2014年07月
2014年07月30日
夏のバイクツーリングの秘密兵器 その5 VENTZ
去年の8月に夏用のバイク用品のエントリーを4つ書いた。
もう買うものはなかろうと思っていたらーーー
ジャケットの袖口に装着して空気を服の中に導くアイデア商品。
VENTZという商品でイギリス製。会社名もVENTZで今のところこの商品のために作られた会社らしい。振り仮名はベンツまたヴェンツ。
VENTZのホームページでは温度を25%下げると書いてある。体感温度が7度か8度下がると宣伝している日本のホームページもある。
アイデアはわかるとして、夏に着ているのはメッシュの革ジャンだから効果があるのかなと思いつつ、それでも猛暑が楽になる誘惑には勝てず、ほとんど反射的にクリック(^^ゞ 購入したのはアマゾン。消費税と送料込みで3090円。もちろん両手首分。色は革ジャンのステッチに合わせて赤にした。ちなみに写真で黒く写っている部分はラバー製で、色のついているところがプラスティックである。
先日の足柄城跡〜丹沢湖ツーリングでさっそく装着。
以下はメッシュジャケットに装着した場合の感想として読まれたし。
40キロくらいで風が袖から入っているのを感じ始める。
50キロでは明確に感じられる。
80キロ以上では脇の下に風が届いているのがわかる。
脇を超えて背中や腹・胸にまでは風の流れを感じない。
結論として一般道では「ないよりは気分的にまし」、高速道路では「多少は涼しい」といったところ。25%も温度が下がったり体感的に7度も涼しいということはない。せいぜい2度。でもまあ37度と35度の違いは大きいといえば大きい。先日の高速道路では空気の温度が体温より高い状況だったから、もう少し気温が低ければまた違った感想になるかもしれない。
難点もある。
BMW F800Rはスポーツタイプのバイクほどではないが、ややハンドルの位置が低い。つまりハンドルを握ると手首に角度がつく。だからVENTZを上の写真のように手の甲側に装着すると痛くはないが違和感がある。手のひら側に装着しようとするとジャケットの袖ジッパーがセンターにあるから、少し手首の側面に回り込んで装着することになる。結局、その位置でも違和感がある。でも手の甲側よりはマシ。
それとハンドルを握る時に手首に角度がつけば、VENTZの空気取り入れ口が地面とは平行ではなく断面積が少なくなるから、空気の取り入れ量も減少しているはず。上のイラストのようにハンドルをまっすぐ握れるタイプのバイクならもっと効果が高いだろう。
もっともバイクでは手首に角度をつけないのが正しいライディングポジションだともいわれる。ハンドル位置が低ければ腕を突っ張らずに肘を落として前腕を地面と平行にする→それに合わせて身体もより前傾姿勢にするのがセオリー。その方が腕や肩は楽でコーナーも曲がりやすいのは確かだとしても、身体全体的にはやっぱり無理があるのか、できるだけ心掛けてはいるものの気がつけばつい腕が突っ張ったポジションになってしまっている。VENTZを機会にライディングポジションの矯正に努めるのもありかな。
このVENTZのアイデアは悪くない。今までバイクウエアには空気を抜くベンチレーションはあっても空気を取り入れる発想はなかった。それで望みたいのはウエアとの一体化。必要な時に空気を取り入れられるようリトラクタブル式にして、前腕部と肩につけて欲しい。
リトラクタブル式ヘッドライト↓
ところで一番欲しいのは去年に秘密兵器番外編2で書いたこれなんだけれど。私の希望は未だバイクウエアメーカーには届いていないらしい。ショボーン(´・ω・`)
もう買うものはなかろうと思っていたらーーー
ジャケットの袖口に装着して空気を服の中に導くアイデア商品。
VENTZという商品でイギリス製。会社名もVENTZで今のところこの商品のために作られた会社らしい。振り仮名はベンツまたヴェンツ。
VENTZのホームページでは温度を25%下げると書いてある。体感温度が7度か8度下がると宣伝している日本のホームページもある。
アイデアはわかるとして、夏に着ているのはメッシュの革ジャンだから効果があるのかなと思いつつ、それでも猛暑が楽になる誘惑には勝てず、ほとんど反射的にクリック(^^ゞ 購入したのはアマゾン。消費税と送料込みで3090円。もちろん両手首分。色は革ジャンのステッチに合わせて赤にした。ちなみに写真で黒く写っている部分はラバー製で、色のついているところがプラスティックである。
先日の足柄城跡〜丹沢湖ツーリングでさっそく装着。
以下はメッシュジャケットに装着した場合の感想として読まれたし。
40キロくらいで風が袖から入っているのを感じ始める。
50キロでは明確に感じられる。
80キロ以上では脇の下に風が届いているのがわかる。
脇を超えて背中や腹・胸にまでは風の流れを感じない。
結論として一般道では「ないよりは気分的にまし」、高速道路では「多少は涼しい」といったところ。25%も温度が下がったり体感的に7度も涼しいということはない。せいぜい2度。でもまあ37度と35度の違いは大きいといえば大きい。先日の高速道路では空気の温度が体温より高い状況だったから、もう少し気温が低ければまた違った感想になるかもしれない。
難点もある。
BMW F800Rはスポーツタイプのバイクほどではないが、ややハンドルの位置が低い。つまりハンドルを握ると手首に角度がつく。だからVENTZを上の写真のように手の甲側に装着すると痛くはないが違和感がある。手のひら側に装着しようとするとジャケットの袖ジッパーがセンターにあるから、少し手首の側面に回り込んで装着することになる。結局、その位置でも違和感がある。でも手の甲側よりはマシ。
それとハンドルを握る時に手首に角度がつけば、VENTZの空気取り入れ口が地面とは平行ではなく断面積が少なくなるから、空気の取り入れ量も減少しているはず。上のイラストのようにハンドルをまっすぐ握れるタイプのバイクならもっと効果が高いだろう。
もっともバイクでは手首に角度をつけないのが正しいライディングポジションだともいわれる。ハンドル位置が低ければ腕を突っ張らずに肘を落として前腕を地面と平行にする→それに合わせて身体もより前傾姿勢にするのがセオリー。その方が腕や肩は楽でコーナーも曲がりやすいのは確かだとしても、身体全体的にはやっぱり無理があるのか、できるだけ心掛けてはいるものの気がつけばつい腕が突っ張ったポジションになってしまっている。VENTZを機会にライディングポジションの矯正に努めるのもありかな。
このVENTZのアイデアは悪くない。今までバイクウエアには空気を抜くベンチレーションはあっても空気を取り入れる発想はなかった。それで望みたいのはウエアとの一体化。必要な時に空気を取り入れられるようリトラクタブル式にして、前腕部と肩につけて欲しい。
リトラクタブル式ヘッドライト↓
ところで一番欲しいのは去年に秘密兵器番外編2で書いたこれなんだけれど。私の希望は未だバイクウエアメーカーには届いていないらしい。ショボーン(´・ω・`)
2014年07月28日
足柄城跡〜丹沢湖 その2
足柄城跡を見た後は県道365号線で山を下る。この道は金太郎富士見ラインと名付けられて富士山を眺められる絶景道路。もっともこの日の富士山は雲に隠れていて残念。
山を下ったところは静岡県の小山町(おやまちょう)。
ところどころに川が流れていていい感じの所。夏休みに田舎の親戚の家に来たような気分になる。そんな親戚はいないんだけれど(^^ゞ しばらく走ると国道246号線にでる。このあたりの246号線は片側1車線である。山あいを東京方向へ3〜4キロほど走ると丹沢湖へ向かう県道76号との交差点。標識もあるのでナビいらず。
昨日貼った地図では小さいので丹沢湖の拡大版。
丹沢湖はダムによって堰き止められたダム湖。面積2.18平方キロだからあまり大きくない。何度か行った宮ヶ瀬湖の半分くらい。標高は320メートル。
丹沢湖に到着したものの、特にめぼしいものもなく76号線に沿って走る。
とりあえずこんな橋の手前でBMW F800Rの記念撮影。
湖の北側。
南側。
南側の方が広かったが、橋を渡ると右折禁止の一方通行。橋の上から見た範囲では湖畔に降りられる場所もないようだったので、そのまま左折北上して76号線にでる。
76号線は丹沢湖の北側8キロほどのところで、その先は通行禁止になっている。本来はそのまま北上して道志みちと交差し相模湖までつながっているはずなのだが、丹沢湖の北側と道志みちの南側の区間が未開通である。道路はほとんど完成しているのに放置して廃道になっているらしい。丹沢湖から西へ向かって山中湖とつながるはずの729号も途中までしかない。東に向かってその後南下して大井松田につながる710号に至っては湖の東端で道路が終わっている。つまり丹沢湖は行き止まりの湖なのである。だからあまりツーリングやドライブのルートとしては選ばれない。それで私も今までこなかった。
でもまあせっかく来たのだから行き止まりまで行ってみようと76号線を北上。途中で箒杉(ほうきすぎ)とよばれる巨木がチラッと見える。この道は丹沢湖に注ぐ中川沿いにあり、川原にはオートキャンプ場がたくさんあって賑わっていた。
ところでこの区間の76号線はところどころクルマがすれ違えないくらいに狭い。この日は午後1時前にここを走った。つまり丹沢湖上流のキャンプ場に行く人はもう通り過ぎたし、そこから戻ってくる人はまだいない時間帯。だから快適に走れたが時間帯によっては走りにくいかも。すれ違えない箇所の前後は普通の道幅なのに、なぜそこだけ狭いのか不思議。またそんなところを観光バスや乗り合いバスが多く走っているのに驚いた。
いくつかのキャンプ場を通り過ぎると終点は突然に現れる。キャンプ場から離れて淋しいところに終点があるのではなくキャンプ場の端っこが終点。
歩いてなら入っていいのかな?
バイクを降りる。
気温は30度以上あったが、川のそばのせいかとても涼しい。木陰だったし革ジャンを脱ぐと一気に汗が引いていくのを感じる。標高は600メートル前後のはず。でも標高759メートルの足柄城跡より断然涼しい。これはうれしい想定外。
バイクを駐めたところから川が見えたので降りてみる。本当はゲートの前にバイクを駐めちゃいけないのだろうが、何かあればすぐ駆けつけられる距離。
大きな石がゴロゴロしている川原。
ここはキャンプ禁止らしい。
そういえば通行止めのゲートの少し前に、この先私有地立ち入り禁止の看板があった。この川原が私有地だとしても道路は県道なのだから立ち入り禁止はおかしな話。
水は澄み切ってまさに清流。
飲みはしなかったが顔を洗う。唇に触れた水はとても柔らかな感触。
写真で透明感が伝わるかなあ。
少し流れが速くなっているところの写真。
見ているだけで涼しくなってくる。
川原から一段上がったところの様子。
キノコ発見。
木漏れ日がきれいだったのだが、写真に撮ってみると見た目のようには写らない。
先ほどより20メートル下ったところ。
この写真だけだと水がないみたい。
ほんのわずかしか離れていないのに石の大きさがまったく違うのが不思議。
短い時間だったが川の涼を楽しめて満足。
一本道の76号線を引き返す。
246号に出る手前に道の駅があったので入ってみる。今まで訪れた道の駅の中で一番小さいかも。丹沢湖があるのは神奈川県山北町。山北産のの野菜がいろいろ売られている。ビックリしたのはキュウリ。人の腕の肘から先くらいの長さがあって太さも手首くらいある。スッキーによりはるかに巨大。
道の駅の前もオートキャンプ場になっている。でもこのあたりの水はそれほどきれいじゃない。どうせここまで来るなら丹沢湖の上流のキャンプ場まで行くべき。
その後は246号を少し走り、往きと同じく大井松田から東名で帰宅。ガレージに戻ったのは午後4時半。走行210キロ。暑かったけれど久々にバイクに乗れて気分よし。
おしまい
山を下ったところは静岡県の小山町(おやまちょう)。
ところどころに川が流れていていい感じの所。夏休みに田舎の親戚の家に来たような気分になる。そんな親戚はいないんだけれど(^^ゞ しばらく走ると国道246号線にでる。このあたりの246号線は片側1車線である。山あいを東京方向へ3〜4キロほど走ると丹沢湖へ向かう県道76号との交差点。標識もあるのでナビいらず。
昨日貼った地図では小さいので丹沢湖の拡大版。
丹沢湖はダムによって堰き止められたダム湖。面積2.18平方キロだからあまり大きくない。何度か行った宮ヶ瀬湖の半分くらい。標高は320メートル。
丹沢湖に到着したものの、特にめぼしいものもなく76号線に沿って走る。
とりあえずこんな橋の手前でBMW F800Rの記念撮影。
湖の北側。
南側。
南側の方が広かったが、橋を渡ると右折禁止の一方通行。橋の上から見た範囲では湖畔に降りられる場所もないようだったので、そのまま左折北上して76号線にでる。
76号線は丹沢湖の北側8キロほどのところで、その先は通行禁止になっている。本来はそのまま北上して道志みちと交差し相模湖までつながっているはずなのだが、丹沢湖の北側と道志みちの南側の区間が未開通である。道路はほとんど完成しているのに放置して廃道になっているらしい。丹沢湖から西へ向かって山中湖とつながるはずの729号も途中までしかない。東に向かってその後南下して大井松田につながる710号に至っては湖の東端で道路が終わっている。つまり丹沢湖は行き止まりの湖なのである。だからあまりツーリングやドライブのルートとしては選ばれない。それで私も今までこなかった。
でもまあせっかく来たのだから行き止まりまで行ってみようと76号線を北上。途中で箒杉(ほうきすぎ)とよばれる巨木がチラッと見える。この道は丹沢湖に注ぐ中川沿いにあり、川原にはオートキャンプ場がたくさんあって賑わっていた。
ところでこの区間の76号線はところどころクルマがすれ違えないくらいに狭い。この日は午後1時前にここを走った。つまり丹沢湖上流のキャンプ場に行く人はもう通り過ぎたし、そこから戻ってくる人はまだいない時間帯。だから快適に走れたが時間帯によっては走りにくいかも。すれ違えない箇所の前後は普通の道幅なのに、なぜそこだけ狭いのか不思議。またそんなところを観光バスや乗り合いバスが多く走っているのに驚いた。
いくつかのキャンプ場を通り過ぎると終点は突然に現れる。キャンプ場から離れて淋しいところに終点があるのではなくキャンプ場の端っこが終点。
歩いてなら入っていいのかな?
