2013年10月
2013年10月29日
ポーラ美術館の遊歩道
モネ展のことはまた別に書くとして、展示会を見終わった後の話を先に。
美術館を出て駐車場の方に歩いて行くと、壁にこんな表示を見つけた。
ポーラ美術館は山の中にあって建物のすぐ後ろには森が広がっている。だから遊歩道があってもおかしくない。でも広大な森を延々歩かされても帰りが遅くなって困る。そこで駐車場に入るクルマを誘導しているガードマンに尋ねてみると、それほどの距離はなくちょっと遠回りして駐車場まで行く程度みたいだったので歩いてみることに。前にも書いたがポーラ美術館のガードマンは教育が行き届いているのか、元々優秀な人を採用しているのか、とにかく礼儀正しく質問に対する受け答えも的確である。
敷地はとっても広いのに、遊歩道はなぜか建物の横の細い通路から始まる。
それなりにデザインに気を遣った建物だから、それを見せたいのかな?
でも私は、この手のありきたりの現代建築には批判的。
建物の横を抜けると森の中に遊歩道が延びている。
遊歩道沿いにあった彫刻。
作品の説明はなかったがヘンリームーアっぽい。箱根といえばヘンリームーアが有名
だから、そう見えるのかもしれないが。そういえば昔はよく見た「彫刻の森美術館」のコマーシャルが最近は流れていないようなーーー。
これはヒメシャラという木。
実はこの遊歩道を歩いてみようと思ったのは、美術館の前にもヒメシャラが何本か生えていて興味を持ったから。名前は聞いたことがあるが、少なくともこんな大きな木を見たのは初めてだと思う。
見てわかるように、まるで樹皮を剥いだような表面をしている。触ると割とツルッとした感じ。表面のアップ写真を撮ってくるのを忘れた(/o\) 普通の木とはまったく違う明るい色なので、森の中でもとても目立つ。
こちらは樹齢300年の寿命をまっとうしたブナの木。
解説はこちらで。
自然にこうなったのか、間引いて整備したのかはわからないが、広々としてとても気持ちのいい森である。写真に撮ると、ただ木が生えているだけの当たり前の景色にしか見えないのが残念。実際にはスコーンと開放感がある空間である。うっそうと暗くないのもいい。
遊歩道の中頃にあった案内板。
よく読むとマムシが出るらしい(>_<)
もっと最初に教えてよ!
森の中のアップダウンは緩やかで疲れることはない。遊歩道に敷かれている材木の道は歩きやすいが、模様や濃淡に紛れて段差に気付きにくいのが難点。森の木を眺めて視線が上を向いているせいもあるが、3回くらい段差につまずいた。
小さな可愛い彫刻。
散策コースの終わりは小川に沿っている。
森の中が静かなので、水が流れている音はかなり遠くから聞こえる。
駐車場の前の道路に出てお散歩は終了。
所要時間はスタスタ歩いて20分くらい。とても美しい散策コースというか、さすがポーラ美術館は森までオシャレ?である。美術館を訪れたら是非歩いてみるべきである。ヒメシャラを眺めるのも楽しい。
その後は138号線で乙女峠を抜けて御殿場から東名という、まったくヒネリのない道順で帰ってきた。今回のルートのほとんどは高速道路が占めたが、箱根は景色が変化に富んでいるので、現地での距離の割にはバイクを楽しめた感じ。走行230キロ。暖かめの秋が長く続きますように。
おしまい
美術館を出て駐車場の方に歩いて行くと、壁にこんな表示を見つけた。
ポーラ美術館は山の中にあって建物のすぐ後ろには森が広がっている。だから遊歩道があってもおかしくない。でも広大な森を延々歩かされても帰りが遅くなって困る。そこで駐車場に入るクルマを誘導しているガードマンに尋ねてみると、それほどの距離はなくちょっと遠回りして駐車場まで行く程度みたいだったので歩いてみることに。前にも書いたがポーラ美術館のガードマンは教育が行き届いているのか、元々優秀な人を採用しているのか、とにかく礼儀正しく質問に対する受け答えも的確である。
敷地はとっても広いのに、遊歩道はなぜか建物の横の細い通路から始まる。
それなりにデザインに気を遣った建物だから、それを見せたいのかな?
でも私は、この手のありきたりの現代建築には批判的。
建物の横を抜けると森の中に遊歩道が延びている。
遊歩道沿いにあった彫刻。
作品の説明はなかったがヘンリームーアっぽい。箱根といえばヘンリームーアが有名
だから、そう見えるのかもしれないが。そういえば昔はよく見た「彫刻の森美術館」のコマーシャルが最近は流れていないようなーーー。
これはヒメシャラという木。
実はこの遊歩道を歩いてみようと思ったのは、美術館の前にもヒメシャラが何本か生えていて興味を持ったから。名前は聞いたことがあるが、少なくともこんな大きな木を見たのは初めてだと思う。
見てわかるように、まるで樹皮を剥いだような表面をしている。触ると割とツルッとした感じ。表面のアップ写真を撮ってくるのを忘れた(/o\) 普通の木とはまったく違う明るい色なので、森の中でもとても目立つ。
こちらは樹齢300年の寿命をまっとうしたブナの木。
解説はこちらで。
自然にこうなったのか、間引いて整備したのかはわからないが、広々としてとても気持ちのいい森である。写真に撮ると、ただ木が生えているだけの当たり前の景色にしか見えないのが残念。実際にはスコーンと開放感がある空間である。うっそうと暗くないのもいい。
遊歩道の中頃にあった案内板。
よく読むとマムシが出るらしい(>_<)
もっと最初に教えてよ!
