2011年02月

2011年02月27日

やっぱり重すぎるブーツ

土曜日はバイクで、東京から横浜に入ってしばらくのところにある港北ニュータウンに行ってきた。10年ほど前に、このニュータウンによく行っていた時期があって、土地の造成は終わっているがマンションも住宅も建っていない場所、つまり道路付きの空き地みたいなところがたくさんあったので、バイクの教習所風な練習にはちょうどいいかなと。


ところが当時とは違う道順=違う入り口からニュータウンに入ったため、目指す場所がどこにあるかさっぱりわからず(ちなみに港北ニュータウンはそのエリアの中に駅が7つほどもある広大なエリアである)。出かけるのも遅かったので、ウロウロしているうちに日も傾いてしまい、単なるドライブで終わってしまった。 


久しぶりの港北ニュータウンは商業施設がずいぶん増えて賑やかになっていた。よく考えれば10年前の造成地は、とっくに家が建っているはず。でもまあ交通量は少ないだろうけれど。さいわい港北ニュータウンは公団が切り開いて区画整理した場所以外に、ニュータウンとなる以前から存在していたと思われる「裏山の田舎道」みたいなところがいくつかある。そういうところは多少クネクネしているので楽しめる。


ところで例の、色と形は気に入っていても、とっても重いブーツ。バイク用に買ったのだから、もちろん乗るときは履いている。

ソールの固いのはどうにも我慢できず、あれからハイテク・インソールを買ってきて、オリジナルのインソールを無理矢理はがして入れ替えた(履き心地改善目的のインソールは、そうやって使うのが正しい気がする)。幸いにも多少は革が伸びてきたので足首内側が当たることもなくなった。それで足首のところのバックルを少しきつめに調整したら、踵の浮き上がりも我慢できる範囲に収まった。ブーツの時に履くハイソックスが少し厚めなこともあって、何とかこのブーツは私の足にフィットするようになった。


   でも、重い(>_<)


バイクガレージまで歩いて5分ほどなのに、それだけで疲れる。

今はまだバイクに乗って帰ってくるだけであるが、このブーツでどこか観光地に行ってブラブラ散策しようという気にはとてもならない。家に帰ってきて別の靴に履き替えて出かけると、あまりの軽さにフルマラソンでも走れそうな気がする(^^ゞ 歩かないとはいえ、バイクは信号待ちなどで停まる度に足をステップから降ろしたり上げたりする。足で踏むリアブレーキの感触もつかみにくい。


あまりに重いので重さを量ってみた。

  1.2キロもあった。
  もちろん片足。

1.2キロといわれてもピンとこないかもしれない。
私もピンとこない(^^ゞ


こっちのブーツを計ってみた。400グラム。
もうひとつ革のスニーカーも計ってみたら、やはり400グラム。

スニーカーと較べるのは不公平なので、登山靴を調べてみた。
このページを見ると3000メートル級の山を登るものでも1キロ。そのほかの頑丈そうな靴でも700〜800グラム程度である。


私のブーツはつま先が安全靴のように保護カップがついている。その分は重くなる。ということで安全靴を調べる。なかなか重さのデータが見あたらなかったが、この災害現場で履く釘を踏んでも大丈夫な靴でも1.12キロと私のブーツより軽い。


つまり1.2キロというのは相当重いということである。だいたい私のブーツは山を登ったり災害現場で救助活動をするのではなく、おしゃれブーツのはずである。何でこんな重いのかなあ?


というわけで近々このブーツはバイク用からは引退させて、
ダイエット散歩専用?にしようと考えている。


ところでバイクの時にブーツを履くのは、ひとつは今は寒いから。もう一つは安全のため。転倒などしたときに靴下やズボンの生地より、靴で覆われていた方が脚は安全である。ズボンの裾は事故の時にまくれあがったり裂けたりもする。つま先もケガをしたり爪が剥がれたりしやすいから安全靴のようになっている方が安心。


ついでに。
安全靴って工事現場のイメージしかなかったけれど、こんなカジュアルなものもあった。重さも530グラム! このページには、ほかにも普通のスニーカーのようなものがいっぱいある。う〜ん、こんなマーケットがあるとは全く知らなかった。こんど工事現場があれば、職人たちの足下チェックをしてみよう。


▢▢▢▢▢▢▢▢
後日追記(訂正)
上の災害現場の靴の1.12キロとは両足分の重さでした。
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/52690822.html

wassho at 23:56|PermalinkComments(2) 生活、日常 |   *バイク関連

2011年02月25日

歴史は誰が作る?(30世紀への伝言)

