2009年06月

2009年06月30日

ドライヤーにお願い

b28498ef.jpgシャンプーした後はドライヤーで髪を乾かす。風呂上がりにソファでグターッとするときに、髪が濡れてソファにふれると気分悪いから。ところで、髪を乾かすついでに、アソコと脇の下も乾かすと気分爽快になるよ(^_^)


私の使っているドライヤーは、まだナショナルだった時代のもの。そんなに古くない。写真のモデルとよく似ているし、名前も同じイオニティでマイナスイオンも出るらしい。それでスイッチはこうなっている。


    OFF
    COLD
    SET
    TURBO(ターボ)

まあ、たいていのドライヤーのスイッチはこういう構成である。SETは温風の「弱」で、TURBOが温風の「強」の意味である。


話はそれるが、
ナンデTURBOヤネン。
TURBOとはタービンの略であって、強いという意味は英語にはまったくない。クルマのエンジンにターボ過給式というものがあって、一般的にはハイパワーなエンジンが多かった。そこからターボ=強いのような意味合いがカタカナ日本語に生まれた。

  「張り切ってますね」
  「ええ、ターボ全開で」

というように会話で使うならわかるとしても、大企業が堂々とスイッチに書くかなぁ(/o\) そういえば日清のカップ焼きそばには、お湯を捨てるところの穴の面積が大きい「ターボ湯切り」というものがあった。ホームページで調べると、今はその名前を使っていないみたい。チェ、批判しそこねた。

ついでに、さっきの会話。
タービンは回るものだから全開という表現はおかしい。
自己批判(^^ゞ
エンジン全開という表現もよく使われるけれど、あれはアクセル全開が正しい。


話は戻って本日は家電メーカーにお願い “ターボでもハリケーンでもいいから、これから暑いんで、冷風で強の風がでるようにして。少々ドライヤーが大きく重くなっても、音がうるさくなってもいいから温風の強よりさらに強い冷風が出てくれるとなおウレシイ” の下書きでした。

wassho at 11:30|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2009年06月27日

さよならマイケル

6afff1d4.jpg10年は他の作品に強い影響を与える作品がある。よく引き合いに出されるのが映画「ブレードランナー」と、マイケル・ジャクソンの「スリラー」のプロモーションビデオである。


SFの世界では、未来は常に完璧な未来社会だったのに、ブレードランナーはそれを退廃的に描いた。その後、退廃的な未来という設定の作品はたくさん出てきたものの、どこかブレードランナーの「パクリ」との印象がなかなか拭えなかった。スリラーのプロモーションビデオを見た後は、たくさんのダンサーが同時に踊る作品はみんなスリラーダンスに思えた。20年以上たった今だって、両腕を同時にあげればスリラーを連想する。ブレードランナーもスリラーも見た人に強烈な印象を与えた。見た人の中には、作品を作る側の人も含まれる。プロのほうが偉大な作品の呪縛から逃れるのに時間がかかるものだ。

※ブレードランナーは、それほどメジャーな作品じゃないが、機会があったらレンタルしてみてください。人生がちょっぴり変わります


マイケル・ジャクソンがソロとして初来日した時、幸運にも私は「生マイケル」を目撃した。当時の会社は青山にオフィスがあったが、近くのお店にショッピングに来たらしい。もっとも屈強なガードマンやその他の取り巻きがたくさんいて、マイケルを見たというより、マイケルもいる人の固まりをチラッと見た程度だった。


スリラー以前からプロモーションビデオはあったものの、音楽の付録ではなく、作品として鑑賞できるプロモーションビデオはあれが最初だったような気がする。たんなるカッコイイ映像の寄せ集めではなく、作品としてのストーリーがあった。だから背景映像にならず、見る人はイマジネーションをふくらませて画面を追う。後に私が、とある商品のプロモーションビデオをプロデュースした際に、制作陣に出した最初のリクエストが「ストーリーのある内容にする」だった。そのときは意識していなかったが、私も間接的にマイケル・ジャクソンの影響を受けていた気がする。


そしてスリラーが歴史に残る作品になったのは、もちろんマイケル・ジャクソンのダンスが超一流だったから。当時の一連の作品を通じて、ダンスがカッコイイものだと気付かせてくれらのも彼だ。振り付けではなく、本物のダンスで世界を釘付けにした。ヒップホップをはじめ、今は音楽とダンスが融合したものがたくさんあるけれど、いまだに彼のインパクトを超えられない。もちろんマイケル・ジャクソンがオチンチンを押さえてホォゥーと叫ばなかったら、サッカーのカズダンスもなかった。


90年代になるとマイケル・ジャクソンの低迷が始まる。それは自身と時代を共鳴させてエネルギーを得るポップミュージシャンにとっては避けられない宿命だろう。グループなら解散してソロになったり、違うグループになったりとリセットしやすいが、個人の場合そのハードルは高い。そして整形を繰り返して鼻を尖らせたり、薬で肌を白くしたりするようになる。そんなことをしなくても、スリラーの頃の彼は充分カッコよかったと思う。しかしそれにはアメリカに住む黒人にしかわからない想いがあるのだろう。やがて子供への性的虐待とか破産しかかっているとか、彼の話題を耳にするときはゴシップであり、その存在はどちらかというと嘲笑の対象になってしまう。


