2010年01月

2010年01月31日

プリムラ・ポリアンサ

1dac4875.JPG写真は先週の土曜日に買った鉢。
左がプリムラ・ポリアンサで、
右がカランコエという花。
(クリックすると写真は大きくなる)


1月の半ばくらいにクリスマスカクタスは花をすべて落としてしまったので、何となく寂しくなって、スーパーに買い物に行ったついでに買った。


プリムラ・ポリアンサは初めて知ったが、花の色や模様が何種類もあって、それぞれキレイである。お店にあった全色を「大人買い」しようかという衝動に駆られたが、部屋が狭くなるので断念。葉っぱは一部黄色くなっているが、緑の部分なら見た目的には食べられそうな気がするのは私だけかな?

カランコエは実家から鉢をもらって育てたこともある。こいつは夏にベランダに出していると、葉が赤茶色に日焼け?する。一度赤くなると元には戻らない。赤茶色になったカランコエはあまり美しくない。春までに正しい育て方を調べようっと。なお花は見たとおり可憐だが、葉っぱは少しヘンなにおいがする。

プリムラ・ポリアンサは寒さには強いが、暑さには弱く夏は越せないらしい。花は3月くらいまで咲いていると書いてあった。写真では見えないが、咲いている花の下に蕾のついた茎がたくさん出番を待っている。


ちなみにカランコエは298円、プリムラポリアンサはバーゲン中で189円だった。考えてみればタバコより安い。こういう書き方は気が引けるけれど、上手に育てられなくても気になる金額ではない。実は密かにマンション1年中花園化計画を思案中である。

wassho at 23:46|PermalinkComments(0)   *チューリップ以外 

2010年01月30日

加湿器2

35ae734c.JPG写真は自宅の加湿器である。
あれ? 2つに増えてる。


1年ほど前にオイルヒーターは高くつくからエアコンも使おうと、それで乾燥がイヤだからと買ってきた加湿器。小さいサイズでも大丈夫だろうと思ったけれど、それが失敗だったという話を書いた

昨シーズン使ってみて、やっぱりちょっとつらかった。
というわけで今シーズンは1台買い増し。
売り場を眺め、今回も家電メーカーのデザイン不在を確かめられたので、迷わずに昨年と同じメーカーのものを買うことに。もちろん一番大きなサイズ。今回買ったのはHD-RX709という製品で、残念ながら今シーズンもこのサイズにオレンジ色はなし。ちなみに前回買ったのは知らないうちに旧モデルとなっているHD-RX308である。こちらは現在、寝室用になっている。


加湿器を買ってわかったこと。


1)
もともとオイルヒーターと違ってエアコンは乾燥するから加湿器を買ったのだけれど、その後に買った湿度計で見てみると、オイルヒーターでもけっこう乾燥している。加湿器をつけないでエアコンをつけると湿度25%位だが、オイルヒーターでも35%程度である。(50〜60%くらいが最適湿度とされている) エアコンだと部屋の中に風を感じるので、それでよけいに乾燥しているように思うようだ。


2)
夜(気温が低いからだと思うが)に、湿度が50%を超えたくらいでガラスに水滴がつく。私はたばこを吸うし、その煙でガラスについているタール(だと思う)は水溶性である。レースのカーテンはどうしても窓にふれる。というわけで我が家のレースのカーテンは、ところどころ茶色の縞模様である。


3)大きいサイズの加湿器はけっこううるさい。小さいサイズのはほとんど無音だったのに、吹き出す風の音はするし、それとは別の低周波音もうなっていてちょっと不快である。加湿器選びは何かと難しい。


4)
エアコンの吹き出し口には上下と左右に動くルーバー(羽)がついていて、それで部屋全体をむらなく冷暖房するようになっている。その代わり身体に風が当たる。ためしにルーバーを一番下向き、一番右向き(ソファと反対方向)に固定してみた(リモコンで操作できる)。風が当たらず快適である。暖房がムラになっているようにも感じない。※ムラにならないのは、他にサーキュレーターをゆるく回しているのも貢献している。


5)
というわけで湿度も保たれ、身体に風の当たらないエアコン暖房はずいぶん快適になった。でもやっぱりオイルヒーターの方が快適である。理由はよくわからないが、同じ温度でもジワーっと暖かい気がする。何となく疲れた感じのするときはついオイルヒーターを使ってしまう。



