2014年03月

2014年03月31日

ラファエル前派展 テート美術館の至宝 その2

前書きが長かったが何点か絵の紹介を。



「5月、リージェンツ・パークにて」 
 チャールズ・オールストン・コリンズ  
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ドラマティックなところは何もない風景画。でもこの絵は描き込みがとても細かい。是非クリックして拡大を。写真で例えるなら手前から一番奥まで全部にクッキリとピントが合っているイメージ(写真でそういうことは無理だが)。

この描き込みの緻密さ、繊細さはラファエル前派の特徴のひとつ。彼らのサポーターであったジョン・ラスキンの「芸術は自然をありのままに再現すべきだ」という考えを、こういう形でラファエル前派は自分たちの絵画理念としていった模様。

この絵を見て思い出したのは去年の末に観た、同じくイギリス人画家で風景画を専門とするターナー。彼もキャリア半ばまではとても緻密な風景画を描いている。ターナーは1775〜1851年の人で1848年に結成されたラファエル前派と直接は重ならない。でもスーパースターであるターナーの絵は観ていたはず。そしてラファエル前派のメンバーより10歳ほど年上のジョン・ラスキンはターナーと深い交流があった。ターナーとジョン・ラスキンの年齢差は44歳だから、彼らが知り合った頃にターナーはもう繊細な絵は描いていない。でも何か影響を与え合うことがあったのかな。そんなことまで調べるのは大変だから、美術史のお勉強は老後の楽しみにとっておこう。



「ペグウェル・ベイ、ケント州 1858年10月5日の思い出」
 ウィリアム・ダイス

これも緻密な風景画。遠くから見たら写真と勘違いするかもしれない。でも細かくリアルに描いているが、そのシュールさを売りものにした絵ではないと思う。なんというか全体の佇まいがとてもいい。
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画面中央上部にうっすらと白い線がある。これは1858年に地球に接近して大騒ぎになったドナティ彗星を描いたもの。19世紀でもっとも明るい彗星といわれている。10月5日というのは彗星が一番明るくなった日である。

画面右には断崖絶壁。ペグウェル湾はフランスに面したドーバー海峡にあって、このあたりはこういう地形らしい。そして岩肌が白いが、このあたりの地層を研究して設定されたのが今から6500万年〜1億4000万年にあたる白亜紀。

だからこの絵は、白亜紀の地層を背景に彗星を配置するという実に壮大なスケールの絵なのである。もっともダイスがそこまで意識して描いたという資料はなかったが。


ところで、この絵には大きな謎が。
タイトルに1858年10月5日と日付まで入れたのだから、この絵は明確に彗星を意識している。そのわりに彗星の書き方があっさりしているが、それは「芸術は自然をありのままに再現すべきだ」の理念に基づいて、実際に見えた彗星がこの程度で見えたままに描いたのだろう。まだ日も落ちていないし。

それはいいとして、絵の前面にメインで描かれている4名の女性が解せない。まったく彗星に興味を示していない。世紀の天体ショーだったはずなのにテンション低すぎない?

ちなみに女性達は貝殻を拾っている。部屋の飾りにでもするのだろうか。その部分を拡大したものをネットで見つけたので参考までに。
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絵の横幅は89センチ。A3を横に並べれば88センチだから、そんなに大きな絵ではない。赤いガウン女性の身長は10センチちょっとである。10センチのものに対してこの描写。絵全体が発する緻密力がどれくらいすごいかわかってもらえるだろうか。




「シェイクスピアが生まれた部屋」 
 ヘンリー・ウォリス

実に細かいところまで描写している。でも脇に椅子が何脚か置いてあるだけでなんのための部屋なのか不思議な感じも受ける。ところでシェイクスピア(1564-1616年)の生家は今も残っていて公開されている。しかしネットで写真を見るとこの絵のイメージとはずいぶん違う。シェイクスピアにはまったく無知なので、ウォリスがこの絵で表現しようとしたメッセージは教養不足で読み取れず。ちなみにラファエル前派はシェイクスピアの作品を絵のテーマに用いることが多い。
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「両親の家のキリスト(大工の仕事場)」 
 ジョン・エヴァレット・ミレー‎

こういう絵が前衛的だと良識派に批判されたんだろうなと思う。タイトルがなければ昔の木工所の風景かと思うが、これはキリスト一家を描いている。
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真ん中の白い服を着た子供がイエスで隣が母親のマリア。禿頭がヨセフで、彼はマリアが処女で懐妊したから、マリアの夫だけれどイエスの養父ということになっている。職業は大工だった。後ろにいる赤いガウンの女性がマリアの母親=イエスのおばあさんであるアンナ。水を運んでいるのはイエスの年長の従兄弟である洗礼者ヨハネ。つまりキリストファミリー大挙出演の図。

でも見てわかるように神々しさの演出は一切ない。どちらかといえば貧乏そうな一家の日常として描いている。それがラファエロ以前の素朴さに戻ろうとしたラファエル前派の主張であり、体制側には冒涜に映るゆえん。でもそういう衝突や議論を繰り返して絵というか芸術というか文化というのは進歩してきたんだろうな。そのあたりが西洋文化のすごいところ。釈迦でも菩薩でも高僧でもワンパターンの構図以外のものを見たことある?

ところで緻密に描くというラファエル前派の文法はこの絵でも徹底している。この絵の前に立つと床のかんなくずの匂いがしてきそうなくらいだった。



「見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)」 
 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ

遠くから見ている時は、病室でお見舞いでもしている絵かと思った。それくらいごく普通の情景で描かれた受胎告知。
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受胎告知とはマリアがイエスを宿したと天使に告げられるキリスト教では重要なシーン。いろんな画家が描いているがダ・ヴィンチのが一番有名かな。ダ・ヴィンチの豪華な受胎告知と較べれば、ロセッティの絵はなんとも質素。キリスト教にとってめでたいこのモチーフをこんな風に描くから反逆児と呼ばれる。この絵はあっさりしていて視覚的にはあまり楽しめないものの、過剰な演出や高尚さ=権威主義を嫌ったラファエル前派の真骨頂だと思う。

気になったのはタイトルの「はしため」。漢字で書くと端女。下女とか召使いといった意味。どちらかというと蔑むニュアンスがある。原題で端女はancillaとラテン語で書かれており、それには女奴隷という訳語もある。だからかancillaで画像検索するとムフフな美女がたくさん。コラ!そこの君、検索してないで私のブログを読みなさい(^^ゞ それでタイトルの付け方でも反逆したのかと思ったが、これは受胎を告げに来た天使にマリアが自ら返した有名な言葉らしい。西洋絵画はキリスト教文化にも通じていないと充分理解できないのがつらいところ。



「チャタートン」 
 ヘンリー・ウォリス

反逆のイメージでラファエル前派を見ていたせいか、パンクロックのミュージシャンのように見えた作品。マクラの生地の折り目がちょうど頭のところにあって遠目から見ると一角獣の角みたいに見えて、それがまたパンクロックぽくーーー。もちろんこの時代にパンクロックはないけど。
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横たわっているのはトーマス・チャタートンというラファエル前派より100年ほど前に活躍したイギリスの詩人。彼の作品はラファエル前派にも何かと影響を与えたらしい。代表作である「慈善のバラード」という詩は「現在イギリス詩の中でも有数の傑作と評される作品」とウィキペディアにあったが、検索してもまったくヒットせず。やっぱり詩という文芸形式はなかなか日本文化に溶け込めないようだ。

それでチャタートンはわずか17歳で自殺する。この絵はその時の情景を描いたもの。テーマとしては夭折した悲劇のロックスターのような扱い。尾崎豊みたいなものか。枕元にあるボックスからビリビリに破った紙が溢れ出ている。詩が書かれていた紙だろうか。そういう細かいところに手を抜かないのがラファエル前派風。シャツやシーツも窓の外の風景にしても、そこまでやるかというくらい描き込んでいる。


ーーー続く

wassho at 22:47|PermalinkComments(0) 美術展 

2014年03月30日

チューリップ 蕾む!