バイクを降りる。
気温は30度以上あったが、川のそばのせいかとても涼しい。木陰だったし革ジャンを脱ぐと一気に汗が引いていくのを感じる。標高は600メートル前後のはず。でも標高759メートルの足柄城跡より断然涼しい。これはうれしい想定外。
バイクを駐めたところから川が見えたので降りてみる。本当はゲートの前にバイクを駐めちゃいけないのだろうが、何かあればすぐ駆けつけられる距離。
大きな石がゴロゴロしている川原。
ここはキャンプ禁止らしい。
そういえば通行止めのゲートの少し前に、この先私有地立ち入り禁止の看板があった。この川原が私有地だとしても道路は県道なのだから立ち入り禁止はおかしな話。
水は澄み切ってまさに清流。
飲みはしなかったが顔を洗う。唇に触れた水はとても柔らかな感触。
写真で透明感が伝わるかなあ。
少し流れが速くなっているところの写真。
見ているだけで涼しくなってくる。
川原から一段上がったところの様子。
キノコ発見。
木漏れ日がきれいだったのだが、写真に撮ってみると見た目のようには写らない。
先ほどより20メートル下ったところ。
この写真だけだと水がないみたい。
ほんのわずかしか離れていないのに石の大きさがまったく違うのが不思議。
短い時間だったが川の涼を楽しめて満足。
一本道の76号線を引き返す。
246号に出る手前に道の駅があったので入ってみる。今まで訪れた道の駅の中で一番小さいかも。丹沢湖があるのは神奈川県山北町。山北産のの野菜がいろいろ売られている。ビックリしたのはキュウリ。人の腕の肘から先くらいの長さがあって太さも手首くらいある。スッキーによりはるかに巨大。
道の駅の前もオートキャンプ場になっている。でもこのあたりの水はそれほどきれいじゃない。どうせここまで来るなら丹沢湖の上流のキャンプ場まで行くべき。
その後は246号を少し走り、往きと同じく大井松田から東名で帰宅。ガレージに戻ったのは午後4時半。走行210キロ。暑かったけれど久々にバイクに乗れて気分よし。
おしまい
2014年07月26日
足柄城跡〜丹沢湖
ようやく梅雨が明けて2ヶ月ぶりのツーリング。
なんだけれど梅雨明けと同時に超猛暑(/o\)
バイクの勘を取り戻すツーリングだからあまり遠くないところへ行きたい。でも涼しいところがいい。ということで思いついたのが、以前に夕日の滝を見に行った足柄街道。ここは静岡の柿田川公園に行く時にも通ったが、標高800メートル近いところまで登るのでそこそこ涼しい。あまり同じ場所には行かない主義であるが、足柄街道沿いに足柄城跡があったのを思い出し、新目的地に行くんだと正当化。足柄街道を走るだけじゃ少し物足りないので、帰りに丹沢湖に寄ることにした。
午前9時半出発。既にバイクの気温計は33度。東名高速上では36.5度まで上がった。大井松田のインターを降りると県道78号線=足柄街道につながっている。しばらくはそこそこの交通量の県道。酒匂川(さかわがわ)を渡り、そのまま道なりに走っていくと小田原に向かう県道74号になる。その手前を右折して県道78号線をキープ。そこからはいかにも山の街道らしい緩やかなカーブが続く楽しい道。ただし途中から急勾配のヘアピンカーブが連続する難所に変わる(>_<) 何とか切り抜けて足柄万葉公園、足柄関所跡の横を通る。それらはスルーして到着したのが足柄城跡。
大井松田インターを降りた時の気温が33度、この近辺では28.5度だった。
足柄城は16世紀の初めに北条氏によって築かれた。当初は武田信玄の侵攻に対する防衛拠点だったようで、最後は豊臣秀吉の小田原征伐の際に落城している。城といっても居住用ではなく峠に設けた要塞のようなものだったといわれる。現在は特に遺構ががあるわけでもなく城の跡地が残っているだけ。まっ、はっきり言って歴史的にも城跡としてもたいした場所じゃない。
階段を上る。
一分ほどの長さで楽勝。
城跡といってもこんな広っぱがあるだけ。
これは墓でも、城のことを記した碑でもなく、第二次世界大戦中にこのあたりに疎開してきた生田蝶介という歌人の歌碑。
まだアジサイが咲いていた。
この奥に小さな池というか水たまりがあるらしい。
見に行かず。
解説はかなり強引(^^ゞ
獣道のようなのが何本もあったが探検はしなかった。
上の広場が主郭(メインの建物があった場所)で、その隣に二の郭がある。足柄城の敷地は全部で7つに分けられていたらしい。
奥に見える高い山が金太郎で有名な金時山。
標高1212メートルで箱根外輪山の1つ。ここからは直線距離で3.5キロほど。
ちなみに箱根というのは火口があった中央部の山と、
そのまわりを取り囲む外輪山で構成されている。
ついでに箱根周辺の航空写真。
足柄から直接箱根に入るルートがないので、あまりこのあたりは箱根だというイメージはないものの、箱根山エリアの一番北側だというのがよくわかる。小田原を拠点にしていた北条氏は箱根に10の城を築いて西側からの侵攻に備えていたという。足柄城は小田原平野に入る一番北側のルートを守っていたんだろう。航空写真で見るといろいろわかるね。人生の航空写真も撮れればいいのに(^^ゞ
城跡マニアでもない限りただの空き地の足柄城跡だが、唯一の価値はそこから見える富士山の眺望。ただしこの季節は無理。
大井松田のインターを降りた時から遠くに見える足柄の山々は霞んでいた。何となく水蒸気が山から立ち昇っている感じ。夏は視界が悪いのはそういうことが原因なのかな。
足柄街道をまたぐ橋。
橋の上から。左端に私のバイクが写っている。
右にカーブしているのが78号線。左側へ進むと金時山への登山道になる。
城の別の区画につながっているはずだが、
橋を渡ると獣道程度だったので、そのまま引き返してきた。
橋を道路から見上げた写真。
下界に較べれば気温は低いが、直射日光がきつくて暑かった。
というより熱かった。
ーーー続く。
なんだけれど梅雨明けと同時に超猛暑(/o\)
バイクの勘を取り戻すツーリングだからあまり遠くないところへ行きたい。でも涼しいところがいい。ということで思いついたのが、以前に夕日の滝を見に行った足柄街道。ここは静岡の柿田川公園に行く時にも通ったが、標高800メートル近いところまで登るのでそこそこ涼しい。あまり同じ場所には行かない主義であるが、足柄街道沿いに足柄城跡があったのを思い出し、新目的地に行くんだと正当化。足柄街道を走るだけじゃ少し物足りないので、帰りに丹沢湖に寄ることにした。
午前9時半出発。既にバイクの気温計は33度。東名高速上では36.5度まで上がった。大井松田のインターを降りると県道78号線=足柄街道につながっている。しばらくはそこそこの交通量の県道。酒匂川(さかわがわ)を渡り、そのまま道なりに走っていくと小田原に向かう県道74号になる。その手前を右折して県道78号線をキープ。そこからはいかにも山の街道らしい緩やかなカーブが続く楽しい道。ただし途中から急勾配のヘアピンカーブが連続する難所に変わる(>_<) 何とか切り抜けて足柄万葉公園、足柄関所跡の横を通る。それらはスルーして到着したのが足柄城跡。
大井松田インターを降りた時の気温が33度、この近辺では28.5度だった。
足柄城は16世紀の初めに北条氏によって築かれた。当初は武田信玄の侵攻に対する防衛拠点だったようで、最後は豊臣秀吉の小田原征伐の際に落城している。城といっても居住用ではなく峠に設けた要塞のようなものだったといわれる。現在は特に遺構ががあるわけでもなく城の跡地が残っているだけ。まっ、はっきり言って歴史的にも城跡としてもたいした場所じゃない。
階段を上る。
一分ほどの長さで楽勝。
城跡といってもこんな広っぱがあるだけ。
これは墓でも、城のことを記した碑でもなく、第二次世界大戦中にこのあたりに疎開してきた生田蝶介という歌人の歌碑。
まだアジサイが咲いていた。
この奥に小さな池というか水たまりがあるらしい。
見に行かず。
解説はかなり強引(^^ゞ
獣道のようなのが何本もあったが探検はしなかった。
上の広場が主郭(メインの建物があった場所)で、その隣に二の郭がある。足柄城の敷地は全部で7つに分けられていたらしい。
奥に見える高い山が金太郎で有名な金時山。
標高1212メートルで箱根外輪山の1つ。ここからは直線距離で3.5キロほど。
ちなみに箱根というのは火口があった中央部の山と、
そのまわりを取り囲む外輪山で構成されている。
ついでに箱根周辺の航空写真。
足柄から直接箱根に入るルートがないので、あまりこのあたりは箱根だというイメージはないものの、箱根山エリアの一番北側だというのがよくわかる。小田原を拠点にしていた北条氏は箱根に10の城を築いて西側からの侵攻に備えていたという。足柄城は小田原平野に入る一番北側のルートを守っていたんだろう。航空写真で見るといろいろわかるね。人生の航空写真も撮れればいいのに(^^ゞ
城跡マニアでもない限りただの空き地の足柄城跡だが、唯一の価値はそこから見える富士山の眺望。ただしこの季節は無理。
大井松田のインターを降りた時から遠くに見える足柄の山々は霞んでいた。何となく水蒸気が山から立ち昇っている感じ。夏は視界が悪いのはそういうことが原因なのかな。
足柄街道をまたぐ橋。
橋の上から。左端に私のバイクが写っている。
右にカーブしているのが78号線。左側へ進むと金時山への登山道になる。
城の別の区画につながっているはずだが、
橋を渡ると獣道程度だったので、そのまま引き返してきた。
橋を道路から見上げた写真。
下界に較べれば気温は低いが、直射日光がきつくて暑かった。
というより熱かった。
ーーー続く。
2014年07月24日
虫ゴムの交換 その2
その日は自転車で出かけるのを諦め、次の日にダイエーの自転車売り場で虫ゴムを買ってきた。4個入りで税込み101円。前回のエントリーで紹介したブログの記事のようにゴムを被せればいいだけなのだが、これが一筋縄でいかない。
前日にプッシュ〜と空気がすべて抜けてしまったのは前輪。
まずバブルのキャップを外し虫を抜く。
ところでなぜ「虫」というんだろう? ネットで調べたがはっきりせず。ちなみにバイクやクルマのタイヤには自転車のようにゴムを被せる虫ではなく、もうちょっとだけ複雑な構造のエアバルブという部品がついている。でもやはりエアバルブの中で空気の流れを一方通行にしている部品は虫と呼ぶ。自転車と違ってなぜかムシとカタカナで書く場合も多い。
話がそれた。
前輪の虫を抜くと虫ゴムはついていなかった。もうボロボロに劣化してタイヤの中に落ちてしまったらしい。
写真の金属でできた細長いのが虫で、その隣にある黒いのが虫ゴムである。
虫ゴムを虫に被せるわけだが、これがピチピチのサイズなのでまったく入っていかない。写真でわかるように途中で直径が太くなっている。その段差のところでニッチもサッチも進まない。親指と人差し指で虫ゴムをきつく挟んで押し込んでいく。よく考えると矛盾する作業である。虫ゴムに力を加えるには強く挟まなければならず、でも奥に差し込むには虫ゴムを虫に密着させるのとは90度違う方向へ滑らせなければならない。
まあ説明しても理解して貰うのは難しいかもしれない。自転車を持っているなら虫ゴムを買ってきて交換してみて(^^ゞ
このページにあるように虫ゴムは奥の方までしっかり差し込む必要がある。指の皮がめくれ親指のツメが剥がれるかと思うような痛みに耐えて、悪戦苦闘15分以上はかかってようやく奥まで差し込めた。親指のツメと肉の間がヒリヒリと痛いので後輪の作業は1時間後。もう親指を酷使したくないと思いラジオペンチで挟んでやってみたら虫ゴムが破れた(/o\) 仕方なくまた親指と人差し指で。ツメのところが痛くて力を入れられないので、さらに時間がかかった。ちなみに後輪は前輪と違って虫ゴムは残っていた。劣化しているのは素人目にもわかったが、ひんぱんに空気入れをするのなら、まだしばらくは使えそうな状態。空気の入っているタイヤから虫を抜くと勢いよく空気が出てくるから注意してね。
日曜日に虫ゴムを交換して水曜日まで親指のツメのところがビリビリと痛かった。今でもまだ少し痛い。自転車屋はしょっちゅうこの作業をしているのかな。何か特別な工具でもあるのだろうか。とにかく子供や女性なら虫ゴム交換の作業は難しいと思う。
その後、さらにネットで調べたら、滑りをよくするために水をつける、唾をつける、食器洗いの洗剤をつけるーーーなどというのを見つけた。でも、そんなものをつけたところであのピチピチのゴムがすんなり奥に入っていくとは思えない。それに指も滑るし。
