2008年07月

2008年07月28日

源氏物語はハーレクイーン

源氏物語の新しい写本が見つかったというニュースが先週あった。正確には70年間ほど行方不明になっていた写本らしい。


紫式部の書いたオリジナルの源氏物語は残っていない。当時(約1000年前の平安時代)、印刷はまだ発明されていないから、物語は「書き写し」を重ねて人々に広まっていった。伝言ゲームと同じように、書き写しを繰り返すうちにオリジナルとは少しずつ内容が変化していく。それでいろいろな写本を比較することが源氏物語研究のひとつとなっている。


一般に源氏物語は全54帖の物語で構成されている。今風にいうならシーズン54まである。本当はシーズン60まであったと記録している古い文献もあり、それが見つかったのなら大発見だが、残念ながら今回の写本はシーズン54まで。他にも何かとナゾの多い物語で、紫式部以外にも作者がいたという説もある。


φ(..) いずれの御時 (おほんとき) にか、女御・更衣 (にょうご・かうひ) あまたさぶらひけるなかに、いと、やむごとなき際 (きは) にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。


源氏物語は日本で最初の長編小説である(世界最古という説もある)。そして今日まで多くの読者に読まれたベストセラーである。それには異存がない。


ーーーーーーーーーーこんな事を書くと教養を疑われるから書くのをやめようかなーーーーーーーーーーーーーーーでも、やっぱり書こ(^^ゞ


源氏物語を初めて読んだのは高校の古文の授業。大学受験でも重要な課題だから、それなりに勉強した。名作だという(ことになっている)ことは知っていたが、あくまで「勉強」なので内容を味わうには至らず。もちろん読んだのは教科書や参考書に載っている源氏物語の一部抜粋だけである。


大人になってからは2回読んだ。もちろん現代語訳である。最初に読んだ源氏物語の訳者は誰か忘れた。全巻まとめって買ったが途中で挫折した(^^ゞ 2度目は橋本治が訳したもので10年ほど前。冒頭の「いずれの御時にかーーー」のくだりが「いつの頃かは忘れてしまった」と訳されて書き始められているのが印象的だった。この本は全14巻で発売されるたびに買って、すべて読んだ。何度も読んだ帖もあったが、最後のほうは惰性というか、全部読むという意地だけで買っていた気がする。


源氏物語は一言で言えば「光源氏が数多くの女性を口説き落として行く物語」である。後半は主人公が光源氏から薫に変わるけれど基本パターンは同じ。


さて、源氏物語は日本で最初の長編小説であり日本文学の最高傑作の1つということになっている。日本初の長編小説だというのは事実だとして、文学的に最高レベルだということについては「そうかな〜?」というのが私の正直な感想。

ダイアナやチェールズが不倫しあってた頃、人々はおおいにそのスキャンダルを楽しんだ。人間には高貴なる人々の私生活を覗き見してみたいという欲望がある。光源氏は天皇の息子だけれど、位は継がずに臣下になったという絶妙のポジションを物語で与えられている。その彼が次々と女性を口説き落とし、時にはトラブルに見舞われるさまを平安の人たちは、ワイドショーの芸能レポーターの話を聞くがごとく楽しんだのではないか。内容的には、それ以上でも以下でもない。日本最古で長編のハーレクイーン的な通俗小説。それほど文学的に心を揺り動かす作品レベルには達していない。現代語訳でも、どこか古文調が残るから格式高く思えるだけ。あ〜あ書いちゃった(^^ゞ


こんな事を書いて須磨に追放されませんようにm(_ _)m

wassho at 17:36|PermalinkComments(2) 映画、ドラマ、文学 

2008年07月22日

引退

このところ忙しかったので、三連休は脱力モードで過ごした。暑すぎてジョギングする気にはなれず、泳ぎに行こうと連休前には考えていたのに何となくグズグズと。無駄に時間を過ごした気もするけれど、そんなとき私は無駄=贅沢と考えて、贅沢な休みであったと思うようにしている(^^ゞ


連休前に野茂が現役引退というニュースが流れた。
彼がメジャーに行かなければイチローや松井の活躍はなかったというワンパターンな発想はしないが、日本人選手のメジャー進出のきっかけを作ったことは長く歴史に刻まれるだろう。個人的には、野茂がドジャーズでデビューした頃、近くの公園で、それまで滅多にいなかったキャッチボールをする親子が、突然増えたことを印象深く覚えている。ヒーローは偉大なり。


どんな仕事でもいつかは引退しなければならないが、スポーツ選手は若くして引退する時期が来る。野球にはあまり関心がないので、正確な記憶ではないけれど、長嶋や王はほとんど全盛期のうちに引退したように覚えている。一方で桑田や清原のようにボロボロになるまで現役であり続けようとする選手もいる。サッカーの三浦カズもそうだ。引退するしないは本人の意志だから、口をはさむ気はないとしても、かっての名選手が落ちぶれている姿を見るのは、私は結構ツライ。頑張っていることは応援したくなるけれど、プロならそんな姿を見せないでくれという気持ちもある。


