2008年04月

2008年04月30日

アインシュタイン越え

669e5f33.jpg子供の頃から何年かに一度、頭をもたげかけてくる疑問。


<その1>
鉄パイプのような長い棒があるとする。
一方の端(はし)を5センチ押したとする。
当たり前だけれど、もう一方の端も5センチ動く。


世の中で一番長い鉄パイプは何メーターあるのか知らないが、長ければたわんでしまう。さらに長ければ自分の重みに耐えきれず折れてしまうはず。


そこで無重力の宇宙空間。
そこにとてつもなく長い鉄パイプがあるとする。
とりあえず長さは10光年としようか。
ちなみに1光年とは光が1年間に進む距離。1秒間に進む距離が約30万キロで「地球を7回半回る」計算だから、とにかくとてつもなく長い鉄パイプ。でも無重力空間にあるからたわんだりはしない(こととする)。


この宇宙鉄パイプの端を5センチ押せば、10光年先にあるもう一方の端も5センチ動くんだろうか? 端と端が動くんじゃなくて物体が移動するわけだから、動いて当たり前なんだけれど、どうも頭にイメージが湧かなくて不思議な気持ちがする。


棒を押したり引いたりしてモールス信号のように合図を送るとする。アインシュタイン(写真)の相対性理論によれば光より早く進むことはできないが、宇宙鉄パイプのモールス信号なら10光年先に瞬時に合図を送ることができる。私はアインシュタインを超えたか(^^ゞ


<その2>
メガホンのような両端で口径の違う筒(つつ)。
90度ひねったとする。
時計でいえば12時にあった印は3時の位置に来る。
位置の移動は同じでも、口径の大きい方が進む距離は長い。つまり速いスピードで移動する。


そこで巨大な宇宙メガホン。
大きい方の直径を40万キロにすれば
40万キロ×3.14÷4=31万キロだから、90度で光が1秒間に進む距離より長くなる。宇宙メガホンの口径の小さい方を持って、クイッと90度ひねれば口径の大きい方は光速より速いスピードで動くはず。やっぱり私はアインシュタインを超えたか(^^ゞ



星の観察をするのが天文学で、宇宙全体ことを考えるのが宇宙物理学なのか、その区別はよく知らないけれど、とにかく最新の科学によれば、この宇宙は140億年ほど前に誕生したらしい。いわゆるビックバン理論。宇宙は無の状態から爆発して生まれたことになっている。「無」というのは空間もなければ時間もない、つまり存在そのものがない状態。去年は1年前であっても141億年前は理論的にあり得ない理屈となっている。


信じられる?
私は無理(^^ゞ


宇宙の歴史に較べれば星の瞬きより短いけれど、
2日前にめでたくハッピーバースデイ to Me。
そろそろ大人にならなければいけない年齢となりました。

wassho at 01:24|PermalinkComments(2) ノンジャンル 

2008年04月25日

チベット・タイミング

もっと先かと思っていたら聖火リレーは明日だそうである。

例の青ジャージ軍団を断ったし、警察は威信をかけた警備体制で臨むと思う。残念ながら平和の祭典のイベントとはかけ離れた聖火リレーになりそうである。さらに本当かどうかわからないけれど、一部の報道によれば在日チベット人とそれを支援するグループが長野に集まるので、それに対抗して中国人の活動家グループも在日中国人を動員して長野に集まり(動員がかかっていることは、その誘いを受けた知り合いの中国人留学生から直接聞いたので事実)、またなぜか右翼団体も反中国活動を予定しているらしい。明日の長野は緊張感のある1日になるかも知れない。


チベットは中国の奥地にあること以外はほとんど知らない。最近はいわなくなったが、昔は「とても田舎だ」とか「すごい秘境だ」ということを「日本のチベットだ」というような表現があったくらいだから、かなり距離感を感じる場所である。私は今でもチベットとモンゴルの区別があまりついていない。


チベット問題は勉強していないが、いわゆる植民地侵略〜少数民族の独立に分類される問題だと思う。でもまあ「田舎のこと」すぎて、それほど注目を浴びていなかったように思う。


