2011年04月
2011年04月30日
ヤビツ峠〜宮ヶ瀬湖
海派か山派かと問われれば、私はだんぜん海派なんだけれど、
たまには山も走ろうということで。
今回は友人と一緒にツーリング。航空写真(グーグルマップからの引用)でAとなっているところが駒沢公園で、ここに午前7時に集合(写真はクリックすると大きくなります)。渋滞を避けるのと、帰りが暗くなるのはイヤなので早朝出発。ゴルフをやめてから、こんなに朝早くから遊ぶのは久しぶりの気がする。
そこから国道246号線を西にひたすら下っていく。246号は都心の青山界隈では青山通りと呼ばれ、渋谷から多摩川までは玉川通り(なぜか漢字が違う)、神奈川県に入ってからは厚木街道と名前の多い道路である。
伊勢原市を走っていると、突然富士山が現れる。
Bの地点がヤビツ峠の入り口。一応ナビもセットして出かけたが、ここまで一本道だし、ヤビツ峠の標識もあるので迷うことはない。ここから県道70号線を北上。クルマもバイクも走るけれど、どちらかといえばサイクリング道路として有名。この日もロードレーサー(スポーツタイプの自転車)に乗った健脚自慢がたくさん。私なら電動アシスト自転車でも無理だけど。
宮ヶ瀬湖までは約30キロ。そのほとんどが1車線か1車線半程度の細い道。ヤビツ峠まではバスも走っていて、すれ違い渋滞が起きる。この日は間違って迷い込んできたと思われる大型トラックがいて、途中からヤビツ峠までノロノロ運転だった。
ヤビツ峠到着。
私のバイクには気温計がついていて、国道246号を走っている時は16.5度、ここでは14.5度だった。まだ朝だから革ジャン(インナーは外してある)を着ていてもちょっと寒い。
サクラが残っていた。
名前は知らない白い花。
ヤビツ峠は山歩きのスタート地点でもある。
バスに乗って続々とハイカーがやってくる。
圧倒的に高齢者が多い。私もそのうち、こうなるのか?
私のBMW F800Rと、友人のアプリリアというメーカーのバイク。
アプリリアはイタリアのメーカーで、ヨーロッパでは最大規模なのに、日本ではとてもマイナーな存在。
ヤビツ峠から宮ヶ瀬湖までは、超クネクネ道が続く。道路幅も細く、コーナーはきついし、対向車の心配もあるのでスピードもあまり出せない。でも35年ぶりのリターンライダーには適した道かもしれない。さっきまでと違い道路はガラガラ。
いろいろと景色のよいところもあったものの、バイクを停めてポケットからカメラを取り出すのも何となくおっくうで撮影せず。首からカメラをぶら下げればいいのかな。でも揺れるし、小さいとはいえデジカメはそれなりに重いし。ツーリング途中の風景の写真撮影は今後の課題。なお途中「護摩屋敷」という銘水のわき出る場所があるのだが見落としてしまったのが心残り。
午前10時半、宮ヶ瀬湖到着。(航空写真のC地点) 途中での休憩を除くと、ここまでの走行時間は2時間半くらい。
最初に停めた駐車場より。
広い湖なので、ここがどこなのかいまいちよくわからず。
カヌーに乗っている人
遭難しているように見えなくもない(^^ゞ
湖畔をブラブラ走る。さっきまで走ってきた県道70号と違い、道幅も広く長い直線と適度なカーブで走りやすい。観光地ドライブ気分を満喫する。ネズミ取り(スピード取り締まり)も多いらしいが、この日は見かけなかった。ちなみに宮ヶ瀬湖は、いわゆるダム湖で完成は1998年と新しい。神奈川県民は知っていても、首都圏全体での知名度はあまり高くない。
オレンジツリーというレストランで早めにランチ。チキンのコンフィ・バルサミコソースというものを頼んだ。コンフィって何?と尋ねると、チキンをラードで煮込んでから焼いたものという返事だったので、ちょっと躊躇したが、別に油っぽくもなく適度にコクがあっておいしかった。一応フランス料理らしい。ついでに生まれて初めてノンアルコール・ビールも飲む。ビールの味はするけれど、やっぱり酔わないとつまらない(^^ゞ
湖畔をグルグル走りながら停まったのは鳥居原というところ。宮ヶ瀬湖にはいくつかの公園があって、駐車場は有料のところと無料のところに分かれている。鳥居原は無料でバイクも3〜40台ほど集まっていた。
ノ〜ンビリとした、いいところである。
湖畔近くまで下っていく道。
戻りの登りはキツかった(^^ゞ
友人の持ってきたコンロで珈琲を淹れる。
そのために途中で銘水を汲むはずだったのだ。シカズ、こんなこともあろうかとミネラルウォーターも持参。なお東京では500mLのペットボトルは買えるようになった。2リッターは私が店に行く時間ではまだ見かけない。
帰りはD地点まで県道64号線を下る。70号線と較べれば道幅も広くカーブも適度。クルマでドライブを楽しむなら、こっちの道がお勧め。ところで今回のツーリングのテーマは「ヤビツ峠のクネクネ道を走り、宮ヶ瀬のダムでも見るツアー」のはずだったが、なんとダムを見るのを忘れた(^^ゞ
往きと同じ道じゃつまらないので、帰りは中原街道(航空写真のDからE)を走る予定だった。しかし渋滞が激しかったので途中で246に戻って帰ってきた。ちなみに帰りの気温は22〜23度。革ジャンだとちょっと暑かった。
午後4時半頃、無事帰宅。走行180キロ。
当たり前だけど、バイク的には山道は楽しい。
森林浴もできて楽しいツーリングでした。
たまには山も走ろうということで。
今回は友人と一緒にツーリング。航空写真(グーグルマップからの引用)でAとなっているところが駒沢公園で、ここに午前7時に集合(写真はクリックすると大きくなります)。渋滞を避けるのと、帰りが暗くなるのはイヤなので早朝出発。ゴルフをやめてから、こんなに朝早くから遊ぶのは久しぶりの気がする。
そこから国道246号線を西にひたすら下っていく。246号は都心の青山界隈では青山通りと呼ばれ、渋谷から多摩川までは玉川通り(なぜか漢字が違う)、神奈川県に入ってからは厚木街道と名前の多い道路である。
伊勢原市を走っていると、突然富士山が現れる。
Bの地点がヤビツ峠の入り口。一応ナビもセットして出かけたが、ここまで一本道だし、ヤビツ峠の標識もあるので迷うことはない。ここから県道70号線を北上。クルマもバイクも走るけれど、どちらかといえばサイクリング道路として有名。この日もロードレーサー(スポーツタイプの自転車)に乗った健脚自慢がたくさん。私なら電動アシスト自転車でも無理だけど。
宮ヶ瀬湖までは約30キロ。そのほとんどが1車線か1車線半程度の細い道。ヤビツ峠まではバスも走っていて、すれ違い渋滞が起きる。この日は間違って迷い込んできたと思われる大型トラックがいて、途中からヤビツ峠までノロノロ運転だった。
ヤビツ峠到着。
私のバイクには気温計がついていて、国道246号を走っている時は16.5度、ここでは14.5度だった。まだ朝だから革ジャン(インナーは外してある)を着ていてもちょっと寒い。
サクラが残っていた。
名前は知らない白い花。
ヤビツ峠は山歩きのスタート地点でもある。
バスに乗って続々とハイカーがやってくる。
圧倒的に高齢者が多い。私もそのうち、こうなるのか?
