2009年11月

2009年11月26日

インフルエンザ・ワクチンの疑問

新型インフルエンザのニュースを聞かない日はないが、流行っているのか流行っていないのか、今ひとつピンとこない。今年の春に豚インフルエンザから新型インフルエンザに名前が変わった頃、薬局でマスクが品切れになった頃の方がまだ何となくリアリティがあった。私の回りでは、今のところ新型インフルエンザにかかったという人はいないみたいだ。街でもマスクをしている人はあまり見かけない。


さて、
勘違いがあるかもしれないから、このブログを読んでも行動は慎重に。


まず、
この新型インフルエンザは、病気としての深刻度合いは季節性の、つまり毎年冬に流行る普通のインフルエンザと大差ない。だから(今でも、そんな病気があるのかどうか知らないけれど)コレラやペストが流行りかけているのとは状況が違う。新型インフルエンザに感染したとしても、1週間ほど高熱が出るだけ。もちろん一定の割合で、もっと重症になったり死亡したりするケースもあるとしても、それは季節性のインフルエンザも同じ。

春に流行りかけたときは「これは生まれたての新型で、今はそれほど毒性や感染力の強いウイルスじゃないが、これからどう変化して凶暴なウイルスに変わるかわからない。新型だから予測も難しい」という話を聞いた。そりゃ大変だと思ったりしたが、知る限り半年たって、そんな変化が起きたという情報はない。


この状況認識が正しいとすれば(あくまで自己責任で判断してね)、そんなに大騒ぎするほどのことではなく、いつものインフルエンザと同じ程度の騒ぎ方でいいはず。


でも実際には毎日ニュースを賑わせているのは、ご存じの通り。
それで興味深い記事を2本。

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<日経11月21日より引用>
厚生労働省は20日、医療従事者向けに新型インフルエンザの発生動向をまとめ、同省ホームページ上で公開した。11月中旬までに国民の14人に1人が新型インフルエンザに感染して病院を受診したと推計。死亡したのは患者全体のうち14万人に1人と計算している。

 同省によると、7月下旬から11月中旬までに医療機関を受診した患者数は計約898万人。このうち1200人に1人が入院して、さらに入院患者のうち16人に1人が重症化したという。入院患者のうち基礎疾患(持病)がある患者は低年齢層に集中する傾向にある。

 今月7日までの死者は計50人。発症から死亡までの平均日数は5.6日間、入院が必要と判断されてから死亡するまでは3.7日間だった。同省は「死亡までの時間が短く、抗インフルエンザウイルス薬の早期投与が重症化防止につながる」と分析している。


<毎日11月21日より引用>
新型インフルエンザのワクチン接種による副作用について、厚生労働省の専門家検討会が21日開かれ、季節性ワクチンと安全性に大差はなく、現時点で重大な懸念はないとの結論をまとめた。ただし、死亡例が21件に上り、心臓、腎臓、呼吸器などに障害のある人への接種は慎重な判断が必要だと指摘した。

 厚労省によると、16日までに寄せられた副作用報告は約450万件の接種に対し877件、このうち入院相当の重い副作用は0・002%(10万件に2件)の68件。20日までに報告された死亡21件のうち調査中の2件を除く19件は、基礎疾患のある50〜90代。

 季節性ワクチンの場合、07年度の入院相当の副作用報告は0・0003%(100万件に3件)の122件、死亡は4件。今回はそれより報告頻度が高いが、「因果関係がないと考えられる場合も報告しており、単純比較はできない」との意見が相次ぎ、安全性は大差ないと判断した。死亡例21件中4件は、接種との関連が否定できないとの指摘があった。
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細かな数字が多いので要約すると、

上の記事では、新型インフルエンザにかかって今までに50人死亡している。
下の記事では、ワクチンの副作用で21人死亡している。


上の記事によると、
新型インフルエンザにかかって死亡するのは14万に1人。

下の記事によると接種450万件÷死亡21人だから、
ワクチンの副作用で死亡するのは21万に1人。


つまり、何も予防しないで新型インフルエンザにかかって死ぬのと、ワクチンを接種してその副作用で死ぬのと、その確率は大差ないということになる。記事の文言の断片的な情報から推測すると、ひょっとすると高齢者や基礎疾患がある人の死亡確率はワクチンの副作用の方が高いかもしれない。



      ワクチンって意味あるの?



