2011年05月

2011年05月29日

東京メトロはアホ会社2〜公共機関のあり方

とりあえずは去年書いたエントリーを読んで。

2月に終わるはずの工事は案の定、いまだに工事中である。意味もなく突っ立っているガードマンは、今日も意味なく突っ立っている。
地震の影響で工事が遅れたかもしれないって?
地震は3月11日である。

そして工事中の看板には、堂々といまだに工事は2月までの予定と書いてある。念のためカレンダーを確認したが、本日は5月29日である。もっとも江戸時代の穴掘り職人でも1週間で仕上げられた仕事を、客の迷惑も顧みず2年間掛けてチンタラやった東京メトロは、数ヶ月くらい工事が遅れていることなど全く気にするはずもない。競争相手がいなく、顧客サービスなど考えずにすむ会社というのはまことに持ってうらやましい。



話は変わるけれど東京電力。東京電力といえば原発問題である。この会社の対応でおかしなことは一杯ある。しかし原発なんてものは国と一体になって建設・運営されているようなものだから、この会社だけが責められるのもかわいそうな気も多少している。


さて東電の再建というか今後のあり方に向けて議論のある「発送電分離」。現在は電力会社が発電して、自前の電線を使って送電するという「発電・送電一体」の体制。それを発電と送電を別の会社に分けようというのが発電・送電分離。これによって競争原理を働かせようというもの。

なぜ競争になるのかという説明はニュースではあまり触れられていない。現在、電力会社は地域ごと9社(発電送電)独占体制である。電力事業というものが始まった頃は、そのほうが効率的だったのだろう。しかし独占=競争なしである。送電は自由競争にすると街中が電線だらけになって困るので、これは独占体制を維持するが、発電は独占をやめて自由競争にしようというのが発送電分離の考え方。どの発電会社の電気を買うのかを消費者に任せれば競争が働く。NTTの回線を使ってネットに接続していても、プロバイダーは様々な会社から選ぶというのと同じ。料金は高いが安定しているプロバイダーを選ぶか、ちょっと頼りなさげなベンチャーでも料金の安いところを選ぶかは消費者の自由。


もちろん発送電分離には賛成である。送電も工夫すれば地域2〜3社体制にできるのではないかとも思う。電線が多重投資になっても、要はトータルで競争によって効率が上がればよい。auとソフトバンクがなくてNTT独占だったら、携帯は今のように気軽に使える料金ではなく、携帯による便利さやその経済効果を享受できていないだろう。基地局などの多重投資以上のリターンになっているはずである。



この基本となるインフラと、サービスそのものを分離するという考えはもっといろんな分野に応用できる。

例えば東京メトロはエレベーター工事をチンタラやる程度に残しておいて(怒)、線路や駅を維持管理する会社と、電車を走らせる会社に分離する。電車は自由競争である。高くてもデラックスな電車会社、安いけれど座席のない電車会社、携帯かけ放題の電車会社、深夜から朝までだけ走る電車会社、マイルのたまる電車会社、始発駅と終着駅しか止まらない超特急電車会社、冷暖房なしでエコに貢献する電車会社ーーー。まあそんな特徴がなくても価格競争だけでも意味がある。

電車でも飛行機でも、赤字ローカル線をやる気のある会社に運営を分離して任せれば活路が開けると思う。水道は品質が違うから難しいかも知れないが、ガスなら電気と同じように中身に変わりがないから分離できる。高速道路も本当の民間会社に細かく分離して運営すれば、安い料金の地域では利用が増えるだろう。特性上、地域独占になるのは仕方ないが、運営委託期間を5年か10年の期限付きにしておいて、成果=合理化できない会社は次から閉め出せばよい。委託会社を決めるのは入札にするのもおもしろい。


電力会社が発電して送電するなんて、まったく当たり前のこととして気にもかけていなかったが、世の中をよく見渡せば、いろいろ工夫できるということである。国会や政府も2つ3つ作って、自分が適用される法律、受けられる社会的サービス、支払う税金などを選択制にして競争原理を働かせれば、この国の未来もきっと明るくなる(^^ゞ



ここ数回、クソ会社やアホ会社の話が続いて申し訳ない。
ところで私は人の悪口は言わないように心がけている。

しかし世の中は人の悪口が好きな人のほうが多いものである。

 「誰々さんのこと、どう思います?」

と尋ねられたら、その相手は一緒に悪口を言って欲しいのだ。
そういうとき、その誰々さんがどんなにイヤなヤツだとしても

 「人の悪口は言わないようにしている」

と答えている(^^ゞ

wassho at 16:53|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2011年05月20日

フェルメール<地理学者>とオランダフランドル絵画展その2

4地理学者

これがフェルメールの「地理学者」。1669年の作品だからモデルはリチャード・ギアではないはず^^ゞ

フェルメールの先品はよくいえば独自の世界観がある、悪くいえばけっこうワンパターン。絵にそんなに詳しくなくても、パッとみてフェルメール調だというのはすぐわかる。

この時代は光の陰影を描き分けることに画家が心血を注いだ時代。レンブラントの夜警なんかがその代表。フェルメールも光を駆使した作風だけれど、彼の絵にはそれに加えて何となく空気感がある。そしてなぜか絵が静か。実はフェルメールの本物をみるのは初めて。空気感と静かさが感じられるかどうかを、今回は確認しに行ったようなもの。


  空気感ーーーありました\(^o^)/ 

  静かさーーー会場に人が多くてザワザワしてたので、
        よくわからなかった(>_<)


それと下のレンブラントと較べると、もちろん題材も違うが、レンブラントの絵がたいてい神々しいのに対して、フェルメールの絵は日常的で普通の庶民の絵が多いのも私好み。
レンブラントの絵を毎日見ていたら胃もたれしそうだから、買うんならフェルメールにしよう(^^ゞ



5サウル王の前で竪琴を弾くダヴィデ

ではそのレンブラント。タイトルは「サウル王の前で竪琴を弾くダヴィデ」。王とついていないが題材はルーベンスが描いた人物と同じ。その若い頃の姿。ダヴィデは竪琴の名手ということに伝説ではなっている。あっ、中央に座っているのはサウル王で、隅っこにいるのがダヴィデだからね。ダヴィデはサウルの後を継いで古代イスラエルの王になる人物。ダヴィデという名前には重々しい響きがあるが、英語で読めばデイビッドと親しみやすくなる?