私のBMW F800Rと、友人のアプリリアというメーカーのバイク。
アプリリアはイタリアのメーカーで、ヨーロッパでは最大規模なのに、日本ではとてもマイナーな存在。
ヤビツ峠から宮ヶ瀬湖までは、超クネクネ道が続く。道路幅も細く、コーナーはきついし、対向車の心配もあるのでスピードもあまり出せない。でも35年ぶりのリターンライダーには適した道かもしれない。さっきまでと違い道路はガラガラ。
いろいろと景色のよいところもあったものの、バイクを停めてポケットからカメラを取り出すのも何となくおっくうで撮影せず。首からカメラをぶら下げればいいのかな。でも揺れるし、小さいとはいえデジカメはそれなりに重いし。ツーリング途中の風景の写真撮影は今後の課題。なお途中「護摩屋敷」という銘水のわき出る場所があるのだが見落としてしまったのが心残り。
午前10時半、宮ヶ瀬湖到着。(航空写真のC地点) 途中での休憩を除くと、ここまでの走行時間は2時間半くらい。
最初に停めた駐車場より。
広い湖なので、ここがどこなのかいまいちよくわからず。
カヌーに乗っている人
遭難しているように見えなくもない(^^ゞ
湖畔をブラブラ走る。さっきまで走ってきた県道70号と違い、道幅も広く長い直線と適度なカーブで走りやすい。観光地ドライブ気分を満喫する。ネズミ取り(スピード取り締まり)も多いらしいが、この日は見かけなかった。ちなみに宮ヶ瀬湖は、いわゆるダム湖で完成は1998年と新しい。神奈川県民は知っていても、首都圏全体での知名度はあまり高くない。
オレンジツリーというレストランで早めにランチ。チキンのコンフィ・バルサミコソースというものを頼んだ。コンフィって何?と尋ねると、チキンをラードで煮込んでから焼いたものという返事だったので、ちょっと躊躇したが、別に油っぽくもなく適度にコクがあっておいしかった。一応フランス料理らしい。ついでに生まれて初めてノンアルコール・ビールも飲む。ビールの味はするけれど、やっぱり酔わないとつまらない(^^ゞ
湖畔をグルグル走りながら停まったのは鳥居原というところ。宮ヶ瀬湖にはいくつかの公園があって、駐車場は有料のところと無料のところに分かれている。鳥居原は無料でバイクも3〜40台ほど集まっていた。
ノ〜ンビリとした、いいところである。
湖畔近くまで下っていく道。
戻りの登りはキツかった(^^ゞ
友人の持ってきたコンロで珈琲を淹れる。
そのために途中で銘水を汲むはずだったのだ。シカズ、こんなこともあろうかとミネラルウォーターも持参。なお東京では500mLのペットボトルは買えるようになった。2リッターは私が店に行く時間ではまだ見かけない。
帰りはD地点まで県道64号線を下る。70号線と較べれば道幅も広くカーブも適度。クルマでドライブを楽しむなら、こっちの道がお勧め。ところで今回のツーリングのテーマは「ヤビツ峠のクネクネ道を走り、宮ヶ瀬のダムでも見るツアー」のはずだったが、なんとダムを見るのを忘れた(^^ゞ
往きと同じ道じゃつまらないので、帰りは中原街道(航空写真のDからE)を走る予定だった。しかし渋滞が激しかったので途中で246に戻って帰ってきた。ちなみに帰りの気温は22〜23度。革ジャンだとちょっと暑かった。
午後4時半頃、無事帰宅。走行180キロ。
当たり前だけど、バイク的には山道は楽しい。
森林浴もできて楽しいツーリングでした。
2011年04月27日
サイマルラジオ
radikoというのはネットでラジオ放送を聴けるサービス。
去年の3月にこんなことを書いた。
地震の時は重宝した。
radikoにはエリア制限がかかっていて、基本的に電波でラジオ放送を聴けるエリアでしか、ネットでもラジオを聴けない。いろんな地域のラジオ局が参加しているのだが、ホームページには聴けるラジオ局しか表示されないので、いったいどんなラジオ局が参加しているのかすらも、あちこちクリックしないとわからない。
3.11地震が起きたときは一時的にその制限を解除したようだが、4月になったらまた元のような制限が復活した。
radikoのホームページによると
■■■■■■■■■■■■
radiko.jpは、パソコンがそのままラジオ受信機となる「IP(Internet Protocol)サイマルラジオ」の配信サービスです。 独自コンテンツ、エリア制限なしという通常のインターネットラジオサービスとは異なり、地上波ラジオ放送をCMも含め、そのまま同時に放送エリアに準じた地域に配信するサイマルサービスです。
■■■■■■■■■■■■
ーーーと、サイマルというほとんどの人が知らない言葉で説明しているというか、煙に巻こうとしている。サイマルというのは同時にという意味だから、エリア制限とは関係ない。でもこの説明を読んだ何割かの人は「サイマルサービスだから仕方がないか」と誤解するだろうし、おそらくそれは狙いのうちだろう。
エリア制限があるのは、放送免許は電波の届くエリアに対して発行されているし、スポンサー料もそのエリアの人口をベースに決められているからだろう。また著作権等の問題も関連する(はず)。つまりインターネットという技術の進歩と、昔ながらの仕組みがマッチしないという事例の典型がradikoである。有料会員を募って、その会員にだけ制限を解除するというニュースもあったが、金を払って聴くだけの価値のあるラジオ局がどれだけあるのかは疑問。
まあradikoというのは「残念な」サービスではあるけれど、高音質ラジオと割り切って利用すれば、それなりの価値があるのは前回書いたとおり。
と、ここまでは例によって長い前振り。
最近見つけたんですわ、
全国各地のコミュニティ放送(ミニFM局)がネットで聴けるサイトを。
その名もなんとサイマルラジオ。
サイマルとは同時とか一緒という意味。つまりラジオを電波でもネットでも聴けるからサイマル。ここは煙に巻こうといういやらしさはない。
全部で何局あるか数えていない。とにかくたくさんある。ただホームページをざっと見た程度では、この仕組みというか組織をどこが運営しているのかは不明。
もうすぐゴールデンウイーク。どこにも行く予定のない人は、各地のコミュニティ局を聞きくらべしてみたら? おもしろい局があったら教えてね(^^ゞ
去年の3月にこんなことを書いた。
地震の時は重宝した。
radikoにはエリア制限がかかっていて、基本的に電波でラジオ放送を聴けるエリアでしか、ネットでもラジオを聴けない。いろんな地域のラジオ局が参加しているのだが、ホームページには聴けるラジオ局しか表示されないので、いったいどんなラジオ局が参加しているのかすらも、あちこちクリックしないとわからない。
3.11地震が起きたときは一時的にその制限を解除したようだが、4月になったらまた元のような制限が復活した。
radikoのホームページによると
■■■■■■■■■■■■
radiko.jpは、パソコンがそのままラジオ受信機となる「IP(Internet Protocol)サイマルラジオ」の配信サービスです。 独自コンテンツ、エリア制限なしという通常のインターネットラジオサービスとは異なり、地上波ラジオ放送をCMも含め、そのまま同時に放送エリアに準じた地域に配信するサイマルサービスです。
■■■■■■■■■■■■
ーーーと、サイマルというほとんどの人が知らない言葉で説明しているというか、煙に巻こうとしている。サイマルというのは同時にという意味だから、エリア制限とは関係ない。でもこの説明を読んだ何割かの人は「サイマルサービスだから仕方がないか」と誤解するだろうし、おそらくそれは狙いのうちだろう。
エリア制限があるのは、放送免許は電波の届くエリアに対して発行されているし、スポンサー料もそのエリアの人口をベースに決められているからだろう。また著作権等の問題も関連する(はず)。つまりインターネットという技術の進歩と、昔ながらの仕組みがマッチしないという事例の典型がradikoである。有料会員を募って、その会員にだけ制限を解除するというニュースもあったが、金を払って聴くだけの価値のあるラジオ局がどれだけあるのかは疑問。
まあradikoというのは「残念な」サービスではあるけれど、高音質ラジオと割り切って利用すれば、それなりの価値があるのは前回書いたとおり。
と、ここまでは例によって長い前振り。
最近見つけたんですわ、
全国各地のコミュニティ放送(ミニFM局)がネットで聴けるサイトを。
その名もなんとサイマルラジオ。
サイマルとは同時とか一緒という意味。つまりラジオを電波でもネットでも聴けるからサイマル。ここは煙に巻こうといういやらしさはない。
全部で何局あるか数えていない。とにかくたくさんある。ただホームページをざっと見た程度では、この仕組みというか組織をどこが運営しているのかは不明。
もうすぐゴールデンウイーク。どこにも行く予定のない人は、各地のコミュニティ局を聞きくらべしてみたら? おもしろい局があったら教えてね(^^ゞ
2011年04月25日
海浜公園巡り
先日たまたま訪れた若洲海浜公園がなかなかよかったので、日曜日にバイクで東京湾にある海浜公園巡りをしてきた。
イラストの地図は東京都港湾局が作成したもの。全部で40カ所近くある。(写真や地図はクリックすれば大きくなる) このイラストに載っているのは都立であり、ほかに区立の公園もあるから、とにかく東京には海のそばの公園がたくさんある。
下の地図はグーグルの引用。
地図の真ん中、0(ゼロ)で記したのが若洲(わかす)海浜公園。ゴルフ場とキャンプ場がある大きな公園。東対岸にはディズニーランドが見える。堤防には釣り人が出ていて、先日訪れたときは47センチのナントカ鯛(たい)という立派な魚を釣り上げた人がいた。47センチと詳しいのは釣り上げてサイズを測っているのを見ていたから。ただ水は汚いから、たぶん食べられない。このときはカメラを持っていなかったので写真はナシ。
さて地図の左上のほうにある矢印の始点、有楽町マリオンの「ン」があるところが和光の時計台で有名な銀座4丁目の交差点。自宅からだともっと東京湾沿いを走ったほうが臨海エリアに近いが、自宅から銀座に向けて走ると東京タワーと皇居と、日曜なら銀座の歩行者天国が見られて観光気分が味わえるのでこっちのルートを選ぶ。
最初は公園ではなく豊海(とよみ)埠頭。地図の「1」のところ。写真に写っている吊り橋はレインボーブリッジ。左側の建物群がお台場の再開発エリア。銀座からここまで10分もかからない。がんばれば歩いても来られる距離。
海鷹丸(うみたかまる)という船が停泊していた。
有名な練習船らしい。
埠頭で対岸を背景にバイクを撮影。私のバイクはBMWのF800Rという車種。
今日で乗るのは10回目くらいかな。
いつも跨るだけだから、こういう風にちょっと離れてじっくりバイクを眺めたのは初めてかもしれない。
遊覧船がのんびりと。
ここは都心から一番近い埠頭なので昔からよく来ている。運河だから海ほどの開放感はないが、それでも普段見ている景色とは違うので気分転換になる。夜は対岸の夜景がきれいである。
次に向かったのはお台場。
ところで今日は風が強かった。地図を見ればわかるように海浜公園巡りをするには、運河に架かっている大きな橋を渡っていく。橋の上はかなり風がきついし、ときどきドーンと突風が来る。ヘルメットを被っていると風の影響を受けやすいので、顔が30度くらい横を向いてしまうこともあった。バイクの進路にはほとんど影響はないが、とにかく怖かった(涙)
お台場ではお台場海浜公園というのが一番有名。有名ということは人も多いので、本日は道路からチラッと見ただけでパスして、暁(あかつき)埠頭公園というお台場の一番はずれにある公園に向かう。「2」のところ。
埋め立て地の端っこに作った細長い公園。
堤防の下の岩。
水質はごらんの通りドブ池レベル。
地図で南東にある中防不燃ゴミ処理センターというところが対岸。風力発電の風車が少しだけ見える。
小さな細長い公園だし、景色もいいとはいえないけれど、水辺というのはそれなりに落ち着くしのんびりできる。
松の木の下に停めたバイク。
風情ある?
