2008年06月

2008年06月23日

戦場のピアニスト

数年前の映画。確かカンヌで賞も取ったはず。
特に理由はなく何気なくDVDを借りた。
戦火に耐え、演奏を続けるピアニストの感動できるストーリーかと思って借りたのに、これが大違い(>_<)


舞台は第二次世界大戦、ナチス占領下のポーランド・ワルシャワ。主人公のシュピルマンというピアニストはユダヤ人。平たくいえば、ユダヤ人がナチス・ドイツ人に差別され迫害されるストーリーである。実は、この映画は別に主人公が印刷工でも運転手でも成り立つ。ピアニストであるのはストーリー的に、それほど重要な意味は持っていない。


とにかく差別・迫害のすごさに観ていて気分が悪くなってくる。ある日、ワルシャワに住むユダヤ人には、ユダヤ人居住区(ゲットー)へ強制的に引っ越す命令が下される。またユダヤ人には「一目でユダヤ人とわかる紋章を腕につける」ことも命令される。街中ではドイツ兵に何かと因縁をつけられ、殴られたり嫌がらせを受けたりする。

工事現場のようなところで強制的にユダヤ人は働かされて、ゲットーと工事現場の往復はドイツ兵の監視のもとに行進。そして行進の途中、ドイツ兵は行進を止めてユダヤ人を整列させ、数名を選んで地面に伏せさせいきなり射殺する。もちろん射殺の理由など何もない。そして何事もなかったようにまた行進を再開。そんな毎日が続く。そして最後にユダヤ人は「ガス室」送りの列車に乗せられる。主人公は、そこで間一髪の隙に脱出できるのだけれどーーー。


暗〜い気持ちになりたいときがあれば、ぜひDVDを借りてください?


映画を観ていろいろ考えたのは

その1)
ユダヤ人はなぜあんなに嫌われたのだろう?

ナチスの反ユダヤ政策は極端な例だとしても、ユダヤ人は欧州において昔から何となく嫌われている民族だ、あるいは民族だったとの認識を私は持っている。日本の文化人でも、欧州通ぶりたいのかユダヤ人を(それとなく)差別する文章を書いている人も何人か知っている。

古代イスラエルの時代にユダヤ人は迫害を受け、パレスチナの地を追われヨーロッパ各地に分散した。その後、そこには今はパレスチナ人と呼ばれるアラブ系の人々が住み着いていたが、第二次世界大戦の直後、そこに世界各地に散らばっていたユダヤ人が2000年ぶり?に集結してパレスチナ人を追い出し、現在のイスラエルを建国した。これがパレスチナ問題や中東紛争の根っこ(だよね?)。


ところで最近、古代にパレスチナを追われたユダヤ人は遺伝DNA的には、現代のユダヤ人ではなく、現代のパレスチナ人(アラブ人)に近いという報道もあった。もうこうなると何が何だか訳がわからなくなる。そのうち勉強しようと昔から思ってはいるものの、まあ特に生活に必要な知識でもないし、一生詳しく知らずに終わる可能性も大である。


その2)
日本軍も中国かどこかで、あんな残忍な行為をしていたのだろうか?

たぶん、やったんだろうな、射殺だけじゃなく軍刀(日本刀)も使ったはずーーーと思うと、ますます気分が滅入ってくる。正直にいうと、あまり詳しく知りたくない気持ちが強い。こんなことだから、過去の都合の悪い歴史を直視しないから、中国や韓国からいつまでも謝れといわれ続けるのかな?


とりあえず戦争を知らない世代に生まれてきてよかったm(_ _)m

wassho at 19:08|PermalinkComments(0) 映画、ドラマ、文学 

2008年06月16日

メキシコ・オリンピックの思ひ出

東京オリンピックの次がメキシコ・オリンピック。


この思い出は私にとっては強烈なのであるが文章にするのは難しい。
それを承知で読んでね。


東京オリンピックの時に幼稚園だった私は、メキシコオリンピックの時には小学生。小学校になると運動会がある(幼稚園の時にもあったはずだが、あまり覚えていない)。

運動会は10月だったと思う。それで二学期になってしばらくすると、朝礼の時に入場行進の練習をさせられる。私の記憶はたぶん拡張されているかも知れないが、1ヶ月くらい毎日毎日、行進の練習をしていたような気がする。手足が揃う、隊列の間隔が揃う、号令に応じて進んだり曲がったり止まったりするための訓練。その時にそんな言葉は知らなかったけれど、いわゆる軍隊式の行進練習。そして入場行進というのは、そういうものだと疑いもしていなかった。


