2010年08月
2010年08月31日
ドッジボールの思い出
さっきテレビ東京のワールドビジネスサテライトで「ドッジボール専用シューズ」の紹介をしていた。それで思い出したのが、今をさかのぼること20年ほど前の話。
当時勤めていたコンサルティング会社は毎年夏に社員旅行があった。何かと派手な会社だったけれど社員旅行は割と普通。ただ現地で何かスポーツをして、その試合にガチンコ全力で臨むのが社風だった。長らくは野球だった。しかし、あまりに熱くなりすぎるのと、毎回毎回野球ではちょっと飽きたということで、ある年の社員旅行はドッジボールということになった。野球だとあまり楽しめないという女性社員の意見も反映されたようにも思う。
5〜6チームに分かれての対抗戦だったと思う。
社員旅行のスポーツは死ぬ気で勝ちに行くのが掟である。
皆、全力でがんばった。
ドッジボールは誰でも経験があるはず。
主に小学生がやるスポーツというか遊びである。
それを大人が全力でやるとどうなるか。
2回、救急車がきた(^^ゞ
大人が力一杯投げるドッジボールは、ものすごい破壊力なのだ。
ドッジボールは自分にめがけて投げられたら、キャッチするかか、よけるかである。私が参加した試合での出来事ではないので直接見ていないが、よけそびれて、ボールが頭に当たり脳しんとうを起こしたらしかった。女性でも楽しめるようにドッチボールにしたのに、被害?にあったのは女性だったのは気の毒だった。
もっとも社員旅行のスポーツは死ぬ気で勝ちに行くのが掟である。救急車が出発して、サイレンの音がまだ聞こえている内に試合は再開されたけれど(^^ゞ
まあ楽しいことは楽しかった。
皆さんも久しぶりにどう?
ただ、小学校の時の感覚でコートの広さを決めるとケガ人が出るよ。
やるのなら広めのコートで。
当時勤めていたコンサルティング会社は毎年夏に社員旅行があった。何かと派手な会社だったけれど社員旅行は割と普通。ただ現地で何かスポーツをして、その試合にガチンコ全力で臨むのが社風だった。長らくは野球だった。しかし、あまりに熱くなりすぎるのと、毎回毎回野球ではちょっと飽きたということで、ある年の社員旅行はドッジボールということになった。野球だとあまり楽しめないという女性社員の意見も反映されたようにも思う。
5〜6チームに分かれての対抗戦だったと思う。
社員旅行のスポーツは死ぬ気で勝ちに行くのが掟である。
皆、全力でがんばった。
ドッジボールは誰でも経験があるはず。
主に小学生がやるスポーツというか遊びである。
それを大人が全力でやるとどうなるか。
2回、救急車がきた(^^ゞ
大人が力一杯投げるドッジボールは、ものすごい破壊力なのだ。
ドッジボールは自分にめがけて投げられたら、キャッチするかか、よけるかである。私が参加した試合での出来事ではないので直接見ていないが、よけそびれて、ボールが頭に当たり脳しんとうを起こしたらしかった。女性でも楽しめるようにドッチボールにしたのに、被害?にあったのは女性だったのは気の毒だった。
もっとも社員旅行のスポーツは死ぬ気で勝ちに行くのが掟である。救急車が出発して、サイレンの音がまだ聞こえている内に試合は再開されたけれど(^^ゞ
まあ楽しいことは楽しかった。
皆さんも久しぶりにどう?
ただ、小学校の時の感覚でコートの広さを決めるとケガ人が出るよ。
やるのなら広めのコートで。
2010年08月29日
平山郁夫ー平和への祈りー展 2
絵の印象を一言で言うならば、おおらかで悠久の時の流れを感じるというか、矛盾する表現になるが時が止まっているような印象を受けるというか、とてもゆったりした気持ちにさせてくれる絵が多かった。見ていて心地よく、絵の内容はシンプルなんだけれど見飽きない。気難しさは微塵もない。これは結構ハマる画風である。
比較的大きなサイズの絵が多く、また中央の一番広い展示スペースには幅4〜5メーターの大作が何点が展示されていた。これらはさすがに迫力がある。
ただ残念なのは、それらは絵が大きすぎて額縁にガラスが入らないからか、大きなガラスの陳列ケースのようなモノの中に入れられていたこと。陳列ケースのガラスの継ぎ目には5センチくらいの桟(さん)があって、これが絵を遮っている。また何より陳列ケースのガラスに、自分も含めて絵を見ている人の姿が映り込む。絵を見ている私は、とてもマヌケズラだということを発見した(^^ゞ
陳列ケースだろうが額縁のガラスだろうが、それらは保安上仕方がないことかと思う。しかしガラスに映り込む人の姿を見ると興醒めになる。濃い色の絵ほど写り込みは激しくて絵を見ているのか、写りこみを見ているのかわからなくなる。どこかのガラスメーカーが写り込みの起こらないガラスを開発してくれることを願う。
何点か水彩画も展示されていた。それを見て上手だなあと思った。
当たり前だろうって? 何が言いたいかというと、日本画だろうが洋画だろうが、本格的な絵というのは自分で描いたことがないわけで、好き嫌いはあっても善し悪しはいまいちわからない。しかし水彩画は子供の頃の図工の延長線上にあるから(特に平山郁夫の水彩画は素描=シンプルなスケッチのような絵だから)、彼のようにに描くのがどれだけ難しいかが理解できるのである。大画伯と自分の子供の頃を較べるのも恐れ多い話だが。
平山郁夫が昭和30年代にヨーロッパに出かけて、その写生スケッチを巻物にした作品も何点か展示されていた。こちらも水彩画である。ネットで適当な画像がなかったので、その巻物を画集にしたもののオークションのページを紹介しておく。こっちが勝手に思い込んでいる平山郁夫=日本画の巨匠というイメージとはずいぶん違う。これらのスケッチを見ると、本当にこの人は絵を描くのが好きだったんだろうなあと思えてくる。
写真は展示会場の特設売店で買った扇子。1800円也。
シルクロードの駱駝(らくだ)が描かれている。これも水彩画。
いつも使っている100円ショップの扇子と違って、白檀のいい匂いがする。
おしまい
比較的大きなサイズの絵が多く、また中央の一番広い展示スペースには幅4〜5メーターの大作が何点が展示されていた。これらはさすがに迫力がある。
ただ残念なのは、それらは絵が大きすぎて額縁にガラスが入らないからか、大きなガラスの陳列ケースのようなモノの中に入れられていたこと。陳列ケースのガラスの継ぎ目には5センチくらいの桟(さん)があって、これが絵を遮っている。また何より陳列ケースのガラスに、自分も含めて絵を見ている人の姿が映り込む。絵を見ている私は、とてもマヌケズラだということを発見した(^^ゞ
陳列ケースだろうが額縁のガラスだろうが、それらは保安上仕方がないことかと思う。しかしガラスに映り込む人の姿を見ると興醒めになる。濃い色の絵ほど写り込みは激しくて絵を見ているのか、写りこみを見ているのかわからなくなる。どこかのガラスメーカーが写り込みの起こらないガラスを開発してくれることを願う。
何点か水彩画も展示されていた。それを見て上手だなあと思った。
当たり前だろうって? 何が言いたいかというと、日本画だろうが洋画だろうが、本格的な絵というのは自分で描いたことがないわけで、好き嫌いはあっても善し悪しはいまいちわからない。しかし水彩画は子供の頃の図工の延長線上にあるから(特に平山郁夫の水彩画は素描=シンプルなスケッチのような絵だから)、彼のようにに描くのがどれだけ難しいかが理解できるのである。大画伯と自分の子供の頃を較べるのも恐れ多い話だが。
平山郁夫が昭和30年代にヨーロッパに出かけて、その写生スケッチを巻物にした作品も何点か展示されていた。こちらも水彩画である。ネットで適当な画像がなかったので、その巻物を画集にしたもののオークションのページを紹介しておく。こっちが勝手に思い込んでいる平山郁夫=日本画の巨匠というイメージとはずいぶん違う。これらのスケッチを見ると、本当にこの人は絵を描くのが好きだったんだろうなあと思えてくる。
写真は展示会場の特設売店で買った扇子。1800円也。
シルクロードの駱駝(らくだ)が描かれている。これも水彩画。
いつも使っている100円ショップの扇子と違って、白檀のいい匂いがする。
おしまい
2010年08月28日
平山郁夫ー平和への祈りー展
金曜日に、とある打ち合わせでホテルオークラへ行ったら、平山郁夫展をやっていたのでついでに見てきた。
ホテルオークラというのは誰でも名前を知っている日本を代表するホテルであるが、東京以外の方に説明すると、虎ノ門という東京のど真ん中にありながら、駅からは少し遠く、しかも坂の上という不便な場所にある。
ターミナル駅に隣接するホテルのようにフラッと入ってくる人はいないから、ホテル側はこのホテルを「わざわざホテル(目的があってわざわざ来るという意味)」と呼んでいるくらいである。建物には何となく和洋折衷的な趣もあるからか、年配VIPはホテルオークラが好きである。
本館で打ち合わせを済ませ、展示会をやっている別館へ行く。別館は道一本挟んだ別の敷地にある。本館はたまに来るけれど別館は初めて。似たようなレトロな雰囲気だった。別館であって新館じゃないのね。
受付係が2人いる小さなカウンターがあったので、展示会はどこでやっているか尋ねる。受付の女性の笑顔が素敵だった。地下2階だと教えられる。そして、「チケットもそこで買うのか」と聞いてみる。すると!
