2015年04月
2015年04月30日
テレビ購入後10分で故障(/o\) 修理編
約束の火曜日、午前9時に電話がかかってきた。
9時半から10時半の間に来るとのこと。
やって来たのは30歳代中頃の修理マン氏。10時過ぎ頃だったかな。薄い段ボール箱2つが入ったトートバックを下げてきた。交換用の基盤だろうから、持ち帰り修理=テレビなし生活に逆戻りはなさそうだ。
一通り症状を説明する。相談センターとはコミュニケーションが取れているみたいで、内容を充分理解していた。
修理マン氏がリモコンを操作していろいろ設定をいじり出す。そうしたら何と3分もしないうちに音が出た。私が電話で相談センターの説明を受けながらやった操作とは違うものだが、他にもやり方があるなら教えてくれればよかったのに。
ーーーと思いつつも疑問が浮かぶ。
テレビの音が出なくなった時、相談センターが私にやらせたのはテレビを工場出荷時の初期設定に戻すことである。それ以来、何も触っていない。一方で彼はメニューの深い階層をいじっていたから、そんなところの設定が不適切になっているのはおかしい。
修理マン氏も「そうですよねえ」と言ってくれたが、でもまあ音が出たのだからいいかとも思う。どこの設定を変更したのか説明してくれたが内容はもう忘れた。
念のため、いろいろテストする。
電源をオンオフしても、きちんと音が出る。
DVDプレーヤーからもOK。
外部スピーカーで鳴らして、その後テレビのスピーカーに戻しても大丈夫。
異常はないみたい。
※この時点での外部スピーカーとの接続は、
ヘッドフォン端子ではなく別の経路。
テレビのスピーカーから音が出なくなった時、音声回路がおかしいのかスピーカー回りがおかしいのか調べるために、ヘッドフォンをつないだら音が出た。その話をすると「そうでしたね、最後にヘッドフォンも試してみましょう」ということになり、ヘッドフォンを差し込む。
テレビの音が消えて、ヘッドフォンから音が聞こえた。
ヘッドフォンを抜く。
テレビから音が出てこない(/o\)
修理マン氏もナンジャコレ?みたいな顔をして、またリモコンでアレコレ設定をいじり出す。でもテレビのスピーカーが沈黙したままの症状は変わらず。
ということで基盤交換となる。
テレビを床に降ろし、後ろ側のパネルを外す。
テレビの中には左右に大きな基盤があった。後ろ側から見て右側の基盤を交換するみたいだ。パネルの含めてたくさんのネジで留められているが電動ドライバーだから作業は早い。
後ろ側のパネルを仮止めして、電源を入れて初期設定開始。今のテレビはパソコンみたいなものだから、スイッチオンですぐ使い出すことはできない。途中で郵便番号を聞かれる。そういえば相談センターに教えてもらいながら、私が初期設定をした時にも郵便番号を入力した。でもテレビを運んできたヤマト運輸(ヤマトホームコンビニエンス)の人は郵便番号を尋ねなかった。配達の伝票に郵便番号は書いてあるから、それを控えていたんだろう。そういう些細なところに企業活動の優劣が伺えるかも知れない。
基盤を交換した後のテストはすべてOK。ヘッドフォンを差し込んでから抜いてもテレビのスピーカからきちんと音が出る。修理マン氏の説明によるとヘッドフォンを挿すとスピーカーの音を止める、抜くとスピーカーから音を出す仕組みになっているが、その回路が上手く機能していないみたいだとのこと。しかしヘッドフォンの抜き差しでスピーカーを鳴らす鳴らさないなんてのは、テレビやラジオが誕生した頃からある基本的な機能。そんなに複雑な仕組みのはずがない。たった1つの事例で日本の物作りレベルが落ちているというつもりはないが、何となく気掛かり。それに当日はテレビから音が出なくなってからヘッドフォンを差し込んでいる。
雑談で修理マン氏に先日交換したCDプレーヤーの輪ゴムベルトの話をする。彼によるとDVDやブルーレイのプレーヤーも同じような仕組みで、ゴムの劣化による故障はあるとのこと。さらに最近の機器は分解して交換できず、読み取り装置全体の交換をしなければいけないもののほうが多いらしい。私のCDプレーヤーが10年前の製品でよかった(^^ゞ
でも200円の、原価なら数円の輪ゴムベルトのために装置全体を交換するのもナンダカナ〜である。電気製品もクルマやバイクもほとんどそういう修理ではなく総取り替えの設計になっている。それによって技術力の底辺がどんどん抜け落ちてしまっている気がする。今回にしても修理とはいえ、やったことはネジを回しただけ。テスター(電気がどう流れているかを測定する装置)で基盤のどの辺に問題があるのかを調べることすらしない。いっちゃ悪いが私にもできるし輪ゴムベルト交換より簡単な作業。
なんやかんやで作業は1時間ちょっとかかった。こんな故障は多いのかと修理マン氏に尋ねると聞いたことがないとの返事。やっぱり日頃の行いが悪いのか、それとも先日のガネーシュは、神の怒りに触れていたのか(^^ゞ
改めて聞くテレビのスピーカーの音は思っていたより悪くなかった。店頭ではうるさいから、そのせいで音がよくないと感じていたみたい。このレベルなら映画を見る時以外はオーディオセットにつながなくてもよさそうだ。
とりあえず無事テレビが元通りになりメデタシ。
まっ、購入後10分で故障するのも貴重な経験かと。
9時半から10時半の間に来るとのこと。
やって来たのは30歳代中頃の修理マン氏。10時過ぎ頃だったかな。薄い段ボール箱2つが入ったトートバックを下げてきた。交換用の基盤だろうから、持ち帰り修理=テレビなし生活に逆戻りはなさそうだ。
一通り症状を説明する。相談センターとはコミュニケーションが取れているみたいで、内容を充分理解していた。
修理マン氏がリモコンを操作していろいろ設定をいじり出す。そうしたら何と3分もしないうちに音が出た。私が電話で相談センターの説明を受けながらやった操作とは違うものだが、他にもやり方があるなら教えてくれればよかったのに。
ーーーと思いつつも疑問が浮かぶ。
テレビの音が出なくなった時、相談センターが私にやらせたのはテレビを工場出荷時の初期設定に戻すことである。それ以来、何も触っていない。一方で彼はメニューの深い階層をいじっていたから、そんなところの設定が不適切になっているのはおかしい。
修理マン氏も「そうですよねえ」と言ってくれたが、でもまあ音が出たのだからいいかとも思う。どこの設定を変更したのか説明してくれたが内容はもう忘れた。
念のため、いろいろテストする。
電源をオンオフしても、きちんと音が出る。
DVDプレーヤーからもOK。
外部スピーカーで鳴らして、その後テレビのスピーカーに戻しても大丈夫。
異常はないみたい。
※この時点での外部スピーカーとの接続は、
ヘッドフォン端子ではなく別の経路。
テレビのスピーカーから音が出なくなった時、音声回路がおかしいのかスピーカー回りがおかしいのか調べるために、ヘッドフォンをつないだら音が出た。その話をすると「そうでしたね、最後にヘッドフォンも試してみましょう」ということになり、ヘッドフォンを差し込む。
テレビの音が消えて、ヘッドフォンから音が聞こえた。
ヘッドフォンを抜く。
テレビから音が出てこない(/o\)
修理マン氏もナンジャコレ?みたいな顔をして、またリモコンでアレコレ設定をいじり出す。でもテレビのスピーカーが沈黙したままの症状は変わらず。
ということで基盤交換となる。
テレビを床に降ろし、後ろ側のパネルを外す。
テレビの中には左右に大きな基盤があった。後ろ側から見て右側の基盤を交換するみたいだ。パネルの含めてたくさんのネジで留められているが電動ドライバーだから作業は早い。
後ろ側のパネルを仮止めして、電源を入れて初期設定開始。今のテレビはパソコンみたいなものだから、スイッチオンですぐ使い出すことはできない。途中で郵便番号を聞かれる。そういえば相談センターに教えてもらいながら、私が初期設定をした時にも郵便番号を入力した。でもテレビを運んできたヤマト運輸(ヤマトホームコンビニエンス)の人は郵便番号を尋ねなかった。配達の伝票に郵便番号は書いてあるから、それを控えていたんだろう。そういう些細なところに企業活動の優劣が伺えるかも知れない。
基盤を交換した後のテストはすべてOK。ヘッドフォンを差し込んでから抜いてもテレビのスピーカからきちんと音が出る。修理マン氏の説明によるとヘッドフォンを挿すとスピーカーの音を止める、抜くとスピーカーから音を出す仕組みになっているが、その回路が上手く機能していないみたいだとのこと。しかしヘッドフォンの抜き差しでスピーカーを鳴らす鳴らさないなんてのは、テレビやラジオが誕生した頃からある基本的な機能。そんなに複雑な仕組みのはずがない。たった1つの事例で日本の物作りレベルが落ちているというつもりはないが、何となく気掛かり。それに当日はテレビから音が出なくなってからヘッドフォンを差し込んでいる。
雑談で修理マン氏に先日交換したCDプレーヤーの輪ゴムベルトの話をする。彼によるとDVDやブルーレイのプレーヤーも同じような仕組みで、ゴムの劣化による故障はあるとのこと。さらに最近の機器は分解して交換できず、読み取り装置全体の交換をしなければいけないもののほうが多いらしい。私のCDプレーヤーが10年前の製品でよかった(^^ゞ
でも200円の、原価なら数円の輪ゴムベルトのために装置全体を交換するのもナンダカナ〜である。電気製品もクルマやバイクもほとんどそういう修理ではなく総取り替えの設計になっている。それによって技術力の底辺がどんどん抜け落ちてしまっている気がする。今回にしても修理とはいえ、やったことはネジを回しただけ。テスター(電気がどう流れているかを測定する装置)で基盤のどの辺に問題があるのかを調べることすらしない。いっちゃ悪いが私にもできるし輪ゴムベルト交換より簡単な作業。
なんやかんやで作業は1時間ちょっとかかった。こんな故障は多いのかと修理マン氏に尋ねると聞いたことがないとの返事。やっぱり日頃の行いが悪いのか、それとも先日のガネーシュは、神の怒りに触れていたのか(^^ゞ
改めて聞くテレビのスピーカーの音は思っていたより悪くなかった。店頭ではうるさいから、そのせいで音がよくないと感じていたみたい。このレベルなら映画を見る時以外はオーディオセットにつながなくてもよさそうだ。
とりあえず無事テレビが元通りになりメデタシ。
まっ、購入後10分で故障するのも貴重な経験かと。
2015年04月27日
ガネーシュ
今日は奇妙な体験をした。
めでたいことなのか、あるいは不吉な前兆なのかよくわからない。
とにかく不思議、キツネにつままれた感じ。
とりあえずブログに書き残しておく。
ランチを食べるためにオフィスから出た。
大通りの交差点で信号待ちになった。
信号機の脇に二人のインド人がいて話をしていた。
一人は交差点を渡った先にあるインド料理店の店員だったかも知れない。ここしばらくそのレストランに行っていないので、何となくそんな気がしただけ。外国人の顔は似たように見えるもの。店員かもしれない男は30歳代で、話をしていた相手の男は50歳代だったように思う。別に観察していたわけではないので、もっと年上だったかも知れない。でもその中年のインド人は目と目の間に赤い点を描いていた。後で調べたらビンディーとかティラカと呼ぶものらしい。インド人がそういうことをすることは知っていた。見た目でインド人とパキスタン人の区別はつかないが、赤い点があったからインド人と思ったしだい。でも赤い点を描くのは女性だと思っていたので、男性でもするんだと興味を持った。
信号が青になった。
交差点を1/3ほど渡ったところで、突然、頭にガネーシュという言葉が浮かんだ。その単語が強く閃いたというより「えっと、ガネーシュって何だっけ」と、唐突ではあるけれど何気なく思いついたといった感じ。その時は何となく映画にでてきた単語のような気がした。私が見るのはほとんど痛快アクションものだから、秘密兵器の名前だったけ〜テロリストの名前だったけ〜作戦の暗号名だったかな〜などと考えた。まあ後で調べるかと思いつつ交差点を渡り終えた。だからガネーシュのことを考えていたのは3秒か5秒くらい。
インド料理店の前を通り過ぎ、もう少し先の中華料理店に入った。もうガネーシュという単語に興味もなくなっていたが、とりあえずiPhoneで検索してみた。
こんなことがあるのかと息を呑んだ。
ひょっとしたら顔が引きつっていたかも知れない。
ガネーシュはヒンズー教の神様の名前だった。※ガネーシャともいう
実は交差点を渡り始めた時には、信号の脇で話をしていたインド人のことはもう関心の外になっていた。インド人はよく見かけるし、男性の額にあった赤い点が珍しかった程度の存在でしかなかったから。でもインド人=ヒンズー教である。彼らの姿が脳裏に鮮やかに蘇った。そういえば年配のインド人は髪がボサボサで少し仙人ぽい雰囲気だった。
ガネーシュのことを以前から知っていたかどうかは自分でもよくわからない。なんとなく見たことがあるような気もするが、ヒンズー教の神様ってこんな姿のものが多いし。ビジュアルでその程度だからガネーシュという名前についてはなおさら。いずれにせよ記憶したレベルでないことは確か。
なぜガネーシュという言葉が突然浮かんだのだろうか?
