2011年11月
2011年11月29日
iPhone日記その1
iPhoneは買っても、今までのドコモの携帯はそのまま使っている。電話や携帯メールはこれからもドコモのままの予定。電話はドコモで、メールはiPhoneという選択肢もあるが、着信やメールが来ていないか常に2台をチェックするのも面倒なので、コミュニケーション端末としてはドコモがメイン。オフィスで上着を脱いだらドコモはパンツのポケットに入れるが、iPhoneは上着の中に入れたままである。
それでiPhoneを買った理由というか、今のところの使い道は以下の通り。機種代金で7万円、毎年の通信費が4万5千円かかるんだから、購入にはそれなりのいいわけが必要である。
1)
以前はNHKのラジオ講座のCDをiPodに入れて英語の勉強をしていた。でも数年前からサボりっぱなし。英語の仕事が増えて実践で苦労しているから英語力は落ちていないと思っているが、やはりラジオ講座(じゃなくてもいいけれど)を聴いていないとヒアリング能力が落ちる。
もともと相手のいっていることの1/4しか理解できなくて、それを想像力を膨らませて1/2にまで持っていき、それで何とか話のつじつまを合わせるのが私の英会話スタイル。ほとんど連想ゲームなのだが、連想のベースになるヒアリングが1/5や1/6に落ちてくるとさすがにツライ。
英語の「音」は日本語の音とは違うので、日本人の耳というか脳は英語の音を聞き分けるようには準備されていない。たくさん英語を聞くことで、だんだんと聞き分けられるようになってくる。逆に言えば、そうして耳や脳を英語の音に馴らさない限り聞き分けられない。
というわけでiPhoneの使い道その1は英語のお勉強のためのiPod代わり。
ちなみにラジオ講座のCDは1580円だが、今はiTuneストアでダウンロード販売をしていて、それだと1200円と380円安い。
2)
11月25日のエントリーでも書いたグーグルマップをバイクのツーリング先や、その他の外出先で活用すること。
バイクにはナビも装着しているが、BMW純正のナビは、バイクから取り外して投げ捨てようかと思うくらい操作性が悪い。それに基本は道路地図なので、グーグルマップのように拡大したら建物の名前が書いてあるということもない。
だからルートを考えたり変更するときはもちろん、道に迷ったりしたときも簡単に地図を拡大縮小できるグーグルマップのほうが便利。バイクのナビもiPhoneと同じように画面タッチ操作だが、なかなか反応しないナビをイライラして操作するより、ポケットからiPhoneを取り出したほうが早いのである。
iPhoneに組み込むナビゲーションソフトもある、しかしそれらが使う地図はグーグルマップじゃなくて、いわゆるナビ用の地図だからルートを考えるときはちょっと役不足。BMW純正より操作性はいいかも知れないが、防水や耐振動性を考えると今のところあまり関心はない。ところでナビゲーションソフトって携帯の電波がこなくても関係ないのかな?
3)
ネットを見る。
電車で移動中の時や、ランチの料理が出てくるまでの時間とか。でも雑誌も何か持ち歩いていることも多いし、ラジオ講座も聴くので、いつもiPhoneを見つめている訳じゃない。主に見ているのはニュースサイト。ヤフーやグーグルのニュースサイトはパソコンで必ず見るから、iPhoneではAFPやロイターなどの海外ニュースサイト(もちろん日本語版)を見ることが多い。
(ここからはiPhoneを持っている人しかわからない話でゴメン)
ところで駅には地下でも携帯の電波が来ているし、WiFi(ワイファイ。携帯の電波ではなく無線LANでネット接続すること)もある。でも地下鉄に乗って走り出すとネット接続できない。そんな時でもたくさんニュースを読む方法。
サファリの設定で「リンクを開く」の動作をデフォルトの「新規ページで開く」から「バックグラウンドで開く」に変更しておく。
↓
ニュース見出しのリンクを長押しすると、いくつかメニューが出てくるから「バックグラウンドで開く」を選ぶ。見出しのページはそのままで、別のタブで本文ページが開いて読み込まれる。
↓
ネットに接続しているうちに、読みたいニュースをそうやって別タブに読み込ませておく。すでに読み込んだタブの中身(ニュース本文)はネットに接続していなくても読めるから、地下鉄などで電波が来ていなくてもOK。
アップルにお願い
サファリはバックグラウンドで8つのタブしか開けない。9つ目を開くと最初のタブが消える仕組み。つまりこの方法だと8つのニュースしか読めない。もっとバックグラウンドで開けるようにして欲しい。
アップルに質問
リンクを開く動作を「新規ページで開く」と「バックグラウンドで開く」に事前に設定で二者択一しておく必要性があるとは思えない。リンクを長押ししたときのメニューでどちらかを選べないのはなぜ?
ーーーー続く
それでiPhoneを買った理由というか、今のところの使い道は以下の通り。機種代金で7万円、毎年の通信費が4万5千円かかるんだから、購入にはそれなりのいいわけが必要である。
1)
以前はNHKのラジオ講座のCDをiPodに入れて英語の勉強をしていた。でも数年前からサボりっぱなし。英語の仕事が増えて実践で苦労しているから英語力は落ちていないと思っているが、やはりラジオ講座(じゃなくてもいいけれど)を聴いていないとヒアリング能力が落ちる。
もともと相手のいっていることの1/4しか理解できなくて、それを想像力を膨らませて1/2にまで持っていき、それで何とか話のつじつまを合わせるのが私の英会話スタイル。ほとんど連想ゲームなのだが、連想のベースになるヒアリングが1/5や1/6に落ちてくるとさすがにツライ。
英語の「音」は日本語の音とは違うので、日本人の耳というか脳は英語の音を聞き分けるようには準備されていない。たくさん英語を聞くことで、だんだんと聞き分けられるようになってくる。逆に言えば、そうして耳や脳を英語の音に馴らさない限り聞き分けられない。
というわけでiPhoneの使い道その1は英語のお勉強のためのiPod代わり。
ちなみにラジオ講座のCDは1580円だが、今はiTuneストアでダウンロード販売をしていて、それだと1200円と380円安い。
2)
11月25日のエントリーでも書いたグーグルマップをバイクのツーリング先や、その他の外出先で活用すること。
バイクにはナビも装着しているが、BMW純正のナビは、バイクから取り外して投げ捨てようかと思うくらい操作性が悪い。それに基本は道路地図なので、グーグルマップのように拡大したら建物の名前が書いてあるということもない。
だからルートを考えたり変更するときはもちろん、道に迷ったりしたときも簡単に地図を拡大縮小できるグーグルマップのほうが便利。バイクのナビもiPhoneと同じように画面タッチ操作だが、なかなか反応しないナビをイライラして操作するより、ポケットからiPhoneを取り出したほうが早いのである。
iPhoneに組み込むナビゲーションソフトもある、しかしそれらが使う地図はグーグルマップじゃなくて、いわゆるナビ用の地図だからルートを考えるときはちょっと役不足。BMW純正より操作性はいいかも知れないが、防水や耐振動性を考えると今のところあまり関心はない。ところでナビゲーションソフトって携帯の電波がこなくても関係ないのかな?
3)
ネットを見る。
電車で移動中の時や、ランチの料理が出てくるまでの時間とか。でも雑誌も何か持ち歩いていることも多いし、ラジオ講座も聴くので、いつもiPhoneを見つめている訳じゃない。主に見ているのはニュースサイト。ヤフーやグーグルのニュースサイトはパソコンで必ず見るから、iPhoneではAFPやロイターなどの海外ニュースサイト(もちろん日本語版)を見ることが多い。
(ここからはiPhoneを持っている人しかわからない話でゴメン)
ところで駅には地下でも携帯の電波が来ているし、WiFi(ワイファイ。携帯の電波ではなく無線LANでネット接続すること)もある。でも地下鉄に乗って走り出すとネット接続できない。そんな時でもたくさんニュースを読む方法。
サファリの設定で「リンクを開く」の動作をデフォルトの「新規ページで開く」から「バックグラウンドで開く」に変更しておく。
↓
ニュース見出しのリンクを長押しすると、いくつかメニューが出てくるから「バックグラウンドで開く」を選ぶ。見出しのページはそのままで、別のタブで本文ページが開いて読み込まれる。
↓
ネットに接続しているうちに、読みたいニュースをそうやって別タブに読み込ませておく。すでに読み込んだタブの中身(ニュース本文)はネットに接続していなくても読めるから、地下鉄などで電波が来ていなくてもOK。
アップルにお願い
サファリはバックグラウンドで8つのタブしか開けない。9つ目を開くと最初のタブが消える仕組み。つまりこの方法だと8つのニュースしか読めない。もっとバックグラウンドで開けるようにして欲しい。
アップルに質問
リンクを開く動作を「新規ページで開く」と「バックグラウンドで開く」に事前に設定で二者択一しておく必要性があるとは思えない。リンクを長押ししたときのメニューでどちらかを選べないのはなぜ?
ーーーー続く
2011年11月27日
期待はずれだった“もみじロード”
水曜日の勤労感謝の日に雨の富士四湖で修行をしてきたばかりなのに、あと数回ツーリングすれば寒くなってバイクに乗らなくなる(はず)だからと自分に言い訳。先日の河口湖では紅葉を見られたものの雨で散策できなかったので、今回は房総の山でじっくり紅葉を満喫し、ついでに山道・海道も走って楽しもうとの目論見。
いつものグーグルマップ。
アクアラインで東京湾を突っ切り、B地点の館山自動車の富津中央のインターチェンジで降りる。ここは春にバイクで初めて南房総に来たとき、「富津南」というインターチェンジがあると勘違いして降り損ねたところ。もちろん同じ過ちは二度しない←自慢するほどのことではないが。
富津中央インターの手前の君津パーキングエリア。
館山自動車道は道路上を飛んでいる虫が多い。それでオシッコ休憩兼、ヘルメットのシールドにぶつかってへばりついた虫を洗い流す休憩。
今日は暖かかったせいかバイクが多かった。写真には数台しか写っていないが、右手奥にBMWを中心とした30台くらいのグループと、左手側には15台ぐらいのハーレーのグループ。大勢でツーリングするのも楽しいかも知れない。でも団体行動の苦手な私には向いていないだろうな(^^ゞ
私のバイクの後ろに停まっているのはBMWのF800ST。私のF800Rの兄弟車種。私のはカウルのないネイキッド(裸)タイプで、あちらはカウルで覆われたタイプ。こうやって見較べてみるとスクリーンは、先日付けたZ tecnikのほうが高さがあるように思える。
富津中央インターチェンジで降りて、しばらく高速と並行して走り、そのあと465号線で少し東へ進む。地図のC地点からD地点は182号線で、10月に逆方向を一度走った。ここは通称もみじロードと呼ばれている。バイクで走って楽しい道なのは確認済みだし、それが紅葉していたらどれだけ素晴らしいかと期待がふくらむ。
しかしタイトルで先に書いちゃったけれど、結論を言うとガッカリした(/o\) 確かにもみじはあって紅葉しているとはいえ、ポツンポツンと点在していて密度がたりないし、何より紅葉の色が真っ赤じゃなくて、ちょっと茶色がかっていてキレイじゃない。ツヤもない。私が見たかった燃えるようなレッドオータムにはほど遠い。観光客もたくさん歩いていたが「河口湖のほうが100倍キレイですよ」と教えたくなったくらい。だからバイクを停めることもなく素通りし、よって写真もなし。残念無念。
房総半島の西海岸の保田(ほだ)と、東海岸の鴨川を結ぶのが長狭街道。今回はD地点から走った。D地点とE地点の中間くらいまでの長狭街道は、適度にクネクネしたのんびりした田舎道で大のお気に入り。
鴨川市到着。E地点は鴨川の北外れ。
バイクを停めたのはマルキというサーフポイント。マルキの意味は知らない。サーフィンをする場所はポイントと呼ばれ、地名でそのまま呼ばれる場合もあれば、独特のニックネームのようなものがついているところもある。湘南には下水処理場の近くだから「クソ下」なんて名前のポイントがある(^^ゞ
こんな感じの海岸。
水も砂浜もキレイ。
写真をクリックして拡大すれば、結構いい瞬間が写っている。
サイズは大きい波で腰程度。ちなみに波の大きさは膝、腰、肩などと表す。頭より高い波はなぜかオーバーヘッドと英語になる。ほとんど波がないときは踝(くるぶし)なんていったりする。ただし私がサーフィンをやっていた時代の話で、今はどうか知らない。なおサーフボードの上に立つから波の高さプラス自分の身長になるし、波の下はえぐれているから、サーフィンをすると岸で見ているより波は高く感じる。
私のすぐ横を通って海に入っていくサーファー。
なんか無性にサーフィンがしたくなった。
ボードを貸してくれたら革ジャンのまま入ったかも(^^ゞ
「僕も海に入りたい」といっている気がするF800R。
鴨川シーワールドの前を通って、そのあと適当に海岸沿いの道を走る。
次に会ったポイント。しかし、ここはほとんど波なし。
F地点の少し手前。
でも南国気分はたっぷり。
テトラポットが並んでいた。
しばらく走るとマリーナがあった。
F地点。
釣りをするための桟橋というか遊歩道というか。
10人ぐらい釣り人がいたものの釣果なしの模様。
ここにあったテトラポットはかなりでかい。
三角のテトラじゃなくて、変わった形。
桟橋から先ほど波のなかったポイント方向を眺める。
しばらく前まで、鴨川とか勝浦とか、あるいは湘南とか海のそばに住むか、別宅が欲しいなあとずっと思っていた。しかし3.11の津波があってからは、そういう気持ちはなくなってしまった。
F地点から少し走って、やや小高い場所から。
右見て左見て、無理やりフォトショップでパノラマ写真にしてみた。(フォトショップは画像ソフトです)
この後は外房黒潮ラインと呼ばれる128号線で海を眺めながら走り、千倉というところから北西に進んで、房総半島を縦断する田舎山道を走る。G地点の少し手前からH地点までが、その目指す88号線。
88号線を少し入ったところにある道の駅「三芳村 鄙(ひな)の里」。
写真はレストランのテラスで、足裏のツボを刺激するコースがあった。痛そうなのでチャレンジせず。
テラスからの風景。
海や紅葉もいいけれど、田んぼの景色もいいもんだ。
レストランの内部。
真ん中で集まっているのは、太巻き(巻き寿司)の無料講習会。
なんで、そんなことやってるのかな?