リビアはほぼ内戦寸前の状態のようである。
エジプトやチュニジアは、パーレビ国王やマルコス大統領と較べてあっさりケリがついたと3つ前のエントリーに書いたが、カダフィ大佐はそう簡単には引き下がらないかもしれない。彼はクーデターを起こして現在のリビアを作り上げた人物。いっぽうチュニジアのベン・アリー大統領やエジプトのムバラク大統領は前任者から引き継いで、その地位に就いている。企業でも創業社長は頑固で思い入れも強いものである。


リビアのニュースを見ていると何百人も亡くなって大変だなあ〜という思いをいだく。他人事ながら、これからどうするのという気になってくる。しかしまあ自由と正義を求めるというか、国を作るというのはこういう事なのかもしれない。小沢一郎との親分子分関係でつまらぬ嫌がらせをしたり、あるいは他党の揚げ足取りばかりしている日本の政治を見ていると、リビアのほうが健全かもという気さえしてくる。


いずれこの騒動も決着がつく。時がたてばそれは歴史となり、学んだり楽しんだりするものになる。日本の戦国時代にしろ明治維新にしろ、その時代に生きて戦いに巻き込まれていたら悲惨この上なかったと思うけれど、今は血湧き肉躍る物語として人気がある。


さて、歴史はよく勝者が作り上げたものだといわれる。勝者敗者それぞれが、それぞれの視点、つまりは自分の都合のいい解釈で記録を作っていても、勝者にとって都合の悪い敗者の記録は残らないからである。多分そうなんだろうと思う。そして、わずかに残った敗者側の記録をもとに、通説となっている歴史を見直すというのは歴史の醍醐味でもある。


もっとも近代、現代になってくると印刷など技術の発展とか、後にマスコミの誕生とかあって、記録される量が昔とは比較にならないから、勝者が敗者の記録を抹殺することは不可能になってくる。そういう意味では勝者が歴史を作らなくなって久しい。



ところで話はガラッと変わるが、このブログでは「〜続く」と書いているのに続きがないことはしょっちゅうある。たぶん9割ほどは続きがないm(_ _)m 忘れる、面倒になる、そのテーマに関心がなくなるーーー理由はいろいろだけれど、まあそういうブログだと思っておつきあいください。


  すっかりご無沙汰ですが、
  今回は2年ほど前!のエントリーの続編
  とりあえず、ここを読んでみて





それで話を戻すと、
歴史というのは勝者だろうが敗者であろうが、基本的に社会の上層部の出来事の記録である。庶民やその生活の姿は欠落しているといっていい。そりゃ大昔の庶民は字も書けなかったろうし、紙も買えなかった。例えば平安時代の庶民なんて人間のうちに入っていなかったから、貴族が庶民に関心を持って記録することもなかった(たぶん)。

やがて庶民が日記をつけたり手紙を書いたりするようになっても、それらは個人の所有物で、死んでしまえばなくなりがちだし、仮に残っていても個人単位で分散しているから、歴史を研究する人たちがアクセスするのは不可能に近い。歴史の関心として庶民が取り上げられるかどうかは別としても、記録そのものがなければ歴史は書けない。


ブログが普及するついこのあいだまで、つまり21世紀初頭までこの状態は同じ。もちろんマスコミが誕生してから、庶民の姿の記録は、マスコミが存在しなかった頃と較べて飛躍的に増えている。しかし勝者が歴史を作るとは少し異なるが、やはりそれはマスコミの視点による記録である。


ブログというのは庶民が見聞きしたり体験したことを自分自身で書いた、あるいは意見や考えを述べた膨大な量の記録である。しかもネットにつながっていればどこからでもアクセスしたり検索もできる。文章といってもデジタルデータだから、やがてコンピュータ処理で要約したり分類したりも簡単にできるようになるだろう。

つまり歴史を綴るという作業に「歴史上」初めて庶民の生の声が反映される時代がやって来る(と思っている)。万葉集にいくつか遺された庶民の和歌を手がかりに、当時の庶民の生活を偲ぶのとは大違いである。




   30世紀への伝言

   このブログを「発掘」された30世紀の歴史学者の皆様。
   初めましてwasshoと申します。

   いや〜それにしてもたいへんですな。
   私の時代の歴者学者なら、それぞれの時代でわずかに残っている公的な記を
   調べて、後は想像をふくらませて適当なことをいっていればよかったのに、
   ブログなんてものができたばっかりに調べることが多くなって。
   ご苦労お察しいたします。

   ところで、せっかくのご縁なのでお願いがあるのですが、私はよく人から
   「ちょっと変わっている」といわれます。本人はそんなことはないと思って
   いるのですが、よく考えたら自分と人を冷静に比較したこともありま
   せん。