疑いもしていなかったのは東京オリンピックの時の入場行進が各国とも一糸乱れぬ軍隊式の入場行進だったから。ちなみに閉会式ではもっと気楽にバラバラと入場することも幼稚園の頃から理解していた気がする。


さてメキシコ・オリンピックの開会式。
各国選手団はなんと気楽に観客に手など振りつつ入場して来るではないか!まるで閉会式のような雰囲気。もっとも国によって入場の仕方は差があり、私の記憶では日本選手団は軍隊行進だった。アジア各国もだいたい同じだったが、欧米の選手はリラックスムード、南米の選手は飛び跳ねてはしゃいでいたような気がする。


入場行進とは一糸乱れぬ軍隊式と疑いもしていなかった私は、目の前で繰り広げられている運動会の最高峰?であるオリンピックの光景に、得も言われぬ衝撃を受けた。


エッ? ナンノコッチャわからないって?
だから文章にするのは難しいんだってばぁ(^^ゞ


軍隊式で行進入場するか、自由な歩き方で入場するかは開会式の単なるルールの違いではなくて、そのルールを支えている価値観の違いだということを、たぶん子供心に感じていたのだと思う。来る日も来る日もの入場行進練習にうんざりしていた私にとっては「型に押しつけられない自由」や「自分の周りとは異なる価値観も世の中には存在する」ということの発見だったのかも知れない。


文章でいくら説明しても、私の受けた衝撃を表現するのは無理だからやめておく。とにかく私は物心が付いたときから、そしてメキシコ・オリンピックの時からは明確な意識として「団体行動は苦手で大嫌い」なのである。

wassho at 19:38|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2008年06月12日

オリンピックの思ひ出

もうすぐ北京オリンピック。海パンの話で盛り上がっているけれど、チベット弾圧抗議〜聖火リレーの話は大地震の陰に隠れてサッパリ聞かれなくなった。チベットってどうなったんだっけ?


先週(だったと思うが)、東京が2016年のオリンピック候補地の1つに選ばれたというニュースが流れた。他の候補地はシカゴ、リオデジャネイロ、マドリッド。候補地が決まるのは来年の秋。これから調略と陰謀渦巻く招致合戦が繰り広げられるはず。


まあ東京にオリンピックが来れば何か見に行くだろうし、それなりに楽しいイベントを経験できると思うけれど、別に来なきゃ来ないで構わないというか、それほど関心は持っていない。だいぶ先の話だし、今から盛り上がれってのは無理な話。それにオリンピックを過去に行った東京も長野も東日本だから、どうせなら西日本で招致すればよかったのにと思う。たとえば彼ならIOC委員会に焼き鳥をもっていってプレゼンテーションするだろうに(^^ゞ


前の東京オリンピックの時はまだ幼稚園だったので、あまりよく覚えていなくて思い出は3つしかない。

(1)チャフラフスカというチェコスロバキアの体操選手(女性)が活躍して、テレビでよく見た記憶があること。何となく記憶の中に白黒イメージの映像がぼんやりと残っている。(当時テレビはまだ白黒だったと思う)

もっともチャフラフスカとかチェコスロバキアという聞いたことのないような言葉の響きが幼稚園児にはおもしろかったので、よく覚えているのかも知れない。ブログを書きながらチャフラフスカという名前をはっきり覚えていたのには自分でもビックリした。


(2)幼稚園の送迎バスの中で友達と東京オリンピックについて何か話をしたことを覚えている。誰と何を話したのかは全く覚えていないが、とにかくバスの中で、そのバスがどこを通っているときに話したのかだけは、はっきり覚えている。それで、なぜかその記憶には黄色い色のイメージがついて回る。それはたぶん幼稚園の制服のカバンの色だ。人間の脳の構造ってつくづく不思議である。3日前のことは忘れているのに。


(3)その幼稚園では三波春男の「東京オリンピック音頭」という歌に併せて踊り?の練習をしたのを覚えている。盆踊りというものに参加したことがない私は、音頭で踊ったのはあれが最初で、今のところ最後である。


あっ、東京オリンピックではなく
てメキシコ・オリンピックのことを書こうと思っていたんだった。


ーーーーあざとく続く

wassho at 19:06|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2008年06月10日

アラビア料理が食べられません(涙)

