2011年03月

2011年03月27日

チューリップ観察日記2011年3月27日

272月27日にこんなだったチューリップは












27一ヶ月たった現在こんな感じに。













ここ十日くらいは、毎朝ベランダを見るたびに大きくなっているのがわかる。
ただ何本かは大きくなったのに太くならず倒れてしまっている。
一番大きなプランターにも倒れているのがあるんだけれど、
他の葉っぱに寄り添わせて、ごまかして撮影した。
倒れているのは、寄り添わせられないくらいフニャフニャである。

かと思えば、今頃出てきた芽もいくつかある。
クルクルとなっている葉っぱの中をのぞいてみたが、
蕾のようなものはまだなかった。


15球根プラス去年の球根を植えたので、やっぱり密集しすぎている気がする。
花が咲くまで成長するか、ちょっと心配になってきた。

wassho at 21:12|PermalinkComments(0)   *チューリップ 

2011年03月26日

東日本大震災:東京レポートその6

3.11地震後、2週間目にして初めてタマゴをゲット\(^o^)/

本日は外出した帰りに、午後3時頃と早めに駅前のスーパーに行ったのがよかったのかもしれない。その時点で残り10パックくらいだった。


品切れだったのはミネラルウォータ、牛乳、プレーンヨーグルト。乾燥わかめも放射能にヨードが効くということで、買いだめ対象になって棚にはなし。ただし同時に姿を消していたとろろ昆布はなぜかたくさん売っていた。トイレットペーパーやキッチンペーパーもなかったけれど、このスーパーは食品スーパーなので元々それらの棚は小さい。私には大切な生クリームも売り切れていた。牛乳やクリームの不足と関係あるのかどうかスイーツも品薄気味。


野菜売り場では初老の夫婦が「コレは栃木産で、コレは埼玉産だね」と産地を確認しながら品定めをしていた。そういえば棚にある価格札をじっと見ている人が多いと思っていたら、それは価格の隣に産地が書いてあるからだと気づく。放射能の影響のせいではなくて、このスーパーでは以前から産地が表示されている。


ご存じのように基準以上の放射能が検出されたということで、福島、茨城、栃木、群馬の野菜の一部は出荷制限措置がとられている。出荷制限されているということは、店頭に並んでいないということである。

話はそれるけれど、それならなぜ出荷停止措置とか出荷禁止措置とかいわないのか理解に苦しむ。制限という言葉には少しは出荷しているというニュアンスがある。危ない野菜が店頭に並んでいるかもしれないと無用の誤解を生む可能性もある。それと出荷制限に伴って、4県はそれぞれ政府に補償を求め、政府もそれに応じるというか自ら積極的に実施する構えである。

しかし補償というのは「償うために補う」ことである。放射能をまき散らしている東京電力が補償するならわかるが、政府が行うのは救済のはず。原子力発電所は国有ではないし、地震や津波を政府が起こしたのでもない。

こちらが何も言わないうちから「〜〜でよろしかったですか?」という表現は、もはや普通の日本語になってしまった。その背景にはできるだけ相手と正面から向かい合わず、無用な摩擦を避けたいという深層心理=この国のダメになったところーーーが反映されていると思っている。出荷制限とか補償というあいまいな言葉遣いにも同じ背景を感じるのは私だけかな?



野菜選びの話に戻す。

出荷制限の影響で4県の出荷制限対象外の野菜も売れないし、他県の野菜でも最初に放射能が検出されたほうれん草などは売れていないという。こういうのは風評被害と呼ばれる。

でも、そうかな?とも思う。
風評被害とは、間違った情報に基づいて消費者が間違った判断をして、関係ないものが売れなくなったりの被害を受けること。

ほとんどの消費者は出荷制限の野菜は店頭に並んでいない=店頭にある野菜は一応安全であることを知っているし、出荷制限の野菜も少々食べた程度では大きな影響はないということもわかっている。「キャー!放射能野菜よー」と間違った情報に基づいて消費者が間違った判断をしているわけではない。

つまり消費者は安全性について、より慎重に選択的に行動しているに過ぎない。同じ県内で栽培されている野菜なら出荷制限対象外のものでも、他県の野菜より放射能が多いと考えるのは当然だし、原発から遠い産地のほうがより放射能の影響が少ないと考えるのもこれまた当然である。風評に惑わされるほど消費者はバカではないのである。

だから風評被害対策を消費者の間違いを正すという考えで立案しても効果は薄い。というか風評被害ではもともとないのだ。原発がいまだに放射能をまき散らしている現在の段階では打つ手はあまりないだろう。風評被害という言葉自体が風評被害的な矛盾を含んでいる。もちろん政治家が野菜を食べたり水道水を飲むというパフォーマンスをしても、かえって疑われるだけである。


例年なら東京では桜が5〜7分咲きの頃だけれど、今年は寒いのでまだ蕾も小さいまま。東北ではいつ頃咲くのかな? その頃には被災地でも桜を眺める余裕が生まれていることを願っている。

wassho at 23:41|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2011年03月23日

備蓄してはいたがーーー

3.11に(さっそく使ってみた)地震が起きたときから気にはなっていた。さいわい今すぐ必要な事態になっていないからと、見て見ぬふりをしてきがーーー。

自宅に備蓄してある2L入りペットボトル12本のミネラルウオーター。先ほど確認したら、賞味期限を1年ないし2年過ぎていた(>_<) まあ「消費」期限ではないし、封を開けてすぐなら、あるいは沸騰させれば飲めないことはないと思うが。


人間は飲まず食わずで三日は大丈夫らしい。水があれば3週間は生き延びられるといわれている。それは究極のサバイバルだとして、防災的には日本の場合、地域が壊滅状態になっても三日あれば外部から救援が来るので、三日分の備えをしておけといわれている。

調理せずに食べられる食料の買い置きはほとんどない。まあウエストにしっかり備蓄してあるから大丈夫(^^ゞと水だけを買ってあった。ペットボトル12本にたいした意味はない。これくらいあったら足りるだろうというアバウトな計算。

ミネラルウオーターを買いだめた時は、1年たったら、これらは生活用水の備蓄としてベランダにでも出しておき、新しいのを買い足していくプランを立てていたのだがーーーすっかり忘れていた。



ミネラルウオーターの賞味期限を確認したのは、もちろん水道水から放射能が検出されたというニュースがあったから。現在、東京都では乳児には水道水を飲ませないようにと呼びかけ、乳児のいる家庭には明日からミネラルウオーターを配布するらしい。(そんなにすぐ配れるのか?)