もちろん、たまたま見かけた2つの記事で全体を語ろうとは思わない。でもマスコミや政府が騒いでいるときは、ちょっと引いて眺めた方がいいことが多い。とりあえず手洗いとうがいをしっかりと。

wassho at 11:50|PermalinkComments(1) 社会、政治、経済 

2009年11月23日

携帯電話は手元に

高円寺の居酒屋で4名が死亡し、十数名が重軽傷を負うという火災があった。その居酒屋がどんなお店だったか、火災がどのように起きたのかはよく知らない。しかし「この店で火事になったらヤバイナ〜」と思うお店は時々ある。


居酒屋だったり和風ダイニングだったり呼び名は様々だが、15年ほど前から個室や半個室をしつらえてある店が多くなった。一直線の廊下に個室が並んでいる単純な構造のところもあるけれど、限られた店舗スペースを有効に利用するため、あるいはインテリアとしての趣向を考えて、入り組んだ構造になっているところも多い。下の階、中の階、上の階と立体的になっているところもある。酔ってトイレにたつと、自分の部屋に戻るまで一苦労である。


そして、入り組んでいる店ほど廊下が狭い。店全体の広さと廊下の幅はあまり関係ないようである。店舗の導線(人の行き来)を考えると、客が一度に廊下を渡ることはないからだろう。そして照明をぎりぎりまで落として店も多い。こんなところで客が、しかも酔っぱらっている客が一斉に避難し始めたら、大変なことになるなあと時々思う。まあ、飲み始めるとそんなことはすっかり忘れているけれど(^^ゞ


幸い、火災にあったことはない。
火災の時は、炎はもちろん煙にやられないように気をつけろ、濡らした布でマスクをしろとか、煙は上に上るから吸い込まないように姿勢を低くしろなどとよく言われる。しかし、その前に恐ろしいは停電である。火災でどこかの配線がショートすれば、その店あるいはビルごと停電になる。



何ヶ月前に、オフィスのビルが突然停電になった。原因は漏電防止装置の誤作動という何bのための装置?というシャレにならない理由で、とにかく夜の8時頃に真っ暗になった。その時初めて気づいたのは、このビルはオフィスの入り口の内側には非常灯がついていても廊下にはついていない。窓もない。本当の暗闇でまったく何も見えない。


そんなときに大活躍したのが携帯電話である。カメラのライトをつければ懐中電灯代わりになるし、ただ液晶画面が光っているだけでも、階段を踏み外さない程度の明かりにはなる。


実は自宅でオイルヒーターを2台つけているのを忘れて、風呂上がりにドライヤーを使うと、そのコンセントの分だけではなく、大元のブレーカーが飛んで家中が停電する。冬の間に数回はそのミスをする。もちろん、そのときに携帯は手元にない。だから手探りで玄関まで行くしかない。自宅なので、どこに何があるかはもちろんわかっている。それでも、アチコチでつまずいたりぶつかったりする。知らない店で、こんな状態になったら絶対にアウトである。

本日は “お店に入ったら携帯はマナーモードに、そして常に手元に” の下書きでした。


追伸

ビルが停電のさなかにトイレに行った。
男子用トイレは、用を足して便器から離れると、赤外線センサーか何かがそれを感知して水を流す仕組みになっている。水を流すボタンはついていない。

水が流せないけど仕方ないかと思って便器から離れると、いつもと同じように水が流れたのでびっくりした。あれは電池で動いているようである。芳香剤を詰め替えるときに電池も交換しているのかな。

wassho at 23:58|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2009年11月22日

羽毛布団の購入注意点

af18247a.gif夏が暑ければ猛暑や酷暑で、寒ければ冷夏。暖かい冬は暖冬。で、寒い冬は厳冬(げんとう)であるが、この言葉はあまり聞かない。今年が厳冬になるのかかどうかは別として、東京はしばらく前からかなり寒く、もうコートが必要である。本日は昼間からヒーターもオン。例年ならコートもヒーターも、もう少し先のような気がする。


