2014年09月
2014年09月27日
御宿〜安房グリーンライン
9月23日秋分の日ツーリングの続き。
海岸から月の沙漠記念館をバックに王子と王女様。
月の沙漠記念館前の様子。
これはイベントなのか、いつも出店があるのかは不明。
一番左側の店では、こんなおいしそうなものが。
伊勢エビは300グラム程度だから、一尾2500円くらいかな。
サザエを3つプラスして3000円ほどの計算。
あまりのいい香りに悩んだが
伊勢エビは1人で食べるものじゃない気がする
焼き上がるのに時間がかかりそう
酒も飲まずに食べるのは伊勢エビに失礼である(^^ゞ
などと考え、後ろ髪を引かれる思いで御宿を後にする。
128号線で南下。ここから鴨川を過ぎるあたりまでは海が見えたり見えなかったりのルートになる。ところどころに有名なサーフポイントがありサーファーが海に浮かんでいる。しかし、この日はほとんど波がなかったのでバイクを駐めて見物するまでに至らず。
本当は鴨川で立ち寄りたい食事処があったのだが、駐車場の様子から満員のようだったのでパス。それで、しばらく走った道路沿いのお店のノボリに釣られてこんなものを。
やっぱり御宿で見た伊勢エビが脳裏から離れなかったみたい(^^ゞ
このラーメンは1500円。伊勢エビって見た目は豪華だけれど、食べられる部分は全体の半分くらいだからちょっと物足りなかった。一緒に具になっていたハマグリはおいしかったから、もっと安いハマグリラーメンにしておけばよかった。
ここは道の駅に便乗して「道の港」を名乗る土産物屋。客は観光バスから降りてきた人も多い。格安バスツアーとかだと、こういうお店に必ず立ち寄らされるのがお約束。旅行をしたいんじゃなくて、話のネタに格安バスツアーというのも1度くらいは体験してみたいと思っている。
さらに進むと128号線は鴨川シーワールドの前に出る。このあたりはシーワールド、鴨川グランドホテルと海岸沿いに大型施設が建ち並んでいて海は見えないが、建物の切れ目に浜辺へ抜ける路地があったので入ってみた。
この海岸は広場東公園というらしい。
場所は鴨川グランドホテルの裏というか海側。
鴨川グランドホテルは天皇陛下も宿泊したこのあたりの老舗。ところで日本でサーフィンが流行り始めた頃、このホテルの御曹司が、ホテルの屋上から投光器で海を照らしてナイトサーフィンを楽しんだと大昔に聞いたことがあるけれど、あれは都市伝説かな。
ここの海はとてもキレイだった。沖のほうは深い青色で岸に近いところはエメラルドグリーン。あまりの美しさにしばらく見とれていたほど。写真に撮ると、その雰囲気がほとんど伝わってこないのが残念。
ただし海はキレイだが砂の色は御宿のように白くない。千葉や神奈川の砂浜は基本的にグレー系。御宿周辺だけがなぜ白いのだろう。
この海岸は人も少なくてお勧め。もっとも人が少ないのは駐車場がないからで、こんな路地にバイクを駐めた。
鴨川を抜けると128号線は海岸に近くなり、シーサイドツーリングの醍醐味が味わえる。岩場なところも多いので景色として飽きない。この日は祝日でもクルマは少なく快走ペース。気温は高くないが日差しが強かったので、秋というより春にツーリングしているような雰囲気。バイクも多く見かけた。
本日、最後の海岸は千倉。
看板によると南千倉海水浴場。
ここにも結構サーファーがいた。上の看板に写っているマンションの位置からすると、ここは海水浴場の中心からかなり離れた場所みたいだ。
千倉は東向きの海岸になる。
北側の鴨川方向。
南側は千倉漁港。
この日の波サイズはどこも同じようなもの。
私がサーフィン・リハビリを始めるなら最適サイズ。
千倉の海岸前は房総フラワーラインと呼ばれる道路。房総半島南側の海岸沿いにある何本かの国道や県道を連結した総称。もっと西の方に春になると道路の両側に菜の花を植えている区間があるからフラワーラインと呼ぶ。走っていて抜群に楽しいのは千倉から野島崎あたりまでの区間。潮の香りがするほど海の真横を走るし適度なカーブが続く。
今回は野島崎の手前でフラワーラインからそれて安房(あわ)グリーンラインを目指す。
上の地図で南北方向の道路がそれ。ちなみに安房というのは房総半島南部を示す古い名称。律令制の頃は安房の国だった。
安房グリーンラインは国道や県道ではなく広域農道と呼ばれる道路。農道というのは農地の利便性を高めるために造られる。広域農道というのは、それを拡大解釈して産地の利便性を図るという建前らしい。普通の道路は国交省で農道は農水省の所管。農道はともかく広域農道は縦割り行政の産物みたいなもの。
3キロほど離れたところに平行して同じく南北に走る県道があるから、税金の無駄遣いも甚だしいが、まあ出来上がったものは仕方がないから楽しみましょ。
ここは全長16キロで開通したのは2010年。だんだんと有名になり、最近よく聞くのはバイクの事故が多いということ。もっとも事故が多いというのは、それだけ楽しい道だということでもある。もちろん私は無茶はしないので大丈夫。
410号線からそれた先のT字路を曲がることはわかっていた。しかし標識もないし私のバイクのナビデータは古くて安房グリーンラインが載っていないので、T字路を曲がってからiPhoneでグーグルマップを出して確認。農道って案内標識を出してはいけないという建前でもあるのだろうか。
噂に違わぬ快走路。クネクネもそれほどきつくない。だからスピードを出し過ぎて事故になるんだろうが、適度に走る分はとてもいい道。まだ新しいから路面の状態もいい。ただしカーブがきついところは減速を促すためのデコボコが施されている。
安房グリーンラインは南側2/3が山の中のクネクネ道、北側1/3が平地でほぼ直線道路となる。それで南から北へ進んで平地へ下っている途中、前方の空き地に数台の警察車両を発見。事故が多くなって取り締まり(ネズミ取り)が始まったと聞いていたから慌てず騒がず。取り締まりは南北両方向、レーダー探知機が鳴らなかったから光電管による方式と思われる。
もっとも北へ進んでいる場合は下り坂で、かなり手前から空き地の警察車両が見えるから発見は容易。1台クルマが捕まっていたけど、速度超過以前に前方不注意かな(^^ゞ それにしても、もう夕方で交通量も少ないからこんなところで取り締まりの意味はないと思うが、本日のノルマが達成できていなかったのかもしれない。
南方向へは走っていないから取り締まりを発見できるかどうかはわからない。場所は安房グリーンラインが187号線の稲交差点と交わるところから1キロほど南側。北から南へ走る時は長い直線が終わった後に注意と覚えておこう。稲交差点の北側の長い直線道路はスピードが出そうだが、田んぼの中を突っ切っている見通しのよすぎる道路なので、ネズミ取りには不向きな気がする。
ネズミ取りに捕まると悔しいが、事前に察知できると気持ちがいい(^^ゞ
安房グリーンラインは最後に県道88号線に接続して終わる。ここも標識はなく88号線と交差している道路はたくさんあるので、南より北からの方が入り口探しに苦労しそう。
88号線は房総内陸で一番楽しい道だと思う。それにいつも空いている。富津の手前まで通じているが、そろそろ遅くなってきたので、今回は欲張らずに早めに海岸側へ出て館山道に乗る。しかし館山道、アクアラインともずっと渋滞。バイクじゃなかったら帰るのに何時間かかっていたかわからない。
午後7時半ガレージ着、走行270キロ。
これくらいの距離だと疲れなくていい。
今回は海よりバイクで走ることがメインだったのに、ほとんど海岸でしか写真を撮っていないのをちょっと反省。しかし何もないところで停まって写真を撮るほど写真好きでもないし、写真を撮ったからといって、それですべてが伝わるわけでもないから、まっいいか。
海岸から月の沙漠記念館をバックに王子と王女様。
月の沙漠記念館前の様子。
これはイベントなのか、いつも出店があるのかは不明。
一番左側の店では、こんなおいしそうなものが。
伊勢エビは300グラム程度だから、一尾2500円くらいかな。
サザエを3つプラスして3000円ほどの計算。
あまりのいい香りに悩んだが
伊勢エビは1人で食べるものじゃない気がする
焼き上がるのに時間がかかりそう
酒も飲まずに食べるのは伊勢エビに失礼である(^^ゞ
などと考え、後ろ髪を引かれる思いで御宿を後にする。
128号線で南下。ここから鴨川を過ぎるあたりまでは海が見えたり見えなかったりのルートになる。ところどころに有名なサーフポイントがありサーファーが海に浮かんでいる。しかし、この日はほとんど波がなかったのでバイクを駐めて見物するまでに至らず。
本当は鴨川で立ち寄りたい食事処があったのだが、駐車場の様子から満員のようだったのでパス。それで、しばらく走った道路沿いのお店のノボリに釣られてこんなものを。
やっぱり御宿で見た伊勢エビが脳裏から離れなかったみたい(^^ゞ
このラーメンは1500円。伊勢エビって見た目は豪華だけれど、食べられる部分は全体の半分くらいだからちょっと物足りなかった。一緒に具になっていたハマグリはおいしかったから、もっと安いハマグリラーメンにしておけばよかった。
ここは道の駅に便乗して「道の港」を名乗る土産物屋。客は観光バスから降りてきた人も多い。格安バスツアーとかだと、こういうお店に必ず立ち寄らされるのがお約束。旅行をしたいんじゃなくて、話のネタに格安バスツアーというのも1度くらいは体験してみたいと思っている。
さらに進むと128号線は鴨川シーワールドの前に出る。このあたりはシーワールド、鴨川グランドホテルと海岸沿いに大型施設が建ち並んでいて海は見えないが、建物の切れ目に浜辺へ抜ける路地があったので入ってみた。
この海岸は広場東公園というらしい。
場所は鴨川グランドホテルの裏というか海側。
鴨川グランドホテルは天皇陛下も宿泊したこのあたりの老舗。ところで日本でサーフィンが流行り始めた頃、このホテルの御曹司が、ホテルの屋上から投光器で海を照らしてナイトサーフィンを楽しんだと大昔に聞いたことがあるけれど、あれは都市伝説かな。
ここの海はとてもキレイだった。沖のほうは深い青色で岸に近いところはエメラルドグリーン。あまりの美しさにしばらく見とれていたほど。写真に撮ると、その雰囲気がほとんど伝わってこないのが残念。
ただし海はキレイだが砂の色は御宿のように白くない。千葉や神奈川の砂浜は基本的にグレー系。御宿周辺だけがなぜ白いのだろう。
この海岸は人も少なくてお勧め。もっとも人が少ないのは駐車場がないからで、こんな路地にバイクを駐めた。
鴨川を抜けると128号線は海岸に近くなり、シーサイドツーリングの醍醐味が味わえる。岩場なところも多いので景色として飽きない。この日は祝日でもクルマは少なく快走ペース。気温は高くないが日差しが強かったので、秋というより春にツーリングしているような雰囲気。バイクも多く見かけた。
本日、最後の海岸は千倉。
看板によると南千倉海水浴場。
ここにも結構サーファーがいた。上の看板に写っているマンションの位置からすると、ここは海水浴場の中心からかなり離れた場所みたいだ。
千倉は東向きの海岸になる。
北側の鴨川方向。
南側は千倉漁港。
この日の波サイズはどこも同じようなもの。
私がサーフィン・リハビリを始めるなら最適サイズ。
千倉の海岸前は房総フラワーラインと呼ばれる道路。房総半島南側の海岸沿いにある何本かの国道や県道を連結した総称。もっと西の方に春になると道路の両側に菜の花を植えている区間があるからフラワーラインと呼ぶ。走っていて抜群に楽しいのは千倉から野島崎あたりまでの区間。潮の香りがするほど海の真横を走るし適度なカーブが続く。
今回は野島崎の手前でフラワーラインからそれて安房(あわ)グリーンラインを目指す。
上の地図で南北方向の道路がそれ。ちなみに安房というのは房総半島南部を示す古い名称。律令制の頃は安房の国だった。
安房グリーンラインは国道や県道ではなく広域農道と呼ばれる道路。農道というのは農地の利便性を高めるために造られる。広域農道というのは、それを拡大解釈して産地の利便性を図るという建前らしい。普通の道路は国交省で農道は農水省の所管。農道はともかく広域農道は縦割り行政の産物みたいなもの。
3キロほど離れたところに平行して同じく南北に走る県道があるから、税金の無駄遣いも甚だしいが、まあ出来上がったものは仕方がないから楽しみましょ。
ここは全長16キロで開通したのは2010年。だんだんと有名になり、最近よく聞くのはバイクの事故が多いということ。もっとも事故が多いというのは、それだけ楽しい道だということでもある。もちろん私は無茶はしないので大丈夫。
410号線からそれた先のT字路を曲がることはわかっていた。しかし標識もないし私のバイクのナビデータは古くて安房グリーンラインが載っていないので、T字路を曲がってからiPhoneでグーグルマップを出して確認。農道って案内標識を出してはいけないという建前でもあるのだろうか。
