2015年03月
2015年03月31日
今年のチューリップ開花は3月30日でした
3月22日にはこの程度だったツボミ1号は
28日に先端が色づき始め
29日には少し開いて
昨日30日にめでたく開花。
でもちょっとブサイク(/o\)
昨日は1本だけの開花だったが、本日31日のベランダはこんな感じで全部で10本ちょっとが咲いている。ツボミとしては後からだった濃いピンクのチューリップの方がしっかりとしているみたい。
昨年と較べると小振りで、何となく全体的に花にも葉っぱにも勢いがない。やっぱり売れ残りの球根だったからかなあ。これから元気よくなってくれればいいけれど。
それはともかく咲いたことはやっぱりうれしい\(^o^)/
28日に先端が色づき始め
29日には少し開いて
昨日30日にめでたく開花。
でもちょっとブサイク(/o\)
昨日は1本だけの開花だったが、本日31日のベランダはこんな感じで全部で10本ちょっとが咲いている。ツボミとしては後からだった濃いピンクのチューリップの方がしっかりとしているみたい。
昨年と較べると小振りで、何となく全体的に花にも葉っぱにも勢いがない。やっぱり売れ残りの球根だったからかなあ。これから元気よくなってくれればいいけれど。
それはともかく咲いたことはやっぱりうれしい\(^o^)/
2015年03月28日
菜の花ツーリング
ようやく暖かくなってきたので春を感じるツーリングということで。
菜の花は1月から4月くらいまでと咲く時期が場所によってまちまち。今回選んだのは千葉県の内陸部を走るローカル鉄道「小湊鐵道」と「いすみ鉄道」の沿線。広大な菜の花畑はないけれど、バイクの走りもそこそこ楽しめるルート。ちなみに千葉県は県の花が菜の花で、あちこちに名所がある。
朝起きたら思っていたより雲が厚くてクジケル。それでグズグズしていたらアクアラインの入り口手前3キロから渋滞のニュースを聞いてさらにクジケル。それやこれやでますますグズグズして出発したのは午前10時半頃。気温17度で最高気温は20度の予想。冬用のジャケットではなく革ジャンで、その下もセーターではなくスエットシャツにした。念のため極薄ダウンも持って出かける。
アクアラインは渋滞していたもののニュースほどではなし。ニュースを聞いてから2時間程度は過ぎていたので、渋滞を引き起こした観光客はもう千葉へ渡ってしまったのだろう。アクアラインを渡った後は圏央道に入って木更津東インターで降りる。そして東京湾に面した木更津から成田へ向かう房総横断道路とも呼ばれる国道409号を走る。道路脇のところどころに菜の花が咲いていて、いかにも春のツーリングという雰囲気になってくる。
ところで409号の始点は川崎でアクアラインも国道409号ということになっている。しかしアクアラインができるまで川崎と木更津の間は分断されていたわけで、海を隔てた別々の地域の道路を1本の国道とするのはなんとなく違和感あり。
最初に到着したのが小湊鐵道(こみなと鉄道)の上総牛久(かずさ・うしく)駅。牛久というのは駅があるところの地名。上総は千葉が昔は北部の下総(しもうさ)、中部の上総、南部の安房(あわ)に分かれてた頃の国名。ついでに東京は武蔵で神奈川は相模の国。
別に上総と名前の最初に付けずに牛久駅でもいいはず。でも小湊鐵道は18駅中9駅つまり半分、いすみ鉄道は14駅中3駅に上総という名前を用いている(なお1駅は両鉄道が乗り入れる共同の駅)。この地域はよほど上総という言葉に思い入れがあるみたいだ。
のどかなローカル線の駅。
駅の中の様子。切符は窓口で買う。
多くて1時間に3本、土日ならほとんど1時間に1本。
トイレを借りにホームに入れてもらった。
駅の回りにも菜の花ちらちら。
12時16分の列車が入ってきた。KTKは小湊鐵道株式会社のことかな。キハ206というのはこの車両の名前で調べてみたら1964年製造だった。
この車両はディーゼル車両である。
駅の写真に架線が写っていないのに気がついてたかな。
最後にBMW F800Rと駅舎のツーショットで記念撮影。
次に訪れたのは上総牛久駅から2つ先の上総鶴舞駅。
こちらは無人駅だった。
1日の乗車人数は15人程度らしい。ちなみに上総牛久駅は700名ほど。
駅の中にいるのは写真を撮りに来た人ばかり。
菜の花を眺めながらローカル列車に揺られてみるのもいいかもしれない。
ところでこの写真と、その前の写真の両方を見てもらうとイメージがつかめると思うが、この駅は緩やかなカーブの途中に設けられている。それがちょっといい雰囲気を出している。
本当は線路に降りちゃいけないんだけれど、1時間に1本しか来ないし。
小湊鐵道は単線で、駅のところだけが複線になっている。
しかし草の生え方からして、その線路は使われていないようだ。
線路の反対側からの駅舎。
この上総鶴舞駅は関東の駅百選というのに選ばれている。でも単に古いだけで、そんなに味わいのある駅には思えなかった。
上の写真の看板(正式には駅名標という)は「かずさつるまい」で、こちらは「かづさつるまい」。でも隣の駅は「かずさかわま」と書いてある。たぶん「かづさ」のほうが古い仮名遣い。で、なんでふたつある? 間違えたのか話題作りか? 小湊鐵道のホームページには駅名のフリガナが載っていなかった。
レトロな光景。
明治のビタ牛乳って何となく聞き覚えはあるが、具体的には覚えていない。まあ子供の頃は牛乳のブランドを意識することもなかったし。調べてみると発売は1954年(昭和29年)と私が生まれる前からあった商品。いつまで売られていたかはわからなかった。ビタはビタミンの略だが、そういえば森永ホモ牛乳という今じゃちょっと使えないネーミングの牛乳もあった(^^ゞ このホモはホモジナイズ(均質化)の略。クリームとミルクが分離しないように加工された牛乳のことで、今普通に売られている牛乳はすべてホモ牛乳である。
なお、あっちのホモはホモセクシャルの略。ホモは「同じ」という意味だからホモジナイズと語源的には共通。セクシャルとつなげて同性愛者となる。なぜか男性にだけ使うことになっている。
菜の花は満開。
サクラには1週間早いといったところ。
またBMW F800Rと駅舎のツーショット。
その次に立ち寄ったのは3つ先の里見駅。
駅の古い漢字がこんなだったとは知らなかった。
里見駅は駅舎の隣に売店小屋があって賑やかな感じ。
でも1日の乗車人数は15名程度だから、クルマで訪れる観光客向けの商売。小湊鐵道は東京湾側にある始発の五井駅から上総牛久駅までの乗客でほとんどの運賃収入を稼ぐ構造のようである。
1日15名でも、ここは有人駅だった。
中に入るには入場券が必要と大きく書かれていたので、
改札口からや駅の外から撮った写真のみ。
菜の花とミツバチ。
菜の花と桜のツーショットを撮りたかったのに、花が咲いている高さが違うから構図が取れないし、オマケにピンぼけになっているし(/o\)
この駅に咲いていたのは河津桜。もうピークは過ぎてかなり葉がでていた。駅舎の前にあるのはソメイヨシノだから来週くらいはキレイかも。
小湊鐵道の最後は里見駅の2つ先にある月崎駅。
ここはなんと1日の乗車人数5名。当然無人駅で駅舎も殺風景。でも考えようによっては、利用客にはプライベート・ビーチならぬプライベート・ステーションみたいなものか。
下りの線路(太平洋方向)
上りの線路(東京湾方向)
線路脇には菜の花がたくさん咲いているところがあって家族連れが遊んでいた。
不思議な建物を発見。
こんな風にして壁に草が生えるようにしてある。
飾り? 断熱効果?
中に入ってみると線路工事の人の休憩所のようだった。
菜の花と青空。晴れてきてよかった。
線路と菜の花。
でもこれは他の植物を植えた花壇に、菜の花が勝手に生えたんだろうな。
ブルーの小さな花はオオイヌフグリ。紫のもっと小さな花はヒメオドリコソウ(姫踊り子草)。去年に大宮花の丘農林公苑で知ったホトケノザに似ているが、どちらもシソ科オドリコソウ属なので近い品種。どれも雑草だがなかなか可愛い。
菜の花をバックに咲いているサクラを見たかった。
この駅はサクラの木も多かった。
プライベート・ステーションにサクラ付きとは贅沢。
列車が来ないことを確認して。
やっぱり撮りたいローアングル(^^ゞ
線路にカメラを置いてみた。
ーーー続く
菜の花は1月から4月くらいまでと咲く時期が場所によってまちまち。今回選んだのは千葉県の内陸部を走るローカル鉄道「小湊鐵道」と「いすみ鉄道」の沿線。広大な菜の花畑はないけれど、バイクの走りもそこそこ楽しめるルート。ちなみに千葉県は県の花が菜の花で、あちこちに名所がある。
朝起きたら思っていたより雲が厚くてクジケル。それでグズグズしていたらアクアラインの入り口手前3キロから渋滞のニュースを聞いてさらにクジケル。それやこれやでますますグズグズして出発したのは午前10時半頃。気温17度で最高気温は20度の予想。冬用のジャケットではなく革ジャンで、その下もセーターではなくスエットシャツにした。念のため極薄ダウンも持って出かける。
アクアラインは渋滞していたもののニュースほどではなし。ニュースを聞いてから2時間程度は過ぎていたので、渋滞を引き起こした観光客はもう千葉へ渡ってしまったのだろう。アクアラインを渡った後は圏央道に入って木更津東インターで降りる。そして東京湾に面した木更津から成田へ向かう房総横断道路とも呼ばれる国道409号を走る。道路脇のところどころに菜の花が咲いていて、いかにも春のツーリングという雰囲気になってくる。
ところで409号の始点は川崎でアクアラインも国道409号ということになっている。しかしアクアラインができるまで川崎と木更津の間は分断されていたわけで、海を隔てた別々の地域の道路を1本の国道とするのはなんとなく違和感あり。
最初に到着したのが小湊鐵道(こみなと鉄道)の上総牛久(かずさ・うしく)駅。牛久というのは駅があるところの地名。上総は千葉が昔は北部の下総(しもうさ)、中部の上総、南部の安房(あわ)に分かれてた頃の国名。ついでに東京は武蔵で神奈川は相模の国。
別に上総と名前の最初に付けずに牛久駅でもいいはず。でも小湊鐵道は18駅中9駅つまり半分、いすみ鉄道は14駅中3駅に上総という名前を用いている(なお1駅は両鉄道が乗り入れる共同の駅)。この地域はよほど上総という言葉に思い入れがあるみたいだ。
のどかなローカル線の駅。
駅の中の様子。切符は窓口で買う。
多くて1時間に3本、土日ならほとんど1時間に1本。
トイレを借りにホームに入れてもらった。
駅の回りにも菜の花ちらちら。
12時16分の列車が入ってきた。KTKは小湊鐵道株式会社のことかな。キハ206というのはこの車両の名前で調べてみたら1964年製造だった。
この車両はディーゼル車両である。
駅の写真に架線が写っていないのに気がついてたかな。
最後にBMW F800Rと駅舎のツーショットで記念撮影。
次に訪れたのは上総牛久駅から2つ先の上総鶴舞駅。
こちらは無人駅だった。
1日の乗車人数は15人程度らしい。ちなみに上総牛久駅は700名ほど。
駅の中にいるのは写真を撮りに来た人ばかり。
菜の花を眺めながらローカル列車に揺られてみるのもいいかもしれない。
ところでこの写真と、その前の写真の両方を見てもらうとイメージがつかめると思うが、この駅は緩やかなカーブの途中に設けられている。それがちょっといい雰囲気を出している。