森の中のアップダウンは緩やかで疲れることはない。遊歩道に敷かれている材木の道は歩きやすいが、模様や濃淡に紛れて段差に気付きにくいのが難点。森の木を眺めて視線が上を向いているせいもあるが、3回くらい段差につまずいた。
小さな可愛い彫刻。
散策コースの終わりは小川に沿っている。
森の中が静かなので、水が流れている音はかなり遠くから聞こえる。
駐車場の前の道路に出てお散歩は終了。
所要時間はスタスタ歩いて20分くらい。とても美しい散策コースというか、さすがポーラ美術館は森までオシャレ?である。美術館を訪れたら是非歩いてみるべきである。ヒメシャラを眺めるのも楽しい。
その後は138号線で乙女峠を抜けて御殿場から東名という、まったくヒネリのない道順で帰ってきた。今回のルートのほとんどは高速道路が占めたが、箱根は景色が変化に富んでいるので、現地での距離の割にはバイクを楽しめた感じ。走行230キロ。暖かめの秋が長く続きますように。
おしまい
2013年10月27日
箱根・仙石原のススキ
巾着田に彼岸花を見に行ったのが9月28日だから1ヶ月ぶりのバイク。あれから横濱ジャズプロムナードに見に行った週末以外は、雨とか台風だったように思う。本日は台風一過の晴天予報だったので久しぶりにブォーンと。1ヶ月も乗らないと自分がバイクを持っていることを忘れてしまいそうである(>_<)
今回の目的地は2つ。1つは箱根でススキを見ること。これは前から見たかった。でも、せっかく箱根まで行くのにススキを見て帰ってくるだけじゃもったいない。あれこれ調べたら以前にも訪れたポーラ美術館で、クロード・モネのよさげな展覧会をやっていたのでそれを観てくることに。
東京から箱根に行くには北側の御殿場から入るルートと、南側の小田原から入るルートがある。そして小田原から箱根に登るには国道1号線、箱根新道、箱根ターンパイク(有料道路)の3つが代表的。でも今回は東海道の旧街道である神奈川県道732号線を使った。旧東海道といっても江戸時代のルートとは少し違うみたい。江戸時代のルートの一部は箱根旧街道として石畳の道が保存されている。
午前8時過ぎ出発。気温は17.5度。そういえば前回の巾着田ツーリングの時はメッシュの革ジャケット革パンツだったことを思い出す。ルートは単純。東名で厚木まで行き、そこから小田原厚木道路に乗り換える。小田原厚木道路はクルマでもよく走ったが、ほとんど毎回といっていいほど覆面パトカーに捕まっているクルマを見る。例によって本日も発見。ここを走る時は慎重に。
旧東海道を走るには小田原から少しだけ国道1号を進み、三枚橋という交差点で左折する。その後はほぼ箱根新道に沿って道が続いている。箱根新道が旧東海道沿いに作られたというべきかな。
予想していたけれど旧東海道といっても、江戸時代を感じさせるものは何もなく、ただの細い県道。前半は温泉街を抜けていき後半は山道となる。途中で箱根旧街道の入り口の前を通った。バイクを駐める場所もなかったし、昨日までの雨でぬかるんでいるだろうと思い今回は素通りする。
旧東海道を2/3ほど上ったところで、七曲がりと呼ばれるヘアピンの連続する場所がある。ここはちょっと難所。クルマが前にいてゆっくり走ったが、クルマがいなくても同じくらいのペースだったかもしれない。最後に「お玉ヶ池」という何やらオソロシイ伝説がある池の横を通って、旧東海道は国道1号線に接続する。けっこうアッケナイ。なおバイクは降りなかったがお玉ヶ池はきれいな池だった。
その後は県道75号線で芦ノ湖沿いを北上する。芦ノ湖沿いといっても道路はやや湖畔から離れて、しかも高い場所を走っているので芦ノ湖はたまにチラッと見える程度。
芦ノ湖の北岸近くで75号線は湖畔に接近する。
予定外ではあるが、せっかくなので芦ノ湖散策。
こんな道の先にある、
無料駐車場。
奥に見える建物は箱根ロープウエイの桃源台駅。火山ガスが吹き出している大湧谷(おおわくだに)に向かっている。
少し道路を戻って芦ノ湖の湖畔に出る。
モーターボートで芦ノ湖一周は7500円。
遠くに見えた遊覧船。
そこそこ水もきれい。
駐車場にあった案内看板。
案内に興味があったわけではなく、
目を引いたのは局番が4の一桁。
箱根だけなら一桁でも足りるのかとその時は納得したが、これはかなり古い看板がそのままになっている模様。箱根ロープウエイの電話番号が4-8439となっているが、そんなわけはないと調べたら現在の電話番号は0460-84-8439だった。
75号線をそのまま進むと仙石原(せんごくはら)にでる。
駐車場到着。
ここは公営で無料。ただし舗装なし。案内看板はしっかり出ているので迷うことはない。ここ以外に数カ所ある。革ジャンがずり落ちかけているのは、写真を見て気がついた(^^ゞ
ススキの場所まではちょっと距離がある。
ちなみに仙石原というのは、このあたり全体の地名。
プラプラ歩いていたら、あまり距離は気にならなかった。
少し秋の色になった葉っぱ。
なぜか先っちょを切られている木。
これ以上伸びないため?
道路の外側から見たススキの草原。
日の当たり方によって写真ではずいぶん色が違って見える。
実際のイメージは上の写真の方が近い。
(パソコンのモニターによって色の出方は様々であるが)
草原の中に入る。
ススキの持ち帰りは禁止。
草原は斜面になっており、真ん中に道が一本通っている。
上の写真のように歩きやすそうなのは最初だけで、
しばらく登ると大きな石だらけ。
これは石が落下するのを防ぐためと思われる。
なぜか片側にだけコンクリートの土手のようなものがある。できるだけそこを歩いたが、観光地なんだから道全体を舗装すべきだと思う。
ススキの絨毯!
