2015年05月
2015年05月30日
片岡球子展
いつ頃かは記憶が定かではないが、かなり昔に雑誌で片岡球子がよく取り上げられていたことがあって(雑誌を見ていたんだからネットがメインじゃない時代だ)、いつか本物を見たいなあと思っていた。念願かなって、今年は生誕110年ということでの大規模な展覧会。
場所は皇居北の丸公園の一画にある東京国立近代美術館。
東京での展覧会は5月17日に終了している。訪れたのはゴールデンウイーク明けだから、そろそろ一ヶ月近く前になる。5月2日と4日にラ・フォル・ジュルネでクラシック音楽を聴き、2日は公演のあいまに皇居の外苑と東御苑を散歩したことはブログにも書いた。4日は夕方からの公演だけだったので、この展覧会を見て、そして北の丸公園も散策して、つまり皇居に3つある公園をコンプリートしてから、ラ・フォル・ジュルネに行くのが今年のゴールデンウィーク・プラン。でも予定はあくまで予定で、4日はラ・フォル・ジュルネにしか出かけなかった。会期は4月7日から5月17日と短いので、見逃さないようにと連休明けすぐに出かけた次第。
美術館の休憩コーナーから見おろした皇居の風景。三枚目の写真の左側にある門は東御苑への入り口で、先日見た江戸城天守台跡の裏手に出る。
国立近代美術館は北の丸公園の南側に建っている。
片岡球子は明治38年(1905年)生まれ。大正15年(1926年)に美大を卒業してから、2008年(平成20年)に103歳で亡くなるまで現役だったというから驚く。この写真は文化勲章を受けた85歳前後の頃かと思われる。まだまだ精気がみなぎっている感じ。
「枇杷」(びわ) 1930年・昭和5年
「炬燵」(こたつ) 1935年・昭和10年
初期の作品はいたってノーマル。
ただし片岡球子はとても細かなところまで描き込む画家で、洋服の柄の表現など「本物の生地はこんな細かくないやろ」と思うこともあるが、そういった傾向は早くも現れている。
ところで昭和初期のコタツって天板がなかったのかなあ。最初はコタツとは気付かず、大きく広がる古風なスカートだと思った。でも、それでは娘やマンガ本の描写がおかしいので、タイトルを読んで初めてどういうシーンかを理解。コタツを知らない外国人なら??だろうね。
やがて昭和20年代後半からは、独特の画風に変貌する。
「カンナ」 1953年・昭和28年
「火山(浅間山)」 1965年・昭和40年
そして一度見たら忘れられないような富士山の絵をたくさん描いている。
なお絵の中央に縦線があるものは屏風絵だから。
「山(富士山)」 1964年・昭和39年
「富士」 1980年・昭和55年
「春の富士(梅)」 1988年・昭和63年
「富士に献花」 1990年・平成2年
大胆にして繊細ーーーなんて表現はよくあるが、それが成功している事例は少ない。でも片岡球子の絵はまさにそんな感じ。強烈なエネルギーを感じるし、とても細かなところも描かれている。もちろん細部を描けば繊細になるというものではないだろう。こんな表現はおかしいかも知れないが、片岡球子の作品はアイデアとインスピレーションに満ちあふれていて、いろんな表現の詰まったサービス精神満載の絵である。
またどの絵も大きくて、それらがズラーッと並んだ展覧会会場では圧倒されるような迫力。ちなみに「富士に献花」は縦160センチ・横246.5センチのビッグサイズ。こんな大きな絵を描くにはそれなりに体力も必要かと思う。それで片岡球子が「富士に献花」を描いたのは85歳の時なのだから、まさにスーパーバアチャン。
ーーー続く
場所は皇居北の丸公園の一画にある東京国立近代美術館。
東京での展覧会は5月17日に終了している。訪れたのはゴールデンウイーク明けだから、そろそろ一ヶ月近く前になる。5月2日と4日にラ・フォル・ジュルネでクラシック音楽を聴き、2日は公演のあいまに皇居の外苑と東御苑を散歩したことはブログにも書いた。4日は夕方からの公演だけだったので、この展覧会を見て、そして北の丸公園も散策して、つまり皇居に3つある公園をコンプリートしてから、ラ・フォル・ジュルネに行くのが今年のゴールデンウィーク・プラン。でも予定はあくまで予定で、4日はラ・フォル・ジュルネにしか出かけなかった。会期は4月7日から5月17日と短いので、見逃さないようにと連休明けすぐに出かけた次第。
美術館の休憩コーナーから見おろした皇居の風景。三枚目の写真の左側にある門は東御苑への入り口で、先日見た江戸城天守台跡の裏手に出る。
国立近代美術館は北の丸公園の南側に建っている。
片岡球子は明治38年(1905年)生まれ。大正15年(1926年)に美大を卒業してから、2008年(平成20年)に103歳で亡くなるまで現役だったというから驚く。この写真は文化勲章を受けた85歳前後の頃かと思われる。まだまだ精気がみなぎっている感じ。
「枇杷」(びわ) 1930年・昭和5年
「炬燵」(こたつ) 1935年・昭和10年
初期の作品はいたってノーマル。
ただし片岡球子はとても細かなところまで描き込む画家で、洋服の柄の表現など「本物の生地はこんな細かくないやろ」と思うこともあるが、そういった傾向は早くも現れている。
ところで昭和初期のコタツって天板がなかったのかなあ。最初はコタツとは気付かず、大きく広がる古風なスカートだと思った。でも、それでは娘やマンガ本の描写がおかしいので、タイトルを読んで初めてどういうシーンかを理解。コタツを知らない外国人なら??だろうね。
やがて昭和20年代後半からは、独特の画風に変貌する。
「カンナ」 1953年・昭和28年
「火山(浅間山)」 1965年・昭和40年
そして一度見たら忘れられないような富士山の絵をたくさん描いている。
なお絵の中央に縦線があるものは屏風絵だから。
「山(富士山)」 1964年・昭和39年
「富士」 1980年・昭和55年
「春の富士(梅)」 1988年・昭和63年
「富士に献花」 1990年・平成2年
大胆にして繊細ーーーなんて表現はよくあるが、それが成功している事例は少ない。でも片岡球子の絵はまさにそんな感じ。強烈なエネルギーを感じるし、とても細かなところも描かれている。もちろん細部を描けば繊細になるというものではないだろう。こんな表現はおかしいかも知れないが、片岡球子の作品はアイデアとインスピレーションに満ちあふれていて、いろんな表現の詰まったサービス精神満載の絵である。
またどの絵も大きくて、それらがズラーッと並んだ展覧会会場では圧倒されるような迫力。ちなみに「富士に献花」は縦160センチ・横246.5センチのビッグサイズ。こんな大きな絵を描くにはそれなりに体力も必要かと思う。それで片岡球子が「富士に献花」を描いたのは85歳の時なのだから、まさにスーパーバアチャン。
ーーー続く
2015年05月28日
東京から一番近い楽園
5月23日にヴェルニー公園でバラと軍艦を見たエントリーの続き。
ヴェルニー公園は港に面した公園だが、海を見た感には乏しいのでもう少し足を伸ばすことにした。三浦海岸や湘南あたりを回るにはもう少し遅かった。そうなると行くべきところは1つしかない。去年の秋に三浦半島のマイナースポット巡りをして、その風景の美しさに感動し、それ以来、東京から一番近い楽園と勝手に呼んでいる燈明崎である。
5月23日にも使った、おそらくこれが最後の旧グーグルマップを再び貼っておく。
馬堀海岸、観音崎、浦賀と走り慣れた道路を通って燈明崎到着。
バイクを駐めたのは公園の入り口。
この日は駐車場が有料だった。
岬の南側の海岸もいいけれど、
なんといっても燈明崎は北側の対岸も含めた風景が気に入っている。
水はきれいし、
砂も白い。
燈明堂(日本で最初の和式灯台のレプリカ)を北側の海岸から見上げる。
迫力ある地層。
日が少し傾いて海面がキラキラ光って幻想的だった。
写真に撮ってみると、あまりそういう風には写っていないが(/o\)
でもローアングルなら撮り慣れたもの(^^ゞ
春になるとよく見かける(ような気がする)ピンク色の海藻。
打ち上げられた海藻もピンクが混ざっているときれい。
燈明崎はとても小さなエリア。岬を挟んで南北に延びた海岸をチャッチャと見るだけなら10分あれば充分。東京から一番近いけれど、かなりミニチュアな楽園でもある。
それでも変わったものを見つけたり、
岩を眺めたり
海の広さを感じてのんびり過ごせた。
入り口に戻ってみるとBMW F800Rの影で猫がお昼寝中。
帰りは久里浜を通って衣笠インターから横浜横須賀道路。往きと同じじゃつまらないので釜利谷(かまりや)ジャンクションから首都高湾岸線に抜けて、久しぶりにベイブリッジ経由で帰ってきた。走行145キロ。ほとんど高速道路しか走っていないが、このルートは往きも帰りも割と変化があるコースだから「バイクに乗った」気がする。
おしまい
ヴェルニー公園は港に面した公園だが、海を見た感には乏しいのでもう少し足を伸ばすことにした。三浦海岸や湘南あたりを回るにはもう少し遅かった。そうなると行くべきところは1つしかない。去年の秋に三浦半島のマイナースポット巡りをして、その風景の美しさに感動し、それ以来、東京から一番近い楽園と勝手に呼んでいる燈明崎である。
5月23日にも使った、おそらくこれが最後の旧グーグルマップを再び貼っておく。
馬堀海岸、観音崎、浦賀と走り慣れた道路を通って燈明崎到着。
バイクを駐めたのは公園の入り口。
この日は駐車場が有料だった。
岬の南側の海岸もいいけれど、
なんといっても燈明崎は北側の対岸も含めた風景が気に入っている。
水はきれいし、
砂も白い。
燈明堂(日本で最初の和式灯台のレプリカ)を北側の海岸から見上げる。
迫力ある地層。
日が少し傾いて海面がキラキラ光って幻想的だった。
写真に撮ってみると、あまりそういう風には写っていないが(/o\)
でもローアングルなら撮り慣れたもの(^^ゞ
春になるとよく見かける(ような気がする)ピンク色の海藻。
打ち上げられた海藻もピンクが混ざっているときれい。
燈明崎はとても小さなエリア。岬を挟んで南北に延びた海岸をチャッチャと見るだけなら10分あれば充分。東京から一番近いけれど、かなりミニチュアな楽園でもある。
それでも変わったものを見つけたり、
岩を眺めたり
海の広さを感じてのんびり過ごせた。
入り口に戻ってみるとBMW F800Rの影で猫がお昼寝中。
帰りは久里浜を通って衣笠インターから横浜横須賀道路。往きと同じじゃつまらないので釜利谷(かまりや)ジャンクションから首都高湾岸線に抜けて、久しぶりにベイブリッジ経由で帰ってきた。走行145キロ。ほとんど高速道路しか走っていないが、このルートは往きも帰りも割と変化があるコースだから「バイクに乗った」気がする。
おしまい
2015年05月27日
ヴェルニー公園でバラと軍艦 その3
ダイエーの側からヴェルニー公園に入ると、護衛艦は一番奥(のまだ先)に停泊している。大きな船なので公園の入り口から姿は見えているけれど、グレーの地味な色彩だから、あまりその存在は感じない。
でも近づけば、それなりにミリタリーな雰囲気に。遠くから見ている時は、左側の護衛艦の後ろに潜水艦がいるとは気付かなかった。
正面の護衛艦は艦首に116と書いてあるので調べてみると「てるづき」という船名。全長150.5メートル全幅18.3メートルで基準排水量5000トン。2013年就役だからまだ新しい。
話は変わるが船の大きさはトン数で表すことになっていて、何トンの船が遭難したとか沈没したなどとニュースでよく聞く。でもそれで船の大きさがわかるのは船舶・港湾関係者だけだと思う。視聴者の目線で全長何メートルとか、もう少し理解しやすい報道を心掛けて欲しいね。
護衛艦というのもわかりにくいネーミング。自衛隊は軍隊ではないという建前からスタートしたから、軍事用語を独自の自衛隊用語に置き換えていることが多い。戦車のことを以前は特車と呼んでいたし、大佐・中佐・少佐などの階級は一佐・二佐・三佐と数字で表す。でも戦闘機という呼称は昔から使っているから、どういう基準で置き換えているのかはよくわからない。もちろん自衛隊という言葉自体が置き換えでもある。
それで護衛艦は軍艦の置き換えだけれど、戦艦・巡洋艦・駆逐艦などと大きさと用途によって分かれていたネーミングをまとめて護衛艦に置き換えたものだから、護衛艦は海上自衛隊の船舶ということがわかるだけで、どんな種類かはわからない用語になっている。「てるづき」は自衛隊では中規模の船のようだが、これも護衛艦だし、4月に就役して話題になった全長248メートルのヘリコプター空母「いずも」も護衛艦である。もしアメリカの原子力空母クラスの船を持ったとしても、やはり護衛艦と呼ばれることになる。
ベルニー公園から護衛艦が見えるとはいっても、当たり前だがすぐそばまで近寄ることはできない。画質は悪くなるがカメラのデジタルズームを最大倍率にして撮ってみる。
「てるづき」の艦首。
これは口径5インチの砲で大砲というイメージじゃない。口径というのは砲身の内径=砲弾の直径。5インチ=2.54cm x 5 つまり直径12.7cmの砲弾を飛ばす。砲身の長さは約8メートル。射程距離は40km弱らしい。ちなみに戦艦大和の主砲は口径46cm、砲身21.13メートルと桁違いに大きい。射程距離は42kmとそれほど変わらない。ついでに大和の大きさは全長263メートル全幅38.9メートルで基準排水量6万4000トン。
ブリッジ(艦橋)部分。
窓がほとんどなくて景色を楽しめないね(^^ゞ
後ろのヘリコプター格納庫部分。
右側に何枚もあるカラフルなパネルのようなものは何なんだろう?右側に何枚もあるカラフルなパネルのようなものは何なんだろう?(写真をクリックして拡大するとカラフルなことがわかる)
後ろ姿の護衛艦は「あすか」という名前だった。全長151メートルと「てるづき」と同じ大きさ。これは実戦配備されている護衛艦ではなく試験艦という実験船。そんなものがあるとは知らなかった。どうせなら黄色く塗れば人気がでるのに(^^ゞ
格納庫の内部。
けっこうフツー。
潜水艦は名前の手がかりとなるものが見当たらなかった。
少し違う角度から。
この部分をなんと呼ぶか知らないが、側面部にシワが寄っているのが気になる。それと上の方にガラス窓のようなものがある。潜水艦って潜望鏡だけだと思っていた。
本物の潜水艦を見るのは初めて。
最初は興奮したが、ほとんどの部分が水に沈んでいるので意外とつまらない。
以上で軍事偵察任務終了!
軍港巡りの遊覧船ならもっと近くに寄れるのだと思う。
ヴェルニー公園と2隻の護衛艦・潜水艦の位置関係はこんな感じ。海に突き出した右側の半島と真ん中の島は米軍施設。米軍の軍艦は半島中程に停泊しているので(航空写真では空母が写っている)ヴェルニー公園からは見えない。海上自衛隊もメインはもっと左側なので軍港巡りの遊覧船が出ているという訳。
軍艦を見た後は、またバラと芝生の平和なヴェルニー公園を駐車場まで戻る。
ーーー続く
でも近づけば、それなりにミリタリーな雰囲気に。遠くから見ている時は、左側の護衛艦の後ろに潜水艦がいるとは気付かなかった。
正面の護衛艦は艦首に116と書いてあるので調べてみると「てるづき」という船名。全長150.5メートル全幅18.3メートルで基準排水量5000トン。2013年就役だからまだ新しい。
話は変わるが船の大きさはトン数で表すことになっていて、何トンの船が遭難したとか沈没したなどとニュースでよく聞く。でもそれで船の大きさがわかるのは船舶・港湾関係者だけだと思う。視聴者の目線で全長何メートルとか、もう少し理解しやすい報道を心掛けて欲しいね。
護衛艦というのもわかりにくいネーミング。自衛隊は軍隊ではないという建前からスタートしたから、軍事用語を独自の自衛隊用語に置き換えていることが多い。戦車のことを以前は特車と呼んでいたし、大佐・中佐・少佐などの階級は一佐・二佐・三佐と数字で表す。でも戦闘機という呼称は昔から使っているから、どういう基準で置き換えているのかはよくわからない。もちろん自衛隊という言葉自体が置き換えでもある。
それで護衛艦は軍艦の置き換えだけれど、戦艦・巡洋艦・駆逐艦などと大きさと用途によって分かれていたネーミングをまとめて護衛艦に置き換えたものだから、護衛艦は海上自衛隊の船舶ということがわかるだけで、どんな種類かはわからない用語になっている。「てるづき」は自衛隊では中規模の船のようだが、これも護衛艦だし、4月に就役して話題になった全長248メートルのヘリコプター空母「いずも」も護衛艦である。もしアメリカの原子力空母クラスの船を持ったとしても、やはり護衛艦と呼ばれることになる。
ベルニー公園から護衛艦が見えるとはいっても、当たり前だがすぐそばまで近寄ることはできない。画質は悪くなるがカメラのデジタルズームを最大倍率にして撮ってみる。
「てるづき」の艦首。
これは口径5インチの砲で大砲というイメージじゃない。口径というのは砲身の内径=砲弾の直径。5インチ=2.54cm x 5 つまり直径12.7cmの砲弾を飛ばす。砲身の長さは約8メートル。射程距離は40km弱らしい。ちなみに戦艦大和の主砲は口径46cm、砲身21.13メートルと桁違いに大きい。射程距離は42kmとそれほど変わらない。ついでに大和の大きさは全長263メートル全幅38.9メートルで基準排水量6万4000トン。
ブリッジ(艦橋)部分。
窓がほとんどなくて景色を楽しめないね(^^ゞ
後ろのヘリコプター格納庫部分。
右側に何枚もあるカラフルなパネルのようなものは何なんだろう?右側に何枚もあるカラフルなパネルのようなものは何なんだろう?(写真をクリックして拡大するとカラフルなことがわかる)
後ろ姿の護衛艦は「あすか」という名前だった。全長151メートルと「てるづき」と同じ大きさ。これは実戦配備されている護衛艦ではなく試験艦という実験船。そんなものがあるとは知らなかった。どうせなら黄色く塗れば人気がでるのに(^^ゞ
格納庫の内部。
けっこうフツー。
潜水艦は名前の手がかりとなるものが見当たらなかった。
少し違う角度から。
この部分をなんと呼ぶか知らないが、側面部にシワが寄っているのが気になる。それと上の方にガラス窓のようなものがある。潜水艦って潜望鏡だけだと思っていた。
本物の潜水艦を見るのは初めて。
最初は興奮したが、ほとんどの部分が水に沈んでいるので意外とつまらない。
以上で軍事偵察任務終了!