野菜とかの売店。
お米を買っている人も多かった。こだわって栽培したとかの説明があって、おいしそうだったが無洗米はなかったので。
88号線も以前に逆方向を走った。途中で長狭街道と交差・一部併走するが、そこまでは適度にクネクネしたのんびりした道。長狭街道を越えてからはカーブが急になり、道幅も狭くなって結構タフ。
H地点のあとはC地点、B地点と来た道を戻って、またアクアラインで東京に戻る・午前9時半に出発して午後5時前に帰宅。ギリギリ明るいうちに帰れた。走行250キロ。もみじロードの紅葉にはガッカリだったものの、たまにはこういうハズレもしかたないか。
いつものグーグルマップ。
アクアラインで東京湾を突っ切り、B地点の館山自動車の富津中央のインターチェンジで降りる。ここは春にバイクで初めて南房総に来たとき、「富津南」というインターチェンジがあると勘違いして降り損ねたところ。もちろん同じ過ちは二度しない←自慢するほどのことではないが。
富津中央インターの手前の君津パーキングエリア。
館山自動車道は道路上を飛んでいる虫が多い。それでオシッコ休憩兼、ヘルメットのシールドにぶつかってへばりついた虫を洗い流す休憩。
今日は暖かかったせいかバイクが多かった。写真には数台しか写っていないが、右手奥にBMWを中心とした30台くらいのグループと、左手側には15台ぐらいのハーレーのグループ。大勢でツーリングするのも楽しいかも知れない。でも団体行動の苦手な私には向いていないだろうな(^^ゞ
私のバイクの後ろに停まっているのはBMWのF800ST。私のF800Rの兄弟車種。私のはカウルのないネイキッド(裸)タイプで、あちらはカウルで覆われたタイプ。こうやって見較べてみるとスクリーンは、先日付けたZ tecnikのほうが高さがあるように思える。
富津中央インターチェンジで降りて、しばらく高速と並行して走り、そのあと465号線で少し東へ進む。地図のC地点からD地点は182号線で、10月に逆方向を一度走った。ここは通称もみじロードと呼ばれている。バイクで走って楽しい道なのは確認済みだし、それが紅葉していたらどれだけ素晴らしいかと期待がふくらむ。
しかしタイトルで先に書いちゃったけれど、結論を言うとガッカリした(/o\) 確かにもみじはあって紅葉しているとはいえ、ポツンポツンと点在していて密度がたりないし、何より紅葉の色が真っ赤じゃなくて、ちょっと茶色がかっていてキレイじゃない。ツヤもない。私が見たかった燃えるようなレッドオータムにはほど遠い。観光客もたくさん歩いていたが「河口湖のほうが100倍キレイですよ」と教えたくなったくらい。だからバイクを停めることもなく素通りし、よって写真もなし。残念無念。
房総半島の西海岸の保田(ほだ)と、東海岸の鴨川を結ぶのが長狭街道。今回はD地点から走った。D地点とE地点の中間くらいまでの長狭街道は、適度にクネクネしたのんびりした田舎道で大のお気に入り。
鴨川市到着。E地点は鴨川の北外れ。
バイクを停めたのはマルキというサーフポイント。マルキの意味は知らない。サーフィンをする場所はポイントと呼ばれ、地名でそのまま呼ばれる場合もあれば、独特のニックネームのようなものがついているところもある。湘南には下水処理場の近くだから「クソ下」なんて名前のポイントがある(^^ゞ
こんな感じの海岸。
水も砂浜もキレイ。
写真をクリックして拡大すれば、結構いい瞬間が写っている。
サイズは大きい波で腰程度。ちなみに波の大きさは膝、腰、肩などと表す。頭より高い波はなぜかオーバーヘッドと英語になる。ほとんど波がないときは踝(くるぶし)なんていったりする。ただし私がサーフィンをやっていた時代の話で、今はどうか知らない。なおサーフボードの上に立つから波の高さプラス自分の身長になるし、波の下はえぐれているから、サーフィンをすると岸で見ているより波は高く感じる。
私のすぐ横を通って海に入っていくサーファー。
なんか無性にサーフィンがしたくなった。
ボードを貸してくれたら革ジャンのまま入ったかも(^^ゞ
「僕も海に入りたい」といっている気がするF800R。
鴨川シーワールドの前を通って、そのあと適当に海岸沿いの道を走る。
次に会ったポイント。しかし、ここはほとんど波なし。
F地点の少し手前。
でも南国気分はたっぷり。
テトラポットが並んでいた。
しばらく走るとマリーナがあった。
F地点。
釣りをするための桟橋というか遊歩道というか。
10人ぐらい釣り人がいたものの釣果なしの模様。
ここにあったテトラポットはかなりでかい。
三角のテトラじゃなくて、変わった形。
桟橋から先ほど波のなかったポイント方向を眺める。
しばらく前まで、鴨川とか勝浦とか、あるいは湘南とか海のそばに住むか、別宅が欲しいなあとずっと思っていた。しかし3.11の津波があってからは、そういう気持ちはなくなってしまった。
F地点から少し走って、やや小高い場所から。
右見て左見て、無理やりフォトショップでパノラマ写真にしてみた。(フォトショップは画像ソフトです)
この後は外房黒潮ラインと呼ばれる128号線で海を眺めながら走り、千倉というところから北西に進んで、房総半島を縦断する田舎山道を走る。G地点の少し手前からH地点までが、その目指す88号線。
88号線を少し入ったところにある道の駅「三芳村 鄙(ひな)の里」。
写真はレストランのテラスで、足裏のツボを刺激するコースがあった。痛そうなのでチャレンジせず。
テラスからの風景。
海や紅葉もいいけれど、田んぼの景色もいいもんだ。
レストランの内部。
真ん中で集まっているのは、太巻き(巻き寿司)の無料講習会。
なんで、そんなことやってるのかな?
野菜とかの売店。
お米を買っている人も多かった。こだわって栽培したとかの説明があって、おいしそうだったが無洗米はなかったので。
88号線も以前に逆方向を走った。途中で長狭街道と交差・一部併走するが、そこまでは適度にクネクネしたのんびりした道。長狭街道を越えてからはカーブが急になり、道幅も狭くなって結構タフ。
H地点のあとはC地点、B地点と来た道を戻って、またアクアラインで東京に戻る・午前9時半に出発して午後5時前に帰宅。ギリギリ明るいうちに帰れた。走行250キロ。もみじロードの紅葉にはガッカリだったものの、たまにはこういうハズレもしかたないか。
2011年11月25日
紅葉を見て雨に降られる
航空写真を地形図に変更して、富士五湖周辺だけを拡大してみた。
本栖湖でバイクの写真を撮っている最中に、パラパラと雨が降ってきた。傘を差すほどでのない程度。それまでの天候はずっと曇りで、特に空が暗くなってきたこともなかったので、あまり気にせず西湖に向けて出発。精進湖から本栖湖へ来た道を少し戻ることになる。
話は変わるけど精進湖と本栖湖のあるエリアは、今は町村合併によって河口湖町。その前の地名は上九一色村。珍しい地名だが「かみくいしきむら」と振り仮名を打たなくても、誰もが読めるオウムのサティアンがあったところである。
数日前、オウム関連の最後の裁判が死刑判決で確定したとかで、久しぶりにオウムのニュースがあったが、このあたりには上九一色村の名前がついた施設とかが今も残っていて、「上九一色村の何とか、コッチ」という標識というか立て看板がところどころにある。それを見ると16年たった今でも、やはり気持ちが少し緊張する。
私はよくこのブログでネーミングの重要性を欠くが、上九一色村はその珍しい名前が災いして、人々の記憶から消えないマイナスのネーミング効果である。これが山田町とか富士本町とか何のへんてつもない名前だったら、とっくに忘れられている。
注)最近はすっかり旅日記と化しているこのブログは、
本人も忘れかけているけれど
もともとはマーケティングがテーマのブログです(^^ゞ
ついでに脱線。地図で本栖湖と精進湖の東側に水色で塗ったエリアは青木ヶ原の樹海。迷い込んだら絶対に抜け出せないとか、自殺の名所とか、どちらかといえば怖いイメージがある。年間100体くらいの遺体が見つかるらしいから自殺者が多いことは事実だが、一部にはハイキングコースやキャンプ場もあり、洞窟探検のツアーもある観光スポットでもある。
ずいぶん昔に歩いたことがあるが、ここは溶岩の上に木が生えている珍しいところで、地形も木々もゴツゴツしていて秘境気分が味わえる。富士山の裾野全部が樹海だと思っている人が意外と多いが、樹海があるのは富士山の北西部だけ。それでも山手線の内側くらいの面積はある。それだけ富士山というのは、この日本では例外的にスケールの大きな存在。前回のブログの航空写真をクリックして、富士山の大きさと東京都心部の大きさを見較べてみて。
その青木ヶ原あたりから雨がだんだん強くなってきた。まだ路面が完全に濡れるほどではなかったが、注意しながら走る。35年ぶりにバイクを買ってからは「キツネの嫁入り」しか出会っていないし、35年前も雨が降ったらよほどのことがない限り乗らなかった。つまり私は雨の中を走った経験がほとんどない。
精進湖近くまで戻ってから東に進み、西湖と河口湖はその北側を走る。この道は21号線で湖北ビューラインという名前がついている。つまり湖越しに富士山を眺められる道路。もちろんが雨が降っていては何も見えない。
西湖あたりに来ると雨はあまり降っていなかった。
写真は西湖の一番西側。写真に写っている地図は上が南になっている。
でも、この写真を撮った後あたりから本降りになってくる。西湖は昔ウインドサーフィンをよくしに来たので、当時の場所などを探したかったが、雨でくじけて、北湖畔を通り抜けただけで河口湖へ向かう。それに西湖は景色もあまりパッとしない。
カッパも持ってきていたが、革ジャン革パンで、それなりに水をはじいて中まで濡れてこなかったので、とりあえずそのまま走る。頭はヘルメットがあるので、もちろん全く濡れない。
バイクは道路が濡れたからと言って、すぐスリップすることはないが、マンホールなどの鉄板がやばい。バイクはカーブを曲がるときに傾く。その状態でマンホールに乗るとツルンと滑って転ける(らしい。経験がないのでよくわからない)。幸い、こんな観光道路は下に下水が走っているわけでもないので、マンホールはほとんどない。
マンホールの次に危ないのはセンターラインや横断歩道などの塗装だが、これを避けるのはそれほど難しくはない。雨の中を走るなんてまっぴらゴメンと思っていたが、身体が濡れない限り、路面に最大限注意しながら走るのも、なんか修行っぽくて意外と楽しめた。
河口湖まで来ると、茶色ではなくて鮮やかな紅葉が増えてくる。ちなみに紅葉を指す英語はいろいろあるが、逆に言えばはっきりと決まった言い方はないが、赤い葉ならred autumn(レッドオータム)、黄色い葉ならyellow autumn(イエローオータム)で通じる。オータムとは秋のことだから、直訳すれば赤い秋・黄色い秋となる。赤い秋なんて、なかなか詩的な言い回しである。
これが河口湖のレッドオータム。
しかし紅葉に見とれて写真を撮っていると、何か怪しい霊が写っている。やっぱり青木ヶ原の樹海のそばを通ったからか? 南無阿弥陀仏(>_<) 種明かしをすると、これはストロボに反射した雨。
紅葉の下でF800Rは雨宿り。
河口湖には紅葉の中を散策できる場所がいくつかある。現地に着いてから探すつもりだったが、雨なので断念。
ところで、今まではグーグルマップでルートを確かめて、それをプリントして持ってきていた。しかし先日iPhoneを購入して、今回からはツーリング先でもアクセスできるのでプリントはなし。グーグルマップは市販の地図じゃ載っていないような細い道路も拡大してみられる。これからいろいろ活用できると期待。しかしiPhoneには天気予報関連のアプリもいくつかインストールしてあるのだが、今回は見るのを忘れた(^^ゞ
結局河口湖でバイクを停めて紅葉を眺めたのは、上の写真の場所だけであるが、その後もレッドオータムを眺めながら湖畔を走れたのでまあ満足。きれいなイエローオータムが少なかったのがちょっと残念。機会があったらイエローオータムの場所をどこか探して訪れたい。
本日は家を出たときの気温が15度。精進湖についた時が11.5度。雨が降ってからは6.5度まで下がった。気温が低くて、あるいは風が冷たくて寒いという感覚はまったくないのに、バイクで走っていると身体の芯が冷えてくるのがわかる。ちょっと不思議な感覚だった。革ジャンが雨に濡れて気化熱で体温を奪われたのかな? 結局この後、八王子あたりにつくまでずっと本降りの雨だったが、特に必要を感じなかったのでカッパは着なかった。革ジャン革パンだけで案外と濡れないものだ。
走行285キロ。雨の中を走るのも意外と楽しいというか、そんなに苦にならないという発見があった紅葉ツーリングでした。もっとも最初から降っていたら出かけないけれど。
おしまい
本栖湖でバイクの写真を撮っている最中に、パラパラと雨が降ってきた。傘を差すほどでのない程度。それまでの天候はずっと曇りで、特に空が暗くなってきたこともなかったので、あまり気にせず西湖に向けて出発。精進湖から本栖湖へ来た道を少し戻ることになる。
話は変わるけど精進湖と本栖湖のあるエリアは、今は町村合併によって河口湖町。その前の地名は上九一色村。珍しい地名だが「かみくいしきむら」と振り仮名を打たなくても、誰もが読めるオウムのサティアンがあったところである。
数日前、オウム関連の最後の裁判が死刑判決で確定したとかで、久しぶりにオウムのニュースがあったが、このあたりには上九一色村の名前がついた施設とかが今も残っていて、「上九一色村の何とか、コッチ」という標識というか立て看板がところどころにある。それを見ると16年たった今でも、やはり気持ちが少し緊張する。
私はよくこのブログでネーミングの重要性を欠くが、上九一色村はその珍しい名前が災いして、人々の記憶から消えないマイナスのネーミング効果である。これが山田町とか富士本町とか何のへんてつもない名前だったら、とっくに忘れられている。
注)最近はすっかり旅日記と化しているこのブログは、
本人も忘れかけているけれど
もともとはマーケティングがテーマのブログです(^^ゞ
ついでに脱線。地図で本栖湖と精進湖の東側に水色で塗ったエリアは青木ヶ原の樹海。迷い込んだら絶対に抜け出せないとか、自殺の名所とか、どちらかといえば怖いイメージがある。年間100体くらいの遺体が見つかるらしいから自殺者が多いことは事実だが、一部にはハイキングコースやキャンプ場もあり、洞窟探検のツアーもある観光スポットでもある。
ずいぶん昔に歩いたことがあるが、ここは溶岩の上に木が生えている珍しいところで、地形も木々もゴツゴツしていて秘境気分が味わえる。富士山の裾野全部が樹海だと思っている人が意外と多いが、樹海があるのは富士山の北西部だけ。それでも山手線の内側くらいの面積はある。それだけ富士山というのは、この日本では例外的にスケールの大きな存在。前回のブログの航空写真をクリックして、富士山の大きさと東京都心部の大きさを見較べてみて。
その青木ヶ原あたりから雨がだんだん強くなってきた。まだ路面が完全に濡れるほどではなかったが、注意しながら走る。35年ぶりにバイクを買ってからは「キツネの嫁入り」しか出会っていないし、35年前も雨が降ったらよほどのことがない限り乗らなかった。つまり私は雨の中を走った経験がほとんどない。
精進湖近くまで戻ってから東に進み、西湖と河口湖はその北側を走る。この道は21号線で湖北ビューラインという名前がついている。つまり湖越しに富士山を眺められる道路。もちろんが雨が降っていては何も見えない。
西湖あたりに来ると雨はあまり降っていなかった。
写真は西湖の一番西側。写真に写っている地図は上が南になっている。
でも、この写真を撮った後あたりから本降りになってくる。西湖は昔ウインドサーフィンをよくしに来たので、当時の場所などを探したかったが、雨でくじけて、北湖畔を通り抜けただけで河口湖へ向かう。それに西湖は景色もあまりパッとしない。
