2011年09月
2011年09月27日
死海文書
死海文書がオンラインで公開されるというニュースがあった。
死海文書とは簡単に言えば、イスラエルとヨルダン国境ににある死海という名前の湖の近くで、1950年頃発見された古代(紀元前2世から西暦1世紀頃らしい)のユダヤ教聖書の写本である。ユダヤ教とキリスト教は親戚みたいなものだから、キリスト教にとっても重要な古文書。発見場所の名前を取って死海文書と呼ばれる。
死海という湖は、海抜マイナス418メートルという低い場所にある湖。そのせいなのかどうか塩分濃度が海の10倍の30%もある。当然、そんな環境では魚などは住めないから死海という名前がついている。英語の名前はデッド・シー。最近は死海でとれた塩や泥を売り物にした化粧品なんかもある。
塩分が濃いので身体がよく浮く。こんな写真を目にしたことがあるはず。
リンク先の写真に禿げ山が写っているが、死海文書は、ああいう山の中の洞窟に隠してあったらしい。
さて、死海文書。
その中身はまったく知らないが、イエス・キリストに関する重大な情報や、人類滅亡の確かな予言が書かれているとかいないとか。「死海文書の秘密」なんて本もたまに出る。エヴァンゲリオン(昔流行ったアニメです)でもストーリーの背景となっていたっけ。
おそらく、死海文書の内容を多少なりとも知っている人なんて、ほとんどいないと思う。冷静に考えれば聖書の古いバージョンでしかない。それでも死海文書と聞くと、何か謎めいたオーラで人々の関心を引き寄せる。私もついニュースをクリックした(^^ゞ
その理由は「死海」というネーミングがもたらすイメージだろう。
これが琵琶湖文書や奥多摩湖文書ならーーー(^^ゞ
というわけで、死海文書の公開に興奮している翔子ちゃんには申し訳ないけれど、本日はネーミングの影響力を改めて感じたというお話しでした。
ちなみに死海文書は巻物になっているので(まだ本という形態はなかった時代)、英語ではDead Sea Scrollsと呼ばれる。でも死海巻物じゃミステリアスさが薄れてしまう。死海文書と翻訳したした人のセンスにも座布団一枚。
死海文書とは簡単に言えば、イスラエルとヨルダン国境ににある死海という名前の湖の近くで、1950年頃発見された古代(紀元前2世から西暦1世紀頃らしい)のユダヤ教聖書の写本である。ユダヤ教とキリスト教は親戚みたいなものだから、キリスト教にとっても重要な古文書。発見場所の名前を取って死海文書と呼ばれる。
死海という湖は、海抜マイナス418メートルという低い場所にある湖。そのせいなのかどうか塩分濃度が海の10倍の30%もある。当然、そんな環境では魚などは住めないから死海という名前がついている。英語の名前はデッド・シー。最近は死海でとれた塩や泥を売り物にした化粧品なんかもある。
塩分が濃いので身体がよく浮く。こんな写真を目にしたことがあるはず。
リンク先の写真に禿げ山が写っているが、死海文書は、ああいう山の中の洞窟に隠してあったらしい。
さて、死海文書。
その中身はまったく知らないが、イエス・キリストに関する重大な情報や、人類滅亡の確かな予言が書かれているとかいないとか。「死海文書の秘密」なんて本もたまに出る。エヴァンゲリオン(昔流行ったアニメです)でもストーリーの背景となっていたっけ。
おそらく、死海文書の内容を多少なりとも知っている人なんて、ほとんどいないと思う。冷静に考えれば聖書の古いバージョンでしかない。それでも死海文書と聞くと、何か謎めいたオーラで人々の関心を引き寄せる。私もついニュースをクリックした(^^ゞ
その理由は「死海」というネーミングがもたらすイメージだろう。
これが琵琶湖文書や奥多摩湖文書ならーーー(^^ゞ
というわけで、死海文書の公開に興奮している翔子ちゃんには申し訳ないけれど、本日はネーミングの影響力を改めて感じたというお話しでした。
ちなみに死海文書は巻物になっているので(まだ本という形態はなかった時代)、英語ではDead Sea Scrollsと呼ばれる。でも死海巻物じゃミステリアスさが薄れてしまう。死海文書と翻訳したした人のセンスにも座布団一枚。
2011年09月25日
ブラブラと横浜・横須賀〜三崎
いつもバイクばかり乗っていて、
不良になったと思われても困るが(^^ゞ
友人が鎌倉に引っ越したので、連休真ん中の土曜日はツーリングではなく「移動手段として」バイクで新居挨拶に出かけるつもりが、事情があってキャンセルに。でも朝起きたら、あまりに天気がいいので、久しぶりに横浜でも行くかと結局ブォ〜ンと。
地図はいつものグーグルマップ。
横浜のどこに行くという当てもなかったものの、とりあえず第三京浜、横浜新道と乗り継ぎ、(B、C、D地点が地図上で被って見にくいが)B地点の赤レンガ倉庫へ。ここは10年ほど前に改装されて商業施設になってから来る機会がなかった。中をブラブラしてもよかったが、ちょうど昼過ぎでまだ暑かったので、前を通っただけでパス。写真も撮らなかったからここで。
C地点は山下公園。赤レンガからはバイクなら数分の距離。
何度も来たことがあるので今更ではある。しかしここはバイクなら歩道に停めておいてもあまり問題にならないので、お散歩タイムに突入。
見ての通り横浜の港に面した公園。
遠くに見えるのはみなとみらい地区。右の方の三角形のビルがインターコンチネンタルホテル。真ん中の一番背の高いのが横浜ランドマークタワー。写真に写っている大きな鎖は↓
氷川丸。
戦前から活躍した客船兼貨物船。係留されているだけで動かない。以前はレストランなどが中にあったが、今は船の博物館になっているらしい。この日は乗船(入館?)せず。
山下公園は、そんなに大きな公園じゃない。
海沿いの細長い敷地で端から端まで歩いても15分程度。
先日の台風の影響か、折れている木があった。
こちらは現役の船たち。
手前は水上バスで赤レンガ倉庫や横浜駅の近くまで行くことができる。後ろの大きな船は、シャトルという紛らわしい名前がついている遊覧船。本来シャトルとは往復便の意味である。この船はランチクルーズやディナークルーズを売り物にしている。
山下公園に面しているホテルニューグランド。これは旧館でクラシックな雰囲気を残している。奥の方に見える無機質な建物が新館。私はたいてい新しいものが好きなのに、現代建築と呼ばれるものは好きになれない。
多数のバイクと一緒に歩道のBMW F800R。
ついでにD地点にある「港の見える丘公園」に行く。
2枚目の写真はレインボーブリッジができてから、すっかり影の薄いベイブリッジ。この公園はその名の通り、小高い場所にあって港が見える。でも写真を見ればわかるようにごちゃごちゃした風景が見えるだけである。ベイブリッジができるまではガッカリポイントだった。ただし夜景になると、汚い景色が見えないので多少はイケる。
山下公園が広場公園なのに対して、
港の見える丘公園は少し欧風庭園公園的。
これは公園内にあるイギリス館という名前の、いわゆる異人館。
外から眺めるとそうでもないが、中に入ると広い。もっとも公園内にポツンとあるから大きさを感じないだけで、住宅地にあれば豪邸サイズなのかもしれない。見学は無料。
数部屋が公開されているとはいえ、まともなしつらえになっているのは、この部屋だけ。でも窓がアルミサッシにリフォームされているのは興醒め。
話は変わるが、このベッドの足元にある家具。
こんな木製のものは初めて見たが、ちょっと高級なホテルだと、ベッドの足元にオットマン(ソファーで脚を投げ出すときに使う小型ソファ)のようなものが置いてある。アレ(名前もはっきりわからない)が何のためにあるのか、ずっと不思議に思っている。
最初はスーツケースを置く台かと思っていた。でもスーツケースをベッドの足元に置く必要はないし、アレがあるクラスのホテルならスーツケースを置く台は別に用意されている。外国なら靴を脱がないから、ベッドをソファ代わりにするときに、靴の部分だけをベッドの外に出すためのオットマンのようなものかとも推理したものの、アレはベッドと同じ高さのものもあれば、一段低い場合もあるからオットマンにはならない。だいたい、例えばベッドで本でも読もうとするときはヘッドボードを背もたれ代わりにするから、アレまで足が届かない。
写真だけ見ると木製なら、メイドが朝ご飯を運んできて、まずお盆をここに置くのにちょうどいいような気もする。ただしその用途なら現在のアレのように小型ソファに変化した説明がつかない。とりあえず、ナゾ
写真はローズガーデン。
ただし今は季節外れ。
なぜか有名人の名前のついた品種のプレートが多くあった。
ところで海の見える丘公園は山下公園と違って、入り口のところに自転車は2〜3台あったものの、バイクは停まっていなかった。
まあいいかと思って停めておいたんだけれど、公園の中から戻ってくるとビックリ! 目の前に交番があった。まあ、お咎めはなかったが。
オノボリさんついでに、ユーミンの唄で有名なドルフィンの前を通る。
場所は根岸公園沿いと知っていたので、あっさり見つかる。というか来てわかったのは、気にしていなかっただけでこの店の前は以前に何度も通っている。ドルフィンはかなり以前に建て替えられているし、オーナーも変わっている。その昔は夕方にオープンして明け方までイタリアンが食べられるカフェレストランで、オシャレな遊び人のたまり場だったと聞いたことがある。同じく昔の飯倉のキャンティみたいなものか?
でもユーミンは「晴れた午後にソーダ水の中から貨物船を見ていた」のだから、それはいつ頃の話なのだろう。ちなみにドルフィンが登場するユーミンの「海を見ていた午後」は1974年の曲。現在は青春時代にユーミンに熱中したオバサマ達の聖地となっているらしい。
ところであまり有名じゃないけど、ここ根岸公園の隣は米軍の住宅があり、アメリカ人がチラホラ歩いている。そういえば「フェンスの向こうのアメリカ」がオシャレなイメージな時代もあった。ところで唄では「山手のドルフィン」となってはいても、ここは山手ではなく隣の根岸という場所。まあ千葉にあるディズニーランドを東京ディズニーランドとネーミングしたようなもの。
この後、横浜をブラブラ走って帰るつもりが、あまりに天気もいいので、ツイ魔が差して横須賀方面に。
三笠公園。F地点。
写真は日露戦争で活躍した戦艦三笠。
パンフレットによれば全長122メートル。
大きな大砲は復元模型っぽいが、小さな大砲は船内でハンドルを回したりできる
甲板の様子。
沖合に見えるのは猿島。
なお、この船は係留ではなく、陸に揚げられて固定されている。
上の写真で、一番高いところに人が集まっているところが戦闘指揮所。東郷平八郎もここでバルチック艦隊との海戦を指揮したはず。屋根も囲いもないから危ない気がするけど、今とは感覚が違うのかもしれない。下につながるパイプを使って「ヨーソロー」とかいっていたのかな。ヨーソローとは「よろしゅうそうろう」の意味。
真下のブリッジ(操船室)
ハンドルが英語なのは、この戦艦がメイドイン英国だから。
竣工は1902年・明治35年。
艦内は展示室に改装されていて、当時の面影を偲べるものは多くない。
入館料は500円だった。
ついでに三笠公園から10分ほどの「うみかぜ公園」。G地点。
家族連れの釣り人多数。
5分ほどこの場所をブラついて、しなる釣り竿は見られず(^^ゞ
バーベキュー広場。
でも、バーベキューするのになぜテントが必要?