1)
インド人を見かけたことは単なる偶然で関係ない。
ガネーシュが私に降臨した。
今や余はガネーシュの化身である、パォーッ(^^ゞ
※ガネーシュは象の頭を持っている
2)
ときどき、何でそんなに昔の、しかもまったく気にしていなかったことを思い出すのか不思議になることがある。だから私は次の仮説を持っている。
脳はあらゆることを記録していて、それが消えることはない。
でも記憶領域の容量には限度があるので、不必要なものは記憶とはならない。
だから記録されているほとんどのことを普段は忘れているし、思い出すことも不可能。
しかし何らかの刺激によって、その記録が意識下に呼び戻される。
この仮説に従えば、何かでガネーシュのことを知ったが記憶領域には入らなかった。しかし信号の脇で目と目の間に赤い点を書いたインド人を見たことで、赤い点はヒンズー教と関係ある風習と思っていたので、それが刺激になりガネーシュのことを思い出したとも考えられる。
3)
ガネーシュがお迎えにきた(>_<)
ガネーシュ様、私はヒンズー教徒ではないので人違いですよ!
最初にも書いたけれど、とにかく不思議。
吉兆でありますように。
とりあえず明日のランチはインド料理店に行ってみよう。
めでたいことなのか、あるいは不吉な前兆なのかよくわからない。
とにかく不思議、キツネにつままれた感じ。
とりあえずブログに書き残しておく。
ランチを食べるためにオフィスから出た。
大通りの交差点で信号待ちになった。
信号機の脇に二人のインド人がいて話をしていた。
一人は交差点を渡った先にあるインド料理店の店員だったかも知れない。ここしばらくそのレストランに行っていないので、何となくそんな気がしただけ。外国人の顔は似たように見えるもの。店員かもしれない男は30歳代で、話をしていた相手の男は50歳代だったように思う。別に観察していたわけではないので、もっと年上だったかも知れない。でもその中年のインド人は目と目の間に赤い点を描いていた。後で調べたらビンディーとかティラカと呼ぶものらしい。インド人がそういうことをすることは知っていた。見た目でインド人とパキスタン人の区別はつかないが、赤い点があったからインド人と思ったしだい。でも赤い点を描くのは女性だと思っていたので、男性でもするんだと興味を持った。
信号が青になった。
交差点を1/3ほど渡ったところで、突然、頭にガネーシュという言葉が浮かんだ。その単語が強く閃いたというより「えっと、ガネーシュって何だっけ」と、唐突ではあるけれど何気なく思いついたといった感じ。その時は何となく映画にでてきた単語のような気がした。私が見るのはほとんど痛快アクションものだから、秘密兵器の名前だったけ〜テロリストの名前だったけ〜作戦の暗号名だったかな〜などと考えた。まあ後で調べるかと思いつつ交差点を渡り終えた。だからガネーシュのことを考えていたのは3秒か5秒くらい。
インド料理店の前を通り過ぎ、もう少し先の中華料理店に入った。もうガネーシュという単語に興味もなくなっていたが、とりあえずiPhoneで検索してみた。
こんなことがあるのかと息を呑んだ。
ひょっとしたら顔が引きつっていたかも知れない。
ガネーシュはヒンズー教の神様の名前だった。※ガネーシャともいう
実は交差点を渡り始めた時には、信号の脇で話をしていたインド人のことはもう関心の外になっていた。インド人はよく見かけるし、男性の額にあった赤い点が珍しかった程度の存在でしかなかったから。でもインド人=ヒンズー教である。彼らの姿が脳裏に鮮やかに蘇った。そういえば年配のインド人は髪がボサボサで少し仙人ぽい雰囲気だった。
ガネーシュのことを以前から知っていたかどうかは自分でもよくわからない。なんとなく見たことがあるような気もするが、ヒンズー教の神様ってこんな姿のものが多いし。ビジュアルでその程度だからガネーシュという名前についてはなおさら。いずれにせよ記憶したレベルでないことは確か。
なぜガネーシュという言葉が突然浮かんだのだろうか?
1)
インド人を見かけたことは単なる偶然で関係ない。
ガネーシュが私に降臨した。
今や余はガネーシュの化身である、パォーッ(^^ゞ
※ガネーシュは象の頭を持っている
2)
ときどき、何でそんなに昔の、しかもまったく気にしていなかったことを思い出すのか不思議になることがある。だから私は次の仮説を持っている。
脳はあらゆることを記録していて、それが消えることはない。
でも記憶領域の容量には限度があるので、不必要なものは記憶とはならない。
だから記録されているほとんどのことを普段は忘れているし、思い出すことも不可能。
しかし何らかの刺激によって、その記録が意識下に呼び戻される。
この仮説に従えば、何かでガネーシュのことを知ったが記憶領域には入らなかった。しかし信号の脇で目と目の間に赤い点を書いたインド人を見たことで、赤い点はヒンズー教と関係ある風習と思っていたので、それが刺激になりガネーシュのことを思い出したとも考えられる。
3)
ガネーシュがお迎えにきた(>_<)
ガネーシュ様、私はヒンズー教徒ではないので人違いですよ!
最初にも書いたけれど、とにかく不思議。
吉兆でありますように。
とりあえず明日のランチはインド料理店に行ってみよう。
2015年04月26日
CDプレーヤーを自分で修理してみた
2005年に購入したCDプレーヤー。SACDという上級バージョンCDがかかる少し高級なものを買ったのに、ずいぶん前からSACDは読み込まず、またCDを出し入れするトレイが開閉しない。オープンはツメを引っかけてかき出し、クローズでは手で押し込む状況になっていることは何度かブログでも書いた。
SACDはCDの円盤と見かけはまったく同じだが、SACD規格の音楽ファイルが入っている層とCD規格の二層構造。たいていはハイブリッド盤といってSACDプレーヤーを持っていなくても、普通のCDプレーヤーでCD層を聴けるようになっている。でも私のプレーヤーはSACDを入れるとSACD層もCD層も読み込まなくなって久しい。
ーーーだったのだけれど、パソコンとオーディオをつなぐ実験をした時に、場所を動かして振動を与えたのがよかったのか、何年かぶりにSACDのCD層を読み込むようになった。相変わらずトレイは自動で開閉しないものの、先日それはCDプレーヤーの中にある輪ゴムのようなベルトを交換すれば治ると知る。
その輪ゴムベルトはネットで売っていたのでさっそく購入。1つ200円。普通の郵便で送られてくるので送料も80円(消費税5%時代の郵便料金とのサービス設定だった)。
というわけでCDプレーヤーの修理に挑戦。目的は2つ。まずは輪ゴムベルトを交換してトレイが自動で開閉できるようにする。次にピックアップと呼ばれるレーザーを照射してCD円盤から情報を読み取る装置のクリーニング。10年も使っているからそれなりに汚れているに違いない。それをキレイにすればSACD層を読み取るようになるかも知れないとの期待から。
といっても家電製品を修理する技能もなければ経験もない。修理どころか壊してしまう可能性もある。でも毎回々爪を引っかけてトレイを空ける手間もいい加減イヤになってきたし(なかなか1回では開けられない)、壊してしまったら諦めて買い換えようとダメ元でのチャレンジ。
とりあえずボディーのカバーを外す。ある程度ネットで情報収集をしたとはいえ、それほど詳しいものはなかったので、ほとんど手探りでのチャレンジである。
左側の黒い箱にCDの読み取り装置が収まっている。ネットで見たものはこの箱のふたを開けたところから始まっていたので、さっそく「ゴムベルトどこ?」とつまずく。
読み取り装置のフタを外す。
トレイを引き出すといろいろメカニズムが見える。
赤く光っているのがピックアップ(レーザーを照射している状態)。
その手前の丸いのがCDを回すターンテーブル。
まずはピックアップを磨く。綿棒にカメラのレンズをクリーニングする液をつけてゴシゴシと。もっともピックアップはバネで浮いているような構造になっているから、あまり力は入らない。もちろん光学部品だから、それなりに慎重に作業した。
実はクリーニング前のピックアップを見ても汚れている印象は受けなかった。ネットでは虫眼鏡で汚れを確認しながら作業すべしと書いてあるものもあったが、残念ながら自宅に虫眼鏡はない。だからクリーニング後も、目視ではピックアップの状態は特に変化なし。
さて肝心のゴムベルト。読み取り装置を見渡してもなかなか見あたらない。意外にも読み取り装置前方、トレイの開閉方向と直交する向きで取り付けられていた。トレイの開閉に使う部品だからトレイと平行していると思っていたのに。それにしてもかなり奥まった位置である。
その位置ではCDプレーヤー前方のパネルが邪魔してゴムベルトのところにアクセスできないので、読み取り装置全体をボディーから外す必要がある。それはすぐ理解できたものの、トレイ前方の飾り蓋が広がった形をしておりトレイ出し入れ開口部の面積より大きい。そのままでは飾り蓋が開口部に引っかかって読み取り装置を動かせない。
ここでしばらく途方に暮れる。しかしトレイを少し引き出した状態にして、開口部に対して少し斜めにすることでなんとか筐体内側に抜き出せた。(斜めにとは左右に斜めの意味ね。この写真が上下の斜めになっているのは関係ない)
この後さらにもう1つ部品を外してゴムベルトの部分にたどり着く。でも上に被さっているギアを外さないとゴムベルトは交換できない。
ギアはそのままでは引き抜けなかった。頭にある極薄の金属シートで留められているみたい。これを針の先を突っ込んで持ち上げて剥がす。ほとんど重さがないようなシートなので、剥がした勢いで飛んでいってしまった。これを探すのに15分かかった。落下地点はなんと1メートル50センチほど先。2つめのギアでは飛んでいかないように手をかざしながら作業したものの、飛んだシートが手にあたり、それが分解中のCDプレーヤーのどこか奥の方に入ってしまい、やっぱりそれを探すのに15分かかった(^^ゞ
金属シートが外れた状態。
この後ギアを引っこ抜いてめでたくゴムベルトの交換終了。ちなみに交換前のゴムベルトは伸びた上に弾力もほとんどなくなっていた。
これが交換用のゴムベルト。2つ使っているとの情報もあったので予備も含めて3つ買ったのに、私のプレーヤーは1つしか使われていなかった。とりあえずもう2回修理できるゼ。
しかしなんでゴムベルトみたいな耐久性のないものを使うのだろう。
全部ギアで回せばいいのにと思うけど。
読み取り装置を元通り組み付けテストしてみる。
まずはトレイの開閉。
ヤッター\(^o^)/ 修理成功!
自動で開閉するトレイを見るのは何年ぶりだろう。
ピックアップをクリーニングして音質に効果はあったか?