しかし、なのに寝るときは未だに毛布である。夏用の綿毛布(綿なのに毛布というのはおかしいが)と、ウールの毛布の2枚重ね。それだけじゃ寒いから、ヒーターを最小にしてベッドの横に置いている。実はこれには、深い理由がーーー。


何年か前に引っ越したとき、一番お金をかけたのは寝具である。自宅で最も長い時間を過ごすのは寝ているときだからである。引越ついでに全部買い換えた。寝具じゃないけれど、ソファはゴロッと昼寝しやすい形かどうかも重視した。


ベッドのマットレスは、いわゆるポケットコイルで、ダブルマットレス仕様である。ポケットコイルは1つ1つ独立したスプリングが、身体の形に合わせて沈む。しかし逆に感覚的にはまったく沈んでいる感じがしなくてとても快適。ダブルマットレス(マットレスが2枚。ただし下のマットレスはポケットコイルじゃない)は揺れないというか、揺れの収まりが絶妙というか、ポケットコイルほど劇的じゃなくても寝ていて疲れない気がする。このベッドにしてからは高級ホテルに泊まっても、たいてい「ウチの方が寝心地がいい」と思うくらい気に入っている。


引っ越してきたときは夏だったので、麻綿(あさわた:麻なのに綿というのはおかしいが)の高級ベッドパットも買った。夏の暑いときにマットレスに身体の熱気がこもって寝苦しくなるのは、これを使うと皆無。目覚めたときの爽快感が違う。そして秋になってカシミヤの毛布も買った。薄くて軽いのに暖かく、身体に沿った掛け心地。それまでのアクリル毛布とは段違いである。


と、ここまでは正解だった。
さて、問題の冬用掛け布団。


これはネット通販で買った。いくつかのサイトを検討し、品質が信頼できそうなところを選んだ。ご存じのように羽毛布団は羽毛の品質と、羽毛の量によって値段が違う。値段的に悩んだものの、長く使うものだからと思い、その店で一番の高級品を買った。ダブルベッドなのでクイーンサイズ、さらに私の身長に合わせて足が出ないように丈も20センチ伸ばした特注品である。


その布団が届いた。「デ、デカイ!」。サイズはもちろん指定したとおりであるが、厚みがすごかった。「かさ高」18センチとカタログにあったけれど、見た目は30センチ近い。布団を2つにおると、ベッドの上に山ができたみたいである。


その布団で寝た。もちろん暖かい。真冬でもTシャツ一枚で、寝室の窓を少し開けておかないと、起きたときに口の中がカラカラになっているくらい暖かい(^^ゞ たぶん南極のテントの中でも暖かいに違いない。羽毛布団は軽いのが特徴である。この布団はマザーグース(水鳥の種類)のダウン(羽毛の部位)95%なので、もちろん理屈的には軽い。布団をつかむと軽くて柔らかいのがよくわかる。しかし、これだけ大きな布団で、たくさん羽毛が詰まっていると、けっこうズッシリしている(/o\)


というわけで本日は “羽毛布団を買うときは、高級なのに越したことはないけれど、【かさ高】には注意して買いましょう” の下書きでした。


ついでに書くと、毛布を買ったときに、一緒にセットで敷き毛布も買った。暖かいとはいえ、冬に毛布と敷き毛布だけではやはり無理。もちろん敷き毛布と、あの羽毛布団では罰ゲームになってしまう。というわけで、ずっと押し入れにしまってある。次の夏には軽くて涼しいという「ガーゼのタオルケット」も買った。でもやっぱり真夏には不要である。(私は何も掛けないで寝る) というわけで、ずっと押し入れにしまってある(^^ゞ 枕も3種類くらい買い換えた。