さてレンブラントといえば「光と影の魔術師」。この絵もまるでスポットライトが当たっているかのようである。しかし彼が生きたのは日本でいうなら江戸時代初期。つまりロウソクやランプのボーッとした明かりの時代。ライティングなんてものは存在しない。想像力でスポットライトを発明したのかなあ?

先ほどフェルメールの絵には空気感があると書いた。レンブラントと見較べると、フェルメールは光を描き分けても、暗と明の対比はあまりしない。簡単に言えば明るい場所の絵が多い。だから空気感を感じるのかもしれない。光を描き分けられる腕前のある人は、明るい場所と暗い場所の絵を描いて確かめてください。




6庭に置かれた野菜と果物

コルネリス・デ・ヘームの「庭に置かれた野菜と果物」。
写真と見間違えたとまではいわないが、細部まで描き込んだ絵。静物画はいろんなものがあったが、作家が違っても、どれも画風が驚くほど似ていた。ややダークなバックに、対象物を濃いめに細密に描き、それにライティングを当てたような感じ。同じ時代の同じ地域の画家の展示会だから、結果的に似てくるのか、あるいはそういう絵が流行っていたのか? それぞれ立派な絵であるが、正直にいうと同じような絵が多くてちょっと飽きた。





7石の花瓶に生けた花と果物

ヤーコブ・ファン・ワルスカッペレの「石の花瓶に生けた花と果物」。
これもこの時代の静物画の文法(←もう決めつけた)に沿った、ゴージャスできれいな絵だった。でも蝶々じゃなくて蛾(が)が飛んでいるのは、割ときれいな蛾だからいいとして、何で花瓶の下にトカゲがいるのかな。やっぱり画家というのは、ちょっとひねくれたヤツが多いと勝手に納得する。



この展示会の絵は光の陰影や細部の描写をじっくり堪能すべきなのだが、会場はかなり混雑していたし、時間もあまりなくて駆け足の鑑賞になってしまったのが残念。もっとも時間を掛けても、私に見極められる眼があるかどうかは別の話。



ところでいいことを思いついた。
日本には美術館・博物館が1200館ほどあるらしい。
つまり山ほどある。
バイクで地方の美術館巡りをしようっと。

あまりバイクで長旅をするつもりはない。しかし日帰り圏内の関東だけでも、おそらくかなりの数に上るはず。山道・海道もいいけれど、バイクで文化活動も楽しそうだ。


おしまい

wassho at 01:18|PermalinkComments(0) 美術展 

2011年05月19日

フェルメール<地理学者>とオランダフランドル絵画展

東京で暮らしていれば、常に興味を引く美術展がどこかで開催されている。しかし地震や放射能のせいで世界各国の美術館は、日本への貸し出しを敬遠する傾向にあるらしい。原子炉で放射能が漏れたとか水が漏れたとか水位が下がったとかのニュースは、もう慣れっこになっていちいち気にもしなくなった。政府や東電は、まさか嘘はついていないだろうけれど、正確・真正直にも言っていないーーー世間の平均的な印象はこんなところか。そんなあやふやな国に大事なお宝を貸してくれなくなるのも仕方がないか。


そんなことを思いつつ珍しく渋谷で待ち合わせをしたので、そのついでに渋谷の東急文化村(東急百貨店本店の隣にある美術館・映画館・コンサートホールなどが入っている複合ビル)に行ってきた。


展示会のタイトルがややこしいかもしれない。

フェルメールは画家の名前。
地理学者は、フェルメールの作品の名前。
オランダはそのまま。
フランドルというのは、現在のベルギーを挟んでオランダの西側とフランスの東側辺り一帯をフランドル地方と言っていた。フランダースの犬のフランダースは、フランドルの英語読み。

要は17世紀頃の、ベルギーやオランダあたりの画家の展示会である。フランダースの犬で有名なルーベンスやレンブラントも、その時代のその地域の画家。もちろんフェルメールも。


フェルメールは一般的にはゴッホやピカソほどの知名度はないが、美術好きではファンが多い。「真珠の耳飾りの少女」「牛乳を注ぐ女」は何かで眼にした人も少なくないと思う。

この展示会にはルーベンスやレンブラントの作品も展示されているのに、冠(かんむり:展示会のタイトル)がフェルメールなのは、彼の人気が高く集客力があるのと、彼の作品は30数点しか残っていないので、なかなかお目にかかれないからである。タイトルをパッと読んだだけではフェルメール展のように錯覚するが、彼の作品は1点しか展示されていない




1竪琴を弾くダヴィデ王

いっかにもヨーロッパの絵画な感じ。

「竪琴を弾くダヴィデ王」というこの作品は、頭の部分をあのルーベンスが描き、弟子?のブックホルストという画家が後に胴体を描き加えたらしい。そういわれてみると頭と胴体の部分の立体感が違う。しかし解説がなければたぶん気づかない。

なおルーベンスは単に老人の頭を習作で描いただけなのに、ブックホルストは胴体を足し、なおかつそれを絵画として価値の高い=高く売れるダヴィデ王に仕立てた(デッチあげた?)らしいから、なかなかやり手である。フランドル・マーケティングの始祖と呼んであげよう。


2歌う若い男

この絵に似た絵か、あるいはこのモデルに似た登場人物が出ている映画を絶対に見たはずなのに、それが何だったか思い出せなくてイライラした作品。私の場合、思い出せないということは、そんなに昔の出来事じゃないはず(意味がわかるかな?) 

ディルク・ファン・バーブレンの「歌う若い男」という作品。タイトルを読むまで歌っているとは思わなかった。イライラしたけどいい絵だった。でもどこかイタリアっぽいと思うのはなぜだろう?




3画家と読みものをする女性、掃除をする召使のいる室内

何となく惹かれた作品。ピーテル・ヤンセンス・エーリンハの「画家と読みものをする女性、掃除をする召使のいる室内」。画家の名前も作品のタイトルも長すぎ!