ここ数年前からなぜか乾燥に敏感である。乾燥がひどいと顔の肌が痛くなってくる。髪の毛が硬くなる。夏はローション冬ならクリームを顔にすり込んで出かけるようになった。これも老化現象なのかな(涙)。

オフィスは自宅よりもっと乾燥しているので、先日たまらずデスクサイドに置くタイプの、無理すれば手のひらにのせられなくもない大きさの加湿器を買った。でもこのミニ加湿器で、さらに加湿器選びの難しさを知る羽目にーーー。

wassho at 23:41|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2010年01月28日

JALあれこれ2

本日の株価は2円。
いずれ100%減資されるはずだから、その時点で価格はゼロになる。それまで1円から3円くらいの間でマネーゲーム攻防戦が続く。1円の時に1億円分買って、2円になって売れば1億円の儲けである。そのまま価格が上がらず、あるいは買い手がつかなければ減資された時点で株は紙くずになる(今は電子取引だけれど)。何とも刺激的。お金があれば私もババ抜きゲームに参加したいな。


増資はイメージできでも減資は何のメリットがあるのかわかりづらい。あまりなじみのない言葉かも知れないが、強引に簡単に説明するとこういうことである。(かなり無理した説明だから、正確には自分で調べてね)

資本金100万円で会社を起こしたとする。
そして、その100万円を使い果たしスッカラカンになったとする。
帳簿は資本金100万円、現金0円となる。
つまりマイナス100万円の欠損である。
これじゃやっていけないので100万円増資したとする。
帳簿は資本金200万円、現金100万円となる。
手元のお金は増えたが、マイナス100万円の欠損であることに変わりはない。
100万円の欠損のある会社には誰も出資してくれないかもしれない。
この欠損を消してしまうのが減資である。

最初にスッカラカンになり帳簿が資本金100万円、現金0円の時に、
その資本金を0円に、つまり株を紙くずにしてしまうのが100%減資。
資本金0円、現金0円だから欠損なしのきれいな帳簿になる。
もちろん減資してもカネがないことに変わらないから、あくまで帳簿操作のようなもの。たとえば現金が10万円残っている時点で99%減資すると資本金1万円、現金10万円の優良財務に見かけ上なる。


本日は、ただ説明しただけの中身のないブログになってしまったm(_ _)m


ーーーー続く ※続かないかもしれません

wassho at 16:22|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2010年01月27日

JALあれこれ

aea79cc1.jpg日本航空が19日に会社更生法を申請したのは周知の通り。なぜかマスコミは日本航空に対し倒産という言葉を使わないが、会社更生法を申請するというのは倒産したということである。

倒産には夜逃げするしかない倒産と前向きな再建型の倒産、その他いろいろな倒産の形があるが、その時点で首が回らなくなったから倒産する点では変わりない。「ウチの会社が倒産しそうだ」と「ウチの会社が会社更生法を申請しそうだ」ではイメージ、危機感が全く違う。会社更生法というオブラートに包んだような表現では、今後の再建策も生ぬるく、2次破綻もあるなと思うのは私だけかな。

ちなみに知り合いのスッチーは「会社更生法は申請したらしいけれど、倒産はしていない。その証拠に私は明日もフライトがある」と主張していた(^^ゞ

なお法律上に明確な倒産の定義はない。いくつかの要件があれば倒産と社会通念的に決められている。またさっき書いたように倒産といってもいろいろパターンがある。説明は面倒なので自分で調べてね。


日本航空のトップには京セラの稲森和夫名誉会長が就任する予定である。彼は日本でもっとも優秀な経営者の一人である。航空業界については素人であることを批判する向きもあるが、あのクラスになれば情報や知識のような表面的なことで物事を判断するわけではないから心配ないだろう。

しかし稲森氏就任のニュースを聞いたときはがっかりした。繰り返すけれど彼は日本でもっとも優秀な経営者の一人である。しかし80歳前の老人に頼まなければいけないほど、この国には人材がいないのかとがっかりしたのである。そして正確に言うなら彼は過去に日本でもっとも優秀な経営者の一人「だった」である。


たぶん人材はいる。
それでも稲森氏が選ばれたのは、過去の実績(京セラグループはダメになった会社を吸収していくつも再建している)もさることながら、そのネームバリューと「重し」としての存在感が重視されたからだろう。そういう内向きな発想、形式主義、ナアナアな進め方ーーーまあ日本はずっとこれまでそうやってきたわけであるが、21世紀になっても、政権交代しても、リーマンショックが起きても、やっぱり変わらないのネと、改めてがっかりしたしだいである。