さらに調べると先ほどのページにも載っているが、虫ゴムを使わない新型バルブというのがあるらしい。1つ250円程度。虫ゴムに較べたら10倍以上するが、こっちのほうが無難かな。耐久性は虫ゴムよりかなりいいらしい。
とにもかくにも虫ゴムを交換して、無事タイヤが膨らんで一件落着。
しばらくは空気圧を気にせず自転車に乗れるだろう。
おしまい
前日にプッシュ〜と空気がすべて抜けてしまったのは前輪。
まずバブルのキャップを外し虫を抜く。
ところでなぜ「虫」というんだろう? ネットで調べたがはっきりせず。ちなみにバイクやクルマのタイヤには自転車のようにゴムを被せる虫ではなく、もうちょっとだけ複雑な構造のエアバルブという部品がついている。でもやはりエアバルブの中で空気の流れを一方通行にしている部品は虫と呼ぶ。自転車と違ってなぜかムシとカタカナで書く場合も多い。
話がそれた。
前輪の虫を抜くと虫ゴムはついていなかった。もうボロボロに劣化してタイヤの中に落ちてしまったらしい。
写真の金属でできた細長いのが虫で、その隣にある黒いのが虫ゴムである。
虫ゴムを虫に被せるわけだが、これがピチピチのサイズなのでまったく入っていかない。写真でわかるように途中で直径が太くなっている。その段差のところでニッチもサッチも進まない。親指と人差し指で虫ゴムをきつく挟んで押し込んでいく。よく考えると矛盾する作業である。虫ゴムに力を加えるには強く挟まなければならず、でも奥に差し込むには虫ゴムを虫に密着させるのとは90度違う方向へ滑らせなければならない。
まあ説明しても理解して貰うのは難しいかもしれない。自転車を持っているなら虫ゴムを買ってきて交換してみて(^^ゞ
このページにあるように虫ゴムは奥の方までしっかり差し込む必要がある。指の皮がめくれ親指のツメが剥がれるかと思うような痛みに耐えて、悪戦苦闘15分以上はかかってようやく奥まで差し込めた。親指のツメと肉の間がヒリヒリと痛いので後輪の作業は1時間後。もう親指を酷使したくないと思いラジオペンチで挟んでやってみたら虫ゴムが破れた(/o\) 仕方なくまた親指と人差し指で。ツメのところが痛くて力を入れられないので、さらに時間がかかった。ちなみに後輪は前輪と違って虫ゴムは残っていた。劣化しているのは素人目にもわかったが、ひんぱんに空気入れをするのなら、まだしばらくは使えそうな状態。空気の入っているタイヤから虫を抜くと勢いよく空気が出てくるから注意してね。
日曜日に虫ゴムを交換して水曜日まで親指のツメのところがビリビリと痛かった。今でもまだ少し痛い。自転車屋はしょっちゅうこの作業をしているのかな。何か特別な工具でもあるのだろうか。とにかく子供や女性なら虫ゴム交換の作業は難しいと思う。
その後、さらにネットで調べたら、滑りをよくするために水をつける、唾をつける、食器洗いの洗剤をつけるーーーなどというのを見つけた。でも、そんなものをつけたところであのピチピチのゴムがすんなり奥に入っていくとは思えない。それに指も滑るし。
さらに調べると先ほどのページにも載っているが、虫ゴムを使わない新型バルブというのがあるらしい。1つ250円程度。虫ゴムに較べたら10倍以上するが、こっちのほうが無難かな。耐久性は虫ゴムよりかなりいいらしい。
とにもかくにも虫ゴムを交換して、無事タイヤが膨らんで一件落着。
しばらくは空気圧を気にせず自転車に乗れるだろう。
おしまい
2014年07月23日
虫ゴムの交換
たまに公園に行った時のエントリーでチラッと写真に写っている私の自転車。購入したのは2006年の9月だから、そろそろ8年になる。バイクのメンテナンスもいい加減だが、それ以上に一切の手入れをおこなっていない。チェーンに油を差したこともないしフレームを拭いたことすらない。でもあまり乗らないし玄関で保管しているから結構きれいな状態を保っている。
書きながら思い出したが、先日バイクのディーラーで「チェーンの油が切れていて、このままではヤバかったです」といわれた。本当かな? もちろんBMWのディーラーだから親切で何かしてくれるということはなく「チェーン清掃給油費」としてきっちりボラれた(/o\) 自転車のチェーンも見ておいたほうがいいかも。でもキーキー鳴っていないし。
自転車のメンテナンスは何もしていないと書いたが、たまに空気は入れている。減ってくるとタイヤがたわんで漕ぐのが重くなるから。昔は自転車屋の電動コンプレッサー式の空気入れを使っていたが、いつの間にかそれが1回10円から100円になったのでもう15年以上は利用していない。自宅にあるのは長さ30センチくらいの携行タイプの空気入れ。持ち運ぶことはないのになぜそんなものを買ったのか思い出せないが、小型なので空気を入れる作業は結構ツライ。幸いにも駅から少し離れたところにあるスーパーの駐輪場には、手動押し込み式だけれど大型の空気入れが備え付けてあるのでそれをよく利用している。もちろん無料。そのスーパーでは買い物をしないので心苦しいが、よく利用する駅前のスーパーの系列店だからまっいいか。
自転車を買って数年は年に1回くらいしか空気を入れていなかったはず。しかしだんだんと頻度が増えて最近は春夏秋冬のシーズンごとに入れているように思う。わずかにパンクでもしているのかなとも疑っていたが、空気を足せばしばらくは大丈夫だからそのままにしてきた。バイクと違ってて遠くに行くわけでもないし、いざとなれば押して帰ってくればいいからアバウトな対応。
三連休の土曜日は予報と違ってだんだんと天気がよくなってきたので、とあるところまで自転車で行くことにした。タイヤをつまんでみると空気が減っていた。1ヶ月ほど前に入れたはずなのにと思いながら、出かけるのは空気入れが設置されているスーパーとは逆の方向なので、しかたなく自宅の小型空気入れでシコシコと。ところがタイヤが膨らんで空気入れのノズルを引き抜くと
プッシュ〜と大きな音がして
タイヤから空気が抜けてペッチャンコになった(>_<)
タイヤに空気を入れるバルブのところが緩んでいるのかなと触ってみたが特に異常なし。2〜3回試したがノズルを抜くとプッシュ〜である。勢いよく空気が吹き出してタイヤの中の空気がほとんどなくなりホイールから外れそうになっている。空気が減っていた状態なら乗れなくもなかったが、こうなるともう走行不能。
ナンデ? こんな経験はしたことがない。
久しぶりに目が点になった。
ネットで調べた。
結論を言うと、タイヤのバブルの中には「虫」という部品が入っていている。これは空気を一方向にしか通さないための部品。つまり空気を入れられるが抜けないようにするための逆止弁。この虫はバブルに密着するようにゴムで覆われている。それが虫ゴム。この虫ゴムが劣化するとパンクでもないのに空気が抜ける。つまりバブルから空気が漏れる。私の自転車も虫ゴムが徐々に劣化して空気入れの頻度が多くなり、この日に完全にイカレたのだと思われる。
虫ゴムの交換については、こちらを参照して欲しい。
http://fitness.byoubu.com/mushi/mushi.html
http://yomanakya.com/insect-rubber-change/
上のページを見ると簡単に交換できるように書いてあるが、
これがなかなかの難行苦行だったのである。
ーーー続く
書きながら思い出したが、先日バイクのディーラーで「チェーンの油が切れていて、このままではヤバかったです」といわれた。本当かな? もちろんBMWのディーラーだから親切で何かしてくれるということはなく「チェーン清掃給油費」としてきっちりボラれた(/o\) 自転車のチェーンも見ておいたほうがいいかも。でもキーキー鳴っていないし。
自転車のメンテナンスは何もしていないと書いたが、たまに空気は入れている。減ってくるとタイヤがたわんで漕ぐのが重くなるから。昔は自転車屋の電動コンプレッサー式の空気入れを使っていたが、いつの間にかそれが1回10円から100円になったのでもう15年以上は利用していない。自宅にあるのは長さ30センチくらいの携行タイプの空気入れ。持ち運ぶことはないのになぜそんなものを買ったのか思い出せないが、小型なので空気を入れる作業は結構ツライ。幸いにも駅から少し離れたところにあるスーパーの駐輪場には、手動押し込み式だけれど大型の空気入れが備え付けてあるのでそれをよく利用している。もちろん無料。そのスーパーでは買い物をしないので心苦しいが、よく利用する駅前のスーパーの系列店だからまっいいか。
自転車を買って数年は年に1回くらいしか空気を入れていなかったはず。しかしだんだんと頻度が増えて最近は春夏秋冬のシーズンごとに入れているように思う。わずかにパンクでもしているのかなとも疑っていたが、空気を足せばしばらくは大丈夫だからそのままにしてきた。バイクと違ってて遠くに行くわけでもないし、いざとなれば押して帰ってくればいいからアバウトな対応。
三連休の土曜日は予報と違ってだんだんと天気がよくなってきたので、とあるところまで自転車で行くことにした。タイヤをつまんでみると空気が減っていた。1ヶ月ほど前に入れたはずなのにと思いながら、出かけるのは空気入れが設置されているスーパーとは逆の方向なので、しかたなく自宅の小型空気入れでシコシコと。ところがタイヤが膨らんで空気入れのノズルを引き抜くと
プッシュ〜と大きな音がして
タイヤから空気が抜けてペッチャンコになった(>_<)
タイヤに空気を入れるバルブのところが緩んでいるのかなと触ってみたが特に異常なし。2〜3回試したがノズルを抜くとプッシュ〜である。勢いよく空気が吹き出してタイヤの中の空気がほとんどなくなりホイールから外れそうになっている。空気が減っていた状態なら乗れなくもなかったが、こうなるともう走行不能。
ナンデ? こんな経験はしたことがない。
久しぶりに目が点になった。
ネットで調べた。
結論を言うと、タイヤのバブルの中には「虫」という部品が入っていている。これは空気を一方向にしか通さないための部品。つまり空気を入れられるが抜けないようにするための逆止弁。この虫はバブルに密着するようにゴムで覆われている。それが虫ゴム。この虫ゴムが劣化するとパンクでもないのに空気が抜ける。つまりバブルから空気が漏れる。私の自転車も虫ゴムが徐々に劣化して空気入れの頻度が多くなり、この日に完全にイカレたのだと思われる。
虫ゴムの交換については、こちらを参照して欲しい。
http://fitness.byoubu.com/mushi/mushi.html
http://yomanakya.com/insect-rubber-change/
上のページを見ると簡単に交換できるように書いてあるが、
これがなかなかの難行苦行だったのである。
ーーー続く
2014年07月20日
デュフィ展 その2
昨日も書いたようにファッションの仕事をしてからデュフィの画風は変わる。どんな画家にも多かれ少なかれ画風の変化はあるが、こんなにガラッと変わる人は珍しい気がする。
「サン=タドレスの大きな浴女」
縦138.5センチ×横106センチとサイズがそこそこ大きく、色も濃くかつ鮮やかで存在感のあった作品。浴女とあるからモデルが着ているのは水着かな。ちなみに制作は1924年(大正13年)。ヨーロッパでもまだ肌の露出は控えめだったと思われる。
画風が漫画チックだからそういう風に見えないけれど、水着の白い縁取りや赤いヘッドバンドの組み合わせはなかなかお洒落なイメージ。ひょっとしたら当時の最新モードなのかもしれない。デュフィはファッション分野での経験をこういうディティールでも発揮したのだろう。
存在感たっぷりの絵だが、よく見りゃたいしたことないというか大雑把な絵でもある。似たような絵なら高校の美術部員なら描けるかな。ここから先のデュフィの画風はどんどん軽くなる。
絵とイラストの境界線がどこにあるのかわからないが、何となくの区別はある。これ以降のデュフィは「これは絵ですか、イラストですか?」と問われたらイラストと答える人のほうが多いと思う。昨日のエントリーに書いた20代後半に手に入れたデュフィのポスターも、私は間違いなく芸術ではなくお洒落でセンスのいいイラストとして買った。
ところでタイトルも「大きな浴女」であるが、それにしても手や脚のむっちり度合いがスゴイ。他に何点か裸婦像もあったが、どれもこんな感じで特に膝の頑丈さが顕著。デュフィはデブ専で大きな膝フェチだった?