いまさら書くのも後出しジャンケンのようで気が引けるけれど、実は原発の事故が発表されたときから水道のことは気になっていた。原発から東京までは220キロ離れており、現状では充分に距離があるように思えるが、東京の水源はもっと原発に近いからである。


例によって政府は「ただちに健康に影響はない」と繰り返しているが、いまいち信頼感に欠ける。だったら発表するなというのは極論として、「ただちに」になくても「そのうち」ならあるのかとか、水と空気とほうれん草の複合汚染ならどうなのかとか、原発に盛んに放水していて、現場は必死にがんばっているから「イツマデカカットンネン」とはいわないまでも、その大量の水はどこに流れ出しているのとかーーーそんなに深刻には受け止めているわけではないが、何かと小さく不安である。


週末にダイエーに行ったとき、ミネラルウオーターは多少は残っていると書いた。明日からはまたすべて売り切れるだろう。まあ仕方ない。今のところ、「コレ」よりは「ただちに健康に影響ない」だろうとタバコをふかしながらブログを書いています(^^ゞ

wassho at 23:54|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2011年03月22日

3.11と呼ぶことにした

アメリカの同時多発テロ9.11のパクリではあるが、3月11日に起きた地震を個人的にはこう呼ぶことにした。さん てん いちいち でも 英語風にスリー・イレブンでもいいけれど、たまたまゴロのいい日に地震が起きたので3.11と名付けておけば、その日付を忘れないかなと思って。


阪神淡路大震災は1月17日に発生した。16年たった現在、1月だったのはまだ覚えていても、何日だったかはもう普段は記憶にない。もちろん1月17日が近くなればいろんな報道があるので気づくが。17日の日付を覚えているかいないかは、人によるというか、あの震災との関わりの深さによるだろう。被災者となった人には一生忘れられない日付に違いない。


88年前の関東大震災はどうか。地震が起きた日に物心がついていたというか、日付を覚えられる年齢に達していた人は、もうほとんど亡くなってしまった。だから東京でも関東大震災の日付を答えられる人はあまりいないはず。調べてみると1923年9月1日。偶然だが、こちらもキリのいい日付。きちんとネーミングしておけば、もっと覚えられたのに。


もっともゴロやキリがよくても3.11とか9.1とか、あまり増えても覚えられなくなる。こんなネーミングは増えないことがもちろん望ましい。ついでに関東大震災の9月1日は「防災の日」になっている。防災訓練がよく行われる日ではあるが、いまいちマイナーな記念日(というのかな?)だし、それが関東大震災に由来しているとは「そういえば聞いたことがあったかなあ」程度。

ちなみに阪神淡路大震災の1月17日は「防災とボランティアの日」になっているらしい。二番煎じでカブッてちゃ、やっぱり無理。日本の国民的なボランティア活動は阪神淡路大震災の時から始まったんだから、素直に「ボランティアの日」にすればよかったのに。センスのない人間がネーミングしたことが悔やまれるね。


震災の日付を覚えていることに、それほど意味はないかもしれないが、まあ覚えていて損もしないかなと。

wassho at 23:40|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2011年03月21日

観音崎へ

観音崎1
日曜日にバイクで三浦半島にある観音崎まで行ってきた。
ちなみにバイクの世界では、バイクに乗って出かけることをツーリングというらしい。クルマならドライブだけど、ドライブってもう死語かなあ?


(下の航空写真地図はグーグルマップからの引用)
ピンクでAのピンが刺さっているようになっているところが観音崎。(クリックしたら大きくなります) 東京〜横浜〜横須賀と東京湾の都市部沿岸はすべて埋め立て地になっている。観音崎は東京から一番近い、自然の海岸線が見られる観光地である。

自宅からの道路距離は約60キロ。国道1号線で横浜まで行き、16号線で観音崎まで。一応ナビもセットしておいたが、道路標識だけでも迷わずたどり着ける。地震、ガソリン不足の影響で道路は空いていたので2時間程度で着いた。
観音崎地図



数えてみるとバイクを買って、本日を含めて乗るのはまだ5回目。3回目に港北ニュータウンに行った途中で給油して、それから4回目の土曜日までで80キロ走っていた。だいたいこのバイクのタンクは何リットル入って、燃費がどれくらいなのかも知らない。

ディーラーに電話すると、タンクは16リッターで、250〜270キロくらいで燃料警告灯がつくとのこと。270キロ÷16リッターなら燃費はリッター16.8キロという計算になる。観音崎往復を余裕を見て150キロとして、すでに走った80キロを足して230キロ。ガソリンは大丈夫なはずと思って出発。

途中で見かけたガソリンスタンドは、昨日と変わらずどこも長蛇の列。1/5位のお店は休業中。何となく燃費を気にしつつ走る。



横須賀を過ぎて観音崎までの途中に馬堀(まほり)海岸というところがあり、突然南国リゾート風の景色が広がる。写真は撮らなかったので、このページでどうぞ。この後、距離は短いけれど海岸線に沿った高低差のあるクネクネした道路がある。バイクにもずいぶんと慣れてきので楽しめた。こういう道路より、発進してすぐ曲がらなければならない交差点のほうが苦手だ。



観音崎2残念ながら天候は曇り。
でも久しぶりの海の光景と潮の香りに満足。
波はきわめて穏やか。










観音崎3水は結構きれいだった。
カメラをズームにしたが、上手く写っていなかった。











観音崎4灯台遊歩道をテクテク歩く。
写真に写っている灯台まで上っていくことができる。
でもブーツが重すぎるからやめた(>_<)
やっぱり早く買い換えないと。









観音崎5洞窟名所の洞窟らしい。
地震で崩れたようなところはなかった。












観音崎6トンネル岩のトンネルのようなところを通る。












観音崎7トンネル内部内部。
岩をくりぬいて作ってある。落石の形跡はなし。しかし、ここを歩いているときに先日の揺れが来たら、生きた心地がしないだろうなあと思う。










岬をぐるっと一周する遊歩道だと思っていたのに、このトンネルを抜けると普通の道路に出る。次のスポットまでは、その道路を歩いて行くらしい。変な観光地である。ということで15分ほど歩いてきた遊歩道を戻る。この遊歩道でジョギングしている人が5〜6名いた。



観音崎8
しばしベンチで休息。
海を眺めればいつでも心が安まるものだが、今回は特に落ち着くというか、気持ちがスーッと軽くなるのを感じた。地震そのものの被害はほとんどなかったけれど揺れに恐怖を感じたし、その後の被災地の惨状、原発への不安、電車や停電、それに仕事も地震の影響で何かとアタフタしている。気がつかないうちに精神的な負担が溜まっていたのかもしれない。来てよかったとしみじみ思った。

被害に遭わなかった者の努めは、自分の生活をよりいっそうがんばることだと思っている。テレビで震災報道にかじりついて被災地がよくなるわけでもない。被災地を気に掛けつつも、どこかで切り替えなければいけない。表現が大げさかも知れないが、観音崎に来て私は立ち直った気がする。津波の被害にあった人たちは、今は海など見たくもないだろうが、早期の復興を願うばかりである。





もっとボーッとしていたかったけれど、明るいうちに自宅に帰りたかったので1時間ほど過ごして帰路につく。先ほどの馬堀海岸から横浜横須賀新道(通称ヨコヨコ)にのって、横浜で接続している第三京浜を使えば自宅近くまでずっと高速道路で移動できる。でも観音崎に着いたあたりから風が強くなってきたので往きと同じ道で帰ることにした。バイクで強風にあおられると結構こわい。実際にはびっくりするだけで、倒れたり進路が流されることもないのだが(たぶん)。残念ながら高速道路デビューはオアズケ。



