2009年05月

2009年05月29日

百年に一度と言ったのは誰だ(ついでに続く)

続きに何を書こうとしていたのかはいまだに思い出せません。
もっと昔のことはよく覚えているんだけどなあ〜。



さて
『百年に一度の経済危機』という言葉が、枕詞として浸透した理由は

●『百年に一度』かどうかはともかく、今回の危機が深刻である。
●政治家や官僚が『百年に一度』を免罪符に突っ走った。
●経営者や営業マンだって『百年に一度』となれば、業績悪化の言い訳
 になるし慰めにもなる。
●『百年に一度』という言葉のインパクトにマスコミが飛びついた。


ーーーなどなど。要は言葉としてインパクトがあった。


これが「史上最悪の危機」とか「未曾有の危機」というネーミングだったら
事態に違いはあっただろうか?


話は脱線するが、麻生さんが未曾有を「みぞう」ではなく「みぞうゆう」と読んでひんしゅくを買った。私は昔から未曾有を「みぞーう」と読んでいる。漢字の音を考えても「みぞーう」のほうが正しいような気がするけれど。


話は戻って
「史上最悪」は読んで字のごとくだし、「未曾有」は「いまだかってあらず」だから、どちらも百年に一度どころではなく、歴史上、初めて起こったという強い意味である。


でも言葉として『百年に一度』のインパクトにはかなわない。
これは数字が持つ言葉のインパクト、あるいは説得力である。


  「この商品はたいへんよく売れております」

   と言うより

  「この商品は昨年の2倍売れております」
  「この商品は30万人に愛用されています」

などといったほうが説得力がある。もちろん数字は、最も効果のありそうなものを選ばなくてはならない。『百年に一度』も百年だから説得力があったわけで、千年ではウソっぽいし、正直に23年に一度といってもインパクトに欠ける。もし商品が昨年より売れていなければ「この商品は98%の方に満足という評価をいただいています」などという手もある。
※23年というのは単なる例で、今回の経済危機とは無関係です。


数字を入れるとなぜインパクトや説得力が増すのかはよく知らない。でも人間はそういうふうにできていると思って活用した方がいい。説得力とも関連するけれど、話のところどころに数字を入れると「この人はよく知っている」「頭がいい」と思わせる効果もある。もっとも数字の使いすぎもよくない。日本人の75%は数字や数学が苦手とされているので、使うならココゾというところで。


追伸
日本人の75%は数字や数学が苦手とされているーーーというのは
私のデッチアゲです(^^ゞ

wassho at 17:52|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 | マーケティング、ビジネス

2009年05月27日

百年に一度と言ったのは誰だ(続きとお詫び)

前のエントリーで『百年に一度』というのはきわめて比喩的表現だと書き、その続きとして、経済の課題を書くつもりだったんだのに、ちょっと日数が経ってしまったので、何を書こうとしていたのか忘れちゃった(^^ゞ


まあ、とにかく景気対策として莫大な費用が投入される。


普段なら日本の場合、各省庁の立てた予算は財務省が厳しく査定する。しかし漏れ伝わってくるところによると、今回の15兆円の補正予算では15兆円の枠を埋めるのに精一杯で、大抵の予算はフリーパス状態だという。つまり効果の程も検討しないバラマキ。


政治家はバラマキを好む。とりあえずは恩恵を受ける人に、多くは支持者とも重なるが、その人たちに歓迎されるからである。国によって多少の違いはあっても基本的に洋の東西を問わず。

今回の経済危機が起こらなかったとしても不景気だったから、『百年に一度』の大合唱に乗って政治家が突っ走ったーーー世界的にそういう側面は強い。それが今後に同影響を及ぼすのかは気になる。なんたって15兆円は借金(国債)でまかなわれ、いずれ国民の負担で返済しなければならないのだから。


ーーーーいや、こんなことを書くはずではなかった。
    ウ〜ン全然思い出せない(>_<)

あっ! ひとつ今、新しくひらめいた。

『百年に一度の経済危機』と誰が言ったかは知らないけれど、この言葉は間違いなく人類史上で最も多額のお金を動かした言葉だから、日本の年末の流行語大賞はもちろん、どこかに言葉の博物館でもあれば永久展示しよう!