「本来、販売は終了したのですが、こちらで前売り券もございます」といわれる。当日券は1200円、前売り券は1000円である。ただし領収書は発行できないらしい。後で調べたら前売り券の発売は8月3日で終了している。一瞬、なぜモノを売っているのに領収書が発行できないのかゴネて、彼女の表情がどう変化するか確かめたい誘惑にも駆られたが(^^ゞ、素直に前売り券を買う。すぐそばにあるエレベーターで地下二階に降り、1分ほど前に買った前売り券で入場する。とりあえず200円得した。
日本画というのはあまり馴染みがない。なんとなく花鳥風月を描いている古くさく退屈なイメージがある。そんな絵だったら見に来ないが、以前に平山郁夫が描いたシルクロードの絵を何かで見てから彼には興味があった。それに現代の日本画では実力も価格も別格とされている画家である。そういうミーハーな関心もあった。ちなみに昨年亡くなられている。
ところで日本画というのは日本人が描いた絵でも、日本的な風景やモノを描いた絵でもなく、一番単純にいえば
油絵の具で描く→洋画
岩絵の具で描く→日本画
である。岩絵の具で描けばモナリザも日本画ということになる。
岩絵の具とは名前の通り、色のついた鉱物を粉末にして膠(にかわ)で溶いて描く。粉末の粒の大きさは画家が好みで選んだり調整するので、日本画は近づいて見ると結構ツブツブが見えたりする。油絵の具も色の元は鉱物のはずだけれど、岩絵の具との具体的な違いまでは知らない。ツブツブが残るような粗い粒子にはしない(たぶん)。
ーーーーー続く
ホテルオークラというのは誰でも名前を知っている日本を代表するホテルであるが、東京以外の方に説明すると、虎ノ門という東京のど真ん中にありながら、駅からは少し遠く、しかも坂の上という不便な場所にある。
ターミナル駅に隣接するホテルのようにフラッと入ってくる人はいないから、ホテル側はこのホテルを「わざわざホテル(目的があってわざわざ来るという意味)」と呼んでいるくらいである。建物には何となく和洋折衷的な趣もあるからか、年配VIPはホテルオークラが好きである。
本館で打ち合わせを済ませ、展示会をやっている別館へ行く。別館は道一本挟んだ別の敷地にある。本館はたまに来るけれど別館は初めて。似たようなレトロな雰囲気だった。別館であって新館じゃないのね。
受付係が2人いる小さなカウンターがあったので、展示会はどこでやっているか尋ねる。受付の女性の笑顔が素敵だった。地下2階だと教えられる。そして、「チケットもそこで買うのか」と聞いてみる。すると!
「本来、販売は終了したのですが、こちらで前売り券もございます」といわれる。当日券は1200円、前売り券は1000円である。ただし領収書は発行できないらしい。後で調べたら前売り券の発売は8月3日で終了している。一瞬、なぜモノを売っているのに領収書が発行できないのかゴネて、彼女の表情がどう変化するか確かめたい誘惑にも駆られたが(^^ゞ、素直に前売り券を買う。すぐそばにあるエレベーターで地下二階に降り、1分ほど前に買った前売り券で入場する。とりあえず200円得した。
日本画というのはあまり馴染みがない。なんとなく花鳥風月を描いている古くさく退屈なイメージがある。そんな絵だったら見に来ないが、以前に平山郁夫が描いたシルクロードの絵を何かで見てから彼には興味があった。それに現代の日本画では実力も価格も別格とされている画家である。そういうミーハーな関心もあった。ちなみに昨年亡くなられている。
ところで日本画というのは日本人が描いた絵でも、日本的な風景やモノを描いた絵でもなく、一番単純にいえば
油絵の具で描く→洋画
岩絵の具で描く→日本画
である。岩絵の具で描けばモナリザも日本画ということになる。
岩絵の具とは名前の通り、色のついた鉱物を粉末にして膠(にかわ)で溶いて描く。粉末の粒の大きさは画家が好みで選んだり調整するので、日本画は近づいて見ると結構ツブツブが見えたりする。油絵の具も色の元は鉱物のはずだけれど、岩絵の具との具体的な違いまでは知らない。ツブツブが残るような粗い粒子にはしない(たぶん)。
ーーーーー続く
2010年08月24日
おすすめはAFP通信
iPadは主にネットでニュースを見るために使っていることは何度か書いた。
よく見ているのはヤフーニュースとグーグルニュース。だいたい同じような記事が並んでいるがヤフーのほうが更新が早い。一方でグーグルは要約が画面に多く表示されているので、何となく読みやすいというか見る気になる。両者の画面の違いは要素を分解して考えれば少しの差かも知れないが、見た目の印象的にはかなり違う。こういったヒューマンインターフェイスの差は興味深い。
この2つのサイトであちこちクリックしていけば、だいたいのニュースはカバーできる。必要に応じて新聞社のサイトを直接見ることもあれば、ビジネス系のニュースサイトも見る。
しかしまあニュースなんて朝毎読産日のどれを見ても、報じられている出来事自体は基本的に同じである。記事の論調に差はあっても、ニュースコメンテーターを仕事にでもしていない限り、同じ出来事の記事をいろいろ読み較べてもそれほど役には立たない。
それでおすすめはフランスのAFP通信のサイト。
もちろん日本語。日本のマスコミではあまり報じられない、世界のあちこちのニュースが読める。写真もキレイである。重要なニュースは日本でも報じられるので、ここで見つけてヘエ〜と思うニュースは、実生活ではどうでもいいようなニュースということになる。それも見聞を広める意味では何かとおもしろい。ページ中段の右側に世界地図があって、私は中東・アフリカや中南米あたりをよくクリックしている。
ビジネス系だとウォール・ストリート・ジャーナル。記事はそれほど多くないし、残念ながら半分近くは有料会員にならないと見られない仕組みだけれど、しっかりと書かれた記事という印象を受ける。
最悪なのは日本語版のCNN。素人がデザインしたような見る気が起きないページレイアウト。どうも提携している朝日新聞が作っているらしい。アメリカ版と較べればやる気ゼロなのが一目瞭然。誰かCNN本社に忠告してくれないかな?