これが見たかったのよ。
もうしばらくすると、今はミドリ色の茎の部分も穂と同じ色になる。そうなると、いわゆる黄金色のススキ。でも私は茎がミドリの時の方がコントラストがあって好き。
道に対して太陽は横から射していて、上の写真のススキは逆光側にある。
ススキは逆光の方が穂がキラキラ光ってキレイ。
こちらは順光(太陽を背にした位置)側のススキ。
アップで撮影。
本当はもっとキラキラ輝いているが、なかなか見た目とおりには写ってくれない。
いつものように下から青空も忘れずに。
もっともススキの場合は背が高いので、パシャパシャ撮っていれば勝手に青空も入る。
ちなみにススキは稲の仲間。
また茅葺き(かやぶき)屋根の茅とはススキのことである。ただし茅葺きとは総称的な名前でススキ以外の植物も使われる。
人のたむろしている場所が、
終点でした。
横にそれる獣道もあったが探検せず。
一番上から。ススキを見るなんて風流なイメージだけれど、仙石原のススキ見物はかなりの運動量になる。
たまに太陽が雲に隠れるが、基本的に晴天。
芦ノ湖周辺に入ってバイクの気温計は15度くらいだったが、ここではコーデュロイシャツ+スエットシャツの組み合わせでは暑かった。なおススキ見物は上がって下って45分くらい。
仙石原を後にして向かったのがポーラ美術館。
前回の訪問(2011年の8月)ではおしゃれなトイレを紹介したが、ポーラ美術館はバス停もアートしている。
前回と同じく、バイクのために無料で用意されている従業員駐車場の一角に留める。この区画に駐まっているクルマはほとんど湘南ナンバー。箱根で登録されているクルマが湘南ナンバーなのは何となく違和感がある。
クロード・モネの展覧会開催中。
前回見たのは藤田嗣治(つぐはる)だった。
ーーー続く
今回の目的地は2つ。1つは箱根でススキを見ること。これは前から見たかった。でも、せっかく箱根まで行くのにススキを見て帰ってくるだけじゃもったいない。あれこれ調べたら以前にも訪れたポーラ美術館で、クロード・モネのよさげな展覧会をやっていたのでそれを観てくることに。
東京から箱根に行くには北側の御殿場から入るルートと、南側の小田原から入るルートがある。そして小田原から箱根に登るには国道1号線、箱根新道、箱根ターンパイク(有料道路)の3つが代表的。でも今回は東海道の旧街道である神奈川県道732号線を使った。旧東海道といっても江戸時代のルートとは少し違うみたい。江戸時代のルートの一部は箱根旧街道として石畳の道が保存されている。
午前8時過ぎ出発。気温は17.5度。そういえば前回の巾着田ツーリングの時はメッシュの革ジャケット革パンツだったことを思い出す。ルートは単純。東名で厚木まで行き、そこから小田原厚木道路に乗り換える。小田原厚木道路はクルマでもよく走ったが、ほとんど毎回といっていいほど覆面パトカーに捕まっているクルマを見る。例によって本日も発見。ここを走る時は慎重に。
旧東海道を走るには小田原から少しだけ国道1号を進み、三枚橋という交差点で左折する。その後はほぼ箱根新道に沿って道が続いている。箱根新道が旧東海道沿いに作られたというべきかな。
予想していたけれど旧東海道といっても、江戸時代を感じさせるものは何もなく、ただの細い県道。前半は温泉街を抜けていき後半は山道となる。途中で箱根旧街道の入り口の前を通った。バイクを駐める場所もなかったし、昨日までの雨でぬかるんでいるだろうと思い今回は素通りする。
旧東海道を2/3ほど上ったところで、七曲がりと呼ばれるヘアピンの連続する場所がある。ここはちょっと難所。クルマが前にいてゆっくり走ったが、クルマがいなくても同じくらいのペースだったかもしれない。最後に「お玉ヶ池」という何やらオソロシイ伝説がある池の横を通って、旧東海道は国道1号線に接続する。けっこうアッケナイ。なおバイクは降りなかったがお玉ヶ池はきれいな池だった。
その後は県道75号線で芦ノ湖沿いを北上する。芦ノ湖沿いといっても道路はやや湖畔から離れて、しかも高い場所を走っているので芦ノ湖はたまにチラッと見える程度。
芦ノ湖の北岸近くで75号線は湖畔に接近する。
予定外ではあるが、せっかくなので芦ノ湖散策。
こんな道の先にある、
無料駐車場。
奥に見える建物は箱根ロープウエイの桃源台駅。火山ガスが吹き出している大湧谷(おおわくだに)に向かっている。
少し道路を戻って芦ノ湖の湖畔に出る。
モーターボートで芦ノ湖一周は7500円。
遠くに見えた遊覧船。
そこそこ水もきれい。
駐車場にあった案内看板。
案内に興味があったわけではなく、
目を引いたのは局番が4の一桁。
箱根だけなら一桁でも足りるのかとその時は納得したが、これはかなり古い看板がそのままになっている模様。箱根ロープウエイの電話番号が4-8439となっているが、そんなわけはないと調べたら現在の電話番号は0460-84-8439だった。
75号線をそのまま進むと仙石原(せんごくはら)にでる。
駐車場到着。
ここは公営で無料。ただし舗装なし。案内看板はしっかり出ているので迷うことはない。ここ以外に数カ所ある。革ジャンがずり落ちかけているのは、写真を見て気がついた(^^ゞ
ススキの場所まではちょっと距離がある。
ちなみに仙石原というのは、このあたり全体の地名。
プラプラ歩いていたら、あまり距離は気にならなかった。
少し秋の色になった葉っぱ。
なぜか先っちょを切られている木。
これ以上伸びないため?
道路の外側から見たススキの草原。
日の当たり方によって写真ではずいぶん色が違って見える。
実際のイメージは上の写真の方が近い。
(パソコンのモニターによって色の出方は様々であるが)
草原の中に入る。
ススキの持ち帰りは禁止。
草原は斜面になっており、真ん中に道が一本通っている。
上の写真のように歩きやすそうなのは最初だけで、
しばらく登ると大きな石だらけ。
これは石が落下するのを防ぐためと思われる。
なぜか片側にだけコンクリートの土手のようなものがある。できるだけそこを歩いたが、観光地なんだから道全体を舗装すべきだと思う。
ススキの絨毯!
これが見たかったのよ。
もうしばらくすると、今はミドリ色の茎の部分も穂と同じ色になる。そうなると、いわゆる黄金色のススキ。でも私は茎がミドリの時の方がコントラストがあって好き。
道に対して太陽は横から射していて、上の写真のススキは逆光側にある。
ススキは逆光の方が穂がキラキラ光ってキレイ。
こちらは順光(太陽を背にした位置)側のススキ。
アップで撮影。
本当はもっとキラキラ輝いているが、なかなか見た目とおりには写ってくれない。
いつものように下から青空も忘れずに。
もっともススキの場合は背が高いので、パシャパシャ撮っていれば勝手に青空も入る。
ちなみにススキは稲の仲間。
また茅葺き(かやぶき)屋根の茅とはススキのことである。ただし茅葺きとは総称的な名前でススキ以外の植物も使われる。
人のたむろしている場所が、
終点でした。
横にそれる獣道もあったが探検せず。
一番上から。ススキを見るなんて風流なイメージだけれど、仙石原のススキ見物はかなりの運動量になる。
