2010年02月

2010年02月28日

♪♪咲いたぁ、咲いたぁ

79030d10.JPG頭の中でイメージしているより花の丈がちょっと短いし、花びらが開きすぎだし、茎もまっすぐ伸びていないけれど、写真はチューリップである。ベランダの手すりにのせて記念撮影をパチリ。


先週の日曜日に買った。その前に買ったプリムラ・ポリアンサは萎んできた花を切り、黄色くなった葉を切っているうちに見るも無惨な姿になってしまった。咲いている花の下にあった蕾は、結局ほとんどが蕾のままで終わってしまったようである。思ったより花を楽しめる期間が短かったので、現在はベランダに出して反省させている(^^ゞ カランコエはまだ咲いているが、もう一つ花が欲しくなったのでお買い上げ。


実はこのチューリップ、買ったときはまだ蕾も小さく花びらさえ見えていなかった。春になったら咲くんだろうなあと楽しみにして買ってきた。ところが次の日の月曜日に自宅に帰ってきたときは大きい方の蕾はもう花になっており、水曜日には小さい方の蕾も花になった。チューリップの成長の早さおそるべしである。たぶん部屋の中だと温度が暖かすぎるのかと思う。ひょっとしたらベランダにおいて楽しむべきだったのかも。


♪あか、しろ、きいろ〜と唄のイメージがあるから、そのうちのどれかを買いたかった。でもお店にあったのはそれが売れ筋なのか、あるいは売れ残りなの、ちょっと紫がかかった赤とかピンクで、しかも色が2種類くらい混じっている、何となく高級感のある色合いのものが多い。シンプルな単色のものはこのピンクしかなかった。(花はまだ咲いていなくても写真のついたプレートが鉢に刺さっている)


花は、どんな花もキレイし見ていると心が和むけれど、チューリップはやはり存在感がある。自分の家でチューリップを見るなんて小学生以来のはずだが、思っていた以上に気に入った。次は球根を植えるところから30本ほど挑戦してみようかと密かに企んでいる(11月頃植えるのが一般的)


ちなみに買ってきたチューリップは398円。この1週間、自宅に帰ってきたら窓際に置いてあるチューリップを見て「お〜咲いてる咲いている」と喜んでいた。部屋の中にいて視界に入った時も何となくうれしい。園芸は安上がりな癒し系である。花に向かってブツブツ話しかけてはいないのでご安心を。

wassho at 19:39|PermalinkComments(0)   *チューリップ 

2010年02月26日

偽造パスポートって?

前回に書いた監視カメラ映像が「30分ではなく、1分46秒しかない」という指摘をもらった。改めてそのページを見ると確かに短くなっている。事件発生から日にちが経ったから容量を減らすために短くしたのかな? しかしダイジェスト版ではなく最後の一部だけを切り出したような編集。手抜きですな。


YouTubeで調べるとフルバージョンがあったので記しておく。ただし3分割されている。URLをブラウザでコピー&ペーストしてください。

http://www.youtube.com/watch?v=JghQ0ZcRfQs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=K8XDhnEJ-N0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=RWxjxTaWytE&feature=related


今回の事件では、暗殺団がヨーロッパ各国の偽造パスポートを使用してドバイに入出国したことが外交問題になっている。「ドバイ 偽造パスポート」で検索するとたくさんの記事にヒットする。


どのマスコミも偽造パスポートまたは偽造旅券という言葉を使っていて、ちょっと説明が不親切。今回使用されたのは各国で発行された正規のパスポートだからである。ではなぜ偽造かというと、ニセモノのパスポートにはいくつかの種類がある。


1)偽造パスポート
正真正銘のニセモノ(言葉がおかしいけれど)。
偽札と同じで本物に似せて作ったもの。


2)変造パスポート
本物のパスポートを盗んだり金を払って手に入れ、写真を貼り替えて作る。今のパスポートは写真を貼り付けているのではなく直接印刷したりしているので、昔のように簡単に変造はできないけれど、その道のプロなら何とかする(たぶん)。


3)偽装パスポート
今回の事件で使われたのはこのタイプ。実在する他人になりすましてパスポートを取得する。あるいは偽装結婚などで偽の身分を作り本人が取得する。だからパスポートそのものは本物。


ところで当初11人だった暗殺団は、さらに15人増えて26人だと報じられている。いくらイスラエルの諜報組織モサドが強力な組織とはいえ、26人もの偽装パスポートを用意するのはたいへんである。パスポートを申請するときの書類も偽造や変造や偽装で用意しなければならないのだから。


それで、実はヨーロッパ各国もこの暗殺に一枚噛んでいるのではないかという憶測もある。つまりヨーロッパ各国が暗殺者たちの写真を使ったパスポートを制作して渡したという憶測。犯罪で偽のパスポートが使われるなんて珍しくもないのに、今回に限ってやたら抗議しているというのも勘ぐられる理由となっている。殺害されたのはハマスつまり過激派で、しかも武器担当のような存在の人物だったから対テロ作戦としてイスラエルと利害は共通するというのも根拠となっている。