絵としてもよかったけれど、違う国の違う時代の、つまりは実際には体験できない人々の暮らしをみるのが私は好きなのかもしれない。映画でも室内シーンになるとよく目を凝らしている。

絵に話を戻すと、召使いが主人公になっているのがおもしろい。絵とは関係ないが、やはり天井というのはこれくらい高くないとね。日本人はコツコツまじめで優秀でも、発想や行動がこぢんまりとしてつまらないのは、天井が低いからだと常々思っている。


ーーー続く

wassho at 01:36|PermalinkComments(0) 美術展 

2011年05月16日

FC MOTOはクソ会社(本編)

この週末は何かと用事があって、天気もよかったのにバイクには乗れずで残念。今日は風がかなり強かったみたい。

さて例の重すぎるブーツ
観音崎ツーリングに行ったときに、その重さゆえに灯台に登る気にならなかったので買い換えることに決めた。最初は同じエンジニアブーツにしようと思っていた。もちろん重くないヤツを。しかしエンジニアブーツはほとんど黒か茶色である。ネットでは違う色を取りそろえているショップもあるが、今回ばかりは実際に履いて重さを確かめずに買う気はなかったので、早々にパス。

バイク用のブーツも調べてみたら、エンジニアブーツ以上に黒が多くて、茶色がたまににある程度。バイク人口少ないし、オッサンマーケットだからこういう状況になるのだろうか。別に深い信念がある訳じゃないものの、今はなぜか黒い靴を履いてバイクに乗る気がしない。気に入ったブーツがないからバイク売っちゃったーーーなんてのも、シャレとしてはおもしろいかなと思ったり。


それでようやく見つけたのが、前に紹介した革ジャンと同じアルパインスターというイタリアのメーカーのブーツ。カラーはウォームグレーと書かれており、やや茶色をまぶしたようなグレー。少しエレガントなデザインで気に入った。
アルパインスターブーツ


最初、これはアルパインスター本国のホームページで見つけた.しかし、いざ発注しようとしたときには、黒しか載っていなかった。同じ頃、革ジャンも品揃えが少なくなったから、商品の入れ替えをしていたのかもしれない。でも、このブーツは冬物専用ではないと思うのだが。

というわけでガッカリ。バイクの神様はあまり私が好きではないようである。しかしめげずに探してウォームグレーを売っているネットショップを見つけた。それがFC MOTOというサービス砂漠・ドイツのクソ会社である。


ポチッとクリックして、名前や住所を記入するのは日本のネットショップと同じ。ところで日本の住所を英語で書くときは、例えば東京都千代田区本町1丁目2番地3号なら 1-2-3 honmachi chiyoda-ku Tokyo と順番が逆になる。ところがFC MOTOのフォームではStreetとhouseナンバーの記入欄があって、Streetの欄には数字が入らない。(Tokyoを書く欄は別にある) つまり

    「honmachi chiyoda-ku」「1-2-3」との記入になる。
    ※マンション名や部屋番号を書く欄は別にある

どうもドイツの住所はストリート名と番号で構成されているらしい。参考までにFC MOTOの住所はJulicherstr. 13。FC MOTOは世界中に発送すると書いてあるし、注文も10カ国の通貨が利用できるのにドイツ式でしか入力できないのはマヌケな話。

とにかく1-2-3 honmachi chiyoda-ku では入力エラーになってしまうので、honmachi chiyoda-ku 1-2-3 で入力して注文した。これでも届くとは思ったが少し心配になったので、翌日「おたくのフォームではエラーになって入力できなかったのでhonmachi chiyoda-ku 1-2-3で入力したけれど、正確な住所表記は1-2-3 honmachi chiyoda-kuである。そちらで修正しておいてくれ」とのメールを出した。

二日後、返事が来た。
「こちらに登録されているのはhonmachi chiyoda-ku 1-2-3 の住所です」


    アホかコイツ?


英語を考えるのも面倒だったので「それはわかっている」とだけ書いて、後は前回の文章をもう一度コピーして返信した。そういえばドイツはサービス砂漠の国だったなと、そのとき思い出した。私とFC MOTOとのコミュニケーションは、それが最後である。


その後、返事はナシ。
もちろん商品も届かない。


注文から1ヶ月後にメールしてみた。
「1ヶ月前に注文したが、いつ発送するのか教えてほしい」


返事は来なかった。
ちなみにFC MOTOはバイク用品通販サイトでは大手である(たぶん)

それからしばらくたったゴールデンウイーク前、ドイツ在住の知人に電話した。カクカクシカジカなので、ゴールデンウイークが過ぎても商品が届かなければ、済まないが一度電話で問い合わせてくれないかと頼んだ。ガッテンショウチ!と快諾される。そのときには、もう安全靴は届いていたし、もしカネだけ取られて商品が届かなくても、たいした金額でもないので、これも勉強のうちくらいのつもりだった。


ところがゴールデンウイークの終わり頃(ドイツにGWはないが)、見慣れないメールが届いたので開いてみると、銀行からクレジットカードの返金があったとの内容。ネット通帳を開いてみるとFC MOTOが返金してきた模様。

もちろんFC MOTOからは何の連絡もない。なお現在もFC MOTOの私の注文記録のページを見ると、発注したときと同じく「処理中」となっている。とことんクソ会社である。


ドイツの知人によると、ドイツではクレームは客から何度も問い合わせなければラチがあかないそうである。店側が自発的に対処するケースはまずないとの話。またなぜか、店が客に丁寧な対応をしたとしても、客が礼を言うこともないらしい。世界各国いろいろある中で、ドイツはまともな国の最右翼だと思っていたのに、何とも不思議な一面を持っている。暇なときに「商品はいつ届くのか」とメールをし、返金したといわれれば「受け取っていない」と言い返してやろうと思っている(^^ゞ


ところで写真のブーツはFC MOTOで買うと送料込みで1万8452円である。関税が取られるかどうかは運次第だが、取られたとしてもたぶん3000円ほど。実はアルパインスターは国内にも代理店があって、日本価格はなんと3万4440円! 87%増し!ボッタクリもいいところである。

でも、またいちから探すのも面倒になって買っちゃった。
さすが日本の会社、注文して3日後には届いた。
このブーツが欲しかったはずだったのに、なにか損したような気分。