たまに太陽が雲に隠れるが、基本的に晴天。
芦ノ湖周辺に入ってバイクの気温計は15度くらいだったが、ここではコーデュロイシャツ+スエットシャツの組み合わせでは暑かった。なおススキ見物は上がって下って45分くらい。
仙石原を後にして向かったのがポーラ美術館。
前回の訪問(2011年の8月)ではおしゃれなトイレを紹介したが、ポーラ美術館はバス停もアートしている。
前回と同じく、バイクのために無料で用意されている従業員駐車場の一角に留める。この区画に駐まっているクルマはほとんど湘南ナンバー。箱根で登録されているクルマが湘南ナンバーなのは何となく違和感がある。
クロード・モネの展覧会開催中。
前回見たのは藤田嗣治(つぐはる)だった。
ーーー続く
2013年10月23日
事前に避難する
台風27号&28号接近中。
1週間前の台風26号による土砂崩れで死者29名、行方不明者16名を出した伊豆大島では、高齢者を中心に希望する人に対して昨日から島外への避難を始めたと報じられている。27号が伊豆大島に達するのは25日と予想されているから3日前からの対応である。
3日前からの避難って今まであったっけ?思うと同時に、なぜ今まで事前に避難という発想がなかったのかという思いが強くなった。
どう考えたって事前に避難するほうが合理的なのである。避難なんてした経験はないけれど、暴風雨が吹き荒れている最中に突然避難してくださいといわれたら、とっても大変なことは容易に想像がつく。それは夜かもしれないし、電線が切れて停電して真っ暗かもしれない。ひょっとしたら増水して道が川のようになっているかもしれない。少なくとも雨でぬかるんだり滑りやすいはずだ。しかも危険が迫っているからと急かされるわけである。台風が来る前の昼間に避難するより100倍くらい困難だろう。慌てて避難して怪我をしたり発作などを起こす人もいるかもしれない。
ちょっと調べてみると、ハリケーン被害のあるアメリカでは3日くらい前から避難勧告が出されるみたいである。そういえばインドで100万人がサイクロンで避難したというニュースが最近あったなあと思い出して検索してみると、こちらは5日前から避難を開始していた。(ハリケーンとかサイクロンというのは台風のことで地域によって呼び名が違うだけ)
しかし100万人の避難って想像がつかないね。でも以前にサイクロン被害で1万人が死亡した教訓を元にした対策で、今回は死者15名に収まったとのことだから、その避難によって1万人の命が救われたともいえる。皆で逃げ出しただけの価値はあった。
事前避難がおこなわれていない理由を考えると
1)
そういう風習がない。避難というのは切羽詰まってからおこなうものだと思っている。単純なことのように聞こえるかもしれないが、世の中を変える時に風習は最大の抵抗勢力となる。人間は基本的に保守的なのである。
2)
予報が外れたらという心配がついて回る。
予報通り台風が来たからといって、避難が必要な状況になるとは限らない。
3)
上の2つとも関係するが、日本人は危機管理意識が希薄というか最悪の想定を踏まえて行動するという発想があまりない。
4)
事前避難=避難日数の増加だし、今そこにある危機の避難より広範囲の避難にならざるを得ないから、避難させる方もする方も負担が大きい。
こんなところかな。
事前避難で1万人が助かることもあると頭でわかっていても、事前避難という対応が普及することはない気がする。東日本大震災で津波の恐ろしさを身体で知ったからこそ、あれ以降、人々は津波警報には敏感である。今回、島外への事前避難をしている伊豆大島だって、29名が亡くなった台風26号では避難勧告すら出していない。まあ、世の中そんなものである。
避難所がなければ避難できないから、勝手に事前避難はできない。でも避難が必要な地域に住んでいる人は、イザ避難となった時の準備はしておいた方がいいかもしれない。ひょっとしたら、傘を差して避難するのとカッパを着て避難することが生死を分けるかもしれない。自分の身は自分で守りましょう。
天災は忘れた頃にやってくる。地震に備えて買ったミネラルウォーター、賞味期限が切れているから買い換えなきゃ(^^ゞ
2013年10月21日
お釣りのもらい方
帰りに駅前のスーパーで買い物をした。
合計806円だった。小銭で806円はなかったので千円札を出す。
こういう時に6円とか1円があれば、一緒に出してお釣りをキリのいい金額にする。あいにく6円も1円もなかった。するとレジのおばさんに「10円持ってますか?」と尋ねられた。支払いが810円なら1010円払うとキリのいい金額になるが806円なのに。とっさに頭も回転しなかったし10円玉は持っていたので、それを渡した。
1010円ー806円=204円
当たり前だがお釣りは半端な金額である。
???と思ったが、たぶんこういうことかな。
1000円-806円=194円
194円は
100円玉1枚
50円玉1枚
10円玉4枚
1円玉4枚
合計10枚
1010円ー806円=204円
204円は
100円玉2枚
1円玉4枚
合計6枚
確かに194円より204円のほうがスッキリしている。
もし1006円出すとお釣りは200円で硬貨2枚だが、
6円だからと千円札に1円だけ足すと
1001円ー806円=195円
195円は
100円玉1枚
50円玉1枚
10円玉4枚
5円玉1枚
合計7枚
1010円払うよりより硬貨が1枚多いし、硬貨の種類も増えて数字のキリはいいものの、財布の中は1001円払ったほうがゴチャゴチャする。
要は9円までの端数がある場合(10の位がゼロで)1の位が5円以上9円以下なら10円払えばお釣りの硬貨は2種類になる。10の位がある場合は、それに応じて10円を足せばいい。例えば816円の支払いなら1020円払えばお釣りは204円である。文章にするとややこしいが紙に計算を書いてみればすぐわかるはず。
応用編としては806円の時に11円の小銭があれば1011円ー806円=205円で硬貨3枚になる。あるいは1の位を足してお釣りが5円単位になるようにすれば枚数は減る。例えば806円の支払いの時に
810円-806円=1円玉4枚のお釣り
811円-806円=5円玉1枚のお釣り
今までこんな計算というか発想をしたことがなかったので新鮮な発見だった。私が知らないだけで、ひょっとしたら常識? でも「10円持ってますか?」とリクエストされたことは今までないから、そんなに誰もがやっている支払い方だとも思えないけど。
次に似たような支払いの時、瞬時に思い出せるかなあ(^^ゞ
2013年10月15日
横濱ジャズプロムナード その2
運河パークの会場の後は横浜の名所である赤レンガ倉庫へ向かう。ここには街角ライブの会場はなく、目的はドイツビールのイベントである横浜オクトーバー・フェスト。
しかし、ビックリするくらいの混雑。
チケットを買う行列。
2棟ある赤レンガ倉庫の真ん中に巨大なテントが張られて、そこが会場となっているのだが入場料として200円かかる。中ではビールを買うわけで、つまり店に入るのに200円払うことになる。ガメツイ!