軍港巡りの遊覧船ならもっと近くに寄れるのだと思う。
ヴェルニー公園と2隻の護衛艦・潜水艦の位置関係はこんな感じ。海に突き出した右側の半島と真ん中の島は米軍施設。米軍の軍艦は半島中程に停泊しているので(航空写真では空母が写っている)ヴェルニー公園からは見えない。海上自衛隊もメインはもっと左側なので軍港巡りの遊覧船が出ているという訳。
軍艦を見た後は、またバラと芝生の平和なヴェルニー公園を駐車場まで戻る。
ーーー続く
2015年05月26日
ヴェルニー公園でバラと軍艦 その2
公園の一番西にあるのがヴェルニー記念館。
無料なので入ってみた。
前回のエントリーにアップした銅像とはあまり似ていない。
というかこっちは写真だから、銅像が似ていないというべきか。
この記念館のメイン展示は旧横須賀製鉄所で使用されていたというスチームハンマー。
手前左が0.5トン型で奥が3トン型。
3トン型が手前の方向から。
スチームハンマーといわれてもよくわからないが、
鍛冶屋が鉄を叩くトンカチの大型版のような機械みたいだ。
3トン型は重要文化財らしい。
このプレートによると2台のスチームハンマーは1865年製造で、江戸幕府によって翌年に輸入されたとある。ちなみに明治維新が1868年。そして驚くなかれ3トン型は1997年(平成9年)まで使用されていたとのこと。1866年から数えて131年! シンプルな構造だとは思うが、ずいぶん長持ちするものだ。
これは1/10の模型。
奥のタンクのようなものが蒸気を発生させるボイラーなんだろう。
話はバラに戻って。
今年の春バラは早くて、もう終盤なので全体的な花数はやや少なめだったが、このピンクのバラは遅咲きなのかたくさんの花をつけていた。
やっぱり花は密集して咲いていないと。
こちらは赤とピンクを混ぜて花束にしたようだが、こういうミックスで咲くバラみたい。
実はこのバラとても小さい。大きさの比較のためにペットボトルでも置いて撮影すればよかったが、何となく小さいのがわかるかな。花の直径は2センチくらい。
壁際にあるバラはたくさん咲いているものが多かった。
微妙な色違い。花びらの巻き方も少し違う。
あまりバラっぽくないバラ。
やっぱりバラはこういうノーマルなバラがいいかな。
ヴェルニー公園は公園であってバラ園ではないので、敷地面積に占めるバラの割合はそれほど多くなくて芝生の方が広い。でも公園はその芝生がきれいだったし、港を眺めながらのバラ散歩はなかなかいい気分。その反面、海沿いなのでこの日は強くはなかったがそれでも常に風があり、バラの香りが漂うという感じではないのはいたしかたないところ。ここはJR横須賀駅からは徒歩1〜2分であり、横須賀市民が何となくうらやましい。
ーーー続く
無料なので入ってみた。
前回のエントリーにアップした銅像とはあまり似ていない。
というかこっちは写真だから、銅像が似ていないというべきか。
この記念館のメイン展示は旧横須賀製鉄所で使用されていたというスチームハンマー。
手前左が0.5トン型で奥が3トン型。
3トン型が手前の方向から。
スチームハンマーといわれてもよくわからないが、
鍛冶屋が鉄を叩くトンカチの大型版のような機械みたいだ。
3トン型は重要文化財らしい。
このプレートによると2台のスチームハンマーは1865年製造で、江戸幕府によって翌年に輸入されたとある。ちなみに明治維新が1868年。そして驚くなかれ3トン型は1997年(平成9年)まで使用されていたとのこと。1866年から数えて131年! シンプルな構造だとは思うが、ずいぶん長持ちするものだ。
これは1/10の模型。
奥のタンクのようなものが蒸気を発生させるボイラーなんだろう。
話はバラに戻って。
今年の春バラは早くて、もう終盤なので全体的な花数はやや少なめだったが、このピンクのバラは遅咲きなのかたくさんの花をつけていた。
やっぱり花は密集して咲いていないと。
こちらは赤とピンクを混ぜて花束にしたようだが、こういうミックスで咲くバラみたい。
実はこのバラとても小さい。大きさの比較のためにペットボトルでも置いて撮影すればよかったが、何となく小さいのがわかるかな。花の直径は2センチくらい。
壁際にあるバラはたくさん咲いているものが多かった。
微妙な色違い。花びらの巻き方も少し違う。
あまりバラっぽくないバラ。
やっぱりバラはこういうノーマルなバラがいいかな。
ヴェルニー公園は公園であってバラ園ではないので、敷地面積に占めるバラの割合はそれほど多くなくて芝生の方が広い。でも公園はその芝生がきれいだったし、港を眺めながらのバラ散歩はなかなかいい気分。その反面、海沿いなのでこの日は強くはなかったがそれでも常に風があり、バラの香りが漂うという感じではないのはいたしかたないところ。ここはJR横須賀駅からは徒歩1〜2分であり、横須賀市民が何となくうらやましい。
ーーー続く
2015年05月23日
ヴェルニー公園でバラと軍艦
春バラは5月の中頃から6月にかけて咲くものだが、今年はゴールデンウイークが暑かったものだから、例年より半月ほど早かったらしい。つまりもうピークを過ぎた終盤。以前にも書いたが、だんだんと春と秋が短くなってきて、日本は四季のある国ではなく、そのうち夏と冬だけの二季になるのではないかと心配である。
去年の秋バラは、たまたま立ち寄った小田原フラワーガーデンで二分咲き程度のものを見ただけで、本格的なバラ花見は行きそびれた。今年の春バラも時機を逸した感はあるが、2シーズン見に行かないのも寂しいので、比較的近くの横須賀にあるヴェルニー公園にバラを見に行ってきた。ここは自衛隊や米軍の横須賀基地に隣接しており、軍艦が見られる公園としても有名である。
ところで4月の中頃くらいに新仕様となったグーグルマップ。何かと使いにくいしバグも多い。そろそろ改良されてくるかと期待しているが、今のところその気配なし。ヤフーのマップはさらに使いにくいので困っている。
ところでグーグルのページでは以前のバージョンは使えませんと書いてあるが、
https://www.google.co.jp/maphp
と後ろにmaphpをつけてアクセスすると以前のマップが使用できることを発見。
ただし、この裏技が使えるのも5月いっぱいらしい。
というわけで、たぶんこれが最後の旧グーグルマップによるルート案内。今のところ新仕様ではルートを引けない地形地図を使用。
横須賀まではほとんど高速道路。往きは地図の左側のルート。第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路と乗り継いでいく。途中の横須賀インターで降りたら、本町山中有料道路というのが横須賀駅前まで延びている。しかし、それほど距離もないしETCも使えず小銭を出すのが面倒だったので下道で向かうことに。まったく渋滞もなくあっさり横須賀駅前に出られた。ちなみに本町山中有料道路はクルマもバイクも等しく210円という理不尽な料金体系。
ヴェルニー公園には駐車場がなく、隣のダイエーの駐車場を利用するーーーということは事前に調べておいたが、あまり細かな情報収集までには至らず。それで横須賀インターから山を下ってきて国道16号線にでたら、そこはもうダイエーの前だったので、とりあえず最初にあった駐車場入り口に向かう。
すると有料駐車場入り口の手前にスクーターなどがたくさん駐まっている場所があった。進入口がとても狭いのでダイエーの従業員用かなと思い、有料駐車場の誘導をしていた係員に「ここに駐めていいのか」と尋ねると「空いていればね」という答え。
さいわい1台分だけ空いていた。
写真で見ると何気なく駐めたように見えるが、BMW F800Rはサイドスタンドを出すと、かなり傾くのでハンドルが左にあるスクーターのハンドルに当たってしまう。ハンドルを右に切って収まりのいい位置を見つけるのに3〜4回出し入れを繰り返す。スクーターとはタイヤの傾き方がまったく違うのがわかるかな。
こんな感じの混雑した駐車場で写真左から入って奥をぐるーっと回ってきたのだが、大型バイクにはちょっと狭い。後で公園を出た時、ダイエーの東側(東京と反対側)にもっと広いバイク・自転車用の駐輪場を見かけたので、そちらを利用するほうがいいかもしれない。
ダイエーの横を抜けてヴェルニー公園に向かう。
横須賀軍港めぐりの観光船が出ている。自衛隊や米軍の艦船のすぐそばまで接近するらしい。そのうち乗ってみたいと以前から思っているのだが今回はパス。
この広場の先がヴェルニー公園。
軍港めぐり観光船の発着場。
かなり人が並んでいて人気があるみたい。
ヴェルニー公園到着。
公園は海沿いに細長く伸びたレイアウト。
海縁にはウッドデッキもあっていい感じ。
敷地はいくつかのブロックに区切られており、その中は芝生になっている。今だけ芝生解放中というようなことが書いてあったから、バラのシーズン以外は芝生の中に入れないのかもしれない。
でも公園の芝生というのは見て楽しむのではなく、やっぱりその上で楽しむものだと思う。
芝生と赤いバラとのコントラストがキレイだった。
芝生の隅っこから。
バラの手入れをしている人はあまり多くなかった。
できるだけ痛んでいない花を選んで撮ったつもり。
公園内のあれこれ。
4つ並んだ石碑。
遠くから眺めただけで近づかず。
ハンドルを少し回して日付を水平にして撮ればよかったかも。
西洋人とチョンマゲの日本人の銅像が並んでいる。
西洋人はこの公園の名前にもなっているヴェルニー。
この地に文明開化をもたらしてくれたフランス人。
こちらは小栗上野介(おぐり こうずけのすけ)。
小栗上野介といえば幕府の金銀財宝をどこかに埋めたとかで、糸井重里が昔、赤城山周辺を掘り起こしていた時によく聞いた名前。夢枕に立って埋めた場所を教えておくれ(^^ゞ
噴水。
水が出るところはバラの形をしていた。
公園の中にあるにしては洒落た建物のカフェ。
これはトイレじゃなくて、
昔ここが軍港だった頃の衛兵詰め所。
中には特に何もなし。
詰め所跡からダイエーのほうを眺める。
ビル群と公園の組み合わせがいい感じ。
ーーー続く
去年の秋バラは、たまたま立ち寄った小田原フラワーガーデンで二分咲き程度のものを見ただけで、本格的なバラ花見は行きそびれた。今年の春バラも時機を逸した感はあるが、2シーズン見に行かないのも寂しいので、比較的近くの横須賀にあるヴェルニー公園にバラを見に行ってきた。ここは自衛隊や米軍の横須賀基地に隣接しており、軍艦が見られる公園としても有名である。
ところで4月の中頃くらいに新仕様となったグーグルマップ。何かと使いにくいしバグも多い。そろそろ改良されてくるかと期待しているが、今のところその気配なし。ヤフーのマップはさらに使いにくいので困っている。
ところでグーグルのページでは以前のバージョンは使えませんと書いてあるが、
https://www.google.co.jp/maphp
と後ろにmaphpをつけてアクセスすると以前のマップが使用できることを発見。
ただし、この裏技が使えるのも5月いっぱいらしい。
というわけで、たぶんこれが最後の旧グーグルマップによるルート案内。今のところ新仕様ではルートを引けない地形地図を使用。
横須賀まではほとんど高速道路。往きは地図の左側のルート。第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路と乗り継いでいく。途中の横須賀インターで降りたら、本町山中有料道路というのが横須賀駅前まで延びている。しかし、それほど距離もないしETCも使えず小銭を出すのが面倒だったので下道で向かうことに。まったく渋滞もなくあっさり横須賀駅前に出られた。ちなみに本町山中有料道路はクルマもバイクも等しく210円という理不尽な料金体系。
ヴェルニー公園には駐車場がなく、隣のダイエーの駐車場を利用するーーーということは事前に調べておいたが、あまり細かな情報収集までには至らず。それで横須賀インターから山を下ってきて国道16号線にでたら、そこはもうダイエーの前だったので、とりあえず最初にあった駐車場入り口に向かう。
すると有料駐車場入り口の手前にスクーターなどがたくさん駐まっている場所があった。進入口がとても狭いのでダイエーの従業員用かなと思い、有料駐車場の誘導をしていた係員に「ここに駐めていいのか」と尋ねると「空いていればね」という答え。
さいわい1台分だけ空いていた。
写真で見ると何気なく駐めたように見えるが、BMW F800Rはサイドスタンドを出すと、かなり傾くのでハンドルが左にあるスクーターのハンドルに当たってしまう。ハンドルを右に切って収まりのいい位置を見つけるのに3〜4回出し入れを繰り返す。スクーターとはタイヤの傾き方がまったく違うのがわかるかな。
こんな感じの混雑した駐車場で写真左から入って奥をぐるーっと回ってきたのだが、大型バイクにはちょっと狭い。後で公園を出た時、ダイエーの東側(東京と反対側)にもっと広いバイク・自転車用の駐輪場を見かけたので、そちらを利用するほうがいいかもしれない。
ダイエーの横を抜けてヴェルニー公園に向かう。
横須賀軍港めぐりの観光船が出ている。自衛隊や米軍の艦船のすぐそばまで接近するらしい。そのうち乗ってみたいと以前から思っているのだが今回はパス。
この広場の先がヴェルニー公園。
軍港めぐり観光船の発着場。
かなり人が並んでいて人気があるみたい。
ヴェルニー公園到着。
公園は海沿いに細長く伸びたレイアウト。
海縁にはウッドデッキもあっていい感じ。
敷地はいくつかのブロックに区切られており、その中は芝生になっている。今だけ芝生解放中というようなことが書いてあったから、バラのシーズン以外は芝生の中に入れないのかもしれない。
でも公園の芝生というのは見て楽しむのではなく、やっぱりその上で楽しむものだと思う。
芝生と赤いバラとのコントラストがキレイだった。
芝生の隅っこから。
バラの手入れをしている人はあまり多くなかった。
できるだけ痛んでいない花を選んで撮ったつもり。
公園内のあれこれ。
4つ並んだ石碑。
遠くから眺めただけで近づかず。
ハンドルを少し回して日付を水平にして撮ればよかったかも。
西洋人とチョンマゲの日本人の銅像が並んでいる。
西洋人はこの公園の名前にもなっているヴェルニー。
この地に文明開化をもたらしてくれたフランス人。
こちらは小栗上野介(おぐり こうずけのすけ)。
小栗上野介といえば幕府の金銀財宝をどこかに埋めたとかで、糸井重里が昔、赤城山周辺を掘り起こしていた時によく聞いた名前。夢枕に立って埋めた場所を教えておくれ(^^ゞ
噴水。
水が出るところはバラの形をしていた。
公園の中にあるにしては洒落た建物のカフェ。
これはトイレじゃなくて、
昔ここが軍港だった頃の衛兵詰め所。
中には特に何もなし。
詰め所跡からダイエーのほうを眺める。
ビル群と公園の組み合わせがいい感じ。
ーーー続く
2015年05月19日
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2015(5)
最後に聴いた公演はCホールで、ここには初めて入る。東京国際フォーラムのホームページによれば座席数1502で「音楽ホールの理想の形を追求した」とあるから期待できる。1階席は24列までと常識的な数字。
私の席は11列目で2日のベルリオーズのようにオーケストラの迫力を楽しめるはず。ステージの後ろにある反響板もよく響きそうである。
【公演番号346】
曲名
シューベルト:「ロザムンデ」序曲 D644
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 op.54
演奏
アジス・ショハキモフ (指揮)
デュッセルドルフ交響楽団
エカテリーナ・デルジャヴィナ (ピアノ)
(写真はラ・フォル・ジュルネのホームページより)
指揮者とオーケストラは初日にブラームスとベルリオーズを聴いたのと同じ組み合わせ。彼らがステージに上がってくると、2日で3回目なので妙な親近感を感じる。
ロザムンデ序曲は、まあ前座みたいなもの。このプログラムの本命はシューマンのピアノ協奏曲。この曲は割とよく聴く。出だしのピアノが印象的でドラマティックな曲である。
ピアノの演奏はちょっと固かったかな。演奏の善し悪しはわからないけれど、それでも好き嫌いはある。でもCホールの11列目はAホールの7列目より大きな音でオーケストラを聴けたので、だんだんと細かなことより音楽に身を任せる快感の方がまさってくる。
オーケストラを生で聴いて楽しいのは、その音の厚みである。厚みというのは音色のことではなくて、響きというか音の伝わり方に厚みがあるということ。楽器が空気を振動させて、それが音となって耳に届く。オーディオの場合はスピーカーなわけだが、私には絵のように2次元の平面上に音が展開しているように思える。しかも耳に届くというより、こちらからスピーカーの音を聴きにいっている感じ。それが生オーケストラの場合、平面ではなくステージの奥行きが加わって立方体になって届いた音の中に頭を突っ込んでいるように感じる。この説明が論理的でないのは承知している。でも、そう聞こえるのだから仕方がないし、それが聴きたくて演奏会に出かけているところもある。
何はともあれ、クラシック音楽ってこんなに楽しかったっけと音楽と音に酔いしれた。よく知っている曲なので、演奏がどのあたりまで進んでいるのかがわかる。できたら途中で「戻る」ボタンを押したかったね(^^ゞ
さてシューマンのピアノ協奏曲が素晴らしかったと、どれだけ書いても「そんな曲は知らん」という人のほうが多いだろう。しか〜しである。もしあなたが私の同世代のオッサン・オバハンなら子供の頃に聴いたことがある可能性は高い。ひょっとしたら涙を流しながら聴いていたかも知れない。
なぜならウルトラセブンの最終回、ダンがアンヌに「僕は人間じゃないんだ。M78星雲から来たウルトラセブンなんだ!」と告白する印象的なシーンで使われていたのがシューマンのピアノ協奏曲だからである。
「ウルトラセブンなんだ!」の次のピアノの連打からがシューマンのピアノ協奏曲。
はい、10回見ましたか?