カッパも持ってきていたが、革ジャン革パンで、それなりに水をはじいて中まで濡れてこなかったので、とりあえずそのまま走る。頭はヘルメットがあるので、もちろん全く濡れない。
バイクは道路が濡れたからと言って、すぐスリップすることはないが、マンホールなどの鉄板がやばい。バイクはカーブを曲がるときに傾く。その状態でマンホールに乗るとツルンと滑って転ける(らしい。経験がないのでよくわからない)。幸い、こんな観光道路は下に下水が走っているわけでもないので、マンホールはほとんどない。
マンホールの次に危ないのはセンターラインや横断歩道などの塗装だが、これを避けるのはそれほど難しくはない。雨の中を走るなんてまっぴらゴメンと思っていたが、身体が濡れない限り、路面に最大限注意しながら走るのも、なんか修行っぽくて意外と楽しめた。
河口湖まで来ると、茶色ではなくて鮮やかな紅葉が増えてくる。ちなみに紅葉を指す英語はいろいろあるが、逆に言えばはっきりと決まった言い方はないが、赤い葉ならred autumn(レッドオータム)、黄色い葉ならyellow autumn(イエローオータム)で通じる。オータムとは秋のことだから、直訳すれば赤い秋・黄色い秋となる。赤い秋なんて、なかなか詩的な言い回しである。
これが河口湖のレッドオータム。
しかし紅葉に見とれて写真を撮っていると、何か怪しい霊が写っている。やっぱり青木ヶ原の樹海のそばを通ったからか? 南無阿弥陀仏(>_<) 種明かしをすると、これはストロボに反射した雨。
紅葉の下でF800Rは雨宿り。
河口湖には紅葉の中を散策できる場所がいくつかある。現地に着いてから探すつもりだったが、雨なので断念。
ところで、今まではグーグルマップでルートを確かめて、それをプリントして持ってきていた。しかし先日iPhoneを購入して、今回からはツーリング先でもアクセスできるのでプリントはなし。グーグルマップは市販の地図じゃ載っていないような細い道路も拡大してみられる。これからいろいろ活用できると期待。しかしiPhoneには天気予報関連のアプリもいくつかインストールしてあるのだが、今回は見るのを忘れた(^^ゞ
結局河口湖でバイクを停めて紅葉を眺めたのは、上の写真の場所だけであるが、その後もレッドオータムを眺めながら湖畔を走れたのでまあ満足。きれいなイエローオータムが少なかったのがちょっと残念。機会があったらイエローオータムの場所をどこか探して訪れたい。
本日は家を出たときの気温が15度。精進湖についた時が11.5度。雨が降ってからは6.5度まで下がった。気温が低くて、あるいは風が冷たくて寒いという感覚はまったくないのに、バイクで走っていると身体の芯が冷えてくるのがわかる。ちょっと不思議な感覚だった。革ジャンが雨に濡れて気化熱で体温を奪われたのかな? 結局この後、八王子あたりにつくまでずっと本降りの雨だったが、特に必要を感じなかったのでカッパは着なかった。革ジャン革パンだけで案外と濡れないものだ。
走行285キロ。雨の中を走るのも意外と楽しいというか、そんなに苦にならないという発見があった紅葉ツーリングでした。もっとも最初から降っていたら出かけないけれど。
おしまい
2011年11月23日
富士四湖へ紅葉を見に行く
まとまった距離を走るのは、11月3日の湘南海岸以来の久しぶりのバイクツーリング。そろそろ出かけておかないと紅葉のシーズンが終わってしまう。それで富士五湖を訪れることにした。ただし、いろいろ事情があってスタートが昼前と遅れる。週末に延期してもよかったが、山中湖は8月に箱根のついでに寄ったから、山中湖を省いて行き帰りとも中央自動車道を使えば何とかなるかと思い出発。だから富士四湖ツーリング。
富士五湖は富士山の北側にある湖である。西から
本栖湖(もとすこ)
精進湖(しょうじこ)
西湖(さいこ)
河口湖
山中湖
ただし山中湖だけは少し離れた場所にある。
写真はいつものグーグルマップ。
A地点の自宅を出て、中央自動車道でB地点の甲府南インターチェンジまで、ひたすら西へ向かう。そこから358号線を南下するとC地点の精進湖。その後D地点の本栖湖、E地点の西湖、F地点の河口湖を回る。
G地点は中央自動車道の河口湖インターチェンジ。H地点の大月ジャンクションまでは中央自動車道の富士吉田線という支線になっている。このエリアの観光のための道路。
航空写真でA地点とB地点の中間、上野原市という文字の少し左側あたりに位置する談合坂サービスエリア。
ここはもともと大きなサービスエリアだが、さらに拡張工事をしているらしい。
クルマやバイクに乗らない人でも、最近の高速道路サービスエリアの充実ぶりはテレビの情報番組等でご存じかと思う。焼きたてパンあり、有名飲食店の支店ありでデパ地下のように賑わっている。トイレも清潔。これらは民営化の成果。ただ第三京浜のトイレなんかは壁が木目調で、一瞬ホテルのトイレかと見間違える豪華さ。そこまで金をかけなくていいから、その分の高速代を安くして欲しいと思うのは私だけかな。
ちなみに談合坂と聞くとゼネコンの談合とか思い出す。この談合坂の由来は、戦国時代に武田と北条の武将がこのあたりで停戦交渉=談合したからという説がある。
土日祝日は慢性的に渋滞している中央自動車道だが、本日はスタートが遅かったので快調そのもの。週末に延期しなかった理由のひとつは、次の週末は最後の紅葉を見ようと出かけるクルマが多くて、いつもより渋滞すると思ったから。
甲府南インターチェンジから精進湖・本栖湖へ向かう358号線は、かなりクネクネしていて意外とおもしろい道路だった。途中から遅いクルマにブロックされたけれど、色づいている山々を眺めながらライディング(バイクの運転のことです)を楽しむ。
精進湖。
残念ながら富士山には雲がかかっていた。
稜線から、富士山の姿を想像して楽しんでください。
湖畔の道路。
精進湖は富士五湖の中で一番小さい。湖と言うより、大きな池という感じ。あっという間に湖畔を一周してしまう。
精進湖と本栖湖は3キロくらいしか離れていない。
写真は本栖湖の西湖畔。
グルッと一周できるが、南と西の湖畔の道は結構狭い。ところどころクルマがすれ違うのが難しい場所もある。写真のように道路と湖の間に木が生えているところが多い。
色づいている=葉が枯れかけているであって、
やっぱり赤や黄色がないとキレイじゃない。
本栖湖の北側の湖畔から(だと思う)。
右側の雲で隠れているのが富士山(のはず)。
本栖湖の東側湖畔にある、本栖湖に降りる入り口のようなところ。
Z Technikのスクリーンを付けたBMW F800R。
頭でっかちになっちゃったけ。でも私のバイクは白黒なので大きさの割には、それなりにおさまっていると思っている。
別アングル。
けっこう角度のたったスクリーンである。
装着後の感想は別の機会に。
もっとも装着前の記憶が、だんだん薄れているんだけれど(^^ゞ
西湖と河口湖の話は次回に。
富士五湖は富士山の北側にある湖である。西から
本栖湖(もとすこ)
精進湖(しょうじこ)
西湖(さいこ)
河口湖
山中湖
ただし山中湖だけは少し離れた場所にある。
写真はいつものグーグルマップ。
A地点の自宅を出て、中央自動車道でB地点の甲府南インターチェンジまで、ひたすら西へ向かう。そこから358号線を南下するとC地点の精進湖。その後D地点の本栖湖、E地点の西湖、F地点の河口湖を回る。
G地点は中央自動車道の河口湖インターチェンジ。H地点の大月ジャンクションまでは中央自動車道の富士吉田線という支線になっている。このエリアの観光のための道路。
航空写真でA地点とB地点の中間、上野原市という文字の少し左側あたりに位置する談合坂サービスエリア。
ここはもともと大きなサービスエリアだが、さらに拡張工事をしているらしい。
クルマやバイクに乗らない人でも、最近の高速道路サービスエリアの充実ぶりはテレビの情報番組等でご存じかと思う。焼きたてパンあり、有名飲食店の支店ありでデパ地下のように賑わっている。トイレも清潔。これらは民営化の成果。ただ第三京浜のトイレなんかは壁が木目調で、一瞬ホテルのトイレかと見間違える豪華さ。そこまで金をかけなくていいから、その分の高速代を安くして欲しいと思うのは私だけかな。
ちなみに談合坂と聞くとゼネコンの談合とか思い出す。この談合坂の由来は、戦国時代に武田と北条の武将がこのあたりで停戦交渉=談合したからという説がある。
土日祝日は慢性的に渋滞している中央自動車道だが、本日はスタートが遅かったので快調そのもの。週末に延期しなかった理由のひとつは、次の週末は最後の紅葉を見ようと出かけるクルマが多くて、いつもより渋滞すると思ったから。
甲府南インターチェンジから精進湖・本栖湖へ向かう358号線は、かなりクネクネしていて意外とおもしろい道路だった。途中から遅いクルマにブロックされたけれど、色づいている山々を眺めながらライディング(バイクの運転のことです)を楽しむ。
精進湖。
残念ながら富士山には雲がかかっていた。
稜線から、富士山の姿を想像して楽しんでください。
湖畔の道路。
精進湖は富士五湖の中で一番小さい。湖と言うより、大きな池という感じ。あっという間に湖畔を一周してしまう。
精進湖と本栖湖は3キロくらいしか離れていない。
写真は本栖湖の西湖畔。
グルッと一周できるが、南と西の湖畔の道は結構狭い。ところどころクルマがすれ違うのが難しい場所もある。写真のように道路と湖の間に木が生えているところが多い。
色づいている=葉が枯れかけているであって、
やっぱり赤や黄色がないとキレイじゃない。
本栖湖の北側の湖畔から(だと思う)。
右側の雲で隠れているのが富士山(のはず)。
本栖湖の東側湖畔にある、本栖湖に降りる入り口のようなところ。
Z Technikのスクリーンを付けたBMW F800R。
頭でっかちになっちゃったけ。でも私のバイクは白黒なので大きさの割には、それなりにおさまっていると思っている。
別アングル。
けっこう角度のたったスクリーンである。
装着後の感想は別の機会に。
もっとも装着前の記憶が、だんだん薄れているんだけれど(^^ゞ
西湖と河口湖の話は次回に。
2011年11月20日
京都の休日その5 南禅寺・平安神宮
湯豆腐屋の前の道はこんな感じ。
左側の敷地は南禅寺である。哲学の道を銀閣寺方面から来れば、南禅寺に裏側から近づくことになる。この道をまっすぐ行って、左に曲がると南禅寺の正面に出る。
これが南禅寺の三門。山門ではなく三門と書く。
石川五右衛門が、この上から満開の桜を眺めてキセルをふかしながら「絶景かな絶景かな」という台詞を吐いた三門である。でもそれは歌舞伎の作り話で、この三門が建てられたのは石川五右衛門が死んだ後。南禅寺の創建は鎌倉時代だが、この三門は江戸時代初期のもの。豊臣側の慰霊塔らしい。
それにしても大きな建物。写っている人間の姿と大きさを較べて欲しい。そして、これが木造なのだからすごい。お金とか建築基準法とかは別にして、今これだけの木造建築って作ることができるんだろうか? 無駄なハコモノ行政にはうんざりするが、こういうものを作って技術を伝承するなら反対はしない。そうじゃないと1000年後にはピラミッドのように「これは宇宙人が造ったに違いない」とか言われたりして(^^ゞ
三門の奥にある法堂と呼ばれるお堂。
これも巨大な建物。これも大きすぎて正面から上手く写真が撮れなかった。
突然、お寺には似つかわしくないものが境内に現れる。
これは前回紹介した疎水の水道橋。南禅寺一体を南北に貫いていて水路閣と呼ばれている。
何となくローマ遺跡風。
ローマ遺跡を見たことはないが(^^ゞ
橋の上は、こんな風に水が流れている。疎水が今でも京都の水道に使われていることは、ここにいた疎水マニアらしいオッサンから聞いた。
京都に疎水が引かれたのは明治時代。
たぶん地理的にここしかなかったんだろうが、これほど由緒ある古刹の中に、よくこんな西洋建造物を作ることが反対されなかったものだ。江戸幕府を倒した明治政府の力は強大だったのか、あるいは文明開化の風潮が後押ししたのかな。
南禅寺の参道を出口に向かって進む。
南禅寺を出たあたりは岡崎と呼ばれるエリア。
動物園とか美術館とかがある。
写真は動物園の噴水。
これも疎水。
というか、この辺の水路は全部疎水。
振り向いて東山の山並み。
京都は中心部以外は高い建物がないから圧迫感のない街であるが、何となく密集感があってせせこましい。でも、この岡崎周辺は道路も広く、よりいっそう空が開けた解放感がある。このあたりは明治時代に政財界の有力者達が別宅を建てて、それが今でも残っているエリアだが、何となくこの地を選んだ気持ちがわかるような気がする。中心街である烏丸通りや河原町通りから2〜3キロ程度しか離れていないのに、別天地的な趣がある。※そういう街並みの風景は撮り忘れたm(_ _)m
予定ではこの辺で京都観光終了の予定だった。でも動物園横の疎水を歩いていると平安神宮の屋根が見えてきたので、最後に訪問。
入り口の応天門。
何にもない広場があって、その奥にあるのが大極殿。お賽銭を入れてお祈りするところ。本殿はその奥で大極殿からは見えない。
金閣寺、銀閣寺、南禅寺と今まで美しい庭に囲まれたお寺を回ってきたので、平安神宮の建物は美しいけれど殺風景感は否めない。でも本当は建物の後ろに平安神宮の庭がある。写真で森のように写っているあたり。しかし、そろそろ時間も遅くなってきたので、この日は訪れなかった。
ところで平安神宮は、平安時代の神社のようなイメージがあるが、平安遷都1100年を記念して明治時代に建てられたもの。だからそんなに古くない。写真には写っていないが、奥の本殿は1970年代の終わりに放火によって消失し、その後に建て替えられている。
さて京都の休日もここでおしまい。
本当に楽しい1日だった。このブログ始まって以来の長期連載になった。それは書いているうちに、あの日の楽しさが甦ってきたからかも知れない。次の同窓会は10年後。できたらもっと四季折々頻繁に京都を訪れたいと思う。
完
左側の敷地は南禅寺である。哲学の道を銀閣寺方面から来れば、南禅寺に裏側から近づくことになる。この道をまっすぐ行って、左に曲がると南禅寺の正面に出る。
これが南禅寺の三門。山門ではなく三門と書く。
石川五右衛門が、この上から満開の桜を眺めてキセルをふかしながら「絶景かな絶景かな」という台詞を吐いた三門である。でもそれは歌舞伎の作り話で、この三門が建てられたのは石川五右衛門が死んだ後。南禅寺の創建は鎌倉時代だが、この三門は江戸時代初期のもの。豊臣側の慰霊塔らしい。
それにしても大きな建物。写っている人間の姿と大きさを較べて欲しい。そして、これが木造なのだからすごい。お金とか建築基準法とかは別にして、今これだけの木造建築って作ることができるんだろうか? 無駄なハコモノ行政にはうんざりするが、こういうものを作って技術を伝承するなら反対はしない。そうじゃないと1000年後にはピラミッドのように「これは宇宙人が造ったに違いない」とか言われたりして(^^ゞ
三門の奥にある法堂と呼ばれるお堂。
これも巨大な建物。これも大きすぎて正面から上手く写真が撮れなかった。
突然、お寺には似つかわしくないものが境内に現れる。
これは前回紹介した疎水の水道橋。南禅寺一体を南北に貫いていて水路閣と呼ばれている。
何となくローマ遺跡風。
ローマ遺跡を見たことはないが(^^ゞ
橋の上は、こんな風に水が流れている。疎水が今でも京都の水道に使われていることは、ここにいた疎水マニアらしいオッサンから聞いた。
京都に疎水が引かれたのは明治時代。
たぶん地理的にここしかなかったんだろうが、これほど由緒ある古刹の中に、よくこんな西洋建造物を作ることが反対されなかったものだ。江戸幕府を倒した明治政府の力は強大だったのか、あるいは文明開化の風潮が後押ししたのかな。