帰りの道路も空いていた。
国道1号線の横浜と東京の中間あたりは長い直線になっている。
そこで、こっそりエンジンパワーのテスト(^^ゞ
2速フル加速だとバイクから振り落とされそうになる。3速は当たり前として、4速でもかなり早かったのに満足。

ところで横浜市内あたりから、クラッチを握る左手がかなり辛くなってきた。というわけで、もうガソリン残量は大丈夫と確信した東京に入る手前からは、1速で発進〜2速を飛ばして3速に入れ、そのままオートマ状態で走る。実は今日もまだ左手は少し痛い。たかだか往復120キロほどなのに、渋滞もゼロだったのに情けないぞ!私の左手(^^ゞ。 

往きと同じく2時間ほどで無事帰宅。
交通安全に感謝。

wassho at 18:56|PermalinkComments(2)   *ツーリング 

2011年03月19日

東日本大震災:東京レポートその5

3週間ぶりのバイク。
1時間半ほど徘徊。


ガソリンスタンドはどこも長蛇の列。最低でも1時間は並ぶ雰囲気。
何軒かのスタンドでは列の最後尾に店員が「ハイオク売り切れ、レギュラー売り切れ」というプラカードを持っていた。ということはディーゼル用の軽油しか残っていないということか。

道路はガラガラという感じではないが、かなりすいている。だからガソリンを入れているクルマのほとんどは、どこかへ行くためではなく、ガソリンがなくなりそうだから入れているのだと思う。ガソリンの場合はタンクの量しか入れられないので、買い占めとはちょっと違うとしても、まあ似たようなもの。

地震や津波の被害を受けた精油所もあって、現在、供給能力は7割程度に落ちているらしいから、ガソリンの品不足はしばらく続くかもしれない。


夕方、ダイエーに行く。
店内の照明が間引きされているが、商品はそれなりにある。


トイレットペーパーは午後7時過ぎ(通常は午後9時半だけれど、今は午後8時で閉店)の時点で10袋くらいしか残っていなかった。1袋(4ロール)買う。いつもの商品は売り切れていたので、明日なら入荷しているかもと考えたが、まあ念のため。キッチンペーパーは売り切れていたし、自宅在庫も少なくなってきたので、その代わりに使うかもしれない。

なお被災地で紙おむつが配られて喜んでいるニュースを見たが、紙おむつは棚の1/3位は残っていた。その隣の生理用品も同じような感じ。


食品売り場へ行くと

インスタントラーメン:袋麺、カップ麺とも多少はあった。1人5つまでという張り紙がある。

レトルトカレー:売り切れ。

ミネラルウオーター:大きなペットボトルは残り少ないが、小さなサイズのものは豊富にある。

野菜、肉、果物:通常通り。ただしハム、ソーセージの類は少ない。
魚:少なめ。

卵:遠くから見て棚の上の方に商品があったので、よかったと思って近づいたらウズラの卵しか残っていなかった(>_<)

牛乳:売り切れ
プレーンヨーグルト:売り切れ。小さなサイズのおやつヨーグルトはある。

米:売り切れ

パン:なんと食パンは、特設棚まで並べて普段の5倍くらいの商品があった。ダイエーさん、ちょっと仕入れ過ぎじゃない(^^ゞ ただし菓子パンはほとんど残っていない。バゲットもなし。


すべての売り場をくまなく見た訳じゃないけれど、だいたいこんな感じ。1週間前のガラーンとした店内と較べたら雲泥の差。米など必需品に近いもので売り切れているものもあるが、献立を工夫すれば全く不自由のない食生活がおくれるはず。


買い占めが問題になっているらしいが、それほどでもないと思う。こんな時なら多少は起きるだろうと思われる、いわゆる想定の範囲内に収まっているというのが私の感想。普段と全く同じように行動しろというほうに無理がある。何かを叩かないと気が済まないマスコミは騒ぎすぎ。それにつられて買い占めちゃった人もいるだろう。


でも今後に備えて買い占め防止対策をひとつ。


   「買い占め消費税」


大災害などが起きたとき、消費税を一時的に大幅に上乗せする。買い物の全部に乗せるか、買い占めと思われる数量にだけ乗せるかとか細かな突っ込みはやめてね。

高くなれば買わないから買い占めは起こりにくくなる。それでも買い占めた人から得た上乗せの消費税は、被災地の復興資金に回す。怪しげな募金をするより、こっちのほうが確実かも。一石二鳥の政策なんだけれど、官邸は現在寝る暇もないくらい大忙しだから提案しに行くのは遠慮しておく(^^ゞ



あっ、乾電池買うの忘れた!

wassho at 22:57|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2011年03月18日

東日本大震災:東京レポートその4


この大事なときに突然、携帯の電池がヘタってきた(>_<)
朝に充電器から外して、夕方には残量がほとんどなくなっている。

銀座のドコモショップへ行く。超混雑していたらどうしようと心配であったが、まあ普段通りの混み具合。案内されるまで5分待ち程度。知らなかったが、購入1年以上たった携帯はタダで電池をくれるラッキー。もう1年たったら、またタダでくれるのかは聞き忘れた。



本日もデパートへパンを買いに行く。マツヤには3軒のパン屋が入っている。有名チェーン店のアンデルセンにはレジに15名くらい並んでいた。それは買い占め客が押しかけているのではなく、アンデルセンが一番安いからだろう。前回同様どの店も品揃えは問題ない。並ぶのが面倒なので前回と同じ店で買う。ヨーロッパ風のパンを2種類買った。食事3回くらいの分量。


パンを買った後、もう1階地下の生鮮食料品売り場に。目的はコーヒー用の生クリームを買うこと。私はこれがないと生きていけない(^^ゞ、生クリームはコンビニには売っていない、駅前のスーパーは私が帰る時間にはいまだに閉まっているし、週末にダイエーに行っても売り切れているかもしれない。デパートにはたくさん売っていた。ただし同じ売り場の牛乳はすべて売り切れ。ついでにマーガリンがなくなりかけてたので買う。こちらは品薄だった。2種類2個ずつの4つしか残っていなかった。バターはもう少し品揃えがあった。

オッサンが生クリームとマーガリンだけを買うのも変な感じだが、さすが銀座のデパート、レジでは保冷剤は必要ですかと尋ねられた。もちろんハイと答える。家に帰るまではオフィスの冷蔵庫で保管していたので家に帰ったとき商品はきちんと冷たかった。



自宅近くのファミリーマートとセブンイレブンは月曜日から毎日チェックというか視察している。ファミマはいまだにガラーンとした感じ。セブンイレブンはもう弁当などもほぼ普段通りにある。パンも菓子パンなら少しは並び始めた。この2店舗だけで比較するなら企業力はセブンイレブンの圧勝である。

私が買いたいのにどちらのコンビニにないものは、食事用パンをのぞけば、卵とトイレットペーパーと乾電池。トイレットペーパーの自宅在庫はあと1.5ロール。大丈夫と思うけれど、ティッシュは売っていたので念のため2箱買った。たくさん売っていたので買い占めじゃないよ。