昨日の土曜日にベランダに出てみるとジャジャン!
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ウレシイので角度を変えてもう一枚。
でも背景が汚い(>_<)
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ベランダには出なくても毎朝窓から成長具合は確認している。金曜日の朝にこんな花びらになっているツボミはなかった。昼間のうちにグングンと成長したのかな。明日からは毎朝出かける前にベランダに出ようっと。


前回のチューリップのことを書いたのが3月2日でほとんど発芽したという内容。ではその後の1ヶ月の経過を定点観測で。

3月2日(日)
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3月8日(土) あまり変化なし
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3月15日(土) 一挙に2倍近く成長
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3月22日(土) 
撮る角度ががそれまでと違ってしまっているが、さらに50%ほど成長。三脚を使って固定位置からとまでは考えていないけれど、来年からはもう少し同じ条件で撮るように工夫したい。
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3月29日(土) もう画面に収まらない。
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1ヶ月の変化は早いね。チューリップを育てているとボケーッと生きてちゃいけないといわれているような気になる。続いて、それぞれの観察日の記録。

3月8日(日)

まだまだ「芽」という感じ。
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ついさっきに出てきたような芽もまだ多い。
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球根が押し上げられたのかと思ったが、
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薄皮が芽に被さっているだけだった。
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決して豆が入っているわけではなく、こういう奇形ぽいのがいくつかあって気になる。
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意味もなく下から撮ってみる。
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3月15日(土)

一挙に成長して密集感が出てきた。
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まだ発芽も続いている。
この頃に発芽するものは最初から巻いた感じで出てくるのも多い。
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いろんな品種を植えていて、咲く時期が違うからか発芽時期=成長に差がある。
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去年までと違って1つの球根から複数の芽が出て伸びているのが多い。
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植え方で去年まで違うのは

   球根を買った店が違う。
   特大球という大きな球根もかなり植えた。
   今年は肥料をかなり撒いた。

の3点。どちらが効いているのかわからないが、今年のチューリップは勢いがあるような印象を受ける。


3月15日(土)と3月22日(土)の比較 
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3月22日(土)

一番大きいのは20センチ弱。
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こんな風に傷み出したものも増えてきた。
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気にすることはないと思うのだが、去年の夏にミニひまわりがハダニの餌食にあってほぼ全滅したのがトラウマになっている。虫などいないか念入りにチェックする。


これは葉っぱの病気じゃなくて、こんな模様がでる品種だと思う。
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でも、こんなベロ〜ンとした形になったり、真ん中から傷んだりしているのは模様付きの葉っぱばかりなので少し気掛かり。
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毎年こんな笹みたいな葉っぱも出る。最初から地面に横たわってやる気ゼロ。
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ちょっと密集しすぎている気もしてきた。
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3月29日(土)

もうジャングル状態。
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花びらが見えているのは先ほど紹介したものだけだが、蕾の形になっているのはいくつかあった。
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早くも倒れだしたものが。チューリップが咲き終わるまで無風の日が続いて欲しいもの。
でもまあ魚の産卵ほどじゃないが、ある程度のロスは仕方がない。
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月曜日には開花一号が誕生するはず。
今からしばらくは目覚ましなしで起きられるかも(^^ゞ

wassho at 13:24|PermalinkComments(0)   *チューリップ 

2014年03月29日

ラファエル前派展 テート美術館の至宝

きっかけはこんなポスター。

ポスター2


「それは懐古か反逆か」という刺激的なキャッチコピーとともに、ケバイのか知的なのかよくわからない、でも一目見たら忘れられそうにない女性。そして展覧会のタイトルは「ラファエル前派展」。

  ラファエル? なんじゃそれ?
  ラファエロならよく知ってるけど。
  それに前派なんて日本語は聞いたことがないぞ。

というわけで珍しく展覧会に行く前に多少の予習をして、展覧会を見てさらに興味を持ってあれこれ調べた展覧会となった。

まずラファエルとはルネサンスの巨匠ラファエロのことである。

   ラファエロ Raffaello イタリア語
   ラファエル Raphael  英語

と知って納得しかけたがラファエロは人の名前である。英語のレストランがイタリア語ではリストランテと普通名詞なら違う言葉になるのはわかるが、人名という固有名詞がなぜ変化するのだ。田中さんは英語でもイタリア語でもTanakaのはずである。

今のところの推論は、ラファエルはミカエルとガブリエルと並ぶキリスト教の三大天使の名前でもある。天使の名前ともなれば普通名詞みたいなものだから、言語によって変化しても不思議ではないかも。

それでとにかくラファエルというのはラファエロの英語読みである。なぜ英語かというと、このラファエル前派というグループがイギリスの画家達だから。ちなみに前派は「ぜんぱ」と読む。



1848年の9月にラファエル前派は結成された。日本でいうと明治維新が1868年だから江戸時代の最後期にあたる。創設メンバーはイギリスの国立美術大学の学生だった3名。

   ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
   ジョン・エヴァレット・ミレー
   ウィリアム・ホルマン・ハント

名前が同姓でややこしいけれど「落ち穂拾い」のジャン=フランソワ・ミレーは同年代のフランス人画家で別人ね。


当時のイギリスは産業革命で蓄えた力で7つの海を支配した大英帝国時代。世界の陸地面積と人口の1/4を押さえていた。その頃の女王の名前を取ってヴィクトリア朝時代と呼ばれる。しかし政治や経済では最先端でも、その頃のイギリスの絵というのは300年以上前のルネサンスの模倣ばかりで、特にラファエロの絵がお手本とされていたらしい。

ロセッティ、ミレー、ハントの3人は、それが気にくわなかった模様。古典ばかり勉強させられてイヤになったのかな。彼らによればラファエロの絵は演出過剰でリアリティがないということらしい。ラファエロの絵にも色々あるが、そういわれてみればそうかもしれない。

キリストの変容  ラファエロ
キリストの変容


彼らはルーベンスやその他の巨匠クラスもこき下ろしている。その中で一番象徴的だったのがラファエロだったのだろう。それでラファエロより前の時代のもっとシンプルな絵に戻ろうということで、ラファエル前派というグループを結成したというのがいきさつ。

日本語ではラファエル前派と訳されているが英語ではPre-Raphaelite Brotherhoodという名前。ブラザーフッドは兄弟の間柄という意味以外に組合とか協会という組織的な意味もある。兄弟=血のつながりだからニュアンス的にはかなり強固な結びつきで、派というより同胞団という訳語のほうがふさわしいかもしれない。いってみれば美大の学生3人が立ち上げたサークルから始まったラファエル前派ではあるが、ブラザーフッドというネーミングからも、かなり気合いが入っていたことがわかる(気がする)。また、わざわざラファエロの名前を使ったのは、権威主義に陥って停滞していた当時のイギリス美術界への挑戦状のつもりだったはず。


おもしろいのはラファエロのような絵が気にくわないのなら、自分が描きたいように描けばいいと思うのだが、彼らはラファエロより前の絵に戻ろう、つまりそこからヒントを得ようと主張している。源氏物語は絵空事だから実直な万葉集を勉強しようみたいなことなのかな。ラファエル前派の結成から約30年後の1874年から始まった印象派の画家達は、自分自身で次の絵のスタイルを追求した。ラファエル前派の諸君はなぜ過去にヒントを得ようとしたのだろう。学生・若い画家なら誰もやっていない新しいことに走りそうなもの。そのあたりの状況はザッと調べた程度ではわからず。