さて、こんどこそ帰ろうと思ったのに、
バイクが勝手に東京と反対側に走っていく(^^ゞ
H地点の津久井浜。
この続きが三浦海岸になる。
ウインドサーフィンが数艇。
対岸に見えるのは房総半島。
泳いでわたれそうな距離に見える。
砂浜をバックにドアップのBMW F800R。
もう、ここまで来たら三崎でマグロでも食べて帰ろうと。
I地点が三浦市の三崎漁港。
ところで三崎はマグロで名物で有名。しかし別に相模湾でマグロが採れるわけでもなく、遠洋漁業のマグロがここに水揚げされるだけ。ちょっとズルいと思うのは私だけ?
出かけに遅めの朝ご飯をたくさん食べて、昼ご飯は食べていなかった。というわけで早めの晩ご飯。どうせなら変わったマグロ料理が食べたかったが、そういう料理は2〜3人前からとなっている。結局、ヅケ&マグロの天ぷら丼と迷ったあげく、一番芸のないマグロ&地魚の刺身定食を頼むことに。
オーダーしてから、地魚といっても三連休中で市場も休み(たぶん)だと気がつく。でもおいしかった。どの魚も身に歯ごたえがすごくあったから新鮮なのかと思う。マグロはもちろん冷凍だが。
入ったのは「くろば亭」という店。
港の周りをグルグル回ってたとき、店の駐車場があったのでたまたま入ったが、帰ってから調べたら相当な有名店らしい。午後5時と中途半端な時間なのに店内はほぼ満席。ちなみにマグロ&地魚定食は2100円。少しだけ観光地価格かな。まあ観光地だけれど。
帰りはJ地点の三浦縦貫道路(有料道路)に乗るまでに、渋滞で時間がかかり連休気分を味わえた? その後は、スムースに横浜横須賀道路、往きと同じく横浜新道から第三京浜で自宅に戻る。昼間28度くらい合った気温は18度ほどに下がっている。高速道路をTシャツにメッシュ革ジャンでは寒かった。先週のツーリングでは帰りでも30度近くあったのに。
帰宅は午後8時。フラッと出かけた割には、今までで一番遅い帰宅になってしまった。走行距離165キロ。いつものように無事故無違反を交通安全の神様に感謝。行き当たりばったりで走るのも楽しいものだと実感。
不良になったと思われても困るが(^^ゞ
友人が鎌倉に引っ越したので、連休真ん中の土曜日はツーリングではなく「移動手段として」バイクで新居挨拶に出かけるつもりが、事情があってキャンセルに。でも朝起きたら、あまりに天気がいいので、久しぶりに横浜でも行くかと結局ブォ〜ンと。
地図はいつものグーグルマップ。
横浜のどこに行くという当てもなかったものの、とりあえず第三京浜、横浜新道と乗り継ぎ、(B、C、D地点が地図上で被って見にくいが)B地点の赤レンガ倉庫へ。ここは10年ほど前に改装されて商業施設になってから来る機会がなかった。中をブラブラしてもよかったが、ちょうど昼過ぎでまだ暑かったので、前を通っただけでパス。写真も撮らなかったからここで。
C地点は山下公園。赤レンガからはバイクなら数分の距離。
何度も来たことがあるので今更ではある。しかしここはバイクなら歩道に停めておいてもあまり問題にならないので、お散歩タイムに突入。
見ての通り横浜の港に面した公園。
遠くに見えるのはみなとみらい地区。右の方の三角形のビルがインターコンチネンタルホテル。真ん中の一番背の高いのが横浜ランドマークタワー。写真に写っている大きな鎖は↓
氷川丸。
戦前から活躍した客船兼貨物船。係留されているだけで動かない。以前はレストランなどが中にあったが、今は船の博物館になっているらしい。この日は乗船(入館?)せず。
山下公園は、そんなに大きな公園じゃない。
海沿いの細長い敷地で端から端まで歩いても15分程度。
先日の台風の影響か、折れている木があった。
こちらは現役の船たち。
手前は水上バスで赤レンガ倉庫や横浜駅の近くまで行くことができる。後ろの大きな船は、シャトルという紛らわしい名前がついている遊覧船。本来シャトルとは往復便の意味である。この船はランチクルーズやディナークルーズを売り物にしている。
山下公園に面しているホテルニューグランド。これは旧館でクラシックな雰囲気を残している。奥の方に見える無機質な建物が新館。私はたいてい新しいものが好きなのに、現代建築と呼ばれるものは好きになれない。
多数のバイクと一緒に歩道のBMW F800R。
ついでにD地点にある「港の見える丘公園」に行く。
2枚目の写真はレインボーブリッジができてから、すっかり影の薄いベイブリッジ。この公園はその名の通り、小高い場所にあって港が見える。でも写真を見ればわかるようにごちゃごちゃした風景が見えるだけである。ベイブリッジができるまではガッカリポイントだった。ただし夜景になると、汚い景色が見えないので多少はイケる。
山下公園が広場公園なのに対して、
港の見える丘公園は少し欧風庭園公園的。
これは公園内にあるイギリス館という名前の、いわゆる異人館。
外から眺めるとそうでもないが、中に入ると広い。もっとも公園内にポツンとあるから大きさを感じないだけで、住宅地にあれば豪邸サイズなのかもしれない。見学は無料。
数部屋が公開されているとはいえ、まともなしつらえになっているのは、この部屋だけ。でも窓がアルミサッシにリフォームされているのは興醒め。
話は変わるが、このベッドの足元にある家具。
こんな木製のものは初めて見たが、ちょっと高級なホテルだと、ベッドの足元にオットマン(ソファーで脚を投げ出すときに使う小型ソファ)のようなものが置いてある。アレ(名前もはっきりわからない)が何のためにあるのか、ずっと不思議に思っている。
最初はスーツケースを置く台かと思っていた。でもスーツケースをベッドの足元に置く必要はないし、アレがあるクラスのホテルならスーツケースを置く台は別に用意されている。外国なら靴を脱がないから、ベッドをソファ代わりにするときに、靴の部分だけをベッドの外に出すためのオットマンのようなものかとも推理したものの、アレはベッドと同じ高さのものもあれば、一段低い場合もあるからオットマンにはならない。だいたい、例えばベッドで本でも読もうとするときはヘッドボードを背もたれ代わりにするから、アレまで足が届かない。
写真だけ見ると木製なら、メイドが朝ご飯を運んできて、まずお盆をここに置くのにちょうどいいような気もする。ただしその用途なら現在のアレのように小型ソファに変化した説明がつかない。とりあえず、ナゾ
写真はローズガーデン。
ただし今は季節外れ。
なぜか有名人の名前のついた品種のプレートが多くあった。
ところで海の見える丘公園は山下公園と違って、入り口のところに自転車は2〜3台あったものの、バイクは停まっていなかった。
まあいいかと思って停めておいたんだけれど、公園の中から戻ってくるとビックリ! 目の前に交番があった。まあ、お咎めはなかったが。
オノボリさんついでに、ユーミンの唄で有名なドルフィンの前を通る。
場所は根岸公園沿いと知っていたので、あっさり見つかる。というか来てわかったのは、気にしていなかっただけでこの店の前は以前に何度も通っている。ドルフィンはかなり以前に建て替えられているし、オーナーも変わっている。その昔は夕方にオープンして明け方までイタリアンが食べられるカフェレストランで、オシャレな遊び人のたまり場だったと聞いたことがある。同じく昔の飯倉のキャンティみたいなものか?
でもユーミンは「晴れた午後にソーダ水の中から貨物船を見ていた」のだから、それはいつ頃の話なのだろう。ちなみにドルフィンが登場するユーミンの「海を見ていた午後」は1974年の曲。現在は青春時代にユーミンに熱中したオバサマ達の聖地となっているらしい。
ところであまり有名じゃないけど、ここ根岸公園の隣は米軍の住宅があり、アメリカ人がチラホラ歩いている。そういえば「フェンスの向こうのアメリカ」がオシャレなイメージな時代もあった。ところで唄では「山手のドルフィン」となってはいても、ここは山手ではなく隣の根岸という場所。まあ千葉にあるディズニーランドを東京ディズニーランドとネーミングしたようなもの。
この後、横浜をブラブラ走って帰るつもりが、あまりに天気もいいので、ツイ魔が差して横須賀方面に。
三笠公園。F地点。
写真は日露戦争で活躍した戦艦三笠。
パンフレットによれば全長122メートル。
大きな大砲は復元模型っぽいが、小さな大砲は船内でハンドルを回したりできる
甲板の様子。
沖合に見えるのは猿島。
なお、この船は係留ではなく、陸に揚げられて固定されている。
上の写真で、一番高いところに人が集まっているところが戦闘指揮所。東郷平八郎もここでバルチック艦隊との海戦を指揮したはず。屋根も囲いもないから危ない気がするけど、今とは感覚が違うのかもしれない。下につながるパイプを使って「ヨーソロー」とかいっていたのかな。ヨーソローとは「よろしゅうそうろう」の意味。
真下のブリッジ(操船室)
ハンドルが英語なのは、この戦艦がメイドイン英国だから。
竣工は1902年・明治35年。
艦内は展示室に改装されていて、当時の面影を偲べるものは多くない。
入館料は500円だった。
ついでに三笠公園から10分ほどの「うみかぜ公園」。G地点。
家族連れの釣り人多数。
5分ほどこの場所をブラついて、しなる釣り竿は見られず(^^ゞ
バーベキュー広場。
でも、バーベキューするのになぜテントが必要?
さて、こんどこそ帰ろうと思ったのに、
バイクが勝手に東京と反対側に走っていく(^^ゞ
H地点の津久井浜。
この続きが三浦海岸になる。
ウインドサーフィンが数艇。
対岸に見えるのは房総半島。
泳いでわたれそうな距離に見える。
砂浜をバックにドアップのBMW F800R。
もう、ここまで来たら三崎でマグロでも食べて帰ろうと。
I地点が三浦市の三崎漁港。
ところで三崎はマグロで名物で有名。しかし別に相模湾でマグロが採れるわけでもなく、遠洋漁業のマグロがここに水揚げされるだけ。ちょっとズルいと思うのは私だけ?