う〜ん、本当だとしたら何ともミステリアス。
そのうち映画にでもなるかも知れない。

wassho at 19:50|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2010年02月25日

暗殺者たち(本物)

昨日は誘拐サービスや、偽装された事件の映画のことを書いた。
その前は過剰な演技について書いた。
どちらもフィクションの世界である。
でも今回見つけたのは本物の映像。
派手さは一切無いけれどリアルな迫力。


先週、パレスチナのイスラム原理主義組織ハマス幹部マブフーフ司令官が、ドバイのホテルで先月に暗殺されたというニュースが流れた。どうもイスラエルの諜報機関の仕業らしい。まずはこっちを読んで。


中東でのこんな事件はしょっちゅう起きている。私も読み終えて2秒後には記憶から消えていたと思う。ところが、さっきのニュースの中に「ドバイ警察が公表したホテルの監視カメラの映像にはーーー」という文章がある。その映像を見られるサイトがあった。



見た。
暗殺者たちが写っているということを知らなければ、空港やホテルで旅行者や宿泊客がぶらぶら歩いているだけの、ごく当たり前の何の変哲もない映像。映像は30分近くあるのでたぶん寝てしまうかも。殺害の場面や現場が写っているわけではない。普通に監視カメラが撮影しているロビーや廊下の映像で音声もない。しかし、これが本物のプロの暗殺者たちなんだと思うと妙な迫力がある。


映画やドラマで見る暗殺者たちと違って、連中は普通のおっさん、おばはんである。殺気だったところなど微塵もなく時には笑顔も見せる。彼らは偵察班と実行班に分かれていて、実行班は多少厳つい体型をしているが、もし隣の席に座っても彼が殺人者などとは絶対に思わないだろう。

殺害を実行した後、ホテルの部屋から引き上げてきたと思われるシーンもあって、ごくごく普通に歩きエレベータに乗り込んでいる。唯一、映画やドラマと似たようなシーンがあるとすれば、禿げたおっさんがズラで変装して自分の部屋から出てくるところくらいである。(他に女性も一人カツラで変装する)


感想その1
本物の暗殺って、こんな風に普段の生活と変わらない感じでおこなわれるんだ。何となく、その方が怖い気もする。


その2
それより、やっぱり暗殺って本当にあるのね。


その3
映画やドラマに登場する暗殺者たちが、いかに想像の産物かがよくわかる。これからますます過剰な演技にしらけそうである。


その4
監視カメラの映像を寄せ集めて分析すると、いろんなことがわかることが理解できる。これからの行動は慎重にしよう(^^ゞ


その5
暗殺されたマブフーフ司令官というのは、ハマス幹部の一人で、これまでにも何度か暗殺の危機をくぐり抜けてきたと報道にはある。ヤクザでいうなら武闘派の若頭のような存在か? その割には一人でぶらぶら歩いているし警戒感が全くない。飛んで火に入る夏の虫のようにホテルの自室で暗殺される。そのあたりがどうも解せない。



お待たせしました!
映像を見られるサイトはこっち
先に解説を読んだ方が映像をよく理解できると思う。

参考のためテロップで何回も出てくる英語を訳しておく。

  murder:殺人

  suspects:容疑者
  victim:被害者

  surveillance team:見張りチーム
  execution team:実行(殺害)チーム

wassho at 00:49|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2010年02月24日

映画「ゲーム」と誘拐サービス

e5b76b68.jpgマイケル・ダグラス主演の映画「ゲーム」。公開は1997年。私はVHSでレンタルした記憶がある。最初から最後まで、いやラストシーンが終わってもまだ何かあるんじゃないかと引き込まれる素晴らしい作品である。詳しい説明はこちらで

かいつまんでいえば大富豪のマイケル・ダグラスが弟から誕生日祝いに謎の「ゲーム」参加券をプレゼントされる。その直後より、次から次へと奇怪な事件が彼を襲う。でも全部これは、偽装工作会社が仕掛けた架空の事件だったというお話。あっ!ネタばらしちゃった(^^ゞ でも大丈夫、それでもラストシーンはびっくりするから。


この映画の10年ほど前のウォール街から、この映画あたりまでがマイケル・ダグラスの全盛期か。見て損はない映画である。なおウォール街の続編が今年公開されるらしい。彼も前回と同じ役で出るらしいので、こちらも楽しみ。


この映画のことを思い出したのは、こんなニュースを読んだから。

究極のスリル好き向け、仏でオーダーメード「誘拐」サービス


絶対、この映画を見てたに違いない!