自宅には2カ所に懐中電灯をしまってあって、新品の乾電池パックを一緒に置いてある。ただし新品には違いないとしても、いつ買った新品か思い出せないくらい昔の新品(^^ゞ まあ、少しの時間なら点灯するだろう。2000年問題の時に買ったロウソクがあるので、もし停電になったら基本はそれで対処するつもり。



昨日は不測の事態の停電があるかもしれないと政府の緊急発表があったり、寒くて電力消費が激しいのでエリア内の全世帯停電するとのニュースがあった。それでも自宅は停電の形跡なし。ますますオオカミ少年っぽい。帰りのコンビニで停電はあったかと聞くと「このあたりはまず停電しないらしいです」との返事。その根拠はとか、どこから聞いた情報だとかを質問するのはやめておいた。



街の雰囲気は前回書いたとおり。私はいつも通り、つまりかなり遅く帰宅しているが電車はとても空いている。スーパーやコンビニの売り上げは多いだろうが、飲食店は悲惨な状況に違いない。ところで銀座には外国のテレビクルーの姿が目立つ。人通りが少ない以外は普段と変わりないし、昼間なら店舗やネオンの照明が少ないこともわからないし、そもそも銀座に始めてきた外人にそんな違いはわからない。「日本人はきわめて冷静に行動しています」とかレポートしているのだろうか。

海外クライアントから原発は大丈夫かとのメールがよく来る。状況はよくなっていないが、東京と原発は220キロ離れていると返事すると、とりあえず安心してくれる。大使館を移動させたり、自国民を帰国させているとかのニュースを聞くと、そのあたりかなりゴチャマゼで報道されている気がする。まあ遠く離れた国ならそれも仕方ないかな。




余震の心配はもうしていないが、原発がまさかの時のために、マスクとイヤホンで聴く小さなラジオと、ラジオ用にこれはコンビニでも売っていた単4の乾電池を鞄の中に入れて持ち歩いている。放射能除けにマスクの効果は気休め程度なのはわかっている。

wassho at 23:56|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2011年03月16日

東日本大震災:東京レポートその3

だいたい報道されているとおりであるが。


現在、スーパー、コンビニなどでは食料品の棚は空っぽ。まるで将軍様の国みたい(^^ゞ たぶん、多少、量は少なくても毎日入荷はしているわけで、私の行く時間には空っぽになっているということかと思う。駅前にある普段は午前1時までやっているスーパーは、私の帰る時間には月曜火曜日とも閉まっていた。何時まで営業という張り紙はない。ホームページを見ても営業時間変更の可能性があるというだけで具体的には書いていない。それはダイエーも同じ。混乱しているというより臨機応変な体制で考えているのかもしれない。

一方で飲食店はほとんど普通に営業している。だから食べるものががなくてどうしようもないという事態にまでは至っていない。品不足はたぶんあと数日で収まるとは思っている、というか期待している。


しかしインスタントラーメンとかミネラルウオーターを買い占めるのはわかるとして、なんでパン売り場まで毎日空っぽになるかね? 自宅にはレトルトのシチューとかが多少あるので、パンさえあれば私はしばらく大丈夫なのに。


スーパー、コンビニがダメならというわけで、3時ごろ松屋(銀座のデパートです)のデパ地下に行ってきた。特に混雑もしておらず、パン売り場には普通にパンが売られていた。たくさん買っても固くなるので、とりあえずバゲット(いわゆるフランスパン)を1本買った。金曜日も買いに行こうっと。



停電は、オフィスのある中央区は対象外地域で、自宅は対象地域。ご存じのように首都圏を5つのエリアに分けて、3時間ずつ順番に停電することになっている。各エリアが停電する時間帯も毎日順番に入れ替えられる。ただし停電するエリア全体が一斉に停電する事態にはなっていない。自宅の停電時間帯に私は家にいなかったけれど、いったん電源が切れれば数字のゼロが点滅するはずのデジタルの置き時計が正しい時刻を示していたから、自宅のまわりの停電はこの二日間はなかったようだ。


情報がよく伝わってこないのだが、エリア全体が停電することはまずなく、エリア内の一部で停電するらしい。それはいいとして、同じエリアで停電したところと、しなかったところに不公平が起きないように、エリア内で停電する場所を順番に入れ替えているらしい。そしてエリア内での当日の停電順位のようなものは公表されていない。

つまりエリア全体で一斉に停電するという事態になれば、おそらくそれは事前に発表されるだろうが、現状では自分の住んでいるところが、その日に本当に停電するのかしないのか、はっきりとしない。事後にエリア内のどこで停電したかも発表がない。おそらく一番確実なのは、もし今日停電したら、たぶん明日は停電しないということくらいである。


もう少し何とかならないものかと思う。まったく突然に停電するよりは、その仕組みが公表されている方がもちろんいい。しかし現在の公表の仕組みだと、あまりにおおざっぱすぎて本当に停電するのかしないのかわからず不安だしイライラする。オオカミ少年みたいなもので、安心しきった頃に本当に停電して、たぶん大慌てするだろう。



街の様子は特に混乱はないが、節電で照明を落としたりお店の閉店時間を繰り上げたりしているので夜は暗い(変な表現だが)。銀座でいうと夜に歩いている時に感じるお店の照明やネオンの光りの量は半分くらいの感じ。人通りの数もそれくらい。さっき松屋にパンを買いに行った時の観察でいうと、本日つまり平日の昼間の人通りは普段の1/4位に減っている。銀座というちょっと特殊な土地柄だけで判断してはいけないが、ジワッと経済に悪影響を与えていることが感じられる。


いわゆる余震というのは、もうあまり感じないというか、少々揺れても慣れっこになってしまった。ただ余震というのは本震の近くで起きる反動みたいな地震をさすが、今回は本震とは関係ない地域で別の地震が起きているのが気がかり。昨日は静岡で「新たな」地震があったし、富士山噴火の懸念もという報道まである。原発も一向にに事態が好転する兆しがない。やっとパンが買えたと喜んでいられる程度で収まって欲しいものだと願う。

wassho at 18:41|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2011年03月14日

東日本大震災:東京レポートその2

前回の続き。



「地震1日後の土曜日」

ゆっくり寝て午後2時頃に起きた。
寝ている間にも余震は頻繁にあったはずだが、あまり気にならなかった。
実は、この土日にもやらなければいけない仕事が溜まっている。
地震のせいでスタートが遅れたのは痛い。
でもまあ自然には勝てないと諦めるしかない。


朝に戻ってきて、そのまま寝たので部屋は散らかったまま。もう一度被害をよく確認すると、机の上のものがいくつか落ちて、オーディオのスピーカーを直撃していた。でも少し位置がずれた程度でたいしたことはない。その他、細かなことは多少あったものの、本当にこのあたりは揺れなかったようだ。

棚から落ちたものを片付ける。その他、ついでにいろいろ整理整頓。地震で散らかったものより、モトから散らかっていたもののほうが多かった(^^ゞ。バイクのガレージも念のために見に行ったけれどノープロブレム。 


そういえば昨日の夜はお菓子を食べただけで、ご飯は食べていない。無事を祝ったバーでも料理のラストオーダーは終わっていて、店長サービスのナッツを食べただけ。しかし朝まで起きていたせいか、あまりお腹がすいていない。冷蔵庫を見るとイチゴと、半分残ったロールケーキがあった。いつ買ったロールケーキだったっけ? 気にせず、口の中でイチゴ入りロールケーキにして食べた(^^ゞ


少し仕事をして、一区切り着いたので夕方早めにダイエーに買い物に行った。

   ガーーーーン!!!!!!