♪♪びっくらこいた〜びっくらこいた〜 の第2弾


先週の土曜日にネットで見たニュース。

1)
サウジアラビア政府は、世界献血デー(6月14日)に、海外にいる自国民は(たぶん滞在国に貢献しなさいということだと思うが)その滞在国で献血を行うように呼びかけている。

2)
しかし日本では、英国滞在経験のある人の献血は受け付けないので、英国留学経験の多い在日サウジアラビア人のほとんどは献血ができない。

3)
それでサウジアラビア大使館は在日サウジアラビア人の代わりに日本人に献血に来てもらおうと、大使館に「金に糸目はつけない」贅を尽くしたアラビア料理を用意して献血を呼びかけるという。


上記の3つとも、♪びっくらこいた〜な内容なのだが、英国留学経験があると献血できないってナニ?

まあ、こういうことらしい。

イギリスに
1980年から1996年までは1日でも
1997年から2004年までなら6ヶ月以上

いたことのある人は献血できないと書かれている。

その「変異型クロイツフェルト・ヤコブ病」って1日イギリスにいただけでもやばいの? 私、その期間に4〜5日ほどイギリスにいたことあるんですけど。しかもローストビーフをタラフク食べた記憶が(/o\)


他にも、このページを読むと世界のあちこちに滞在した人は献血をさせてもらえないらしい。ふとした疑問→日本じゃイギリスに1日いただけで献血できないけれど、じゃイギリスではどうやって献血しているの? 日本に行ったら献血できないと日本を危険地帯に指定している国もあるのかな?


とにかく私はサウジアラビア大使館に行ってもごちそうにはありつけないらしい。まことに残念。イギリスに行ったことのない人は是非、料理を堪能し世間の役に立ってきてください。ところで日本では献血すると牛乳とか野菜ジュースをもらえるが、フランスでは赤ワインをもらえると聞いたことがある。血ィぬいて酒飲んだら倒れそうな気がするけれど本当なのかな?

wassho at 15:36|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2008年06月09日

コンビニのエコとエロ

駅前の夜12時までやっていたスーパーが閉店したので、最近はまたよくコンビニを利用するようになった。ところで映画の撮影や雑誌の取材では、パリならカフェ、ロンドンならパブを撮っておけば、とりあえずその街の雰囲気が出るといわれていて、そんなシーンをよく目にすると思う。それで東京の雰囲気を出したかったらコンビニを撮れと、あの業界(特に海外)ではいわれているらしい。う〜ん、パリはカフェなのに東京はコンビニーーーそれはチョット寂しいような、みっともないような。



今回はコンビニ話をあれこれ。


最近(少なくとも東京では)ほとんどのコンビニがレシートを捨てる小さなゴミ箱をレジにおくようになった。私もいつもそこへ捨てているし、多くの人が捨てているような気がする。主婦がスーパーで買い物をしたら、レシートを見て家計簿をつける人もいるんだろうけれど、コンビニでは男性客も多いし、レシートが必要な人の割合は小さいはず。欲しい人だけにレシートを発行するシステムに変えた方が省資源だと思うが。


スーパーでは賞味期限が近くなった弁当や総菜は値引き販売して売り切ろうとする。コンビニも捨てないで、捨てる前に値引きすれば買う人はいっぱいいるはず。24時間営業している代わりに定価販売というのがコンビニの不文律となっているようだが、弁当類はそろそろ見直してもいいんじゃないの。(あれは必ず廃棄しなければならず、バイトがもらって食べることも禁止らしい)


コンビニの原点はセブンイレブン。今じゃ知らない人も多いけれど、元はアメリカの会社。イトーヨーカ堂が提携して買収して、いろいろ改良して今日の形となった。セブンイレブンの名前の由来は午前7時から午後11まで長時間営業してますというセールスポイントから来ている。しかし今や24時間営業がコンビニでは当たり前となった。


24時間営業する必要があるのか、省エネに逆行しているのではという意見が最近多くなってきた。しかしコンビニの電気代のほとんどは陳列の冷蔵庫が占めており、これは店を開けていようがいまいが24時間つけっぱなしだから営業時間と省エネは余り関係ないらしい。閉店しても防犯上の理由から照明もおそらくは消せないだろう。切れるのはエアコンくらいか。