コッチは屋外テーブル。
こんなに人気のあるイベントだとは思っていなかった。チケットを買うのに並んでビールやソーセージを買うのに並んで、カンカン照りの屋外席で飲んで、おかわりするのにまた並んでーーーという気力は起こらず。赤煉瓦の建物の中にもお店はたくさんあるが、チラッと入り口をのぞいただけで超満員なのがわかった。
というわけで、早々に退散して馬車道方面に向かう。
なぜか、やたらなまめかしく撮れた信号機。
横浜市開港記念会館。
神奈川県立歴史博物館。
このあたりは明治の頃の建物が残っている。信号機の標識にある横浜税関もそんな建物の1つだが写真を撮り忘れた。
馬車道界隈は日曜日で閉まっているお店が多かったが、ようやく見つけた中華レストランで遅めのランチというか昼間の飲み会。
ランチの後は、馬車道の入り口近く(馬車道というのは通りの名前)にある横浜都市創造センターの会場に向かう。しかし、他の街角ライブの会場は午後5時くらいまでやっているが、ここは3時40分で演奏終了。到着したのは3時45分(>_<)
そぐそばに「みなとみらい線」の馬車道駅があり、その構内にも街角ライブ会場があったので駅に中に降りていく。
男女2名のユニット。
ボサノバとか南米っぽい音楽の演奏だった。ボサノバは好きな音楽。しかしこの日は頭がジャズモードになっていたので2〜3曲聴いただけで次の会場に向かうことにする。
再び地上に出て、
クロスゲートというファッションビルの前の会場。オヤジバンドで年季の入った演奏は見事だったが、ブラスセクション(サックスとかの管楽器)が入っていないのが物足りなく思えて1曲しか聴かなかった。
次の会場に向かう途中に日本丸が係留されている公園があったので立ち寄る。日本丸は昭和5年(1930年)に建造された航海練習用の帆船。エンジンも搭載されていてオレンジ色に写っているのが煙突。ちなみにニホンではなくニッポン丸と読む。ニホンとニッポンの近いわけも昔から不思議に思っていることのひとつ。
日本丸が係留というか固定されているのは日本丸メモリアルパークという公園。観覧車の左側にあるのが昨日のエントリーで横からの写真を載せたパシフィコ横浜の建物。
日本丸の勇姿。
1ヶ月に1度くらい帆を広げた展示が行われているらしい。
海の男の勇姿!
水兵さんが私で、船長が友人のS君。スマホで撮られてメールで送られてきた写真を控えめに掲載。しかし、こんな楽しそうな顔をしていたとは自分でも驚いた。
最後に向かったのはJR桜木町の駅にある、コレットマーレというファッションビルの前に設けられた街角ライブ会場。
駅前だから観客も多数。
女性ヴォーカルのいるSTEPSというバンド。
女性でジャズ演奏を楽しんでいる人って多いんだなあというのがこの日の実感。考えてみりゃ吹奏楽部も女子生徒のほうがたいてい多いが。
力を込めて演奏するとヘン顔になるのは仕方がないところ。
ヴォーカルのお姐さん、気持ちよさそうに熱唱です!
普段ほとんど聴かない生演奏をたくさん聴けて楽しい1日だった。グーグルマップでなぞってみると本日の歩行距離は約7キロ。音楽を聴けて運動にもなるイベントなんてそうザラにはない。ジャズファンじゃなくても楽しめる、いいイベントだと思う。5000円払ってあちこちのホールやジャズクラブに入ってもよかったかな。何年かに1回は足を運んでみたい。
おしまい
しかし、ビックリするくらいの混雑。
チケットを買う行列。
2棟ある赤レンガ倉庫の真ん中に巨大なテントが張られて、そこが会場となっているのだが入場料として200円かかる。中ではビールを買うわけで、つまり店に入るのに200円払うことになる。ガメツイ!
コッチは屋外テーブル。
こんなに人気のあるイベントだとは思っていなかった。チケットを買うのに並んでビールやソーセージを買うのに並んで、カンカン照りの屋外席で飲んで、おかわりするのにまた並んでーーーという気力は起こらず。赤煉瓦の建物の中にもお店はたくさんあるが、チラッと入り口をのぞいただけで超満員なのがわかった。
というわけで、早々に退散して馬車道方面に向かう。
なぜか、やたらなまめかしく撮れた信号機。
横浜市開港記念会館。
神奈川県立歴史博物館。
このあたりは明治の頃の建物が残っている。信号機の標識にある横浜税関もそんな建物の1つだが写真を撮り忘れた。
馬車道界隈は日曜日で閉まっているお店が多かったが、ようやく見つけた中華レストランで遅めのランチというか昼間の飲み会。
ランチの後は、馬車道の入り口近く(馬車道というのは通りの名前)にある横浜都市創造センターの会場に向かう。しかし、他の街角ライブの会場は午後5時くらいまでやっているが、ここは3時40分で演奏終了。到着したのは3時45分(>_<)
そぐそばに「みなとみらい線」の馬車道駅があり、その構内にも街角ライブ会場があったので駅に中に降りていく。
男女2名のユニット。
ボサノバとか南米っぽい音楽の演奏だった。ボサノバは好きな音楽。しかしこの日は頭がジャズモードになっていたので2〜3曲聴いただけで次の会場に向かうことにする。
再び地上に出て、
クロスゲートというファッションビルの前の会場。オヤジバンドで年季の入った演奏は見事だったが、ブラスセクション(サックスとかの管楽器)が入っていないのが物足りなく思えて1曲しか聴かなかった。
次の会場に向かう途中に日本丸が係留されている公園があったので立ち寄る。日本丸は昭和5年(1930年)に建造された航海練習用の帆船。エンジンも搭載されていてオレンジ色に写っているのが煙突。ちなみにニホンではなくニッポン丸と読む。ニホンとニッポンの近いわけも昔から不思議に思っていることのひとつ。
日本丸が係留というか固定されているのは日本丸メモリアルパークという公園。観覧車の左側にあるのが昨日のエントリーで横からの写真を載せたパシフィコ横浜の建物。
日本丸の勇姿。
1ヶ月に1度くらい帆を広げた展示が行われているらしい。
海の男の勇姿!
水兵さんが私で、船長が友人のS君。スマホで撮られてメールで送られてきた写真を控えめに掲載。しかし、こんな楽しそうな顔をしていたとは自分でも驚いた。
最後に向かったのはJR桜木町の駅にある、コレットマーレというファッションビルの前に設けられた街角ライブ会場。
駅前だから観客も多数。
女性ヴォーカルのいるSTEPSというバンド。
女性でジャズ演奏を楽しんでいる人って多いんだなあというのがこの日の実感。考えてみりゃ吹奏楽部も女子生徒のほうがたいてい多いが。
力を込めて演奏するとヘン顔になるのは仕方がないところ。
ヴォーカルのお姐さん、気持ちよさそうに熱唱です!