   大量のブログ記録を調査されると思いますので、その分析の結果、
   私がちょっと変わっているのかいないのか判明したら、
   このブログのコメント欄に書き込んでいただけますでしょうか(^^ゞ

wassho at 19:00|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2011年02月23日

コロンブスの卵なショルダーストラップ

クエールのカバン


ネットを見ていて、思わずバナー広告をクリックした商品。
ショルダーストラップを留められるカバンは初めて見た。
グッドアイデアだと思う。


たいていのビジネスバッグにはショルダーストラップがついている。私の場合、それを使うことはないので、昔は買ったその日に外して捨てていた。しかし最近はつけたままにしている。滅多にないが、たくさんの荷物を持たなければいけない時はやはり便利。

それと酔っぱらった時の対策。酔っぱらってもカバンを電車やタクシーに忘れることはない。しかしカバンを持っていることを忘れて、つい落としてしまうから(^^ゞたすき掛けにしている。


ということで、たまにとっても役立つけれど、普段はとってもじゃまなショルダーストラップ。私はカバンの取っ手のところにぐるぐる巻き付けてある。たまにブラーンとぶら下がったりしてだらしない。カバンデザイナーはショルダーストラップを考え出した時に、この留め具も一緒に思いつくべきだったが、どうして今までなかったんだろう。


さて写真のQUER(クエール)というブランドのカバン。留め具は素晴らしいけれど、どうも私が普段使うには大きすぎるようである。デザイン、カラーリングも好みだが、取っ手の形が持ちやすいかどうかは実物を見ないとわからない。ワックスコーティングのキャンバス地という素材の質感も同じ。内部の間仕切りが充実しているようであるが、それはカバンが重いということでもある。


というわけでポチッとするにはいたらず、ブログのネタ止まり。
カバンデザイナーの皆さん、ショルダーストラップ問題の解決をお願いします。

wassho at 15:17|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2011年02月20日

BMW F800R 求むバックモニター

土曜日は3時間ほどバイクで徘徊。
35年前の勘がだいぶ戻ってきた。

発進はもう完璧。空ぶかしせず半クラッチも瞬時だけ走り出せるようになった。しかし停止や減速はバイク用に買ったブーツが重くて靴底が堅いので、リアブレーキの感触がどうもつかみにくく試行錯誤中。(バイクはフロントブレーキを右手で握り、リアブレーキは右足で踏みます)

コーナーリングは交差点程度しか角度のあるカーブは曲がっていないので何とも言えず。しかし35年前のCB550と今回買ったF800Rは約200キロとほぼ同じ重量だけれど、F800Rのほうがバランスがいいというか軽く感じるというか、まあとにかく楽に運転できるのでたぶん問題はないはず。来週にでも造成地のようなところを見つけて、教習所のような練習をしてみようと思っている。急ブレーキというのも超久しぶりに試しておかないと。


バイク操作そのものよりも、やっぱりまだまだ慣れないのは周りのクルマとの間合い。クルマならルームミラーで後方全体の状況把握ができるのに、バイクは左右のバックミラーしかない。つまり真後ろは見えず、これがどうも落ち着かない。それにバックミラーに映る範囲もクルマと較べて狭いし、F800Rのバックミラーはデザイン優先のせいかかなり小さい。

一般にバイクではミラーに頼らずに振り向いて、目視で後方の安全確認というのがセオリーになっている。しかしそれは建前論っぽい。なぜならヘルメットを被っていたら左右の視界は制限されるので、少々振り向いたところで真横しか見えないから。(手で左右の目の外側に壁を作ってヘルメットの状況を再現して振り返ってみてください)


クルマ用だとこんな商品もあるから試してみようかな。それよりもバイクにもナビを取り付けたのに、なぜあれにバックモニターがないんだろう。真後ろと左右の後方を広い範囲でモニターに映してくれれば、かなり安全運転に貢献するはず。ナビメーカー&バイクメーカーの皆さん、ひとつよろしく。もちろん白バイ除けにもなる(^^ゞ


F800Rメーター周り
写真はF800Rのメーター周り。ネットで拾ってきた写真でナビなしの状態。ナビはタンク(じゃないけど)前方の少し盛り上がったところにつく。

ねっ、バックミラー小さいし変な形でしょ。
さっき書いた補助ミラーを貼り付けるスペースもないかもしれない。
バックミラーの外側が湾曲したワイドミラーってないのかな?

メーターは上がスピードメーターで下がタコメーター。
もうちょっとアップはこちら
デザインはオモチャぽくてあまり気に入っていない。
上下に並んでいると視線の移動が大きくて2つのメーターを同時には確認しにくい。
まっ、スピードメーターはあまり見ないからいいけど(^^ゞ

メーターの右にあるのは液晶画面で、走行距離とかガソリン残量とかを表示する。気温や燃費などの表示にも切り替えられる。オンボードコンピューターという名前だけれど、そんな大げさなものじゃない。それにイマドキ白黒画面である(/o\) ただギアが何速に入っているのか表示されるので、35年ぶりライダーにとってはとても助かっている。