アメリカ版の画面左上の「INTERNATIONAL」をクリックすると英語の国際版になる。ついでに国際版の画面左上の「ARABIC」をクリックするとアラビア語版に。中東の人たちって、こんな文字を使っているだと新発見。
よく見ているのはヤフーニュースとグーグルニュース。だいたい同じような記事が並んでいるがヤフーのほうが更新が早い。一方でグーグルは要約が画面に多く表示されているので、何となく読みやすいというか見る気になる。両者の画面の違いは要素を分解して考えれば少しの差かも知れないが、見た目の印象的にはかなり違う。こういったヒューマンインターフェイスの差は興味深い。
この2つのサイトであちこちクリックしていけば、だいたいのニュースはカバーできる。必要に応じて新聞社のサイトを直接見ることもあれば、ビジネス系のニュースサイトも見る。
しかしまあニュースなんて朝毎読産日のどれを見ても、報じられている出来事自体は基本的に同じである。記事の論調に差はあっても、ニュースコメンテーターを仕事にでもしていない限り、同じ出来事の記事をいろいろ読み較べてもそれほど役には立たない。
それでおすすめはフランスのAFP通信のサイト。
もちろん日本語。日本のマスコミではあまり報じられない、世界のあちこちのニュースが読める。写真もキレイである。重要なニュースは日本でも報じられるので、ここで見つけてヘエ〜と思うニュースは、実生活ではどうでもいいようなニュースということになる。それも見聞を広める意味では何かとおもしろい。ページ中段の右側に世界地図があって、私は中東・アフリカや中南米あたりをよくクリックしている。
ビジネス系だとウォール・ストリート・ジャーナル。記事はそれほど多くないし、残念ながら半分近くは有料会員にならないと見られない仕組みだけれど、しっかりと書かれた記事という印象を受ける。
最悪なのは日本語版のCNN。素人がデザインしたような見る気が起きないページレイアウト。どうも提携している朝日新聞が作っているらしい。アメリカ版と較べればやる気ゼロなのが一目瞭然。誰かCNN本社に忠告してくれないかな?
アメリカ版の画面左上の「INTERNATIONAL」をクリックすると英語の国際版になる。ついでに国際版の画面左上の「ARABIC」をクリックするとアラビア語版に。中東の人たちって、こんな文字を使っているだと新発見。
2010年08月23日
外人コンプレックス
とある駅で電車を乗り換えた。
何人か並んでいたので、その列の後ろについた。
私の2列先に変なオッサンがいた。
中肉中背。
白いシャツにジーンズ。
黒いショルダーバック。
別にそれだけなら変でも何でもないし、後ろ姿だけでは年齢もわからない。
変なオッサンだと思ったのは、
半分くらい白髪の超モジャモジャヘアーだった。
その髪の毛は特に長くもないのに、
後頭部のあたりを無理矢理ゴムで結わえていた。
そのゴムが赤や黄色や黄緑ととってもカラフルだった。
ファッション関係か、広告のクリエーターかとぼんやりと考えた。本当に「オカシナ人」でないことは、背中しか見えないけれど何となく気配で伝わってくる。しかし、どんなファッションをしようが人の勝手ではあるが、後ろ姿の彼は、決してファッショナブルじゃなくて「痛い」センスの中年のオッサンにしか見えなかった。
電車が来た。乗った。座った。
彼は私の真正面に座った。
白人の男性だった。
たぶんヨーロッパ系。
年齢は30代後半かもしれない。
半分くらい白髪と思ったのは、いわゆる銀髪だった。ついでに書くと全然イケメンじゃないが、それなりに彫りの深い顔立ち。
外人だとわかった瞬間、変なオッサン・痛いセンスから、個性的なファッションに
評価が180度変わった。やっぱり外人コンプレックスってあるんだと思った(^^ゞ
何人か並んでいたので、その列の後ろについた。
私の2列先に変なオッサンがいた。
中肉中背。
白いシャツにジーンズ。
黒いショルダーバック。
別にそれだけなら変でも何でもないし、後ろ姿だけでは年齢もわからない。
変なオッサンだと思ったのは、
半分くらい白髪の超モジャモジャヘアーだった。
その髪の毛は特に長くもないのに、
後頭部のあたりを無理矢理ゴムで結わえていた。
そのゴムが赤や黄色や黄緑ととってもカラフルだった。
ファッション関係か、広告のクリエーターかとぼんやりと考えた。本当に「オカシナ人」でないことは、背中しか見えないけれど何となく気配で伝わってくる。しかし、どんなファッションをしようが人の勝手ではあるが、後ろ姿の彼は、決してファッショナブルじゃなくて「痛い」センスの中年のオッサンにしか見えなかった。
電車が来た。乗った。座った。
彼は私の真正面に座った。
白人の男性だった。
たぶんヨーロッパ系。
年齢は30代後半かもしれない。
半分くらい白髪と思ったのは、いわゆる銀髪だった。ついでに書くと全然イケメンじゃないが、それなりに彫りの深い顔立ち。
外人だとわかった瞬間、変なオッサン・痛いセンスから、個性的なファッションに
評価が180度変わった。やっぱり外人コンプレックスってあるんだと思った(^^ゞ
2010年08月22日
iPad その後
何名かの人にiPadは、その後どうですか?と聞かれた。
なかなか返答に困る。
買ったときに書いたように、新聞代わりにネットでニュースをソファで見るために買って、ほぼその使い方しかしていない。つまりiPadで何か生活に変化が起きるような使い方はしていない。
その使い方に関してはほぼ満足している。前に書いたように少し小さいとか、タブブラウザーじゃないので以前のページに戻りにくいとかの不満はある。それでも何となく慣れてしまった。意外と順応性は高いのである。前に書いたマルチタスクじゃない欠点も、メールチェックも含めて使うのはほとんどサファリ(ブラウザー)だけだから、実害は今のところあまりない。
一番ムカツクのはiPadがフラッシュに対応していない点である。
フラッシュというのはアドビシステムという会社が提供している、動画や画像をパソコン上で見るための仕組みである。ホームページ上で動画を見せる場合、フラッシュを使わなくても可能だけれど、使った方が何かと制作的に便利なので多くのホームページで使われている。つまり多くのホームページの動画はiPadでは見られないということである。動画だけではなく、ちょっと凝った仕組みのレイアウトを持つホームページは、フラッシュで作られていることが多いので、画面そのものが全く表示されないホームページも結構ある。
なぜかアップルはiPadやiPhoneをフラッシュに対応させることを、頑として拒否しアドビ社と対立している。IT系のニュースでは、その対立の状況がたまに報道されている。特に事情を知りたいとも思っていなし、知ったところで状況が変わるわけでもないので内容はチェックしていない。ヤレヤレと思っているだけである。
アップルは良くも悪くも独り善がりな会社だが、今回はその悪い面が出た。もっともニュースのチェックで動画が見られなくても、それほど問題はないし、必要ならすぐそばにパソコンもあるから何とでもなる。ただひとつ言えることは、パソコンはネットとメールくらいしか使わないならパソコンを買わず安いiPadで用が足りるーーー状況ではないという点である。
<買ってから気がついたこと>
自宅には無線LANの装置がなかったのでiPadと一緒に購入したことは前にも書いた。私のiPadは携帯の通信網を使ってネットに接続する機能はついていないので、無線LANは必須である。
現在、ネットのケーブルを無線LANルーターにつなぎiPadは無線で、パソコンは無線LANルーターから分岐させたケーブルで有線接続している。(無線より有線の方がスピードが出るので)
ところでMacにはAirMac(エアーマック)という無線LANの機能が組み込まれている。これは無線LANルーターを親機とすれば子機のような存在ーーーと思っていたけれど、実は親機にもなるらしい。
つまりネットのケーブルをMacにつなぎ、Macはそれでネットに接続し、AirMacを親機として作動させてiPadを無線で接続することができる。だから無線LANルーターは別に購入する必要はなかった。
もっともこの仕組みだと、iPadを使うときにMacが立ち上がっていなければならないので不便かもしれない。AirMac内蔵のMacを持っていて、少しでも安くiPadを使いたい人は試してみては。
なかなか返答に困る。
買ったときに書いたように、新聞代わりにネットでニュースをソファで見るために買って、ほぼその使い方しかしていない。つまりiPadで何か生活に変化が起きるような使い方はしていない。