暁(あかつき)埠頭公園から海底トンネルを2つくぐって向かったのが、本日のメインイベントである「3」の城南島(じょうなんじま)海浜公園。北側の対岸は羽田空港である。
かなり大きな公園。
ただし、ここも風が強かった。
今日だけじゃなく、いつも風は強いのかも。海風(右側)に順応して横に広がった木。
羽田空港の着陸コースの真下にあるので、飛行機が間近で見られる公演としても有名。飛行機の音はうるさいけれど、そういう公園だと思って訪れているから、それほど気にならない。
ところで飛んでる飛行機なんて初めて撮った。意外と撮影が難しい。あっ来た来たと思ってカメラを構えても、液晶画面に捉えられないことが何回もあった。ナゼニ?
芝生の公園の隣に遊歩道。
それを超えると砂浜。
もちろん埋め立て地に砂を入れた人工海浜である。
でもやっぱり、砂浜の波打ち際はいいね。
水は汚くても砂はきれい。
写真の下に私も影で写っています(^^ゞ
泳いだりウインドサーフィンは禁止。潮干狩りはできるらしい。潮の香りはあまりしない。
羽田空港。ちょっとズームにして撮影したので、実際にはもっと遠くに見える。
この城南島(じょうなんじま)海浜公園は、自宅から直接来ればバイクで30分くらいの距離。こんな近くに、こんないい場所があるとは思わなかった。
臨海・埋め立て地エリアというのは道路的にはバイクで走る楽しさはない。でも、なんといっても手軽な距離だし、私の場合、海を見るのが何よりの気分転換、ストレス解消になる。ということで東京の全部の海浜公園を制覇することに決めた!
イラストの地図は東京都港湾局が作成したもの。全部で40カ所近くある。(写真や地図はクリックすれば大きくなる) このイラストに載っているのは都立であり、ほかに区立の公園もあるから、とにかく東京には海のそばの公園がたくさんある。
下の地図はグーグルの引用。
地図の真ん中、0(ゼロ)で記したのが若洲(わかす)海浜公園。ゴルフ場とキャンプ場がある大きな公園。東対岸にはディズニーランドが見える。堤防には釣り人が出ていて、先日訪れたときは47センチのナントカ鯛(たい)という立派な魚を釣り上げた人がいた。47センチと詳しいのは釣り上げてサイズを測っているのを見ていたから。ただ水は汚いから、たぶん食べられない。このときはカメラを持っていなかったので写真はナシ。
さて地図の左上のほうにある矢印の始点、有楽町マリオンの「ン」があるところが和光の時計台で有名な銀座4丁目の交差点。自宅からだともっと東京湾沿いを走ったほうが臨海エリアに近いが、自宅から銀座に向けて走ると東京タワーと皇居と、日曜なら銀座の歩行者天国が見られて観光気分が味わえるのでこっちのルートを選ぶ。
最初は公園ではなく豊海(とよみ)埠頭。地図の「1」のところ。写真に写っている吊り橋はレインボーブリッジ。左側の建物群がお台場の再開発エリア。銀座からここまで10分もかからない。がんばれば歩いても来られる距離。
海鷹丸(うみたかまる)という船が停泊していた。
有名な練習船らしい。
埠頭で対岸を背景にバイクを撮影。私のバイクはBMWのF800Rという車種。
今日で乗るのは10回目くらいかな。
いつも跨るだけだから、こういう風にちょっと離れてじっくりバイクを眺めたのは初めてかもしれない。
遊覧船がのんびりと。
ここは都心から一番近い埠頭なので昔からよく来ている。運河だから海ほどの開放感はないが、それでも普段見ている景色とは違うので気分転換になる。夜は対岸の夜景がきれいである。
次に向かったのはお台場。
ところで今日は風が強かった。地図を見ればわかるように海浜公園巡りをするには、運河に架かっている大きな橋を渡っていく。橋の上はかなり風がきついし、ときどきドーンと突風が来る。ヘルメットを被っていると風の影響を受けやすいので、顔が30度くらい横を向いてしまうこともあった。バイクの進路にはほとんど影響はないが、とにかく怖かった(涙)
お台場ではお台場海浜公園というのが一番有名。有名ということは人も多いので、本日は道路からチラッと見ただけでパスして、暁(あかつき)埠頭公園というお台場の一番はずれにある公園に向かう。「2」のところ。
埋め立て地の端っこに作った細長い公園。
堤防の下の岩。
水質はごらんの通りドブ池レベル。
地図で南東にある中防不燃ゴミ処理センターというところが対岸。風力発電の風車が少しだけ見える。
小さな細長い公園だし、景色もいいとはいえないけれど、水辺というのはそれなりに落ち着くしのんびりできる。
松の木の下に停めたバイク。
風情ある?
暁(あかつき)埠頭公園から海底トンネルを2つくぐって向かったのが、本日のメインイベントである「3」の城南島(じょうなんじま)海浜公園。北側の対岸は羽田空港である。
かなり大きな公園。
ただし、ここも風が強かった。
今日だけじゃなく、いつも風は強いのかも。海風(右側)に順応して横に広がった木。
羽田空港の着陸コースの真下にあるので、飛行機が間近で見られる公演としても有名。飛行機の音はうるさいけれど、そういう公園だと思って訪れているから、それほど気にならない。
ところで飛んでる飛行機なんて初めて撮った。意外と撮影が難しい。あっ来た来たと思ってカメラを構えても、液晶画面に捉えられないことが何回もあった。ナゼニ?
芝生の公園の隣に遊歩道。
それを超えると砂浜。
もちろん埋め立て地に砂を入れた人工海浜である。
でもやっぱり、砂浜の波打ち際はいいね。
水は汚くても砂はきれい。
写真の下に私も影で写っています(^^ゞ
泳いだりウインドサーフィンは禁止。潮干狩りはできるらしい。潮の香りはあまりしない。
羽田空港。ちょっとズームにして撮影したので、実際にはもっと遠くに見える。
この城南島(じょうなんじま)海浜公園は、自宅から直接来ればバイクで30分くらいの距離。こんな近くに、こんないい場所があるとは思わなかった。
臨海・埋め立て地エリアというのは道路的にはバイクで走る楽しさはない。でも、なんといっても手軽な距離だし、私の場合、海を見るのが何よりの気分転換、ストレス解消になる。ということで東京の全部の海浜公園を制覇することに決めた!