死因はまだよくわかっていない。でも、あまりまともでない生活だったのが遠因だろうことは想像できる。一時は毎年200億円ほど収入があったとされる。それだけ稼げば誰だって人生が狂うのかもしれない。できたら私も狂ってみたい(^^ゞ それはさておき、昨日は死亡を知らせるニュースとともに彼の映像をたくさん見た。改めて類い希な才能を感じざるを得なかった。できたら昔の彼とは違う、もっと大人のマイケル・ジャクソンの新しい世界で、もうひと花咲かせて欲しかったと思う。これがエンディングじゃ哀れだとの気持ちになるのは、同い年生まれのシンパシーかもしれない。


さよならマイケル。
そのうちムーンウォーク練習するよ。

wassho at 14:53|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2009年06月26日

ホライズン・ソロ

e37b65de.jpgタイトルは変えたけれど、前回の続き。


真ん中のツマミがスイッチ兼ボリューム、右のツマミが選曲ダイアル。左のツマミはマルチファンクションで、これを回して画面に表示される調整したい項目を選ぶ。ちょっと面倒。しかし、これのおかげでツマミが少なくデザインがスッキリするし、一度設定してしまえば、めったに操作することもないのでヨシとしよう。(写真は今日のほうがクリックすると前回より大きくなります)


大きさはティッシュボックスを4/5にした感じ。大きいといえば大きいがスピーカーをよく鳴らすにはある程度の容量が必要。余談になるが、テレビ(ブラウン管)には、ちんけなスピーカーしかついていなくても、それほど不満なく聴けるのは空間がたっぷりあるから。薄型テレビになってからは内部がミッチリ詰まっているので、そのところに気を配った高級テレビ以外は、概して音が安っぽくなった。


さて
たしかに低音は確かによく出るし、全体的に音も厚い。私が普段クラシックを聞いているオーディオの「きれいめ」な音とは方向は違うものの、これはこれで気に入った。音としての満足度はZS-F1よりはるかに高い。ベッドルームのフローリング床に直接置いているせいもあって、低音はブンブンと出すぎるくらいなので、トーンコントロールでかなり絞って使っている。(それ自体がすごいことのように思う)


ところで、音の良さで有名なラジカセといえばボーズのこれ
ときどき有名な演奏者や音楽家が「目の前で演奏されているよう」「本格オーディオシステムにも負けない」と絶賛している広告を見る。これのひとつ前のモデルがオフィスにあるけれど、ラジカセ以上の音では決してないよ。ボーズの広告を見るたびに、その演奏者や音楽家のCDは決して買うまいと思っている(^^ゞ


このラジオは、アラーム機能がついており指定時刻に鳴らすことができる。スヌーズ(二度寝のためにアラームを一時的に中断して後で鳴らす)機能がちょっとおもしろく、スピーカーのフレームを触ると10分間のスヌーズになり2度目からは触れる度に5分追加される。つまり最初に3回タッチすると10分+5分+5分の20分のスヌーズになる。早起きしてでも長く二度寝したい私にはぴったりである。


参考までに書いておくと受信感度はあまり良くない。
アンテナはロッドアンテナではなく、AMは本体内蔵で、FMはリード線のような外部アンテナが付属している。(今のところ、それを床に転がしてある) FM横浜は雑音すら聞こえない。まあ私の住んでいるエリアでは、これはほとんどのラジカセが屋内ではそうだけれど。

ビックリしたのはAMで、NHKと今はFENではなくAFNと呼ばれるようになった米軍放送くらいしかまともに受信しない。民放はノイズだらけで全滅。普段AMを聞くことはないが、このラジオを買うときの「心の言い訳」として災害時の情報源としてとも思っていたのだけれどーーー。もっともこのラジオは電池では動かないので停電の時はアウト。それは買ってから気づいたんだけれど。



モノラルラジオを買う人は余りいないかも知れないが、私としてはお奨め商品。ただ問題は、目覚ましラジオとしてしか使っていないので、放送を聴くのは1日に長くて3分程度だということ(^^ゞ

wassho at 15:32|PermalinkComments(0) 生活、日常 | 音楽、オーディオ

2009年06月24日

初めての買い物 ラジオ編

614c1f67.jpg長く生きているので、たいていのモノは買ったことがあるし、変わったモノもいろいろと買ったけれど、振り返って考えてみると私はラジオというものを買ったことがない。

あれっ? どこかで読んだ文章のような(^^ゞ


ここで買ったことがないというのは、ラジカセのような複合機ではなく単独したラジオという意味である。


考えてみると自宅でラジオを聴けなくなって久しい。昔はオーディオのセットの中にチューナーがあったものだが、何度か買い換えるうちにチューナーは買わなくなった。今のミニコンポにチューナーってついているのかな? 