その使い方に関してはほぼ満足している。前に書いたように少し小さいとか、タブブラウザーじゃないので以前のページに戻りにくいとかの不満はある。それでも何となく慣れてしまった。意外と順応性は高いのである。前に書いたマルチタスクじゃない欠点も、メールチェックも含めて使うのはほとんどサファリ(ブラウザー)だけだから、実害は今のところあまりない。
一番ムカツクのはiPadがフラッシュに対応していない点である。
フラッシュというのはアドビシステムという会社が提供している、動画や画像をパソコン上で見るための仕組みである。ホームページ上で動画を見せる場合、フラッシュを使わなくても可能だけれど、使った方が何かと制作的に便利なので多くのホームページで使われている。つまり多くのホームページの動画はiPadでは見られないということである。動画だけではなく、ちょっと凝った仕組みのレイアウトを持つホームページは、フラッシュで作られていることが多いので、画面そのものが全く表示されないホームページも結構ある。
なぜかアップルはiPadやiPhoneをフラッシュに対応させることを、頑として拒否しアドビ社と対立している。IT系のニュースでは、その対立の状況がたまに報道されている。特に事情を知りたいとも思っていなし、知ったところで状況が変わるわけでもないので内容はチェックしていない。ヤレヤレと思っているだけである。
アップルは良くも悪くも独り善がりな会社だが、今回はその悪い面が出た。もっともニュースのチェックで動画が見られなくても、それほど問題はないし、必要ならすぐそばにパソコンもあるから何とでもなる。ただひとつ言えることは、パソコンはネットとメールくらいしか使わないならパソコンを買わず安いiPadで用が足りるーーー状況ではないという点である。
<買ってから気がついたこと>
自宅には無線LANの装置がなかったのでiPadと一緒に購入したことは前にも書いた。私のiPadは携帯の通信網を使ってネットに接続する機能はついていないので、無線LANは必須である。
現在、ネットのケーブルを無線LANルーターにつなぎiPadは無線で、パソコンは無線LANルーターから分岐させたケーブルで有線接続している。(無線より有線の方がスピードが出るので)
ところでMacにはAirMac(エアーマック)という無線LANの機能が組み込まれている。これは無線LANルーターを親機とすれば子機のような存在ーーーと思っていたけれど、実は親機にもなるらしい。
つまりネットのケーブルをMacにつなぎ、Macはそれでネットに接続し、AirMacを親機として作動させてiPadを無線で接続することができる。だから無線LANルーターは別に購入する必要はなかった。
もっともこの仕組みだと、iPadを使うときにMacが立ち上がっていなければならないので不便かもしれない。AirMac内蔵のMacを持っていて、少しでも安くiPadを使いたい人は試してみては。
2010年08月14日
オルセー美術館展2010「ポスト印象派」
ようやく本題。
ーーーでもないんだけど。
写真はゴッホの「星降る夜」。
これを盗みに、モトイ(^^ゞ、この作品を一番の目当てに展示会に行った。本物を見て感激したなどと子供っぽいことはいわないけれど、なかなか感慨深かった。
ただかぶりつきで見ると(かぶりつきで見ざるを得ない:2つ前のエントリー参照)、思った以上に荒いタッチである。ゴッホは絵の具を盛り上げて描くので、それを見るのを喜ぶ人が多いが、私はもうちょっと俯瞰して全体的に鑑賞したい。オーケストラでバイオリンの音だけを聞き分けても仕方がない。でもまあ好みは人それぞれ。
さて、この展示会のタイトルは「ポスト印象派」。昔は後期印象派といっていた気がするが、今はポスト印象派と呼ぶのが一般的。後期印象派なら、印象派の範疇に入るが、ポスト印象派は直訳すれば「脱印象派」ということだから、印象派ではないという理屈になる。そのあたりは美術史に詳しくないのでよくわからない。
本当は美術史はある程度勉強した方がいい。絵を視覚だけで感じるより、その背景の歴史込みで見た方が絵の理解は深まるというか楽しめる。ついでにいうともう少しクラシックな西洋絵画には、聖書に書かれたことを題材にしているものが多いので、キリスト教の知識もある程度は必要である。キリスト教の背景抜きに見ると、突拍子もない構図にしか見えない名画はいっぱいある。まあワカッチャいても私はなかなかできていませんが。
ところで印象派は日本人が大好きな絵ということになっているし、世界的にも人気がある。値段もベラボーに高い。つまり印象派にはステイタスがある。しかし実は印象派というのは最初は「軽蔑」のレッテルだった。
印象派というのは「狩野派」のような師匠がいるような流派ではまったくなく、19世紀中頃にモネ、セザンヌ、ルノワールなどの画家が共同展を始めたことがきっかけ。それぞれの画家の作風は様々であるが、クラシックな描き込んだ絵ではなく、感じたままに描くのが特徴。いってみれば当時の画壇の反逆児たちの集まり。クラシック音楽に対するロックミュージックみたいなもの。
いつの世も新しいことは守旧派からは拒絶される。展覧会に出品されたモネの絵を、とある評論家が「印象しか描いていない」とバカにしたことが印象派というネーミングの始まり。印象しか描いていないとは、構図がおおざっぱだとか、絵が描き込まれていないとか、内面的な深いテーマがないとか、そういう意味だと思う。今となっては印象派という言葉に、そんな軽蔑のニュアンスを感じることは難しいけれど。
さてゴッホの「星降る夜」に話を戻すと、だいたい夜の絵ということが珍しい。彼は黄色を上手に使う画家だとよくいわれるが、実は黄色をたくさん効果的に使いたくて、この絵のモチーフを選んだのではないかと私は想像している。空の中央にある星はヒシャクの形をした北斗七星.しかし、この絵が描かれたフランスのアルル地方で、この方角は北斗七星とは逆らしい。つまりイメージの合成。だいたい星がこんな大きいはずもないし。しかし見れば見るほど、ここにある星は北斗七星でなければならない気がしてくる。もっとも形をすぐに思い出せる星座は北斗七星くらいであるが。
ゴッホについては自分で耳を切り落としたとか、精神病で入院したとか、最後はピストル自殺したとかのエピソードが先入観にあるせいか、鬼気迫る画家のイメージがついてまわる。しかし絵を見れば、そのほとんどはピュアでシンプル。夜と黄色の組み合わせについていえば「夜のカフェテラス」という作品もあって、この黄色がどのように光り輝いているのか、これもいつかはこの目で確かめたい。どちらの絵も、夜にこんな黄色があるはずもないのに、抵抗感なく見られるのが不思議。
ゴッホでもう一つ有名なエピソードはバブル華やかりし頃、大昭和製紙会長の齊藤了英がゴッホの絵を当時の絵画最高額(125億円)で競り落とし、「俺が死んだら絵を棺桶に入れて一緒に火葬してくれ」といったこと。マスコミはよってたかってこの発言を批判したが、私は彼がシャレでいったのではないかと思っている。
当時、発言についての本人にインタビューした深い報道はなかったし、マスコミはたとえ又聞きでも、ネタになると思えばバッシングに走る。ちなみにオークションで彼に競り負けた海外の美術蒐集家は、後にこのエピソードを聞いて「私にはミスター齋藤ほどの情熱が足りなかった」と反省したというから世の中はおもしろい。なおバブルがはじけてゴッホの絵は借金のカタに取られ、その後に海外に売却された。
印象派が活躍した当時、パリで万博が開かれ明治政府時代の日本も参加したので、パリはちょっとしたジャポニスム(日本ブーム)だった。印象派の画家たちも日本の風俗や浮世絵から大いに影響を受けたといわれている。ゴッホもその代表的な1人。それについてはいろんな教科書に書いてあるけれど、たぶん多くの人と同じように私は浮世絵についての知識がほとんどないから、どう影響を受けたのかははっきりいってよくわからない。まあ、とりあえずゴッホはこんな絵というか模写を残している。左が安藤広重、右がゴッホである。絵の縁に漢字?を描いて日本風にしているなんてゴッホ君、お茶目でカワイイね(^^ゞ
ゴッホ以外にも作品は目白押し。なにせフランスのサルコジ大統領と鳩山首相が、それぞれ開催に向けてのメッセージを寄せている最高レベルの展示会である。ただ「ポスト印象派」展だから、普段印象派と聞いてイメージするカジュアルで軽やかな絵ばかりではない。それを期待していくと少し当てが外れるかもしれないが、いろんな絵が見られて楽しめるはず。残りあと2日。時間があれば見に行くことをお勧めする。
2010年08月13日
上手な絵の描き方(ごまかし方?)