以上、ドイツ・サービス砂漠の顛末でした。

wassho at 08:10|PermalinkComments(13)   *バイク関連 | 生活、日常

2011年05月14日

シェケナベイビー

サービス砂漠・腹立ち日記は1回休み。


内田裕也が女性に復縁を迫って、強要未遂と住居侵入の容疑で逮捕されたのはご承知の通り。「暴力団とつきあっていることと、覚醒剤をやっていることを会社にばらすぞ」という手紙を、わざわざ女性の自宅の郵便受けに入れに行ったらしいから、アウトローを気取っていても行動は気の弱い中学生レベルである。

この女性にも、奥さんである樹木希林にもよく暴力をふるっていたらしいから、基本的にクソ野郎である。並みのクソ野郎と違うのは、本人がそれを生き様にしているところか。


実は昔から内田裕也が嫌いである。正確に言うなら彼個人は別に好きでも嫌いでもない。事件を起こしてはいけないが、こういうメチャクチャなオッサン(もうジイサンだが)がいるのもおもしろいとは思っている。何が気にくわないかというと、内田裕也が日本のロックの首領(ドン)と呼ばれていることである。

芸歴?は長いから、日本のロックシーンの初期に多少の軌跡を残したことは認める。評価できるとしたら、ただそれだけである。その程度の活躍をした人ならたくさんいる。世に残るヒット曲もなく、たまにジョニーBグッドなどの懐メロ・ロックンロールを歌っているのを聴いたことがあるが、ヴォーカリストとしては中学生の文化祭レベル。


たぶん彼がドンと呼ばれるようになったのは、ちょっとハチャメチャで強面(こわおもて)なキャラのせいだろう。ドンとか殿とか兄貴とか、少し持ち上げた存在にしておいたほうが、まわり全体がしっくりいく人間というのはいるものだ。私もそのタイプだからよくわかる(^^ゞ 

しかし彼の場合は、俺が日本のロックを背負ってきたというような態度をとるところが鼻につく。それにロックをやっているんだから何をやってもいいんだと考えているフシもあって、うらやましい、イヤそれもおかしい。まあ芸は身を助くである。多少の音楽的才能があったから71歳になるまで長生きできた。なければチンピラとして若死にしていただろう。


ついでに書くと和田アキ子も嫌いである。でかい声が出るだけで、なぜあんなにリズム感ゼロの歌唱力なのに、歌が上手いとか、ましてやリズム&ブルースの女王とか崇められているんだろう。数年前には何を勘違いしたか、ニューヨークのソウルミュージックの殿堂アポロシアターでコンサートまでしたらしいから、周りに止める人間はいないようである。もっとも客のほとんどはタダ券でかき集められたアメリカ在住の日本人だったようだから、日本の恥を本場で晒さなくてよかった。


音楽の3要素はメロディー、ハーモニー、リズム。ロックやポップスなどの現代音楽では、この3者の役割はほぼ均等、ものによってはリズムがやや勝っているような気もする。音が出て止まるから音楽には必ずリズムはあるけれど、クラシックなんかは現代の感覚でいうとそんなに「リズミカル」な印象は受けない。日本の雅楽に至ってはパオーっと笛がうなっているだけでリズムという概念はないようにも思える。※3要素のハーモニーは「唄でハモる」のハーモニーではなく和音だと考えたほうがわかりやすい。


歌でもダンスでも、日本人あるいは黄色人種と白人・黒人を較べるとリズム感は圧倒的に劣る。ダンスのリズム感は映像では伝わりにくいしかしナマで見較べると、同じダンスを踊っていても盆踊りとダンスくらいの違いがある。そういや日本舞踊もリズムという概念からは遠い。

DNAにリズム感がないから、リズム感のない音楽や踊りが生まれたのか? あるいは音楽や踊りは気候風土がリズム感のないものを生み出しただけで、本当は日本人にもリズム感があって、ただ歴史的にそれが刺激されてこなかったからDNAの中で眠っているだけなのか? 

日本マクドナルドの創業者である藤田田(ふじたでん)氏は、創業当時「アメリカ人のようにハンバーガーを食べれば、やがて日本人もアメリカ人のように金髪で青い眼になる」といっていた。さすがにそれはないと思うけれど、いつか日本人も白人・黒人並みのリズム感を持つ日が来るのかな。考えてみれば日本人が西洋音楽を聴き出して、まだ100年ちょっとしか立っていない。


ちなみに私はリズム感まったくありません(^^ゞ

wassho at 23:50|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2011年05月12日

FC MOTOはクソ会社

さて、ドイツのサービス砂漠・腹立ち日記である。

発端はバイク用に買ってはみたけれど、片足1.2キロもある重すぎるブーツ。グリーンのブーツなんて滅多にないからデザイン的には気に入っていたのに、やはり重すぎる。自宅から5〜6分のガレージに行くのもイヤになる。これじゃとてもバイクツーリングを楽しめないから、三浦半島〜湘南ツアーを最後に買い換えることにした。

後で知ったのは、ブーツが1.2キロもあると書いたエントリーで「災害現場で活躍する安全靴」でも1.12キロだと書いたのは間違い。リンク先のデータをみると1,120g/足と書いてあるが、足というのは左右両方の靴という意味だった。そういえば靴は左右セットで1足、2足と数える。つまりあの頑丈そうな靴でも片足560グラムである。だから片足1.2キロもあるブーツというのがいかに重いかわかる。ちなみにブランドはホーキンス。生まれて初めて買ったけれど、もう二度と買うことはないだろう。


「/足が」左右両方の靴の重さだとなぜ知ったかというと、安全靴を買ったから(^^ゞ バイク用の商品というのは何でも高い。バイク人口はドンドン少なくなっていて少量生産しかできないからだろう。安全靴は安いし、先ほどのエントリーにも書いたようにカジュアルなデザインもたくさんあることを知った。