映画「ゲーム」では誕生日プレゼントだったはずなのに、なぜか最後にマイケル・ダグラスがゲーム代を支払う。たぶん何億円という金額だ。それに較べると、こちらは基本料金11万円と庶民でも払えなくはない金額。時間あたり3万円弱。


最近、人生に刺激が足りないから日本でもサービスを始めてくれないかなあ? 「襲撃されるときに反撃できる」「監禁場所には美女がいてスリリングな駆け引きが楽しめる」というオプション料金込みで30万円までなら払ってもいいけどなあ〜。以上、勝手に料金設定。



※リンク先の記事がなくなったときのために、続きを読むに記事をコピーしておきます。続きを読む

wassho at 00:13|PermalinkComments(0) 映画、ドラマ、文学 

2010年02月23日

藤田まこと追悼番組を見て

日曜日の昼と夜に藤田まことの追悼番組を放送していた。昼はテレビ東京で単発の刑事ドラマ、夜はテレビ朝日の「はぐれ刑事純情派」の最終回。彼の代表作である「必殺シリーズ」や「はぐれ刑事純情派」はあまり見たことがない。たまたまテレビをつけているときに再放送を眺めたことがある程度。しかし「あたりまえだのクラッカー」とはしゃいでいた世代だから、子供の頃の思い出がひとつなくなったような気がして何となく寂しさを感じる。合掌


もともとはお笑いというか喜劇の人だったのに、もうずいぶん前から渋い役者のイメージしかない。テレビ以外ではおもしろいこともしていたのかな?  


訃報の後だったので、2つの番組ともわりとしっかり見た。彼の演技は「静かな演技」である。無表情といってもいいような素の表情が演技の多くを占める。どちらの番組も同じような作りだったから(←それはそれで問題のような気もするけれど)、これは監督の演出ではなく藤田まことの個性なんだろうと思う。


つねづね思っているのは、日本の役者は表情を作りすぎということ。そしてこれは日活映画全盛時代からの伝統だと密かに疑っている。石原裕次郎はアップになれば必ず顔で演技している。悪役がピストルで撃たれたとき、海外映画ならあっさり死ぬのに、日本ではすごい表情で一芝居してから死ぬことになっている(^^ゞ


普通の会話や行動をそのまま撮っても“絵”にならないから、ドラマや映画は大げさな表現になる。「なんで?」と普通ならいうところを「なぜなんだ!」と力が入る。芝居になるともっと大げさで「どーしてよー!!」を上体を折り曲げて叫ぶことになる。


ある程度の誇張は演出的に必要なのは理解しているが、これが過剰だと鼻につく。どの程度が適正かという線引きは難しいが、私の「一線」はわりと低めにあるようだ。表情の話に戻せば、女優の方が表情の過剰演技が多いような気がする。もっともこれは私が女優の顔は見ているけれど、俳優の顔なんて気にしていないからかもしれない。また一般に脇役や端役の方が表情過剰である。台詞が少ないから、どうしてもがんばっちゃうのかな? まあ次にドラマや日本映画を見るときに役者の表情に注目してもらいたい。「そんなクサイ芝居せんやろフツー」というような演技が一杯だから。

wassho at 00:43|PermalinkComments(0) 映画、ドラマ、文学 

2010年02月21日

電球型蛍光灯は1/4位ならなんとか

電球型蛍光灯の続き。

前回に書いたように電球型蛍光灯は、「電球色」を選んでも光の色は蛍光灯に近いし、光の質感はまったく蛍光灯。やはりくつろぎの空間には似合わない。つまり白熱灯に取って変えられるものではなかった。もっとも光の感じ方は人様々で、蛍光灯のクリアで明るい光を好む人も多くいるから、あくまで私の価値観に沿った判断ではある。


さて、やっぱりあきらめて「電球」を買い換えに行こうかと思ったけれど、その前にあれこれ試してみた。

リビングの照明はメインが3つで300ワットのスポットライト。これじゃ明るすぎるというので普段使っているのが、ダウンライト(合計120ワット)とスタンド(合計100ワット)とミニスタンド(50ワット)の総合計270ワット。300ワットと270ワットじゃ、そんなに違わない計算になるが、最も部屋を効率的に照らすところに設置されているスポットライトと、部屋の隅の方で間接照明的に設置しているライトでは感じる明るさがかなり違う。感覚的にはダウンライトなどの270ワットは、スポットライト300ワットの半分弱くらいの明るさである。


ところで自作シャンデリア(^^ゞに使ったクリップライトに使われている電球型蛍光灯は白熱灯換算で40ワット(消費電力は9ワット)。4つ点灯すると160ワットで、以前に使っていたミニスタンド50ワットの3倍以上だから、ちょっと明るすぎる。それに他の場所にあるダウンライトとスタンドとの光量のバランスも崩れてしまう。


