2013年09月
2013年09月28日
巾着田の曼珠沙華(彼岸花)
今週はツーリングのつもりではなかった。しかし金曜日の帰宅途中、電車の吊り広告で巾着田のことを知る。まったく知らなかったし、彼岸花のこともあまり意識になかった。でも自宅に戻ってからネットで調べると、なかなかよさそうである。ただしものすごく渋滞するという情報も多かった。また来週になると花の最盛期から下り坂になりそうとも。ならば善は急げというわけで急遽、午前6時半出発の早朝ツーリング。ネットで調べだしたのが午前1時を回っていたので、あまり寝ていない。
ところでBMW F800Rのエンジンを掛けると警告灯が点灯。以前にも点灯したことがあって、その時はエンジンを切ってかけ直すと点灯しなくなったが今回は消えなかった。走り出してみて特におかしな感じはしなかったので「たぶん誤作動」と決めつけ(^^ゞ、そのままツーリング続行。そしたら途中でヘッドライトの電球も切れた。このあたりのいきさつはまた別の機会に。
日本で最大、500万本の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が群生しているという巾着田(きんちゃくだ:地名)というのは埼玉県の日高市にある。日高といえば北海道を連想するくらいで、この日高市という自治体のことも知らなかった。地図で見るとお茶で有名な狭山市の隣にある。
往きのルートは関越自動車で城ヶ島ジャンクションまで行き、そこで圏央道に乗り換えて狭山日高インターまで。そこからは県道347号と国道299号。その国道299号が10キロ近く渋滞するらしいが、早起きしたかいあってスムーズに走れた。ちなみに一般道で渋滞10キロというのは高速道路だったら渋滞30キロくらいのイメージになる。参考までに現地到着は午前8時過ぎ。
バイクの駐車場。
この写真に写っている平地面積の5〜6倍の広さのクルマの駐車場がある。バイクの駐車料金は100円。
なぜか水車小屋があった。
5分ほど歩いて入り口に到着。入場料は300円。巾着田の係員は地元のオッチャン・オバチャン達だと思うが、親切でフレンドリーでとても感じがよい。
入り口をくぐってすぐ、あたり一面の彼岸花に圧倒される。
いちおう書いておくと曼珠沙華(まんじゅしゃげ)=彼岸花(ひがんばな)である。ここ巾着田では曼珠沙華と呼ばれているが、私は彼岸花という呼び名に馴染みがあるのでブログでは彼岸花と書く。
秋に咲くきれいな花であるが、花にも茎にも根にも毒がある。土葬の時代には、その毒で死体を掘り起こす動物が寄ってこないからと墓に植えられ、その名残で今でも墓地に多いといわれる。また秋の彼岸の頃に咲くから彼岸花だが、彼岸は弔いの儀式でもあるので、彼岸花は何となく不吉なイメージもついて回る。でもここへ来ると、そんな印象は吹き飛ぶ。
見渡す限りのレッドカーペット!
手を上に伸ばしてハイアングルで。
ややローアングル。茎の緑と赤い花のコントラストが美しい。
地形に沿って彼岸花も盛り上がっている。
木がたくさん生えていて、木漏れ日が当たる部分と影になっているところの対比が鮮やかだった。ただ写真に撮ると、あまりそのあたりが再現されないのが残念。
長さ600メートル、幅50メートルらしい。
ちょっと寄っての撮影。
先々週の台風の影響か、倒れている彼岸花。
これを見てわかるように彼岸花には葉がない。茎だけが伸びて花を付ける。そして花が枯れた後に地面から葉だけがでてくる。春になるとその葉も枯れて何もなくなる。そして秋になると芽が出て、また茎が伸びて花を付けるという変わった植物。ついでに書くと球根植物である。
こっちは木が倒れていた。
切り株と一緒に。
これは珍しい白い彼岸花。
巾着田の中でもほんの少ししか生えていなかった。
地図中央の川が丸く曲がっているエリアが巾着田。キンチャク袋のような形だからその名前。昔は水田だったという。川の名前は高麗(こま)川。最寄り駅は西武池袋線の高麗駅。私が東横線で見た吊り広告は西武鉄道が出していたもの。
川原に降りてみる。
水がとてもキレイだった。
清流がありそうな、そんなド田舎でもないので驚く。
川原に何輪か彼岸花が植えられていて、それを熱心に撮影する人々。
舐めるように写真を撮っている。
私はこんなものを見つけて喜んでいた。
出入り口は何カ所かあって、ここで入場券を見せて川原に降りる。
この看板の現在地が川原に出たあたりの場所。
赤く塗られているのが彼岸花が咲いているエリアである。
上の看板で途中で彼岸花が切れいている場所は屋台村になっていた。地元のハムメーカーの屋台で、ソーセージの厚切りを焼いたものを食べたがイマイチだった。
しばらく川原沿いを歩くと橋があった。
ドレミファ橋というらしい。
名前の由来の説明はなかった。
そのそばに、こんな看板が。
カワセミは見かけなかった。まあ飛んでいたとしても小さな鳥だから双眼鏡かカメラの大きな望遠レンズがなければ見えなかっただろう。ちなみに私はカワセミを一度も見たことがない。
巾着田の一番奥にある「あいあい橋」。
木製でなかなか美しい構造。
少しスロープを昇って、
橋を渡る。
橋の上から見た彼岸花。
大きな岩。
水の透明度がよくわかる。
キンチャクのように丸く流れる高麗(こま)川と巾着田。
空の色と雲の形はすっかり秋。つい先日まであんなに暑かったのに。
この日の最高気温予想は25度。しかし早朝に出発して巾着田につくまでは16〜17.5度くらいでバイクで走っていると寒かった。服装はTシャツ+ウインドブレーカー+メッシュジャケット&メッシュパンツの組み合わせ。現地でジャケットは脱いで、ウインドブレーカーは気温が上がる午前10時頃までは着ていた。帰りの高速道路上は26〜27度でウインドブレーカーなしでちょうどよかった。
巾着田は花の名所だから一眼レフなどを持ったカメラマニアが多いのは当然。しかし、あちこちの花の名所に行ったが、この巾着田のカメラマニア比率は圧倒的に高い。それとそのマニアの多くが三脚を使って撮影しているのにも驚いた。今までの一生で見た三脚の数より、この日に見た三脚の数のほうが多かったかもしれない。
彼岸花をアップで撮るのは難しい。私のNEX-5Nというカメラはオートフォーカスがコントラスト方式という機構だが(長くなるので説明は省略)、赤一色の彼岸花ではコントラストが低いのでピントが合いにくい。巾着田では密集して生えているのでなおさらである。また彼岸花は花びらが細いのでオートフォーカスが、どこを基準にコントラストを測ればいいのか判断できないようである。
結果、アップで撮ろうとするとオートフォーカスは全然ピントが合わない。しかたないからマニュアルでピントを合わせることにする。でも日差しがきつかったので、液晶画面が反射してよく見えない。結局ピントが合っているのかどうかよくわからないまま写真を撮ることに。そんないい加減なことで成功するはずもなく。ここに貼り付けたのは、小さなサイズならピントが合っているように見えるものを選んだつもり。求む、もっと高性能なオートフォーカス。
なぜか赤くモヤがかかったような写真に。
幻想的だと解釈されたし。
花びらより外側に雄しべが伸びる構造。
実は雌しべもこの中にあって、先端に花粉がないのが雌しべ(らしい)。
よく見ると彼岸花の花びらはウェーヴがかかっている。
茎が先端で6つに別れ、それぞれに花がつく。
つまり彼岸花の花とは6つの花の集合体。
つぼみが開き始めた段階の彼岸花。
茎が6つに別れていること、花粉のない雌しべの様子がわかりやすい。
恒例の下からアオリ撮り。
空を入れてのアップ。
こっちはミドリを背景に。
白い彼岸花もローアングルで。
ツボミも忘れずに。
彼岸花自体は見慣れているが、こんなにたくさんあると彼岸花が咲いているというより、まったく別の光景に見える。とてもとても新鮮。また赤い彼岸花をずっと見ていると、気のせいかテンションも上がってくるように感じる。普通は花を眺めているとリラックスしてくるものだが、色が与える心理効果というのは確かにあるものだと実感。ひょっとしたら前世はウシだった?
同じルートじゃつまらないので、帰りは圏央道から八王子経由で中央自動車にのって帰った。巾着田を後にしたのは午前11過ぎ。国道299号は数キロの渋滞になっていた。渋滞の後ろのほうの人たちが彼岸花を見られるのは2時間後くらいかな。高麗駅から歩いてやってくる人もかなりの数。やっぱり早朝に来て正解。
走行150キロくらい。午後1時頃にいったん帰宅して、その後ディーラーへバイクの修理に。
ところでBMW F800Rのエンジンを掛けると警告灯が点灯。以前にも点灯したことがあって、その時はエンジンを切ってかけ直すと点灯しなくなったが今回は消えなかった。走り出してみて特におかしな感じはしなかったので「たぶん誤作動」と決めつけ(^^ゞ、そのままツーリング続行。そしたら途中でヘッドライトの電球も切れた。このあたりのいきさつはまた別の機会に。
日本で最大、500万本の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が群生しているという巾着田(きんちゃくだ:地名)というのは埼玉県の日高市にある。日高といえば北海道を連想するくらいで、この日高市という自治体のことも知らなかった。地図で見るとお茶で有名な狭山市の隣にある。
往きのルートは関越自動車で城ヶ島ジャンクションまで行き、そこで圏央道に乗り換えて狭山日高インターまで。そこからは県道347号と国道299号。その国道299号が10キロ近く渋滞するらしいが、早起きしたかいあってスムーズに走れた。ちなみに一般道で渋滞10キロというのは高速道路だったら渋滞30キロくらいのイメージになる。参考までに現地到着は午前8時過ぎ。
バイクの駐車場。
この写真に写っている平地面積の5〜6倍の広さのクルマの駐車場がある。バイクの駐車料金は100円。
なぜか水車小屋があった。
5分ほど歩いて入り口に到着。入場料は300円。巾着田の係員は地元のオッチャン・オバチャン達だと思うが、親切でフレンドリーでとても感じがよい。
入り口をくぐってすぐ、あたり一面の彼岸花に圧倒される。
いちおう書いておくと曼珠沙華(まんじゅしゃげ)=彼岸花(ひがんばな)である。ここ巾着田では曼珠沙華と呼ばれているが、私は彼岸花という呼び名に馴染みがあるのでブログでは彼岸花と書く。
秋に咲くきれいな花であるが、花にも茎にも根にも毒がある。土葬の時代には、その毒で死体を掘り起こす動物が寄ってこないからと墓に植えられ、その名残で今でも墓地に多いといわれる。また秋の彼岸の頃に咲くから彼岸花だが、彼岸は弔いの儀式でもあるので、彼岸花は何となく不吉なイメージもついて回る。でもここへ来ると、そんな印象は吹き飛ぶ。
見渡す限りのレッドカーペット!
手を上に伸ばしてハイアングルで。
ややローアングル。茎の緑と赤い花のコントラストが美しい。
地形に沿って彼岸花も盛り上がっている。
木がたくさん生えていて、木漏れ日が当たる部分と影になっているところの対比が鮮やかだった。ただ写真に撮ると、あまりそのあたりが再現されないのが残念。
長さ600メートル、幅50メートルらしい。
ちょっと寄っての撮影。
先々週の台風の影響か、倒れている彼岸花。
これを見てわかるように彼岸花には葉がない。茎だけが伸びて花を付ける。そして花が枯れた後に地面から葉だけがでてくる。春になるとその葉も枯れて何もなくなる。そして秋になると芽が出て、また茎が伸びて花を付けるという変わった植物。ついでに書くと球根植物である。
こっちは木が倒れていた。
切り株と一緒に。
これは珍しい白い彼岸花。
巾着田の中でもほんの少ししか生えていなかった。
地図中央の川が丸く曲がっているエリアが巾着田。キンチャク袋のような形だからその名前。昔は水田だったという。川の名前は高麗(こま)川。最寄り駅は西武池袋線の高麗駅。私が東横線で見た吊り広告は西武鉄道が出していたもの。
川原に降りてみる。
水がとてもキレイだった。
清流がありそうな、そんなド田舎でもないので驚く。
川原に何輪か彼岸花が植えられていて、それを熱心に撮影する人々。
舐めるように写真を撮っている。
私はこんなものを見つけて喜んでいた。
出入り口は何カ所かあって、ここで入場券を見せて川原に降りる。
この看板の現在地が川原に出たあたりの場所。
赤く塗られているのが彼岸花が咲いているエリアである。
上の看板で途中で彼岸花が切れいている場所は屋台村になっていた。地元のハムメーカーの屋台で、ソーセージの厚切りを焼いたものを食べたがイマイチだった。
しばらく川原沿いを歩くと橋があった。
ドレミファ橋というらしい。
名前の由来の説明はなかった。
そのそばに、こんな看板が。
カワセミは見かけなかった。まあ飛んでいたとしても小さな鳥だから双眼鏡かカメラの大きな望遠レンズがなければ見えなかっただろう。ちなみに私はカワセミを一度も見たことがない。
巾着田の一番奥にある「あいあい橋」。
木製でなかなか美しい構造。
少しスロープを昇って、
橋を渡る。
橋の上から見た彼岸花。
大きな岩。
水の透明度がよくわかる。
キンチャクのように丸く流れる高麗(こま)川と巾着田。
空の色と雲の形はすっかり秋。つい先日まであんなに暑かったのに。
この日の最高気温予想は25度。しかし早朝に出発して巾着田につくまでは16〜17.5度くらいでバイクで走っていると寒かった。服装はTシャツ+ウインドブレーカー+メッシュジャケット&メッシュパンツの組み合わせ。現地でジャケットは脱いで、ウインドブレーカーは気温が上がる午前10時頃までは着ていた。帰りの高速道路上は26〜27度でウインドブレーカーなしでちょうどよかった。
巾着田は花の名所だから一眼レフなどを持ったカメラマニアが多いのは当然。しかし、あちこちの花の名所に行ったが、この巾着田のカメラマニア比率は圧倒的に高い。それとそのマニアの多くが三脚を使って撮影しているのにも驚いた。今までの一生で見た三脚の数より、この日に見た三脚の数のほうが多かったかもしれない。
彼岸花をアップで撮るのは難しい。私のNEX-5Nというカメラはオートフォーカスがコントラスト方式という機構だが(長くなるので説明は省略)、赤一色の彼岸花ではコントラストが低いのでピントが合いにくい。巾着田では密集して生えているのでなおさらである。また彼岸花は花びらが細いのでオートフォーカスが、どこを基準にコントラストを測ればいいのか判断できないようである。
結果、アップで撮ろうとするとオートフォーカスは全然ピントが合わない。しかたないからマニュアルでピントを合わせることにする。でも日差しがきつかったので、液晶画面が反射してよく見えない。結局ピントが合っているのかどうかよくわからないまま写真を撮ることに。そんないい加減なことで成功するはずもなく。ここに貼り付けたのは、小さなサイズならピントが合っているように見えるものを選んだつもり。求む、もっと高性能なオートフォーカス。
なぜか赤くモヤがかかったような写真に。
幻想的だと解釈されたし。
花びらより外側に雄しべが伸びる構造。
実は雌しべもこの中にあって、先端に花粉がないのが雌しべ(らしい)。
よく見ると彼岸花の花びらはウェーヴがかかっている。
茎が先端で6つに別れ、それぞれに花がつく。
つまり彼岸花の花とは6つの花の集合体。
つぼみが開き始めた段階の彼岸花。
茎が6つに別れていること、花粉のない雌しべの様子がわかりやすい。
恒例の下からアオリ撮り。
空を入れてのアップ。
こっちはミドリを背景に。
白い彼岸花もローアングルで。
ツボミも忘れずに。
彼岸花自体は見慣れているが、こんなにたくさんあると彼岸花が咲いているというより、まったく別の光景に見える。とてもとても新鮮。また赤い彼岸花をずっと見ていると、気のせいかテンションも上がってくるように感じる。普通は花を眺めているとリラックスしてくるものだが、色が与える心理効果というのは確かにあるものだと実感。ひょっとしたら前世はウシだった?