とにもかくにも3人で始めたサークルは成功し、メンバーも増えてラファエル前派は美術界に大きな影響を与えるようになる。また絵にはモデルがつきものだが、画家とモデルがつきあったり別れたり、他のメンバーと三角関係になったりと人間模様がやたらおもしろい。それをテーマに映画を作れば展覧会より受けるかも。既にイギリスでは新聞やゴシップ誌があった時代だから、そのあたりの記録も豊富みたいである。

肝心の絵は、今の時代から絵を眺めればビックリするようなことはない。それでも当時にしてみれば前衛的だったということは何となくわかる。そして前衛的ということは世間から反感を買うのは今も昔も同じ。そんな彼らを擁護してラファエル前派の躍進に貢献したのがジョン・ラスキンという当代屈指の美術評論家。3人の中心メンバーよりは10歳ほど年上。でも彼もミレーに奥さんをとられてラファエル前派ドロ沼物語に一役買っているのがおもしろい。

まだ絵を紹介していないが、展覧会を見ながら脳裏に浮かんだのは

     ビートルズみたい

ということ。
当たり前だけれど、絵そのものにビートルズを連想させるものはない。イギリスで、二十歳そこそこでデビューして、今までの常識にとらわれない音楽・絵で勝負したというあたりが共通点。社会でのポジションが似ていたかもしれないと想像する。ビートルズの音楽も今では20世紀の名曲ということになっているが、デビュー当時は反社会的と見なされ「ビートルズを聴いたら不良になる」と世のPTAをいきり立たせたらしい。(私は彼らが解散した頃にビートルズを知った世代) もっともビートルズのメンバーで男女間のドロ沼はなかったが、プロデューサーのジョージ・マーティンの存在はジョン・ラスキンと少し重なるかな。

ビートルズと同じようにラファエル前派も10年ほどでグループとしての活動を終える。画家達はその後もそれぞれソロ活動?を続けるが、創設メンバーの1人であるミレーは67歳でロイヤルアカデミーの会長になる。日本語的にいうなら芸術院の会長みたいなもので、かつて批判していた体制側のトップになったということ。そういえばポールもいまではサー・ポール・マッカートニーと爵位つきである。




展覧会を見に行ったのは3月25日。場所は六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリー。近づきすぎてiPhoneじゃビルの一番上まで入りきらなかった。
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奥に見える煉瓦色のタワーはヒルズ族の住む六本木ヒルズ・レジデンス。
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テレビ朝日と東京タワーでおノボリさん気分(^^ゞ
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これがアーツセンターの入り口。六本木ヒルズは54階建てで53階に森美術館、52階に森アーツセンターギャラリーがある。展望台も52階。
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入り方が変わっていて六本木ヒルズの1階からは上がって行けない。写真の左側に写っている3階建ての小さな建物の3階にまず上がり、渡り廊下(展覧会のポスターが貼ってあるところ)を通って六本木ヒルズの3階に横から入る。そこにチケット売り場があり、そこから52階まで専用エレベーターで上がる仕組み。


ラファエル前派展の入り口。
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展覧会はかなり空いていた。やっぱり知名度のある画家達じゃないからかね。52階に上がるエレベーターは満員で「わっ、混んでる(/o\)」と思ったが、6割は展望台に行く人、3割は森美術館で開かれているアンディ・ウォーホル展に行く人だった。


ウォーホル展まで見るほど仕事をさぼれなかったーーー。
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でもロビーに有名なBMWアートカーが置いてあったのでミーハー的に喜んで写真を撮る。私がペンキを塗ったらエンジニアリングへの冒涜といわれるだろうなあ。
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ーーー続く。

wassho at 14:41|PermalinkComments(0) 美術展 

2014年03月25日

木下沢梅林 その2

昨日書いたように梅を意識しだしたのは2年前。今は桜より梅のほうが好きかな。その理由は色にバリエーションがあるから。花の形は桜のほうが美しい気がするけれど、どちらも小さな花だから、花を見るというよりは花が咲いている木の姿を眺めるものだと思っている。だから何色かの色が咲いている梅のほうが楽しい。

もっとも桜も何百種類とあり白系とピンク系がある。しかし、もともと日本にある桜の8割はソメイヨシノだといわれており、さらに1つのエリアに複数の(色が違う)品種の桜が入り混じって咲いているところがあるのかどうかは残念ながら知らない。


昨日アップしたのは白い梅と濃いピンクの梅。木下沢梅林には他に薄いピンクと紅色の梅が咲いていた。なお色でしか判断していないので、この梅林に梅は4品種だけという断定ではない。


白梅と紅梅。
やっぱり色数が多いほうが楽しいでしょ。
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白梅と濃いピンク梅。
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ちょっとわかりづらいが手前にあるのは薄いピンクの梅。
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園内の雰囲気。
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こんもりとした丘に梅林が造られているから、ところどころ階段もあるが険しさはまったくなし。
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梅のトンネルはなかなか素敵。
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花を見るのではなく木の姿を眺めると書いたばかりだがーーーアップの写真を。

白い梅。
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薄いピンク。
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なぜか濃いピンクの梅はアップを撮り忘れた。

紅い梅。
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飛び出す立体写真のように撮れてしまった紅い梅。
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アップ変わり種。
後ろ姿。
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ツボミ。
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全景の1/2程度。
後ろの山の上から俯瞰して眺めれば圧巻の風景かも。
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全体的には丘の斜面に梅を植えましたといった造り。凝ったところはまったくない。チャッチャと見て回れば30分あれば足りる程度の規模。でも1400本と梅の木は多いから密集感はあるし、歩き疲れないからちょうどいいくらいかなと思う。

残念なのは中央自動車道が真横に通っているのでクルマの音が少し気になるところ。駐車場は無料で、まわりの道にも多少は駐められる。バイクなら駐車場が満車でも隙間になっているスペースが色々あるからたぶん大丈夫。梅林に入るのも無料で寄付金箱が置いてある。それとトイレは簡易トイレが一基だけで、しかも丘の頂上にあるからギリギリ我慢して駐車場に滑り込んだら間に合わないよ。


私が木下沢(こげさわ)梅林にいたのは1時間半くらい。
梅の花と春の日差しを堪能して幸せな気分になる。


木下沢梅林に通じているのは国道20号線から分岐した都道516号線。分岐点から梅林まで3キロ程度だが、まさに梅の里という感じで道路沿いの民家の庭にもたくさん梅の花が咲いている。家並みも古くて梅のカントリーロードといった趣。ところどころ自転車程度にバイクのスピードを落として景色を楽しみながら走る。

また、ここは高尾山の麓エリアでもあるわけで、ハイキング姿で歩いている人もたくさんいた。高尾梅郷のあちこちを巡り歩いている模様。木下沢梅林から高尾山駅までなら片道4キロくらいかな。歩き疲れたらバスも走っている。※高尾山は東京でハイキングの聖地みたいなところです。