ただ、その気になって探すと気に入ったものはほとんどなかった。バイク用シューズとして私が考えていた条件は

■丈夫で安全→これは安全靴だから問題なし。

■ハイカットでくるぶしをカバーする→このタイプはたくさんある。

■ひも靴でないこと→安全性が求められるのは転けたり事故ったりの時である。そんな時に、何かのはずみで靴ひもがチェンジペダルやステップ(バイクで足を置くところ)に引っかかったりしたら困る。カジュアルなデザインの安全靴はたくさんあると書いたが、そのタイプはほとんどひも靴だというのが調べてみてわかった。

■黒じゃないこと→これは好みの問題。革ジャンも革パンもバイク用は黒以外を選んでいる。

結論として、カジュアルな安全靴には色のバリエーションが一杯ある→カジュアルな安全靴はひも靴である→ひも靴でないのはトラディショナルな安全靴→それらはほとんど黒しかない(/o\)


それでも、あれこれネットで画像検索しながら探したのがこの商品。
シモン安全靴


ひも靴ではあるが上の方のベルトに挟めるから問題なし。ただし写真ではオフホワイト×黒に見えるオフホワイトのところはもう少しグレーっぽい。つまり写真で見えるほど明るい感じはしない。ただそのことはネットでの書き込みでわかっていた。それでも購入したのは、これ以外に私の条件を満たす安全靴がなかったから。それとなんと送料込みで2980円だったから!


メーカーはシモンという安全靴では一流のメーカー。少し前のモデルで、在庫限りの商品なのが安い理由らしい。それでも定価で4800円だから安全靴はやっぱり安い。購入したとき在庫のある一番小さなサイズは26.5センチだった。デザインを見ると幅が広そうだから、私の足には少し大きいかもしれない。もしそうでもインソールを入れれば何とかなると判断。それにハイテクインソールを入れた方が履き心地はよくなる。全然見当外れでも2980円の勉強代で済む。


ネット通販で届いた商品を実際に履いてみると、予想通りハイテクインソールを入れてぴったりとフィットした。おかげで履き心地も2980円の靴とは思えないくらいソフトになってメデタシメデタシ。いわゆる質感はお世辞にもいいとはいえない。それでも、ちょっと離れてみれば、まさかこれが2980円だとは誰も思わないだろう。できるだけ明るい感じにするために、靴紐をオフホワイトの色に合わせたものと取り替えた。


足首のところのベルトはマジックテープで締めるようになっている。でも、あまり締まらない。だからちょっと違和感はあるものの、靴紐のところでしっかり締まっているから実用的には問題ない。ただ写真じゃわかりづらいが、この安全靴はスニーカータイプだから踵(かかと)がない。土踏まずのところが少しへこんでいるだけ。私は靴の踵をステップに引っかけて乗るほうが、足がどの場所にあるかわかって乗りやすい。(バイクに乗る人しかわからない話でゴメン)。あと写真の反対側には蒸れ防止のための空気穴が2つ開いている。寒い季節にはツライかもしれない。でもトータルではいい靴だと思う。定価の4800円でも充分にリーズナブル。さっき調べたら、まだ在庫はあるみたい。


ただしこの安全靴は、別のブーツが届くまでのつなぎ&予備用として購入した。問題はそのブーツ。例によって前振りが長くなったので、腹立ち日記本編は次回に。

wassho at 23:23|PermalinkComments(0)   *バイク関連 

2011年05月11日

サービス砂漠の国

ドイツ国旗2006年にドイツに行った
そんな昔だったかと、我ながら驚く。
ということはもう長い間海外に行っていないことになる。
それに歳も取るわけだ(^^ゞ

実は年に1回、某業界団体の会議がヨーロッパで行われる。去年はアテネで今年はアムステルダム。それに出席すれば毎年海外に行けることになるが、小さいながらも国際会議なので、私の英語力ではちょっとツライ。出席者=仕事仲間からは「なぜwasshoはいつも来ないのだ」といわれるが、連中は私が、こんなものや、あんなものを駆使して英語のメールをやりとりしているとは思っていない。今年も欠席の予定というか、ハナから行くつもりがない。


さてドイツ。
行く前は、ドイツ人というのは例えばゴミを100種類に分別しなければいけないとしたら、それをきちっとやりそうというか、真面目で堅物で、なんかつまんなそうなイメージを持っていた。でも行ってみるとフレンドリーでおもしろい奴が多かった。逆に日本人は海外で、どんなイメージを持たれているのだろうと思ったものだ。

ほかにもコーヒーが香ばしいとか、イタリア料理が旨いとか意外な発見があった。日本ではユッケの食中毒が話題になっているが、ドイツでは豚肉のユッケをパンに載せて食べる。最初はびびったのに、とてもおいしくて二回目からおかわりしたのも懐かしい思い出である。


百聞は一見にしかずで、海外に行けば何かしら発見はある。でもドイツ人が「この国はサービス砂漠の国」と自嘲気味に話していたのにはとても驚いた。もっとも短い滞在だったので、私自身は特にそれを感じなかったけれど。でも航空会社、ホテル、レストランは普通だったが、スーパーやデパートでは多少その気配があったようにも思う。


中国もサービス砂漠の国であるが、それには別に驚かない。GDPでは日本を追い抜いた経済大国だとしても、全体としてはまだまだ発展途上国である。私が子供の頃の日本のサービス産業のレベルを考えれば、あんなものかと納得もする。それがドイツだと驚くのは、ベンツやBMWのイメージがあるからだろう。あれだけのクルマを作れるハイレベルな国なのに、なぜサービス産業は砂漠なんだろうと。


ネットで調べると、サービス砂漠の被害にあったという情報はたくさんあったが、なぜドイツはサービス砂漠なのかを解説してくれているところは、ざっと調べただけでは見あたらなかった。

まあドイツがサービス砂漠だろうとオアシスだろうと別にどうでもいい。クルマとのギャップには好奇心をそそられるとしても、しょせん遠い国での話。

ーーーと思っていたのに、何と私もサービス砂漠を体験するはめに(/o\)
その内容は次回ということで。

wassho at 19:00|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2011年05月08日

南房総へ山道・海道

海派か山派かと問われれば海派の私だけれど、4月30日に行ったヤビツ峠から宮ヶ瀬湖に至る山のクネクネ道は思っていた以上に楽しかった(2つ前のブログ)。だったら両方まとめて楽しもうと欲張って考えたのが、今回のツーリング(バイクのドライブはツーリングと呼ばれている)。