本当は線路に降りちゃいけないんだけれど、1時間に1本しか来ないし。
小湊鐵道は単線で、駅のところだけが複線になっている。
しかし草の生え方からして、その線路は使われていないようだ。
線路の反対側からの駅舎。
この上総鶴舞駅は関東の駅百選というのに選ばれている。でも単に古いだけで、そんなに味わいのある駅には思えなかった。
上の写真の看板(正式には駅名標という)は「かずさつるまい」で、こちらは「かづさつるまい」。でも隣の駅は「かずさかわま」と書いてある。たぶん「かづさ」のほうが古い仮名遣い。で、なんでふたつある? 間違えたのか話題作りか? 小湊鐵道のホームページには駅名のフリガナが載っていなかった。
レトロな光景。
明治のビタ牛乳って何となく聞き覚えはあるが、具体的には覚えていない。まあ子供の頃は牛乳のブランドを意識することもなかったし。調べてみると発売は1954年(昭和29年)と私が生まれる前からあった商品。いつまで売られていたかはわからなかった。ビタはビタミンの略だが、そういえば森永ホモ牛乳という今じゃちょっと使えないネーミングの牛乳もあった(^^ゞ このホモはホモジナイズ(均質化)の略。クリームとミルクが分離しないように加工された牛乳のことで、今普通に売られている牛乳はすべてホモ牛乳である。
なお、あっちのホモはホモセクシャルの略。ホモは「同じ」という意味だからホモジナイズと語源的には共通。セクシャルとつなげて同性愛者となる。なぜか男性にだけ使うことになっている。
菜の花は満開。
サクラには1週間早いといったところ。
またBMW F800Rと駅舎のツーショット。
その次に立ち寄ったのは3つ先の里見駅。
駅の古い漢字がこんなだったとは知らなかった。
里見駅は駅舎の隣に売店小屋があって賑やかな感じ。
でも1日の乗車人数は15名程度だから、クルマで訪れる観光客向けの商売。小湊鐵道は東京湾側にある始発の五井駅から上総牛久駅までの乗客でほとんどの運賃収入を稼ぐ構造のようである。
1日15名でも、ここは有人駅だった。
中に入るには入場券が必要と大きく書かれていたので、
改札口からや駅の外から撮った写真のみ。
菜の花とミツバチ。
菜の花と桜のツーショットを撮りたかったのに、花が咲いている高さが違うから構図が取れないし、オマケにピンぼけになっているし(/o\)
この駅に咲いていたのは河津桜。もうピークは過ぎてかなり葉がでていた。駅舎の前にあるのはソメイヨシノだから来週くらいはキレイかも。
小湊鐵道の最後は里見駅の2つ先にある月崎駅。
ここはなんと1日の乗車人数5名。当然無人駅で駅舎も殺風景。でも考えようによっては、利用客にはプライベート・ビーチならぬプライベート・ステーションみたいなものか。
下りの線路(太平洋方向)
上りの線路(東京湾方向)
線路脇には菜の花がたくさん咲いているところがあって家族連れが遊んでいた。
不思議な建物を発見。
こんな風にして壁に草が生えるようにしてある。
飾り? 断熱効果?
中に入ってみると線路工事の人の休憩所のようだった。
菜の花と青空。晴れてきてよかった。
線路と菜の花。
でもこれは他の植物を植えた花壇に、菜の花が勝手に生えたんだろうな。
ブルーの小さな花はオオイヌフグリ。紫のもっと小さな花はヒメオドリコソウ(姫踊り子草)。去年に大宮花の丘農林公苑で知ったホトケノザに似ているが、どちらもシソ科オドリコソウ属なので近い品種。どれも雑草だがなかなか可愛い。
菜の花をバックに咲いているサクラを見たかった。
この駅はサクラの木も多かった。
プライベート・ステーションにサクラ付きとは贅沢。
列車が来ないことを確認して。
やっぱり撮りたいローアングル(^^ゞ
線路にカメラを置いてみた。
ーーー続く
2015年03月27日
パスキン展 生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子
去年の8月に箱根のポーラ美術館にモディリアーニ展を見に行き、そこで2〜3点掛けられていた絵がやたら気に入ったジュール・パスキン。汐留にあるパナソニック汐留ミュージアムで展覧会が開かれていたので見に行ってきた。別に書き忘れていたわけじゃないんだけれど、訪れたのは2週間ほど前で遅ればせながらのレポート。
ところでモディリアーニがモンパルナスのプリンスで、パスキンはモンパルナスの王子だからややこしいとは以前にも書いたが、今回はエコール・ド・パリの貴公子ときた。パスキンは貴族の出ではないが、割と裕福な家庭に生まれ、早くから成功して金に困ることはなかったというから、モディリアーニやその他大勢の画家達とはずいぶん境遇が違う。しかし放蕩生活の果てにアルコール依存症と鬱病に苦しみ、さらに不倫の恋に落ちて45歳で自殺。そういう意味では古き良き芸術家のイメージを裏切らない(^^ゞ
なかなかのイケメンでもある。
これは21歳の時の写真。
展示会は年代順に作品を並べる回顧展スタイル。
それに沿って簡単にパスキンの生涯を書いておくと
1885年(明治18年)生まれのブルガリア人
↓↓
ウイーンなどで絵の勉強をした後に1903年から1905年、つまり18歳前後は
ミュンヘンで活動する。雑誌の挿絵画家として早くも成功したらしい。
↓↓
その後パリに渡り1905年から1914年がパリ第1期。イラストレーターから
画家に転身を図る。
↓↓
1914年に第1次世界大戦が起こると、ロンドン、ニューヨーク、フロリダ、キューバ
などを転々とする。パリにいると母国ブルガリアに徴兵されるという理由らしい。
↓↓
1918年に戦争が終わり1920年にパリに戻る。
この時に34〜35歳で、ここからがパリ第2期。
↓↓
1930年に自殺。享年45。 南無
「ミュンヘンの少女」 1903年
ミュンヘン時代の作品。タイトルがわかりやすくてよい。
パスキンは挿絵作家として活躍しながらも、本格的な絵の勉強に美術学校にも通っていた。これは美術学生としてのパスキンの作品とされる。画家の初期の作品については「デッサンが確かだ」とか「後の代表作につながる閃きがある」とかいって褒めるのがお約束。残念ながらデッサンが確かかどうかを見極める能力はないので、上手に描けているけれどちょっと陰気な絵くらいにしか感じなかった。
ポーラ美術館で見たのはパスキンのパリ第2期の作品である。
第1期の作品はそれとはずいぶんと違う。
「座るイタリアの娘」 1912年
ブサイクだしデブだし不機嫌そうだし。なんでこんな絵を描いたのかなあ〜と思ってしまう絵。もしこの絵をもらっても、たぶん家には飾らない気がするけど。
「二人の少女」 1907年
でもパスキンは肥った女性も好きだったみたい。これは画家パスキンではなく挿絵イラストレーターとしてのパスキンの作品。
「酔ったナポレオン」 1909年
パスキンにはこんなお茶目なものもある。どんな解説がついていたか忘れてしまったが、これも挿絵かな? これがパスキンの挿絵だとズラーッと並べてある展示はなかったような気がする。私が見たかったパスキンは展示会後半にあるのはわかっていたから、この時期の展示はあまり熱心に見ていなかった。
「キューバでの集い」 1915〜17年
パリから離れていた時期の作品。ちょっとキュビスム的。パスキンとキュビスムなんて対局にある気がする。しかし当時の画家なら誰でもちょっとはキュビスムを試してみたくなるものだったのかも知れない。色調は違うが、パリ第2期の作品にみられるフワーッと色が混ざり合っているような傾向はこの作品にもあらわれていると思う。キュビスムが形の再構築だとしたらパスキンの絵は情景の反芻かなと、わかったようなことをいってみる。
そしていよいよパリに戻ってくる。
ーーー続く
ところでモディリアーニがモンパルナスのプリンスで、パスキンはモンパルナスの王子だからややこしいとは以前にも書いたが、今回はエコール・ド・パリの貴公子ときた。パスキンは貴族の出ではないが、割と裕福な家庭に生まれ、早くから成功して金に困ることはなかったというから、モディリアーニやその他大勢の画家達とはずいぶん境遇が違う。しかし放蕩生活の果てにアルコール依存症と鬱病に苦しみ、さらに不倫の恋に落ちて45歳で自殺。そういう意味では古き良き芸術家のイメージを裏切らない(^^ゞ
なかなかのイケメンでもある。
これは21歳の時の写真。
展示会は年代順に作品を並べる回顧展スタイル。
それに沿って簡単にパスキンの生涯を書いておくと
1885年(明治18年)生まれのブルガリア人
↓↓
ウイーンなどで絵の勉強をした後に1903年から1905年、つまり18歳前後は
ミュンヘンで活動する。雑誌の挿絵画家として早くも成功したらしい。
↓↓
その後パリに渡り1905年から1914年がパリ第1期。イラストレーターから
画家に転身を図る。
↓↓
1914年に第1次世界大戦が起こると、ロンドン、ニューヨーク、フロリダ、キューバ
などを転々とする。パリにいると母国ブルガリアに徴兵されるという理由らしい。
↓↓
1918年に戦争が終わり1920年にパリに戻る。
この時に34〜35歳で、ここからがパリ第2期。
↓↓
1930年に自殺。享年45。 南無
「ミュンヘンの少女」 1903年
ミュンヘン時代の作品。タイトルがわかりやすくてよい。
パスキンは挿絵作家として活躍しながらも、本格的な絵の勉強に美術学校にも通っていた。これは美術学生としてのパスキンの作品とされる。画家の初期の作品については「デッサンが確かだ」とか「後の代表作につながる閃きがある」とかいって褒めるのがお約束。残念ながらデッサンが確かかどうかを見極める能力はないので、上手に描けているけれどちょっと陰気な絵くらいにしか感じなかった。
ポーラ美術館で見たのはパスキンのパリ第2期の作品である。
第1期の作品はそれとはずいぶんと違う。
「座るイタリアの娘」 1912年
ブサイクだしデブだし不機嫌そうだし。なんでこんな絵を描いたのかなあ〜と思ってしまう絵。もしこの絵をもらっても、たぶん家には飾らない気がするけど。
「二人の少女」 1907年
でもパスキンは肥った女性も好きだったみたい。これは画家パスキンではなく挿絵イラストレーターとしてのパスキンの作品。
「酔ったナポレオン」 1909年
パスキンにはこんなお茶目なものもある。どんな解説がついていたか忘れてしまったが、これも挿絵かな? これがパスキンの挿絵だとズラーッと並べてある展示はなかったような気がする。私が見たかったパスキンは展示会後半にあるのはわかっていたから、この時期の展示はあまり熱心に見ていなかった。
「キューバでの集い」 1915〜17年
パリから離れていた時期の作品。ちょっとキュビスム的。パスキンとキュビスムなんて対局にある気がする。しかし当時の画家なら誰でもちょっとはキュビスムを試してみたくなるものだったのかも知れない。色調は違うが、パリ第2期の作品にみられるフワーッと色が混ざり合っているような傾向はこの作品にもあらわれていると思う。キュビスムが形の再構築だとしたらパスキンの絵は情景の反芻かなと、わかったようなことをいってみる。
そしていよいよパリに戻ってくる。
ーーー続く
2015年03月22日
チューリップのツボミ1号2号および3〜5号発見!