白っぽく光る電球型蛍光灯を恨めしく見上げながら、1つ消し2つ消してみた。2つ点灯でちょうどよい程度の明るさである。しかし電球型蛍光灯で照らされている部屋の範囲はやっぱり無機質。キッチンにはダウンライトと同じ電球で、その電球が点灯しているキッチンの中からリビングを眺めると、つまり白熱灯と電球型蛍光灯の違いがわかりやすい条件で観察すると、リビングの光は青白く寒そうにさえ見えてくる。


やっぱり電球を買い換えようとか、素直にミニスタンドをもう一つ買い増せばよかったなどと後悔しつつ実験終了。


最後に電球型蛍光灯を4つから2に減らす実験をしているときは、リビングの他の照明はつけていなかった。実験終了後、やれやれと思いながら、いつものようにダウンライトとスタンドも点灯させる。するとあら不思議、ダウンライトとスタンドつまり白熱灯の光の支配力がまさって、電球型蛍光灯の光の質感があまり気にならなくなった。4灯点灯させていたときは、シャンデリアの付近だけ光の質感が違うので、部屋の見え方もリビングの左右で違っていたのに、光量を下げたことが幸いしたようである。


  スタンド+ダウンライト=合計220ワット

  シャンデリア2灯=80ワット
  シャンデリア4灯=160ワット。

シャンデリア濃度?は2灯だと27%、4灯なら42%になる。電球型蛍光灯が総ワット数の1/4位ならナントカごまかせるということか。蛍光灯は嫌いでも、省エネのために電球型蛍光灯に付け替えようと思っている人はご参考に。


今年から、月にひとつは今までに経験したことのないことに挑戦することにしている。2月の経験は「電球型蛍光灯を使ってみる」でした。挑戦2回目にして、新しい体験をしたとしても幸せになれるとは限らないとわかったのは想定外。ちなみに2灯を点灯させていないとブサイクなので、使わないクリップライトは取り外してしまい、もうシャンデリアとは呼べなくなった。


追伸
クリップライトを買ってきたのが先々週の金曜、設置したのが次の日である。こんなことを書くとネタと思われそうだけれど、金曜日の夜、クリップライトと交換させるつもりだったミニスタンドの電球が切れた! 今まで4年近く一度も切れたことがなかったのに。交換に気づいてスネたに違いない(^^ゞ 


おしまい

wassho at 23:51|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2010年02月19日

電球型蛍光灯はやっぱり無理

タイトルを変えたが前々回の続き。


点灯してみた。
電球型蛍光灯はスイッチを入れてから明るくなるまで少し時間がかかる。それは知っていたからびっくりはしなかった。スイッチを入れて光り出すまでに約0.5秒。そして弱い光からだんだんと明るくなる。本来の明るさになるまでは約2分くらい。普通ならこれだけで照明器具として失格であるが、用途が補助的な照明だからとりあえずよしとする。

ネットでチラッと調べた程度では、すぐ明るくならない正確な理由(というか原理)はよくわからなかった。技術の進化によって、やがてもっと早く明るくなるだろうが、今のところメインの照明や、トイレや洗面所のようにすぐ明るくならないと役に立たないところには向いていない。


肝心の光の具合はーーーー完全に失格。
電球色と箱には書いてあっても、電球とはほど遠い白っぽい光しか出さない。まあ普通の蛍光灯よりは多少は黄色がかっている程度。電球色の蛍光灯とは普通の蛍光灯の色と較べて、このページにあるくらいの違いを期待していたのにガッカリである。実際の色の差としては、こちらのページの下の方にある写真程度の違いという方が正しい。しかしこの写真は、照明の色の違いを表現するのになぜ昼間に撮影しているんだろう。ナゾ 

ちなみに無印良品のスタンドに付属していたのは東芝のネオボールZというブランド。前々回のブログに貼り付けたシャンデリア?の写真では、かなり黄色く写っているが本物とはかなり違う。なぜか私のデジカメで撮るとまっとうな電球色になるのが不思議。


蛍光灯と白熱灯の違いは色もさることながら、光の質感である。この方が大事なのに、こちらはもっとひどい。まったく蛍光灯と同じように冷たく無機質に部屋を照らしている。味も素っ気もない。もっとも、これは電球「色」の電球型蛍光灯であって、電球「質感」の電球型蛍光灯ではないから、それは仕方ないか。久しぶりに自宅で蛍光灯をつけて、改めて白熱灯の良さを確認したしだい。


質感の違いのイメージはこのページで。上から2段目の三角と球のところ。色味が違うのはわかるけれど、質感が白熱灯と蛍光灯で異なる理由はよく知らない。以前のブログに書いた発光の違いと、波長の違いのせいだと何となく想像しているが、陰影の違いは何が原因なんだろう。

