2015年09月

2015年09月29日

ソーセージは茹でる?焼く?

私はどちらかというと焼くほうが好きかな。

子供の頃の「赤いウインナー」は焼いて食べるものだったから、なんとなくソーセージは焼くものという頭になっている。日本ではシャウエッセンとかの「赤くない」ソーセージが発売されてから、茹でるという食べ方が広まったように思う。茹でたほうがプリッとした食感になって、これはこれでおいしい。だから困る(^^ゞ ちなみにシャウエッセンの発売は1985年だから30年前。

ドイツでソーセージを頼んだときは「茹でるか、焼くか」を尋ねられた。別にグルメな店ではなく居酒屋レベルだったから「さすがドイツ、ソーセージにはこだわっている」と妙な感心をしたり。逆にいえばソーセージの本場でも茹でる派と焼く派に分かれているということである。

そんな話を寿司屋でしていたら(^^ゞ、
大将が「茹でてから焼くと一番おいしい」と教えてくれた。

やってみた。
茹でた味に近いが、茹でたときよりさらにプリッと感が強くなっておいしい。

フライパンで2分ほど茹でて、お湯を捨て、少し焦げ目がつく程度に焼く。焼きすぎたり火が強いと皮が破れてプリッと感がなくなるから注意。

お試しあれ。

なお、茹でるには
   水のうちからソーセージを入れる
   お湯になってからソーセージを入れる

そして、焼くには
   油を使わずに焼く
   油を引いて焼く

と、これまた人によってこだわりが違う。したがって茹でてから焼くには4通りの組み合わせになる。暇だったら4つ試してください。
ソーセージ


wassho at 23:44|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2015年09月25日

油壺 胴網浜から横堀海岸

9月20日のツーリングの4エントリー目。



奥に見える胴網浜東端にある岩場を回り込めば、
隣の横堀海岸に行けることになっている。
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写真で見るイメージ以上に足を運べるスペースは小さい。壁に手をつけば大丈夫なんだけれど、カメラを手に持っていてはそれもやりづらい。大型のウエストポーチを背中に斜めがけしているのだが、いちいちカメラを入れたり出したりも面倒。ということで海岸沿いを通って行くのは断念。まあ荒井浜〜胴網浜の探検で充分満足したのも理由のひとつ。
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海岸から道路へ出る道を登っていく。
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脇道に墓のようなものが見えた。
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「陸奥守(むつのかみ)道寸義同公の墓」と書いてある。
供えられている花はまだ生き生きしていた。
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隣にあるお墓の説明看板。
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三浦義同(よしあつ)の墓である。陸奥守は彼の官職名。陸奥というのは太平洋側の東北地方のこと。守(かみ)というのは、4つあった国司の階級で最も高い位。その次が介(すけ)。なんとかの守、なんとかの介という呼び方は聞いたことがあると思う。国司とは朝廷=中央政府から地方に派遣される行政官。守(かみ)なら長官で県知事みたいなもの。

もっとも国司が任務地に「赴任」していたのは律令制が始まった頃だけ。平安時代になると守や介は都に残って下級の国司しか現地に行かなくなる。平安の終わりから鎌倉時代になると国司が地方を治めるという制度は実質的に崩壊。ただし国司という官職だけは一種の箔付けとして残った。信長は上総介(かずさ・のすけ=千葉)、秀吉は筑前守(ちくぜん・のかみ=福岡)と領地とは無関係に「官位として」任ぜられている。

ちなみに信長が介なのは低く見られていたわけではなく、上総の守は親王(皇位継承権のある皇族)がなるしきたりで、介が実質的なトップという位置づけだったから。そんな建前が、国司という制度が単に名目上のことになった後も続いていたのが面白い。忠臣蔵で敵役の吉良上野介(きら・こうずのすけ)も上野介は役職名で彼の本当の名前は義央(よしひさ)。上野とは今の群馬県あたり。名前を使わずに部長とか社長と役職名で呼ぶことがあるが、そんな風習はけっこう歴史が古いのかも知れない。


さて三浦義同は1451年生まれ1516年没。応仁の乱が1467年なので戦国時代初期の人物。当然、陸奥守というのも名目的な官位。道寸(どうすん)というのは出家してしてからの名前。出家したのは仏門に目覚めたからではなく、養子に入った家で実子が生まれ、養父に疎まれて暗殺されそうになったから。坊主なら暗殺のハードルが高くなるという理屈。