私も誰かにツライ思いをさせないように、隠れてがんばろう(^^ゞ
でも、できれば早く引退したい!

wassho at 18:11|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2008年07月17日

全国一斉休漁の矛盾と皮肉

数日前の出来事。漁師のストライキである。
漁師の言い分は

●燃料価格が高騰している
●魚の価格は上がらない
●これじゃ採算が合わない
●燃料にかかる税金を免除するとか補助金を出してくれ


といったところか。
ニュースでは漁師に好意的な意見が多かったように感じられたが、何とも不可解なストライキである。


ポイントは魚の価格が漁の採算に合わないところにある。初めて知ったというか、今まで気にもしていなかったけれど、漁師がとった魚は仲買人に「預けられ」、彼らによってセリに掛けられ、競り落とされた価格から仲買人の手数料などを差し引いた金額が漁師の手に入る仕組みらしい。つまり漁師は自分自身で価格を決めていない。

燃料価格が上がって、漁のコストがかさんでいるのに、セリでは燃料価格が上がる前の水準で魚が取引されているから採算割れをするというのが漁師の主張というか嘆き。セリで買う方は安く買いたい、売れる価格で買いたいから当然そうなる。


理屈で考えれば、漁師は漁のコストをふまえた上で、最低落札価格を決めてセリに魚を出せばいい。その価格では高くて売れないのなら、それは魚にそれだけの商品価値がないというだけの話だ。もちろん魚が売れなくて、漁師がどんどん廃業したら日本の食卓はどうなるのか、魚から摂取しているタンパク源を他で代用できるのかという問題は残る。


しかしコストを回収する努力をまったくしないで、政府に泣きつくのは、どうも気に入らない。現状で漁師が採算割れをして、そのおかげで消費者が安い魚を食べているという構図なら、ストライキをする相手は政府ではなく消費者になる。あるいは仲買人に、もっと高く売れと抗議すべきなのだ。


もっとも漁師が燃料コストを魚に上乗せできれば、今度は消費者が困る番になる。高いと買えない、あるいは魚のせいで生活が貧しくなる。それは結局魚マーケットの縮小につながっていく。根本の原因は燃料価格の高騰が急ピッチ過ぎて、社会がそれを吸収できないことにあるけれど、何とも皮肉なのはセリのせいが魚の価格が上がらないのに対し、一方の原油はセリのせいで価格が急騰していることである。

wassho at 19:03|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2008年07月09日

半世紀前からの夢でしたーーーだと

吉永小百合のナレーションが印象的なシャープのコマーシャル。
皆さんもごらんになったことがあるだろう。

「電気を消費するモノを作るメーカーの責任として、いつか電気そのものを作り出す存在になりたい。半世紀前からの夢でした」。



     ウソツケッ!!!!!!


もちろんシャープが太陽光発電のトップメーカーであることは認める。念のためにホームページを調べると、半世紀ほど前にその技術開発に着手したらしい。しかしそれと、「ーーーメーカーの『責任』としてーーー半世紀前からの『夢』でした」というのはまったく別物である。単に儲かりそう、あるいはおもしろそうな技術だったから開発を始めたに過ぎない。ちなみにシャープのホームページによると、実用品として普及したのは開発から約20年後の太陽電池付き電卓からだそうである。電卓の電池代わり程度レベルになる20年前から『責任』として?『夢』でした? 語るに落ちるとはこういうことを言う。

たぶん開発(町工場の実験レベルだろう)を始めたのが50年ほど前だと知った広告代理店が美しいストーリーにでっち上げたのだろう。そのあざとさマインドにあふれたプレゼンテーションは手に取るように目に浮かぶ。(手に取るように目に浮かぶのは、広告代理店のプレゼンテーションに立ち会う機会も多くて、その70%があざとさマインドにあふれているからである)


何でこんなにムカツいているんだろう?
私は正義漢でもなければ清廉潔白ともほど遠いのに、魂胆が透けて見えることには、奢り(おごり)を感じることにはなぜか敏感である。それにこのコピーは、たとえウソでも今の社会の心をとらえる力をもっている名作なので余計にムカツク(^^ゞ


悪口を書いたからとフォローするつもりは全くないが、シャープはこの10年くらいでもっとも企業イメージをのばした企業の一つだと思う。20年前は技術力はあったかもしれないがパッとしない二流メーカーだった。昔シャープのテレビを買ったことがあるが、それはソニーやパナソニックより安く船井電機よりはマシだろうと思ったから。その程度のポジションだった。

そのテレビがブラウン管から液晶に代わる時流に乗ってシャープの企業イメージは急上昇するが、その少し前に「目のつけどころがシャープでしょ」といいはじめた頃から少しずつ変貌してきたと思う。あれもこれもとトップメーカーの後追いをするのではなく、選択と集中という「正しい2番手戦略」によってトップメーカーの地位に上り詰めたイメージを持っている。