一度オーディオの調子が悪くなった時に、代わりとしてラジカセ(正確にはCDラジオ)を買ったことがある。それは名器の誉れ高く、未だにオークションで結構な値段のついているソニーのZS-F1。ただし別に音を聞き較べて買ったのではなく、ゴチャゴチャしたデザインじゃないからという理由だけで選んだだけで、そんな有名な製品だということは後で知った。元オーナーとして意見を述べさせてもらうなら、別にビックリするほどいい音はしなかった。しょせんはラジカセレベルの範疇。使わなくなったし、3年前に引っ越し屋の若い運転手が欲しそうな顔をしていたのであげた。もったいなかったかな(^^ゞ  (※ZS-F1はネット検索するといろいろ出てきます)


今回買ったのはボストンアコースティックのホライズン・ソロというラジオ。
お察しのようにバスタオルを買ったときに、一緒に通販生活で買った。


なぜか、ボストンアコースティックのホームページには、この商品は載っていない。また先ほどのヤマギワのページではあまり触れられていないが、通販生活(ネットでは商品説明は読めない)のカタログでは、スピーカがしっかりしていて、低音が良く音に厚みがあるなどと音質のすばらしさが紹介されていた。(ボストンアコースティック社は、もともとスピーカーのメーカー)
 
多少詳しい人にしかわからない説明になるが、モノラルラジオなのに本体の厚みは16センチありバスレフポートがついている。つまり小さなスピーカーボックスにラジオが内蔵されていると見ることもできる。パワーは10ワット。


その説明に興味を引かれ、何といっても、このデザインにブツ欲を刺激された。まさか今時モノラルラジオにそそられるとは。 
通販生活ではホームシアターの評論家がこのラジオを推薦していたんだけれど、彼はこのラジオを朝の目覚まし代わりにしているという。そういえば昔はそんなことをしていたっけと、ついその気にさせられーーー。マーケティングの専門家として面目ない(^^ゞ


このブログを書くついでに、ビックカメラのサイトでラジオとラジカセを検索して、今売られている商品を眺めてみた。ヒドイもんだ。日本のメーカーはデザイナーを雇っていないようである(/o\)


モノが売れないと嘆く前に、小手先のマーケティングにうつつを抜かす前に、デザインのクオリティや基本機能の充実といった当たり前のことに、もっと力を注ぐべきである。本日は “そんなココロザシのある商品なら、少々高くても、例えそれが懐中電灯や延長コードのソケットのような、どうでもいい商品でも、それに目を留めて買う人は一杯いることに早く気づいてね” の下書きでした。



それで、使ってみた感想は次回に。

wassho at 14:34|PermalinkComments(0) 生活、日常 | 音楽、オーディオ

2009年06月23日

1年と半年たちました

とりあえず、去年の7月7日に書いたブログ読んで。


あの時、使い始めて半年だったカミソリは、その後も切れ味が落ちることはなく、少なくともそう不満に感じることはなく、だから一度も刃を替えずに、約1年と半年の間、私の髭を剃り続けている。ギネスブックに載るかな(^^ゞ


髭を剃って剃り残しができる〜何度も同じ箇所を剃らなくてはいけないということはまったくない。見かけによらず私の皮膚は敏感なんだけれど、切れ味が落ちて肌を傷めているとも思えない。たぶん深剃り性能は落ちていて、剃った髭が夕方にうっすらと生えてくるスピードは速いかも知れないが、私はそれはまったく気にならないので、刃を替えようというきっかけにはならない。


だからどうだということは別にない。
人に勧めているわけでもない。
単なるご報告。
また1年たつか、替え刃を交換したときには、ご報告します。


ちなみにメーカーのホームページによると、
替え刃の交換目安は2週間らしい。
フ〜ン(^_^)

wassho at 15:40|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2009年06月22日

刑事一代

土曜日曜と放送されていた渡辺謙主演のテレビドラマ「刑事一代」を見た。テレビ朝日開局50周年記念ドラマということで気合いの入った力作。サブタイトルが「平塚八兵衛の昭和事件史」とあるように舞台は昭和。ドラマは戦後すぐから昭和50年頃までの主人公の活躍を追っていく。戦後すぐのことはもちろん知らないけれど、昭和って、こんな時代だったんだなあと思い出させてくれるドラマであった。生まれた年代、育った地域や環境によって感じ方は様々だろうが、私の感覚では昭和50年頃を境に、日本の景色や人の印象も含めた「風土」感は変化してくる。すでに平成も21年と半分が過ぎた。昭和は遠くになりにけりである。


ラストシーンで渡辺謙演ずる主人公は、かって彼が逮捕し、後に死刑となった犯人のお墓を尋ねる。その場面では移動の手段としてトヨタの初代マークIIが登場する。お墓は福島の田舎にある設定。その田舎、つまり日本の原風景のような景色と初代マークIIは実にマッチしている。あの当時はクルマのデザインも日本的であったなと改めて感じる。

たとえば(国産の)古いクルマと今のクルマを、古い街並みあるいは寺社仏閣の前に並べて、頭の中で駐めてみる。やはり古いクルマのほうが似合う。もっとイマジネーションをふくらませて、ヨーロッパの今のクルマをヨーロッパの古い街並みや、たとえばローマ遺跡の前に頭の中で駐めてみる。(私の感覚では)違和感は感じない。ここでデザインの本質とは何かについて述べる気はないが、生活がどんどん欧米スタイルになるにつれて、日本人の感性は何か失ったものもあるような気もする。