もう涙は拭き終わりましたか(^^ゞ
ウルトラセブンを見ていた頃に、この曲の題名などを知っていたわけではない。しかし大人になって初めて聴いた時、出だしのピアノを聴いたとたんに、あのシルエットになったダンとアンヌのシーンが脳裏に蘇ったーーーというと大げさだが、何となくどこかで聴いた記憶があると思った。それだけあの最終回は子供心に衝撃的だったのだと思う。
まだネットなんかなかった頃の話で、ウルトラセブンで使われていたことを確認するのに時間がかかったが、それ以来「シューマン:ダンとアンヌのピアノ協奏曲 」とかってに曲名を変更している。
今年もラ・フォル・ジュルネを楽しめてよかった。書き忘れたがベルリオーズを聴いた時は、私の前の席に、このイベントの仕掛け人であるルネ・マルタンが座っているという珍しい体験もできた。去年もそうだったが生の演奏を聴いた後は、CDを聴いてもいつもより楽しいし、耳が敏感になるのかより細かなところまで聞こえる気がする。これほど大規模でなくても、気軽に出かけられるクラシック音楽祭がもっとあればいいのにと思う。
おしまい
私の席は11列目で2日のベルリオーズのようにオーケストラの迫力を楽しめるはず。ステージの後ろにある反響板もよく響きそうである。
【公演番号346】
曲名
シューベルト:「ロザムンデ」序曲 D644
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 op.54
演奏
アジス・ショハキモフ (指揮)
デュッセルドルフ交響楽団
エカテリーナ・デルジャヴィナ (ピアノ)
(写真はラ・フォル・ジュルネのホームページより)
指揮者とオーケストラは初日にブラームスとベルリオーズを聴いたのと同じ組み合わせ。彼らがステージに上がってくると、2日で3回目なので妙な親近感を感じる。
ロザムンデ序曲は、まあ前座みたいなもの。このプログラムの本命はシューマンのピアノ協奏曲。この曲は割とよく聴く。出だしのピアノが印象的でドラマティックな曲である。
ピアノの演奏はちょっと固かったかな。演奏の善し悪しはわからないけれど、それでも好き嫌いはある。でもCホールの11列目はAホールの7列目より大きな音でオーケストラを聴けたので、だんだんと細かなことより音楽に身を任せる快感の方がまさってくる。
オーケストラを生で聴いて楽しいのは、その音の厚みである。厚みというのは音色のことではなくて、響きというか音の伝わり方に厚みがあるということ。楽器が空気を振動させて、それが音となって耳に届く。オーディオの場合はスピーカーなわけだが、私には絵のように2次元の平面上に音が展開しているように思える。しかも耳に届くというより、こちらからスピーカーの音を聴きにいっている感じ。それが生オーケストラの場合、平面ではなくステージの奥行きが加わって立方体になって届いた音の中に頭を突っ込んでいるように感じる。この説明が論理的でないのは承知している。でも、そう聞こえるのだから仕方がないし、それが聴きたくて演奏会に出かけているところもある。
何はともあれ、クラシック音楽ってこんなに楽しかったっけと音楽と音に酔いしれた。よく知っている曲なので、演奏がどのあたりまで進んでいるのかがわかる。できたら途中で「戻る」ボタンを押したかったね(^^ゞ
さてシューマンのピアノ協奏曲が素晴らしかったと、どれだけ書いても「そんな曲は知らん」という人のほうが多いだろう。しか〜しである。もしあなたが私の同世代のオッサン・オバハンなら子供の頃に聴いたことがある可能性は高い。ひょっとしたら涙を流しながら聴いていたかも知れない。
なぜならウルトラセブンの最終回、ダンがアンヌに「僕は人間じゃないんだ。M78星雲から来たウルトラセブンなんだ!」と告白する印象的なシーンで使われていたのがシューマンのピアノ協奏曲だからである。
「ウルトラセブンなんだ!」の次のピアノの連打からがシューマンのピアノ協奏曲。
はい、10回見ましたか?
もう涙は拭き終わりましたか(^^ゞ
ウルトラセブンを見ていた頃に、この曲の題名などを知っていたわけではない。しかし大人になって初めて聴いた時、出だしのピアノを聴いたとたんに、あのシルエットになったダンとアンヌのシーンが脳裏に蘇ったーーーというと大げさだが、何となくどこかで聴いた記憶があると思った。それだけあの最終回は子供心に衝撃的だったのだと思う。
まだネットなんかなかった頃の話で、ウルトラセブンで使われていたことを確認するのに時間がかかったが、それ以来「シューマン:ダンとアンヌのピアノ協奏曲 」とかってに曲名を変更している。
今年もラ・フォル・ジュルネを楽しめてよかった。書き忘れたがベルリオーズを聴いた時は、私の前の席に、このイベントの仕掛け人であるルネ・マルタンが座っているという珍しい体験もできた。去年もそうだったが生の演奏を聴いた後は、CDを聴いてもいつもより楽しいし、耳が敏感になるのかより細かなところまで聞こえる気がする。これほど大規模でなくても、気軽に出かけられるクラシック音楽祭がもっとあればいいのにと思う。
おしまい
2015年05月17日
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2015(4)
今年は5月2日〜4日開催のラ・フォル・ジュルネで
5月2日:4公演
5月4日:2公演
を聴いてきた。
ずいぶんと間が空いたが5月4日分のエントリー。この日は午後6時30分と午後7時45分の公演だけなので途中のお散歩はなし。
本日の1つめは2日にベルクとシェーンベルクを聴いたB7ホール。
入り口の様子。
もう見慣れた会場風景。
この会場はパイプ椅子だが、このパイプ椅子は割と座り心地がいい。
私の席は11列目で、やや右寄り。
【公演番号325】
曲名
C.P.E.バッハ:シンフォニア ト長調
C.P.E.バッハ:シンフォニア 変ロ長調
C.P.E.バッハ:チェンバロと2つのヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバスの
ための協奏曲 ニ短調
どの公演のチケットを買おうかプログラムを見ていた時「C.P.E.バッハって誰?」というのが興味を持ったきっかけ。誰でも知っている音楽の父バッハはJ.S.バッハ(ヨハン・セバスチャン・バッハ)である。それでC.P.EなるバッハはJ.S.バッハの息子とのこと。C.P.Eはカール・フィリップ・エマヌエルの略。へえ〜息子も作曲家だったんだと少し調べてみると、生前の父バッハはそれほど評価されておらず、このカール・フィリップ・エマヌエルともう1人の息子であるヨハン・クリスティアンの方が有名だったらしい。
アマゾンのクラシック作曲家別カテゴリーでリストアップされているのは
父 :J.S.バッハ 7002件
息子:C.P.E.バッハ 642件
息子:J.C.バッハ 2449件
え〜私が知らなかっただけでC.P.E.バッハとJ.C.バッハも、たくさんCDが売られているんだとビックリした。しかし息子たちのページにあるCDのほとんどは父J.S.バッハの曲しか入っていないものだったので、この作曲家別カテゴリーというのはあまり信用できない。
それでアマゾンの検索窓にそれぞれの名前を入れて検索してみると
父 :J.S.バッハ 12165件
息子:C.P.E.バッハ 1224件
息子:J.C.バッハ 887件
という結果になった。これでも息子たちの検索ヒット数が相対的に多すぎるように思えるが、それは私が無知なだけかも知れない。
演奏
ロベルト・フォレス・ヴェセス (指揮)
オーヴェルニュ室内管弦楽団
鈴木優人 (チェンバロ)
(写真はラ・フォル・ジュルネのホームページより)
鈴木優人(まさと)のことはほとんど知らなかったけれど、この人は鈴木雅明の息子。父の方は日本クラシック界では割と有名なので何となくは知っている。バッハの息子のC.P.E.バッハの曲を同じく鈴木雅明の息子が弾くというのも面白い。
それでこのプログラムでは面白い体験をした。
まずC.P.E.バッハの曲はどんなだろうと思って聴いていたが、父バッハとはあまり似ていない。バッハとベートーベンを足して割ったようなイメージ。それと低音部の展開が多いのが印象的。
3曲目でオーヴェルニュ室内管弦楽団のチェンバロが退席して鈴木優人と交代。退席した奏者も日本人だったから臨時メンバーかな。チェンバロの楽器自体も入れ替えで、それまでは20名ほどの小規模なオーケストラの中程にあったが、新しいチェンバロは最前列に配置される。登場した鈴木優人はオーラが漂うというのとはまた違うが、才気溢れるという雰囲気の人だった。
それで3曲目はチェンバロ協奏曲。チェンバロとは小型のピアノみたいな楽器。英語ではハープシコード。生で聴くのはたぶん初めて。
でも音が小さい(>_<)
ピアノ協奏曲ならピアノの音はオーケストラに負けていないが、チェンバロは回りの音にかき消されてしまっている。協奏のところはほとんど聴き取れない。それとソロのパートだったり他の楽器の音が小さい場合は、もちろんチェンバロが聞こえてくるのだが、その音がとてもおかしい。一言で言うなら音の帯域が狭い感じ。帯域が狭いとは昔の電話の音声を思い出して欲しい。チェンバロってこんな音だったっけ? まさか楽器が壊れてる?
チェンバロの音に気を取られながら演奏終了。
とはいうものの初めて聴くC.P.E.バッハはなかなかよかった。
ところでクラシックでは演奏が終了した後は拍手を続けて、
指揮者やメインの演奏者がステージからソデに消える
↓
ステージに戻ってくる
↓
指揮者やメインの演奏者がステージからソデに消える
↓
ステージに戻ってくる
↓
指揮者やメインの演奏者がステージからソデに消える
↓
ステージに戻ってくる
と3回ステージに呼び戻すことがお約束になっている。普通はアンコール演奏もあるのだろうが、ラ・フォル・ジュルネの場合はプログラムが立て込んでいてハシゴで見る人が多いせいかアンコールはないものだと思っていた。4回目にソデに消えたら場内が明るくなって公演終了の合図。
ところが鈴木優人は3回目にステージに戻ってきた時にアンコール演奏を始めた。曲名は忘れたが、彼が最初に演奏した思い出の曲だと話していた。
なんていい音色!
さっきまではチェンバロが壊れているのかと疑っていたが、ソロで演奏されたその曲は、ピアノとギターが混ざったようなまさにチェンバロの音色でとても素晴らしかった。短い曲だったが堪能。
じゃあオーケストラと一緒だった時は、どうして帯域の狭いこもったような音に聞こえたのだろう。色だと組み合わせによっては本来とは違う色に見えたりするが、音にもそんなことがあるのか? あるいは私の耳がおかしいのか。手を挙げて質問したいくらいだった。まあチェンバロ協奏曲を生で聴く機会は滅多にないから、この疑問が解決する日が来るかどうかわからないが、とりあえず私の耳にはそう聞こえたというお話。
ーーー続く
5月2日:4公演
5月4日:2公演
を聴いてきた。
ずいぶんと間が空いたが5月4日分のエントリー。この日は午後6時30分と午後7時45分の公演だけなので途中のお散歩はなし。
本日の1つめは2日にベルクとシェーンベルクを聴いたB7ホール。
入り口の様子。
もう見慣れた会場風景。
この会場はパイプ椅子だが、このパイプ椅子は割と座り心地がいい。
私の席は11列目で、やや右寄り。
【公演番号325】
曲名
C.P.E.バッハ:シンフォニア ト長調
C.P.E.バッハ:シンフォニア 変ロ長調
C.P.E.バッハ:チェンバロと2つのヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバスの
ための協奏曲 ニ短調
どの公演のチケットを買おうかプログラムを見ていた時「C.P.E.バッハって誰?」というのが興味を持ったきっかけ。誰でも知っている音楽の父バッハはJ.S.バッハ(ヨハン・セバスチャン・バッハ)である。それでC.P.EなるバッハはJ.S.バッハの息子とのこと。C.P.Eはカール・フィリップ・エマヌエルの略。へえ〜息子も作曲家だったんだと少し調べてみると、生前の父バッハはそれほど評価されておらず、このカール・フィリップ・エマヌエルともう1人の息子であるヨハン・クリスティアンの方が有名だったらしい。
アマゾンのクラシック作曲家別カテゴリーでリストアップされているのは
父 :J.S.バッハ 7002件
息子:C.P.E.バッハ 642件
息子:J.C.バッハ 2449件
え〜私が知らなかっただけでC.P.E.バッハとJ.C.バッハも、たくさんCDが売られているんだとビックリした。しかし息子たちのページにあるCDのほとんどは父J.S.バッハの曲しか入っていないものだったので、この作曲家別カテゴリーというのはあまり信用できない。
それでアマゾンの検索窓にそれぞれの名前を入れて検索してみると
父 :J.S.バッハ 12165件
息子:C.P.E.バッハ 1224件
息子:J.C.バッハ 887件
という結果になった。これでも息子たちの検索ヒット数が相対的に多すぎるように思えるが、それは私が無知なだけかも知れない。
演奏
ロベルト・フォレス・ヴェセス (指揮)
オーヴェルニュ室内管弦楽団
鈴木優人 (チェンバロ)
(写真はラ・フォル・ジュルネのホームページより)
鈴木優人(まさと)のことはほとんど知らなかったけれど、この人は鈴木雅明の息子。父の方は日本クラシック界では割と有名なので何となくは知っている。バッハの息子のC.P.E.バッハの曲を同じく鈴木雅明の息子が弾くというのも面白い。
それでこのプログラムでは面白い体験をした。
まずC.P.E.バッハの曲はどんなだろうと思って聴いていたが、父バッハとはあまり似ていない。バッハとベートーベンを足して割ったようなイメージ。それと低音部の展開が多いのが印象的。
3曲目でオーヴェルニュ室内管弦楽団のチェンバロが退席して鈴木優人と交代。退席した奏者も日本人だったから臨時メンバーかな。チェンバロの楽器自体も入れ替えで、それまでは20名ほどの小規模なオーケストラの中程にあったが、新しいチェンバロは最前列に配置される。登場した鈴木優人はオーラが漂うというのとはまた違うが、才気溢れるという雰囲気の人だった。
それで3曲目はチェンバロ協奏曲。チェンバロとは小型のピアノみたいな楽器。英語ではハープシコード。生で聴くのはたぶん初めて。
でも音が小さい(>_<)
ピアノ協奏曲ならピアノの音はオーケストラに負けていないが、チェンバロは回りの音にかき消されてしまっている。協奏のところはほとんど聴き取れない。それとソロのパートだったり他の楽器の音が小さい場合は、もちろんチェンバロが聞こえてくるのだが、その音がとてもおかしい。一言で言うなら音の帯域が狭い感じ。帯域が狭いとは昔の電話の音声を思い出して欲しい。チェンバロってこんな音だったっけ? まさか楽器が壊れてる?
チェンバロの音に気を取られながら演奏終了。
とはいうものの初めて聴くC.P.E.バッハはなかなかよかった。
ところでクラシックでは演奏が終了した後は拍手を続けて、
指揮者やメインの演奏者がステージからソデに消える
↓
ステージに戻ってくる
↓
指揮者やメインの演奏者がステージからソデに消える
↓
ステージに戻ってくる
↓
指揮者やメインの演奏者がステージからソデに消える
↓
ステージに戻ってくる
と3回ステージに呼び戻すことがお約束になっている。普通はアンコール演奏もあるのだろうが、ラ・フォル・ジュルネの場合はプログラムが立て込んでいてハシゴで見る人が多いせいかアンコールはないものだと思っていた。4回目にソデに消えたら場内が明るくなって公演終了の合図。
ところが鈴木優人は3回目にステージに戻ってきた時にアンコール演奏を始めた。曲名は忘れたが、彼が最初に演奏した思い出の曲だと話していた。
なんていい音色!