出かけに遅めの朝ご飯をたくさん食べて、昼ご飯は食べていなかった。というわけで早めの晩ご飯。どうせなら変わったマグロ料理が食べたかったが、そういう料理は2〜3人前からとなっている。結局、ヅケ&マグロの天ぷら丼と迷ったあげく、一番芸のないマグロ&地魚の刺身定食を頼むことに。
オーダーしてから、地魚といっても三連休中で市場も休み(たぶん)だと気がつく。でもおいしかった。どの魚も身に歯ごたえがすごくあったから新鮮なのかと思う。マグロはもちろん冷凍だが。
入ったのは「くろば亭」という店。
港の周りをグルグル回ってたとき、店の駐車場があったのでたまたま入ったが、帰ってから調べたら相当な有名店らしい。午後5時と中途半端な時間なのに店内はほぼ満席。ちなみにマグロ&地魚定食は2100円。少しだけ観光地価格かな。まあ観光地だけれど。
帰りはJ地点の三浦縦貫道路(有料道路)に乗るまでに、渋滞で時間がかかり連休気分を味わえた? その後は、スムースに横浜横須賀道路、往きと同じく横浜新道から第三京浜で自宅に戻る。昼間28度くらい合った気温は18度ほどに下がっている。高速道路をTシャツにメッシュ革ジャンでは寒かった。先週のツーリングでは帰りでも30度近くあったのに。
帰宅は午後8時。フラッと出かけた割には、今までで一番遅い帰宅になってしまった。走行距離165キロ。いつものように無事故無違反を交通安全の神様に感謝。行き当たりばったりで走るのも楽しいものだと実感。
2011年09月21日
20年前のレイン・コンポ
台風15号接近中である。
今現在、銀座の雨は強くないものの、少し風が吹いてきた。
夕方から夜に掛けてが本番か。
自宅を出る時はかなり強い雨が降っていた。
ビチャビチャになるなあ〜、イヤだなあ〜、仕事休もうかな〜(^^ゞ
バイク用に買ったカッパを着ればいいかと思ったが、
あいにくガレージに置きっぱなし。
やっぱり休もうかな〜(^^ゞ
その時、ゴルフ用のカッパがあることを思い出した。
ゴルフを始めたのは30歳くらいの時。
10回くらいコースに行ったと思うが、なんとなく数年でやめてしまった。引っ越した時に邪魔だからクラブも捨てた。でもゴルフを始める時にクラブと一緒に買い揃えたカッパは、一度も着たことがなかったし、クラブと違って置き場所も取らないから残してあった。
カッパは巾着袋のようなものに入っている。
初めてその袋から出した。
とりあえず上着だけを着る。
ジャンパーのようなデザイン。色はわずかにグリーンがかった薄い色のベージュ。なんか工務店のオッサンみたいな出で立ち。石川遼君にはほど遠い(^^ゞ
カッパは当時、一番高性能とされていたプロギアのレインコンポという商品。(プロギアというのは横浜ゴムが展開しているゴルフのブランドです) 今も昔もカッパの売り文句は雨を通さず、内側の湿気は逃がすだが、レインコンポの裏地側には薄いゴムかウレタンのような白いものがコーティングされている。
自宅を出る。
傘から腕を出して「オー、はじいている、濡れない」と喜ぶ。
オフィスに着く。
カッパを脱いでハンガーに掛ける。
その時、ふと足元を見ると
「オー、なんてこったい!」
カッパの内側にコーティングされていた白い素材が、まるで漆喰(しっくい)の壁がはげ落ちたかのように散らばっているではないか。そういえば歩いている時に、何となく痒いような気がしていた。カッパを見ると、脇とか肘とか動きが激しいところのコーティングがボロボロになっている。
今日、私が着たのは「新品」のカッパである。
そして着用45分でこの有様。ケシカラン!
でも買ったのは20年以上前だから、
横浜ゴムにクレームを付けるのはやめておこう。
今現在、銀座の雨は強くないものの、少し風が吹いてきた。
夕方から夜に掛けてが本番か。
自宅を出る時はかなり強い雨が降っていた。
ビチャビチャになるなあ〜、イヤだなあ〜、仕事休もうかな〜(^^ゞ
バイク用に買ったカッパを着ればいいかと思ったが、
あいにくガレージに置きっぱなし。
やっぱり休もうかな〜(^^ゞ
その時、ゴルフ用のカッパがあることを思い出した。
ゴルフを始めたのは30歳くらいの時。
10回くらいコースに行ったと思うが、なんとなく数年でやめてしまった。引っ越した時に邪魔だからクラブも捨てた。でもゴルフを始める時にクラブと一緒に買い揃えたカッパは、一度も着たことがなかったし、クラブと違って置き場所も取らないから残してあった。
カッパは巾着袋のようなものに入っている。
初めてその袋から出した。
とりあえず上着だけを着る。
ジャンパーのようなデザイン。色はわずかにグリーンがかった薄い色のベージュ。なんか工務店のオッサンみたいな出で立ち。石川遼君にはほど遠い(^^ゞ
カッパは当時、一番高性能とされていたプロギアのレインコンポという商品。(プロギアというのは横浜ゴムが展開しているゴルフのブランドです) 今も昔もカッパの売り文句は雨を通さず、内側の湿気は逃がすだが、レインコンポの裏地側には薄いゴムかウレタンのような白いものがコーティングされている。
自宅を出る。
傘から腕を出して「オー、はじいている、濡れない」と喜ぶ。
オフィスに着く。
カッパを脱いでハンガーに掛ける。
その時、ふと足元を見ると
「オー、なんてこったい!」
カッパの内側にコーティングされていた白い素材が、まるで漆喰(しっくい)の壁がはげ落ちたかのように散らばっているではないか。そういえば歩いている時に、何となく痒いような気がしていた。カッパを見ると、脇とか肘とか動きが激しいところのコーティングがボロボロになっている。
今日、私が着たのは「新品」のカッパである。
そして着用45分でこの有様。ケシカラン!
でも買ったのは20年以上前だから、
横浜ゴムにクレームを付けるのはやめておこう。
2011年09月19日
キツネと一緒に房総半島:勝浦〜養老渓谷
※長いので、よっぽど暇なときに読まれたし
「キツネの嫁入り」=晴れて日が照っているのに、雨が降ってくること。
キツネは人をだますらしいから、晴れなのに雨ということでキツネだとして、なぜ「嫁入り」なのかは不思議に思っていた。調べてみたら、こういうことらしい。嫁=女性=だます、じゃないのね(^^ゞ
先週の土曜日に寝坊して回れなかった九十九里浜の南半分から勝浦、そこから養老渓谷を回るルートを17日の土曜日にツーリングしてきた。毎週続けていくこともないのだが、天気も良さそうだったのでツイツイ。
今回は寝坊せずに、予定通り午前8時に出発。ーーーのつもりが、ガレージからマンションにバイクを持ってきて準備をしていると、本日1回目のキツネの嫁入り。このときは少し強めに降った。仕方ないのでいったん部屋に戻る。それから快晴になって、また嫁入りして再度晴れて、出発は結局8時半。
ルートはいつものグーグルマップ。九十九里浜までは前回の帰りのルートとほぼ同じ。首都高湾岸線から宮野木ジャンクションで京葉道路に入り、千葉ジャンクションで千葉東金(とうがね)道路。ジャンクションはいつも混雑する。この日はなぜかパトカーが多く、スリヌケも遠慮がちになり少し時間がかかる。
B地点。千葉東金道路の野呂パーキングエリアで休憩。10時半くらい。このパーキングに入る少し手前で2回目のキツネの嫁入りに会う。路面が濡れるほどではなかったが、気を遣いながら運転。
BMW F800Rの向こうに停まっていたのは、ヤマハのV-MAXという人気車種。オリジナリティがあるので私も評価している。これはたぶん旧モデルで、こっちのほうがマニアックらしい(あまり詳しくないのだが)。
航空写真で東金市と書いてあるすぐ下あたりで、東金九十九里有料道路に入る。のどかな田舎有料道路で好きな道路のひとつ。ただETCが設置されていないのでバイクだと面倒。なお千葉東金道路と東金九十九里有料道路は直結しておらず、その間にしばらく一般道を走る。どうなっている千葉の道路行政。
東金九十九里有料道路で海岸に出ると、こんどは九十九里有料道路。こちらは直結。九十九里有料道路は通称「波乗り道路」とも呼ばれている。道路から海もよく見えて楽しくなってくる。ただし、こちらもETCはなし。
いずれにせよ千葉東金道路→東金九十九里有料道路→九十九里有料道路とネーミングがややこしい。
九十九里有料道路の終点に近い一宮休憩所。C地点。
サーファーお着替え中。奥の方にマス(団体)ツーリングのバイク。
ここは海岸に出ることができる。
フィッシングなう な人。
これから行く南の方向に伸びる怪しい雲。
これがキツネの嫁入りの原因か?
雲の下だけ、曇っているのがわかるかな。
C地点の少し先で九十九里有料道路が終わると、しばらく30号線で一宮町を走る。防風林に遮られて海は見えないが、このあたりはサーフショップが林立している。約6キロ程の道程に、ざっと30軒くらいあった。他にもしゃれたカフェやレストランなどが並ぶ。千葉なんだけれど気分はカリフォルニア(^^ゞ。アパートまで何となくアメリカンなデザインのものが多かった。
D地点の太東崎灯台。
先週に行った飯岡灯台のある刑部(ぎょうぶ)岬から、この太東崎までが九十九里浜の範囲。というわけで、めでたく九十九里浜制覇!
なお128号線から折れて、灯台まで至る道は結構細い。駐車場も10台分ほどしかない。
先週に引き続き、夏色の太平洋アゲイン。
写真は快晴だが、ここでもキツネの嫁入り発生。本日3回目。
戦争の痕跡。
ただし何も残っておらず植え込みがあるだけ。
これが電波探知機(レーダーですな)の設置跡らしい。
でもこの海岸は関東の東側である。硫黄島から爆撃機が来るなら、硫黄島は東京の真南だから、こんなところにレーダーがあっても役立たないと思うけれど。まあ、よっぽど暇になったら調べてみることにしよう。
灯台というのは海岸の一番小高いところにあるものと思うが、太東崎灯台はなぜか、展望公園の奥の少し低い位置にある。ナニユエ? ちなみに、この灯台は登れない。
ちょっと走って、E地点の和泉浦海岸。
クリックすればサーファーが写っている。
波が小さいせいか、かなりインサイド(岸側)で乗っている。
上の写真を見ればわかるように海岸全体にテトラポット(砂浜保護用)が入っているから、もっと大きな波でアウトで乗るときは、ぶつかったら怖いだろうなあ。
砂浜を保護するのはウミガメのためらしい。
ほったらかしのBMW F800R。
ヘッドライトが点灯しているのは、ちょっと事情があってナビへの給電を停めたくないから(説明すると長くなるので省略)。なおバイクは1998年から走行中は常時点灯が法律で義務づけられている。だからヘッドライトのオン・オフのスイッチはない。
和泉浦に立ち寄ったのは、グーグルマップで、ここから海岸沿いギリギリの道路を走れるとルート設定できたので。しかし、それらしい道路は見つけられず。
仕方なく128号線を普通に走って、F地点の御宿(おんじゅく)海岸の少し手前から海沿いの道に降りていく。
岩和田の漁港。
漁港の外側はなかなか絶景。
またしても放置プレイ。
バイクがスネたら困るので、漁船をバックに記念撮影。
バックミラーが見づらかったので、外側へ数センチ移動させるステーをつけてみた。ミラーの根本のカクンと折れ曲がっているところ。詳しくはいずれそのうち。
漁港の隣の岩和田海岸。
波は小さめ。台風の影響はまだない模様。
岩和田海岸の隣というか続きはF地点の御宿海岸で、ここには「♪月の沙漠をはるばると〜」の月の沙漠記念碑がある。見学を予定していたのだが、走っている道路からは見えなかったので見逃す。残念。
海岸沿いの道を走りながら、勝浦の半島に入る。
少しだけだけれど尾根伝いのコースもあって爽快な気分。
到着したのが半島の先端にある八幡岬。
駐車場から少し登ると広場がある。
途中で海の中にある鳥居が見える。
さらに登っていくと絶景の展望公園に。
革ジャンも休憩。
これはRSAレザーというところの製品。肥満体サイズ(^^ゞは割増料金だし、このメーカーの革ジャンは腕周りがプロレスラーサイズなので補正が必要だったり(ちょっと納得がイカン)、特注で胸のプロテクターを入れるポケットをつけたり、その他モロモロで、はっきりいって高かった(涙)。
写真をクリックして大きくすれば無数の穴が開いているのがわかる。少しでも走っていれば風が入ってきて涼しい。でも渋滞で停まってしまえば、ただの長袖。
海を見守っている?のは養珠院お万の方。
徳川家康の側室で、家康の十男、十一男を産み、それぞれ紀州徳川家、水戸徳川家の初代藩主となっている。つまり徳川御三家のうち、二家が彼女の息子から始まったというエラ〜イお母さん。黄門様の水戸光圀は彼女の孫、暴れん坊将軍の紀州徳川吉宗はひ孫。実家が勝浦の領主なのでここの銅像がある。
八幡岬を跡にして勝浦の街中に入ると、本日はお祭り。
ところで羽織にカンカン帽を被ると、どうしても♪ボインは〜の月亭可朝に見えてしまうのは私だけかな。古い話でゴメン。
また海岸沿いを走る。
写真はどこの海岸か忘れた。
ここが本日最後のビーチで、これから山道に入る。
H地点は三井不動産が開発しているミレーニア勝浦という別荘地。以前に楽しい別荘ライフみたいなテレビ番組で見たので立ち寄ってみた。全体的には別荘地というより、ちょっと小洒落た新興住宅地という感じ。それっぽい家も多いが、ごく普通のハウスメーカーで建てた家のようなものもあった。海もかなり遠くに、少しだけしか見えない。というわけで、あまり購入意欲をそそられず。そそられてもお金はないけど(^^ゞ
今までの海道とは打って変わって、緑の多い景色になる。
写真を撮っているのは道路が広くなったところだが、全体的にはかなり狭い。ただそれほどクネクネしていない。
I地点は滝がいくつかある養老渓谷の中心スポット。
川沿いの遊歩道で滝を巡ることができる。しかし徒歩で1時間くらいかかるのと、商魂たくましい有料駐車場の看板に嫌気がさして、道路の上から眺めただけ。クルマだと難しいが、バイクなら適当に停めておける路地はいくつかある。
写真は逆光のせいか、真ん中に丸い色違いのところが。カメラメーカーには、こういうものが写らなくするとか、写っていても自動で補正するとかの基本機能をもっとしっかり開発して欲しい。撮りたい被写体の半分は逆光になるんだから。
さて本日の山のメインディッシュは月崎大久保林道。
粟又の滝から北上したら、養老渓谷駅あたりで県道から外れて林道に入って大福山J地点を目指す。林道といっても舗装はされている。
小さな吊り橋を渡ったり、
こんな細い林道が続く。
舗装はされているが、道路が濡れていたり落ち葉があったり。ところどころ苔(こけ)のようなものが生えているところもあった。こんなところで転んだりしたらシャレにならない。携帯はつながるのかな?