それが今回の騒動である。全世界にチベット問題の存在を知らしめるのに成功したと言っていいだろう。チベットで暴動を起こした側は中国のオリンピック開催のタイミングをもちろん狙っていたはず。例え10年前に暴動したくなるくらい抑圧されていたとしても、このタイミングまで我慢したほうがもちろん「世界に与えるインパクト」は圧倒的に強い。10年前の暴動ならニュースで流れても、ありがちな少数民族問題にしかすぎず、世界各地での反中国デモを引き起こすパワーはない。


本日は “人を動かすのには中身だけじゃなくてタイミング” というシマリのない下書きになりそうなんだけれど、“チベット暴動だけじゃニュースにしかならなくても、中国オリンピック直前の暴動なら反中国デモにまで発展するというメカニズムは、何かマーケティングにも活かせそうな原理が潜んでいそうな気がする” の下書きでした。


ところでチベットといえばダライ・ラマ。
チベット仏教の偉いお坊さんで観音菩薩の生まれ変わりとされる。ダライ・ラマが亡くなると、観音菩薩はまた誰かに生まれ変わるから、チベット中を探して、その生まれ変わりを見つけ、新たなダライ・ラマに指名される。現在のダライ・ラマはそうして見つけられた第14世である。生まれ変わりであると信じるかどうかは別として、実に神秘的な存在。


最初に生まれ変わりの話を知った時、子供心にキリストのようなイメージをいだいた。でも初めてダライ・ラマ14世の顔を見たときはビックリした記憶がある。たぶん私と同じイメージを持っている人は多いと思うんだけれど、仏のバチが当たるから黙っているのかなあ?

私は
  「エ〜!、これがダライ・ラマ! どう見たって下町の気前のよさそうな
   オッサンとか、親戚に1人はいそうな世話好きのオッサンにしか
   見えないじゃん」
と思ってしまったのだ(^^ゞ

チベットの皆さんに仏のご加護があらんことを。

wassho at 18:40|PermalinkComments(1) 社会、政治、経済 

2008年04月23日

聖火リレー

全世界的に盛り上がっているようで、聖火リレー(^^ゞ


ニュースで見る世界各国の抗議行動と較べると、日本人は人権とかに鈍感な国なのかなあと思ってしまう。過激な抗議行動のあった国が人権を尊重している、国として抗議の声が大きいとは限らない。ごく一部の活動家の行動がテレビに映っただけかも知れない。しかし違いを感じるのは大臣や首相クラスの政治家の態度。欧米各国では、それなりの発言や行動が見られる。それに較べて日本はという気もする。もっとも我が国の総理は、毎週毎週を乗り切るのに精一杯で、夏のオリンピックのような「遠い将来」のことまで頭が回らないのかも知れない。


長野の善光寺が聖火リレーのスタート地点を辞退した。チベット=仏教=同じ仏教徒としての抗議の意志を示したというより、面倒なことに関わり合いたくないという態度が見え見えである。比叡山も高野山もその他有名寺院も、同じ仏教僧侶への弾圧には無関心である。もっとも日本の仏教は宗教ではなく葬式と法事のイベント産業、有名寺院ならそれプラス観光産業でしかないから期待もしていない。


じゃあ、お前はどうなんだと問われれば、餃子の時に較べればあまり関心を持てないというのが正直なところ。人権意識が希薄な(たぶん大勢の)日本人の1人である。


アメリカは民主主義とか人権とか、彼らが理想とするものを広めるのに熱心というか正義と考えているフシがある。もちろんそれは経済や軍事的な覇権とも表裏一体な行動でもあるかも知れない。「悪い国」だからといって、すぐ攻め込むのには賛成しない。それでも経済としてのつながりしか求めない日本と較べれば、その正義漢ぶりはどこかまぶしい。

本日は “聖火リレーのニュースを見ながら改めて感じる島国根性、でも、だからといってどうこうしたいという気持ちも特におきてこない、やっぱり島国根性” の下書きでした。

wassho at 20:07|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2008年04月21日

実写とCG

日曜日に「ステルス」という映画をテレビで観た。ステルス戦闘機(ステルス=レーダーに映らない最新鋭の戦闘機)3機で編成されるチームに、人工知能が操縦する無人戦闘機が加わる。その人工知能が暴走して勝手に攻撃を始めたりするが、最後はチームに戻り仲間(人間のパイロット)のために敵に突っ込んで犠牲になるというようなストーリー。