     お寿司売り場:空っぽ
     野菜売り場:2/3が空っぽ
     お総菜売り場:空っぽ
     パン売り場:空っぽ
     牛乳売り場:空っぽ
     肉売り場:半分売り切れ
     水とお茶:空っぽ
     インスタントラーメン:空っぽ
     缶詰売り場:おかずになるような缶詰はほとんど売り切れ
     レトルトカレー:2袋のみ売れ残り(辛さ20倍と書いてあった)


ものの見事に商品がない。

戦中・戦後の物資のない時代ーーーと聞かされたものだが、初めてそのことが具体的にイメージできた。もちろん戦中・戦後が、これとは較べようがないことはわかっている。それでもこんなに空っぽの商品の棚を目撃したのは生まれて初めてである。スーパーの中でかなりの面積を占める野菜売り場がガラーンとしているのにはちょっとショックを受けた。


店内アナウンスで、昨日の震災の影響で商品入荷が滞っているといっていた。それに加えて、人々の買いだめの相乗作用だと思う。お米を3袋ぐらい買っている人も多く見かけた。そこまでする必要があるのかなあと思うが、まあこれが大衆心理というものだろう。商品が無くなったといえば石油ショックの時のトイレットペーパーが有名。しかし、この日は日用品のフロアには行かなかった。




「日曜日、そして今後」

電車で家まで帰れたときは、よかったよかったという気持ちが強かったが、テレビでニュースを見ているうちに、だんだんと暗い気持ちになってきた。オフィスにいたときもradikoやネットでずっとニュースには接していたが、やはり映像中心で見るのとは受け止め方が違う。


日曜日の午後、ちょっと仕事に疲れたので気分転換に家の周りを少し散歩。東京は春の暖かさ。外に出るとその暖かさに自然としみじみとした幸せを感じる。自宅近くの公園では小さな子供がはしゃぎ回って遊んでいる。公園の池では、ジイさんたちがのんびりと魚釣りをしている。小さな子供とジイさんたち、まさにほのぼのとした光景である。春の暖かさの幸せ感と、ほのぼのとした光景ーーーほんの数分前まで見ていたニュースとの落差に気持ちが追いつかない。

それに今回はニュースで見るだけの遠い地方で起きた地震ではなく、被害もなくごく短い時間とはいえ、私自身も激しい揺れを体験した当事者である。もちろん公園の子供やジイさんも同じはず。目の前にある幸せな風景と、たった2日前の恐怖、そして今現在も繰り広げられている被災地の状況を考えると、その異なる事態の広がりが、まるで4次元的につかみどころのないもののように感じられる。



阪神や中越の時と較べると、今回の地震は地震エネルギーの規模も桁違いらしい。
それに今までにない特徴があると思う。


1)津波の被害が中心で、被災地は根こそぎ波にさらわれた。
  ーーー津波がなくても被害を受けているところもあるかもしれないが、
  報道では津波被害中心。津波がこなくても倒壊などしていたかもしれ
  ないが、それは問題にしなくてもいいだろう。

2)被害エリアが広大である。
  ーーーまあ、これは地震規模に相関しているのだろう。

3)原子力発電所に深刻なダメージを与えた。



→1)
津波の破壊力は地震の比ではないということを今回強く感じた。今までなら地震発生後2日もたてば、救助隊の活躍で瓦礫の下から人が救助されるニュースなどがあって、よかったねと喜んだものだ。残念ながら今回の行方不明者の生存確率はきわめて低いだろう。


→2)
被災者は悲しく辛い思いをし、また不便な生活を強いられている。しかし阪神大震災で多くを学んだ日本の対応力は世界最高水準にある。必ず救出・救援できる。そこは疑っていない。

だが、その後に徹底的に破壊されたエリアを復旧し、さらに復興させなければならない。阪神大震災の時はバブルもはじけていたとはいえ、今と較べればまだ国家として余裕があったような気がする。現在の借金だらけの財政状況でどう対応していくのか、国家運営の中でどうバランスをとるのか困難な状況が続くと思う。


→3)
原子炉が大爆発するような事態にはならないはず。とにかく冷やせばいいんだからと思うのは楽観的かな? 問題は空気と水の次に大事な電力が、かなり長期間にわたって不足すること。ご存じのように首都圏は各エリアごとにに順番に停電する措置がとられる。まるで戦時体制である。どんな混乱が起こるか、ちょっと想像がつかない。

そしてそれは生活が不便になるだけでなく、確実に経済の足を引っ張る。いろんなプロジェクトが延期や中止になるだろう。正直に書くとテレビを見ていて、被災者にがんばってほしいと思ったり同情していた気持ちが、計画停電のニュースを見たとたんビジネスモードに切り替わってしまった。被災地域だけではなく、皆で乗り越えていかなければいけないのが今回の大地震である。



最後になってしまったけれど、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

wassho at 03:49|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2011年03月13日

東日本大震災:東京レポートその1

「報道によれば午後2時46分」

あっ?地震かなと思う。ごく小さな揺れ。東京じゃ、この程度の地震は地震のうちに入らない。平静そのもの。しかし揺れているか揺れていないのかわからないようなその小さな揺れは、いつもよりずいぶん長く続いた。たぶん20秒くらいか。「まだおさまらないのか」と心の中でブツブツ言っていたような気がする。もういくら何でも終わるだろうと思った頃、ガタガタッと強く揺れた。おそらく震度3レベル。

この程度も東京じゃたまにある。オフィスの壁際にあるキャビネットや書架の上には、使わなくなったパソコンとか、何が入っているのかよくわからない箱とか、いろんなものが置いてある。落ちてきたら危ないので、揺れの強いときは落ちてこないか注意して見たり、念のため軽く手で押さえたりする。

そのために席から立ち上がって押さえようとしたとき、揺れがさらに強くなった。震度4レベルと思う。恐怖心はなかったけれど、ヤバッ!という気持ちになる。震度4(←自分で勝手に決めている値であるが)は今までに経験したことがない。

阪神大震災とかその他大きな地震のニュースでは「突然、大きな縦揺れがきた」というインタビューをよく聞く。だから大地震ならいきなり縦揺れで始まるという先入観が何となくある。この時点では、それは先入観ではなく、そう信じたい、小さく長く揺れて始まったんだからこれ以上大きな地震になるはずがないという、祈るような気持ちに変わる。

しかし揺れはどんどんと強くなりキャビネットは大きく揺れ出し、上に置いてあるものもいくつか下に落ち、振り返るとパソコンも机から落ちそうな位置までずれていたので、それを元に戻して瞬時にまたキャビネットを押さえ、そしてひょっとして天井が落ちてこないか目をこらし。まさかこのままーーーという恐怖心と、まだ震度5のはず、ビルが倒壊するほどの揺れじゃないという冷静な気持ちが同時に存在する不思議な気持ちであった。