南禅寺の参道を出口に向かって進む。
南禅寺を出たあたりは岡崎と呼ばれるエリア。
動物園とか美術館とかがある。
写真は動物園の噴水。
これも疎水。
というか、この辺の水路は全部疎水。
振り向いて東山の山並み。
京都は中心部以外は高い建物がないから圧迫感のない街であるが、何となく密集感があってせせこましい。でも、この岡崎周辺は道路も広く、よりいっそう空が開けた解放感がある。このあたりは明治時代に政財界の有力者達が別宅を建てて、それが今でも残っているエリアだが、何となくこの地を選んだ気持ちがわかるような気がする。中心街である烏丸通りや河原町通りから2〜3キロ程度しか離れていないのに、別天地的な趣がある。※そういう街並みの風景は撮り忘れたm(_ _)m
予定ではこの辺で京都観光終了の予定だった。でも動物園横の疎水を歩いていると平安神宮の屋根が見えてきたので、最後に訪問。
入り口の応天門。
何にもない広場があって、その奥にあるのが大極殿。お賽銭を入れてお祈りするところ。本殿はその奥で大極殿からは見えない。
金閣寺、銀閣寺、南禅寺と今まで美しい庭に囲まれたお寺を回ってきたので、平安神宮の建物は美しいけれど殺風景感は否めない。でも本当は建物の後ろに平安神宮の庭がある。写真で森のように写っているあたり。しかし、そろそろ時間も遅くなってきたので、この日は訪れなかった。
ところで平安神宮は、平安時代の神社のようなイメージがあるが、平安遷都1100年を記念して明治時代に建てられたもの。だからそんなに古くない。写真には写っていないが、奥の本殿は1970年代の終わりに放火によって消失し、その後に建て替えられている。
さて京都の休日もここでおしまい。
本当に楽しい1日だった。このブログ始まって以来の長期連載になった。それは書いているうちに、あの日の楽しさが甦ってきたからかも知れない。次の同窓会は10年後。できたらもっと四季折々頻繁に京都を訪れたいと思う。
完
2011年11月19日
京都の休日その4 南禅寺の湯豆腐
若王子からプラプラ歩くと南禅寺に出る。
南禅寺といえば湯豆腐が有名。誤解している人もいるけれど、別に南禅寺が寺の中で湯豆腐を振るまっているわけではない。南禅寺界隈に湯豆腐を食べさせる店が多いということ。なぜ多いのかはよく知らない。
それで南禅寺といえば湯豆腐がつきもの、そればかりか京都名物のようにもいわれる南禅寺の湯豆腐だが、私は今まで食べたことがない。それどころか、こんなものは観光客向けのまやかし料理だとバカにしてきた。京都にはおいしいものがたくさんあるのに、何を好んで私でも作れるような、湯豆腐ごときに高い金を払って食わにゃないかんのだと。
その考えは実は今でも変わっていない。しかし7年ほど半分京都人だった私も、母校は30年ぶり、京都自体も20年ぶりである。同志社の同窓会で京都に行くことになったときから、どうも「京都スイッチ」が入ってしまった。無性にに京都らしさを味わいたくなり、だから、こんなオノボリサンみたいな観光旅行をしている。
同窓会の後に京都観光をしようと考え、そしてそのルートを金閣寺・銀閣寺〜哲学の道と決めたとき、その終点は必然的に南禅寺になるわけで、その時から今までバカにしてきた南禅寺の湯豆腐は「あれを食わずに死ねるか」な料理に変わったのである(^^ゞ
訪れたのは奥丹という老舗のひとつ。
謎の京美人のお薦め。
豆腐は「柔らかい木綿豆腐」とのこと。
ちょっと腰のある絹ごし豆腐のような食感。
言われなければ木綿とは思わない。
これで二人前。
ご飯と、とろろ汁。天ぷら。豆腐の木の芽田楽。
写真には写っていないが胡麻豆腐がついてくる。
一人前3150円。
こんな部屋の中でいただく。
南禅寺の湯豆腐を食べられて満足した(^^ゞ
感想は普通においしかった。たぶん旅番組とかではレポーターが目を丸くしながら「普通の湯豆腐とはゼンッゼン違いますねえ〜」とかいうのだろうが、まあ普通の湯豆腐である。少し上品な味にも感じたが、それは部屋の雰囲気にも影響されているのかもしれない。
正直に言うと、もっと濃厚な豆腐の味を期待していたが、その点でも普通、というかあっさり目。京都らしいといえば京都らしい味。
観光客向けの商売なことは間違いないし、それが今まで気に入らなかった。しかし今は私も観光客だし、同じアホなら踊らにゃ損損な心構えが人生を楽しむコツ。皆さんも南禅寺周辺を訪れたら、話のネタに食べてみましょう。
お店は京都らしい料亭風の作りで、広くはないが庭もきれいにしつらえてある。でも金閣寺、銀閣寺の庭を見てきたばかりなので、特に写真を撮る気も起こらず。
私の叔父は、定年退職後、誰でも知っている京都の一流料亭の顧問のようなことをやっていた。彼は「京都なんてすごい庭が一杯あるのに、東京から来た観光客は、うちの料亭のちゃちい庭を見て素晴らしいとか喜んでる、アホちゃうか」とよく笑っていたが、ふとそんなことを思い出した。
ーーー続く
南禅寺といえば湯豆腐が有名。誤解している人もいるけれど、別に南禅寺が寺の中で湯豆腐を振るまっているわけではない。南禅寺界隈に湯豆腐を食べさせる店が多いということ。なぜ多いのかはよく知らない。
それで南禅寺といえば湯豆腐がつきもの、そればかりか京都名物のようにもいわれる南禅寺の湯豆腐だが、私は今まで食べたことがない。それどころか、こんなものは観光客向けのまやかし料理だとバカにしてきた。京都にはおいしいものがたくさんあるのに、何を好んで私でも作れるような、湯豆腐ごときに高い金を払って食わにゃないかんのだと。
その考えは実は今でも変わっていない。しかし7年ほど半分京都人だった私も、母校は30年ぶり、京都自体も20年ぶりである。同志社の同窓会で京都に行くことになったときから、どうも「京都スイッチ」が入ってしまった。無性にに京都らしさを味わいたくなり、だから、こんなオノボリサンみたいな観光旅行をしている。
同窓会の後に京都観光をしようと考え、そしてそのルートを金閣寺・銀閣寺〜哲学の道と決めたとき、その終点は必然的に南禅寺になるわけで、その時から今までバカにしてきた南禅寺の湯豆腐は「あれを食わずに死ねるか」な料理に変わったのである(^^ゞ
訪れたのは奥丹という老舗のひとつ。
謎の京美人のお薦め。
豆腐は「柔らかい木綿豆腐」とのこと。
ちょっと腰のある絹ごし豆腐のような食感。
言われなければ木綿とは思わない。
これで二人前。
ご飯と、とろろ汁。天ぷら。豆腐の木の芽田楽。
写真には写っていないが胡麻豆腐がついてくる。
一人前3150円。
こんな部屋の中でいただく。
南禅寺の湯豆腐を食べられて満足した(^^ゞ
感想は普通においしかった。たぶん旅番組とかではレポーターが目を丸くしながら「普通の湯豆腐とはゼンッゼン違いますねえ〜」とかいうのだろうが、まあ普通の湯豆腐である。少し上品な味にも感じたが、それは部屋の雰囲気にも影響されているのかもしれない。
正直に言うと、もっと濃厚な豆腐の味を期待していたが、その点でも普通、というかあっさり目。京都らしいといえば京都らしい味。
観光客向けの商売なことは間違いないし、それが今まで気に入らなかった。しかし今は私も観光客だし、同じアホなら踊らにゃ損損な心構えが人生を楽しむコツ。皆さんも南禅寺周辺を訪れたら、話のネタに食べてみましょう。
お店は京都らしい料亭風の作りで、広くはないが庭もきれいにしつらえてある。でも金閣寺、銀閣寺の庭を見てきたばかりなので、特に写真を撮る気も起こらず。
私の叔父は、定年退職後、誰でも知っている京都の一流料亭の顧問のようなことをやっていた。彼は「京都なんてすごい庭が一杯あるのに、東京から来た観光客は、うちの料亭のちゃちい庭を見て素晴らしいとか喜んでる、アホちゃうか」とよく笑っていたが、ふとそんなことを思い出した。
ーーー続く
2011年11月18日
京都の休日その3 哲学の道
京都の休日もいよいよ後半。
位置を確認しておくと、2が銀閣寺で3が南禅寺。
その間のピンク色部分が哲学の道。
哲学の道とは銀閣寺と南禅寺の間を流れる疎水(そすい)沿いの道。西田幾多郎という哲学者が、この道を好んで散策したから、そう呼ばれるようになったらしい。春なら桜の名所でもある美しいところ。哲学の道だからといっても難しい、険しい道ではないよ。観光名所だけれど、道の両側には家が並んでいる。全長2キロくらい。
それで疎水とは、琵琶湖の水を京都に引いた元運河であり水路。現在も水道水として使われている。哲学の道あたりは疎水の終点に近く、かなり細い水路。南禅寺の近くには池を供えた庭園を持つ文化財級の大邸宅がたくさん残っていて、それらの池にも疎水が水を供給している。ちなみに京都は北側に山があるし、鴨川も北から南に流れているのに、疎水は南から北に流れている。ちょっと不思議な感じ。
銀閣寺の参道の手前にある案内板。
こんな感じの道が続く。
少しだけ紅葉。紅葉しているのは桜で、春になったら花見散歩ができる。
疎水に落ちた葉っぱ。
謎の京美人が「ここが有名なヨージ屋」と教えてくれた店。
ヨージ?楊枝?、いかにも和風豪邸な建物だし、京都だから爪楊枝にも一流品があるのと思いきや、ここは和風カフェの「よーじや」。このカフェも有名らしいけれど「よーじや」は、あぶらとり紙のトップブランドとのこと。ちっとも知らなかった。
金閣寺、銀閣寺と、ずっと歩きっぱなしだったので、ここで休憩。
2階の座敷に通される。京都で昔っぽい和風の建物に入れて満足。
残念ながら他の客もいたので縁側しか撮れなかった。
注文したのは抹茶カプチーノ。
この顔が「よーじや」のブランドマーク。
めっちゃ美味でした。
「よーじや」は銀閣寺から南禅寺までの道程の1/3位の場所にある。
というわけで哲学の道はまだまだ続く。
月曜日なので人気はあまりなく、静かな散歩道。
一本だけ、真っ赤に紅葉していた木。
写真だとちょっとショボイが、本物はもっと真っ赤で艶やかだった。
残念ながら、哲学の道を34年前に訪れたときのことはほとんど覚えていない。ただ若王子(にゃくおうじ)という、ちょっとヨーロッパ風(だったと思う)の喫茶店があって、そこに入った記憶がある。哲学の道沿いのお店だったので、まだあるかなと思ったけれど見あたらなかった。ちょっと気になってさっき調べてみたら、残念ながら。
70年代中頃から、80年代中頃くらいまでは「オシャレな喫茶店」という文化があった。どこかにいい店ができた聞くと、友達と出かけたりデート場所にしたりした。どこそこの店を知っている、行ったことがあるというのが「ファッショナブル」だったし、軽くステイタスな時代だった。
今考えると、それらはすべて純然たるクチコミで情報が伝わっていたんだからスゴイ。住宅地の中にあった店も多かったから、なおさらである。まあ古き良き時代の思い出話かもしれない。でも、そんな「オシャレな喫茶店」に行って、友人達とたわいもない無駄話の時間を共有したことは、今も続く人間関係に一役買っているような気もする。今の学生とかは、どこで無駄話をしているのかな? メールとかミクシー?
さっき書いた若王子という喫茶店は、若王子町という地名をとったもので、ここには若王子神社がある。哲学の道を銀閣寺から南禅寺と書いてきたが、正確には銀閣寺から若王子神社までである。もっとも神社から南禅寺までは目と鼻の先。
若王子神社の近くに同志社の創設者である新島襄(じょう)の墓があることは知っていた。せっかく30年ぶりに同志社に訪れたし、前日の同窓会で、新島襄の墓の横には名刺置き場があって、そこに名刺を入れると同志社から「墓参御礼」の礼状が来ると小耳に挟んだものだから、それにも興味があって、ちょっとお参りしておこうかと。在学中に訪れたことはない。
神社の横に「新島襄の墓コッチ」というような標識があったが、すぐ道がいくつかに分かれていて、どっちに行けばいいのかよくわからない。それで神社の人に尋ねてみる。私はてっきり若王子神社の隣り当たりにあると思っていたのだが、神社の人が裏山を指さして「あそこの頂上」といったのにはビックリ。
どれくらい時間がかかるか尋ねてみると、彼は私の足元を見て「その靴なら20分」と妙に説得力のある回答。かなりの山道らしい。その日の私はネクタイはしていないがスーツ姿で、いわゆる革靴を履いていた。行き帰りの所要時間を3秒思案して、我が母校創設者の墓参りはまたの機会にということに。
ちなみに前日の学校案内ツアーで解説をしてくれた在校生の話によると、あまりおおっぴらにはなっていないが、何年か前に同志社の学生が新島襄の墓の前で酒盛りをし、酔って墓石に抱きつき、倒して壊してしまったらしい。それで今ある墓石はレプリカとのこと。
オーマイゴッド(>_<)←新島襄はキリスト教徒だったので、こうやって嘆くのが正しい。
位置を確認しておくと、2が銀閣寺で3が南禅寺。
その間のピンク色部分が哲学の道。
哲学の道とは銀閣寺と南禅寺の間を流れる疎水(そすい)沿いの道。西田幾多郎という哲学者が、この道を好んで散策したから、そう呼ばれるようになったらしい。春なら桜の名所でもある美しいところ。哲学の道だからといっても難しい、険しい道ではないよ。観光名所だけれど、道の両側には家が並んでいる。全長2キロくらい。
それで疎水とは、琵琶湖の水を京都に引いた元運河であり水路。現在も水道水として使われている。哲学の道あたりは疎水の終点に近く、かなり細い水路。南禅寺の近くには池を供えた庭園を持つ文化財級の大邸宅がたくさん残っていて、それらの池にも疎水が水を供給している。ちなみに京都は北側に山があるし、鴨川も北から南に流れているのに、疎水は南から北に流れている。ちょっと不思議な感じ。
銀閣寺の参道の手前にある案内板。
こんな感じの道が続く。
少しだけ紅葉。紅葉しているのは桜で、春になったら花見散歩ができる。
疎水に落ちた葉っぱ。
謎の京美人が「ここが有名なヨージ屋」と教えてくれた店。
ヨージ?楊枝?、いかにも和風豪邸な建物だし、京都だから爪楊枝にも一流品があるのと思いきや、ここは和風カフェの「よーじや」。このカフェも有名らしいけれど「よーじや」は、あぶらとり紙のトップブランドとのこと。ちっとも知らなかった。
金閣寺、銀閣寺と、ずっと歩きっぱなしだったので、ここで休憩。
2階の座敷に通される。京都で昔っぽい和風の建物に入れて満足。
残念ながら他の客もいたので縁側しか撮れなかった。
注文したのは抹茶カプチーノ。
この顔が「よーじや」のブランドマーク。
めっちゃ美味でした。
「よーじや」は銀閣寺から南禅寺までの道程の1/3位の場所にある。
というわけで哲学の道はまだまだ続く。
月曜日なので人気はあまりなく、静かな散歩道。
一本だけ、真っ赤に紅葉していた木。
写真だとちょっとショボイが、本物はもっと真っ赤で艶やかだった。
残念ながら、哲学の道を34年前に訪れたときのことはほとんど覚えていない。ただ若王子(にゃくおうじ)という、ちょっとヨーロッパ風(だったと思う)の喫茶店があって、そこに入った記憶がある。哲学の道沿いのお店だったので、まだあるかなと思ったけれど見あたらなかった。ちょっと気になってさっき調べてみたら、残念ながら。
70年代中頃から、80年代中頃くらいまでは「オシャレな喫茶店」という文化があった。どこかにいい店ができた聞くと、友達と出かけたりデート場所にしたりした。どこそこの店を知っている、行ったことがあるというのが「ファッショナブル」だったし、軽くステイタスな時代だった。
今考えると、それらはすべて純然たるクチコミで情報が伝わっていたんだからスゴイ。住宅地の中にあった店も多かったから、なおさらである。まあ古き良き時代の思い出話かもしれない。でも、そんな「オシャレな喫茶店」に行って、友人達とたわいもない無駄話の時間を共有したことは、今も続く人間関係に一役買っているような気もする。今の学生とかは、どこで無駄話をしているのかな? メールとかミクシー?