会社でも国でも「常に人材はいるけれど、それを選べなくなったら衰退の兆候」という言葉があって、何かそんな雰囲気が漂う。あれっ、自民党の総裁は誰だっけ(^^ゞ


どんな再建プランが用意されているのか知らない。しかし日本航空を今の形の日本航空で残す必然性はないし、それで成功する可能性は低いように思う。個人的にはもっとキッチリ倒産させて、切り売りした方が無駄な税金を投入しなくてすむし、結果的に「真の再生」の近道だと思うが、政府はそういう判断をしなかった。


ーーーー続く ※続かないかもしれません

wassho at 20:38|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2010年01月21日

小沢一郎に提案

政治家はカネにクリーンではない職業だし、まして小沢一郎が清廉潔白だと思っている人は世界中どこを探してもいない。ニュースキャスターたちは「国民は強い関心を持って成り行きを見つめている」というけれど、不正なカネをもらって不正なことをしたということでもなさそうだし、記事の見出し程度は読んだとしても本文まで読む気は起こらない。

もし街頭インタビューを受ければ、かしこまった顔をして「がっかりした、けしからん、一刻も早い真相究明を」とテレビカメラに向かってはいうかもしれない。ああいうインタビューは本音ではなく建前で話す人が多いと感じている。皆さんはどうですか?


報道によれば小沢一郎は、今週末にも事情聴取に応じ、また検察は彼の奥さんにも事情聴取を要請しているとのこと。マスコミと永田町はまた大騒ぎになるだろう。聴取が終わればいつものように、小沢一郎周辺あるいは民主党は「きちんと説明した」といい、マスコミと野党は「疑惑はますます深まった」というに違いない。そして側近を逮捕し本人の事情聴取も行うのである。検察が「本日の聴取でよくわかりました。我々が誤解していました。ゴメンナサイ」という可能性は低い。つまり国民は、このよくわからない事件にまだしばらくつきあわなければならない。


さて小沢一郎は毎日テレビに出ているけれど、誰もが認める日本の陰の総理である。ちっともやましくないことであれこれいわれ心外だろうし、そんなことで政治活動に全力を傾けられなかったり、国民に迷惑をかけていることをさぞ申し訳なく思っているに違いない。それに無実だとすれば、まさしく国益の損失である。そこで提案である。


  『事情聴取を公開し、テレビで生中継する』


自民党が密室で決めていたことを、事業仕分けで公開するという画期的なことをやってのけた民主党=小沢一郎である。オープンにすることの意義は十分わかっているはず。

それに大きな事件が起きたときに登場する東京地検特捜部だが、よく考えれば顔の見えないナゾの組織である。正義の味方のイメージがあるけれど、過去の汚職事件の結末を見れば、意外と無能な役人たちかもしれない。

実際のところを国民は知る権利がある。それになんたって小沢一郎は身の潔白を国民に説明できるし、説明責任を果たしていないという指摘に100%応えることができる。誰か彼と検察に提案してくれない?


wassho at 15:40|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2010年01月19日

ハイボール

ウイスキーの炭酸水割り。
女優の小雪がテレビCMに出てからかどうかは別として、、最近流行っていることは知っていた。ブームのおかげでずっと低迷の続いていたウイスキー市場(83年をピークに市場規模は1/4位に縮小)は昨年、11年ぶりに前年実績を上回ったし、小雪が宣伝しているサントリーの角瓶は前年比15.6%増と大幅アップらしい。そういえば忘年会・新年会で飲んでいる人も多かった。


恥ずかしながら、とあるバーで先週生まれて初めて飲んだ。
炭酸割りだから軽い感じがするのは当たり前として、ウイスキー独特のツンとくる香りもあまりしなくなるので、さわやかにジャブジャブ飲めそう。これは(私にとっては)危険なお酒だと思い(^^ゞ、一杯飲んで他のものに変えました。


ハイボールは昔からある飲み方である。もう一般名詞になったが「酎ハイ」は「焼酎ハイボール」の省略形。でも昔からあっても、ウイスキーを水割りで飲む日本人にとっては、それほどポピュラーではなかった気もする。ちなみに、そのバーのオーナーによると