「イエールの広場」
ノルマンディとは反対側、イエールは南仏コート・ダジュールの地名。
そろそろこのあたりの作品からデュフィ・ワールド全開になってくる。じっくり眺めたって心に染み入るものがあるわけじゃない。あくまでサラッと軽め。そしてセンスがよくて色使いがきれいで何となく幸せな感じ。ファッショナブルな印象も受けるのは、描いているものが日本人的にはファッショナブルと感じるものだからかな。だからフランス人はデュフィの絵をファッショナブルとは評価しないかもしれない。でもまあTシャツにプリントするのが一番似合う画家がデュフィだと思っている。
「ニースの窓辺」
こんな部屋でひと夏を過ごしたいなあと思いながら眺めるべき絵。窓からこの景色が見えるには、ここは岩場ではなく平坦な砂浜のようだから、海の中に高層マンションを建てないと無理やろなどと細かなことを考えてはいけない。
ついでにコートダジュールの地図。
海岸線に限れば青い色で示した範囲。イタリア国境からトゥーロンという所までとされる(内陸部がどこまでかはよく知らない)。距離にして約200キロ。途中にモナコ、ニース、カンヌなど名前はよく知っているが行ったことのない地名が並ぶ。プロヴァンス地方というのは東はコートダジュールと同じくイタリア国境で、西はもう少し先のマルセイユまでを含むようである。
このあたりをのんびり旅行できる日は来るのかなあ。
「ポール・ヴィヤール博士の家族」
肖像画だって、この頃のデュフィにかかればこの通り。壁の色も作品のバランスを考えて塗り替える大胆さ。とても昔はこんな絵を描いていた人とは思えない。
「パリ」
この展示会での一番気に入った作品。縦190センチ、幅50センチの細長い作品の4枚セット。会場ではそれぞれが額に入れられ並べて展示されていた。
見てわかるようにこれはアイデア勝負の作品。パリの風景画を4分割して、それぞれを違う時間帯で描いている。壁の色を塗り替える程度じゃもの足りず、デュフィは時間をも飛び越えたのかも。好みをいうなら下部に書かれている花は不要。キャンバスが余ったのかな? それとできれば長さをもう少し短く、逆に幅はもっと広げたほうがいい。そうしたら、この作品を私が買った後で、屏風やふすま絵に加工できたから(^^ゞ
「ヴァイオリンのある静物:バッハへのオマージュ」
晩年のデュフィは音楽やクラシックの作曲家をテーマとした作品も多い。オマージュというのは「敬意を込めて」というような意味。モーツアルトやドビュッシーをモチーフにした作品もあった。
もっともそれらは絵の中にモーツアルトやドビュッシーと大きく書かれていて、その名前を入れ替えても、そのまま通用するような作品。この作品だってタイトルがヴィヴァルディでも違和感はない。このころになるとデュフィは達人の域に達してきて、絵の中身ではなくテーマやタイトルで作品を考えていたに違いない。
回顧展だからデュフィがどのような変遷を経て、私が知っていた画風に至ったのかを知ることができて有意義だった。彼がいろいろなことに関わったマルチ・クリエーターで、特にファッションに携わってからの変化は興味深い。ファッションというのは本質的に次の季節のことだけを考える刹那なものである。それが堅苦しい「芸術」からカジュアルなイラスト風に変化した要因のような気がする。そしてファッション産業というものはデュフィの頃に成立して、それ以前の画家の時代にはなかったものである。もっと古い時代の画家が、もしファッションの仕事もしていたらどんな絵になっただろうかと考えるのも楽しい。
いろいろな作品を並べなければいけないからか、後期のデュフィ・ワールド全開な作品が少なかったのがちょっと残念。もっと残念なことは展示会に付属している売店でデュフィのポスターを売っていなかったこと。ポスターを売っていない売店なんて初めて。ナンデ?
おしまい
「サン=タドレスの大きな浴女」
縦138.5センチ×横106センチとサイズがそこそこ大きく、色も濃くかつ鮮やかで存在感のあった作品。浴女とあるからモデルが着ているのは水着かな。ちなみに制作は1924年(大正13年)。ヨーロッパでもまだ肌の露出は控えめだったと思われる。
画風が漫画チックだからそういう風に見えないけれど、水着の白い縁取りや赤いヘッドバンドの組み合わせはなかなかお洒落なイメージ。ひょっとしたら当時の最新モードなのかもしれない。デュフィはファッション分野での経験をこういうディティールでも発揮したのだろう。
存在感たっぷりの絵だが、よく見りゃたいしたことないというか大雑把な絵でもある。似たような絵なら高校の美術部員なら描けるかな。ここから先のデュフィの画風はどんどん軽くなる。
絵とイラストの境界線がどこにあるのかわからないが、何となくの区別はある。これ以降のデュフィは「これは絵ですか、イラストですか?」と問われたらイラストと答える人のほうが多いと思う。昨日のエントリーに書いた20代後半に手に入れたデュフィのポスターも、私は間違いなく芸術ではなくお洒落でセンスのいいイラストとして買った。
ところでタイトルも「大きな浴女」であるが、それにしても手や脚のむっちり度合いがスゴイ。他に何点か裸婦像もあったが、どれもこんな感じで特に膝の頑丈さが顕著。デュフィはデブ専で大きな膝フェチだった?
「イエールの広場」
ノルマンディとは反対側、イエールは南仏コート・ダジュールの地名。
そろそろこのあたりの作品からデュフィ・ワールド全開になってくる。じっくり眺めたって心に染み入るものがあるわけじゃない。あくまでサラッと軽め。そしてセンスがよくて色使いがきれいで何となく幸せな感じ。ファッショナブルな印象も受けるのは、描いているものが日本人的にはファッショナブルと感じるものだからかな。だからフランス人はデュフィの絵をファッショナブルとは評価しないかもしれない。でもまあTシャツにプリントするのが一番似合う画家がデュフィだと思っている。
「ニースの窓辺」
こんな部屋でひと夏を過ごしたいなあと思いながら眺めるべき絵。窓からこの景色が見えるには、ここは岩場ではなく平坦な砂浜のようだから、海の中に高層マンションを建てないと無理やろなどと細かなことを考えてはいけない。
ついでにコートダジュールの地図。
海岸線に限れば青い色で示した範囲。イタリア国境からトゥーロンという所までとされる(内陸部がどこまでかはよく知らない)。距離にして約200キロ。途中にモナコ、ニース、カンヌなど名前はよく知っているが行ったことのない地名が並ぶ。プロヴァンス地方というのは東はコートダジュールと同じくイタリア国境で、西はもう少し先のマルセイユまでを含むようである。
このあたりをのんびり旅行できる日は来るのかなあ。
「ポール・ヴィヤール博士の家族」
肖像画だって、この頃のデュフィにかかればこの通り。壁の色も作品のバランスを考えて塗り替える大胆さ。とても昔はこんな絵を描いていた人とは思えない。
「パリ」
この展示会での一番気に入った作品。縦190センチ、幅50センチの細長い作品の4枚セット。会場ではそれぞれが額に入れられ並べて展示されていた。
見てわかるようにこれはアイデア勝負の作品。パリの風景画を4分割して、それぞれを違う時間帯で描いている。壁の色を塗り替える程度じゃもの足りず、デュフィは時間をも飛び越えたのかも。好みをいうなら下部に書かれている花は不要。キャンバスが余ったのかな? それとできれば長さをもう少し短く、逆に幅はもっと広げたほうがいい。そうしたら、この作品を私が買った後で、屏風やふすま絵に加工できたから(^^ゞ
「ヴァイオリンのある静物:バッハへのオマージュ」
晩年のデュフィは音楽やクラシックの作曲家をテーマとした作品も多い。オマージュというのは「敬意を込めて」というような意味。モーツアルトやドビュッシーをモチーフにした作品もあった。
もっともそれらは絵の中にモーツアルトやドビュッシーと大きく書かれていて、その名前を入れ替えても、そのまま通用するような作品。この作品だってタイトルがヴィヴァルディでも違和感はない。このころになるとデュフィは達人の域に達してきて、絵の中身ではなくテーマやタイトルで作品を考えていたに違いない。
回顧展だからデュフィがどのような変遷を経て、私が知っていた画風に至ったのかを知ることができて有意義だった。彼がいろいろなことに関わったマルチ・クリエーターで、特にファッションに携わってからの変化は興味深い。ファッションというのは本質的に次の季節のことだけを考える刹那なものである。それが堅苦しい「芸術」からカジュアルなイラスト風に変化した要因のような気がする。そしてファッション産業というものはデュフィの頃に成立して、それ以前の画家の時代にはなかったものである。もっと古い時代の画家が、もしファッションの仕事もしていたらどんな絵になっただろうかと考えるのも楽しい。
いろいろな作品を並べなければいけないからか、後期のデュフィ・ワールド全開な作品が少なかったのがちょっと残念。もっと残念なことは展示会に付属している売店でデュフィのポスターを売っていなかったこと。ポスターを売っていない売店なんて初めて。ナンデ?
おしまい
2014年07月19日
デュフィ展 絵筆が奏でる色彩のメロディー
ラウル・デュフィ(1877-1953)はフランスの画家。
日本でどの程度の知名度があるのか、また美術界ではどんな位置づけなのかはまったく知らない。しかし私にとっては思い出深い画家である。
20代の終わり頃、ロンドンに出張に行った時にポスターを何枚か買ってきた。最初はその頃に流行っていたウォーホルやホックニーでも買うつもりだった。何軒かのお店を回ったが、その2大巨匠のポスターは雑誌か何かでよく見るような作品のものしかなかった。そこで方針転換して直感で気に入ったものを買うことに。たぶん5枚くらい買ったと思う。そのうちの1枚がたまたまデュフィだった。残りは何だったか忘れた。
そのポスターというかデュフィの絵はとても気に入った。しばらくしてニューヨークに出張に行くことになった。よし、デュフィのポスターを買い占めてくるゾと喜び勇んで出かけた。今はどうか知らないが、当時はその手のポスターの日本と海外の価格差は3倍くらいあったのである。残念ながらその出張ではお店は一軒しか行けず、そこにはデュフィが2枚しかなかった。もちろんそれを買った。
ところで、ポスターを選んでいる時にお店の女性スタッフが私に近寄ってきて「オ〜、デュフィ」と少し驚いたような声を出したことを思い出した。5つほど前のエントリーにも書いたが、やっぱり脳というのはやっぱりすべてを記憶しているみたいだ。あれから四半世紀も経ってすっかり忘れていたのに、今「オ〜、デュフィ」を思い出したら彼女の顔やどんな服装だったかとか店内の様子まで脳裏に浮かんできたから不思議である。
合計3枚のデュフィのポスターはしばらく自宅を飾っていた。しかし部屋の模様替えをしたり新しいポスターを買ったりで2枚はいつのまにか無くなってしまった。残りの1枚は引っ越すまで部屋にあった。長い期間住んでいたマンションなので壁が徐々に汚れてくる。当然、壁に貼ったポスターも同じように汚れてくる。そのデュフィはわりと余白の多い絵だったので汚れが目立った。でも、そうすると壁とポスターがいつの間にか一体化してなかなかいい感じになってくるのである。パリの街並みの絵だったが、そのポスターを貼ってある壁は少しレトロな雰囲気を醸し出して自宅の中で一番お洒落な空間だった。
デュフィ展は渋谷の東急Bunkamuraで開かれている。デュフィの日本での知名度は知らないと書いたが、民間の美術館が展示会をするのだから一定以上の集客が見込まれる、つまりそれなりに人気があるということなのだろう。でも私自身はポスターを買ってから今回の展示会のことを電車の中吊り広告で知るまでの四半世紀の間、デュフィの名前を耳にしたことがない気がする。
今回の展示会は回顧展スタイル。回顧展というのはその画家の作品を年代順に展示するというもの。ポスターで買ったデュフィの絵は好きだったものの、考えてみれば今日までデュフィについて何も知らなかったので好都合。
しかし展示室に足を踏み入れたとたん、かなりビックリすることになる。初期の頃のデュフィは私の知っているデュフィとはまったく違う画風だった。どちらかというと印象派みたいな作品が並んでいる。印象派はデュフィが生まれた頃に始まったムーブメントだから影響を受けていても不思議ではないのだが。
「夕暮れ時のル・アーヴルの港」
この展示会の作品番号1番。1900年の作品だからデュフィが24歳頃。まったく悪い絵ではないが、この画風のままだったら日本で回顧展が開かれるほどの画家になっていただろうかなどと考えた。
ル・アーヴルはフランスの絵画でよく聞く地名なので場所を調べてみた。イギリスに面したノルマンディ地方の都市。パリからは約200キロでセーヌ川の河口がある。ル・アーブルの西側には半島がある。ル・アーブルから半島の先端までがノルマンディ海岸で第二次世界大戦の上陸作戦があった場所である。
「サン=タドレスの桟橋」
サン=タドレスはル・アーブルにある地名。
これも印象派系の作風。でも色使いがキレイで「夕暮れ時のル・アーヴルの港」は別に欲しくもないが、この絵をくれるなら喜んで貰う。
桟橋からぶら下がっているクラゲみたいなものは蚊帳(かや)のような薄い素材のようであるが、地面との間が空いているから蚊よけではなさそう。透ける素材だから日よけでもないだろうし正体不明。日本の海辺では見かけないものだが、フランスでは今でもあるのだろうか。
「サン=タドレスの浜辺」
ほとんどセザンヌですな。
若い頃はいろんな画家の影響を受けながら腕を磨いていったんだろう。
「トゥルーヴィルのポスター」
風景画にポスターという商業物が出てくるのが20世紀の画家という感じを受ける。
デュフィは絵だけではなく一時期は版画にも注力していたらしい。
そしてポール・ポワレと出会いファッションの分野にも関わってくる。ちなみにポール・ポワレはコルセットから女性を解放したデザイナーとして有名。オートクチュールの創始者であるシャルル・ウォルトと、誰でも知っているココ・シャネルと彼の3名によって近代ファッションが始まったといわれている。
プリント生地の作り方は版画と同じだから、そのあたりからファッションに関わっていったのかもしれない。展示会ではプリント生地、ファッションのデザインスケッチも展示されていた。
その他に壺の絵付けをしたり、タペストリーの図案を手がけたりしている。また彼の描いたタペストリーを使った椅子も展示されていた。
ファッションに携わったことはデュフィに大きな影響を与えたと思う。ここまで紹介した絵は印象派の模倣のような作品だったが、後半期のデュフィは肩の力が抜け、色がきれいに、そしてファッショナブルな画風になっていく。
ーーー続く
2014年07月17日
BMW F800R スイッチユニット交換
最後にバイクに乗ったのが平塚の花菜ガーデンへバラを見に出かけ、帰りに鵠沼海岸に寄った5月24日。そろそろ2ヶ月近くバイクでツーリングをしていない。6月になってからは週末は決まって雨だったり、雨が降りそうだったりの日がほとんどだった。