ちなみに主人公の平塚八兵衛は1975年(昭和50年)に退官し、ドラマでは、その後に犯人のお墓を尋ねたことになっている。ドラマを観ていて、チョット違和感を覚えたので調べてみると、初代マークIIが売られていたのは1972年まで。もちろん初代マークIIが走っていても間違いじゃないけれど、詰めが甘かったねテレビ朝日さん(^^ゞ


ところで、このドラマを観たのは渡辺謙が出ていたからである。
えっ、ファンなのかって?
いや、嫌いじゃないけど特には。


実は渡辺謙とケビン・コスナーは私にとって気になる役者である。両者の共通点、それは「おでこが広いのにカッコイイ」。だからドラマは渡辺謙の演技より、おでこを中心に鑑賞した(^^ゞ 観察の結果、私より彼のほうが、おでこは「イッテル」。でもカッコイイよなあ。つまりは眉毛からアゴにかけての造りのレベルが、かなり違うから当然かという結論に至る。トホホ(^_^)

wassho at 10:43|PermalinkComments(0) 映画、ドラマ、文学 | マーケティング、ビジネス

2009年06月18日

カカトから 緊急報告

15日に書いたカカトから着地する歩き方。
まだ3日しかたっていないけれど、結論からいうと、もう元のドタ足には戻れません。


ドタ足(足全体)でドスンと着地する歩き方と違って、カカトから着地して、足裏がローリングするような感じでつま先で蹴り出す、つまり足裏で受け身をするような歩き方なので、本当に身体への衝撃が少ない。試しにドタ足に戻してみると、今までこんなに膝や腰に衝撃を受け、上体が揺すられていたのかとビックリする。もう家の中でもカカト着地を心掛けている。なんか今までの人生を損した気分でもある。


本日はその1 お節介は承知で“膝や腰が痛い、あるいは年を取って弱くなってきた人にはカカト着地は本当にお奨めです。ヒアルロン酸やらなんやら飲むより即効性があります” の下書きでした。


とはいうものの、ほとんどの人はドタ足だと思う。アジア人だったか黄色人種はドタ足が多いと聞いた気もする。ところでいわゆるスポーツタイプのスニーカー。エアだったりゲル素材だったりハイテクなショックアブソーバーがソールに組み込まれている。しかしそれらはカカト部分に組み込まれているので、実はドタ足だと効果は半減する。ドタ足用に設計されたものもあるが、きわめて少数派。

だから本日はその2 靴メーカーにアドバイス“私にはもう要らないけれど、スニーカーでも普通の靴でも、脱カカト重視でドタ足でも快適なものを作れば、きっと売れるよ。上手にシルバー商品としてマーケティングするのもいいかも” の下書きでした。

実は私の身体は複雑に歪んでいる。30歳くらいの頃、突然背中の真ん中当たりが痛くなって我慢できず、病院に行くと「側湾症」と診断された。レントゲンを見ると笑えるくらい見事に背骨が途中から曲がっていた。当時は「ぶら下がり健康器」のブームもとっくに終わっていたけれど、何とかそれを調達し、だいぶ楽になった。

それでも私の背骨は右に傾いている。ちょっと背骨を右に傾けてください。左肩が上がるはずでしょ。なのに私は左肩が右肩より下がっている。ドナイナッテンネン!

前にも書いたが腰骨は後ろへの傾きが大きい。まあ、それで姿勢や歩き方にも気をつけるようになったのであるが、対処の難しいのが椅子に座っているとき。特にソファではだんだん寝そべるような格好になり身体が前にせり出してくる。ソファのある応接室での会議の時などは、何度も何度も座り直さなければいけない。


さらに腰は左が後ろ/右が前に少しねじれている。なおかつ左脚全体は外側(つま先が開く方向)に開いている。だからスキーでは右ターンが苦手だったし、ゴルフではよくスライスしたーーーと、下手くそを身体のせいにする(^^ゞ


腰と左脚の関係で、私は歩くときに左脚がやや左方向にでる。ところがカカト着地を心掛けると、今のところまだ慣れていないので、つま先を少し上げるような意識があるのだけれど、それは結果として足運びを意識することになるので、左脚を真っ直ぐに前に運び、かつ外側に開いている左脚を真っ直ぐに戻すような動きができるようになった。その時は腰も多少真っ直ぐに戻っているような気もする。これは予想外の収穫。腰の開きは日によって差があるものの、ひどいときは欽ちゃん走りのような歩き方をしているように感じられるときもあるのでウレシイ(実際には、そんなことはもちろんない)。