あれやこれやで、寝具にお金を掛けるという方針には後悔していないものの、おかげでテレビは未だに21インチで、右上に「アナログ」と可愛く表示が出る。ま、今日あたり羽毛布団に代えるつもり。バカでかくて布団カバーをつけるだけで一苦労なんだけど。

wassho at 19:02|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2009年11月12日

機動隊がいたけれど

明日、オバマ大統領が来日ということで、オフィスのある銀座周辺も警戒厳重になってきた。あちらこちらに多数の警官がいる。普通の検問じゃなくって、怪しい車を取り逃がさないよう、バリケードというか鉄の柵のようなものが道路の脇に準備されている。今朝は警官が、そのバリケードの端と街路樹をロープで結んでいた。あまり太い街路樹じゃないので、もし強行突破する車がいたら木が折れてしまうなといらぬ心配をしたり。


この警備で銀座周辺をパトロールしている警官は2種類いる。一つは普通の制服を着た、いつもよく見るお巡りさん。でも今日は胸に野球の審判のようなプロテクターをつけている人も多い。あれって防弾チョッキ? 

もうひとつは機動隊の制服を着た警官。もっとも機動隊の制服を正確に知っているわけではないので、たぶん機動隊なんだろうと思っているだけではあるが。また制服に「特」という漢字が背中に書かれている警官も多かった。彼らは胸のプロテクターはもちろん、肘やスネもプラスティック製のようなプロテクターで身体をガードしている。



幸いなことに機動隊のお世話になったことはない。その存在を知ったのは学生紛争の頃。当時、私はまだ小学生だった。デモ隊との激しい衝突がニュースで流れた翌日には、学生と機動隊に別れてもみあう「全学連ごっこ」で遊んだものである(^^ゞ


というわけで機動隊には「ゲバ棒や火炎瓶で暴れる過激なデモ隊を鎮圧する屈強な集団」というイメージを持っている。


しかし本日は、そこら中に機動隊の警官がいたけれど、そのほとんどが

   若いというより、幼いというか頼りない顔をしている
   体つきも線が細くて貧弱
   身長があまり高くない人も多い


のには、ちょっと驚いた。そんなことはしないけれど、ケンカをふっかけても勝てそうな連中の方が多かったのである。


ここは銀座で上品な街柄だから、屈強な隊員は他に回されて、軟弱な隊員ばかりが集まったんだろうか。あるいは草食系男子なんて言葉がはやっているから、機動隊に配属される若者でも、あの程度なのだろうか?


最近、日本の落ちぶれを感じている身としては、とうとう警察のレベルもーーと思ってしまう。もっともオバマ大統領には、日本の法律を無視してマシンガンをスーツの下に隠し持ったシークレットサービスが、がっちりとガードしているから大丈夫だろう(^^ゞ

wassho at 20:38|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2009年11月10日

スルーされるニッポン

東京モーターショーの来場者数は、結局61万4400人と目標を大きく下回り、32年ぶりに100万人を割り込んだ。メーカーは「エコカーやハイブリッドカーなどで特徴を打ち出せた」としているが、エコカーを「ショー」に出かけてまで見てみたいと思う人が多いとは思えない。もし次回も海外メーカーが出展しないとなれば、来場者はさらに半減するだろう。エコカーが重要であっても「ショー」とは夢を見るところであり、主役にはなりづらい。


リーマンショック以降の世界不況、最近は100年に一度のという枕詞はさすがに使われなくなったが、実感として感じている人はそう多くはないような気がする。私の仕事でも国内クライアントに限っていえば、特に大きな変化はない。


先日、ヨーロッパで30年以上も暮らしている(日本人)ビジネスマンと話をする機会があった。あの有名な会社の、あんな有望なプロジェクトが中止になったとか、どこそこの有名会社では、あの部署ごとリストラされたとか、そんな話のオンパレード。日本やアジアの国と較べて、欧米ではリーマンショックは深刻である。


もっとも、その人に言われなくても欧米の状況は理解できていた。えっ?さすが世界を股にかけて仕事をしているって? う〜ん、実際はそんなかっこいいものじゃない。理解できていたのは、海外クライアントからの仕事が激減したからである(涙) 東京モーターショーじゃないけれど、特に国際比較のリサーチプロジェクトで、日本だけが対象から外されることがとても多くなった。東京モーターショーの時に「デジャブの反対」と書いたが、それはもうすでに始まっている。