「昔、神童、今はただの人」な私である。
小学校の授業で書かされた絵や作文や詩は、本人が知らないうちに先生がどこかに応募して、いろいろ表彰された。実は絵で文部大臣賞をもらったこともある。過去の栄光(^^ゞ
その絵のことはよく覚えている。
小学校の中頃くらいのある時、授業で電話局に写生に行った。なぜか私は電話交換機のある部屋で写生をした。交換機に興味を持ったのか、誰か友達がここにしようといったのか、理由はまったく覚えていないが。
ブログに写真を貼り付けた交換機は1950年代の旧式のもので、もう当時は人がケーブルを挿したりはしていない。でもイメージはこんな感じ。これのもっと大型で天井まである機械を想像してもらいたい。ケーブルの操作ではないが、人が何人かは操作コンソールの前に座って仕事をしていた。
書き始めてすぐ後悔した。目の前にあるのは灰色の大きな機械である。機械室だから部屋の中も殺風景そのもの。子供心に「こりゃ、絵にならない」と思った。しかし場所を変えることもなく絵を描いた。小学生にとって写生の課外授業なんて遊びに来たのも同然。友達と喋ったり写生そっちのけで電話局内を探検したりした。それでも一応絵は完成し、そろそろ帰る時間となった。改めて自分の描いた絵を眺めると「なんじゃコレ」という気持ちになった。灰色の機械があって人の後ろ姿が描いてあるだけの絵である。何となく思いつきで、絵の中に赤や黄色や緑の色を入れてみた。結果はますます悲惨なことに(/o\) 今度は友達に「なんじゃソレ」と笑われた。
そのとき、ふと閃いた。
小学生だからもちろん水彩絵の具である。筆についた絵の具を洗う水洗もある。そこでハンカチを水洗の水に浸して固く絞った。そのハンカチで絵の表面をあちこち擦った。するとアラ不思議、絵の具がかすれていい味になるじゃありませんか! 思いつきで入れた赤や黄色の色も周囲と馴染んでまさにグッドバランス。
正確に言うなら絵の具が少しにじんで、絵はちょっと暗く汚くなる。写生はほとんど灰色と黒の絵だったからなおさらである。でもそれが殺風景な交換機のある部屋にドンぴしゃではまった。一言で言うなら絵が大人びてくる。「とても小学生の描いた絵とは思えない」と小学生の私は思った(^^ゞ
写生は学校に戻ってから提出することになっていた。
ところで交換機は細長く縦長の機械である。それが何台も並んでいる。だから交換機と交換機の継ぎ目は黒く線が入ったように見える。教室に戻ると、その継ぎ目の線を描くことを忘れていることに気がついた。
小学生の私は「ちゃんと描かないと先生に怒られる」と焦った。いまさら絵の具で描いている暇はないので、教室にあったマジックインキ(懐かしいでしょ)で、その線を何本か引いた。ついでに調子に乗ってハンカチで擦りすぎて絵がぼやけてしまったところを、マジックインキで少し修正した。たぶん30秒くらいで慌てて仕上げたと思う。「ふ〜、これで大丈夫」と安心して提出した。提出するとき先生が絵をチラッと見てから私を少し睨んだので「あっ、マジックで描いたのがバレタ!」と心配になった。
その絵が文部大臣賞である。
後で先生が見せてくれたカタログのようなものには「この少年は部屋の中のかすかな色彩をとらえている」とか「絵の具以外も使う発想の斬新さ」などと書かれていた。大人ってチョロいなあ〜と思った。ただ私の最大の発明である絞ったハンカチで擦ることには一言も触れられていなかった。それが何となく残念だったことを覚えている。
夏休みに図工の宿題を抱えているご子息をお持ちの皆様。
よかったらハンカチ擦り技法お試しを。
『オルセー美術館展2010「ポスト印象派」』から、まったく話がそれてしまったけれど、絵つながりということでm(_ _)m
小学校の授業で書かされた絵や作文や詩は、本人が知らないうちに先生がどこかに応募して、いろいろ表彰された。実は絵で文部大臣賞をもらったこともある。過去の栄光(^^ゞ
その絵のことはよく覚えている。
小学校の中頃くらいのある時、授業で電話局に写生に行った。なぜか私は電話交換機のある部屋で写生をした。交換機に興味を持ったのか、誰か友達がここにしようといったのか、理由はまったく覚えていないが。
ブログに写真を貼り付けた交換機は1950年代の旧式のもので、もう当時は人がケーブルを挿したりはしていない。でもイメージはこんな感じ。これのもっと大型で天井まである機械を想像してもらいたい。ケーブルの操作ではないが、人が何人かは操作コンソールの前に座って仕事をしていた。
書き始めてすぐ後悔した。目の前にあるのは灰色の大きな機械である。機械室だから部屋の中も殺風景そのもの。子供心に「こりゃ、絵にならない」と思った。しかし場所を変えることもなく絵を描いた。小学生にとって写生の課外授業なんて遊びに来たのも同然。友達と喋ったり写生そっちのけで電話局内を探検したりした。それでも一応絵は完成し、そろそろ帰る時間となった。改めて自分の描いた絵を眺めると「なんじゃコレ」という気持ちになった。灰色の機械があって人の後ろ姿が描いてあるだけの絵である。何となく思いつきで、絵の中に赤や黄色や緑の色を入れてみた。結果はますます悲惨なことに(/o\) 今度は友達に「なんじゃソレ」と笑われた。
そのとき、ふと閃いた。
小学生だからもちろん水彩絵の具である。筆についた絵の具を洗う水洗もある。そこでハンカチを水洗の水に浸して固く絞った。そのハンカチで絵の表面をあちこち擦った。するとアラ不思議、絵の具がかすれていい味になるじゃありませんか! 思いつきで入れた赤や黄色の色も周囲と馴染んでまさにグッドバランス。
正確に言うなら絵の具が少しにじんで、絵はちょっと暗く汚くなる。写生はほとんど灰色と黒の絵だったからなおさらである。でもそれが殺風景な交換機のある部屋にドンぴしゃではまった。一言で言うなら絵が大人びてくる。「とても小学生の描いた絵とは思えない」と小学生の私は思った(^^ゞ
写生は学校に戻ってから提出することになっていた。
ところで交換機は細長く縦長の機械である。それが何台も並んでいる。だから交換機と交換機の継ぎ目は黒く線が入ったように見える。教室に戻ると、その継ぎ目の線を描くことを忘れていることに気がついた。
小学生の私は「ちゃんと描かないと先生に怒られる」と焦った。いまさら絵の具で描いている暇はないので、教室にあったマジックインキ(懐かしいでしょ)で、その線を何本か引いた。ついでに調子に乗ってハンカチで擦りすぎて絵がぼやけてしまったところを、マジックインキで少し修正した。たぶん30秒くらいで慌てて仕上げたと思う。「ふ〜、これで大丈夫」と安心して提出した。提出するとき先生が絵をチラッと見てから私を少し睨んだので「あっ、マジックで描いたのがバレタ!」と心配になった。
その絵が文部大臣賞である。
後で先生が見せてくれたカタログのようなものには「この少年は部屋の中のかすかな色彩をとらえている」とか「絵の具以外も使う発想の斬新さ」などと書かれていた。大人ってチョロいなあ〜と思った。ただ私の最大の発明である絞ったハンカチで擦ることには一言も触れられていなかった。それが何となく残念だったことを覚えている。
夏休みに図工の宿題を抱えているご子息をお持ちの皆様。
よかったらハンカチ擦り技法お試しを。
『オルセー美術館展2010「ポスト印象派」』から、まったく話がそれてしまったけれど、絵つながりということでm(_ _)m
2010年08月12日
美術館にお願いと忠告?