ついでに浦島太郎な話。
ガレージの建物の入り口はわずかに段差と勾配があるので、バイクを押して入れるのはツライ。そこでエンジンを掛けて跨ったままソロソロと入ろうとした。ガレージは2カ所のセキュリティを解除して、2つシャッターを上げなければならない。住宅街なので、バイクを入れるまではエンジンを切ってあった。そして準備整いエンジン再始動。

ところがギアを1速に入れるとエンストする。もちろんクラッチは切っている。何度やっても同じ。さっきまで機嫌良く走っていたのに(涙) エンジンの整備が悪いとエンジンが暖まっている状態で再始動できないトラブルが起きることがある。でもギアを入れてエンストするなんて聞いたことがない。

ディーラに電話する。
早速入院かと心配したが、結論を言えばサイドスタンド(写真のピンクのところ)を降ろしてある状態で、ギアを入れるとエンジンが止まるようになっているとのこと。つまりサイドスタンドを引きずって走らないための安全対策。35年前には、そんな仕掛けはなかったよう〜
サイドスタンド


wassho at 22:25|PermalinkComments(0)   *バイク関連 

2011年02月18日

島国にはない連帯感?

チュニジアで起きた政変がエジプトに飛び火してムバラク大統領が退陣。その後もリビアやバーレーンでも反政府デモが起きている。サウジアラビアも危機感を募らせているらしい。

遠い国の話であまりピンと来ないけれど、政変が起きるというのは一大事である。たんなる首相退陣とか政権交代ではなく、数百名が死亡し憲法も停止するクーデターなのだから。

でも事の大きさの割には、なぜか突然起きた出来事というような印象を受けてしまう。フェイスブックなどのインターネットツールを民衆が利用したことが話題になり、それが大きな役目を果たしたことは理解できても、それらは触媒であって前政権に対する打倒マグマが相当溜まっていなければ、政変にまでは至らないはず。そんな話聞いていたっけ=報道されてたっけ? 我が外務省は事前に状況を充分に予測できていたかな?

それと古い話になるが、かつてのパーレビ国王(イラン)やマルコス大統領(フィリピン)の時と較べると、今回はあっさり勝負がついたというか体制側に執着心がなかったというか。誰かそのあたりの状況を分析して、クーデター今昔物語を書いてください。


さてチュニジアの出来事が中東や北アフリカ諸国に影響を与えているとして、このあたりのメカニズムが島国に住む日本人の私としては、理解はできても今ひとつ実感がわかない。やっぱり陸続きだと連帯感あるのかなあというのが、この一連の出来事での感想。例えば韓国や中国で何か政治的な出来事が起きたとして、それが日本に飛び火することは想像しづらい。逆もまた同じのはず。

ただ、今起きている出来事がよき出来事なのかそうでないのかは別として「ナニ!チュニジアの兄弟たちが立ち上がった! じゃオラたちがんばるベェ!」というようなつながりは何となくうらやましい。

日本はどこか国際社会で孤立した存在のようなところがある。
平たくいえば、友達がいないっぽい。
それは島国だから? 
イギリス人ってどんな感覚なんだろう? 
騒々しいデモの映像を見ながらそんなことを考えてみた。

wassho at 18:02|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2011年02月16日

勉強部と経営企画室

以下はYOMIURI ONLINEからの引用

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進学率向上へ高校「勉強部」コーチは予備校講師


東京都立調布南高校(調布市多摩川、宇田川敏昭校長)が新年度、部活動の一つとして「勉強部」を発足させる。

授業とは別に大学受験に向けた勉強をするもので、狙いはズバリ、大学進学率アップ。学校の発案によるもので、有名予備校講師を“コーチ”に招くなどして学習意欲が高い生徒集団をつくり、学校全体の学力向上につなげたいと考えている。

同校の構想では、参加を希望する生徒が放課後や休日、受験科目について教諭から指導を受ける。有名進学予備校の講師を招いての特別講座や夏休み合宿も開く。学年に関係なく入部でき、他部との掛け持ちも認める。

4月、まず同好会でスタートし、生徒会の承認を経て部に昇格させる予定。今のところ、約80人の生徒が参加する見込みとしている。

(2011年2月8日08時17分 読売新聞)
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教育のあり方としてどうヨという問題は、
いろいろ考えるのも面倒なのでパス。

以下、いくつかの感想を。


(1)
読売のニュースで知ったわけだが、読売は(たぶん有名校でもない)この公立高校の施策をどうやってキャッチしたんだろう。最近の高校はニュースリリースでも配っているのか?

検索したら、この高校のホームページがあった。しかしこの件についての情報は載っていなかった。

不思議なのは、ホームページに「校長から」とか「学校紹介」とならんで「経営企画室から」というコーナーがあること。クリックしても中身は空だったが、なぜ高校に経営企画室が?