帰りは下道を走ることにする。
自宅までは適当なところで曲がりつつ地元道ばかりをつないで帰ろうとも考えたが、時間がかかりそうなので20号で東に進み、16号で南に下り、246号で東に進むという幹線道路ばかりの芸のないルートで帰ってきてしまった。
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ところで国道20号は甲州街道と呼ばれていても、江戸時代の甲州街道とはまったくルートが違う別物。旧甲州街道は今でも都道や県道に姿を変えてあちこちに残っていて、木下沢梅林前を通る都道516号もそのひとつ。そして梅林から数キロ西に進んだところで都道は終わり、その先はいわゆる廃道になっているらしい。廃道というのは見たことがないので探検してくるつもりだったのに、梅を見てボーッといい気分になったせいで忘れてしまった。

走行125キロ。
帰りは3時間近くかかったけれど、たまには街中を走るのも悪くなかった。

最後にもう一枚。
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  山里に
  春があざやか
  梅の花

バイクでハイク(^^ゞ


おしまい

wassho at 22:59|PermalinkComments(0)   *ツーリング | お花畑探訪

2014年03月23日

木下沢梅林

先週の日曜に引き続き、三連休最終日も快晴で暖かいバイク日和でありがたや。それで八王子の高尾山近くまで観梅ツーリングに行ってきた。一昨年は東京都府中市にある郷土の森博物館、去年は水戸の偕楽園と3年連続の観梅ツーリングになる。

梅のことなど何も知らなかった2年前。そして意外と梅が気に入り、次はとりあえず一番メジャーなところへ行ってみようというのが去年だった。ところで「偕楽園の梅」は全国的に多くの人が知っていると思うけれど、関東で梅の名所として偕楽園とともにツートップを張るのは東京都青梅市にある吉野梅郷という所なんだそうである。バイク的に言うなら走り屋のメッカである奥多摩湖に行く途中にある。

いろいろネットで調べてみると確かに素晴らしい。吉野梅郷は4キロほどにわたるエリアで、その一番の名所が「青梅市梅の公園」というところ。が、なんと!数年前からプラムポックスウイルスという梅の伝染病が広まり、今シーズンを最後に公園の梅の木をすべて伐採するとのこと。1700本あった梅のうち昨シーズンまでに500本が伐採されており、今がまさに梅の公園を見られるラストチャンス。

これはぜひ見に行かなくてはと考えたが、

  今年が最後なので見納めに来る人が多い。
  冬が長く最近咲き始めたので、まさに今、見に来る人が集中している。

つまりメチャ混んでるという情報が(/o\)

ちょっと悩んだが、梅を見に来たのか人を見に来たのかわからないようじゃ楽しくないし、人出が少ないうちに着くよう朝早く出かけるにはまだ寒いし、あの付近はスリヌケもできない道路幅だしーーー。

という軟弱な理由で吉野梅郷は断念。ちなみにウイルス対策として伐採後の3〜4年は更地のままとし、新たに植樹をして元通りの梅林になるのに10年程度かかるらしい。つまり次の機会は15年ほど先。まっ、楽しみは先にとっておきましょう。それに吉野梅郷すべてが伐採されるわけでもない。


梅をバックにBMW F800R。
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というわけで3年目の観梅として選んだのは八王子にある木下沢梅林。同市の中央自動車道沿いエリアは高尾梅郷と呼ばれ梅の名所が点在している。木下沢梅林はその中で一番規模が大きい。
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往きのルートはほとんど高速道路。八王子のインターで降りるとちょっと遠いので、八王子ジャンクションから圏央道で高尾山インターまで行く。バイクのナビに木下沢梅林は載っていなかったので、すぐ近くのマス釣り場をセット。でもバイクの地図データーは3年前に買った時のままだから、その後にできた高尾山インターやその接続道路などはナビってくれない。おかげでナビが「知っている道路」に出るまでちょっとウロウロ。それでも高速が渋滞していなかったので自宅から1時間ちょっとで到着。
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木下沢梅林あたりは標高200メートルくらいのはずだが、
まだ雪が残っていてビックリ。
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梅林の入り口。
木下沢は「こげさわ」と読む。知らなきゃ絶対読めないね。
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ここは中央自動車道の真横に面している。
入り口を入ってすぐはこの殺風景な通路。
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飲めや歌えやはダメ。
サクラと違ってウメで宴会をする人はほとんどいないが。
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上の写真の一番奥のコーナーを曲がると、段々といい雰囲気に。
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もう少し上まで登る。
写真に写っているのは案内図右上で花咲かじいさんのイヌがいるあたり。
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案内図で管理棟が記されているあたりが丘になっている梅林のてっぺん。
そこから中に入ると、こんな梅や、あんな梅が迎えてくれる。
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ーーー続く。

wassho at 22:46|PermalinkComments(0)   *ツーリング | お花畑探訪

2014年03月20日

観音崎灯台 その3

灯台から降りて下から眺めるの図。
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昔の設備がいろいろと展示されている。

日時計を置いていたという台。
日時計って実用的に使われていたんだ。でも灯台が活躍するのは夜だから、日時計はあまり役立たない気もするが。
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灯ろう(とうろう)。
灯台の電球部分を「灯ろう」と呼ぶとは知らなかった。灯ろうというと何となく日本庭園にあるイメージ。ここに展示されている灯ろうは平成2年11月まで八丈島の神湊灯台で使われていたものらしい。その神湊灯台はなぜかネットで検索してもほとんど情報がない。
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霧信号吹鳴器。
吹鳴は「すいめい」と読む。霧の時に警笛を一定間隔で鳴らして、船舶は警笛の聞こえてくる方向から自分の位置を確かめるという仕組み。霧笛(むてき)ともいう。これが設置されているところを霧信号所と呼び、だいたい灯台に併設されていたらしいが、霧信号は2010年までに廃止されたとのこと。
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霧笛というと低く重い音を連想する。でも、これを見ても音の想像をするのは難しい。どんな音だったんだろう。1回くらい聞いてみたかったな。残念。
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灯台は見るのも好きだし、灯台の上にのぼって眺める海も好き。しかしレーダーやGPSとかがある時代に、光で場所を教えるという原始的な仕組みがまだ役立っているのかな。そのあたりはちょっと疑問。


最後に思い切りあおって撮って観音崎灯台とさよなら。
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登ってきた道を下る。
やたら太い鎖は手すりというより落石を食い止める役割のようだ。写真の奥にある柵も落石対策。
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遊歩道に戻って岬の先のほうに進む。
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デジカメで撮ると見た目より海は青く写りがちだが、この日は本当に青々とした海の色だった。天気もよくて海もきれいで幸せな気分になる。
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砂浜の面積はわずか。このあたりは下に降りることはできない。
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これも前から気になっている謎の構造物。旧海軍が建てた潮位測量施設とも、潜水艦の音を捉えて探知するための施設だったとも言われている。
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その謎の構造物がある陸地側は広場のようになっている。しかし防衛省の敷地になっていて立ち入り禁止。遊歩道からは見えないが、この敷地には海上自衛隊の観音崎警備所というものがある。たぶん警備業務はしていないだろうが、ここは外国の軍艦が来た時に礼砲を打つ場所として有名。というか日本で海上に礼砲を打てるのはここしかないらしい。
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広場の先に見えるのは潜水艦と釣り船が衝突した「なだしお事件」の慰霊碑。
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話は変わるが、もう病気で亡くなられた昔よく仕事をしたUさんという人がいた。彼は大の釣り好きで、潜水艦に衝突されて沈没した釣り船の第一富士丸はよく利用していたと言っていた。ふとそんな話を思い出し、なだしお事件とはぜんぜん関係ないが、Uさんを偲んで遠くから慰霊碑に手を合わせておいた。