同じルートじゃつまらないので、帰りは圏央道から八王子経由で中央自動車にのって帰った。巾着田を後にしたのは午前11過ぎ。国道299号は数キロの渋滞になっていた。渋滞の後ろのほうの人たちが彼岸花を見られるのは2時間後くらいかな。高麗駅から歩いてやってくる人もかなりの数。やっぱり早朝に来て正解。
走行150キロくらい。午後1時頃にいったん帰宅して、その後ディーラーへバイクの修理に。
2013年09月27日
バイクで美術館巡り 3
中庭の横を抜けて海岸のほうに小径が延びている。
ここを下っていく。
展望台に向かう「下り」坂はめずらしい。
少し下から建物を眺める。
写っているのはレストラン。
一番下ったところにある東屋。
壁の手前にあるわずかなスペース。
これが展望台らしい。かなり誇大表現。
北側の逗子方向。
正面。
南側の長者ヶ崎方向。
ちなみに葉山は相模湾に着き出した三浦半島に位置しているから、正面の方向はアメリカではなく、相模湾を横切って小田原と熱海の中間あたりになる。広くて大きい海だが「♪いってみたいな、よその国」は難しいかも。砂浜が暗く写っているのは逆光気味だから。
展望台から海岸に降りる出入り口はなかった。
小径はまだ続いていたので先まで歩いて行くと
裏門のようなところがあり、隣の建物とのあいだに海につながる路地が。
この美術館の隣は「葉山しおさい公園」という日本庭園。元々は葉山御用邸の一部だったらしい。美術館の裏門と「しおさい公園」の裏門が向かい合っていた。なおこちらの公園は有料である。大人300円。
公園には入らず海岸に出る。砂浜を踏むのは3ヶ月ぶりくらいかな。見てのとおり海水浴客がかなりいる。この時の気温は31度くらいだったと思う。9月22日の写真だが、いわれなければ真夏の雰囲気。写真中央の白い壁が御用邸の壁。
そしてローアングルは忘れずに。
砂浜から美術館を振り返ったところ。壁の中央付近に白い服を着た人がいるが、あそこが美術館の展望台。
美術館と、しおさい公園の間の路地の入り口。よく見ると石垣の作り方が同じ。ということは美術館も昔は御用邸の一部だったのかな。
久々の海岸を楽しんで美術館に戻る。
飛びきりおしゃれな駐車場にたたずむBMW F800R。
美術館の建物はありきたりでつまらないけれど、バイクの駐車場だけは素晴らしい。クルマは有料だがバイクの駐車料金は無料。駐車場の入り口に遮断機が下りているが、その横をくぐり抜けて入る。
あまり欲張らずに今回のツーリングはここで終了して帰路に向かう。ところがナビが横浜横須賀道路に誘導せず国道16号に出てしまった。前にもそんなことがあったような気がする。BMWの純正ナビは葉山や逗子あたりの道をあまり知らないようだ。帰りは第三京浜のつもりだったが、しかたないので横浜横須賀道路をパスして往きと同じく首都高湾岸線で。
走行140キロ。バイクに美術と山と海でなかなか盛りだくさんな休日となった。
おしまい
ここを下っていく。
展望台に向かう「下り」坂はめずらしい。
少し下から建物を眺める。
写っているのはレストラン。
一番下ったところにある東屋。
壁の手前にあるわずかなスペース。
これが展望台らしい。かなり誇大表現。
北側の逗子方向。
正面。
南側の長者ヶ崎方向。
ちなみに葉山は相模湾に着き出した三浦半島に位置しているから、正面の方向はアメリカではなく、相模湾を横切って小田原と熱海の中間あたりになる。広くて大きい海だが「♪いってみたいな、よその国」は難しいかも。砂浜が暗く写っているのは逆光気味だから。
展望台から海岸に降りる出入り口はなかった。
小径はまだ続いていたので先まで歩いて行くと
裏門のようなところがあり、隣の建物とのあいだに海につながる路地が。
この美術館の隣は「葉山しおさい公園」という日本庭園。元々は葉山御用邸の一部だったらしい。美術館の裏門と「しおさい公園」の裏門が向かい合っていた。なおこちらの公園は有料である。大人300円。
公園には入らず海岸に出る。砂浜を踏むのは3ヶ月ぶりくらいかな。見てのとおり海水浴客がかなりいる。この時の気温は31度くらいだったと思う。9月22日の写真だが、いわれなければ真夏の雰囲気。写真中央の白い壁が御用邸の壁。
そしてローアングルは忘れずに。
砂浜から美術館を振り返ったところ。壁の中央付近に白い服を着た人がいるが、あそこが美術館の展望台。
美術館と、しおさい公園の間の路地の入り口。よく見ると石垣の作り方が同じ。ということは美術館も昔は御用邸の一部だったのかな。
久々の海岸を楽しんで美術館に戻る。
飛びきりおしゃれな駐車場にたたずむBMW F800R。
美術館の建物はありきたりでつまらないけれど、バイクの駐車場だけは素晴らしい。クルマは有料だがバイクの駐車料金は無料。駐車場の入り口に遮断機が下りているが、その横をくぐり抜けて入る。
あまり欲張らずに今回のツーリングはここで終了して帰路に向かう。ところがナビが横浜横須賀道路に誘導せず国道16号に出てしまった。前にもそんなことがあったような気がする。BMWの純正ナビは葉山や逗子あたりの道をあまり知らないようだ。帰りは第三京浜のつもりだったが、しかたないので横浜横須賀道路をパスして往きと同じく首都高湾岸線で。
走行140キロ。バイクに美術と山と海でなかなか盛りだくさんな休日となった。
おしまい
2013年09月26日
バイクで美術館巡り 2
観音崎・横須賀美術館裏の公園を少し探検した後に、次の目的地である神奈川県立近代美術館の葉山館に向かう。本館は鎌倉にある。横須賀美術館と同じく、葉山館も2003年にオープンした割と新しい美術館である。
観音崎から葉山へは三浦半島を縦断している県道27号が最短距離だが、のんびりと134号線で三浦海岸を眺めながらツーリング。海岸沿いを走った後、内陸部に入った134号線は26号線との交差点で北に進路を変えて湘南方面に向かう。ところで北向きに曲がったとたん私と逆方向、つまり南に向かう26号線の車線はビッシリと長蛇の列だった。ノロノロ運転じゃなくて、ほとんどクルマが動いていない。たぶん三崎に向かうマグロ渋滞かな。ちょうど正午頃だったけど、あんな渋滞じゃマグロを食べるのは夕ご飯になっちゃうよ(^^ゞ
その後、三浦半島の西海岸沿いに降りて、秋谷や長者ヶ崎など見慣れた湘南の海岸を横目に見て葉山に到着。葉山館は葉山御用邸の隣の隣くらいの場所にある。
神奈川県立近代美術館・葉山館
駐車場はあまり広くない。
出た! 宿敵インスタレーション(^^ゞ
「作品には手を触れないでください」と書いてある。どちらかといえば蹴っ飛ばしたい。やっぱりこれも「アート」として「購入」したものなんだろうな。私もモダンアートのアーティストになれば楽して稼げたかも。
エントランス。
建物はコンクリート(石張り)とガラスを組み合わせた、いわゆるシンプルでモダンなデザインという奴。どこへ行ってもこんなデザインばっかりだ。日本の建築家には個性とか創造性とかはないのか。あるいは発注側にセンスがなかったり無難志向だとこうなるのかな。とりあえず写真にでも撮っておかないと、次の日にはどんな建物だったか思い出せなくなる。
中庭。
シンプルで素敵ですね、何も考えずとも出来上がっちゃいますね(^^ゞ
左側の建物はレストランと売店。
横須賀美術館もここも売店はあまり充実していなかった。
この葉山館は常設展はなく企画展のみ。現在開催されているのは「戦争/美術 1940-1950」。副題に「モダニズムの連鎖と変容」という美術業界っぽい言葉が並ぶ。
まあ今回は見たい展示会だから来たのではなく、ツーリングの目的地というか余興として2つの美術館を選んだといういきさつ。つまり展示会の選り好みはしていない。しかし「戦争の悲惨さを描いた、暗かったり悲しかったりグロテスクな絵ばっかりだったらイヤだなあ」と現地に着いてから心配になる。
結論から言うと戦争をテーマとした展示会ではなく、いろんな画家の1940年から50年に描かれた作品を見て、戦中と戦後のその時代(真珠湾攻撃が1941年、終戦が1945年)が絵や画家に与えた影響を読み取りましょうというような趣旨らしい。結果的に戦争がらみの作品も含まれるけれど、その割合はタイトルからイメージするほど多くはなかった。
松本竣介 「建物」
特にヒネリもなく、線を引いて色を塗っただけのような絵。小学生でも描けそうなのだが不思議なオーラがあった。ところでこの絵の制作は1935年。この美術館はタイトルにはあまりこだわらないらしい。
松本竣介 「立てる像」
描かれているのは本人だから自画像ともいえる。「すくっと立つ」というのはこういうことかと思うリキミのなさ。松本竣介の作品は他にも5〜6点展示されていた。全体的に少し暗いというか重めの画風であるがなかなか気に入った。
ところでこの作品、本人が着ている上着はどうもGジャンっぽい。ブログに貼った写真ではわかりにくいと思うが、生地はジーンズっぽい色だったし、白いステッチやメタルの大きなボタンもGジャンのスタイルである。
この作品の制作は1942年で戦中。Gパンは戦後に進駐軍によってもたらされたと聞かされていたし、Gジャンなんてものはもっと後にできたものと思っていた。一般的には白州次郎がはじめてGパンを履いた日本人ということになっている。しかし、それも戦後の話。この絵のズボンがGパンかどうかは上着ほどハッキリは見て取れない。でもGジャンを着たならGパンも履いたでしょう。ということで松本竣介を初めてジーンズを着こなした日本人と称することにしよう。
藤田嗣治(つぐはる) 「ソロモン海域に於ける米兵の末路」
ここに貼り付けたものより実際の絵はもっと暗い。かなり大きな絵だが、近づいてみるまで何が書いてあるかわからなかった。いわゆる軍が戦争プロパガンダのために描かせた戦争画。でもそんな背景を抜きにして眺めれば、藤田嗣治の力量を感じさせる絵でもある。箱根で見た彼の作品とはまったく違う。でも描かれているのがあまり米兵には見えないのはナゼ?
ちなみに藤田嗣治の生涯を超簡単にまとめると
1913年にパリに渡り、1920年頃にはスーパースターとなる。
1935年頃日本に帰国。戦争画をたくさん描く。
戦後に戦争画を描いたことを批判され、パリに戻りフランス国籍を取得し永住。
となる。
内田巌(いわお) 「裸婦」
どこがよかったのか説明するのは難しいが、何となくよかった。
この内田巌は戦争画の件で藤田嗣治を批判した代表的人物。そんな二人の絵を同じ展示会で眺められるなんて平和で幸せである。
この展示会は1940年から50年に描かれた作品を見ていろいろ考えよう、感じようということである。でも本当は、単にその時代の絵を集めただけでテーマは後から考えたんじゃないかという気もする。だから唐突にこんな絵も展示されている↓↓↓
横山大観 「日本心神(富士山)」
この展示会の中で一番有名な画家の作品ではあるが、なんとなく浮いていた感は否めない。展示する必然性があったのか疑問。
朝井閑右衛門(かんうえもん) 「丘の上」
変態っぽくて素敵(^^ゞ
朝井閑右衛門は横須賀美術館でもたくさん展示されていた。大阪生まれだが横須賀や鎌倉に住んでいた時代が長いから、このあたりの地元の画家的存在なのだろう。どの絵もおもしろかった。絵に共通する作風はなく、好きな時に描きたいものを描いたという感じ。才能と技量が両立していないと、それは難しいはず。また「朝から閑(ひま)」だから閑右衛門と名乗ったらしく、シャレもわかる人だったようである。
内田巌(いわお) 「母の像」
今回、一番印象に残ったのがこの作品である。絵の善し悪しというよりも、こういう作品は日本人にしか描けない〜欧米に持っていったらウケルに違いないーーーという職業柄のさもしい発想から。畳の日本間に掛けられていたら遺影にしか見えなが、ヨーロッパの古い大邸宅の暖炉の上にでもあれば、そこだけ異空間になりそうである。
靉光(あいみつ) 「畠山雅介氏の像」
何となく名前も画風も中国っぽいが、本名は石村日郎(にちろう)という日本人の作品。目を引いたのは上の絵と同じような理由。眺めているうちにけっこう引き込まれる。繊細さの極地のような絵。それにしてもシャツがブカブカだ。
展示作品数はかなり多い。途中で述べたようにまとまりのない展示会で、逆にいえばいろんなタイプの絵を見られるから飽きない。人もあまりいないから、ゆったりと眺められる。それと横須賀美術館もそうだったが、展示室内が明るくて気持ちいい。なぜか都内の大型美術館はやたら薄暗いところが多いのである。湘南なんて行き飽きたという人も、たまにはどうぞ。
ーーー続く
観音崎から葉山へは三浦半島を縦断している県道27号が最短距離だが、のんびりと134号線で三浦海岸を眺めながらツーリング。海岸沿いを走った後、内陸部に入った134号線は26号線との交差点で北に進路を変えて湘南方面に向かう。ところで北向きに曲がったとたん私と逆方向、つまり南に向かう26号線の車線はビッシリと長蛇の列だった。ノロノロ運転じゃなくて、ほとんどクルマが動いていない。たぶん三崎に向かうマグロ渋滞かな。ちょうど正午頃だったけど、あんな渋滞じゃマグロを食べるのは夕ご飯になっちゃうよ(^^ゞ
その後、三浦半島の西海岸沿いに降りて、秋谷や長者ヶ崎など見慣れた湘南の海岸を横目に見て葉山に到着。葉山館は葉山御用邸の隣の隣くらいの場所にある。
神奈川県立近代美術館・葉山館
駐車場はあまり広くない。
出た! 宿敵インスタレーション(^^ゞ
「作品には手を触れないでください」と書いてある。どちらかといえば蹴っ飛ばしたい。やっぱりこれも「アート」として「購入」したものなんだろうな。私もモダンアートのアーティストになれば楽して稼げたかも。
エントランス。
建物はコンクリート(石張り)とガラスを組み合わせた、いわゆるシンプルでモダンなデザインという奴。どこへ行ってもこんなデザインばっかりだ。日本の建築家には個性とか創造性とかはないのか。あるいは発注側にセンスがなかったり無難志向だとこうなるのかな。とりあえず写真にでも撮っておかないと、次の日にはどんな建物だったか思い出せなくなる。
中庭。
シンプルで素敵ですね、何も考えずとも出来上がっちゃいますね(^^ゞ
左側の建物はレストランと売店。
横須賀美術館もここも売店はあまり充実していなかった。
この葉山館は常設展はなく企画展のみ。現在開催されているのは「戦争/美術 1940-1950」。副題に「モダニズムの連鎖と変容」という美術業界っぽい言葉が並ぶ。
まあ今回は見たい展示会だから来たのではなく、ツーリングの目的地というか余興として2つの美術館を選んだといういきさつ。つまり展示会の選り好みはしていない。しかし「戦争の悲惨さを描いた、暗かったり悲しかったりグロテスクな絵ばっかりだったらイヤだなあ」と現地に着いてから心配になる。
結論から言うと戦争をテーマとした展示会ではなく、いろんな画家の1940年から50年に描かれた作品を見て、戦中と戦後のその時代(真珠湾攻撃が1941年、終戦が1945年)が絵や画家に与えた影響を読み取りましょうというような趣旨らしい。結果的に戦争がらみの作品も含まれるけれど、その割合はタイトルからイメージするほど多くはなかった。
松本竣介 「建物」
特にヒネリもなく、線を引いて色を塗っただけのような絵。小学生でも描けそうなのだが不思議なオーラがあった。ところでこの絵の制作は1935年。この美術館はタイトルにはあまりこだわらないらしい。
松本竣介 「立てる像」
描かれているのは本人だから自画像ともいえる。「すくっと立つ」というのはこういうことかと思うリキミのなさ。松本竣介の作品は他にも5〜6点展示されていた。全体的に少し暗いというか重めの画風であるがなかなか気に入った。
ところでこの作品、本人が着ている上着はどうもGジャンっぽい。ブログに貼った写真ではわかりにくいと思うが、生地はジーンズっぽい色だったし、白いステッチやメタルの大きなボタンもGジャンのスタイルである。
この作品の制作は1942年で戦中。Gパンは戦後に進駐軍によってもたらされたと聞かされていたし、Gジャンなんてものはもっと後にできたものと思っていた。一般的には白州次郎がはじめてGパンを履いた日本人ということになっている。しかし、それも戦後の話。この絵のズボンがGパンかどうかは上着ほどハッキリは見て取れない。でもGジャンを着たならGパンも履いたでしょう。ということで松本竣介を初めてジーンズを着こなした日本人と称することにしよう。
藤田嗣治(つぐはる) 「ソロモン海域に於ける米兵の末路」
ここに貼り付けたものより実際の絵はもっと暗い。かなり大きな絵だが、近づいてみるまで何が書いてあるかわからなかった。いわゆる軍が戦争プロパガンダのために描かせた戦争画。でもそんな背景を抜きにして眺めれば、藤田嗣治の力量を感じさせる絵でもある。箱根で見た彼の作品とはまったく違う。でも描かれているのがあまり米兵には見えないのはナゼ?