調べてみると都立高校は証明書を発行したり授業料の取り扱いをする「事務室」を「経営企画室」と呼んでいるらしい。参考ホームページはこんな感じ。わかりやすく「経営企画室(事務室)」と表記している高校もあった。


どう考えても「経営を企画」している部署ではない。なぜこうなったのだろう。文科省?教育委員会? 役人のレトリックを是非聞いてみたい。いじめとか学級崩壊(ちょっと古いか?)とかモンスターペアレントとか教育の現場にはいろいろ問題があるようだが、学校行政もどうもおかしいようだ。


(2)
グーグルで東京都立調布南高校と検索すると約36万件ヒットする。東京都立調布南高校を含んで、勉強部という言葉を含まないように検索すると約3万9000件になる。つまりこの高校は勉強部のニュースで注目されている。


でもニュースをよく読めば、受験に向けた補習や特別授業をするということで、それ自体はそれほどびっくりする話じゃない。このニュースが注目されたのは、あるいは読売が報道したのはひとえに「勉強部」というネーミングの効果だ。今までもマーケティングにおけるネーミングの重要性をいくつか書いてきたけれど、改めて思い知ったしだい。いいネーミングには突破力がある。


(3)
もっとも、高校としてはネーミングをひねったわけではなく、部活動と位置づけるから勉強部と自然に決まったのかもしれないが。


(4)
部活動ということは当然キャプテンがいる?
もしキャプテンが大学に滑ったら、
どんな顔して卒業式に行けばいいのだろう(^^ゞ

wassho at 15:21|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2011年02月14日

ヒアアフター (映画)

ヒアアフター主演はマット・デイモンとセシル・ドゥ・フランス。
監督はクリント・イーストウッド。
ただし彼自身は出演していない。
なぜかスティーブン・スピルバーグもイッチョ絡んでる。
ストーリー説明は省略。
興味のある人はホームページで。
公開は19日から。


某企業のご厚意で試写会を見てきた。
冒頭の大津波のシーンをのぞけば、ストーリーは淡々とゆったりとしたテンポで進む。心理的葛藤を描いた映画ではあるが、情景を味わうのがたぶん正しい見方。

何か主張やメッセージがある作品ではないと思う。あるとしてもストレートには表現されていない(ストーリー設定は映画的に大胆だけれど)。どちらかといえば玄人受けする映画。いつのまにか巨匠と呼ばれているクリント・イーストウッドは、こんな作風が好きみたい。しみじみとした味わいが好きな人向けかな。マット・デイモンは好演技。彼はオールマイティな役者だと思う。


私の好みからいえば、試写会がなければ映画館に行ったりDVD を借りることはない作品。そういう意味ではいい経験。普段はあまり使わない部分の感性を刺激された感じ。何か得たものはないのに満足感は不思議とある。しかし私はいくつになったら、こういう大人の作品を楽しめるようになるんだろうか(^^ゞ


ちなみにマット・デイモンは霊能者役で(決してオカルトっぽい映画ではないのでご安心を)、タイトルのヒアアフターは「あの世」という意味で使われている。誰でも知っているHere と After がくっついた単語で、「ここ」の「後」だから、「今後」とか「これから」という意味。そこから転じて天国とか来世とか死後の世界という意味でも使われる。

   I will be careful hereafter

というのは私がしょっちゅう使っていて、もうスラスラ出てくる英語。意味は

   以後、気をつけます(から許してネ)

wassho at 16:58|PermalinkComments(0) 映画、ドラマ、文学 

2011年02月13日

BMW F800R 納車

本当は金曜日納車で、この3連休はバイク再デビュー連休と思っていたのに、

   金曜日:雪
   土曜日:雨

ということで本日に納車。
まあ金曜、土曜は天候もさることながら、気温もとても低かったので結果オーライだったかもしれない。


昼過ぎにディーラーへ。
いろいろ説明を受ける。高校生の時のバイクとはなにかと違う。チョークは当然としてもアイドリング調整も、なんとヒューズもない。全部コンピュータ制御らしい。予備のガソリンタンク(というか同じタンクの予備の部分)に切り替えるコックもなく、その代わりに燃料計がついている。しかしディーラーによれば、この燃料計は全く当てにならず、ガソリン残量は走行距離から判断してくれとのこと。BMWも結構アバウトである。

ちなみにこのバイクのガソリンタンクはシートの下にある。ガソリンタンクに見えるカバーの下にはバッテリーとかエアクリーナーとかが収まっている。そこを開くにはネジを8つもはずさないといけないから、まだ見ていない。


先週こっそり友人のバイクで練習したので、エンストして恥をかかずにディーラーを後にする。シフトアップは忘れないが、ついクルマのオートマの癖でシフトダウンを忘れて、交差点で止まるときに2~3回エンスト(>_<) とにかくオッカナビックリで家まで戻り、荷物を置いてまたすぐ1時間半ほど乗る。