残念ながら感知できず(/o\)
SACDを挿入してみる。
読み込まず(>_<) しかもCD層も読み込まない。
ピックアップのクリーニングが裏目に出たのかなあと落ち込む。
しかし2〜3度挿入・排出をを繰り返し、それでもダメだったので読み取り装置のあたりをコンコン叩いたらCD層は読み取るようになった。とりあえずはひと安心。読み取り装置の組み付け精度の問題も関係しているのか? 知識もなく原因がわからないから現状維持でよしとする。
CDプレーヤーのトレイが開閉しないトラブルは多いらしい。もしそれで困っている人がいるなら、案ずるより産むが易しで、あまり難しくないからゴムベルト交換にチャレンジしてみたら。ドライバーと針のようなものだけで特別な道具は入らない。工作気分で楽しいし、滑らかにトレイが動く様を見ると感激するよ。
SACDはCDの円盤と見かけはまったく同じだが、SACD規格の音楽ファイルが入っている層とCD規格の二層構造。たいていはハイブリッド盤といってSACDプレーヤーを持っていなくても、普通のCDプレーヤーでCD層を聴けるようになっている。でも私のプレーヤーはSACDを入れるとSACD層もCD層も読み込まなくなって久しい。
ーーーだったのだけれど、パソコンとオーディオをつなぐ実験をした時に、場所を動かして振動を与えたのがよかったのか、何年かぶりにSACDのCD層を読み込むようになった。相変わらずトレイは自動で開閉しないものの、先日それはCDプレーヤーの中にある輪ゴムのようなベルトを交換すれば治ると知る。
その輪ゴムベルトはネットで売っていたのでさっそく購入。1つ200円。普通の郵便で送られてくるので送料も80円(消費税5%時代の郵便料金とのサービス設定だった)。
というわけでCDプレーヤーの修理に挑戦。目的は2つ。まずは輪ゴムベルトを交換してトレイが自動で開閉できるようにする。次にピックアップと呼ばれるレーザーを照射してCD円盤から情報を読み取る装置のクリーニング。10年も使っているからそれなりに汚れているに違いない。それをキレイにすればSACD層を読み取るようになるかも知れないとの期待から。
といっても家電製品を修理する技能もなければ経験もない。修理どころか壊してしまう可能性もある。でも毎回々爪を引っかけてトレイを空ける手間もいい加減イヤになってきたし(なかなか1回では開けられない)、壊してしまったら諦めて買い換えようとダメ元でのチャレンジ。
とりあえずボディーのカバーを外す。ある程度ネットで情報収集をしたとはいえ、それほど詳しいものはなかったので、ほとんど手探りでのチャレンジである。
左側の黒い箱にCDの読み取り装置が収まっている。ネットで見たものはこの箱のふたを開けたところから始まっていたので、さっそく「ゴムベルトどこ?」とつまずく。
読み取り装置のフタを外す。
トレイを引き出すといろいろメカニズムが見える。
赤く光っているのがピックアップ(レーザーを照射している状態)。
その手前の丸いのがCDを回すターンテーブル。
まずはピックアップを磨く。綿棒にカメラのレンズをクリーニングする液をつけてゴシゴシと。もっともピックアップはバネで浮いているような構造になっているから、あまり力は入らない。もちろん光学部品だから、それなりに慎重に作業した。
実はクリーニング前のピックアップを見ても汚れている印象は受けなかった。ネットでは虫眼鏡で汚れを確認しながら作業すべしと書いてあるものもあったが、残念ながら自宅に虫眼鏡はない。だからクリーニング後も、目視ではピックアップの状態は特に変化なし。
さて肝心のゴムベルト。読み取り装置を見渡してもなかなか見あたらない。意外にも読み取り装置前方、トレイの開閉方向と直交する向きで取り付けられていた。トレイの開閉に使う部品だからトレイと平行していると思っていたのに。それにしてもかなり奥まった位置である。
その位置ではCDプレーヤー前方のパネルが邪魔してゴムベルトのところにアクセスできないので、読み取り装置全体をボディーから外す必要がある。それはすぐ理解できたものの、トレイ前方の飾り蓋が広がった形をしておりトレイ出し入れ開口部の面積より大きい。そのままでは飾り蓋が開口部に引っかかって読み取り装置を動かせない。
ここでしばらく途方に暮れる。しかしトレイを少し引き出した状態にして、開口部に対して少し斜めにすることでなんとか筐体内側に抜き出せた。(斜めにとは左右に斜めの意味ね。この写真が上下の斜めになっているのは関係ない)
この後さらにもう1つ部品を外してゴムベルトの部分にたどり着く。でも上に被さっているギアを外さないとゴムベルトは交換できない。
ギアはそのままでは引き抜けなかった。頭にある極薄の金属シートで留められているみたい。これを針の先を突っ込んで持ち上げて剥がす。ほとんど重さがないようなシートなので、剥がした勢いで飛んでいってしまった。これを探すのに15分かかった。落下地点はなんと1メートル50センチほど先。2つめのギアでは飛んでいかないように手をかざしながら作業したものの、飛んだシートが手にあたり、それが分解中のCDプレーヤーのどこか奥の方に入ってしまい、やっぱりそれを探すのに15分かかった(^^ゞ
金属シートが外れた状態。
この後ギアを引っこ抜いてめでたくゴムベルトの交換終了。ちなみに交換前のゴムベルトは伸びた上に弾力もほとんどなくなっていた。
これが交換用のゴムベルト。2つ使っているとの情報もあったので予備も含めて3つ買ったのに、私のプレーヤーは1つしか使われていなかった。とりあえずもう2回修理できるゼ。
しかしなんでゴムベルトみたいな耐久性のないものを使うのだろう。
全部ギアで回せばいいのにと思うけど。
読み取り装置を元通り組み付けテストしてみる。
まずはトレイの開閉。
ヤッター\(^o^)/ 修理成功!
自動で開閉するトレイを見るのは何年ぶりだろう。
ピックアップをクリーニングして音質に効果はあったか?
残念ながら感知できず(/o\)
SACDを挿入してみる。
読み込まず(>_<) しかもCD層も読み込まない。
ピックアップのクリーニングが裏目に出たのかなあと落ち込む。
しかし2〜3度挿入・排出をを繰り返し、それでもダメだったので読み取り装置のあたりをコンコン叩いたらCD層は読み取るようになった。とりあえずはひと安心。読み取り装置の組み付け精度の問題も関係しているのか? 知識もなく原因がわからないから現状維持でよしとする。
CDプレーヤーのトレイが開閉しないトラブルは多いらしい。もしそれで困っている人がいるなら、案ずるより産むが易しで、あまり難しくないからゴムベルト交換にチャレンジしてみたら。ドライバーと針のようなものだけで特別な道具は入らない。工作気分で楽しいし、滑らかにトレイが動く様を見ると感激するよ。
2015年04月25日
テレビ購入後10分で故障(/o\)
ケーブルテレビのアナログ放送が3月18日に終わって、せっかくの機会だからとテレビなし生活を1ヶ月ちょっと続けてきたが、水曜日にテレビを買って本日に配達となった。先のエントリーでテレビを買うのはゴールデンウイーク明けくらいかなと書き、実際に長い連休をテレビなしのスローライフ?で過ごすつもりだった。しかしオーディオ回りと接続するのに家具を動かしたりするし、細かな設定やその他いろいろトライ&エラーがあるだろうから、そういうのはゴールデンウイーク期間中に少しずつやるほうがいいかなと方針転換。
買ったのはビックカメラ。配達はもちろん無料だが、1000円を払うと組み立てと最小限の設定をして、段ボール箱などを持ち帰ってくれるサービスがあるのでそれを頼んだ。
「ピンポーン、ビックカメラで〜す」とやってきたのはヤマト運輸の人。配達をするドライバーと制服は同じだが、名刺にはヤマトホームコンビニエンス(株)と書かれている。ヤマト運輸の引っ越し部門でもあり、その他に細々としたサービスを提供しているみたいだ。
2名のペアで1名がセッティング担当、もう1名がお片付け係。セッティング担当が部屋の様子を確認している間に、もう1名がマンションの廊下で梱包を解いて部屋に運ばれてきたのはテレビ本体のみ。なるほど合理的。手慣れた様子で台座部分が組み立てられていき、アンテナやブルーレイとつないで設置完了。リモコンに電池を入れ、説明書を見ることなく初期設定が進められていく。所要時間15分くらいだったかな。自分でやったら1時間以上かかったような気がする。いや、途中で休憩するからもっとかな。
リモコンの基本的な説明を受けて全作業終了。買ったのは47インチ。大迫力を期待していたのだが、イメージしていたより小さかった。店頭では複数の機種の画質を見較べようと接近した位置で画面を見ていたからかもしれない。でも今までは21インチだったので充分満足。
ところでヤマト運輸が来る少し前に急用ができたので、彼らが帰った後すぐに出かけた。だからテレビがついていたのは10分ほど。
帰宅した。
テレビをつけた。
画面に映像は流れているのに音が鳴らない。
?????
リモコンで使ったのは電源のオンオフだけのつもりだったが、何か間違って触ってしまったのかもしれない。ちなみにイヤホンを差し込んでみるとイヤホンからは音が聞こえる。
説明書を引っ張り出す。音が鳴らない場合の3つの対処法が書いてあった。
1)音量が最小になっていませんか? →もちろんなっていない。
2)消音になっていませんか? →もちろんなっていない。
3)外部スピーカーで聴くになっていませんか? →外部スピーカーで鳴らす予定だがまだ接続はしていない。念のためリモコンを操作してそのメニューを確認したが「テレビのスピーカーで聴く」に設定されている。
電源をオンオフしてみる。変化なし。コンセントも抜いて完全に電源を落としてみる。今のテレビは中身がパソコンみたいなものだから再起動のつもり。しかし変化なし。
ナンデ〜、ナンデ〜
まだ買って10分しか使っていないのに(>_<)
この時はまだどこか設定ミスがあるのだと思っていた。先ほどの説明書を見ると裏表紙に相談センターの電話番号が載っていたので電話。土曜日なので大丈夫かなと思ったが年中無休と書いてあった。素晴らしい。
状況を説明する。
テレビ本体の電源ボタンを長押しするとリセットになるのでといわれる。なるほど、そうやって再起動するのかと思い、それを試してみますといって電話を切る。
リセットする。
変化なし(>_<)(>_<)
また相談センターに電話する。先ほどはリセットで治ると思い込んでいたので、相手の名前も聞かなかったし、こちらの名前も言わなかった。というわけで一から説明し直しリセットまでは試したことを伝える。すると初期設定をやり直してくれと言われる。電話で説明を受けながらリモコンを操作する。3〜4分かかる作業。
変化なし(>_<)(>_<)(>_<)
どうやらマジで故障らしい。本日に届いて10分しか使っていないことも伝えてあるから、たいへん恐縮はしてくれたけれど。結局、修理担当者が28日の火曜日に来ることになった。その日は休みじゃないが、必ず午前中に行かせると言ってくれたから、まあいいか。
その後は先ほどの「外部スピーカーで聴く」モードにしてオーディオにつないでいるから、実質的にはテレビは機能している。でも10分で故障するか?
やっぱり日頃の行いが災いしているのかも(^^ゞ
買ったのはビックカメラ。配達はもちろん無料だが、1000円を払うと組み立てと最小限の設定をして、段ボール箱などを持ち帰ってくれるサービスがあるのでそれを頼んだ。
「ピンポーン、ビックカメラで〜す」とやってきたのはヤマト運輸の人。配達をするドライバーと制服は同じだが、名刺にはヤマトホームコンビニエンス(株)と書かれている。ヤマト運輸の引っ越し部門でもあり、その他に細々としたサービスを提供しているみたいだ。
2名のペアで1名がセッティング担当、もう1名がお片付け係。セッティング担当が部屋の様子を確認している間に、もう1名がマンションの廊下で梱包を解いて部屋に運ばれてきたのはテレビ本体のみ。なるほど合理的。手慣れた様子で台座部分が組み立てられていき、アンテナやブルーレイとつないで設置完了。リモコンに電池を入れ、説明書を見ることなく初期設定が進められていく。所要時間15分くらいだったかな。自分でやったら1時間以上かかったような気がする。いや、途中で休憩するからもっとかな。
リモコンの基本的な説明を受けて全作業終了。買ったのは47インチ。大迫力を期待していたのだが、イメージしていたより小さかった。店頭では複数の機種の画質を見較べようと接近した位置で画面を見ていたからかもしれない。でも今までは21インチだったので充分満足。
ところでヤマト運輸が来る少し前に急用ができたので、彼らが帰った後すぐに出かけた。だからテレビがついていたのは10分ほど。
帰宅した。
テレビをつけた。
画面に映像は流れているのに音が鳴らない。
?????