ところどころに、あちこちの映画からパクッたシーンがあるのはご愛敬として、そつなくまとまったストーリー。戦闘シーンは迫力満点と書きたいけれどーーー。


ステルスを見ながら「やっぱりトップガンは迫力あったなあ〜」と思い出していた。トップガンも同じくジェット戦闘機が活躍する映画でトム・クルーズの出世作。実は私は戦闘機や潜水艦が出てくる映画が大好き(^^ゞ


ステルスに登場する戦闘機はすべてCG(コンピューターグラフィックス)である。もちろん「あっ!CG]とわかるようなちゃちなCGではない。きわめて精緻で本物そっくり。でもCGだから、あり得ないシーンが連続する。いっぽうトップガンは(観たことのない人はわからないけれど)驚くべきことにすべて実写。ごく一部のシーンを除いて、いわゆる特撮もほとんどなし。


ステルスのCGの出来は悪くない。でもCGだと思ってみるから、トップガンを見たときのような「手に汗握る」興奮は感じない。もちろん本物の戦闘機も、ましてやそれがドッグファイト(戦闘)しているところも見たことはない。つまりCGを見て「やっぱり本物とは違う」と区別できるわけじゃない。私にとってはCGであろうが実写であろうが映像でしか知らない世界。それなのにこの感覚の違いはなぜなんだろうと興味深い。ネタがばれている手品はつまらないということか。


でもまあCGより実写のほうにリアリティを感じる、興奮するというのは健全な気もする。しかしーーー


実写で何かを撮る。カメラと被写体の間には映ってはいないが空気が存在している。そして眼にははっきり感知できないけれど微小に空気が揺らいでいる。高度なCGというのは、この「空気の微小な揺らぎ」や「目に見えないチリ」まで描くらしい。そんなCGを見たいような、そこまでやって欲しくないような。

wassho at 19:59|PermalinkComments(0) 映画、ドラマ、文学 

2008年04月18日

しつこくクルマの音の話(2)

昨日
>さて、クルマの基本性能には差がないのだから、
>用途に合わせたボディタイプ(セダンとかミニバンとか)を決めたあとは、
>デザインやブランドの好みで選んでも大きな失敗はない。

と、うっかり書いてしまったけれど。


実はクルマの「静かさ」には大きな差がある。
街中を走るスピードでは同じクラス(価格帯)の車同士でそれほど差はないが、高速ではかなり違う。仮に試乗してクルマを選ぶとしても、高速で試乗することはなかなかできないからデタトコ勝負になってしまう。一般にセダンより表面積の大きなミニバンのほうがウルサイし、凹凸のあるタイヤをはく四駆タイプはさらにウルサイ。


業界的には100キロで60デジベルの音量なら静かなクルマといわれるが、そんな数字はカタログのどこにも載っていない。それに同じ音量でも音質や、いわゆる「音のこもり具合」によって耳に感じる静かさはかなり違う。またクルマによっては前席は静かでも後席はやたらうるさかったりする。さらに少し窓を開けても静かなクルマと、とたんにうるさくなるクルマがある。


クルマの開発では必ず車内音量を測定する。そこで本日は “クルマメーカーにお願い。60キロと100キロの前席と後席の音量をカタログに載せて。できたら窓を閉めた状態と半分開けた状態で。そして、規制はあまり好きじゃないけれど国交省はそれを義務づけさせて” の下書きでした。


数字を目標とすると、むやみなスペック競争にも陥る反面、必ず技術が進歩するというのが私の考えである。0.1デジベルでも競合他車に負けていたら売り上げに響くからね。音質なんかも指標化できればなおさらよろしい。

クルマの静かさ競争が始まれば、タイヤメーカーもクルマメーカーのプレッシャーを受けて本格的に静かなタイヤの開発に取り得かかるはず。もちろんクルマメーカーは空気の音を小さくする。それは車外騒音=道路の静かさにも貢献するはずである。


おしまい

wassho at 17:19|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2008年04月17日

しつこくクルマの音の話

音の話の前に。

走る、曲がる、止まるというクルマの基本性能については、よほどマニアックなことをいわない限り、今はどのメーカー、どの車種を選ぼうと差はない。100万円のクルマなら100万円なりの、500万円なら500万円なりの基本性能を得ることができる。私が学生の頃は、同じクラスのクルマでも基本性能に多少の差はあった。エンジンはいいけれど足回りがよくないとか、その逆とか、あるいは基本性能は高いのにデザインがイマイチとかーーーそういう意味ではクルマの選び甲斐があった。