以上、国際ビジネス最前線からのレポートでした。
でも、細々と仕事しているだけだから、情報的には偏っているかも。

wassho at 16:59|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス | 社会、政治、経済

2009年11月08日

正しいお風呂の入り方

b4c28753.jpgシャワーとお風呂(湯船につかること)を較べると、身体を清潔にする効果では大差ないと思うが、筋肉をリラックスさせるという点ではお風呂の方が優れている。つまり疲れがとれる。

また人間の免疫機能は、少し身体を温めた方がよく働くらしい。日本は長寿国家なのは風呂好きで身体を清潔に保つとともに、湯船につかることで免疫機能を高めていることも貢献していると思っている。※医学的根拠は調べていません。鵜呑みにしないでね(^^ゞ でも、私は風邪を引いたかな?と思ったら、風呂で暖まるようにしている。


まあ、理屈をいろいろ考えなくても、お風呂はゆっくりと入りたい。しかし、実際にはノボセてくるので、あまり長い時間は湯船につかっていられない。マンションのユニットバスは熱気がこもるし、窓もないからなおさらである。夏は風呂場の扉を開け、外からサーキュレーター(扇風機みたいなもの)で風を送り込んだりしている。

でも冬は扉を開けると寒い。ノボセと寒さを調節するために扉を開け閉めするのも面倒。だから「あ〜今日は疲れた。ゆっくり風呂にでも入ろう」と思って帰ってきても、ソソクサと風呂から上がってくることになる。


写真のサブちゃんは某缶コーヒーのCMのヒトコマ。頭に手ぬぐいをのせるのは、日本的なお風呂風景にはお約束の演出。しかし自宅でこんなことをしている人は、たぶんほとんどいないかもしれない。


しかし実は、頭に手ぬぐいをのせるのは偉大なる先人の知恵だと先日知った。あれはノボセ防止装置なのである。つまり水で絞った手ぬぐいで、頭を冷やしているというわけ。

温泉なんかでは、タオルを湯船に沈めてはいけない決まりというかマナーになっているので、タオルの置き場所として頭を使っている人がいるけれど、掛かり湯をしたときにお湯で濡れたタオルを絞ってのせても効果はない。必ず水で絞りましょう。もちろん外気に触れる露天風呂なら必要ない。


試してみると、それなりに効果的。日本的に頭にタオルをのせるより、ターバンのようにグルグルと巻いた方がより効果的。ただし、すぐにタオルが暖まって効果が持続しないので、何度か水で絞り直す必要はある。ユニットバスの人は是非お試しを。


追伸

1)温泉なんかでは、タオルを湯船に沈めてはいけない決まりというかマナーになっているが、その根拠がわからない。

2)頭に手ぬぐいをのせて風呂にはいるのは、日本的/古風なイメージがある。それは江戸時代のちょんまげの時代もそうだったんだろうか。ちょんまげに手ぬぐいがのっかっているところを想像すると、笑っちゃうんだけれど。というか風呂にはいるときもちょんまげは結っていたのかな。

3)そう考えると、女性の日本髪ならのせにくいだろうな。ところでサブちゃんのような絵ヅラは男性ではよく見るが、女性では見たことがない。女の人も温泉とかでは頭にタオルをのせている人がいるの?

wassho at 23:46|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2009年11月01日

甘いブドウ

105d296b.jpgここ数年、秋になるとブドウをよく食べる。今年も、もう飽きてきたくらいよく食べた。まあ、そろそろシーズンオフだけれど。割と大ぶりのブドウを2房ほど週末に買い、洗ってお皿に盛ってテーブルに置きっぱなしにして、1週間かけて気が向いたらチョビチョビと食べる。私はフルーツは冷やさないで食べる主義である。

ところでブドウをお皿に盛ると、何となく油絵を思い出して芸術的な気分になるのは私だけかな?。リンゴやミカンを盛っても、そんな気にはならないのが不思議。


実はしばらく前までブドウはあまり好きじゃなかった。


子供の頃によく食べたブドウは、今はデラウエアと呼ばれる「種なしブドウ」である。あれは甘酸っぱくて好きだった。記憶では真夏によく食べた気がする。当時、ブドウといえば「種なしブドウ」が一般的で、大粒のブドウはメロン並とはいわないまでもかなり高級品。普段のおやつやデザートに食べるものではなかった。