訪れたのは月曜の午後。平日とはいえ夏休みシーズンだし、展覧会もそろそろ会期末だから混んでいるのは覚悟して出かける。1時間以上並ぶのだったら諦めて帰ろうと思っていた。
運悪く?案内係が掲げる「ここが列の最後尾:60分待ち」と書かれたプラカードが目に入る。オルセー美術館の名作が100点以上日本にやってくることは、生きているうちにもうないかもしれないし、パリのオルセー美術館まで行ったとしても土日ならもっと並ぶんだからヨシとする。
しかし列に並んでいる間は暑かった。館内は冷房が効いても人が多すぎてーーー。扇子を持ってくるのを忘れたことをとっても後悔する。周りを見回すとツワノモは文庫本を読みながら列に並んでいる。なるほど参考にしようφ(.. )メモ それなら2時間くらい並べるかも。
ただ並ぶのはいいとして、それだけ入場者が多いということは展示室内もごったがえしているということである。これだけ混んでいると絵画鑑賞というより「絵を確認する作業」に近くなってくる。展示室内では絵が掛かっている壁に沿って列が進むのだが、お目当ての絵にたどり着くまでイライイラと時間がかかる。
私は絵を至近距離で見たいと思うタイプではない。しかしこの状況だと列に並んで絵の真正面まで来て見ないと、つまり少し後ろからだと絵を見ているのか人の後頭部を見ているのかわからなくなる。すべての絵をそんな風に並んで見る根気はないので、いくつかの絵だけを並ぶことにし、多くは列の外側ぎりぎりに接近して眺めることにする。それで何とか楽しめるのは私の身長が180センチあるからで、もっと背の低い人なら我慢して並ばざるを得ない。
人気展だから混雑は仕方がない。多くの人が絵を見にやって来ることはいいことである。しかしだからといって、せっかくの名画を「確認作業」に終わらしていいということにもならない。そこで美術館にお願い(←このブログで時々書いていたお願いシリーズも久しぶりの気がする)。
その1
絵はもう少し高い位置に、そしてやや下向きに掛けるべきである。絵の下端を190センチにすれば人の頭に遮られることはない。位置をあげた分だけ少し下向きに角度をつければ鑑賞に不都合はない。特に今回のような印象派の場合、サイズの大きな絵はほとんどないので十分に可能なはず。
その2
こういう規模の大きい展示会はだいたい2〜3ヶ月の会期がある。そのうちの何日かは入場者数制限のある日を設けられないか。ゆったりと3時間ぐらい鑑賞できる程度の人口密度に制限する。もちろん、その分入場料は高くする。この展示会の入場料は1500円であるが、私は20倍の3万円なら払ってもいい。人気の展示会というのは何十万人という来場がある。その人数を考えれば充分にニーズがあってビジネス的にもペイするはずだ。(念のために書いておくけれど、私がすべての展示会に毎回3万円払うという意味ではないヨ)
その3
入場者人口密度を下げる最も簡単な方法は開場時間の延長である。たいていの美術館は5時か6時で閉まる。(金曜日だけ8時までというところが多い) イマドキこれじゃ話にならない。24時間開けろとはいわないまでも、11時頃まで、絵を見て終電で帰れるくらいまでは開けるべきである。美術館はサービス産業であり、国立美術館は国民のニーズに奉仕すべきである。蓮舫先生、美術館の役所体質を何とかしてください(^^ゞ
入場するまでに1時間並んだし(私にとっては奇跡に近い)、展示室内でも大混雑だったので疲れてベンチに座った。展示室内のベンチというのは、ゆっくり絵を鑑賞するためにあるはず。しかし、この混雑では座ったら最後、絵は全く見えない。ボーッと人混みを眺めて休憩する。
すると、この人混みに対して美術館の係員や警備員が圧倒的に少ないことに気がついた。頭の中でいろいろシミュレーションしてみる。入り口で配っていた配置図を確認する。絵のかけ方とサイズを思い出す。防犯カメラの位置を見上げる。
ーーーたぶん、これだけ人がいた方がかえって絵は盗みやすい。
私の計算では12名のチームで1分以内で5〜6枚いただける。ただしそのうちの8名ほどは捕まる。しかしほとんど陽動作戦メンバーだから執行猶予がつくし実刑でも刑期は短いはず。一方で盗む絵の価値は百億円近く(売却できればの話だけれど)にはなる。だから分け前を考えれば割に合う犯罪。その手口は、まず最初に出口付近でーーーもちろん、これは単なる暇つぶしの空想です(^^ゞ
本日は(←このフレーズも久しぶりである) “美術館は混んでいるとあまり絵を見られないけれど、それはそれとして、いろいろ別の楽しみ方もある” の下書きでした。美術館関係者は警備の観点からも入場者密度の低下に取り組まれるのがよろしいかと。
なかなか絵の話までたどり着けずm(_ _)m
運悪く?案内係が掲げる「ここが列の最後尾:60分待ち」と書かれたプラカードが目に入る。オルセー美術館の名作が100点以上日本にやってくることは、生きているうちにもうないかもしれないし、パリのオルセー美術館まで行ったとしても土日ならもっと並ぶんだからヨシとする。
しかし列に並んでいる間は暑かった。館内は冷房が効いても人が多すぎてーーー。扇子を持ってくるのを忘れたことをとっても後悔する。周りを見回すとツワノモは文庫本を読みながら列に並んでいる。なるほど参考にしようφ(.. )メモ それなら2時間くらい並べるかも。
ただ並ぶのはいいとして、それだけ入場者が多いということは展示室内もごったがえしているということである。これだけ混んでいると絵画鑑賞というより「絵を確認する作業」に近くなってくる。展示室内では絵が掛かっている壁に沿って列が進むのだが、お目当ての絵にたどり着くまでイライイラと時間がかかる。
私は絵を至近距離で見たいと思うタイプではない。しかしこの状況だと列に並んで絵の真正面まで来て見ないと、つまり少し後ろからだと絵を見ているのか人の後頭部を見ているのかわからなくなる。すべての絵をそんな風に並んで見る根気はないので、いくつかの絵だけを並ぶことにし、多くは列の外側ぎりぎりに接近して眺めることにする。それで何とか楽しめるのは私の身長が180センチあるからで、もっと背の低い人なら我慢して並ばざるを得ない。
人気展だから混雑は仕方がない。多くの人が絵を見にやって来ることはいいことである。しかしだからといって、せっかくの名画を「確認作業」に終わらしていいということにもならない。そこで美術館にお願い(←このブログで時々書いていたお願いシリーズも久しぶりの気がする)。
その1
絵はもう少し高い位置に、そしてやや下向きに掛けるべきである。絵の下端を190センチにすれば人の頭に遮られることはない。位置をあげた分だけ少し下向きに角度をつければ鑑賞に不都合はない。特に今回のような印象派の場合、サイズの大きな絵はほとんどないので十分に可能なはず。
その2
こういう規模の大きい展示会はだいたい2〜3ヶ月の会期がある。そのうちの何日かは入場者数制限のある日を設けられないか。ゆったりと3時間ぐらい鑑賞できる程度の人口密度に制限する。もちろん、その分入場料は高くする。この展示会の入場料は1500円であるが、私は20倍の3万円なら払ってもいい。人気の展示会というのは何十万人という来場がある。その人数を考えれば充分にニーズがあってビジネス的にもペイするはずだ。(念のために書いておくけれど、私がすべての展示会に毎回3万円払うという意味ではないヨ)
その3