どのクルマを選んでも(価格なりに)基本性能に差がなくなったと言い切れるようになったのは15年くらい前からか。それは自動車の進歩であり成熟なのだけれど、選び甲斐がなくなれば、クルマに関心を持つ人も減る。それはどの産業にとっても進化に伴う悩みのタネ。ビックカメラに行くと大型テレビの画質をいろいろ見較べている人が一杯いる。大型テレビの画質はメーカーや方式によってかなり違う。つまり選び甲斐がある。でもブラウン管時代の後半期、人々は売り場でブランド名と値札しか見ていなかったはずである。


選び甲斐の話は、マーケティング的にきわめて重要なテーマなので、いずれじっくり。まあ、そういって書いたためしがないけれど(^^ゞ


さて、クルマの基本性能には差がないのだから、用途に合わせたボディタイプ(セダンとかミニバンとか)を決めたあとは、デザインやブランドの好みで選んでも大きな失敗はない。クルマのリサーチをすると、車内の小物入れやカップホルダーなどがクルマ選びの重要な要素となっていることがわかる。売れるクルマを開発するには優秀なエンジニアだけではなく優秀なインテリアプランナーが必要な時代である。(続く)

wassho at 18:10|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2008年04月15日

水が爆発しました(>_<)

日曜日に、ちょっと春っぽいパスタを作ってみた。


ボンゴレ(アサリ入りパスタ)にタケノコを入れるのが基本アイデアで、彩りに三つ葉とニンジンも入れてみた。もっともタケノコは「水煮の真空パック」だし、同じくアサリも「茹でたアサリの真空パック」だから手間はかかっていない。でも、それなりに旨かったし春っぽい雰囲気もでたので満足。タケノコを生から湯がく気はないけれど、次はアサリを生で買ってきて「砂出し」なるものに挑戦してみようかとも思っている。


意外と知られていないのが、パスタを茹でるときの塩加減。水1リットルに付き塩10グラム。2リットルなら20グラム。エッ!こんなに入れるのと思うくらいたっぷり使う。ゆで加減を確認するためにパスタをかじるとしょっぱいくらい。でも、これくらい塩を入れて初めてパスタはツルツル、シコシコになる。


小麦粉のグルテンという成分が引き締まるのに塩が必要らしい。うどんは作る時に塩を入れているから必要ないけれど、パスタにはほとんど入っていない。まあ論より証拠、塩の分量を量って茹でてみて。なお、この茹で方だとパスタに塩味が付くので、ソースに塩は基本的に使わない。ツルツル、シコシコでおいしいが、難点はタラコ・パスタは諦めなければいけないこと(^^ゞ


沸騰したお湯に塩を入れると、シュワーっと泡が一杯出てさらに激しく沸騰する。これは塩の結晶の中の空気が一気に放出されるため(だったと思う)。だから沸騰しているお湯に塩を入れるときは、吹きこぼれないよう火力を小さくして注意が必要。エッ?水に塩を入れてから沸かせって? おっしゃる通りです。私も次回からそうしたいと思います。なぜかというとーーー


さて春パスタ。アサリを使うんだから、昆布だしでパスタを茹でたら旨いかなと気まぐれで考えた。鍋に水を入れ昆布を放り込んでガスをつける。沸騰したら塩を入れパスタを入れる。吹きこぼれないようにいったん火力を最小に。いつもの手順である。


ところが塩を入れたとたん、まるで爆発したかのように泡が出て吹きこぼれた。一瞬にして吹きこぼれた量は鍋のお湯の半分以上! お湯はキッチンの床まで飛び落ちた。危うく火傷するところだった。


【本日の教訓その1】
理由はわからないものの、沸騰した昆布だしに塩を入れると爆発します。ご注意下さい。


【本日の教訓その2】
結局、昆布だしを作り直して茹でたが、ボンゴレはオリーブオイルにニンニク、鷹の爪なんかを使うので、ゆで汁に使う程度じゃ昆布の風味は感じられず。
意味なかったです(/o\)

wassho at 18:22|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2008年04月14日

日本沈没を観る

マンションの話は、またそのうちにということで。
実はおもしろいネタあります、乞うご期待!