噂に違わぬ快走路。クネクネもそれほどきつくない。だからスピードを出し過ぎて事故になるんだろうが、適度に走る分はとてもいい道。まだ新しいから路面の状態もいい。ただしカーブがきついところは減速を促すためのデコボコが施されている。
安房グリーンラインは南側2/3が山の中のクネクネ道、北側1/3が平地でほぼ直線道路となる。それで南から北へ進んで平地へ下っている途中、前方の空き地に数台の警察車両を発見。事故が多くなって取り締まり(ネズミ取り)が始まったと聞いていたから慌てず騒がず。取り締まりは南北両方向、レーダー探知機が鳴らなかったから光電管による方式と思われる。
もっとも北へ進んでいる場合は下り坂で、かなり手前から空き地の警察車両が見えるから発見は容易。1台クルマが捕まっていたけど、速度超過以前に前方不注意かな(^^ゞ それにしても、もう夕方で交通量も少ないからこんなところで取り締まりの意味はないと思うが、本日のノルマが達成できていなかったのかもしれない。
南方向へは走っていないから取り締まりを発見できるかどうかはわからない。場所は安房グリーンラインが187号線の稲交差点と交わるところから1キロほど南側。北から南へ走る時は長い直線が終わった後に注意と覚えておこう。稲交差点の北側の長い直線道路はスピードが出そうだが、田んぼの中を突っ切っている見通しのよすぎる道路なので、ネズミ取りには不向きな気がする。
ネズミ取りに捕まると悔しいが、事前に察知できると気持ちがいい(^^ゞ
安房グリーンラインは最後に県道88号線に接続して終わる。ここも標識はなく88号線と交差している道路はたくさんあるので、南より北からの方が入り口探しに苦労しそう。
88号線は房総内陸で一番楽しい道だと思う。それにいつも空いている。富津の手前まで通じているが、そろそろ遅くなってきたので、今回は欲張らずに早めに海岸側へ出て館山道に乗る。しかし館山道、アクアラインともずっと渋滞。バイクじゃなかったら帰るのに何時間かかっていたかわからない。
午後7時半ガレージ着、走行270キロ。
これくらいの距離だと疲れなくていい。
今回は海よりバイクで走ることがメインだったのに、ほとんど海岸でしか写真を撮っていないのをちょっと反省。しかし何もないところで停まって写真を撮るほど写真好きでもないし、写真を撮ったからといって、それですべてが伝わるわけでもないから、まっいいか。
2014年09月26日
御宿 月の砂漠
ヘナチョコ高速道路を降りてからは下道。まずは大多喜街道と呼ばれる国道297号。適度なアップダウンがある楽しい田舎道。しばらくは山沿いを走って、やがてまわりが水田となる。稲はまだ鮮やかなグリーン。ところどころに彼岸花を植えている田んぼが多かった。去年は埼玉県日高市の巾着田(きんちゃくでん)へ彼岸花を見に行って圧倒された。今年もどこかへ見に行こうか検討中。しかし辺り一面が真っ赤な彼岸花の名所もいいが、田んぼにポツンポツンと花を咲かせているのが本来の彼岸花の姿だと思ったり。
大多喜街道はそのまま進むと勝浦に出る。最初の目的地は勝浦より北の御宿なので、途中から国道465号そして県道176号と乗り継いでいく。このルートは房総有数の海水浴場である御宿に向かう代表ルートなので、それぞれの曲がり角に「御宿こっち」の標識があって迷うことはない。道路の雰囲気は大多喜街道と同じ。山あいの水田を眺めながらのツーリング。クルマはそこそこ走っているがテンポは早かった。なお大多喜街道が山から水田地帯へ下るところには、箱根もビックリのヘアピンカーブ連続の場所があった。房総でそんなことは予想していなかったのでサプライズ。
最初にバイクを駐めたのは岩和田の海岸。
御宿とはひとつながりの海岸で、以前にもバイクで訪れている。
ここはほぼ真南を向いた海岸線。
東側の堤防の向こうは漁港。
西側のマンションが建ち並んでいるあたりが御宿。
海岸から駐車場を見たところ。
この日の波は穏やか。
サーファーには退屈でも子供は楽しそう。
千葉の砂浜は黒いところが多いが、ここは白くてきれい。
せっかくなので海岸線に平行にバイクを駐めてBMW F800Rの記念撮影。
でも時刻は午後1時。南向き海岸では逆光で暗部が潰れてしまう。
フォトショップで補正してみた。
このブログで何度も書いているように、こういうことをカメラが自動的にやって欲しい。
御宿(おんじゅく)海岸へ移動。
途中の道路は南国気分。
岩和田から歩いてでも来られる距離だからバイクだとあっという間に御宿到着。
無料でバイクを駐められる駐車場はこのあたりにはなさそう。後ろに写っているのは月の砂漠記念館。
岩和田から見えたマンションはこんな感じ。
日当たり眺望よしは保証付きの物件。
道路と砂浜の間には川が流れていて、
この橋を渡るのだが、
なんと河口までは目と鼻の先の距離なのに鯉(こい)が一杯いた。
何となく不思議な感じ。
あれが月の砂漠のモニュメント。
正面から。
はい、ではご一緒に♪♪(^^ゞ
1 月の沙漠を はるばると 旅の駱駝(らくだ)が 行(ゆ)きました
金と銀との 鞍(くら)置(お)いて 二つならんで 行きました
2 金の鞍には 銀の甕(かめ) 銀の鞍には 金の甕
二つの甕は それぞれに 紐(ひも)で結(むす)んで ありました
3 先の鞍には 王子(おうじ)さま 後の鞍には お姫(ひめ)さま
乗った二人(ふたり)は おそろいの 白い上着(うわぎ)を 着(き)てました
4 広(ひろ)い沙漠を ひとすじに 二人はどこへ 行くのでしょう
朧(おぼろ)にけぶる 月の夜(よ)を 対(つい)の駱駝は とぼとぼと
砂丘(さきゅう)を 越(こ)えて 行きました
黙(だま)って 越えて 行きました
砂漠ではなく沙漠と書くみたい。
作詞者の加藤まさをが、学生時代に結核療養のため御宿に滞在したことがあり、この歌を作詞する時に御宿の風景を思い浮かべたとされている。それが縁でのモニュメントや記念館。
実は月の砂漠は私にとって思い出深い曲でもある。なぜなら幼稚園のお遊戯会(文化祭みたいなもの)のテーマが月の砂漠だったから。主役の王子は仲のよかったS君だったことは覚えているが、私自身が何の役だったかはまったく覚えていない。なにせ半世紀前の話(^^ゞ でもラクダ役ではなかった気がする。
御宿の海岸は広くて気持ちがいい。
岩和田より波はさらに小さかったがサーファーはたくさんいた。
写真に写っているのはサーフィンの講習会かな。この日は房総のサーフポイントをあちこち見て回ったが、女性のサーファーがとても多かった。
やはり砂浜は白いに限る。
あんなテントを持ち込んで1日ボケーッとしてみるのもいいかもしれない。
ーーー続く
大多喜街道はそのまま進むと勝浦に出る。最初の目的地は勝浦より北の御宿なので、途中から国道465号そして県道176号と乗り継いでいく。このルートは房総有数の海水浴場である御宿に向かう代表ルートなので、それぞれの曲がり角に「御宿こっち」の標識があって迷うことはない。道路の雰囲気は大多喜街道と同じ。山あいの水田を眺めながらのツーリング。クルマはそこそこ走っているがテンポは早かった。なお大多喜街道が山から水田地帯へ下るところには、箱根もビックリのヘアピンカーブ連続の場所があった。房総でそんなことは予想していなかったのでサプライズ。
最初にバイクを駐めたのは岩和田の海岸。
御宿とはひとつながりの海岸で、以前にもバイクで訪れている。
ここはほぼ真南を向いた海岸線。
東側の堤防の向こうは漁港。
西側のマンションが建ち並んでいるあたりが御宿。
海岸から駐車場を見たところ。
この日の波は穏やか。
サーファーには退屈でも子供は楽しそう。
千葉の砂浜は黒いところが多いが、ここは白くてきれい。
せっかくなので海岸線に平行にバイクを駐めてBMW F800Rの記念撮影。
でも時刻は午後1時。南向き海岸では逆光で暗部が潰れてしまう。
フォトショップで補正してみた。
このブログで何度も書いているように、こういうことをカメラが自動的にやって欲しい。
御宿(おんじゅく)海岸へ移動。
途中の道路は南国気分。
岩和田から歩いてでも来られる距離だからバイクだとあっという間に御宿到着。
無料でバイクを駐められる駐車場はこのあたりにはなさそう。後ろに写っているのは月の砂漠記念館。
岩和田から見えたマンションはこんな感じ。
日当たり眺望よしは保証付きの物件。
道路と砂浜の間には川が流れていて、
この橋を渡るのだが、
なんと河口までは目と鼻の先の距離なのに鯉(こい)が一杯いた。
何となく不思議な感じ。
あれが月の砂漠のモニュメント。
正面から。
はい、ではご一緒に♪♪(^^ゞ
1 月の沙漠を はるばると 旅の駱駝(らくだ)が 行(ゆ)きました
金と銀との 鞍(くら)置(お)いて 二つならんで 行きました
2 金の鞍には 銀の甕(かめ) 銀の鞍には 金の甕
二つの甕は それぞれに 紐(ひも)で結(むす)んで ありました
3 先の鞍には 王子(おうじ)さま 後の鞍には お姫(ひめ)さま
乗った二人(ふたり)は おそろいの 白い上着(うわぎ)を 着(き)てました
4 広(ひろ)い沙漠を ひとすじに 二人はどこへ 行くのでしょう
朧(おぼろ)にけぶる 月の夜(よ)を 対(つい)の駱駝は とぼとぼと
砂丘(さきゅう)を 越(こ)えて 行きました
黙(だま)って 越えて 行きました
砂漠ではなく沙漠と書くみたい。
作詞者の加藤まさをが、学生時代に結核療養のため御宿に滞在したことがあり、この歌を作詞する時に御宿の風景を思い浮かべたとされている。それが縁でのモニュメントや記念館。
実は月の砂漠は私にとって思い出深い曲でもある。なぜなら幼稚園のお遊戯会(文化祭みたいなもの)のテーマが月の砂漠だったから。主役の王子は仲のよかったS君だったことは覚えているが、私自身が何の役だったかはまったく覚えていない。なにせ半世紀前の話(^^ゞ でもラクダ役ではなかった気がする。
御宿の海岸は広くて気持ちがいい。
岩和田より波はさらに小さかったがサーファーはたくさんいた。
写真に写っているのはサーフィンの講習会かな。この日は房総のサーフポイントをあちこち見て回ったが、女性のサーファーがとても多かった。
やはり砂浜は白いに限る。
あんなテントを持ち込んで1日ボケーッとしてみるのもいいかもしれない。
ーーー続く
2014年09月23日
房総半島ほぼ1周ツーリング
昼と夜の長さが同じになるのが春分と秋分。
なぜか祝日ということになっている。
夏至と冬至も祝うべきだ!
久々の房総方面。夏はアクアラインのトンネルが人間の耐えられる温度の限界を超えるのでバイクでは行く気がしない。アクアラインと首都高の山手トンネルは何とかして欲しいと切に願う。
今回のメイン目的地は2つ。1つは御宿にある月の砂漠のモニュメント。以前に御宿を通った時に立ち寄り損ねたから再チャレンジ。もう1つは房総半島の南端を縦断している安房グリーンラインという道路を走ること。なかなかの快走路だという噂をよく聞く。両者は離れたところにあるので房総半島をほぼ1周するツーリングになってしまった。
出発は午前10時過ぎ。気温は25度。走っていると涼しいが、日差しが強くあたると少し暑い。なお前回の榛名山〜軽井沢ツーリングから、革ジャンも革パンもメッシュではなく普通のものを着ている。昼間ならまだどちらでもいいと思うが、日が傾いて気温が20数度になったらメッシュでは寒い。その時間は帰りの高速道路上だからなおさら。
アクアラインに入る前の気温は25.5度。トンネルをでる直前では35.5度まで上がった。普通のトンネルだと太陽光によって空気が暖められないから中はヒンヤリしている。アクアラインの場合は交通量が多いので多数のクルマ=熱源によって暖められて暑くなる。それで、いつも不思議に思うのだが、トンネルを入り口〜真ん中〜出口にわけるなら一番換気の悪い真ん中でもっとも暑くなりそうなものなのに、なぜか出口でもっとも温度が高くなる。
アクアラインは館山自動車道と連結しているから房総半島の西側を南へ行くには便利。しかし南房総と並んで千葉の観光地である九十九里方面へ行く場合は木更津東インターをを降りたら後は下道になる。アクアラインより東京湾を回っている京葉道路を使ったほうが早かった。しかし去年の春に木更津から東金までの区間が開通して九十九里へのアクセスがよくなった。下の地図はNEXCO東日本から引用。
木更津東インターより先の区間を走るのは初めて。今回は、その次の市原鶴舞インターまで行く。そのインターの手前に高滝湖というパーキングエリアがあったので休憩のために入ることにした。
こんな殺風景なパーキングエリアを写真に撮ったのにはワケがある。ここにはパーキングエリアにあるべきものが備わっていない。写真をクリックで拡大してよく見て欲しい。
何とここには飲料の自販機がない。あるのは基本的にトイレだけ。こんなパーキングエリアは初めて見た。そんなのあり?