普段ほとんど聴かない生演奏をたくさん聴けて楽しい1日だった。グーグルマップでなぞってみると本日の歩行距離は約7キロ。音楽を聴けて運動にもなるイベントなんてそうザラにはない。ジャズファンじゃなくても楽しめる、いいイベントだと思う。5000円払ってあちこちのホールやジャズクラブに入ってもよかったかな。何年かに1回は足を運んでみたい。
おしまい
2013年10月13日
横濱ジャズプロムナード
大学の頃の同級生や友人と、ただ集まって飲むだけではなく、ちょっと変わったことして遊ぼうという趣旨のことを去年からやっている。野球や競馬、浅草の三社祭やお台場に巨大なガンダムを見に行ったりと。今回は横濱ジャズプロムナード。詳しくは主催者のホームページを見てもらうとして、プロのステージが170以上、アマチュアの街角ライブ200以上が横浜の街のあちこちで繰り広げられる日本で最大のジャズイベント。
女性ジャズボーカルのCDは結構持っている。でもジャズというより洒落たボーカルとしてBGM的に聴いている程度。だからジャズについてはほとんど門外漢。何度かライブハウスやジャズステージ付きのレストランに行ったことがある程度で生のジャズを聴くのはとっても久しぶり。
横濱ジャズプロムナードが開催されているのは馬車道などクラシックな横浜を感じさせるエリアと、海沿いの再開発地区である「みなとみらい21」。みなとみらいは地図の赤く塗ったあたりで、その東隣に山下公園や本牧地区が続く。馬車道はその少し内陸側に位置する。あちこちの会場をハシゴするのが横濱ジャズプロムナードのスタイル。ちなみにプロムナードは散歩という意味。
ホームページの会場マップ。赤いHの印があるのはホールで開催されているという意味。青いJはジャズクラブやライブハウス、緑のMが街角ライブの場所である。現地で配られていたパンフレットで数えてみると、ホールが8箇所、ジャズクラブは26箇所、街角ライブ会場は17箇所あった。ホールやジャズクラブは主にプロのライブで5000円の入場料が必要(1日5000円ですべての会場に出入りできる)。街角ライブはアマチュアのステージでもちろん無料。本日は街角ライブをいくつか回ってきた。
待ち合わせは東横線が横浜駅から延長している「みなとみらい線」の「みなとみらい」駅。地名を平仮名にされると「」を付けないと読みづらいので面倒である。
みなとみらい線は地下鉄。
駅から地上に出るといかにも近代的な感じ。
駅に隣接する横浜美術館。
横山大観展開催中。この展示会は見に行きたいと思っている。
ブラブラと歩く。
金属製のモニュメント。
クイーンズスクエアというショッピングモール。
オッサン3人でジャスライブも見ないで、
なぜこんなところを散歩しているかという理由の写真。
みなとみらい駅には午前11時に集合した。
でも横濱ジャズプロムナードが始まるのは正午からだった。今回の発案者&幹事はM君だが、段取りの悪さは大学の頃から変わっていない(>_<)
クイーンズスクエアを抜けるとパシフィコ横浜。ここは展示場、国際会議場やホテルがある複合コンベンションセンター。
パシフィコ横浜は船の帆のような形をしたビルが特徴的。
それを裏側から見るとこんな感じ。
パシフィコ横浜の隣は海浜公園的な造りになっている。
ベイブリッジ。
かなり長い遊歩道がつづいている。ときどき波飛沫が立つので地面が濡れている。海面は池なみに穏やかなのに、いきなりパシャーンと来るから注意が必要。ところで以前に書いたかもしれないが、東京湾は千葉側が潮の香りが弱くて神奈川側が強い。ここは横浜港のかなり奥まった位置なのに、かなり濃厚な潮の香り。
正午を回ったのでジャズ会場に向かう。
音のするほうに行けばいいだろうと向かっていったら大道芸だった(^^ゞ
先ほどのクイーンズスクエアの建物内にも街角ライブの会場がある。
写真は石巻ジュニアジャズオーケストラ。見てわかるように中学生・高校生のジャズバンド。上手な演奏だったが、あまり興味を持てずに少し聴いただけで次の会場に。
クイーンズスクエアの建物の外がクイーンズパークという会場。
HONEY LEMON 09というバンドが演奏していた。
これくらいの規模のバンドは前列にサックス、真ん中にトロンボーン、一番後ろにトランペットという順番に並ぶようである。
管楽器の左側にリズムセクション。
このあたりの配置はどのバンドも大体同じだった。
ときどきソロの演奏がある。
これはトランペット。指で押すところが3つしかないのに、なぜたくさんの音階を演奏できるのか昔から不思議。調べりゃいいんだけれど。
これはサキソフォン。
サクソフォンともサックスとも呼ばれる。音域によってソプラノ、アルト、テナー、バリトンとかいろいろ種類がある。これはアルトサックス。
別角度から。
このバンドはスローな曲を中心に演奏していた。ジャズのアマチュアバンドというのはどんな人がやっているんだろうかと思っていたが、ゴクゴク普通の人々。大人の知的な趣味という感じで、仲間と一緒に演奏するのは楽しいだろうなと思う。カスタネットとかトライアングルでよければ私も参加してみたい(^^ゞ
写真にもあちこちスピーカーが写っているが、もうちょっと生の楽器の音だけを聞きたかったというのが正直なところ。屋外だから仕方ないのかもしれないが。
HONEY LEMON 09の演奏を最後まで聴いて、次の会場に向かう。
街角ライブで各バンドの持ち時間は40分ほど。40分と書くと長く思えるが、生バンドを見るということが珍しくて楽しいので、実際にはかなり短く感じる。
運河を渡ると
よこはまコスモワールドという小さな遊園地がある。
その先にあるのが、ランドマークタワー(左側の高い建物)&観覧車と「みなとみらい」を象徴するようなロケーションを背景にしている運河パークという会場。
ここではRBJOというバンドが演奏していた。
大学生中心の若いバンド。曲と曲の間にちょっとしたトークが入る。それを担当していたのは制服を着た女子高生だった。
先ほどのバンドと較べるとアップテンポな曲が多かった。若いという先入観があるせいか、演奏も元気というか切れのあるように感じるのは、私が若くないせいか?