昨日はテレビで日本沈没(映画)をやっていた。
日本沈没の放送日にふさわしく、自宅でちょっとした爆発事件(?)があったので、冒頭の部分は見逃したけれど「こんなん、かなわんなあ〜」と思いつつも、楽しく鑑賞。


超要約すれば、地殻変動によって日本が沈み始める。巨大地震の連続で日本は壊滅状態、富士山まで噴火寸前。でも最後に海底深くに穴を掘って爆薬を爆発させ、その地殻をぶった切って沈むのを止めたというお話し。見逃した冒頭の部分で沈没する仕組みを解説していたので、どれだけリアリティのある設定だったか、演出だったかわからないが、専門家的にはあり得ない話らしい。しかし地震列島に住んでいる日本人としては他人事とは思えないテーマであるのが、この映画(というか原作)の上手なところ。


日本が沈むのだから他国に避難しなければならない。ニュース的に表現すれば難民として受け入れてもらわなければならない。映画でもそのシーンがあって、中国にも避難する。あっそうだ! 餃子やチベットやいろいろあっても、中国とは仲良くしておかなくちゃ(^^ゞ


ところで
地殻変動で日本列島が沈没するというのは、あまり科学的な仮説とはいえないらしいが、天文学の理論によれば、あと50億年ほどで太陽はその寿命を終え、地球を飲み込む以上の大きさに膨張する。50億年先なら人類は別の天体に移住する科学力を持っているかも知れないが、地球そのものは消滅する。宇宙は夢とロマンがあるけれど、何となく無常観も感じてしまうね。持ち家じゃなく賃貸でよかった(^^ゞ


映画の出来は、映画館に行くのではなく、DVDを借りるのではなく、テレビで観るのが正解といっておこう。CGなんかは安っぽくないけれど、肝心の役者の演技が(>_<) しょせんはタレント映画レベル。本日は “そういう根本から変えていかないと日本映画はダメかなと憂いてみる” の下書きでした。

wassho at 17:42|PermalinkComments(0) 映画、ドラマ、文学 

2008年04月11日

舗装工事

昨日、書きながら思いだしていたこと。


玉川通りに面したマンションは、当然、道路の騒音がそれなりにあった。
ある時、そのマンション近辺の玉川通りでは大規模な舗装工事があって、道路すべての舗装が新しくなった。雨水を浸透させるタイプの舗装に張り替えたということであった。工事が終わると今までのアスファルトより、少し黒いアスファルトに変わっていたことを覚えている。


雨水の浸透のことは別として、この工事が終わったあと、道路の騒音がはっきりと少なくなった。感覚的には2割近く静かになった。雨水が浸透するということは、アスファルトがミッチリ詰まっているのではなく、雨水が通る隙間があるのだろうから、ロードノイズも多少はその隙間へ吸収されているのか? 理屈はわからないが、とにかく静かになった。


昨日は

>道路で聞こえるシャーという音はエンジン音ではない。
>タイヤの音か空気の音かは私の耳ではよくわからないけれど、
>空気の音のような気もする。

と書いたけれど、舗装で静かになるということはタイヤの音のほうがうるさいのかも知れない。


もっとも音というのは

   エンジン:5
   タイヤ:6
   空気:7

で音を出していたら、トータルでは18のうるささを感じていても、聞き取れるのは一番大きな空気の音になる。


本日は “クルマメーカーとタイヤメーカーだけでなく舗装工事の会社にも低騒音化推進に加わって下さい” そして “59兆円は無駄な道路ではなく地下鉄と、こっちに回しましょう” の下書きでした。

wassho at 18:59|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2008年04月10日

クルマ&タイヤメーカーと国交省にお願い

あと何回かはマンションネタというか、マンション前振りの話が続きます。


早いもので、そろそろ引っ越して2年になる今のマンション。フローリングが軟らかかったり換気の音がこもったりするけれど、満足度はまあ70点くらいかなあ。欲をいえばキリがなくても、払える家賃にはキリがあるので(^^ゞ、今回は更新することになると思う。


このマンションは目黒通りという幹線道路から数ブロックほど奥まったところにある。目黒通りの騒音は全く聞こえない。夜になると静まりかえったと表現してもいいくらい。前のマンションは目黒通りと同じような幹線道路である玉川通りに面していて、かなりうるさかったので、その点はとても満足している。もっともそのおかげで駅まではちょっと遠いんだけれど。