昨日、水やりをした時にはなかったのに、
本日ベランダに出てみるとツボミをつけているチューリップを発見\(^o^)/
これがツボミ1号。しっかり頭を出している。
まだ葉っぱの中に隠れているツボミ2号。
去年は3月29日に花びらの状態になっているツボミを見つけたから、今年もほとんど同じペースと考えてよさそう。おそらく4月になる頃には何本かが開花しているはず。とりあえずこれからは毎朝のチューリップチェックが日課になる。
他にもツボミはないかと念入りに見渡してみると、葉っぱの奥の方にツボミの子供のようなものがあるチューリップを3つ発見。
ツボミは下の方で形になって、それが上に延びてくるみたい。知らなかったというか、今までそこまで気にしていなかった。重なっている葉っぱをめくれば子供ツボミは他にもあるかも知れないが、そこまですることはないかと3〜5号の認定にとどめておいた。
定点観測記録。1週間ごとに順調に成長している。
3月7日
3月15日
3月21日
【3月7日の観察】
葉っぱに白い模様。たぶんハッピージェネレーションという白赤の品種だと思う。
今年はまだ短いうちから葉先が傷んでいるものが多いのが気掛かり。
相変わらず真ん中の列は発芽が遅れている。
【3月15日の観察】
昨シーズンに掘り起こした旧球根は植えてすぐ芽が出て、今年の新球根より(少なくとも葉っぱだけは)速いペースで成長している。でも旧球根で今頃になって芽を出すものがあらわれた。
ベランダの右側に置いてあるプランターは、真ん中列もそこそこ発芽して成長しているが、
ベランダの左側は発芽自体がポツンポツン程度。
【3月21日の観察】
毎年のことだが、自力で立てない葉っぱがあらわれ出す。
手前2本が何となく傾いているような。
根元のところに空洞がある株が多いのも今年の特徴。
去年までこんな隙間は見たことがなかった。
真ん中列は相変わらず。前にも書いたようにすべてのプランターの真ん中列だけに遅咲きの品種を植えたとは考えられない。それに去年まで3列の成長に差がなかったので不可解である。
でもまあ、だんだんと賑やかになってきたので気長に待つことにしよう。
本日ベランダに出てみるとツボミをつけているチューリップを発見\(^o^)/
これがツボミ1号。しっかり頭を出している。
まだ葉っぱの中に隠れているツボミ2号。
去年は3月29日に花びらの状態になっているツボミを見つけたから、今年もほとんど同じペースと考えてよさそう。おそらく4月になる頃には何本かが開花しているはず。とりあえずこれからは毎朝のチューリップチェックが日課になる。
他にもツボミはないかと念入りに見渡してみると、葉っぱの奥の方にツボミの子供のようなものがあるチューリップを3つ発見。
ツボミは下の方で形になって、それが上に延びてくるみたい。知らなかったというか、今までそこまで気にしていなかった。重なっている葉っぱをめくれば子供ツボミは他にもあるかも知れないが、そこまですることはないかと3〜5号の認定にとどめておいた。
定点観測記録。1週間ごとに順調に成長している。
3月7日
3月15日
3月21日
【3月7日の観察】
葉っぱに白い模様。たぶんハッピージェネレーションという白赤の品種だと思う。
今年はまだ短いうちから葉先が傷んでいるものが多いのが気掛かり。
相変わらず真ん中の列は発芽が遅れている。
【3月15日の観察】
昨シーズンに掘り起こした旧球根は植えてすぐ芽が出て、今年の新球根より(少なくとも葉っぱだけは)速いペースで成長している。でも旧球根で今頃になって芽を出すものがあらわれた。
ベランダの右側に置いてあるプランターは、真ん中列もそこそこ発芽して成長しているが、
ベランダの左側は発芽自体がポツンポツン程度。
【3月21日の観察】
毎年のことだが、自力で立てない葉っぱがあらわれ出す。
手前2本が何となく傾いているような。
根元のところに空洞がある株が多いのも今年の特徴。
去年までこんな隙間は見たことがなかった。
真ん中列は相変わらず。前にも書いたようにすべてのプランターの真ん中列だけに遅咲きの品種を植えたとは考えられない。それに去年まで3列の成長に差がなかったので不可解である。
でもまあ、だんだんと賑やかになってきたので気長に待つことにしよう。
2015年03月20日
神代植物公園で梅 その2
物事のランクを付ける時、たまに松竹梅という言葉を使う。「この企画の見積もりを松竹梅で3パターンお願いします」とか。でもこの言葉には昔から抵抗があった。松と梅は甲乙付けがたい。でもどう考えても竹が梅より偉いわけがないやろ(^^ゞ
調べてみたら、この言葉は2回意味が変わって今日に至っている。
オリジナルは中国が宋の時代(960年〜1279年、日本なら平安時代の中頃から鎌倉時代の中頃にあたる)の歳寒三友(さいかんのさんゆう)という言葉。寒い時の3人の友達というような意味。松と竹は冬でも緑を保ち、また梅は冬に花を咲かすことからそう呼ばれた。
中国には文人という学者と芸術家を足して2で割ったようなカテゴリーがある。彼らがモットーとする「清廉潔白・節操」という理念とマッチするので、この歳寒三友(さいかんのさんゆう)つまりは松と竹と梅をテーマにした絵がよく描かれたらしい。どうマッチするのかは今ひとつわからないのだが。
そんな絵が日本にも入ってくる。
そしてなぜか「清廉潔白・節操」だった歳寒三友は「めでたい」ことの象徴に意味が変わる。冬でも葉を落とさない松が不老長寿、数多く新芽を出して成長も早い竹が子孫繁栄に結びついたという説もある。そういえば正月によく見るからだろうけど、こういう絵柄はおめでたく感じる。昔の中国人がこれを見て「清廉潔白・節操」と感じたというのは何となく想像しづらい。まあところ変われば文化も変わるものであるが。ところで今の中国人も松竹梅で清廉潔白・節操」を連想するのかな?
ここまでは松と竹と梅に上下の関係はなく三者が等しく「めでたい」ものとして扱われていた。しかし、いつの間にか寿司屋や鰻屋で、特上・上・並の代わりに松・竹・梅という言葉を使いだす。それがランキング用語としての松竹梅の始まり。特上と注文すると偉そうだし、並を注文すると恥ずかしいから、そういうことをなくそうという気配りでの置き換え言葉。そのときに何となく松・竹・梅という順番になったらしい。語呂がいちばん良かったからかもしれない。
それはともかく神代植物公園の梅。
梅の花は大雑把に分けると赤、ピンク、白である。それでこういう赤い色の梅は紅梅だと思っていた。でも梅の赤には紅と緋色(ひいろ)があって、紅梅と緋梅は区別するとのこと。緋梅は基本的に少し暗い赤らしいので、これは紅梅系かな。
これは花びらの縁が少し白くてきれい。
ピンクの梅ってなんて呼ぶのだろう。先ほどの紅梅と緋梅に話を戻すと、それぞれにいろんな種類があって赤ではなくピンクのものも多い。紅梅なのに白い梅もある。
この梅はごく薄いピンクだが、ガク(花の付け根のところ)が赤くて、そのコントラストがきれいだった。
これは、ごくわずかに青リンゴ色っぽい白い梅。
花はとても良かったの。しかし天気が悪いので写真だと背景がボーッとしてしまって残念。園内はところどころで梅の香りが漂っているのを感じた。でもかなりの微香で鼻の感度を上げておく必要あり。
梅を見ていたら午後4時だという園内放送が聞こえてきた。閉園は5時だが入場できるのは4時までとの説明。梅園は深大寺に近い位置にあって、寺との境にも出入り口がある。公園を抜けて深大寺に行っても、チケットを見せれば再入場できる仕組みなのだが、再入場も4時までなのかな。まあそれとは関係なく時間的に遅かったので、深大寺と深大寺蕎麦はまたもや次回までオアズケ。
梅園を後にして正門へ向かう。
この公園のほぼ中央にある芝生広場。遠くに2つ見えているのはパンパスグラス。言ってみればジャンボ・ススキ。穂は冬でも枯れずに残っているみたい。
正門近くまで来たところに池があった。
白く小さく写っているのは彫刻ね。
池の周りにも2〜3本の梅が植えられている。
少し日本庭園的でいい感じ。
こうやって眺めると梅は枝が縦に延びて花を咲かすことがよくわかる。
梅園で撮った写真より雰囲気が明るいのがわかるかな。
この池のあたりまで来た時に、なぜか突然晴れてきた。
やっぱり花は青空がバックでないと!
もう少し早く晴れてくれたらと恨むか、もともと降り出しそうだったのだから雨にならずに梅や椿を眺められてラッキーと思うかは心の持ちよう次第。
今回はこんな経路。
午後4時半頃に公園を出発して自宅までは1時間ほどだった。走行65キロ。
今年も梅を見られたし久しぶりにバイクにも乗れて松竹梅=めでたい(^^ゞ
おしまい
調べてみたら、この言葉は2回意味が変わって今日に至っている。
オリジナルは中国が宋の時代(960年〜1279年、日本なら平安時代の中頃から鎌倉時代の中頃にあたる)の歳寒三友(さいかんのさんゆう)という言葉。寒い時の3人の友達というような意味。松と竹は冬でも緑を保ち、また梅は冬に花を咲かすことからそう呼ばれた。
中国には文人という学者と芸術家を足して2で割ったようなカテゴリーがある。彼らがモットーとする「清廉潔白・節操」という理念とマッチするので、この歳寒三友(さいかんのさんゆう)つまりは松と竹と梅をテーマにした絵がよく描かれたらしい。どうマッチするのかは今ひとつわからないのだが。
そんな絵が日本にも入ってくる。
そしてなぜか「清廉潔白・節操」だった歳寒三友は「めでたい」ことの象徴に意味が変わる。冬でも葉を落とさない松が不老長寿、数多く新芽を出して成長も早い竹が子孫繁栄に結びついたという説もある。そういえば正月によく見るからだろうけど、こういう絵柄はおめでたく感じる。昔の中国人がこれを見て「清廉潔白・節操」と感じたというのは何となく想像しづらい。まあところ変われば文化も変わるものであるが。ところで今の中国人も松竹梅で清廉潔白・節操」を連想するのかな?