さっき「冷たく無機質に部屋を照らす」と書いた。言い換えればそれはクリアな光でもある。電球型蛍光灯のシャンデリアと、白熱灯のスタンドの下に同じものを持っていって見較べると、電球型蛍光灯の光の方がはっきり見える。また色のせいか光の質感のせいかは微妙であるものの、白の陶器だと電球型蛍光灯の方が「固そう」に見える。まさか部屋の中を歩き回って、こんな実験をするとは思いもしなかったが(^^ゞ


さて、ここまでの結論。
電球型蛍光灯は、普通の蛍光灯よりは少しだけ黄色がかった光を出す、正確にいえば真っ白ではない光は出しても、白熱灯の色とは大違いである。しかも光の質感は蛍光灯とまったく同じく冷たく無機質である。こんな比較写真(わりと下の方)を見ると、白熱灯派の人も「ちょっと白いけれど、まあ電球に近いか」と思ってしまうが、色だけにだまされちゃいけません。質感が蛍光灯だし、また部屋に陰影がつかず平板になるから絶対に満足できない。


それで自作のシャンデリアはどうしたかーーー続く

wassho at 11:13|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2010年02月16日

国母選手と河野太郎

27c5d339.jpgスノーボードの国母選手の服装のことが何かと騒がれている。バッシングしたり、つるし上げるのが大好きなマスコミは、オリンピック報道量のかなりの部分を割いて、この問題を追いかけている。もちろんバッシングしたり、つるし上げるのが大好きな日本人相手に、この話題で騒げば騒ぐほど視聴率をとれることを知っている。

それにたぶん、あの記者会見で「くだんねえこと質問するなよ、くそマスコミがぁ」という無言のメッセージで馬鹿にされた仕返し心理も多分に働いている。図星だったから、余計にむかついている(^^ゞ


いくつかのスポーツはファッションと密接に結びついている。サーファーファッションが有名だけれど、ほかにもラガーマンなら紺のエンブレムが縫い付けられたブレザーが似合うというように。そしてスノーボーダーなんだから彼のファッションに違和感はない。ちょっとサングラスが大きすぎる気はするが。


あの格好で天皇陛下に会いに行ったわけでもあるまいし、移動中に自分の好きなような着こなしをして、なぜ謝罪をさせられなければいけないのか理解に苦しむ。理解に苦しむというより、開会式を欠席させたJOCや、出場取り消しに動いたスキー連盟や、応援会を中止した彼が在籍する大学と私は価値観が合わない。JOCなどには抗議の電話が1000件近くあったらしい。自分が優位に立てるなら文句をつけずにはいられないクレーマー体質の人間がそれだけいるということか。

おそらくこんな風に考える私は少数派だと自覚しているので、窮屈でうっとおしい社会だと感じる。正確に言うならば私と同じように感じる人は少数ではないとしても、世間が国母バッシングをしているときに、好きこのんで反対意見を述べる人間はやはり少数派だ。


河野太郎は自民党の国会議員である。
先の総裁選挙にも出た。
彼のブログに、この問題についてのまっとうな意見が載っていたので紹介しておく。
手抜きかな?

   http://www.taro.org/2010/02/post-716.php


前半はすばらしい内容である。こういう人間がいるなら自民党も捨てたものじゃない。もっとも総裁選では玉砕してたけれど。中盤は論理がちょっと迷走している。まあブログだから、そんなに時間をかけて書くわけではないからよしとしよう。私のブログもそういう風に読んでもらいたい(^^ゞ

後半の橋本団長がお通夜に黒いスーツを着るというのは、何度も読み返してみたが(人のブログには厳しい!)意味がわからない。眼鏡の話は、ずっと彼のブログを読んでいたらわかる内容なのかな?


昔メールマガジンというものが誕生したときには、あれこれ登録して読んでいた。河野太郎も書いていて、当時、国会議員のメールマガジンというのは珍しかったので登録してみた。今はブログになってRSSリーダーでおもしろそうな見出しを見つけたときだけ読んでいる。別に支持者ではないし選挙区も違う。


何だったか忘れたが(本当は覚えているが大人の事情で言葉を濁す)河野太郎が、ある新しい政策問題についてメールマガジンで意見を述べていた。全く偶然なんだけれど、とある企業の役員と話をしているとき、その政策の話になった。

「若手(当時)の国会議員なら河野太郎あたりが、それについてよく勉強しているみたいですね」と雑談のつもりで話した。しばらくして何かの書類が届いたときに「河野先生の件は大変参考になりました」と添えられていた。他の担当者とのやりとりから、どうやらこの役員は私が河野太郎の知り合いだと勘違いしているということがわかった。

パソコンやITに疎いジイサンの役員に、当時の最先端であるメールマガジンといってもわからないから、彼の意見はメールマガジンで読んだとは伝えていなかった。そんなことはすっかり忘れた半年ほどたったころ、その役員から河野太郎とのアポを取り次いで欲しいと連絡があった。

困った。 
話を聞くと、裏工作というほどのことではないが、とある問題について議員・官僚を取り込みたいという意図が見えたので「私はマーケティングのお手伝いはするが、そういう類の仕事はしない」と断った。その方はもう亡くなったが「wassho先生は気骨のあるコンサルタントだ」と誉めてくれていたそうである。メールマガジンだとばれずに助かった(^^ゞ


さて国母選手。オリンピックでいい成績を残しても残さなくても、閉会するときはまた一悶着あるだろう。帰国するときの服装もマスコミが事細かに報道するはずだ。でも君を応援する少数派はいっぱいいるから(表現がおかしいけれど)がんばって!