遊歩道をさらに進むと素彫りのトンネルがある。相変わらず迫力満点。このトンネルを渡ると公園の外に出てしまうので、ここで引き返す。
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波が岩に打ち寄せる写真を撮ろうとしたら、
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船が視界に入ったので岩とのツーショット。
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それと波打ち際に降りてローアングルも撮らないと気が済まない(^^ゞ
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散歩して灯台に登って観音崎にいたのは二時間くらい。猛烈にリフレッシュできた気がする。海は偉大なり。この日は欲張らずに、そのまま引き返す。また往きと同じく高速道路ばかりじゃ芸がないので三浦半島の東海岸沿いを北上。
地図

横須賀の中心街を通った時のこと。このあたりは何度も通っているが、信号待ちでふと横を見ると商店街の看板に英語が多いのに気付く。ここが「どぶ板通り」だったんだと知る。「どぶ板通り」の暗い響きから、もっと寂れたところにあるものと思っていた。まわりを見渡すと外人も多かった。観音崎のある横須賀は基地の街でもある事を実感。横須賀の駅から米海軍基地までは1キロちょっとくらいの距離。

その後はしばらく16号線をノンビリ走って、幸浦(さちうら)という縁起のいい名前のインターチェンジから首都高湾岸線に乗り、ベイブリッジを渡ってヴウォーンと帰る。帰りはバイクの温度計が20度になることもあった。

走行130キロ。まだ日も高い午後4時頃に帰宅。
バイクの乗り方を忘れてなくてよかった。


おしまい

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2014年03月18日

観音崎灯台 その2

灯台の横にあるのは民家みたいな作りだが、事務所と資料展示室が入っている。
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基準金額として200円の寄付を要求される仕組み。管轄は社団法人で住所が港区虎ノ門。典型的な天下りの受け皿かな。ちなみに社団法人への寄付なら所得から控除される。でも200円の領収書をもらうのを忘れた。まっ、入場券売り、もとい寄付金受取係のオバチャン達は愛想がよかったからいいか。
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間近で見上げる観音崎灯台。
1869年(明治2年)に日本で最初に完成した西洋式灯台である。
高さ19メートル。海面からの高さは56メートル。
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灯台の歴史
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もう少し調べてみると

  1868年(明治元年)9月17日着工、同年12月29日完成と、たった3ヶ月で
  建てたのがこの初代観音崎灯台。年を越えて1869年(明治2年)1月1日にめ
  でたく初点灯。当時は電球ではなく菜種油や落花生の油、パラフィン、石
  油などを用いていたとある。灯台と言うよりタイマツだね。

  1922年(大正11年)4月26日の地震により亀裂ができたので取り壊し。
  1923年(大正12年)3月15日に二代目灯台完成。着工〜竣工の記録は見あ
  たらなかったが、この時も仕事が早い。なお、この二代目からから電球と
  なる。

  しかし同年9月1日の関東大震災により倒壊。わずか半年の活躍に終わる。

  1925年(大正14年)6月1日三代目が完成し現在に至る。
  したがって、この観音崎灯台は御年88歳。

ところで上の看板には高浜虚子の俳句とともに、大久保武雄という初代海上保安庁長官の俳句も書かれている。そんな粋な官僚が昔はいたのかと調べてみると、なかなかおもしろい人物。興味があったら検索してみてちょうだい。


海の反対側から灯台の敷地に入って、灯台に上る階段は海に面した側にあるので灯台の下をグルッと回ることになる。観音崎ってマムシいるの〜(/o\)
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水仙が咲いていた。
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子供の頃大好きだった有料双眼鏡。
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ここから灯台の階段を上る。
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入り口に歴史を感じさせるプレート。
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螺旋階段。
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壁には各地の灯台の写真。
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展望台という呼び方はふさわしくないが、とにかく外に出る。
寄付金係のオバチャンが「風が強くなってきたから気をつけてください」と言っていて、別に気にしていなかったけれど、灯台の上部は手すりがなければ吹き飛ばされるくらい風が強かった。
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下を眺める。
灯台の下ではそんなに風は吹いていなかった。写真では小さいが人の髪は乱れていないし帽子も吹き飛ばされていない。高さ19メートル(立っている位置は15メータくらいか)でずいぶんと違うものだ。
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このハシゴに登ってはいけないと書かれていなかったが、凄まじい強風にそんな気持ちは起こらず。
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電球部分。
ところで写真をクリックして拡大するとわかるが右下に人の指が写っている。ギャーッ! 
たぶん私の指だと思うけど、でもやたら指が長いからやっぱり心霊写真?
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灯台の影を撮ってみた。
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灯台の上から見る海は広くて気持ちがいい。
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ーーー続く

wassho at 20:36|PermalinkComments(0)   *ツーリング 

2014年03月16日

観音崎灯台

大晦日に走り納めをして元旦に走り始めをした以来だから、約2ヶ月半ぶりに久々のバイク。ようやく暖かくなってきた。

40年に1回レベルの雪が2度も降る(表現としておかしいかも)など今年の冬は寒かった。もっとも去年の夏も10月に30度越えと、遅い真夏日の記録を98年ぶりに更新する記録破りの酷暑。何となく経験則で夏が暑ければ冬が寒いと思っている。それで今年の冬はその通りになったのだが、先日どこかで冬が寒ければ夏が暑いと書いてあった。両方の仮説が正しいとすれば永遠に猛暑と厳冬が続くことになる(>_<) ほどよい四季の移り変わりでありますように。



本日の最高気温は18度と高いものの、朝は5度くらいと冷え込むとの予想。それと久々のバイクなので、距離的にも欲張らないで慣らしツーリング程度がよかろうと目的地は観音崎に。何度か訪れているが灯台には登ったことがないから、それをメインイベントにすることにした。

地図は上から反時計回りのルート。往きは第三京浜〜横浜自動車道〜横浜横須賀道路と全行程の98%くらいを高速道路が占める。
地図

午前11時過ぎの出発でバイクの気温計は12.5度。早いものでBMW F800Rは丸3年になる。真冬に約2ヶ月半の放置でバッテリーが心配だったが、セル1秒で問題なくエンジン始動。まだしばらくバッテリー交換しなくていいかな。

第三京浜を走っているうちに気温は15.5度に上昇。日差しもたっぷりでバイク日和。ちなみに本日は冬用のバイクジャケットではなく革ジャン着用。その下に極薄ダウン〜普通のハイネックシャツ〜ヒートテックの下着というしつらえ。革パンツの下はタイツなし。寒くもなく暑くもなく快適だったが、風がきつかった。横浜横須賀道路ではところどころ突風でビビる。


終点の馬堀(まほり)インターで降りれば観音崎までは10分もかからない。
でもちょっと道草。


バイクを道路の隅っこに駐める。
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振り返った丘の上には防衛大学の建物。防衛大学が観音崎にあることはあまり知られていない気がする。
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それで道路沿いになぜかウッドデッキ。
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そこから見おろす馬堀海岸。
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それがどうしたって? ご疑念はごもっとも。
実はこの展望台は富士見の名所。この日は霞んでいて見えなかったが、気象条件がよければこんな感じだとよそのブログに。

三浦半島の東側にいて、海越しに西側にある富士山が見えるとは理屈に合わない。しかし馬堀海岸あたりは東西に伸びているので、この展望台のようにちょっと海に突き出しているところなら東京湾越しの富士山が見えるというわけ。(上の地図を参照されたし)

でもまあ空気の澄んでいる冬しか見られないんだろうな。冬にここまでやってくるのは寒いから、私がここで富士山を見るのはいつになることやら。なおここは破崎(やぶれざき)という場所。