人知れず、なにかとイバラの道を歩んでおります(涙)

wassho at 20:21|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2009年06月17日

パトカーへの希望と不満

bce9bafa.jpgプリウスの受注は14万台を越えたそうで、今月中に予約しないと、すでに年内の納車は難しいらしい。前にも書いたけれど、たぶんギネス級の記録だし、おそらくは次に普及価格帯の電気自動車でも発売されない限り、この記録は破られないだろう。一方で、ご存じのようにアメリカではGMとクライスラーが破綻。再建計画もパッとした内容でなく、おそらくもうひと山ある。エコなハイブリッドvsでっかいアメ車ーーー象徴的な対比にも思える。自動車業界にとって、2009年はいつまでも語り継がれる年になるだろう。


お先真っ暗なアメリカ自動車業界だが、こんな勢いのあるニュースも飛び込んできた。やっぱり底力はあるのかな。


   パトカー専用車、E7…予約1万台突破


最初、写真を見たときはプラモデルかと思ったけれど、どうも実車らしい(CGかも知れないけど)。詳しくは記事を読んでいただくとして、ボディはともかくエンジンも専用に新開発したのかはちょっと疑問。でも、もしそうだとしたらアメリカ自動車産業の裾野がそれだけ広いということでもある。


市販車の改造ではなく、本当に使い勝手のいい専用車を開発して、少々高くついても、それだけの価値を顧客に認めてもらうというマーケティング戦略というかビジネスモデルはたいへん興味深い。パトカーだけではなく、タクシーとか宅配便のクルマ、救急車や現金輸送車などいろいろ考えられそうである。クルマだけではなく、他の産業分野でも、その発想は応用できるはずだ。


とにかく、こんな格好いいパトカーなら、
私も一度くらいなら「乗せられて」みたい(^^ゞ


ついでに
テレビのニュース番組でも何回か取り上げられていた、テスラという電気自動車。


   米国セレブに大人気の電気自動車テスラ・モーターズ


こちらも、アメリカのベンチャースピリット(そういや、最近日本ではベンチャーという言葉すら聞かなくなった気もするが)と、電気自動車なのにスポーツカーからスタートするというマーケティングセンスの良さにたいへん興味を引かれる。

電気自動車のキモは、もちろんバッテリー。電気自動車がまだほとんど世の中に出回らないのは、クルマ用の高性能なバッテリーが存在しないからである。それならというのでテスラは、パソコン用の高性能なバッテリーを何と7000個近く搭載している。その発想の柔軟さも素晴らしい。


話がそれたけれど、今日の本題はパトカー。


東京で見るパトカーはほとんどがクラウンである。
パトカーは、各メーカーの販売シェアに応じて発注されるという話も聞いたことがあるが、現在あのクラスではクラウンが圧倒的なシェア。日産のセドリックは既になく、後継車にフーガというクルマがあるけれど、あまり売れていない。というわけで必然的にクラウン、そしてなぜか目につく新型クラウンのパトカーばかりを見ることになる。


   素朴な疑問。
   パトカーにクラウンのような高級車が必要か?


断じて必要はない。


ヨーロッパが舞台の映画を観ればわかるが、パトカーはすべて小さな大衆車である。アメリカのパトカーはデカイが、それは別に高級車じゃなくでアメ車だからデカイのである。私が子供の頃のクラウンは今のコロナやブルーバード(名前は違うが)くらいの大きさである。ヴィッツしろとはいわないとしても、税金の無駄使いとエコの観点から、せめてそのクラスのクルマを採用すべきである。あるいは今も生産されているタクシー用の5ナンバーのクラウンやセドリックは、格安なのでそちらにすべきである。


残念だけれど本日は “もし日本の警察がE7を採用したら、納税者一揆を起こそう” の下書きでした。

wassho at 16:56|PermalinkComments(2) 社会、政治、経済 

2009年06月16日

初めての買い物 バスタオル編

長く生きているので、たいていのモノは買ったことがあるし、変わったモノもいろいろと買ったけれど、振り返って考えてみると私はバスタオルというものを買ったことがない。なぜか常に頂き物のバスタオルがある。それにバスタオルは使っていてそれほど傷まないから、あまり捨てたりもしない。今使っている2枚のバスタオルは3年前に引っ越してきたときに降ろしたものであるが、これがいつ使えなくなるかなんて見当もつかない。それにクローゼットの奥には、まだ開けてもいないバスタオルが5箱はあるはずだ。それらを貰ったのもずいぶん前のことのように思う。


なんだけれど、だから最低でも7つのバスタオルを持っているのにもかかわらず、先日、生まれて初めてバスタオルを買った。


それは普通のコットンのバスタオルじゃなく、特殊な化学繊維で、良く水を吸うといわれているタイプ。これからのシーズンは、風呂から上がって身体を拭いても、身体についた水なのか、後からかいた汗なのかよくわからないが、拭いても拭いてもサッパリせず、そのうちにバスタオルがベターっと濡れた状態になることが多い。それを以前から不快に思っていて、高機能なバスタオルがあることも知っていたけれど「バスタオル、いつも余ってるしー」なので買ったことはなかった。

今回のきっかけは夜中に見たテレビ通販の番組。もっとも、その番組で宣伝していたのは、とっても吸水力のあるゾーキンだったのだが。人間なにで購買意欲が刺激されるかわからないからマーケティングは難しい(^^ゞ