一番強い揺れがどれくらい続いたのかは、よく覚えていない。
30秒前後というのが現在の認識。


揺れがおさまりホッとする。私が押さえていたキャビネットの隣のキャビネットに入っていた書類はほとんど外に飛び出した。けれども家具が倒れることもなく、私もスタッフにもケガもなかった。

一気に緊張が解ける。「非常事態につき、オフィス内禁煙を一時解除!」と宣言して一服する(^^ゞ ヤレヤレ後片付けに手間がかかるなあと思っていたときに、スタッフが「太平洋岸全域で大地震とネットに出ています!」という。「いままでにそんな地震は聞いたことがないよ。地震じゃなくて核攻撃でも受けたのかな?」と冗談もでる。 ※実際は太平洋全域に津波警報の勘違い。




「記憶によれば午後3時15分頃」

チョロチョロ余震もあってビビリはしたけれど、とりあえず後片付けをしたり、下のフロアのオフィスを点検したりする。作業をしながら情報を聞くためにradikoでAM放送を聞く。書き忘れていたが、電気も水道もネットも異常なし。


その時、強い余震が来る。
こんどはいきなり縦揺れで始まった。先ほどの本震は震度5強と既に発表されていた。今回は震度5をちょっと切ったあたりの強さに感じた。しかし縦揺れ=大地震の先入観があるので怖かった。またまたキャビネットを押さえながら「この揺れがおさまったら、こんどは外に避難するぞ」と叫ぶ。今から考えれば私が一番ビビッていた(^^ゞ

ビルから出てみると、多くの人がいた。ビルのすぐそばにいると、窓ガラスが割れて落ちてきたら危ないので、道路の反対側に渡る。多少歩き回って見た限り、被害のある建物は見あたらないし火災も発生していない。後片付けをしているときお台場で火災発生とラジオで言っていたが、とりあえず銀座は無事のようである。

人が大勢いると何となく安心する。たまに見かける近所のどこかのビルにお勤めの、私が勝手に「銀座の押切もえ」と呼んでいる美人のおネエちゃんも発見(^^ゞ 街路樹や信号機とかが時々揺れるので余震が続いていることがわかる。しかし、やはり地面にいたほうが揺れは感じない。

ただし外にいると情報が入らない。携帯でネットやワンセグも見られるけれどバッテリーが消耗するのでやめた。何かあったときに携帯が使えないと困る。電池で聴けるラジオは必需品だと実感する。さて、外へ避難はしたものの、いつまで避難していればいいのかわからない。結局やや日が傾いて寒くなってきたので、特に根拠もなく避難命令を自主解除し?1時間ほどでオフィスに戻った。




「その後」

とりあえずオフィスに戻り、後片付けの続きをしたり、ついでにキャビネットの整理をしたりして、なんやかんやで2時間ほどかかる。オフィスの壁は一部に亀裂が入り、壁の塗料が割れて落ちている。表面だけ割れたのか内部まで亀裂が入っているのかは不明。トータルの被害は、棚から落ちて割れたガラスコップひとつと、壁から落ちて針が外れて使えなくなった壁時計がひとつ。恐怖の割には被害は軽微。協議の結果、地震保険の適用申請は出さないことに決まった(^^ゞ



電気やネットのライフラインは正常。鉄道がすべてストップしたことは想定もしていたし、ネットやradikoで確認できた。地震がなくても本日は仕事が溜まっていて、タクシーで帰宅になる予定だった。別に明日帰ってもいいやと、開き直って仕事を再開する。余震は断続的に続いたものの、電気はついていて部屋は暖かいし、縦揺れの時の恐怖もすっかり忘れて、もう全く普段通り。


radikoでAM放送はずっと流していた。7時過ぎ頃から帰宅難民の話が多くなる。レポーターが各地に出て、クルマが超混雑しているとか、歩いて帰る人が一杯いるとか報告している。歩いている人にインタビューしたり、メールで番組に投稿しているのか、歩いて帰る人から「とても疲れてきた」とか「寒くてたまらない」とか「途中のコンビニで食べ物が売り切れている」とかの報告が次々と寄せられる。

何となく違和感を覚えた。数時間前に同じ地震を体験した同士なのに、こっちはもうかえってくつろいで、ゆったりと珈琲を飲んだりクッキーを食べながら仕事をしているのに、放送だけを聞いていると東京がとても悲惨な状態になっているように聞こえてくる。やっぱり悲惨な話のほうが人々の関心を引くから、マスコミはそういう話を多く取り上げる。そういえば阪神大震災の時、テレビをつけたら高速道路が倒壊していたり、駅が崩れ落ちていたりの映像ばかりで、私はてっきり関西が全滅したと思ったのを思い出した。

海外のクライアントや提携先からもメールや電話が入り出す。距離が離れれば離れるほど、ニュースはよりいっそう凝縮して伝えられるから、ほとんど日本沈没のように伝えられているようだった。「全然、大丈夫。東京は問題ない」「電車以外はすべて平常」といってもなかなか信じてもらえない。 


東京に限っていえば揺れは大きかったものの、特別に大きな被害は出ていないようだったから、早々と終日運休を決めたJRをのぞけば、電車は深夜には動き出すと予想していた。高速道路が閉鎖されて道路は混雑しているようだが、午前2時か3時になればタクシーも捕まるはず。

しかしスタッフの1人が午後8時頃どうしても家に帰りたいと言い出した。その時点で電車は動いていない。放送によればタクシーもまだ絶望的。仕方がないので地図を持たせ、なぜかオフィスにあった使い捨てカイロを渡し、ついでにお菓子も与えて、まるで出征兵士を見送るように全員で無事を祈った(^^ゞ





「電車復旧〜帰宅」

午後10時頃から徐々に地下鉄や私鉄が運行を開始したとのニュースが伝わってきた。最初に復旧したのはたぶん銀座線だったと思う。ただししばらくして、復旧した銀座線に人が殺到したのでまた運休になったというニュースが。深夜零時頃には多くの路線が復旧し、また終電に関係なく朝まで運行を続けるということもわかってきた。私も電車で帰れそうである。ただその時点ではおそらく通勤ラッシュなみに混雑しているだろうし、まだ仕事も片付いていなかったので午前3時頃まで仕事を続けた。

運休しているJRでないと帰れないスタッフがいたので、彼と一緒にJRの始発時刻まで付き合うことにし、午前5時まで近くのバーで過ごした。いろいろ怖かったけれど、無事だったことに感謝して乾杯。ちなみにそのスタッフは中国人留学生のアルバイト。生まれ育ったのは地震のない地方らしく、その時点でまだ興奮さめやらぬ感じだった。


地下鉄に乗る。駅はそんなに混雑していなかった。電車が来るまで30分くらい待った。電車に乗ると会社で用意している防災グッズだろうか、ヘルメットを持っている人もチラホラみかけた。備えあれば憂いなしである。こんどこそ防災グッズセットを買おう!