ひと言で表現するならば、とても軽快なバイク。35年前のバイクと較べても仕方がないけれど、CB550は曲がるにも停まるにもドッコイショという感覚があったように思う。ただ音はCB550のほうがよかった。このバイクのエンジン音はちょっと甲高いし、それに結構うるさい。


家の周りだけを走るつもりが、一旦停止ばかりでイヤになり幹線道路に出る。まっすぐ走らせること、周りの状況をよく把握することに気を取られ、ついシフトアップを忘れがちになり、低いギアで引っ張って爆音をとどろかせながら走ることに(^^ゞ

流れに乗って普通に走れたものの、やっぱりギクシャクした運転なのはいなめない。2気筒エンジンのせいかエンジンブレーキも強めで、そこだけがちょっと乗りにくい。まあ、あと3〜4回乗れば大丈夫と思う。暗くなってきたし、緊張して走ったせいか肩が凝ってきたので本日は終了。


バイク、ガレージにてガレージに収まったバイク。
マンションにはバイク置き場がないので、バイク専用のガレージを借りた。こんな個室が20部屋ほど並んでいる。建物の入り口と、各ガレージのシャッターにセコムの警報装置がついている。盗難に対しては安心ではあるが、その代わりとっても家賃が高い(涙)

wassho at 23:37|PermalinkComments(4)   *バイク関連 

2011年02月10日

ずるっこ!

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ひさびさに感激したネット関連のテクノロジー。
ずるっこ!」とは、英語のウエッブページの文章の、それぞれの単語について、その単語訳を表示してくれるサービス。


解説はこのページで。
解説を読んでも、イマイチまどろっこしいので具体的に紹介しておくと


  ここをクリックするとCNNのとあるニュースが表示されます。
  この記事をすらすら読める英語力があるなら、あなたに「ずるっこ!」は
  必要ありません(^^ゞ


  そして、ここをクリックすると、先ほどの記事を「ずるっこ!」した
  ページが現れます。


ワンダホー\(^o^)/と思うかどうかは、その人の英語力と英語の必要性度合いによるだろうけれど、私は思わずパソコン画面に「アリガタヤ、アリガタヤ」と手を合わせた(^^ゞ 私程度の英語力には最適である。


でもふと気づいた。
私が読む英語のほとんどはメールか、その添付ファイルである。つまりこのサービスは使えない。自分のホームページを作って、メールや添付ファイルの内容をそこにアップすれば使えるけれど、仕事のやりとりを世界中に公開するようなことはもちろんできない。


というわけで開発者にお願い。ネットにいくつかある翻訳サービスのような形で、つまり文章をコピー&ペーストすることで、こういう単語訳が表示されるものを是非にm(_ _)m

wassho at 13:56|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2011年02月09日

BMW F800R

BMW F800R


突然ですが
バイク買うてもうたぁ(^^ゞ

BMWのF800Rというバイク。
写真はネットで拾ってきたものだけど、
これと同じ形、同じ色。(シートの形は少し違う)
いろんな写真はここに
納車は今週末の予定。

 ※知らない人のために
  BMWはホンダと同じように四輪も二輪もつくっています



昔やっていたサーフィンとバイクは、いつかまたそのうちと思っていた。とりあえずはバイクから復活。サーフィンは仲間がいないとキツイし、今の体重なら特注のサーフボードが必要だし。


バイクに乗っていたのは高校生の時。だから実に約35年ぶりとなる。こういうのを最近はリターンライダーと呼ぶみたい。ネットでいろいろ調べたり久しぶりにバイク雑誌などを読み漁ったりすると、何かと知らない言葉が多く浦島太郎の気分である。



高校生の時に乗っていたのは、このホンダのCB550。ネットで探したら同じ色の写真を発見。黒い色のバイクは当時はめずらしかった。ウ〜ン、今見ても欲しくなるくらいカッコイイ。空冷エンジンは走ると、エンジン=金属が熱せられた独特の匂いがするんだけれど、その匂いまで思い出す。
CB550



去年の正月明けのエントリーに、高校3年生の6月から突然受験勉強を始めたと書いた。その時にバイクは勉強の邪魔になるからやめるはずだったのに、バイクがないと寂しいと思ったので、小さいサイズのバイクに買い換えた。それがホンダのマイティ・ダックス90というこのレアなバイク。自分のバイク以外に、この機種を見かけたことはない。写真のバイクはヘンな色であるが、私のバイクはキミドリ色でポップなイメージがあって気に入っていた。マイティダックス90




でも大学生になってクルマを乗るようになったらバイクは乗らなくなった。まあ、ありがちなパターン。だから私のバイクライフは正味3年間くらいだった。それが35年もたって何でまたとよく聞かれても、別に深い意味や動機はない。単なる気まぐれ、気分転換。バイクについて、あるいはバイクに乗ることについて熱く語る人も多いらしいが、間違ってもそんなオジサンにはならないと思う。