写真の右の方に作りかけのピラミッドのようなものが見える。写っていないが左の方でも何か工事している。そこには「仮称 イベント広場予定地(地元エリア)」という看板が。それを造るより自販機が先と思うが。真夏にここで水分補給ができなくて熱中症になったらどうする。それと地元エリアを造る費用は高速利用料からまかなわれているのかな。そんなものを負担する気はないんだけれど。
だいたい、その広場が賑わうほどの人口がこの周りにあるとは思えない。
写真中央がA印が高滝湖パーキングエリア。
自販機はないが、こんなものがあった。
消火器はともかく、ドライバーつまり一般市民が消火栓からホースで放水することが想定されているとは初めて知った。それは勉強になったが素人が訓練なしに扱えるのかなという疑問も。
パーキングエリアから見た道路。
これはパーキングから本線に接続する道路ではない。これが本線。つまりこの新しく開通した区間は片側1車線の対面通行の高速道路なのである。
どうしてこんな中途半端なものを造るかな。行楽シーズンに渋滞必至なのは目に見えている。それに中央分離帯のない道路は危ない。実は房総半島を南下する館山自動車も途中から片側1車線で、ツーリングでは毎回イライラさせられる。だいたい道路関係者には「渋滞する高速道路は欠陥商品」であるという認識が欠落している。お盆や規制シーズンに30キロとか50キロとかの渋滞予測やニュースを見ると「責任者は腹を切れ!」といつも私は怒っている。渋滞予測が利用者サービスのつもりなら考え違いも甚だしい。もちろん渋滞とは無縁の無駄な高速道路を造るのは欠陥経営であることも付け加えておく。
アレッ?
楽しいツーリングだったのにブログを書いていたらだんだん腹が立ってきた(^^ゞ
ーーー続く
なぜか祝日ということになっている。
夏至と冬至も祝うべきだ!
久々の房総方面。夏はアクアラインのトンネルが人間の耐えられる温度の限界を超えるのでバイクでは行く気がしない。アクアラインと首都高の山手トンネルは何とかして欲しいと切に願う。
今回のメイン目的地は2つ。1つは御宿にある月の砂漠のモニュメント。以前に御宿を通った時に立ち寄り損ねたから再チャレンジ。もう1つは房総半島の南端を縦断している安房グリーンラインという道路を走ること。なかなかの快走路だという噂をよく聞く。両者は離れたところにあるので房総半島をほぼ1周するツーリングになってしまった。
出発は午前10時過ぎ。気温は25度。走っていると涼しいが、日差しが強くあたると少し暑い。なお前回の榛名山〜軽井沢ツーリングから、革ジャンも革パンもメッシュではなく普通のものを着ている。昼間ならまだどちらでもいいと思うが、日が傾いて気温が20数度になったらメッシュでは寒い。その時間は帰りの高速道路上だからなおさら。
アクアラインに入る前の気温は25.5度。トンネルをでる直前では35.5度まで上がった。普通のトンネルだと太陽光によって空気が暖められないから中はヒンヤリしている。アクアラインの場合は交通量が多いので多数のクルマ=熱源によって暖められて暑くなる。それで、いつも不思議に思うのだが、トンネルを入り口〜真ん中〜出口にわけるなら一番換気の悪い真ん中でもっとも暑くなりそうなものなのに、なぜか出口でもっとも温度が高くなる。
アクアラインは館山自動車道と連結しているから房総半島の西側を南へ行くには便利。しかし南房総と並んで千葉の観光地である九十九里方面へ行く場合は木更津東インターをを降りたら後は下道になる。アクアラインより東京湾を回っている京葉道路を使ったほうが早かった。しかし去年の春に木更津から東金までの区間が開通して九十九里へのアクセスがよくなった。下の地図はNEXCO東日本から引用。
木更津東インターより先の区間を走るのは初めて。今回は、その次の市原鶴舞インターまで行く。そのインターの手前に高滝湖というパーキングエリアがあったので休憩のために入ることにした。
こんな殺風景なパーキングエリアを写真に撮ったのにはワケがある。ここにはパーキングエリアにあるべきものが備わっていない。写真をクリックで拡大してよく見て欲しい。
何とここには飲料の自販機がない。あるのは基本的にトイレだけ。こんなパーキングエリアは初めて見た。そんなのあり?
写真の右の方に作りかけのピラミッドのようなものが見える。写っていないが左の方でも何か工事している。そこには「仮称 イベント広場予定地(地元エリア)」という看板が。それを造るより自販機が先と思うが。真夏にここで水分補給ができなくて熱中症になったらどうする。それと地元エリアを造る費用は高速利用料からまかなわれているのかな。そんなものを負担する気はないんだけれど。
だいたい、その広場が賑わうほどの人口がこの周りにあるとは思えない。
写真中央がA印が高滝湖パーキングエリア。
自販機はないが、こんなものがあった。
消火器はともかく、ドライバーつまり一般市民が消火栓からホースで放水することが想定されているとは初めて知った。それは勉強になったが素人が訓練なしに扱えるのかなという疑問も。
パーキングエリアから見た道路。
これはパーキングから本線に接続する道路ではない。これが本線。つまりこの新しく開通した区間は片側1車線の対面通行の高速道路なのである。
どうしてこんな中途半端なものを造るかな。行楽シーズンに渋滞必至なのは目に見えている。それに中央分離帯のない道路は危ない。実は房総半島を南下する館山自動車も途中から片側1車線で、ツーリングでは毎回イライラさせられる。だいたい道路関係者には「渋滞する高速道路は欠陥商品」であるという認識が欠落している。お盆や規制シーズンに30キロとか50キロとかの渋滞予測やニュースを見ると「責任者は腹を切れ!」といつも私は怒っている。渋滞予測が利用者サービスのつもりなら考え違いも甚だしい。もちろん渋滞とは無縁の無駄な高速道路を造るのは欠陥経営であることも付け加えておく。
アレッ?
楽しいツーリングだったのにブログを書いていたらだんだん腹が立ってきた(^^ゞ
ーーー続く
2014年09月20日
碓氷峠
9月14日ツーリングのパート4。
碓氷峠は群馬県安中市と軽井沢の間にある峠。バイクなんかに乗っていると峠はクネクネした山道をイメージするが、元々はその漢字を見てもわかるように山道を(山ではない)登り切った一番標高の高いところを指す。つまりそこから先は下り。病気なんかでは峠を越えたというような言い方をする。ただし碓氷峠の場合、安中市から登って軽井沢に出ても、そこからは平坦で降るわけではない。こういう地形は片峠という。
安中市役所の標高:180メートル
碓氷峠の標高: 960メートル
軽井沢駅の標高: 940メートル
それでこの碓氷峠、江戸時代には「東海道の箱根」「中山道の碓氷峠」と難所の代名詞だったらしい。そして明治になって東京から大阪に鉄道を敷くことになった。それが今の東海道本線だが、実は東海道沿いに鉄道を建設するか中山道沿いにするかは意見が分かれていた。新幹線やリニアのルートをどこにするかでもめるのと同じ構図。今も昔も政治の本質は変わらない。
結局、中山道沿いにルートが決まる。一番の理由は明治時代の技術、蒸気機関車のパワーで箱根の山を越えられなかったから。東海道で小田原を過ぎると標高1000メートルの箱根がそびえている。小田原は海沿いだから標高差はそのまま1000メートル。標高960メートルの碓氷峠は手前の横川が標高約400メートルでそこまでは緩やかな勾配。だから峠越えの標高差は約550メートル。1000メートルvs550メートルで中山道が招致合戦を勝ち取った。
しかし碓氷峠を越える工事は難航する。それを見た東海道推進派は、箱根は超えずに小田原から御殿場を回って沼津に抜けるという箱根迂回ルートを考えだし、中山道からルート奪回に成功。
ところで江戸時代の東海道は愛知県から三重県を横切って京都に入っている。しかし鉄道の東海道線は岐阜から滋賀県経由である。滋賀県を通るのは中山道のルート。これは最初に中山道にルートが決まって関西ではそれに沿って工事を進めていたから。
さて、もし東京・大阪を結ぶ交通の大動脈が、当初の予定通り中山道ルートだったら日本はどうなっていたかと考えるのもおもしろい。建設が予定されているリニア新幹線は中山道とは無関係だが、山沿いを走るという意味では中山道ルートの復活とも言えなくはない。やっぱり歴史は繰り返すのかな。中央新幹線なんてつまらないネーミングはやめて中山道新幹線にすればいいのに。
ちなみに小田原から御殿場を回る東海道線の箱根迂回ルートはやはり遠回りなので、その後に小田原から熱海まで海沿いを進んで、そこから伊豆半島の付け根を横切る形で沼津に抜けるルートに変更されている。やはり山は越えられないのでトンネルを掘って進む方式を採用。全長約8キロの丹那(たんな)トンネルを難工事の末、大正から昭和にかけて16年かけて掘った。これによって1時間ほどの短縮になったという。東京・大阪間がまだ12時間ほどかかっていた頃の話。関係ないけれど碓氷峠のように片峠だとトンネルという手は使えない。
丹那トンネルは歴史に残る難工事だったといわれる。新幹線に乗ると熱海付近はトンネルが長くてつまらないが(新幹線は新丹那トンネル)、先人達の苦労を偲べば、ありがたく感じるかも(^^ゞ なお箱根迂回ルートは、その後に御殿場線と名を変えてローカル線になっている。
東京・大阪を結ぶ基幹鉄道は東海道線に譲ったものの、今度は東京と日本海側を結ぶ路線のルートとして碓氷峠の工事は続けられた。アプト式という線路に歯車を敷く方式を採用して明治26年(1893年)に碓氷峠を越える横川〜軽井沢間が開通。当時のアプト式は時速9キロしかでなかったらしい。
(アプト式の模型)
その後1960年代に入ると、列車のパワーアップで普通の車輪で碓氷峠を登れるようになる。それでも横川駅で機関車をパワーのあるものに連結し直さなければいけないから待ち時間が生じる。それに目をつけたのが有名な「峠の釜飯」。
しかし長野新幹線(今は延長されて北陸新幹線)が開通すると碓氷峠を走っていた信越線は利用客が激減する。というわけで1997年(平成9年)の新幹線開通前日に横川〜軽井沢間は廃線となる。その後、日本海側の信越線は今でも主要鉄道だが、軽井沢から長野手前までは「しなの鉄道」という第3セクターのローカル線になっている。
峠の釜飯は駅弁ブームにも乗って今でもランキングで上位に入る人気商品。私はよくネーミングの大切さを説くけれど、横川の釜飯ではなく峠の釜飯にしたのがブランド的に効いている。横川駅は峠じゃなくてふもとにあるんだけどね(^^ゞ
18号線沿いにはアプト式時代の橋梁遺構が残っている。
軽井沢から走ってきて最初に現れるのは第6橋梁。
そのすぐ先に第5橋梁。
ここは登れるようになっていた。
少し登ったところから。
バイクなら路肩に駐められるが、クルマならちょっとキビしい。
階段を上るとトンネルがある。
これは左側のトンネルで短い。
右側のトンネル。
かつてアプト式の線路が敷かれていた部分は遊歩道になっている。
橋の向こう側にも何か遺構。
右側のトンネルは先が見えない。
デジカメだから明るく写っているが、実際はとても暗い。
こんなトンネルの中で電気が消えたら声を出して泣く(^^ゞ
さらに18号線を下ると有名な「めがね橋」が見えてくる。
これは碓氷峠の第3橋梁。レンガ詰みの橋を見ると京都・南禅寺の疎水を思い出すが、こちらは水ではなく蒸気機関車が走っていた。完成は明治26年だから122年前。全長91メートル、高さ31メートルで200万個のレンガが使われている。
こちらの看板のフォント(文字)はレトロ・モダンな感じ。
近づいて下から見上げる。装飾要素は何もないのに美しく感じるのは、一種の機能美だからだろうか。ちなみに国の重要文化財に指定されている。
橋の下をくぐって奥に行くと階段がある。これを登ると橋の上にでる。先ほど第5橋梁の上に出たが、ふもとの横川駅からアプト式線路が敷かれていた遊歩道が整備されている。終点の熊の平までの往復で13キロ・4時間のハイキングコース。
ヒルというのはミミズをパワーアップしたような生物で、人にも噛みついて血を吸う。私は経験がないが、噛みついた時に麻酔成分を出すらしく、噛みつかれたことに気がつかないとか。