ちなみに藤田嗣治の生涯を超簡単にまとめると
1913年にパリに渡り、1920年頃にはスーパースターとなる。
1935年頃日本に帰国。戦争画をたくさん描く。
戦後に戦争画を描いたことを批判され、パリに戻りフランス国籍を取得し永住。
となる。
内田巌(いわお) 「裸婦」
どこがよかったのか説明するのは難しいが、何となくよかった。
この内田巌は戦争画の件で藤田嗣治を批判した代表的人物。そんな二人の絵を同じ展示会で眺められるなんて平和で幸せである。
この展示会は1940年から50年に描かれた作品を見ていろいろ考えよう、感じようということである。でも本当は、単にその時代の絵を集めただけでテーマは後から考えたんじゃないかという気もする。だから唐突にこんな絵も展示されている↓↓↓
横山大観 「日本心神(富士山)」
この展示会の中で一番有名な画家の作品ではあるが、なんとなく浮いていた感は否めない。展示する必然性があったのか疑問。
朝井閑右衛門(かんうえもん) 「丘の上」
変態っぽくて素敵(^^ゞ
朝井閑右衛門は横須賀美術館でもたくさん展示されていた。大阪生まれだが横須賀や鎌倉に住んでいた時代が長いから、このあたりの地元の画家的存在なのだろう。どの絵もおもしろかった。絵に共通する作風はなく、好きな時に描きたいものを描いたという感じ。才能と技量が両立していないと、それは難しいはず。また「朝から閑(ひま)」だから閑右衛門と名乗ったらしく、シャレもわかる人だったようである。
内田巌(いわお) 「母の像」
今回、一番印象に残ったのがこの作品である。絵の善し悪しというよりも、こういう作品は日本人にしか描けない〜欧米に持っていったらウケルに違いないーーーという職業柄のさもしい発想から。畳の日本間に掛けられていたら遺影にしか見えなが、ヨーロッパの古い大邸宅の暖炉の上にでもあれば、そこだけ異空間になりそうである。
靉光(あいみつ) 「畠山雅介氏の像」
何となく名前も画風も中国っぽいが、本名は石村日郎(にちろう)という日本人の作品。目を引いたのは上の絵と同じような理由。眺めているうちにけっこう引き込まれる。繊細さの極地のような絵。それにしてもシャツがブカブカだ。
展示作品数はかなり多い。途中で述べたようにまとまりのない展示会で、逆にいえばいろんなタイプの絵を見られるから飽きない。人もあまりいないから、ゆったりと眺められる。それと横須賀美術館もそうだったが、展示室内が明るくて気持ちいい。なぜか都内の大型美術館はやたら薄暗いところが多いのである。湘南なんて行き飽きたという人も、たまにはどうぞ。
ーーー続く
2013年09月22日
バイクで美術館巡り
何となく、あまり遠くまでツーリングする気持ちが起きず、かといって近所をブラブラを走ってもつまらない。さてどうする?と考えて、三浦半島と湘南にある2つの美術館にバイクで出かけてきた。箱根のポーラ美術館以来久しぶりの美術館ツーリングである。
三浦半島・湘南方面に行く時は第三京浜→横浜新道→横浜横須賀道路がいつものルート。でも今回は首都高の湾岸線から横浜横須賀道路に入った。このルートは横浜の中心部をパスできるので渋滞が少ない。ただし首都高湾岸線は私の住んでいるエリアに下り方向の入口がなく、第三京浜に乗るのと較べて3倍くらい遠いアクアラインと共通の入り口まで走らなければならない。
ベイブリッジを渡り、横浜の港を眺めながら首都高湾岸線を快走。ただし現在は白バイやパトカーを「1匹見かけたら30匹いると思え!」の秋の交通安全週間。いつも以上に慎重に周りの状況を伺いながら走る。
横浜横須賀道路を終点で降りれば馬堀海岸。少し走れば観音崎で、岬のすぐ手前に最初の目的地である横須賀美術館がある。
手前に芝生が広がるおしゃれな建物。建物がすべてガラスで覆われているのが特徴。海沿いに建っているので塩害を防ぐためと説明されているが、そんなことをいったら海沿いの建物はすべてそうなっていなくてはならない。まあこういうデザインにしたかったんだろう。ちなみに2007年に開館した新しい美術館である。
観音崎の岬は目と鼻の先。
建物の位置から海側を眺めたところ。なかなかの景色。しかしこのコンクリートのスロープはレンガやタイルにできなかったのか。
入り口を入ってすぐは売店なので、こんな説明がでている。
入り口の奥から外側を眺めたところ。
横須賀美術館で現在開催中の企画展は「たいけん、ぼうけん、びじゅつかん!」。文字変換を忘れたわけじゃない。サブタイトルが「親子で楽しむ現在アート」となっている。つまり子供向けの企画(/o\) しかも私の嫌いなモダンアート(/o\) でも常設展もあるし、モダンアートは食わず嫌いなところもあるから、子供向けから挑戦してみるのもいいかと。
最初の展示室は石ころがいろいろテーブルにおいてあった。
それを触るとテーブルの上に設置されているプロジェクターから、こんな影絵が出てきたりーーーその他いろいろ。(写真はネットから)
次の展示室では、こんな黄色のトンネルの中を歩かされたりーーー
このトンネルは展示室の中に収まりきらないので、館内を歩いていると、あちこちで見ることになる。
かと思えば、こんな巨大なサッカーゲームーーー
選手は黒船来港の時のアメリカ人と幕府の役人かな。
おもしろかったよ、石ころもトンネルも。サッカーゲームは私は参加しなかったけれど子供達は大はしゃぎしていた。でも、これがアートかというと「ハア?」という感想になってしまう。子供向けでも、やっぱりモダンアートは私の趣味に合わないみたい。酔えるかどうかがアートに対する私の価値基準。
常設展(美術館のコレクションの展示)はそこそこよかった。ほとんどが日本人の洋画家の作品。考えてみたら普段見に行くのは海外からやってくる企画展がほとんどだから、日本人の描いた絵を見ることは少ない。唸ったり欲しいという衝動に駆られる絵はなかったが、たまには醤油風味もいいもの。人も少ないのでのんびり鑑賞できた。
入り口を入ってすぐのところが橋のようになっていて、
その上から見えた常設展の一部。
こちらに写っているのは常設のモダンアート。いわゆるインスタレーション(設置芸術)。同じ置物でも彫刻などは彫刻そのものに価値があるが、インスタレーションは作品を置いた空間自体が作品でありアートだという考え方。モノが置かれるだけでなく映像が上映されるインスタレーションもある。最近やたら多いが、置かれているモノにも空間にも興味を引かれたことは一度もない。やっぱりモダンアートは苦手である。頭かたいのかな。
横須賀美術館には谷内六郎の特別コレクションがあって常設されている。谷内六郎とは週刊新潮の表紙を描いていた人。
週刊新潮を買ったこともなければ、待合室かどこかで最後に読んだのがいつだったかの記憶もハッキリしないが、この画風は何となく見覚えがあった。モチーフは戦前戦中あたりかな(谷内六郎は大正10年1921年生まれ)。私の世代だとリアルな懐かしさは感じないが、こういう風景があったんだろうなあということは想像がつく。見ているうちに心がなごんでくる絵である。
谷内六郎のコレクションは常設展とは別の展示室にある。そしてそこには外に出る扉が。扉のところにいる係員に「向こうは出口はありませんから、こちらに戻ってきてください」とヘンなことを言われ外に出ると中庭のようになっている。
中庭を見るための出入り口だったのかと思っていたら、反対側の物置のようなものに展示室の文字が。何これ?と近づくと自動ドアになっている扉が開いてビックリ。扉の向こうに谷内六郎の展示室がもうひとつあった。雨の日はどうするのかね。(どこの美術館でも作品保護のために傘は持って入れないようになっている)
扉が開いた時にはビックリしたが、
ワケのわからないインスタレーションよりはよっぽどおもしろい。
建物の横に裏山方向に伸びている小径があった。
少し登ると美術館の屋上に着き、その隣が芝生広場になっていた。
ガラスで覆われた屋根越しに眺める海。
展望室。
外を歩かずとも下からここまでエレベーターで上がってこられる。
美術館の裏山。
ローアングルで撮ったらおもしろい写真になったが、
海が写らない。
屋上の広場の横にさらに上に続く小径が。
気温はたぶん30度以上あって暑かったのだが、
ついフラフラと。
道は整備されているが木の生え方は密林ぽい。
5分ほど登ったところにあった煉瓦造りの建物。
周りは立ち入り禁止になっていて、目にできたのはここだけ。
この周りには砲台跡がたくさんあるので、司令所か弾薬庫だったのかな。
戦争映画で、こんな弾よけの道を見たことがある。
明治27年は1894年。2013年から引けば119年前。1894年は日清戦争が始まった年。その頃から東京湾防衛のために砲台や要塞が作られ始めたらしい。
砲台跡といっても何も残っていない。
砲台やツワモノどもが夢の跡(盗作)
どの砲台跡も同じようなつくり。
砲台の壁は人の背より高く海も見えない。
レンガの建物、砲台跡と同じ並びにあった三軒家園地。
家などなかったはずだが三軒家という地名。園地とは公園というような意味。
ベンチなどがある広場。
ここは見晴らしがよい。
三軒家園地の入り口から見た登ってきた道。
この道沿いに砲台跡がいくつかあって、一番奥にレンガの建物がある。
道はここで90度曲がって続いている。
探検の続きはまた次の機会に。
このあたり一帯はかなり広い公園になっている。
ついでにいうと、この公園の西隣が防衛大学。防衛大学は知っていても場所は知らない人のほうが多いと思う。
駐車場は地下にあってバイク専用の区画もある。
展覧会の入場料を払えば無料になる。駐車場には「入場料を払えば1時間無料」と張り紙がしてあるが、入場料を払う時に押されるスタンプは日付だけなので1日無料になるみたい。
海の眺めはいいし、絵を見たついでに散歩もできるし横須賀美術館はいいところである。へんぴな場所のイメージがあるが、京急の馬堀海岸駅からタクシーで10分くらいだからクルマやバイクがなくても大丈夫。
ーーー続く。
三浦半島・湘南方面に行く時は第三京浜→横浜新道→横浜横須賀道路がいつものルート。でも今回は首都高の湾岸線から横浜横須賀道路に入った。このルートは横浜の中心部をパスできるので渋滞が少ない。ただし首都高湾岸線は私の住んでいるエリアに下り方向の入口がなく、第三京浜に乗るのと較べて3倍くらい遠いアクアラインと共通の入り口まで走らなければならない。
ベイブリッジを渡り、横浜の港を眺めながら首都高湾岸線を快走。ただし現在は白バイやパトカーを「1匹見かけたら30匹いると思え!」の秋の交通安全週間。いつも以上に慎重に周りの状況を伺いながら走る。
横浜横須賀道路を終点で降りれば馬堀海岸。少し走れば観音崎で、岬のすぐ手前に最初の目的地である横須賀美術館がある。
手前に芝生が広がるおしゃれな建物。建物がすべてガラスで覆われているのが特徴。海沿いに建っているので塩害を防ぐためと説明されているが、そんなことをいったら海沿いの建物はすべてそうなっていなくてはならない。まあこういうデザインにしたかったんだろう。ちなみに2007年に開館した新しい美術館である。
観音崎の岬は目と鼻の先。
建物の位置から海側を眺めたところ。なかなかの景色。しかしこのコンクリートのスロープはレンガやタイルにできなかったのか。
入り口を入ってすぐは売店なので、こんな説明がでている。
入り口の奥から外側を眺めたところ。
横須賀美術館で現在開催中の企画展は「たいけん、ぼうけん、びじゅつかん!」。文字変換を忘れたわけじゃない。サブタイトルが「親子で楽しむ現在アート」となっている。つまり子供向けの企画(/o\) しかも私の嫌いなモダンアート(/o\) でも常設展もあるし、モダンアートは食わず嫌いなところもあるから、子供向けから挑戦してみるのもいいかと。
最初の展示室は石ころがいろいろテーブルにおいてあった。
それを触るとテーブルの上に設置されているプロジェクターから、こんな影絵が出てきたりーーーその他いろいろ。(写真はネットから)
次の展示室では、こんな黄色のトンネルの中を歩かされたりーーー
このトンネルは展示室の中に収まりきらないので、館内を歩いていると、あちこちで見ることになる。
かと思えば、こんな巨大なサッカーゲームーーー
選手は黒船来港の時のアメリカ人と幕府の役人かな。
おもしろかったよ、石ころもトンネルも。サッカーゲームは私は参加しなかったけれど子供達は大はしゃぎしていた。でも、これがアートかというと「ハア?」という感想になってしまう。子供向けでも、やっぱりモダンアートは私の趣味に合わないみたい。酔えるかどうかがアートに対する私の価値基準。
常設展(美術館のコレクションの展示)はそこそこよかった。ほとんどが日本人の洋画家の作品。考えてみたら普段見に行くのは海外からやってくる企画展がほとんどだから、日本人の描いた絵を見ることは少ない。唸ったり欲しいという衝動に駆られる絵はなかったが、たまには醤油風味もいいもの。人も少ないのでのんびり鑑賞できた。
入り口を入ってすぐのところが橋のようになっていて、
その上から見えた常設展の一部。
こちらに写っているのは常設のモダンアート。いわゆるインスタレーション(設置芸術)。同じ置物でも彫刻などは彫刻そのものに価値があるが、インスタレーションは作品を置いた空間自体が作品でありアートだという考え方。モノが置かれるだけでなく映像が上映されるインスタレーションもある。最近やたら多いが、置かれているモノにも空間にも興味を引かれたことは一度もない。やっぱりモダンアートは苦手である。頭かたいのかな。
横須賀美術館には谷内六郎の特別コレクションがあって常設されている。谷内六郎とは週刊新潮の表紙を描いていた人。
週刊新潮を買ったこともなければ、待合室かどこかで最後に読んだのがいつだったかの記憶もハッキリしないが、この画風は何となく見覚えがあった。モチーフは戦前戦中あたりかな(谷内六郎は大正10年1921年生まれ)。私の世代だとリアルな懐かしさは感じないが、こういう風景があったんだろうなあということは想像がつく。見ているうちに心がなごんでくる絵である。
谷内六郎のコレクションは常設展とは別の展示室にある。そしてそこには外に出る扉が。扉のところにいる係員に「向こうは出口はありませんから、こちらに戻ってきてください」とヘンなことを言われ外に出ると中庭のようになっている。
中庭を見るための出入り口だったのかと思っていたら、反対側の物置のようなものに展示室の文字が。何これ?と近づくと自動ドアになっている扉が開いてビックリ。扉の向こうに谷内六郎の展示室がもうひとつあった。雨の日はどうするのかね。(どこの美術館でも作品保護のために傘は持って入れないようになっている)
扉が開いた時にはビックリしたが、
ワケのわからないインスタレーションよりはよっぽどおもしろい。
建物の横に裏山方向に伸びている小径があった。
少し登ると美術館の屋上に着き、その隣が芝生広場になっていた。
ガラスで覆われた屋根越しに眺める海。
展望室。
外を歩かずとも下からここまでエレベーターで上がってこられる。
美術館の裏山。
ローアングルで撮ったらおもしろい写真になったが、
海が写らない。
屋上の広場の横にさらに上に続く小径が。
気温はたぶん30度以上あって暑かったのだが、
ついフラフラと。
道は整備されているが木の生え方は密林ぽい。
5分ほど登ったところにあった煉瓦造りの建物。
周りは立ち入り禁止になっていて、目にできたのはここだけ。
この周りには砲台跡がたくさんあるので、司令所か弾薬庫だったのかな。
戦争映画で、こんな弾よけの道を見たことがある。
明治27年は1894年。2013年から引けば119年前。1894年は日清戦争が始まった年。その頃から東京湾防衛のために砲台や要塞が作られ始めたらしい。
砲台跡といっても何も残っていない。
砲台やツワモノどもが夢の跡(盗作)
どの砲台跡も同じようなつくり。
砲台の壁は人の背より高く海も見えない。
レンガの建物、砲台跡と同じ並びにあった三軒家園地。
家などなかったはずだが三軒家という地名。園地とは公園というような意味。
ベンチなどがある広場。
ここは見晴らしがよい。
三軒家園地の入り口から見た登ってきた道。
この道沿いに砲台跡がいくつかあって、一番奥にレンガの建物がある。
道はここで90度曲がって続いている。
探検の続きはまた次の機会に。
このあたり一帯はかなり広い公園になっている。
ついでにいうと、この公園の西隣が防衛大学。防衛大学は知っていても場所は知らない人のほうが多いと思う。
駐車場は地下にあってバイク専用の区画もある。
展覧会の入場料を払えば無料になる。駐車場には「入場料を払えば1時間無料」と張り紙がしてあるが、入場料を払う時に押されるスタンプは日付だけなので1日無料になるみたい。
海の眺めはいいし、絵を見たついでに散歩もできるし横須賀美術館はいいところである。へんぴな場所のイメージがあるが、京急の馬堀海岸駅からタクシーで10分くらいだからクルマやバイクがなくても大丈夫。
ーーー続く。
2013年09月20日
リニア新幹線
18日に駅の場所や具体的なルートがJR東海から沿線の自治体に通知されたことは、ニュースで報じられているとおり。開業予定は2027年。
東京オリンピック 7年後の2020年
まだ大丈夫さ!