つまらないオチになってゴメンね、ゴメンねー
            ↑↑↑↑
     最近流行りの芸人風にお願いしますm(_ _)m

wassho at 16:02|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2009年05月21日

百年に一度と言ったのは誰だ

メキシコの次に、アメリカでも新型インフルエンザの患者が確認された頃のこと。何かの記事で「新型インフルエンザが世界的に大流行すれば、経済にも多大な悪影響を与え、その規模は現在進行中の『百年に一度の経済危機』に匹敵する」とでていた。ダブルパンチを世界は克服できるかなあと何となく不安になった。とある会合で「10年遅れてやってきた世紀末」と表現したら意外と受けた(^^ゞ


本日はインフルエンザじゃなくて経済危機の話。
『百年に一度の経済危機』というのは、もう枕詞になってしまったが、本当にそうなの?という気が最近している。

始まりは去年の秋だから半年と少し経ったことになる。(面倒なので半年と書く)株価はドカンと下がったものの、『百年に一度』の割には、たった半年で底を打って上昇を伺う気配である。アメリカで自動車会社が倒産したりしそうになっているが、この危機の前から大赤字だったわけで、自動車業界に詳しい人間ならそれほど驚くことでもない。

その他の企業業績も悪いけれど、エ〜ッあの会社が!とバタバタ倒産しているわけでもない。私の知る限り街に浮浪者はあふれていない。どう考えたって日本とドイツに限っていえば、「60何年か前に」戦争に負けたときの方がはるかに経済危機だったはずだ。



『百年に一度の経済危機』とは?
仮に経済危機の強さを計る指数があったとして、過去100年の最大値が100だとする。今回の指数が500でも101でも『百年に一度の経済危機』になる。それに、もちろんそんな指数はない。ルーズベルトのニューディール政策で有名なアメリカの大恐慌は1930年代の話。100年前の経済資料なんてほとんどない。


つまり百年に一度というのはきわめて比喩的表現でしかない。現在の経済危機がどの程度深刻なのか、いろいろな経済指標(少なくとも戦後なら信頼できる資料が残っているはず)で比較研究されているとは思うが、『百年に一度』という枕詞にかき消されるのか、どういう状況なのかの客観的な話があまり伝わってこない。インパクトのあるキーワードの常として、それは一人歩きする。


さて
   日本:15兆円
   米国:75兆円
   中国:55兆円


景気対策として政府が支出する金額である。『百年に一度』だからこそ決定された金額である。ということはつまり『百年に一度』というのがどの程度かよくわからないけれど、とにかくたいへんだということで決められた金額と疑問に思うこともできる。

ーーーー続く

wassho at 14:31|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2009年05月19日

新型インフルエンザで思い出す昔の心配事

日本でも新型インフルエンザの感染者が増えていることは(現在世界第4位らしい)海外でも報じられているようで、何名かの海外クライアントから心配するメールをもらった。とりあえず「まだ鼻が豚の形になっていないから大丈夫だブー」と返事をする(^^ゞ


アメリカでは現在、発見された感染者が4千名ほどで潜在的には10万人がすでに感染していると報じられている。日本の人口はアメリカの半分でも、人口密度が高いので、遅かれ早かれ日本でもこの程度の数字になるだろう。


幸いなことに、この新型(豚)インフルエンザは当初の予想とは違い、鳥インフルエンザほどの毒性はなく、普通のインフルエンザ程度の症状にしかならないらしい。(普通のインフルエンザは毎冬、世界で3千万人が感染する)コレラの大流行ように人がばたばたと死ぬということにはなさそうだ。


しかし一説によると、この新型インフルエンザは誕生したばかりのウイルスで、だからまだ毒性も弱いものの、これから進化して?より毒性が強くなり、もともとインフルエンザがはやる(今年の)冬に、強力なモンスターインフルエンザとなって猛威をふるうーーーともいわれている。アナオソロシヤ。とりあえず今年は、このインフルエンザに振り回される1年になりそうである。