2011年04月22日
危機管理〜そもそもシステムとは
今日ドイツのクライアントと電話で話したら、地震についての状況をよく知っているのでびっくりした。ドイツでも毎日報じられていて、いまや原発のある「フクシマ」という地名を知らない人はいないらしい。
さて地震後の政府の対応にはいろいろと批判がある。私も思うところはあるけれど、総じていえば実はあまり批判的ではない。事態の大きさ、複雑さを考えれば、まああんなものかな、大きなミスを連発はしていないしーーーという気がしている。オマエならもっと上手く対処できるかと問われれば、あの程度くらいしかできないかもと答えると思う。もちろんより適切な対処がなされることは期待している。
以前にも書いた気がするが、物事にいい面と悪い面があれば、人間は悪い面に目がいくように設計されている。いい面はそのままでOKだが、悪い面をほうっておくと自分に悪影響がおよぶ危険性があるからである。だから人を誉めるのは難しくても悪口を言うのは簡単。
ーーーなんだけど、どうも最近の、といってもずいぶん昔からであるが、バッシングというか揚げ足取りは度を超えているような気がする。マスコミは本能的に「ウケル記事」を書こうとする→誉めるより悪口のほうがウケルことも本能的に知っている→だから最初から批判する文脈で構成して、それから事実を当てはめていくーーーという癖がついているように思えてならない。コメンテーターなら何か一言文句をつけなければ仕事が来ないのかも。まあこれは今回の地震に限った話じゃない。
さて話は変わるが「システム」という言葉には、現在大きくは2つの意味がある。お仕事は何ですかと尋ねて「システム関係です」というような答えが返ってきた場合は、コンピューターやパソコンを大規模に動かすシステム=ソフトウエアを作っている企業に勤めているか、企業でそのシステムを運用する仕事に就いているという意味である。ビジネス社会ではもう当たり前の表現になったが、年配者や専業主婦などには通じにくい言葉。ついでに、これは和製英語だから英語で「私の仕事はシステム関係です」といっても通じない。
もうひとつは、仕組みとか手順とかいった昔から使われている意味。その場の思いつきで物事を進めるのではなく、やり方を決めておくということ。こっちのシステムの目的は結果の標準化、つまり誰がやっても同じ成果を出すことにある。
例えば接客業のマニュアルなんかで考えるとわかりやすい。接客の仕方を従業員に任せておくと、上手な接客ができる人から下手な人までばらつきがでてしまう。マニュアル通りに接客すれば全員が同じような接客ができる。もちろん上手な接客ができる人も平均レベルになってしまうとか、心がこもっていない接客のように感じるとかの弊害もある。
もう一度書くけれどシステムというのは、関数 f(x)= Y のように x を入れたら必ずY になる、誰が x を入れても Y になるというのが目指すところである。仕事の段取りとか仕切りが悪い人というのは、この f(x)= Y がしっかりできていない。
さていつも通り前置きが長かった。
3.11後の対応について管首相の危機管理はなっていないという批判が多い。でも論理的にはこれは間違い。管首相が悪いのではなく危機管理のシステムが悪いというのが正しい。なぜなら国家の危機管理システムとは、どんなレベルの人物が首相であろうとも正しく機能すべきものだからである。
何となくブラックジョークのようにも聞こえるかも知れない。しかし、これがシステムという考え方の神髄である。国家なら首相、企業なら社長が危機管理の意志決定者になる。危機管理システムを構築する人は、想定される首相や社長が「どの程度のデキか」も想定して設計しなければならない。望みうる最高の人物がトップに就いている状況は確率的にはとても低いのだから。
皮肉なものだが、やはり危機管理能力というのは、シミュレーションではなく本番を重ねて改良される。阪神大震災の時と較べれば、今回はより被害が大きいにもかかわらず、いろんなことがスムーズに進行しているように思える。次はもっと上手くやれるだろうし、原発に被害が出ても素早く対処できるだろう。次がないに越したことはないのだが。
さて地震後の政府の対応にはいろいろと批判がある。私も思うところはあるけれど、総じていえば実はあまり批判的ではない。事態の大きさ、複雑さを考えれば、まああんなものかな、大きなミスを連発はしていないしーーーという気がしている。オマエならもっと上手く対処できるかと問われれば、あの程度くらいしかできないかもと答えると思う。もちろんより適切な対処がなされることは期待している。
以前にも書いた気がするが、物事にいい面と悪い面があれば、人間は悪い面に目がいくように設計されている。いい面はそのままでOKだが、悪い面をほうっておくと自分に悪影響がおよぶ危険性があるからである。だから人を誉めるのは難しくても悪口を言うのは簡単。
ーーーなんだけど、どうも最近の、といってもずいぶん昔からであるが、バッシングというか揚げ足取りは度を超えているような気がする。マスコミは本能的に「ウケル記事」を書こうとする→誉めるより悪口のほうがウケルことも本能的に知っている→だから最初から批判する文脈で構成して、それから事実を当てはめていくーーーという癖がついているように思えてならない。コメンテーターなら何か一言文句をつけなければ仕事が来ないのかも。まあこれは今回の地震に限った話じゃない。
さて話は変わるが「システム」という言葉には、現在大きくは2つの意味がある。お仕事は何ですかと尋ねて「システム関係です」というような答えが返ってきた場合は、コンピューターやパソコンを大規模に動かすシステム=ソフトウエアを作っている企業に勤めているか、企業でそのシステムを運用する仕事に就いているという意味である。ビジネス社会ではもう当たり前の表現になったが、年配者や専業主婦などには通じにくい言葉。ついでに、これは和製英語だから英語で「私の仕事はシステム関係です」といっても通じない。
もうひとつは、仕組みとか手順とかいった昔から使われている意味。その場の思いつきで物事を進めるのではなく、やり方を決めておくということ。こっちのシステムの目的は結果の標準化、つまり誰がやっても同じ成果を出すことにある。
例えば接客業のマニュアルなんかで考えるとわかりやすい。接客の仕方を従業員に任せておくと、上手な接客ができる人から下手な人までばらつきがでてしまう。マニュアル通りに接客すれば全員が同じような接客ができる。もちろん上手な接客ができる人も平均レベルになってしまうとか、心がこもっていない接客のように感じるとかの弊害もある。
もう一度書くけれどシステムというのは、関数 f(x)= Y のように x を入れたら必ずY になる、誰が x を入れても Y になるというのが目指すところである。仕事の段取りとか仕切りが悪い人というのは、この f(x)= Y がしっかりできていない。
さていつも通り前置きが長かった。
3.11後の対応について管首相の危機管理はなっていないという批判が多い。でも論理的にはこれは間違い。管首相が悪いのではなく危機管理のシステムが悪いというのが正しい。なぜなら国家の危機管理システムとは、どんなレベルの人物が首相であろうとも正しく機能すべきものだからである。
何となくブラックジョークのようにも聞こえるかも知れない。しかし、これがシステムという考え方の神髄である。国家なら首相、企業なら社長が危機管理の意志決定者になる。危機管理システムを構築する人は、想定される首相や社長が「どの程度のデキか」も想定して設計しなければならない。望みうる最高の人物がトップに就いている状況は確率的にはとても低いのだから。
皮肉なものだが、やはり危機管理能力というのは、シミュレーションではなく本番を重ねて改良される。阪神大震災の時と較べれば、今回はより被害が大きいにもかかわらず、いろんなことがスムーズに進行しているように思える。次はもっと上手くやれるだろうし、原発に被害が出ても素早く対処できるだろう。次がないに越したことはないのだが。
2011年04月20日
どうも全体像が見えないのに
3.11から1ヶ月とちょっと。
たまに余震があることをのぞけば、東京で暮らしている限り地震前とそんなに変化はない。まだ買えないのはミネラルウオーターと乾電池くらい。計画停電もとりあえず中断。節電で夜の街は暗いけれど、私の記憶ではヨーロッパの街はたぶんもっと暗い。
被災地が大変な被害を受けたことは十分に承知している。また工場が被害を受けていろんな生産に支障をきたしていること、農業漁業への影響、夏になれば電力不足になるだろうことも理解している。ただマスコミはそういうことばかりに焦点を絞って報道しているが、今回の地震が日本全体としてどの程度深刻なのかについては、正直言って今ひとつピンと来ない。
つまり全体像が見えてこない気がする。被災者は人口の何%なのか、被災地域は国土の何%なのか、GDPに寄与する国力の何%に影響があったのかーーースラスラッと答えられる人はそういないと思う。
被災者のことを考えると、あまり金の話をするのも気が引けるが、復興に必要な金額は約30兆円らしい。とてつもない金額だが、しかし明日に耳を揃えて用意する金額ではない。阪神大震災の時は約10兆円かかったそうだが、あまり経済的(税金的)に負担が重かったという記憶もない。負担の記憶がゼロだから、その3倍を想像するのも難しい。それに借金大国とはいえ日本の予算規模は一般会計・特別会計合わせれば約270兆円ある。やりくりできない金額とも思えない。
震災復興を錦の御旗に増税議論が賑やかである。
この錦の御旗は強力である。
多くの被災者がいることは事実。そして全体像が見えない、あるいは知らされていないんだから、増税に反対とは被災者切り捨てであるという論法に落とし込まれてしまう。それに阪神大震災と違って国政の中心である東京でもみんな地震の恐怖を味わったから、話も通しやすい環境にある。そのうち無駄なダムにも耐震補強工事の予算が付くやもしれぬ。私が財務省の役人だったら、毎日ハリキッて仕事するね(^^ゞ