一緒に腰パンつきあいたくても腹がででいて似合わないもんで。

wassho at 20:31|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2010年02月14日

シャンデリア

9006509a.JPG写真はリビングのシャンデリア(イタリア製)。
ウソ(^^ゞ
これを並べて作った。


私は蛍光灯が嫌いである。
その理由はここに
ところで、そのブログでリンクを張ったページの「比較写真」は、ブログを書いた当時はもっとわかりやすい写真だったのに、今は何となくわかりにくい写真になっている。それに文章も書き換えられていて、なんとなく白熱灯が軽んじられている。気にくわないけれど、違うページを探すのも面倒なのでとりあえず我慢。


リビングには2種類の照明が作り付けで最初からついていた。1つは天井に埋め込まれたレールにぶら下げられているスポットライト。100ワットのが3つ。これがメインの照明。もう1つはリビングの長辺にあたる一方の天井に埋め込まれているダウンライト。60ワットが2つ。


100ワット×3のスポットライトは充分明るい。というか明るすぎる。何か仕事や作業をするとき以外は滅多につけない。もちろん60ワット×2のダウンライトだけでは暗すぎる。だから普段はダウンライトと、ソファの横にあるこのスタンド(カタログの下の商品)と、棚の上の天井近くに置いたこのミニスタンドで部屋を照らしている。3方向からの間接照明でなかなかいい感じである。少々部屋が散らかっていても気にならなくなる効果もある(^^ゞ


が、天井近くのミニスタンドが微妙に暗いのが気になっていた。ミニスタンドを増設しようか、あるいはソファの反対側にもう一本スタンドを立てようか、それとも他にとグズグズすること4年近くーーー


先週の金曜日、あるものを無印良品に買いに行ったときに、たまたま目に入ったのが今回のクリップライト。シェードのところが白いポリカーボネート(プラスティックのようなもの)でできていて、シンプルだけれどいいデザインだと思った。これを三つ四つ並べればーーーと頭が企み始める。挟み込んで固定するクリップライトは貧乏くさいので嫌いなのだが、天井近くに置くからほとんど見えないし。


が、困った点が一つ。先ほどホームページをご覧になったときに気づいたかも知れないが、このライトは電球型蛍光灯を使っている。蛍光灯は私の家には存在してはならないものである。よく見ると、その電球型蛍光灯は「電球色」と書いてあった。普通の蛍光灯は白い光であるが、電球色の蛍光灯は電球に近い色の光を出す。しかし色が近かろうが蛍光灯は蛍光灯である。心の中で葛藤が始まる。

でも10秒ほどで衝動買い心理が勝利する。もし電球型蛍光灯が気に入らなくても、普通の電球に入れ替えればいいという計算も働いた。4つも買ったのは、もし普通の電球に入れ替えたとき、電球の熱でシェードが溶けないように少しワット数の小さい電球に入れ替えなくてはと考えたからだ。衝動買い心理が発生すると、瞬時に脳が活性化されて無駄遣いする理由をいくつも思いつく(^^ゞ


土曜日に設置した。ペーパーウエイト代わりに使っている細長い大理石の板にランプを挟み込んで、棚の一番上の置いてあるボックスの上に置いた。ライトにはそれぞれコードの中間にスイッチがついている。4つをいちいち操作するのは大変だから、各ライトのコードを延長コードのタップに差し込み、その延長コードを、手元スイッチのついた別の延長コードに接続。


点灯してみたーーー続く。

wassho at 23:52|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2010年02月09日

ゴメンですんだら警察はーーー

「ゴメンですんだら警察はいらない」という表現が子供の頃にはあった。こういって親に叱られたし、子供同士の言い争いでも使った。最近は聞かない気がするけれど、どうなんだろう。


小沢一郎は不起訴と先日決まった。
今回の事件、金額はそこそこ張っているものの、賄賂をもらって不正を働いたという汚職・疑獄でもなさそうで、要はセコク帳簿をちょろまかしたということのようなのであまり関心を持っていない。それでも時の与党幹事長の絡む事件なのでニュースはそれなりに目や耳に入ってくる。


結局、小沢一郎の事件への関与が立証できない、証拠不十分ということで不起訴になった模様。報道によれば検察は99%の確証を持っていたけれど、100%有罪にする見通しが立たなかったので起訴しなかったらしい。