さっきまではチェンバロが壊れているのかと疑っていたが、ソロで演奏されたその曲は、ピアノとギターが混ざったようなまさにチェンバロの音色でとても素晴らしかった。短い曲だったが堪能。
じゃあオーケストラと一緒だった時は、どうして帯域の狭いこもったような音に聞こえたのだろう。色だと組み合わせによっては本来とは違う色に見えたりするが、音にもそんなことがあるのか? あるいは私の耳がおかしいのか。手を挙げて質問したいくらいだった。まあチェンバロ協奏曲を生で聴く機会は滅多にないから、この疑問が解決する日が来るかどうかわからないが、とりあえず私の耳にはそう聞こえたというお話。
ーーー続く
2015年05月15日
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2015(3)
5月も早半ばだが、
皇居見物から戻ってきた後の5月2日ラ・フォル・ジュルネ初日の続き。
この日はあと2つの演奏を聴いた。
場所はどちらも巨大なAホール。
階段の下で改札口というかチケット確認。
中2階のようなところでグッズを売っている。
美術展にもよく行くが、美術館の売店と同じようなノリの品揃え。
Tシャツは買いたいのにXLサイズがないんだよなあ。
これは可愛かった。
緑の服がバッハで黒がベートーベン。
Aホールの1階真ん中あたりから後ろの様子。
5008名収容というのはとにかく巨大な空間。
27列目の私の席からの光景。2000人規模の「普通サイズの大ホール」ならほとんど一番後ろに相当するというのは前回書いた通り。
【公演番号115】
曲名
ベートーヴェン:交響曲 第3番 変ホ長調 op.55 「英雄」
演奏
ロベルト・トレヴィーノ (指揮)
シンフォニア・ヴァルソヴィア(オーケストラ)
ラ・フォル・ジュルネはクラシック音楽とはいえ、カジュアルな音楽祭なので小編成のアンサンブル(2人以上で演奏すること)では服装もカジュアルなことがある。でもオーケストラではそれなりにフォーマルな服装。指揮者はモーニングや燕尾服のような裾の長い服を着ている場合が多いが、このポーランドのオーケストラであるシンフォニア・ヴァルソヴィアでは、男性の演奏者もそういう服を着ていて格調高い雰囲気。
久しぶりに聴くベートーベンの英雄は、他に演奏を評価するボキャブラリーを持っていれば思うが、普通によかった。音量は本日2つめに聴いた公演とほぼ同じ座席位置だからあまり迫力はないが、だんだんと耳が慣れた以上に演奏の後半は音が大きくなったように感じた。オーケストラもだんだんとノッテきたのかな。
ちなみに全部で9つあるベートーベンの交響曲のうち
第3番:英雄
第5番:運命
第6番:田園
の3つだけにタイトルがついている。それで3番だけは英雄ではなく、そのイタリア語やフランス語であるエロイカといった方が通っぽい。英雄というタイトルがついている曲は他にもあるかも知れないけれど、クラシック音楽界でエロイカといえばベートーベンの交響曲第3番を指す。「ベートーベンの英雄」というより「エロイカ」といったほうがそれっぽいから、ハッタリを効かす必要がある時は思いだして。でも間違っても運命のことをディスティニーなんていわないように。
次の公演まで1時間ちょっとあるので、また会場をブラブラ。
こちらはホールではなくガラス棟と呼ばれる建物。全部で31の会議室が入っている。この船のような屋根のデザインが東京国際フォーラムのシンボル。
もうこの時間になるとチケット売り場も人は少ない。
地階にある展示ホール。このエリアに入るにはラ・フォル・ジュルネの公演チケットか、その半券を見せる必要がある。
前夜祭の様子のパネル写真。
前夜祭があるなんて知らなかった。来年は来てみようかな。
LFJはもちろんラ・フォル・ジュルネの略だが、
アルファベット3文字で書くと銀行みたい。
協賛メーカーの宣伝ブースもある。
CD売り場。
展示ホールの半分を使っておこなわれている無料コンサート。
私がいた時はまだ音合わせ中で演奏は聴けなかった。
外はすっかり日が落ちているが、
人の多さは相変わらず。
本日3回目のAホールに向かう。
ホールに入ってみると、
まだ楽団員が練習していた。
普通は開演前にホールに入ると音が聞こえる場合でもステージには誰もいないから、練習はステージの裏かどこかでやるものだと思っていた。だから珍しいものを見られてラッキー。ステージで練習することを事前に知っていたらブラブラしないでまっすぐ会場に来たのに。残念ながら私が着いてすぐ練習は終わってしまった。
それで今回は7列目。しかもど真ん中の席!
【公演番号116】
曲名
ベルリオーズ:幻想交響曲 op.14
演奏
アジス・ショハキモフ (指揮)
デュッセルドルフ交響楽団
指揮者とオーケストラは
本日2つめに聴いたブラームスのピアノ協奏曲と同じ組み合わせである。
この公演はとても楽しみにしていた。ベルリオーズの幻想交響曲は第4楽章で「♪ター、タンタタ、ドゥバァー」とドゥバァーのところでチューバの重低音が炸裂する。以前にちょっとガタツキのある棚にスピーカーを入れていた時は、そのドゥバァーで床に振動が伝わってきたくらいである。それを生のオーケストラで聴いたら、どんな風なんだろうかとずっと思っていた。それがいよいよ実現する。しかも7列目の席。この歳になって期待に胸高鳴るなんて経験をするとは思わなかった(^^ゞ
演奏が始まった。さすが7列目。遠くで音楽が鳴っているのではなく、身体の周りが音で包まれる。ベルリオーズの幻想交響曲は「幻想」というタイトルからイメージされる華麗に流れるような音楽ではなく、とてもリズミカルで立体的な交響曲。オーケストラも弾けるべきころは弾け、うねるべきところはうねってとても素晴らしかった。指揮者のショハキモフはブラームスの時もアクションが大きかったが、このベルリオーズでは「もし猫が後ろ脚で立ってダンスを踊ったらこんな感じか」というような動きでノリノリ(わかりづらい比喩でゴメン)。
ところで期待していたチューバのドゥバァー。結論から言うとチューバの音は聞こえなかった(>_<) よく考えればそれは当たり前で、あそこはすべての楽器がフォルテシモで鳴っているのだから、2〜3人しかいないチューバの音だけが特別に響いて聞こえるはずがない。たぶん私の持っているCDは、ドゥバァーのところでチューバがよく聞こえるようにミキシング(音量調整)する演出をおこなっているのだろう。それはそれでありだと思うし、会場ではオーケストラ全体でのドゥバァーが大迫力だったので大満足。
いままではステージと席が遠かったので、何となく耳をそばだてて聴いているようなところがあった。集中して全体を俯瞰的に聴くと曲のことがわかった(ような気になって)それも面白かったけれど、やっぱりオーケストラの醍醐味を味わうにはある程度以上の音量が必要。Aホールの48列目、29列目、27列目、7列目で聴いた経験からいうと、このホールは少なくとも15列までのシートを確保する必要があると思う。
ーーー続く
皇居見物から戻ってきた後の5月2日ラ・フォル・ジュルネ初日の続き。
この日はあと2つの演奏を聴いた。
場所はどちらも巨大なAホール。
階段の下で改札口というかチケット確認。
中2階のようなところでグッズを売っている。
美術展にもよく行くが、美術館の売店と同じようなノリの品揃え。
Tシャツは買いたいのにXLサイズがないんだよなあ。
これは可愛かった。
緑の服がバッハで黒がベートーベン。
Aホールの1階真ん中あたりから後ろの様子。
5008名収容というのはとにかく巨大な空間。
27列目の私の席からの光景。2000人規模の「普通サイズの大ホール」ならほとんど一番後ろに相当するというのは前回書いた通り。
【公演番号115】
曲名
ベートーヴェン:交響曲 第3番 変ホ長調 op.55 「英雄」
演奏
ロベルト・トレヴィーノ (指揮)
シンフォニア・ヴァルソヴィア(オーケストラ)
ラ・フォル・ジュルネはクラシック音楽とはいえ、カジュアルな音楽祭なので小編成のアンサンブル(2人以上で演奏すること)では服装もカジュアルなことがある。でもオーケストラではそれなりにフォーマルな服装。指揮者はモーニングや燕尾服のような裾の長い服を着ている場合が多いが、このポーランドのオーケストラであるシンフォニア・ヴァルソヴィアでは、男性の演奏者もそういう服を着ていて格調高い雰囲気。
久しぶりに聴くベートーベンの英雄は、他に演奏を評価するボキャブラリーを持っていれば思うが、普通によかった。音量は本日2つめに聴いた公演とほぼ同じ座席位置だからあまり迫力はないが、だんだんと耳が慣れた以上に演奏の後半は音が大きくなったように感じた。オーケストラもだんだんとノッテきたのかな。
ちなみに全部で9つあるベートーベンの交響曲のうち
第3番:英雄
第5番:運命
第6番:田園
の3つだけにタイトルがついている。それで3番だけは英雄ではなく、そのイタリア語やフランス語であるエロイカといった方が通っぽい。英雄というタイトルがついている曲は他にもあるかも知れないけれど、クラシック音楽界でエロイカといえばベートーベンの交響曲第3番を指す。「ベートーベンの英雄」というより「エロイカ」といったほうがそれっぽいから、ハッタリを効かす必要がある時は思いだして。でも間違っても運命のことをディスティニーなんていわないように。
次の公演まで1時間ちょっとあるので、また会場をブラブラ。
こちらはホールではなくガラス棟と呼ばれる建物。全部で31の会議室が入っている。この船のような屋根のデザインが東京国際フォーラムのシンボル。
もうこの時間になるとチケット売り場も人は少ない。
地階にある展示ホール。このエリアに入るにはラ・フォル・ジュルネの公演チケットか、その半券を見せる必要がある。
前夜祭の様子のパネル写真。
前夜祭があるなんて知らなかった。来年は来てみようかな。
LFJはもちろんラ・フォル・ジュルネの略だが、
アルファベット3文字で書くと銀行みたい。
協賛メーカーの宣伝ブースもある。
CD売り場。
展示ホールの半分を使っておこなわれている無料コンサート。
私がいた時はまだ音合わせ中で演奏は聴けなかった。
外はすっかり日が落ちているが、
人の多さは相変わらず。
本日3回目のAホールに向かう。
ホールに入ってみると、
まだ楽団員が練習していた。
普通は開演前にホールに入ると音が聞こえる場合でもステージには誰もいないから、練習はステージの裏かどこかでやるものだと思っていた。だから珍しいものを見られてラッキー。ステージで練習することを事前に知っていたらブラブラしないでまっすぐ会場に来たのに。残念ながら私が着いてすぐ練習は終わってしまった。
それで今回は7列目。しかもど真ん中の席!
【公演番号116】
曲名
ベルリオーズ:幻想交響曲 op.14
演奏
アジス・ショハキモフ (指揮)
デュッセルドルフ交響楽団
指揮者とオーケストラは
本日2つめに聴いたブラームスのピアノ協奏曲と同じ組み合わせである。
この公演はとても楽しみにしていた。ベルリオーズの幻想交響曲は第4楽章で「♪ター、タンタタ、ドゥバァー」とドゥバァーのところでチューバの重低音が炸裂する。以前にちょっとガタツキのある棚にスピーカーを入れていた時は、そのドゥバァーで床に振動が伝わってきたくらいである。それを生のオーケストラで聴いたら、どんな風なんだろうかとずっと思っていた。それがいよいよ実現する。しかも7列目の席。この歳になって期待に胸高鳴るなんて経験をするとは思わなかった(^^ゞ
演奏が始まった。さすが7列目。遠くで音楽が鳴っているのではなく、身体の周りが音で包まれる。ベルリオーズの幻想交響曲は「幻想」というタイトルからイメージされる華麗に流れるような音楽ではなく、とてもリズミカルで立体的な交響曲。オーケストラも弾けるべきころは弾け、うねるべきところはうねってとても素晴らしかった。指揮者のショハキモフはブラームスの時もアクションが大きかったが、このベルリオーズでは「もし猫が後ろ脚で立ってダンスを踊ったらこんな感じか」というような動きでノリノリ(わかりづらい比喩でゴメン)。
ところで期待していたチューバのドゥバァー。結論から言うとチューバの音は聞こえなかった(>_<) よく考えればそれは当たり前で、あそこはすべての楽器がフォルテシモで鳴っているのだから、2〜3人しかいないチューバの音だけが特別に響いて聞こえるはずがない。たぶん私の持っているCDは、ドゥバァーのところでチューバがよく聞こえるようにミキシング(音量調整)する演出をおこなっているのだろう。それはそれでありだと思うし、会場ではオーケストラ全体でのドゥバァーが大迫力だったので大満足。
いままではステージと席が遠かったので、何となく耳をそばだてて聴いているようなところがあった。集中して全体を俯瞰的に聴くと曲のことがわかった(ような気になって)それも面白かったけれど、やっぱりオーケストラの醍醐味を味わうにはある程度以上の音量が必要。Aホールの48列目、29列目、27列目、7列目で聴いた経験からいうと、このホールは少なくとも15列までのシートを確保する必要があると思う。
ーーー続く
2015年05月14日
皇居見物 続き 東御苑
5月2日にラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの公演に間に出かけた皇居見物の続き。
(前回のエントリーは3つ前)
大手門から皇居東御苑に入る。
大手門とは城の正門を指す。
門をくぐってすぐ右に曲がり、工事中の櫓(やぐら)の下を通る。
門からまっすぐ中に向かえないのは敵の侵入を遅らせるためらしい。
その後、こんな入園票を手渡されて公園の中に入る。
この入園票は帰る時に返す。公園は無料なのになぜこんなシステムがあるのか不思議。手渡した入園票と戻ってきた入園票の数を数えれば、公園が閉まる時刻に中に残っている人の数が分かる理屈にはなる。しかし受け渡し方はけっこうアバウトだから、こんなことで正確な人数を把握できるとは思えない。また観光バスから大勢の人がこの公園に入ってきたら、この場所がボトルネックになって混雑する。役所というのは意味のないことに無駄な人件費を使うことが好きだ。
江戸城だった頃の建物がいくつか残っている。
同心番所。
いってみれば警官詰め所。
百人番所。
かなり大きな建物。機能としては同心番所と同じだが、こちらには武装した同心や与力(同心の上級職)が警護に当たっていたようである。
百人番所の前には石垣があった。写真ではわかりにくいが、奥の石垣と石垣の間を直角に曲がって城の中へ進むようになっている。これも敵に攻められた時、一気に侵攻されるのを防ぐ工夫かもしれない。
大番所。
ここには少し位の高い与力や同心がいたらしい。
とにかく江戸城の最初は検問所だらけである。
石垣の間を抜けて中へ進んでいく。少し上り坂。
場所によって石垣の積み方というか工作精度が違う。
そして芝生の広場に出る。
かつてはここに江戸城の主要な建物が並んでいた。
一番奥にある天守台。
天守閣が建っていたところの土台部分。
一般に城と聞くと思い浮かべるのは天守閣の姿。でも天守閣は城の建物の一部であって、殿様が住んでいたり執務を行う場所ではない。高い位置から地上を見渡せるので監視塔としての役割と、城のステイタスをアピールするためのもの。
江戸城の場合、早い時期に天守閣を焼失している。しかし世の中が平和になって軍事的に不要になったのと財政難の両方の理由から再建されていない。
天守に関連する江戸城の歴史は
1590年:徳川家康が江戸城を居城とする。
1607年:天守閣完成。
1615年:大阪夏の陣で豊臣家敗れる。
1622年:天守閣リニューアル。
1638年:天守閣リニューアル。
1657年:火事により天守閣を焼失。その後の再建はなし。
というわけで江戸幕府250年の歴史のうち、江戸城に天守閣が建っていたのは50年ほどに過ぎない。なお天守閣ではなく天守が正しく、天守閣というのは俗称らしい。
天守台から下を見下ろす。
天守があれば、その一番上からは江戸時代なら海まで見えたはず。
江戸城の本丸(一番メインの建物群)と天守台の位置関係。
現在位置のところが天守台。
ということで1つ前の写真に写っている芝生は大奥あたり。家康や家光が暮らしていた本丸を、その跡地とはいえ歩けたのは何となく感慨深い。
天守台の上。
意外と狭い。歩測してみたら30歩と22歩だった。歩幅75センチで計算すると22.5メートル×16.5メートル=371平方メートル。マンション4〜5部屋分といったところ。
※2022年追記
歩測したのは天守台の一部でした。全体の様子はこちらの投稿から。
皇居東御苑はツツジの名所とも聞いていたのに、いくつか生け垣的にあっただけ。
後で調べると、この日は御苑内の主に西半分を回ったのだが、いろんな花が咲いているのは東側のエリアらしい。もっと下調べしてから行けばよかったと反省。
芝生広場の横を歩いていると、バラのいい匂いがしてきた。
黄色いのがキモッコウバラで、
白いのがモッコウバラ。
黄色と白で咲き方が少し違う。
その先を歩いて行くと、
忠臣蔵で有名な松の廊下跡。
でも、小さな石碑がぽつんとあるだけ。
東京のガッカリ名所に認定(^^ゞ
入ってきたのと同じ大手門へ向かう。他にも2つ出入り口がある。
入園票を無くしたといったらどんな対応をするか興味あったが、
騒ぎは起こさずおとなしく公園を後にする。
ドローンは禁止らしい。
閉園は午後5時。まだ少し前だったが大手門の扉は半分閉まっていた。
江戸城に思いをはせながら東御苑を散策した後は、メトロポリスTOKYOにカムバック。
日比谷通りを超え、丸の内に入ったら東京駅はすぐ。
東京駅の北側。
2012年10月に復元工事が完成したが、どこが変わったのかよく知らない。
東京駅の前に2本そびえ立っているのは右側が「新丸ビル」で左側が「丸ビル」。大阪梅田にある丸ビルは丸い形のビルだからだが、東京の丸ビルは丸の内ビルディングの意味。丸ビルは2002年、新丸ビルは2007年に建て替えられた。
東京駅正面は工事中の壁があって写真撮影的にはイマイチ。
と思ったらビルの屋上に人影発見。
東京駅はあそこから眺めるものらしい。
屋上に人がいたのは東京中央郵便局。ちょっとクラシックな建物に見えるが、これは郵便局を高層ビルに建て替える際に、旧局舎外壁の一部だけを残したもの。
東京駅の北側。
ちょっとヨーロッパぽくも見える。
スカイバス(2階建ての屋根のない観光バス)の乗り場。
銀座でも走っているのをよく見かける。都内観光といえば黄色い「はとバス」が有名であるが、こちらは日の丸自動車興業という会社が運行している。はとバスもオープントップのバスを運行していて、そちらは O Sola mio(オー・ソラ・ミオ)とイタリア人観光客を乗せるには恥ずかしい名前となっている。ちなみにイタリア・カンツォーネの「オー・ソレ・ミヨ」は「私の太陽」という意味。