  客「ハイボールください」
  主「何のハイボールにいたしましょう」
  客「いや、だからハイボールください………」


というようなやりとりも、このブームになってからたまにあるという。

ハイボールがブームになったのはメーカーのマーケティングによるところが大であるが、その要因は価格。店で飲むなら生ビールより3割くらい安い。ちなみに炭酸水は原価も安いので、飲食店の利益はビールよりいいらしい。何年かたつと「ハイボールを飲むと、不景気な頃を思い出す」と言われるかも知れない。

さっぱりしているので食事にも合うというのも受けている理由。しかし「これでウイスキーが復権する」というメーカーのもくろみはどうかな? ウイスキーらしくなくてハイボールが人気なんだから。ハイボールブームは数年は続くだろうが、かといって水割りやロックでウイスキーを飲む人が増えるとは限らない。


今年から一ヶ月に一つは、今までに未経験なことをすると決めた。
とりあえずハイボールを飲んで1月は目標達成(^^ゞ


どうでもいいけれどハイボールや酎ハイで使われる炭酸水/ソーダ水/トニックウォーターというのは同じものなのかな? そのまま飲んだらどんな味がするのかしないのか? 昔から一度試してみたいとは思っている.しかし、そんなことばかりで未経験なことが埋まっていくのも寂しいから、積極的に試すのは当面やめておこう。

wassho at 17:04|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2010年01月17日

黒船来航の謎(3)

え〜、
3回も続けておいて気が引けますが、このテーマについての結論とか、独自の見解などはありません。ただダラダラ書いているだけです。


乗組員2000名で旗本十万騎(本当に10万人いたかどうかは別として)の幕府を屈服させたペリーは、この局面だけをとらえると小が大を制したといえる。確かにテクノロジーでは優位に立っていたが、原爆と竹槍ほどの差ではなかった。

しかも実はペリーは米国大統領から交戦を禁じられていた。つまり彼は政治・外交の術で幕府に勝利したのである。(交戦を禁じられていたが、ペリーにその命令は届いていなかったという説もある。しかし、いずれにせよ空砲は派手に撃ったけれど実弾は使用していない)


来日前にペリーは日本の情報を集め、日本人の国民性あるいは幕府の現状を鑑みて、高圧的態度で押しまくると決めていたようである。鎖国の当時、外国船は長崎に寄港することになっていたのに、無視して浦賀に現れ、江戸湾に居座ったのもその表れである。1853年に初めて来航した時は、幕府との押し問答の末、1年後に本格的な交渉をする約束をして去っていった。しかしその直後に徳川将軍が死んだことを知ると、約束より半年早く来航し幕府に揺さぶりを掛けている。


しかし「自分が苦しいときは相手も苦しい」である。


ペリーもきつかったはずである。圧倒的軍事力を持っていたように教科書では書かれているが、アウェーで補給もないのだから返り討ちにされる可能性も少なくはなかった。仮に交戦して局地戦で勝利を収めても、日本が他の外国と同盟を組んで、日本から閉め出されては来た意味がなくなる。(当時のアメリカは超大国ではなく列強の新参者にすぎなかった) 交戦禁止の大統領命令が事実だとすれば、幕府を怒らせて岸から大砲を撃たれれば、それが命中しなくても届かなくても、その時点で彼は負けたことになる。


でも結局、ペリーの知力、行動力、交渉術(はったりを含む)が幕府に勝利する。
2000名の小が十万騎の大を制したのである。



いきなり場面は現在の会議室に変わって

「ほぉ〜、我が社を相手に一戦交えますかな?」といやみたらしくいわれ、
「お望みなら」と答えたことは何回かある。

そのうちに何回かは開戦したけれど(^^ゞ、幸いなことに敗戦したことはない。本当の戦闘のことはよくわからないけれど、ペリーもそうだったように政治・外交では、私の場合ならビジネスの分野では、数や規模は絶対的な脅威ではないからである。ビジネスで無用な諍いを起こすことはもちろん勧めないが、相手が大企業だからといって不必要にビビッたり、あきらめることはないと、スモールなビジネスあるいはベンチャーでがんばっている皆さんには是非お伝えしたい。ペリー提督万歳\(^_^)/


実は、日本が黒船にビビッたことより、もっと疑問に思っていることがーーーそれはインカ帝国。南米の現在ならチリ、アルゼンチン、コロンビアあたりに栄えていたこの帝国は人口1600万人。それが16世紀に海を渡ってきたスペイン人に征服され滅亡させられるのである。最初に上陸した部隊は168名と伝えられている。どうやったら、そんなことができるの? これから起業しようという人は、ぜひこっちも勉強してみたら?

wassho at 23:36|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2010年01月14日

閉店時代

ペリーの話は一回お休み。


家電量販店の「さくらや」が2月末を持って全15店舗(全盛期は30店舗くらいあった)を閉鎖すると発表した。全国チェーンじゃなかったと思うので、ピンとこない人もいるかもしれないが、さくらやといえば「♪♪安さ爆発、デンキのさくぅらやぁ〜」のCMで有名。もっとも接客やサービスも爆発している(^^ゞという揶揄も多かったが。閉店爆発セールしないのかなあ?