今まではどうだったかとブログを調べてみると6月から7月中旬までに
2013年6月08日 相模原北公園でアジサイを見て道志みちから山中湖
2013年6月23日 南房総をブラブラ
2013年7月14日 花貫渓谷から袋田の滝まで420キロのツーリング
2012年6月02日 京成バラ園
2012年6月24日 水元公園へ菖蒲を見に行く
2012年7月16日 伊豆の城ヶ崎
2011年6月04日 千葉のふなばし三番瀬海浜公園
と、それなりにツーリングしている。
やっぱり今年は雨と曜日の組み合わせが悪かったみたい。
東京では6月によく雨が降った。週末を挟んで5日くらい延々と降り続いた時もあった。それと先日の台風やその前に全国各地で起きた集中豪雨。毎年々、異常気象なのでもう異常気象に驚かなくなってしまった。ひょっとしたら10年後に振り返ったら「あの頃は、まだまともだったよなあ」と言えるくらい、とんでもないことが始まりかけているのかも知れない。
最後にバイクに乗ったのが5月24日と最初に書いたが、それはツーリングとしての話。実は往復15キロほど、先々週7月6日の日曜日にBMW F800Rのスイッチユニット交換のためにディーラーを訪れた。去年の8月に欠陥車じゃあ!と怒り心頭に発したあのスイッチユニットである。
怒った甲斐あって?ブラック企業のBMWジャパンもようやく今年の1月16日にリコールを届け出た。ただしBMWジャパンからリコール=無償交換のお知らせが来たのは3月か4月頃だったと思う。
リコールの資料を見ると対象になるのはなんと7511台。BMWのバイク販売台数は年間3000台程度だから2年分のバイクを修理しなければいけない計算になる。ディーラーは70社ほどで単純平均で1社107台。1年くらい掛けて交換するとして三日に一日は交換作業をする計算。もうメカニックさんは目を閉じていても交換作業ができるようになっているはず。
資料を見てわかったのは我がF800Rの販売台数が4年で748台だということ。1年にすると187台。BMWの年間販売台数3000台に占める割合は約6%。これが多いか少ないかはオーナーでも意見の分かれるところだろう。私はもっと少ないと思っていた。だって、あちこちに出かけているけれど未だにディーラー以外でF800Rを見た経験がないから。
まあバイクに乗らない人=世の中の圧倒的多数の人はバイクの見分けなんてつかないだろうが、もし停まっているバイクにF800Rと書いてあれば「珍しいものを見た、今日はいいことがあるかも」と喜んでください(^^ゞ
2015年5月 追記
なんと2014年1月にリコールされたスイッチユニットに、不適切な部品が使用されていたと判明して再リコールになりました(/o\) ※右側のみ
こんな単純な部品のリコールを繰り返すなんて、BMWは技術力ではなくマネジメントに欠陥を抱えているんだと思う。
今まではどうだったかとブログを調べてみると6月から7月中旬までに
2013年6月08日 相模原北公園でアジサイを見て道志みちから山中湖
2013年6月23日 南房総をブラブラ
2013年7月14日 花貫渓谷から袋田の滝まで420キロのツーリング
2012年6月02日 京成バラ園
2012年6月24日 水元公園へ菖蒲を見に行く
2012年7月16日 伊豆の城ヶ崎
2011年6月04日 千葉のふなばし三番瀬海浜公園
と、それなりにツーリングしている。
やっぱり今年は雨と曜日の組み合わせが悪かったみたい。
東京では6月によく雨が降った。週末を挟んで5日くらい延々と降り続いた時もあった。それと先日の台風やその前に全国各地で起きた集中豪雨。毎年々、異常気象なのでもう異常気象に驚かなくなってしまった。ひょっとしたら10年後に振り返ったら「あの頃は、まだまともだったよなあ」と言えるくらい、とんでもないことが始まりかけているのかも知れない。
最後にバイクに乗ったのが5月24日と最初に書いたが、それはツーリングとしての話。実は往復15キロほど、先々週7月6日の日曜日にBMW F800Rのスイッチユニット交換のためにディーラーを訪れた。去年の8月に欠陥車じゃあ!と怒り心頭に発したあのスイッチユニットである。
怒った甲斐あって?ブラック企業のBMWジャパンもようやく今年の1月16日にリコールを届け出た。ただしBMWジャパンからリコール=無償交換のお知らせが来たのは3月か4月頃だったと思う。
リコールの資料を見ると対象になるのはなんと7511台。BMWのバイク販売台数は年間3000台程度だから2年分のバイクを修理しなければいけない計算になる。ディーラーは70社ほどで単純平均で1社107台。1年くらい掛けて交換するとして三日に一日は交換作業をする計算。もうメカニックさんは目を閉じていても交換作業ができるようになっているはず。
資料を見てわかったのは我がF800Rの販売台数が4年で748台だということ。1年にすると187台。BMWの年間販売台数3000台に占める割合は約6%。これが多いか少ないかはオーナーでも意見の分かれるところだろう。私はもっと少ないと思っていた。だって、あちこちに出かけているけれど未だにディーラー以外でF800Rを見た経験がないから。
まあバイクに乗らない人=世の中の圧倒的多数の人はバイクの見分けなんてつかないだろうが、もし停まっているバイクにF800Rと書いてあれば「珍しいものを見た、今日はいいことがあるかも」と喜んでください(^^ゞ
2015年5月 追記
なんと2014年1月にリコールされたスイッチユニットに、不適切な部品が使用されていたと判明して再リコールになりました(/o\) ※右側のみ
こんな単純な部品のリコールを繰り返すなんて、BMWは技術力ではなくマネジメントに欠陥を抱えているんだと思う。
2014年07月13日
ワールドカップ雑感 その5 身体能力の話
21年前の1993年にJリーグが始まった時に、いくつかの耳慣れない言葉も使われ始めた。ファンはサポーターと呼ばれグランドはピッチと名を変えた。ボランチやリベロなどのポジション名も体育の授業でしかサッカーを知らない身にとっては初めて聞く言葉。ちなみに子供の頃はフォワードは今と同じだけれど、ミッドフィルダーはハーフバック、ディフェンダーはフルバックと呼んでいた気がする。もっとも、あまりに昔のことで記憶が定かではない。
それと試合開催日のことを第1節、第2節と「節」という名称で呼ぶのも、Jリーグ以外では聞いたことがなかった。ただしこの呼び方はいまだに違和感を感じる。節というのは短い範囲での区切りで、例えば音楽の第1小節、第2小節のように短いながらも、ある程度のまとまった分量を示すものという認識をしている。だからたった1日しかないものを節で表現するのは抵抗がある。その年の10回目の開催日のことをJリーグでは第10節と呼ぶわけだが、別に第10回開催日でいいじゃないと思っている。
そしてこのエントリーのテーマである身体能力という言葉も、今ではいろんなスポーツで使うが、きっかけはJリーグだと記憶している。フィジカルと表現される場合もあるがphysical=身体なので単に漢字かカタカナかの違いだろう。
大辞林によれば身体能力とは
スポーツにおける身体的資質の総称。競技上のテクニックに依存しない
基礎能力。体格・瞬発力・持久力など。
という定義である。
それで取り上げたいのは身体能力の中の体格。
今さらいうまでもないが、日本人は体格に劣る。今大会出場の32カ国で平均身長は下から3番目、平均体重は下から2番目だった。日本人が小さいのは現在の食生活だけでなく、カルシウムが少ない土壌とか、遡れば古くから仏教の影響で肉食が敬遠されてきたとか、いろんな要因の歴史的遺伝子的な積み重ね。だから仕方がない面もあるが、それを言い訳にしていてはワールドカップで歓喜の瞬間は永遠に訪れない。
提案は2つある
1)
テレビで見ていて感じるのは小さいというよりも身体の貧弱さである。言い換えれば筋肉量が相手チームに較べて少ない。もっと単純にいえば胸板が薄いし脚が細い。サッカーはぶつかり合いながらボールを奪うゲームだし、シュートの時も1/3くらいは他の選手と接触しながら蹴っているんじゃないかな。だから身体の強さがもっとなければ戦術論も戦闘方法も机上の空論になる。
サッカー協会やJリーグ各チームは選手の筋肉量増加に対する施策を真剣に実行しなければならないし、選手もテクニック向上と同じレベルの意識と優先順位を持つべきである。もちろん掛け声だけではなく体重、筋肉量、各部位が何センチかについて各人の目標値設定が必要。
ただし、それはそんなに難しい課題じゃない。私のように丸々としたメタボ体型をムキムキにしようというわけじゃないのだ。既にそれなりのレベルの身体にはなっているのだから、適切なトレーナーの元でのトレーニングと、適切な栄養管理士の元での栄養管理があれば(これが忘れられがち)、4年もあれば望める範囲内での最良の結果は手に入れられるはず。
もうちょっとがっしりした体格だったら1次リーグで敗退した3試合で、それぞれ1点ずつ余分に取れていたような気がする。
2)
上に書いたのは体重の話。では身長は?
もちろん身長を伸ばすことはできない。江戸時代と較べると日本人の身長は20センチ近く伸びているらしいが、栄養的に不足のない現在からさらに身長を伸ばすとなれば、数世紀にわたる国家的プロジェクトが必要である。逆にこれから日本の国力が徐々に低下したり貧富の差が激しい社会になれば、平均身長は今より低下するかもしれない。
将来のことはさておき、現在において身長については打つ手がないように思える。
しか〜しである。
サッカーブラジル大会日本代表の平均身長: 178センチ
バスケットボール2013年アジア選手権日本代表の平均身長: 195センチ
バレーボール2014年日本代表登録メンバーの平均身長: 191センチ
※バスケで名前が日本人でない選手は外して計算した
つまり日本人全員でサッカーをするわけじゃないんだから、集めよう育てようと思えば身長の大きな選手はいくらでもいるのである。バスケやバレーは背が高い方が明確に有利だから昔から背が高い選手を選んできたし、背が高い人が活躍できると思ってそのスポーツを始めたというだけの話。そして現在はバスケやバレーよりサッカー選手を目指す子供や少年のほうがはるかに多い。
要はサッカーに身長はどの程度必要かという認識の問題。
サッカー能力100:身長170センチ
サッカー能力100:身長180センチ
なら180センチの選手が選ばれるだろうけれど
サッカー能力120:身長170センチ
サッカー能力100:身長180センチ
の場合はどうなのかということ。
もちろんその勘案の度合いは私にはわからない。しかしヘディングの競り合いだけじゃなく、身長は体重にも効いてくるから「コンタクトスポーツであるサッカーには身長も重要」という意識はもっと必要なんじゃないかな。今大会で一番平均身長の高いのはドイツで186センチ。日本との差は8センチ。自分より8センチ身長の高い人とぶつかり合うのは大変だよね。
4年後は間に合わないだろうが、8年後あるいは12年後に向けての育成選手(そんな仕組みはサッカー界にはないが)の選抜では、もう少し身長のことも考慮したほうがいいように思う。成長してワールドカップに出る時には最低でも平均で180センチは欲しい。もっというなら、もし自分の子供が将来一流のサッカー選手になって欲しいと願うなら、親は日本食を控えて育てるべきかな。その食生活の善し悪しは別として、サッカーは肉食文化圏のスポーツだから。
さてダラダラと書いてきたがワールドカップも明日が決勝戦。もっともドイツとアルゼンチンのどちらが勝とうが、この大会はブラジルが1−7で準決勝を破れたことが永遠に記憶される大会になる。衝撃的な結果だったが、泣き叫んでいるブラジルの人を見て、それだけ自国のサッカーを信じられるのはうらやましい気もした。
もし今後、日本チームが(最初に書き忘れたが、日本チームのことをやたら日本代表というのもサッカー界独特の表現である)準決勝に進出して、そしてあんな風に敗れても、あれほど多くの人が泣き叫ぶことはないような気がする。ひょっとしたら初めて準決勝まで進んだ満足感のほうが大きいかもしれない。そういう意味じゃ、まだまだテッペンは遙か彼方である。
ーーーもう1回くらい続く
それと試合開催日のことを第1節、第2節と「節」という名称で呼ぶのも、Jリーグ以外では聞いたことがなかった。ただしこの呼び方はいまだに違和感を感じる。節というのは短い範囲での区切りで、例えば音楽の第1小節、第2小節のように短いながらも、ある程度のまとまった分量を示すものという認識をしている。だからたった1日しかないものを節で表現するのは抵抗がある。その年の10回目の開催日のことをJリーグでは第10節と呼ぶわけだが、別に第10回開催日でいいじゃないと思っている。
そしてこのエントリーのテーマである身体能力という言葉も、今ではいろんなスポーツで使うが、きっかけはJリーグだと記憶している。フィジカルと表現される場合もあるがphysical=身体なので単に漢字かカタカナかの違いだろう。
大辞林によれば身体能力とは
スポーツにおける身体的資質の総称。競技上のテクニックに依存しない
基礎能力。体格・瞬発力・持久力など。
という定義である。
それで取り上げたいのは身体能力の中の体格。
今さらいうまでもないが、日本人は体格に劣る。今大会出場の32カ国で平均身長は下から3番目、平均体重は下から2番目だった。日本人が小さいのは現在の食生活だけでなく、カルシウムが少ない土壌とか、遡れば古くから仏教の影響で肉食が敬遠されてきたとか、いろんな要因の歴史的遺伝子的な積み重ね。だから仕方がない面もあるが、それを言い訳にしていてはワールドカップで歓喜の瞬間は永遠に訪れない。
提案は2つある
1)
テレビで見ていて感じるのは小さいというよりも身体の貧弱さである。言い換えれば筋肉量が相手チームに較べて少ない。もっと単純にいえば胸板が薄いし脚が細い。サッカーはぶつかり合いながらボールを奪うゲームだし、シュートの時も1/3くらいは他の選手と接触しながら蹴っているんじゃないかな。だから身体の強さがもっとなければ戦術論も戦闘方法も机上の空論になる。
サッカー協会やJリーグ各チームは選手の筋肉量増加に対する施策を真剣に実行しなければならないし、選手もテクニック向上と同じレベルの意識と優先順位を持つべきである。もちろん掛け声だけではなく体重、筋肉量、各部位が何センチかについて各人の目標値設定が必要。
ただし、それはそんなに難しい課題じゃない。私のように丸々としたメタボ体型をムキムキにしようというわけじゃないのだ。既にそれなりのレベルの身体にはなっているのだから、適切なトレーナーの元でのトレーニングと、適切な栄養管理士の元での栄養管理があれば(これが忘れられがち)、4年もあれば望める範囲内での最良の結果は手に入れられるはず。
もうちょっとがっしりした体格だったら1次リーグで敗退した3試合で、それぞれ1点ずつ余分に取れていたような気がする。
2)
上に書いたのは体重の話。では身長は?