子供手当とか高速道路無料化とかを廃止して復興財源に充てるらしいが、私はそれには反対。これらはいい政策なのである。たまたま新しい政策だから目立ってしまうが、昔から惰性で続いているもっと無駄な予算は一杯あるはず。与党のパワーは日に日に衰えているようだが、がんばって、いい意味でこのドサクサに紛れて、この国の予算ひいては国家運営のあり方を抜本的に見直して欲しいものだと願っている。
たまに余震があることをのぞけば、東京で暮らしている限り地震前とそんなに変化はない。まだ買えないのはミネラルウオーターと乾電池くらい。計画停電もとりあえず中断。節電で夜の街は暗いけれど、私の記憶ではヨーロッパの街はたぶんもっと暗い。
被災地が大変な被害を受けたことは十分に承知している。また工場が被害を受けていろんな生産に支障をきたしていること、農業漁業への影響、夏になれば電力不足になるだろうことも理解している。ただマスコミはそういうことばかりに焦点を絞って報道しているが、今回の地震が日本全体としてどの程度深刻なのかについては、正直言って今ひとつピンと来ない。
つまり全体像が見えてこない気がする。被災者は人口の何%なのか、被災地域は国土の何%なのか、GDPに寄与する国力の何%に影響があったのかーーースラスラッと答えられる人はそういないと思う。
被災者のことを考えると、あまり金の話をするのも気が引けるが、復興に必要な金額は約30兆円らしい。とてつもない金額だが、しかし明日に耳を揃えて用意する金額ではない。阪神大震災の時は約10兆円かかったそうだが、あまり経済的(税金的)に負担が重かったという記憶もない。負担の記憶がゼロだから、その3倍を想像するのも難しい。それに借金大国とはいえ日本の予算規模は一般会計・特別会計合わせれば約270兆円ある。やりくりできない金額とも思えない。
震災復興を錦の御旗に増税議論が賑やかである。
この錦の御旗は強力である。
多くの被災者がいることは事実。そして全体像が見えない、あるいは知らされていないんだから、増税に反対とは被災者切り捨てであるという論法に落とし込まれてしまう。それに阪神大震災と違って国政の中心である東京でもみんな地震の恐怖を味わったから、話も通しやすい環境にある。そのうち無駄なダムにも耐震補強工事の予算が付くやもしれぬ。私が財務省の役人だったら、毎日ハリキッて仕事するね(^^ゞ
子供手当とか高速道路無料化とかを廃止して復興財源に充てるらしいが、私はそれには反対。これらはいい政策なのである。たまたま新しい政策だから目立ってしまうが、昔から惰性で続いているもっと無駄な予算は一杯あるはず。与党のパワーは日に日に衰えているようだが、がんばって、いい意味でこのドサクサに紛れて、この国の予算ひいては国家運営のあり方を抜本的に見直して欲しいものだと願っている。
2011年04月16日
ボストン美術館浮世絵名品展
何日か前に仕事をさぼって久しぶりの美術鑑賞m(_ _)m
場所は広尾にある山種美術館。昔、山種証券という会社があったが、そこの創業者が設立した美術館で日本画専門。今と昔じゃ税制が違うとしても、こういうことができる金持ちは日本にはほとんどいなくなった。だいたい文化・芸術というのは、古今東西を問わず金持ちの道楽から生まれるものである。庶民の私はJRの恵比寿駅からテクテク10分ほど坂道を上り、1300円の入場料を払ってそのおこぼれに預かる。
浮世絵というものは知っていても、あまり縁がない。たぶんほとんどの人がそうじゃないかと思う。ずいぶん昔になるがオフィスを開いたときに、ウォーホルやホックニーのポスターじゃ当たり前すぎてつまらないから、浮世絵のポスターでも貼ろうと思ってずいぶん探したが結局見つけられなかった。売っていないということはニーズがないということであり、我が国における日本文化のポジションというのは、たぶんその程度の位置づけである。
でも1300円なら払ってもいいと考える人は多いのか、平日の午前中に訪れたのに展示会は盛況であった。ところで、たいていの美術展では作品から1メートルほどのところにロープを張ったり床に線を引いたりして、あまり作品に近づきすぎないようにしてある。でもなぜか山種美術館ではそういう規制はナシ。だから作品を嘗めんばかりにかぶりつきで見ている人も多い。この美術館の常連だろうか、大きな虫眼鏡持参の人も!
というわけで今回は私得意の作品の前に並んでいる人の横から近づいて、人々の頭越しに鑑賞するという作戦があまり使えず。こぢんまりとした美術館なので館内をウロウロしながら、人の列が途切れた作品にササッと近寄るという作戦に変更。
鳥居清長
雛形若菜の初模様
鳥居清長
子宝五節遊 重陽
写真は展示会のホームページからの借用。
ところでこの展示会のホームページでは鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽の3名が大きく取り上げられている。歌麿と写楽は知っているけれど、この鳥居清長という名前は初めて聞いた。まあ私の浮世絵に対する造詣はその程度である。
喜多川歌麿
青楼遊君合鏡 丁子屋 雛鶴 雛松
喜多川歌麿
吉原の正月
振り仮名を打ってくれないと作品名がわからないよ(^^ゞ
東洲斎写楽
市川男女蔵の奴一平
歌川豊国
六玉川 調布の玉川
誰でも浮世絵を雑誌やなんかで見たことはあるだろうから、ここに貼った写真を見てもフ〜ンという程度にしか感じないかもしれない。でも実物を見ると頭の中にあるイメージとはけっこう違う。
美術館では西洋絵画を見ることが圧倒的に多い。つまり美術館に足を踏み入れると、脳あるいは眼が西洋絵画鑑賞モードに入る。そんなモードに入っているからか、普段とは違う色彩感覚がとても新鮮に感じる。
浮世絵は西洋絵画では絶対に見られない「和の色彩」にあふれている。鶯色(うぐいすいろ)とか浅葱色(あさぎいろ)とか、色を表現する日本語を思い出した。それとこれは作風なのか版画だからこうなるのか、全体の色彩が淡いというか薄い。そして線が細くて繊細である。日本のものだから当たり前ではあるが、浮世絵を見るとものすごく「日本性」を意識させられる。
印象派の画家たちが浮世絵から影響を受けたとか、欧米の絵画コレクターには浮世絵ファンが多いというのは、だからとても納得できる。浮世絵には西洋絵画とは全く違う独自の世界観がある。江戸時代にこんなものを作っていたというのは、日本人として誇らしい気持ちにさえなってくる。ところで時代劇を見ても壁に浮世絵を飾っている部屋なんて見たことがない。江戸時代の人は浮世絵をどうやって眺めていたんだろう。
でもすばらしいことばかりじゃない。たくさんの浮世絵が展示されていたが、どれも似たり寄ったりなのである。例えば鳥居清長と歌麿の浮世絵を較べてみても、区別がつかないというか作者の個性というものがあまり感じられない。
また細くつり上がった目と小さな唇は浮世絵のお約束のようである。いくら日本人の目が小さいといっても、こんな人はオレヘンオレヘンである。まあ今の少女漫画の女の子が、皆お目々パッチリで星が輝いているのと同じで、江戸時代の昔から日本人は付和雷同で人と同じようなことをしたがるということか。このあたりは日本人として情けない気持ちになるところである。
写楽は他の作者と較べると個性があるけれど、トータルの印象では五十歩百歩という感じだし、無理矢理デフォルメしたいう感もぬぐえない。(ネットでいろいろ調べてください)
第2展示室は小さな展示室で、こちらには浮世絵(版画)ではなく、浮世絵作者が描いた日本画が数点展示してあった。(版画と区別するために肉筆画というらしい)
絵の内容は浮世絵と肉筆画に違いはないが、こちらは文句なしに素晴らしかった。素晴らしかったというよりも、こちらの展示室に来て初めて気がついたのだが、いつも美術館で感じる「昔に描かれた作品なのに、さっき完成したかのような生々しさ」が肉筆画にはあった。版画にはなかった。しょせん浮世絵はプリントにすぎないーーーと少し感じた瞬間である。
でもまあ、ひょっとして日本にいたら、西洋絵画より見る機会が少ないかもしれない浮世絵をまとまって見られたので大変満足。美術館を出た後に、お茶とようかんを食べたくなったくらい。
ところで地震後の節電を受けて美術館の閉館時刻が早まっている。それは仕方ないとして、海外の美術館が日本へ作品を貸し出すことに慎重になっているらしい。地震と放射能のどちらが影響しているのだろう? どっちも絶対安心といえない現状がーーー(/o\)
場所は広尾にある山種美術館。昔、山種証券という会社があったが、そこの創業者が設立した美術館で日本画専門。今と昔じゃ税制が違うとしても、こういうことができる金持ちは日本にはほとんどいなくなった。だいたい文化・芸術というのは、古今東西を問わず金持ちの道楽から生まれるものである。庶民の私はJRの恵比寿駅からテクテク10分ほど坂道を上り、1300円の入場料を払ってそのおこぼれに預かる。
浮世絵というものは知っていても、あまり縁がない。たぶんほとんどの人がそうじゃないかと思う。ずいぶん昔になるがオフィスを開いたときに、ウォーホルやホックニーのポスターじゃ当たり前すぎてつまらないから、浮世絵のポスターでも貼ろうと思ってずいぶん探したが結局見つけられなかった。売っていないということはニーズがないということであり、我が国における日本文化のポジションというのは、たぶんその程度の位置づけである。
でも1300円なら払ってもいいと考える人は多いのか、平日の午前中に訪れたのに展示会は盛況であった。ところで、たいていの美術展では作品から1メートルほどのところにロープを張ったり床に線を引いたりして、あまり作品に近づきすぎないようにしてある。でもなぜか山種美術館ではそういう規制はナシ。だから作品を嘗めんばかりにかぶりつきで見ている人も多い。この美術館の常連だろうか、大きな虫眼鏡持参の人も!
