2010年09月

2010年09月26日

尖閣諸島でのチキンレース

6488f378.pngアメリカ人はチキンが大好物なくせに、なぜかチキンを臆病者の代名詞に使う。おまえはチキンだとか、チキンハートだといわれたら「腰抜け野郎」という意味である。

チキンレースというのは、そびえ立つ壁に向かってヨーイドンで2台の車で突進し、どちらが先に、より壁の近くで止まるかを競うゲームである。つまり先にブレーキを踏んだ方が負けであるが、ブレーキを踏み遅れれば壁に激突するという「根性試し」のゲームでもある。映画や漫画で見たことはあるが、本当にやった人っているのかな? それと昔から疑問に思っているのは、猛スピードで突進して壁の少し手前で止まった車と、スピードは少し遅くても壁のぎりぎりで止まった車となら、どちらが勝つのだろう。



さて、尖閣諸島問題を巡るチキンレースに日本は負けてしまった。正確に言うならチキンレースに参加する前にビビッてゲームから降りてしまったというべきか。拘束中の船長を釈放したのが金曜日だから、土日を挟んで明日から「弱腰外交」の大合唱が起こるだろう。こういう問題ではにわか愛国心を刺激されるから、多くの人が釈然としない思いを抱き、またプライドが傷ついたかもしれない。私もその一人だ。


しかし船長の釈放について私は、そのことを「単独して」取り上げれば、それは正しい決断であったと考えている。理由は単純で、この勝負、最初からボロ負けである。このままズルズル負け続けるよりは、恥を忍んで降参し、次の機会に奮起する方が理にかなっている。


ボロ負けになった理由は、準備や心構えができていなかったからだろうと考えている。

尖閣諸島周辺に漁船や抗議船が侵入してくることは日常的にある。その警備は海上保安庁が担当していて、ほとんど抜かりはない。何年か前に中国か台湾の抗議船を阻止する模様をニュースで見て、巡視艇の操船技術の巧みさにびっくりしたことがある。

今までは侵入を阻止し、つまり追っ払うことで対処してきた。今回は漁船と巡視艇が衝突したこともあって逮捕・拘留した。それは自動的に日本国内の裁判で裁くということを意味する。追っ払うのとは違う次元に突入する。

捕まえる必要があったのか、今まで通りに追っ払うだけでよかったのではないかという議論がある。その辺の外交的損得勘定は私にはわからないので述べない。とにかく日本政府は捕まえる決断をした。


日本の立場で考えれば捕まえて裁判に掛けることは理にかなっているが、それを中国が黙ってみていないことも、それどころか猛烈な抗議をしてくることも事前に分かりきったことである。つまり、中国の起こす行動を予測し、そういう事態に対してどう対処するのか、表・裏ルートのそれぞれでどういう交渉をし、どういう落としどころで決着させるのか事前に考えておく必要がある。ことは安全保障にも関わる問題なのだから。1から100までのシナリオを準備する必要はないとしても、50くらいまではシナリオを作り、残り50を臨機応変に対応できる人材を配置しておかなければならない。(1から100は比喩的な表現です)


全く準備していなかったとは思っていない。しかし不足だったのは明らかだ。中国の矢継ぎ早の対抗策に、政府は目をつむり耳を覆うことしかできなかった印象がある。政治家にも外務省にも司令塔がいた気配がない。

それと言葉の揚げ足取りに近いけれど、政府は中国の抗議に対し「(船長の処分は)国内法にのっとり粛々と対応する」と連発した。「粛々と」と表現した時点でいかに弱気になっていたかがわかるし、それを中国にも悟られた気がする。法律を犯したものには断固たる態度で臨み、裁判所で厳正に審理されるというべきであった。


まあ済んでしまったことは仕方がない。今後の教訓にすることだ。自由と平和はタダでは入らないことがよくわかったといえばオーバーであるが、国際関係は友好、友好と唱えているだけではダメなのである。ニコニコ握手しながらテーブルについても、テーブルの下で蹴り合っているーーーそんな刺激のある生き方のほうが私は好きだけれど(^^ゞ