ここまでは松と竹と梅に上下の関係はなく三者が等しく「めでたい」ものとして扱われていた。しかし、いつの間にか寿司屋や鰻屋で、特上・上・並の代わりに松・竹・梅という言葉を使いだす。それがランキング用語としての松竹梅の始まり。特上と注文すると偉そうだし、並を注文すると恥ずかしいから、そういうことをなくそうという気配りでの置き換え言葉。そのときに何となく松・竹・梅という順番になったらしい。語呂がいちばん良かったからかもしれない。
それはともかく神代植物公園の梅。
梅の花は大雑把に分けると赤、ピンク、白である。それでこういう赤い色の梅は紅梅だと思っていた。でも梅の赤には紅と緋色(ひいろ)があって、紅梅と緋梅は区別するとのこと。緋梅は基本的に少し暗い赤らしいので、これは紅梅系かな。
これは花びらの縁が少し白くてきれい。
ピンクの梅ってなんて呼ぶのだろう。先ほどの紅梅と緋梅に話を戻すと、それぞれにいろんな種類があって赤ではなくピンクのものも多い。紅梅なのに白い梅もある。
この梅はごく薄いピンクだが、ガク(花の付け根のところ)が赤くて、そのコントラストがきれいだった。
これは、ごくわずかに青リンゴ色っぽい白い梅。
花はとても良かったの。しかし天気が悪いので写真だと背景がボーッとしてしまって残念。園内はところどころで梅の香りが漂っているのを感じた。でもかなりの微香で鼻の感度を上げておく必要あり。
梅を見ていたら午後4時だという園内放送が聞こえてきた。閉園は5時だが入場できるのは4時までとの説明。梅園は深大寺に近い位置にあって、寺との境にも出入り口がある。公園を抜けて深大寺に行っても、チケットを見せれば再入場できる仕組みなのだが、再入場も4時までなのかな。まあそれとは関係なく時間的に遅かったので、深大寺と深大寺蕎麦はまたもや次回までオアズケ。
梅園を後にして正門へ向かう。
この公園のほぼ中央にある芝生広場。遠くに2つ見えているのはパンパスグラス。言ってみればジャンボ・ススキ。穂は冬でも枯れずに残っているみたい。
正門近くまで来たところに池があった。
白く小さく写っているのは彫刻ね。
池の周りにも2〜3本の梅が植えられている。
少し日本庭園的でいい感じ。
こうやって眺めると梅は枝が縦に延びて花を咲かすことがよくわかる。
梅園で撮った写真より雰囲気が明るいのがわかるかな。
この池のあたりまで来た時に、なぜか突然晴れてきた。
やっぱり花は青空がバックでないと!
もう少し早く晴れてくれたらと恨むか、もともと降り出しそうだったのだから雨にならずに梅や椿を眺められてラッキーと思うかは心の持ちよう次第。
今回はこんな経路。
午後4時半頃に公園を出発して自宅までは1時間ほどだった。走行65キロ。
今年も梅を見られたし久しぶりにバイクにも乗れて松竹梅=めでたい(^^ゞ
おしまい
2015年03月18日
神代植物公園で梅
谷保天満宮の梅園はなかなか良かったが量的に物足りなかったので、
梅の名所をもうひとつハシゴすることにした。
この近辺で思い浮かぶのは、
昭和記念公園
府中市郷土の森博物館
神代植物公園
府中市郷土の森博物館の梅は見たことがあるので今回はパス。
iPhoneを使ってネットで調べると
昭和記念公園:300本
神代植物公園:214本で、うち梅園内に180本
という情報。本数は昭和記念公園が多いが、神代植物公園のほうが一箇所にまとまって植えられているみたいだ。あの広大な昭和記念公園を歩き回るにはもう遅かったので、神代植物公園に行くことにした。こちらもかなり敷地は広いが。
谷保天満宮をでたのが午後2時頃。45分くらいで神代植物公園についた。
ところがバイクを駐めてヘルメットを脱いだまさにその時、パラパラと雨が降り出した。雨粒はとても小さくごくごく弱い雨。iPhoneで雨雲レーダーを確認すると神代植物公園上空には雨雲の表示なし。でも西の方は雨が降っている模様。まだ少し離れていたから梅を見ている間は降ったとしても弱い雨だろう。バイクのジャケットは防水だし帽子も持ってきているので傘はなくても大丈夫。でも帰りに本降りになったらイヤだ。
少し考えたが、もし本降りになりそうなら、梅園に着く途中でも(入場口は梅園からいちばん離れた場所にある)引き返すことにして公園に入る。途中で引き返せば入場料500円が無駄になるが、谷保天満宮はもちろん無料だったので、2箇所で割ればたった250円だと訳のわからない理屈で自分を納得させる。
梅園に行く前にバラ園に寄り道する。
その中心にある噴水。
もちろん今頃にバラは咲いていないが、
この季節のバラがどんな状態になっているのかに興味があったから。
枝はかなり刈り込んである。
柵に這わされているツルバラにはほとんど枝なし。
バラを見に来る時は花にしか目がいかないけれど、
引っかけたら痛そうなトゲがしっかり。
噴水の向かいにある温室は来年の春まで大規模改装工事中。
バラ園でブラブラしているうちに雨はとりあえず上がった。
梅園へ向かう途中の風景。
まだまだ冬の景色である。
やがて冬景色の先に、そこだけが春のような梅園が見えてくる。
黄色い花の木が1本あって、いい色のバランス。
サンシュユと発音しにくい木だった。
階段を降りて梅園の中に入る。谷保天満宮は落ち着いた感じの梅園。こちらはワーッと元気よく咲いている感じ。どちらがいい悪いということはないにしても、神代植物公園の方がテンションは上がる。
谷保天満宮と較べると花数が多いのが、元気よく感じる理由かも知れない。
特に構図などは考えず目に写るものを撮っているだけだが、谷保天満宮との雰囲気の違いは意外と写真にあらわれるものだと感心する。やっぱりビジュアルの情報量は大きい。文章だけで両者の梅の違いを説明するなんて無理。
梅園の奥にも別の黄色の花が咲いていた。
梅の木とは少し離れていて一緒に眺められないのが残念。
マンサクの仲間でアーノルド・プロミスという名前がついている。
でも錦糸卵にしか見えない(^^ゞ
道を挟んで右側が梅園で、左側がツバキ・サザンカ園。
境目に植えられている白い木はサルスベリ。
本当に猿も滑るくらいツルツルだった。
ツバキというとこういう赤い花しか思い浮かばないが、
黙って見せられたらバラと思ってしまうような花もあった。
まだら模様のツバキ。
こちらは葉っぱが斑入り(ふいり)=まだら模様。
もっといろいろな種類のツバキがあったが、
きれいな状態で咲いているものが少なく写真に撮ったのも少なめ。
上に貼った花は葉っぱのギザギザが小さいからツバキのはず。サザンカはもうシーズンオフかな。でも両者はとても似ているからネームプレートには名前だけでなく、ツバキかサザンカのどちらなのかの区別も書いておいて欲しいな。
ーーー続く。
梅の名所をもうひとつハシゴすることにした。
この近辺で思い浮かぶのは、
昭和記念公園
府中市郷土の森博物館
神代植物公園
府中市郷土の森博物館の梅は見たことがあるので今回はパス。
iPhoneを使ってネットで調べると
昭和記念公園:300本
神代植物公園:214本で、うち梅園内に180本
という情報。本数は昭和記念公園が多いが、神代植物公園のほうが一箇所にまとまって植えられているみたいだ。あの広大な昭和記念公園を歩き回るにはもう遅かったので、神代植物公園に行くことにした。こちらもかなり敷地は広いが。
谷保天満宮をでたのが午後2時頃。45分くらいで神代植物公園についた。
ところがバイクを駐めてヘルメットを脱いだまさにその時、パラパラと雨が降り出した。雨粒はとても小さくごくごく弱い雨。iPhoneで雨雲レーダーを確認すると神代植物公園上空には雨雲の表示なし。でも西の方は雨が降っている模様。まだ少し離れていたから梅を見ている間は降ったとしても弱い雨だろう。バイクのジャケットは防水だし帽子も持ってきているので傘はなくても大丈夫。でも帰りに本降りになったらイヤだ。
少し考えたが、もし本降りになりそうなら、梅園に着く途中でも(入場口は梅園からいちばん離れた場所にある)引き返すことにして公園に入る。途中で引き返せば入場料500円が無駄になるが、谷保天満宮はもちろん無料だったので、2箇所で割ればたった250円だと訳のわからない理屈で自分を納得させる。
梅園に行く前にバラ園に寄り道する。
その中心にある噴水。
もちろん今頃にバラは咲いていないが、
この季節のバラがどんな状態になっているのかに興味があったから。
枝はかなり刈り込んである。
柵に這わされているツルバラにはほとんど枝なし。
バラを見に来る時は花にしか目がいかないけれど、
引っかけたら痛そうなトゲがしっかり。
噴水の向かいにある温室は来年の春まで大規模改装工事中。
バラ園でブラブラしているうちに雨はとりあえず上がった。
梅園へ向かう途中の風景。
まだまだ冬の景色である。
やがて冬景色の先に、そこだけが春のような梅園が見えてくる。
黄色い花の木が1本あって、いい色のバランス。
サンシュユと発音しにくい木だった。
階段を降りて梅園の中に入る。谷保天満宮は落ち着いた感じの梅園。こちらはワーッと元気よく咲いている感じ。どちらがいい悪いということはないにしても、神代植物公園の方がテンションは上がる。
谷保天満宮と較べると花数が多いのが、元気よく感じる理由かも知れない。
特に構図などは考えず目に写るものを撮っているだけだが、谷保天満宮との雰囲気の違いは意外と写真にあらわれるものだと感心する。やっぱりビジュアルの情報量は大きい。文章だけで両者の梅の違いを説明するなんて無理。
梅園の奥にも別の黄色の花が咲いていた。
梅の木とは少し離れていて一緒に眺められないのが残念。
マンサクの仲間でアーノルド・プロミスという名前がついている。
でも錦糸卵にしか見えない(^^ゞ
道を挟んで右側が梅園で、左側がツバキ・サザンカ園。
境目に植えられている白い木はサルスベリ。
本当に猿も滑るくらいツルツルだった。
ツバキというとこういう赤い花しか思い浮かばないが、
黙って見せられたらバラと思ってしまうような花もあった。
まだら模様のツバキ。
こちらは葉っぱが斑入り(ふいり)=まだら模様。
もっといろいろな種類のツバキがあったが、
きれいな状態で咲いているものが少なく写真に撮ったのも少なめ。
上に貼った花は葉っぱのギザギザが小さいからツバキのはず。サザンカはもうシーズンオフかな。でも両者はとても似ているからネームプレートには名前だけでなく、ツバキかサザンカのどちらなのかの区別も書いておいて欲しいな。
ーーー続く。
2015年03月16日
谷保天満宮で梅 その2
観梅を終えて境内に向かう。
昨日の写真ではわかりにくかったが、境内は参道入り口よりかなり低い位置。
階段を降りる手前にある手水舎(ちょうずや)。
水道なら蛇口だが手水舎では竜の口がお約束。
水が溜められているところは水盤という名前がついている。
谷保天満宮にはニワトリが放し飼いされていた。チャボという品種。卵でも白より薄茶色の方がおいしそうだったり栄養のあるイメージがあるが、ニワトリもこういう色が地鶏っぽくておいしそう(^^ゞ もっともチャボは観賞用に品種改良されたニワトリで食用ではないらしい。
上の写真のとは首の長さが違う。
単に姿勢が違うだけかな?