というわけで今回は私得意の作品の前に並んでいる人の横から近づいて、人々の頭越しに鑑賞するという作戦があまり使えず。こぢんまりとした美術館なので館内をウロウロしながら、人の列が途切れた作品にササッと近寄るという作戦に変更。
鳥居清長
雛形若菜の初模様
鳥居清長
子宝五節遊 重陽
写真は展示会のホームページからの借用。
ところでこの展示会のホームページでは鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽の3名が大きく取り上げられている。歌麿と写楽は知っているけれど、この鳥居清長という名前は初めて聞いた。まあ私の浮世絵に対する造詣はその程度である。
喜多川歌麿
青楼遊君合鏡 丁子屋 雛鶴 雛松
喜多川歌麿
吉原の正月
振り仮名を打ってくれないと作品名がわからないよ(^^ゞ
東洲斎写楽
市川男女蔵の奴一平
歌川豊国
六玉川 調布の玉川
誰でも浮世絵を雑誌やなんかで見たことはあるだろうから、ここに貼った写真を見てもフ〜ンという程度にしか感じないかもしれない。でも実物を見ると頭の中にあるイメージとはけっこう違う。
美術館では西洋絵画を見ることが圧倒的に多い。つまり美術館に足を踏み入れると、脳あるいは眼が西洋絵画鑑賞モードに入る。そんなモードに入っているからか、普段とは違う色彩感覚がとても新鮮に感じる。
浮世絵は西洋絵画では絶対に見られない「和の色彩」にあふれている。鶯色(うぐいすいろ)とか浅葱色(あさぎいろ)とか、色を表現する日本語を思い出した。それとこれは作風なのか版画だからこうなるのか、全体の色彩が淡いというか薄い。そして線が細くて繊細である。日本のものだから当たり前ではあるが、浮世絵を見るとものすごく「日本性」を意識させられる。
印象派の画家たちが浮世絵から影響を受けたとか、欧米の絵画コレクターには浮世絵ファンが多いというのは、だからとても納得できる。浮世絵には西洋絵画とは全く違う独自の世界観がある。江戸時代にこんなものを作っていたというのは、日本人として誇らしい気持ちにさえなってくる。ところで時代劇を見ても壁に浮世絵を飾っている部屋なんて見たことがない。江戸時代の人は浮世絵をどうやって眺めていたんだろう。
でもすばらしいことばかりじゃない。たくさんの浮世絵が展示されていたが、どれも似たり寄ったりなのである。例えば鳥居清長と歌麿の浮世絵を較べてみても、区別がつかないというか作者の個性というものがあまり感じられない。
また細くつり上がった目と小さな唇は浮世絵のお約束のようである。いくら日本人の目が小さいといっても、こんな人はオレヘンオレヘンである。まあ今の少女漫画の女の子が、皆お目々パッチリで星が輝いているのと同じで、江戸時代の昔から日本人は付和雷同で人と同じようなことをしたがるということか。このあたりは日本人として情けない気持ちになるところである。
写楽は他の作者と較べると個性があるけれど、トータルの印象では五十歩百歩という感じだし、無理矢理デフォルメしたいう感もぬぐえない。(ネットでいろいろ調べてください)
第2展示室は小さな展示室で、こちらには浮世絵(版画)ではなく、浮世絵作者が描いた日本画が数点展示してあった。(版画と区別するために肉筆画というらしい)
絵の内容は浮世絵と肉筆画に違いはないが、こちらは文句なしに素晴らしかった。素晴らしかったというよりも、こちらの展示室に来て初めて気がついたのだが、いつも美術館で感じる「昔に描かれた作品なのに、さっき完成したかのような生々しさ」が肉筆画にはあった。版画にはなかった。しょせん浮世絵はプリントにすぎないーーーと少し感じた瞬間である。
でもまあ、ひょっとして日本にいたら、西洋絵画より見る機会が少ないかもしれない浮世絵をまとまって見られたので大変満足。美術館を出た後に、お茶とようかんを食べたくなったくらい。
ところで地震後の節電を受けて美術館の閉館時刻が早まっている。それは仕方ないとして、海外の美術館が日本へ作品を貸し出すことに慎重になっているらしい。地震と放射能のどちらが影響しているのだろう? どっちも絶対安心といえない現状がーーー(/o\)
2011年04月13日
2011年04月11日
桜と自粛と想定外
日曜日は東京の調布市というところに所用がありバイクで出かけた。考えてみれば実用目的でバイクに乗るのは初めて。往きは環七〜甲州街道と当たり前の幹線道路を使ったが、帰りは多摩川の川沿いの道路を走った。ところどころに桜並木がある。場所によっては桜の花のアーチをくぐるような所もある。花見に出かけたわけじゃないけれど満足して帰ってきた。そんなつもりはなかったのでカメラは持参せず。
3.11の影響で花見も自粛ムードがある。きれいな桜の花には何の責任もないとしても、まだ地震からそれほど日数がたっていないので、そう考える人がいることは理解はできる。ただ何でもかんでも自粛自粛というのはもちろん間違っている。普通に暮らせる人は精一杯普通に暮らすべきである。ただでさえ落ち込む経済にますます金が回らなくなってしまう。
自粛という言葉が広く使われるようになったのは昭和天応崩御の時からだ。あの時も今もそうだが、「自粛して欲しい」とか「自粛を要請する」とか日本語になっていない表現が平気で使われている。自ら遠慮してこそ自粛なのだが、その辺は日本人が得意の建て前と本音の使い分けである。あるいは禁止といえば角が立つけれど、自粛をお願いするという曖昧な表現で丸く収めようとする、実際それで収まってしまうというのもアウンの呼吸が通ずるこの国ならではであろう。自粛という言葉ほど、従順な日本人の国民性を表しているものはないかもしれない。
もう一つ今回よく使われている言葉が「想定外」。これはライブドア事件の時にホリエモンがよく使って流行語にもなった「想定内」の変形バージョン。主に原発に今回のような大きな津波が来ることは予想していなかったという文脈で使われている。でもこの言葉はクセ者だ。
宇宙人が襲ってくるとか、原発の下から突然火山が噴火するとか誰もが考えてみなかったことが起きた場合に使うのが、本来の想定外という言葉である。東京電力は想定していた津波の高さは5メートルで、15メートルの今回の津波は想定外と説明しているわけだが、これはチャンチャラおかしい。
15メートルなんていうのは空前絶後の大波ではない。ハワイのノースショアあたりじゃ嬉々としてサーフィン大会が開かれる程度の大きさである。つまり東京電力の言い訳を正確な表現に修正するならば、5メートル以上の津波が来る確率は福島ではとても小さいので、安全対策基準の「考慮外」としたということである。もっとも30メートル50メートルなら考慮外かもしれないが、たかだか15メートルなら「見て見ぬふりをした」というべきか。
想定外という言葉には「だから責任はない」という言い逃れ、あるいは「結果責任は(仕方がないから)負いますが、対策そのものは正しくやってきたんです」という正当化のニュアンスがどことなく漂う。そのいやらしさがどうも気になる。
もちろん確率の小さな危険性は想定しても考慮しないというロジックは当然である。今後問わなければいけないのは、5メートル以上を考慮外とした判断の正当性である。(改めて問わなくてもアホな判断だったことは明白だが)
もっとも、これもたんなる表現を軟らかくする日本語のテクニックかもしれないし、ならばそんなに目くじらを立てる必要はないかもしれない。でも放射能事故と「花見の自粛を要請する」はやはり同じ次元で考えてはいけないとも思う。
花見の自粛に話を戻すと、東京は昨日一昨日あたりがもっとも見頃で、そろそろ葉っぱものぞき始めたけれど、これから本番を迎える地域ではこんなアイデアはいかが?