土曜日までの30度越えは収まって、この日は26〜27度という気温だったが、日差しはとても強い。観客は少し木陰になっているところに座るから、演奏中に通行人が絶えないステージセッティングになるのがちょっと気の毒。
ステージの横は遊覧船の発着場。
観覧車の色を楽しみながらジャズを聴くのも楽し。
ーーー続く
女性ジャズボーカルのCDは結構持っている。でもジャズというより洒落たボーカルとしてBGM的に聴いている程度。だからジャズについてはほとんど門外漢。何度かライブハウスやジャズステージ付きのレストランに行ったことがある程度で生のジャズを聴くのはとっても久しぶり。
横濱ジャズプロムナードが開催されているのは馬車道などクラシックな横浜を感じさせるエリアと、海沿いの再開発地区である「みなとみらい21」。みなとみらいは地図の赤く塗ったあたりで、その東隣に山下公園や本牧地区が続く。馬車道はその少し内陸側に位置する。あちこちの会場をハシゴするのが横濱ジャズプロムナードのスタイル。ちなみにプロムナードは散歩という意味。
ホームページの会場マップ。赤いHの印があるのはホールで開催されているという意味。青いJはジャズクラブやライブハウス、緑のMが街角ライブの場所である。現地で配られていたパンフレットで数えてみると、ホールが8箇所、ジャズクラブは26箇所、街角ライブ会場は17箇所あった。ホールやジャズクラブは主にプロのライブで5000円の入場料が必要(1日5000円ですべての会場に出入りできる)。街角ライブはアマチュアのステージでもちろん無料。本日は街角ライブをいくつか回ってきた。
待ち合わせは東横線が横浜駅から延長している「みなとみらい線」の「みなとみらい」駅。地名を平仮名にされると「」を付けないと読みづらいので面倒である。
みなとみらい線は地下鉄。
駅から地上に出るといかにも近代的な感じ。
駅に隣接する横浜美術館。
横山大観展開催中。この展示会は見に行きたいと思っている。
ブラブラと歩く。
金属製のモニュメント。
クイーンズスクエアというショッピングモール。
オッサン3人でジャスライブも見ないで、
なぜこんなところを散歩しているかという理由の写真。
みなとみらい駅には午前11時に集合した。
でも横濱ジャズプロムナードが始まるのは正午からだった。今回の発案者&幹事はM君だが、段取りの悪さは大学の頃から変わっていない(>_<)
クイーンズスクエアを抜けるとパシフィコ横浜。ここは展示場、国際会議場やホテルがある複合コンベンションセンター。
パシフィコ横浜は船の帆のような形をしたビルが特徴的。
それを裏側から見るとこんな感じ。
パシフィコ横浜の隣は海浜公園的な造りになっている。
ベイブリッジ。
かなり長い遊歩道がつづいている。ときどき波飛沫が立つので地面が濡れている。海面は池なみに穏やかなのに、いきなりパシャーンと来るから注意が必要。ところで以前に書いたかもしれないが、東京湾は千葉側が潮の香りが弱くて神奈川側が強い。ここは横浜港のかなり奥まった位置なのに、かなり濃厚な潮の香り。
正午を回ったのでジャズ会場に向かう。
音のするほうに行けばいいだろうと向かっていったら大道芸だった(^^ゞ
先ほどのクイーンズスクエアの建物内にも街角ライブの会場がある。
写真は石巻ジュニアジャズオーケストラ。見てわかるように中学生・高校生のジャズバンド。上手な演奏だったが、あまり興味を持てずに少し聴いただけで次の会場に。
クイーンズスクエアの建物の外がクイーンズパークという会場。
HONEY LEMON 09というバンドが演奏していた。
これくらいの規模のバンドは前列にサックス、真ん中にトロンボーン、一番後ろにトランペットという順番に並ぶようである。
管楽器の左側にリズムセクション。
このあたりの配置はどのバンドも大体同じだった。
ときどきソロの演奏がある。
これはトランペット。指で押すところが3つしかないのに、なぜたくさんの音階を演奏できるのか昔から不思議。調べりゃいいんだけれど。
これはサキソフォン。
サクソフォンともサックスとも呼ばれる。音域によってソプラノ、アルト、テナー、バリトンとかいろいろ種類がある。これはアルトサックス。
別角度から。
このバンドはスローな曲を中心に演奏していた。ジャズのアマチュアバンドというのはどんな人がやっているんだろうかと思っていたが、ゴクゴク普通の人々。大人の知的な趣味という感じで、仲間と一緒に演奏するのは楽しいだろうなと思う。カスタネットとかトライアングルでよければ私も参加してみたい(^^ゞ
写真にもあちこちスピーカーが写っているが、もうちょっと生の楽器の音だけを聞きたかったというのが正直なところ。屋外だから仕方ないのかもしれないが。
HONEY LEMON 09の演奏を最後まで聴いて、次の会場に向かう。
街角ライブで各バンドの持ち時間は40分ほど。40分と書くと長く思えるが、生バンドを見るということが珍しくて楽しいので、実際にはかなり短く感じる。
運河を渡ると
よこはまコスモワールドという小さな遊園地がある。
その先にあるのが、ランドマークタワー(左側の高い建物)&観覧車と「みなとみらい」を象徴するようなロケーションを背景にしている運河パークという会場。
ここではRBJOというバンドが演奏していた。
大学生中心の若いバンド。曲と曲の間にちょっとしたトークが入る。それを担当していたのは制服を着た女子高生だった。
先ほどのバンドと較べるとアップテンポな曲が多かった。若いという先入観があるせいか、演奏も元気というか切れのあるように感じるのは、私が若くないせいか?
土曜日までの30度越えは収まって、この日は26〜27度という気温だったが、日差しはとても強い。観客は少し木陰になっているところに座るから、演奏中に通行人が絶えないステージセッティングになるのがちょっと気の毒。
ステージの横は遊覧船の発着場。
観覧車の色を楽しみながらジャズを聴くのも楽し。
ーーー続く
2013年10月11日
2013年10月07日
神様から信者へ 2
ビックリした最上位顧客の呼び方というのは「信者客」。ビックリした理由のひとつは「お客様は神様です」という従来の価値観から180度転換しているから。もうひとつは信者客というネーミングのニュアンスである。
もっとも私は「お客様は神様です」とは思っていないし、その考え方が日本のマーケティングをミスリードしているということは以前にも書いた。ちなみにこの有名な言葉を吐いた三波春男自身も、言葉が一人歩きしていることを危惧していたようである。
神様と信者じゃ立場は180度違う。しかし、このネーミングを思いついた人たちは、ありがたい客の条件を考えていったら信者というキーワードにたどり着いただけで、神様というコンセプトを否定しようという意図はなかったみたいである。
商品やサービスを気に入って何度もリピートしてくれる。支払いや態度に問題がなければ、これはありがたい顧客である。信者客には、さらに次のような要素が加わる。
その商品やサービスの評判を広めてくれる。
友人知人をに、その商品やサービスを薦めたり店に連れてくる。
変わった宗教の信者と同じかな(^^ゞ もちろん信者になってもらえるほど商品やサービス、あるいは接客やアフターサービスを高めようとすることは決して悪いことではない。それでも信者客というネーミングには抵抗がある。あなたの名前が田中だとする。お店ではあなたのことを内部で「VIPの田中さん」と呼んでいると知ったら悪い気はしないはず。でも、それが「信者の田中さん」だったら?