ところで、神戸と大阪で感染者が確認されたというニュースを見ていると、多くの人がマスクをしている。もしこの状況が長引いて、これから夏になったら暑いだろうなあ。考えただけでも息苦しくなってくる。小林製薬さん、熱さまシート内臓マスクの企画はどうでしょう(^^ゞ


話は変わるけれど、子供の頃は扁桃腺をよく腫らして熱を出していた。でも今までインフルエンザにかかったことがあるかどうかあまり覚えていない。それよりも実はコソッと心配しているのは、麻疹(はしか)やおたふく風邪といった子供の頃にかかっておかなければいけない?病気にもかかったかどうか記憶が定かではないこと。少し前に母親に確認したら「かかった」ということだけれど、歳のせいか最近は昔のことをあまり覚えていないようなので、ちっとも安心できない。

それに告白すると、小学生の時はいろいろな予防接種があったが、私はチャンスがあればそれをサボッていた。だって痛いんだもん(^^ゞ どの予防接種を受けなかったか忘れたけれど、ひとつだけ覚えているのがBCG。先にBCGを打った別のクラスの友達が「めっちゃ痛いで〜」といったので逃げ出すことに決めた(^^ゞ 

さぼり方はきわめて単純で、保健室に行く途中でコソッと抜け出し予防接種に行かないという手口。誰に注射を打ったかどうかは保健室で記録しているはずであるが、不思議なことにサボったことがばれたことはない。当時はのんびりしていたのかな? というわけで、私の世代なら腕にサイコロを押しつけたような注射の針の痕があるはずが、私の腕はツルツルスベスベである。健康管理には気をつけなくちゃ。

wassho at 12:34|PermalinkComments(2) 生活、日常 

2009年05月18日

代理と代行

民主党の新体制は以下となった。

代表:鳩山由紀夫
代表代行:小沢一郎、菅直人、輿石東
幹事長:岡田克也

19日が正式承認ということで、まだ民主党のホームページは小沢一郎が代表のまま。今見られる2007年8月31日付けの組織表では、幹事長の上に副代表というポストもある。数えてみると代行や副もふくめて代表職は10名もいる。さらに代表より上位に最高顧問が3名。民主党は寄り合い所帯とよくいわれるが、そんな体質がここにもあらわれているような気がする。自民党は代行という職は見当たらないが、やたら〇〇代理という職がある。


ところで代理と代行って何が違うか知ってる?

辞書で調べても今ひとつはっきりしない。
中には「代理が職務を代行する」という表現もあったりする。

昔、大学の授業で習った記憶によると

   代理:その人の代わりで職務をすること、する人。
      例)社長の代理で出席する

   代行:ある職に就いている人が辞め(あるいは亡くなり)、
      その職に正式に就いている人はいないけれど、
      臨時にその職に就いている人のこと、臨時に職務を行うこと。

この説に従えば、元となる本人がいる・いないかが代理と代行の分かれ目。何となくスッキリしているので、私はこの解釈が好み。もっとも、この説では民主党の代表代行は説明できない。民主党には〇〇代理という職もあるので、代行と代理をどう使い分けているのか説明責任を果たしてもらいたい(^^ゞ


名刺交換をすると、部長代理という肩書きの人がたまにいる。
意味は二つある。

部長になる能力はあるけれど、まだ若くて、あるいは部長のポストが詰まっているので部長代理になっている場合。

部長になる能力はないけれど、歳もいっているので下のポストのままにしておく訳にもいかず、部長という肩書きをお情けで授けられている場合。


日本的なバランス感覚というべきか、年功序列の遺物と見なすべきか。

最近はさすがに見なくなったが「部長心得」あるいは「課長心得」という肩書きの名刺をもらったことが、今までに5回くらいある。意味は〇〇代理とほぼ同じと理解している。しかし「心得」という「気持ちの問題」を対外的な肩書きに使うなよ〜というのが正直な感想。