リモコンで使ったのは電源のオンオフだけのつもりだったが、何か間違って触ってしまったのかもしれない。ちなみにイヤホンを差し込んでみるとイヤホンからは音が聞こえる。
説明書を引っ張り出す。音が鳴らない場合の3つの対処法が書いてあった。
1)音量が最小になっていませんか? →もちろんなっていない。
2)消音になっていませんか? →もちろんなっていない。
3)外部スピーカーで聴くになっていませんか? →外部スピーカーで鳴らす予定だがまだ接続はしていない。念のためリモコンを操作してそのメニューを確認したが「テレビのスピーカーで聴く」に設定されている。
電源をオンオフしてみる。変化なし。コンセントも抜いて完全に電源を落としてみる。今のテレビは中身がパソコンみたいなものだから再起動のつもり。しかし変化なし。
ナンデ〜、ナンデ〜
まだ買って10分しか使っていないのに(>_<)
この時はまだどこか設定ミスがあるのだと思っていた。先ほどの説明書を見ると裏表紙に相談センターの電話番号が載っていたので電話。土曜日なので大丈夫かなと思ったが年中無休と書いてあった。素晴らしい。
状況を説明する。
テレビ本体の電源ボタンを長押しするとリセットになるのでといわれる。なるほど、そうやって再起動するのかと思い、それを試してみますといって電話を切る。
リセットする。
変化なし(>_<)(>_<)
また相談センターに電話する。先ほどはリセットで治ると思い込んでいたので、相手の名前も聞かなかったし、こちらの名前も言わなかった。というわけで一から説明し直しリセットまでは試したことを伝える。すると初期設定をやり直してくれと言われる。電話で説明を受けながらリモコンを操作する。3〜4分かかる作業。
変化なし(>_<)(>_<)(>_<)
どうやらマジで故障らしい。本日に届いて10分しか使っていないことも伝えてあるから、たいへん恐縮はしてくれたけれど。結局、修理担当者が28日の火曜日に来ることになった。その日は休みじゃないが、必ず午前中に行かせると言ってくれたから、まあいいか。
その後は先ほどの「外部スピーカーで聴く」モードにしてオーディオにつないでいるから、実質的にはテレビは機能している。でも10分で故障するか?
やっぱり日頃の行いが災いしているのかも(^^ゞ
2015年04月23日
アマゾンの裏技?
ハードディスクが必要になってアマゾンに注文した。
ついでにコーヒーのフィルターと音楽CDを3枚ポチッと。
アマゾンでは注文する時に
できるだけまとめて発送
準備できたものから順に発送
のどちらかを選ぶ。前者を選べば最小限の送料で済み、後者では送料がその都度かかることになっているが、ほとんどの商品は送料無料なので実質的な費用に差はない。1つだけでも一刻も早く受け取りたいか、面倒なのでまとめて受け取りたいかで選ぶことになる。
ハードディスクの在庫は確認して商品を選んだ。CDのうち1つが在庫切れで入荷時期未定と表示されていた。「準備できたものから順に発送」を選べばそのCD以外の商品は2〜3日で届くと考えてクリック。注文したのは4月22日(水)の午前1時頃。
しばらくすると注文確認のメールが来る。やはり商品の発送は入荷時期未定のCD1枚とそれ以外の商品に分かれて処理されている。しかし入荷時期未定のCDじゃない方の商品お届け予定日が5月3日から5月5日になっている。
???ずいぶん先だ。
アマゾンのホームページで確認すると残り2枚のCDのうち1枚の入荷予定がそれくらいと表示されている。入荷時期未定のCDに気を取られて見落としていたらしい。ハードディスクはゴールデンウイーク前に必要なので5月3日から5月5日の配送では困る。
それでそのCDをキャンセルした。
でもそのCDも聴きたかったので、すぐまた発注した。別の注文になるからハードディスクなどとは切り離されて処理されるはず。
注文のキャンセルを受け付けたことを知らせるメールが来た。それ以外の商品の配送日がどうなったか書いていなかったのが不安だったので、アカウントページで確認すると4月23日(木)お届け予定と書かれていたのでひと安心。メールにも書いておいてくれればいいのに。
注文し直したCDの確認メールも来た。先ほどと同じく5月3日から5月5日の配送である。
注文した日と同じ4月22日(水)の昼前にアマゾンからメールが来た。それには5月3日から5月5日の予定だった(注文し直した)CDが「予定より早くお届けできることになりましたのでお知らせいたします」と書かれていた。そういうメールは今までにも受け取ったことがある。でも今回、その早まったお届け日が4月23日つまりハードディスクなどと同じ日になっていた。
考えられる可能性は3つ。
たまたま5月3日から5月5日配送予定のCDが入荷して、
すぐ送れるようになった。
また気が変わってキャンセルされたら困るから、一生懸命探した
あるいは他の人に発送するはずだったものを私に振り替えた。
2つに分けて送ると送料負担が増えて損するから、一生懸命探した
あるいは他の人に発送するはずだったものを私に振り替えた。
まあとにかく本日ハードディスクとコーヒーフィルターとCD2枚が無事届いた。
え〜今回は別にヒネリもオチもありません。
こんなことがあったという報告でした。
ついでにコーヒーのフィルターと音楽CDを3枚ポチッと。
アマゾンでは注文する時に
できるだけまとめて発送
準備できたものから順に発送
のどちらかを選ぶ。前者を選べば最小限の送料で済み、後者では送料がその都度かかることになっているが、ほとんどの商品は送料無料なので実質的な費用に差はない。1つだけでも一刻も早く受け取りたいか、面倒なのでまとめて受け取りたいかで選ぶことになる。
ハードディスクの在庫は確認して商品を選んだ。CDのうち1つが在庫切れで入荷時期未定と表示されていた。「準備できたものから順に発送」を選べばそのCD以外の商品は2〜3日で届くと考えてクリック。注文したのは4月22日(水)の午前1時頃。
しばらくすると注文確認のメールが来る。やはり商品の発送は入荷時期未定のCD1枚とそれ以外の商品に分かれて処理されている。しかし入荷時期未定のCDじゃない方の商品お届け予定日が5月3日から5月5日になっている。
???ずいぶん先だ。
アマゾンのホームページで確認すると残り2枚のCDのうち1枚の入荷予定がそれくらいと表示されている。入荷時期未定のCDに気を取られて見落としていたらしい。ハードディスクはゴールデンウイーク前に必要なので5月3日から5月5日の配送では困る。
それでそのCDをキャンセルした。
でもそのCDも聴きたかったので、すぐまた発注した。別の注文になるからハードディスクなどとは切り離されて処理されるはず。
注文のキャンセルを受け付けたことを知らせるメールが来た。それ以外の商品の配送日がどうなったか書いていなかったのが不安だったので、アカウントページで確認すると4月23日(木)お届け予定と書かれていたのでひと安心。メールにも書いておいてくれればいいのに。
注文し直したCDの確認メールも来た。先ほどと同じく5月3日から5月5日の配送である。
注文した日と同じ4月22日(水)の昼前にアマゾンからメールが来た。それには5月3日から5月5日の予定だった(注文し直した)CDが「予定より早くお届けできることになりましたのでお知らせいたします」と書かれていた。そういうメールは今までにも受け取ったことがある。でも今回、その早まったお届け日が4月23日つまりハードディスクなどと同じ日になっていた。
考えられる可能性は3つ。
たまたま5月3日から5月5日配送予定のCDが入荷して、
すぐ送れるようになった。
また気が変わってキャンセルされたら困るから、一生懸命探した
あるいは他の人に発送するはずだったものを私に振り替えた。
2つに分けて送ると送料負担が増えて損するから、一生懸命探した
あるいは他の人に発送するはずだったものを私に振り替えた。
まあとにかく本日ハードディスクとコーヒーフィルターとCD2枚が無事届いた。
え〜今回は別にヒネリもオチもありません。
こんなことがあったという報告でした。
2015年04月21日
昭和記念公園のチューリップ その2
渓流広場を進んでチューリップの植え込みが終わったあたりに、レストランや売店が並ぶ一画がある。そこで大道芸をやっていた。
静止した写真では何をしているのかまったくわからないが、手に持っている大きなガラス玉が空中に浮いたり意志を持って動いているように見せるジャグリング。ジャグリングとはお手玉のようにモノを投げたりしながら器用に扱うパフォーマンス。ここで見たのはガラス玉を投げるわけではないからジャグリングとは呼ばないかも知れない。
渓流広場の隣にあるのが「みんなの原っぱ」という名前の広大なスペース。
もう少し前なら桜がキレイだったはず。
今年の東京は、桜の開花日と前後してとても暖かい日が続いたので、アッという間に咲いてアッという間に散った印象。その後はまた冬に逆戻りし、4月の半ばにコートを着たことは今までもあったが、手袋までしたのはたぶん今年が初めて。もう慣れてきたとはいうものの、どんどん天候が変な方向にいっているのが気掛かり。
みんなの原っぱの片隅。といってもみんなの原っぱがとても広いから片隅だけでもかなりの面積である。そこにポピーが植えられていた。
ポピーはヒナゲシ(雛芥子)あるいは虞美人草(ぐびじんそう)ともいう。花びらが極薄なのが特徴。ここでは3色のポピーが植えられていた。
ポピーの隣で紫色の花を咲かせているハナズオウの木。
なかなかキレイな色。
ポピーが植えられているのはみんなの原っぱの西花畑と呼ばれるエリア。広場の向こうの方にかすかに黄色く見えているのが東花畑で、今は菜の花が植えられている模様。この前のツーリングで菜の花を見てきたので今回は足を運ばず。
ポピーとハナズオウで箸休めをした後は
再び渓流広場に戻り、先ほどの対岸を歩いてスタート地点に向かう。
少し水辺を意識して撮ってみた。
こちらの岸からだと逆光になる。逆光はたいていやっかいなもの。しかし紅葉とチューリップの場合は、逆光が葉や花から透けて光っているように写るからキレイ。
チューリップの名所はどこも人が一杯。それでもサクラと較べたらチューリップの花見に出かけた経験がある人は極々わずかな割合かと思う。チューリップが似合うのはもちろん可憐な少女だけれど、ココロがくたびれたオッサン・オバハンこそチューリップを見て元気になるべきなのだ(^^ゞ
とりあえず写真でメルヘンワールドを楽しんでちょうだい。
スタート地点に戻ってきた。渓流は片道500メートルくらいかな。まだ腹六分目位だったのでもう一往復。二往復目はカメラはバックにしまって見ることに専念。
今回はあまりアップの写真は撮らなかった。お約束の下から見上げるアングルも、空の色がパッとしなかったので試しに何枚か撮ったのみ。
昭和記念公園のチューリップは植え込み方は素晴らしいものの、品種のバラエティは少し乏しく感じる。割とストレートなチューリップが多く、マーブル模様やフリンジ(花びらの先端がギザギザになっている)などは特に少なかったように思う。
話は変わるが自宅ベランダのチューリップ。残念ながら今年は不作である。満開感を味わえずに早くも終盤の雰囲気(/o\) 発芽および開花率も例年と較べてかなり低い。やはり球根を買うのが遅く、売れ残りのものしか手に入らなかったのが響いているみたい。残念日記はいずれそのうち。
というわけで満開・密集のチューリップを見て、人々が「キレイ」とか「スゴイ」とか声を上げている中で、ひとりボソッと「うらやましい」とつぶやいてきた(^^ゞ
チューリップを満喫して帰宅。走行は80キロほど。
もう一箇所どこかに見に行こうか思案中。これほど大規模なところでなければ全国各地に名所はあるから、チューリップ花見をしたことがない人は是非。
おしまい
静止した写真では何をしているのかまったくわからないが、手に持っている大きなガラス玉が空中に浮いたり意志を持って動いているように見せるジャグリング。ジャグリングとはお手玉のようにモノを投げたりしながら器用に扱うパフォーマンス。ここで見たのはガラス玉を投げるわけではないからジャグリングとは呼ばないかも知れない。
渓流広場の隣にあるのが「みんなの原っぱ」という名前の広大なスペース。
もう少し前なら桜がキレイだったはず。
今年の東京は、桜の開花日と前後してとても暖かい日が続いたので、アッという間に咲いてアッという間に散った印象。その後はまた冬に逆戻りし、4月の半ばにコートを着たことは今までもあったが、手袋までしたのはたぶん今年が初めて。もう慣れてきたとはいうものの、どんどん天候が変な方向にいっているのが気掛かり。
みんなの原っぱの片隅。といってもみんなの原っぱがとても広いから片隅だけでもかなりの面積である。そこにポピーが植えられていた。
ポピーはヒナゲシ(雛芥子)あるいは虞美人草(ぐびじんそう)ともいう。花びらが極薄なのが特徴。ここでは3色のポピーが植えられていた。
ポピーの隣で紫色の花を咲かせているハナズオウの木。
なかなかキレイな色。
ポピーが植えられているのはみんなの原っぱの西花畑と呼ばれるエリア。広場の向こうの方にかすかに黄色く見えているのが東花畑で、今は菜の花が植えられている模様。この前のツーリングで菜の花を見てきたので今回は足を運ばず。
ポピーとハナズオウで箸休めをした後は
再び渓流広場に戻り、先ほどの対岸を歩いてスタート地点に向かう。
少し水辺を意識して撮ってみた。
こちらの岸からだと逆光になる。逆光はたいていやっかいなもの。しかし紅葉とチューリップの場合は、逆光が葉や花から透けて光っているように写るからキレイ。
チューリップの名所はどこも人が一杯。それでもサクラと較べたらチューリップの花見に出かけた経験がある人は極々わずかな割合かと思う。チューリップが似合うのはもちろん可憐な少女だけれど、ココロがくたびれたオッサン・オバハンこそチューリップを見て元気になるべきなのだ(^^ゞ
とりあえず写真でメルヘンワールドを楽しんでちょうだい。
スタート地点に戻ってきた。渓流は片道500メートルくらいかな。まだ腹六分目位だったのでもう一往復。二往復目はカメラはバックにしまって見ることに専念。
今回はあまりアップの写真は撮らなかった。お約束の下から見上げるアングルも、空の色がパッとしなかったので試しに何枚か撮ったのみ。
昭和記念公園のチューリップは植え込み方は素晴らしいものの、品種のバラエティは少し乏しく感じる。割とストレートなチューリップが多く、マーブル模様やフリンジ(花びらの先端がギザギザになっている)などは特に少なかったように思う。
話は変わるが自宅ベランダのチューリップ。残念ながら今年は不作である。満開感を味わえずに早くも終盤の雰囲気(/o\) 発芽および開花率も例年と較べてかなり低い。やはり球根を買うのが遅く、売れ残りのものしか手に入らなかったのが響いているみたい。残念日記はいずれそのうち。
というわけで満開・密集のチューリップを見て、人々が「キレイ」とか「スゴイ」とか声を上げている中で、ひとりボソッと「うらやましい」とつぶやいてきた(^^ゞ
チューリップを満喫して帰宅。走行は80キロほど。
もう一箇所どこかに見に行こうか思案中。これほど大規模なところでなければ全国各地に名所はあるから、チューリップ花見をしたことがない人は是非。
おしまい
2015年04月18日
昭和記念公園のチューリップ
今年のチューリップ・ツーリングは昭和記念公園にした。ここは「関東最大級2万本のアイスチューリップ」があまりにショボクてガッカリしたところだが、普通のチューリップの名所としては定評がある。約130品種22万球の規模。
出発前に少しバイクをいじっていたら、これに思いのほか手間取り出発は12時半頃。中央高速は延々と事故渋滞。現場にさしかかると5台くらいの玉突き衝突の模様。一番手前にあったクルマはフロント部分がかなり大破していたから、渋滞最後部に気付かずに突っ込んだのだろう。ところで本日は相当に風が強かった。信号待ちでは片足ではなく両足でバイクを支えることもあったくらい。風が強いとバイクに乗るのが怖いし高速道路はなおさら。しかし環七を北上している時は西からの横風だったので、東西に延びている中央自動車道なら正面からの風になるからいいやと思っていたら、中央自動車道でも横風(>_<) ナンデ?