リニア新幹線 東京・名古屋開通
14年後の2027年
けっこうキテるかな?
リニア新幹線 東京・大阪開通
32年後の2045年
無理かもしれんなあ(/o\)
何の感想を書いたかは想像におまかせする。
リニア新幹線に関してはいろいろ批判もある。総事業費は約10兆円と見積もられているが、高齢化が進み人口も減り国力も落ちているだろう32年後に、現在の新幹線と合わせて2本分の鉄道需要があるのか。つまり儲かるのか、無駄遣いにならないかというのが根本的疑問。私自身は知識もないし判断材料となる資料も持っていないからわからない。
しかし詳細なデータを持っている専門家だって32年後のことなんてわかりっこないのである。作ると決まったのなら、リニア新幹線やその技術の波及効果を最大限に実現する政策や施策に知恵を絞るべきだろう。
ちなみに
新幹線のぞみ 東京・新大阪
2時間30分 1万4050円(普通指定席)
飛行機 羽田・伊丹
65分 2万2670円(普通席・片道)
リニア新幹線は東京・大阪を67分で結ぶとされている(まだルートも決まっていないはずなのだが)。だから飛行機と同じくらいの運賃かと思ったら、新幹線プラス1000円くらいの料金設定らしい。そりゃラッキーと思う反面、10兆円も掛けてプラス1000円で大丈夫なのか、速度・時間短縮の価値をなぜ運賃に反映しないのか不思議である。もっとも飛行機も、いろんな割引を利用すれば新幹線より安くなる場合もあるから、それを睨んでの価格設定なのかもしれない。まあ、喜ぶのは32年後に運賃表を見てからにしよう。
ついでに東京・大阪(豊中インター)の高速道路料金はクルマで1万650円。ETCの休日や深夜割引を使えば5000円から9000円位に下がる。距離は約500キロ。リッター10キロの燃費でガソリンが160円の計算なら別途ガソリン代が8000円必要。最大割引料金との合計なら約1万3000円と新幹線と同程度。当然2名以上で乗れば費用は1/2、1/3と減っていく。もっとも時間はたっぷりかかるが。
バイクの場合は正規が8600円、ETC割引などで4300円くらいになる。私のバイクは高速道路だけならリッター25キロは走る。でもハイオクなので170円計算でガソリン代は3400円。最大割引料金との合計で7700円。初めて計算したが新幹線の半分程度。でも大阪まで走るガッツはないなあ。
東京オリンピック 7年後の2020年
まだ大丈夫さ!
リニア新幹線 東京・名古屋開通
14年後の2027年
けっこうキテるかな?
リニア新幹線 東京・大阪開通
32年後の2045年
無理かもしれんなあ(/o\)
何の感想を書いたかは想像におまかせする。
リニア新幹線に関してはいろいろ批判もある。総事業費は約10兆円と見積もられているが、高齢化が進み人口も減り国力も落ちているだろう32年後に、現在の新幹線と合わせて2本分の鉄道需要があるのか。つまり儲かるのか、無駄遣いにならないかというのが根本的疑問。私自身は知識もないし判断材料となる資料も持っていないからわからない。
しかし詳細なデータを持っている専門家だって32年後のことなんてわかりっこないのである。作ると決まったのなら、リニア新幹線やその技術の波及効果を最大限に実現する政策や施策に知恵を絞るべきだろう。
ちなみに
新幹線のぞみ 東京・新大阪
2時間30分 1万4050円(普通指定席)
飛行機 羽田・伊丹
65分 2万2670円(普通席・片道)
リニア新幹線は東京・大阪を67分で結ぶとされている(まだルートも決まっていないはずなのだが)。だから飛行機と同じくらいの運賃かと思ったら、新幹線プラス1000円くらいの料金設定らしい。そりゃラッキーと思う反面、10兆円も掛けてプラス1000円で大丈夫なのか、速度・時間短縮の価値をなぜ運賃に反映しないのか不思議である。もっとも飛行機も、いろんな割引を利用すれば新幹線より安くなる場合もあるから、それを睨んでの価格設定なのかもしれない。まあ、喜ぶのは32年後に運賃表を見てからにしよう。
ついでに東京・大阪(豊中インター)の高速道路料金はクルマで1万650円。ETCの休日や深夜割引を使えば5000円から9000円位に下がる。距離は約500キロ。リッター10キロの燃費でガソリンが160円の計算なら別途ガソリン代が8000円必要。最大割引料金との合計なら約1万3000円と新幹線と同程度。当然2名以上で乗れば費用は1/2、1/3と減っていく。もっとも時間はたっぷりかかるが。
バイクの場合は正規が8600円、ETC割引などで4300円くらいになる。私のバイクは高速道路だけならリッター25キロは走る。でもハイオクなので170円計算でガソリン代は3400円。最大割引料金との合計で7700円。初めて計算したが新幹線の半分程度。でも大阪まで走るガッツはないなあ。
2013年09月18日
夏のバイクツーリングの秘密兵器 番外編の2
朝夕はめっきり秋の気配。
まあ来年の夏に向けてのエントリーということで。
前回に書いたバイク用のエアコンや、さらに小型軽量化した衣服用のエアコンは私の目の黒いうちに開発されるかなあ? 6畳間の2万3900リッターを持ち出すべくもなく、服と身体のあいだの空間を冷やしたほうが地球全体ではビックリするほど省エネになるんだけどなあ。
さて今から書くことは、エアコンと違ってバイクウエアメーカーなら1週間もあれば試作品を上げられる夏用アイテムである。
メッシュの革パンを今年買った。でも、この「夏のバイクツーリングの秘密兵器」シリーズの一番最初に書いたように、それはバイクで走っている時のためというよりも、ツーリング先でブラブラする時に普通の革パンじゃ暑いからである。実は私が本当に欲しかったのは
夏用の
革製の
オーバーパンツ
なのである。
オーバーパンツというのは、上の写真のように普通のパンツ(ズボン)の上から重ね着するパンツ。寒さをしのぐもので当然冬用アイテム。でも、その夏バージョンがあってもいいじゃない。
ツーリング先では涼しい半ズボンでブラブラする。
そしてバイクに乗る時は、そのオーバーパンツをはく。
というイメージ。
履いたり脱いだりが面倒だから、普通のパンツではなくサイドジッパーなどになっている『オーバーパンツ』が便利。バイクではブーツなので普通のパンツなら靴まで脱がなきゃいけない。それに人目もあるところでお尻を突き出してパンツを降ろしたり上げたりする姿はちょっと恥ずかしい。
革製というのは安全性を考えて。バイクで転倒するということは服にものすごい摩擦がかかるということ。繊維だと破れたり裂ける可能性が高い。化学繊維なら熱で溶けて穴が空く。革もそのようにならない保証はないが基本的に繊維よりは摩擦に強い。革は強い摩擦が加わると消しゴムのように削れていく性質を持っている。もっとも試したり信頼できる実験データを見たわけじゃないけど、何となく革のほうが安全だと思っているし、そう思ってバイクに乗ることにしている。
もちろん革にも欠点はある。値段が高い、重い、しなやかさに欠ける、洗濯機で洗えない、保湿などに手入れも必要などなど。でも摩擦耐性で革を上回るものはなさそうだから仕方ないかな。ちなみに安く売っているフェイクレザーは見た目は革だけど、ナイロン繊維に樹脂加工をしたものだから、摩擦に関しては繊維と同じ。
夏用のというのは特に意味はなくて、オーバーパンツというのは防寒アイテムなので内側にキルティングなどがついている。そういうのは、もちろん不要というだけの話。メッシュであるべきかどうかは、まあ試してみなければわからない。今回、メッシュパンツを買ってバイクの熱の侵入がけっこう厳しいことがわかったから、膝から上だけメッシュでもいいかな。ウエアメーカーさん、いろいろバリエーションをお願いします。もちろん色が黒しかないというのは許しません!
心配なのはサイドジッパーの強度。転倒してジッパーがほどけて脚がさらされたんじゃオーバーパンツをはいた意味がなくなる。ジッパーを覆うようにベルクロで留めるフラップのようなものを付けたら安全性は高まるが、履き心地や脱着性とのトレードオフにもなりそう。そのあたりの研究もしっかりして欲しい。
夏にバイクで海岸に行って半ズボンでブラブラしたいーーー
我ながら実にささやかな夢である(^^ゞ
まあ来年の夏に向けてのエントリーということで。
前回に書いたバイク用のエアコンや、さらに小型軽量化した衣服用のエアコンは私の目の黒いうちに開発されるかなあ? 6畳間の2万3900リッターを持ち出すべくもなく、服と身体のあいだの空間を冷やしたほうが地球全体ではビックリするほど省エネになるんだけどなあ。
さて今から書くことは、エアコンと違ってバイクウエアメーカーなら1週間もあれば試作品を上げられる夏用アイテムである。
メッシュの革パンを今年買った。でも、この「夏のバイクツーリングの秘密兵器」シリーズの一番最初に書いたように、それはバイクで走っている時のためというよりも、ツーリング先でブラブラする時に普通の革パンじゃ暑いからである。実は私が本当に欲しかったのは
夏用の
革製の
オーバーパンツ
なのである。
オーバーパンツというのは、上の写真のように普通のパンツ(ズボン)の上から重ね着するパンツ。寒さをしのぐもので当然冬用アイテム。でも、その夏バージョンがあってもいいじゃない。
ツーリング先では涼しい半ズボンでブラブラする。
そしてバイクに乗る時は、そのオーバーパンツをはく。
というイメージ。
履いたり脱いだりが面倒だから、普通のパンツではなくサイドジッパーなどになっている『オーバーパンツ』が便利。バイクではブーツなので普通のパンツなら靴まで脱がなきゃいけない。それに人目もあるところでお尻を突き出してパンツを降ろしたり上げたりする姿はちょっと恥ずかしい。
革製というのは安全性を考えて。バイクで転倒するということは服にものすごい摩擦がかかるということ。繊維だと破れたり裂ける可能性が高い。化学繊維なら熱で溶けて穴が空く。革もそのようにならない保証はないが基本的に繊維よりは摩擦に強い。革は強い摩擦が加わると消しゴムのように削れていく性質を持っている。もっとも試したり信頼できる実験データを見たわけじゃないけど、何となく革のほうが安全だと思っているし、そう思ってバイクに乗ることにしている。
もちろん革にも欠点はある。値段が高い、重い、しなやかさに欠ける、洗濯機で洗えない、保湿などに手入れも必要などなど。でも摩擦耐性で革を上回るものはなさそうだから仕方ないかな。ちなみに安く売っているフェイクレザーは見た目は革だけど、ナイロン繊維に樹脂加工をしたものだから、摩擦に関しては繊維と同じ。
夏用のというのは特に意味はなくて、オーバーパンツというのは防寒アイテムなので内側にキルティングなどがついている。そういうのは、もちろん不要というだけの話。メッシュであるべきかどうかは、まあ試してみなければわからない。今回、メッシュパンツを買ってバイクの熱の侵入がけっこう厳しいことがわかったから、膝から上だけメッシュでもいいかな。ウエアメーカーさん、いろいろバリエーションをお願いします。もちろん色が黒しかないというのは許しません!
心配なのはサイドジッパーの強度。転倒してジッパーがほどけて脚がさらされたんじゃオーバーパンツをはいた意味がなくなる。ジッパーを覆うようにベルクロで留めるフラップのようなものを付けたら安全性は高まるが、履き心地や脱着性とのトレードオフにもなりそう。そのあたりの研究もしっかりして欲しい。
夏にバイクで海岸に行って半ズボンでブラブラしたいーーー
我ながら実にささやかな夢である(^^ゞ
2013年09月16日
台風18号
台風18号の大雨によって各地の川が増水や氾濫したとニュースで知る。
京都・嵐山にある渡月橋の映像にはビックリした。
青春の思い出の何パーセントかはあそこに詰まっている(^^ゞ
夏の初めに利根川水系の渇水が心配されたけれど、全国的に見れば今年は雨がよく降った。何となく年々、夏から秋にかけての集中豪雨が増えているような気がする。ゲリラ豪雨という言葉が使われるようになったのが5〜6年前。そして気象庁では従来の「注意報・警報」に加えて「特別警報」というものを先月末から運用することになった。もっとも特別警報は東日本大震災の経験・反省を踏まえてということだが。
それはともかく本日、初めての大雨特別警報が京都、滋賀、福井の3県に発令。発令の基準としては数十年に一度レベルのものが対象とされている。特別警報は雨だけでなく気象全般や津波なども対象である。しかし雨に限っていえば2〜3年に1回くらいは発令されそうな予感がするのは心配しすぎかな。
数十年に一度の大雨で川が氾濫するなら、まあ仕方がないともいえるが、そのレベルじゃなくても川が氾濫して周辺が水浸しになっているニュースも多くなってきた気がする。「村人が力を合わせて川の改修工事をおこない、洪水はなくなりましたメデタシメデタシ」というのは江戸時代に終わった話だと思っていたがそうでもないのか? 21世紀の日本で洪水を心配しながら生活するなんて、ちょっと想定外である。
全然関係ないが、洪水のニュースを見ると思い出すのがこの話。
この話を知って以来、新しく知り合った人は、ひょっとして神の使いかもしれないと思って接している(^^ゞ
京都・嵐山にある渡月橋の映像にはビックリした。
青春の思い出の何パーセントかはあそこに詰まっている(^^ゞ
夏の初めに利根川水系の渇水が心配されたけれど、全国的に見れば今年は雨がよく降った。何となく年々、夏から秋にかけての集中豪雨が増えているような気がする。ゲリラ豪雨という言葉が使われるようになったのが5〜6年前。そして気象庁では従来の「注意報・警報」に加えて「特別警報」というものを先月末から運用することになった。もっとも特別警報は東日本大震災の経験・反省を踏まえてということだが。
それはともかく本日、初めての大雨特別警報が京都、滋賀、福井の3県に発令。発令の基準としては数十年に一度レベルのものが対象とされている。特別警報は雨だけでなく気象全般や津波なども対象である。しかし雨に限っていえば2〜3年に1回くらいは発令されそうな予感がするのは心配しすぎかな。
数十年に一度の大雨で川が氾濫するなら、まあ仕方がないともいえるが、そのレベルじゃなくても川が氾濫して周辺が水浸しになっているニュースも多くなってきた気がする。「村人が力を合わせて川の改修工事をおこない、洪水はなくなりましたメデタシメデタシ」というのは江戸時代に終わった話だと思っていたがそうでもないのか? 21世紀の日本で洪水を心配しながら生活するなんて、ちょっと想定外である。
全然関係ないが、洪水のニュースを見ると思い出すのがこの話。
この話を知って以来、新しく知り合った人は、ひょっとして神の使いかもしれないと思って接している(^^ゞ
2013年09月14日
夏のバイクツーリングの秘密兵器 番外編の1
(8月22日、23日、25日、28日の夏向けバイク用品シリーズの続き)
夏用のバイク用品としてはメッシュの手袋なども使っているが、わざわざ書くほどのこともないし。ということで番外編として「こんなものが欲しい」という内容で。もう9月半ばになってしまったのはご容赦を。
その1はバイク用エアコン!