駅で長く待ったので地下鉄が地上に出たとき夜は明けていた。無事帰宅しているという気持ちもあって、明るい街並みを見て幸せな気分になる。


しかしソロソロ次の心配が。
自宅で家具が倒れていたりしたらどうしよう。
バイクがひっくり返っていないかも心配。


私鉄に乗り換え最寄り駅に着く。
まずは商店街を抜けていく。どこか地震の被害のようなところがないか観察しながら歩く。まったくない。それどころか所々にある自転車とかスクーターとかもひっくり返らずきちんと停められている。もっとも地震が発生したのは前日の午後だから、停め直したのかもしれない。

しかし、しばらく歩いているうちに、このあたりは銀座と較べてあまり揺れなかったのかもしれないと思うようになった。たとえば台風があった後、後片付けが済んだとしても、どこか荒れたところが街並みに残っている。そんな形跡がまったくない。道路から見える家々の庭をのぞいても全く普通。


そうこうしているうちに自宅に到着。
リビングには大きな棚がある。あれがもし倒れていたら。まっすぐ倒れてくれればいいんだけれど、何かのはずみで回転しながら斜めに倒れたら。左に倒れたらパソコンの置いてあるデスクを直撃する。パソコンが壊れても困るが、さらにデスク天板はガラス製である(>_<)

祈るような気持ちでドアを開ける。
玄関異常なし。靴べらが転がっているだけ。
勇気を出してリビングのドアを開ける。
棚はーーー倒れていなかった。

棚に置いてある軽いものはすべて床に落ちていたが、その他は大丈夫。部屋全体を見ても、ほとんど異常はない。積み上げてあるCDも、そのまま積み上げられたまま。机の端っこに置きっぱなしだったコーヒーカップも同じ位置にあった。ベランダのチューリップも無事。やっぱり、このエリアはあまり揺れなかったのに違いない。

ちなみにオフィスで私が押さえていたキャビネットは2つ並んでいるのだが、地震の後は2つの隙間が5センチくらい空いてしまった。中に書類などが一杯詰まっているのでとても重い。中身を全部出さなければ動かせないものが、銀座では5センチ動くほど揺れたのである。


とりあえず一安心。
これならバイクもおそらく無事だろう。
ということで安心して爆睡する。


ーーーー続く。

wassho at 01:36|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2011年03月11日

ブラック化する検察

報道によると、全検事を対象としたアンケートで

  (1)任意性などに問題が生じかねない取り調べと感じる事例を、
     見たり聞いたりすることがあるーーー28%

  (2)実際の供述とは異なる特定の方向での供述調書の作成を指示された
     ことがあるーーー26%

  (3)起訴や公判を担当した事件が無罪になった場合、キャリアに
     マイナスになると考えるーーー31%

  (4)不正行為を内部通報したり、パワハラやセクハラを直訴したり
     すると、人事上の不利益を被る可能性があると感じる
                         ーーー20%以上

  (5)実際にパワハラなどを目撃したり体験したーーー44%


だそうである。


検察が絵に描いたような正義の味方だとは思っていない私だが、この数字はかなり衝撃的である。2番目の26%の数字を信じれば、検察の仕事の1/4はでっち上げだということになる。ただし、このアンケートのイヤらしいところは、どの程度でっち上げたかがわからないし、指示されたことがあるというだけで、指示に従ったとはなっていないところである。おそらく「指示したことがある」という質問はないに違いない(^^ゞ 腐っても検察、逃げ道に抜かりはない。

3番目と4番目は、そんなに驚く数字ではない。無罪=仕事の失敗に置き換えればサラリーマンにアンケートをしてもこんなものだろう。ただしパワハラなどを目撃したり体験した44%は驚くべき数字。検察はもはやブラック企業と化しているらしい。


鯛は頭から腐るというけれど、この国はいつの間にこんなにダメダメになったんだろう。まともに戻るときは来るのか? あるいは茹でガエルとして滅びるのかな?

話は脱線するが、日本が大きく変貌したのは明治維新と敗戦後である。明治維新はペリーの黒船来航がきっかけだし、敗戦後の日本はマッカーサーが厚木に降り立ったときから始まった。そんなことから日本は外からの刺激がないと変化しないともいわれる。

まあそうかもしれない。基本的に日本人はのんびりとした民族である。何か外からの刺激がないと変われないとするならば、いっそ中国にお願いして、尖閣諸島だけではなく日本を丸ごと侵略・占領いただいて、その後に独立戦争でも起こしてやり直すくらいしかないのかなと思うくらい情けないアンケート結果だと私には思える。



もっとも調査結果というものは、その一部を取り出してみただけでは真実とかけ離れている場合もある。逆に言えば調査結果で嘘をついたり、ごまかしたりすることはいくらでもできる。単純な手口は自分の都合のいいところだけを取り上げ、都合の悪いところはなかったことにすること。マスコミもこの手はよく使う。というわけで調査の全体を知るまで、中国に侵略・占領をお願いするのはやめておこう(^^ゞ


ついでに調査結果をねつ造する高等テクニックをひとつ。

新発売予定のとある商品があった。
年配男性向けの商品である。
広告プランがあがってきた。
なぜか、そこにはややミニスカートのセクシーな女性が。
それを知って社長は激怒した。
「若者向け商品ならいざ知らず、年配男性がこんなものを見たら、
なんと卑猥(ひわい)な広告だと思うに決まっている、刺激が強すぎる」と。
しかし、宣伝担当者はこの広告が気に入っていて是非採用したい。
これこそが、自社の企業イメージを変える広告だと信じている。


社長と、宣伝担当者のどっちが正しいかは、この際関係ない。

与えられたミッションは年配男性を対象に、その広告を見せて卑猥と拒絶されるかどうかを調査すること。そして世の中には何事も表と裏がある。宣伝担当者の熱意が通じたのか、調査担当者もその広告に肩入れしている。つまり調査の結論は「卑猥と拒絶されなかった」でなければならない。雇い主の意向に答えるのがプロの義務である。支払いは社長ではなく、調査担当者の決裁であった(^^ゞ


高等テクニックと書いたけれど、
実務的には、この程度は別に難しくも何ともない。
小細工は入らない。きわめて正直に調査をすればよい。


年配男性を集めてこういう。

「これは新しい広告のプランです。ごらんのようにややミニスカートの女性がモデルになっています。ところで社内でこの広告を検討したところ、若者向けの広告ならいいかもしれないが、皆さんのような【年配の方々】には、このミニスカートを卑猥に思われるのではないか、皆さんのような【年配の方々】には刺激が強すぎるのではないかという意見もあったのですが、【年配の方々】である皆さんはどう思われますか?」



どんな調査結果になったかは想像にお任せする。もちろん、これは私の体験談ではなく、業界で語られる噂であることを付け加えておく。






※リンクした新聞記事はいつかなくなるので、
続きを読むのところに引用しておきます続きを読む

wassho at 01:52|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 | マーケティング、ビジネス

2011年03月06日

バイクの革ジャンの話

この週末はいい天気だったけれど、
何かと溜まった仕事があるのでバイクには乗れずで残念。

というわけで土曜日曜は、自宅にこもりきって仕事をしていた。
ところでこの2日間、暖房はほとんどつけていない。
えっ? バイク買ったら電気代払えなくなったのかって?
う〜ん、今のところ大丈夫(^^ゞ