船長の釈放は「単独しては正しい決断」と書いた。もちろん今後に様々な影響を与えるから、単独としては考えられない。どんな影響があるのか、一番多い論調が「日本は押しに弱いという印象を世界に与えた」というもの。そういう印象を与えただろうし、実際押しには弱い国である(^^ゞ。だからといって世界各国が明日から押しまくってくるかというと、そんなことはないだろうから、それほど心配しなくていい。


尖閣諸島の侵入事件はまた起こるし、中国とは海底資源の領有についてももめているから、問題は次のチキンレースの対応である。今回のような中途半端な対応をすると、次は引けなくなる。引けないという制限のある状況でチキンレースを始めれば、取るべき選択肢の幅が狭まる。外交でもビジネスでも人生でも、選択肢が多いほど有利なのはいうまでもない。

当然、中国はそこを突いて、さらに激しいチキンレースを仕掛けてくるだろう。あるいは逆に切羽詰まった日本の状況を察知して、途中で譲歩してくるかもしれない。これは高等戦術で相手に恩を売るやり方である。もちろん、それは後々に高くつくハメになる。


あ〜腹減った。夜食にチキンラーメンでも食べようっと。

wassho at 23:50|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2010年09月22日

主任検事を証拠隠滅容疑で逮捕

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以下は朝日新聞より引用
  2010年9月21日21時51分

  最高検、主任検事を証拠隠滅容疑で逮捕

  郵便割引制度を悪用した偽の証明書発行事件をめぐり、押収品の
  フロッピーディスク(FD)のデータを改ざんしたとして、最高検は21
  日夜、大阪地検特捜部でこの事件の主任を務めた前田恒彦検事(43)
  を、証拠隠滅の容疑で逮捕した。


びっくりしたなあ〜検事が裁判に使う証拠をねつ造するなんてーーーも、まあそうなんだけれど、何がびっくりしたって、いまどきフロッピーってアンタ!


フロッピーディスクはパソコンの記憶媒体として主流だった時期もあったが、15年ほど前にその座を去った。昔はフロッピーを読み込む装置がパソコンには内蔵されていたが(今のCDやDVDドライブみたいな位置づけ)、今じゃオプションのリストにもない。20代の人とか、この10年くらいにパソコンを始めた人ならフロッピーを見たこともないんじゃないか? 


データを改ざんされたフロッピーは郵便割引制度悪用事件の関連資料が入っていたもので、事件に関連する役人(容疑者)の自宅から押収したとあるから、厚生労働省全体で今もフロッピーが使われているのか、その役人が個人的に使っていたのかははっきりしない。それでも役所・役人って笑えるくらい遅れているなあという思わざるを得ない。


ちなみにずっと以前にフロッピーはよく使っていたけれど、メディアとしての信頼性には欠けていた。データが突然読み取れなくなることが多かった。磁気に弱いとされていて、それに気をつけていても、私の記憶だと数台のパソコンで100枚のフロッピーを運用すると3ヶ月に1枚はダメになるフロッピーが出た。役所が今でもフロッピーを使っているなら、そっちのほうが心配である。



検察官が証拠をねつ造したことについては、あってはならないと思っているが、たぶん世間一般の人より私はそんなに驚いていない。長く生きてきて、あれやこれやに首を突っ込んでいると、警察や検察が絵に描いたような正義の味方でないことはわかってくる。


昔、東京地検特捜部の取り調べを受けた人がいた。いわゆる政界汚職事件である。その取り調べ自体に無理があった。それが証拠にその本人は起訴されていない。ただ、その人物はある程度状況を知る立場にいたことは事実である。

それで取り調べの際に「え〜竹下先生とは」「金丸先生には」と話すと、「竹下や金丸なんて大物はどうせ逮捕できないんだから聞くだけ無駄。もっと小物の政治家の話を聞かせてくれ」と検察官にいわれたらしい。その人の供述がどれだけ影響したかはわからないが、結果的には大臣を数回だけ務めた小物代議士が逮捕され、捜査は終了した。


事件関係者の何名かを偶然に知っていただけで、私とこの事件とは全く無関係。それでも多少のトバッチリは受けた。それは今となってはとっても大笑いできるネタであるが、関係者存命の内は公表する気はない。