クルマにあって、なぜバイクにないのだ。カーエアコンのコンプレッサーはエンジンの力で回すが、660ccの軽四でもエアコンはついている。大型バイクなら充分にパワーはある。
問題はコンプレッサーをはじめとするエアコン部品の大きさ。バイクに装着できる部品の大きさにはかなり制約がある。でも心配ご無用?
エアコンで冷たい空気を作ってライダーに吹き付けたって、走り出せば走行風で意味がなくなってしまう。ライダーを覆うくらいの風量を確保するにはビル並みのエアコンが必要かもしれない。私がイメージするバイク用エアコンは冷風を吹き付けるのではなく、パイプでバイクウエアの中に冷風を導く・循環させるという方式。バイクウエアは専用の商品が必要になるが、これなら作り出す冷風はごくわずかでいい。
畳のサイズは3尺×6尺が基本形。6畳間では273センチ×364センチとなる。部屋の高さを240センチとすると6畳間の容量は約2万3900リッター。軽四のワゴンRの室内寸法は217センチ×130センチ×127センチで約3600リッター。バイクウエアの中を冷やすには1リッターもあれば充分だから、エアコンの部品サイズもごく小さくて済むーーーはず? これくらい小さければエンジンパワーじゃなくてバッテリーでモーター駆動もできるかな。エアコンの原理で冷却する限りコンデンサー(ラジエターみたいなもの。原理の説明は省略)をどう配置するかの問題はついて回るが、コンプレッサー部分はどんどん小さくなってそのうち服の外からパイプで冷気を服に導くのではなくて、服の中に超小型エアコンを内蔵できるようになるだろう。そうなればバイクに限らず屋外作業やレジャーも猛暑知らずの日が来るかもしれない。いずれ「夏のエアコンスーツ」という宣伝を目にするかも。
子供の頃は携帯電話なんてSFの世界だった。だから夏が暑い限り、やがてエアコン・ウエアも実用化されると思う。残念ながらもう子供ではないので、バイクメーカーでもエアコンメーカーでもアパレルでもいいから、できるだけ早く開発して欲しいと願っている。
ーーー続く
夏用のバイク用品としてはメッシュの手袋なども使っているが、わざわざ書くほどのこともないし。ということで番外編として「こんなものが欲しい」という内容で。もう9月半ばになってしまったのはご容赦を。
その1はバイク用エアコン!
クルマにあって、なぜバイクにないのだ。カーエアコンのコンプレッサーはエンジンの力で回すが、660ccの軽四でもエアコンはついている。大型バイクなら充分にパワーはある。
問題はコンプレッサーをはじめとするエアコン部品の大きさ。バイクに装着できる部品の大きさにはかなり制約がある。でも心配ご無用?
エアコンで冷たい空気を作ってライダーに吹き付けたって、走り出せば走行風で意味がなくなってしまう。ライダーを覆うくらいの風量を確保するにはビル並みのエアコンが必要かもしれない。私がイメージするバイク用エアコンは冷風を吹き付けるのではなく、パイプでバイクウエアの中に冷風を導く・循環させるという方式。バイクウエアは専用の商品が必要になるが、これなら作り出す冷風はごくわずかでいい。
畳のサイズは3尺×6尺が基本形。6畳間では273センチ×364センチとなる。部屋の高さを240センチとすると6畳間の容量は約2万3900リッター。軽四のワゴンRの室内寸法は217センチ×130センチ×127センチで約3600リッター。バイクウエアの中を冷やすには1リッターもあれば充分だから、エアコンの部品サイズもごく小さくて済むーーーはず? これくらい小さければエンジンパワーじゃなくてバッテリーでモーター駆動もできるかな。エアコンの原理で冷却する限りコンデンサー(ラジエターみたいなもの。原理の説明は省略)をどう配置するかの問題はついて回るが、コンプレッサー部分はどんどん小さくなってそのうち服の外からパイプで冷気を服に導くのではなくて、服の中に超小型エアコンを内蔵できるようになるだろう。そうなればバイクに限らず屋外作業やレジャーも猛暑知らずの日が来るかもしれない。いずれ「夏のエアコンスーツ」という宣伝を目にするかも。
子供の頃は携帯電話なんてSFの世界だった。だから夏が暑い限り、やがてエアコン・ウエアも実用化されると思う。残念ながらもう子供ではないので、バイクメーカーでもエアコンメーカーでもアパレルでもいいから、できるだけ早く開発して欲しいと願っている。
ーーー続く
2013年09月12日
湯滝
9月1日:日光ツーリングの続編6
竜頭の滝から120号線に戻って北上すると5分ほどで戦場ヶ原に出る。たった5分で、またもや雨の形跡はなく路面は完全にドライ。奥日光では雨に降られても諦めないことである。
戦場ヶ原は120号線からはチラッと見える程度。基本的にハイキングコースでクルマやバイクは入れない。奥日光では中禅寺湖の周りもマイカー規制のところが多く、許可を受けた低公害バスと呼ばれる路線バスが走っている。低公害バスとはプリウスのようなガソリンエンジンと電気モーターのハイブリッドで走るバスのようである。
というわけで奥日光の名所を堪能するには、クルマやバイクで回るだけではダメで、ハイキングや軽い登山が必要となる。それはそれでやってみたいような、やっぱりちょっと面倒なようなーーー。求む山ガールの同伴者!
それと日光は日本を代表する観光地ではあるが、他の観光地と違って観光地独特のけばけばしさがあまり感じられない。ひょっとしたら、歩いて見て回る観光地〜そういうことを楽しみにやってくる人が多い観光地ーーーというのが、その理由のひとつかもしれない。
湯滝は湯の湖から流れる滝である。滝として落ちた後は湯川となって竜頭の滝まで流れている。その湯の湖は120号線に面しているが、湯滝の滝壺は120号線から脇道のようなところを入っていく。
ここの駐車場は有料。
バイク100円、クルマはなぜか410円という半端な金額。
バイクは一番奥の滝に近いところに駐められる。
雲は多いものの天候は問題なし。
滝の手前にある売店。
あちらこちらにハイキングコースが延びている。
まあ、ここにクマはでないと思うけれど。
ハイキングスタイルの人はほとんどが鈴を付けていた。どこの売店でも鈴は売っている。なんとイタリア大使館別荘でも売っていた。しかし山奥のほうに行くならともかく、整備されたハイキングコースを、しかも何人かで連れ立って歩いていてクマがやってくるのかな。鈴を売るための不安商法だったりして(^^ゞ
観瀑台の様子。
THIS IS 湯滝。
「ゆだき」と濁るのが正式な名前。
落差50メートル。最大幅25メートル。
実際にはもっと大きく感じる。もっとも何メートルかどうかなんてことは気にもならず、ただただ圧倒的なド迫力。去年に湯の湖の滝口からのぞいた時、こんな大きな滝だとはまったく思っていなかった。
撮影角度が同じなので、あまり代わり映えしないがアップで。
信心深ければお不動様が見えるらしい。
私に見えるはずもなく(^^ゞ
ハイキングコースの遊歩道を、ほんのさわりだけ歩く。
湯滝は竜頭の滝と同じく岩の川底を滑り落ちるタイプの滝。
水しぶきは派手でも、滝壺をよく見ると水量はそれほどでもなさそうだ。。
ついでに書くと、滝壺に落ちた湯の湖の水は、先ほども書いたように湯川となって竜頭の滝に落ち、その後は中禅寺湖に流れて華厳の滝に落ちる。そこからは大谷川となり日光中心部を流れて鬼怒川に合流し、鬼怒川は利根川に合流して千葉の銚子で太平洋に。一寸法師になって、のんびり下ってみたいね。ちなみに大谷川は「だいやがわ」と変わった読み方をする。
売店のテラスで舞茸の天ぷらそばを食べる。舞茸の香りはなかなかのものだった。スーパーの舞茸とはひと味違う。何より湯滝を眺めながら食べるのが最高。本当は滝見酒をしたかった。
豪快な滝にすっかり満足して湯滝を後にする。
湯滝は湯の湖の南側にある。
反対側の湯の湖北岸にあるのが湯元温泉。
湯ばっかりでややこしい。
少しだけ湯の湖の北側に寄ってみた。120号線で湯の湖にさしかかるとかすかに硫黄の匂いがする。温泉も流れ込んでいるから湯の湖という。そして湯の湖の北側に入ると、ハッキリとこれはもう温泉の匂いである。
北側の湖畔は公園になっていた。
BMW F800Rと湯の湖のツーショット。
その後のルートは去年と同じ。120号線で標高1800メートルの金精峠(こんせいとうげ)を超え、菅沼、丸沼の大きな湖を横目で見て片品村に降りる。その後は吹割の滝の横を通って関越自動車道の沼田インターまで。片品村から先は7月に「たんばらラベンダーパーク」や矢木沢ダムを見た時と同じルートである。ただし沼田インターチェンジの手前は結構混むので、今回は少し北側の地元道を走った。
ところで吹割の滝を超えたところで雨が降り出し、沼田あたりでは晴れていたが、関越を走ってしばらくしたらまた降ってきた。埼玉県の手前で雨は上がり上里サービスエリアで休憩。今回のツーリングはまったく降ったりやんだりである。でも、そんな天候だったおかげか虹が出た!
午後7時帰宅、走行445キロ。
おしまい。
竜頭の滝から120号線に戻って北上すると5分ほどで戦場ヶ原に出る。たった5分で、またもや雨の形跡はなく路面は完全にドライ。奥日光では雨に降られても諦めないことである。
戦場ヶ原は120号線からはチラッと見える程度。基本的にハイキングコースでクルマやバイクは入れない。奥日光では中禅寺湖の周りもマイカー規制のところが多く、許可を受けた低公害バスと呼ばれる路線バスが走っている。低公害バスとはプリウスのようなガソリンエンジンと電気モーターのハイブリッドで走るバスのようである。
というわけで奥日光の名所を堪能するには、クルマやバイクで回るだけではダメで、ハイキングや軽い登山が必要となる。それはそれでやってみたいような、やっぱりちょっと面倒なようなーーー。求む山ガールの同伴者!
それと日光は日本を代表する観光地ではあるが、他の観光地と違って観光地独特のけばけばしさがあまり感じられない。ひょっとしたら、歩いて見て回る観光地〜そういうことを楽しみにやってくる人が多い観光地ーーーというのが、その理由のひとつかもしれない。
湯滝は湯の湖から流れる滝である。滝として落ちた後は湯川となって竜頭の滝まで流れている。その湯の湖は120号線に面しているが、湯滝の滝壺は120号線から脇道のようなところを入っていく。
ここの駐車場は有料。
バイク100円、クルマはなぜか410円という半端な金額。
バイクは一番奥の滝に近いところに駐められる。
雲は多いものの天候は問題なし。
滝の手前にある売店。
あちらこちらにハイキングコースが延びている。
まあ、ここにクマはでないと思うけれど。
ハイキングスタイルの人はほとんどが鈴を付けていた。どこの売店でも鈴は売っている。なんとイタリア大使館別荘でも売っていた。しかし山奥のほうに行くならともかく、整備されたハイキングコースを、しかも何人かで連れ立って歩いていてクマがやってくるのかな。鈴を売るための不安商法だったりして(^^ゞ
観瀑台の様子。
THIS IS 湯滝。
「ゆだき」と濁るのが正式な名前。
落差50メートル。最大幅25メートル。
実際にはもっと大きく感じる。もっとも何メートルかどうかなんてことは気にもならず、ただただ圧倒的なド迫力。去年に湯の湖の滝口からのぞいた時、こんな大きな滝だとはまったく思っていなかった。
撮影角度が同じなので、あまり代わり映えしないがアップで。
信心深ければお不動様が見えるらしい。
私に見えるはずもなく(^^ゞ
ハイキングコースの遊歩道を、ほんのさわりだけ歩く。
湯滝は竜頭の滝と同じく岩の川底を滑り落ちるタイプの滝。
水しぶきは派手でも、滝壺をよく見ると水量はそれほどでもなさそうだ。。
ついでに書くと、滝壺に落ちた湯の湖の水は、先ほども書いたように湯川となって竜頭の滝に落ち、その後は中禅寺湖に流れて華厳の滝に落ちる。そこからは大谷川となり日光中心部を流れて鬼怒川に合流し、鬼怒川は利根川に合流して千葉の銚子で太平洋に。一寸法師になって、のんびり下ってみたいね。ちなみに大谷川は「だいやがわ」と変わった読み方をする。
売店のテラスで舞茸の天ぷらそばを食べる。舞茸の香りはなかなかのものだった。スーパーの舞茸とはひと味違う。何より湯滝を眺めながら食べるのが最高。本当は滝見酒をしたかった。
豪快な滝にすっかり満足して湯滝を後にする。
湯滝は湯の湖の南側にある。
反対側の湯の湖北岸にあるのが湯元温泉。
湯ばっかりでややこしい。
少しだけ湯の湖の北側に寄ってみた。120号線で湯の湖にさしかかるとかすかに硫黄の匂いがする。温泉も流れ込んでいるから湯の湖という。そして湯の湖の北側に入ると、ハッキリとこれはもう温泉の匂いである。
北側の湖畔は公園になっていた。
BMW F800Rと湯の湖のツーショット。
その後のルートは去年と同じ。120号線で標高1800メートルの金精峠(こんせいとうげ)を超え、菅沼、丸沼の大きな湖を横目で見て片品村に降りる。その後は吹割の滝の横を通って関越自動車道の沼田インターまで。片品村から先は7月に「たんばらラベンダーパーク」や矢木沢ダムを見た時と同じルートである。ただし沼田インターチェンジの手前は結構混むので、今回は少し北側の地元道を走った。
ところで吹割の滝を超えたところで雨が降り出し、沼田あたりでは晴れていたが、関越を走ってしばらくしたらまた降ってきた。埼玉県の手前で雨は上がり上里サービスエリアで休憩。今回のツーリングはまったく降ったりやんだりである。でも、そんな天候だったおかげか虹が出た!
午後7時帰宅、走行445キロ。
おしまい。
2013年09月10日
竜頭の滝
9月1日:日光ツーリングの続編5
イタリア大使館別荘から駐車場に戻る途中に雨が降ってきた。この日の日光地方は昼間は晴れ、午後6時から雨という予報。寂光の滝、裏見滝では晴れていたものの奥日光に入ってから雲が多かったから、そろそろ来るかなと思っていたところ。時間は12時半頃と天気予報より降り出しがかなり早い。ただし奥日光はコロコロ天気が変わることでも有名。
パラパラ降り出したと思ったら、すぐに本格的な雨に。でも湖畔沿いの遊歩道は木に覆われているのでほとんど濡れない。駐車場に戻り、バイクのシートにおいてあった革ジャンとヘルメットを持って、再び遊歩道の木の下で雨宿り。遠くで雷も聞こえるが、なんとなく通り雨っぽい。15分ほど待っていたら、ほとんど雨はやんでラッキー。遊歩道で突っ立っての雨宿りは退屈だったけれど。
中禅寺湖の北岸まで行くと雨は完全に上がった。空を見るとグレーの雲と青空のまだら模様。また降るかもしれないが、ずっと降り続けることもなさそうと判断する。
ブログでずいぶん滝の話を書いた気もするが、バイクで滝を見に行ったのは去年の8月4日が最初である。この時は華厳の滝を見て、その後に吹割の滝を見るプランだった。まだ滝にはまったく無知で、日光にたくさん滝があることも知らなかった。それで華厳の滝を見て中禅寺湖を通り、120号線を吹割の滝に向かって走っていて通りかかったのが竜頭の滝と湯滝。偶然見つけたようなものだから滝口(流れ落ち始めるところ)しか見ていない。それで今回のツーリング後半は、その2つの滝を滝壺からしっかり眺めるのが目的である。
竜頭の滝(りゅうずのたき)は120号線が中禅寺湖から離れてすぐのところにある。ここはしっかり案内看板があった。
案内看板に沿って道を曲がると、何軒かの土産物屋が集まっている敷地に入る。それで竜頭の滝の滝壺は、このお店の中に入って奥にあるベランダのようなところから眺める。要は滝の前にこの店は建っていて滝壺を独占している。店が休みの時は滝を見られないのかな?