再び三菱一号美術館の横を通って、
東京国際フォーラム北側に戻ってきた。
予定通り3時間ほどのお散歩。
バッハやモーツアルトも江戸時代の人だから、ラ・フォル・ジュルネに来て皇居の江戸城跡を見て回るというのは時間軸的に正しい過ごし方ともいえる。
屋台でトルコ料理のドネルケバブを買って、次の公演までに腹ごしらえ。
ーーー続く
(前回のエントリーは3つ前)
大手門から皇居東御苑に入る。
大手門とは城の正門を指す。
門をくぐってすぐ右に曲がり、工事中の櫓(やぐら)の下を通る。
門からまっすぐ中に向かえないのは敵の侵入を遅らせるためらしい。
その後、こんな入園票を手渡されて公園の中に入る。
この入園票は帰る時に返す。公園は無料なのになぜこんなシステムがあるのか不思議。手渡した入園票と戻ってきた入園票の数を数えれば、公園が閉まる時刻に中に残っている人の数が分かる理屈にはなる。しかし受け渡し方はけっこうアバウトだから、こんなことで正確な人数を把握できるとは思えない。また観光バスから大勢の人がこの公園に入ってきたら、この場所がボトルネックになって混雑する。役所というのは意味のないことに無駄な人件費を使うことが好きだ。
江戸城だった頃の建物がいくつか残っている。
同心番所。
いってみれば警官詰め所。
百人番所。
かなり大きな建物。機能としては同心番所と同じだが、こちらには武装した同心や与力(同心の上級職)が警護に当たっていたようである。
百人番所の前には石垣があった。写真ではわかりにくいが、奥の石垣と石垣の間を直角に曲がって城の中へ進むようになっている。これも敵に攻められた時、一気に侵攻されるのを防ぐ工夫かもしれない。
大番所。
ここには少し位の高い与力や同心がいたらしい。
とにかく江戸城の最初は検問所だらけである。
石垣の間を抜けて中へ進んでいく。少し上り坂。
場所によって石垣の積み方というか工作精度が違う。
そして芝生の広場に出る。
かつてはここに江戸城の主要な建物が並んでいた。
一番奥にある天守台。
天守閣が建っていたところの土台部分。
一般に城と聞くと思い浮かべるのは天守閣の姿。でも天守閣は城の建物の一部であって、殿様が住んでいたり執務を行う場所ではない。高い位置から地上を見渡せるので監視塔としての役割と、城のステイタスをアピールするためのもの。
江戸城の場合、早い時期に天守閣を焼失している。しかし世の中が平和になって軍事的に不要になったのと財政難の両方の理由から再建されていない。
天守に関連する江戸城の歴史は
1590年:徳川家康が江戸城を居城とする。
1607年:天守閣完成。
1615年:大阪夏の陣で豊臣家敗れる。
1622年:天守閣リニューアル。
1638年:天守閣リニューアル。
1657年:火事により天守閣を焼失。その後の再建はなし。
というわけで江戸幕府250年の歴史のうち、江戸城に天守閣が建っていたのは50年ほどに過ぎない。なお天守閣ではなく天守が正しく、天守閣というのは俗称らしい。
天守台から下を見下ろす。
天守があれば、その一番上からは江戸時代なら海まで見えたはず。
江戸城の本丸(一番メインの建物群)と天守台の位置関係。
現在位置のところが天守台。
ということで1つ前の写真に写っている芝生は大奥あたり。家康や家光が暮らしていた本丸を、その跡地とはいえ歩けたのは何となく感慨深い。
天守台の上。
意外と狭い。歩測してみたら30歩と22歩だった。歩幅75センチで計算すると22.5メートル×16.5メートル=371平方メートル。マンション4〜5部屋分といったところ。
※2022年追記
歩測したのは天守台の一部でした。全体の様子はこちらの投稿から。
皇居東御苑はツツジの名所とも聞いていたのに、いくつか生け垣的にあっただけ。
後で調べると、この日は御苑内の主に西半分を回ったのだが、いろんな花が咲いているのは東側のエリアらしい。もっと下調べしてから行けばよかったと反省。
芝生広場の横を歩いていると、バラのいい匂いがしてきた。
黄色いのがキモッコウバラで、
白いのがモッコウバラ。
黄色と白で咲き方が少し違う。
その先を歩いて行くと、
忠臣蔵で有名な松の廊下跡。
でも、小さな石碑がぽつんとあるだけ。
東京のガッカリ名所に認定(^^ゞ
入ってきたのと同じ大手門へ向かう。他にも2つ出入り口がある。
入園票を無くしたといったらどんな対応をするか興味あったが、
騒ぎは起こさずおとなしく公園を後にする。
ドローンは禁止らしい。
閉園は午後5時。まだ少し前だったが大手門の扉は半分閉まっていた。
江戸城に思いをはせながら東御苑を散策した後は、メトロポリスTOKYOにカムバック。
日比谷通りを超え、丸の内に入ったら東京駅はすぐ。
東京駅の北側。
2012年10月に復元工事が完成したが、どこが変わったのかよく知らない。
東京駅の前に2本そびえ立っているのは右側が「新丸ビル」で左側が「丸ビル」。大阪梅田にある丸ビルは丸い形のビルだからだが、東京の丸ビルは丸の内ビルディングの意味。丸ビルは2002年、新丸ビルは2007年に建て替えられた。
東京駅正面は工事中の壁があって写真撮影的にはイマイチ。
と思ったらビルの屋上に人影発見。
東京駅はあそこから眺めるものらしい。
屋上に人がいたのは東京中央郵便局。ちょっとクラシックな建物に見えるが、これは郵便局を高層ビルに建て替える際に、旧局舎外壁の一部だけを残したもの。
東京駅の北側。
ちょっとヨーロッパぽくも見える。
スカイバス(2階建ての屋根のない観光バス)の乗り場。
銀座でも走っているのをよく見かける。都内観光といえば黄色い「はとバス」が有名であるが、こちらは日の丸自動車興業という会社が運行している。はとバスもオープントップのバスを運行していて、そちらは O Sola mio(オー・ソラ・ミオ)とイタリア人観光客を乗せるには恥ずかしい名前となっている。ちなみにイタリア・カンツォーネの「オー・ソレ・ミヨ」は「私の太陽」という意味。
再び三菱一号美術館の横を通って、
東京国際フォーラム北側に戻ってきた。
予定通り3時間ほどのお散歩。
バッハやモーツアルトも江戸時代の人だから、ラ・フォル・ジュルネに来て皇居の江戸城跡を見て回るというのは時間軸的に正しい過ごし方ともいえる。
屋台でトルコ料理のドネルケバブを買って、次の公演までに腹ごしらえ。
ーーー続く
2015年05月13日
塩船観音寺のツツジは見頃過ぎ(/o\) その2
観音像のところからツツジ園を見おろす。
ほとんど緑だけれど、これが満開ならさぞ素晴らしいだろうことは充分にわかる。
観音像の後ろにあった標識。
展望休憩所というのが気になる。
ハイキングのおバアちゃんたちの後についていくが、
先が長そうなので数十メートルでUターン。
ハイキングコースの下はゴルフ場だった。
西側の尾根から東斜面。
紫ばかりでアジサイのようだった西斜面よりツツジの色数が多い。
とにかくコロコロした感じで可愛い風景。
ひたち海浜公園のコキアを思い出す。
肝心のツツジはところどころにきれいな花が残っていた程度。痛んでいない花を選んで撮ったが、それでも花に勢いは感じられない。こんな看板にめげずに、ツツジ園の斜面をあちこち見て歩いたがたいした収穫はなし。
一番多かったのが薄紫。
赤は全滅で、このオレンジがかったのが少しあった程度。
白はシミのようなものが出始めていて残念。
これはキレイだったし状態もよかった。
ツツジ園真ん中の広場に降りてくる。
護摩堂。
護摩とは火を燃やしながらお経を上げる修行。
本堂の前にもあった線香を焚く爐(いろり)。
交通安全と書かれたお堂があった。
中に祀られていたのは不動明王。
ツーリングの無事を願い、深々と頭を下げておくm(_ _)m
護摩堂の裏手が一番のビューポイント。
もう1週間早く来れば、こんな光景を見られたはず。
午後2時頃に塩船観音を後にする。
まだ早かったので奥多摩の方までツーリング。御岳(みたけ)渓谷や奥多摩湖の方には向かわず31号線〜33号線と檜原村や秋川渓谷あたりを走ってきた。この日は28度くらいあったけれど山の中は5度ほど低く、また新緑が気持ちよかった。
新しいグーグルマップは、相変わらずルートが高速道路からはみ出したりと動作におかしいところが残っている。それと地図・地形図・航空写真の3つの表示があるのは従来通りだが、なぜか地形図ではルートを引けない。デザイン的にあっさりしているし、それでいて山岳部かどうかわかるから地形図が一番気に入っていたのに。というわけで久しぶりの航空写真。道路名の一部が暗い文字になっているのもバグだと思う。
最後は522号で甲州街道まで降りて、相模湖から中央自動車道。
午後5時半頃帰宅で走行188キロ。
咲き誇るツツジは見られなかったものの、塩入観音はそれなりに楽しい場所だった。久しぶりのクネクネ道路も、一部を除いてクルマも少なく快適に走れたし、なんといってもこの季節はバイクで走ること自体が気持ちいい。
だからOK牧場(^^ゞ
おしまい
ほとんど緑だけれど、これが満開ならさぞ素晴らしいだろうことは充分にわかる。
観音像の後ろにあった標識。
展望休憩所というのが気になる。
ハイキングのおバアちゃんたちの後についていくが、
先が長そうなので数十メートルでUターン。
ハイキングコースの下はゴルフ場だった。
西側の尾根から東斜面。
紫ばかりでアジサイのようだった西斜面よりツツジの色数が多い。
とにかくコロコロした感じで可愛い風景。
ひたち海浜公園のコキアを思い出す。
肝心のツツジはところどころにきれいな花が残っていた程度。痛んでいない花を選んで撮ったが、それでも花に勢いは感じられない。こんな看板にめげずに、ツツジ園の斜面をあちこち見て歩いたがたいした収穫はなし。
一番多かったのが薄紫。
赤は全滅で、このオレンジがかったのが少しあった程度。
白はシミのようなものが出始めていて残念。
これはキレイだったし状態もよかった。
ツツジ園真ん中の広場に降りてくる。
護摩堂。
護摩とは火を燃やしながらお経を上げる修行。
本堂の前にもあった線香を焚く爐(いろり)。
交通安全と書かれたお堂があった。
中に祀られていたのは不動明王。
ツーリングの無事を願い、深々と頭を下げておくm(_ _)m
護摩堂の裏手が一番のビューポイント。
もう1週間早く来れば、こんな光景を見られたはず。
午後2時頃に塩船観音を後にする。
まだ早かったので奥多摩の方までツーリング。御岳(みたけ)渓谷や奥多摩湖の方には向かわず31号線〜33号線と檜原村や秋川渓谷あたりを走ってきた。この日は28度くらいあったけれど山の中は5度ほど低く、また新緑が気持ちよかった。
新しいグーグルマップは、相変わらずルートが高速道路からはみ出したりと動作におかしいところが残っている。それと地図・地形図・航空写真の3つの表示があるのは従来通りだが、なぜか地形図ではルートを引けない。デザイン的にあっさりしているし、それでいて山岳部かどうかわかるから地形図が一番気に入っていたのに。というわけで久しぶりの航空写真。道路名の一部が暗い文字になっているのもバグだと思う。
最後は522号で甲州街道まで降りて、相模湖から中央自動車道。
午後5時半頃帰宅で走行188キロ。
咲き誇るツツジは見られなかったものの、塩入観音はそれなりに楽しい場所だった。久しぶりのクネクネ道路も、一部を除いてクルマも少なく快適に走れたし、なんといってもこの季節はバイクで走ること自体が気持ちいい。
だからOK牧場(^^ゞ
おしまい
2015年05月10日
塩船観音寺のツツジは見頃過ぎ(/o\)
去年、足利フラワーパークに藤の花を見に行って、藤と同じくらいあるいはそれ以上に感激したのがツツジ。ツツジなんて街路樹として道路のあちこちで咲いているから「わざわざ見に行く花」リストには入っていなかったのだが、それ以来「ぜひとも見に行くべき花」に認識が変わった。
とはいえ関東の平野部でツツジはゴールデンウィークあたりに最盛期を迎える。ゴールデンウィークは渋滞がハンパないのでどうにも苦手。今年はラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに2日間出かけたし(まだブログを書き終えてないけど)、大画面に買い換えたばかりでテレビを見るのが楽しかったし、その他諸々あってどこにも花見ツーリングに出かけずじまい。
青梅市にある塩船観音は都内ではトップランクに入るツツジの名所。お寺のホームページの開花情報は4月30日で更新が止まっていたけれど、5月5日前後でまだまだキレイというブログもいくつかあったのでダメ元で出かけてきた。
中央自動車道〜八王子ジャンクション経由〜圏央道で1時間ちょっと。お寺直営?の駐車場はいくつかあって、ここは第2駐車場かな。向こうの斜面にもツツジが見える。
駐車料金はクルマ700円、バイク200円でちょっと高め。
バイク専用の区画はなく敷地の隅っこに駐める。
塩船観音は斜面に沿った地形で、第2駐車場は少し斜面を上がったところにある。右側はお寺の敷地。山門正面の第1駐車場は満車だった。まあ歩くといっても2〜3分程度。
この道にも、ところどころツツジが植えられていて、、
それを見ただけでもう見頃が過ぎた雰囲気は伝わってくる(/o\)
山門(入り口のこと)の様子。
石柱にある文字。
別格本山とは総本山>大本山>別格本山>本山という、本山での序列を示すらしい。本山とは宗派の中で位の高い寺院。本山=元締めと言葉を置き換えれば理解しやすいかも。
その下は旧字体で国宝と書いてある。塩船観音の建物のうち3つは国の重要文化財の指定を受けているが国宝ではない。盛ってるの?
調べてみると以前は国宝保存法というものがあり、1950年に廃止されて文化財保護法に切り替わった。文化財保護法は新しく国宝を選び直し、選ばれなかった旧国宝は重要文化財として扱われることとなった。塩船観音のものは残念ながら新国宝には選ばれなかったということ。65年も経っているのだから石柱を書き換えても良さそうなものなのに、まだ未練があるのかな。
案内図。
このレイアウトより実際はもっと細長い敷地である。
山門は仁王門だった。
重要文化財指定。
仁王様には失礼して、格子の隙間にカメラを突っ込んで撮影。
左は口を閉じているから吽形(うんぎょう)
右は口を開いているから阿形(あぎょう)。「あ」と発音すれば口を開き「うん」なら口を閉じるとイメージすれば覚えやすい。それにしても乳首の形が気になる(^^ゞ
参道を進む。
最初にあるのは阿弥陀堂。
これも重要文化財指定。指定されているのはいずれも室町時代後期の建立とされる。ということは500年以上も昔になるが、そんなに古い感じはしなかった。
阿弥陀様。
その先にあった入場券売り場。
ご覧のようにツツジ祭りは終了しているので無料。無料でガッカリすることは珍しいかも。お寺のホームページによれば駐車場もツツジ祭り期間中のみ有料と書かれていたのに200円とられたのは不可解。
また登っていく。
ご神木? お寺だけど。
少し広場のようになっているところにいろいろ建っている。
これは薬師堂。
薬師如来像。
ボケに効くというアピール。
まっ、マーケティングですな(^^ゞ
なぜか弘法大師はお地蔵さんになっていた。
手水舎(ちょうずや)。
境内の入り口に設置されていないと意味がない気もするが。
仁王門と阿弥陀堂にはなかった重要文化財のアピール。
本堂。
こちらは茅葺きの屋根でいかにも古そうな印象。
安置されているのは秘仏本尊ということで見られない。秘仏というのは仏堂の扉を閉じて見せないようにしてある仏像。特別な期間だけ見せる場合もあれば(開帳という)、絶対秘仏といってまったく見せないものもある。参拝者や信者だけでなく、その寺の僧侶さえ見られないという存在。仏教国の中でも日本だけの習慣らしいが、何の理由があって、そんなばかげた仕組みになっているのか理解できない。
おみくじは変わった販売方法。
本堂からはツツジ園もチラッと見えたが、観音像を先に見に行くことにする。
緩やかだがまた坂道。
鳥居があるから神社。赤い鳥居は稲荷神社の場合が多い(ような気がする)。塩船観音にあるのは児玉稲荷という名前。神仏習合そして神仏分離と日本の宗教にいろいろあったことは知っているが、あまり詳しくはない。
隣にある鳥居は山王七社権現。
権現(ごんげん)というのは仏が、神道の神の形をして仮にあらわれたという考え方。
鐘撞き場。
1回100円。しょっちゅう鳴っていた。
ツツジ園はすり鉢状の地形。これは東側の尾根から西斜面を見たところ。塩船観音のツツジは丸く剪定されているのが特徴。ここからだと色合い的にツツジというよりアジサイに見える。
観音像到着。
正式名称は塩船平和観音。
開創1350年の記念で2010年(平成22)に立てられたものだから観音像はまだ新しい。
計算すると寺の創建は660年。法隆寺が607年だから相当古いことになる。奈良時代の前の飛鳥時代。
正面から。
おみ足。
後ろ姿。
石版によれば、この水瓶(すいびょう)から功徳の水を無限に与えているとのこと。
注ぎ口は中までくりぬいて欲しかったかな。
人と一緒にとらないと大きさのイメージがつかめないので。
高さ15メートル、東京では一番大きな大仏。
ーーー続く
とはいえ関東の平野部でツツジはゴールデンウィークあたりに最盛期を迎える。ゴールデンウィークは渋滞がハンパないのでどうにも苦手。今年はラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに2日間出かけたし(まだブログを書き終えてないけど)、大画面に買い換えたばかりでテレビを見るのが楽しかったし、その他諸々あってどこにも花見ツーリングに出かけずじまい。
青梅市にある塩船観音は都内ではトップランクに入るツツジの名所。お寺のホームページの開花情報は4月30日で更新が止まっていたけれど、5月5日前後でまだまだキレイというブログもいくつかあったのでダメ元で出かけてきた。
中央自動車道〜八王子ジャンクション経由〜圏央道で1時間ちょっと。お寺直営?の駐車場はいくつかあって、ここは第2駐車場かな。向こうの斜面にもツツジが見える。
駐車料金はクルマ700円、バイク200円でちょっと高め。
バイク専用の区画はなく敷地の隅っこに駐める。
塩船観音は斜面に沿った地形で、第2駐車場は少し斜面を上がったところにある。右側はお寺の敷地。山門正面の第1駐車場は満車だった。まあ歩くといっても2〜3分程度。
この道にも、ところどころツツジが植えられていて、、
それを見ただけでもう見頃が過ぎた雰囲気は伝わってくる(/o\)
山門(入り口のこと)の様子。
石柱にある文字。
別格本山とは総本山>大本山>別格本山>本山という、本山での序列を示すらしい。本山とは宗派の中で位の高い寺院。本山=元締めと言葉を置き換えれば理解しやすいかも。
その下は旧字体で国宝と書いてある。塩船観音の建物のうち3つは国の重要文化財の指定を受けているが国宝ではない。盛ってるの?