めがね橋には登らず引き返す。
帰りにアップをもう一枚。
BMW F800Rとめがね橋。
めがね橋から少し離れたところに駐車場がある。
でもバイクなら橋の手前のここに駐められるから便利。
めがね橋を出たのが午後5時45分。何とか日のあるうちに碓氷峠を抜けられた。18号線の横川駅の前には峠の釜飯を販売する荻野屋の大きなお店がある。駐車場も満杯で商売繁盛の模様。高速道路で渋滞休憩しなければならないからと予想して、残念ながら今回はパス。
松井田妙義インターから上越自動車道に乗り藤岡ジャンクションで関越自動車道。連休の中日なので案の定、渋滞箇所多数。半分くらい渋滞の中をすり抜けていたような気がする。ガレージに戻ったのは午後9時半、走行390キロ。高速以外のルートは約120キロで、その半分以上がかなりのクネクネだったから、ちょっと疲れた。
おしまい
碓氷峠は群馬県安中市と軽井沢の間にある峠。バイクなんかに乗っていると峠はクネクネした山道をイメージするが、元々はその漢字を見てもわかるように山道を(山ではない)登り切った一番標高の高いところを指す。つまりそこから先は下り。病気なんかでは峠を越えたというような言い方をする。ただし碓氷峠の場合、安中市から登って軽井沢に出ても、そこからは平坦で降るわけではない。こういう地形は片峠という。
安中市役所の標高:180メートル
碓氷峠の標高: 960メートル
軽井沢駅の標高: 940メートル
それでこの碓氷峠、江戸時代には「東海道の箱根」「中山道の碓氷峠」と難所の代名詞だったらしい。そして明治になって東京から大阪に鉄道を敷くことになった。それが今の東海道本線だが、実は東海道沿いに鉄道を建設するか中山道沿いにするかは意見が分かれていた。新幹線やリニアのルートをどこにするかでもめるのと同じ構図。今も昔も政治の本質は変わらない。
結局、中山道沿いにルートが決まる。一番の理由は明治時代の技術、蒸気機関車のパワーで箱根の山を越えられなかったから。東海道で小田原を過ぎると標高1000メートルの箱根がそびえている。小田原は海沿いだから標高差はそのまま1000メートル。標高960メートルの碓氷峠は手前の横川が標高約400メートルでそこまでは緩やかな勾配。だから峠越えの標高差は約550メートル。1000メートルvs550メートルで中山道が招致合戦を勝ち取った。
しかし碓氷峠を越える工事は難航する。それを見た東海道推進派は、箱根は超えずに小田原から御殿場を回って沼津に抜けるという箱根迂回ルートを考えだし、中山道からルート奪回に成功。
ところで江戸時代の東海道は愛知県から三重県を横切って京都に入っている。しかし鉄道の東海道線は岐阜から滋賀県経由である。滋賀県を通るのは中山道のルート。これは最初に中山道にルートが決まって関西ではそれに沿って工事を進めていたから。
さて、もし東京・大阪を結ぶ交通の大動脈が、当初の予定通り中山道ルートだったら日本はどうなっていたかと考えるのもおもしろい。建設が予定されているリニア新幹線は中山道とは無関係だが、山沿いを走るという意味では中山道ルートの復活とも言えなくはない。やっぱり歴史は繰り返すのかな。中央新幹線なんてつまらないネーミングはやめて中山道新幹線にすればいいのに。
ちなみに小田原から御殿場を回る東海道線の箱根迂回ルートはやはり遠回りなので、その後に小田原から熱海まで海沿いを進んで、そこから伊豆半島の付け根を横切る形で沼津に抜けるルートに変更されている。やはり山は越えられないのでトンネルを掘って進む方式を採用。全長約8キロの丹那(たんな)トンネルを難工事の末、大正から昭和にかけて16年かけて掘った。これによって1時間ほどの短縮になったという。東京・大阪間がまだ12時間ほどかかっていた頃の話。関係ないけれど碓氷峠のように片峠だとトンネルという手は使えない。
丹那トンネルは歴史に残る難工事だったといわれる。新幹線に乗ると熱海付近はトンネルが長くてつまらないが(新幹線は新丹那トンネル)、先人達の苦労を偲べば、ありがたく感じるかも(^^ゞ なお箱根迂回ルートは、その後に御殿場線と名を変えてローカル線になっている。
東京・大阪を結ぶ基幹鉄道は東海道線に譲ったものの、今度は東京と日本海側を結ぶ路線のルートとして碓氷峠の工事は続けられた。アプト式という線路に歯車を敷く方式を採用して明治26年(1893年)に碓氷峠を越える横川〜軽井沢間が開通。当時のアプト式は時速9キロしかでなかったらしい。
(アプト式の模型)
その後1960年代に入ると、列車のパワーアップで普通の車輪で碓氷峠を登れるようになる。それでも横川駅で機関車をパワーのあるものに連結し直さなければいけないから待ち時間が生じる。それに目をつけたのが有名な「峠の釜飯」。
しかし長野新幹線(今は延長されて北陸新幹線)が開通すると碓氷峠を走っていた信越線は利用客が激減する。というわけで1997年(平成9年)の新幹線開通前日に横川〜軽井沢間は廃線となる。その後、日本海側の信越線は今でも主要鉄道だが、軽井沢から長野手前までは「しなの鉄道」という第3セクターのローカル線になっている。
峠の釜飯は駅弁ブームにも乗って今でもランキングで上位に入る人気商品。私はよくネーミングの大切さを説くけれど、横川の釜飯ではなく峠の釜飯にしたのがブランド的に効いている。横川駅は峠じゃなくてふもとにあるんだけどね(^^ゞ
18号線沿いにはアプト式時代の橋梁遺構が残っている。
軽井沢から走ってきて最初に現れるのは第6橋梁。
そのすぐ先に第5橋梁。
ここは登れるようになっていた。
少し登ったところから。
バイクなら路肩に駐められるが、クルマならちょっとキビしい。
階段を上るとトンネルがある。
これは左側のトンネルで短い。
右側のトンネル。
かつてアプト式の線路が敷かれていた部分は遊歩道になっている。
橋の向こう側にも何か遺構。
右側のトンネルは先が見えない。
デジカメだから明るく写っているが、実際はとても暗い。
こんなトンネルの中で電気が消えたら声を出して泣く(^^ゞ
さらに18号線を下ると有名な「めがね橋」が見えてくる。
これは碓氷峠の第3橋梁。レンガ詰みの橋を見ると京都・南禅寺の疎水を思い出すが、こちらは水ではなく蒸気機関車が走っていた。完成は明治26年だから122年前。全長91メートル、高さ31メートルで200万個のレンガが使われている。
こちらの看板のフォント(文字)はレトロ・モダンな感じ。
近づいて下から見上げる。装飾要素は何もないのに美しく感じるのは、一種の機能美だからだろうか。ちなみに国の重要文化財に指定されている。
橋の下をくぐって奥に行くと階段がある。これを登ると橋の上にでる。先ほど第5橋梁の上に出たが、ふもとの横川駅からアプト式線路が敷かれていた遊歩道が整備されている。終点の熊の平までの往復で13キロ・4時間のハイキングコース。
ヒルというのはミミズをパワーアップしたような生物で、人にも噛みついて血を吸う。私は経験がないが、噛みついた時に麻酔成分を出すらしく、噛みつかれたことに気がつかないとか。
めがね橋には登らず引き返す。
帰りにアップをもう一枚。
BMW F800Rとめがね橋。
めがね橋から少し離れたところに駐車場がある。
でもバイクなら橋の手前のここに駐められるから便利。
めがね橋を出たのが午後5時45分。何とか日のあるうちに碓氷峠を抜けられた。18号線の横川駅の前には峠の釜飯を販売する荻野屋の大きなお店がある。駐車場も満杯で商売繁盛の模様。高速道路で渋滞休憩しなければならないからと予想して、残念ながら今回はパス。
松井田妙義インターから上越自動車道に乗り藤岡ジャンクションで関越自動車道。連休の中日なので案の定、渋滞箇所多数。半分くらい渋滞の中をすり抜けていたような気がする。ガレージに戻ったのは午後9時半、走行390キロ。高速以外のルートは約120キロで、その半分以上がかなりのクネクネだったから、ちょっと疲れた。
おしまい
2014年09月19日
軽井沢〜碓氷峠
9月14日に榛名山から軽井沢を回ってきたツーリングの話パート3。
白糸の滝で30分ほど過ごした後は、再び白糸ハイランドウエイを下っていく。この有料道路は全長10キロほど。路面はかなり荒れていて特に北側がひどい。有料道路なんだからしっかりとメンテナンスして欲しいものである。
白糸の滝の他に南側の出口近くに「竜返しの滝」がある。しかし今回は滝がメインのツーリングではないし「ひとつ見たから、まあいいっか」と立ち寄らず。
そして白糸ハイランドウエイを南側に抜けたところにあるのが旧三笠ホテル。明治にできた木造西洋建築のホテルで、当時は軽井沢の鹿鳴館と呼ばれたらしい。1970年に閉鎖され、現在は国の重要文化財となっている。
ここは是非見学したかったのだが(/o\)
到着するのが5分ほど遅かった。
気を取り直して先に進む。
軽井沢はいくつかのエリアに分かれていて、旧三笠ホテルの先は旧軽井沢、通称「旧軽」と呼ばれるエリアである。いわずと知れた日本でもっともステイタスのある別荘地。大きな別荘はホテルより続く三笠通りから奥に入ったところにあるが、道路から見える別荘もそれなりの雰囲気。ある一軒の別荘はロッジ風の建物の前に、古いタイプのレンジローバーが駐めてあってサマになっていた。(レンジローバーはイギリスのクルマの名前)
三笠通りはやがて軽井沢本通りに名前を変える。名前が変わるところの交差点を左に曲がると有名な軽井沢銀座。今回そちらには行かなかったが軽井沢本通り沿いでも、軽井沢の商店街っぽい感じは見ていて楽しい。夏とは較べものにならないが人はかなりいて賑わっていいた。
そのまま進んで駅の周辺は新軽井沢と呼ばれるエリアになる。軽井沢に人が集まるようになって鉄道が敷かれ駅ができて、つまり後から拓けたエリアだから新軽井沢というのだとずっと思っていた。しかし調べてみるとアレクサンダー・ショーというカナダ人宣教師が1888年(明治21年)に軽井沢に別荘を建てたのが、避暑地としての軽井沢の始まりといわれていて、軽井沢駅ができたのもその同じ年なのである。旧と新の区別は何を基準にしているのだろう。
軽井沢駅の手前の交差点を左に曲がると碓氷峠につながる国道18号線。このあたりの18号は江戸五街道の1つである中山道(なかせんどう 中仙道とも書く)がベースになっていると紹介されることもあるが、歴史的にはもうちょっと複雑。
江戸時代の中山道は18号より北側を通っていた。軽井沢銀座のある道はまさに江戸時代の中山道の名残。明治になって交通量が増え、その中山道はあまりに険しいということで中山道の南側に新道ができる。それが後に国道18号となる。だから18号は新中山道みたいなもの。そして1971年には18号のさらに南側に碓氷バイパスという新しい18号が造られる。だから軽井沢駅前の18号は新中山道であり旧国道18号であるというややこしい位置づけ。
話は戻るがアレクサンダー・ショーではなく、中山道を中心に考えると江戸時代の宿場町だったところが古くから栄えていた軽井沢だから旧軽、明治になって新しくできた駅のまわりが新軽井沢という区別なのかも知れない。まあ軽井沢に別荘を持つことになったらじっくり調べてみよう。ちなみに新18号より南側のエリアが南軽井沢と呼ばれている。
それで碓氷峠(うすいとうげ)。
ある年代以上なら「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね。 ええ、夏、碓氷から霧積へ行くみちで 谷底へ落としたあの麦藁帽ですよ」というセリフとともに流れる♪ママー、do you rememberという曲を覚えているに違いない。1977年に公開された「人間の証明」という松田優作主演の映画のコマーシャルは当時盛んに流れていた。
ジョー山中が唱う名曲はこちらから
残念ながら松田優作は1989年に40歳で、ジョー山中も2011年に亡くなってしまった。そういえばこの映画は見ていない。そのうち借りてくる。
話がそれた。
軽井沢は(バイク以外なら)何度も来ているが、なぜか碓氷峠を通ったことがなかったので走ってみたかったのである。碓氷峠はカーブが184箇所もあるクネクネ道。でも交通量が多いのでテンポよくは走れない。もっともこの日はもうクネクネに飽きていたが。