(この写真は帰りに撮ったので地面が濡れているが、ここに到着した時は晴れていた)
これが竜頭の滝の滝壺。
リュウズというと腕時計のツマミしか思い浮かばないが、滝が2つに別れて滝壺に落ちているので、それを双頭の龍に見立てた名前かと思う。
左右のアップ。
去年、橋の上から流れ落ちる竜頭の滝を見た時はかなり感激したが、滝壺部分はそうでもなかった。ちょっと期待が大きすぎたかも。
滝壺は早々に引き揚げて上流側に登ることにする。
この時は青空。イタリア大使館別荘からバイクで15分くらいだったと思うが、この付近は雨が降った形跡もなし。
途中の観瀑台。
去年はここまで降りてきていないはず。
やっぱり竜頭の滝は、この川底を滑り落ちる姿がいいと思う。
お約束の水しぶきアップ。
去年、滝を眺めた橋まで登ろうとしたら雨が降り出してきた。
やっぱり奥日光の天気はコロコロ変わる。
階段が濡れ始めているのがわかるかな?
というわけで竜頭の滝は、ここで撤収。
こんなこともあろうかと、
雨がかからないようバイクは木の枝の下に駐めておいた。
駐車場はこんな感じで地面が濡れている。
強く降ったのは一瞬だけで、すぐ弱い雨になった。
雨雲レーダーをiPhoneでチェックすると西方向は晴れていそうだったので、次の目的地である湯滝に向けて出発することにした。
ーーーたぶん、あと1回。
イタリア大使館別荘から駐車場に戻る途中に雨が降ってきた。この日の日光地方は昼間は晴れ、午後6時から雨という予報。寂光の滝、裏見滝では晴れていたものの奥日光に入ってから雲が多かったから、そろそろ来るかなと思っていたところ。時間は12時半頃と天気予報より降り出しがかなり早い。ただし奥日光はコロコロ天気が変わることでも有名。
パラパラ降り出したと思ったら、すぐに本格的な雨に。でも湖畔沿いの遊歩道は木に覆われているのでほとんど濡れない。駐車場に戻り、バイクのシートにおいてあった革ジャンとヘルメットを持って、再び遊歩道の木の下で雨宿り。遠くで雷も聞こえるが、なんとなく通り雨っぽい。15分ほど待っていたら、ほとんど雨はやんでラッキー。遊歩道で突っ立っての雨宿りは退屈だったけれど。
中禅寺湖の北岸まで行くと雨は完全に上がった。空を見るとグレーの雲と青空のまだら模様。また降るかもしれないが、ずっと降り続けることもなさそうと判断する。
ブログでずいぶん滝の話を書いた気もするが、バイクで滝を見に行ったのは去年の8月4日が最初である。この時は華厳の滝を見て、その後に吹割の滝を見るプランだった。まだ滝にはまったく無知で、日光にたくさん滝があることも知らなかった。それで華厳の滝を見て中禅寺湖を通り、120号線を吹割の滝に向かって走っていて通りかかったのが竜頭の滝と湯滝。偶然見つけたようなものだから滝口(流れ落ち始めるところ)しか見ていない。それで今回のツーリング後半は、その2つの滝を滝壺からしっかり眺めるのが目的である。
竜頭の滝(りゅうずのたき)は120号線が中禅寺湖から離れてすぐのところにある。ここはしっかり案内看板があった。
案内看板に沿って道を曲がると、何軒かの土産物屋が集まっている敷地に入る。それで竜頭の滝の滝壺は、このお店の中に入って奥にあるベランダのようなところから眺める。要は滝の前にこの店は建っていて滝壺を独占している。店が休みの時は滝を見られないのかな?
(この写真は帰りに撮ったので地面が濡れているが、ここに到着した時は晴れていた)
これが竜頭の滝の滝壺。
リュウズというと腕時計のツマミしか思い浮かばないが、滝が2つに別れて滝壺に落ちているので、それを双頭の龍に見立てた名前かと思う。
左右のアップ。
去年、橋の上から流れ落ちる竜頭の滝を見た時はかなり感激したが、滝壺部分はそうでもなかった。ちょっと期待が大きすぎたかも。
滝壺は早々に引き揚げて上流側に登ることにする。
この時は青空。イタリア大使館別荘からバイクで15分くらいだったと思うが、この付近は雨が降った形跡もなし。
途中の観瀑台。
去年はここまで降りてきていないはず。
やっぱり竜頭の滝は、この川底を滑り落ちる姿がいいと思う。
お約束の水しぶきアップ。
去年、滝を眺めた橋まで登ろうとしたら雨が降り出してきた。
やっぱり奥日光の天気はコロコロ変わる。
階段が濡れ始めているのがわかるかな?
というわけで竜頭の滝は、ここで撤収。
こんなこともあろうかと、
雨がかからないようバイクは木の枝の下に駐めておいた。
駐車場はこんな感じで地面が濡れている。
強く降ったのは一瞬だけで、すぐ弱い雨になった。
雨雲レーダーをiPhoneでチェックすると西方向は晴れていそうだったので、次の目的地である湯滝に向けて出発することにした。
ーーーたぶん、あと1回。
2013年09月08日
イタリア大使館別荘記念公園
9月1日:日光ツーリングの続編4
前回のエントリーで、中禅寺湖スカイラインの終点は展望台というより駐車場みたいと書いたが、調べてみたら、あそこは展望台のための駐車場だった。中禅寺湖を望む展望台は、そこから半月山頂上に向けて20〜30分登ったところにある。
展望台コッチという看板は目立つところにはでていなかったと思う。ネットでの写真を見ると一部はかなり険しい登山道のようである。この日は雲も多く景色が今ひとつだったから、登らなくて正解だったかもしれない。
駐車場で行き止まりになっている中禅寺湖スカイラインを逆方向に下って、中禅寺湖湖畔にあるイタリア大使館別荘記念公園に向かう。
明治から昭和初期に掛けて、日光は外国人に人気の避暑地だったようである。各国の大使館も別荘を設け「夏の外交は日光に移る」といわれたらしい。ただし、その当時に大使館の別荘がいくつあったのか、ザッと調べ程度ではわからなかった。現在も現役で残っているのはフランスとベルギーの大使館別荘。イタリアの大使館別荘は1997年まで使用されていたが、その後に栃木県所有となり一般に公開されている。
イタリア大使館別荘は湖畔にあるはずなのに、湖畔を通って中禅寺湖スカイラインに向かう時に、それらしい案内看板は見かけなかった。それで湖畔まで降りて一番最初にあったクルマ10台分くらいの小さな駐車場にバイクを止める。
駐車場の先は湖畔を回る遊歩道。
ふとそこを見ると
こんなもの道路から見えるわけがない。
日光は景観保護で大きな看板は出さない主義なのかな?
湖畔沿いの道を歩いて行く。
湖の水面からは一段高いところを通っている。
しばらく歩いたところにまた案内標識。
駐車場からはトータル500〜600メートルくらいか。
またテクテク歩いて行くと
こんな看板が。
英国大使館の別荘も栃木県に寄贈されて、一般公開に向けて「解体調査」をしていると書いてある。(クリックすれば文章が読める大きさになる)
解体調査? 理由はわからないが、いったんバラしてから、また組み立てるらしい。それにはそれなりの理由があるんだろうが、いつ一般公開するか書いておいてくれればいいのにと思う。
英国大使館別荘があったと思われる場所。
単にぶっ壊したようにも見えるが(^^ゞ
なんとなく目的地に近づいてきた雰囲気。
しばらく歩くと、例によって控えめな看板。
最初に目に入るのが、この建物。
別荘が現役だった頃は、その離れとして使われていたらしい。
現在は、よく意味のわからない施設になっている。
暖炉の煙突。
日光も寒いところだが、標高が高い奥日光はさらに寒い。冬の最低気温はマイナス10度以下になる。
国際避暑地歴史館の内部の様子。
上の2枚の写真は入り口から腕を突っ込んで撮った。なぜなら内部に入るには靴を脱がなければならなかったから。イタリアの別荘なのにナンデ?
こっちが元イタリア大使館別荘の本館。
建物の横を抜けていくと湖畔に出られるので、
先に湖畔での散歩をすることにした。
表側(湖畔側)から見た別荘。
建てられたのは1928年(昭和3年)。設計はチェコ生まれのアメリカ人であるアントニン・レーモンド。帝国ホテルを設計のために来日したフランク・ロイド・ライトの助手として日本に来ていた建築家らしい。
ヨーロッパ人が日本建築を下敷きに建てたらこうなったという感じのデザイン。ディティールを見ると田舎っぽい作りなのに、全体的にはどこかモダンな印象がある。私は相当気に入った。日本で建築デザインをモダンにするというのは西洋風にするというのと同意語だったけれど、日本的なモチーフをそのままに進化させられる可能性を感じる。正確に言うなら可能性もあったのにーーーかな。
湖畔に出る。
白い砂利浜でとても美しい。歩きにくいけど。
小さな桟橋。
絵になる風景である。
桟橋に展示されていた写真パネル。
いつ頃の写真家の説明はないが、写っているのは古き良きイタリア人? 写真を見ると、当時も今も、ここから見える風景はほとんど変わっていないと思われる。
桟橋の先端。
少し湖面に浮いた気分になれる。
水もきれいだ。
反対側を振り返ると男体山が見える。
桟橋から別荘を真正面に。
自然に溶け込んでいて人工的な感じがほとんどしない。
少し先のほう(南側)に歩いてみる。
エメラルド色の美しい湖である。
遊覧船も走っている。
使われなくなった桟橋。
朽ち果てていてもサマになっている。
もう少し先まで進む。
このあたりまで来ると観光客もほとんどいない。湖はシーンと静まりかえって引き込まれそうな魅力がある。もし入水自殺するなら、ここがふさわしい(^^ゞ
もっと先まで行きたかったが、あとの時間を考えて引き返す。
次に日光に来る時は、中禅寺湖の湖畔を散歩することをメインにしよう。
別荘に戻る方向から見た桟橋。
湖畔から一段高い場所を歩く。
ところで、ここはイタリア大使館別荘記念公園という名前がついているが、別荘以外には、せいぜいこんなベンチやテーブルがある程度である。
もう一度別荘をグルッと見て、
玄関に向かう。
やっぱり、ここも靴を脱ぐ必要があるらしい。上がり框(かまち:玄関の段差)がないから、別荘として使われていた時は靴を履いたまま部屋に入っていたと思われる。オリジナルを尊重して欲しかったな。バイク用に9ホール(靴紐を通す穴の数)のブーツを履いているから脱ぐのも履くのもとっても面倒なのである。
なお内部を見学するには100円の寄付金を取られる。
1階のほとんどは、1つにつながったリビング&ダイニングになっている。
これはその端にある書斎スペースのようなところ。右の方にデスクがある。
部屋の中央にあるソファ。
座ることもできる。
書斎と反対方向にあるダイニング。西洋人がいつもこんなテーブルセッティングをしてると思ったら大間違いではあるが。
ダイニング側の暖炉。煮込み料理用の鍋がのっていた。この長方形の鍋は日本ではあまり使わないから、安っぽいテーブルセッティングの演出より、こっちのほうに「外人が使っていた別荘だったんだなあ」と感じる。
外装にも使われいた杉皮と竹を使った天井のデザインがおもしろい。
開口部は縁側的な造りになっている。西洋風にいうならサンルームか。そういえば建て替える前の実家には縁側があって、子供の頃はそこでよく遊んだことを思い出す。もちろんこんな広い縁側じゃないけど。
冬なら、ここから雪景色の中禅寺湖を眺めるのもよさそうだ。
2階にある寝室。
イタリア大使館別荘となっているが、基本的にイタリア大使のための別荘だったようで、この部屋は大使の間と表示してあった。歴代イタリア大使の写真も飾られている。なお寝室にバスルームはついていなかった。
大使の間の窓から、湖畔を観光している日本人庶民を見おろす(^^ゞ
隣は子供部屋っぽい。
キッチン部分であったところをのぞいて(たぶん今は事務室に使われている)、別荘内のほとんどが公開されている。建物面積は約380平米。広いリビングのソファでくつろいでいると、ちょっとしたセレブ気分も味わえる。目の前に広がる湖畔もまるでプライベートビーチのよう。
滝見物のあいだの箸休めのつもりの目的地だったが、かなり満足度は高かった。オリジナリティとクォリティの高い和洋折衷の建築デザインは、できのいい美術品並みに「鑑賞」できる。日光を訪れたら必見のスポットだと推薦しておく。
イギリス大使館の別荘も早く公開されるといいなと思いながら、
次の目的地へ。
ーーーまだまだ続く。
前回のエントリーで、中禅寺湖スカイラインの終点は展望台というより駐車場みたいと書いたが、調べてみたら、あそこは展望台のための駐車場だった。中禅寺湖を望む展望台は、そこから半月山頂上に向けて20〜30分登ったところにある。
展望台コッチという看板は目立つところにはでていなかったと思う。ネットでの写真を見ると一部はかなり険しい登山道のようである。この日は雲も多く景色が今ひとつだったから、登らなくて正解だったかもしれない。
駐車場で行き止まりになっている中禅寺湖スカイラインを逆方向に下って、中禅寺湖湖畔にあるイタリア大使館別荘記念公園に向かう。
明治から昭和初期に掛けて、日光は外国人に人気の避暑地だったようである。各国の大使館も別荘を設け「夏の外交は日光に移る」といわれたらしい。ただし、その当時に大使館の別荘がいくつあったのか、ザッと調べ程度ではわからなかった。現在も現役で残っているのはフランスとベルギーの大使館別荘。イタリアの大使館別荘は1997年まで使用されていたが、その後に栃木県所有となり一般に公開されている。
イタリア大使館別荘は湖畔にあるはずなのに、湖畔を通って中禅寺湖スカイラインに向かう時に、それらしい案内看板は見かけなかった。それで湖畔まで降りて一番最初にあったクルマ10台分くらいの小さな駐車場にバイクを止める。
駐車場の先は湖畔を回る遊歩道。
ふとそこを見ると
こんなもの道路から見えるわけがない。
日光は景観保護で大きな看板は出さない主義なのかな?
湖畔沿いの道を歩いて行く。
湖の水面からは一段高いところを通っている。
しばらく歩いたところにまた案内標識。
駐車場からはトータル500〜600メートルくらいか。
またテクテク歩いて行くと
こんな看板が。
英国大使館の別荘も栃木県に寄贈されて、一般公開に向けて「解体調査」をしていると書いてある。(クリックすれば文章が読める大きさになる)
解体調査? 理由はわからないが、いったんバラしてから、また組み立てるらしい。それにはそれなりの理由があるんだろうが、いつ一般公開するか書いておいてくれればいいのにと思う。
英国大使館別荘があったと思われる場所。
単にぶっ壊したようにも見えるが(^^ゞ
なんとなく目的地に近づいてきた雰囲気。
しばらく歩くと、例によって控えめな看板。
最初に目に入るのが、この建物。
別荘が現役だった頃は、その離れとして使われていたらしい。
現在は、よく意味のわからない施設になっている。
暖炉の煙突。
日光も寒いところだが、標高が高い奥日光はさらに寒い。冬の最低気温はマイナス10度以下になる。
国際避暑地歴史館の内部の様子。
上の2枚の写真は入り口から腕を突っ込んで撮った。なぜなら内部に入るには靴を脱がなければならなかったから。イタリアの別荘なのにナンデ?