みんなピンピンしているから私の方が先にくたばるかも(^^ゞ

wassho at 10:47|PermalinkComments(2) 社会、政治、経済 

2010年09月21日

尖閣諸島問題

毎日報道されているので、ことの経過は説明不要かと。

中国大使の深夜呼び出し、閣僚交流停止、上海万博の日本訪問団1000名受け入れ延期、前からもめている東シナ海の油田の交渉中断とドリルの搬入(疑惑)、一番新しいニュースでは中国は日本に対して「多方面での報復」を検討とある。トバッチリを受けてスマップの上海公演も中止の可能性があるらとか。


尖閣諸島を巡ってのいざこざは今までもずっとあった。しかし今回、中国はやたらヒートアップしているというか、不必要に強気な印象がある。中国外務次官の、船長を釈放しないなら「強烈な報復措置を執る」という公的な発言も。その中国の意図や行動の背景についていろいろ解説があるが、いずれも憶測でしかない。その憶測に私の憶測を重ねてもあまり意味がないので書かない。


ただ言えることは、前にも書いた話に似ていて、敵は一致団結した一枚岩だと思いがちだけれど、そんなことはまずない。それに中国は日本より官僚国家である。つまり、それぞれが国益より省益、部門益を優先して動く組織である。私には中国の今回の大げさな発言は、中国内部の混乱も反映しているように思える。ついでに「報復」と聞くと、何となく武力行使をイメージだが、特にそういう意味でもないようである。そのあたりは外交の知識がないからよくわからないが。


日本の関係者は「面倒なことになってきたなあ」と思っているだろう。いくら日本が本音と建て前を使い分ける国であったとしても、領土に絡む問題は建前しか判断基準はない。願わくばお願いしたいのは次の点。

日本・日本人には強気で交渉すれば折れると思われている。交渉の基本的なテクニックに、100の現状に対して120の要求をしたいときに、200〜300と要求して、最後は120で妥結し相手に譲歩したように見せかけるというものがある。まさかそんな単純な手口にーーーと思われるかもしれないが、プレッシャーのかかる交渉であればあるほど、このテクニックは効果を発揮する。どうも今回の中国の言動にはそんなフシが伺える。担当者の皆さんは気をつけてね。ついでに「自分が苦しいときは相手も苦しい」ということを覚えておくと気が楽になるよ。


ちなみに私は海外のクライアントや取引先にタフネゴシエーターだと思われているらしい。単に英語がよくわからないから何回も聞き直しているだけなんだけれど(^^ゞ




やっかいな問題を中国にふっかけられているーーーというのが現状のコンセンサスかな。でもまあいい機会かもしれないとも考えている。


1)
日米安保がある限り、現状で中国の武力行使や尖閣諸島の占領行動はあり得ない。つまり決定的な事態にはならない。


2)
だから今回の問題は外交や安全保障の(表現はおかしいが)シミュレーションの実地訓練みたいなものである。決定的なリスクなしで自分たちの能力を試せるし検証できる。もちろん中国の反応も今後の参考になる。


3)
国際社会でこんな事件は別に珍しくもない。できればずっと平和ボケしていたいものだが、そろそろ目覚めなきゃいけない時期かもしれない。


4)
30年後か50年後かまでに、中国は世界で最もパワーのある国家になっているだろう。地理的にも近い日本は、中国とどうつきあうかが決定的に重要な要素となる。そして中国は日本みたいにお人好しな国ではない。(ヨソのほとんどの国がそうだけれど)

向こう10年あるいは20年は、日本は中国とのつきあい方を探る時期だと思う。GDPを中国に抜かれた今年、こんな事件が起きたことはある種の啓示のような気もする。


5)
ついでに書いておくと、GDP1位はアメリカで約15兆ドル。日本と中国のGDPは約5兆ドルである。中国の経済発展は誰でも知っているだろうが、中国とのつきあい方を探るというのは、中国のGDPが日本の2倍、3倍になったときどうなっているのか、どうすべきかということである。中国について論じるものはたくさんあっても現状分析ばかりで、その視点が抜けているものがほとんどなのがちょっと気にかかる。



        日中友好
        熱烈歓迎!

wassho at 10:47|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2010年09月13日

INOUEならかっこいい

とある書類にサインしてイタリアに送ることになった。
毎度のことながら、アルファベットで日本人の名前を書くと間が抜けて見える。
その原因は、日本語が母音と子音の組み合わせで文字数が長くなり、そのせいもあってサインらしい省略した書き方ができないからだ。フルネームならなおさらである。