さっき書いた若王子という喫茶店は、若王子町という地名をとったもので、ここには若王子神社がある。哲学の道を銀閣寺から南禅寺と書いてきたが、正確には銀閣寺から若王子神社までである。もっとも神社から南禅寺までは目と鼻の先。
若王子神社の近くに同志社の創設者である新島襄(じょう)の墓があることは知っていた。せっかく30年ぶりに同志社に訪れたし、前日の同窓会で、新島襄の墓の横には名刺置き場があって、そこに名刺を入れると同志社から「墓参御礼」の礼状が来ると小耳に挟んだものだから、それにも興味があって、ちょっとお参りしておこうかと。在学中に訪れたことはない。
神社の横に「新島襄の墓コッチ」というような標識があったが、すぐ道がいくつかに分かれていて、どっちに行けばいいのかよくわからない。それで神社の人に尋ねてみる。私はてっきり若王子神社の隣り当たりにあると思っていたのだが、神社の人が裏山を指さして「あそこの頂上」といったのにはビックリ。
どれくらい時間がかかるか尋ねてみると、彼は私の足元を見て「その靴なら20分」と妙に説得力のある回答。かなりの山道らしい。その日の私はネクタイはしていないがスーツ姿で、いわゆる革靴を履いていた。行き帰りの所要時間を3秒思案して、我が母校創設者の墓参りはまたの機会にということに。
ちなみに前日の学校案内ツアーで解説をしてくれた在校生の話によると、あまりおおっぴらにはなっていないが、何年か前に同志社の学生が新島襄の墓の前で酒盛りをし、酔って墓石に抱きつき、倒して壊してしまったらしい。それで今ある墓石はレプリカとのこと。
オーマイゴッド(>_<)←新島襄はキリスト教徒だったので、こうやって嘆くのが正しい。
2011年11月17日
通販の内外価格差その3 オルトリーブ
そのもう少し大きなサイズのバッグも、バイクに積みやすい同じ長筒タイプのものが欲しかった。しかし「防水バッグ」であれこれ検索しても、そのタイプはどのメーカーも白やシルバーの色がなかった。黒は前回書いた理由でパス。黄色や赤は、目立って安全かなとも考えたが、バイクの色や私のバイクウエアに合わない気がしてパス。というわけで長筒タイプは断念。
それで購入したのが写真のバッグ。
これはリュックである。
リュックである必要はなかったが、防水で、色やデザインがよくて、バイクに積みやすい形で選んでいくと、これになった。
作っているのは、オルトリーブというドイツのメーカーで、バイクメッセンジャー用のバッグで有名。プロが書類を運ぶのに使うのはもう少し大きなサイズのもので、これはサイズダウンして普通の人が防水バッグとして使いやすい大きさにしたもの。ベロシティというのが商品名。
念のために書いておくと、バイクメッセンジャーのバイクはオートバイのバイクではなくて、バイスクルのバイク。つまり自転車便のこと。東京では自転車便はいっぱい走っているけれど、他の都市でもあるのかな?
脱線ついでに書くと、今は自転車便のニイチャンたち(たまにネエチャンもいる)が使うカバンは、こういうリュックタイプがほとんどになっているが、自転車便が始まった頃はショルダーバッグのたすき掛けだった。
自転車便はニューヨークで生まれた業態。マンハッタンは狭いエリアだし、アップダウンはないし、クルマは常に渋滞しているし、配達を依頼する会社は山ほどあるしーーー。20年ほど前だが、たまたま自転車便というものが誕生して間もない頃に私はニューヨークに行った。当時使われていたショルダーバッグは丈夫な帆布製。それでいて生成りとかじゃなくてカラフルな色使いがポップでカッコ良かった。
それが無性に欲しくなった私は、メッセンジャーのニイチャンを通りでつかまえ、売っている場所を聞き出して買いに行った。たぶんチャイナタウン近くの治安の悪そうなところだったと思う(当時のニューヨークは今よりかなり危険な街だった)。教えられたのは、とあるボロいビルの地下。行ってみると、そこはお店というより、そのショルダーバッグを作っている工場そのもの! あっさり売ってくれたが、なんで日本人がここにやってくる?みたいな目で見られたことを覚えている。
その後、仕事でマンハッタンのあちこちに行ってわかったのは、マンハッタンは全部ビルだが、ダウンタウン(南の方)のビルは中が工場になっているところが多いということ。アパレルとかアクセサリーとか食品とか、いわゆる軽工業の工場。
ようやく前回も含めた長〜い前書きが終わって、いよいよ本題。
さて、このオルトリーブのベロシティというバッグの価格はというと。
先ほどリンクした先は、たぶん日本の代理店だと思うのだが、1万5540円。これが希望小売価格。でも、ここは小売りはしていないみたい。それでネットでいろいろ検索したところだいたい1万3000〜4000円くらいで売られていた。送料は525円のところが多かったと思う。
まあ、そんなものかと思いクリックしかけたけど、もう少し安いところはないかと思い検索ページの下の方をたどっていくと衝撃のプライスが。
7875円!
販売しているのはwiggleというイギリスのお店。
(スポーツとしての)自転車、ランニングやスイミング関連などの商品を扱っている。自転車をやっている人には割と有名らしい。ホームページは日本語だが、商品解説は英語のままのところもある。当たり前だけれど、外人の書いたユーザーレビューも外国語。
定価の約半額の7875円もビックリしたが、さらにイギリスから送ってくるのに送料無料の太っ腹!もちろんwiggleで買ったことはいうまでもない。
日本のお店なら(13500円+送料525円)ーwiggleの7875円で
6150円のお買い得。率でいうならビックリの56%
在庫がないから商品が入荷次第発送という表示が出ていたものの、注文して10日ほどで届いた。これだけ安ければ、いつまでも待つつもりだった(^^ゞ
まあ安く買えたのはうれしいが、この内外価格差については、いろいろと思うところもある。それは次回。
ーーー続く(続かないこともよくあります)
それで購入したのが写真のバッグ。
これはリュックである。
リュックである必要はなかったが、防水で、色やデザインがよくて、バイクに積みやすい形で選んでいくと、これになった。
作っているのは、オルトリーブというドイツのメーカーで、バイクメッセンジャー用のバッグで有名。プロが書類を運ぶのに使うのはもう少し大きなサイズのもので、これはサイズダウンして普通の人が防水バッグとして使いやすい大きさにしたもの。ベロシティというのが商品名。
念のために書いておくと、バイクメッセンジャーのバイクはオートバイのバイクではなくて、バイスクルのバイク。つまり自転車便のこと。東京では自転車便はいっぱい走っているけれど、他の都市でもあるのかな?
脱線ついでに書くと、今は自転車便のニイチャンたち(たまにネエチャンもいる)が使うカバンは、こういうリュックタイプがほとんどになっているが、自転車便が始まった頃はショルダーバッグのたすき掛けだった。
自転車便はニューヨークで生まれた業態。マンハッタンは狭いエリアだし、アップダウンはないし、クルマは常に渋滞しているし、配達を依頼する会社は山ほどあるしーーー。20年ほど前だが、たまたま自転車便というものが誕生して間もない頃に私はニューヨークに行った。当時使われていたショルダーバッグは丈夫な帆布製。それでいて生成りとかじゃなくてカラフルな色使いがポップでカッコ良かった。
それが無性に欲しくなった私は、メッセンジャーのニイチャンを通りでつかまえ、売っている場所を聞き出して買いに行った。たぶんチャイナタウン近くの治安の悪そうなところだったと思う(当時のニューヨークは今よりかなり危険な街だった)。教えられたのは、とあるボロいビルの地下。行ってみると、そこはお店というより、そのショルダーバッグを作っている工場そのもの! あっさり売ってくれたが、なんで日本人がここにやってくる?みたいな目で見られたことを覚えている。
その後、仕事でマンハッタンのあちこちに行ってわかったのは、マンハッタンは全部ビルだが、ダウンタウン(南の方)のビルは中が工場になっているところが多いということ。アパレルとかアクセサリーとか食品とか、いわゆる軽工業の工場。
ようやく前回も含めた長〜い前書きが終わって、いよいよ本題。
さて、このオルトリーブのベロシティというバッグの価格はというと。
先ほどリンクした先は、たぶん日本の代理店だと思うのだが、1万5540円。これが希望小売価格。でも、ここは小売りはしていないみたい。それでネットでいろいろ検索したところだいたい1万3000〜4000円くらいで売られていた。送料は525円のところが多かったと思う。
まあ、そんなものかと思いクリックしかけたけど、もう少し安いところはないかと思い検索ページの下の方をたどっていくと衝撃のプライスが。
7875円!
販売しているのはwiggleというイギリスのお店。
(スポーツとしての)自転車、ランニングやスイミング関連などの商品を扱っている。自転車をやっている人には割と有名らしい。ホームページは日本語だが、商品解説は英語のままのところもある。当たり前だけれど、外人の書いたユーザーレビューも外国語。
定価の約半額の7875円もビックリしたが、さらにイギリスから送ってくるのに送料無料の太っ腹!もちろんwiggleで買ったことはいうまでもない。
日本のお店なら(13500円+送料525円)ーwiggleの7875円で
6150円のお買い得。率でいうならビックリの56%
在庫がないから商品が入荷次第発送という表示が出ていたものの、注文して10日ほどで届いた。これだけ安ければ、いつまでも待つつもりだった(^^ゞ
まあ安く買えたのはうれしいが、この内外価格差については、いろいろと思うところもある。それは次回。
ーーー続く(続かないこともよくあります)
2011年11月16日
通販の内外価格差その2
クルマと違ってバイクには「車内」もトランクもないからモノを運ぶには何かと苦労する。常に荷物をたくさん運びたい人は、写真のようなトランク代わりのハードケースをつけている。
シートの後ろにある箱はトップケースと呼ばれる。ヘルメットが2つ入る大きなサイズのものもある。小さなのはスクーターでも付けている人をよく見かけるはず。その下にあるのはサイドケース、あるいはパニアケースと呼ばれるもの。これはバイクの左右に付ける。パニアというのはどういう意味なのか何語なのかよくわからない。少なくとも英語ではない。写真でガソリンタンクの上にあるのは、ハードケースじゃないから、とりあえず見なかったことにして。
どちらかというとトップケースは何でも放り込めるトランク代わりに、パニアケースは何泊かのツーリングに行くときの着替え入れなどに利用されている。トップケースはあれば便利だろうけれど、なんとなくバランス的に不格好な気がして私は付けていない。パニアケースが必要なほどのロングツーリングには、今のところ行く気がない。それにBMWの純正品だとパニアケースは左右で10万円ほど。トップケースはもっと高い。
もっとお手軽なバッグとしては、こういう商品がいくつかのメーカーから売られている。サイズも豊富にあって目的に応じて選びやすい。
が、しか〜し
なぜか、この手のバイクバッグは防水ではないのである。リンクした商品もページの下の方に、雨が降ったら防水カバーで覆えと書いてある。
雨が降ったら濡れるしかないバイクのバッグなのに、なぜ防水でないのか私には理解できない。でも、こういうバッグを付けているバイクはよく見かけるから、世間と私の感覚がずれているのだろうか? まあ、それはよくあることだけれど(^^ゞ
それにこの手のバッグは、どのメーカーもおよそデザイナーが開発に携わったとは思えない、出来の悪いビジネスバックのように不細工なものばかりである。そして黒しかない。黒だと真夏には日差しを吸収してかなり熱くなる。
そんなわけで私はアウトドア用の防水バッグをバイク用に使っている。時々写真に写っているバッグは、ストリームトレイルというメーカーのもの。本当の完全防水ではないが、ジッパーも防水ジッパーで、それを閉めれば、しばらくは浮き輪代わり程度にはなる商品。
これをバイクに積んでいるときは、中にカッパが入っている。それと夏なら着替えのTシャツやタオルなど。それらをを入れると、ほぼパンパンになる。もともとカッパ入れ用として買ったから、それで目的は果たしている。
でも例えば温泉にでも入って、お風呂から上がってすぐ革パンじゃなくて、ジャージでも着てくつろぎたいなどという場合、そういうものを持って行くにはちょっと不足である。それでもう少し大きなサイズのものを買うことにした。
通販の話にたどり着く前に、長くなったので中断。
ーーー続く
シートの後ろにある箱はトップケースと呼ばれる。ヘルメットが2つ入る大きなサイズのものもある。小さなのはスクーターでも付けている人をよく見かけるはず。その下にあるのはサイドケース、あるいはパニアケースと呼ばれるもの。これはバイクの左右に付ける。パニアというのはどういう意味なのか何語なのかよくわからない。少なくとも英語ではない。写真でガソリンタンクの上にあるのは、ハードケースじゃないから、とりあえず見なかったことにして。
どちらかというとトップケースは何でも放り込めるトランク代わりに、パニアケースは何泊かのツーリングに行くときの着替え入れなどに利用されている。トップケースはあれば便利だろうけれど、なんとなくバランス的に不格好な気がして私は付けていない。パニアケースが必要なほどのロングツーリングには、今のところ行く気がない。それにBMWの純正品だとパニアケースは左右で10万円ほど。トップケースはもっと高い。
もっとお手軽なバッグとしては、こういう商品がいくつかのメーカーから売られている。サイズも豊富にあって目的に応じて選びやすい。
が、しか〜し
なぜか、この手のバイクバッグは防水ではないのである。リンクした商品もページの下の方に、雨が降ったら防水カバーで覆えと書いてある。
雨が降ったら濡れるしかないバイクのバッグなのに、なぜ防水でないのか私には理解できない。でも、こういうバッグを付けているバイクはよく見かけるから、世間と私の感覚がずれているのだろうか? まあ、それはよくあることだけれど(^^ゞ
それにこの手のバッグは、どのメーカーもおよそデザイナーが開発に携わったとは思えない、出来の悪いビジネスバックのように不細工なものばかりである。そして黒しかない。黒だと真夏には日差しを吸収してかなり熱くなる。
そんなわけで私はアウトドア用の防水バッグをバイク用に使っている。時々写真に写っているバッグは、ストリームトレイルというメーカーのもの。本当の完全防水ではないが、ジッパーも防水ジッパーで、それを閉めれば、しばらくは浮き輪代わり程度にはなる商品。
これをバイクに積んでいるときは、中にカッパが入っている。それと夏なら着替えのTシャツやタオルなど。それらをを入れると、ほぼパンパンになる。もともとカッパ入れ用として買ったから、それで目的は果たしている。
でも例えば温泉にでも入って、お風呂から上がってすぐ革パンじゃなくて、ジャージでも着てくつろぎたいなどという場合、そういうものを持って行くにはちょっと不足である。それでもう少し大きなサイズのものを買うことにした。
通販の話にたどり着く前に、長くなったので中断。
ーーー続く
2011年11月15日
京都の休日その2 銀閣寺
次に向かったのは銀閣寺。金閣寺から市バスに乗って移動。
謎の京美人のアドバイスで500円の1日無料券を購入済み。
金閣寺を訪れたことがない人でも、その姿はビジュアルでイメージできると思う。京都あるいは日本を代表する建築としていろんなところで紹介されていて目にしたことがあるだろうから。それになんたって、あの金ピカはインパクトが強い。
それで銀閣寺は?