買ったのは、ときどき利用している通販生活の商品。通販生活で扱っている商品は好き嫌いが分かれるだろうが、とりあえずモノ自体に間違いのある商品は少ないというのが私の感想。ただ価格はちょっと高い。通販生活のカタログで商品を選んで、安く売っているところを探すのが正しい通販ショッピングともいわれている。


カタログで見ると、普通のバスタオルっぽくも見えるけれど、実際にはひじょうに薄い布である。厚手のポロシャツくらいの感じ。織り目もポロシャツに似ている。感触はたいへん柔らかく、表示ではポリエステル80%、ナイロン20%となっているが、感覚的にはレーヨンと綿を混ぜたようなクタッとした風合い。


使ってみる。
感触は普通の綿のタオルとはまったく違う。(多少でも水分を吸った)タオルは身体の上で滑らすことができない。大げさにいうと身体に張り付く感じ。後で注意書きを見ると、タオルで無理に身体を擦ると皮膚を痛めると書いてあった。だから濡れている身体を包んで押しつけるようにするのが、このタオルの使い方のようである。


押しつけるように身体を拭く。確かに吸水力は高い。押しつけたところの水分はほとんどなくなっている。ただタオル自体は、結構湿った感じがする。もっとも、その部分を使っても身体が濡れるようには感じない。

実は、以前に同じ通販生活で買った特殊な化学繊維のバスマットは、宣伝文句通り「足の水分を瞬時に吸い取り、それを逃さず、いつもバスマットがサラサラ」なので、そういうのをイメージしていたのだが、それとは少し違うようである。ところで、そのバスマットはいつもサラサラなんだけれど、アイツはいつ乾燥しているんだろうか?


悪くはない商品である。水分をよく吸って身体を拭き取るという機能には満足できる。使い心地がちょっと変わっているが、たぶん慣れるだろう。


で、結論。

  普通のバスタオルを2枚使った方が、気分的には爽快かな(^^ゞ


ついでに、通販生活にお願い。

  この素材でハンカチ作って!


▢▢▢▢▢▢▢▢
後日追記(訂正)

「(多少でも水分を吸った)タオルは身体の上で滑らすことができない。」
と書いたのは誤りです。

正しくは
「多少でも肌に水分があるところでは、タオルを身体の上で滑らすことができない。」でした。

水気を拭き取った後ならタオルは滑る。水気のあるところでは、それをキューッと吸水するので肌にくっつく感じがするのだと思っている。

wassho at 15:35|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2009年06月15日

カカトから

朝のワイドショー番組。
40歳代の元ミスなんとかが3人ほど取り上げられ「ワー、今もキレイ!」みたいなことをやっていた。プロポーションを維持する秘訣を、それぞれ披露する内容で、ある元ミス何とかがやっていたのが、ネーミングはちょっと忘れたけれど「2点」で支えながら歩く散歩。


「2点」などと書くとややこしいものの、要は前足がカカトから着地したときに、後ろ足はつま先で地面を蹴っているーーーつま先とカカトの2点で身体を支える瞬間があるように歩くこと。


前に書いたように、姿勢には気を配っている。
その時は書かなかったが、歩き方にもコツがあって、「足」を前に運ぶのではなくて、着地した方の「脚」を後ろに蹴り出すようにすると良い姿勢=楽な姿勢で歩ける。両手を腰の後ろでつないでスケートするイメージが、脚を後ろに蹴り出す動き。これをやると、多少歩幅も広がって颯爽とした歩き方になる。


さて、カカトから着地し、つま先で蹴り出せとは、歩き方あるいはランニングのフォームとして必ず書いてあるポイントである。基本のキといってよい。でも私は今までこれを無視してきた。つま先で蹴り出すのは(たぶん誰でも)自然にそうなるけれど、私の着地は(たぶん多くの人と同じように)足裏全体で着地する、いわゆるドタ足である。無視してきたのは、カカトから着地するのは私にとっては不自然で歩きにくいし、カカトから着地した方が美しい歩き方とはわかっていても、私が姿勢や歩き方に気を配っているのは、その方が楽で身体に負担が少ないからであって、別にファッションショーのように美しく歩きたいわけではないからである。


ーーーなんだけど、その元ミスなんとかは、その歩き方だけで体型を維持しているというし、ワイドショーでは、どこかの医者がその歩き方を分析して「何とか筋と、何とか筋が鍛えられ、腹筋にも効く」とかいっていたので、別にそれを真に受けた訳じゃないのだが、オフィスに来るまでの道のりでちょっとやってみた。


つま先とカカトの2点で身体を支える瞬間があるようにーーー歩くのは意外に難しい。微妙にタイミングがずれてぎくしゃくする。というわけで、それは最初の10歩くらいで諦めて、とりあえず本日はカカトから着地することだけに専念。駅までは15分くらいかかる。今日はDVDをお店に返しにも行ったので合計20分くらいカカト着地を意識しながら歩いた。


結論をいうと、とても効く。脚全体が運動している感じがするし、気持ち腹筋にも作用している気がする。はっきりいって疲れた(^^ゞ 通勤には汗をかきたくないこれからの季節にはちょっと向いていないかも知れない。