調べてみると以前は国宝保存法というものがあり、1950年に廃止されて文化財保護法に切り替わった。文化財保護法は新しく国宝を選び直し、選ばれなかった旧国宝は重要文化財として扱われることとなった。塩船観音のものは残念ながら新国宝には選ばれなかったということ。65年も経っているのだから石柱を書き換えても良さそうなものなのに、まだ未練があるのかな。
案内図。
このレイアウトより実際はもっと細長い敷地である。
山門は仁王門だった。
重要文化財指定。
仁王様には失礼して、格子の隙間にカメラを突っ込んで撮影。
左は口を閉じているから吽形(うんぎょう)
右は口を開いているから阿形(あぎょう)。「あ」と発音すれば口を開き「うん」なら口を閉じるとイメージすれば覚えやすい。それにしても乳首の形が気になる(^^ゞ
参道を進む。
最初にあるのは阿弥陀堂。
これも重要文化財指定。指定されているのはいずれも室町時代後期の建立とされる。ということは500年以上も昔になるが、そんなに古い感じはしなかった。
阿弥陀様。
その先にあった入場券売り場。
ご覧のようにツツジ祭りは終了しているので無料。無料でガッカリすることは珍しいかも。お寺のホームページによれば駐車場もツツジ祭り期間中のみ有料と書かれていたのに200円とられたのは不可解。
また登っていく。
ご神木? お寺だけど。
少し広場のようになっているところにいろいろ建っている。
これは薬師堂。
薬師如来像。
ボケに効くというアピール。
まっ、マーケティングですな(^^ゞ
なぜか弘法大師はお地蔵さんになっていた。
手水舎(ちょうずや)。
境内の入り口に設置されていないと意味がない気もするが。
仁王門と阿弥陀堂にはなかった重要文化財のアピール。
本堂。
こちらは茅葺きの屋根でいかにも古そうな印象。
安置されているのは秘仏本尊ということで見られない。秘仏というのは仏堂の扉を閉じて見せないようにしてある仏像。特別な期間だけ見せる場合もあれば(開帳という)、絶対秘仏といってまったく見せないものもある。参拝者や信者だけでなく、その寺の僧侶さえ見られないという存在。仏教国の中でも日本だけの習慣らしいが、何の理由があって、そんなばかげた仕組みになっているのか理解できない。
おみくじは変わった販売方法。
本堂からはツツジ園もチラッと見えたが、観音像を先に見に行くことにする。
緩やかだがまた坂道。
鳥居があるから神社。赤い鳥居は稲荷神社の場合が多い(ような気がする)。塩船観音にあるのは児玉稲荷という名前。神仏習合そして神仏分離と日本の宗教にいろいろあったことは知っているが、あまり詳しくはない。
隣にある鳥居は山王七社権現。
権現(ごんげん)というのは仏が、神道の神の形をして仮にあらわれたという考え方。
鐘撞き場。
1回100円。しょっちゅう鳴っていた。
ツツジ園はすり鉢状の地形。これは東側の尾根から西斜面を見たところ。塩船観音のツツジは丸く剪定されているのが特徴。ここからだと色合い的にツツジというよりアジサイに見える。
観音像到着。
正式名称は塩船平和観音。
開創1350年の記念で2010年(平成22)に立てられたものだから観音像はまだ新しい。
計算すると寺の創建は660年。法隆寺が607年だから相当古いことになる。奈良時代の前の飛鳥時代。
正面から。
おみ足。
後ろ姿。
石版によれば、この水瓶(すいびょう)から功徳の水を無限に与えているとのこと。
注ぎ口は中までくりぬいて欲しかったかな。
人と一緒にとらないと大きさのイメージがつかめないので。
高さ15メートル、東京では一番大きな大仏。
ーーー続く
2015年05月09日
皇居見物 そして、ああ勘違い
5月2日にラ・フォル・ジュルネの会場を抜け出して行ってきたのは皇居。演奏会は朝から晩までやっているので、1日どっぷりと音楽に浸るのもよいが、音楽半分その他半分くらいがバランスがいいかなと考えて。それに皇居は3時間ほど散歩するには東京国際フォーラムからちょうどよい位置にある。
皇居に面している道路はよく通っても、今までじっくり訪れたことはない。中には入れないんだから特に興味もなかったのが正直なところ。しかし来日した仕事相手の外国人が「東京では皇居を見に行く」ということが何度かあったので、一度行っておくかと。そう考えてからもう5年以上経ってしまったけれど。
皇居には下の地図にあるように3つの一般開放エリアがある。
改めて眺めてみると開放されている部分が全体の半分以上ある。
南の皇居外苑は、東京駅から歩いて5分くらいのところから広がる、松が植えられた芝生が美しい、いわゆる皇居前広場。写真で映像でよく目にする二重橋はここにある。北の丸公園は日本武道館があるところ。サクラで有名な千鳥ヶ淵もこの公園に面しているお堀。
この2つは有名だが真ん中の皇居東御苑はあまり知られていないかもしれない。私も外苑と北の丸公園のほかにもう一箇所あると知っていた程度の認識。でも江戸城はこのエリアに建っていたから皇居の中では一番歴史のあるところ。
お散歩コースは時計回り。まず東京フォーラムの北側から東に進んで皇居外苑へ。それからお堀沿いに北上して大手門から東御苑に入る。東御苑を出た後はまっすぐ進んで東京駅の前を通って会場に戻る。だいたい7キロくらいの行程。時間的に北の丸公園までは足を伸ばせなかった。
皇居外苑に行く途中のルートが道路の左右を横断しているのは、なぜかまっすぐ線を引けなかっただけで意味はない。新しくなったグーグルマップはまだ使いにくいので、今回はヤフーのマップ。
東京フォーラムを出て三菱1号美術館を過ぎると、
次の角は丸の内のメインストリートである丸の内仲通り。
昔は単なるオフィス街の道路で休日は人通りのないエリアだった。しかし2002年に丸ビルが建て替えられたあたりから、いろいろ改装されてお洒落なストリートに変身。今はショップやレストランが並び、クリスマスにはイルミネーションも施される。
クラシックな明治生命のビルを抜けると、
日比谷通りに出て皇居外苑が見えてくる。
交差点を渡ると、その先はお堀になっていて皇居に来たという感じを受ける。
写真は北向きに撮っていて右手が日比谷通り。
日比谷通りとその先の内堀通りに挟まれたエリアが外苑のいわば前庭部分。
クリックして写真を拡大すると芝生の中でくつろいでいる人が見える。
内堀通りの向こう側が外苑のメイン。
これはなんと呼ぶのだろう。
この石でできた大きな障害物?が外苑にはたくさんあった。
内堀通りより奥の芝生は立ち入り禁止になっていて人がいない。
北方向を望む。
南は霞ヶ関。
右端のタワーのある建物は警視庁。警視庁の前にあるのが桜田門。
ちなみに皇居には11の門がある。
東側。東京駅方向。
とにかく東京のど真ん中に巨大な広場である。
ところで皇居の総面積って調べてもはっきりしない。宮内庁には皇室用財産として115ヘクタールとある。外苑と北の丸地区は環境省の管轄らしく両エリアで同じく115ヘクタールと書いてある。東御苑は宮内庁の管轄だが115ヘクタールに含まれているかどうか不明。千代田区観光協会のホームページによると東御苑は21ヘクタールである。また皇居前広場の面積は46.5ヘクタールとするものもあった。とにかく全部でナンボなの?
さて皇居に向かって外苑の左の方にあるのが、写真やテレビで何度も見たことがあるこの橋。後ろに見えるお城っぽいのは伏見櫓(やぐら)と呼ばれる建物。実に絵になる光景。
しかし、このエントリーのタイトルに書いた「ああ勘違い」とはこの橋なのだ。
これは二重橋ではない!
いや〜、ビックリ。今日の今日までずっとこの橋が二重橋だと思っていた。「皇居」&「二重橋」という言葉とこの画像なり映像はセットになっている場合が多いと思うし、この橋はアーチが2つあるから二重橋だと。何となくショック(^^ゞ
二重橋とは、この橋の奥にある橋。それでこの手前の橋は「石橋」と何の変哲もない名前。でもこっちを二重橋と思っている人の方が多いんじゃないかな。
お堀は水そのものはきれい。でも藻が一杯でちょっと気持ち悪かった。
石橋の橋の上
橋の向こうの工事中なのが皇居正門。
そしてこれが二重橋。
まあ普通の橋。やっぱり石橋のほうが皇居のアイコンとしてはふさわしい気がする。
先ほどの石橋を渡って正門をくぐり、右に曲がってさらに二重橋を渡る、つまり堀を渡ってまた戻って、皇居の宮殿ゾーンに入る道順になっている。二重橋の正式名称は正門鉄橋で、石橋は正門石橋。正門鉄橋は以前に橋がまだ木製だった頃、二階建ての橋だったので二重橋と呼ばれていた。その名残が今も続いているらしい。
芝生の松を眺めながら北向きに歩いて行く。
坂下門。
坂下門をくぐって右側にあるのが宮内庁。
宮内庁に行く時はこの門を使うことになる。飛び込み営業は無理そう(^^ゞ
次にあるのが桔梗門(ききょうもん)。
堀を渡ったところに門がある。
たまたま出入りの業者のような人が通りかかった。
観光客ににこやかに接している警察官のように見えるが、実際は警官同士でペチャクチャおしゃべりをしているだけ。この桔梗門だけでなく正門手前や坂下門でも警官は同じような感じで緊張感なし。それなりの覚悟があればゲート突破は難しくなさそうである。もっとも突破したところで皇居内部はとても広いし、また退路は完全に断たれてしまうが。なお桔梗門を突破しても、その先は皇宮警察本部だからお気をつけください(^^ゞ
外苑の北の端から南側を眺める。とにかく広い。ただし松と芝生で緑も豊かであるものの、内堀通りの交通量は多いので、それなりに自動車が走っている音は聞こえてくる。
手前が巽櫓、奥が桔梗門。写真左隅にかすかに写っているのが富士見櫓。江戸時代にタイムスリップしたような気分ーーーと書きたいところ。しかし実際には回りには外人観光客がたくさんいて江戸時代情緒はゼロ(^^ゞ
普通、櫓(やぐら)とはタワーのように木材を高く組み上げた建物。私が幼い頃には消防署に火の見櫓というものがあったのを覚えている。城にある櫓は、城外周の要所要所に建てられた監視塔あるいは防御拠点。でも平和になってくると月見櫓とか富士見櫓といったお楽しみ用の櫓もあらわれる。
さらに北に歩いて大手町にあるのが大手門。というか大手門があるから大手町。
この門から皇居東御苑に入る。
ーーー続く
皇居に面している道路はよく通っても、今までじっくり訪れたことはない。中には入れないんだから特に興味もなかったのが正直なところ。しかし来日した仕事相手の外国人が「東京では皇居を見に行く」ということが何度かあったので、一度行っておくかと。そう考えてからもう5年以上経ってしまったけれど。
皇居には下の地図にあるように3つの一般開放エリアがある。
改めて眺めてみると開放されている部分が全体の半分以上ある。
南の皇居外苑は、東京駅から歩いて5分くらいのところから広がる、松が植えられた芝生が美しい、いわゆる皇居前広場。写真で映像でよく目にする二重橋はここにある。北の丸公園は日本武道館があるところ。サクラで有名な千鳥ヶ淵もこの公園に面しているお堀。
この2つは有名だが真ん中の皇居東御苑はあまり知られていないかもしれない。私も外苑と北の丸公園のほかにもう一箇所あると知っていた程度の認識。でも江戸城はこのエリアに建っていたから皇居の中では一番歴史のあるところ。
お散歩コースは時計回り。まず東京フォーラムの北側から東に進んで皇居外苑へ。それからお堀沿いに北上して大手門から東御苑に入る。東御苑を出た後はまっすぐ進んで東京駅の前を通って会場に戻る。だいたい7キロくらいの行程。時間的に北の丸公園までは足を伸ばせなかった。
皇居外苑に行く途中のルートが道路の左右を横断しているのは、なぜかまっすぐ線を引けなかっただけで意味はない。新しくなったグーグルマップはまだ使いにくいので、今回はヤフーのマップ。
東京フォーラムを出て三菱1号美術館を過ぎると、
次の角は丸の内のメインストリートである丸の内仲通り。
昔は単なるオフィス街の道路で休日は人通りのないエリアだった。しかし2002年に丸ビルが建て替えられたあたりから、いろいろ改装されてお洒落なストリートに変身。今はショップやレストランが並び、クリスマスにはイルミネーションも施される。
クラシックな明治生命のビルを抜けると、
日比谷通りに出て皇居外苑が見えてくる。
交差点を渡ると、その先はお堀になっていて皇居に来たという感じを受ける。
写真は北向きに撮っていて右手が日比谷通り。
日比谷通りとその先の内堀通りに挟まれたエリアが外苑のいわば前庭部分。
クリックして写真を拡大すると芝生の中でくつろいでいる人が見える。
内堀通りの向こう側が外苑のメイン。
これはなんと呼ぶのだろう。
この石でできた大きな障害物?が外苑にはたくさんあった。
内堀通りより奥の芝生は立ち入り禁止になっていて人がいない。
北方向を望む。
南は霞ヶ関。
右端のタワーのある建物は警視庁。警視庁の前にあるのが桜田門。
ちなみに皇居には11の門がある。
東側。東京駅方向。
とにかく東京のど真ん中に巨大な広場である。
ところで皇居の総面積って調べてもはっきりしない。宮内庁には皇室用財産として115ヘクタールとある。外苑と北の丸地区は環境省の管轄らしく両エリアで同じく115ヘクタールと書いてある。東御苑は宮内庁の管轄だが115ヘクタールに含まれているかどうか不明。千代田区観光協会のホームページによると東御苑は21ヘクタールである。また皇居前広場の面積は46.5ヘクタールとするものもあった。とにかく全部でナンボなの?
さて皇居に向かって外苑の左の方にあるのが、写真やテレビで何度も見たことがあるこの橋。後ろに見えるお城っぽいのは伏見櫓(やぐら)と呼ばれる建物。実に絵になる光景。
しかし、このエントリーのタイトルに書いた「ああ勘違い」とはこの橋なのだ。
これは二重橋ではない!