破崎から観音崎まではほんの数分。


ブログでも何度か紹介した光景。
白い塔は灯台ではなく海上保安庁の東京湾海上交通センター。平たく言うと東京湾内の船舶の交通整理をしている指揮所。
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沖合数メートルのところにある、毎度おなじみの謎の構造物。
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春の海、ひねもすのたりのたりかな。
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透明度よし。
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海岸沿いに進んでいく。
地層のよくわかる岩がゴツゴツ。
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入り口のほうを振り返る。
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海草がみっちりはえている岩。ほんのわずかしか離れていないのに、海草がある岩と無い岩の違いはなにゆえ?
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陸地に上がって道を進む。
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広場になっているところでは座って海を眺められるようになっている。
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現在位置。
入ってきたのは観音崎園地と書いてあるあたり。
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灯台方向に進む。
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灯台への道の手前にあった西脇順三郎の詩碑。
ノーベル賞に4回もノミネートされた詩人らしいが、よほど詩が好きな人以外は知らないだろう。ということはほとんどの人は知らない。私もさっき調べて初めて知った。日本には俳句や短歌があるから詩はあまり人気がない気がする。
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それでこの詩。1回読むと「それがどうした」という感じなのだが、繰り返し読んでみると、段々といい感じになってくるからおもしろい。


けっこう急な坂である。
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春の息吹。
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西脇順三郎がいろいろ思索しながら歩いた道をヒイコラ登る。
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灯台到着。
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ーーー続く。

wassho at 22:50|PermalinkComments(0)   *ツーリング 

2014年03月12日

ウクライナあれこれ その6

しばらく前にロシアの会社と仕事をした時のこと。


その1

現地でのプレゼンテーションで使う、とあるものを日本から送った。フェデックスやDHLを使えば2〜3日で届くが、少し割高なのと、ややこしい書類を書かなければいけないのでEMSで送った。EMSはExpress Mail Serviceの略称で郵便局が扱っている。イメージとしてはゆうパックの海外版と国際速達書留を足したようなもの。アメリカならフェデックスの1日遅れくらいで届くが、ロシアとかだと=公共サービスのレベルが低い国だと遅いという話も聞いていた。

  しかし日程的には3週間の余裕があったのでEMSで送った。
  3週間たっても届かなかった(/o\)

届いたのは4週間後、日本から送り込んだチームがロシアから帰国した後である。受け取り側のロシアの会社は、何度かロシアの郵便局に問い合わせてくれたがラチがあかず。

ところがである。その時は日本在住のロシア人を通訳として同行させた。後で知ったのだが、その通訳いわく「郵便局の窓口で2000〜3000円くらいの賄賂をつかませれば、すぐに荷物は出てくる」。それが本当かどうかは確認していない。しかし、一流の通訳なので適当なことを言っているとも思えない。さらに、そんなやり方を受け取り側のロシアの会社が知らなかったんだろうかという疑問もある。彼らの仕事ぶりは誠実で満足のいくものだった。そこだけ手を抜いたとも考えづらい。

ロシアで継続的に仕事をするわけではないので「もう済んだこと」で終わらせてある。でもロシアに何か送ることがある人はご注意を。ちなみに荷物はいつまでたっても届きそうになかったから、あきらめて日本からロシアに行くチームが運んだ。



その2

そのプロジェクトは、こちらが発注側。だから請求書が届いて銀行で振り込む。海外送金であることを除けば国内も国外は支払いの作業は同じ。しかしロシアの場合は先方の口座入金の際にプロジェクトの終了証明書みたいなものが必要らしく、その書類にサインしてくれと頼まれる。

ロシアから届いた書類は両当事者が署名する契約書みたいな様式。先方の担当者のサインとともにスタンプが既にに押してあった。社名のスタンプでパスポートに押されるようなものを想像してもらいたい。当然、そんなものはこちらにない。そのためだけに英語表記のスタンプを作るのももったいないので、私が署名をした横に、朱肉も鮮やかな社判を押して送り返した。 

その後に何も言われなかったから社判で問題はなかったみたい。どうせ日本語は読めないのだから、こんなスタンプでもよかったかな?
よくできました











日本とはというより、いろんな国と仕事をしているが、何かと勝手の違うロシアのお国柄という話。もうウクライナのウの字も関係なくてゴメン。

ーーータイトルは変えずにまだ続く。

wassho at 07:54|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2014年03月11日

ウクライナあれこれ その5

ソ連が崩壊した時に連邦を構成していたのは15カ国。今はそれぞれ独立した国家となり、オリンピックにも国連にもそれぞれで参加あるいは加盟している。前回のエントリーで国名の変遷を書いたが、ロシアの現在の正式名称はロシア連邦である。 ン? 連邦?


そう、ロシアは今も国内に別の国がある国なのである。
以下がその国々。(アイウエオ順)

    アディゲ共和国
    アルタイ共和国
    イングーシ共和国
    ウドムルト共和国
    カバルダ・バルカル共和国
    カラチャイ・チェルケス共和国
    カルムイク共和国
    カレリア共和国
    コミ共和国
    サハ共和国
    ダゲスタン共和国
    タタールスタン共和国
    チェチェン共和国
    チュヴァシ共和国
    トゥヴァ共和国
    ハカス共和国
    バシコルトスタン共和国
    ブリヤート共和国
    マリ・エル共和国
    モルドヴィア共和国
    北オセチア共和国


ソ連の構成国には聞き慣れた名前もあったが、ロシアの共和国で名前を知っているのはチェチェンだけ。やっぱりソ連あるいはロシアの構成国が話題になるのは独立運動とか内戦とかテロやゲリラといった血なまぐさいことが多い。



ソ連邦はロシアも含めた15カ国(崩壊当時)の上部組織として存在した。実際はソ連=ロシアだったかもしれないが、少なくとも建前はそうだった。だからソ連邦構成国家という時にはロシアも含まれる。しかし上にあげた21の国はロシアという国の中にある。なんかヘンナ感じ。どうもイメージがつきにくい。

ちなみに現在のロシアはその21国の共和国以外に、46の州、9の地方、2つの市、1つの自治州、4つの自治管区の合計83の区分に別れている。「地方」なんておかしな名前の付け方だと思うが、聞き覚えのあるハバロフスクとかカムチャッカなどは「地方」に分類されている。

まあとにかく、国というのは村・町・市・都道府県と順番に大きくなった一番最後だとずっと思っていたのに、国の中に国を作ることもできるというのが、常識を覆されたようなインパクトがあって長々と書いている次第。

この21の共和国というのが、他の83-21=62の区分と較べてどんな位置関係にあるのか、ソ連邦の構成国だったロシアの時代にも国だったのかーーーなどは興味深いとところではあるが、今のところは調べていない。そろそろソ連・ロシアの自由研究も飽きてきた(^^ゞ


ところで日本は47都道府県に別れるが、なぜか48都道府県という言葉もある。明確に数え間違いなんだけれど、たまに見かけるし、私も47だったか48だったかとっさに迷う時もある。(迷ったら少ない方と覚えましょう)。樺太が日本領だった頃は48だったとか、沖縄が米国領だった時代は46だったのに、47のまま言葉が残り、沖縄返還後に47に1つ足して48と数えてしまったなど諸説あって日本語の謎のひとつである。念のため書いておくとAKB48が誕生するずっと前から48都道府県という言葉はある。

実は先ほど、47都道府県を全部いえるか数えてみた。結果は42都道府県どまり(/o\) どの県を思い出せなかったかは内緒(^^ゞ

都道府県を習うのは中学生だったっけ。ロシアの中学生は83区分覚えなければいけないとしたら大変だなあ。


ーーーもうちょっと続く。

wassho at 00:32|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2014年03月10日

ウクライナあれこれ その4

もうほとんどウクライナとは関係ない話になってしまったが、 
前回、連邦についてあれこれ書いたのは、普段は当たり前と思っている国という形にも、いろいろ違いがあるんだなあと新鮮だったから。