それに24時間営業じゃなくても少なくと終電の客までは取り込みたいだろうから、終電後に閉店するとなると従業員をタクシーで帰さなくてはいけない。その費用も経営にのしかかるし、徒歩・自転車通勤でないコンビニの従業員がみんなタクシー通勤をしだしたら、何のための省エネかわからなくなる。そんなこんなで24時間営業は、そう簡単にはなくならないだろう。



さて
コンビニは本部が商品を仕入れるから、同じチェーン店であればだいたい品揃えは同じ。かなり前にどこかのコンビニチェーンが、もっと地域色を出そうという取り組みを試験的に始めて、それがテレビで紹介されていた。2つだけ内容を覚えている。


その1
静岡のどこかで、名産の干物を売り出した。レジの横で売っている唐揚げのような販売スタイル。中高生たちが学校帰りによく買っていた。私も食べたいから東京でもやってくれないかな。

その2
東京の埋め立て地沿いのどこか。そのエリアは建築現場が多く建設労働者が多くいる。じゃあきっと、こってりした量の多い弁当でも多くそろえているのかと思ったら、

レポーター「このエリアにあわせた品揃えをされていると伺いましたが」
店長「はい、こちらです」と自信ありげにレポーターを案内。

でもそこは弁当じゃなく雑誌売り場。
店長「他店のコンビニにはないエロ本の充実が当店の特徴です!」


♪♪びっくらこいた〜びっくらこいた〜 (^^ゞ

wassho at 17:14|PermalinkComments(2) マーケティング、ビジネス 

2008年06月05日

刀削麺

銀座の外れを歩いていたら「刀削麺」という看板が目に付いたのでランチに入ってみた。日本語(トーサクメン?)でも中国語でも何と読むのかわからないけれど、「刀削麺」とは、こねた生地を細長く切ったり伸ばしたりして麺を作るのではなく、小刀みたいなものでそぎ落として作る麺。リンクを張ったページは私が入った店とは何の関係もないが、ページ中程のコックさんが削っているのが刀削麺。削りながら鍋に落としていくのをテレビで見たことない?


食べた感想は麵というよりワンタンの皮の厚いのというか、山梨のホウトウの短いのというか、とにかくラーメンとは全く違う食感。細長くないから「コシ」という感覚が当てはまらないし、するするっと口に吸い込むのではないから麺とスープの「絡み」もラーメンとは違う。私は普通のラーメンのほうがいい。でもめずらしいものを食べたので満足。


その店は何種類かの刀削麵があって、担々麺のような辛いのが人気のようだった。しかしキャベツと豚肉の刀削麵に「酢っきりした味です」とシャレが書いてあるのにつられて、それを注文した。酸味が効いて香菜も入って(しゃんつぁい、パクチーとかコリアンダーともいう)エスニックな風味がしておいしかった。


ところで担々麺とかカレーとかは激辛メニューを売りにしている店もたくさんある。私はあまり激辛は好きじゃない。辛いし(当たり前か)、辛すぎて舌が痛いし、辛すぎておいしいのかまずいのかも今ひとつわからなくなってくるし、顔中汗だらけになるし、次の日はお尻も熱いし(^^ゞ


前にテレビで普通のカレーの50倍とか100倍(いったいどうやって倍数を測る?)というのをタレントが食べる番組を見たことがある。そんなのを食べたいとは絶対思わないけれど、本日はふと浮かんだ疑問 “酸味も普通に酸っぱいから100倍の超激酸っぱいまでいろいろと作れるの? 気絶するくらい酸っぱいという料理ならモノは試しに1回くらいは食べてみたい気がする” の下書きでした。

wassho at 18:44|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2008年06月04日

ちゃんと便乗してるよね?

一昨日だったと思うがキッチンにいたら「アメリカはいったいナニをやっているんでしょうか(怒)」みたいな声がテレビから聞こえた。報道ステーションの古舘伊知郎である。


エッ、CIAがゴルゴ13を雇ってオバマでも暗殺したのか(^^ゞと思って、テレビの前に行くと、ガソリンの価格が高騰しているのは投機的なマネーのせいであり、それはアメリカのせいであるーーーというようなことを言いたいらしかった。


投機マネーが高騰をあおっているのは事実だとしても、そのマネーゲームに参加しているのはアメリカの投機マネーだけじゃないと思うけれど。


古舘伊知郎は嫌いじゃなかったのだが、報道ステーションのキャスターになってからは必要以上に自分をカシコク見せようとしているのか(彼はバカではないとは思っているが)、あるいは必要以上に庶民の代弁者たろうとしているのか、何となく発言に気負いがあるというか、そのくせ底が浅いというか、はっきりいって今の彼は「イタイ」感じが私にはする。そう考えてみれば久米宏の「軽さ」は天性の得難い素質だったんだなあ。