ーーー続く
白糸の滝で30分ほど過ごした後は、再び白糸ハイランドウエイを下っていく。この有料道路は全長10キロほど。路面はかなり荒れていて特に北側がひどい。有料道路なんだからしっかりとメンテナンスして欲しいものである。
白糸の滝の他に南側の出口近くに「竜返しの滝」がある。しかし今回は滝がメインのツーリングではないし「ひとつ見たから、まあいいっか」と立ち寄らず。
そして白糸ハイランドウエイを南側に抜けたところにあるのが旧三笠ホテル。明治にできた木造西洋建築のホテルで、当時は軽井沢の鹿鳴館と呼ばれたらしい。1970年に閉鎖され、現在は国の重要文化財となっている。
ここは是非見学したかったのだが(/o\)
到着するのが5分ほど遅かった。
気を取り直して先に進む。
軽井沢はいくつかのエリアに分かれていて、旧三笠ホテルの先は旧軽井沢、通称「旧軽」と呼ばれるエリアである。いわずと知れた日本でもっともステイタスのある別荘地。大きな別荘はホテルより続く三笠通りから奥に入ったところにあるが、道路から見える別荘もそれなりの雰囲気。ある一軒の別荘はロッジ風の建物の前に、古いタイプのレンジローバーが駐めてあってサマになっていた。(レンジローバーはイギリスのクルマの名前)
三笠通りはやがて軽井沢本通りに名前を変える。名前が変わるところの交差点を左に曲がると有名な軽井沢銀座。今回そちらには行かなかったが軽井沢本通り沿いでも、軽井沢の商店街っぽい感じは見ていて楽しい。夏とは較べものにならないが人はかなりいて賑わっていいた。
そのまま進んで駅の周辺は新軽井沢と呼ばれるエリアになる。軽井沢に人が集まるようになって鉄道が敷かれ駅ができて、つまり後から拓けたエリアだから新軽井沢というのだとずっと思っていた。しかし調べてみるとアレクサンダー・ショーというカナダ人宣教師が1888年(明治21年)に軽井沢に別荘を建てたのが、避暑地としての軽井沢の始まりといわれていて、軽井沢駅ができたのもその同じ年なのである。旧と新の区別は何を基準にしているのだろう。
軽井沢駅の手前の交差点を左に曲がると碓氷峠につながる国道18号線。このあたりの18号は江戸五街道の1つである中山道(なかせんどう 中仙道とも書く)がベースになっていると紹介されることもあるが、歴史的にはもうちょっと複雑。
江戸時代の中山道は18号より北側を通っていた。軽井沢銀座のある道はまさに江戸時代の中山道の名残。明治になって交通量が増え、その中山道はあまりに険しいということで中山道の南側に新道ができる。それが後に国道18号となる。だから18号は新中山道みたいなもの。そして1971年には18号のさらに南側に碓氷バイパスという新しい18号が造られる。だから軽井沢駅前の18号は新中山道であり旧国道18号であるというややこしい位置づけ。
話は戻るがアレクサンダー・ショーではなく、中山道を中心に考えると江戸時代の宿場町だったところが古くから栄えていた軽井沢だから旧軽、明治になって新しくできた駅のまわりが新軽井沢という区別なのかも知れない。まあ軽井沢に別荘を持つことになったらじっくり調べてみよう。ちなみに新18号より南側のエリアが南軽井沢と呼ばれている。
それで碓氷峠(うすいとうげ)。
ある年代以上なら「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね。 ええ、夏、碓氷から霧積へ行くみちで 谷底へ落としたあの麦藁帽ですよ」というセリフとともに流れる♪ママー、do you rememberという曲を覚えているに違いない。1977年に公開された「人間の証明」という松田優作主演の映画のコマーシャルは当時盛んに流れていた。
ジョー山中が唱う名曲はこちらから
残念ながら松田優作は1989年に40歳で、ジョー山中も2011年に亡くなってしまった。そういえばこの映画は見ていない。そのうち借りてくる。
話がそれた。
軽井沢は(バイク以外なら)何度も来ているが、なぜか碓氷峠を通ったことがなかったので走ってみたかったのである。碓氷峠はカーブが184箇所もあるクネクネ道。でも交通量が多いのでテンポよくは走れない。もっともこの日はもうクネクネに飽きていたが。
ーーー続く
2014年09月17日
白糸の滝 (軽井沢)
150メートルか200メートルかは不明なものの滝まではすぐ着く。勾配もきつくない。ただし1つ前のエントリーで書いたように駐車場は道路沿いの路肩だから、入口から離れたところに駐めるとそれなりに歩くことになる。
これが軽井沢の白糸の滝。イメージとしては超ミニチュアサイズのナイアガラの滝、どちらかといえば花火のナイアガラかな。
解説によると高さ3メートル、幅70メートル。
このパネルの解説は日本語、英語、韓国語に加えて中国語が2つ書かれている。こういうのは初めて見た気がする。聞くところによると、中国語は大きくは7つくらいの種類があるらしい。以前、中国人に標準語と関西弁くらいの違い?と尋ねたら、そんなレベルではまったくなく、単語だけではなく文法も一部違うからイメージ的にはフランス語とドイツ語くらい差があると教えてもらった。日本では空港などで日本語の後に英語のアナウンスが流れるが、それと同じように複数の中国語でアナウンスしているらしい。
滝口(滝が流れ始めるところ)のところをアップで。
これはまあ普通に流れ落ちているが、
こちらは水がしみ出て落ちている。
パネルにも書いてあったようにこの滝は川の水ではなく地下水。
こういうタイプの滝を潜流瀑と呼ぶ。
一番最初の写真は軽井沢の白糸の滝の紹介でよく見る構図。
少し後ろから撮ってみると、こんな感じ。
結構こぢんまりしている。ある程度知っていたが想像以上(^^ゞ
まあこの滝は迫力を求めるのではなく、その佇まいを愛でるものだろう。
なお夏と違って気温が涼しいからか、滝のそばで気温の変化を感じることはなかった。
滝の前の広場にあった看板。
こんな人の多い場所にクマが出てくるとは思えないが、
広場から伸びている、こういう道を奥に進んだりしたら可能性はあるのかもしれない。
その道を数メートルだけ入って
白糸の滝に続く道を上から。
これは滝壺から流れた水が次の滝になっている部分。
以上、白糸の滝からのレポートでしたと終わりたいところだがーーー
観光案内や現地の案内板には書いていない話。
実はこの白糸の滝は人工的に造られた滝なのである。もともと潜流漠としてこの場所に水は湧いていた。それを壁面を垂直にして水がまっすぐ落ちるようにし、手前に池を掘って庭園風にしつらえたもの。2番目の滝も同様に人の手によって整えられた。
造園時期は大正の終わりか昭和のごく初めらしい。軽井沢は江戸時代から宿場町として栄えていたが、避暑地・別荘地としての歴史が始まったのは明治の中頃。大正時代には西武鉄道が大規模な開発に乗り出している。この滝を造園した目的は観光名所作りに違いないが、誰が行ったのかは不明らしい。今は白糸ハイランドウエイ(有料道路)の重要な収入源になっているが、道路ができたのは昭和37年(1962年)と滝が造られたかなり後。それまではかなりへんぴな場所だったに違いない。当時のセレブな別荘族がシャレでプライベートガーデン的に造ったのかな。
この不思議な滝の形が人工的なものだと知ると少しガッカリしなくもないが、知らなければ人工滝だと気付くことはないだろう。既に100年近く経っているから人工臭さは消えて、まったく自然に溶け込んだ風景になっている。
ーーー続く。
これが軽井沢の白糸の滝。イメージとしては超ミニチュアサイズのナイアガラの滝、どちらかといえば花火のナイアガラかな。
解説によると高さ3メートル、幅70メートル。
このパネルの解説は日本語、英語、韓国語に加えて中国語が2つ書かれている。こういうのは初めて見た気がする。聞くところによると、中国語は大きくは7つくらいの種類があるらしい。以前、中国人に標準語と関西弁くらいの違い?と尋ねたら、そんなレベルではまったくなく、単語だけではなく文法も一部違うからイメージ的にはフランス語とドイツ語くらい差があると教えてもらった。日本では空港などで日本語の後に英語のアナウンスが流れるが、それと同じように複数の中国語でアナウンスしているらしい。
滝口(滝が流れ始めるところ)のところをアップで。
これはまあ普通に流れ落ちているが、
こちらは水がしみ出て落ちている。
パネルにも書いてあったようにこの滝は川の水ではなく地下水。
こういうタイプの滝を潜流瀑と呼ぶ。
一番最初の写真は軽井沢の白糸の滝の紹介でよく見る構図。
少し後ろから撮ってみると、こんな感じ。
結構こぢんまりしている。ある程度知っていたが想像以上(^^ゞ
まあこの滝は迫力を求めるのではなく、その佇まいを愛でるものだろう。
なお夏と違って気温が涼しいからか、滝のそばで気温の変化を感じることはなかった。
滝の前の広場にあった看板。
こんな人の多い場所にクマが出てくるとは思えないが、
広場から伸びている、こういう道を奥に進んだりしたら可能性はあるのかもしれない。
その道を数メートルだけ入って
白糸の滝に続く道を上から。
これは滝壺から流れた水が次の滝になっている部分。
以上、白糸の滝からのレポートでしたと終わりたいところだがーーー
観光案内や現地の案内板には書いていない話。
実はこの白糸の滝は人工的に造られた滝なのである。もともと潜流漠としてこの場所に水は湧いていた。それを壁面を垂直にして水がまっすぐ落ちるようにし、手前に池を掘って庭園風にしつらえたもの。2番目の滝も同様に人の手によって整えられた。
造園時期は大正の終わりか昭和のごく初めらしい。軽井沢は江戸時代から宿場町として栄えていたが、避暑地・別荘地としての歴史が始まったのは明治の中頃。大正時代には西武鉄道が大規模な開発に乗り出している。この滝を造園した目的は観光名所作りに違いないが、誰が行ったのかは不明らしい。今は白糸ハイランドウエイ(有料道路)の重要な収入源になっているが、道路ができたのは昭和37年(1962年)と滝が造られたかなり後。それまではかなりへんぴな場所だったに違いない。当時のセレブな別荘族がシャレでプライベートガーデン的に造ったのかな。
この不思議な滝の形が人工的なものだと知ると少しガッカリしなくもないが、知らなければ人工滝だと気付くことはないだろう。既に100年近く経っているから人工臭さは消えて、まったく自然に溶け込んだ風景になっている。
ーーー続く。
2014年09月14日
榛名山〜軽井沢
去年、一昨年と夏のバイクツーリングは滝を見に行くことが多かった。それなりの規模以上の滝で、日帰りツーリングの距離内で、かつツーリングとして楽しめるルートで、そして駐車場からそれほど歩かずに滝まで行けるという条件(名瀑には滝まで1時間2時間の山歩きが必要な滝も多い)を満たす滝はもうあまり残っていない。滝は涼しいから夏の目的地にしてきた。じゃ滝の次は何にしようかと考えて、今年は夏の定番である高原ツーリングを楽しもうと決めていた。
しかし残念ながら梅雨が長かったし、その後は天候不順。この夏は7月に1回、8月に2回しかツーリングに出かけていない。何度か訪れている箱根をのぞけば、目論んでいた高原ツーリングは清里・八ヶ岳しか行けなかった。そしてようやく天候が安定したと思ったら残暑なしでいきなり秋の気配。暑い時に涼しいところへ行くゾと思うからモチベーションが上がるわけで、東京でもそこそこ涼しいとなるとーーー。
でもまあ寒くて走れないことはないだろうと軽井沢まで。ちなみに夏前に考えていたプランはいくつかあって軽井沢も候補地だったが、それはもっと北の標高の高いところまで上がって帰りに軽井沢で一泊するようなルートを考えていた。それはまたいつかの夏の楽しみにとっておいて今回は日帰りプラン。軽井沢まで高速の往復ではつまらないので榛名山から西に進むルートにしてみた。
地図を作りながら気づいたが、軽井沢って富士山の真北にあるんだ。