  「検察が100%有罪と決められるなら裁判所はいらない」


日本の官僚は飛び抜けて優秀だと信じられていた時代があった。だから少々政治家のデキが悪くても日本は一流の国家の仲間入りができたと思われていた。しかし官僚の中の官僚と言われた大蔵省がバブルを押さえられず、バブルがはじけた後の処理に無能無策ぶりをさらけだして国民はそれが幻想だったことに気づく。あげくのはてにノーパンしゃぶしゃぶだったし(^^ゞ 

厚生省は年金を組織ぐるみでごまかしていたし、鈴木宗男や田中真紀子の頃の外務省のでたらめぶりにもあきれた。もっとも、あの事件があろうとなかろうと日本の外務省は昔から二流官庁であるが。


末期の大蔵省(金融機関が続々破綻した頃)が特にそうだったように、彼らは自分たちの政策は正しいとの立場を崩さなかった。それらは「役所の仕事に間違いがあってはいけない」という謙虚というか慎重な姿勢が、年月が経つうちにいつのまにか「自分たち(官僚)は常に正しい」と思い込む精神構造に変化していったという分析を読んだことがある。


今回の不起訴にも、どこか根っこに似たような感触を覚える。正しいと思いこむのと、正しくあろうとするのを同列で見るのは矛盾する。しかし他人の意見に耳を傾けないのと、1%でも負ける可能性があるのなら正義を貫かないというのは、どちらも同じような官僚的原理主義である。


田中角栄を逮捕した時、東京地検特捜部はヒーローだった。しかし、あれから30年。いろんな事件の報道を見ていると、現在の捜査能力、立件能力には疑問もある。昔、大蔵省のやることは間違いないと信じられていた時代があった。検察がそういう過去形で語られないことを望みたい。やっぱり取り調べは生中継すべきだったね。

wassho at 14:47|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2010年02月04日

朝青龍の話の前に

a6f5e7f9.jpg相撲をネタにブログを書こうとしていたら、突然の朝青龍引退のニュース。相撲に品格を求め、強さより様式美を求め、上に従順な優等生の力士を求める人にとって彼は眉をひそめる存在だっただろう。彼は引退の記者会見で「みなさまがたは、品格品格というんですけど、正直な気持ち、土俵に上がれば鬼になるという気持ちはあったし、精いっぱい相撲とらなくちゃいけないという気持ちもあった」と話している。ガラパゴスではない格闘家としての、まっとうな心情だと思う。あっ、相撲は格闘技じゃなくて神事だったけ



今日のテーマはこっち。
三日前、貴乃花が相撲協会の理事に当選した。一門という派閥同士の談合で選ばれていた理事選に、貴乃花が反旗を翻し、自分の一門から離脱して強行出馬。彼に賛同し、同じく一門を離脱した(破門された?)投票権を持つ親方は6名。当選には10票必要で落選かと思われていたが、他の一門から3票を得て当選。安治川親方が貴乃花に投票したとカミングアウトし、自分の一門に迷惑をかけたので辞めるとか辞めないとかーーーというのはご存じの通り。


この一連の騒動も突っ込みどころ満載だけれど、それはスルー。

私が注目したのは今回から導入されたという選挙方式。従来は投票する相手の名前を自分で書き、立会人がすぐそばで、それを監視していたという。つまり無記名での投票であっても実質的には、誰が誰に票を投じたかがわかる仕組み。

今回からは投票用紙に立候補者の名前が書かれており、それに○をつける方式に改められた。立会人も投票用紙を書く場所からは離れたところにいる。つまりごく当たり前の無記名選挙の仕組みで行われた。


さて
安治川親方は自分の信念に基づいて投票したと推察するが、旧来の選挙方式なら行動に踏み切れたか。未だカミングアウトしていない他の2名はどうか。


システムとは「結果を誘導する仕組み」である。人間は自由意志で行動しているつもりでも、世の中のあらゆるシステムの影響を受けている。政治でも経営でもトップの仕事は具体策ではなくシステム作りだと私は言い続けている。(具体策ならともかく抽象論しか言わないトップなら最悪である) 今回は相撲協会というコップの中の嵐みたいな出来事ではあるが、やっぱりシステムで世の中を変えられる、組織を動かせると改めて思ったしだい。


ところでマスコミはどこも関心を示さないが、貴乃花は今回から変更された選挙方式も視野に入れて出馬に踏み切ったのかな? 私にとっては一番気になるところなので誰か尋ねてきてくれない?

wassho at 19:45|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2010年02月03日

溶けない雪の不思議

5f523ed8.jpg一昨日の夜、東京は雪が降った。
駅から自宅までの道は、ところどころ水分は多いもののシャーベット状になっていた。停まっているクルマの屋根を見ると2センチぐらいの積雪。これで明日は一面の銀世界かと期待したものの、朝になってみると雪はとっくにやんでほとんど積もっていない。何となく残念。


2日経った今日、道路や空き地の一部に雪が残っている。
後1〜2日は残っているだろう。
たまに大雪が降ると、一週間以上残っていることもある。


残雪があるのは日の当たりにくい北側の場所が多い。
太陽に暖められないから溶けにくいのだと理解している。


それでもちょっと疑問に思っていることが。

1)
寒いとはいえ、気温は氷点下じゃない。
なぜ溶けないのだ?