J地点の大福山の休憩所に到着。
こことは別に展望台もあるが、今回はパス。
誰もいなかったので、お約束で「ヤッホー」と叫んだが、
コダマは帰ってこなかった(^^ゞ
なお標高は300メートルもなく低い。
ここらは房総ふれあいの道というハイキングコースになっている。
でも、けっこうハードなコースっぽい。
道路はもちろんクネクネ。
ただ、あまり幅が狭すぎて、ほとんど徐行運転なので楽しくはない。上の写真にもあるように、両側に木が生い茂っているところが多く、視界が悪くて山の風景が見られるわけでもない。というわけで林道というのはどんなところかと期待して来たけれど、結論としては「ハズレ」だった。まあ、これも経験の内。
林道を降りると山里の風景。
視界が開けてホッとする。K地点あたり。
小湊(こみなと)鉄道は単線。
何のためのカカシ?
本日のお楽しみはここで終了。
あとはアクアラインで東京湾を渡って帰るだけ。
この日は少し風があって、往きの東京湾沿いの高速道路はちょっと怖かった。K地点から平地に降りてくると、午前中より風は強くなっている感じ。少しルートを迷ったが、東京湾沿いの高速道路をずっとビビリながら帰るより、アクアラインなら、さらに風が強くても海の上を走るのは中間地点までなので、よりビビッテも、短くビビルほうを選択。よほど強風ならバイク通行止めになっているだろうし。(アクアラインは東京側から中間点の海ほたるまでは地下トンネル、そこから千葉側が海上の橋となっている)
アクアラインまでつながる(地上の)高速では、それほど風は強くなかった。ラッキーと思ってアクアラインに入ると、吹き流しが真横を向いている(>_<)。それで運転が流されたりするかといえば、そういうことはないのだが、精神的には緊張する。時々突風で顔が横を向いてしまう。
中間の海ほたる到着は5時頃。
これは千葉側の風景
東京側。
海の先にあるのは「風の棟」と呼ばれる地下トンネルの換気設備。
東京湾午後5時半の夕日。
先週と違って、この日は赤くなかった。
東京側のトンネルは、相変わらず暑い。海ほたるで30度だったバイクの気温計が36.5度まで上昇。真夏だったら40度を超えるのかな。何とか改善をお願いしたい。
午後6時半に無事故無違反で無事帰宅。この時間だともう真っ暗。走行距離約285キロ。予定では養老渓谷で温泉に入るつもりだったのが、太東崎や八幡岬で海に見とれて長居をしてしまったのでパスしてしまった。もちろん自宅はぬかりなく風呂をセットしてある。玄関開けたら30秒でドボーン! ゴクラクゴクラク(^_^) 本日も交通安全の神様に感謝。
「キツネの嫁入り」=晴れて日が照っているのに、雨が降ってくること。
キツネは人をだますらしいから、晴れなのに雨ということでキツネだとして、なぜ「嫁入り」なのかは不思議に思っていた。調べてみたら、こういうことらしい。嫁=女性=だます、じゃないのね(^^ゞ
先週の土曜日に寝坊して回れなかった九十九里浜の南半分から勝浦、そこから養老渓谷を回るルートを17日の土曜日にツーリングしてきた。毎週続けていくこともないのだが、天気も良さそうだったのでツイツイ。
今回は寝坊せずに、予定通り午前8時に出発。ーーーのつもりが、ガレージからマンションにバイクを持ってきて準備をしていると、本日1回目のキツネの嫁入り。このときは少し強めに降った。仕方ないのでいったん部屋に戻る。それから快晴になって、また嫁入りして再度晴れて、出発は結局8時半。
ルートはいつものグーグルマップ。九十九里浜までは前回の帰りのルートとほぼ同じ。首都高湾岸線から宮野木ジャンクションで京葉道路に入り、千葉ジャンクションで千葉東金(とうがね)道路。ジャンクションはいつも混雑する。この日はなぜかパトカーが多く、スリヌケも遠慮がちになり少し時間がかかる。
B地点。千葉東金道路の野呂パーキングエリアで休憩。10時半くらい。このパーキングに入る少し手前で2回目のキツネの嫁入りに会う。路面が濡れるほどではなかったが、気を遣いながら運転。
BMW F800Rの向こうに停まっていたのは、ヤマハのV-MAXという人気車種。オリジナリティがあるので私も評価している。これはたぶん旧モデルで、こっちのほうがマニアックらしい(あまり詳しくないのだが)。
航空写真で東金市と書いてあるすぐ下あたりで、東金九十九里有料道路に入る。のどかな田舎有料道路で好きな道路のひとつ。ただETCが設置されていないのでバイクだと面倒。なお千葉東金道路と東金九十九里有料道路は直結しておらず、その間にしばらく一般道を走る。どうなっている千葉の道路行政。
東金九十九里有料道路で海岸に出ると、こんどは九十九里有料道路。こちらは直結。九十九里有料道路は通称「波乗り道路」とも呼ばれている。道路から海もよく見えて楽しくなってくる。ただし、こちらもETCはなし。
いずれにせよ千葉東金道路→東金九十九里有料道路→九十九里有料道路とネーミングがややこしい。
九十九里有料道路の終点に近い一宮休憩所。C地点。
サーファーお着替え中。奥の方にマス(団体)ツーリングのバイク。
ここは海岸に出ることができる。
フィッシングなう な人。
これから行く南の方向に伸びる怪しい雲。
これがキツネの嫁入りの原因か?
雲の下だけ、曇っているのがわかるかな。
C地点の少し先で九十九里有料道路が終わると、しばらく30号線で一宮町を走る。防風林に遮られて海は見えないが、このあたりはサーフショップが林立している。約6キロ程の道程に、ざっと30軒くらいあった。他にもしゃれたカフェやレストランなどが並ぶ。千葉なんだけれど気分はカリフォルニア(^^ゞ。アパートまで何となくアメリカンなデザインのものが多かった。
D地点の太東崎灯台。
先週に行った飯岡灯台のある刑部(ぎょうぶ)岬から、この太東崎までが九十九里浜の範囲。というわけで、めでたく九十九里浜制覇!
なお128号線から折れて、灯台まで至る道は結構細い。駐車場も10台分ほどしかない。
先週に引き続き、夏色の太平洋アゲイン。
写真は快晴だが、ここでもキツネの嫁入り発生。本日3回目。
戦争の痕跡。
ただし何も残っておらず植え込みがあるだけ。
これが電波探知機(レーダーですな)の設置跡らしい。
でもこの海岸は関東の東側である。硫黄島から爆撃機が来るなら、硫黄島は東京の真南だから、こんなところにレーダーがあっても役立たないと思うけれど。まあ、よっぽど暇になったら調べてみることにしよう。
灯台というのは海岸の一番小高いところにあるものと思うが、太東崎灯台はなぜか、展望公園の奥の少し低い位置にある。ナニユエ? ちなみに、この灯台は登れない。
ちょっと走って、E地点の和泉浦海岸。
クリックすればサーファーが写っている。
波が小さいせいか、かなりインサイド(岸側)で乗っている。
上の写真を見ればわかるように海岸全体にテトラポット(砂浜保護用)が入っているから、もっと大きな波でアウトで乗るときは、ぶつかったら怖いだろうなあ。
砂浜を保護するのはウミガメのためらしい。
ほったらかしのBMW F800R。
ヘッドライトが点灯しているのは、ちょっと事情があってナビへの給電を停めたくないから(説明すると長くなるので省略)。なおバイクは1998年から走行中は常時点灯が法律で義務づけられている。だからヘッドライトのオン・オフのスイッチはない。
和泉浦に立ち寄ったのは、グーグルマップで、ここから海岸沿いギリギリの道路を走れるとルート設定できたので。しかし、それらしい道路は見つけられず。
仕方なく128号線を普通に走って、F地点の御宿(おんじゅく)海岸の少し手前から海沿いの道に降りていく。
岩和田の漁港。
漁港の外側はなかなか絶景。
またしても放置プレイ。
バイクがスネたら困るので、漁船をバックに記念撮影。
バックミラーが見づらかったので、外側へ数センチ移動させるステーをつけてみた。ミラーの根本のカクンと折れ曲がっているところ。詳しくはいずれそのうち。
漁港の隣の岩和田海岸。
波は小さめ。台風の影響はまだない模様。
岩和田海岸の隣というか続きはF地点の御宿海岸で、ここには「♪月の沙漠をはるばると〜」の月の沙漠記念碑がある。見学を予定していたのだが、走っている道路からは見えなかったので見逃す。残念。
海岸沿いの道を走りながら、勝浦の半島に入る。
少しだけだけれど尾根伝いのコースもあって爽快な気分。
到着したのが半島の先端にある八幡岬。
駐車場から少し登ると広場がある。
途中で海の中にある鳥居が見える。
さらに登っていくと絶景の展望公園に。
革ジャンも休憩。
これはRSAレザーというところの製品。肥満体サイズ(^^ゞは割増料金だし、このメーカーの革ジャンは腕周りがプロレスラーサイズなので補正が必要だったり(ちょっと納得がイカン)、特注で胸のプロテクターを入れるポケットをつけたり、その他モロモロで、はっきりいって高かった(涙)。
写真をクリックして大きくすれば無数の穴が開いているのがわかる。少しでも走っていれば風が入ってきて涼しい。でも渋滞で停まってしまえば、ただの長袖。
海を見守っている?のは養珠院お万の方。
徳川家康の側室で、家康の十男、十一男を産み、それぞれ紀州徳川家、水戸徳川家の初代藩主となっている。つまり徳川御三家のうち、二家が彼女の息子から始まったというエラ〜イお母さん。黄門様の水戸光圀は彼女の孫、暴れん坊将軍の紀州徳川吉宗はひ孫。実家が勝浦の領主なのでここの銅像がある。
八幡岬を跡にして勝浦の街中に入ると、本日はお祭り。
ところで羽織にカンカン帽を被ると、どうしても♪ボインは〜の月亭可朝に見えてしまうのは私だけかな。古い話でゴメン。
また海岸沿いを走る。
写真はどこの海岸か忘れた。
ここが本日最後のビーチで、これから山道に入る。
H地点は三井不動産が開発しているミレーニア勝浦という別荘地。以前に楽しい別荘ライフみたいなテレビ番組で見たので立ち寄ってみた。全体的には別荘地というより、ちょっと小洒落た新興住宅地という感じ。それっぽい家も多いが、ごく普通のハウスメーカーで建てた家のようなものもあった。海もかなり遠くに、少しだけしか見えない。というわけで、あまり購入意欲をそそられず。そそられてもお金はないけど(^^ゞ
今までの海道とは打って変わって、緑の多い景色になる。
写真を撮っているのは道路が広くなったところだが、全体的にはかなり狭い。ただそれほどクネクネしていない。
I地点は滝がいくつかある養老渓谷の中心スポット。
川沿いの遊歩道で滝を巡ることができる。しかし徒歩で1時間くらいかかるのと、商魂たくましい有料駐車場の看板に嫌気がさして、道路の上から眺めただけ。クルマだと難しいが、バイクなら適当に停めておける路地はいくつかある。
写真は逆光のせいか、真ん中に丸い色違いのところが。カメラメーカーには、こういうものが写らなくするとか、写っていても自動で補正するとかの基本機能をもっとしっかり開発して欲しい。撮りたい被写体の半分は逆光になるんだから。
さて本日の山のメインディッシュは月崎大久保林道。
粟又の滝から北上したら、養老渓谷駅あたりで県道から外れて林道に入って大福山J地点を目指す。林道といっても舗装はされている。
小さな吊り橋を渡ったり、
こんな細い林道が続く。
舗装はされているが、道路が濡れていたり落ち葉があったり。ところどころ苔(こけ)のようなものが生えているところもあった。こんなところで転んだりしたらシャレにならない。携帯はつながるのかな?