慣れていないので、カカト着地というより、やたらつま先を上げた着地のようになって、その影響で身体も後傾しがちになってしまう。それでもドスンと着地するドタ足と違って身体の上下動がなくて衝撃が少なく、筋肉が慣れれば楽な歩き方のような気もする。

続けようっと。

wassho at 13:06|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2009年06月11日

月表作りのすすめ

昨日のブログを書きながら、昔たまにやった、ちょっと変わったマーケティング分析手法を思い出した。


それは年表作り(実際には月単位で書いていくので月表)。

競合企業の新商品の発売日と内容、広告表現や展開期間、様々な販売政策、売れ行き、その他役立ちそうな材料を集めて年表形式にまとめていくのである。時には開発担当者の名前など人事情報が加えられることもあった。そのときどきのニュースや社会的な話題ももちろん記入する。


やってみればわかるが(けっこうたいへんだけれど)、年表にまとめる、つまり『時系列で情報を整理』すると、相手の手の内が読めてくるし次のマーケティング展開の予想もつく。競合企業ごとに固有の癖があることもわかる。おもしろいことに自社について同じような年表を作ると、クライアント自身が気づいていないような行動パターンが読み取れることもあった。


また私がこの世界に入った頃、海外には「IBMウォッチャー」と呼ばれる人たちがいた。当時コンピューター業界ではIBMが圧倒的なガリバーだったので、その動向を情報収集し、整理・分析したレポートを競合他社に売る専門的な仕事が成立していたのである。


日本の企業は消費者のリサーチや情報収集には熱心でも、競合企業の分析は片手間でやっているところが多い。専任のウォッチャー職を社内に配置しろとはいわないけれど、もう少し力を入れた方がいい。業界にもよるが、例えば年表に定価と実売価格(値引き額)を入れて時系列で眺めると、時には見ず知らずの競合企業の担当者に同情を覚えるくらい(^^ゞ役に立つ情報が得られることもある。


本日は “消費者しか見ないのは、ある意味、内向きな視点。孫子曰く、敵を知り己を知らば百戦危うからずも、たまには思い出しましょう” の下書きでした。

wassho at 16:25|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2009年06月10日

ひきこもり国家

69fc7ef2.jpg一昨日テレビを見ていたら、北朝鮮に逮捕され12年の刑を言い渡された米国人女性記者(写真)のニュースが流れていた。米国との交渉材料確保のために犯罪をでっち上げたと説が有力である。それにしてもこのところ、北朝鮮のニュースを聞かない日はないくらいである。


  弾道ミサイル(北朝鮮は人工衛星と主張)発射
  もうちょっと射程の短いミサイル発射
  六ヶ国協議拒否
  核施設再稼働
  核実験(実際に爆発させたのは核ではなく普通の爆薬という説もある)


将軍様の健康不安説もあるし、その後継者として子供の頃の写真しか知られていない三男の世襲が決まったという報道もある。もちろん日本には拉致問題もある(韓国をはじめ他の国でも拉致問題はあるらしいが)。


世界にはいろいろな国があって、中にはおかしな国もあるけれど、北朝鮮はダントツでヘンな国である。国連による制裁とかいろいろいわれているが、私はそんなことをしても無駄ではないかという気がしている。


北朝鮮、というより北朝鮮の現支配層は、この国がどうしようもないくらい負け組であり、自分たちにはそれを解決あるいは改善する能力がないことは充分に認識していると思う。

だからーーー現実逃避をする、問題を先送りする、駄々をこねたり癇癪を起こす、妄想にふけるーーーつまり現実や国際社会と向きあう精神状況になく、おそらく問題を解決するモチベーション自体がない。


現実逃避して、問題解決を先送りすることしか頭にない連中に対して「話し合いや交渉」という手法が効果を発揮するとは思えない。

それに個人のひきこもりと違い、もし彼らが現実に向き合うとすれば、今までの虚構を国民に伝える必要がある。それは、その責任をとるというレベルではなく国民に八つ裂きにされることを意味する。だから彼らの問題解決の先送りも、実は命がけの行為でもある。


  じゃあ、どうすべきか
       ーーーーといわれても困るが


外国と交渉するとき、その国の外交方針だけに着目しても、その国の姿は見えてこない。政治を外交と内政に分けるとするならば、どんな国のリーダーだって内政により重きを置いた政治をするし、より関心が高い。(外国の政治のことは外交のニュースが中心になるから錯覚しがちだけれど)
だから北朝鮮の外交的奇行に目を奪われないで、もっと内情を分析すれば彼らにやる気を出させる、あるいは懲らしめたりするよい方策が見つかるかも知れないーーーと、お茶を濁しておく。

wassho at 15:48|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2009年06月08日

想像力と創造力

今さらではあるが、ネットは何かと便利である。疑問に思ったことを検索すれば、大抵のことは調べがつく。昨日も前から気になっていた「お風呂に新しくお湯をはるのと、追い炊きするのとでは、なぜ何倍も時間が違うのか?」についてと、流体力学の「ベルヌーイの定理」に関連する長年の些細な疑問を、夜も遅くになって突如思いついてイロイロと調べたりした。