花見は盛大にやる。
いつもより盛大にやって、客寄せに芸能人なんかも呼んで
どんどん人に来てもらう。
それで花見会場で義援金を集める。
チャリティーオークションなんかもいいかもしれない。
一杯ひっかけたら財布のヒモも緩むしね(^^ゞ
3.11の影響で花見も自粛ムードがある。きれいな桜の花には何の責任もないとしても、まだ地震からそれほど日数がたっていないので、そう考える人がいることは理解はできる。ただ何でもかんでも自粛自粛というのはもちろん間違っている。普通に暮らせる人は精一杯普通に暮らすべきである。ただでさえ落ち込む経済にますます金が回らなくなってしまう。
自粛という言葉が広く使われるようになったのは昭和天応崩御の時からだ。あの時も今もそうだが、「自粛して欲しい」とか「自粛を要請する」とか日本語になっていない表現が平気で使われている。自ら遠慮してこそ自粛なのだが、その辺は日本人が得意の建て前と本音の使い分けである。あるいは禁止といえば角が立つけれど、自粛をお願いするという曖昧な表現で丸く収めようとする、実際それで収まってしまうというのもアウンの呼吸が通ずるこの国ならではであろう。自粛という言葉ほど、従順な日本人の国民性を表しているものはないかもしれない。
もう一つ今回よく使われている言葉が「想定外」。これはライブドア事件の時にホリエモンがよく使って流行語にもなった「想定内」の変形バージョン。主に原発に今回のような大きな津波が来ることは予想していなかったという文脈で使われている。でもこの言葉はクセ者だ。
宇宙人が襲ってくるとか、原発の下から突然火山が噴火するとか誰もが考えてみなかったことが起きた場合に使うのが、本来の想定外という言葉である。東京電力は想定していた津波の高さは5メートルで、15メートルの今回の津波は想定外と説明しているわけだが、これはチャンチャラおかしい。
15メートルなんていうのは空前絶後の大波ではない。ハワイのノースショアあたりじゃ嬉々としてサーフィン大会が開かれる程度の大きさである。つまり東京電力の言い訳を正確な表現に修正するならば、5メートル以上の津波が来る確率は福島ではとても小さいので、安全対策基準の「考慮外」としたということである。もっとも30メートル50メートルなら考慮外かもしれないが、たかだか15メートルなら「見て見ぬふりをした」というべきか。
想定外という言葉には「だから責任はない」という言い逃れ、あるいは「結果責任は(仕方がないから)負いますが、対策そのものは正しくやってきたんです」という正当化のニュアンスがどことなく漂う。そのいやらしさがどうも気になる。
もちろん確率の小さな危険性は想定しても考慮しないというロジックは当然である。今後問わなければいけないのは、5メートル以上を考慮外とした判断の正当性である。(改めて問わなくてもアホな判断だったことは明白だが)
もっとも、これもたんなる表現を軟らかくする日本語のテクニックかもしれないし、ならばそんなに目くじらを立てる必要はないかもしれない。でも放射能事故と「花見の自粛を要請する」はやはり同じ次元で考えてはいけないとも思う。
花見の自粛に話を戻すと、東京は昨日一昨日あたりがもっとも見頃で、そろそろ葉っぱものぞき始めたけれど、これから本番を迎える地域ではこんなアイデアはいかが?
花見は盛大にやる。
いつもより盛大にやって、客寄せに芸能人なんかも呼んで
どんどん人に来てもらう。
それで花見会場で義援金を集める。
チャリティーオークションなんかもいいかもしれない。
一杯ひっかけたら財布のヒモも緩むしね(^^ゞ
2011年04月05日
チューリップ観察日記2011年4月5日
上の写真は4月2日の土曜日に撮影。
気がついたのは金曜の夜。
たぶん木曜くらいから咲き出したと思われる。
めでたく開花第1号。
下の写真は本日5日の撮影。
昨日2つめが咲いているのに気がついた。
2月27日と3月27日の写真はここに。
アッというまにつぼみが出てきて咲き始めるね。だいたい真冬の寒い時に芽を出すし、チューリップの成長力オソルベシ。球根を炒めて食べたら元気が出るかな(^^ゞ
4種類の球根を植えてあるけれど、色によって咲く時期が違うのだろうか?
♪ならんだ ならんだ 赤 白 黄色
と歌うのが目標だから、あまりバラバラに咲いてもらっても困る。
気がついたのは金曜の夜。
たぶん木曜くらいから咲き出したと思われる。
めでたく開花第1号。
下の写真は本日5日の撮影。
昨日2つめが咲いているのに気がついた。
2月27日と3月27日の写真はここに。
アッというまにつぼみが出てきて咲き始めるね。だいたい真冬の寒い時に芽を出すし、チューリップの成長力オソルベシ。球根を炒めて食べたら元気が出るかな(^^ゞ
4種類の球根を植えてあるけれど、色によって咲く時期が違うのだろうか?
♪ならんだ ならんだ 赤 白 黄色
と歌うのが目標だから、あまりバラバラに咲いてもらっても困る。
2011年04月03日
三浦半島を回って湘南へ
土曜日はまたまたバイクで海沿いを走ってきた。
前回、観音崎に行ったときガソリンスタンドは長蛇の列だったものの、その次の週にはガソリン不足は解消。今のところ東京で不足しているのはミネラルウォーターくらい。タマゴも牛乳もワカメももう大丈夫。
(地図はグーグルマップからの引用:クリックすると大きくなります)
地図の上、真ん中の「1」の第三京浜という高速道路(緑色)で三浦半島を目指す。第三京浜というのは東京と横浜を結んでいる高速道路。自宅から東京側の入り口までは10分くらい。
バイクでETCを使うのは初めて。きちんとゲートが開いてくれるか少し緊張する。20キロくらいでソロソロと近づきあっけなくクリア。ETCはクルマでももちろん便利だけれど、ポケットから財布を出し入れしなければいけないバイクには欠かせない。
バイクで高速道路というと、とても危険だと思っている人も多い。しかし対向車は来ないし交差点もないのだから、バカみたいに飛ばさなければ一般道よりは安全である。
ところでバイクにはいろいろなタイプがある。ボディがむき出しになっているか、カウルで覆われているかも大きなポイント。写真の青いバイクは、私のバイクと兄弟車種のBMW F800STでカウルのついたタイプ。白いバイクは私の買ったF800Rでカウルはなし。カウルのないロードバイクはネイキッドと呼ばれることもある。ネイキッド=nakedとは裸のとか、むき出しのという意味の英語である。(ロードバイクとは何かを説明すると長くなるので省略。単にバイクと読み替えてもらっても大丈夫)
カウルはなんのためにあるかというと「風よけ」である。カウルによってライダーに風が当たらないようにし、また空気抵抗も減らす。バイクに乗らない人は、カウルのついているバイクをレースタイプと思っているが、 F800ST(青いバイク)はツーリングタイプ=長距離向けのバイクである。レースタイプのバイクは同じようなカウルがついていても、ハンドルの位置がもっと低くて前傾姿勢で乗るようになっている。そんな姿勢じゃ長距離は走れないので、ツーリングタイプのハンドルは普通の位置にある。
今回、35年ぶりにバイクを買うとき、私はネイキッドのバイクを買うことに最初から決めていた。理由は単純で、カウルタイプは風が当たらないので高速では楽だけれど、それはスピードを出しすぎることにつながるから。自分の性格はよくわかっているのである(^^ゞ
というわけで風に苦労しながら、それとバイクにはまだまだ慣れていないので、周りのクルマの迷惑にならない程度に走行車線をチンタラ走って第三京浜から横浜新道を経由して、横浜横須賀道路に入り終点の馬堀海岸(2と書いてあるところ)まで約1時間。前回の一般道の時は約2時間だったから半分の時間に短縮できたことになる。そこから10分ほどで前回の目的地だった観音崎に(3)。
公園の入り口
前回と同じくのどかな風景
この建造物は何なんだろう?