当然、銀閣寺には銀ピカを期待する。しかし銀閣寺に銀は全く使われていない。ただの木造建築なのである。だから金閣寺の連想で銀閣寺に行くとガッカリする。大学1年生当時の私もそうだった。
正式名称は金閣寺が鹿苑寺(ろくおんじ)で、銀閣寺が慈照寺(じしょうじ)。それで金閣寺のあの建物が金閣。転じて鹿苑寺は金閣寺とも呼ばれるようになった。慈照寺の建物がなぜ銀閣と呼ばれるようになったかは諸説あってよくわからない。創建当時に銀箔が貼られていたわけでもない。まあ結果的にはネーミングの勝利。銀閣寺という名前でなければ、あまたある京都の神社仏閣の中で、今のようなポジションは得ていなかったであろう。私は今まで日本のマーケティングの始祖を平賀源内と勝手に決めていたけれど、銀閣寺を開いた足利義政にその栄誉を譲るべきか? もっとも彼がいた時代には銀閣寺という名前では呼ばれていなかったらしいが。
というわけで、金閣寺は修復された姿を見てみたいという気持ちが以前からあったが、銀閣寺は哲学の道の入り口にあるから、ついでに訪れたたというのが正直なところ。
銀閣寺に至る参道。
それでこれが銀閣寺の銀閣。
ガッカリした?
私は、昔これを見てガッカリしたなあという記憶が甦って、
懐かしかったど(^^ゞ
護摩木は300円らしい。
英語と韓国語が書いてあって、アレッこのご時世に中国人観光客用はないの?と思ったが、中国人なら漢字でそのまま読めるのかな?
銀閣寺はこの「砂盛り」が一応名物。
でも珍しいだけで、それほど感動するものでもない。
しかし庭も含めたセットで捉えれば、やはり世界に誇るべき日本遺産。
ちょっと裏山のほうに登ると展望台になっている。
この山の上から見る銀閣はなかなか感動的。
写真じゃ上手く伝わらないのが残念。
34年前は入り口で思いっきりガッカリしてしまい、それでクジけて登らなかった気がする。
この裏山のコースはけっこう趣がある。
紅葉の季節なら気絶するくらい美しいかも。
裏山、というか銀閣の正面にある山だから表山と呼ぶべきか、とにかく山から下りてきた別アングルの銀閣。先ほどの写真は、この写真の右方向から撮ったもの。やっぱり京都のお寺は、庭とセットで愛でるものだということがよくわかる。私もこんな庭を造って、あんなお堂を建てて、その中で昼寝してみたい。
お寺の中にある休憩所。単なるベンチ代わりで、別に野点(のだて)のサービスがあるわけではない(みたい)。色合いがきれいだったのでパシャリ。
34年前はガッカリした銀閣寺。しかし庭の美しさがわかる年齢になったせいか、思いのほか満足した。銀閣寺は金閣寺のような存在感やストレートな感動はない。でもワビサビを楽しむことができる。もっともワビサビって、未だによく意味がわかっていない。まあ地味さの中に何か価値を見つけたがる日本人独特の嗜好性かな。感性とは何かを感じる力で、一般的には歳をとれば衰えるけれど、歳をとって感じるものもあるような気がしてきた。そんな発見がうれしいような、それをうれしがっている自分が悲しいような(^^ゞ
まだまだ続く
謎の京美人のアドバイスで500円の1日無料券を購入済み。
金閣寺を訪れたことがない人でも、その姿はビジュアルでイメージできると思う。京都あるいは日本を代表する建築としていろんなところで紹介されていて目にしたことがあるだろうから。それになんたって、あの金ピカはインパクトが強い。
それで銀閣寺は?
当然、銀閣寺には銀ピカを期待する。しかし銀閣寺に銀は全く使われていない。ただの木造建築なのである。だから金閣寺の連想で銀閣寺に行くとガッカリする。大学1年生当時の私もそうだった。
正式名称は金閣寺が鹿苑寺(ろくおんじ)で、銀閣寺が慈照寺(じしょうじ)。それで金閣寺のあの建物が金閣。転じて鹿苑寺は金閣寺とも呼ばれるようになった。慈照寺の建物がなぜ銀閣と呼ばれるようになったかは諸説あってよくわからない。創建当時に銀箔が貼られていたわけでもない。まあ結果的にはネーミングの勝利。銀閣寺という名前でなければ、あまたある京都の神社仏閣の中で、今のようなポジションは得ていなかったであろう。私は今まで日本のマーケティングの始祖を平賀源内と勝手に決めていたけれど、銀閣寺を開いた足利義政にその栄誉を譲るべきか? もっとも彼がいた時代には銀閣寺という名前では呼ばれていなかったらしいが。
というわけで、金閣寺は修復された姿を見てみたいという気持ちが以前からあったが、銀閣寺は哲学の道の入り口にあるから、ついでに訪れたたというのが正直なところ。
銀閣寺に至る参道。
それでこれが銀閣寺の銀閣。
ガッカリした?
私は、昔これを見てガッカリしたなあという記憶が甦って、
懐かしかったど(^^ゞ
護摩木は300円らしい。
英語と韓国語が書いてあって、アレッこのご時世に中国人観光客用はないの?と思ったが、中国人なら漢字でそのまま読めるのかな?
銀閣寺はこの「砂盛り」が一応名物。
でも珍しいだけで、それほど感動するものでもない。
しかし庭も含めたセットで捉えれば、やはり世界に誇るべき日本遺産。
ちょっと裏山のほうに登ると展望台になっている。
この山の上から見る銀閣はなかなか感動的。
写真じゃ上手く伝わらないのが残念。
34年前は入り口で思いっきりガッカリしてしまい、それでクジけて登らなかった気がする。
この裏山のコースはけっこう趣がある。
紅葉の季節なら気絶するくらい美しいかも。
裏山、というか銀閣の正面にある山だから表山と呼ぶべきか、とにかく山から下りてきた別アングルの銀閣。先ほどの写真は、この写真の右方向から撮ったもの。やっぱり京都のお寺は、庭とセットで愛でるものだということがよくわかる。私もこんな庭を造って、あんなお堂を建てて、その中で昼寝してみたい。
お寺の中にある休憩所。単なるベンチ代わりで、別に野点(のだて)のサービスがあるわけではない(みたい)。色合いがきれいだったのでパシャリ。
34年前はガッカリした銀閣寺。しかし庭の美しさがわかる年齢になったせいか、思いのほか満足した。銀閣寺は金閣寺のような存在感やストレートな感動はない。でもワビサビを楽しむことができる。もっともワビサビって、未だによく意味がわかっていない。まあ地味さの中に何か価値を見つけたがる日本人独特の嗜好性かな。感性とは何かを感じる力で、一般的には歳をとれば衰えるけれど、歳をとって感じるものもあるような気がしてきた。そんな発見がうれしいような、それをうれしがっている自分が悲しいような(^^ゞ
まだまだ続く
2011年11月13日
京都の休日その1 金閣寺
6日の日曜日におこなわれた同窓会は懇親会が終わるのが8時頃で、その後に友人達と二次会をすれば、その日のうちには東京に帰れない。どうせ1泊するなら京都は20年ぶりくらいだし、そんなめったに来られないしということで、月曜日は仕事を休んで京都観光をすることにした。
それで山ほどある京都の観光名所のどこに行くべきか。
京都人が京都観光をしないように、7年間ほど半分京都人のようなものだったから、実はあまり京都の観光地には詳しくない。それでいろいろ考えて、一番ベタなコースを選んだ。
金閣寺
↓
銀閣寺
↓
哲学の道
↓
南禅寺の湯豆腐
金閣・銀閣・哲学の道は、同志社に入学した頃にそれぞれ行ったことがある。30年ぶりに同志社を訪れたんだから、ついでに1年生の頃の思い出でもたどろうかと。
いつものバイクツーリングの癖で地図を使わないと落ち着かない(^^ゞ
A地点が同志社、B地点がホテルのある河原町三条。
金閣寺が1、銀閣寺が2、南禅寺が3である。
2と3の間のピンクの色をつけたのが哲学の道と呼ばれる散策路。
予定にはなかった平安神宮も立ち寄った。4の地点。
金閣寺まではバス。タクシーより京都の町がよく見えるように、視線の高いバスに乗りたかった。ホテルからバス乗り場のある三条京阪というターミナル駅まで歩く。
高瀬川。
昨日紹介した河原町通りと先斗町の通りの間には木屋町通りというストリートがあって、高瀬川は木屋町通り沿いに流れている鴨川の支流。
三条大橋。
三条通とか四条通など数字のついているストリートは京都を東西に走っている。南に行くほど数字が大きくなる。しかし二条通は細い道だし、京大のあたりに東一条通はあるけれど、(これも細い)、一条通という道はない(たぶん)。メインストリートと呼べるのは三条、四条、五条あたり。たぶん十条まであったと思う。ちなみに義経と弁慶が出会ったのは五条大橋ね。
三条大橋から京都の北側の山を望む。
色合い的に早朝っぽいが午前9時半頃。
この日は曇り、たまにパラリとだけ雨が降るという天候だった。
鴨川のカモ。
カモがいるから鴨川と呼ぶのかどうかは知らない.。
頭が緑のカモと、そうでないカモがいた。
チラホラと紅葉。
三条京阪からバスに乗る。
金閣寺行きのバスだから北に向かうのかと思ったら、東大路通りに出たら南へ下っていく。おかげで知恩院や八坂神社もチラッと眺められてよかった。バスは四条通を西に走り、堀川通りから北に向かう。二条城や大徳寺の横も走ったはずだが、携帯メールを打っていて見逃す。
メールの相手は当日の観光につきあってもらった謎の京美人。
しばらく会っていないので「バスから黒いスーツを着た老人が降りてきたらよろしく!」とメールしたら受けた(^^ゞ 無事バス停で再会を果たし、京都観光のスタート。
最後に金閣寺を見たのが入学した歳だから34年前ということになる。その時も感動したが、その10年後くらいに大修復工事があって、金ピカの姿が甦っている。それを是非、この目で見ておきたかった。
成金趣味ちゅやあ成金趣味だけれど、ちょっと圧倒される存在感がある。
もっとも私のヘタな写真じゃそれが伝わらないから、是非京都観光してください。
ちなみに、この金色のお堂が金閣で、敷地全体をさして金閣寺という。
金閣は池と庭に囲まれている。
この日、しみじみ感じたのだが、京都の寺院の素晴らしさは、その庭の造形美によるところが大きい。庭に心惹かれるなんて、やっぱりトシ食ったか。
ーーー続く
それで山ほどある京都の観光名所のどこに行くべきか。
京都人が京都観光をしないように、7年間ほど半分京都人のようなものだったから、実はあまり京都の観光地には詳しくない。それでいろいろ考えて、一番ベタなコースを選んだ。
金閣寺
↓
銀閣寺
↓
哲学の道
↓
南禅寺の湯豆腐
金閣・銀閣・哲学の道は、同志社に入学した頃にそれぞれ行ったことがある。30年ぶりに同志社を訪れたんだから、ついでに1年生の頃の思い出でもたどろうかと。
いつものバイクツーリングの癖で地図を使わないと落ち着かない(^^ゞ
A地点が同志社、B地点がホテルのある河原町三条。
金閣寺が1、銀閣寺が2、南禅寺が3である。
2と3の間のピンクの色をつけたのが哲学の道と呼ばれる散策路。
予定にはなかった平安神宮も立ち寄った。4の地点。
金閣寺まではバス。タクシーより京都の町がよく見えるように、視線の高いバスに乗りたかった。ホテルからバス乗り場のある三条京阪というターミナル駅まで歩く。
高瀬川。
昨日紹介した河原町通りと先斗町の通りの間には木屋町通りというストリートがあって、高瀬川は木屋町通り沿いに流れている鴨川の支流。
三条大橋。
三条通とか四条通など数字のついているストリートは京都を東西に走っている。南に行くほど数字が大きくなる。しかし二条通は細い道だし、京大のあたりに東一条通はあるけれど、(これも細い)、一条通という道はない(たぶん)。メインストリートと呼べるのは三条、四条、五条あたり。たぶん十条まであったと思う。ちなみに義経と弁慶が出会ったのは五条大橋ね。
三条大橋から京都の北側の山を望む。
色合い的に早朝っぽいが午前9時半頃。
この日は曇り、たまにパラリとだけ雨が降るという天候だった。
鴨川のカモ。
カモがいるから鴨川と呼ぶのかどうかは知らない.。
頭が緑のカモと、そうでないカモがいた。
チラホラと紅葉。
三条京阪からバスに乗る。
金閣寺行きのバスだから北に向かうのかと思ったら、東大路通りに出たら南へ下っていく。おかげで知恩院や八坂神社もチラッと眺められてよかった。バスは四条通を西に走り、堀川通りから北に向かう。二条城や大徳寺の横も走ったはずだが、携帯メールを打っていて見逃す。
メールの相手は当日の観光につきあってもらった謎の京美人。
しばらく会っていないので「バスから黒いスーツを着た老人が降りてきたらよろしく!」とメールしたら受けた(^^ゞ 無事バス停で再会を果たし、京都観光のスタート。
最後に金閣寺を見たのが入学した歳だから34年前ということになる。その時も感動したが、その10年後くらいに大修復工事があって、金ピカの姿が甦っている。それを是非、この目で見ておきたかった。
成金趣味ちゅやあ成金趣味だけれど、ちょっと圧倒される存在感がある。
もっとも私のヘタな写真じゃそれが伝わらないから、是非京都観光してください。
ちなみに、この金色のお堂が金閣で、敷地全体をさして金閣寺という。
金閣は池と庭に囲まれている。
この日、しみじみ感じたのだが、京都の寺院の素晴らしさは、その庭の造形美によるところが大きい。庭に心惹かれるなんて、やっぱりトシ食ったか。
ーーー続く
2011年11月12日
同志社大学の同窓会
あまり自分のプロフィールが特定されるような内容は書かないようにしてきた。しかしまあ世の中はface bookで顔写真も公開する時代だし、これくらいはいいかと思って書いてみる。
私は同志社大学の法学部を卒業した。それで同志社には政法会という同窓会組織があって、卒業後10年、20年、30年、40年、50年と10年刻みのタイミングで同窓会を開催している。そんなことはちっとも知らず過去の同窓会にも出席していなかった。今回は実家に届いた案内ハガキを母親が送ってくれたので知った次第。
卒業以来大学とは何のつながりもなく、東京に住んでいるし、もともと在学当時から愛校精神は希薄なほうだし(^^ゞ、出席する気はサラサラなかったが、そのハガキを見ると幹事に友人の名前が。
彼は京都を代表する企業に勤めていて、その会社の社長か誰かが同志社出身で大学の理事も務めているらしく、その関係で幹事を引き受けさせられたようだ。彼からも電話をもらい、当時一緒に勉強はしなかったけれど一緒によく遊んだ仲間も集まるとのことで、卒業以来初めて我が母校を訪れた。