もっとも
ア行なら母音だけで済むので多少短くなる。
子供にはア行を使った名前をつけましょう。
娘の場合は、井上さんに嫁がせれば完璧である(^^ゞ


漢字でアルファベットの署名のような雰囲気を出すのは素人にはほぼ無理(単純な漢字の人なら何とかなるかも)。どうしても必要なら専門のデザイン会社に頼むことになる。もっとも頼み方を間違うと芸能人のようなサインになるからご注意。ところで芸能人のあのクシャクシャと派手なサイン。子供の頃からちっともかっこいいと思わないんだけれどーーー。



ところで、今回はサインした書類をイタリアにファクスした。
しかし、何度送ってもエラーになる。

原因は、普通、国際電話の場合、国番号の次の市外局番の「ゼロ」は省略するものだが、イタリアの場合は省略しないからとわかった。ゼロの省略なんて常識と思っていたけれど意外な盲点。たいていの国はゼロは不要なのに、なぜイタリアは必要なんだろう? 他にも必要な国はあるのかな。ネットでざっと調べても必要・不要の国別一覧のようなものは見つけられなかった。


初めての国に電話やファックスする時は、念のために調べましょう。私は、てっきり相手のファックスが壊れていると思って、メールで文句を言って恥をかきました(^^ゞ

wassho at 17:28|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2010年09月08日

我慢する話

e2a037e6.jpg昨日は久しぶりに風呂に入った(シャワーじゃなくて湯船につかるという意味ね)。3年前に暑いときはシャワーより風呂と書いたけれど、今年は暑すぎて入る気になれず。でも久しぶりの風呂はやっぱり気持ちよかった。長湯してちょっとノボせた(^^ゞ めずらしく肩も凝っていたが、それも治ったみたい。


昨日も暑かったのになぜ風呂に入ったかというと、何かと疲れていたからである。体力的にではなく、精神的にと言うと大げさになるが、まあ気分的にである。この1週間あれやこれやといろいろあった。いつもそうだけれど、なぜか「あれやこれや」はまとめてやってくる。順番に来てくれたら別にたいしたことはないのに。 



しばらく前にネットのどこかで読んだ話。
話の筋やロジックも覚えていないので、なるほどと記憶に残っているところだけで。


それは生きていくというのは、我慢することだという話。

生まれたばかりの赤ちゃんは、一切我慢をしない。
泣きたければ泣く。
おっぱいが欲しいとか、何か欲求があればそれが満たされるまで泣き続ける。
おしっこもウンチもしたい時にする。


そしてだんだんとしつけられる。
泣くのを我慢し、何か欲求があっても我慢し、おなかが空いてもゴハンの時間まで我慢し、お金がなければ食べることを我慢し、もちろんおしっこやウンチはトイレでする。つまり成長するとは、生きていくとは我慢に我慢を積み重ねるということである。(読んだのはもっと上手な文章だったけれど)


この話を読んで、中学生の頃に読んだ、ある心理学の実験を思い出した。

とりあえず相手に何でもいいから、その人の現在について質問する。

  「あなたはなぜ、そのシャツを着ているのですか?」

相手が「今日は、このシャツを着る順番の日だったからです」と答えたとする。

  「なぜ、今日がこのシャツの順番の日だったのですか?」
  「毎朝クローゼットの一番右側のシャツから順番に取るからです」
  「なぜ一番右側から取るのですか?」
  「毎朝選ぶより、単純なルールにしておいた方が楽だからです」
  「なぜ楽でなければならないのですか?
  「朝は何かと忙しいからです」
  「なぜ、朝は忙しいのですか?



ーーーと延々と「なぜ、なぜ、」を続ける。
3日から1週間続けると書いてあった気がする!