昨年の12月にはハンバーガーチェーンのウエンディーズも年内撤退を発表した。こちらは全71店舗。さくらやがなくなっても私には影響ないが、オフィス近くのウエンディーズを月に2回位は利用していたので、こちらは残念。向かいにマクドナルドもあって、そちらの方が安いが、ウエンディーズの方が旨かった。ニュースが流れた当時、どこかが買収するともいわれていたが、今現在、店舗は閉まっている。銀座店に限っていえば、とても繁盛しているように思えたが。ダブル・ウエンディーズ食べたいよう〜。


じわーっと不景気である。なんだかんだいっても日本経済の基礎体力は高いので、ビンボウ感はそれほどないものの、出口が見えてこない気がする。「春のこない冬はない」とか「待てば電車は必ずくる」とか楽観的な座右の銘が好きな私であるが、悲観的にならない材料は少ないと感じる。

政治的な混乱も影響するだろう。まあ5〜60年続いた自民党政治から政権交代したのだから、それは仕方がない。鳩山首相が就任当時に述べた「4年間で新しいスタートを切る」という認識は妥当である。そんな余裕があるかどうかは別問題だが。あっ、それと由起夫ちゃん、成長戦略がナイナイと批判されているけれど、それほど気にすることないよ。もちろん、しっかりやってもらわなくては困るが、声高に批判している新聞社やマスコミも自分とこの成長戦略なんて持っていないんだから(^^ゞ


話がそれた。


びっくりするような閉店は今のところ2つ。これが指折り数えなければならないような事態にならなければいいが。いくつか噂は飛び交っている。3つ4つとなった時点で、ヨソも閉めたしウチもそうするか〜とガンバルのをあきらめる経営者が出てくる。あるいは最後のババをひくまいと銀行が逃げ出す。去年、マンションディベロッパーがいくつも倒産したけれど、インフルエンザだけでなく経済も伝染するものなのである。


しかしまあ、たとえばバブルがはじけて山一証券が倒産(廃業だったっけ?)して大騒ぎしたが、その後ネット証券ができて株式投資をする人には、今の方がいい世の中になっているはず。いろいろあるのが世の習いだし、いかに次の未来を築き上げられるかが大事。もうペリーやマッカーサーは来ないから自分たちでやるしかない。大丈夫、日本人ならうまくやると、やっぱり楽観的。

wassho at 11:33|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2010年01月11日

黒船来航の謎(2)

9a838d4d.jpgなぜだろう。
いろいろ想像してみる。


1)
とにかく黒船にビビッた。
日本の船と較べてはるかに巨大で、帆もなく動くなんて、この世のものとは思えなかった。今なら横須賀上空に巨大な宇宙船が浮かんでいるようなものか。どんなすごい兵器を持っているのか想像するのすら怖かった。


2)
実はペリーが来るのも黒船のことも、鎖国の例外として国交のあったオランダを通じて事前に知らされていたのである。しかしその情報に接していたのはごく一部の幕府上層部だけ。上層部は冷静でも、現場が大騒ぎとなり収拾がつかなくなった。


3)
オランダと国交はあったが、オランダ人が出入りしていたのは長崎の出島。しかも市民の目に触れないように隔離されたような区画のみ。江戸にも使節くらいは来ていたかもしれないが、日本人が何百人単位の「外人(西洋人)」を見たのは、これが初めてだったかもしれない。それで、その体格や顔つきにビビッた。日本人の西洋コンプレックスはここから始まっていたりして。


4)
黒船来航の200年ほど前に起きた島原の乱以降、日本では戦争、戦闘らしきものは起こっていない。つまり今日以上の超平和国家。幕府とは武士が支配した政治体制でも、その頃の武士は刀を差していても単なる役人・文民に過ぎなかった。だからたとえ一発でも大砲を撃ち込まれるなんてチョー怖かった。