企業イメージの研究対象には、ソニーのように昔から企業イメージのいい企業より、シャープのようにダメからイイへ変化してきた企業の方が参考になると思う。また同じ関西企業で同じく二流メーカーだったサンヨーは、いまだに二流メーカーである。サンヨーもいろいろ選択と集中を積極的に行っているがシャープとの違いを比較研究するのもおもしろいかもしれない。


本当はフォローするつもりだったのに、あまりフォローになっていないなあ〜、しかもヨソの悪口まで書いてしまった(^^ゞ

しかも書きながらシャープの「亀山ブランド」という力まかせのブランド戦略にも反感を持っていたことを思い出した。やっぱりこの会社とは相性悪いのかな。亀山ブランドの話はまたいずれ。しかし文章を書くと自分自身にいろいろな発見があるね。


本日は “おごれる平家は久しからず。中身は一流なったかも知れないけれど、立ち振る舞いにも気を配ってねシャープの皆さん” の下書きでした。



追記
関係ないけど「手に取るように目に浮かぶ」という表現はヘンかな?

wassho at 15:48|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2008年07月07日

半年たちました

数日前から東京は暑くなってきた。
今年の梅雨は雨も少なく、気温も低かったように思う。
去年は猛暑だったけれど、今年の夏はどうなんだろう。


ここしばらく英語での仕事が続いているので、ということは英語力のなさから日本語で同じ仕事をする場合の3倍くらい手間がかかるので、ブログも休みがち。更新されていないブログを見に来てくれた皆様、失礼いたしましたm(_ _)m


さて、半年たちましたーーーというのは、今年も早いもので半年たちましたではなくて、年明けからコソッと実験していることが半年たったという意味。実験しているのは「カミソリの替え刃は、いったいどれくらい持つのか」という、きわめてせこいテーマである(^^ゞ


鼻の下とあごの先はひげを生やしていて、それは電気ひげトリマーで刈っている。それ以外のところはカミソリで剃る。男性のひげそりは大別すると電気シェーバーと安全カミソリに分かれる。私は後者。特に理由はない。

ずっと使い捨ての安全カミソリをだったが、去年の年末に気まぐれで換え刃式の安全カミソリを買った。使い捨ての安全カミソリも最近は2枚刃や3枚刃だし、「切れてな〜い」のプロテクターもついているし、首振りヘッドだし、取り立てて不満はなかった。替え刃式を買ったのは年末特有の「新しいものを買いそろえる」気分のせいだったと思う。ちなみに4枚刃だった。


正月があけて何日かたってから、そのカミソリを初めて使った。私はあごの横から剃り始める。切れ味は使い捨てカミソリと変わらない。ホルダーに重量感がある分、少し剃りやすいかなという程度。無駄なもの買っちゃったーーーという気分になる。

最後に剃るのはノドのところ。男性ならわかると思うけれど、ここは微妙に剃り残しができる。見た目にはわからなくても、指で触ると髭がかすかに残っているのを感じる。それが、この新しいカミソリではひと剃りで、まったく剃り残しなくツルツルになった。わぁスゴイ、これが最新のカミソリの性能か! いい買い物をした\(^o^)/


ところが2〜3日後(私は2〜3日に一度髭を剃る)、喜び勇んでひげを剃って、ノドのところを指で触ると「プチプチ」と剃り残しがあるではないか! 2度3度剃ってみても「プチプチ」は消えない。つまり切れ味は使い捨て式と同じということ。たった一度だけでカミソリがなまってしまったらしい。


さて、それで頭に来たわけではないのだが、カミソリの刃はいったいどれくらい持つのだろうかという疑問がフツフツと。それにカミソリの替え刃はけっこう値段も高い。替え刃1つは使い捨てカミソリ1つより、かなり高かった気がする。ホルダーの値段はそこそこに抑えておいて、替え刃で利益を上げるビジネスモデルである。


そして替え刃を一度も替えないで半年がたった。結果は普通に剃れている。たぶん今、新しい替え刃に替えれば切れ味はずっといいのだろうが、半年間徐々に切れ味が落ちてきて、それに慣れているから、まったく不満は感じない。この調子だと年末まで楽勝で持ちそうである。8個セットの替え刃も一緒に買ってあるのに。


世の男性が、どのくらいの頻度で替え刃を替えているのかわからないが、とりあえず半年は剃れることが確認できましたーーーというご報告を。


ところで床屋では安全カミソリではなく平べったいナイフのような一本刃のカミソリを使う。今は、それも替え刃式だが、昔は客の髭を剃る前に、革のベルトのようなもので擦るというか、たたきつけてカミソリを研いでいた。鉄の刃がなぜ皮で研げるのか子供の頃から疑問である。

wassho at 07:30|PermalinkComments(2) 生活、日常