もちろん身長を伸ばすことはできない。江戸時代と較べると日本人の身長は20センチ近く伸びているらしいが、栄養的に不足のない現在からさらに身長を伸ばすとなれば、数世紀にわたる国家的プロジェクトが必要である。逆にこれから日本の国力が徐々に低下したり貧富の差が激しい社会になれば、平均身長は今より低下するかもしれない。
将来のことはさておき、現在において身長については打つ手がないように思える。
しか〜しである。
サッカーブラジル大会日本代表の平均身長: 178センチ
バスケットボール2013年アジア選手権日本代表の平均身長: 195センチ
バレーボール2014年日本代表登録メンバーの平均身長: 191センチ
※バスケで名前が日本人でない選手は外して計算した
つまり日本人全員でサッカーをするわけじゃないんだから、集めよう育てようと思えば身長の大きな選手はいくらでもいるのである。バスケやバレーは背が高い方が明確に有利だから昔から背が高い選手を選んできたし、背が高い人が活躍できると思ってそのスポーツを始めたというだけの話。そして現在はバスケやバレーよりサッカー選手を目指す子供や少年のほうがはるかに多い。
要はサッカーに身長はどの程度必要かという認識の問題。
サッカー能力100:身長170センチ
サッカー能力100:身長180センチ
なら180センチの選手が選ばれるだろうけれど
サッカー能力120:身長170センチ
サッカー能力100:身長180センチ
の場合はどうなのかということ。
もちろんその勘案の度合いは私にはわからない。しかしヘディングの競り合いだけじゃなく、身長は体重にも効いてくるから「コンタクトスポーツであるサッカーには身長も重要」という意識はもっと必要なんじゃないかな。今大会で一番平均身長の高いのはドイツで186センチ。日本との差は8センチ。自分より8センチ身長の高い人とぶつかり合うのは大変だよね。
4年後は間に合わないだろうが、8年後あるいは12年後に向けての育成選手(そんな仕組みはサッカー界にはないが)の選抜では、もう少し身長のことも考慮したほうがいいように思う。成長してワールドカップに出る時には最低でも平均で180センチは欲しい。もっというなら、もし自分の子供が将来一流のサッカー選手になって欲しいと願うなら、親は日本食を控えて育てるべきかな。その食生活の善し悪しは別として、サッカーは肉食文化圏のスポーツだから。
さてダラダラと書いてきたがワールドカップも明日が決勝戦。もっともドイツとアルゼンチンのどちらが勝とうが、この大会はブラジルが1−7で準決勝を破れたことが永遠に記憶される大会になる。衝撃的な結果だったが、泣き叫んでいるブラジルの人を見て、それだけ自国のサッカーを信じられるのはうらやましい気もした。
もし今後、日本チームが(最初に書き忘れたが、日本チームのことをやたら日本代表というのもサッカー界独特の表現である)準決勝に進出して、そしてあんな風に敗れても、あれほど多くの人が泣き叫ぶことはないような気がする。ひょっとしたら初めて準決勝まで進んだ満足感のほうが大きいかもしれない。そういう意味じゃ、まだまだテッペンは遙か彼方である。
ーーーもう1回くらい続く
2014年07月11日
ワールドカップ雑感 その4 IDサッカーの提案
サッカーの戦術の話が盛んである。
「自分たちのサッカー」というのも戦術論のことかと思う。前に「自分たちのサッカー」についての考えも書いたが、今回は少し別の観点で。
戦略、戦術という言葉は日常的によく使われている。特に具体的な定義はないが、戦略がより大局的で戦術はもう少し細かなことというような解釈が一般的。戦略とは何かとか、何をもって戦略と呼ぶかなどの抽象的な神学論争はたくさんあるが、ここでは立ち入らない。
ところで戦略・戦術は「戦う」という言葉からわかるように、元々は軍事用語である。ビジネスやマーケティングで軍事用語からの転用は結構多い。最近は社長のことをCEOというのがお約束になっているが、CEO=チーフ・エグゼクティブ・オフィサーのオフィサーも元々は将校の意味である。
さて戦略、戦術の2つがよく使われるが、本家の軍事用語では
戦略/作戦/戦術/兵站
戦略/戦術/戦闘
などと区別されたりする。興味のある人は自分で調べてね。ここでは後者の戦略/戦術/戦闘をベースに話を進める。3つの言葉の定義は特に気にしなくていい。とりあえずは、だんだん話が細部のことになるといった程度の区切り。
例の自分たちのサッカーというのは、もちろん公式の定義があるわけではない。ネットで好き勝手に解説されているものの最大公約数は
比較的短いパスでボールをつなぐ
そして速いペースで攻め上がって
そのパスで相手のポジションを崩して攻撃する
といったところか。逆の見方をすれば
ドリブルで運ぶテクニックがない
相手の中央を突破する力量がない
ゴール前でロングパスを競り合う体格がない
ことをカバーする考え方かと思う。それが正しいかどうかは私にはわからない。ワールドカップで通用しなかったから間違っていたともいえるし、他と較べてそれでも最善だったのかもしれない。
それで「自分たちのサッカー」は戦術だとされている。上の考え方を見ればわかるように、これは試合の進め方の粗筋が書いてあるだけで点を取るための具体策ではない。つまり戦闘論が欠けている。前回に書いたようにセンスがあれば自然と正しく戦闘できるのだが、センスが充分でない現状で戦闘論を抜きにサッカーを考えても戦術は絵に描いた餅になる。
テレビでサッカー解説を見ていると「この選手が守備の選手を引きつけて、それで空いた裏のスペースにーーー」というようなことがよくいわれている。話はわかる気がするけれど、あまりにも感覚的すぎる。
そこで提案したいのはID野球の考え方を取り入れること。
ID野球とは野村克也監督が始めたといわれている、勘や経験に頼らずにデータ分析を重視した野球。具体的にはバッター攻略法を指す。例えばある打者が「どのコースのどの球種なら何%の確率でヒットを打っている、あるいは打っていない」というようなデータを元にピッチャーの配球を組み立てる(らしい)。彼は名捕手だったが自身は凡才で天才キャッチャーがもっているようなセンスはなかったのかもしれない。また名監督でもあったがセンスを備えた選手があまりいない球団を率いてきた。だからデータ重視という発想が生まれたのだと思う。
ちなみにID野球はindex(インデックスは索引=すぐに必要な情報を探せるようにデータをまとめてある)の略だとずっと思っていたが、今回調べてみたらimportant data(大事なデータ)の略だった。どれだけ細かな状況までデータ分析をしていたかは知らないが、この方法はサッカーでも使えるはず。つまりセンスのなさをデータ分析でカバーする発想。
ただしバッターだけを攻略すればいい野球と較べて、サッカーははるかに人数が多くまた選手同士の動きが複雑である。だからスーパーコンピューターまで必要かどうかは別として、IDサッカーはコンピューターによる分析やシミュレーションが中心になる。試合中の選手とボールの動きをすべて記録して、どのポジションの選手がどう動けば他の選手がどう反応して、どのようなポジショニング状況が発生しているかを解析していく。イメージとしてはサッカー解説で言われているようなことをもっと科学的・統計的に確かめるということ。
データの蓄積を重ねればいずれ得点できる動き方の法則が見つかるはずである。さらに分析を進めれば「ある状況でこういう風に動けば、相手は何%の確率でこう動いて、その結果として、このようなポジション・スペースになる確率が何%になる」といったシミュレーションが可能になってくる。つまりAの結果が欲しければB、その次にCのプレーをしろという具体的な戦闘方法が導き出せる。いくつかは今までに経験でいわれてきたものと同じかもしれない。しかし思いもつかなかったものも見つかると期待している。そして当然、この戦闘方法をたくさん持っていほど強いチームになることは間違いない。
目指せ、サッカー四十八手の習得!
が私の考える日本サッカー強化方法。
戦術を組み立てれば、最後は選手が最適なプレー(戦闘)をしてくれるというレベルにまだ日本は達していない。発展途上国は発展途上国なりの方法論が必要である。
ついでに工程表をイメージしてみる。
まず企画構想とプロジェクトチーム結成に1年はかかる。
次にデータ収集と、それをコンピュータープログラムにインプットするための方法論の確立も含めて準備に3〜4年。平行してに解析・シミュレーションプログラムも開発するとして、あれこれ迷走するだろうからそれ以上かかる。とりあえず5年としておく
分析もあーだ、こーだとなかなか進まず、最初の戦闘論を導き出すまでに3年。
それを選手に教育するカリキュラム開発に、これまた試行錯誤を含めて3年。
ここまでで12年。
とても先のことのように思えるが12年後は2028年。以前のエントリーを読んでくれた人ならわかるように、そろそろカズの孫の世代がボールを蹴って遊び始める頃である。彼らが少年サッカーを始める頃にはカリキュラムを習得したよき先輩や指導者に恵まれるはず。データ分析・シミュレーションを磨き上げて、サッカー四十八手がプロの世界で通用するまでに、もう10数年かかるだろう。その時はちょうど孫の世代が本格的にサッカーに取り組む年齢。
やがて解析・シミュレーションプログラムは対戦する選手ごとの最適値もはじき出すようになる。そして前々回に書いたように今から30年後に歓喜のワールドカップになる計算。先は長いが、それまでには初のベスト8、初のベスト4でも盛り上がれるから楽しみは取っておくべきでしょうとモーソーは膨らむ。
ところでこの工程表にはひとつ問題がある。
それはこの提案が採用されるまで何年かかるかを考慮していないところ(^^ゞ
ーーー次は身体能力へ続く
「自分たちのサッカー」というのも戦術論のことかと思う。前に「自分たちのサッカー」についての考えも書いたが、今回は少し別の観点で。
戦略、戦術という言葉は日常的によく使われている。特に具体的な定義はないが、戦略がより大局的で戦術はもう少し細かなことというような解釈が一般的。戦略とは何かとか、何をもって戦略と呼ぶかなどの抽象的な神学論争はたくさんあるが、ここでは立ち入らない。
ところで戦略・戦術は「戦う」という言葉からわかるように、元々は軍事用語である。ビジネスやマーケティングで軍事用語からの転用は結構多い。最近は社長のことをCEOというのがお約束になっているが、CEO=チーフ・エグゼクティブ・オフィサーのオフィサーも元々は将校の意味である。
さて戦略、戦術の2つがよく使われるが、本家の軍事用語では
戦略/作戦/戦術/兵站
戦略/戦術/戦闘
などと区別されたりする。興味のある人は自分で調べてね。ここでは後者の戦略/戦術/戦闘をベースに話を進める。3つの言葉の定義は特に気にしなくていい。とりあえずは、だんだん話が細部のことになるといった程度の区切り。
例の自分たちのサッカーというのは、もちろん公式の定義があるわけではない。ネットで好き勝手に解説されているものの最大公約数は
比較的短いパスでボールをつなぐ
そして速いペースで攻め上がって
そのパスで相手のポジションを崩して攻撃する
といったところか。逆の見方をすれば
ドリブルで運ぶテクニックがない
相手の中央を突破する力量がない
ゴール前でロングパスを競り合う体格がない
ことをカバーする考え方かと思う。それが正しいかどうかは私にはわからない。ワールドカップで通用しなかったから間違っていたともいえるし、他と較べてそれでも最善だったのかもしれない。
それで「自分たちのサッカー」は戦術だとされている。上の考え方を見ればわかるように、これは試合の進め方の粗筋が書いてあるだけで点を取るための具体策ではない。つまり戦闘論が欠けている。前回に書いたようにセンスがあれば自然と正しく戦闘できるのだが、センスが充分でない現状で戦闘論を抜きにサッカーを考えても戦術は絵に描いた餅になる。
テレビでサッカー解説を見ていると「この選手が守備の選手を引きつけて、それで空いた裏のスペースにーーー」というようなことがよくいわれている。話はわかる気がするけれど、あまりにも感覚的すぎる。
そこで提案したいのはID野球の考え方を取り入れること。
ID野球とは野村克也監督が始めたといわれている、勘や経験に頼らずにデータ分析を重視した野球。具体的にはバッター攻略法を指す。例えばある打者が「どのコースのどの球種なら何%の確率でヒットを打っている、あるいは打っていない」というようなデータを元にピッチャーの配球を組み立てる(らしい)。彼は名捕手だったが自身は凡才で天才キャッチャーがもっているようなセンスはなかったのかもしれない。また名監督でもあったがセンスを備えた選手があまりいない球団を率いてきた。だからデータ重視という発想が生まれたのだと思う。
ちなみにID野球はindex(インデックスは索引=すぐに必要な情報を探せるようにデータをまとめてある)の略だとずっと思っていたが、今回調べてみたらimportant data(大事なデータ)の略だった。どれだけ細かな状況までデータ分析をしていたかは知らないが、この方法はサッカーでも使えるはず。つまりセンスのなさをデータ分析でカバーする発想。
ただしバッターだけを攻略すればいい野球と較べて、サッカーははるかに人数が多くまた選手同士の動きが複雑である。だからスーパーコンピューターまで必要かどうかは別として、IDサッカーはコンピューターによる分析やシミュレーションが中心になる。試合中の選手とボールの動きをすべて記録して、どのポジションの選手がどう動けば他の選手がどう反応して、どのようなポジショニング状況が発生しているかを解析していく。イメージとしてはサッカー解説で言われているようなことをもっと科学的・統計的に確かめるということ。
データの蓄積を重ねればいずれ得点できる動き方の法則が見つかるはずである。さらに分析を進めれば「ある状況でこういう風に動けば、相手は何%の確率でこう動いて、その結果として、このようなポジション・スペースになる確率が何%になる」といったシミュレーションが可能になってくる。つまりAの結果が欲しければB、その次にCのプレーをしろという具体的な戦闘方法が導き出せる。いくつかは今までに経験でいわれてきたものと同じかもしれない。しかし思いもつかなかったものも見つかると期待している。そして当然、この戦闘方法をたくさん持っていほど強いチームになることは間違いない。
目指せ、サッカー四十八手の習得!