国立府中のインターで降りると「新宿・立川こっち」の標識がある。ここからだと新宿は都心方向で立川はその逆。なぜこのような標識かというと「東方向なら新宿、西方向なら立川にいく甲州街道がこの先にある」との意味。ちょっと不親切。初めてこの標識を見た時は、間違えてもっと先のインターで降りたと思ってしまった。
先日、梅を見に訪れた谷保天満宮の前を通り、昭和記念公園の到着は午後2時過ぎ。
今回利用したのは西立川口の駐車場。
バイク駐車場はかなり広く、クルマが満車の時でも大丈夫そう。
料金は260円。
駐車場のすぐ隣がJR青梅線の西立川駅。ここは電車で来るにも便利な公園。
駅のすぐ前が西立川口のゲートになっている。この公園は6箇所のゲートがあり、うち3箇所に駐車場が備わっている。
ここでトラブル発生!
カメラを落としそうになり、太ももと手で挟むようにしてつかんだ。地面への落下は免れたものの、かなりガツンと挟んでカメラに衝撃を与えたせいかオートフォーカスがまったく合わなくなってしまう。
こんな時は電源を入れ直せば治るものだが、それも効果なし。
アレコレ設定を確かめるシルエットの私。光の当たり具合のせいでやたらデブの影になっている。ここまでひどくはない(^^ゞ
結局、もう2〜3回電源を入れ直したら復旧した。
入園料は410円。以前は400円だった。消費税が8%になって値上げしたらしい。
400÷1.05=381円
381円×1.08=411円
おお良心的。しか〜しバイクの駐車料金は250円から260円になった。
250÷1.05=238円
238円×1.08=257円
便乗値上げじゃ!
ゲートをくぐったすぐ先に大きな池がある。
池を迂回しながら進んでいく。
しばらく歩くと橋がある。
そういえば、昭和記念公園には紅葉も見に来た。
橋を渡ったところにあるのはバーベキューの広場。
しかしなぜほとんどの人が立っている?
さらに先に進むと水色なエリアを発見!
ネモフィラだった。ラッキー!
ただし風が強くて花が揺れているからシャッタースピードを上げなければならない。そうすると絞りが開かれる→遠くのものまでピントが合わないのがカメラの原理。というわけで今ひとつクッキリしない写真。
アップで撮る分には後ろがぼけても問題なし。
実際のネモフィラはこんな様子で植えられている。ズームレンズの望遠側で遠くの部分を切り取れば、2つ前の写真のように密集して咲いているような感じに撮れる。この写真でも遠くの方は花が一杯咲いているように見えるでしょ。
ネモフィラは満開少し手前といったところ。ひたち海浜公園の広大なネモフィラとは較べるべくもないけれど、今年もネモフィラを見られてうれしい。
ネモフィラの隣にあったしだれ桜。残念ながら終了間際。
そしていよいよチューリップが植えられている渓流広場に到着。
今まであちこち訪れてきた経験でいうとチューリップの名所には3パターンある。
(1)
チューリップの配置が考えられており、庭園的な風景として楽しめる。
(2)
基本的にチューリップ畑のまま。数や品種の多さで勝負。
(3)
たとえばサクラとチューリップとか、チューリップを見ながら富士山も
眺められるとかチューリップ以外にもポイントがあるもの。
この昭和記念公園は(1)のタイプ。そのクオリティはひたち海浜公園と同じくらい高い。ここは水辺に植えられているアドバンテージがあるので、昭和記念公園の方がきれいなチューリップ「風景」を見たという満足度は高いかも知れない。
渓流のすぐ横と、その周りにチューリップが植えられていて散策するようになっている。
青いのはチューリップではなくムスカリという植物。挿し色としてチューリップの回りに植えられることが多い。
とにかく、おとぎの国に来たような気分になれる。
それがチューリップ花見の楽しさ。現実逃避できるよ!
ーーー続く
出発前に少しバイクをいじっていたら、これに思いのほか手間取り出発は12時半頃。中央高速は延々と事故渋滞。現場にさしかかると5台くらいの玉突き衝突の模様。一番手前にあったクルマはフロント部分がかなり大破していたから、渋滞最後部に気付かずに突っ込んだのだろう。ところで本日は相当に風が強かった。信号待ちでは片足ではなく両足でバイクを支えることもあったくらい。風が強いとバイクに乗るのが怖いし高速道路はなおさら。しかし環七を北上している時は西からの横風だったので、東西に延びている中央自動車道なら正面からの風になるからいいやと思っていたら、中央自動車道でも横風(>_<) ナンデ?
国立府中のインターで降りると「新宿・立川こっち」の標識がある。ここからだと新宿は都心方向で立川はその逆。なぜこのような標識かというと「東方向なら新宿、西方向なら立川にいく甲州街道がこの先にある」との意味。ちょっと不親切。初めてこの標識を見た時は、間違えてもっと先のインターで降りたと思ってしまった。
先日、梅を見に訪れた谷保天満宮の前を通り、昭和記念公園の到着は午後2時過ぎ。
今回利用したのは西立川口の駐車場。
バイク駐車場はかなり広く、クルマが満車の時でも大丈夫そう。
料金は260円。
駐車場のすぐ隣がJR青梅線の西立川駅。ここは電車で来るにも便利な公園。
駅のすぐ前が西立川口のゲートになっている。この公園は6箇所のゲートがあり、うち3箇所に駐車場が備わっている。
ここでトラブル発生!
カメラを落としそうになり、太ももと手で挟むようにしてつかんだ。地面への落下は免れたものの、かなりガツンと挟んでカメラに衝撃を与えたせいかオートフォーカスがまったく合わなくなってしまう。
こんな時は電源を入れ直せば治るものだが、それも効果なし。
アレコレ設定を確かめるシルエットの私。光の当たり具合のせいでやたらデブの影になっている。ここまでひどくはない(^^ゞ
結局、もう2〜3回電源を入れ直したら復旧した。
入園料は410円。以前は400円だった。消費税が8%になって値上げしたらしい。
400÷1.05=381円
381円×1.08=411円
おお良心的。しか〜しバイクの駐車料金は250円から260円になった。
250÷1.05=238円
238円×1.08=257円
便乗値上げじゃ!
ゲートをくぐったすぐ先に大きな池がある。
池を迂回しながら進んでいく。
しばらく歩くと橋がある。
そういえば、昭和記念公園には紅葉も見に来た。
橋を渡ったところにあるのはバーベキューの広場。
しかしなぜほとんどの人が立っている?
さらに先に進むと水色なエリアを発見!
ネモフィラだった。ラッキー!
ただし風が強くて花が揺れているからシャッタースピードを上げなければならない。そうすると絞りが開かれる→遠くのものまでピントが合わないのがカメラの原理。というわけで今ひとつクッキリしない写真。
アップで撮る分には後ろがぼけても問題なし。
実際のネモフィラはこんな様子で植えられている。ズームレンズの望遠側で遠くの部分を切り取れば、2つ前の写真のように密集して咲いているような感じに撮れる。この写真でも遠くの方は花が一杯咲いているように見えるでしょ。
ネモフィラは満開少し手前といったところ。ひたち海浜公園の広大なネモフィラとは較べるべくもないけれど、今年もネモフィラを見られてうれしい。
ネモフィラの隣にあったしだれ桜。残念ながら終了間際。
そしていよいよチューリップが植えられている渓流広場に到着。
今まであちこち訪れてきた経験でいうとチューリップの名所には3パターンある。
(1)
チューリップの配置が考えられており、庭園的な風景として楽しめる。
(2)
基本的にチューリップ畑のまま。数や品種の多さで勝負。
(3)
たとえばサクラとチューリップとか、チューリップを見ながら富士山も
眺められるとかチューリップ以外にもポイントがあるもの。
この昭和記念公園は(1)のタイプ。そのクオリティはひたち海浜公園と同じくらい高い。ここは水辺に植えられているアドバンテージがあるので、昭和記念公園の方がきれいなチューリップ「風景」を見たという満足度は高いかも知れない。
渓流のすぐ横と、その周りにチューリップが植えられていて散策するようになっている。
青いのはチューリップではなくムスカリという植物。挿し色としてチューリップの回りに植えられることが多い。
とにかく、おとぎの国に来たような気分になれる。
それがチューリップ花見の楽しさ。現実逃避できるよ!
