞれ別人のように見えるのに、生身の人間の女性で、いわゆるギャル系で、もう少し正確に言うとアホギャル系のオネエチャンを見ると、みんな同じ顔に見えるのはなぜだろう。
2007年05月07日
連休明けですね
最近、自宅の近くでよく猫が鳴いている。ニャーニャーではなく、とても大きく攻撃的な鳴き声で、人間の赤ん坊の(化け物の)ような声にも聞こえなくない。あれが「サカリがついている」という状態なのか? 気のせいか深夜と明け方、睡眠を妨害するタイミングで鳴き叫んでいるように思える。本日も夜明けと同時に始まったので、とっても眠たい(-。-)
連休中にジョギングは2回走ったし、ちょっと長めの散歩にも出かけた。部屋の掃除は途中でくじけたものの、それでも久しぶりに床でゴロゴロできる程度には片付いた。例年よりはダラダラしなかった連休だった気がする。
実は連休初日は私の誕生日。4月28日生まれで最も有名人だったサダム・フセインは今年の誕生日を迎えられなかったけれど、私と同じ誕生日の1/365の人類の皆さん、遅ればせながらハッピーバースデイ TO US。ヨイ子で過ごして来年も祝いましょう。
ゴールデンウイークは日本の習慣だと思っていたら中国にもあるらしい。元共産主義(といってもいいような気もする)の国らしく、5月1日のメイデーを祝い、その後の1週間が連休。日本と同じように黄金週間と呼ぶ。連休中にタイの会社にメールしたら「5月7日までパブリックホリデーです」という自動返信のメールが戻ってきた。タイもゴールデンウイークなのかなあ?
連休&猫ボケで頭が回っていないので、とりあえず本日はこの辺で。連休明けには休みが必要だぁーーーというのはずいぶん前から使っている私の持ちネタです(^^ゞ
ネタと書いて思いだしたのは横山ノック氏死去。そのうち復活して関西芸人らしく、セクハラ自虐ネタで笑わせてくれると思っていたんだけれど。植木等も逝ったし寂しいね。セクハラしてなきゃ東国原知事と組んで史上初めての知事漫才も見れたはずなのに残念。合掌Ω\ζ゜)チーン
連休中にジョギングは2回走ったし、ちょっと長めの散歩にも出かけた。部屋の掃除は途中でくじけたものの、それでも久しぶりに床でゴロゴロできる程度には片付いた。例年よりはダラダラしなかった連休だった気がする。
実は連休初日は私の誕生日。4月28日生まれで最も有名人だったサダム・フセインは今年の誕生日を迎えられなかったけれど、私と同じ誕生日の1/365の人類の皆さん、遅ればせながらハッピーバースデイ TO US。ヨイ子で過ごして来年も祝いましょう。
ゴールデンウイークは日本の習慣だと思っていたら中国にもあるらしい。元共産主義(といってもいいような気もする)の国らしく、5月1日のメイデーを祝い、その後の1週間が連休。日本と同じように黄金週間と呼ぶ。連休中にタイの会社にメールしたら「5月7日までパブリックホリデーです」という自動返信のメールが戻ってきた。タイもゴールデンウイークなのかなあ?
連休&猫ボケで頭が回っていないので、とりあえず本日はこの辺で。連休明けには休みが必要だぁーーーというのはずいぶん前から使っている私の持ちネタです(^^ゞ
ネタと書いて思いだしたのは横山ノック氏死去。そのうち復活して関西芸人らしく、セクハラ自虐ネタで笑わせてくれると思っていたんだけれど。植木等も逝ったし寂しいね。セクハラしてなきゃ東国原知事と組んで史上初めての知事漫才も見れたはずなのに残念。合掌Ω\ζ゜)チーン