これは私の経験則あるいは偏見であるが、〇〇代理という肩書きの人が多い企業は体質が古く、少なくともマーケティング的にはパッとしないところが多い。政治は企業経営よりもっとパワーゲームだけれど、〇〇代行や〇〇代理という自己満足・内輪目線な職制をなくすことも政治改革につながるーーーかも。

wassho at 15:46|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2009年05月15日

おいしい珈琲の淹れ方(ドリップパック編)

8760ba62.jpg珈琲はよく飲む。
季節にもよるけれど1日にマグカップで7〜10杯くらいかな。
インスタントではなく豆からドリップで淹れた珈琲。
小学校5年生の時から今まで、珈琲を飲まなかった日はたぶん2〜3日くらいしかない。


それまでもおいしく飲んできたつもりだったが、2〜3年前にネット通販なら質のよい珈琲豆を販売しているところが多いことを知り、さらに珈琲好きになった。お店で珈琲を飲んでも、よほどの一流専門店でない限り「家で私が淹れた珈琲のほうがうまいな」と思ってしまう。


しかし家では豆を挽いてドリップするけれど、オフィスではそんなことはしていられない。ドリップパック(写真参照)にポットからお湯をドバドバ入れるだけ。インスタントよりはましかなという程度の味にしかならない。ドリップパックでも家で淹れるように丁寧にドリップすれば多少はいいのだろうが仕事中には無理。(写真はどこかから拝借してきたもので私が撮った写真ではない)


でも先日、ちょっとしたコツを見つけた。

  (1)ドリップパックにドバドバお湯を入れる。
  (2)入れ終わったら、ドリップパックをぎゅっと絞る。
   以上

ドバドバお湯を入れた珈琲がおいしくないのは、豆の成分が充分に抽出されずに珈琲(液)がカップに落ちるから。珈琲の上手な淹れ方とは豆の成分をいかに抽出するかにかかっている。それが無理な状況なので、絞って無理矢理少しでも抽出する作戦である。


ドリップパックを飲んでいる人はお試しを。
ドリップパックではない本当においしい珈琲の入れ方は、いずれまた。

wassho at 15:29|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2009年05月14日

最近の疑問やあれこれ

豚インフルエンザをマスコミは新型インフルエンザと呼ぶようになった。豚肉・豚肉料理業界への風評被害を考えての措置とされている。しかし、もし次に牛や羊インフルエンザでも発生したら、新々インフルエンザとでも呼ぶのか? 次はいいとして、そのまた次はどうする?


それはさておき、豚インフルエンザから新型インフルエンザに変わって関心や恐怖心も薄れたような気がする。それが油断にならなければいいが。ネーミングをあなどるなかれ、マーケティングでは売れる売れないの大きな要素でもある。風評被害対策も必要だが、もうひと工夫欲しかった。


ところで、いまだに5月になると五月病なんていわれるけれど、私はそんな病気を患っている人を今までに見たことがない。これも都市伝説?


忌野清志郎が亡くなってびっくりしている。亡くなったことではなく、マスコミ各社の取り上げ方の大きさに。NHKまで特番を組んだ。そこまで大物だった? 私の感覚がずれているのかな? 私には人が亡くなりでもしなければ視聴率をとれなくなったテレビ局の制作事情が透けて見える気がする。アンチ体制派だった本人が一番びっくりしているように思う。それはそれとして、謹んでご冥福を申し上げます。


病気でなくなったりすると「壮絶死」と、すぐマスコミは表現する。だいたい言葉の使い方からして間違っている(辞書で引いてみてね)。普通に死のうと泣き叫びながら死のうと壮絶死扱いである。大げさに表現しないと記事を読んでもらえないからだろう。デキの悪い企画書ほど形容詞や副詞が大げさなことに共通する。