昨日は雨だったので、どこへ行くかいろいろと調べてみた。千葉にはたいした山はないのだが、それなりに楽しそうな田舎道がいろいろあるらしい。というわけで考えたのが下のルート。なんか最近の休日はバイクばっかり乗っているが、もうじき梅雨になれば乗れなくなるということで。


航空写真はいつものグーグルマップの引用。(クリックで拡大)
A地点が自宅。東京湾をアクアラインで突っ切って館山自動車道に入る。B地点が君津というパーキングエリア。そこで休憩して、その先の富津中央というインターチェンジで降り、しばらく館山自動車道と併走してからC地点へ。CからD地点は県道182号線、通称もみじロードと呼ばれている道。紅葉の季節ではないがクネクネが期待できる。

もみじロードが終わったら少し西に移動してEからF地点が県道88号線。ネットで調べたところクネクネ、のんびり走れる田舎道らしい。F地点=県道88号の終点から海のほうに降りて、房総半島の南端をグルッとまわって山道と海道の両方を楽しもうというのが今回の企画。

H地点は野島崎灯台で、一応そこを目的地とした。その後は房総半島の西海岸を北上してL地点あたりで再び館山自動車道にのって、アクアラインを東京方面に帰ってくる。M地点はアクアラインの途中にある「海ほたる」という有名なパーキングエリア。
00地図



我ながらいいプランだと思っていたのだが、
途中で道を間違えたりして少し違うルートになってしまった。


午前6時半出発。本当は5時に出発するつもりだったが寝坊(^^ゞ。早く出発するのは渋滞を避けるのと、帰りが暗くなるのがイヤだから。なんてったってゴールデンウイーク中である。それともし風が強かったら、アクアラインをバイクで走るのは怖いので、東京湾沿いをグルッと回って帰ってこなければならないから。

アクアラインは東京側からM地点の海ほたるまでは海底トンネル、そこから千葉側までは海上を走る吊り橋になっている。往きは出発前にネットで風の状況を確認。もし強風だったらツーリング中止の軟弱ライダーである。


アクアラインをバイクで走るのはもちろん初めて。ところで私は高速道路のトンネルが苦手。これはクルマでも同じ。なぜかというとトンネルを走っていると、当然暗いが、何となく夢を見ているような錯覚に陥るのである。ちょっと大げさだけれど、フッと意識が飛びそうになる(/o\) だから「これは現実だ、しっかり運転しろ」と自分に言い聞かせながら走った。

ところでアクアラインのトンネルの中は暑い。トンネルに入る前バイクの気温計は19度だったのに、最終的には27.5度まで上昇した。走っていてもドンドン暑くなってくるのがわかる。真夏だったらどうなるんだろう?

トンネルを抜けると雪国ではなくて、海の上。クルマでは何度か走っているが、人間ってすごいものを作れるんだなと毎回感心する。こればかりは写真や映像ではちょっとわからない。やっぱり生で体験しないと。ところでバイクだと横を向くと進路がずれそうな気がして、あまり海風景を楽しめないのが残念である。


無事アクアラインを通過して館山自動車道に入り、予定通りB地点の君津パーキングエリアで休憩。すでにこのあたりでも緑が多く、田舎ムード満点である。ここはトイレと飲料の自動販売機があるだけの小さなパーキングエリア。私がいたときはクルマが6台とバイクが14台止まっていた。なぜ台数まで数えたかというと、14台のバイクの内、13台までがBMWだったから。BMWって売れてるのね。


この先の富津中央インターで降りてC地点に向かうことはさっき書いた。君津で地図を見て確認もした。でもなぜか私は富津「中央」ではなく富津「南」で降りると思い込んでしまった。老化現象かなあ? 富津南なんてインターチェンジはないので、ドンドン南下してしまう。4つか5つのインターを過ぎたところで、さすがにおかしいと思って高速道路を降りる。どこで降りたかは忘れた。

もっともナビは富津中央で降りろと指示した。しかし自宅を出発したとき一番近くの首都高を案内しないで遠回りさせられたので「コイツ、また間違っとる」と疑って信じなかった(←新しい表現を発明した!:信じて疑わなかったの逆ね)のが失敗の元。でもまあE地点はナビにセットしてあるので、降りたインターから北上する。これが先日のヤビツ峠なみに細くてクネクネした道で楽しかった。結局C〜D地点のもみじロードは走り損ねたことになる。まあヨシとしよう。



E〜F地点の88号線は、ネットの情報通りクネクネとのんびりした田舎道。クルマもほとんど走っていないし、信号も30キロほどの道のりで数カ所しかなかった。
01山道


あまりに細くてクネクネしたところは運転にイッパイイッパイなので、少し広くなったところで撮影。こんなカーブが延々続きます。





02広い道



のどかな田舎の風景です。








03水田




最後のほうは水田もあった。
田んぼを見るのは久しぶり。
子供の頃は実家の周りにもたくさんあった。








F〜G地点は適当に行けばいいやとナビはセットしていなかった。だいたい正しくいけたと思うが、G地点あたりになっても海より一本内側の道を走っているらしく、遠くにチラッと海が見える程度。なかなか海岸線に出ず、しびれを切らして細い道を海側にハンドルを切る。
04山道を降りると



山道が終わるとーーー





05海辺に到着





海辺に到着!
うねりも少しあって力強い海という印象。










しばらく走ってまた撮影。
ところで、撮影の趣旨からいうと「道路と海」がセットで写っているべきだが、なかなかそういう「紀行写真」を撮るのは難しい。どこでもバイクを停められるわけではないし、構図的にも「あの位置からならいいアングルかも」と思うところは、バイクを停めたところからかなり離れていたりする。
06南国っぽい



千葉なんだけれど、この日は日差しも強かったし、何となく南国っぽい。







07灯台が見えてきた







野島崎灯台も見えてきた。







午前10時前に野島崎灯台に到着。普段の休みなら、まだ寝ている時刻である。バイクに乗ると生活が健康的になります。野島崎灯台は先日訪れた観音崎にある灯台に次いで、日本で2番目に古い灯台だそうである。というわけでオールド灯台ワン・ツーをゲット。
08最南端