ーーー続く
2015年04月12日
テレビなし生活25日目
実は今、自宅にテレビがない。
正確にいうとテレビはあるのだが放送は写らない。
2011年7月25日に地上波がアナログからデジタル放送になった時にテレビを買い換えなかった。マンションにはケーブルテレビが引かれていいる。そして地デジ切り替えの経過措置として、ケーブルテレビでは今年の3月までアナログテレビでも見られたからである。
リンク先のエントリーには今年の3月31日までアナログ放送が見られると書いたが、3月のいつにアナログ放送を打ち切るかはケーブルテレビ事業者に任されていたようで、このマンションが契約している事業者は3月18日正午だった。というわけで本日でテレビなし生活25日目である。
今までは21インチのブラウン管テレビをリビングの隅に置いてあった。ソファの位置からは斜めになるし少し遠くて画面は小さかったが、あまりテレビを重視していないので特に不満はなかった。映画のDVDを借りてきた時はテレビの前に座布団を敷いて見るという昭和な鑑賞スタイル(^^ゞ
でもどうせ買うなら次は50インチ前後のテレビになる。ソファの正面にテレビを置いても2メートル以上離れているので距離的にはOK。ただし問題はソファの正面の壁のところは床にオーディオ機器とCDを並べているだけなので、テレビを置くなら家具も揃えなければいけないことである。
2011年にテレビを買い換えなかった理由の1つはこの家具問題である。床にオーディオとCDが置いてあるだけのガランとした空間はけっこう気に入っている。それを諦めるにしても、いわゆるテレビ台として売られているような家具は置きたくなかった。少し調べたが、いいなと思う家具はかなり高くてーーー。いろいろ探せばデザインと予算で満足するものが見つかったかも知れないが、それが面倒で3年半は今のテレビでイイヤとなった次第。
今回も経過措置のアナログ放送が終わる3月18日までにテレビを買うつもりは最初からなかった。以前にこんなことを書いたように、私はまったくテレビっ子ではない。それとしばらくテレビなしの生活を体験してみるのも面白いと考えたから。
ーーーが、自分の意志でテレビをつけないのとテレビがないのとではまったく違う。特に最初の3日間はテレビがないと寂しくて寂しくて仕方なかった。ひょっとしたら人生で寂しいと思ったのはこれが初めてかも(^^ゞ。でも何事も慣れてくるもの。5日目くらいからは特に何も感じなくなり本日の25日目にいたる。
とりあえず家具は買った。ネルソン・ベンチと呼ばれるミッド・センチュリー風のシンプルなもの。高さは35センチほどなので多少はガランとした空間感を残せるかと期待して。最初はレンガを積んでそれを柱にして板を載せるだけのものを作ろうかとも考えたが、地震の時に危なそうだから諦めた。それとそれなりの厚みの板を加工して塗装もしてもらうとなると、ヘタに家具を買うより高くつく。
※ミッド・センチュリー:おもにアメリカの1950年代のデザイン。どんなデザインかの説明は難しいから、適当に検索してちょうだい。
テレビも何を買うかはほとんど見当をつけてある。しかしCDの置き場がなくなったので、山ほどあるCDは別の場所にしまって、最近買ったもの以外はPCオーディオで再生することを決意。前回は簡易的にパソコンの音声出力とオーディオをつないだ。しかし本格的にパソコンからデジタルでオーディオに信号を送るにはDAC(デジタル・アナログコンバーター)が必要となる。現在はどのDACにしようか、あるいはCDプレーヤーがかなりくたびれているから、パソコンと接続できるDAC を搭載したCDプレーヤーに買い換えようかとアレコレ思案中。
また、いわゆる薄型テレビはスピーカーが必要とする容積が足らず音が貧弱。だから基本的にテレビの音声はオーディオセットで鳴らすことを考えている。それにもDACは必要となる。だからPCオーディオを片付けてからテレビを買おうと考えている。
というわけでテレビなし生活はまだしばらく続く予定。こんな生活はもう2度としないと思われるので貴重な体験進行中。別に楽しくもないけれど。いっそ1年くらいとか、これを機に本当にテレビなし人生にしようかとも思わなくもないが、仕事柄コマーシャルのことをまったく知らないというわけにもいかない。
とりあえずテレビを見られるようになるのはゴールデンウイーク明けくらいかな。
正確にいうとテレビはあるのだが放送は写らない。
2011年7月25日に地上波がアナログからデジタル放送になった時にテレビを買い換えなかった。マンションにはケーブルテレビが引かれていいる。そして地デジ切り替えの経過措置として、ケーブルテレビでは今年の3月までアナログテレビでも見られたからである。
リンク先のエントリーには今年の3月31日までアナログ放送が見られると書いたが、3月のいつにアナログ放送を打ち切るかはケーブルテレビ事業者に任されていたようで、このマンションが契約している事業者は3月18日正午だった。というわけで本日でテレビなし生活25日目である。
今までは21インチのブラウン管テレビをリビングの隅に置いてあった。ソファの位置からは斜めになるし少し遠くて画面は小さかったが、あまりテレビを重視していないので特に不満はなかった。映画のDVDを借りてきた時はテレビの前に座布団を敷いて見るという昭和な鑑賞スタイル(^^ゞ
でもどうせ買うなら次は50インチ前後のテレビになる。ソファの正面にテレビを置いても2メートル以上離れているので距離的にはOK。ただし問題はソファの正面の壁のところは床にオーディオ機器とCDを並べているだけなので、テレビを置くなら家具も揃えなければいけないことである。
2011年にテレビを買い換えなかった理由の1つはこの家具問題である。床にオーディオとCDが置いてあるだけのガランとした空間はけっこう気に入っている。それを諦めるにしても、いわゆるテレビ台として売られているような家具は置きたくなかった。少し調べたが、いいなと思う家具はかなり高くてーーー。いろいろ探せばデザインと予算で満足するものが見つかったかも知れないが、それが面倒で3年半は今のテレビでイイヤとなった次第。
今回も経過措置のアナログ放送が終わる3月18日までにテレビを買うつもりは最初からなかった。以前にこんなことを書いたように、私はまったくテレビっ子ではない。それとしばらくテレビなしの生活を体験してみるのも面白いと考えたから。
ーーーが、自分の意志でテレビをつけないのとテレビがないのとではまったく違う。特に最初の3日間はテレビがないと寂しくて寂しくて仕方なかった。ひょっとしたら人生で寂しいと思ったのはこれが初めてかも(^^ゞ。でも何事も慣れてくるもの。5日目くらいからは特に何も感じなくなり本日の25日目にいたる。
とりあえず家具は買った。ネルソン・ベンチと呼ばれるミッド・センチュリー風のシンプルなもの。高さは35センチほどなので多少はガランとした空間感を残せるかと期待して。最初はレンガを積んでそれを柱にして板を載せるだけのものを作ろうかとも考えたが、地震の時に危なそうだから諦めた。それとそれなりの厚みの板を加工して塗装もしてもらうとなると、ヘタに家具を買うより高くつく。
※ミッド・センチュリー:おもにアメリカの1950年代のデザイン。どんなデザインかの説明は難しいから、適当に検索してちょうだい。
テレビも何を買うかはほとんど見当をつけてある。しかしCDの置き場がなくなったので、山ほどあるCDは別の場所にしまって、最近買ったもの以外はPCオーディオで再生することを決意。前回は簡易的にパソコンの音声出力とオーディオをつないだ。しかし本格的にパソコンからデジタルでオーディオに信号を送るにはDAC(デジタル・アナログコンバーター)が必要となる。現在はどのDACにしようか、あるいはCDプレーヤーがかなりくたびれているから、パソコンと接続できるDAC を搭載したCDプレーヤーに買い換えようかとアレコレ思案中。
また、いわゆる薄型テレビはスピーカーが必要とする容積が足らず音が貧弱。だから基本的にテレビの音声はオーディオセットで鳴らすことを考えている。それにもDACは必要となる。だからPCオーディオを片付けてからテレビを買おうと考えている。
というわけでテレビなし生活はまだしばらく続く予定。こんな生活はもう2度としないと思われるので貴重な体験進行中。別に楽しくもないけれど。いっそ1年くらいとか、これを機に本当にテレビなし人生にしようかとも思わなくもないが、仕事柄コマーシャルのことをまったく知らないというわけにもいかない。
とりあえずテレビを見られるようになるのはゴールデンウイーク明けくらいかな。
2015年04月05日
パスキン展 その2
ツーリングに行ったとかチューリップが咲いたとかの話が途中に挟まったが、3月27日に書いたパスキン展の続き。展覧会に出かけたのは約1ヶ月前だから、そろそろ記憶もあやふやになりかけている。
さて第1次世界大戦の間はパリを離れて主にアメリカにいたパスキンは、戦争が終わって2年後の1920年にパリに戻ってくる。ここから10年後に自殺するまでがパリ第2期で彼の全盛期。(前回1921年に戻ってきたと記したのは間違い。現在は修正済み)
この1920年代にパスキンは画風を確立し、それは「真珠母色の時代」と呼ばれる。真珠の光沢を連想させる溶け合った淡い色彩と柔らかい輪郭が特徴。ポーラ美術館のモディリアーニ展で見た作品などもそれにあたる。しかし調べてみるとパスキンはパリに戻ってから真珠母色の絵ばかりを描いていたわけでなく、結構いろんな画風を使い分けている。ネットでパスキンの絵はかなりヒットするから、彼はかなり多作な画家だったようである。
展覧会で見たパリ第2期のパスキンの作品は3つのパターンに分けられる。
ただしあくまでも私の分類方法。
まずダークトーンで力強い作品。
「ヴィーナスの後ろ姿」 1925〜28年
ドシーンと存在感のあった絵。
でもこれがヴィーナスといわれてもピンとこないけどーーー
「二人のスイス娘」 1925年
アップした写真はわりと柔らかいタッチに写っている。本物はもうすこしゴリッとした感じ。でも表情なんかは真珠母色の作品につながるところもある。
「ジャネット」 1923〜25年
ひょっとしたらヴィーナスを正面から描いたのがこれかな。
真珠母色の作品群はまさにパスキン・ワールドであるが、このダーク・パスキンはそんなにオリジナリティは感じない。どこかで似たような絵を見たような気がするといえばする。だから展覧会でも、チラッと見た程度ではあまり興味も引かない。しかし会場内を往復して何度か見るうちに、だんだんといい絵に見えてくるというか、すごく味わい深い印象を受けるのが不思議。
その次はややモノトーン的な作品。真珠母色と同じようなノリだが、やや軽めに仕上げた、またはあまり手間を掛けなかった印象を受ける。
「ジメットとミレイユ」 1927年
「椅子に座る女」 1927年
「ミレイユ」 1930年
そしていよいよ真珠母色の作品。
色が混じり合っている、溶け合っているところがパスキン・マジック。残念ながらその感覚というか臨場感は写真ではなかなか伝わらない。
「二人の座る少女」 1925年
「長い髪のエリアーヌ」 1927年〜29年」
これこそがヴィーナスでしょ。
真珠母色シリーズは背景にいろんな色を溶け合わせてふんわりした感じをだす。ある意味ちょっと作為的。でもこの絵は背景を割と普通に描いているのに全体的なふんわり感は1番だった。
「テーブルのリュシーの肖像」 1928年
これに描かれているのはパスキンの不倫相手で自殺の一因にもなったといわれている女性。リュシーはLucyで英語読みならルーシー。
「幼い女優」 1927年
「腰かける女」 1928年
「マリエッタの肖像」 1928〜29年
真珠母色の作品群は10点くらいが1つのコーナーにまとめられていて、そのコーナーに足を踏み入れたとたん思わず「わあ〜」と声が出そうになったくらい、その場の空気がパスキン・ワールドに包まれていた。何かを訴えてくるような絵ではないのだが、とにかく見ていて幸せな気分になってくる。なんとなくスイーツみたいな存在の絵である。
ところで私はパスキンを相当に気に入っているのだが、日本ではあまり人気がないらしい。この日も平日の昼間とはいえ美術館にあまり人はいなかった。パナソニック汐留ミュージアムはあまり広くないので、もしこれが普通の美術館で開催されていたらガラガラ状態だったかも知れない。日本人受けする画家だと思うんだけれどなあ。
ここからは番外編。
「ダンス」 1925年
これはどうみてもマティスのダンスから影響を受けた作品。パスキンとマティスは仲がよかったとのこと。マティスにはそれほど興味がないが、この作品を見てすぐマティス!と思い浮かんだから、やっぱりあのダンスという作品はインパクトがあったのだと改めて気付いた。
「遊女に罵倒されるソクラテスと弟子たち」 1921年
これはまあ絵というよりタイトルに惹かれた。
こういう線画というか漫画みたいな作品もたくさん展示されていた。普段は資料的に展示されている素描や下書きの類はチラ見しかしないのだが、この日はわりと熱心に見た。落書きみたいなものも多かったが、なんとなくパスキンのは面白い。
ちなみにパスキンは暇さえあれば絵を描いていたらしく、仲間と写っているこの写真でも一人黙々とペンを走らせている。(右端がパスキン)この写真は展示会にもあったが、注目すべきはパスキンよりもテーブルにうずたかく積まれた小皿の山。1920年代のパリに回転寿司があった?