5)
黒船にビビりはしたが、冷静に考えて追っ払えることはわかっていた。しかしアメリカを怒らせると、次に100隻、200隻の大艦隊で攻め込まれるかもしれないと不安になった。


6)
幕府は別に弱腰ではなく、妥当な政治判断をしただけだった。しかし歴史は勝者が書く。幕府を倒した明治政府が幕府が無能だったことをことさら強調した。その明治政府の史観が現在まで影響している。


7)
幕府は弱腰外交を演じ、薩長などの反幕府勢力を勢いづかせる戦略を持っていた。ある程度跳ね上がらせておいたところで、アメリカと組んで、それらの諸藩を制圧するつもりだった。



モーソーしだすとキリがない。
まあ、楽しみは老後に取っておこう。
とにかく旗本十万騎といわれた江戸幕府は
9隻2000名のペリー艦隊に屈服したのである。
(続く)

wassho at 23:50|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2010年01月10日

黒船来航の謎(1)

今年の大河ドラマは坂本龍馬の話。
坂本龍馬×福山雅治のW効果で前評判(もう始まっているけれど)は高いらしい。
前評判というかNHKの皮算用かな。


熱狂的なファンも多い坂本龍馬ではあるが、私自身は彼のことに詳しくない。土佐藩出身で、幕末の表舞台・裏舞台でいろいろ活躍した程度のイメージ。大河ドラマはたぶん見ないが、ブームに便乗していろいろ勉強してみるのも悪くないかもしれない。


さて龍馬といえば幕末の英雄である。
そして幕末について、ずっと疑問に思っていることがある。


幕末は1853年、アメリカのペリー提督率いるアメリカ艦船が浦賀沖に現れたことから始まる。いわゆる黒船来航である。(浦賀の名前は教科書で知っていても、それがどこか知らない人が意外に多いが横須賀のこと。横須賀は横浜の隣) それを契機に開国論と尊王攘夷論が起こり、倒幕運動が高まり明治維新につながっていくことはご存じの通り。


幕府はアメリカに押し切られる形で、鎖国を捨て開国に踏み切る。ペリーが来日したのは国交を求めての交渉であり、建前的には「開国か開戦か」という要求をしたわけではないが、黒船の威力の前に屈服したとみるのが一般的である。歴史を読めば幕府の右往左往ぶりがよくわかる。


     どうして黒船に、そんなにビビッたの?


それがよくわからない。

黒船とは蒸気船のことで、煙突から黒い煙を出すから黒船と呼ばれた。(船がタールで黒く防水塗装されていたからという説もある) それは日本人が初めて見る船だった。(当時はまだ帆船の時代) 

それに驚いたのは理解できる。しかしペリーが率いてきた黒船は1回目が2隻(他に帆船が2隻)、2回目が3隻(他に帆船が6隻)である。つまりたった数隻の船団である。東京湾が黒船に埋め尽くされたわけではない。


当時の幕府は軍艦らしきものは持っていなかったから海戦ではかなわなかっただろう。しかしペリーに上陸作戦を展開する能力(軍事力)があったとは思えない。開戦となれば艦砲射撃位はしただろうが、数隻の船団の攻撃力なんて限定的である。当時は銀座の先あたりまで海で、目視できたはずだから江戸城には命中したとしても、雨あられと降り注ぐほどの砲弾を持っていたはずがない。

ペリーが2度目に9隻の艦隊で来航したとき、総乗組員数は約二千名といわれている。操船と船の防衛に残す人数を考えると、上陸作戦に動員できるのは5〜600名程度か。幕府軍より格段に優れた武装をしていたとしても、補給もなく地理もわからない上陸部隊である。凡庸な指揮官が対応したとしても1週間で制圧きたはず。それにヘリコプターで降りてくるわけではないから、つまり小舟で上陸するのだから、アウェーの江戸湾では上陸できる確率からして低い。

しかし幕府は弱腰な対応に終始する。
(続く)

wassho at 23:03|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2010年01月08日

NAVI休刊

8dd58a52.jpgNAVIというのはクルマ雑誌。
世間的にどれだけの知名度があったかは不明だが、
クルマ好きやクルマに関する仕事をしている人からは
一時期、一目置かれていた雑誌である。
その休刊が決まったらしい。