入場者人口密度を下げる最も簡単な方法は開場時間の延長である。たいていの美術館は5時か6時で閉まる。(金曜日だけ8時までというところが多い) イマドキこれじゃ話にならない。24時間開けろとはいわないまでも、11時頃まで、絵を見て終電で帰れるくらいまでは開けるべきである。美術館はサービス産業であり、国立美術館は国民のニーズに奉仕すべきである。蓮舫先生、美術館の役所体質を何とかしてください(^^ゞ
入場するまでに1時間並んだし(私にとっては奇跡に近い)、展示室内でも大混雑だったので疲れてベンチに座った。展示室内のベンチというのは、ゆっくり絵を鑑賞するためにあるはず。しかし、この混雑では座ったら最後、絵は全く見えない。ボーッと人混みを眺めて休憩する。
すると、この人混みに対して美術館の係員や警備員が圧倒的に少ないことに気がついた。頭の中でいろいろシミュレーションしてみる。入り口で配っていた配置図を確認する。絵のかけ方とサイズを思い出す。防犯カメラの位置を見上げる。
ーーーたぶん、これだけ人がいた方がかえって絵は盗みやすい。
私の計算では12名のチームで1分以内で5〜6枚いただける。ただしそのうちの8名ほどは捕まる。しかしほとんど陽動作戦メンバーだから執行猶予がつくし実刑でも刑期は短いはず。一方で盗む絵の価値は百億円近く(売却できればの話だけれど)にはなる。だから分け前を考えれば割に合う犯罪。その手口は、まず最初に出口付近でーーーもちろん、これは単なる暇つぶしの空想です(^^ゞ
本日は(←このフレーズも久しぶりである) “美術館は混んでいるとあまり絵を見られないけれど、それはそれとして、いろいろ別の楽しみ方もある” の下書きでした。美術館関係者は警備の観点からも入場者密度の低下に取り組まれるのがよろしいかと。
なかなか絵の話までたどり着けずm(_ _)m
2010年08月10日
国立新美術館
『オルセー美術館展2010「ポスト印象派」』の展示会を見に行く。
数年前、六本木にオープンしたこの美術館に行くのは初めて。ここの敷地には東大の付属研究所かなんかがあったはずだが、どんな建物だったか全く思い出せない。美術館の前は通称「星条旗通り」と呼ばれている西麻布へ抜ける道路で、このあたりは隅から隅まで詳しかったはずなのになあ〜。もっとも私が夜な夜な六本木に出没していたのは20年前の話。
見ればわかるようにクネクネとした変わったデザインの建物。写真ではとてつもなく巨大に見えるかもしれないが、実物はそれほどびっくりすることもない。ちなみに中央の三角帽子のようなものは、その後ろの美術館本体とは独立した建物で、中はなんと「傘置き場」である。美術館なので傘を館内に持ち込むことはできないルールになっている。
本体の入り口は三角帽子の向こう側にある。三角帽子の入り口は写真の真横あたり。この角度から撮影することを計算して、入り口の見えない=建物を連想しないオブジェのようなデザインを作りたかったのかもしれない。
なお東京のど真ん中なのに、美術館の後ろにほかの建物が見えないのは、この敷地が少し高台で向こう側(乃木坂)が窪んだような地形で低いから。考えてみると奇跡のようなロケーションである。
※正確に言うと三角帽子の三角部分は本体の一部で傘置き場は円盤部分より下にある。ややこしいので説明は省略。全体像の写真はここに。奥に見える森のようなところは青山墓地。
ところで
私はガラスの塊のような建築は好きじゃない。超高層ビルはそんなのばっかりだ。建築家はそれをモダンデザインと呼ぶけれど、ただガラスを張っただけのものをデザインだとは思わない。本物のデザイナーなら石造りでもモダンを表現できるはず。
ただ、この建物に関しては一応アリかなとも思う。美術館を意識した西洋コンプレックス丸出しの伝統風建築じゃ恥ずかしいし、コンクリート打ちっ放しのデザイナーズ美術館では軽すぎる。クネクネは好みじゃないのだが、この規模でやられるとインパクトがあることは認める。
「周囲との共生」が建築コンセプトらしく、確かにというかガラスだらけだから当たり前であるが、館内から外の景色がよく見えて敷地との一体感もある。ただ内部は美術館というよりコンベンションセンター(会議場)のような雰囲気、安っぽさでがっかりする。クネクネに建築費を取られて内部にお金をかけられなかったのかな?
美術館の建築デザインは黒川紀章。彼は時代によって作風が異なるが、最近は「ガラス建築」が多いのであまり好きじゃなかった。私のオフィスのすぐそばにも彼がデザインした、ヘンチクリンな小さなガラスのビルが一つ建っている。
しかし東京都知事選に出たとき、そのハチャメチャぶりにすっかりこのオッサンのファンになった(^^ゞ ちななみに国立新美術館のオープンが2007年1月。彼が出馬した都知事選が同年2月。亡くなったのが同年10月である。あんなに天才で、しかも社会的に成功した人物はそう滅多に出るもんじゃない。この美術館が遺作ではないとのことだが、まあ彼の記念碑と考えてもいいと思う。遅ればせながら合掌
美術館は六本木の交差点から歩いて6〜7分。六本木のごちゃごちゃしたイメージとは無縁の緑の多いゆったりした開放的なスペースだから、息抜きに来るのもいいかも。敷地内や付属のカフェに入るだけなら入館料はとられない。あちこちにベンチもある。ただし喫煙所は入り口のチケット売り場裏の一カ所しかない(残念)。
建物の話で長くなったので展示会の話は次回に。
数年前、六本木にオープンしたこの美術館に行くのは初めて。ここの敷地には東大の付属研究所かなんかがあったはずだが、どんな建物だったか全く思い出せない。美術館の前は通称「星条旗通り」と呼ばれている西麻布へ抜ける道路で、このあたりは隅から隅まで詳しかったはずなのになあ〜。もっとも私が夜な夜な六本木に出没していたのは20年前の話。
見ればわかるようにクネクネとした変わったデザインの建物。写真ではとてつもなく巨大に見えるかもしれないが、実物はそれほどびっくりすることもない。ちなみに中央の三角帽子のようなものは、その後ろの美術館本体とは独立した建物で、中はなんと「傘置き場」である。美術館なので傘を館内に持ち込むことはできないルールになっている。
本体の入り口は三角帽子の向こう側にある。三角帽子の入り口は写真の真横あたり。この角度から撮影することを計算して、入り口の見えない=建物を連想しないオブジェのようなデザインを作りたかったのかもしれない。
なお東京のど真ん中なのに、美術館の後ろにほかの建物が見えないのは、この敷地が少し高台で向こう側(乃木坂)が窪んだような地形で低いから。考えてみると奇跡のようなロケーションである。
※正確に言うと三角帽子の三角部分は本体の一部で傘置き場は円盤部分より下にある。ややこしいので説明は省略。全体像の写真はここに。奥に見える森のようなところは青山墓地。
ところで
私はガラスの塊のような建築は好きじゃない。超高層ビルはそんなのばっかりだ。建築家はそれをモダンデザインと呼ぶけれど、ただガラスを張っただけのものをデザインだとは思わない。本物のデザイナーなら石造りでもモダンを表現できるはず。
ただ、この建物に関しては一応アリかなとも思う。美術館を意識した西洋コンプレックス丸出しの伝統風建築じゃ恥ずかしいし、コンクリート打ちっ放しのデザイナーズ美術館では軽すぎる。クネクネは好みじゃないのだが、この規模でやられるとインパクトがあることは認める。
「周囲との共生」が建築コンセプトらしく、確かにというかガラスだらけだから当たり前であるが、館内から外の景色がよく見えて敷地との一体感もある。ただ内部は美術館というよりコンベンションセンター(会議場)のような雰囲気、安っぽさでがっかりする。クネクネに建築費を取られて内部にお金をかけられなかったのかな?