アッ!水飲んだ。
がっしりした脚が印象的。
これはまだ子供だから色が薄いのかも知れない。ちなみにチャボにはたくさんの内種(バリエーション)に分かれており、画像検索すると白いチャボのほうが多くヒットする。
この日は7〜8羽のチャボを見かけた。2年ほど前にはこの近辺でキツネが出てずいぶんと襲われたらしい。キツネがいるような自然豊かなところではないのに不思議。
拝殿。
狛犬の手前に牛が鎮座。
梅と同じように牛も菅原道真と関係の深い動物とされている。「丑年生まれだった」「道真は牛が好きで飼っていた」というものから、さらにエスカレートして「太宰府に左遷される時、牛が泣いて見送った」とか「太宰府に向かう道中で暗殺されそうになったが、道真の後を追っていた京都の屋敷で飼っていた牛が、その場に飛び出してきて角で暗殺者を突き刺した」という伝説まで。まあ梅や松が空を飛ぶよりは現実味があるかも。そして亡くなったのも丑の日。ということで天満宮には牛がいることになっている。
たくさんくくりつけられた絵馬。
こういう絵馬掛所が4〜5箇所あった。
昨日も書いたように、怨霊だった菅原道真も江戸時代以降は学問の神様なので受験関連の絵馬が多い。ところで合格しましたという絵馬が多いので、この神社にお参りする受験生は律儀にお礼に来るのかと思っていたら、こういう仕組みらしい。
いろんな願い事を書く一般的な絵馬がある。
それとは別に合格御礼絵馬というのがあって、それはめでたく合格したら、
その絵馬に書かれている牛の絵に目を入れて再度納めるもの。ダルマかっ!
どちらも絵馬は500円。合格した時はうれしいから、お礼に行こうと気持ちにもなりやすい。つまり受験生からは2倍の売り上げを期待できる。これはなかなか巧妙なマーケティング戦略。私は絵馬を書いたことがないから知らないけれど、どこの神社でもやっていることなのだろうか。もしそうじゃなければ菅原道真をマーケティングの神様として敬うことにしようかな。
道真とは無関係だが、これは梅園にあったもの。
明治41年(1908年)に有栖川宮 威仁親王(ありすがわのみや たけひとしんのう)が自ら運転し車列を率いて谷保天満宮までやってきたことの記念碑。それが日本で最初のドライブツアーとされていて、先ほどの梅園でランチをしたらしい。有栖川宮というのは戦前まであった特別な宮家の1つで、江戸時代でいえば尾張・紀州・三戸の徳川御三家みたいな存在。写真の1番右で肘をついているのが威仁親王だと思う。
有栖川宮一行が拝殿に参拝したから無事に東京まで戻れたということで、それにあやかり谷保天満宮は日本に最初に交通安全祈願を始めた神社とされている。やっぱり菅原道真はマーケティングのセンスがある?
ところで先ほどの絵馬のアップ写真にあるクラシックカーは、1907年に製造された初の国産ガソリン車とされる「タクリー号」。交通安全用の絵馬に描かれている。初の国産ガソリン車とややこしいな表現をするのは、日本で最初に作られた自動車は1904年製造の「山羽式蒸気自動車」だから。ところで有栖川宮威仁親王が谷保天満宮に運転してきたのは英国製のダラック号。やはり神社だから国産優先なのかな。
ちなみに明治41年(1908年)当時、日本国内にあった自動車は全部で30台ほど。有栖川宮一行のドライブツアーには11台が参加したそうだから相当インパクトのあるイベントだったに違いない。
ちょうどお祓いしてもらっているクルマがあった。すべてのドアとトランクを開けて神主が運転席側、トランク、助手席側と廻ってお祓いをしていく。エンジンルームはお祓いしないみたい。少し離れた場所から見ていたから、祝詞を上げているかどうかはわからない。でも1つのドアに付き5秒くらいだから何も喋っていないと思う。神主が振っているものは御幣(ごへい)と呼ぶが、あれがあるから格好がついているような気もする。
事故が起きる起きないにお祓いが作用するわけがないが、お祓いが安全運転の心構えにつながるなら、それはそれで意義はあるかも知れない。間近で見ているとお祓いをしてもらっている夫婦の後ろ姿がとても善良そうに見えてくるから不思議。
ーーー続く
昨日の写真ではわかりにくかったが、境内は参道入り口よりかなり低い位置。
階段を降りる手前にある手水舎(ちょうずや)。
水道なら蛇口だが手水舎では竜の口がお約束。
水が溜められているところは水盤という名前がついている。
谷保天満宮にはニワトリが放し飼いされていた。チャボという品種。卵でも白より薄茶色の方がおいしそうだったり栄養のあるイメージがあるが、ニワトリもこういう色が地鶏っぽくておいしそう(^^ゞ もっともチャボは観賞用に品種改良されたニワトリで食用ではないらしい。
上の写真のとは首の長さが違う。
単に姿勢が違うだけかな?
アッ!水飲んだ。
がっしりした脚が印象的。
これはまだ子供だから色が薄いのかも知れない。ちなみにチャボにはたくさんの内種(バリエーション)に分かれており、画像検索すると白いチャボのほうが多くヒットする。
この日は7〜8羽のチャボを見かけた。2年ほど前にはこの近辺でキツネが出てずいぶんと襲われたらしい。キツネがいるような自然豊かなところではないのに不思議。
拝殿。
狛犬の手前に牛が鎮座。
梅と同じように牛も菅原道真と関係の深い動物とされている。「丑年生まれだった」「道真は牛が好きで飼っていた」というものから、さらにエスカレートして「太宰府に左遷される時、牛が泣いて見送った」とか「太宰府に向かう道中で暗殺されそうになったが、道真の後を追っていた京都の屋敷で飼っていた牛が、その場に飛び出してきて角で暗殺者を突き刺した」という伝説まで。まあ梅や松が空を飛ぶよりは現実味があるかも。そして亡くなったのも丑の日。ということで天満宮には牛がいることになっている。
たくさんくくりつけられた絵馬。
こういう絵馬掛所が4〜5箇所あった。
昨日も書いたように、怨霊だった菅原道真も江戸時代以降は学問の神様なので受験関連の絵馬が多い。ところで合格しましたという絵馬が多いので、この神社にお参りする受験生は律儀にお礼に来るのかと思っていたら、こういう仕組みらしい。
いろんな願い事を書く一般的な絵馬がある。
それとは別に合格御礼絵馬というのがあって、それはめでたく合格したら、
その絵馬に書かれている牛の絵に目を入れて再度納めるもの。ダルマかっ!
どちらも絵馬は500円。合格した時はうれしいから、お礼に行こうと気持ちにもなりやすい。つまり受験生からは2倍の売り上げを期待できる。これはなかなか巧妙なマーケティング戦略。私は絵馬を書いたことがないから知らないけれど、どこの神社でもやっていることなのだろうか。もしそうじゃなければ菅原道真をマーケティングの神様として敬うことにしようかな。
道真とは無関係だが、これは梅園にあったもの。
明治41年(1908年)に有栖川宮 威仁親王(ありすがわのみや たけひとしんのう)が自ら運転し車列を率いて谷保天満宮までやってきたことの記念碑。それが日本で最初のドライブツアーとされていて、先ほどの梅園でランチをしたらしい。有栖川宮というのは戦前まであった特別な宮家の1つで、江戸時代でいえば尾張・紀州・三戸の徳川御三家みたいな存在。写真の1番右で肘をついているのが威仁親王だと思う。
有栖川宮一行が拝殿に参拝したから無事に東京まで戻れたということで、それにあやかり谷保天満宮は日本に最初に交通安全祈願を始めた神社とされている。やっぱり菅原道真はマーケティングのセンスがある?