それとこれは最近の傾向で、しかも主にネットの中の世界の話だが、例えばアップルの信者、ソニーの信者などという場合には次のようなニュアンスがある。
その会社の製品を盲信している。
他社の製品やそのユーザーの悪口を言う。
ネットの中の世界の話と書いたが、とっくの昔にネットは特殊な存在ではなく実社会と表裏一体だから、客とかユーザーの文脈で信者という言葉を聞けば、こういうネガティブなイメージを連想する人も多いはず。信者客という言葉が作られた当時は、こういうネガティブなイメージはこの単語にはなかったのかもしれない。しかし今の時点の感覚で「信者客を作りましょう」などとと聞くと「盲信するくらい取り込んじゃえ、洗脳しちゃえ、そして新しい客を勧誘させろ」というようなマーケティング戦略かと思えてくる(人もいるはず)。
また仮にアップルの信者、ソニーの信者などという用法が生まれていなかったとしても、信者というのは従属する存在だから、それを顧客のネーミングに使うのは元もと筋が悪い。「信者の田中さん」と呼ばれていい気がしないのは上から目線を感じるからである。
え〜オチもシメもありません。
信者客だってーーーというお話でした。
おしまい
もっとも私は「お客様は神様です」とは思っていないし、その考え方が日本のマーケティングをミスリードしているということは以前にも書いた。ちなみにこの有名な言葉を吐いた三波春男自身も、言葉が一人歩きしていることを危惧していたようである。
神様と信者じゃ立場は180度違う。しかし、このネーミングを思いついた人たちは、ありがたい客の条件を考えていったら信者というキーワードにたどり着いただけで、神様というコンセプトを否定しようという意図はなかったみたいである。
商品やサービスを気に入って何度もリピートしてくれる。支払いや態度に問題がなければ、これはありがたい顧客である。信者客には、さらに次のような要素が加わる。
その商品やサービスの評判を広めてくれる。
友人知人をに、その商品やサービスを薦めたり店に連れてくる。
変わった宗教の信者と同じかな(^^ゞ もちろん信者になってもらえるほど商品やサービス、あるいは接客やアフターサービスを高めようとすることは決して悪いことではない。それでも信者客というネーミングには抵抗がある。あなたの名前が田中だとする。お店ではあなたのことを内部で「VIPの田中さん」と呼んでいると知ったら悪い気はしないはず。でも、それが「信者の田中さん」だったら?
それとこれは最近の傾向で、しかも主にネットの中の世界の話だが、例えばアップルの信者、ソニーの信者などという場合には次のようなニュアンスがある。
その会社の製品を盲信している。
他社の製品やそのユーザーの悪口を言う。
ネットの中の世界の話と書いたが、とっくの昔にネットは特殊な存在ではなく実社会と表裏一体だから、客とかユーザーの文脈で信者という言葉を聞けば、こういうネガティブなイメージを連想する人も多いはず。信者客という言葉が作られた当時は、こういうネガティブなイメージはこの単語にはなかったのかもしれない。しかし今の時点の感覚で「信者客を作りましょう」などとと聞くと「盲信するくらい取り込んじゃえ、洗脳しちゃえ、そして新しい客を勧誘させろ」というようなマーケティング戦略かと思えてくる(人もいるはず)。
また仮にアップルの信者、ソニーの信者などという用法が生まれていなかったとしても、信者というのは従属する存在だから、それを顧客のネーミングに使うのは元もと筋が悪い。「信者の田中さん」と呼ばれていい気がしないのは上から目線を感じるからである。
え〜オチもシメもありません。
信者客だってーーーというお話でした。
おしまい
2013年10月03日
神様から信者へ
マーケティングにおいて顧客を、その取引状況に応じて階層的に分類することがよくある。例えば「新規客←→既存客」というのは今まで買ったことがあるかどうかの単純な区別である。既存客の中でも「一度だけ買ってくれた客←→たまに買ってくれる客←→いつも買ってくれる客」などと別けられる。よく買ってくれる客でも「安いものしか買わない客←→高いものを買う客」がいる。分類の視点は目的に応じて様々だが、要は儲けさせてくれる度合いや重要性で顧客をランキングする考えである。
こんなランキングをするようになったのは「顧客の中の上得意客2割が売上の8割を占めている」などといったパレートの法則的な発想がベースにある。そしてそれはロイヤルティマーケティングという考え方につながっていく。ロイヤルティマーケティングというのは、その2割の上得意客を大事にしましょうというマーケティング。
ただし日本人はこのロイヤルティマーケティングが苦手である。2割の上得意客を大事にしましょうということに反論は出ない。ただしこれは、残りの8割を切り捨ててでもという意味なのである。
切り捨てなくてもいいじゃないかと思われるかもしれないが、これは単純にパイの奪い合いの問題。企業の対応能力は一定なので、今まで顧客全員に平等に対応していたものを、2割の上得意客に80%のパワーをさけば、残り8割には20%のパワーしか残らない。平等の価値が尊ばれる日本では、こういうことにものすごく抵抗がある。
それで結局、2割の上得意客にも残り8割への対応に毛の生えた程度のことしかできない(当然、上得意客はその対応では満足しない)。出来の悪い企業なら、挙げ句の果てに「我が社の対応能力を上げて、上得意客に最善を尽くすのはもちろん、その他の客にも今まで以上の対応をしましょう」なんて精神論に置き換わってしまう。
ちょっと話がそれたが、顧客を階層的に分類するという話。どう分類するかはもちろん様々。垂直的に分類されるとは限らないが、例えば
最重要顧客
↑
得意客
↑
一般客
↑
新規客
と分類したとする。もちろんネーミングも様々で最重要顧客はVIPとかスターゲストなんて呼ばれたりもする。ところで先日、ちょっと衝撃的な最重要顧客のネーミングを目にした。
ーーー続く
こんなランキングをするようになったのは「顧客の中の上得意客2割が売上の8割を占めている」などといったパレートの法則的な発想がベースにある。そしてそれはロイヤルティマーケティングという考え方につながっていく。ロイヤルティマーケティングというのは、その2割の上得意客を大事にしましょうというマーケティング。
ただし日本人はこのロイヤルティマーケティングが苦手である。2割の上得意客を大事にしましょうということに反論は出ない。ただしこれは、残りの8割を切り捨ててでもという意味なのである。
切り捨てなくてもいいじゃないかと思われるかもしれないが、これは単純にパイの奪い合いの問題。企業の対応能力は一定なので、今まで顧客全員に平等に対応していたものを、2割の上得意客に80%のパワーをさけば、残り8割には20%のパワーしか残らない。平等の価値が尊ばれる日本では、こういうことにものすごく抵抗がある。
それで結局、2割の上得意客にも残り8割への対応に毛の生えた程度のことしかできない(当然、上得意客はその対応では満足しない)。出来の悪い企業なら、挙げ句の果てに「我が社の対応能力を上げて、上得意客に最善を尽くすのはもちろん、その他の客にも今まで以上の対応をしましょう」なんて精神論に置き換わってしまう。
ちょっと話がそれたが、顧客を階層的に分類するという話。どう分類するかはもちろん様々。垂直的に分類されるとは限らないが、例えば
最重要顧客
↑
得意客
↑
一般客
↑
新規客
と分類したとする。もちろんネーミングも様々で最重要顧客はVIPとかスターゲストなんて呼ばれたりもする。ところで先日、ちょっと衝撃的な最重要顧客のネーミングを目にした。
ーーー続く