さて
3月14日に原油価格が110ドルを突破したと書いたが、あれから2ヶ月半たった今はさらに2割近く上がって130ドルほどになっている。ガソリン価格もどんどん上昇してリッター180円前後。そのうち200円を超える、年末には250円も超えるかもといっても、誰も「ソンナ、アホナ」とはいわなくなった(>_<)
食料品自体も値上がっているし、食料品を運ぶ運賃もガソリン価格の影響で上がるから、ダブルで上がって大変である。貧しい途上国では、そろそろ高騰による餓死者も出てきそうな状況になっている。


そんな状況がいいとは決して思わない。


しかしである。
グラフ(ちょっと古くて80ドルの時代までしかないけれど)を見ればわかるように02年の20ドルから現在の130ドルまでほぼ一直線の右肩上がりである。つまり原油に投資していれば確実に儲かった。原油バブルの天井がどこかは知らないものの150ドルくらいまでは、それほどリスクもないように思える。


だから
アメリカはナニをやっているんだじゃなくて、私には「日本マネーもここでしっかり稼いでいるんだろうな?」ということの方が気になる。02年からは6倍以上になっているから、もし年金資金をぶちこんでおけば今頃は年金保険料はタダで、しかも成人式の日から支給されることになっていたかも知れない(^^ゞ 世の中がこういう仕組みで動いている以上、その仕組みの中で勝ち残って行かなくてはいけないのである。


本日は “どこか3兆円ほど貸してくれる銀行ない?” の下書きでした。小心者だから140ドルになったら売るけれど、それでも3兆円なら2400億円儲かる。そのうち2000億円は世の中に寄付すると約束するから貸して〜


wassho at 17:04|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2008年06月02日

ドバイその2 「らしさ」って?

ドバイを紹介した番組の最後には、カネまみれの不動産開発をしている業者の1人が休日に砂漠に出かけるシーンがある。いわば都会の喧噪を離れてリフレッシュに出かけるのである。ドバイの人たちはもともと遊牧民族だから砂漠こそが彼らのルーツである。


初めて聞いたけれど

「何も作らず」
「何も所有せず」
「何も残さない」

のが遊牧民のアイデンティティーなんだそうである。(※ここではアイデンティティーとは、それを成り立たせている要素とでも理解してください)


不動産業者は今では、それと正反対のビジネス・暮らし方をしているわけだけれど、ときどき砂漠にやってきては自分自身を見失わないようにしているらしい。砂漠を見つめながら「何か起これば、うまくいかなければ、また砂漠に戻ればいいだけさ」と彼はいう。


うがった見方をすれば番組には、

バブリーなビジネスをしていても、ドバイ人らしさを見失わないドバイ人。
     VS
バブルで日本人らしさを見失った日本人。

といった対比の表現意図があるようにも思えた。



バブルが原因だったかはさておき(私はあまり関係ないと思っている)日本人が日本人らしさを失ったというのはよく聞く論調である。


しかしである。
日本人らしさってナニ?


3行で表現できるドバイの遊牧民と違って(彼らはついこの間まで、ほとんどが単純な遊牧民の暮らしをしていた人たちである)、日本は二千年近くの文明文化のある国・国民である。そう簡単には「らしさ」を定義はできない。京都や奈良の寺院に行けば日本人らしさを思い起こせるというものでもない。あえていえばバブルごときで失えるものなら、それは「日本人らしさ」ではない。


(長くなるので途中省略(^^ゞ)


でも、しかしである。
やっぱり「らしさ」を持っている人、自覚している人は(いろんな意味で)強いし魅力的でもある。そして自覚するためには複雑な要因で絡み合っている自分の「らしさ」をエイヤッと3つか5つに、しかもシンプルな言葉でまとめ上げる必要がある。(言葉にして自分に言い聞かせれば、そうなってくるという効果もある)


本日はその1 “あなたらしさを簡潔に5つ述べよ” の下書きでした。


某地方選に立候補するKさんに

本日はその2 “〇〇市らしさとは何か、市民の琴線に響く具体的な言葉を5つ考えましょう” の下書きでした。

wassho at 19:59|PermalinkComments(0) ノンジャンル