創刊時はクルマだけじゃなく交通全体を視点とするようなコンセプトがあったように思う。そんな大それた編集が長続きするはずもなく(^^ゞ、すぐにクルマ中心の編集になってくるが、新車紹介や試乗記だけの一般クルマ雑誌と異なり、クルマと生活、クルマと文化に触れるような記事も多く、ある種の知的な雰囲気を持つクルマ雑誌だった。

以前に勤務していたコンサルティング会社で作った自動車マーケットの分析がNAVIに取り上げられたこともあり、そのページのコピーを持って、いろんな会社に営業プレゼンテーションに行ったことも懐かしい。NAVIに執筆していた自動車評論家の何名かとは一緒に仕事をしたこともある。


しかし輝いていたのは90年代初めくらいまで。その後は、ファッション雑誌的になったり、高級外車オタク向けの抽象論が多くなったりし始める。最後に立ち読みしてから5年はたつ。そのときも3秒くらいで棚に戻したと思う。


とはいえ(狭い範囲の話だが)クルマの趣味性、文化性で一世を風靡したNAVIが休刊というのは、それなりに感慨がある。何度かブログでも書いたけれど、今はクルマが売れていない、特に若者は関心を持っていない時代である。その象徴のようにも思える。


かつてクルマは、ステイタスの象徴だったり、個性の表現だったり、趣味やこだわりの対象だったりした。今でもその側面はあるが実用的な道具として選ばれる時代である。(ついでに書くと、昔だってその側面は自動車業界の人が思っているほど強くはなかった。だから昔は80点主義とクルマ好きから陰口をたたかれたトヨタがナンバーワンになった)

日本のクルマは4年でモデルチェンジをする。以前はモデル末期になると売り上げが落ちたが、最近はそうでないクルマも増えている。冷蔵庫を買うときに、モデルチェンジの時期を気にする人は少ないと思うけれど、クルマもそのようになってきたということである。帰省したときなどレンタカーを借りるが、(今までの稼ぎの1/5くらいは自動車業界から得ている)この私ですら借りているクルマの排気量を知らない。もちろん私は自宅の冷蔵庫のコンプレッサーの容量も知らない。知っているのは2ドアでモカブラウン色の冷蔵庫であること。ほとんどの人にとってクルマも、この程度の認識の時代になった。


NAVIが輝いていた頃は、クルマにとって「古き良き時代」。そして時代は流れNAVIは休刊。それはマーケットの変化の必然の帰結だろう。私も自動車業界からのカネの巻き上げ方を考え直さねばと思うこの頃である(^^ゞ

wassho at 18:55|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2010年01月07日

日本の祝日、世界の祝日

カレンダーの関係で、今年は4日が仕事始めの人が多かったと思う。私は今日からである。もっとも2日には海外からのメールが入り始めたので、なかなか完全休養は難しい。まっ、今日と明日がんばればまた3連休なのはうれしい。


日本の祝日は公式には15日だけだが、12月30〜31日、1月2〜3日も祝日みたいなものだから、それを足せば19日。海の日ができたり、昭和天皇の誕生日がそのまま祝日として残ったりで祝日は増え、それとハッピーマンデー制度で連休が増えたりしたので、経営者の中には日本は祝日が多すぎると不満を漏らす人も少なくない。


ここで見較べると、15日というのは少ない方ではないけれど、多すぎるというほどでもない。先ほど見つけたページなので全部の国を見ていないが、アジアは祝日は多くヨーロッパは少なめのようである。もっとも日本も含めてアジアは夏休みが短く、ヨーロッパは長いのでトータルとしては一概に言えない。


国民の祝日のページを見て、春分の日と秋分の日の意味を初めて知った。なぜ春が自然で秋が先祖なのかよくわからないが。それと昭和の日は、もともと天皇誕生日だったから、昭和天皇を偲ぶ日だと思っていたけれど違うようである。でも「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」といわれても、ちょっとねピンとこないね。また「思いをいたす」という表現もあまり聞いたことがない。


世界の祝日のページで、各国の祝日の理由を見るとおもしろい。宗教関連の理由が多いが、中には何これ?というのもある。ネットでいろいろ検索するのも楽しそうである。まだ正月ぼけしている人は試してみたら。

wassho at 16:41|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2010年01月06日

残り時間の計算:新年の抱負

まずは、新年おめでとうございます。
今年もよろしかったら、時々のぞいてください。


年の初めには、今年の抱負などというものを述べることになっている。私も子供の頃は学校でいわされた記憶がある。でもまあ、適当なことをいっていたはずだ。年が改まったからといって、人生や考えまで改めないタイプである。