さてクルマが走る音を擬音語で表現するならブーンとかブォーンとなる。エンジンの音のイメージである。しかし実際道路を走っているクルマからは(信号待ちから発進加速する時を除いて)こんな音はしていない。表現するなら「シャー」という音。


クルマが発生するノイズは大きく分けると3つある。

 エンジン音
 ロードノイズ
 空気を切り裂く音


ロードノイズというのはタイヤが地面と接することで生じる音である。人でいうならコツコツという足音。なぜかタイヤノイズとは呼ばずロードノイズと称される。またクルマが走ると高速で周りの空気を押しのけるから、空気が震えて音が出る。空気の音ってイメージしづらいけれど、手のひらに強く息を吹きかければわかってもらえると思う。クルマが空気を切り裂く音には特に名前がない(と思う)。なお風切り音というのは高速でクルマの周りの気流の一部が乱れて笛のようになる音なので別物。


道路で聞こえるシャーという音はエンジン音ではない。タイヤの音か空気の音かは私の耳ではよくわからないが、空気の音のような気もする。


さて、クルマにはマフラーが付いているし、エンジンの音量には規制がある。大型のトラックやバスはまだまだ改善の余地があるだろうが、今のクルマのエンジン音は充分に静かである。また、そう遠くない将来に電気自動車も普及しそうだけれど、そうなれば無音。


しかし、もうおわかりだと思うがタイヤと空気の音を小さくしなければクルマ騒音はなくならない。そして技術開発的にこの分野はほとんど手つかずだと思う。一部に静粛性を謳う高級タイヤがあるが、それとてメインは車内騒音低減の気がする。空気の音には名前すらない(少なくとも一般に知られていない)。


エンジンの音量や排気ガス二は一定の基準が設けられている。法律でも業界の自主基準でもいいけれど、タイヤの音と空気の音にもそんな基準=低騒音化への目標設定が必要だと思う。本日は “クルマメーカーとタイヤメーカーと国交省の皆さん、その辺のところよく話し合ってね” の下書きでした。静かな環境を少しでも取り戻しましょう。

wassho at 19:02|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2008年04月09日

国際的なマンションに住んでいます?

引っ越したのは6月の末だったけれど、契約したのは5月だったらしく、マンションの賃貸契約更新の案内が届いている。まだ封を切っていないが、もし家賃も上がるという内容だったら、どうやってゴネようか(^^ゞ


家を借りる場合、その契約はきわめて納得がいかない内容である。
地方によって呼び名や内容が違うらしいが、東京の場合、入居するときに

  敷金
  礼金

というお金が必要になる。住宅の場合それぞれ家賃の3ヶ月前後。
敷金というのは法律的にはどう解釈されているのか知らないが、保証金のようなもの。退居するときには返還される。ただしその間、無利息だし、補修費用を差し引かれたりすることもあって、その補修費用のどこまでが入居者の負担とすべきなのかについてモメることも多い。でもまあ、何かを借りるときに保証金を差し入れよというのは納得がいく。


納得がいかないのは礼金である。これは戻ってこない。金を払う側の消費者が、なぜ「礼」をしなければならないのだ。スーパーのレジで客が店員に頭を下げているのを見たことある?


また入居の時には、その物件を紹介した不動産屋に手数料を払う。家賃の1ヶ月分が相場。これは紹介に対する報酬として(金額はともかく仕組みとしては)納得がいく。しかし更新をするとき払わされる更新料(同じく家賃の1ヶ月分)は何の対価なんだ。更新の書類を作る対価? それが家賃の1ヶ月分とはボッタクリもいいところである。一流弁護士に頼んでも、そんな金額にはならない。何よりもその対価は大家が不動産屋に払うべきものであるはず。だいたい契約期間が2年ということすらおかしい。


だんだん腹が立ってきたゾ(^^ゞ


礼金はおそらく、昔、貸家の絶対数が少なく、借りる側が「お礼」をしなければいけなかった頃の風習がそのまま残っているのだと思う。更新料のルーツはよくわからないが、基本は大家の味方である不動産屋の、取りやすいところ(弱いものイジメ)から取ってしまえという考えというかビジネスメカニズムが根底にあると思う。