観音崎は前回来たばかりなので、タバコ&オシッコ休憩のみ。本日の目的は、ここから三浦半島をできるだけ海沿いに走り、湘南まで行くことである。細い道路を選びながら沿岸沿いから離れないように走る。ときどき行き止まりになっているのでUターンすることも多数。こういうドライブはクルマでは大変だから、やはりバイクならではの楽しみ方。バイクでのUターンはけっこう難しいのだが、この日一日でいい練習になった。
たぶん(4)のあたりのはずだが、かなり長い海岸線に出る。ごらんのように砂浜である。前回も観音崎で久しぶりの潮の香りに満足したが、磯と砂浜では潮の香りが微妙に違う。ここは元サーファーの私にとっては懐かしい香り。さっさとバイクに飽きて、やっぱりサーフィンを始めようかと思ってみたりする。
(4)から海沿いに走っていくと、いくつかの海水浴場がある。まだ人も少なくのどかな風景。いい撮影ポイントではあるが、いちいちバイクを停めるのも面倒なので素通り。
できるだけ海岸沿いを走りながらも、ときどき丘を上がったり下がったりしながら走る。いかにも半島らしいのんびりとした畑の風景が続く。写真撮ってないけど(^^ゞ
(5)の三浦市。三浦市というより「まぐろの三崎」といったほうが有名。三崎に来たならマグロ丼でもと思うが、どの店も人が並んでいたし、あまりお腹もすいていなかったので、そのまま湘南に向けて北上する。
できるだけ海岸沿いを走っているので、小さな漁港もいくつか通り過ぎた。漁船とか網とか見ていると、何かすごく遠くまで旅行しているようなイメージがあって得した気分。航空写真で「三浦半島」と書いてあるところの上のコブのようなところまで海岸沿いを選んでクネクネと走る。そこから先は134号線でいわゆる湘南エリアを普通に走った。このあたりは今まで数え切れないくらい来ている。逗子市の下、134号線の標識が書かれているあたりが葉山。夏ほどじゃないけれど道路も混んでくる。
昔は江ノ島を境にして東側がウインドサーフィン、西側がサーフィンという区別もあったが、今はどのビーチでもウインドサーフィンとサーフィンは一緒にやっている感じ。なんていう名前か知らないけれど、長いボードに立ってオールで漕いでいるようなことをやっている人も多く見かけた。あんなの、おもしろいのかな?
地図を見ると134号線はずっと海岸線に沿っているように見える。しかし湘南は江ノ島を超えると、道路と海の間に防風林があって海は見えない。ただの直線の道がずっと続く。
(6)あたりでクルマが一杯止まっている空き地のようなところがあったので、海岸まで出る。釣り船の発着場らしい。空き地はところどころ砂地。バイクで砂の上を走るのは初めてだったが、それほど難しくもなかった。
ドッカーンと広い砂浜。
♪海は広いな〜大きいな〜と、
人がいたので心の中で唄う
(^^ゞ
波は膝から腰くらいの高さ。
ヘタクソばっかりだった。
私もここなら、
大きな顔してサーフィンが
できそうである。
あまり人が入らないように写真は撮っている。実際にはサーファー以外に、家族連れやカップルなどけっこう人はいる。いかにもベテランっぽいサーファーが休憩していたので声を掛ける。ここは西浜というところらしい。ほんの数分だったけれど、久しぶりにサーフィン談義ができて楽しかった。
バイクに戻ってさらに西に進み、相模川を越えて129号線を北上し、(7)のところにある厚木インターチェンジから東名高速に乗って帰宅。トータル200キロほどのバイクツーリング。楽しい1日でした。海の写真しかなくてゴメン
前回、観音崎に行ったときガソリンスタンドは長蛇の列だったものの、その次の週にはガソリン不足は解消。今のところ東京で不足しているのはミネラルウォーターくらい。タマゴも牛乳もワカメももう大丈夫。
(地図はグーグルマップからの引用:クリックすると大きくなります)
地図の上、真ん中の「1」の第三京浜という高速道路(緑色)で三浦半島を目指す。第三京浜というのは東京と横浜を結んでいる高速道路。自宅から東京側の入り口までは10分くらい。
バイクでETCを使うのは初めて。きちんとゲートが開いてくれるか少し緊張する。20キロくらいでソロソロと近づきあっけなくクリア。ETCはクルマでももちろん便利だけれど、ポケットから財布を出し入れしなければいけないバイクには欠かせない。
バイクで高速道路というと、とても危険だと思っている人も多い。しかし対向車は来ないし交差点もないのだから、バカみたいに飛ばさなければ一般道よりは安全である。
ところでバイクにはいろいろなタイプがある。ボディがむき出しになっているか、カウルで覆われているかも大きなポイント。写真の青いバイクは、私のバイクと兄弟車種のBMW F800STでカウルのついたタイプ。白いバイクは私の買ったF800Rでカウルはなし。カウルのないロードバイクはネイキッドと呼ばれることもある。ネイキッド=nakedとは裸のとか、むき出しのという意味の英語である。(ロードバイクとは何かを説明すると長くなるので省略。単にバイクと読み替えてもらっても大丈夫)
カウルはなんのためにあるかというと「風よけ」である。カウルによってライダーに風が当たらないようにし、また空気抵抗も減らす。バイクに乗らない人は、カウルのついているバイクをレースタイプと思っているが、 F800ST(青いバイク)はツーリングタイプ=長距離向けのバイクである。レースタイプのバイクは同じようなカウルがついていても、ハンドルの位置がもっと低くて前傾姿勢で乗るようになっている。そんな姿勢じゃ長距離は走れないので、ツーリングタイプのハンドルは普通の位置にある。
今回、35年ぶりにバイクを買うとき、私はネイキッドのバイクを買うことに最初から決めていた。理由は単純で、カウルタイプは風が当たらないので高速では楽だけれど、それはスピードを出しすぎることにつながるから。自分の性格はよくわかっているのである(^^ゞ
というわけで風に苦労しながら、それとバイクにはまだまだ慣れていないので、周りのクルマの迷惑にならない程度に走行車線をチンタラ走って第三京浜から横浜新道を経由して、横浜横須賀道路に入り終点の馬堀海岸(2と書いてあるところ)まで約1時間。前回の一般道の時は約2時間だったから半分の時間に短縮できたことになる。そこから10分ほどで前回の目的地だった観音崎に(3)。
公園の入り口
前回と同じくのどかな風景
この建造物は何なんだろう?
観音崎は前回来たばかりなので、タバコ&オシッコ休憩のみ。本日の目的は、ここから三浦半島をできるだけ海沿いに走り、湘南まで行くことである。細い道路を選びながら沿岸沿いから離れないように走る。ときどき行き止まりになっているのでUターンすることも多数。こういうドライブはクルマでは大変だから、やはりバイクならではの楽しみ方。バイクでのUターンはけっこう難しいのだが、この日一日でいい練習になった。
たぶん(4)のあたりのはずだが、かなり長い海岸線に出る。ごらんのように砂浜である。前回も観音崎で久しぶりの潮の香りに満足したが、磯と砂浜では潮の香りが微妙に違う。ここは元サーファーの私にとっては懐かしい香り。さっさとバイクに飽きて、やっぱりサーフィンを始めようかと思ってみたりする。
(4)から海沿いに走っていくと、いくつかの海水浴場がある。まだ人も少なくのどかな風景。いい撮影ポイントではあるが、いちいちバイクを停めるのも面倒なので素通り。
できるだけ海岸沿いを走りながらも、ときどき丘を上がったり下がったりしながら走る。いかにも半島らしいのんびりとした畑の風景が続く。写真撮ってないけど(^^ゞ
(5)の三浦市。三浦市というより「まぐろの三崎」といったほうが有名。三崎に来たならマグロ丼でもと思うが、どの店も人が並んでいたし、あまりお腹もすいていなかったので、そのまま湘南に向けて北上する。
できるだけ海岸沿いを走っているので、小さな漁港もいくつか通り過ぎた。漁船とか網とか見ていると、何かすごく遠くまで旅行しているようなイメージがあって得した気分。航空写真で「三浦半島」と書いてあるところの上のコブのようなところまで海岸沿いを選んでクネクネと走る。そこから先は134号線でいわゆる湘南エリアを普通に走った。このあたりは今まで数え切れないくらい来ている。逗子市の下、134号線の標識が書かれているあたりが葉山。夏ほどじゃないけれど道路も混んでくる。
昔は江ノ島を境にして東側がウインドサーフィン、西側がサーフィンという区別もあったが、今はどのビーチでもウインドサーフィンとサーフィンは一緒にやっている感じ。なんていう名前か知らないけれど、長いボードに立ってオールで漕いでいるようなことをやっている人も多く見かけた。あんなの、おもしろいのかな?
地図を見ると134号線はずっと海岸線に沿っているように見える。しかし湘南は江ノ島を超えると、道路と海の間に防風林があって海は見えない。ただの直線の道がずっと続く。
(6)あたりでクルマが一杯止まっている空き地のようなところがあったので、海岸まで出る。釣り船の発着場らしい。空き地はところどころ砂地。バイクで砂の上を走るのは初めてだったが、それほど難しくもなかった。
ドッカーンと広い砂浜。
♪海は広いな〜大きいな〜と、
人がいたので心の中で唄う
(^^ゞ
波は膝から腰くらいの高さ。
ヘタクソばっかりだった。
私もここなら、
大きな顔してサーフィンが
できそうである。
あまり人が入らないように写真は撮っている。実際にはサーファー以外に、家族連れやカップルなどけっこう人はいる。いかにもベテランっぽいサーファーが休憩していたので声を掛ける。ここは西浜というところらしい。ほんの数分だったけれど、久しぶりにサーフィン談義ができて楽しかった。
バイクに戻ってさらに西に進み、相模川を越えて129号線を北上し、(7)のところにある厚木インターチェンジから東名高速に乗って帰宅。トータル200キロほどのバイクツーリング。楽しい1日でした。海の写真しかなくてゴメン