同窓会は11月6日の日曜日。午前10時からイベントが始まるから、前日の土曜日から京都に入ろうと思ったのに、これが大誤算。ビジネスホテルから高級ホテルまで全然ホテルがとれない。ヤフーとかジャランとか、ホテル自身のホームページとかいろいろ検索してみたが全部アウト。かろうじてカプセルホテルがリストアップされる程度。
私は大学とその後の3年、合計で7年間ほど京都にいたから、そういう意識がなかったものの、やっぱり京都は人気のある観光地なのである。
そんなわけで日曜日の午前6時前に家を出て新幹線で京都入り。
京都駅からは当時はなかった地下鉄で同志社まで。
烏丸(からすま)通りに面した西門。
ホームカミングデイ。
これまた知らなかったが同志社では、このホームカミングデイなるものを設けて、卒業生に年に一度は大学を訪れてくださいというイベントをやっている。後ろに写っているテントで受付をすると「お帰りなさい」と挨拶されて、ちょっとうれしかった。
この日はホームカミングデイと法学部の同窓会、ひょっとしたら他の学部もやっていたかもしれないーーー等々で校内はかなりの賑わい。
ただし、ここが大学とは思えないほど平均年齢高し(^^ゞ
懐かしい校舎。
校門の外の街並みは全く変わっていたけれど、校内の雰囲気は昔と一緒。
キリスト教系だからチャペルもある。
私の年次の法学部卒業生は900名ほどで、当日参加したのは40名。教室に集まって何をするのかと思っていると自己紹介。最初は「エ〜!40人全員の自己紹介を聞くの?」とびっくりしたものの、これがなかなか楽しかった。わずかひとり数分のスピーチなのに、その人の卒業後の人生が垣間見れる。それに教室に座っているうちに、何となく気持ちというか身体の感覚というか、それが学生時代に戻ってくる気もした。40名のうち、当時の仲間の数名以外はほとんど初対面みたいなものである。しかし話を聞いているうちに「あっ、この人とは英語のクラスで一緒だった」とか思い出したり。
その後は集合写真を撮影して、学食で昼食。学校側としては学食での昼食もイベントのひとつのつもりらしい。しかし当時とは内装も違うので、特に感激もなかったのが残念。
同窓会はその後、政法会(同窓会組織)の総会やら、近くの京都ブライトンホテルに会場を移して、報道ステーションにも出演していて今は同志社の教授になっている加藤千洋氏の講演会、そして懇親会へと続く。
総会なんぞには興味もないので、友人と学内をブラブラ。
ホームカミングデイなので、卒業生向けのイベントが多数おこなわれており、そのうちのひとつの学内案内ツアーに参加する。これは在校生のボランティアが、学校を案内してくれるもの。もちろん別に知らない場所はないのであるが。それでも同志社の校舎や建物は古いものや文化財に指定されているものがたくさんある。そんな解説を聞くのは楽しかった。思わず「いい大学だなあ〜」とつぶやいたり(^^ゞ
後輩のプライバシーに配慮して名札にはモザイクを入れておく。
講演会も私はパスして、ホテルにチェックイン。
泊まったのは京都ロイヤルホテル&スパと少々変わった名前のホテル。京都駅の近くにあるロイヤルホテルは、今はリーガロイヤルホテルに名前が変わっているが、それと間違えないようにこんな名前にしたのか? スパの名前が付いているから温泉でもあるかと思うと、どうやらお風呂もついたエステがテナントとして入っているだけの模様。
ここにしたのは今まで泊まった経験がないホテルにしたかったのと、場所が河原町(かわらまち)三条で、どうせ懇親会の後の二次会は河原町だろうから便利と思い。それとシングルでもベッドの幅が1.4メートルと広いことを売り物にしていたから。
写真はホテルのホームページから。
確かにベッドは広かったものの、部屋はこの写真のイメージよりは狭い。
さすがプロの撮影。
特に魅力的でないとしても、悪い点はまったくないホテル。従業員のレベルも高い。ただし窓からの景色は繁華街にあるので建物が見えるだけ。シングル朝食付きで1万3500円。値段なりの価値はあると評価できる。
懇親会までは少し時間があったのでブラブラと京都の町を散歩。このホテルは京都のメインストリートである河原町通りに面している。それをホテルのある三条から中心である四条に向けて南下。河原町通りはどこにでもある大都会の繁華街で特に風情はない。でも河原町通りも20年ぶりくらいなので、あれやこれやと昔を思い出しながら。
河原町通りは南北の通りで、その東側に鴨川が流れている。
そしてこれが、カップルが等間隔に座ると都市伝説のある四条河原町の鴨川。
河原町通りと鴨川の間にあるのが先斗町(ぽんとちょう)。
ちなみに祇園は鴨川を東に渡った向こう側にある。
先斗町は細い路地のような通りで、河原町通りと違って京都らしい風情がある。でも20年ぶりに訪れた先斗町は、やたらお店の看板が電気で光っていて、明るい場所になっていた。強引な客引きじゃないとしても、お店の前に店員が立っていて客を呼び込んでいる店も多い。ちょっとガッカリというか違和感。
ブライトンホテルまでタクシーで移動して懇親会に参加。数百名規模なのに立食ではなく着席してのパーティー。結婚式のような料理が次々と運ばれてくる。考えてみたら卒業後40年、50年たっている先輩達には立食はきついのかも(^^ゞ
わいわいがやがやとパーティーは進む。挨拶にたった法学部部長の「東大には東大に入りたかった人しかいない。京大には京大に入りたかった人と、東大を落ちた人の2種類しかいない。我が校には同志社に入りたかった人と、あちこちの国公立大学を落ちたり、慶応や早稲田と見較べたりといろんな人が集まっていて、その多様性が同志社の魅力である」との話はおもしろかった。
最後は校歌の合唱。
久しぶりに聴いた。
歌ったではなく聴いたというのは、同志社の校歌は英語なのである。しかも普通の英語ではなく、ちょっと古文の英語。だから全然意味もわからず、歌詞も覚えられず、出だしの「♪ワンパーパス〜同志社」以外は、入学以来適当にハミングしているだけだから。ちなみに正式には校歌じゃなくてカレッジ・ソングと呼ばれる。そのカレッジ・ソングが終わったら「同志社チアー(cheer)」といって「One, two, three, Who are we? La, la, la, Doshisha!」と掛け声を3回繰り返して締めるのが伝統。まあ三三七拍子みたいなものである。コッチは私もついていける。
その後は友人達と、幹事である友人が誘った元女子大生(^^ゞの女性幹事の皆さんと2次会。あれやこれやと楽しく過ごした。
さて、10年後と20年後にも私は参加できるかな?
私は同志社大学の法学部を卒業した。それで同志社には政法会という同窓会組織があって、卒業後10年、20年、30年、40年、50年と10年刻みのタイミングで同窓会を開催している。そんなことはちっとも知らず過去の同窓会にも出席していなかった。今回は実家に届いた案内ハガキを母親が送ってくれたので知った次第。
卒業以来大学とは何のつながりもなく、東京に住んでいるし、もともと在学当時から愛校精神は希薄なほうだし(^^ゞ、出席する気はサラサラなかったが、そのハガキを見ると幹事に友人の名前が。
彼は京都を代表する企業に勤めていて、その会社の社長か誰かが同志社出身で大学の理事も務めているらしく、その関係で幹事を引き受けさせられたようだ。彼からも電話をもらい、当時一緒に勉強はしなかったけれど一緒によく遊んだ仲間も集まるとのことで、卒業以来初めて我が母校を訪れた。
同窓会は11月6日の日曜日。午前10時からイベントが始まるから、前日の土曜日から京都に入ろうと思ったのに、これが大誤算。ビジネスホテルから高級ホテルまで全然ホテルがとれない。ヤフーとかジャランとか、ホテル自身のホームページとかいろいろ検索してみたが全部アウト。かろうじてカプセルホテルがリストアップされる程度。
私は大学とその後の3年、合計で7年間ほど京都にいたから、そういう意識がなかったものの、やっぱり京都は人気のある観光地なのである。
そんなわけで日曜日の午前6時前に家を出て新幹線で京都入り。
京都駅からは当時はなかった地下鉄で同志社まで。
烏丸(からすま)通りに面した西門。
ホームカミングデイ。
これまた知らなかったが同志社では、このホームカミングデイなるものを設けて、卒業生に年に一度は大学を訪れてくださいというイベントをやっている。後ろに写っているテントで受付をすると「お帰りなさい」と挨拶されて、ちょっとうれしかった。
この日はホームカミングデイと法学部の同窓会、ひょっとしたら他の学部もやっていたかもしれないーーー等々で校内はかなりの賑わい。
ただし、ここが大学とは思えないほど平均年齢高し(^^ゞ
懐かしい校舎。
校門の外の街並みは全く変わっていたけれど、校内の雰囲気は昔と一緒。
キリスト教系だからチャペルもある。
私の年次の法学部卒業生は900名ほどで、当日参加したのは40名。教室に集まって何をするのかと思っていると自己紹介。最初は「エ〜!40人全員の自己紹介を聞くの?」とびっくりしたものの、これがなかなか楽しかった。わずかひとり数分のスピーチなのに、その人の卒業後の人生が垣間見れる。それに教室に座っているうちに、何となく気持ちというか身体の感覚というか、それが学生時代に戻ってくる気もした。40名のうち、当時の仲間の数名以外はほとんど初対面みたいなものである。しかし話を聞いているうちに「あっ、この人とは英語のクラスで一緒だった」とか思い出したり。
その後は集合写真を撮影して、学食で昼食。学校側としては学食での昼食もイベントのひとつのつもりらしい。しかし当時とは内装も違うので、特に感激もなかったのが残念。
同窓会はその後、政法会(同窓会組織)の総会やら、近くの京都ブライトンホテルに会場を移して、報道ステーションにも出演していて今は同志社の教授になっている加藤千洋氏の講演会、そして懇親会へと続く。
総会なんぞには興味もないので、友人と学内をブラブラ。
ホームカミングデイなので、卒業生向けのイベントが多数おこなわれており、そのうちのひとつの学内案内ツアーに参加する。これは在校生のボランティアが、学校を案内してくれるもの。もちろん別に知らない場所はないのであるが。それでも同志社の校舎や建物は古いものや文化財に指定されているものがたくさんある。そんな解説を聞くのは楽しかった。思わず「いい大学だなあ〜」とつぶやいたり(^^ゞ
後輩のプライバシーに配慮して名札にはモザイクを入れておく。
講演会も私はパスして、ホテルにチェックイン。
泊まったのは京都ロイヤルホテル&スパと少々変わった名前のホテル。京都駅の近くにあるロイヤルホテルは、今はリーガロイヤルホテルに名前が変わっているが、それと間違えないようにこんな名前にしたのか? スパの名前が付いているから温泉でもあるかと思うと、どうやらお風呂もついたエステがテナントとして入っているだけの模様。
ここにしたのは今まで泊まった経験がないホテルにしたかったのと、場所が河原町(かわらまち)三条で、どうせ懇親会の後の二次会は河原町だろうから便利と思い。それとシングルでもベッドの幅が1.4メートルと広いことを売り物にしていたから。
写真はホテルのホームページから。
確かにベッドは広かったものの、部屋はこの写真のイメージよりは狭い。
さすがプロの撮影。
特に魅力的でないとしても、悪い点はまったくないホテル。従業員のレベルも高い。ただし窓からの景色は繁華街にあるので建物が見えるだけ。シングル朝食付きで1万3500円。値段なりの価値はあると評価できる。
懇親会までは少し時間があったのでブラブラと京都の町を散歩。このホテルは京都のメインストリートである河原町通りに面している。それをホテルのある三条から中心である四条に向けて南下。河原町通りはどこにでもある大都会の繁華街で特に風情はない。でも河原町通りも20年ぶりくらいなので、あれやこれやと昔を思い出しながら。
河原町通りは南北の通りで、その東側に鴨川が流れている。
そしてこれが、カップルが等間隔に座ると都市伝説のある四条河原町の鴨川。
河原町通りと鴨川の間にあるのが先斗町(ぽんとちょう)。
ちなみに祇園は鴨川を東に渡った向こう側にある。
先斗町は細い路地のような通りで、河原町通りと違って京都らしい風情がある。でも20年ぶりに訪れた先斗町は、やたらお店の看板が電気で光っていて、明るい場所になっていた。強引な客引きじゃないとしても、お店の前に店員が立っていて客を呼び込んでいる店も多い。ちょっとガッカリというか違和感。
ブライトンホテルまでタクシーで移動して懇親会に参加。数百名規模なのに立食ではなく着席してのパーティー。結婚式のような料理が次々と運ばれてくる。考えてみたら卒業後40年、50年たっている先輩達には立食はきついのかも(^^ゞ
わいわいがやがやとパーティーは進む。挨拶にたった法学部部長の「東大には東大に入りたかった人しかいない。京大には京大に入りたかった人と、東大を落ちた人の2種類しかいない。我が校には同志社に入りたかった人と、あちこちの国公立大学を落ちたり、慶応や早稲田と見較べたりといろんな人が集まっていて、その多様性が同志社の魅力である」との話はおもしろかった。
最後は校歌の合唱。
久しぶりに聴いた。
歌ったではなく聴いたというのは、同志社の校歌は英語なのである。しかも普通の英語ではなく、ちょっと古文の英語。だから全然意味もわからず、歌詞も覚えられず、出だしの「♪ワンパーパス〜同志社」以外は、入学以来適当にハミングしているだけだから。ちなみに正式には校歌じゃなくてカレッジ・ソングと呼ばれる。そのカレッジ・ソングが終わったら「同志社チアー(cheer)」といって「One, two, three, Who are we? La, la, la, Doshisha!」と掛け声を3回繰り返して締めるのが伝統。まあ三三七拍子みたいなものである。コッチは私もついていける。
その後は友人達と、幹事である友人が誘った元女子大生(^^ゞの女性幹事の皆さんと2次会。あれやこれやと楽しく過ごした。
さて、10年後と20年後にも私は参加できるかな?