さてネットでパスキンの絵を探している時に見つけたのがこの写真。
左側のは展覧会でも見かけた。
山高帽をかぶってタバコをくわえているのがパスキン。モデルが二人いて、後ろに彼女たちを描いた絵がイーゼルに掛かっている。今風にいうならメイキング画像。白黒写真だからわからないが、後ろにある絵は真珠母色の絵のような気がする。
ーーーだとしたらである。
もう一度上に貼った真珠母色の作品を眺めて、それからこのイーゼルの絵を見て欲しい。白黒写真でも淡い色彩が混じり合ったパスキン・ワールドの絵が見えてくるような気がするはず。それで再びモデルの二人に目をやると「なんか違う」「夢が壊れた」という気にならない?
それで改めて気付いたのは、絵とは画家が描いたファンタジーを楽しむものだということ。ファンタジーという言葉は曖昧だけれど、空想とか願望とか演出とかが混じり合った画家が表現したかったことというような意味で使っている。絵に限らずほとんどの芸術も同じかな。ある作品が気に入る気に入らないというのは、そのファンタジーと自分の波長が合うかどうかということだと思う。
そこにどんなファンタジーが描かれているのかという観点から今まで見てきた絵、特にわりと写実的な風景画や肖像画を振り返ってみると、それまでとは違う見え方もする。何か視野が広がった感じ。とりあえずこのメイキング写真を撮ってくれたカメラマンに感謝。
前回に書いたようにパスキンは1930年に45歳で自殺する。リュシーとの不倫関係が原因かどうかはわかっていないが、手首を切って壁に血文字で「ADIEU LUCY」(さよなら、リュシー)と書いた後に首を吊ったといわれる。彼の葬儀の日にパリ中の画廊が店を閉めて弔意を表したというのは、モンパルナスの王子、エコール・ド・パリの貴公子と呼ばれたパスキンが皆に愛されていたことを伝えるエピソード。
ところで不倫相手の名前を血文字で書いて自殺されたら正妻としては怒り心頭のはず。しかし実はパスキンとリュシーのW不倫は妻エルミーヌも公認の仲。パスキン、エルミーヌ、リュシー、リュシーの息子ギィ(パスキンの子供ではない)と一緒によく出かけていたという記録や写真が残っている。エルミーヌ自身も画家でかなり人気があったらしい。パスキンの作品はエルミーヌとリュシーが半分ずつ相続することになったが、エルミーヌは自分の取り分をすべてリュシーに譲ったというから太っ腹。
左がエルミーヌで右がリュシー。
そして45歳で自殺したことと関係あるのかどうか、
パスキンは次のような言葉を残している。
人間、45歳を過ぎてはならない。芸術家であればなおのことだ。
それまでに力を発揮できていなければ、その歳で生み出すものは、
もはや何もないだろう。
おおムッシュ・パスキン、
20年ほど前にあなたの言葉を学んでいたかった(^^ゞ
おしまい
さて第1次世界大戦の間はパリを離れて主にアメリカにいたパスキンは、戦争が終わって2年後の1920年にパリに戻ってくる。ここから10年後に自殺するまでがパリ第2期で彼の全盛期。(前回1921年に戻ってきたと記したのは間違い。現在は修正済み)
この1920年代にパスキンは画風を確立し、それは「真珠母色の時代」と呼ばれる。真珠の光沢を連想させる溶け合った淡い色彩と柔らかい輪郭が特徴。ポーラ美術館のモディリアーニ展で見た作品などもそれにあたる。しかし調べてみるとパスキンはパリに戻ってから真珠母色の絵ばかりを描いていたわけでなく、結構いろんな画風を使い分けている。ネットでパスキンの絵はかなりヒットするから、彼はかなり多作な画家だったようである。
展覧会で見たパリ第2期のパスキンの作品は3つのパターンに分けられる。
ただしあくまでも私の分類方法。
まずダークトーンで力強い作品。
「ヴィーナスの後ろ姿」 1925〜28年
ドシーンと存在感のあった絵。
でもこれがヴィーナスといわれてもピンとこないけどーーー
「二人のスイス娘」 1925年
アップした写真はわりと柔らかいタッチに写っている。本物はもうすこしゴリッとした感じ。でも表情なんかは真珠母色の作品につながるところもある。
「ジャネット」 1923〜25年
ひょっとしたらヴィーナスを正面から描いたのがこれかな。
真珠母色の作品群はまさにパスキン・ワールドであるが、このダーク・パスキンはそんなにオリジナリティは感じない。どこかで似たような絵を見たような気がするといえばする。だから展覧会でも、チラッと見た程度ではあまり興味も引かない。しかし会場内を往復して何度か見るうちに、だんだんといい絵に見えてくるというか、すごく味わい深い印象を受けるのが不思議。
その次はややモノトーン的な作品。真珠母色と同じようなノリだが、やや軽めに仕上げた、またはあまり手間を掛けなかった印象を受ける。
「ジメットとミレイユ」 1927年
「椅子に座る女」 1927年
「ミレイユ」 1930年
そしていよいよ真珠母色の作品。
色が混じり合っている、溶け合っているところがパスキン・マジック。残念ながらその感覚というか臨場感は写真ではなかなか伝わらない。
「二人の座る少女」 1925年
「長い髪のエリアーヌ」 1927年〜29年」
これこそがヴィーナスでしょ。
真珠母色シリーズは背景にいろんな色を溶け合わせてふんわりした感じをだす。ある意味ちょっと作為的。でもこの絵は背景を割と普通に描いているのに全体的なふんわり感は1番だった。
「テーブルのリュシーの肖像」 1928年
これに描かれているのはパスキンの不倫相手で自殺の一因にもなったといわれている女性。リュシーはLucyで英語読みならルーシー。
「幼い女優」 1927年
「腰かける女」 1928年
「マリエッタの肖像」 1928〜29年
真珠母色の作品群は10点くらいが1つのコーナーにまとめられていて、そのコーナーに足を踏み入れたとたん思わず「わあ〜」と声が出そうになったくらい、その場の空気がパスキン・ワールドに包まれていた。何かを訴えてくるような絵ではないのだが、とにかく見ていて幸せな気分になってくる。なんとなくスイーツみたいな存在の絵である。
ところで私はパスキンを相当に気に入っているのだが、日本ではあまり人気がないらしい。この日も平日の昼間とはいえ美術館にあまり人はいなかった。パナソニック汐留ミュージアムはあまり広くないので、もしこれが普通の美術館で開催されていたらガラガラ状態だったかも知れない。日本人受けする画家だと思うんだけれどなあ。
ここからは番外編。
「ダンス」 1925年
これはどうみてもマティスのダンスから影響を受けた作品。パスキンとマティスは仲がよかったとのこと。マティスにはそれほど興味がないが、この作品を見てすぐマティス!と思い浮かんだから、やっぱりあのダンスという作品はインパクトがあったのだと改めて気付いた。
「遊女に罵倒されるソクラテスと弟子たち」 1921年
これはまあ絵というよりタイトルに惹かれた。
こういう線画というか漫画みたいな作品もたくさん展示されていた。普段は資料的に展示されている素描や下書きの類はチラ見しかしないのだが、この日はわりと熱心に見た。落書きみたいなものも多かったが、なんとなくパスキンのは面白い。
ちなみにパスキンは暇さえあれば絵を描いていたらしく、仲間と写っているこの写真でも一人黙々とペンを走らせている。(右端がパスキン)この写真は展示会にもあったが、注目すべきはパスキンよりもテーブルにうずたかく積まれた小皿の山。1920年代のパリに回転寿司があった?
さてネットでパスキンの絵を探している時に見つけたのがこの写真。
左側のは展覧会でも見かけた。
山高帽をかぶってタバコをくわえているのがパスキン。モデルが二人いて、後ろに彼女たちを描いた絵がイーゼルに掛かっている。今風にいうならメイキング画像。白黒写真だからわからないが、後ろにある絵は真珠母色の絵のような気がする。
ーーーだとしたらである。
もう一度上に貼った真珠母色の作品を眺めて、それからこのイーゼルの絵を見て欲しい。白黒写真でも淡い色彩が混じり合ったパスキン・ワールドの絵が見えてくるような気がするはず。それで再びモデルの二人に目をやると「なんか違う」「夢が壊れた」という気にならない?
それで改めて気付いたのは、絵とは画家が描いたファンタジーを楽しむものだということ。ファンタジーという言葉は曖昧だけれど、空想とか願望とか演出とかが混じり合った画家が表現したかったことというような意味で使っている。絵に限らずほとんどの芸術も同じかな。ある作品が気に入る気に入らないというのは、そのファンタジーと自分の波長が合うかどうかということだと思う。
そこにどんなファンタジーが描かれているのかという観点から今まで見てきた絵、特にわりと写実的な風景画や肖像画を振り返ってみると、それまでとは違う見え方もする。何か視野が広がった感じ。とりあえずこのメイキング写真を撮ってくれたカメラマンに感謝。
前回に書いたようにパスキンは1930年に45歳で自殺する。リュシーとの不倫関係が原因かどうかはわかっていないが、手首を切って壁に血文字で「ADIEU LUCY」(さよなら、リュシー)と書いた後に首を吊ったといわれる。彼の葬儀の日にパリ中の画廊が店を閉めて弔意を表したというのは、モンパルナスの王子、エコール・ド・パリの貴公子と呼ばれたパスキンが皆に愛されていたことを伝えるエピソード。
ところで不倫相手の名前を血文字で書いて自殺されたら正妻としては怒り心頭のはず。しかし実はパスキンとリュシーのW不倫は妻エルミーヌも公認の仲。パスキン、エルミーヌ、リュシー、リュシーの息子ギィ(パスキンの子供ではない)と一緒によく出かけていたという記録や写真が残っている。エルミーヌ自身も画家でかなり人気があったらしい。パスキンの作品はエルミーヌとリュシーが半分ずつ相続することになったが、エルミーヌは自分の取り分をすべてリュシーに譲ったというから太っ腹。
左がエルミーヌで右がリュシー。
そして45歳で自殺したことと関係あるのかどうか、
パスキンは次のような言葉を残している。
人間、45歳を過ぎてはならない。芸術家であればなおのことだ。
それまでに力を発揮できていなければ、その歳で生み出すものは、
もはや何もないだろう。
おおムッシュ・パスキン、
20年ほど前にあなたの言葉を学んでいたかった(^^ゞ
おしまい
2015年04月03日
大原海岸
3月28日に出かけた菜の花ツーリング番外編。
菜の花とローカル線の駅巡りもお腹一杯になってきたので、新田野駅の先でバイクの写真を撮った後は、国道465号線をそのまま走って太平洋岸に抜けた。本当は九十九里の入り口あたりまで行きたかったが、駅巡りに思ったより時間がかかったので、一番近い大原海岸に行くことにした。
かなり広い駐車場。写っているのは全体のごく一部。
展望台があったが、
なぜか閉鎖中で残念。
駐車場の横にあるウッドデッキ。
少し前に広角27ミリ〜望遠82.5ミリのズームレンズから24ミリ〜105ミリ(35ミリ換算。言葉の説明は省略)のものに買い換えたので、今までより海岸が広く写って満足。写真をクリック拡大して広さを感じてちょうだいな。
波打ち際は少し変わった形になっていた。
お約束のローアングル。
ほとんど砂浜にカメラが触れるくらいの位置から。
海岸にはテトラポットがずっと先まで入っていた。これがないと砂浜が浸食される、これがあると海岸の景色が台無しというアンビバレンツな存在。21世紀なんだから、もう少しスマートな浸食対策はないものか。
それでも、はるか向こうまで続く広くて気持ちのいい砂浜。
まっさらの砂浜に足跡を付けて喜ぶ(^^ゞ
九十九里の海岸と較べると砂の色はやや明るい。
テトラポットの切れ目でサーフィンをしている人がいた。
サイズはミニマムだけど長く乗れる波みたい。