いわゆる公団の住宅では礼金を取らないし、住宅金融公庫の融資を受けた物件では礼金の受け取りは法律で禁止されている。礼金は法律や行政もグレーだと認めていることになる。そして、たった2年の契約期間や更新料などは地位の乱用も甚だしい。


礼金を取らないと宣伝している大手の不動産会社もあるようだが、こういった不明朗な慣行はなかなかなくならない。こういうときは「外圧」に頼るのが手っ取り早い、これも立派な参入障壁であると。最近、名前を聞かない気もするが通商代表部だったっけ? そこで本日は “アメリカ政府にお願いーーー”と書き始めたんだけれど、ハタと気がついた。


今、アメリカのファンドはけっこう日本の不動産を持っているのである。私のマンションも建て主は日本の不動産会社だったが、満室になるとファンドに売却され、その後また別のファンドに転売された。アメリカの利益になる礼金を「外圧」してくれるかなあ?


本日は “まさか自分んちの大家が外国企業になるなんて思っても見なかった。先進国の中で日本は、海外からの投資がとても少ないらしいけれど、意外なところで感じる経済の国際化” の下書きでした。

wassho at 19:42|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2008年04月07日

断固反対! 白熱電球廃止

【金曜日の毎日新聞の記事】
甘利明経済産業相は5日、地球温暖化防止策の一環として、家庭などで使用される白熱電球を2012年までにすべて、電力消費量の少ない蛍光ランプに入れ替える目標を打ち出した。強制力はなく、国民に広く理解を求めるとともに、産業界に蛍光ランプの性能向上を要請するという。


【今日の時事通信の記事】
経済産業省の北畑隆生事務次官は7日の記者会見で、省エネに優れた電球型蛍光灯の普及拡大を目指すため、白熱電球の生産を2012年までに原則中止するよう電気器具メーカーに要請する方針を明らかにした。同次官は電球型蛍光灯について「白熱電球に比べ価格は高いが、電力消費量は5分の1、寿命は6倍だ」とし、温室効果ガスの排出削減にもつながると強調した。 
(引用はどちらもヤフーニュースより)



省エネの観点からか、あるいは京都議定書の二酸化炭素の排出削減目標(守れそうにないらしいが)に近づくためなら何でも手をつけるーーーのかどうかは知らないけれど、こんなニュースが流れている。


私は蛍光灯が嫌いである。
今のマンションに蛍光灯は1本もない。前のマンションの天井には最初から付いていた蛍光灯があったが、ほとんど使っていなかった。


私の場合、蛍光灯は眼も気分も疲れる。


目が疲れるのは電球と蛍光灯では発光の仕組みが違うから。電球はフィラメントに電気が流れて光る。ちょっと強引だがフィラメントは赤く燃える松明(タイマツ)みたいなもの。豆電球を思い出せば、表現はおかしいけれど具体的に光っている。一方、蛍光灯は、蛍光灯の中で電気を放電させ、それで紫外線を発生させ、その紫外線が蛍光灯の内側に塗られた蛍光物質に反応して光る。


まあ、発光の仕組みはどうでもいい。問題は、その仕組みによって発光される光の波長。目に見える光の波長は短い方が紫、長いのが赤。それより短かったり長ければ目に見えないので、紫外線とか赤外線など「外」という名前が付く。紫と赤の間は、いわゆる虹のような色に分類される。

詳しい理屈は知らないが、電球はまんべんなく幅広い波長の光を出す。蛍光灯は特定の波長の光しか出さない。同じ波長の光をずっと眼に受ける=そんなことは自然光ではあり得ないから、目が疲れるのだと私は思っている。(電球色の蛍光灯も、色が違うだけで原理は同じ) 

さらに蛍光灯は放電なので交流の周波数にしたがって点滅している。東日本なら50ヘルツ、つまり1秒間に100回の点滅を繰り返している。古くなった蛍光灯がチカチカするのは、きちんと放電できなくて点滅間隔が長くなるから。1秒間に100回の点滅なら目には見えないけれど、眼には負担になっていると思う。