なぜかというとバイク用の革ジャンを買って、それを家の中でも着ていたから。 
そんなにうれしいのかって? うれしいけれど、初めて野球のユニフォームを買ってもらった子供じゃないから、別にうれしくてうれしくて革ジャンを家の中で着ていたわけじゃない。正解は革ジャンを体に馴染ませるため。


革ジャンの中には、とっても固い革を使っているものがあって、体に馴染むまで3年かかるとか、新品のうちは脱いで床に置いたら革ジャンがそのまま立つ!ーーーというようなものがある。固い革=安物ではなくて、一部の革ジャンマニアが好む高級ブランドにそういうハードな製品がある。私が買ったのはそういうタイプではまったくなくて、ソフトな仕上げ。それでもやっぱり最初はどことなく窮屈。

自宅では、ずっとデスクワークをしていたから身体はあまり動かしていない。それでも2日間着ていたらずいぶん身体に馴染んだ感じがしてきた。実は来週もバイクに乗れそうにないのだが、早くこれを着て乗ってみたい。気温的には来々週あたりのほうが革ジャン向きかもしれない。

ちなみに革ジャンは風を通さないから寒い季節向きのように思われがち。しかし気温がとても低いと、革もとても冷たくなって、その冷たさが身体を冷やすので、あまり真冬には向かない。それにバイク用の革ジャンはタイトフィットだから、革ジャンの下にあまり着込めない。



35年ぶりのリターンライダーにとって、昔と一番違うのはバイクそのものより、バイクウエアに対する安全性の考え方である。35年前にはレースの世界をのぞけば、そんな考えはなかった。私が一番好んで着ていたバイクファッションはアロハシャツに半ズボンである(^^ゞ ヘルメットも暑いので夏はほとんど被っていなかった(まだ法律で義務化されていなかった時代である)。

いつの頃からか、街で走っているバイクを見て「夏でも長袖を着ているなあ〜、手袋までしているなあ〜」と思っていた。そして今の(いつからそうなったかは知らないが)バイクウエアはいろんなプロテクターが仕込んであって、転倒などしたときに多少は身体を守るようになっている。肩と肘が一番ポピュラー。その次が背中。胸用がついているものはまだ少ないようである。


ところで問題は、バイク用のウエアメーカーはいっぱいあるのだけれど、カジュアルでおしゃれな感じのウエアを作っているメーカーは、この種のプロテクター装着に熱心ではなく、プロテクターが充実しているメーカーは、元々レース用のウエアなどを作っていたメーカーで、ファッション性に欠けるウエアが多いことである。

もちろんバイク用でないウエアにプロテクターをつけるには、大改造が必要なので現実的でない。ウエアによる安全性なんて考えがなかった35年前は気にもしていなかったことだが、そういう考え・製品を知ってしまった今は、もうアロハに半ズボンでバイクに乗る勇気はなくなってしまった。


というわけで、プロテクターを装着できて、そこそこファッション的に気に入った革ジャンを選ぶのはなかなか難しかった。黒一色なのはパス。やたら派手に胸や背中にロゴの入っているものもパス。バイクウエアのほとんどがそうだけれど、できそこないのスキーウエアのように無意味に部分的にカラー使いをしているものももちろんパス。



革ジャン レブイット
ネットでいろいろ調べて第一候補だったのがこれ。レブイットというオランダのメーカー。胸のプロテクターはつかないものの、肩・肘・背中は標準装備。胸のあたりに穴が開いているの気になったが、真冬には着ないからと妥協。何となくクラシックにレーシングなデザインが私好み。なぜかポール・ニューマンを思い出した。

ところが店頭で見てみると袖が「切りっぱなし」。普通、袖の部分は内側に折り返して縫ってあるはずなのに、革の断面がそのまま。ということで却下。レブイットはどちらかといえば高級ブランドなのに、同じブランドのほかの革ジャンは切りっぱなしじゃないのに不可解。



革ジャン ベロシティ
次に候補になったのがこれ。アルパインスターというイタリアのメーカー。ここはレーシングスーツも作っているので、プロテクターは胸・肩・肘・背中とバッチリ。これもクラシックに少しレーシングな雰囲気。パソコンじゃわかりにくいかもしれないが革は紺色である。



革ジャン ドリフト
同じく候補がこれ。これもアルパインスター。ちょっとレトロにスポーティーな感じ。胸にメーカーロゴが入っているものの控えめな配色。写真じゃギリギリしか見えないが、胸のボーダーの配色は腕の裏側までつながっていて、実物は全体的にもうちょっと明るい感じがする。



どっちにするか迷ったけれど、結局茶色のほうにした。
これの色違い(黒に白のボーダー)は店頭で見たことがあって、何となくイメージがつかめたのに対し、紺色のほうは現物を見たことがなかったので、ストライプやワッペンの賑やかさ加減がわからず、安全策をとったというかーーー。それに紺の革ジャンのジッパー、ちょっと短くねえ?


この革ジャン定価は7万円ほどである。
ところがネットでメーカー直営のショップで買うと500ドル。1ドル85円と高めに計算しても4万2500円。送料44.75ドル(3800円)と関税1200円を取られたけれど、それでも合計4万7500円。日本で買うより2万2500円も安い。もちろんネットで買った。いわゆる個人輸入というやつ。ネットのページは英語だが、基本的に商品をクリックして名前と住所をローマ字で書くだけだから難しいことはない。注文から到着まで10日ほどだった。もちろんサイズは店頭で試着しているので問題なし(^^ゞ


というわけでバイクに乗り始めたら、買い物も賢くなったというお話でした。

wassho at 23:50|PermalinkComments(0)   *バイク関連 

2011年03月02日

チューリップ観察日記2011年2月27日

ここしばらくの東京の最高気温は

   2月25日(金) 20.8度
   2月26日(土) 10.8度
   2月27日(日) 18.7度
   2月28日(月)  9.5度
   3月01日(火)  7.8度
   3月02日(水) 10.3度

と10度の乱高下を繰り返した後、ちょっと寒めで推移。

ちなみに私が寒いかどうかの目安としているのは最高気温10度。
昔よくジョギングしていた頃、最高気温が10度を下回ると辛かったので。もちろん晴れてるか曇っているか、風があるかないかで違うのだが、キリのいい数字なので10度が今でも心の中の基準になっている。それはともかく、今年こそ暖かくなったらまた走ろう。


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12月19日にチョロッと芽を出したチューリップはこんな感じになった。
写真は2月27日の日曜日に撮影。

けっこう成長に差がある。写真は斜め上から撮っているのでわかりにくいけれど、それぞれの鉢の大きさに応じて均等な間隔に球根を植えたはずなのに、芽の出ているところと出ていないところがある。今の時点で芽のでないところはもう出ないのかな? 逆に出ているところは、ちょっと密集しすぎているような気もする。


まだまだ寒い日があると思うけれど
チューリップの成長を見ていると
春はそろそろ近いということで。

wassho at 23:57|PermalinkComments(0)   *チューリップ