美術館の建築デザインは黒川紀章。彼は時代によって作風が異なるが、最近は「ガラス建築」が多いのであまり好きじゃなかった。私のオフィスのすぐそばにも彼がデザインした、ヘンチクリンな小さなガラスのビルが一つ建っている。
しかし東京都知事選に出たとき、そのハチャメチャぶりにすっかりこのオッサンのファンになった(^^ゞ ちななみに国立新美術館のオープンが2007年1月。彼が出馬した都知事選が同年2月。亡くなったのが同年10月である。あんなに天才で、しかも社会的に成功した人物はそう滅多に出るもんじゃない。この美術館が遺作ではないとのことだが、まあ彼の記念碑と考えてもいいと思う。遅ればせながら合掌
美術館は六本木の交差点から歩いて6〜7分。六本木のごちゃごちゃしたイメージとは無縁の緑の多いゆったりした開放的なスペースだから、息抜きに来るのもいいかも。敷地内や付属のカフェに入るだけなら入館料はとられない。あちこちにベンチもある。ただし喫煙所は入り口のチケット売り場裏の一カ所しかない(残念)。
建物の話で長くなったので展示会の話は次回に。
2010年08月04日
ガラパゴスな理由
日本製品で世界の標準から外れて、なんかヘンな方向に行っちゃったものをガラパゴス化したなどと言う。割と新しい言葉のようにも思えるが、2008年にそのことをこのブログにも書いていた。
最近は「ガラケー」という言葉もある。iPhoneのようなパソコンに近い機能を持った携帯のことをスマートフォンと呼んで、そうではない普通のケイタイがガラケーである。日本独自の機能やサービスはてんこ盛りでも、世界的に流行しているネットやパソコンと連動するスマートフォンの機能はない、つまり世界に通用しないガラパゴスなケイタイだがらガラケーである。
以前に書いたときにはガラパゴスになる理由として
日本のユーザーの要求が特殊すぎる
内向きな視点で世界を見ていない
というようなことを書いた。世間一般的には日本のユーザーの要求に合わせている内に、世界標準的なニーズとずれてしまったという論調が多い。それは間違っていないけれど「イノベーションができなくて、改善ばっかりやっているからオタクになりガラパゴスになる」というおもしろい記事を見つけた。まあ強引に要約すれば「アホやからガラパゴスになりドツボにはまる」というロジック。もっとも筆者はオタクやガラパゴスという言葉は使っていなかったが。
詳しくは、こちらで読んでくださいーーーと手を抜く(^^ゞ
(途中にあるグラフでの解説はちょっとレベルが低いので、意味がわからなくても心配することはない、文章だけを追った方が理解しやすい)
この記事を読んでのもう一つの感想は、何となく人生にも当てはまる気がするということ。もうすぐ夏休みだから、ゆっくり反省しようっと(^^ゞ続きを読む
最近は「ガラケー」という言葉もある。iPhoneのようなパソコンに近い機能を持った携帯のことをスマートフォンと呼んで、そうではない普通のケイタイがガラケーである。日本独自の機能やサービスはてんこ盛りでも、世界的に流行しているネットやパソコンと連動するスマートフォンの機能はない、つまり世界に通用しないガラパゴスなケイタイだがらガラケーである。
以前に書いたときにはガラパゴスになる理由として
日本のユーザーの要求が特殊すぎる
内向きな視点で世界を見ていない
というようなことを書いた。世間一般的には日本のユーザーの要求に合わせている内に、世界標準的なニーズとずれてしまったという論調が多い。それは間違っていないけれど「イノベーションができなくて、改善ばっかりやっているからオタクになりガラパゴスになる」というおもしろい記事を見つけた。まあ強引に要約すれば「アホやからガラパゴスになりドツボにはまる」というロジック。もっとも筆者はオタクやガラパゴスという言葉は使っていなかったが。
詳しくは、こちらで読んでくださいーーーと手を抜く(^^ゞ
(途中にあるグラフでの解説はちょっとレベルが低いので、意味がわからなくても心配することはない、文章だけを追った方が理解しやすい)
この記事を読んでのもう一つの感想は、何となく人生にも当てはまる気がするということ。もうすぐ夏休みだから、ゆっくり反省しようっと(^^ゞ続きを読む
2010年08月02日
熱中症に気をつけましょう?
暑中見舞いの返事を出そうと思いつつも、ウダウダと週末を過ごしてしまった。たまにニュースで見る暑くて動きが鈍ったシロクマ状態であるこのブログのデザインになっているシロクマ君は涼しそうだけれど。
ところで
暑中見舞い:暑中お見舞い申し上げます。
年賀状 :明けましておめでとうございます。
が決まり文句である。しかし「明けましておめでとうございます」は話し言葉でも使うのに「暑中お見舞い申し上げます」という挨拶は聞いたことがない。なぜなんだろう? まあどうでもいいか。
しかしまあ猛暑・酷暑である。家にいるとき昼間はエアコンをつけない、寝るときはエアコンを切るが普段のパターン。しかし今年の夏はそんなことはいっていられない。家にいる間はフル稼働している。少し前のブログに、最近いろいろなものが壊れると書いた。もしエアコンが壊れたらどうしようかと心配である。
熱中症にかかる人も増えている。熱中症で死亡した人は全国ですでに200名を超え、東京では救急車で運ばれた人は約1500名と去年の4倍らしい。熱中症と、子供の頃よく注意された熱射病や日射病の違いが未だによくわからないんだけれど、自宅で、つまり室内にいて熱中症にかかり死亡する例もあるらしい。
とりあえず
電気代をケチらずエアコンや扇風機で涼しく過ごす。
こまめに十分な水分補給をする。
できるだけ炎天下での行動を避ける。
ーーーあたりが対策か。心配な人はネットで調べてください。
ただ200名以上が亡くなったと聞くと、何かとても一大事のような気になるが、絶対人数に目を向ければ、そんなに心配することはないと思う。そこそこ健康に生活できている人なら熱中症になる可能性はきわめて低いはず。暑ければ我慢できずにエアコンをつけるし、水やお茶を飲む回数も自然に増える。マスコミはいつものことながら煽り立てるのが習い性で、もう少し冷静で客観的な情報というか啓蒙も望みたい。もちろん注意するのに越したことはないけれど。
ところで毎日、暑いといえば暑いのだが、私自身は以前にパキスタンに行って気温45度(体感気温は50度!)、湿度は風呂並み!!という世界を体験してからは暑さに対する価値観がかなり変わった。暑さでクラクラしそうなときでも「パキスタンに較べればヘッチャラさ」という気持ちがどこかにある。なにせ帰りに立ち寄ったタイのバンコクが軽井沢なみに涼しいと感じた激暑のパキスタンである。暑さに弱い人はショック療法だと思って出かけてみたら?
ちなみに5年前のパキスタン・バンコク日記はここに
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/2005-06.html?p=3
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/2005-06.html?p=2
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/2005-06.html
ところで
暑中見舞い:暑中お見舞い申し上げます。
年賀状 :明けましておめでとうございます。
が決まり文句である。しかし「明けましておめでとうございます」は話し言葉でも使うのに「暑中お見舞い申し上げます」という挨拶は聞いたことがない。なぜなんだろう? まあどうでもいいか。
しかしまあ猛暑・酷暑である。家にいるとき昼間はエアコンをつけない、寝るときはエアコンを切るが普段のパターン。しかし今年の夏はそんなことはいっていられない。家にいる間はフル稼働している。少し前のブログに、最近いろいろなものが壊れると書いた。もしエアコンが壊れたらどうしようかと心配である。
熱中症にかかる人も増えている。熱中症で死亡した人は全国ですでに200名を超え、東京では救急車で運ばれた人は約1500名と去年の4倍らしい。熱中症と、子供の頃よく注意された熱射病や日射病の違いが未だによくわからないんだけれど、自宅で、つまり室内にいて熱中症にかかり死亡する例もあるらしい。
とりあえず
電気代をケチらずエアコンや扇風機で涼しく過ごす。
こまめに十分な水分補給をする。
できるだけ炎天下での行動を避ける。
ーーーあたりが対策か。心配な人はネットで調べてください。
ただ200名以上が亡くなったと聞くと、何かとても一大事のような気になるが、絶対人数に目を向ければ、そんなに心配することはないと思う。そこそこ健康に生活できている人なら熱中症になる可能性はきわめて低いはず。暑ければ我慢できずにエアコンをつけるし、水やお茶を飲む回数も自然に増える。マスコミはいつものことながら煽り立てるのが習い性で、もう少し冷静で客観的な情報というか啓蒙も望みたい。もちろん注意するのに越したことはないけれど。
ところで毎日、暑いといえば暑いのだが、私自身は以前にパキスタンに行って気温45度(体感気温は50度!)、湿度は風呂並み!!という世界を体験してからは暑さに対する価値観がかなり変わった。暑さでクラクラしそうなときでも「パキスタンに較べればヘッチャラさ」という気持ちがどこかにある。なにせ帰りに立ち寄ったタイのバンコクが軽井沢なみに涼しいと感じた激暑のパキスタンである。暑さに弱い人はショック療法だと思って出かけてみたら?
ちなみに5年前のパキスタン・バンコク日記はここに
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/2005-06.html?p=3
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/2005-06.html?p=2
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/2005-06.html