ソ連はロシアが中心になって作った連邦国家。構成国はロシアを含めてのべ17カ国。途中で分割されて新しい国になったり、ロシアに吸収されたりした国もある。それぞれの正式名称には「ソビエト社会主義共和国」が名前の後ろにつく。でもウクライナは「社会主義ソビエト共和国」。なぜ語順を揃えなかったんだろう。

   (アイウエオ順)
   アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国
   アルメニア・ソビエト社会主義共和国
   ウクライナ社会主義ソビエト共和国
   ウズベク・ソビエト社会主義共和国(ウズベキスタン)
   エストニア・ソビエト社会主義共和国
   カザフ・ソビエト社会主義共和国(カザフスタン)
   カレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国※
   キルギス・ソビエト社会主義共和国(キルギスタン)
   グルジア・ソビエト社会主義共和国
   ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国※
   タジク・ソビエト社会主義共和国(タジキスタン)
   トルクメン・ソビエト社会主義共和国(トルクメニスタン)
   モルダビア・ソビエト社会主義共和国(モルドバ)
   ラトビア・ソビエト社会主義共和国
   リトアニア・ソビエト社会主義共和国
   ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国
   白ロシア・ソビエト社会主義共和国(ベラルーシ)

※印がついているのは途中でなくなっている国。
( )内に書いてあるのは独立後に微妙に国名が変わった国。

ソ連が崩壊してそれぞれ独立して、その時に「ソビエト社会主義共和国」の名前は取れた。ただしウクライナ、グルジア、トルクメニスタン以外の国は、例えばアゼルバイジャン共和国というように後ろに共和国とつく。なおロシアはロシア連邦である。


リストアップして眺めてみると、※印のカレロ=フィンとザカフカースは私が生まれる前になくなっているから知らなくて当然として、その他はだいたい名前くらいは聞いたことがあるかな。なんとなく紛争がらみのニュースの時のような気もするけれど。ただしトルクメニスタンとモルドバという国名は聞いたことがあるようなないような微妙なレベル。「なんとかスタン」という国名が多いから紛らわしい。ちなみにスタンはペルシャ語で国とか地方を意味するらしい。


ところで国というのは、村があって町があって市があって都道府県があって、その最後の集合体、言い換えれば、それより上部組織がないのが国というイメージがある。でも連邦国家はそうではないわけで、ソ連時代にそれぞれの国の人にとって国家とはどんなイメージだったんだろうかと思う。

それと国家というのはオリンピックに参加する単位、国連に加盟する単位というイメージもある。ソ連の頃、オリンピックにソ連邦各国の選手はソ連の選手として参加していた。ウクライナで一番有名なスポーツ選手である棒高跳びのセルゲイ・ブブカも、金メダルを取った頃は「ソ連人」だった。関係ないけど昭和の大横綱である大鵬は、父親がウクライナ人だって知ってたあ?

しかしオリンピックではソ連という1つの単位だったのに、なぜか国連にはソ連とウクライナとベラルーシの3カ国で加盟していた。これには国連創設当時にこんなやりとりがあったらしい。

   ロシア 「ソ連邦の16カ国(当時)で加盟する」
   アメリカ「ふざけんな! だったら我が国は49州(当時)で加盟するゾ」

それで妥協が成立して、結局ウクライナとベラルーシがソ連とは別枠で加盟することになった。なんか子供のケンカみたいでおもしろいね。


ーーーまだ続く。

wassho at 08:27|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2014年03月08日

ウクライナあれこれ その3

ソ連は崩壊して、今はロシアになった。
ウクライナは旧ソ連の一部だった。

ソ連がロシアになったことを知らない人はいないと思う
ーーーと書こうと思ったが。


崩壊は1991年(平成3年)だから、早いもので今から23年も前。その頃に子供だった人は、後からソ連のことを知識として知ったとしてもあまりピンと来ないかもしれない。今生きている日本人にとって、中国は以前「清」という国だったことが歴史としてしか感じられないことと同じ。ソ連崩壊時に10歳だった人は今33歳。そんな立派な大人が知らないことを、自分は肌で感じて知ってるなんて歴史の生き証人の古老になった気分。


それはさておき、
ウクライナのことをブログに書こうとした時、ソ連あるいはロシアについて実はあまり知識がないということに今さらながら気がついた。それでいろいろ調べて興味深かった点をいくつか紹介。ザッと調べただけだから間違っている点もあるかもしれないので、そのつもりで読まれたし。それとひんぱんに横道にそれるのが私のブログだが、たぶん今回はいつも以上になる予感。



さてソ連はソビエト連邦の略であり、正式にはソビエト社会主義共和国連邦である。それくらいはわかっているが、知っているようで知らないのが連邦という言葉。

辞書には「2つ以上の国または州が1つの主権の下に結合して形成する国家」とある。ソ連とかアラブ首長国連邦などは名前がわかりやすいけれど、意外だったのはドイツも正式名はドイツ連邦共和国であり、スイスはスイス連邦だったこと。次のワールドカップのあるブラジルもブラジル連邦共和国だった。知ってたあ? 

これらの国は州=地方政府の集合体として国家を形成していると考えていいと思う。日本の都道府県は国の行政代行機関に過ぎず地方政府ではないから日本は連邦国家ではない。江戸時代の幕藩体制は徳川家が中央政府で各藩が地方政府の連邦制とみなせなくもない。アメリカは合衆国と呼び名は違うがもちろん連邦国家。アメリカの各州は独自の州憲法を持ち州兵もいる。ところで、すっかり下火になっている日本の道州制議論。本来は現在の中央集権じゃなく中央政府・地方政府の連邦制を導入するかどうかが本質。でもほとんどの議論が都道府県の合併程度しかイメージしていないから、仮に導入されても何も変わらないというのが私の推測。大蔵省が財務省になった省庁再編で日本の行政が変わらなかったのと同じ。



話をソ連やウクライナに戻す。アメリカなどは州が集まって連邦国家になっている。それに対してソ連は国が集まって連邦国家になっている。州でも国でも集まれば同じく連邦というのは言葉的にアバウトだと思うが、そういう定義だから仕方がない。でも州の集まりと国の集まりはかなり違うと思う。

州連邦というのは、各地域をまとめて1つの国にしたもの。無理やり例えれば家康の天下統一のイメージ。一方で国家連邦は、というよりソ連邦はこんな成り立ちじゃないかと想像する。

(ソ連成立前の)ロシアは周りの国を平定してもっと大きな国になりたかった。
でも、そこまでの力はなかった。
それで周りの国に「ソビエト連邦という連邦国家を一緒に作ろう。別に君たちの国がなくなるわけじゃない」と持ちかけた。
ロシアの周りの国は、ロシアと戦って勝ち目はなかった。だから実を捨てて名を取ってソビエト連邦に加盟した。

※最初はロシア、ウクライナほか4カ国から始まり、最終的には15カ国になった。


家康に統一された側の地方は、悔しさはともかく戦で負けたり、あるいは自ら進んで配下に入ったわけだから諦めもつく。1つの国にまとまったという連帯感もやがて生まれる。でもソ連式はそれぞれの国というアイデンティティは残るわけである。統一ではなく連合のイメージ。だからソ連の周りではいろいろゴタゴタが多かったんじゃないかな。