J地点の大福山の休憩所に到着。
こことは別に展望台もあるが、今回はパス。
誰もいなかったので、お約束で「ヤッホー」と叫んだが、
コダマは帰ってこなかった(^^ゞ
なお標高は300メートルもなく低い。
ここらは房総ふれあいの道というハイキングコースになっている。
でも、けっこうハードなコースっぽい。
道路はもちろんクネクネ。
ただ、あまり幅が狭すぎて、ほとんど徐行運転なので楽しくはない。上の写真にもあるように、両側に木が生い茂っているところが多く、視界が悪くて山の風景が見られるわけでもない。というわけで林道というのはどんなところかと期待して来たけれど、結論としては「ハズレ」だった。まあ、これも経験の内。
林道を降りると山里の風景。
視界が開けてホッとする。K地点あたり。
小湊(こみなと)鉄道は単線。
何のためのカカシ?
本日のお楽しみはここで終了。
あとはアクアラインで東京湾を渡って帰るだけ。
この日は少し風があって、往きの東京湾沿いの高速道路はちょっと怖かった。K地点から平地に降りてくると、午前中より風は強くなっている感じ。少しルートを迷ったが、東京湾沿いの高速道路をずっとビビリながら帰るより、アクアラインなら、さらに風が強くても海の上を走るのは中間地点までなので、よりビビッテも、短くビビルほうを選択。よほど強風ならバイク通行止めになっているだろうし。(アクアラインは東京側から中間点の海ほたるまでは地下トンネル、そこから千葉側が海上の橋となっている)
アクアラインまでつながる(地上の)高速では、それほど風は強くなかった。ラッキーと思ってアクアラインに入ると、吹き流しが真横を向いている(>_<)。それで運転が流されたりするかといえば、そういうことはないのだが、精神的には緊張する。時々突風で顔が横を向いてしまう。
中間の海ほたる到着は5時頃。
これは千葉側の風景
東京側。
海の先にあるのは「風の棟」と呼ばれる地下トンネルの換気設備。
東京湾午後5時半の夕日。
先週と違って、この日は赤くなかった。
東京側のトンネルは、相変わらず暑い。海ほたるで30度だったバイクの気温計が36.5度まで上昇。真夏だったら40度を超えるのかな。何とか改善をお願いしたい。
午後6時半に無事故無違反で無事帰宅。この時間だともう真っ暗。走行距離約285キロ。予定では養老渓谷で温泉に入るつもりだったのが、太東崎や八幡岬で海に見とれて長居をしてしまったのでパスしてしまった。もちろん自宅はぬかりなく風呂をセットしてある。玄関開けたら30秒でドボーン! ゴクラクゴクラク(^_^) 本日も交通安全の神様に感謝。
2011年09月16日
消費税でためらうクリック
野田首相が誕生してから、増税ムード一辺倒である。
いずれ近いうちに税金をふんだくられることになるんだろう。実にけしからん。いついかなる時、いかなる理由でも私は増税に反対である。だって、そのお金でもっと楽しく暮らしたいモン。もう少し真面目に言えば、増税は本当に必要かと疑っているし、増税は経済ひいては財政にマイナスだから反対である。ついでにいえば今の税金だって、まともに使われているとはまったく思っていない。
話は変わるが、とあるバイクの部品を買おうかと思案中。西ドイツ製なのだが、日本の正規代理店で買うと現地価格の2.5倍もボッタクル(怒)ので海外通販。状況は省略するけど、扱っているところが少なくイギリスの販売店から買うことになる。価格は360ポンド=4万3634円。
それで、なぜかネット通販なのに、そのサイトには「消費税が必要でない地域からの注文なら、その旨をファックスか電話で伝えてくれたら、消費税ナシの価格で売る」と書いてある。(一般に消費税は国内取引にかかる税金で海外からの支払いには課税されない)
めんどくさいな〜、ここは本当に日本まで送ってくれるのかと思いつつ、だいたいこの360ポンドが税込みなのか税別なのかもはっきりしない。それで試しに発送先をイギリス国内に設定して打ち込んでみた。すると
商品代: 360ポンド (4万3634円)
消費税20%:72ポンド (8724円)
合計: 432ポンド (5万2358円)
の表示が。
消費税、高ッ!
結局、日本からだと消費税抜きの360ポンドだけでいいことがわかったのだが、私がもしイギリス人なら「消費税入れて5万円以上もするならヤメトコ。バイク遊びごときにモッタイナイ」とあきらめてしまう気がする。ヨーロッパに行った時は、この税率程度の消費税を払っていたはずだが、ほとんどがホテル代や飲食代なので、つまり絶対必要なものなので、それほど気にならなかった。
消費税を上げる時に、食料品や生活必需品の税率は低くすべきだという議論があるが、それって逆じゃないかと思うことがある。低所得者層の税負担の話は別として、高級品や贅沢品こそ税率を下げるべきかも。だって税金が高ければ馬鹿らしくて、あるいは支払い能力を超えて=モッタイなくて買わないから。買わなければ税金も入ってこないので、税率を下げた方がトータルでは税収が増える気がする。逆に税金が低いからといってたくさん食料品を食べるわけでもない。
高級品や贅沢品を目の敵にする「社会派な」人もいるけれど、経済がよくなるというのは、そういうものが売れることである。ユニクロやマクドナルドがあと10倍成長しても経済には大して貢献しない。豊かな社会とは貧乏人がいない社会ではなくて、金持ちが多くいる社会なのは、道徳的にはともかく現実的にはそうなっている。
などと思いつつ、消費税のいらない360ポンドでも、なかなか決心がつかずクリックするのをためらっている私である(^^ゞ
いずれ近いうちに税金をふんだくられることになるんだろう。実にけしからん。いついかなる時、いかなる理由でも私は増税に反対である。だって、そのお金でもっと楽しく暮らしたいモン。もう少し真面目に言えば、増税は本当に必要かと疑っているし、増税は経済ひいては財政にマイナスだから反対である。ついでにいえば今の税金だって、まともに使われているとはまったく思っていない。
話は変わるが、とあるバイクの部品を買おうかと思案中。西ドイツ製なのだが、日本の正規代理店で買うと現地価格の2.5倍もボッタクル(怒)ので海外通販。状況は省略するけど、扱っているところが少なくイギリスの販売店から買うことになる。価格は360ポンド=4万3634円。
それで、なぜかネット通販なのに、そのサイトには「消費税が必要でない地域からの注文なら、その旨をファックスか電話で伝えてくれたら、消費税ナシの価格で売る」と書いてある。(一般に消費税は国内取引にかかる税金で海外からの支払いには課税されない)
めんどくさいな〜、ここは本当に日本まで送ってくれるのかと思いつつ、だいたいこの360ポンドが税込みなのか税別なのかもはっきりしない。それで試しに発送先をイギリス国内に設定して打ち込んでみた。すると
商品代: 360ポンド (4万3634円)
消費税20%:72ポンド (8724円)
合計: 432ポンド (5万2358円)
の表示が。
消費税、高ッ!
結局、日本からだと消費税抜きの360ポンドだけでいいことがわかったのだが、私がもしイギリス人なら「消費税入れて5万円以上もするならヤメトコ。バイク遊びごときにモッタイナイ」とあきらめてしまう気がする。ヨーロッパに行った時は、この税率程度の消費税を払っていたはずだが、ほとんどがホテル代や飲食代なので、つまり絶対必要なものなので、それほど気にならなかった。
消費税を上げる時に、食料品や生活必需品の税率は低くすべきだという議論があるが、それって逆じゃないかと思うことがある。低所得者層の税負担の話は別として、高級品や贅沢品こそ税率を下げるべきかも。だって税金が高ければ馬鹿らしくて、あるいは支払い能力を超えて=モッタイなくて買わないから。買わなければ税金も入ってこないので、税率を下げた方がトータルでは税収が増える気がする。逆に税金が低いからといってたくさん食料品を食べるわけでもない。
高級品や贅沢品を目の敵にする「社会派な」人もいるけれど、経済がよくなるというのは、そういうものが売れることである。ユニクロやマクドナルドがあと10倍成長しても経済には大して貢献しない。豊かな社会とは貧乏人がいない社会ではなくて、金持ちが多くいる社会なのは、道徳的にはともかく現実的にはそうなっている。
などと思いつつ、消費税のいらない360ポンドでも、なかなか決心がつかずクリックするのをためらっている私である(^^ゞ
2011年09月13日
屏風ヶ浦(びょうぶがうら)
今回のツーリングのメインイベントが屏風ヶ浦。
こんな断崖絶壁が
延々10キロほど続いている。(クリックして写真を大きくしてみて)
場所は昨日の地図のEからF地点にかけての海岸。
写真はE地点の銚子マリーナから撮った。
ずいぶん前にその存在を知ってから、一度この眼で見たいと思っていた。
念願かなって満足。でも規模の割に、そして東京から手軽に行ける距離にあるのに、知名度的にはマイナーな景勝地だと思う。世間の人は断崖絶壁なんて興味ないのかなあ? スゲーッとはしゃぐのは私が小学5年生から進歩していないからか。
ところで地図のF地点とE地点の間の半分くらい、海岸沿いに色のついたルートになっているところは、この屏風ヶ浦の上を走っている(銚子ドーバーラインという元有料道路)。それで、どこかにこのブログにあるように断崖の下に降りられる場所があるはずなんだけれど、今回は見つけられなかった。ところどころ小さな降り口のようなところはあったが駐車場もなかったし。まあ降りるのはいいとして、登ってくるのは大変そうだが。堆積した地層つまり岩ではなく土なのに、なぜここは草木が生えていないのかが不思議で、間近で見れば何かわかるかと思っていたのに残念。
銚子マリーナの公園で。
光線の加減で色が濃くなって夏らしい写真に。
写真を撮りながら、ふとボビー・コールドウエルを思い出した(古っ!)