が私の考える日本サッカー強化方法。
戦術を組み立てれば、最後は選手が最適なプレー(戦闘)をしてくれるというレベルにまだ日本は達していない。発展途上国は発展途上国なりの方法論が必要である。
ついでに工程表をイメージしてみる。
まず企画構想とプロジェクトチーム結成に1年はかかる。
次にデータ収集と、それをコンピュータープログラムにインプットするための方法論の確立も含めて準備に3〜4年。平行してに解析・シミュレーションプログラムも開発するとして、あれこれ迷走するだろうからそれ以上かかる。とりあえず5年としておく
分析もあーだ、こーだとなかなか進まず、最初の戦闘論を導き出すまでに3年。
それを選手に教育するカリキュラム開発に、これまた試行錯誤を含めて3年。
ここまでで12年。
とても先のことのように思えるが12年後は2028年。以前のエントリーを読んでくれた人ならわかるように、そろそろカズの孫の世代がボールを蹴って遊び始める頃である。彼らが少年サッカーを始める頃にはカリキュラムを習得したよき先輩や指導者に恵まれるはず。データ分析・シミュレーションを磨き上げて、サッカー四十八手がプロの世界で通用するまでに、もう10数年かかるだろう。その時はちょうど孫の世代が本格的にサッカーに取り組む年齢。
やがて解析・シミュレーションプログラムは対戦する選手ごとの最適値もはじき出すようになる。そして前々回に書いたように今から30年後に歓喜のワールドカップになる計算。先は長いが、それまでには初のベスト8、初のベスト4でも盛り上がれるから楽しみは取っておくべきでしょうとモーソーは膨らむ。
ところでこの工程表にはひとつ問題がある。
それはこの提案が採用されるまで何年かかるかを考慮していないところ(^^ゞ
ーーー次は身体能力へ続く
2014年07月09日
ワールドカップ雑感 その3
前2回のエントリーでは、Jリーグが始まった当時、日本の選手は考えてプレーしているのに対して、海外強豪国の選手は状況に応じて身体が反応しているように感じたということが話のベースになっている。ただしそれはあくまで私の印象。書きながら思い出したのが当時よくサッカーの話をした知人のこと。彼はサッカー部だった高校時代に全国大会でそこそこのレベルまで進んでいる。つまり、私よりサッカーを観る目ははるかに肥えている。
その元サッカー部員いわく
「日本のサッカーは何も考えずに走り回っているだけだから弱い」
つまり私とは180度違う見解(^^ゞ
どちらが正しいのかわからないが、スタートがこのレベルのあやふやさだから長々と書いているサッカーの話も、もちろんあまたあるサッカー与太話の1つである。
よくサッカーはポジションを崩すゲームだといわれる。言い換えればスペースを作るゲーム。ボールをキープしていれば守備の選手が寄ってくる。特にゴールの近くだと複数の選手が寄ってくる。そうするとどこかに守備の選手が手薄なスペースができるから、そこに味方が走り込んでパスが通ればチャンスが生まれるというような意味。
ところで、そんな解説をテレビで見たことがあると思うけれど、試合の時はそこまで気が回らない人のほうが多いと思う。私もそう。しかし、そういうことはテレビではなくグラウンドで観戦すると特に意識しなくても察知できる。オフサイドもテレビだとオフサイドの判定があって初めてそういう状況だったのかと気付くが、グランドだと何となく事前にわかるから不思議。もっとも私は学生の練習試合のようなものしか観たことがないのだが。
話を戻すと
ボールをキープしたら次にどうするかの選択肢は無数にある。ボールの位置、味方と相手の位置と相対関係、それぞれの選手の能力や動き方の特徴。基本的な要素だけでもこれくらいになる。それにパスをしたら次がシュートではなく、シュートはその数手先の場合のほうが多いから、それも読まなければいけない。もちろんスペース作りだけが選択肢ではない。最適解を探すのはスーパーコンピューターでも大変そうである。でもそれを瞬時に行えるのが一流のサッカー選手だと思う。
つまりプレーを続けながら相手のプレッシャーもある状況で、正しい判断ができるかどうかがセンスの有無である。試合が終わってから解説するのなら、私でも1ヶ月ほどサッカーの勉強をすればできる。また相手も状況を読んでいるわけだから、その裏をかくトリッキーな選択も必要になってくる。いわゆるクリエイティブなサッカーができるかどうか。
前回からの流れでいうと、サッカーの情報・知識がDNA的遺伝的蓄積によって身体に刷り込まれて3世代後には身体がもっと反応するようになる。サッカーのセンスもその延長線上にあるのは確かだとしても、それとは別の個人の属人的才能に負う部分も大きい。日本人なら誰でも着物を上手に着こなせるわけではないのだ。
長々と書いてきたセンスの話しも、そろそろまとめないと飽きてきた(^^ゞ
身体能力とメンタルの話も残っているのに。
ではセンスを養うためにはどうすればいいのかを次回に。
その元サッカー部員いわく
「日本のサッカーは何も考えずに走り回っているだけだから弱い」
つまり私とは180度違う見解(^^ゞ
どちらが正しいのかわからないが、スタートがこのレベルのあやふやさだから長々と書いているサッカーの話も、もちろんあまたあるサッカー与太話の1つである。
よくサッカーはポジションを崩すゲームだといわれる。言い換えればスペースを作るゲーム。ボールをキープしていれば守備の選手が寄ってくる。特にゴールの近くだと複数の選手が寄ってくる。そうするとどこかに守備の選手が手薄なスペースができるから、そこに味方が走り込んでパスが通ればチャンスが生まれるというような意味。
ところで、そんな解説をテレビで見たことがあると思うけれど、試合の時はそこまで気が回らない人のほうが多いと思う。私もそう。しかし、そういうことはテレビではなくグラウンドで観戦すると特に意識しなくても察知できる。オフサイドもテレビだとオフサイドの判定があって初めてそういう状況だったのかと気付くが、グランドだと何となく事前にわかるから不思議。もっとも私は学生の練習試合のようなものしか観たことがないのだが。
話を戻すと
ボールをキープしたら次にどうするかの選択肢は無数にある。ボールの位置、味方と相手の位置と相対関係、それぞれの選手の能力や動き方の特徴。基本的な要素だけでもこれくらいになる。それにパスをしたら次がシュートではなく、シュートはその数手先の場合のほうが多いから、それも読まなければいけない。もちろんスペース作りだけが選択肢ではない。最適解を探すのはスーパーコンピューターでも大変そうである。でもそれを瞬時に行えるのが一流のサッカー選手だと思う。
つまりプレーを続けながら相手のプレッシャーもある状況で、正しい判断ができるかどうかがセンスの有無である。試合が終わってから解説するのなら、私でも1ヶ月ほどサッカーの勉強をすればできる。また相手も状況を読んでいるわけだから、その裏をかくトリッキーな選択も必要になってくる。いわゆるクリエイティブなサッカーができるかどうか。
前回からの流れでいうと、サッカーの情報・知識がDNA的遺伝的蓄積によって身体に刷り込まれて3世代後には身体がもっと反応するようになる。サッカーのセンスもその延長線上にあるのは確かだとしても、それとは別の個人の属人的才能に負う部分も大きい。日本人なら誰でも着物を上手に着こなせるわけではないのだ。
長々と書いてきたセンスの話しも、そろそろまとめないと飽きてきた(^^ゞ
身体能力とメンタルの話も残っているのに。
ではセンスを養うためにはどうすればいいのかを次回に。
2014年07月04日
ワールドカップ雑感 その2
日本とヨーロッパや南米のサッカーは違うなあと気付いた時に、
なぜか思い出した大学生の頃の出来事とはーーー
それは、とある待合室。テレビがあって高校野球が映されていた。
バアさんが3名いた。彼女たちはおしゃべりをしながらテレビを観ている。私はテレビは観ずに雑誌か新聞を読んでいたと思う。
そのバアさん達の会話が聞こえてきた。
バアさんA「3塁まで進んだから、次はスクイズかしら?」
バアさんB「そうよね」
バアさんC「前進守備をしないといけませんね」
実際はこんな上品な言葉ではなかったが(^^ゞ
そんな会話をなぜ覚えているかというと、決して野球や高校野球のファンではなさそうな、たまたまおしゃべりの場所に高校野球が放映されていたバアさん達が、おしゃべりのついでにテレビを眺めていただけなのに、ランナーが3塁に進塁したら次にどういう状況が予想されるかというレベルの高い発言をしたから。
ちなみにバアさん達はずっと他愛のないおしゃべりをしていて、上の会話はその一瞬に挟み込まれたもの。話が途切れた時、たまたま3塁にランナーがいたから口からそんな言葉が出たという感じ。
その時は、こんなバアさん達でもそれなりに野球のことを知っているんだなあと少し意外に思った程度だった。たぶん1時間後には彼女たちの会話のことも忘れたと思うが、それから15年ほど経って海外のサッカーを観た時に、なぜかその会話が記憶の中からよみがえってきたのである。
脳というのは実は認識したすべてを記憶しているんじゃないかと感じることがある。すべての記憶が意識の中にあると処理しきれず混乱するから、必要のない記憶は無意識記憶の領域に移されて普段は忘れているけれど、その無意識記憶もしっかり活動しており(でも意識の外だから気がつかない)、何かのインプットで「この記憶が必要かも」と判断する機能が働いて、そうしたら意識の記憶領域に戻されるーーー。時々、どうしてそんなことを思い出したんだろうとビックリすることがあるから、何となくそんな気がしている。
話をバアさん達に戻すと
前回のエントリーで当時の日本のサッカー選手は考えて動いていた、海外強豪国の選手は身体が反応していると書いた。高校野球を観ていたバアさん達はまさに身体が反応したのだ。もちろん彼女たちは野球をしたことはないだろうし別に興味も持っていない。でも日本では野球が古くからおこなわれており、興味はなくても馴染みがあって、その積み重ねがあったからこそのスクイズ警戒である。
そしてまったく医学的とはいえない考え方だが、彼女たちが持っている感覚はDNAに刻み込まれ、遺伝して世代を重ねるごとに濃縮される。伝統のある国が強いというのはそういう理由もあると思う。今のプロ野球選手は、あのバアさん達のひ孫世代。バアさん達が若い頃、日本のプロ野球は親善試合にやってきたアメリカの大リーグ(昔はメジャーリーグとはいわなかった)に歯が立たなかった。それが今や野球のワールドカップであるベースボールクラシックは2連覇したし、オリンピックでも常に優勝を争える位置にいた。やはりそれはDNAの濃縮効果、それに加えて野球をしなくてもわかっている人がたくさんいることよって実現する「全体のレベルが底上げされた」という状態なのだと考えている。
そうなって=あるレベル以上になって初めて、サッカーでも状況に応じて身体が反応するレベルの選手が出てくるように思う。逆にいえばJリーグの第1世代がどんなに努力しても、そのレベルには達しなかった(と思っている)。「日本が世界のトップチームに追いつくのはカズの孫の世代かなあ」というのはそういう意味。日本がワールドカップで優勝を争うようになるのは、バアさん連中がおしゃべりをしながらサッカー中継を観て
「もっと左サイド上がらんかい!」
とか叫ぶ日が来るまでお預けである(^^ゞ
最初のテーマであるセンスから話がそれたように思われるかもしれないが、センスというのはあるレベル以上なってから問われるもの。頭で考えて動く、つまりセオリーや台本を下敷きにしたサッカーならセンスを発揮する余地もない。「カズの孫の世代かなあ」と感じてから20年ほど経った。まだ誕生していない孫の世代がサッカー選手になるまであと30年はかかる計算である。その頃には身体が反応するレベルの選手が多く揃っているかもしれない。
ふ〜30年先かと思いやられるが、ハードルはもっと高い。身体が反応するレベルに達したからといってセンスも向上しているとは限らないのである。
ーーー続く
なぜか思い出した大学生の頃の出来事とはーーー
それは、とある待合室。テレビがあって高校野球が映されていた。
バアさんが3名いた。彼女たちはおしゃべりをしながらテレビを観ている。私はテレビは観ずに雑誌か新聞を読んでいたと思う。
そのバアさん達の会話が聞こえてきた。