でも今年はちょっと違う。


それで話はいきなり、はるか昔の高校3年生の時に戻る。

自分がどんな高校生だったか、あまり覚えていない。とりあえずほとんど勉強はしていなかったことは確かである。その理由も、これまたあまり覚えていないのだけれど、テストの紙切れ1枚で、あれこれ決められてたまるかとイキがっていたような気もする。

だからテストの時は「これはなかなかいい出題だ」と認めた問題にしか解答しないなんてこともよくやっていた。というわけで成績は悲惨なものである。高校2年生の終わりには440番台だった。ちなみに当時の我が母校は1学年450人ほどである(/o\)


私の高校は一浪して一流の私立または公立大学に入れば、ヨシとされる程度のレベル。私もそのつもりでいた。浪人して受験勉強とやらをすれば、440番台のくせにその程度にはなれるとなんとなく思っていた。とにかく高校3年生の春頃までは「テストの紙切れ1枚で、あれこれ決められてたまるか」が優先で、でも大学に行かない気はなかったから、浪人してのんびりがんばる?つもりだった。


でも6月の最初に突然、気が変わった。
なぜ気が変わったかは、当時もよくわからなかった。
とにかく、ある日を境に「テストの紙切れ1枚、乗り切れないでどうする」という考え方に豹変したのである。


取り憑かれたように受験勉強を始めた。
次のテストで100番くらいになった。
担任の先生が口をきいてくれるようになった(^^ゞ

その次に9番になった。それまでwasshoと呼び捨てにされていた担任から、wassho君と呼ばれるようになった。進路指導の時は親までほめられたらしい。

最後のテストは当然1番を目指したのだが、ちょっとリキみすぎて調子が出ず、残念ながら2番で終わった。でも、もうその頃には、私は生きた伝説扱い(^^ゞ 卒業式の日、学校から在校生のために受験勉強のコツを書いて欲しいと頼まれた。学校新聞か何かにのせる予定らしかったが、無理に禁煙しても精神が乱れるとか書いたものだからボツになった。シャレのつもりだったんだけれど。


もちろん大学は現役で合格した。
浪人して、このペースで受験勉強をすれば東大は無理でも京大なら入れるかなとも思った。阪大クラスなら合格する確信があった。でも、そろそろ受験勉強にも飽きてきていた。どうせ、どの大学に行ってもまじめに勉強はしなかったと思うけれど、もう少し上を狙ってもよかったと、今になって多少は後悔している。



長い前置きであったが徐々に本題である。

受験勉強を開始する前、大学受験の日まで、あと何時間くらい勉強する時間があるのか計算した。それを受験科目数で割った。すでに高3の6月である。びっくりするほど残り時間は少なかった。だから休みの日は、朝6時から勉強した。本音をいえば、学校を休んで勉強したかったくらいである。


さて、
あれから30数年。
紛れもなく中高年である。
生きているかどうかなら、まだまだ先は長いのかもしれないけれど、いろいろ活動できる〜活躍できる〜成し遂げるという視点で考えれば、残り時間はそれほど豊富ではない気がしている。

世の中のいろいろなことを未経験である。もちろん、すべてを経験できる人間などいない。でも、大それたことから些細なことまで、どれだけ「生身で経験」できたかどうかが、人生の価値のような気がしている。経験には、つねに発見がある。つまり「新しい」がある。人の考えはそれぞれだとしても、新しさのない、今までの延長のような人生なんて私はまっぴらごめんである。


紛れもなく中高年だから、知識はそれなりにある。ネットをはじめとして情報は溢れかえっている。だから未経験のことを経験したような気になってしまう、あるいは、それを経験してもしなくても大差ないと考えてしまう。平たくいえば、何事にも億劫になりがちである。医学的にはともかく、人間的にはそうして老化が始まるのだと思う。それもまっぴらごめんである。


悲しくなるといけないから、残り時間は計算していない(^^ゞ
でも、今年から新しいことに挑戦ーーーというと大げさになるので、何でもいいから未経験の新しいことをどんどん始めてみようと思っている。できたら月に1つ。だから些細なこと中心。それでも、もう今から楽しそうな気がしている。


   今年は寅年。
   みなさんも、あれこれ「トラい」しましょう。

wassho at 13:43|PermalinkComments(0) 生活、日常