ところで先ほどの絵馬のアップ写真にあるクラシックカーは、1907年に製造された初の国産ガソリン車とされる「タクリー号」。交通安全用の絵馬に描かれている。初の国産ガソリン車とややこしいな表現をするのは、日本で最初に作られた自動車は1904年製造の「山羽式蒸気自動車」だから。ところで有栖川宮威仁親王が谷保天満宮に運転してきたのは英国製のダラック号。やはり神社だから国産優先なのかな。
ちなみに明治41年(1908年)当時、日本国内にあった自動車は全部で30台ほど。有栖川宮一行のドライブツアーには11台が参加したそうだから相当インパクトのあるイベントだったに違いない。
ちょうどお祓いしてもらっているクルマがあった。すべてのドアとトランクを開けて神主が運転席側、トランク、助手席側と廻ってお祓いをしていく。エンジンルームはお祓いしないみたい。少し離れた場所から見ていたから、祝詞を上げているかどうかはわからない。でも1つのドアに付き5秒くらいだから何も喋っていないと思う。神主が振っているものは御幣(ごへい)と呼ぶが、あれがあるから格好がついているような気もする。
事故が起きる起きないにお祓いが作用するわけがないが、お祓いが安全運転の心構えにつながるなら、それはそれで意義はあるかも知れない。間近で見ているとお祓いをしてもらっている夫婦の後ろ姿がとても善良そうに見えてくるから不思議。
ーーー続く
2015年03月14日
谷保天満宮で梅
忙しかったり寒かったり週末に雨が続いたりと、2月1日以来久しぶりの、そして今年に入ってまだ2回目のバイクツーリング。
この季節には毎年出かけているのが観梅ツーリング。どうせ行くなら梅がたくさんあるところがいいと、今年は小田原の曽我梅林に行きたかったのだが、梅まつりは2週間ほど前の3月4日で終了。小田原ほどではないが湯河原にも大きな梅林があって、こちらは3月15日までが梅まつり開催期間。しかし久しぶりのバイクで行くにはチョット遠くて、高速道路を長く走るにはまだ寒いと尻込み。
ちなみに梅林・梅園の規模としては
2012年に行った府中市郷土の森博物館:1100本
2013年に行った水戸の偕楽園:3000本
2014年に行った高尾梅郷(八王子)の木下沢梅林:1400本
小田原の曽我梅林:3万5000本
湯河原の幕山公園:4000本
この週末の天候もパッとしないし、とりあえず今年は規模を追わず、できるだけ近くの場所にしようと決める。東京で有名なのは湯島天神とか亀戸天神。でも何となく都心部にバイクで向かう気がせずパス。650本とそこそこの規模の羽根木公園はバイクというより自転車で行ける距離なのでこれもパス。それでいろいろ調べて出かけたのが東京都国立市にある谷保天満宮。
朝起きたら厚い雲に覆われていたし、降水確率も40%と高かったので出かけるのを躊躇する。お昼頃になって薄日が射してきてようやく出発。気温12度。セーターの上に冬用のバイクジャケットを着てガレージまで歩いて行くとちょっと暑い。しかし走り出して特に高速道路に入ると、タイツをはかずに革パンだけの脚は寒かった。タイツをはくと梅園を歩き回る時に暑い。バイクの場合、季節の変わり目の服装選びがなかなかやっかいなのである。
1時間ほどで到着。
谷保天満宮は「やぼてんまんぐう」と読むが、このあたりの地名の谷保は「やほ」である。
どうやら標識を付ける時に最初はローマ字を間違った形跡が。
参道。
写真じゃわかりづらいが、この神社は道路から下っていく珍しい造り。
参道の脇にある無料の駐車場にBMW F800Rを駐める。
参道の途中を脇にそれたところに梅園があった。梅の木は約350本とされ、今まで訪れてきたところと較べれば小規模。でも天満宮の梅園という意識のせいか、なかなか風情のある趣に感じる。割と小振りの梅が多かった。
特にいい感じを醸し出しているのは、この瓦付きの土塀(どべい)。
天満宮とは菅原道真(すがわらのみちざね 845年〜903年)を祀った神社である。天神ともいわれる。太宰府に飛ばされて不遇の死を遂げ、その後に怨霊となり朝廷に祟った菅原道真を鎮めるために建てられたのがそのルーツ。だから本来は恐ろしい場所なのだが、それも平安時代までの話。江戸時代から生前は学者でもあった道真は学問の神様としての信仰を集めるようになる。そういえば彼をネタにこんなエントリーを以前に書いた。
そして道真は梅が好きだったことから、どこの天満宮にも梅が多く植えられている。道真は平安時代初期の人物。梅が中国から伝来したのは遣隋使が持ち帰った奈良時代で、当時は憧れの中国文化や教養を象徴する花だったようである。ついでにいうと道真の頃を境に和歌などで花という場合、それ以前は梅でそれ以降は桜をさすらしい。894年に遣唐使が廃止されて、中国の影響から抜け出すいわゆる国風文化の始まりと関連があるのかも知れない。
道真と梅で有名なのは飛梅伝説(とびうめ)。彼の自宅には梅がたくさんあったが、太宰府(現在の福岡県)に左遷される時に、
東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな)
主なしとて 春な忘るな
(春風が吹いたら、僕がいなくても忘れずにいい匂いで咲いてね)
と詠んだ。
そしたら後日、道真を慕って梅が京都から太宰府まで飛んできたというもの(^^ゞ
飛んできたとされる梅は今でも太宰府天満宮(道真の墓の上に建設された)にある。
また伝説によると彼の自宅には桜と松もあって、歌こそ詠まなかったがどちらも道真のお気に入りで別れを惜しんだ。その桜は道真がいなくなったことを嘆き悲しんでいるうちに枯れてしまった。しかし松は梅と一緒に太宰府を目指して飛んだ! しかしなぜか途中で力尽きて墜落(/o\)
何となく梅より松の方がパワーありそうなんだけどね。松が落ちたのは神戸市須磨区板宿という所。板宿の地名の由来が、道真が左遷されて太宰府に行く途中にこの地に宿泊する時、板で囲った急ごしらえの宿を提供したからとされているので、いかにもとってつけたような墜落地点。落ちた場所には板宿八幡神社が造られ、その松も根付いたが大正時代に落雷で枯れたということ。あまり締まらないオチのエピソードのせいか、この飛松伝説は飛梅伝説と較べるとずいぶんマイナーである。
何はともあれ菅原道真も愛した梅。
この神社にあったのは紅梅そして白梅と、わずかにピンクが混ざった白い梅。その淡いピンクを見てサクラ色というのは、少しおかしいかな。
青空じゃないので写真的には華やかさに欠ける。
それでも紅白に咲き乱れる姿はやはり美しい。
ーーー続く
この季節には毎年出かけているのが観梅ツーリング。どうせ行くなら梅がたくさんあるところがいいと、今年は小田原の曽我梅林に行きたかったのだが、梅まつりは2週間ほど前の3月4日で終了。小田原ほどではないが湯河原にも大きな梅林があって、こちらは3月15日までが梅まつり開催期間。しかし久しぶりのバイクで行くにはチョット遠くて、高速道路を長く走るにはまだ寒いと尻込み。
ちなみに梅林・梅園の規模としては
2012年に行った府中市郷土の森博物館:1100本
2013年に行った水戸の偕楽園:3000本
2014年に行った高尾梅郷(八王子)の木下沢梅林:1400本
小田原の曽我梅林:3万5000本
湯河原の幕山公園:4000本
この週末の天候もパッとしないし、とりあえず今年は規模を追わず、できるだけ近くの場所にしようと決める。東京で有名なのは湯島天神とか亀戸天神。でも何となく都心部にバイクで向かう気がせずパス。650本とそこそこの規模の羽根木公園はバイクというより自転車で行ける距離なのでこれもパス。それでいろいろ調べて出かけたのが東京都国立市にある谷保天満宮。
朝起きたら厚い雲に覆われていたし、降水確率も40%と高かったので出かけるのを躊躇する。お昼頃になって薄日が射してきてようやく出発。気温12度。セーターの上に冬用のバイクジャケットを着てガレージまで歩いて行くとちょっと暑い。しかし走り出して特に高速道路に入ると、タイツをはかずに革パンだけの脚は寒かった。タイツをはくと梅園を歩き回る時に暑い。バイクの場合、季節の変わり目の服装選びがなかなかやっかいなのである。
1時間ほどで到着。
谷保天満宮は「やぼてんまんぐう」と読むが、このあたりの地名の谷保は「やほ」である。
どうやら標識を付ける時に最初はローマ字を間違った形跡が。
参道。
写真じゃわかりづらいが、この神社は道路から下っていく珍しい造り。
参道の脇にある無料の駐車場にBMW F800Rを駐める。
参道の途中を脇にそれたところに梅園があった。梅の木は約350本とされ、今まで訪れてきたところと較べれば小規模。でも天満宮の梅園という意識のせいか、なかなか風情のある趣に感じる。割と小振りの梅が多かった。
特にいい感じを醸し出しているのは、この瓦付きの土塀(どべい)。
天満宮とは菅原道真(すがわらのみちざね 845年〜903年)を祀った神社である。天神ともいわれる。太宰府に飛ばされて不遇の死を遂げ、その後に怨霊となり朝廷に祟った菅原道真を鎮めるために建てられたのがそのルーツ。だから本来は恐ろしい場所なのだが、それも平安時代までの話。江戸時代から生前は学者でもあった道真は学問の神様としての信仰を集めるようになる。そういえば彼をネタにこんなエントリーを以前に書いた。
そして道真は梅が好きだったことから、どこの天満宮にも梅が多く植えられている。道真は平安時代初期の人物。梅が中国から伝来したのは遣隋使が持ち帰った奈良時代で、当時は憧れの中国文化や教養を象徴する花だったようである。ついでにいうと道真の頃を境に和歌などで花という場合、それ以前は梅でそれ以降は桜をさすらしい。894年に遣唐使が廃止されて、中国の影響から抜け出すいわゆる国風文化の始まりと関連があるのかも知れない。
道真と梅で有名なのは飛梅伝説(とびうめ)。彼の自宅には梅がたくさんあったが、太宰府(現在の福岡県)に左遷される時に、
東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな)
主なしとて 春な忘るな
(春風が吹いたら、僕がいなくても忘れずにいい匂いで咲いてね)
と詠んだ。
そしたら後日、道真を慕って梅が京都から太宰府まで飛んできたというもの(^^ゞ
飛んできたとされる梅は今でも太宰府天満宮(道真の墓の上に建設された)にある。
また伝説によると彼の自宅には桜と松もあって、歌こそ詠まなかったがどちらも道真のお気に入りで別れを惜しんだ。その桜は道真がいなくなったことを嘆き悲しんでいるうちに枯れてしまった。しかし松は梅と一緒に太宰府を目指して飛んだ! しかしなぜか途中で力尽きて墜落(/o\)
何となく梅より松の方がパワーありそうなんだけどね。松が落ちたのは神戸市須磨区板宿という所。板宿の地名の由来が、道真が左遷されて太宰府に行く途中にこの地に宿泊する時、板で囲った急ごしらえの宿を提供したからとされているので、いかにもとってつけたような墜落地点。落ちた場所には板宿八幡神社が造られ、その松も根付いたが大正時代に落雷で枯れたということ。あまり締まらないオチのエピソードのせいか、この飛松伝説は飛梅伝説と較べるとずいぶんマイナーである。
何はともあれ菅原道真も愛した梅。
この神社にあったのは紅梅そして白梅と、わずかにピンクが混ざった白い梅。その淡いピンクを見てサクラ色というのは、少しおかしいかな。
青空じゃないので写真的には華やかさに欠ける。
それでも紅白に咲き乱れる姿はやはり美しい。
ーーー続く
2015年03月12日
お風呂のイスの話 続き
左の青いのが製造不良でリコールとなったコメリが売っていたお風呂イス。右にある赤いのが自宅で使っているものでアマゾンで買った。アマゾンのはリコールになっていないから関係ないと思いかけたが、両者がとても似ているので気になったというのが今回のいきさつ。
まず座面の水抜き用穴の配列が同じである。また写真では背景が白なのでわかりにくいが、座面の両サイドにはイスを持ち上げる時に握りやすいように波形の加工がしてある。その形状もまったく同じ。脚のパイプが青いイスは下に広がっていて赤いイスはほぼ垂直のように見えるが、これは写真を撮った角度によるもので(上の写真は別々に撮られた2枚の写真を並べて貼り付けたもの)、自宅の赤いイスも青いイスと同じような角度で脚が伸びている。異なるのは脚についている滑り止めのゴムの色くらい。