辞めろ辞めろといわれてきたのに、いざ辞めたら、辞める理由がわからないと非難される。辞めろといっていた人は、どんな理由でそういっていたんだろう? とにかく私の仕事が政治家じゃなくてよかった。イヤ、不倫がばれても健康上の理由で円満に職を退ける特権もあるから政治家になったほうがオイシイかな(^^ゞ

wassho at 13:15|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2009年05月12日

その1センチがーーー

たぶん「その1センチが1日を不快にする」だったと思うが、正確には覚えていない。寸法直しのお店のキャッチコピーである。
以前は地下鉄の車両広告でよく見かけた。ツボを突いた表現だと印象に残っている。ちなみに私は寸法直しを頼んだことはないが、最近は新しいパンツ(ズボン)を買ってウエストがきつくなくなったときに無上の喜びを感じている(^^ゞ


突然このコピーを思い出したのは、最近のいくつかの出来事がきっかけ。


リビングの棚に置いてあるデジタル時計。あまり深く考えないで買ったので、時刻表示が小さすぎて、私の視力ではソファから時刻を読み取れない。仕方ないので、以前から持っている、もっと小さなデジタル置き時計をソファの隣のラックの側面に置いた。ソファの隣だから文字が小さくても読めるが、ソファに座っているときは首を90度曲げなくてはならない。ソファ以外の場所からは文字が小さすぎて読めない。


引っ越してからほぼ3年たって、先日ようやく新しい大きな置き時計に買い換えた。同じくデジタルであるが、ソファからでもどこからでもよく見える。実に快適である。計ってみたら液晶の文字はまさに1センチほど大きくなっていた。


花見シーズンの後くらいから週に1回のジョギングを再開した。ジョギングの時は、くるぶし当たりまでの短いソックスを穿く。実はこのソックス、前の、ひょっとしたらその前のジョギングシューズを買ったときにオマケでもらったモノ。オマケとはいえ、一流メーカーのソックスで、だからこそ長く使えたと思うけれど、(たぶん)短距離レース用で非常に薄い。ゴールデンウイークにジョギングしたとき、ようやくその極薄ソックスを引退させ、今履いているジョギングシューズを買ったときに、これまたオマケでもらった(^^ゞソックスに替えた。このソックスは普通の厚みがある。


厚みが違うといっても、たぶん1〜2ミリの違いのはず。しかしソックスで、こんなに違うモノかというくらいジョギングシューズの履き心地がよくなった。


前に3回にわたって書いたシャワーの件もそうだし、時計がよく見えるようになって、ジョギングシューズの履き心地がよくなって、私は今ちょっぴり「幸せ」である。


しかし、考えてみれば、それぞれ実に些細な改善でしかない。


マーケティングは時に大変革を呼び起こすけれど、その99%は「1センチ」が勝負の分かれ目といってもいい。また突然に大きな幸せは転がり込んでこないが、「1センチ」の改善なら、その気になればすぐに、たいしてお金も手間もかけずに可能である。本日は “1センチのことに気づくのも才能である” の下書きでした。

wassho at 14:25|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2009年05月05日

高速道路で無料でできること

高速道路が休日1000円になったので、このゴールデンウイークは記録的な渋滞らしい。渋滞に巻き込まれた皆さんはご愁傷様。


もともとは民主党が、政権を取ったら高速道路は無料にするといっていた。当時、自民党は財源もないし絶対に無理、環境にも悪いという立場だったのに、支持率が悪いとなるとーーー改めて政治は何でもありの世界である。


ちなみに休日1000円は2年間の限定措置。その期間の高速料金の収入減少は5000億円と見積もられ、その財源にはいわゆる霞ヶ関埋蔵金が充てられる。埋蔵金とはもともと払いすぎていた税金なんだから、政府の努力は認めても感謝する必要はない。


ところで休日1000円というのは、正確には土日祝日に適用される料金である。だから祝日のないお盆休みや、休みではあっても祝日は元旦だけの年末年始の帰省シーズンには、ゴールデンウイークほどの利用価値はない。