房総半島最南端らしい。
日本最南端とか、せめて本州最南端ならありがたいが、房総半島の最南端っていわれてもーーーちょっとね。





09aごつごつ



灯台の周りは公園。
ごつごつした感じの岩が多い地形である。





09b遊歩道




こんな遊歩道を歩いて行く。





09c双眼鏡






観光地ならお約束のコイン式双眼鏡。
ここから新島や伊豆大島が見えるらしいが、この日はかすんでいて無理っぽい。





10灯台真下






真下から灯台を見上げる。
200円払って登ってみた。





11階段



だいたい想像通りの階段。





12最後の階段







でも最後は、こういう急な階段を2つ登っていく。

灯台の階段自体はジイちゃんバアちゃんもたくさん登っていて、それほどきつくはないもののバイク用に革ジャン、革パンなので暑くて困った。





13灯台の上から



灯台の上から。





14灯台の上から2



















灯台の隣に小さな博物館がある。灯台と博物館の入場料込みで200円。小さな博物館で、特に見るべきものはなかった。
15博物館



でも、せっかくだから撮影。
灯台の電球? 人が途切れたときに慌てて撮影したので、ちょっとピンぼけ。






16灯台下の漁港



灯台の下には小さな漁港。
なぜか私は漁港好きであることに、先日のツーリングで気づいた。




18rs100





灯台見物を終えて駐車場に戻ってみると、私のF800Rの後ろに古いBMWが停まっていた。R100RSと書いてあった。調べ見ると1980年代中頃から90年代初め頃のバイク。当時の人気車種だったらしい。古っぽくて未来的なデザインがいいね。






野島崎灯台の近辺は海がすぐそばの文字通りのシーサイドロードで、適度にクネクネもあって本当に楽しい。道路沿いに、一カ所だけ20名程度のサーファーが海に入っている場所があった。なんとなくサーフィン復活のモチベーションを高めるために、海辺を好んで走っている気もしている。


航空写真でHとI地点の間、「相模灘」という文字の右側の道は房総フラワーラインと呼ばれている道路。春先には菜の花がいっぱいでバイクで走ると花の香りに包まれるそうである。

19フラワー道路



季節的には遅いが、多少は名残が。









しかし景色がいいところで、いちいちバイクを停めて写真を撮っているとキリがない。さっきも書いたように、いい景色のところでバイクを停められるとも限らないし。そこでお願いがあるのだけれど、デジカメメーカーとヘルメットメーカーは協力して、デジカメ内蔵ヘルメットを開発してくれないかな。



I地点は洲崎(すのさき)灯台。ここも登ろうかと思ったが、農家が自分の庭先を有料駐車場にしている商魂たくましいところばかりだったので、気が萎えてやめた。ちなみに野島崎灯台の駐車場は無料である。


灯台をパスして北上。

20のんびりした海



のんびりした景色が気に入って撮影。





21海をバックに




海をバックにBMW F800R。








シートの真ん中あたりにあるのがガソリンタンクのキャップ。このバイクのガソリンタンクはシートの下にある。別にそれを評価して買った訳じゃないが、ガソリンを満タンにしても運転に影響しないのは気に入っている。でも、それならタンクっぽく見えるところはトランクにしてくれればいいのに、そうはなっておらずバッテリーなどが収まっているらしい。また開いたことはない。



道の駅の標識があったので曲がってみると、そんなものは見あたらず? そのかわりにいい感じの砂浜に出た。J地点。

22護岸



途中までは護岸壁で、この写真の奥の右側は釣り人多数。




23沖の島





沖の島公園という砂浜で、奥に見えるのが沖の島。今は砂浜でつながっているが、昔は島だったらしい。





24水はきれい





水はきれい。
しばらくボーッとして過ごす。

釣り人や家族づれは一杯いたがゴールデン・ウイークという賑わいじゃない。
普段の休日の感じ。





25ヘリコプター



ここは隣が海上自衛隊の基地。
ヘリコプターが発着して海をグルッと回って着陸する訓練を繰り返していた。








沖の島公園を後にし、ソロソロ昼時。
海鮮料理でも食べようと思ったが、なかなか適当な店に出会わず。あっ、あった!と思っても通り過ぎていたりする。こんどは道路沿いに道の駅があったので入ってみる。K地点。食事を出す店は4つあったが、どれもいまいち。でも面倒なので、そのうちの一軒に入る。

マグロ丼1200円也。別に普通の味だったけれど、これに1200円出すのだったら、コンビニでカップヌードルでも買ったほうがよかったかなと思い不機嫌になる。でもお金を払うときに知ったのだけど、1日先着10名は、マグロ丼は500円とのこと。
ああ、おいしかった(^^ゞ


このあたりはビワの産地らしく、道路沿いにもたくさん店がある。駅の道の売店でも売っていて、バイクにくくりつけるロープなどを持っていなかったので買うのは断念。

食後に駐車場の奥の海際をのぞきに行く。



なんのへんてつもないコンクリートの護岸越しの海。でも、これが妙にのんびりしてて味わい深い。「春の海 ひねもすのたり のたりかな」 与謝蕪村が見ていた景色とは全然別物のはずだろうが、ついそんな俳句を思い出した。
26コンクリート越しに


ついさっき沖の島公園でボーッとしたばかりなのに、防波堤に座り込んでまたボーッとする。心も体も溶けそうである。やっぱり私は海が好きなんだと改めて思う。





27フィッシングなう



フィッシングなう な人。
風に飛ばされないように帽子にアゴヒモがあるのがカワイイ。私がいるあいだ、竿がしなることはなかったが。
(写真はクリックするとすべて大きくなる)





予定ではL地点(富津金谷インター)で館山自動車道に乗るつもりだったが、道路も空いていたし、海は見えなくても地方都市の道路もそれなりに味わいがあったので、高速は使わずに海寄りの道路をそのまま木更津まで北上。そこからアクアラインで東京に戻る。朝よりは多少風があったが特に問題はなし。道の駅の海で充分にボーッとしたので、海ほたるでは休憩しなかった。

羽田で高速を降りて環八へ。千葉とは気温が2度くらい違って暑い。やっぱりヒートアイランド現象かな。環八に入ればもう見慣れた風景。しかし「家に帰るまでがツーリング」と気を引き締めて走る。それなりに混雑している。よく考えると千葉では渋滞は一切なかった。