マリーナだからヨットもたくさんあったが、写真を撮り忘れる。
F地点、屏風ヶ浦の西端は刑部岬(ぎょうぶみさき)というところ。
そこに飯岡灯台がある。
灯台というよりは照明設備と呼びたくなる小さなもの。
それで気が咎めたのか立派な展望台が併設。
夏色の太平洋。
このあたりには風力発電の風車がたくさんある。
関係ないけど、写真的には電線が邪魔。
なぜか撮っているときは、いつも電線に気づかない。
隣の飯岡漁港とそれに続く九十九里浜。
ちなみに九十九里浜とは、北はこの刑部岬から南は太東崎(そこにも灯台がある)までを指す。だから犬吠埼や屏風ヶ浦のあたりは九十九里浜には含まれない。また九十九里浜は江戸八百八町とか嘘八百とかのように数が多いことを象徴的に表現している、つまり長い海岸線の意味と思われがちだが実際に99里ある。昔の99里は64.7キロ。多少地形も変わった現在の九十九里浜は66キロ。99里を測量したのはなんと鎌倉時代!
2時頃、飯岡灯台近くのロッジのレストランでランチ。
アジの漬け丼(1000円)と焼き岩牡蠣(イワガキ)(900円)とノンアルコールビールを頼む。アジの漬け丼は本来900円なのだが、震災の復興丼ということで100円の寄付をお願いされる。あまり報道されていなかったと思うが、お店の人によれば、このあたりで20名ほど津波の犠牲者が出たそうである。
アジの漬け丼は甘めの味付けだった。岩牡蠣は久しぶりに食べたが、独特の濃厚なミルクのようなエキスが口の中に広がる。ただ1つ900円の価値があるかどうかはちょっと疑問。3つならよかったのに。
その後は30号線で九十九里浜沿いを南下していく。30号線は「九十九里ビーチライン」という名称になっているが、海岸から数百メーターの陸地側にあるので海岸はほとんど見えない。それでも何となく海の近くを走っているという感覚はある。海水浴シーズンは終わっているので渋滞はなし。たまに遅いクルマにブロックされるが、のんびりツーリングを楽しむ。
G地点でバイクを停めて砂浜に出てみる。
野手浜という場所。
♪♪誰もいない海、二人の愛を確かめたくて〜♪
ハイ、南沙織を思い出して、この唄を口すさんだ人は
間違いなくオッサン、オバハンです(^^ゞ
防波堤があったので
特に意味もなく一番先っぽまで行ってきた。
防波堤と書いたけれど、こういう海に垂直に突き出しているのも防波堤と呼ぶのかな? 波をブロックするなら海岸線と平行じゃないと意味がない気もするけど。どこの海岸にもあるこの構造物の本当の役目はよく考えると知らなかった。まさか釣り用じゃないよね。ちなみに防波堤は漁港などを守るために海の中に作られた壁で、海岸の上に建っているのは防潮堤と呼ばれる。これはこの前の津波のニュースの時に、解説しているのをテレビで見た。
またしばらく走ってH地点の蓮沼海岸。
どこでも同じ景色だが、まあせっかく来たし。
こっちは少し人がいた。
砂の色も少し明るくてきれい。
海は広いな大きいな〜。
いつものお約束の私のシルエットが映った写真。
逆光で撮ると写真が白っぽくなるし、太陽を背にすると自分が写る(^^ゞ
ところで海で写真を撮ると砂浜・海・空が3要素になる。不思議なのは目で見ている海の比率より、写真に写っている海の比率がかなり小さいこと。上の写真でも、実際に目で見えている海はこの2倍以上の面積比率がある。ナンデ?
レンズのこととかいろいろあるかとは思うが、メーカーは見たままが写るようなカメラを開発して欲しい。それと今やパソコンもほとんどが横長画面だから、写真ももう少し横長の比率のほうがいいと思う。そのほうが人間の視野角度にも近くなるし。
本当は勝浦まで南下して、山道を楽しみながら房総半島を横断してアクアラインで東京に戻るプランだった。でも寝坊したので、本日のお楽しみはここまで。H地点からもうすこし30号線を走った後は、片貝というところで右折して東京方面へ向かう。4時頃だったと思う。I地点で東金道路に乗り、京葉道路、首都高と高速道路を乗り継いで行く。
ところで夕方に西へ向かうということは、夕日を正面に受けるということ。この日は大きく真っ赤な見事な夕日?で、眩しくて走りにくかった。私のヘルメットは透明のシールド(風よけ)の他に、サングラスのようなものが内蔵されている。でも、それを降ろしても路面が見えているような見えていないような変な感じ。つまり夕日にはあまり役に立たなかった。一瞬とはいえ視界ゼロにも数回なってやばかった。夕日対策を今後考える必要があるかも。
J地点の湾岸幕張パーキングエリアでソフトクリームを食べながら小休憩。そこから先、都内の首都高はかなり渋滞。なんとかすり抜けて6時半頃に帰宅。無事故無違反を交通安全の神様に感謝。走行距離はピッタリ280キロだった。
「走り」的には平凡でも、屏風ヶ浦を見たし、海で夏の気分も味わえたので満足。次は今回足を伸ばせなかった後半ルートを走りに行こうと思う。
おしまい
こんな断崖絶壁が
延々10キロほど続いている。(クリックして写真を大きくしてみて)
場所は昨日の地図のEからF地点にかけての海岸。
写真はE地点の銚子マリーナから撮った。
ずいぶん前にその存在を知ってから、一度この眼で見たいと思っていた。
念願かなって満足。でも規模の割に、そして東京から手軽に行ける距離にあるのに、知名度的にはマイナーな景勝地だと思う。世間の人は断崖絶壁なんて興味ないのかなあ? スゲーッとはしゃぐのは私が小学5年生から進歩していないからか。
ところで地図のF地点とE地点の間の半分くらい、海岸沿いに色のついたルートになっているところは、この屏風ヶ浦の上を走っている(銚子ドーバーラインという元有料道路)。それで、どこかにこのブログにあるように断崖の下に降りられる場所があるはずなんだけれど、今回は見つけられなかった。ところどころ小さな降り口のようなところはあったが駐車場もなかったし。まあ降りるのはいいとして、登ってくるのは大変そうだが。堆積した地層つまり岩ではなく土なのに、なぜここは草木が生えていないのかが不思議で、間近で見れば何かわかるかと思っていたのに残念。
銚子マリーナの公園で。
光線の加減で色が濃くなって夏らしい写真に。
写真を撮りながら、ふとボビー・コールドウエルを思い出した(古っ!)
マリーナだからヨットもたくさんあったが、写真を撮り忘れる。
F地点、屏風ヶ浦の西端は刑部岬(ぎょうぶみさき)というところ。
そこに飯岡灯台がある。
灯台というよりは照明設備と呼びたくなる小さなもの。
それで気が咎めたのか立派な展望台が併設。
夏色の太平洋。
このあたりには風力発電の風車がたくさんある。
関係ないけど、写真的には電線が邪魔。
なぜか撮っているときは、いつも電線に気づかない。
隣の飯岡漁港とそれに続く九十九里浜。
ちなみに九十九里浜とは、北はこの刑部岬から南は太東崎(そこにも灯台がある)までを指す。だから犬吠埼や屏風ヶ浦のあたりは九十九里浜には含まれない。また九十九里浜は江戸八百八町とか嘘八百とかのように数が多いことを象徴的に表現している、つまり長い海岸線の意味と思われがちだが実際に99里ある。昔の99里は64.7キロ。多少地形も変わった現在の九十九里浜は66キロ。99里を測量したのはなんと鎌倉時代!
2時頃、飯岡灯台近くのロッジのレストランでランチ。
アジの漬け丼(1000円)と焼き岩牡蠣(イワガキ)(900円)とノンアルコールビールを頼む。アジの漬け丼は本来900円なのだが、震災の復興丼ということで100円の寄付をお願いされる。あまり報道されていなかったと思うが、お店の人によれば、このあたりで20名ほど津波の犠牲者が出たそうである。
アジの漬け丼は甘めの味付けだった。岩牡蠣は久しぶりに食べたが、独特の濃厚なミルクのようなエキスが口の中に広がる。ただ1つ900円の価値があるかどうかはちょっと疑問。3つならよかったのに。
その後は30号線で九十九里浜沿いを南下していく。30号線は「九十九里ビーチライン」という名称になっているが、海岸から数百メーターの陸地側にあるので海岸はほとんど見えない。それでも何となく海の近くを走っているという感覚はある。海水浴シーズンは終わっているので渋滞はなし。たまに遅いクルマにブロックされるが、のんびりツーリングを楽しむ。
G地点でバイクを停めて砂浜に出てみる。
野手浜という場所。
♪♪誰もいない海、二人の愛を確かめたくて〜♪
ハイ、南沙織を思い出して、この唄を口すさんだ人は
間違いなくオッサン、オバハンです(^^ゞ
防波堤があったので
特に意味もなく一番先っぽまで行ってきた。
防波堤と書いたけれど、こういう海に垂直に突き出しているのも防波堤と呼ぶのかな? 波をブロックするなら海岸線と平行じゃないと意味がない気もするけど。どこの海岸にもあるこの構造物の本当の役目はよく考えると知らなかった。まさか釣り用じゃないよね。ちなみに防波堤は漁港などを守るために海の中に作られた壁で、海岸の上に建っているのは防潮堤と呼ばれる。これはこの前の津波のニュースの時に、解説しているのをテレビで見た。
またしばらく走ってH地点の蓮沼海岸。
どこでも同じ景色だが、まあせっかく来たし。
こっちは少し人がいた。
砂の色も少し明るくてきれい。
海は広いな大きいな〜。
いつものお約束の私のシルエットが映った写真。
逆光で撮ると写真が白っぽくなるし、太陽を背にすると自分が写る(^^ゞ
ところで海で写真を撮ると砂浜・海・空が3要素になる。不思議なのは目で見ている海の比率より、写真に写っている海の比率がかなり小さいこと。上の写真でも、実際に目で見えている海はこの2倍以上の面積比率がある。ナンデ?