2)
スキー場だって昼間は氷点下じゃないかもしれない。
徐々に溶けているから、溶けていないように思えるのかもしれない。
雪の表面は雪自体の冷たさで空気が冷やされているから、いわゆる気温とは温度が違うのかもしれない。だから溶けにくいという理屈も成り立ちそうである。

でも、道の北側で雪が残っているところは、北側すべてにじゃなくて、ぽつんぽつんと雪が残っている。上の理屈なら北側すべてに雪が残り、同じようなスピードでゆっくりと溶けなくてはならない。アスファルトのところと、街路樹があり地面が露出しているところでは比熱が違うから(表面温度が違うから)、溶け方に差が出るのかもしれない。でも今朝は、町内を余分に歩き回って観察してきた。同じように北側で日が当たらなくて、一面アスファルトのところでも、雪が残っているところと残っていないところがある。


気象や物理の知識がある人なら何でもない現象だろうけれど、わたしにとってはナゾ。ちなみネットを2〜3分検索した程度では正解を見つけられなかった。


写真は雪の結晶。
だんだんと埃や塵で黒く汚くなってくる残雪からは想像しづらいけれど。

wassho at 17:18|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2010年02月01日

JALあれこれ3

711150aa.jpg国鉄が民営化されてJRに変わったのが1987年。それからすでに23年経つし、民営化の議論はもっと以前のことだから細かないきさつはもう記憶が薄い。でも「当事者能力」という言葉が何かとキーワードとなっていたことはよく覚えている。


当事者能力というのはもともと法律用語であるが、「国鉄には当事者能力がない」といわれていた文脈では「自分たちのことを、自分たちで対応し解決する能力」という意味合いにとらえて間違いはなかろう。


一連のJALの騒動・報道を見る限り、すでにこの会社には当事者能力はなさそうである。もっとも当事者能力がないから倒産するわけであるが、どう倒産するかも自分たちで決められなかった。というか公的資金(税金)を投入し、企業再生支援機構その他官民を挙げて再建に取り組むことになっているが、JAL自身に再建しようという強い意識があるように感じられない。

もともと国策会社としてスタートしたからJALの「親方日の丸」体質は濃い。もっとも彼らの認識はある意味正しく、私はJALはこぢんまりと再スタートさせ、ANAにJALが果たしていた役割の必要な部分を任せればいいと思っている。しかし、なぜか政府は全力でJALを救済しようとしているのだから。


ところでJRもNTTも郵政も分割という手法が用いられたのにJAL再建でそういうプランが聞こえてこないのはなぜなんだろう? 

  JAL東日本
  JAL西日本
  JALアメリカ大陸
  JALアジア、オセアニア
  JALヨーロッパ、ロシア

くらいに分割すればいいのにと思っている。
あっ、中東とアフリカが抜けてた(^^ゞ

分割するのは、社員が隅々まで目の届く小さな会社にして、当事者能力、少なくとも当事者意識を養うことが第1の目的。当事者意識が欠落している企業は、どういじったって変化しないことは職業柄よく知っている。

そして5社の再建に当たっては、倒産しない程度のカネしか渡さない。後は自分たちでがんばってもらう。もちろん路線や運賃やサービス内容には十分なフリーハンドを与える。会社をファンドに売りたければそれもよし。そうそう、社長も自分たちで選ばせる(^^ゞ それが最低限の当事者能力である。

何年か後に、一番優秀な会社に政府が投資または融資し、優秀な順に残りの3社を吸収合併させることにしておく。もちろん吸収された会社の社員は不遇なサラリーマン生活がまっている。つまり競争原理を働かせる。1社が3社を吸収するのだから1社あまる。その会社は見捨てる。全員助かることが約束されているのなら「親方日の丸」と変わりない。もちろん人をやる気にさせるにはムチだけじゃなくてアメも必要。とりあえず一番優秀にになった会社の社員には年金3倍増しでどう?


補足
ここの記事に、利用客にバースデイ割引の?カードを配る社員が5人並んでいる姿が映っている。この記事では機長が手書きのカードを配っている。後ろには横断幕を持つ社員の姿が。JALはカードを配るのが好きなのか? 涙ぐんだ機長の気持ちには同情するけれど、焼け石に水とはこういうことをいう。もっとまじめにマーケティングを考えようね。


ーーーー気が向いたら続くかも

wassho at 18:29|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済