午前7時には出発するつもりが、いろいろあってガレージに入ったのが9時。そこからまたいろいろあって結局出発は10時になってしまう。関越自動車道に入るまでは比較的スムーズだったが、案の定、高速道路は1/3くらいの区間で渋滞していた感じ。そしてバイクが絡む事故を2件も目撃。1つはパトカーが着いたばかりの様子でライダーが道路に横たわっていた。たぶん女性。でも渋滞箇所だったし、同行者と思われる2名のライダーは落ち着いていたから、それほど重傷ではないと思う。もう1つはライダーはその場にはいなかったが、チラッと見えた範囲ではそれほどバイクは損傷していない。でも安全運転するぞと心を引き締める。後で知ったがこの日、関越自動車道ではハーレー5台が絡む事故があり1名が死亡している。合掌
関越を渋川伊香保インターで降り県道33号線で榛名山に向かう。クルマ好きの主人公が登場する頭文字Dという漫画の舞台のひとつで、走り屋達に人気がある道路なことは知識として知っている。しかし残念ながらその漫画を読んだことはない。でもすれ違うバイクやライダーの服装は普段のツーリング先で見るそれとは違って、いかにも走りに来たというような人が多かった。
しかし、この33号線が大渋滞。途中に伊香保温泉があるのでその温泉客みたい。スリヌケもほとんどできない片側1車線の道路だから、かなり時間がかかってしまった。でも捨てる神あれば拾う神あり。この日、榛名山周辺ではヒストリックカー(クラシックカーほど古くはないが30年から50年くらい昔のクルマ)のイベントがあったようで、珍しいクルマをたくさん見かけた。もう少し歳を取ったら、そんな趣味も悪くない。でもヒストリックカーを走れる状態に維持するのは大変だろうな。
頂上に近づくにつれて、ようやくまともに走れるようになる。33号線は榛名湖の手前に長い直線部分があり、その一部がメロディーラインになっている。道路に細かな凹凸を設けて、タイヤが通る時の音を反響させてメロディーを奏でる仕組み。全国に30箇所近くあるらしい。榛名湖メロディーラインで聞こえる音楽は「♪静かな湖畔の森の影から〜」。しかし想像はしていたがバイクでは無理。タイヤが小さいからかヘルメット越しに聞こえる風切り音が大きすぎるのか。カッコー、カッコーと輪唱したかったのに(^^ゞ
写真はダイハツのコマーシャルで使われていたもの。
榛名湖到着。
榛名山(はるなさん)は火山でできた複数の山の総称で、その火口が湖になったカルデラ湖が榛名湖。向こう岸に見えるのが榛名冨士と呼ばれる山で標高1390メートル。榛名湖の標高は1084メートルだから、見えている部分は差し引き306メートル。榛名冨士はきれいな円錐形で、航空写真で見ると宇宙人が人工的に造ったかのよう。頂上までケーブルカーで登れるが、この時点で午後2時前だったので今回はパス。
違う方向の写真をもう1枚。
33号線を西へ向かって山を降りる。天神峠という名前がついているこの道は、路面がタイヤ跡で真っ黒なところが多かった。走り屋達がタイヤを滑らすドリフト走行の痕跡。一時ブームになったが今でもやっているのかな。
途中に近年パワースポットとして人気がある榛名神社があるので下りも混雑していた。上ってくるクルマも多い。なお33号線を国道406号線と接するところまで降りる予定だったが、なぜか途中で県道211号線に入ってしまう。どこで道を間違えたのか自分でもわからず、ナビに表示される道路標示で知った次第。(地図は修正し忘れたので33号線のまま)
406号線・草津街道を北上し、途中で群馬県道54号線にそれて軽井沢へ向かう。しばらくは田舎の集落を抜けていくのどかなルートである。54号線に入るとクルマはほとんどいない。途中からかなりクネクネしてくる。最初は楽しいが次第に飽きてきた(^^ゞ 標高は高いところで1400メートル。この日の気温はガレージを出た時が28度。群馬に近づいた高速道路上で30度。榛名湖で25度。54号線ではぐっと下がって16度くらいのところもあった。
一番クネクネで激しいところの終わり部分に二度上峠(にどあげとうげ)という浅間山を真正面に見られるところがある。今回は停まらずにバイクから眺めただけ。54号線の終点近くに浅間大滝という滝があり、そちらを見ることにしたから。あちこち見るにはスタートが遅く時間に余裕がなかったのが残念。ところが、その浅間大滝は看板がデカデカとあるだろうと思っていたら、それらしきものには遭遇せず54号線終了。小さな看板で見落としたみたい(/o\)
※地図に二度山と書いてあるのは二度上の間違い
県道54号線と国道146号線が接するところには北軽井沢という標識が立っている。でもそこはまだ群馬県。本来の軽井沢は長野県北佐久郡軽井沢町。でも軽井沢ブランドにあやかって周辺でも軽井沢の名前を使っているところが多い。北軽井沢のさらに北側は「奥軽井沢」というらしい(^^ゞ
146号線を南下。白糸ハイランドウエイという観光有料道路に入る。ここを走ったのは白糸の滝を見るため。バイクは200円。ETCはなく現金払い。入り口で「軽井沢まで抜けますか?」と尋ねられる。そのつもりだったので「はい」といったが、白糸の滝を見たら引き返すといったら料金が違うのだろうか? 白糸の滝はこの有料道路の途中にある。
午後4時前に白糸の滝到着。
道路沿いが駐車スペースだが、バイク用はないので適当なところに駐める。
土産物屋が並ぶ。夏休みなら混雑しているだろうな。
白糸の滝まで0.2キロ=200メートルの看板のすぐそばに150メートルの看板。
アバウトな土地柄みたい。
こんな道を上っていく。
ーーー続く
しかし残念ながら梅雨が長かったし、その後は天候不順。この夏は7月に1回、8月に2回しかツーリングに出かけていない。何度か訪れている箱根をのぞけば、目論んでいた高原ツーリングは清里・八ヶ岳しか行けなかった。そしてようやく天候が安定したと思ったら残暑なしでいきなり秋の気配。暑い時に涼しいところへ行くゾと思うからモチベーションが上がるわけで、東京でもそこそこ涼しいとなるとーーー。
でもまあ寒くて走れないことはないだろうと軽井沢まで。ちなみに夏前に考えていたプランはいくつかあって軽井沢も候補地だったが、それはもっと北の標高の高いところまで上がって帰りに軽井沢で一泊するようなルートを考えていた。それはまたいつかの夏の楽しみにとっておいて今回は日帰りプラン。軽井沢まで高速の往復ではつまらないので榛名山から西に進むルートにしてみた。
地図を作りながら気づいたが、軽井沢って富士山の真北にあるんだ。
午前7時には出発するつもりが、いろいろあってガレージに入ったのが9時。そこからまたいろいろあって結局出発は10時になってしまう。関越自動車道に入るまでは比較的スムーズだったが、案の定、高速道路は1/3くらいの区間で渋滞していた感じ。そしてバイクが絡む事故を2件も目撃。1つはパトカーが着いたばかりの様子でライダーが道路に横たわっていた。たぶん女性。でも渋滞箇所だったし、同行者と思われる2名のライダーは落ち着いていたから、それほど重傷ではないと思う。もう1つはライダーはその場にはいなかったが、チラッと見えた範囲ではそれほどバイクは損傷していない。でも安全運転するぞと心を引き締める。後で知ったがこの日、関越自動車道ではハーレー5台が絡む事故があり1名が死亡している。合掌
関越を渋川伊香保インターで降り県道33号線で榛名山に向かう。クルマ好きの主人公が登場する頭文字Dという漫画の舞台のひとつで、走り屋達に人気がある道路なことは知識として知っている。しかし残念ながらその漫画を読んだことはない。でもすれ違うバイクやライダーの服装は普段のツーリング先で見るそれとは違って、いかにも走りに来たというような人が多かった。
しかし、この33号線が大渋滞。途中に伊香保温泉があるのでその温泉客みたい。スリヌケもほとんどできない片側1車線の道路だから、かなり時間がかかってしまった。でも捨てる神あれば拾う神あり。この日、榛名山周辺ではヒストリックカー(クラシックカーほど古くはないが30年から50年くらい昔のクルマ)のイベントがあったようで、珍しいクルマをたくさん見かけた。もう少し歳を取ったら、そんな趣味も悪くない。でもヒストリックカーを走れる状態に維持するのは大変だろうな。
頂上に近づくにつれて、ようやくまともに走れるようになる。33号線は榛名湖の手前に長い直線部分があり、その一部がメロディーラインになっている。道路に細かな凹凸を設けて、タイヤが通る時の音を反響させてメロディーを奏でる仕組み。全国に30箇所近くあるらしい。榛名湖メロディーラインで聞こえる音楽は「♪静かな湖畔の森の影から〜」。しかし想像はしていたがバイクでは無理。タイヤが小さいからかヘルメット越しに聞こえる風切り音が大きすぎるのか。カッコー、カッコーと輪唱したかったのに(^^ゞ
写真はダイハツのコマーシャルで使われていたもの。
榛名湖到着。
榛名山(はるなさん)は火山でできた複数の山の総称で、その火口が湖になったカルデラ湖が榛名湖。向こう岸に見えるのが榛名冨士と呼ばれる山で標高1390メートル。榛名湖の標高は1084メートルだから、見えている部分は差し引き306メートル。榛名冨士はきれいな円錐形で、航空写真で見ると宇宙人が人工的に造ったかのよう。頂上までケーブルカーで登れるが、この時点で午後2時前だったので今回はパス。
違う方向の写真をもう1枚。
33号線を西へ向かって山を降りる。天神峠という名前がついているこの道は、路面がタイヤ跡で真っ黒なところが多かった。走り屋達がタイヤを滑らすドリフト走行の痕跡。一時ブームになったが今でもやっているのかな。
途中に近年パワースポットとして人気がある榛名神社があるので下りも混雑していた。上ってくるクルマも多い。なお33号線を国道406号線と接するところまで降りる予定だったが、なぜか途中で県道211号線に入ってしまう。どこで道を間違えたのか自分でもわからず、ナビに表示される道路標示で知った次第。(地図は修正し忘れたので33号線のまま)
406号線・草津街道を北上し、途中で群馬県道54号線にそれて軽井沢へ向かう。しばらくは田舎の集落を抜けていくのどかなルートである。54号線に入るとクルマはほとんどいない。途中からかなりクネクネしてくる。最初は楽しいが次第に飽きてきた(^^ゞ 標高は高いところで1400メートル。この日の気温はガレージを出た時が28度。群馬に近づいた高速道路上で30度。榛名湖で25度。54号線ではぐっと下がって16度くらいのところもあった。
一番クネクネで激しいところの終わり部分に二度上峠(にどあげとうげ)という浅間山を真正面に見られるところがある。今回は停まらずにバイクから眺めただけ。54号線の終点近くに浅間大滝という滝があり、そちらを見ることにしたから。あちこち見るにはスタートが遅く時間に余裕がなかったのが残念。ところが、その浅間大滝は看板がデカデカとあるだろうと思っていたら、それらしきものには遭遇せず54号線終了。小さな看板で見落としたみたい(/o\)
※地図に二度山と書いてあるのは二度上の間違い
県道54号線と国道146号線が接するところには北軽井沢という標識が立っている。でもそこはまだ群馬県。本来の軽井沢は長野県北佐久郡軽井沢町。でも軽井沢ブランドにあやかって周辺でも軽井沢の名前を使っているところが多い。北軽井沢のさらに北側は「奥軽井沢」というらしい(^^ゞ
146号線を南下。白糸ハイランドウエイという観光有料道路に入る。ここを走ったのは白糸の滝を見るため。バイクは200円。ETCはなく現金払い。入り口で「軽井沢まで抜けますか?」と尋ねられる。そのつもりだったので「はい」といったが、白糸の滝を見たら引き返すといったら料金が違うのだろうか? 白糸の滝はこの有料道路の途中にある。
午後4時前に白糸の滝到着。
道路沿いが駐車スペースだが、バイク用はないので適当なところに駐める。
土産物屋が並ぶ。夏休みなら混雑しているだろうな。
白糸の滝まで0.2キロ=200メートルの看板のすぐそばに150メートルの看板。
アバウトな土地柄みたい。
こんな道を上っていく。
ーーー続く
2014年09月13日
サーフトリップ 浜松&伊良湖 その3
9月6日〜7日の旅行の話の続き。
鈴木屋でウナギを食べた後に向かったのは、すぐ近くのロコポイント。学生時代に来た時は漁港の隣のただの海岸だったのに、ここはロングビーチ以上にキレイに整備されていた。