レンズのこととかいろいろあるかとは思うが、メーカーは見たままが写るようなカメラを開発して欲しい。それと今やパソコンもほとんどが横長画面だから、写真ももう少し横長の比率のほうがいいと思う。そのほうが人間の視野角度にも近くなるし。
本当は勝浦まで南下して、山道を楽しみながら房総半島を横断してアクアラインで東京に戻るプランだった。でも寝坊したので、本日のお楽しみはここまで。H地点からもうすこし30号線を走った後は、片貝というところで右折して東京方面へ向かう。4時頃だったと思う。I地点で東金道路に乗り、京葉道路、首都高と高速道路を乗り継いで行く。
ところで夕方に西へ向かうということは、夕日を正面に受けるということ。この日は大きく真っ赤な見事な夕日?で、眩しくて走りにくかった。私のヘルメットは透明のシールド(風よけ)の他に、サングラスのようなものが内蔵されている。でも、それを降ろしても路面が見えているような見えていないような変な感じ。つまり夕日にはあまり役に立たなかった。一瞬とはいえ視界ゼロにも数回なってやばかった。夕日対策を今後考える必要があるかも。
J地点の湾岸幕張パーキングエリアでソフトクリームを食べながら小休憩。そこから先、都内の首都高はかなり渋滞。なんとかすり抜けて6時半頃に帰宅。無事故無違反を交通安全の神様に感謝。走行距離はピッタリ280キロだった。
「走り」的には平凡でも、屏風ヶ浦を見たし、海で夏の気分も味わえたので満足。次は今回足を伸ばせなかった後半ルートを走りに行こうと思う。
おしまい
2011年09月11日
夏を探して九十九里浜
午前五時に出発するはずが、
目が覚めたのが五時半(>_<)
不覚にも、そのまま二度寝をしてしまい(>_<)(>_<)
再度起床したのは7時半で、出発は9時頃になってしまった。
というわけで土曜日に、予定していたコースの半分だけをツーリング(バイクのドライブのこと)してきた。富士山、箱根、奥多摩湖と山道ツーリングが続いたので久しぶりに潮の香りを嗅ぎたかったのと、8月の後半から東京はショボーンとした天候になってしまったので、海沿いならまだ夏らしさが残っているかなと期待して。
航空写真はいつものグーグルマップ。目黒から首都高に乗ってベイブリッジを渡って首都高湾岸線に入る。アクアラインもそうだけれど、海をまたぐような大きな橋をバイクで走るのは何となく不安で苦手。だから首都高7号線という陸地側を通っているルートで行くつもりが寝坊したので最短ルートで。
荒川を越えると千葉県。地図でJ地点になっているあたりが幕張。その先で青く塗ったルートがT字路になっているところが宮野木ジャンクション。ジャンクションというのはいくつかの高速道路が連結しているところ。そこから東関東自動車道に入る(地図の北側のルート)。東関東自動車道は元々は成田空港へ行くために造られた道路である。
B地点の酒々井(しすい)パーキングエリアで休憩と給油。ここまで1時間半くらい。
高速道路の休憩所はパーキングエリア(PA)とサービスエリア(SA)に別れている。パーキングエリアは文字通り駐車するところで、売店やレストランがある。サービスエリアにはそれに加えてガソリンスタンドがある。だったらサービスエリアではなくガソリンエリアにしてくれたほうがわかりやすい。もっとも高速道路というものが日本に登場した頃、クルマの性能や信頼性はまだ低かったので、ガソリンスタンドとともに整備工場も併設していたのがサービスエリアという名称の由来らしい。
以上、高速道路の豆知識。でも酒々井はパーキングエリアなのに何故かガソリンスタンドがある。ナゾ
それほど広くはないパーキングエリアにスターバックスがあった。
スターバックスは好きじゃない。1番の理由はタバコが吸えないからであるが、コーヒーも深煎り過ぎる。深煎りするとコーヒー豆本来の味がマスキングされてしまう。スターバックスに影響されて深煎りのコーヒーが多くなってきたのは残念というか気にくわない。そのほとんどは安いコーヒー豆の味をごまかすためだと睨んでいる。
東関東自動車道をもっと進んで成田空港の先から東へ進むことも考えたが、高速道路を走るのにも飽きてきたので、酒々井のすぐ次の宮里というインターチェンジで降りる。そこからは296号線で犬吠埼を目指す。296号線は田舎の幹線道路といった感じ。賑やかなんだけれど、ちょっとのどかな感じがして旅気分ぽくなってくる。ちなみに296号を進むと匝瑳市という地区を通る。これは「そうさ」市と読む。
正午前、夏色の海に到着(^_^)
ここは犬吠埼の北側に延びる君ヶ浜。C地点。
上の写真にはサーファーが3名。ボードの上で正座しているように見えるのは(写真はクリックすると大きくなります)、スタンドアップ・パドルボードというオールで漕ぐサーフィンの一種。波はあまりなくほとんど水遊び状態。彼らも夏を探しに来たのかな(^^ゞ
犬吠埼灯台。
今回は君ヶ浜から眺めただけで登りに行かず。
君ヶ浜の一番北側の外れあたり。
台風の後だからか、砂浜には小さな流木がたくさんあった。
君ヶ浜は長い浜だが、砂浜はあまり広くない。関東最東端だから、初日の出スポットとしても有名。日本の渚百選にも選ばれている。
D地点の銚子漁港近くに行く。
テトラポットで仕切られて水路のようになっているところに、釣り人がチラホラ。
何気なく水の中をのぞいてみると、魚がウジャウジャ!しかし、ざっと見て回ったところあまり釣り上げた人はいないみたい。お腹いっぱいなのかな?
海上保安庁の巡視艇が停泊中。
来た道を引き返して次の目的地に向かう。
道路の海側の雰囲気。
陸地側は防風林。
途中にあった銚子電鉄の犬吠駅。
銚子電鉄は銚子市内と犬吠埼を結んでいる全長7キロのほどのローカル線。副業で始めた「濡れ煎餅」が有名。時刻表を見ると、銚子まで行って帰ってくるのに1時間以上かかるので、乗ってみるのは断念。駅前にバイクなら数台停められる程度のスペースはあった。
写真右側の車両は展示用。鉄道マニアとおぼしき3人組が楽しそうに乗り込んでいた。
ーーー続く
目が覚めたのが五時半(>_<)
不覚にも、そのまま二度寝をしてしまい(>_<)(>_<)
再度起床したのは7時半で、出発は9時頃になってしまった。
というわけで土曜日に、予定していたコースの半分だけをツーリング(バイクのドライブのこと)してきた。富士山、箱根、奥多摩湖と山道ツーリングが続いたので久しぶりに潮の香りを嗅ぎたかったのと、8月の後半から東京はショボーンとした天候になってしまったので、海沿いならまだ夏らしさが残っているかなと期待して。
航空写真はいつものグーグルマップ。目黒から首都高に乗ってベイブリッジを渡って首都高湾岸線に入る。アクアラインもそうだけれど、海をまたぐような大きな橋をバイクで走るのは何となく不安で苦手。だから首都高7号線という陸地側を通っているルートで行くつもりが寝坊したので最短ルートで。
荒川を越えると千葉県。地図でJ地点になっているあたりが幕張。その先で青く塗ったルートがT字路になっているところが宮野木ジャンクション。ジャンクションというのはいくつかの高速道路が連結しているところ。そこから東関東自動車道に入る(地図の北側のルート)。東関東自動車道は元々は成田空港へ行くために造られた道路である。
B地点の酒々井(しすい)パーキングエリアで休憩と給油。ここまで1時間半くらい。
高速道路の休憩所はパーキングエリア(PA)とサービスエリア(SA)に別れている。パーキングエリアは文字通り駐車するところで、売店やレストランがある。サービスエリアにはそれに加えてガソリンスタンドがある。だったらサービスエリアではなくガソリンエリアにしてくれたほうがわかりやすい。もっとも高速道路というものが日本に登場した頃、クルマの性能や信頼性はまだ低かったので、ガソリンスタンドとともに整備工場も併設していたのがサービスエリアという名称の由来らしい。
以上、高速道路の豆知識。でも酒々井はパーキングエリアなのに何故かガソリンスタンドがある。ナゾ
それほど広くはないパーキングエリアにスターバックスがあった。
スターバックスは好きじゃない。1番の理由はタバコが吸えないからであるが、コーヒーも深煎り過ぎる。深煎りするとコーヒー豆本来の味がマスキングされてしまう。スターバックスに影響されて深煎りのコーヒーが多くなってきたのは残念というか気にくわない。そのほとんどは安いコーヒー豆の味をごまかすためだと睨んでいる。
東関東自動車道をもっと進んで成田空港の先から東へ進むことも考えたが、高速道路を走るのにも飽きてきたので、酒々井のすぐ次の宮里というインターチェンジで降りる。そこからは296号線で犬吠埼を目指す。296号線は田舎の幹線道路といった感じ。賑やかなんだけれど、ちょっとのどかな感じがして旅気分ぽくなってくる。ちなみに296号を進むと匝瑳市という地区を通る。これは「そうさ」市と読む。
正午前、夏色の海に到着(^_^)
ここは犬吠埼の北側に延びる君ヶ浜。C地点。
上の写真にはサーファーが3名。ボードの上で正座しているように見えるのは(写真はクリックすると大きくなります)、スタンドアップ・パドルボードというオールで漕ぐサーフィンの一種。波はあまりなくほとんど水遊び状態。彼らも夏を探しに来たのかな(^^ゞ
犬吠埼灯台。
今回は君ヶ浜から眺めただけで登りに行かず。
君ヶ浜の一番北側の外れあたり。
台風の後だからか、砂浜には小さな流木がたくさんあった。
君ヶ浜は長い浜だが、砂浜はあまり広くない。関東最東端だから、初日の出スポットとしても有名。日本の渚百選にも選ばれている。
D地点の銚子漁港近くに行く。
テトラポットで仕切られて水路のようになっているところに、釣り人がチラホラ。
何気なく水の中をのぞいてみると、魚がウジャウジャ!しかし、ざっと見て回ったところあまり釣り上げた人はいないみたい。お腹いっぱいなのかな?
海上保安庁の巡視艇が停泊中。
来た道を引き返して次の目的地に向かう。
道路の海側の雰囲気。
陸地側は防風林。
途中にあった銚子電鉄の犬吠駅。
銚子電鉄は銚子市内と犬吠埼を結んでいる全長7キロのほどのローカル線。副業で始めた「濡れ煎餅」が有名。時刻表を見ると、銚子まで行って帰ってくるのに1時間以上かかるので、乗ってみるのは断念。駅前にバイクなら数台停められる程度のスペースはあった。
写真右側の車両は展示用。鉄道マニアとおぼしき3人組が楽しそうに乗り込んでいた。
ーーー続く
2011年09月07日
中古のC130輸送機、海自配備へ
昨日、読売新聞のサイトに載っていた記事。
========================
防衛省は5日、海上自衛隊のYS11輸送機3機の後継として、米軍から中古のC130輸送機6機を購入する方針を固めた。
YS11は老朽化しているほか、機体が小さいことなどから、東日本大震災では大量輸送や被災した空港への離着陸に適さないことが判明。大型のC130で輸送力を増強することにした。同省は2011年度第3次補正予算案に購入費など約120億円を計上する予定だ。
海自は戦後初の国産旅客機であるYS11を1960年代後半から4機導入。YS11の国内生産はすでに終了しており、現在は3機態勢で神奈川県の厚木航空基地に配備されている。ただ、YS11の搭載量は数トンで大量輸送に不向きとされ、航続距離も約2800キロと短い。これに対し、C130は最大で約20トン搭載でき、航続距離も約4000キロと長い。C130は空自も15機保有している。
(2011年9月6日15時35分 読売新聞)
========================
なぜか1日たっても、他のニュースサイトでは報道されていない。
それはさておき、なんで中古?
輸送機とはいえ軍用機。
それを中古で揃えるほど、そこまで日本って落ちぶれてた?
アメリカのお下がりをもらってスタートした自衛隊発足当時ならいざ知らず、中古の装備なんて聞いたことがない。なぜ防衛省は中古を購入する理由を述べないのか、あるいは述べていないなら読売新聞はそれを取材しないのか?