いや〜、ビックリ。今日の今日までずっとこの橋が二重橋だと思っていた。「皇居」&「二重橋」という言葉とこの画像なり映像はセットになっている場合が多いと思うし、この橋はアーチが2つあるから二重橋だと。何となくショック(^^ゞ
二重橋とは、この橋の奥にある橋。それでこの手前の橋は「石橋」と何の変哲もない名前。でもこっちを二重橋と思っている人の方が多いんじゃないかな。
お堀は水そのものはきれい。でも藻が一杯でちょっと気持ち悪かった。
石橋の橋の上
橋の向こうの工事中なのが皇居正門。
そしてこれが二重橋。
まあ普通の橋。やっぱり石橋のほうが皇居のアイコンとしてはふさわしい気がする。
先ほどの石橋を渡って正門をくぐり、右に曲がってさらに二重橋を渡る、つまり堀を渡ってまた戻って、皇居の宮殿ゾーンに入る道順になっている。二重橋の正式名称は正門鉄橋で、石橋は正門石橋。正門鉄橋は以前に橋がまだ木製だった頃、二階建ての橋だったので二重橋と呼ばれていた。その名残が今も続いているらしい。
芝生の松を眺めながら北向きに歩いて行く。
坂下門。
坂下門をくぐって右側にあるのが宮内庁。
宮内庁に行く時はこの門を使うことになる。飛び込み営業は無理そう(^^ゞ
次にあるのが桔梗門(ききょうもん)。
堀を渡ったところに門がある。
たまたま出入りの業者のような人が通りかかった。
観光客ににこやかに接している警察官のように見えるが、実際は警官同士でペチャクチャおしゃべりをしているだけ。この桔梗門だけでなく正門手前や坂下門でも警官は同じような感じで緊張感なし。それなりの覚悟があればゲート突破は難しくなさそうである。もっとも突破したところで皇居内部はとても広いし、また退路は完全に断たれてしまうが。なお桔梗門を突破しても、その先は皇宮警察本部だからお気をつけください(^^ゞ
外苑の北の端から南側を眺める。とにかく広い。ただし松と芝生で緑も豊かであるものの、内堀通りの交通量は多いので、それなりに自動車が走っている音は聞こえてくる。
手前が巽櫓、奥が桔梗門。写真左隅にかすかに写っているのが富士見櫓。江戸時代にタイムスリップしたような気分ーーーと書きたいところ。しかし実際には回りには外人観光客がたくさんいて江戸時代情緒はゼロ(^^ゞ
普通、櫓(やぐら)とはタワーのように木材を高く組み上げた建物。私が幼い頃には消防署に火の見櫓というものがあったのを覚えている。城にある櫓は、城外周の要所要所に建てられた監視塔あるいは防御拠点。でも平和になってくると月見櫓とか富士見櫓といったお楽しみ用の櫓もあらわれる。
さらに北に歩いて大手町にあるのが大手門。というか大手門があるから大手町。
この門から皇居東御苑に入る。
ーーー続く
2015年05月06日
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2015(2)
最初の公演に向かう。
会場はB7。B棟にはB5とB7があって5階・7階という意味だと思う。
長いエスカレーターを何本も乗り継いでいく。
ビルの向こうに見えるのは皇居。
B7は音楽ホールではなくイベント会場。だから、そのしつらえのあまりに殺風景さに去年はビックリしたが、今年はもう慣れた。ステージの両脇にモニターがあるのが去年との違い。パイプ椅子の客席数は822。
席は2列目のやや左より。
写真は自分の席からステージを見た様子(以降同様)、距離的には申し分ない。
【公演番号122】
曲名
ベルク:抒情組曲
シェーンベルク:浄められた夜
演奏
アンドラーシュ・ケラー (指揮)
コンチェルト・ブダペスト
ベルクもシェーンベルクもあまりよく知らない。たまたまベルクの抒情組曲(じょじょうくみきょく)とシェーンベルクの浄められた夜がカップリングされたCDを持っていたので、生で聴いてみようかと思った次第。私の印象ではどちらもきれいな曲なんだけれど、ちょっと小難しい感じもある。演奏の途中で居眠りしないか心配。なおシェーンベルクはベルクの師匠にあたる。
以下のアーティスト写真はラ・フォル・ジュルネのホームページから借用。
アンドラーシュ・ケラー
写真よりもう50%くらい太っていたかな(^^ゞ
楽しそうな感じで指揮をしていた。そういうのは後ろ姿でもなんとなくわかる。
コンチェルト・ブダペスト
写真はフルオーケストラだが、この演奏に参加していたのは20名くらいの小規模編成。
演奏はひたすらきれいな音楽を聴いたといったところ。音楽というより楽器の音色やハーモニーに酔いしれていたというほうが近いかも知れない。普段のオーディオやiPhoneで聴くのと違って、目の前で人が動いて楽器を演奏しているのを見るのは楽しいものである。また楽しいだけじゃなくて演奏の細かなところまで聴き取れる。その細かなところがCDでは再生できていない訳ではない。細かいところを演奏している姿が見えるから耳に入ってくるというか、普段なら聞き流しているような部分にも意識が向くからだと思う。
演奏が終わった後、エスカレーターは混むので階段を使って降りる。
上から眺めた広場。やや人が少ないのは今が公演時間帯だからだろう。東京国際フォーラムだけで約8000人が各ホールに吸い込まれているのだから。
次の公演まで1時間ちょっとあったので付近をブラブラ散歩する。
会場の西側からでると丸の内3丁目の交差点。
半ブロックほど北に歩くと三菱1号美術館(レンガの建物)。美術館の裏手にあるブリックスクエアはラ・フォル・ジュルネの無料コンサートの会場にもなっている。
そこから東へ1ブロック歩くとJRの線路にあたる。
写真は東京駅というか東京駅周辺の旧国鉄所有地の再開発として建てられたビル。左がグランド東京サウスタワー、右がパシフィックセンチュリープレイス丸の内。
東京国際フォーラムの北側から東京駅の南端まではすぐである。
線路の下。
この屋台はいつもここに置いてある。
ここから有楽町駅までの高架下にはいろんなお店が入っている。
これは高架下をくぐり抜ける通路。
以前はたくさんあったが、最近は閉鎖されているところが多い。
有楽町駅の京橋口。ここから線路に直交して東に進むと銀座1丁目。銀座は1丁目の北側が京橋、8丁目の南側が新橋に接している。
京橋口の隣、有楽町駅の真ん中が中央口。
左側のビルは数年前にできたマルイが中核テナントのイトシアビル。商店街の向こうに見えるのが有楽町マリオンの裏側。
東京国際フォーラムに戻る。吹奏楽のバンドが無料コンサートをしていた。吹奏楽は生で聴くと何となくワクワクしてくるような楽しさがある。息で吹いていて肉感的だからかな。
軽く食べるだけのつもりだったが、つい音楽に乾杯してしまった。
これは2回目の乾杯(^^ゞ
次の会場はAホール。ホールの1階にトイレは下という案内があったので降りていくと、地下が無料コンサートの会場になっていた。ホール棟と地上広場の下が巨大な地下ホールになっている。
なかなか楽しそうである。ステージのところまで降りていきたかったが、次の公演の時間が迫っていたので断念。無料コンサートでこんな大規模なものもあるとは知らなかった。来年は無料コンサートのこともしっかり調べることにしよう。
Aホールは5008名収容の大ホールである。去年はここでチャイコフスキーのバイオリンコンチェルトを聴いたが最後尾2列目の席だったので、音があまり届かず残念だった。
今年もチケットを買うのが遅かったが、左右のことは気にせず1番隅っこでもいいからできるだけ前の席をチケットを買う時にリクエスト。それで今年は29列目。ちなみにAホールは1階席が49列、2階席は26列ある。2000人規模の「普通サイズの大ホール」なら29列目というのは最後尾に相当するから、去年ほどではないにしても音量はあまり期待できない。
【公演番号113】
曲名
ブラームス:ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 op.15
演奏
アジス・ショハキモフ (指揮)
デュッセルドルフ交響楽団
アブデル・ラーマン・エル=バシャ (ピアノ)
アジス・ショハキモフは20歳代後半の若い指揮者。
かなりオーバーアクションでエネルギッシュな振り方をする。
デュッセルドルフ交響楽団はドイツで2番目に古く、メンデルスゾーンやシューマンが音楽監督を務めたとあるから名門楽団なんだろう。バレンボイム、ヤルヴィ、シャイーといった私がCDを持っている指揮者とも競演しているので実力が期待できる。
ピアニストのアブデル・ラーマン・エル=バシャの名前は覚えていなかったし、ラ・フォル・ジュルネのホームページの写真は横顔だったので気付かなかったが、会場で顔を見たら何となく見覚えがあった。持ってはいないけれどCDは見たことがある。演奏している時も含めて立ち振る舞いの姿勢のよさが印象的。
ブラームスのピアノ協奏曲第1番は馴染みのある曲。どちらかというと2番の方が好きだけれど演奏は普通によかった。というか演奏の評価をできるほどクラシック音楽通じゃない。知っている曲が知っているように流れてきてリラックスして演奏を楽しめたというところ。
ただし音量はやはり物足りなかった。不思議なことにだんだんと耳が慣れてきて、それなりにしっかりと聴けるようになってはくるが。音量についていえば、ピアノはやはり大きな音のする楽器で、オーケストラの音に全然負けていなかった。
演奏が終わったのが午後3時前頃で、次の公演までに3時間半ほどある。というかわざと途中に時間が空くように公演を選んだ。それで東京国際フォーラムから歩いて行ける距離にある、前から行きたいと思っていたところへ出かけてきた。
ーーー続く
会場はB7。B棟にはB5とB7があって5階・7階という意味だと思う。
長いエスカレーターを何本も乗り継いでいく。
ビルの向こうに見えるのは皇居。
B7は音楽ホールではなくイベント会場。だから、そのしつらえのあまりに殺風景さに去年はビックリしたが、今年はもう慣れた。ステージの両脇にモニターがあるのが去年との違い。パイプ椅子の客席数は822。
席は2列目のやや左より。
写真は自分の席からステージを見た様子(以降同様)、距離的には申し分ない。
【公演番号122】
曲名
ベルク:抒情組曲
シェーンベルク:浄められた夜
演奏
アンドラーシュ・ケラー (指揮)
コンチェルト・ブダペスト
ベルクもシェーンベルクもあまりよく知らない。たまたまベルクの抒情組曲(じょじょうくみきょく)とシェーンベルクの浄められた夜がカップリングされたCDを持っていたので、生で聴いてみようかと思った次第。私の印象ではどちらもきれいな曲なんだけれど、ちょっと小難しい感じもある。演奏の途中で居眠りしないか心配。なおシェーンベルクはベルクの師匠にあたる。
以下のアーティスト写真はラ・フォル・ジュルネのホームページから借用。
アンドラーシュ・ケラー
写真よりもう50%くらい太っていたかな(^^ゞ
楽しそうな感じで指揮をしていた。そういうのは後ろ姿でもなんとなくわかる。
コンチェルト・ブダペスト
写真はフルオーケストラだが、この演奏に参加していたのは20名くらいの小規模編成。
演奏はひたすらきれいな音楽を聴いたといったところ。音楽というより楽器の音色やハーモニーに酔いしれていたというほうが近いかも知れない。普段のオーディオやiPhoneで聴くのと違って、目の前で人が動いて楽器を演奏しているのを見るのは楽しいものである。また楽しいだけじゃなくて演奏の細かなところまで聴き取れる。その細かなところがCDでは再生できていない訳ではない。細かいところを演奏している姿が見えるから耳に入ってくるというか、普段なら聞き流しているような部分にも意識が向くからだと思う。
演奏が終わった後、エスカレーターは混むので階段を使って降りる。
上から眺めた広場。やや人が少ないのは今が公演時間帯だからだろう。東京国際フォーラムだけで約8000人が各ホールに吸い込まれているのだから。
次の公演まで1時間ちょっとあったので付近をブラブラ散歩する。
会場の西側からでると丸の内3丁目の交差点。
半ブロックほど北に歩くと三菱1号美術館(レンガの建物)。美術館の裏手にあるブリックスクエアはラ・フォル・ジュルネの無料コンサートの会場にもなっている。
そこから東へ1ブロック歩くとJRの線路にあたる。
写真は東京駅というか東京駅周辺の旧国鉄所有地の再開発として建てられたビル。左がグランド東京サウスタワー、右がパシフィックセンチュリープレイス丸の内。
東京国際フォーラムの北側から東京駅の南端まではすぐである。
線路の下。
この屋台はいつもここに置いてある。
ここから有楽町駅までの高架下にはいろんなお店が入っている。
これは高架下をくぐり抜ける通路。
以前はたくさんあったが、最近は閉鎖されているところが多い。
有楽町駅の京橋口。ここから線路に直交して東に進むと銀座1丁目。銀座は1丁目の北側が京橋、8丁目の南側が新橋に接している。
京橋口の隣、有楽町駅の真ん中が中央口。
左側のビルは数年前にできたマルイが中核テナントのイトシアビル。商店街の向こうに見えるのが有楽町マリオンの裏側。
東京国際フォーラムに戻る。吹奏楽のバンドが無料コンサートをしていた。吹奏楽は生で聴くと何となくワクワクしてくるような楽しさがある。息で吹いていて肉感的だからかな。
軽く食べるだけのつもりだったが、つい音楽に乾杯してしまった。
これは2回目の乾杯(^^ゞ
次の会場はAホール。ホールの1階にトイレは下という案内があったので降りていくと、地下が無料コンサートの会場になっていた。ホール棟と地上広場の下が巨大な地下ホールになっている。
なかなか楽しそうである。ステージのところまで降りていきたかったが、次の公演の時間が迫っていたので断念。無料コンサートでこんな大規模なものもあるとは知らなかった。来年は無料コンサートのこともしっかり調べることにしよう。
Aホールは5008名収容の大ホールである。去年はここでチャイコフスキーのバイオリンコンチェルトを聴いたが最後尾2列目の席だったので、音があまり届かず残念だった。
今年もチケットを買うのが遅かったが、左右のことは気にせず1番隅っこでもいいからできるだけ前の席をチケットを買う時にリクエスト。それで今年は29列目。ちなみにAホールは1階席が49列、2階席は26列ある。2000人規模の「普通サイズの大ホール」なら29列目というのは最後尾に相当するから、去年ほどではないにしても音量はあまり期待できない。
【公演番号113】
曲名
ブラームス:ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 op.15
演奏
アジス・ショハキモフ (指揮)
デュッセルドルフ交響楽団
アブデル・ラーマン・エル=バシャ (ピアノ)
アジス・ショハキモフは20歳代後半の若い指揮者。
かなりオーバーアクションでエネルギッシュな振り方をする。
デュッセルドルフ交響楽団はドイツで2番目に古く、メンデルスゾーンやシューマンが音楽監督を務めたとあるから名門楽団なんだろう。バレンボイム、ヤルヴィ、シャイーといった私がCDを持っている指揮者とも競演しているので実力が期待できる。
ピアニストのアブデル・ラーマン・エル=バシャの名前は覚えていなかったし、ラ・フォル・ジュルネのホームページの写真は横顔だったので気付かなかったが、会場で顔を見たら何となく見覚えがあった。持ってはいないけれどCDは見たことがある。演奏している時も含めて立ち振る舞いの姿勢のよさが印象的。
ブラームスのピアノ協奏曲第1番は馴染みのある曲。どちらかというと2番の方が好きだけれど演奏は普通によかった。というか演奏の評価をできるほどクラシック音楽通じゃない。知っている曲が知っているように流れてきてリラックスして演奏を楽しめたというところ。
ただし音量はやはり物足りなかった。不思議なことにだんだんと耳が慣れてきて、それなりにしっかりと聴けるようになってはくるが。音量についていえば、ピアノはやはり大きな音のする楽器で、オーケストラの音に全然負けていなかった。
演奏が終わったのが午後3時前頃で、次の公演までに3時間半ほどある。というかわざと途中に時間が空くように公演を選んだ。それで東京国際フォーラムから歩いて行ける距離にある、前から行きたいと思っていたところへ出かけてきた。
ーーー続く
2015年05月02日
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2015
今年もクラシックの音楽祭であるラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに行ってきた。今回は5月2日の4公演、4日の2公演のチケットを購入。本当は1日にまとめたかったのだが、例によってチケット購入が4月23日と遅れてしまい売り切れのプログラムも多かったので、あれこれ演目を検討して2日間ということになった。ちなみにラ・フォル・ジュルネは5月2日から4日までの3日間に渡り開かれていて、有料公演が150前後、無料公演を併せてトータル300程のプログラムがあるといわれている。ラ・フォル・ジュルネについては去年のエントリーも参照して欲しい。このページと、こっちのページ。
音楽そのものについては、あれこれ詳しく書けるほどの見識がないので、バイクツーリングと同じようにブラブラ写真日記風で。オフィスに近いから会場付近は私のホームグランド。いつも以上に脱線が多いかも。
ゴールデンウイーク5月2日、午前11時頃の銀座・晴海通り。
進行方向が西向きで皇居に、反対側は東へ築地〜勝ちどき〜お台場へと続く。
南北に延びる並木通りを通り過ぎる。
銀座エリアは南北に長い長方形だけれど、案内図などに収まりがいいように西側を上に地図が書かれることが多い。だから方位を勘違いしている人が意外とたくさんいる。
銀座の西隣の有楽町との境目が数寄屋橋の交差点。
交差点の脇にあるのが有名な銀座の宝くじ売り場。ジャンボ宝くじの時には晴海通りまでズラーッと行列が続く。西銀座チャンスセンターという名前は、ここが銀座の西南の角に当たるから。
数寄屋橋の交差点を渡って右側にあるのが有楽町マリオン。
朝日新聞本社などがあった敷地の再開発ビル。映画館と阪急百貨店とルミネ(JR東日本系列のファッションビル)が入っている。映画館はオープン当時から変わらないが、最初は西武百貨店と阪急百貨店の組み合わせだった。ここでの西武はSHEED館というプライベートブランド中心のマーチャンダイジングを展開していて斬新だった。私はよく買い物に来ていたが、いつのまにかSHEED館ではなく女性アパレルだけのデパートになり、それもいつのまにかなくなり(/o\) 一方の阪急はごく普通のデパートで閑散としていたが(普通のデパートなら銀座には三越や松屋がある)、今は高級男性ファッション専門デパートとして人気がある。世の中、変われば変わるものである。
有楽町のガードをくぐるとビックカメラが見えてくる。この店舗も元は有楽町そごう。年配の方なら知っているフランク永井の「♪有楽町で逢いましょう」は、有楽町そごうとタイアップした歌謡曲だった。
ちなみに銀座と有楽町の境を通っている首都高の高架下には、銀座インズという商業施設が入っている。銀座インズの昔の名前は有楽町フードセンター。「♪有楽町で逢いましょう」がヒットした昭和32〜33年(1957〜58)あたりの開業だが、当時は銀座は古くさくて有楽町が新しくてファッショナブルなイメージがあったので、住所が銀座にもかかわらず有楽町フードセンターというネーミングをつけたと聞いたことがある。世の中、変われば変わるものである。
上の写真のビックカメラは建物の南側。こちらは北側に面した道路。ビックカメラの上には「よみうりホール」があって、ラ・フォル・ジュルネの会場の1つになっている。
正確にいうと、ビックカメラのあるビルの名称は読売会館。6階までが商業施設ゾーンで、7階〜9階がよみうりホール。実はそごうもビックカメラも読売会館のテナントというのはあまり知られていない。読売ホールも「ビックカメラの上に入っているホール」といわれることのほうが多い。
さてビックカメラの北隣にあるのが東京国際フォーラム。大小様々なホールがあってラ・フォル・ジュルネのメイン会場。他にも丸の内エリアに散らばる14箇所もの会場があり、そちらでは無料コンサートが開かれている。
入り口脇にあった東京都水道局がPRする水飲み場。
1週間に1回は東京国際フォーラムの前を通りかかっているけれど、こんなのあったっけ?