2011年11月10日
iPhone 4S 購入(予告編)
最近、予告編が多いような。
iPhone買いました。
ホワイトの64ギガ・モデル。
キャリアはソフトバンク。
10月21日に予約して、11月5日に入荷したとの連絡があった。だから15日待たされた計算になる。一昨日、受け取りにいった時はモデルによっては「在庫あり」の貼り紙があったので、発売直後の品薄状態はそろそろ解消されてきているようだ。
※iPhone 4Sは色がホワイトとブラック。内蔵メモリーが16ギガ、32ギガ、
64ギガで合計6モデルある。
今日は予告編なので、iPhoneの話はいずれそのうち。
ところで
iPhoneを買ったのはビックカメラの有楽町店。ここは撤退したデパートの代わりにビックカメラが入った店舗で、かなり広い。携帯売り場は1階にあるが、従来は1階の半分以上をテレビ売り場が占めていた。
ところが8日にビックカメラに行くと、テレビ売り場は1階から撤退して2階に移っていた。地デジ切り替えの特需が終わり、価格も薄型テレビは1インチ1000円くらいと、かつてのブラウン管とあまり変わらないレベルまで下がっている。つまり儲からない商品になってきている。パナソニックが生産中止を伴う事業縮小、ソニーはサムソンと合弁で作ったパネルの会社をサムソンに売却とか敗戦報告のニュースが多い。シャープの社長は「テレビは、つまらないビジネス」というようなニュアンスのことをインタビューで答えていた。
2階のテレビ売り場がどうなっているのか見に行っていないが、あんなに賑わっていた1階の売り場がなくなったなんて、受験の時に覚えた「祇園精舎の鐘の声 〜盛者必衰の理をあらわす」を思い出してしまった。
ついでに粉飾決算が発覚したオリンパスのデジカメが安く売っていないか興味があったけれど(^^ゞ、デジカメ売り場は地下2階で、そこまで降りる時間がなかったので未確認。
iPhone買いました。
ホワイトの64ギガ・モデル。
キャリアはソフトバンク。
10月21日に予約して、11月5日に入荷したとの連絡があった。だから15日待たされた計算になる。一昨日、受け取りにいった時はモデルによっては「在庫あり」の貼り紙があったので、発売直後の品薄状態はそろそろ解消されてきているようだ。
※iPhone 4Sは色がホワイトとブラック。内蔵メモリーが16ギガ、32ギガ、
64ギガで合計6モデルある。
今日は予告編なので、iPhoneの話はいずれそのうち。
ところで
iPhoneを買ったのはビックカメラの有楽町店。ここは撤退したデパートの代わりにビックカメラが入った店舗で、かなり広い。携帯売り場は1階にあるが、従来は1階の半分以上をテレビ売り場が占めていた。
ところが8日にビックカメラに行くと、テレビ売り場は1階から撤退して2階に移っていた。地デジ切り替えの特需が終わり、価格も薄型テレビは1インチ1000円くらいと、かつてのブラウン管とあまり変わらないレベルまで下がっている。つまり儲からない商品になってきている。パナソニックが生産中止を伴う事業縮小、ソニーはサムソンと合弁で作ったパネルの会社をサムソンに売却とか敗戦報告のニュースが多い。シャープの社長は「テレビは、つまらないビジネス」というようなニュアンスのことをインタビューで答えていた。
2階のテレビ売り場がどうなっているのか見に行っていないが、あんなに賑わっていた1階の売り場がなくなったなんて、受験の時に覚えた「祇園精舎の鐘の声 〜盛者必衰の理をあらわす」を思い出してしまった。
ついでに粉飾決算が発覚したオリンパスのデジカメが安く売っていないか興味があったけれど(^^ゞ、デジカメ売り場は地下2階で、そこまで降りる時間がなかったので未確認。
2011年11月03日
湘南・立石公園まで徘徊
先週の土曜日はBMW F800Rに取り付けたスクリーンの効果を確かめるために、とりあえず東名高速に乗って厚木まで走ってみた。東京の入り口から厚木インターまでは35キロくらい。それで厚木に着いて、そのままUターンするのももったいないので以前にツーリングした宮ヶ瀬湖まで。本当は同じ宮ヶ瀬湖じゃなくて津久井湖に行きたかったのだが、道を知らなかったし、何となくナビを操作するのも面倒で、ついフラフラッと宮ヶ瀬湖に。
いつものグーグルマップ。
こういう地形を表示するモードがあることは最近知った。
A地点が厚木インター、B地点が宮ヶ瀬湖、C地点が津久井湖である。前回は国道246からヤビツ峠を抜ける超クネクネ道で宮ヶ瀬湖まで登ったけれど、先週は前回の下りに走った道を往復した。
文化の日の本日は、房総半島の海道・山道の予定だったが早起きできず。だったら富士山でも見に行こうかと東名にのるも、途中で気が変わって厚木で降り、そこから湘南の海岸をぶらっと走ってきた。A地点の厚木インターから南下して、途中で少し西に進んでD地点が大磯である。そこから海沿いを東へ走る。江ノ島を越えるまでは防風林に遮られてほとんど海は見えないが、潮の香りはするのでシーサイド気分は味わえる。
江ノ島を過ぎたら湘南の海岸を眺めながら走る。祝日なのに、そんなにクルマは混んでいなかった。それで立ち寄ったのが秋谷海岸にあるE地点の立石公園。別に目的地だったわけではなく、ここは無料駐車場があることを思い出したから。
これが安藤広重の版画にもなっているという立石(たていし)。
高さ12メートル胴回り30メートル。
ちなみに湘南は逗子あたりまでは砂浜だが、それより東の葉山あたりから岩などで多少ゴツゴツした地形になってくる。上の写真だけ見ていると湘南じゃなくて、どこか別の観光地のように見えなくもない。晴れて空気が澄んでいれば、この立石越しに富士山が見える。またここは夕日の名所としても有名。残念ながら本日はどんよりした曇り空。夕日待ちのアマチュアカメラマンが数名いたが、たぶん大した写真は撮れなかっただろう。
ちなみに広重の版画はこんな感じ。
富士山が描かれている。
公園の雰囲気。
ゴツゴツした岩肌。
でもすぐ隣は砂浜。
話は変わるが、バイクで遠出することはツーリングと呼ばれる。だから土曜日は宮ヶ瀬湖ツーリング、本日は湘南ツーリングということになる。しかし、もうこのくらいの距離だとツーリングというよりは、近所の徘徊と変わらない感覚になっているのが、我ながらちょっと怖い(^^ゞ
今年の2月に35年ぶりにバイクを買って、4月に宮ヶ瀬湖に初めて行ったときはちょっとした冒険だったのに。でもバイクは徘徊目的で買ったんだから、まあいいか。
あっ、スクリーンを取り付けたバイクの写真を撮るのを忘れた!
いつものグーグルマップ。
こういう地形を表示するモードがあることは最近知った。
A地点が厚木インター、B地点が宮ヶ瀬湖、C地点が津久井湖である。前回は国道246からヤビツ峠を抜ける超クネクネ道で宮ヶ瀬湖まで登ったけれど、先週は前回の下りに走った道を往復した。
文化の日の本日は、房総半島の海道・山道の予定だったが早起きできず。だったら富士山でも見に行こうかと東名にのるも、途中で気が変わって厚木で降り、そこから湘南の海岸をぶらっと走ってきた。A地点の厚木インターから南下して、途中で少し西に進んでD地点が大磯である。そこから海沿いを東へ走る。江ノ島を越えるまでは防風林に遮られてほとんど海は見えないが、潮の香りはするのでシーサイド気分は味わえる。
江ノ島を過ぎたら湘南の海岸を眺めながら走る。祝日なのに、そんなにクルマは混んでいなかった。それで立ち寄ったのが秋谷海岸にあるE地点の立石公園。別に目的地だったわけではなく、ここは無料駐車場があることを思い出したから。
これが安藤広重の版画にもなっているという立石(たていし)。
高さ12メートル胴回り30メートル。
ちなみに湘南は逗子あたりまでは砂浜だが、それより東の葉山あたりから岩などで多少ゴツゴツした地形になってくる。上の写真だけ見ていると湘南じゃなくて、どこか別の観光地のように見えなくもない。晴れて空気が澄んでいれば、この立石越しに富士山が見える。またここは夕日の名所としても有名。残念ながら本日はどんよりした曇り空。夕日待ちのアマチュアカメラマンが数名いたが、たぶん大した写真は撮れなかっただろう。
ちなみに広重の版画はこんな感じ。
富士山が描かれている。
公園の雰囲気。
ゴツゴツした岩肌。
でもすぐ隣は砂浜。
話は変わるが、バイクで遠出することはツーリングと呼ばれる。だから土曜日は宮ヶ瀬湖ツーリング、本日は湘南ツーリングということになる。しかし、もうこのくらいの距離だとツーリングというよりは、近所の徘徊と変わらない感覚になっているのが、我ながらちょっと怖い(^^ゞ
今年の2月に35年ぶりにバイクを買って、4月に宮ヶ瀬湖に初めて行ったときはちょっとした冒険だったのに。でもバイクは徘徊目的で買ったんだから、まあいいか。
あっ、スクリーンを取り付けたバイクの写真を撮るのを忘れた!
2011年11月02日
通販の内外価格差その1
写真は取り付けの話を2つ前に書いた、ドイツのZ Technik社製のZ2425という品番がついているスクリーン(風よけのこと。ヘッドライトの上についている半透明の黒っぽいやつです)。本日のテーマはその価格。なお写真はカタログ写真である。
メーカーであるZ Technik社のサイトでは349.95ドル。
1ドルをここしばらくの平均的な77円で計算すると2万6946円。
それがZ Technik社の日本代理店である桂田モータースでは、
なんと5万7960円!!!
5万7960円 ÷ 2万6946円 =2.15倍
消費者なめとんのか(怒)
ちなみに桂田モータースは、BMWやドウカティ(イタリアのバイクです)のディーラーもやっている関西の老舗の会社らしい。
絶対金額としてはそんなに高価なものでもないし、日本の会社から買ったほうが何となく安心なような気もしたが、やっぱり2倍以上もボッタクられるのはムカツクのでZ Technik社に直接注文しようと考える。
ところがZ Technik社は小売りはやっていないらしい。それどころか、いわゆるバイク用品を扱っているお店や通販サイトにも卸していない。彼らの販路は世界各国のBMWバイクディーラーのみ。Z Technik社はBMWのパーツしか作っていないから、そういう商売のスタイルのようだ。
アメリカのディーラーは(国土が広いから)たいてい通販もやっているので、メーカーの取り扱い先紹介ページからアクセスしてみる。でも片っ端から調べてみたが、アメリカ国外へ発送してくれるディーラーはなし。その他の国も全滅(>_<) 諦めて日本のボッタクリ・モータースから買うか、あるいはダメ元でZ Technik社に「直接売ってくれない?」とコンタクトしてみるか?
結論から言うと、イギリスの代理店から買うことができた。ここはよく見るとカスタム・クルーザー社という会社が経営しているのだが、そのサイトではZ Technik社の商品しか扱っていないし、URL(ホームページのアドレス)もztechnik.co.ukだったので、てっきりドイツのZ Technik社のイギリス支社だと思って見逃していた。
しかし、問題はカスタム・クルーザー社の販売価格。
アメリカのディーラーはどこでもメーカーと同じ349.95ドルだったのに、ここは291.63ポンド。1ポンド125円で計算すると3万6454円。なぜか本国および、ボッタクリの日本をのぞく世界各国と較べて1万円ほど高い。ナンデ? それに送料も79.04ポンド=9880円とやたら高い。
結局、総合計金額は
スクリーン3万6454円
送料 9880円
関税 1000円
============
合計 4万7334円
それでも、送料だけは無料の日本のボッタクリ・モータースから買うより1万626円は得した。しかし本音を言えばスクリーン本体で1万円、送料で5千円のもう1万5千円安く買いたかった。でも、マウスでポチッ、ポチッと、キーボーでカチャカチャとやるだけで他に何の苦労もせず1万円安くなったんだから、まあいいか。
ちなみに発注は9月27日。
商品到着は10月20日前後だったと思う。
たぶんドイツからイギリスに取り寄せてからの発送で、2〜3週間はかかると予想していたので、時間がかかった割にはイライラもせず。そんなに急ぎで欲しかったわけでもなかったし。
カスタム・クルーザー社からはオーダーしたときの確認メールは来たものの、発送が完了したというメールは来なかった。一応ホームページにアクセスすれば、現在どういう状況かを確認することはできる。ただし、(おそらく発送が済むまで)ずーっと「現在、銀行の承認待ち」という訳のわからない表示のまま。通販サイトとして、あまり懇切丁寧な仕組みではない。表現は悪いがバイク屋上がりの通販サイトといった印象。
ところで、肝心のスクリーンの装着結果はもう少し先に。
次回はもう一つ海外通販の話の予定。
ーーー続く
メーカーであるZ Technik社のサイトでは349.95ドル。
1ドルをここしばらくの平均的な77円で計算すると2万6946円。
それがZ Technik社の日本代理店である桂田モータースでは、
なんと5万7960円!!!
5万7960円 ÷ 2万6946円 =2.15倍
消費者なめとんのか(怒)
ちなみに桂田モータースは、BMWやドウカティ(イタリアのバイクです)のディーラーもやっている関西の老舗の会社らしい。
絶対金額としてはそんなに高価なものでもないし、日本の会社から買ったほうが何となく安心なような気もしたが、やっぱり2倍以上もボッタクられるのはムカツクのでZ Technik社に直接注文しようと考える。
ところがZ Technik社は小売りはやっていないらしい。それどころか、いわゆるバイク用品を扱っているお店や通販サイトにも卸していない。彼らの販路は世界各国のBMWバイクディーラーのみ。Z Technik社はBMWのパーツしか作っていないから、そういう商売のスタイルのようだ。
アメリカのディーラーは(国土が広いから)たいてい通販もやっているので、メーカーの取り扱い先紹介ページからアクセスしてみる。でも片っ端から調べてみたが、アメリカ国外へ発送してくれるディーラーはなし。その他の国も全滅(>_<) 諦めて日本のボッタクリ・モータースから買うか、あるいはダメ元でZ Technik社に「直接売ってくれない?」とコンタクトしてみるか?
結論から言うと、イギリスの代理店から買うことができた。ここはよく見るとカスタム・クルーザー社という会社が経営しているのだが、そのサイトではZ Technik社の商品しか扱っていないし、URL(ホームページのアドレス)もztechnik.co.ukだったので、てっきりドイツのZ Technik社のイギリス支社だと思って見逃していた。
しかし、問題はカスタム・クルーザー社の販売価格。
アメリカのディーラーはどこでもメーカーと同じ349.95ドルだったのに、ここは291.63ポンド。1ポンド125円で計算すると3万6454円。なぜか本国および、ボッタクリの日本をのぞく世界各国と較べて1万円ほど高い。ナンデ? それに送料も79.04ポンド=9880円とやたら高い。
結局、総合計金額は
スクリーン3万6454円
送料 9880円
関税 1000円
============
合計 4万7334円
それでも、送料だけは無料の日本のボッタクリ・モータースから買うより1万626円は得した。しかし本音を言えばスクリーン本体で1万円、送料で5千円のもう1万5千円安く買いたかった。でも、マウスでポチッ、ポチッと、キーボーでカチャカチャとやるだけで他に何の苦労もせず1万円安くなったんだから、まあいいか。
ちなみに発注は9月27日。
商品到着は10月20日前後だったと思う。
たぶんドイツからイギリスに取り寄せてからの発送で、2〜3週間はかかると予想していたので、時間がかかった割にはイライラもせず。そんなに急ぎで欲しかったわけでもなかったし。
カスタム・クルーザー社からはオーダーしたときの確認メールは来たものの、発送が完了したというメールは来なかった。一応ホームページにアクセスすれば、現在どういう状況かを確認することはできる。ただし、(おそらく発送が済むまで)ずーっと「現在、銀行の承認待ち」という訳のわからない表示のまま。通販サイトとして、あまり懇切丁寧な仕組みではない。表現は悪いがバイク屋上がりの通販サイトといった印象。
ところで、肝心のスクリーンの装着結果はもう少し先に。
次回はもう一つ海外通販の話の予定。
ーーー続く