そしてソ連崩壊というのはソ連の中央政府の崩壊である。だからそれを立て直す選択肢もあったはずだが、ソ連邦を構成していたロシア以外の14の国はソ連の再建ではなく連邦からの独立を選んでいる。幕末に薩長は幕府を倒そうとする。言い換えれば日本という国を再構築しようとしたのであって、徳川幕藩体制から抜けて独立するなどという考えは持たなかったはずだ。

※ロシアもソ連から独立したことになっているが、話がややこしくなるのでカウントしなかった。


ーーーとりとめもなく続く。

wassho at 17:52|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2014年03月06日

ウクライナあれこれ その2

縁もゆかりもないウクライナなのに、昔から何となく親しみを持っていたのはアニメのルパン三世の影響。ウクライナの銀狐という名前の老婆が登場する作品があったから。なぜかその響きが印象的でいまだにその名前をよく覚えている。

ルパン三世の放送が始まったのは私が中学生の頃。とても熱中してみていた記憶がある。ただし今になっても覚えているのはそのウクライナの銀狐と、もう1作品だけ。後者の作品のインパクトは強烈で、いつかあんなことをやってやろうと思っていた。そして40ウン年たった現在、ナントその思いは実現しつつある。それは自宅にあるのだが、まだ完成途中なのでブログで披露できるのはもうちょっと先かな。もちろん何も盗んでいないよ。


ウクライナの銀狐のほうは老婆だったのと、何か雪の景色が多かったくらいは覚えているものの、作品の内容はすっかり忘れてしまっていた。でも今は便利なインターネット検索の時代。調べてみるとタイトルは「ニセ札つくりを狙え!」で、ウクライナの銀狐は引退した偽札界の女ボスだった。ウンウン何となく思い出してきたゾ。



このお方がーーー
と思わず敬語になってしまう貫禄充分なウクライナの銀狐。
ぎんぎつね


この雪に覆われた時計台が物語の舞台。
時計台


“ルパン三世 ニセ札つくりを狙え!”で検索すればいくらでもヒットするし、動画でまるまる見られるサイトもある。興味のある人はどうぞ。


ーーー続く。

wassho at 08:38|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 | 映画、ドラマ、文学

2014年03月05日

ウクライナあれこれ

ウクライナで反政府デモによって政権が倒れ、何かと混乱しているところへウクライナ南部のクリミア半島をロシアが制圧した?という報道が連日流れているのはご存じの通り。

いろんな観点があると思うが、私が感じるのはプーチンのすごさ。
決断力、実行力、スピードともに(今のところ)他国の首脳陣を圧倒している。なんたって国籍不明を装った軍隊を秘密裏に送り込むなんて、映画でもなかなか思いつかない。アメリカをはじめとする西側諸国はロシアに対抗して軍事力を展開するでもなく、国際法に違反しているだとか経済制裁をするゾとかを叫ぶにとどまっている(今のところ)。オバマ大統領は当選当時の勢いはとっくにないが、最近見かける映像では苦悩するひ弱な学級委員長みたいである。残念ながらとても世界のリーダーには見えない。


今回のプーチンの行動が今後ロシアにどのような影響があるかについては、国際政治に通じているわけじゃないから「いろいろ大変かもね」程度にしかわからない。そういえば東京都知事になった舛添要一を、テレビで見かけた頃の肩書きは国際政治学者だったけ。

しかし、ひとつ確信したことがある。日本とロシアの関係でいえば、北方領土が重要課題。長年やっているけれど、近々、新しい局面に動き出しそうだなどといわれている。


    かなうわけないね、プーチンに(^^ゞ


もちろん、それは島が絶対に返還されないという意味ではない。ひょっとしたら戻ってくるかもしれない。しかし北方領土返還という全体の取引の中で表も裏も含めて勝者になる、いいとこ取りするのはプーチンに違いない。


ちなみにプーチン大統領ともっとも親しくしている日本の政治家は森喜朗元総理らしい。ソチのオリンピックで「見事に転んだ! 浅田真央は大事なところで必ず転ぶ」「負けるとわかっている団体戦に浅田真央を出場させて恥をかかせる必要はなかった」とのたまって次期東京オリンピック大会委員長を務める森元総理である。首相在任中は「日本は天皇を中心とした神の国」「(選挙の時)無党派層は寝ていてくれればいい」と連発し、またかつては「大阪人は金儲けばかりに走り公共心もない“たんつぼ”だ」と失言番長の森元総理である。

その中身と風体から永田町ではゴリラの身体にサメの脳みそと呼ばれているとか。ずいぶん前に森元総理の外交に同行した官僚が書いた本を読んだことがある。そこには「森総理は現地に着くまで政府専用機の中で、新聞を読んで記事に線を引きながら熱心に勉強しておられた」と書いてあった。官僚に大事な難しい資料は渡してもらえなかったのかな。

森元総理にはプーチンの接待当番でもしてくれればいいのだが、やっぱり北方領土交渉に一枚噛んで、でしゃばってくるんだろうな。ただでさえ難しい交渉なのに先行きが思いやられる。もっともプーチンはこういうことも見越して彼と懇意にしていたりして。


ところでウクライナには知り合いもいないし行ったこともない。元はソ連の一部で、ソ連崩壊後に独立したことを知識として知っている程度。中学校の時にウクライナはソ連の穀倉地帯と習ったかな。というわけで縁もゆかりもないところなのだが、昔から何となく親しみを持っている名前でもあるのだ。

その理由はーーー続く。

wassho at 08:54|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2014年03月02日

チューリップはほとんど発芽

40年ぶりクラスの大雪が2度あり、ベランダにもかなり雪が吹き込んだが、幸いチューリップは順調に育っている。
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最初の発芽が推定で1月8日。
土曜か日曜日に観察しているが、その後の経過は

   1月14日 17発芽
   1月25日 37発芽
   2月02日 70発芽
   2月09日 100発芽
   2月16日 雪に気を取られて観察を忘れる(^^ゞ
   2月22日 116発芽
   3月02日 暫定133発芽

ただし植えた球根は130個だから133も発芽するのはおかしい。
その説明は後ほど。



1月14日の発芽直後。
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2月02日。
ある程度まとまって発芽している箇所が出てくる。
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すでに芽の先が割れ始めているものもある。
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2月09日。
かなり賑やかになってきた。
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2月22日。
芽に力強さを感じるようになる。
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早くもチューリップっぽい形になっているものも。
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3月02日。
本日の様子。ニョキニョキ感あり。
もっとも大きな芽は9センチ。
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本日に数えて133発芽になってしまったのは、ひとつの球根から複数の芽を出しているものがあるから。

例えば中央に写っている3本の芽は、こんなに密集して球根を植えていないから、1つの球根から3つ発芽したものと考えられる。こういうものは発芽のカウントでは1つと見なしている。
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しかし、こんな状態のところは数え方が難しい。
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というわけで「これとこれはひとつの球根の芽だからカウント1」「これとこれは別の球根だからカウント2」とか適当に数えていたら球根数を超える133発芽になってしまったというわけ。まあ2月9日に100を超えたあたりからのカウントはかなりアバウト。

プランターの中は5分割または6分割して、それぞれ違う色または品種の球根を植えてある。この写真だと奥の右側はよく成長しているが左側は小さめ。そして真ん中あたりはまだ発芽していない。
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この違いは色や品種による影響。6つのプランターを見渡すと、遅めに発芽する球根が10個か15個くらいまだ発芽していない模様。


まあ気長に楽しみながら待ちましょう。
本日の東京の最高気温は6度弱と寒く、関東の山沿いではまた雪の予報。
でもチューリップを見ていると春はそこまで来ているようで。

wassho at 17:32|PermalinkComments(0)   *チューリップ