こっちが元イタリア大使館別荘の本館。
建物の横を抜けていくと湖畔に出られるので、
先に湖畔での散歩をすることにした。
表側(湖畔側)から見た別荘。
建てられたのは1928年(昭和3年)。設計はチェコ生まれのアメリカ人であるアントニン・レーモンド。帝国ホテルを設計のために来日したフランク・ロイド・ライトの助手として日本に来ていた建築家らしい。
ヨーロッパ人が日本建築を下敷きに建てたらこうなったという感じのデザイン。ディティールを見ると田舎っぽい作りなのに、全体的にはどこかモダンな印象がある。私は相当気に入った。日本で建築デザインをモダンにするというのは西洋風にするというのと同意語だったけれど、日本的なモチーフをそのままに進化させられる可能性を感じる。正確に言うなら可能性もあったのにーーーかな。
湖畔に出る。
白い砂利浜でとても美しい。歩きにくいけど。
小さな桟橋。
絵になる風景である。
桟橋に展示されていた写真パネル。
いつ頃の写真家の説明はないが、写っているのは古き良きイタリア人? 写真を見ると、当時も今も、ここから見える風景はほとんど変わっていないと思われる。
桟橋の先端。
少し湖面に浮いた気分になれる。
水もきれいだ。
反対側を振り返ると男体山が見える。
桟橋から別荘を真正面に。
自然に溶け込んでいて人工的な感じがほとんどしない。
少し先のほう(南側)に歩いてみる。
エメラルド色の美しい湖である。
遊覧船も走っている。
使われなくなった桟橋。
朽ち果てていてもサマになっている。
もう少し先まで進む。
このあたりまで来ると観光客もほとんどいない。湖はシーンと静まりかえって引き込まれそうな魅力がある。もし入水自殺するなら、ここがふさわしい(^^ゞ
もっと先まで行きたかったが、あとの時間を考えて引き返す。
次に日光に来る時は、中禅寺湖の湖畔を散歩することをメインにしよう。
別荘に戻る方向から見た桟橋。
湖畔から一段高い場所を歩く。
ところで、ここはイタリア大使館別荘記念公園という名前がついているが、別荘以外には、せいぜいこんなベンチやテーブルがある程度である。
もう一度別荘をグルッと見て、
玄関に向かう。
やっぱり、ここも靴を脱ぐ必要があるらしい。上がり框(かまち:玄関の段差)がないから、別荘として使われていた時は靴を履いたまま部屋に入っていたと思われる。オリジナルを尊重して欲しかったな。バイク用に9ホール(靴紐を通す穴の数)のブーツを履いているから脱ぐのも履くのもとっても面倒なのである。
なお内部を見学するには100円の寄付金を取られる。
1階のほとんどは、1つにつながったリビング&ダイニングになっている。
これはその端にある書斎スペースのようなところ。右の方にデスクがある。
部屋の中央にあるソファ。
座ることもできる。
書斎と反対方向にあるダイニング。西洋人がいつもこんなテーブルセッティングをしてると思ったら大間違いではあるが。
ダイニング側の暖炉。煮込み料理用の鍋がのっていた。この長方形の鍋は日本ではあまり使わないから、安っぽいテーブルセッティングの演出より、こっちのほうに「外人が使っていた別荘だったんだなあ」と感じる。
外装にも使われいた杉皮と竹を使った天井のデザインがおもしろい。
開口部は縁側的な造りになっている。西洋風にいうならサンルームか。そういえば建て替える前の実家には縁側があって、子供の頃はそこでよく遊んだことを思い出す。もちろんこんな広い縁側じゃないけど。
冬なら、ここから雪景色の中禅寺湖を眺めるのもよさそうだ。
2階にある寝室。
イタリア大使館別荘となっているが、基本的にイタリア大使のための別荘だったようで、この部屋は大使の間と表示してあった。歴代イタリア大使の写真も飾られている。なお寝室にバスルームはついていなかった。
大使の間の窓から、湖畔を観光している日本人庶民を見おろす(^^ゞ
隣は子供部屋っぽい。
キッチン部分であったところをのぞいて(たぶん今は事務室に使われている)、別荘内のほとんどが公開されている。建物面積は約380平米。広いリビングのソファでくつろいでいると、ちょっとしたセレブ気分も味わえる。目の前に広がる湖畔もまるでプライベートビーチのよう。
滝見物のあいだの箸休めのつもりの目的地だったが、かなり満足度は高かった。オリジナリティとクォリティの高い和洋折衷の建築デザインは、できのいい美術品並みに「鑑賞」できる。日光を訪れたら必見のスポットだと推薦しておく。
イギリス大使館の別荘も早く公開されるといいなと思いながら、
次の目的地へ。
ーーーまだまだ続く。
2013年09月07日
中禅寺湖スカイライン
9月1日:日光ツーリングの続編3
裏見滝を見た後は奥日光へ向かう。
奥日光とは日光市西側の中禅寺湖や、その奥の戦場ヶ原などがあるエリア。そこへ行く途中にあるのがヘアピンカーブが連続する「いろは坂」。カーブが48箇所あるからイロハ48になぞらえてネーミングされている。日光中心部が標高550メートル位なのにたいして中禅寺湖は1269メートル。それを一気に駆け上がっていくからコーナー的にも勾配的にもかなりハードである。ヘアピンカーブはスピードが遅くなるので、バイクの場合バランスを取るのが難しい。転ばないようにひたすらカーブを通過するまで我慢する感じで、私の技量ではまったく楽しくない。ただこのいろは坂は、奥日光に向かうルートと日光に向かうルートが別の道路になっており、つまり一方通行で対向車がこちら側の車線にはみ出してくる心配がないので気が楽。
いろは坂を降りて中禅寺湖に着いたら左折してイタリア大使館別荘記念公園というところに向かう。滝を見てばっかりじゃつまらないと思って目的地に加えてみた。その前に以前は中禅寺湖スカイラインと呼ばれて有料道路だった、半月山から中禅寺湖を見下ろせる展望台がある道路を目指す。
湖畔を走り出してしばらくしてちょっとビックリする。中禅寺というお寺があったから。中禅寺湖の名前の由来となったこんなお寺があることはまったく知らなかった。それにしても誰もが名前くらいは知っている中禅寺湖と較べて、中禅寺の知名度は低いと思う。私のパソコンで「ちゅうぜんじ」は「中善寺」としか変換しない。
中禅寺湖スカイラインはなかなかのワインディングロードで楽しく走れる。ヘアピン連続のいろは坂を走った直後だから余計にそう感じるのかもしれない。
中腹にある中禅寺湖展望台に到着。
バスで来ることもできる。
こんな感じの展望台。
レストランは廃墟になっていた。
正面に見えるのが男体山(なんたいさん)。
富士山に似た整った形をしている。標高2469メートルだが、ふもとの標高自体が高く、実質1000メートちょっとの山なので、それほど大きくは見えない。この展望台の標高はたぶん1500メートルくらい。
中禅寺湖。
湖の奥に見える平地部分が戦場ヶ原。
雲は多かったが流れも速かったので、男体山や中禅寺湖がスッキリ見られる瞬間が来るだろうと期待。しばらく待ったが残念ながらそんな気配を感じず。半月山頂上の展望台に向かう。
頂上まではすぐ。
展望台というより、単に駐車場があるというイメージ。
上の写真でバイクの向こう側には少しだけ芝生があるように見えるが、実際はこの写真のようにかなり広い面積。写真って撮り方によって、同じものでもまったく違って見えると実感。
それで、ここから見えるのは山の景色ばかり。駐車場は中禅寺湖とは反対の方向に開けている。山マニアではないので「なになに山」が見えたとかの感激もなし。ほとんどのクルマが中禅寺湖展望台で引き返していた理由がわかった。
ーーー続く
裏見滝を見た後は奥日光へ向かう。
奥日光とは日光市西側の中禅寺湖や、その奥の戦場ヶ原などがあるエリア。そこへ行く途中にあるのがヘアピンカーブが連続する「いろは坂」。カーブが48箇所あるからイロハ48になぞらえてネーミングされている。日光中心部が標高550メートル位なのにたいして中禅寺湖は1269メートル。それを一気に駆け上がっていくからコーナー的にも勾配的にもかなりハードである。ヘアピンカーブはスピードが遅くなるので、バイクの場合バランスを取るのが難しい。転ばないようにひたすらカーブを通過するまで我慢する感じで、私の技量ではまったく楽しくない。ただこのいろは坂は、奥日光に向かうルートと日光に向かうルートが別の道路になっており、つまり一方通行で対向車がこちら側の車線にはみ出してくる心配がないので気が楽。
いろは坂を降りて中禅寺湖に着いたら左折してイタリア大使館別荘記念公園というところに向かう。滝を見てばっかりじゃつまらないと思って目的地に加えてみた。その前に以前は中禅寺湖スカイラインと呼ばれて有料道路だった、半月山から中禅寺湖を見下ろせる展望台がある道路を目指す。
湖畔を走り出してしばらくしてちょっとビックリする。中禅寺というお寺があったから。中禅寺湖の名前の由来となったこんなお寺があることはまったく知らなかった。それにしても誰もが名前くらいは知っている中禅寺湖と較べて、中禅寺の知名度は低いと思う。私のパソコンで「ちゅうぜんじ」は「中善寺」としか変換しない。
中禅寺湖スカイラインはなかなかのワインディングロードで楽しく走れる。ヘアピン連続のいろは坂を走った直後だから余計にそう感じるのかもしれない。
中腹にある中禅寺湖展望台に到着。
バスで来ることもできる。
こんな感じの展望台。
レストランは廃墟になっていた。
正面に見えるのが男体山(なんたいさん)。
富士山に似た整った形をしている。標高2469メートルだが、ふもとの標高自体が高く、実質1000メートちょっとの山なので、それほど大きくは見えない。この展望台の標高はたぶん1500メートルくらい。
中禅寺湖。
湖の奥に見える平地部分が戦場ヶ原。
雲は多かったが流れも速かったので、男体山や中禅寺湖がスッキリ見られる瞬間が来るだろうと期待。しばらく待ったが残念ながらそんな気配を感じず。半月山頂上の展望台に向かう。
頂上まではすぐ。
展望台というより、単に駐車場があるというイメージ。
上の写真でバイクの向こう側には少しだけ芝生があるように見えるが、実際はこの写真のようにかなり広い面積。写真って撮り方によって、同じものでもまったく違って見えると実感。
それで、ここから見えるのは山の景色ばかり。駐車場は中禅寺湖とは反対の方向に開けている。山マニアではないので「なになに山」が見えたとかの感激もなし。ほとんどのクルマが中禅寺湖展望台で引き返していた理由がわかった。
ーーー続く
2013年09月06日
裏見滝、荒沢相生滝
9月1日:日光ツーリングの続編2
日光の滝は日光四十八滝あるいは七十二滝などと呼ばれている。もちろんこれは江戸八百八町とか浪華(なにわ)八百八橋と同じように数が多いという表現で実際の数ではないーーーというのが一般的な見解。しかし滝と、ただの段差の境界は曖昧だし、1つの流れから分岐して落ちている滝を別々に数えるか同じ滝と見なすかも特に基準はない。だから細かくネーミングしていけば日光には八百八滝くらいあるんじゃないの?というのが私の見解。
その数ある日光の滝の頂点に君臨するのが日光三大名瀑と称される
華厳の滝
霧降の滝
裏見滝
である。
寂光の滝の次は、その1つである裏見滝(うらみたき)に向かう。裏見の滝と「の」を入れて呼ばれることもある。
寂光の滝から県道194号線を引き返して国道120号線に戻り、500メートルほど西に進んで今度は県道195号線に入る。ちなみに日光に入れば標識が出ていることはわかっていたので、バイクに道順を貼り付けていたのは8本の県道乗り継ぎルートまでである。
この県道195号線も裏見滝線という名前がついていて、194号線と同じく滝のために造られたような道路なのはさすがに観光都市日光。全長は194号線よりも短い。
194号線のように滝のところで行き止まりではなく、もう少し道路は続くが、
ここが裏見滝の駐車場。
駐車場のBMW F800Rと、
そのスクリーンにとまるトンボ。
アキアカネかな?
ここでは裏見ノ滝とカタカナで「ノ」が入っていた。
滝見物に上り下りはつきものである(疲)
最初の1/3位はそこそこ勾配がきつい。
そこを過ぎるとお散歩レベル。
エジプトのピラミッドには王の墓だとか、イヤそうじゃないとか論争がある。意外と石を積み上げたら願いが叶うと思っていただけだったりして(^^ゞ
寂光の滝と違って滝までの歩道はよく整備されている。
水が青く見えると、なぜかうれしい気がする。
これは歩道の向こう側に見える滝。かなり大きな滝なのだが名前はないみたい。こういうのをカウントすれば八百八滝はすぐ達成できるはず。
歩道に張り出している岩。この歩道を整備する時に取り除くという発想はなかったのか? それはともかく、この岩の横をすり抜けたとたんに、滝からの冷気が押し寄せてきてビックリした。
観瀑台が見えてくる。
駐車場からは10分ちょっとだった。
観瀑台の様子。チェックのシャツを着ている男性と、その左にいる女性の間に落ちているのが裏見滝。
上の写真で左端にいる男の子が指さしているのが、この荒沢相生滝(あらさわあいおいだき)。いい滝だと思うが裏見滝の隣にあるから端役扱いでお気の毒さま。
さて日光三大名瀑の1つである裏見滝。
荒沢相生滝を含めていくつもの滝が同じ滝壺に落ちている。
落差19メートルと、それほど大きな滝ではないが水量は多い。複数の滝が集まっていることもあって、この風景の迫力はかなりのもの。音も大きい。しかし写真を見てわかるように観瀑台は裏見滝を真正面から見られる位置に作られていないのが残念。
荒沢相生滝と裏見滝をスイングパノラマで無理やり2ショットにしてみる。
裏見滝というのは滝の裏側に行ける滝のこと。しかしこの裏見滝は裏側に行く道の上部が崩落して現在は通行不能。裏側に潜り込むには岩山登山並みの装備が必要かな。
写真の上の方に滝の裏側の空間が見える。写真をクリックして大きくすると石像というか石像が彫られた石版のようなものが写っている。これは何と寛永元年(1624年)に設置された不動明王像といわれている。また松尾芭蕉も、ここを訪れて俳句を詠んでいるが「裏見」をしたかどうかまでは不明。
ところで裏側に行く道の上部が崩落したと書いたが、調べてみると崩落は何と明治35年。ちょちょっと手を入れれば歩道くらい造れそうだが、その気はないのかな。
100年以上前から裏側に行けないのなら、そろそろ表見滝に改名してもいいと思うが(^^ゞ、とりあえず裏見滝の滝口。滝の勢いに較べて滝口はかなり小さい。滝口の手前はどんな流れになっているのか気になる。誰か登って写真を撮ってきて欲しい。
横っちょにある小さな滝は、岩から直接滝が落ちていた。
観瀑台から下流にある橋を見たところ。
そこからなら正面に見られるが、ちょっと滝まで遠い。
裏見ルートも含めて観瀑設備の再開発をお願いしたいところ。自然そのままの姿をありがたがる向きもあるけれど、もっと山奥ならともかく、私はこんな市街地近くの観光ロケーションなら、日本庭園的に人の手を加えた自然の美しさを演出するのもありだと思う。
滝まで登ってくる時に、岩が張り出しているところを曲がると冷気が押し寄せてきたと書いた。帰りは逆になるわけで、そこを曲がったとたんに蒸し暑い。それでも駐車場でバイクの気温計は23.5度しかない。滝の周りは20度以下だったかもしれない。観瀑環境にちょっと不満もあるが、裏見の滝はなかなか見応えがあった。
ーーー続く
日光の滝は日光四十八滝あるいは七十二滝などと呼ばれている。もちろんこれは江戸八百八町とか浪華(なにわ)八百八橋と同じように数が多いという表現で実際の数ではないーーーというのが一般的な見解。しかし滝と、ただの段差の境界は曖昧だし、1つの流れから分岐して落ちている滝を別々に数えるか同じ滝と見なすかも特に基準はない。だから細かくネーミングしていけば日光には八百八滝くらいあるんじゃないの?というのが私の見解。
その数ある日光の滝の頂点に君臨するのが日光三大名瀑と称される
華厳の滝
霧降の滝
裏見滝
である。
寂光の滝の次は、その1つである裏見滝(うらみたき)に向かう。裏見の滝と「の」を入れて呼ばれることもある。
寂光の滝から県道194号線を引き返して国道120号線に戻り、500メートルほど西に進んで今度は県道195号線に入る。ちなみに日光に入れば標識が出ていることはわかっていたので、バイクに道順を貼り付けていたのは8本の県道乗り継ぎルートまでである。
この県道195号線も裏見滝線という名前がついていて、194号線と同じく滝のために造られたような道路なのはさすがに観光都市日光。全長は194号線よりも短い。
194号線のように滝のところで行き止まりではなく、もう少し道路は続くが、
ここが裏見滝の駐車場。
駐車場のBMW F800Rと、
そのスクリーンにとまるトンボ。
アキアカネかな?