あるいは土日にクルマが集中して、今回以上の渋滞を引き起こすかもしれない。また土日が休みじゃない人もいっぱいいるわけで、もう少し制度に知恵を絞るべきだった。もちろん、本来基幹となる高速道路は無料であるべきではあるが。今はじめて気がついたけれど、ユーミンが歌った♪中央フリーウェイ〜 無料じゃないからフリーウェイという歌詞は間違ってるよね(^^ゞ


さて、高速道路のところどころにあるのがサービスエリアとパーキングエリア。パーキングエリアはトイレと売店程度で、サービスエリアはガソリンスタンドとレストランがあり、より規模が大きい。高速道路というものができた当時、クルマの信頼性も今よりはるかに低かったので、サービスエリアには修理工場もあったらしい。たぶんどちらも和製英語。


☆ここからは主にマーケティングに関わる仕事に携わっている人に向けての話☆

その国の、あるいはその都市の庶民の姿を見たければ動物園に行けと昔からいわれる。私は海外で動物園に行ったことはないけれど、何となく正解のような気がする。しかし日本限定でいえば、このサービスエリア(含むパーキングエリア、以下同様。なお基本的に休日の話)は、人間観察に実に適した場所でもある。日本人の「素」の平均像を見ることができる。


人がたくさん集まる場所は、他にもいろいろあるが、たとえばデパートや下町の商店街では集まってくる人々に特定の傾向が見られる。しかし高速道路は目的地ではなく通り道だから、特定の傾向に偏ることがない。もちろん家族連れも多いので、大人と子供をまとめて観察できる。

同様に、たとえばデパートでは、そのデパートに来客する人の居住エリアが限定される。サービスエリアの場合は、エリアの限定度合いが少なくなるので、より幅広い日本人像を観察することができる。

さらに、これはお盆や年末年始の帰省シーズンに顕著であるが、高速道路で人々は家から家へドア to ドアの移動である。だから着飾っておらず普段着の日本人を観察できる。化粧もしていない女性も多い。またサービスエリアは立ち寄る場所であって外出先ではないので、そこでの顔つきや行動も家の中に近い気がする。

少し話はずれるけれど
「銀座にはキレイな女性が多いですね」「渋谷には個性的な若い人が多いですね」などという人がいる。結論から言えば、その観察は間違っている。無意識のうちに銀座=キレイな女性、渋谷=個性的な若い人というフィルターができあがっており、そういう人を見つけ出して記憶しているに過ぎない。(銀座はキレイな女性が池袋より何%多いですねといったら、その人の観察は本物である)。サービスエリアには、そういった先入観も入らないのが、観察に適している理由の一つでもある。



さて、サービスエリアで次々にクルマから降りてくる人々を眺めていると「日本人って、こんなにダサかったっけ?」という印象を受ける。商品開発をするときは、ターゲット像を正確に描くことが何より大切だけれど、なんやかんやで、どうしても格好のよい絵空事になりがち。世の中の多くの人は「こんな感じ」なんだということを肌で知っておくことはとても大切。ヒットする商品というのはサービスエリアに集まっている人々に広く受け入れられる商品である。


さきほどマーケティングに関わる仕事に携わっている人に向けての話と書いたが、大企業のトップや政治家、高級官僚など、普段は庶民の姿を眺められない人にも、サービスエリアで人間観察をしてみることをお奨めしたい。

wassho at 23:30|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2009年05月01日

簡易家庭サウナの作り方

   バスタブにつかる。
   傘を差す。
   以上


数分すると、顔からの汗の出方がサウナの時っぽくなってくる。
ただし過大な期待は禁物。
傘を差しているだけなんだから。
サウナの四分の一くらいのイメージ。
ただし、その後に体や髪を洗っている間も顔からは汗がずっと出てくる。
トータルすれば、普段の数倍の汗が出ているはず。
たぶん健康や美容にいいはず。


やってもらえばわかるけれど、傘はビニール傘がいい。
布製の傘だと周りが見えず、閉ざされた空間にいるようで淋しくなる。


物好きなら試してみて。

wassho at 23:48|PermalinkComments(0) 生活、日常