気分的に疲れるかどうかは人によって違うかも知れない。
ちょうどいいページを見つけたので、まずはこちらの写真を見て。

暖かく陰影のある電球の照明。明るくても冷たく単調な蛍光灯の照明。好みの問題ではあるが、私は夜は電球の照明でくつろぎたい。仕事をするなら蛍光灯をつけるけれど。


省エネや温暖化防止は大事である。
しかし、ただでさえパソコンで目が疲れるのに、そして夜のくつろぎを奪うような方法論には反対である。経済産業省の方針は生活哲学のない、消費電力のデータだけを取り上げた単なるスタンドプレーとも思う。もし我が国で電球が禁止されれば、私は外国に移住しなければならない。2012年までに政権は3〜4回交代しているだろうから(^^ゞ、このプランが立ち消えになっていますように。

wassho at 19:33|PermalinkComments(1) ノンジャンル 

2008年04月03日

値上げはウレシイ?

1日からガソリン価格は下がったが、さまざまなものが一斉に値上がった。
とっくに食料品の値上げが大きく取り上げられ、家計に打撃と報じられている。


でも、私としては全然平気である。

エッ? 最近、儲かっているのかって?
イヤ、たいして(^^ゞ


全国千ウン百万人のメタボ同志諸君!
この値上げを機にダイエットに励もう!!
値上げされた分だけ、痩せようではありませんか!!!


人生、何事も前向きにとらえることが大事で(^^ゞ



前にも書いたように原油をはじめとした天然資源や農産物など「(地面から採れる)資源高」な物価情勢である。14億人の人口を抱える中国が経済発展著しく需要を押し上げている。それに輪を掛けて商品マーケットが投機的な動きで価格をつり上げる。経済学は専門外だけれど、大局的にはそういう背景だと理解している。


中国だけじゃなくインド(人口12億人)やロシア(1.5億人)なども経済的には元気だ。つまり、今までちょっと貧しかった人口の多い国が豊になる過程で、資源需要が飛躍的に増える。資源高=「資源需要増大×商品マーケット投機」の仮説が正しいとして、前者と後者の比率はよくわからないから不確定だけれど、向こう10年くらい資源の価格はハイピッチで上がり続けるような気がする。


25年前の体型に戻れるかも(^^ゞ

wassho at 19:46|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2008年04月01日

混乱するという言い訳

昔は毎週観ていた気もするが、NHKの大河ドラマはもう20年くらい観ていない。今年、どんな放送をしているのかもよく知らない。たまたま、テレビがついている程度のことはあるけれど。


連続ドラマというのは、各回単独でもおもしろくなければいけないし、全体を通してまとまっていなければならないから、しかも大河ドラマは1年続くのだから、脚本家はたいへんだろうなと思う。ビジネスやマーケティングでは、個別と全体や、短期と長期なんかで相反する要素を持つことが多いから、脚本制作の手法に何か学ぶことがあるかも知れない。誰か学んで、かいつまんで教えて(^^ゞ


何年か前に、たまたまNHKがついていたときに大河ドラマの時間だった。時代は鎌倉幕府後半。武家屋敷の板張り座敷のようなところで、幕府の面々が話し合っている。今でいうなら閣議みたいな場面。敵が攻めてきたか、誰かが謀反を起こしたか、内容はすっかり忘れてしまったけれど、政権末期的状況でドタバタとその閣議は紛糾している。そして誰かが提案をする。画期的だが前例のない意見だったように思う。当然、守旧派的なメンバーが反対する。そんなことをしたら混乱を招くーーーと。その時、渡部篤郎(役柄は忘れました)が立ち上がって叫ぶ。


   「鎌倉はとっくに混乱しておるわ!!」


このセリフをなぜ覚えているのか、自分でもよくわからない。守旧派の建前的な意見に対して、真理を突いた反論だったからか。混乱を招くという大義名分がいかに空虚で保身的な態度であるかをズバッと指摘した切れ味があった。


暫定税率が切れて、今日から値下げに踏み切ったガソリンスタンドもあるらしい。暫定税率が切れる前、「野党が参議院で暫定税率を廃止にしても、1ヶ月後に衆議院で与党はまた再議決する、つまりガソリンの価格はいったん下がっても、またすぐに上がる、そんなことをすれば大混乱になる」という意見が与党側からよく聞かれた。


本日は “25円程下がる、25円ほど上がる。その程度のことで混乱なんかしないさ” の下書きでした。キュウリなんかもっと(^^ゞ

wassho at 17:19|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済