ここでは裏見ノ滝とカタカナで「ノ」が入っていた。
滝見物に上り下りはつきものである(疲)
最初の1/3位はそこそこ勾配がきつい。
そこを過ぎるとお散歩レベル。
エジプトのピラミッドには王の墓だとか、イヤそうじゃないとか論争がある。意外と石を積み上げたら願いが叶うと思っていただけだったりして(^^ゞ
寂光の滝と違って滝までの歩道はよく整備されている。
水が青く見えると、なぜかうれしい気がする。
これは歩道の向こう側に見える滝。かなり大きな滝なのだが名前はないみたい。こういうのをカウントすれば八百八滝はすぐ達成できるはず。
歩道に張り出している岩。この歩道を整備する時に取り除くという発想はなかったのか? それはともかく、この岩の横をすり抜けたとたんに、滝からの冷気が押し寄せてきてビックリした。
観瀑台が見えてくる。
駐車場からは10分ちょっとだった。
観瀑台の様子。チェックのシャツを着ている男性と、その左にいる女性の間に落ちているのが裏見滝。
上の写真で左端にいる男の子が指さしているのが、この荒沢相生滝(あらさわあいおいだき)。いい滝だと思うが裏見滝の隣にあるから端役扱いでお気の毒さま。
さて日光三大名瀑の1つである裏見滝。
荒沢相生滝を含めていくつもの滝が同じ滝壺に落ちている。
落差19メートルと、それほど大きな滝ではないが水量は多い。複数の滝が集まっていることもあって、この風景の迫力はかなりのもの。音も大きい。しかし写真を見てわかるように観瀑台は裏見滝を真正面から見られる位置に作られていないのが残念。
荒沢相生滝と裏見滝をスイングパノラマで無理やり2ショットにしてみる。
裏見滝というのは滝の裏側に行ける滝のこと。しかしこの裏見滝は裏側に行く道の上部が崩落して現在は通行不能。裏側に潜り込むには岩山登山並みの装備が必要かな。
写真の上の方に滝の裏側の空間が見える。写真をクリックして大きくすると石像というか石像が彫られた石版のようなものが写っている。これは何と寛永元年(1624年)に設置された不動明王像といわれている。また松尾芭蕉も、ここを訪れて俳句を詠んでいるが「裏見」をしたかどうかまでは不明。
ところで裏側に行く道の上部が崩落したと書いたが、調べてみると崩落は何と明治35年。ちょちょっと手を入れれば歩道くらい造れそうだが、その気はないのかな。
100年以上前から裏側に行けないのなら、そろそろ表見滝に改名してもいいと思うが(^^ゞ、とりあえず裏見滝の滝口。滝の勢いに較べて滝口はかなり小さい。滝口の手前はどんな流れになっているのか気になる。誰か登って写真を撮ってきて欲しい。
横っちょにある小さな滝は、岩から直接滝が落ちていた。
観瀑台から下流にある橋を見たところ。
そこからなら正面に見られるが、ちょっと滝まで遠い。
裏見ルートも含めて観瀑設備の再開発をお願いしたいところ。自然そのままの姿をありがたがる向きもあるけれど、もっと山奥ならともかく、私はこんな市街地近くの観光ロケーションなら、日本庭園的に人の手を加えた自然の美しさを演出するのもありだと思う。
滝まで登ってくる時に、岩が張り出しているところを曲がると冷気が押し寄せてきたと書いた。帰りは逆になるわけで、そこを曲がったとたんに蒸し暑い。それでも駐車場でバイクの気温計は23.5度しかない。滝の周りは20度以下だったかもしれない。観瀑環境にちょっと不満もあるが、裏見の滝はなかなか見応えがあった。
ーーー続く
2013年09月04日
寂光の滝
9月1日:日光ツーリングの続編1
下道街道8本の最後になる県道14号線を下ると、ちょうど国道119号線の終わりあたり。そこから日光名物の杉並木も一瞬だけ味わえる。道路はそのまま国道120号線にかわり日光駅の前を通るメインストリートとなる。東照宮は興味はあるんだけれど、時間の関係で残念ながら今回もパス。駅から東照宮までは2〜3キロの距離。有名な日光金谷ホテルは120号線より南側の山の上にある。
今回のツーリングは4箇所の滝を回るプラン。初めての滝が2つと、去年、通りがかりに見つけて滝口しか見ていない滝が2つ。
まず国道120号線から県道194号線に分岐して寂光(じゃっこう)の滝に向かう。ちなみに194号線は寂光滝線という名前がついていて、全長は滝までのわずか2〜3キロ。その先は行き止まり。つまり滝を見に行くためだけにある県道である。
最後にこんな橋があって、ここが194号線の終点。
橋を横から見たところ。
橋を渡ると駐車場というか空き地になっている。
空き地の横に流れている小川。
昔は川底だったようなイメージの地形。この先がどうなっているのか気になる。少し探検しておけばよかった。
寂光の滝への標識。
標識の隣にあった登山の届け出をするためのポスト。
ここは女峰山(2483m)という山の登山口にもなっている。
鳥居があった。
若子神社。「じゃっこ」神社と読む。
じゃっこ、寂光ーーーダジャレ?
ちょっとコワイ石像。
こんな石段を登っていく。
距離は短いが勾配は結構きつい。
若子神社に到着。
閉まってた(/o\)
若子神社の横から寂光の滝。
3回早口で言ったら口が疲れる(^^ゞ
せっかく登ったのに歩きにくい道を下っていく。
神社に登らずにダイレクトに滝まで行くルートはないみたい。
寂光の滝到着。
駐車場から神社を含めて5〜6分程度。
アップで。
滝口をデジタルズームでドアップ。
滝壺。
滝の真正面の滝壺には渡れなかった。
下流側。
少し離れたところから。
ここは7段の滝らしいが見えるのは4段ほど。
まっ、普通の滝でした(^^ゞ
また神社まで登って石段を下る。
ところどころ石段がグラグラしているし、傾いている石が多いので下りは上りよりも歩きにくい。要メンテナンス!
滝壺から流れてきた水。最初に撮った小川とは別の流れ。もちろん橋も渡ってみたが、その先に何もなさそうだったので引き返してきた。
まだまだ夏の雲。
ーーー続く
下道街道8本の最後になる県道14号線を下ると、ちょうど国道119号線の終わりあたり。そこから日光名物の杉並木も一瞬だけ味わえる。道路はそのまま国道120号線にかわり日光駅の前を通るメインストリートとなる。東照宮は興味はあるんだけれど、時間の関係で残念ながら今回もパス。駅から東照宮までは2〜3キロの距離。有名な日光金谷ホテルは120号線より南側の山の上にある。
今回のツーリングは4箇所の滝を回るプラン。初めての滝が2つと、去年、通りがかりに見つけて滝口しか見ていない滝が2つ。
まず国道120号線から県道194号線に分岐して寂光(じゃっこう)の滝に向かう。ちなみに194号線は寂光滝線という名前がついていて、全長は滝までのわずか2〜3キロ。その先は行き止まり。つまり滝を見に行くためだけにある県道である。
最後にこんな橋があって、ここが194号線の終点。
橋を横から見たところ。
橋を渡ると駐車場というか空き地になっている。
空き地の横に流れている小川。
昔は川底だったようなイメージの地形。この先がどうなっているのか気になる。少し探検しておけばよかった。
寂光の滝への標識。
標識の隣にあった登山の届け出をするためのポスト。
ここは女峰山(2483m)という山の登山口にもなっている。
鳥居があった。
若子神社。「じゃっこ」神社と読む。
じゃっこ、寂光ーーーダジャレ?
ちょっとコワイ石像。
こんな石段を登っていく。
距離は短いが勾配は結構きつい。
若子神社に到着。
閉まってた(/o\)
若子神社の横から寂光の滝。
3回早口で言ったら口が疲れる(^^ゞ
せっかく登ったのに歩きにくい道を下っていく。
神社に登らずにダイレクトに滝まで行くルートはないみたい。
寂光の滝到着。
駐車場から神社を含めて5〜6分程度。
アップで。
滝口をデジタルズームでドアップ。
滝壺。
滝の真正面の滝壺には渡れなかった。
下流側。
少し離れたところから。
ここは7段の滝らしいが見えるのは4段ほど。
まっ、普通の滝でした(^^ゞ
また神社まで登って石段を下る。
ところどころ石段がグラグラしているし、傾いている石が多いので下りは上りよりも歩きにくい。要メンテナンス!
滝壺から流れてきた水。最初に撮った小川とは別の流れ。もちろん橋も渡ってみたが、その先に何もなさそうだったので引き返してきた。
まだまだ夏の雲。
ーーー続く
2013年09月01日
下道を通って日光へ
9月になったといえども東京の最高気温予報は35度だから、涼しいところで滝でも見る夏バージョンツーリング継続中。ただし、それなりに見応えがある滝で、駐車場から徒歩20分以内にあって、なおかつ日帰り圏内の条件だと、もうあまり候補が残っていない。そしてだんだん目的地が遠くになってしまう。あれこれ考えて日光方面に出かけることにした。
滝や、その他の目的地についてはおいおい書くとして、今回はルートをひと工夫して下道で日光に向かった。下道(したみち)とは高速道路でない一般道の意味。もちろん自宅からすべて下道で日光まで行ったわけではない。ちなみに日本橋から宇都宮までの国道4号、宇都宮からの国道119号は今でも江戸時代と同じく日光街道と呼ばれているものの、道路のある場所はかなり違うらしい。
さて日光へ行くには東北自動車道で宇都宮まで行き、そこから日光宇都宮道路という高速道路を使うのが一般的。今回は東北自動車道を宇都宮の2つ手前の栃木インターチェンジで降りて、高速道路西側の山間エリアを通って日光へ抜けるルートを走ってきた。
残念ながら東北自動車道と平行してまっすぐ日光にたどり着くような都合のいい道路はないので、地図に記したように8本もの栃木県道を乗り継いで、まさに縫うように進むことになる。いつもは結構行き当たりばったりで走るが、今回は通る道路の数が多いので調べてから出かけた。
グーグルマップなどのネット地図と従来の紙地図との違いはいろいろある。その1つが拡大縮小が自在にできる機能。今までもネット地図を拡大して、紙地図には載っていないようなマイナーな道路を見つけて走ってきたりした。そしてネット地図を拡大すると交差点の名前も表示できる。今回の32号線から15号線に入るには「下粕尾」交差点を右折、15号線から246号線へは「口栗野」交差点を左折などと事前に確認できる。ただしすべての交差点に名前があるわけではない。例えば246号線と337号線との交差点には名前がなかった。
その場合でも拡大率を大きくすれば、その周りにある建物の名前が表示される。それで「粟野コミュニティセンター、鹿沼市粟野トレーニングセンターを右手に見て、次の四つ角を右折して337号線に入る」などと読み取れる。ただしあまり小さそうな建物だと看板がなかったり、既に建物自体がなくなっている場合もあるから過信は禁物。
「下粕尾交差点を右折」などの情報はメールにしてiPhoneに送っておく。書くことによって大体頭に入るが、いざとなれば現地でグーグルマップも開いて確認。ただし電波が届いていないと使えないが。今回は数が多い=全部覚えられない=いちいちiPhoneを出してメールを読むのも面倒ーーーということでドコソコ右折とかを紙に書き出してバイクに貼っておいた。この旧式な方法が意外と便利かも(^^ゞ
出発は午前6時過ぎ。9月1日の早朝なのに気温は28.5度のスタート(/o\) まだ渋滞はない時間帯なので、渋谷手前の富ヶ谷から首都高の山手トンネルを通って東北自動車道に向かうとする。とにかくこの山手トンネルは暑い。トンネルに入って15秒もしないうちに気温は38度まで上昇。アクアラインのトンネルも夏は同じくらいまで暑くなるものの、その温度になるまでもう少し時間がかかる。山手トンネルは相当換気が悪いのか? とにかく渋滞でもしたら、バイクにとって夏の山手トンネルは地獄の空間である。
早起きした甲斐あって首都高、東北自動車道とも渋滞はまったくなくスムースに栃木インター到着。ここからが日光へ下道ツーリングの始まり。
結論を言うと、とても楽しく走れた。
適度なクネクネ、それでいて見通しと日当たりもよい道路。適度な田舎度合いと適度な自然の多さ、道幅と路面状況も問題なしーーーウ〜ン、うまく表現するのは不可能。おまけに1枚も写真を撮っていない。
県道8本の最後である14号線は大芦川沿いを走っている。この川は抜群に水がきれいだった。いわゆる渓流ではなく、そこそこ幅のある川なのに水が透き通っている。川を見て「ここで泳ぎたい」と思ったのは初めてかもしれない。
上手には紹介できなかったけれど、日光に行くなら下道で行くのがお薦め。今回のルートは約65キロ。他にもたくさんの道路があるからもっといい組み合わせもあるだろう。なお14号線は最後にひと山越えて日光市街地に降りるあたりでうっそうとした杉林の中を走る。その付近だけは道幅も林道レベルで狭く、クルマならすれ違いに苦労する場所も多い。
ちなみにバイクに貼っていった道順だが、すべての県道同士の交差点にはきちんと標識が出ていた。でも予習していったおかげでスムーズに走れたから無駄ではなかったと思っている。
ーーー続く
滝や、その他の目的地についてはおいおい書くとして、今回はルートをひと工夫して下道で日光に向かった。下道(したみち)とは高速道路でない一般道の意味。もちろん自宅からすべて下道で日光まで行ったわけではない。ちなみに日本橋から宇都宮までの国道4号、宇都宮からの国道119号は今でも江戸時代と同じく日光街道と呼ばれているものの、道路のある場所はかなり違うらしい。
さて日光へ行くには東北自動車道で宇都宮まで行き、そこから日光宇都宮道路という高速道路を使うのが一般的。今回は東北自動車道を宇都宮の2つ手前の栃木インターチェンジで降りて、高速道路西側の山間エリアを通って日光へ抜けるルートを走ってきた。
残念ながら東北自動車道と平行してまっすぐ日光にたどり着くような都合のいい道路はないので、地図に記したように8本もの栃木県道を乗り継いで、まさに縫うように進むことになる。いつもは結構行き当たりばったりで走るが、今回は通る道路の数が多いので調べてから出かけた。
グーグルマップなどのネット地図と従来の紙地図との違いはいろいろある。その1つが拡大縮小が自在にできる機能。今までもネット地図を拡大して、紙地図には載っていないようなマイナーな道路を見つけて走ってきたりした。そしてネット地図を拡大すると交差点の名前も表示できる。今回の32号線から15号線に入るには「下粕尾」交差点を右折、15号線から246号線へは「口栗野」交差点を左折などと事前に確認できる。ただしすべての交差点に名前があるわけではない。例えば246号線と337号線との交差点には名前がなかった。
その場合でも拡大率を大きくすれば、その周りにある建物の名前が表示される。それで「粟野コミュニティセンター、鹿沼市粟野トレーニングセンターを右手に見て、次の四つ角を右折して337号線に入る」などと読み取れる。ただしあまり小さそうな建物だと看板がなかったり、既に建物自体がなくなっている場合もあるから過信は禁物。
「下粕尾交差点を右折」などの情報はメールにしてiPhoneに送っておく。書くことによって大体頭に入るが、いざとなれば現地でグーグルマップも開いて確認。ただし電波が届いていないと使えないが。今回は数が多い=全部覚えられない=いちいちiPhoneを出してメールを読むのも面倒ーーーということでドコソコ右折とかを紙に書き出してバイクに貼っておいた。この旧式な方法が意外と便利かも(^^ゞ
出発は午前6時過ぎ。9月1日の早朝なのに気温は28.5度のスタート(/o\) まだ渋滞はない時間帯なので、渋谷手前の富ヶ谷から首都高の山手トンネルを通って東北自動車道に向かうとする。とにかくこの山手トンネルは暑い。トンネルに入って15秒もしないうちに気温は38度まで上昇。アクアラインのトンネルも夏は同じくらいまで暑くなるものの、その温度になるまでもう少し時間がかかる。山手トンネルは相当換気が悪いのか? とにかく渋滞でもしたら、バイクにとって夏の山手トンネルは地獄の空間である。
早起きした甲斐あって首都高、東北自動車道とも渋滞はまったくなくスムースに栃木インター到着。ここからが日光へ下道ツーリングの始まり。
結論を言うと、とても楽しく走れた。
適度なクネクネ、それでいて見通しと日当たりもよい道路。適度な田舎度合いと適度な自然の多さ、道幅と路面状況も問題なしーーーウ〜ン、うまく表現するのは不可能。おまけに1枚も写真を撮っていない。
県道8本の最後である14号線は大芦川沿いを走っている。この川は抜群に水がきれいだった。いわゆる渓流ではなく、そこそこ幅のある川なのに水が透き通っている。川を見て「ここで泳ぎたい」と思ったのは初めてかもしれない。
上手には紹介できなかったけれど、日光に行くなら下道で行くのがお薦め。今回のルートは約65キロ。他にもたくさんの道路があるからもっといい組み合わせもあるだろう。なお14号線は最後にひと山越えて日光市街地に降りるあたりでうっそうとした杉林の中を走る。その付近だけは道幅も林道レベルで狭く、クルマならすれ違いに苦労する場所も多い。
ちなみにバイクに貼っていった道順だが、すべての県道同士の交差点にはきちんと標識が出ていた。でも予習していったおかげでスムーズに走れたから無駄ではなかったと思っている。
ーーー続く