そうすると最後に、その人の根源的な欲求が現れるらしい。
一度、自問自答して試したが30分ほどで飽きてやめた。
だいたい自分の根源的な欲求があるとして、それを知ったところで役に立つとも思えなかった。中学生の頃から私はリアリストである(^^ゞ


人は我慢に我慢を重ねて成長していくとするのならば、この実験はその我慢のベールを一枚一枚と剥ぎ取っていくことなのかもしれない。


誰もが我慢することはイヤである。もちろん大人になって多少の分別はあるから、我慢することには我慢できるけれどが、我慢させられることなんて絶対に我慢できない(^^ゞ


しかし生きるとは我慢するというの同義語だと考えると、何となく気が楽になってくる。なにしろ生まれてからこの方、我慢に我慢を重ねてきたのである。今までの我慢をメモ用紙に1つずつ書いて積み重ねれば、東京スカイツリーより高くなるかもしれない。そう思うと今目の前にある我慢なんて、別にたいしたことではないと思えてくる。


皆さんも「あれやこれや」ある時は風呂にでも入って
ガマン、ガマンとつぶやいてみましょう。

wassho at 16:55|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2010年09月02日

携帯故障する

昨日家に帰ってポケットから携帯を出すと、ランプがピコピコ光っていた。今までに見たことがない光り方のパターンである。

なんだろうと思ってスライドさせると、画面が真っ暗なままである。ボタン(ダイヤル?)のところのバックライトはついている。いろいろボタンを押しても画面は反応しない。再起動しようと思ったけれど電源すら落とせず。


仕方ないのでいったん電池を抜いてから再起動。しかし症状は変わらない。しかも、画面が真っ暗だからよくわからないが、しばらくすると電源が勝手に切れている模様。


銀座のドコモショップに持って行く。
結論から言うと修理することになり代替機を貸してもらった。

ふつう修理で代替機を借りるときは、自分の携帯から電話帳やメールのデータを代替機に移してくれる。個人情報保護の観点から修理工場?へは一切のデータを消去して渡すらしい。修理から戻ってきたら、また代替機から自分の携帯にデータを戻すという手順。

専用の機械があって、自分の携帯と代替機にそれぞれ専用のケーブルをつなぎデータを移す。しかし私の携帯は画面だけじゃなく、中身もまったく反応していないらしい。結局データは移せないということになった(>_<)

別の部署でさらに専門的にデータ取り出しの作業も可能とのことだが、ドコモショップの担当者が言うには「経験上、取り出せる可能性は限りなくゼロに近い」らしい(>_<)(>_<)


私の場合、携帯の過去メールがなくなってもたいした実害はない。しかし携帯にしか連絡先が入っていない相手は少なからずいる。まっ遊び友達だから気長に向こうからの連絡を待とう。


1つ学んだこと。
携帯の電池をはめているところや、充電のコネクターのあたりには赤白の市松模様のシールが貼ってある。もし携帯が水につかったりすると、この赤がピンク色に変わるらしい。つまりトイレにでも落として携帯が故障したのに「何もしていないのに突然壊れた」とウソを言っても見破られる。

正直に言わないと恥をかくよ(^^ゞ

wassho at 19:07|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2010年09月01日

残暑お見舞い申し上げます

5e4d7f71.gif机の上を見ても壁を見ても、念のために携帯電話を見てもパソコンを見ても、カレンダーは本日が9月1日だと知らせている。しかし暑いです!

東京の本日の最高気温は34.6度。
ちなみに最低気温は明け方5時の27.6度。
午後6時過ぎの現在31度。

何となく、この暑さにも慣れちゃった気がするけれど、いつまで続くのかな?

この夏はずっとエアコンをつけて寝ている。それでも朝起きると汗をかいている。家を出て駅に着く頃にはシャツもはっきりと汗で濡れている。私は汗をよくかくほうだと思う。汗をかく=身体が熱を冷まそうとしているだから、たぶん熱中症にはかからないと、あまり根拠なく自信を持っている。


ところで暑中見舞いは8月の6日前後頃までに出し、それ以降は残暑見舞いということになっている。しかし8月の中頃なんて夏の真っ盛り、夏本番である。それがなぜ残暑なのか昔から納得がいかない。残暑というのは9月に暑い場合の表現であるべきである。そしてもちろん今年は真の残暑と呼ぶのにふさわしい年である!


というわけで改めまして

   残暑お見舞い申し上げます。
   昨日はスイカを食べました。
   夏の暑さを感じるためにわざわざベランダに出て(^^ゞ
   またしばらく、こんな感じかと思いますが
   お身体ご自愛くださいませ。

wassho at 18:29|PermalinkComments(0) 生活、日常