コメリのリコールに関するニュースの中で「そのイスはコメリが中国で製造して販売した商品」と書いてあるものがあった。しかし、それはコメリがオリジナルで設計して中国で製造したというより、中国のメーカーのラインナップにある商品を発注したということだろう。アマゾンで買ったものも、そのメーカーに同じように発注されたものと思われる。(あくまで推察だし、デザインのパクリなんて当たり前の中国だから、まったく違うメーカーかも知れないが)
風呂場で転けて怪我をしたくないので、もう少し調べてみた。
まずはコメリのホームページ。
実は座面のところがまったく同じでも、ニュースで写真がでていたのは背もたれ付きのイスだったので、私のは大丈夫という期待をかすかに持っていた。でもリコールのページで背もたれなしのイスもリコール対象になっていたのを発見。もっとも壊れるのは脚の高さ調節部分だから、そんな期待を持っちゃいけなかったのだが。人間は現実を直視せず、どこかに救いを求め勝ちである。
コメリのホームページからの抜き出し。
型番の情報が書いてあるが、自宅のイスのどこにもそんな記号は書かれたり刻まれていなかった。JANコードというのはバーコードで読み取る数字のこと。イスにバーコードのシールはなかったし、風呂場で剥がれたシールを見た記憶もないから、私の買ったイスにはシールは貼っていなかったと思われる。
おそらくコメリの商品にもイス本体には型番の記載はないと思う。ひょっとしたら品名・型番を書いたシールを貼ってあるのかも知れないが、風呂場で使う商品だから、それが剥がれやすいのは常識的に考えればわかるはず。もちろん品名・型番が書かれていただろう箱は捨てられてしまっていると考えるべき。つまりリコール情報に品名・型番を記すのは当然として、それが商品のどこに書いてあるのか・書いていないかの情報も伝えるべきだろう。ちょっと不親切かな。
アマゾンで買って便利なのは過去の購入履歴を見られること。記録を見ると私が注文したのは2012年の1月8日で、この商品は現在も売られていた。残念ながら型番などの情報は載っていない(同じ商品でもコメリとは違う型番を使っている可能性も高いが)。わかったのは私の購入日がコメリが不良品を販売していた期間にしっかり含まれること(/o\)
アレコレ検索していると経産省のページがヒット。ここでもコメリのホームページとほぼ同じ内容で収穫なし。それよりも驚いたのは、この商品がリコールされるまでのプロセス。
経済産業省が消費生活用製品安全法第35条第1項の規定に基づく
「重大製品事故」として報告を受ける→時期の記載なし
製品起因が疑われる事故として公表→1月9日
リコールとして発表→3月9日
「製品起因が疑われる事故として公表」というのがどういう位置づけのものかは知らないが、1月9日にはニュースになっていない。ニュースになったのはリコールとして公表された3月9日であり、2ヶ月間の開きがある。また経産省のページには次のような記述もある。
(2)再発防止策について
株式会社コメリは、事故の再発防止を図るため、本日(3月9日)より、同社ホーム
ページで公表、店舗での店頭告知、特定できた消費者へはダイレクトメールを発送し、
当該製品含む対象製品の製品交換もしくは返金の受付を開始します。
これを読むとコメリの準備が整うまでに2ヶ月間の猶予を与えていたようにも思える。何の準備なしにリコールしても対応できないから、ある程度の期間は必要だとしても2ヶ月間は長いと感じる。私の感覚では2週間以内にリコール発表すべき。それだと、ずいぶん慌ただしいように聞こえるかも知れないが、事故を把握してから報告するまでにも相当の期間があったはずで、その間に原因究明と平行してリコール準備も可能という発想。ちなみにイスの脚が破損して重傷を負う事故が起きたのは昨年の8月である。
ところで1月9日におこなったという「製品起因が疑われる事故として公表」。これがどうもクセモノ。なぜなら経産省のホームページを探しても「製品起因が疑われる事故」の情報にはなかなかたどり着けないからである。トップページにリンクはないし、サイトマップを見ても載っていない。またニュースリリースのページを見てもリコール情報は載っているが、同じく公表しているはずの「製品起因が疑われる事故」の情報はない。サイト内検索で「製品起因が疑われる事故」を検索しても、個別の報告書がヒットするだけで、その情報がホームページのどこにあるのかがわからない。
結論を言うと「製品起因が疑われる事故」の情報はこのページにある。アレコレ検索してやっとたどり着いた。見ればわかるようにかなり金のかかったホームページであり、消費者を対象にしたページでもある。これをなぜ見つけにくくしているのかが不思議。もっとも行政というのは「世界ふしぎ発見」以上に不思議に満ちあふれているのだけれど。
うがった見方をすれば、リコール発表まではあまり騒いで欲しくないのだが、リコールまでに別の事故が起きれば、事故を知っていたのに公表しなかったと批判されるから、できるだけ目立たなく公表しているような意図も感じる。もっとも消費者安全行政の専門家でもないので、これ以上の深入りはやめておく。ただ疑問なのは次の点。コメリが自社の商品で事故が起きて、それを法律に基づいて監督官庁に報告しリコールの措置がとられた。それはいいとして、(私の判断が正しければ)コメリが売っていたのと同じ商品・同じ製造元が作った製品は他の会社も売っている。他の会社が売った商品はまだ事故を起こしていないのかも知れないが、そっちを放っておいていいのかということ。
それはさておき私の対応。
コメリの事故はイスの脚の高さを調節するところの留め具が、さびて折れたことでおこったらしい。自宅のイスを見たところ、さびは見あたらなかった。時々は点検することにしよう。それと経産省の公表では詳しい状況が書いていないが、事故はイスの脚を高めに調節→脚の一本の留め具がさびて折れる→それでイスがカックンとなって→座っていた人が転んでしまったと思われる。私はイスの脚をまったく伸ばしていないので、留め具が折れたとしてもカックンとはならない。
行政の対応としてはいろいろ腑に落ちないこともあるが、
とりあえずお風呂タイムとしてはひと安心。
おしまい
まず座面の水抜き用穴の配列が同じである。また写真では背景が白なのでわかりにくいが、座面の両サイドにはイスを持ち上げる時に握りやすいように波形の加工がしてある。その形状もまったく同じ。脚のパイプが青いイスは下に広がっていて赤いイスはほぼ垂直のように見えるが、これは写真を撮った角度によるもので(上の写真は別々に撮られた2枚の写真を並べて貼り付けたもの)、自宅の赤いイスも青いイスと同じような角度で脚が伸びている。異なるのは脚についている滑り止めのゴムの色くらい。
コメリのリコールに関するニュースの中で「そのイスはコメリが中国で製造して販売した商品」と書いてあるものがあった。しかし、それはコメリがオリジナルで設計して中国で製造したというより、中国のメーカーのラインナップにある商品を発注したということだろう。アマゾンで買ったものも、そのメーカーに同じように発注されたものと思われる。(あくまで推察だし、デザインのパクリなんて当たり前の中国だから、まったく違うメーカーかも知れないが)
風呂場で転けて怪我をしたくないので、もう少し調べてみた。
まずはコメリのホームページ。
実は座面のところがまったく同じでも、ニュースで写真がでていたのは背もたれ付きのイスだったので、私のは大丈夫という期待をかすかに持っていた。でもリコールのページで背もたれなしのイスもリコール対象になっていたのを発見。もっとも壊れるのは脚の高さ調節部分だから、そんな期待を持っちゃいけなかったのだが。人間は現実を直視せず、どこかに救いを求め勝ちである。
コメリのホームページからの抜き出し。
型番の情報が書いてあるが、自宅のイスのどこにもそんな記号は書かれたり刻まれていなかった。JANコードというのはバーコードで読み取る数字のこと。イスにバーコードのシールはなかったし、風呂場で剥がれたシールを見た記憶もないから、私の買ったイスにはシールは貼っていなかったと思われる。
おそらくコメリの商品にもイス本体には型番の記載はないと思う。ひょっとしたら品名・型番を書いたシールを貼ってあるのかも知れないが、風呂場で使う商品だから、それが剥がれやすいのは常識的に考えればわかるはず。もちろん品名・型番が書かれていただろう箱は捨てられてしまっていると考えるべき。つまりリコール情報に品名・型番を記すのは当然として、それが商品のどこに書いてあるのか・書いていないかの情報も伝えるべきだろう。ちょっと不親切かな。
アマゾンで買って便利なのは過去の購入履歴を見られること。記録を見ると私が注文したのは2012年の1月8日で、この商品は現在も売られていた。残念ながら型番などの情報は載っていない(同じ商品でもコメリとは違う型番を使っている可能性も高いが)。わかったのは私の購入日がコメリが不良品を販売していた期間にしっかり含まれること(/o\)
アレコレ検索していると経産省のページがヒット。ここでもコメリのホームページとほぼ同じ内容で収穫なし。それよりも驚いたのは、この商品がリコールされるまでのプロセス。
経済産業省が消費生活用製品安全法第35条第1項の規定に基づく
「重大製品事故」として報告を受ける→時期の記載なし
製品起因が疑われる事故として公表→1月9日
リコールとして発表→3月9日
「製品起因が疑われる事故として公表」というのがどういう位置づけのものかは知らないが、1月9日にはニュースになっていない。ニュースになったのはリコールとして公表された3月9日であり、2ヶ月間の開きがある。また経産省のページには次のような記述もある。
(2)再発防止策について
株式会社コメリは、事故の再発防止を図るため、本日(3月9日)より、同社ホーム
ページで公表、店舗での店頭告知、特定できた消費者へはダイレクトメールを発送し、
当該製品含む対象製品の製品交換もしくは返金の受付を開始します。
これを読むとコメリの準備が整うまでに2ヶ月間の猶予を与えていたようにも思える。何の準備なしにリコールしても対応できないから、ある程度の期間は必要だとしても2ヶ月間は長いと感じる。私の感覚では2週間以内にリコール発表すべき。それだと、ずいぶん慌ただしいように聞こえるかも知れないが、事故を把握してから報告するまでにも相当の期間があったはずで、その間に原因究明と平行してリコール準備も可能という発想。ちなみにイスの脚が破損して重傷を負う事故が起きたのは昨年の8月である。
ところで1月9日におこなったという「製品起因が疑われる事故として公表」。これがどうもクセモノ。なぜなら経産省のホームページを探しても「製品起因が疑われる事故」の情報にはなかなかたどり着けないからである。トップページにリンクはないし、サイトマップを見ても載っていない。またニュースリリースのページを見てもリコール情報は載っているが、同じく公表しているはずの「製品起因が疑われる事故」の情報はない。サイト内検索で「製品起因が疑われる事故」を検索しても、個別の報告書がヒットするだけで、その情報がホームページのどこにあるのかがわからない。
結論を言うと「製品起因が疑われる事故」の情報はこのページにある。アレコレ検索してやっとたどり着いた。見ればわかるようにかなり金のかかったホームページであり、消費者を対象にしたページでもある。これをなぜ見つけにくくしているのかが不思議。もっとも行政というのは「世界ふしぎ発見」以上に不思議に満ちあふれているのだけれど。
うがった見方をすれば、リコール発表まではあまり騒いで欲しくないのだが、リコールまでに別の事故が起きれば、事故を知っていたのに公表しなかったと批判されるから、できるだけ目立たなく公表しているような意図も感じる。もっとも消費者安全行政の専門家でもないので、これ以上の深入りはやめておく。ただ疑問なのは次の点。コメリが自社の商品で事故が起きて、それを法律に基づいて監督官庁に報告しリコールの措置がとられた。それはいいとして、(私の判断が正しければ)コメリが売っていたのと同じ商品・同じ製造元が作った製品は他の会社も売っている。他の会社が売った商品はまだ事故を起こしていないのかも知れないが、そっちを放っておいていいのかということ。