お風呂に関してはすぐに解決したが、「ベルヌーイの定理」については2時間ネットで格闘するも、たいした成果は上げられず。まあ、力学を数式抜きで理解しようとすることに無理があるか。


自分の知力や学力が追いつかないものは簡単には解決できないにしても、日常の疑問ならほとんどネット検索で答えが見つかる。それはおそらく辞書や百科事典を引いたり、あるいは図書館にでも行って調べても答えが見つかるだろうが、それがきわめて手軽にできるのがネットの便利さでもある。


確かに便利なんだけれど、あまりに便利で簡単に答えが得られて「疑問に思う楽しさ(?)」を味わえないなあという気も最近はしている。


ナゼダロウ?と想像する、あるいは推理を巡らせることは脳を活性化させる、あるいは脳力を鍛えることにつながっている気がする。そして、これは私の経験則であるが、想像力の豊かさと創造力のあるなしは深く関連する。


とはいうものの、解決した疑問が多ければ多いほど賢くなるのも事実。


ーーーーなどと、グダグダ考えるのも脳にはプラスかも(^^ゞ

wassho at 17:07|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2009年06月03日

パン屋さんにお願い

駅前の商店街と近くのダイエーには焼きたてパンを売っている、つまり店舗でパンを焼いているパン屋がある。パンの種類によっては焼いてから2日ほどたった頃が食べ頃というものもあるらしいが、基本的にはパンは焼きたてのほうがおいしい。いわゆるフランスパンは駅前のスーパーとダイエーの普通のパン売り場、つまりお店で焼いているのではなくパン工場から運ばれてきたパンを売っている売り場にもあるけれど、味はけっこう違う。


それで、その2軒の、おいしい焼きたてのパン屋に、私はたいへん不満がある。それはパンのほとんどが菓子パンやお総菜パンなのである。つまりオカズと一緒に食べられるパンが少ない。


もちろん食パンとフランスパンは売っている。
しかし私の感覚では食パンは朝食用のパンである。またフランスパンは私が買う時刻には売り切れになっている場合が多い。ダイエーの焼きたてパン屋には、名前は知らないがオカズと一緒に食べられるおいしい丸いパンがあったのだけれど、なぜか最近は売っていない。


菓子パンやお総菜パンばかりになるのは、たぶんそちらのほうが付加価値が高い、つまり高く売れるからだろう。ビジネス的に気持ちはわかるが、文化度が低く情けな〜い気持ちになってくる。ダイエーに高い文化度を求める私が間違っているかな? 


私の住んでいるところ(の近く)は、そこそこの高級住宅街なので、探せば本格的な焼きたてパン屋はいっぱいあるかも知れない。しかし、そこへわざわざ買いに行くほどのパングルメでもない。本日はパン屋さんにお願い “フランスパンと食パン以外に、オカズと一緒に食べられるパンを最低3〜4種類は用意して。もう一言付け加えるならば、貴様ら、それでもパン屋のつもりか、具に頼らずパンだけの味で勝負しろ!(軽く怒)” の下書きでした。

wassho at 15:37|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2009年06月01日

アパレルにお願い(しない)

先日、知人の奥様が亡くなられた。
ご冥福をお祈りする。


さて、
もうそろそろ危ないらしいーーーという話を聞いたときに、脳裏に浮かんだのは「喪服をどうしよう?」ということ。いわゆる礼服と呼ばれる冠婚葬祭用の黒スーツは持っているが、買ったのは20年近く前で、最後に着てからも15年ほどたっている。ウエストが入るわけがない(^^ゞ


その15年の間に冠婚葬祭は幾度かあったけれど、私はあの黒い礼服というのがイマイチ好きではないので、たいていの場合は濃紺か濃いグレーのいわゆる地味なダークスーツで通してきた。特に失礼もなかったと自分では思っている。


ところがである。ここ1〜2年で、さらに急激に太ってしまったので、手持ちの礼服にも使える地味系のダークスーツは、息を吐いてお腹を引っ込ませない限り、既にホックが閉じないのである(^^ゞ


ということでダークスーツもしくは礼服を作っておかなきゃーーーと、思っていた矢先、知人の奥様の容態が急変し亡くなられた。


知らせを受けた日の夜、お通夜は明日かな?などと思いつつ、とりあえず礼服を出してみる。息を吐いてお腹を引っ込ませても左右のホックはかなり離れている(>_<) でもすっかり忘れていたけれど、礼服にはウエストのアジャスターというサイズ調節機能がついている。それを目一杯引き出すと、何とか収まった。アジャスター恐るべし。

(アジャスターの仕組みを言葉で説明するのは難しいので、
 ネットで適当に検索してください)


と言うわけで、本日はアパレルメーカーにお願い “普通の服にもウエスト・アジャスターつけて” の下書きにするつもりだったんだけれど、やっぱりがんばって痩せようっと。


追伸
結局、故人の遺言でお通夜も葬式も行われず、本当の近親者だけでお見送りをしたそうである。そういうのもいいかなと思う。

wassho at 15:25|PermalinkComments(0) 生活、日常