これは東側を向いて撮ったもの。
遠くに山が海に突き出しているところがある。あそこまでがロングビーチ。
波の様子を見に行くオールドサーファー達。
後ろ姿だと年齢がわからないか。
波はほとんどない。
しかし、まだ4時前で宿に向かうには微妙な時間。
というわけで海に入ることになった。
話は変わるが伊良湖の砂浜は白くてキレイ。
波の大きさは常に同じではなく、たまに大きなサイズのが2〜3本続けてくる。それを「セットが入った」などとサーフィンではいうが、それを狙えば乗れる感じ。もっとも私は2つ前のエントリーに書いたように、現役時代より体重が30%増えているのに現役時代より浮力の少ないサーフボードだから、まともにチャレンジするのは諦めてインサイド(岸)よりで初心に返ってテイクオフの練習。本日3ラウンド目で多少は感覚が戻ってきたのかサーフボードが波に押されるところまでは何とかこぎ着けた。先ほどまでの「海に入っていただけ」な状態ではなく、少しは波と戯れられたので満足。
ロコポイントから三谷温泉までは1時間くらい。
海沿いの温泉地だが、その周辺だけは小高い丘になっている。
泊まったのは平野屋という老舗旅館。
昭和テイストなロビー。
露天風呂に入って30年ぶりのサーフィンの疲れを癒やす。もっとも歳を取ると筋肉痛が出るのは明後日だが。お湯はサラッとした感じで、いかにも温泉との印象ではなかった。お風呂は何種類かある。ただし露天風呂だけは離れた場所。つまり普通のお風呂の後に露天風呂に入るなら、服を着て館内を移動しなければならない。かなり古い旅館のようなので、露天風呂は後から造ったんだと思う。なお写真はホームページから借用。
その後は楽しい宴会タイム。何と今回はコンパニオン付き。コンパニオンとはホステス役の女性のこと。温泉地では普通のコンパニオンと、ムフフなコスチュームのピンクコンパニオン・コースがあるらしい。なぜか?今回は普通のコンパニオン。宴席の途中で4名がやってきた。この旅行メンバーとは忘年会を毎年やっているけれど、いつもとは違う盛り上がりで楽しかった。
翌朝(7日)、観光組とはここでお別れ。サーフィン組は東名高速を東へ走って豊浜というポイントに向かう。静岡県磐田市の福田漁港の隣の海岸。ポイント到着は午前10時頃だったと思う。
何にもない海岸。昔の伊良湖はこんな感じだった。漁港の隣の海岸はサーフィン大会をやっていたので、そのさらに隣の海岸に入る。海岸沿いを奥に進むと砂が深くなり「この先は四輪駆動以外進入禁止」の看板があってビビる。でもなんとかOKだった。
写真を撮るタイミングが悪くてまったく波がないように見えるものの、
セットではわずかながらも波が入っていた。
ここは波のスピードが伊良湖と較べて少し遅め。
後5キロやせたら乗れそうな気がした(^^ゞ
午後1時半頃、漁港の食堂で昼食を食べて、そこで東京組と大阪組が解散。東名高速を別々の方向で帰路につく。途中、沼津あたりで前が見えなくなるくらいのゲリラ豪雨に見舞われるも、渋滞も横浜手前だけで午後6時に無事帰宅。
30年ぶりのサーフィンは、サーフィンはできていないがとても楽しかった。体重に見合ったボードを買ってサーフィンを再開するか思案中。バイクを降りる気はまだないし、バイクと違って1人でフラッと出かけられないし(現役の頃は1人でもサーフィンに行ったが)、実は他にもやりたいことがあるしと決めかねている。とりあえずサーフィンに関係なく、もう少し痩せなければ。
おしまい
鈴木屋でウナギを食べた後に向かったのは、すぐ近くのロコポイント。学生時代に来た時は漁港の隣のただの海岸だったのに、ここはロングビーチ以上にキレイに整備されていた。
これは東側を向いて撮ったもの。
遠くに山が海に突き出しているところがある。あそこまでがロングビーチ。
波の様子を見に行くオールドサーファー達。
後ろ姿だと年齢がわからないか。
波はほとんどない。
しかし、まだ4時前で宿に向かうには微妙な時間。
というわけで海に入ることになった。
話は変わるが伊良湖の砂浜は白くてキレイ。
波の大きさは常に同じではなく、たまに大きなサイズのが2〜3本続けてくる。それを「セットが入った」などとサーフィンではいうが、それを狙えば乗れる感じ。もっとも私は2つ前のエントリーに書いたように、現役時代より体重が30%増えているのに現役時代より浮力の少ないサーフボードだから、まともにチャレンジするのは諦めてインサイド(岸)よりで初心に返ってテイクオフの練習。本日3ラウンド目で多少は感覚が戻ってきたのかサーフボードが波に押されるところまでは何とかこぎ着けた。先ほどまでの「海に入っていただけ」な状態ではなく、少しは波と戯れられたので満足。
ロコポイントから三谷温泉までは1時間くらい。
海沿いの温泉地だが、その周辺だけは小高い丘になっている。
泊まったのは平野屋という老舗旅館。
昭和テイストなロビー。
露天風呂に入って30年ぶりのサーフィンの疲れを癒やす。もっとも歳を取ると筋肉痛が出るのは明後日だが。お湯はサラッとした感じで、いかにも温泉との印象ではなかった。お風呂は何種類かある。ただし露天風呂だけは離れた場所。つまり普通のお風呂の後に露天風呂に入るなら、服を着て館内を移動しなければならない。かなり古い旅館のようなので、露天風呂は後から造ったんだと思う。なお写真はホームページから借用。
その後は楽しい宴会タイム。何と今回はコンパニオン付き。コンパニオンとはホステス役の女性のこと。温泉地では普通のコンパニオンと、ムフフなコスチュームのピンクコンパニオン・コースがあるらしい。なぜか?今回は普通のコンパニオン。宴席の途中で4名がやってきた。この旅行メンバーとは忘年会を毎年やっているけれど、いつもとは違う盛り上がりで楽しかった。
翌朝(7日)、観光組とはここでお別れ。サーフィン組は東名高速を東へ走って豊浜というポイントに向かう。静岡県磐田市の福田漁港の隣の海岸。ポイント到着は午前10時頃だったと思う。
何にもない海岸。昔の伊良湖はこんな感じだった。漁港の隣の海岸はサーフィン大会をやっていたので、そのさらに隣の海岸に入る。海岸沿いを奥に進むと砂が深くなり「この先は四輪駆動以外進入禁止」の看板があってビビる。でもなんとかOKだった。
写真を撮るタイミングが悪くてまったく波がないように見えるものの、
セットではわずかながらも波が入っていた。
ここは波のスピードが伊良湖と較べて少し遅め。
後5キロやせたら乗れそうな気がした(^^ゞ
午後1時半頃、漁港の食堂で昼食を食べて、そこで東京組と大阪組が解散。東名高速を別々の方向で帰路につく。途中、沼津あたりで前が見えなくなるくらいのゲリラ豪雨に見舞われるも、渋滞も横浜手前だけで午後6時に無事帰宅。
30年ぶりのサーフィンは、サーフィンはできていないがとても楽しかった。体重に見合ったボードを買ってサーフィンを再開するか思案中。バイクを降りる気はまだないし、バイクと違って1人でフラッと出かけられないし(現役の頃は1人でもサーフィンに行ったが)、実は他にもやりたいことがあるしと決めかねている。とりあえずサーフィンに関係なく、もう少し痩せなければ。
おしまい
2014年09月12日
サーフトリップ 浜松&伊良湖 その2
潮見坂でしばらくサーフィンした(サーフィンをしようともがいた)後にポイントを移動。向かったのは西に10キロほど離れた小島という場所。ちなみに潮見坂は静岡県湖西市で、小島は愛知県豊橋市。渥美半島の南岸を縦断している国道42号線から「え〜!本当にこんなところ通るの??」とビックリする獣道みたいな枝道を下って海岸に出る。舗装された道であっても、とても狭くてところどころ左右から伸びてくる木の枝がクルマをこする。
ところで今回のサーファー組5名は大学時代に一緒にサーフィンをした仲間。前にも書いたように私は今回が30年ぶりのサーフィン。3名がこの1〜2年にサーフィンにリターンした連中。そしてただ1人、なんと学生の頃からずっとサーフィンを続けているのがA君。久しぶりに会ったので、サーフィンをやめていた時はなかったのと尋ねると「腰の手術をした時に3ヶ月くらい」との返事。実質ブランクなしといっていいレジェンドである。
だからポイント選びも彼まかせ。昔と違ってポイントの情報はネットですぐ調べられるとしても、彼がいなかったら小島のポイントは道がわからなくてたどり着けなかったと思う。
獣道で山を降りてみると意外と整備された駐車場がある。サーフィンとか釣りをする人以外は利用しないと思うけれど、そのために作られたのかな?
ポイント到着は午前9時頃。今回の旅行前の1週間は皆で天気予報を見て曇りマークだ、傘マークがついた、曇りマークに戻ったとLINEで一喜一憂しあっていたのに、この日は奇跡的な快晴。遅めの夏休み気分を満喫。
海の様子は潮見坂とほとんど変わらない。
ポイントを変えても、現役時代より20キロは重い身体をパドリングで移動させなければいけない事実は変わらないから、波を捕まえるにはいたらず。でもまあサーフィンのまねごとをしているだけでも充分に楽しかった。
明け方に2時間ほどしか仮眠していないから、ちょっと眠くなってきた。それで1人だけ先に上がってビール休憩&お昼寝。
写真はレンタカーとA君に借りたサーフボード。今回のサーフトリップは借り物ばかり。ミニバンは広いから荷物を無造作に置けて便利。それとサーフィンに行くとどうしても車内に砂が入ったりする。レンタカーだとその点は気が楽。
サーフボードの下の方にブルーのひもがついている。これは足首とボードを結びつけるもの。昔はパワーコードと呼んだのに、いつ頃からかは知らないが今はリーシュという。英語で本来の意味は犬などをつなぐ鎖やひもを指す。その他もろもろサーフィンに関しては浦島太郎状態。
昼寝でウトウトしていたらまわりが騒がしくなってきた。起きてみると観光組の3名が到着していた。こんなところによく来られたと思ったら、サーファー組にいる幹事がスマホで航空写真に現在位置を記して送ったとのこと。ハイテク社会おそるべしである。
めでたく8名揃ったので昼食に行く。
のどかな42号線を西へ。
渥美半島の先端が伊良湖岬であり伊良湖町。しかしサーフィン的には渥美半島に半分も入ったら伊良湖と呼ぶ場合が多い。サーフィンができるポイントはたくさんあって、昔からメジャーなのはロングビーチとロコポイント。ロングビーチは3キロほどの長い砂浜で、その一番西端がロコポイントと別扱いになっている。現役時代にロングビーチは何度も出かけている。昔は何もないだだっ広い海岸だったのに、30年ぶりに訪れてみるとキレイに整備されていてビックリ。ロングビーチは今回クルマで通りすぎただけ。
ロコポイントの近くにウナギのおいしい店があると、レジェンドA君に連れてきてもらったのがこの鈴木屋。ところが準備中の看板が(/o\) でも、あっさり店に入れてくれた。
ボリュームたっぷりの鰻丼。2300円くらいだったと思う。おいしかった。味付けはやや濃いめ。創業100年以上の老舗らしい。
7名が鰻丼を頼んで、1名だけが頼んだのがこの「めちゃめちゃ丼」。
普通の鰻丼にはウナギが2枚乗っているのだが ↑ 、それを丼ふたつに分けたメニュー ↓ 。つまりご飯2倍バージョン。普通の鰻丼でもかなりご飯の量は多かったから、これを完食したN君はしばらく口数が少なかった(^^ゞ
ーーー続く
ところで今回のサーファー組5名は大学時代に一緒にサーフィンをした仲間。前にも書いたように私は今回が30年ぶりのサーフィン。3名がこの1〜2年にサーフィンにリターンした連中。そしてただ1人、なんと学生の頃からずっとサーフィンを続けているのがA君。久しぶりに会ったので、サーフィンをやめていた時はなかったのと尋ねると「腰の手術をした時に3ヶ月くらい」との返事。実質ブランクなしといっていいレジェンドである。
だからポイント選びも彼まかせ。昔と違ってポイントの情報はネットですぐ調べられるとしても、彼がいなかったら小島のポイントは道がわからなくてたどり着けなかったと思う。
獣道で山を降りてみると意外と整備された駐車場がある。サーフィンとか釣りをする人以外は利用しないと思うけれど、そのために作られたのかな?