ガレージで「拭くピカ」というワックス入りのウエットティッシュのようなものでバイクをきれいにする。雨の日には乗っていないから、購入してからいまだに洗車していない。

午後3時半、自宅に帰る。
走行約270キロ。無事故、無違反を天に感謝。
来週も同じ道を走りたいと思うくらい楽しいツーリングでした。

wassho at 23:49|PermalinkComments(2)   *ツーリング 

2011年05月05日

殺しのライセンスとビンラディン

ご存じ007のジェームス・ボンドには、任務遂行中の殺人は罪に問われないという「殺しのライセンス」が発給されている。このライセンスを持つ諜報部員は身分証番号?に00(ゼロゼロ)がつく。たまに007以外のスパイも出てくるがゼロゼロ+二桁の番号は聞いたことがないから、殺しのライセンス保有者は最大9名なのかな? 

もちろんこれは映画でのお話。ちなみに私はピアース・ブロスナンから代わってボンド役になったダニエル・クレイグを気に入っている。ピアース・ブロスナンは美形過ぎて何となくイメージに合わなかった。映画の作風も変わったが、ダニエル・クレイグになってリアリティが増したように思う。私もあんな渋いオッサンになりたいものだ。もっとも彼のほうが年下(^^ゞ


さて
米軍特殊部隊がパキスタンでビンラディンを殺害のニュースを聞いて、私は「殺しのライセンス」という言葉を思い出した。事件が報道通りだとすれば、米軍は他国の領土で、その国の同意や了解もなく、軍を使ってビンラディンを抹殺したことになる。


人を殺してもすべてが殺人罪なるわけではないとは以前にも書いた。米国としては、9.11同時多発テロを起こしたビンラディン率いるアルカイダとは交戦中であるという立場なのだろう。

でも理屈的にはけっこう苦しい。戦争は国対国の戦いだが、アルカイダは組織であって国家ではない。まして現場は軍事行動中のアフガニスタンではなく、いちおう米国の友好国とされている隣国のパキスタンである。アフガニスタンとパキスタンの国境付近の山岳地帯なら紛争地域扱いもできるが、ビンラディンが潜んでいたのは首都からクルマで2時間ほどと報道されているアボッターバードという都市。近くにはパキスタンの軍事基地も多いというから、日本でたとえるなら横須賀で無断の突撃作戦を実行したことになる。

しかもビンラディンは丸腰、つまり武装していなかったとされている。米国の発表によれば「抵抗したから射殺した」ということだが、誘拐されそうになったら私だって力を振り絞って抵抗する。最初から殺すつもりで行動したのだと思う。


もっとも米国を非難するつもりはない。飛行機をハイジャックしてニューヨークのビルや国防総省に突っ込むテロを仕掛けられたのである。落とし前はつけなければならなかった。それができるからこそ米国は世界に君臨できる。少し前に国会で「自衛隊は暴力装置というのはけしからん」というアホな議論があったが、平和原理主義者には受け入れがたくても、世の中を治めるのは最終的にはカネと軍事力である。カネもなくなってきたし、漁船一隻でへっぴり腰になる日本は、これからますます半人前扱いかもしれない。ただし、それでヌクヌクやっていくというのも選択肢としてアリかとも思っているが。


いくつか気になっている点を。


ビンラディンの遺体は翌日に空母上から水葬された。そして遺体の写真も公開しないというのが現在の方針。それについてはいろんな思惑が想像できるけれど、そのうち出てくるだろうね「ビンラディンは生きている」とか「あれは影武者」だったという話が(^^ゞ


彼の隠れ家をマスコミは豪邸と表現していた。でも映像を見れば敷地は広いがただの家、どちらかといえば質素な建物である。なぜかマスコミは、少しでも広い家だと豪邸といいたがる。芸能人の自宅なら、よほどみすぼらしくない限りすべて豪邸扱いである。たぶん基本的に日本人の「ねたみ体質」が現れているんだろうなと思っている。


報道では米軍特殊部隊ががビンラディンを殺害したという表現が使われている。今回以外でも、テロ組織や反政府の大物をやっつけたときは「殺害した」といわれる。しかし、どうもこの表現がしっくりこない。殺害というの犯罪に巻き込まれて殺されたというニュアンスがある。だから通常は「殺害された」と受動態で使われ「殺害した」という能動態は聞き慣れない。今回は生々堂々のの軍事作戦だから暗殺というのもおかしい。英語ではどう表現されているが気になったが、面倒なので調べていない。まあ聞き慣れなくて違和感を感じる程度にしか、こういう事件が起こらない方がいいが。


米国の発表では15名の特殊部隊が突入し40分の銃撃戦が繰り広げられたとされている。ビンラディンを含めて死亡したのは、つまり抵抗したのは5〜6名である。映画なら2〜3分で制圧するのに、ボディガードやお世話係相手にずいぶん時間がかかったのね。


映画ではこういう場合、バッバッバッと連射できる機関銃を使う。でもビンラディンは頭とどこかを一発ずつ打たれただけで、蜂の巣にされたのではないらしい。彼の娘は「捕まった後に殺された」と証言している。状況証拠から考えて、そうかもしれんななどとモーソーしてみる。もっとも私の判断材料は「映画では普通ーーー」という根拠のないレベルだが。


報道によれば、隠れ家でビンラディンが目撃されたことは一度もない。つまりここに彼がいる、作戦の当日にいるかどうかは、様々な情報の分析によっての判断。そんな分析をした情報関係者もすごいけれど、100%確実はあり得ないその情報に基づいて作戦実行の決断をした、オバマ大統領というかアメリカ政府もすごい。日本の政治家の顔を思い出してみるとーーーヤメトコ、無い物ねだりは(^^ゞ


しかし、これでまたパキスタンのイメージが悪くなった。ほとんどの人はパキスタンをとっても危ない国、テロリストがウジャウジャいる国だと思っている。テロがたまにあるのは事実だが、人々は素朴で親切ないい国なのに残念である。パキスタン出張日記はここからどうぞ

wassho at 20:52|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済