バアさんA「3塁まで進んだから、次はスクイズかしら?」
バアさんB「そうよね」
バアさんC「前進守備をしないといけませんね」
実際はこんな上品な言葉ではなかったが(^^ゞ
そんな会話をなぜ覚えているかというと、決して野球や高校野球のファンではなさそうな、たまたまおしゃべりの場所に高校野球が放映されていたバアさん達が、おしゃべりのついでにテレビを眺めていただけなのに、ランナーが3塁に進塁したら次にどういう状況が予想されるかというレベルの高い発言をしたから。
ちなみにバアさん達はずっと他愛のないおしゃべりをしていて、上の会話はその一瞬に挟み込まれたもの。話が途切れた時、たまたま3塁にランナーがいたから口からそんな言葉が出たという感じ。
その時は、こんなバアさん達でもそれなりに野球のことを知っているんだなあと少し意外に思った程度だった。たぶん1時間後には彼女たちの会話のことも忘れたと思うが、それから15年ほど経って海外のサッカーを観た時に、なぜかその会話が記憶の中からよみがえってきたのである。
脳というのは実は認識したすべてを記憶しているんじゃないかと感じることがある。すべての記憶が意識の中にあると処理しきれず混乱するから、必要のない記憶は無意識記憶の領域に移されて普段は忘れているけれど、その無意識記憶もしっかり活動しており(でも意識の外だから気がつかない)、何かのインプットで「この記憶が必要かも」と判断する機能が働いて、そうしたら意識の記憶領域に戻されるーーー。時々、どうしてそんなことを思い出したんだろうとビックリすることがあるから、何となくそんな気がしている。
話をバアさん達に戻すと
前回のエントリーで当時の日本のサッカー選手は考えて動いていた、海外強豪国の選手は身体が反応していると書いた。高校野球を観ていたバアさん達はまさに身体が反応したのだ。もちろん彼女たちは野球をしたことはないだろうし別に興味も持っていない。でも日本では野球が古くからおこなわれており、興味はなくても馴染みがあって、その積み重ねがあったからこそのスクイズ警戒である。
そしてまったく医学的とはいえない考え方だが、彼女たちが持っている感覚はDNAに刻み込まれ、遺伝して世代を重ねるごとに濃縮される。伝統のある国が強いというのはそういう理由もあると思う。今のプロ野球選手は、あのバアさん達のひ孫世代。バアさん達が若い頃、日本のプロ野球は親善試合にやってきたアメリカの大リーグ(昔はメジャーリーグとはいわなかった)に歯が立たなかった。それが今や野球のワールドカップであるベースボールクラシックは2連覇したし、オリンピックでも常に優勝を争える位置にいた。やはりそれはDNAの濃縮効果、それに加えて野球をしなくてもわかっている人がたくさんいることよって実現する「全体のレベルが底上げされた」という状態なのだと考えている。
そうなって=あるレベル以上になって初めて、サッカーでも状況に応じて身体が反応するレベルの選手が出てくるように思う。逆にいえばJリーグの第1世代がどんなに努力しても、そのレベルには達しなかった(と思っている)。「日本が世界のトップチームに追いつくのはカズの孫の世代かなあ」というのはそういう意味。日本がワールドカップで優勝を争うようになるのは、バアさん連中がおしゃべりをしながらサッカー中継を観て
「もっと左サイド上がらんかい!」
とか叫ぶ日が来るまでお預けである(^^ゞ
最初のテーマであるセンスから話がそれたように思われるかもしれないが、センスというのはあるレベル以上なってから問われるもの。頭で考えて動く、つまりセオリーや台本を下敷きにしたサッカーならセンスを発揮する余地もない。「カズの孫の世代かなあ」と感じてから20年ほど経った。まだ誕生していない孫の世代がサッカー選手になるまであと30年はかかる計算である。その頃には身体が反応するレベルの選手が多く揃っているかもしれない。
ふ〜30年先かと思いやられるが、ハードルはもっと高い。身体が反応するレベルに達したからといってセンスも向上しているとは限らないのである。
ーーー続く
2014年07月02日
ワールドカップ雑感 その1
残念ながら日本は1次リーグで敗退したが、決勝トーナメントの1回戦が終わり準々決勝に進出する8カ国も決まって、いよいよワールドカップはこれからが佳境。特に応援している国もないから試合を丸々見ることはないが、テレビ中継されていたらチャンネルはワールドカップに合わせている。決勝戦くらいはじっくり見たいと思うのだけれど、ブラジルの日曜日は日本の月曜日なので、7月14日(月)の朝4時からと実に微妙な時間に試合が始まる。もう2時間早いか遅ければいいのに。
実はワールドカップに出場している某国のクライアントとニギッテいる(^^ゞ その国のほうが圧倒的に強いのでハンディをもらっての勝負。何を賭けているかはナイショだが勝敗の決め方は
日本が1次リーグを突破すれば私の勝ち。(その国とは1次リーグで同じ組ではない)
某国が準決勝まで進めばクライアントの勝ち。
上のどちらも満たさない、あるいは両方を満たす場合は引き分け。
もし決勝トーナメントで日本と某国が対戦することになったら、その勝敗で決める。
今のところ決着はついていない。でも日本は1次リーグ敗退したから私に勝つ可能性はなくなり引き分け狙い。ガンバルナ!某国チーム(^^ゞ
考えてみればトホホなハンディである。でもまあ日本の今の実力はこんなところかと思う。1次リーグ敗退をやたら糾弾しているマスコミや評論家もいる。揚げ足取りの主張が多くて何か勘違いしているんじゃないかな。もっとも褒めちぎった後にボロクソにけなすのは、煽ることが仕事だと勘違いしている彼らの習性。
次の4年間をどうするのかという記事もよく見る。戦術や監督選びに口を挟む見識はないが、男子たるものハンディなしのスクラッチで賭けられる日が来ることを願って(^^ゞ、私なりの視点で日本サッカーの強化法を考えてみたい。
最初に断っておくが話はダラダラ進むし、
いつも以上に横道にそれる可能性大。
さて
前のエントリーでサッカーの強さを「テクニック×センス×いわゆる身体能力×戦術、それとメンタルも付け加えるべきかも」と書いた。テクニックと戦術はパスして、とりあえず最初のテーマは「センス」。
今から21年前の1993年に始まったJリーグでサッカーのおもしろさを知った。そして同年の秋が「ドーハの悲劇」の起きたワールドカップ・アメリカ大会予選で、その翌年が本大会。そんなこんなでJリーグで日本のサッカーを知った後、しばらくして世界のサッカーを見る機会が増えた。
そして世界のサッカーを知った後の感想は
「日本が世界のトップチームに追いつくのはカズの孫の世代かなあ」
というもの。
もちろんカズとは三浦カズ。当時は日本サッカー界の象徴だった。彼らJリーグの第1世代の優秀選手が結婚して子供ができて、その子供が結婚するまで30年。その子供の子供が生まれてプロのサッカー選手になるまでさらに20年。つまり早くても合計50年はかかると直感的に思った。もっとも年数の計算よりも「カズの孫の世代」と思ったように2世代かかるというのがその趣旨。
そう思ったのは日本と、ヨーロッパや南米の強豪国とのサッカーがあまりに違ったから。何が違ったかというとテクニックの違いはあまり感じなかった。もちろん差はあったのだろうけれど、それが理解できるほどこちらの目が肥えていなかった。
これは子供の頃に高校野球とプロ野球が同じレベルの野球に見えたのと同じ。自分のレベルが低いと、自分より高いレベルと、それよりさらに高いレベルの差がわからないものなのである。逆に例えれば小学校1年生の時に5年生や6年生の教科書はどちらも超難解に思えたが、今なら表紙を見なくてもどちらが5年生でどちらが6年生の教科書か区別がつくはず。これはビジネスでも生活全般でもいろいろ応用の利くポイントなのであるが、とりあえずまだ脱線はこらえて話を進める。
では何が違ったのかというと、それは試合運びというか選手の動き方というか、なかなか表現は難しいが、Jリーグのサッカーがどれも同じような試合だったのに較べて、初めて見る海外サッカーは変化に富んでいるというか臨機応変というか。そして日本のサッカー選手が考えて動いているのに対して、海外強豪国のサッカー選手は状況に応じて身体が反応してピッチを駆け巡っているように私には思えた。考えて動くのと直感で動くのではテンポが違う。そしてサッカーは一瞬の状況変化で得点が決まるスポーツである。
それでなぜか思い出したのが大学生の頃の出来事。
ーーー続く
実はワールドカップに出場している某国のクライアントとニギッテいる(^^ゞ その国のほうが圧倒的に強いのでハンディをもらっての勝負。何を賭けているかはナイショだが勝敗の決め方は
日本が1次リーグを突破すれば私の勝ち。(その国とは1次リーグで同じ組ではない)
某国が準決勝まで進めばクライアントの勝ち。
上のどちらも満たさない、あるいは両方を満たす場合は引き分け。
もし決勝トーナメントで日本と某国が対戦することになったら、その勝敗で決める。
今のところ決着はついていない。でも日本は1次リーグ敗退したから私に勝つ可能性はなくなり引き分け狙い。ガンバルナ!某国チーム(^^ゞ
考えてみればトホホなハンディである。でもまあ日本の今の実力はこんなところかと思う。1次リーグ敗退をやたら糾弾しているマスコミや評論家もいる。揚げ足取りの主張が多くて何か勘違いしているんじゃないかな。もっとも褒めちぎった後にボロクソにけなすのは、煽ることが仕事だと勘違いしている彼らの習性。
次の4年間をどうするのかという記事もよく見る。戦術や監督選びに口を挟む見識はないが、男子たるものハンディなしのスクラッチで賭けられる日が来ることを願って(^^ゞ、私なりの視点で日本サッカーの強化法を考えてみたい。
最初に断っておくが話はダラダラ進むし、
いつも以上に横道にそれる可能性大。
さて
前のエントリーでサッカーの強さを「テクニック×センス×いわゆる身体能力×戦術、それとメンタルも付け加えるべきかも」と書いた。テクニックと戦術はパスして、とりあえず最初のテーマは「センス」。
今から21年前の1993年に始まったJリーグでサッカーのおもしろさを知った。そして同年の秋が「ドーハの悲劇」の起きたワールドカップ・アメリカ大会予選で、その翌年が本大会。そんなこんなでJリーグで日本のサッカーを知った後、しばらくして世界のサッカーを見る機会が増えた。
そして世界のサッカーを知った後の感想は
「日本が世界のトップチームに追いつくのはカズの孫の世代かなあ」
というもの。
もちろんカズとは三浦カズ。当時は日本サッカー界の象徴だった。彼らJリーグの第1世代の優秀選手が結婚して子供ができて、その子供が結婚するまで30年。その子供の子供が生まれてプロのサッカー選手になるまでさらに20年。つまり早くても合計50年はかかると直感的に思った。もっとも年数の計算よりも「カズの孫の世代」と思ったように2世代かかるというのがその趣旨。
そう思ったのは日本と、ヨーロッパや南米の強豪国とのサッカーがあまりに違ったから。何が違ったかというとテクニックの違いはあまり感じなかった。もちろん差はあったのだろうけれど、それが理解できるほどこちらの目が肥えていなかった。
これは子供の頃に高校野球とプロ野球が同じレベルの野球に見えたのと同じ。自分のレベルが低いと、自分より高いレベルと、それよりさらに高いレベルの差がわからないものなのである。逆に例えれば小学校1年生の時に5年生や6年生の教科書はどちらも超難解に思えたが、今なら表紙を見なくてもどちらが5年生でどちらが6年生の教科書か区別がつくはず。これはビジネスでも生活全般でもいろいろ応用の利くポイントなのであるが、とりあえずまだ脱線はこらえて話を進める。
では何が違ったのかというと、それは試合運びというか選手の動き方というか、なかなか表現は難しいが、Jリーグのサッカーがどれも同じような試合だったのに較べて、初めて見る海外サッカーは変化に富んでいるというか臨機応変というか。そして日本のサッカー選手が考えて動いているのに対して、海外強豪国のサッカー選手は状況に応じて身体が反応してピッチを駆け巡っているように私には思えた。考えて動くのと直感で動くのではテンポが違う。そしてサッカーは一瞬の状況変化で得点が決まるスポーツである。
それでなぜか思い出したのが大学生の頃の出来事。
ーーー続く