ポイント到着は午前9時頃。今回の旅行前の1週間は皆で天気予報を見て曇りマークだ、傘マークがついた、曇りマークに戻ったとLINEで一喜一憂しあっていたのに、この日は奇跡的な快晴。遅めの夏休み気分を満喫。
海の様子は潮見坂とほとんど変わらない。
ポイントを変えても、現役時代より20キロは重い身体をパドリングで移動させなければいけない事実は変わらないから、波を捕まえるにはいたらず。でもまあサーフィンのまねごとをしているだけでも充分に楽しかった。
明け方に2時間ほどしか仮眠していないから、ちょっと眠くなってきた。それで1人だけ先に上がってビール休憩&お昼寝。
写真はレンタカーとA君に借りたサーフボード。今回のサーフトリップは借り物ばかり。ミニバンは広いから荷物を無造作に置けて便利。それとサーフィンに行くとどうしても車内に砂が入ったりする。レンタカーだとその点は気が楽。
サーフボードの下の方にブルーのひもがついている。これは足首とボードを結びつけるもの。昔はパワーコードと呼んだのに、いつ頃からかは知らないが今はリーシュという。英語で本来の意味は犬などをつなぐ鎖やひもを指す。その他もろもろサーフィンに関しては浦島太郎状態。
昼寝でウトウトしていたらまわりが騒がしくなってきた。起きてみると観光組の3名が到着していた。こんなところによく来られたと思ったら、サーファー組にいる幹事がスマホで航空写真に現在位置を記して送ったとのこと。ハイテク社会おそるべしである。
めでたく8名揃ったので昼食に行く。
のどかな42号線を西へ。
渥美半島の先端が伊良湖岬であり伊良湖町。しかしサーフィン的には渥美半島に半分も入ったら伊良湖と呼ぶ場合が多い。サーフィンができるポイントはたくさんあって、昔からメジャーなのはロングビーチとロコポイント。ロングビーチは3キロほどの長い砂浜で、その一番西端がロコポイントと別扱いになっている。現役時代にロングビーチは何度も出かけている。昔は何もないだだっ広い海岸だったのに、30年ぶりに訪れてみるとキレイに整備されていてビックリ。ロングビーチは今回クルマで通りすぎただけ。
ロコポイントの近くにウナギのおいしい店があると、レジェンドA君に連れてきてもらったのがこの鈴木屋。ところが準備中の看板が(/o\) でも、あっさり店に入れてくれた。
ボリュームたっぷりの鰻丼。2300円くらいだったと思う。おいしかった。味付けはやや濃いめ。創業100年以上の老舗らしい。
7名が鰻丼を頼んで、1名だけが頼んだのがこの「めちゃめちゃ丼」。
普通の鰻丼にはウナギが2枚乗っているのだが ↑ 、それを丼ふたつに分けたメニュー ↓ 。つまりご飯2倍バージョン。普通の鰻丼でもかなりご飯の量は多かったから、これを完食したN君はしばらく口数が少なかった(^^ゞ
ーーー続く
2014年09月06日
サーフトリップ 浜松&伊良湖
昔のサーフィン仲間とのサーフィン&宴会旅行は、浜松から渥美半島・伊良湖にかけてのポイント(サーフィンをする海岸のこと)を巡り、夜は蒲郡市(がまごうり)にある三谷(みや)温泉で一泊。翌日は浜名湖よりさらに東側にまで足を伸ばしてのサーフィンとなった。
集まったメンバーは大阪から6名と東京からの2名。東阪の中間との理由でこのエリアが選ばれた。大阪メンバーはサーフィンをする3名としない3名に分かれる。東京メンバーはサーファーのみ。サーフィン組は朝からサーフィンをし、サーフィンをしない連中は別行動であちこち観光しながら三谷温泉で落ち合うのが当初の予定。
サーフィン組の集合場所は浜名湖から西へ10キロほど離れた潮見坂という道の駅。旅行としては土日の一泊旅行でも、金曜の夜に現地について車中泊をして早朝からサーフィンを始める実質一泊半プラン。ところで朝からサーフィンをするのは、朝のほうがいい波が立つから。なぜ朝にいい波が立つのかの理由はとっくの昔に忘れた。
大阪組は金曜の午後11時には道の駅について駐車場で宴会をしていたようだ。東京組は私の仕事の都合でその時刻に出発となってしまった。しかし深夜なので渋滞もなく午前3時に潮見坂到着。大阪組も午後7時出発で4時間かかっているから、移動時間的に潮見坂はまさに東西の中間地点となった。サーフボードを積むためにレンタカーで借りたミニバンの、2列目3列目座席をフルフラットにして仮眠する。脚も伸ばせて快適。
午前5時半頃活動開始。
朝焼けがキレイ。
最初に向かったのは道の駅からクルマで5分ほどのところにある潮見坂のポイント。右側に見えている高架は国道1号線の潮見バイパス。1号線は浜松で本線と浜名バイパスに分かれて2本立てになっている。その浜名バイパスを西に進むと潮見バイパスや豊橋バイパスなどエリアによって名前が変わる。このバイパスは10年ほど前まで有料道路だった。だから一般道路なのに制限速度は80キロで信号もない。
潮見坂ポイントの様子。
波はあまりないが、大きな波でも困る(^^ゞ
いよいよ30年ぶりのサーフィン。
最初は海の中を歩いてアウト(沖側がアウトで岸側をインとサーフィンではいう)に出ていく。崩れた波をバシャーっと頭からかぶって、潮の香りと唇に感じる海水の味に昔を思い出す。ある程度深くなったらパドリング(サーフボードに腹ばいになって、腕で漕ぐこと)をしてさらにアウトに出る。サーフィンというのは波が切り立って崩れ始める寸前のところでスタートする。だいたいこの辺だろうと思える位置まで来たら波待ちをする。波待ちとはボードにまたがってプカプカ海に浮いている状態。乗れる大きさかどうかは別にして波は常に来ているわけだから、波待ちは意外とバランス感覚を要求される。初めてサーフィンをする人にとっては第一関門となる動作。最初はちょっとよろけそうになったものの、5分ほどすれば慣れてきた。まあ自転車と同じで1度マスターしていればどんなにブランクがあっても大丈夫みたい。
しかし昔を思い出すぜ、などといっていられたのはここまで。
結論から言うと、この後はサーフィンのサの字もできなかった(/o\)
サーフィンは乗れそうな波が来たらインに向かって全力でパドリングする。波のスピードと上手くシンクロできると波に押されてボードが走り出す。走り出したらテイクオフといってボードの上に立つ動作をする。(物理学的には波はボードを押さないので波斜面を滑って下に行くだけ)
ところが、波が来てパドリングしても全然スピードが出ない。あっという間に波に追い越されてしまう。30年ぶりなので、テイクオフができるまでしばらく時間が掛かるとは覚悟していたとはいえ、それ以前にボードが走りさえしない(>_<)(>_<)(>_<)
何度トライしても同じ。
打ちひしがれて海から上がる。
30年前と較べてパドリングをする力、すなわち腕力が衰えたとは思っていない。もちろん長い距離をパドリングするなら持久力はずいぶん違うかも知れないが、テイクオフのパドリングなんてせいぜい3秒くらいの時間なのである。
なんで〜?と考えていて、ふと気がついた。
腕力は変わっていないとしても、体重は20キロほど重くなっている。率にすれば約30パーセント増し。単純に数字を当てはめるなら腕力も30パーセント増強されていないと昔と同じスピードは出ない計算になる。ウ〜ン、どんなに鍛えてもそれは絶望的。
実際には体重が増えたらサーフボードも浮力のあるものを使えば、この問題は解決する。その説明は長くなるので省略。今回の旅行で友人から借りたサーフボードは30年前に使っていたのと同じ程度の浮力だったので、20キロ増しの体重がモロに響いたわけ。
そんなわけで30年ぶりにサーフィンをしたとはいえず、
サーフィンをしようともがいたのが正確な表現。
ーーー続く
集まったメンバーは大阪から6名と東京からの2名。東阪の中間との理由でこのエリアが選ばれた。大阪メンバーはサーフィンをする3名としない3名に分かれる。東京メンバーはサーファーのみ。サーフィン組は朝からサーフィンをし、サーフィンをしない連中は別行動であちこち観光しながら三谷温泉で落ち合うのが当初の予定。
サーフィン組の集合場所は浜名湖から西へ10キロほど離れた潮見坂という道の駅。旅行としては土日の一泊旅行でも、金曜の夜に現地について車中泊をして早朝からサーフィンを始める実質一泊半プラン。ところで朝からサーフィンをするのは、朝のほうがいい波が立つから。なぜ朝にいい波が立つのかの理由はとっくの昔に忘れた。
大阪組は金曜の午後11時には道の駅について駐車場で宴会をしていたようだ。東京組は私の仕事の都合でその時刻に出発となってしまった。しかし深夜なので渋滞もなく午前3時に潮見坂到着。大阪組も午後7時出発で4時間かかっているから、移動時間的に潮見坂はまさに東西の中間地点となった。サーフボードを積むためにレンタカーで借りたミニバンの、2列目3列目座席をフルフラットにして仮眠する。脚も伸ばせて快適。
午前5時半頃活動開始。
朝焼けがキレイ。
最初に向かったのは道の駅からクルマで5分ほどのところにある潮見坂のポイント。右側に見えている高架は国道1号線の潮見バイパス。1号線は浜松で本線と浜名バイパスに分かれて2本立てになっている。その浜名バイパスを西に進むと潮見バイパスや豊橋バイパスなどエリアによって名前が変わる。このバイパスは10年ほど前まで有料道路だった。だから一般道路なのに制限速度は80キロで信号もない。
潮見坂ポイントの様子。
波はあまりないが、大きな波でも困る(^^ゞ
いよいよ30年ぶりのサーフィン。
最初は海の中を歩いてアウト(沖側がアウトで岸側をインとサーフィンではいう)に出ていく。崩れた波をバシャーっと頭からかぶって、潮の香りと唇に感じる海水の味に昔を思い出す。ある程度深くなったらパドリング(サーフボードに腹ばいになって、腕で漕ぐこと)をしてさらにアウトに出る。サーフィンというのは波が切り立って崩れ始める寸前のところでスタートする。だいたいこの辺だろうと思える位置まで来たら波待ちをする。波待ちとはボードにまたがってプカプカ海に浮いている状態。乗れる大きさかどうかは別にして波は常に来ているわけだから、波待ちは意外とバランス感覚を要求される。初めてサーフィンをする人にとっては第一関門となる動作。最初はちょっとよろけそうになったものの、5分ほどすれば慣れてきた。まあ自転車と同じで1度マスターしていればどんなにブランクがあっても大丈夫みたい。
しかし昔を思い出すぜ、などといっていられたのはここまで。
結論から言うと、この後はサーフィンのサの字もできなかった(/o\)
サーフィンは乗れそうな波が来たらインに向かって全力でパドリングする。波のスピードと上手くシンクロできると波に押されてボードが走り出す。走り出したらテイクオフといってボードの上に立つ動作をする。(物理学的には波はボードを押さないので波斜面を滑って下に行くだけ)
ところが、波が来てパドリングしても全然スピードが出ない。あっという間に波に追い越されてしまう。30年ぶりなので、テイクオフができるまでしばらく時間が掛かるとは覚悟していたとはいえ、それ以前にボードが走りさえしない(>_<)(>_<)(>_<)
何度トライしても同じ。
打ちひしがれて海から上がる。
30年前と較べてパドリングをする力、すなわち腕力が衰えたとは思っていない。もちろん長い距離をパドリングするなら持久力はずいぶん違うかも知れないが、テイクオフのパドリングなんてせいぜい3秒くらいの時間なのである。
なんで〜?と考えていて、ふと気がついた。
腕力は変わっていないとしても、体重は20キロほど重くなっている。率にすれば約30パーセント増し。単純に数字を当てはめるなら腕力も30パーセント増強されていないと昔と同じスピードは出ない計算になる。ウ〜ン、どんなに鍛えてもそれは絶望的。
実際には体重が増えたらサーフボードも浮力のあるものを使えば、この問題は解決する。その説明は長くなるので省略。今回の旅行で友人から借りたサーフボードは30年前に使っていたのと同じ程度の浮力だったので、20キロ増しの体重がモロに響いたわけ。
そんなわけで30年ぶりにサーフィンをしたとはいえず、
サーフィンをしようともがいたのが正確な表現。
ーーー続く
2014年09月04日
ウエットスーツ
気がつけば8月21日からブログを更新していなかった。
21日に書いたのも13日のツーリングの話の続きだったし。
ご存じのように今年は8月の後半から天候不順で土日は遊びに出かけられず。涼しいと身体は楽だけれどテンションもダウン。やっぱり夏は「暑い〜、助けてくれ〜」といっているくらいのほうが私は好き。
話は変わって下の写真はウエットスーツ。
ウエットスーツには長袖・半袖 x 長ズボン・半ズボンの組み合わせで色々ある。それ以外にも上半身がランニングタイプとか上半身だけのとか。それで写真は半袖半ズボンのスプリングといわれるタイプ。いわゆる春秋用。
なんでこんなものが自宅にあるかというと今週末にサーフィンに行くから!
たぶん25年ぶりくらい。最後にファーフィンに行ったのがいつだったか覚えていないから正確なところはわからない。しょっちゅう波乗りに行っていた現役サーファー時代から数えたら30年ぶりくらいかな。
なぜか昔のサーフィン仲間が2年ほど前からから1人また1人とサーフィンを再開し初め、それで今年はサーフィン&宴会の一泊旅行が企画された次第。サーフィンやその旅行の話はまたいずれ。
サーフボードもネットで調べると安物は数万円で売っている。買おうかとも思ったが、次にいつ行くかわからない。とりあえずサーフボードは友人から借りることにしてウエットスーツだけを買った。値段はピンキリで、このスプリングタイプは安いものなら3000円台からある。高いのは8万円くらい。私が買ったのは楽天にあるショップで定価2万3500円を1万1750円で売っているもの。運良く楽天スーパーセール中で8982円で買えた。
問題はサイズ(^^ゞ XLまでしかなかったのでそれを買う。ウエットスーツはゴム素材なので伸びることを期待して。自宅に届いて着てみると
ウエストまわりは意外にあっさり入った。
しかし胸と首の圧迫感が強烈。
10分ほど着ていたら気分が悪くなってきた(/o\)
こんなものを着てサーフィンができるのか?
まあダメだったら宴会を楽しもう。
21日に書いたのも13日のツーリングの話の続きだったし。
ご存じのように今年は8月の後半から天候不順で土日は遊びに出かけられず。涼しいと身体は楽だけれどテンションもダウン。やっぱり夏は「暑い〜、助けてくれ〜」といっているくらいのほうが私は好き。
話は変わって下の写真はウエットスーツ。
ウエットスーツには長袖・半袖 x 長ズボン・半ズボンの組み合わせで色々ある。それ以外にも上半身がランニングタイプとか上半身だけのとか。それで写真は半袖半ズボンのスプリングといわれるタイプ。いわゆる春秋用。
なんでこんなものが自宅にあるかというと今週末にサーフィンに行くから!
たぶん25年ぶりくらい。最後にファーフィンに行ったのがいつだったか覚えていないから正確なところはわからない。しょっちゅう波乗りに行っていた現役サーファー時代から数えたら30年ぶりくらいかな。
なぜか昔のサーフィン仲間が2年ほど前からから1人また1人とサーフィンを再開し初め、それで今年はサーフィン&宴会の一泊旅行が企画された次第。サーフィンやその旅行の話はまたいずれ。
サーフボードもネットで調べると安物は数万円で売っている。買おうかとも思ったが、次にいつ行くかわからない。とりあえずサーフボードは友人から借りることにしてウエットスーツだけを買った。値段はピンキリで、このスプリングタイプは安いものなら3000円台からある。高いのは8万円くらい。私が買ったのは楽天にあるショップで定価2万3500円を1万1750円で売っているもの。運良く楽天スーパーセール中で8982円で買えた。
問題はサイズ(^^ゞ XLまでしかなかったのでそれを買う。ウエットスーツはゴム素材なので伸びることを期待して。自宅に届いて着てみると
ウエストまわりは意外にあっさり入った。
しかし胸と首の圧迫感が強烈。
10分ほど着ていたら気分が悪くなってきた(/o\)
こんなものを着てサーフィンができるのか?
まあダメだったら宴会を楽しもう。