でも、初めて大粒のブドウを食べる日がやってきた。たぶん薄いグリーン色のマスカットだったと思う。濃い紫色をした巨峰などの品種が出回ったのはもっと後のことである。「これはいつものブドウと違って種があるよ。皮もむいてから食べるのだよ」と親に教わりながら食べた。


酸っぱくって、ちょっと固くて、あまりおいしくなかった(>_<)
皮をむくのも、種を出すのも面倒だった。

高いブドウを買ってきたのに、私があまり喜ばなかったからだろうか? その後、我が家で大粒のブドウはあまり食卓に上がらなかった。種なしブドウは、その後も喜んで食べていたから、安上がりな孝行息子である(^^ゞ


そんなわけで、大粒のブドウは「嫌いな食べ物」になってしまった。ある程度、大人にになるとなぜか種なしブドウもほとんど食べなくなった。


ところが数年前、ちょっと豪華な中華料理を食べに行ったとき、最後にブドウが出てきた。私の苦手な大粒のブドウである。残すのももったいないので食べた。甘くてジューシーでびっくりするくらいおいしかった!「メッチャうまい」とか「さすが一流レストランは違う」とかハイテンションな私を見て、一緒にいた友人たちは不思議そうな顔をしていた。結局そこで、今のブドウは、こんな味だと知ることになり(恥)ーーーー現在に至る。


というわけで、甘くジューシーなブドウは私の好物になったわけであるが、最近はちょっと甘すぎるのじゃないかという気もしている。果物や野菜の甘さは糖度で計る。糖度を上げるべく生産者は何十年も品種改良をしてきたのだろうが、行きすぎてブドウ本来の味じゃなくなっている気もする。そういえば以前、トマトが甘すぎる、昔はもっと青い夏らしい味がしたと書いたけれど、それはどうもこういう理由らしい。


甘い方が売れる、マーケットニーズがあるといえばそれまでだが、単なる嗜好以上の問題があるかもしれない。


    1950年  150ミリグラム
    1994年    8ミリグラム


これはほうれん草100グラムに含まれるビタミンCの量である。なんと5%に激減している。ほうれん草は、昔は子供の嫌いな野菜の代表選手だったが、品種改良されて食べやすい味を追求した結果、今はほうれん草嫌いの子供は少ないそうである。しかし、その結果95%のビタミンCを失った。これじゃポパイも力持ちになれない。


今、気づいたけれど、
ビタミンCを摂ったら力持ちになるの? だいたい、ほうれん草の缶詰なんて見たこともないが、アメリカでは売ってるの?


話がそれた。
それたついでに書いておくと、品種改良とビタミンCの減少が100%の因果関係かどうかは知らない。たぶんハウス栽培とかの影響もあるだろう。


トマトなんかがどんどん甘くなっているのに対して、青物野菜とかは昔と較べて味が薄くなっているような気もする。もちろん昔の野菜と食べ較べられないが、海外に行くと野菜の味が濃い。食糧自給率も大事ではあるが、日本の農業はもっと本質的な課題を抱えているようにも感じる。もっとも昔のマスカットは嫌いだし、昔のトマトも懐かしいだけで今食べたらおいしく思わないかもしれない。その辺が、この問題のややこしいところである。




ところで現在の私は、ブドウは皮ごと食べる。皮をむくのは面倒だし、実より皮の方がポリフェノールという何かと身体にいい栄養分が多いので一石二鳥である。たぶん食物繊維を摂ることにも貢献している。ちなみにヨーロッパの人たちは種もガリガリ噛んで食べる。種は皮より、さらに栄養分が多いらしいが、固いしおいしくないので私には無理。(皮はおいしいよ) 

でもたまに種を飲み込んでしまうことがある。スイカの種もそうだけれど、胃袋の中で成長しないかとか、ウンチに芽が生えていないかとか、いくつになっても心配になる(^^ゞ

wassho at 21:26|PermalinkComments(0) 生活、日常