この日はコンサートとコンサートの合間に、とあるところへ行くプランを立てたのでカメラを持ってきていた。するとカメラを持っていると、普段の見慣れた場所でもいろんなことを発見することに気がついた。実は銀座駅からこの会場に来る途中でも「こんなのあったっけ? 」がたくさん。イチイチ紹介しているとキリがないからやめておく。
チケット売り場。
販売員の顔のところはモザイクじゃなくて窓に開けられた穴ね。
ご覧の通りの大賑わい。
建物の間の広場では無料コンサートが開演中。
ここはバラエティに富んだ屋台村があるのも楽しみの1つ。
フレンチの屋台のがあって、
その隣には焼酎を並べている屋台も。
帝国ホテルのソフトクリームは相変わらず人気。それでも最後尾の表示が必要なほどは並んでいないと思うけれど。でも、この心配りが帝国ホテルか。
ゴミ箱のところに係員がいるのがジャパン・イベントである。
ーーー続く
音楽そのものについては、あれこれ詳しく書けるほどの見識がないので、バイクツーリングと同じようにブラブラ写真日記風で。オフィスに近いから会場付近は私のホームグランド。いつも以上に脱線が多いかも。
ゴールデンウイーク5月2日、午前11時頃の銀座・晴海通り。
進行方向が西向きで皇居に、反対側は東へ築地〜勝ちどき〜お台場へと続く。
南北に延びる並木通りを通り過ぎる。
銀座エリアは南北に長い長方形だけれど、案内図などに収まりがいいように西側を上に地図が書かれることが多い。だから方位を勘違いしている人が意外とたくさんいる。
銀座の西隣の有楽町との境目が数寄屋橋の交差点。
交差点の脇にあるのが有名な銀座の宝くじ売り場。ジャンボ宝くじの時には晴海通りまでズラーッと行列が続く。西銀座チャンスセンターという名前は、ここが銀座の西南の角に当たるから。
数寄屋橋の交差点を渡って右側にあるのが有楽町マリオン。
朝日新聞本社などがあった敷地の再開発ビル。映画館と阪急百貨店とルミネ(JR東日本系列のファッションビル)が入っている。映画館はオープン当時から変わらないが、最初は西武百貨店と阪急百貨店の組み合わせだった。ここでの西武はSHEED館というプライベートブランド中心のマーチャンダイジングを展開していて斬新だった。私はよく買い物に来ていたが、いつのまにかSHEED館ではなく女性アパレルだけのデパートになり、それもいつのまにかなくなり(/o\) 一方の阪急はごく普通のデパートで閑散としていたが(普通のデパートなら銀座には三越や松屋がある)、今は高級男性ファッション専門デパートとして人気がある。世の中、変われば変わるものである。
有楽町のガードをくぐるとビックカメラが見えてくる。この店舗も元は有楽町そごう。年配の方なら知っているフランク永井の「♪有楽町で逢いましょう」は、有楽町そごうとタイアップした歌謡曲だった。
ちなみに銀座と有楽町の境を通っている首都高の高架下には、銀座インズという商業施設が入っている。銀座インズの昔の名前は有楽町フードセンター。「♪有楽町で逢いましょう」がヒットした昭和32〜33年(1957〜58)あたりの開業だが、当時は銀座は古くさくて有楽町が新しくてファッショナブルなイメージがあったので、住所が銀座にもかかわらず有楽町フードセンターというネーミングをつけたと聞いたことがある。世の中、変われば変わるものである。
上の写真のビックカメラは建物の南側。こちらは北側に面した道路。ビックカメラの上には「よみうりホール」があって、ラ・フォル・ジュルネの会場の1つになっている。
正確にいうと、ビックカメラのあるビルの名称は読売会館。6階までが商業施設ゾーンで、7階〜9階がよみうりホール。実はそごうもビックカメラも読売会館のテナントというのはあまり知られていない。読売ホールも「ビックカメラの上に入っているホール」といわれることのほうが多い。
さてビックカメラの北隣にあるのが東京国際フォーラム。大小様々なホールがあってラ・フォル・ジュルネのメイン会場。他にも丸の内エリアに散らばる14箇所もの会場があり、そちらでは無料コンサートが開かれている。
入り口脇にあった東京都水道局がPRする水飲み場。
1週間に1回は東京国際フォーラムの前を通りかかっているけれど、こんなのあったっけ?
この日はコンサートとコンサートの合間に、とあるところへ行くプランを立てたのでカメラを持ってきていた。するとカメラを持っていると、普段の見慣れた場所でもいろんなことを発見することに気がついた。実は銀座駅からこの会場に来る途中でも「こんなのあったっけ? 」がたくさん。イチイチ紹介しているとキリがないからやめておく。
チケット売り場。
販売員の顔のところはモザイクじゃなくて窓に開けられた穴ね。
ご覧の通りの大賑わい。
建物の間の広場では無料コンサートが開演中。
ここはバラエティに富んだ屋台村があるのも楽しみの1つ。
フレンチの屋台のがあって、
その隣には焼酎を並べている屋台も。
帝国ホテルのソフトクリームは相変わらず人気。それでも最後尾の表示が必要なほどは並んでいないと思うけれど。でも、この心配りが帝国ホテルか。
ゴミ箱のところに係員がいるのがジャパン・イベントである。
ーーー続く
2015年05月01日
泳げ鯉のぼり相模川
昨年、群馬県太田市の北部運動公園に芝桜とネモフィラを見に行った時、鯉のぼりがたくさん揚げられていた。それがいたく気に入り、今年もどこかに鯉のぼりを見に行くことに決めていた。調べてみると各地で鯉のぼりイベントが行われているが、相模川のそれが1200匹と数も多いので見応えがありそうである。ゴールデンウイーク中はあまり遠出したくないこともあって場所的にも好都合。
相模川は山中湖が源流の河川で、相模湖と津久井湖というダム湖を経て、最後は平塚市と茅ヶ崎市の間を流れて、つまり湘南のど真ん中で相模湾に注いでいる。「泳げ鯉のぼり相模川」が開かれているのは河口から約25キロ上流の相模原市。
往きは東名高速から海老名ジャンクション経由で圏央道、帰りは国道129号〜246号と下道を走る。
ところでグーグルマップが仕様変更になった。慣れないせいもあって、まだちょっと使いにくい。自動的に引かれたルートが実際と違っていて修正する場合、例えば交差点を1つ手前で曲がるようにルートをドラッグすると、そのあたりをグルグル回るような新ルートになったりして困る。それはともかく今回からルートが紫から水色に変更された。ルートの途中にある丸印は、従来通りルートを引く都合で途中の目的地を設定したり、ルートを修正した時に勝手に入れられてしまうものなので関係ない。
鯉のぼりイベントが開かれているのは相模川にかかる高田橋(たかたばし)付近の川原。ナビに設定するのは面倒なので、圏央道の相模原愛川インターを降りた後は、イベントのホームページに書かれている道案内文章を暗記してたどり着く。交差点を4回曲がるだけだったので何とか覚えられた。
広大な川原のスペースが駐車場になっていた。
帰りにすぐ場所がわかるように高田橋の下に駐める。
もう少し奥に駐めれば鯉のぼりをもっと大きくBMW F800Rと一緒に写せたのだが、それに気がついたのは革ジャンやヘルメットを脱いでバイクにくくりつけた後だった。
ゴールデンウイーク期間中とはいえ、この日は平日なので店を開いていない屋台も多い。
でも鯉のぼりの場所に近づけば賑やかになってくる。
紙のコヨリの先につけられた鉤針で引っかけるヨーヨー釣りは子供の頃によくした。でも、これはどうやって取るのか遊び方を知らない。
「みつ」やシロップのかけ放題が流行っているのか、かなり以前からそうなのかも不明。祭りや縁日とは縁遠くなっているなと実感。
鯉のぼり会場は高田橋をくぐって上流側。
相模川に5本のワイヤーロープを架けて鯉のぼりがつながれている。
まあとにかく鯉のぼりが一杯!
普通に3匹の鯉のぼりが揚げられているだけだと何も感じないが、たくさんいる鯉のぼりを見上げていると、自分が空を泳いでいるように気持ちよくなってくるのが不思議。
鯉のぼりイベントの鯉のぼりは家庭で使わなくなったものが寄付されているそうだ。「祝」という字とともに名前が書かれている鯉のぼりもたくさんあった。生年月日も書かれているから個人情報流出じゃあ(^^ゞ
しかし雄大に泳ぐ鯉のぼりを見ていると、それとは正反対に今じゃ堂々と名前も名乗れないせせこましい社会になったものだと、ちょっと世の中に悲観的になってくる。ところで私が子供の頃には名前入りの鯉のぼりなんてなかった。地域によるのか、それとも時代によるのかな。
少し移動して後ろから眺める。後ろからの方が鯉のぼりの動きが大きくて楽しい。
だんだんと鯉のぼりがメザシに見えてきた(^^ゞ
イベント会場の上流に堰(せき)のようなものがあったので探検に向かう。
川原は大きな石がゴロゴロしていて歩きにくいので、
一段上の土手を歩く。
芝生広場になっていて美しい。
高田橋方向を振り返る。
これくらい離れてようやく鯉のぼり全体を写真に納められるくらいのビッグスケール。
芝生広場がだんだんと狭くなってくる。
堤防越しに見える家と新緑がいい感じ。
広場終了。
その先を進むと堰の真横。
写真をクリックして拡大すると海パン姿の男が川に飛び込んでいるように見えるけれど、彼はコンクリートの壁の段差を降りようとしているだけ。偶然の面白いシャッターチャンス。しかしナニユエ水着姿?
堰の上を歩いて行く。
水はほとんど満水状態。
先端到着。
落ちる直前。
落ちていくところ。
なぜかアップで撮らずにはいられない(^^ゞ
高さ1メートルくらいの堰があって、それを乗り越えた水がしばらくは堰の前後より急勾配に作られた川底を流れていく。このように水が乗り越える堰を洗堰(あらいぜき)というらしい。構造は単純明快だが、何のために存在するのかはよくわからない。水が乗り越えるとはいえ自然のままより上流では水が溜まるから、そこから農業用水などを取水しやすくするためだろうか。
奥の方にも水の通路らしきものが見える。魚道かな?
相模川は鮎釣りが盛んなところでもある。
堰き止められた上流側では川面に黄色い花がたくさん咲いていた。
堤防の上を歩いて高田橋に戻る。
堤防の左側は住宅地。堰から水が落ちる音がそれなりの音量で聞こえる。うるさくないのだろうか?
再びイベント会場に戻り、
乱舞する鯉のぼりをまた楽しんだ後は、
大粒コーン、ベーコン、目玉焼きトッピングのお好み焼き500円也を食べる。
芝生があって鯉のぼりが眺められていい場所があったのだが、屋台の発電機が廻る音がちょっとうるさい。気温は27度前後で日差しもあり、海パンで遊ぶ奴もいたくらいだから暑かった。一緒にビールも飲みたかったがガマン。
往きの東名は上り車線がかなり渋滞していたし、インター近くの電光掲示板でも渋滞表示だったので、国道129号で南下して246号で帰ることにした。久しぶりの市街地ツーリング。気を遣うから好きではないけれど脳細胞の活性化にはいいかも。本日の走行は115キロ。
鯉のぼりイベントによっては数を競うのではなく、巨大な鯉のぼりを揚げているところもあるらしい。次回はそんなところを訪れて見たい。
相模川は山中湖が源流の河川で、相模湖と津久井湖というダム湖を経て、最後は平塚市と茅ヶ崎市の間を流れて、つまり湘南のど真ん中で相模湾に注いでいる。「泳げ鯉のぼり相模川」が開かれているのは河口から約25キロ上流の相模原市。
往きは東名高速から海老名ジャンクション経由で圏央道、帰りは国道129号〜246号と下道を走る。
ところでグーグルマップが仕様変更になった。慣れないせいもあって、まだちょっと使いにくい。自動的に引かれたルートが実際と違っていて修正する場合、例えば交差点を1つ手前で曲がるようにルートをドラッグすると、そのあたりをグルグル回るような新ルートになったりして困る。それはともかく今回からルートが紫から水色に変更された。ルートの途中にある丸印は、従来通りルートを引く都合で途中の目的地を設定したり、ルートを修正した時に勝手に入れられてしまうものなので関係ない。
鯉のぼりイベントが開かれているのは相模川にかかる高田橋(たかたばし)付近の川原。ナビに設定するのは面倒なので、圏央道の相模原愛川インターを降りた後は、イベントのホームページに書かれている道案内文章を暗記してたどり着く。交差点を4回曲がるだけだったので何とか覚えられた。
広大な川原のスペースが駐車場になっていた。
帰りにすぐ場所がわかるように高田橋の下に駐める。
もう少し奥に駐めれば鯉のぼりをもっと大きくBMW F800Rと一緒に写せたのだが、それに気がついたのは革ジャンやヘルメットを脱いでバイクにくくりつけた後だった。
ゴールデンウイーク期間中とはいえ、この日は平日なので店を開いていない屋台も多い。
でも鯉のぼりの場所に近づけば賑やかになってくる。
紙のコヨリの先につけられた鉤針で引っかけるヨーヨー釣りは子供の頃によくした。でも、これはどうやって取るのか遊び方を知らない。
「みつ」やシロップのかけ放題が流行っているのか、かなり以前からそうなのかも不明。祭りや縁日とは縁遠くなっているなと実感。
鯉のぼり会場は高田橋をくぐって上流側。
相模川に5本のワイヤーロープを架けて鯉のぼりがつながれている。
まあとにかく鯉のぼりが一杯!
普通に3匹の鯉のぼりが揚げられているだけだと何も感じないが、たくさんいる鯉のぼりを見上げていると、自分が空を泳いでいるように気持ちよくなってくるのが不思議。
鯉のぼりイベントの鯉のぼりは家庭で使わなくなったものが寄付されているそうだ。「祝」という字とともに名前が書かれている鯉のぼりもたくさんあった。生年月日も書かれているから個人情報流出じゃあ(^^ゞ
しかし雄大に泳ぐ鯉のぼりを見ていると、それとは正反対に今じゃ堂々と名前も名乗れないせせこましい社会になったものだと、ちょっと世の中に悲観的になってくる。ところで私が子供の頃には名前入りの鯉のぼりなんてなかった。地域によるのか、それとも時代によるのかな。
少し移動して後ろから眺める。後ろからの方が鯉のぼりの動きが大きくて楽しい。
だんだんと鯉のぼりがメザシに見えてきた(^^ゞ
イベント会場の上流に堰(せき)のようなものがあったので探検に向かう。
川原は大きな石がゴロゴロしていて歩きにくいので、
一段上の土手を歩く。
芝生広場になっていて美しい。
高田橋方向を振り返る。
これくらい離れてようやく鯉のぼり全体を写真に納められるくらいのビッグスケール。
芝生広場がだんだんと狭くなってくる。
堤防越しに見える家と新緑がいい感じ。
広場終了。
その先を進むと堰の真横。
写真をクリックして拡大すると海パン姿の男が川に飛び込んでいるように見えるけれど、彼はコンクリートの壁の段差を降りようとしているだけ。偶然の面白いシャッターチャンス。しかしナニユエ水着姿?
堰の上を歩いて行く。
水はほとんど満水状態。
先端到着。
落ちる直前。
落ちていくところ。
なぜかアップで撮らずにはいられない(^^ゞ
高さ1メートルくらいの堰があって、それを乗り越えた水がしばらくは堰の前後より急勾配に作られた川底を流れていく。このように水が乗り越える堰を洗堰(あらいぜき)というらしい。構造は単純明快だが、何のために存在するのかはよくわからない。水が乗り越えるとはいえ自然のままより上流では水が溜まるから、そこから農業用水などを取水しやすくするためだろうか。
奥の方にも水の通路らしきものが見える。魚道かな?
相模川は鮎釣りが盛んなところでもある。
堰き止められた上流側では川面に黄色い花がたくさん咲いていた。
堤防の上を歩いて高田橋に戻る。
堤防の左側は住宅地。堰から水が落ちる音がそれなりの音量で聞こえる。うるさくないのだろうか?
再びイベント会場に戻り、
乱舞する鯉のぼりをまた楽しんだ後は、
大粒コーン、ベーコン、目玉焼きトッピングのお好み焼き500円也を食べる。
芝生があって鯉のぼりが眺められていい場所があったのだが、屋台の発電機が廻る音がちょっとうるさい。気温は27度前後で日差しもあり、海パンで遊ぶ奴もいたくらいだから暑かった。一緒にビールも飲みたかったがガマン。
往きの東名は上り車線がかなり渋滞していたし、インター近くの電光掲示板でも渋滞表示だったので、国道129号で南下して246号で帰ることにした。久しぶりの市街地ツーリング。気を遣うから好きではないけれど脳細胞の活性化にはいいかも。本日の走行は115キロ。
鯉のぼりイベントによっては数を競うのではなく、巨大な鯉のぼりを揚げているところもあるらしい。次回はそんなところを訪れて見たい。