それはさておき私の対応。
コメリの事故はイスの脚の高さを調節するところの留め具が、さびて折れたことでおこったらしい。自宅のイスを見たところ、さびは見あたらなかった。時々は点検することにしよう。それと経産省の公表では詳しい状況が書いていないが、事故はイスの脚を高めに調節→脚の一本の留め具がさびて折れる→それでイスがカックンとなって→座っていた人が転んでしまったと思われる。私はイスの脚をまったく伸ばしていないので、留め具が折れたとしてもカックンとはならない。
行政の対応としてはいろいろ腑に落ちないこともあるが、
とりあえずお風呂タイムとしてはひと安心。
おしまい
2015年03月10日
お風呂のイスの話
こんなニュースがあった。
◇◇◇◇◇以下、引用◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
コメリ、浴室用イスを自主回収 高さ調節部分壊れる恐れ
朝日新聞デジタル 3月9日(月)13時6分配信
ホームセンター大手のコメリ(新潟市)は9日、自社で製造・販売した浴室用イスの3商品について、脚の高さを調節する部分が壊れる恐れがあるとして、合計で約1万1千点の自主回収を始めたと発表した。
イスを買った男性が昨年末に自宅で入浴中、イスの脚の高さを調節する部分が壊れて倒れ、頭に重傷を負った。男性から連絡を受けたコメリが調べていた。
◇◇◇◇◇引用終わり◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ニュースに添えられていたのが、この商品写真。見出しの「浴室用イス」という単語ではピンとこないから、写真がなければ、このニュースは読み飛ばしていたかも知れない。
こういう「浴室用イス」があることは知っていたものの、病院とか老人ホームのような施設で使うものだと思っていた。ところが5年ほど前に帰省した時、実家の風呂場に置かれていた。少し身体が不自由になってきた母親のために買ったらしい。座ってみると高さがあるのでとても楽。自宅に戻った頃にはすっかり忘れていたが、翌年の帰省で改めて快適さを確認。その後に自宅でも購入。
背もたれは特に必要でもなかったので、自宅用はこんなタイプ。
座面のサイズは幅42センチ、奥行き30センチ(赤いクッションのあるところだけでなく全体の大きさ)。高さは5段階の調節ができて36.5センチから46.5センチまで。
それまで使っていたのはごく普通の「お風呂イス」。無印良品で買ったもので幅30.5センチ、奥行き22.5センチ、高さ23センチ。
大きなサイズのイスを足腰が悪い人や老人用と思っていたとは先に書いた。しかし今は声を大にして言いたい。老若男女を問わず、もし普通のお風呂イスを使っているなら大きなサイズのイスに買い換えるべきである。
大きなイスに座れば、あの小さなお風呂イスに座って身体を洗ったりシャンプーすることが、いかに窮屈な姿勢を強いられていたかがわかる。私はイスの高さを一番低い36.5センチで使っているが、普通のお風呂イスの高さ23センチとの13.5センチの差はとてつもなく大きい。
それと座面の広さによる座り心地の違いもかなりある。考えてみれば風呂場以外なら、普通のお風呂イスの面積のものに座ろうとは思わないでしょ。
価格は背もたれなしで3000円くらい、背もたれ付きでも4000〜5000円とそれほど高いものじゃない。一度あのラクチンさを味わえば、たとえ3万円でも惜しいと思わなくなる。
アバウトだけれど、サイズの比較はこんな感じ。
と、たいへん気に入っている大きなイスだが、ニュースに出ていたものと似ていたので調べてみたところーーー。
ーーー続く
◇◇◇◇◇以下、引用◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
コメリ、浴室用イスを自主回収 高さ調節部分壊れる恐れ
朝日新聞デジタル 3月9日(月)13時6分配信
ホームセンター大手のコメリ(新潟市)は9日、自社で製造・販売した浴室用イスの3商品について、脚の高さを調節する部分が壊れる恐れがあるとして、合計で約1万1千点の自主回収を始めたと発表した。
イスを買った男性が昨年末に自宅で入浴中、イスの脚の高さを調節する部分が壊れて倒れ、頭に重傷を負った。男性から連絡を受けたコメリが調べていた。
◇◇◇◇◇引用終わり◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ニュースに添えられていたのが、この商品写真。見出しの「浴室用イス」という単語ではピンとこないから、写真がなければ、このニュースは読み飛ばしていたかも知れない。
こういう「浴室用イス」があることは知っていたものの、病院とか老人ホームのような施設で使うものだと思っていた。ところが5年ほど前に帰省した時、実家の風呂場に置かれていた。少し身体が不自由になってきた母親のために買ったらしい。座ってみると高さがあるのでとても楽。自宅に戻った頃にはすっかり忘れていたが、翌年の帰省で改めて快適さを確認。その後に自宅でも購入。
背もたれは特に必要でもなかったので、自宅用はこんなタイプ。
座面のサイズは幅42センチ、奥行き30センチ(赤いクッションのあるところだけでなく全体の大きさ)。高さは5段階の調節ができて36.5センチから46.5センチまで。
それまで使っていたのはごく普通の「お風呂イス」。無印良品で買ったもので幅30.5センチ、奥行き22.5センチ、高さ23センチ。
大きなサイズのイスを足腰が悪い人や老人用と思っていたとは先に書いた。しかし今は声を大にして言いたい。老若男女を問わず、もし普通のお風呂イスを使っているなら大きなサイズのイスに買い換えるべきである。
大きなイスに座れば、あの小さなお風呂イスに座って身体を洗ったりシャンプーすることが、いかに窮屈な姿勢を強いられていたかがわかる。私はイスの高さを一番低い36.5センチで使っているが、普通のお風呂イスの高さ23センチとの13.5センチの差はとてつもなく大きい。
それと座面の広さによる座り心地の違いもかなりある。考えてみれば風呂場以外なら、普通のお風呂イスの面積のものに座ろうとは思わないでしょ。
価格は背もたれなしで3000円くらい、背もたれ付きでも4000〜5000円とそれほど高いものじゃない。一度あのラクチンさを味わえば、たとえ3万円でも惜しいと思わなくなる。
アバウトだけれど、サイズの比較はこんな感じ。
と、たいへん気に入っている大きなイスだが、ニュースに出ていたものと似ていたので調べてみたところーーー。
ーーー続く
2015年03月01日
チューリップはまずまず順調に発芽中
今年は新球根と旧球根で発芽日が大きく違うので観察日記がややこしい。
旧球根の認定発芽日が12月25日、新球根が1月20日。
新球根は最初の発芽後は変化が少なかったが、先週前半が暖かかったせいか急に発芽のピッチが早くなった。全体を俯瞰した写真でも2月28日ならパッと見てわかる程度にまで発芽が増えている。
2月11日
2月21日
2月28日
2月11日は一番発芽しているプランターでこの程度。
これが最初に発芽して一番大きく育っているもの。
一番小さいのだとこんな感じ。
2月21日の一番大きいチューリップ。
この大きさだともう芽とは言わないし、なんと呼べばいいんだろう。
株? 茎?
プランターによっては両サイドで発芽している。
ところどころで、こんな土の膨らみ。
今まではこんなことはなかった。今シーズンは表面を新しく買ってきた土を被せたから、いつもより柔らかいのかも知れない。
ほじくってみると。
土の中にある芽は、緑ではなく黄色に近いことを発見。
2月28日のローアングル写真。
かなり発芽が増えてきたことがわかる。
小さいながらもチューリップらしい形になってきたものも。
気になるのは3列に球根を植えているのに、どのプランターも真ん中の列の発芽が遅いこと。品種によって発芽時期の違いはある。しかし、どの新種をどの列に植えるかは適当に分けたので、すべてのプランターの真ん中の列に発芽の遅い品種が入ったとは考えにくい。
もう1つ気になるのはプランターによって土の乾燥の早さが違うこと。すべて同じように混ぜた土を入れているし、この現象も昨シーズンまではなかった。写真は水やり後1週間での比較。
でも、それによって発芽の違いはなさそうなのでよしとしている。ちなみに20センチくらいになるまでは2週間に1回、その後は1週間に1回の水やりペース。どこかにそんな方法が書いてあったわけではなく、何となく自己流でそうしている。
旧球根も順調に育っているが何となく細い。
茎と葉っぱだけで花は咲かせないような気もする。
先週で一気に成長した様子。
2月21日
2月28日
今シーズンは昨シーズンの記録と較べると2週間ほど遅めのペース。もっとも植えたのも初発芽も2週間遅れだから、こんなものかと思う。
話は変わるが2月は5日のエントリーの後、昨日2月28日のエントリーまで3週間ほどブランクがあった。別に何か病気やトラブルに見舞われていたわけではなく
ちょっと忙しくなる→ブログを書けなくなる
忙しさが終わる→ブログを書く習慣がなくなっている
という時々あるパターン。
もしポックリいったらなかなか発見されない可能性はあるけれど、私をご存じの皆様の元へは化けてでてお知らせしますのでご安心を(^^ゞ
旧球根の認定発芽日が12月25日、新球根が1月20日。
新球根は最初の発芽後は変化が少なかったが、先週前半が暖かかったせいか急に発芽のピッチが早くなった。全体を俯瞰した写真でも2月28日ならパッと見てわかる程度にまで発芽が増えている。
2月11日
2月21日
2月28日
2月11日は一番発芽しているプランターでこの程度。
これが最初に発芽して一番大きく育っているもの。
一番小さいのだとこんな感じ。
2月21日の一番大きいチューリップ。
この大きさだともう芽とは言わないし、なんと呼べばいいんだろう。
株? 茎?
プランターによっては両サイドで発芽している。
ところどころで、こんな土の膨らみ。
今まではこんなことはなかった。今シーズンは表面を新しく買ってきた土を被せたから、いつもより柔らかいのかも知れない。
ほじくってみると。
土の中にある芽は、緑ではなく黄色に近いことを発見。
2月28日のローアングル写真。
かなり発芽が増えてきたことがわかる。
小さいながらもチューリップらしい形になってきたものも。
気になるのは3列に球根を植えているのに、どのプランターも真ん中の列の発芽が遅いこと。品種によって発芽時期の違いはある。しかし、どの新種をどの列に植えるかは適当に分けたので、すべてのプランターの真ん中の列に発芽の遅い品種が入ったとは考えにくい。
もう1つ気になるのはプランターによって土の乾燥の早さが違うこと。すべて同じように混ぜた土を入れているし、この現象も昨シーズンまではなかった。写真は水やり後1週間での比較。
でも、それによって発芽の違いはなさそうなのでよしとしている。ちなみに20センチくらいになるまでは2週間に1回、その後は1週間に1回の水やりペース。どこかにそんな方法が書いてあったわけではなく、何となく自己流でそうしている。
旧球根も順調に育っているが何となく細い。
茎と葉っぱだけで花は咲かせないような気もする。
先週で一気に成長した様子。
2月21日
2月28日
今シーズンは昨シーズンの記録と較べると2週間ほど遅めのペース。もっとも植えたのも初発芽も2週間遅れだから、こんなものかと思う。
話は変わるが2月は5日のエントリーの後、昨日2月28日のエントリーまで3週間ほどブランクがあった。別に何か病気やトラブルに見舞われていたわけではなく
ちょっと忙しくなる→ブログを書けなくなる
忙しさが終わる→ブログを書く習慣がなくなっている
という時々あるパターン。
もしポックリいったらなかなか発見されない可能性はあるけれど、私をご存じの皆様の元へは化けてでてお知らせしますのでご安心を(^^ゞ