防衛省が述べたか述べていないかはわからないが、少なくともそれに触れない読売新聞はマスコミとしてのセンスがゼロだということがわかった。それにたぶん、この記事は防衛省のプレスリリースの丸写し。
「YS11は・機体が小さいので・東日本大震災で・大量輸送に・
適さないことが判明」
そんなこと地震がなくても大昔からワカッテルやろ!と突っ込むのがマスコミの仕事のはず。それに記事にある「老朽化している・機体が小さい・被災した空港への離着陸に適さない」も論理的に意味が通らない。防衛省の作文能力が幼稚園レベルでも(それも問題だが)、新聞社というのは文章のプロのはず。アホな記事を書いたら新聞に載る前にチェックされると思っていたが、どうもそうではないらしい。文章力を身につけるために新聞を読んでいる受験生もいると思うが、読売新聞はやめておいた方がいい。付け加えるなら、飛行機の値段なんて普通の人間にはピンと来ない。6機で120億円と書かれているけど、新型機ならいくらするのかを書かないと、6機で120億円というのは情報ではなくただの文字である。
さて記事をよく読むとYS11の搭載量は数トンとこれまた取材不足だが、とりあえず3トンとしておこう。
YS11:3トン×3機=9トン
C130:20トン×6機=120トン
(9トン+120トン)÷9トン=14.3倍
1)
輸送機とはいえ14.3倍の軍事力の増強である。これって震災のドサクサに紛れた補正予算でやること?
2)
今まで9トンでまかなっていたのに、本当にプラス120トンも必要?
3)
海上自衛隊6機、航空自衛隊15機と分散するより、航空自衛隊にまとめて運用した方が効率はよくない? ヤマト運輸に外注したら全部で10機で足りるかも(^^ゞ
まあとにかく、いろいろ(/o\)な記事とその内容である。
ちなみに私は子供の頃YS11とフレンドシップというプロペラ旅客機に乗った事があります! 日本だとすっかりジェット機で、プロペラ機というと旧式機のイメージだけれど、ヨーロッパではフツウに飛んでいる。
========================
防衛省は5日、海上自衛隊のYS11輸送機3機の後継として、米軍から中古のC130輸送機6機を購入する方針を固めた。
YS11は老朽化しているほか、機体が小さいことなどから、東日本大震災では大量輸送や被災した空港への離着陸に適さないことが判明。大型のC130で輸送力を増強することにした。同省は2011年度第3次補正予算案に購入費など約120億円を計上する予定だ。
海自は戦後初の国産旅客機であるYS11を1960年代後半から4機導入。YS11の国内生産はすでに終了しており、現在は3機態勢で神奈川県の厚木航空基地に配備されている。ただ、YS11の搭載量は数トンで大量輸送に不向きとされ、航続距離も約2800キロと短い。これに対し、C130は最大で約20トン搭載でき、航続距離も約4000キロと長い。C130は空自も15機保有している。
(2011年9月6日15時35分 読売新聞)
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なぜか1日たっても、他のニュースサイトでは報道されていない。
それはさておき、なんで中古?
輸送機とはいえ軍用機。
それを中古で揃えるほど、そこまで日本って落ちぶれてた?
アメリカのお下がりをもらってスタートした自衛隊発足当時ならいざ知らず、中古の装備なんて聞いたことがない。なぜ防衛省は中古を購入する理由を述べないのか、あるいは述べていないなら読売新聞はそれを取材しないのか?
防衛省が述べたか述べていないかはわからないが、少なくともそれに触れない読売新聞はマスコミとしてのセンスがゼロだということがわかった。それにたぶん、この記事は防衛省のプレスリリースの丸写し。
「YS11は・機体が小さいので・東日本大震災で・大量輸送に・
適さないことが判明」
そんなこと地震がなくても大昔からワカッテルやろ!と突っ込むのがマスコミの仕事のはず。それに記事にある「老朽化している・機体が小さい・被災した空港への離着陸に適さない」も論理的に意味が通らない。防衛省の作文能力が幼稚園レベルでも(それも問題だが)、新聞社というのは文章のプロのはず。アホな記事を書いたら新聞に載る前にチェックされると思っていたが、どうもそうではないらしい。文章力を身につけるために新聞を読んでいる受験生もいると思うが、読売新聞はやめておいた方がいい。付け加えるなら、飛行機の値段なんて普通の人間にはピンと来ない。6機で120億円と書かれているけど、新型機ならいくらするのかを書かないと、6機で120億円というのは情報ではなくただの文字である。
さて記事をよく読むとYS11の搭載量は数トンとこれまた取材不足だが、とりあえず3トンとしておこう。
YS11:3トン×3機=9トン
C130:20トン×6機=120トン
(9トン+120トン)÷9トン=14.3倍
1)
輸送機とはいえ14.3倍の軍事力の増強である。これって震災のドサクサに紛れた補正予算でやること?
2)
今まで9トンでまかなっていたのに、本当にプラス120トンも必要?
3)
海上自衛隊6機、航空自衛隊15機と分散するより、航空自衛隊にまとめて運用した方が効率はよくない? ヤマト運輸に外注したら全部で10機で足りるかも(^^ゞ
まあとにかく、いろいろ(/o\)な記事とその内容である。
ちなみに私は子供の頃YS11とフレンドシップというプロペラ旅客機に乗った事があります! 日本だとすっかりジェット機で、プロペラ機というと旧式機のイメージだけれど、ヨーロッパではフツウに飛んでいる。
2011年09月05日
引っ張り合う政治
何を引っ張るかというと「足」である。
野田首相が誕生して、お辞儀の仕方も含めてやたら低姿勢なものだから、野党からは「攻めにくい」という声が上がっている。逆に組閣が終わって閣僚の顔ぶれを見たら「攻めどころ満載内閣」という自民党の議員もいた。民主党でも、小沢・反小沢の駆け引きの中で、小沢氏に近い輿石氏が幹事長になったが、小沢系議員では「(反小沢系中心の執行部にたてつきにくい)イヤらしい人事」と述べている人もいる。
この手の報道を見ると、いつものことながら政治というか政治家には、ほとほと愛想が尽きる。彼らの言う「攻める」とは決して政策の議論ではない。政治献金にグレーな部分があるとか、過去におかしな発言をしたとか、要はそういうことで足を引っ張る、揚げ足を取るということ。
政治の本質は、いい政治をすることではなくて、誰がボスになるかという権力闘争だがら、政策や中身で相手より上に行けなければ、理由は手段は何でもいいから相手を下に落としてしまえというのは、政治家の本能かもしれない。それを否定するつもりはない。闘争力こそが進化の源である。
しかし低姿勢だから攻めにくいとか、叩けば埃が出るから攻めどころ満載と、うれしそうにマスコミにペラペラ喋るなんてのはレベルが低すぎる。またそれを政治の大事なことのように報道するマスコミも同レベル。
政治もほとんどワイドショーに近くなってきた。
その心は「どうでもいいことの方が盛り上がる」(/o\)
野田首相が誕生して、お辞儀の仕方も含めてやたら低姿勢なものだから、野党からは「攻めにくい」という声が上がっている。逆に組閣が終わって閣僚の顔ぶれを見たら「攻めどころ満載内閣」という自民党の議員もいた。民主党でも、小沢・反小沢の駆け引きの中で、小沢氏に近い輿石氏が幹事長になったが、小沢系議員では「(反小沢系中心の執行部にたてつきにくい)イヤらしい人事」と述べている人もいる。
この手の報道を見ると、いつものことながら政治というか政治家には、ほとほと愛想が尽きる。彼らの言う「攻める」とは決して政策の議論ではない。政治献金にグレーな部分があるとか、過去におかしな発言をしたとか、要はそういうことで足を引っ張る、揚げ足を取るということ。
政治の本質は、いい政治をすることではなくて、誰がボスになるかという権力闘争だがら、政策や中身で相手より上に行けなければ、理由は手段は何でもいいから相手を下に落としてしまえというのは、政治家の本能かもしれない。それを否定するつもりはない。闘争力こそが進化の源である。
しかし低姿勢だから攻めにくいとか、叩けば埃が出るから攻めどころ満載と、うれしそうにマスコミにペラペラ喋るなんてのはレベルが低すぎる。またそれを政治の大事なことのように報道するマスコミも同レベル。
政治もほとんどワイドショーに近くなってきた。
その心は「どうでもいいことの方が盛り上がる」(/o\)
2011年09月01日
米軍の台風情報 JTWC
8月の20日に大雨が降った後、早くも東京の夏は終わってしまったようである。数日涼しかった後は今も暑い日が続いているが、気温は高くても真夏のカーッとした暑さではなく、何となくダラ〜ンとした暑さ。春夏秋冬、季節は4つあるけれど、なぜか夏だけが終わると思うと少し寂しく感じるのは私だけかな?
現在、台風12号が接近中。
ところで米軍が独自に台風の予報をおこなっていて、それがインターネットで公開されていることを最近知った。
Joint Typhoon Warning Center (JTWC)
米軍合同台風警報センター
そのページのTC Warning Graphicというリンクをクリックすると、進路予報図のページになる。(台風が来ている時だけ:たぶん)
米軍の予報図(上)と、気象庁の予報図(下)
図柄としては気象庁のほうがキレイだが、どう見ても米軍のほうが理解しやすい。台風の中心がどう移動するのか一目瞭然なのも便利。もっとも、それがわかってどうなるというものでもないが。それに気象庁の図は、なぜか西はインド南はニューギニアまでまでカバーしていて、肝心の日本が小さすぎる。図自体も米軍のほうが大きい。(ブログに貼り付けた図は、ファイルサイズの関係で気象庁のほうが大きく表示されている)
なお米軍の予報図で01/12Zとか書いてあるのは1日の12時という意味だけど、Zが「時」の略ではもちろんなく、これは世界標準時の略記号。平たく言えばグリニッジ標準時=イギリスの時間。日本時間に置き換えるには9時間プラスする。だから12Zは21時で午後9時。
また米軍ホームページ左から2つめのWarning Graphic Legendをクリックすると、現在の台風の発生から今までの動きを知ることができる。
どっちの予報が正確かはわからない。
そんなに違わないと思うが。どなたか暇な人は検証してください(^^ゞ
気象庁その他日本の予報以外に、米軍の予報まで確認する必要があるかどうかは別として、よっぽど台風の動きが気になる時はどうぞ。
現在、台風12号が接近中。
ところで米軍が独自に台風の予報をおこなっていて、それがインターネットで公開されていることを最近知った。
Joint Typhoon Warning Center (JTWC)
米軍合同台風警報センター
そのページのTC Warning Graphicというリンクをクリックすると、進路予報図のページになる。(台風が来ている時だけ:たぶん)
米軍の予報図(上)と、気象庁の予報図(下)
図柄としては気象庁のほうがキレイだが、どう見ても米軍のほうが理解しやすい。台風の中心がどう移動するのか一目瞭然なのも便利。もっとも、それがわかってどうなるというものでもないが。それに気象庁の図は、なぜか西はインド南はニューギニアまでまでカバーしていて、肝心の日本が小さすぎる。図自体も米軍のほうが大きい。(ブログに貼り付けた図は、ファイルサイズの関係で気象庁のほうが大きく表示されている)
なお米軍の予報図で01/12Zとか書いてあるのは1日の12時という意味だけど、Zが「時」の略ではもちろんなく、これは世界標準時の略記号。平たく言えばグリニッジ標準時=イギリスの時間。日本時間に置き換えるには9時間プラスする。だから12Zは21時で午後9時。
また米軍ホームページ左から2つめのWarning Graphic Legendをクリックすると、現在の台風の発生から今までの動きを知ることができる。
どっちの予報が正確かはわからない。
そんなに違わないと思うが。どなたか暇な人は検証してください(^^ゞ
気象庁その他日本の予報以外に、米軍の予報まで確認する必要があるかどうかは別として、よっぽど台風の動きが気になる時はどうぞ。