ただあえて自己分析すれば、3つくらいの理由が思い浮かぶ。



その1
暴走する気は全くないとしても、ちょっと生活に新しい刺激が欲しかったかな。ただ新しい刺激というのは、やがてそれが当たり前になり慣れてしまう。もともと熱しやすく冷めやすい性格。「そうだ!バイク買おう」と思ってから1ヶ月たたないうちに契約していたし。だから、あまり長くは乗らないかもとの予感もしている。それに当たり前だけれどバイクは冬は寒いし、夏は暑い。気持ちは高校生の時と変わっていないとしても、身体がどれだけ耐えられるか。


その2
気がつけば早いもので、人生の半分は東京で暮らしている計算になる。その割に東京あるいは関東の事はよく知らないというか、何となくヨソの土地的な感覚がまだかすかにある。それはたぶん、もちろんあちこちには人並み以上に出かけているつもりでも、大人になってからコチラに来たものだから、無駄にブラブラすることがなかったからだとも感じている。ディーラーで、どんな用途でお乗りになるんですかと尋ねられた時に、私は迷わず「徘徊!」と答えた(^^ゞ


その3
歩くMEN'S BIGI などとも呼ばれ、昔はファッショナブルだった(はずの)私も、今や見る影もなくーーー(/o\)。これじゃイカンとの気持ちはあっても、体型の問題もあってなかなかオサレな人種には戻れず。そこでバイクに乗って革ジャンあたりからリハビリを始めようかと企んでいる。そうそう、このブーツはバイク用に買った。ポリシーとしては、いかにも「ライダー」という感じにならないようにしたい。ただバイク専用のウエアは肩とか肘にプロテクターが入っていて、少々転んでも怪我をしないようにできている。ファッションか安全か。その辺が悩みどころ。



   安全運転第一で、しばらくこの新しいオモチャと遊びます。
   最初はテンパッて運転していると思うので、
   もし街で見かけても声をかけないでください(^^ゞ

wassho at 16:58|PermalinkComments(2)   *バイク関連 

2011年02月04日

アナログ放送は終わらない

地デジカ

電車に乗っていたら会社の上司と部下とおぼしき二人の会話が聞こえてきた。

 上司「うちはまだ地デジが見られるテレビを買っていないんだよ」
 部下「課長のところはケーブルテレビだから、アナログ放送が当面は継続
    されるはずですよ」
 上司「エーッ、ホント!」

私も心の中で「エーッ、ホント!」と叫んだ(^^ゞ
そういえば正月に帰省した時、弟がそんなようなことを言っていたのを思い出した。弟の話は「しばらくの間」というニュアンスだったので、ケーブルテレビ局が機材を切り替える間のわずかな期間だと思い込んでいたが、電車の部下は「当面」と自信ありげだった。


早速調べた。
結論から言うと、2015年3月31までアナログ放送が見られる。
今年7月24日のアナログ放送終了から、なんと3年半もの期間である!


どうも総務省がデジアナ変換という音頭を取ったらしい。
こっちは私のマンションが引いていいるケーブルテレビ局の発表


ちなみに地デジを推進する社団法人デジタル放送推進協会のホームページに、そんな情報はどこにもない。ズルイゾ
こちらのページによるとデジアナ変換の恩恵を受けられるのは1420万世帯。日本の世帯数は約5000万世帯だから、何と3割近くの世帯でアナログ放送は終わらないことになる。総務省のこの資料によると、そのために投入される予算は18.8億円


毎日見せられるアナログ放送終了のCMや、画面の下に流れる嫌がらせのテロップはなんなんだろうという気もするし、18.8億円も使って(たぶん何にでも反対する連中への懐柔策として)中途半端な先送りをする価値があるのかとも思うが、まあとりあえずそういうことらしい。


7月25日になったら「本当に何も映らなくなるのか、この目で確認したい」と以前に書いたが、どうやら慌ててテレビを買い換えなくても済みそうである。もっとも正月に実家の大画面テレビで箱根駅伝を見てから、少し気が変わっているんだけれどーーー。見る価値のある番組がもっと増えれば、さっさと買い換えているのにね。


何はともあれ自宅がケーブルテレビで、まだテレビを買い換えたくない人は、契約しているケーブルテレビ局がデジアナ変換を提供するかどうかをここでチェックしましょう。

wassho at 16:04|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2011年02月03日

八百長相撲とエジプト動乱

大相撲の八百長問題。
3人認めたとか13人かかわっていたとか、詳しくは報道で。

相撲の八百長なんて過去何回もマスコミ(主に週刊誌)が取り上げてきて、そのたびに相撲協会は全面否定してきた。たぶん世間的にも八百長が皆無なんて信じていないけれど「まあ、国技だし、なかったということでいいんじゃない」と極めて日本的に空気を読んだやり過ごし方をしてきたと思う。