久しぶりに広い海を見てリフレッシュできた。大原海岸を出たのは午後4時半頃。もうどうがんばっても日没までには帰れないので、諦めてのんびりと海岸沿いに走ることにする。といってもこのあたりの128号線は海岸が見えないところが多いが。御宿を過ぎて勝浦へ。そこから国道297号線の大多喜街道で北上するつもりだったが、いったん勝浦市内の方に入らないと297号に入れないことを忘れてそのまま通過。
結局、鴨川の手前まで進んでから県道82号で297号まで戻る。82号は緩やかなクネクネが続く楽しい道。その後は市原鶴舞インターから圏央道に乗ってアクアライン。圏央道からは一瞬だけ夕焼けに染まった赤い富士山が見えてラッキー。
しかしアクアラインはかなり手前から渋滞。当然ながら橋の上の海上も。帰りは少し風があって吹き流しは真横状態。風速10メータ弱くらいの感じ。あまりゆっくり走ると風を感じて怖いので、ちょっと無理して早めのペースですり抜け。トンネルに入ると後半からまともに流れ出した。
午後7時半にガレージ着。走行は230キロ。200キロ以上走ったのは、昨年の11月に御岳渓谷に紅葉を見に行って以来だから実に久しぶり。菜の花とローカル線に海岸と変化に富んだツーリングで楽しい1日だった。
おしまい
菜の花とローカル線の駅巡りもお腹一杯になってきたので、新田野駅の先でバイクの写真を撮った後は、国道465号線をそのまま走って太平洋岸に抜けた。本当は九十九里の入り口あたりまで行きたかったが、駅巡りに思ったより時間がかかったので、一番近い大原海岸に行くことにした。
かなり広い駐車場。写っているのは全体のごく一部。
展望台があったが、
なぜか閉鎖中で残念。
駐車場の横にあるウッドデッキ。
少し前に広角27ミリ〜望遠82.5ミリのズームレンズから24ミリ〜105ミリ(35ミリ換算。言葉の説明は省略)のものに買い換えたので、今までより海岸が広く写って満足。写真をクリック拡大して広さを感じてちょうだいな。
波打ち際は少し変わった形になっていた。
お約束のローアングル。
ほとんど砂浜にカメラが触れるくらいの位置から。
海岸にはテトラポットがずっと先まで入っていた。これがないと砂浜が浸食される、これがあると海岸の景色が台無しというアンビバレンツな存在。21世紀なんだから、もう少しスマートな浸食対策はないものか。
それでも、はるか向こうまで続く広くて気持ちのいい砂浜。
まっさらの砂浜に足跡を付けて喜ぶ(^^ゞ
九十九里の海岸と較べると砂の色はやや明るい。
テトラポットの切れ目でサーフィンをしている人がいた。
サイズはミニマムだけど長く乗れる波みたい。
久しぶりに広い海を見てリフレッシュできた。大原海岸を出たのは午後4時半頃。もうどうがんばっても日没までには帰れないので、諦めてのんびりと海岸沿いに走ることにする。といってもこのあたりの128号線は海岸が見えないところが多いが。御宿を過ぎて勝浦へ。そこから国道297号線の大多喜街道で北上するつもりだったが、いったん勝浦市内の方に入らないと297号に入れないことを忘れてそのまま通過。
結局、鴨川の手前まで進んでから県道82号で297号まで戻る。82号は緩やかなクネクネが続く楽しい道。その後は市原鶴舞インターから圏央道に乗ってアクアライン。圏央道からは一瞬だけ夕焼けに染まった赤い富士山が見えてラッキー。
しかしアクアラインはかなり手前から渋滞。当然ながら橋の上の海上も。帰りは少し風があって吹き流しは真横状態。風速10メータ弱くらいの感じ。あまりゆっくり走ると風を感じて怖いので、ちょっと無理して早めのペースですり抜け。トンネルに入ると後半からまともに流れ出した。
午後7時半にガレージ着。走行は230キロ。200キロ以上走ったのは、昨年の11月に御岳渓谷に紅葉を見に行って以来だから実に久しぶり。菜の花とローカル線に海岸と変化に富んだツーリングで楽しい1日だった。
おしまい
2015年04月02日
菜の花ツーリング その2
小湊鐵道は月崎駅の3つ先の上総中野駅までで、そこから先はいすみ鉄道になる。といっても相互に乗り入れているわけではなく同じ駅を使う別々の路線。線路はつながっていて、どちらも同じようなディーゼル車両。だから直通列車を走らせるのは簡単なはず。いろいろと大人の事情があるのかも。
この地図はバイクで走ったルートではなく鉄道の路線を示したもの。
月崎駅を離れた後は線路沿いではなく、その北側にある県道172号線を走った。位置的には月崎駅からまっすぐ東に進んでいすみ鉄道の線路にあたるイメージ。
この172号線、最初は緩やかなクネクネでいい感じだったが、途中から「険道」に変わる。道幅はところどころ林道レベル。でも舗装状態はいいのでバイクで走る分には問題ないのだが、その細い道路に大型ダンプの車列が通る(>_<) 3回くらい5台程のダンプ車列が通り終わるまで一時停止した。ダンプのマナーはよくてすれ違う時には会釈をしてくれたけれど。途中に採掘現場か産廃処分場のようなところがあったので、そこに向かうダンプだと思う。
172号線は月崎と大多喜町を結んでいる約12キロの短い県道。大多喜は「房総の小江戸」と呼ばれているだけあって、172号線沿いに古い商家のようなものがいくつか見えた。各地にある小京都とか小江戸と言われているところもツーリング目的地に組み込むのもいいかもしれない。
県道172号線から国道465号線に入ると、ほぼいすみ鉄道と並行して走ることになる。465号を4〜5キロ走ったところの交差点。
そこに菜の花がたくさん咲いていた。
空の雲もすっかり取れていい感じ。
線路沿いに咲いている菜の花もよかったが、やっぱりこれくらいの迫力がないとーーーと思っていたら、土手の上まで延びている細い通路を登ってみると線路だった(^^ゞ 小湊鐵道もいすみ鉄道もディーゼル列車で架線がないから、どこに線路があるかわかりにくい。
のんきに写真を撮っていると遠くの方から列車の音。
ちょっとシャッターを押すのが早かった。
線路際ギリギリにいるような写真だが、ズームでアップにしているだけで、
もちろん安全な場所から撮っている。
菜の花の中を通り過ぎていく黄色い車両。
たくさんの菜の花を見られて大満足。
いすみ鉄道で訪れたのは国吉駅。2階建ての大きな駅で夷隅町(いすみちょう)商工会と一緒になった大きな建物。しかし、ここも無人駅だった。1日の乗車人数は100名程度らしい。
本日初めて見た鉄筋コンクリート製の駅だが、
ホームに入ればのどかな風景は他の駅と変わりない。
線路を渡って、
反対側からの駅の光景。ホームには食べ物を売っている売店もあった。
風そよぐ谷というコピーがついているのかと思ったら「風そよぐ谷 国吉」というのが駅名。
元々は国吉駅だがネーミングライツによって「風そよぐ谷」というのが加えられたらしい。ちなみにいすみ鉄道14駅のうち「三育学院大学 久我原」「デンタルサポート 大多喜」「風そよぐ谷 国吉」とネーミングライツが導入された駅が3駅ある。しかし「風そよぐ谷」って何の宣伝と思ったら、これを購入したのはいすみ電鉄の社長。そのあたりの説明はご本人のブログで。調べてみるとこの人は公募で社長になり、いろいろとユニークなアイデアでこのローカル線を経営しているようである。
駅の向こう側は広場になっている。
広場の隣は田んぼで水が張られていた。
いすみ鉄道はムーミン列車というのを走らせていて、あちこちにムーミンの人形があった。
国吉駅は菜の花もよかったが、
サクラも少し開き始めていた。
駅の改札口の隣は売店になっている。写真に写っているのは売店の店員さん。つまりこの駅は無人駅で駅員はいなくても売店の店員は勤務しているという運営体制。まあそれくらい商魂たくましくないとローカル線の経営は成り立たないんだろうと思う。
売店で売っているのは鉄道グッズとムーミングッズが中心。
これは改札口のところにあった駅名標。ホームにあるものもムーミンのイラスト付きにすればいいと思うのに、何か規制でもあるのかな。
国吉駅の次が新田野(にったの)駅で、その先に線路沿いに走れる側道がある。菜の花がたくさん咲いていたのでBMW F800Rと菜の花の記念撮影。
ーーー続く
この地図はバイクで走ったルートではなく鉄道の路線を示したもの。
月崎駅を離れた後は線路沿いではなく、その北側にある県道172号線を走った。位置的には月崎駅からまっすぐ東に進んでいすみ鉄道の線路にあたるイメージ。
この172号線、最初は緩やかなクネクネでいい感じだったが、途中から「険道」に変わる。道幅はところどころ林道レベル。でも舗装状態はいいのでバイクで走る分には問題ないのだが、その細い道路に大型ダンプの車列が通る(>_<) 3回くらい5台程のダンプ車列が通り終わるまで一時停止した。ダンプのマナーはよくてすれ違う時には会釈をしてくれたけれど。途中に採掘現場か産廃処分場のようなところがあったので、そこに向かうダンプだと思う。
172号線は月崎と大多喜町を結んでいる約12キロの短い県道。大多喜は「房総の小江戸」と呼ばれているだけあって、172号線沿いに古い商家のようなものがいくつか見えた。各地にある小京都とか小江戸と言われているところもツーリング目的地に組み込むのもいいかもしれない。
県道172号線から国道465号線に入ると、ほぼいすみ鉄道と並行して走ることになる。465号を4〜5キロ走ったところの交差点。
そこに菜の花がたくさん咲いていた。
空の雲もすっかり取れていい感じ。
線路沿いに咲いている菜の花もよかったが、やっぱりこれくらいの迫力がないとーーーと思っていたら、土手の上まで延びている細い通路を登ってみると線路だった(^^ゞ 小湊鐵道もいすみ鉄道もディーゼル列車で架線がないから、どこに線路があるかわかりにくい。
のんきに写真を撮っていると遠くの方から列車の音。
ちょっとシャッターを押すのが早かった。
線路際ギリギリにいるような写真だが、ズームでアップにしているだけで、
もちろん安全な場所から撮っている。
菜の花の中を通り過ぎていく黄色い車両。
たくさんの菜の花を見られて大満足。
いすみ鉄道で訪れたのは国吉駅。2階建ての大きな駅で夷隅町(いすみちょう)商工会と一緒になった大きな建物。しかし、ここも無人駅だった。1日の乗車人数は100名程度らしい。
本日初めて見た鉄筋コンクリート製の駅だが、
ホームに入ればのどかな風景は他の駅と変わりない。
線路を渡って、
反対側からの駅の光景。ホームには食べ物を売っている売店もあった。
風そよぐ谷というコピーがついているのかと思ったら「風そよぐ谷 国吉」というのが駅名。
元々は国吉駅だがネーミングライツによって「風そよぐ谷」というのが加えられたらしい。ちなみにいすみ鉄道14駅のうち「三育学院大学 久我原」「デンタルサポート 大多喜」「風そよぐ谷 国吉」とネーミングライツが導入された駅が3駅ある。しかし「風そよぐ谷」って何の宣伝と思ったら、これを購入したのはいすみ電鉄の社長。そのあたりの説明はご本人のブログで。調べてみるとこの人は公募で社長になり、いろいろとユニークなアイデアでこのローカル線を経営しているようである。
駅の向こう側は広場になっている。
広場の隣は田んぼで水が張られていた。
いすみ鉄道はムーミン列車というのを走らせていて、あちこちにムーミンの人形があった。
国吉駅は菜の花もよかったが、
サクラも少し開き始めていた。
駅の改札口の隣は売店になっている。写真に写っているのは売店の店員さん。つまりこの駅は無人駅で駅員はいなくても売店の店員は勤務しているという運営体制。まあそれくらい商魂たくましくないとローカル線の経営は成り立たないんだろうと思う。
売店で売っているのは鉄道グッズとムーミングッズが中心。
これは改札口のところにあった駅名標。ホームにあるものもムーミンのイラスト付きにすればいいと思うのに、何か規制でもあるのかな。
国吉駅の次が新田野(にったの)駅で、その先に線路沿いに走れる側道がある。菜の花がたくさん咲いていたのでBMW F800Rと菜の花の記念撮影。
ーーー続く