ちなみに相撲業界に多少関わっている知人の話によると「けが人の多くでた場所は、親方連中がこの場所は(相撲賭博で)警察が睨んでいるから八百長をするなと締め付けている場所」なんだそうである。またデータを確認していなが、週刊誌で八百長を取り上げられた次の場所もけが人が多いらしい。


今まで相撲協会が八百長に対してシラを切り通せたのは、具体的な証拠がなかったから。今回は昨年の野球賭博の捜査押収物の副産物?として八百長に関する携帯メールのやりとりが発覚した。しばらくは大騒ぎだろう。


でも、ここ最近あった麻薬、野球賭博にせよ今回の八百長にせよ、別に相撲協会がそれを主導していたわけでもなく、それをやっていた個人または複数の個人の問題のはずなのに、相撲協会は責任を取れとか、理事長は辞めろとか、次の場所は開催するなとかという意見が、ごく当然のように受け止められるのが、まったくもって日本的である。


さて、今まではその由緒と権威で八百長問題を門前払いしてきた相撲協会が「携帯メール」で窮地に追い詰められるというのは、何とも今日的。

話は変わるけれど今エジプトは国家がひっくり返るかどうかの大混乱である。数週間前にはエジプトの隣の隣のチュニジアで同じような事が起こり政変につながっている。

デモが膨れ上がったのはフェイスブック(説明すると長くなるから知らない人は自分で調べてね)による民衆の情報交換が原因だとされている。そういえばウィキリークスは政治や外交の闇の部分をいくらか明らかにしてくれた(いまいちコネタが多い気もするが)。なんたって尖閣諸島のビデオをユーチューブがあったから我々国民は見ることができた。


インターネットは世の中を変えるといわれてきた。それがだんだんと大規模な現実になり始めている。何となくハッピーじゃないテーマばかりだけれど、世の中を変えるというのは薔薇色の夢に突き進むばかりではなく、そういうことなのかもしれない。

wassho at 17:53|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2011年02月02日

決断のタイミング

何日か前の話になるが、
サッカーアジアカップで日本が優勝。
誠にメデタシ\(^o^)/


ワールドカップと較べて過去のアジアカップは「観たことあったかな」程度のサッカーファンなので、日本が今回も含めれば4回も優勝していたとは知らなかったというか意識になかった。アジアと世界のレベルの差はまだまだ開いているということか。それでも昨年のワールドカップの時と較べると日本代表は強くなったと思う。試合の流れに応じて臨機応変に対応できる、戦術にバラエティが増えたーーード素人ながら、そんな印象を持っている。


優勝を報じる記事をネットで拾い読みしていたら、ちょっとおもしろいコメントがあった。

    ザッケローニ監督は選手交代のタイミングが
    観客の気持ちとずれないので
    観ていてイライラしない

どこで読んだか、誰のコメントだったかは忘れた、ゴメン。


今回、ザッケローニの選手交代の采配は、見事に的中したように思う。ただ私レベルだと、采配がよかったのか、交代した選手ががんばったからなのかはよくわからない。それと選手交代のことまで考えるほどの知識はないので、観客である私は、今までの監督の時でもイライラしたことはなかったけれど。 


でもまあ、このコメンテーターの気持ちはわかる。
つまり、今までの選手交代のタイミングが遅いことが多かったという意味だろう。


サッカーに限らず経営や政治の諸問題でも「なんで、そんなにグズかなあ?」と思うことは多い。というか思うことのほうが多い。


監督や経営者や政治家は、凡人である観客やサラリーマンや市民とは違う「正しい」視点で状況を判断しているからか? そうだったらいいんだけれど、そんな例は100のうち5つ位だろう(サッカーのことはよくわからないが)。だから世の中はずっと不景気で、日本は先行き右肩下がりである。


グズグズする原因はいくつもあるだろうが、

   何かを変えてうまくいくとは限らない。だから迷う。
   変えることに反対する奴が必ず出てくる。だから気が重い。

というのが代表的。つまり責任やアトサキのことを考えなくてもいい外野と、決断を下す当事者は立場が違うといえば違う。


さて
決断が早ければうまくいくのか?
そうだと言い切るつもりはない。

でも適切なタイミングで決断すれば、もし結果が上手く運ばなくても
まわりが納得する度合いは高い。
ズルズルと先送りし、もはや決断ではなく誰でもできる判断だった場合、
その結果がうまくいっても高い評価は得られない。
(それに先送りしている間に失っているものもたぶん一杯ある)



ーーーというようなことをツラツラ思いながらのアジアカップ観戦でした。

wassho at 15:39|PermalinkComments(0) ノンジャンル | マーケティング、ビジネス