三浦一族は平安時代から相模=神奈川を支配していた豪族。やがて武士となりイイクニツクロウの源頼朝の挙兵に参加。鎌倉幕府の有力メンバーとなるが、執権である北条氏と対立して1247年に滅ぼされる。しかし親戚筋がお家再興して1331〜1333年に足利尊氏が鎌倉幕府を倒した戦いに参加。室町時代に再び200年ほど相模を治め繁栄するが、戦国時代になり北条早雲に滅ぼされる。ちなみに鎌倉時代の執権家の北条氏と、北条早雲から始まり小田原城を築いた北条氏は遠い親戚らしいが歴史的には別の系統に分類される。

三浦義同(よしあつ)はその北条早雲に滅ぼされた三浦家最後の当主。今は油壺マリンパークとなっている場所にあった新井城に4年近く籠城したが最後は落城。これは戦国時代最長の籠城記録とのこと。

看板に書かれている三浦義同(よしあつ)辞世の句

   討つものも討たるるものも かわらけよ
   砕けて後は もとの土くれ

「かわらけ」といいうのは土器・陶器のこと。ここではたぶん素焼きの杯を差していると思う。達観しているようでもあり自虐的なようでもある。

というわけで1516年に北条早雲に滅ぼされ「土くれ」となった三浦一族であったが、義同の次男は安房(千葉)に落ち延びる。その孫が養珠院お万の方。家康の側室となり家康の十男、十一男を産み、それぞれ紀州徳川家、水戸徳川家の初代藩主となっている。黄門様の水戸光圀は彼女の孫、暴れん坊将軍の紀州徳川吉宗はひ孫。2回も滅ぼされたのに徳川家にその血筋を残しているんだから三浦一族はしぶとい。

※リンクしたページの下のほうにお万の方の銅像を訪れたときのエントリーがある。
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/2011-09-19.html



いつものことながら話がそれた(^^ゞ

さて
胴網浜から坂を登り切ると油壺マリンパークの駐車場に出た。
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マリンパークの入り口。
壮絶な戦場だった新井城も今は親子連れが集う平和な行楽地。
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道路に出て市営駐車場のほうに戻っていく。
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荒井浜に降りる分岐を通り過ぎると、
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横堀海岸に降りる坂道がある。
ところで坂道の向こうに海が見えるとワクワクしてくるのは私だけかな?
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別荘?やリゾートマンションに囲まれた道を下る。
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横堀海岸到着。
サイズは胴網浜より少し小さいかな。全景は撮り忘れた(>_<)
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他の2つの浜と違って海の家は休業中。
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東隣はシーボニアというマリーナがあって(そっちに顔を向けていると)リッチな雰囲気。
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ここにも海に延びるパイプがあった。もちろん荒井浜と違って水族館などはない。
海水を取り込んでいるのか、下水を流していのか。ナゾ
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東側にはさらに小さな浜があった。足を濡らさずには渡れなかったので見ただけ。
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かつては桟橋を支えていたと思われる朽ちた構造物。
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西側の風景。つまり胴網浜方向。
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アップで。
胴網浜から歩いてくるのはやはり無理だったみたい。
もう少し潮が引いていれば濡れずに歩けるのかも知れないが。
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遠くに見えている岬の先端は荒崎だと思う。
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ボケーッと海を眺めていたらスタンドアップボードの集団が通り過ぎた。
なぜかこのスポーツだけはやりたいと思ったことがない。
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降りてきた坂道を登って三浦半島のマイナースポット巡りPart2は終了。あまり馴染みのなかった油壺を探索できて楽しかった。
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高速道路に乗るまでの134号線はいつものように大渋滞。かなり強引なスリヌケをする4台位のバイク集団がいたので最後尾について便乗。できるだけ自重しているんだが、ついついーーー。走行150キロで午後6時前に帰宅。次の週末は交通安全週間中なのでバイクでは出かけない予定。


おしまい

wassho at 07:49|PermalinkComments(0)   *ツーリング 

2015年09月23日

油壺 荒井浜から胴網浜

油壺の航空写真。
諸磯湾と油壺湾はひとつの入り江の手前と奥の関係。そして油壺の岬には荒井浜、胴網浜、横堀海岸がある。探検というのはこの3つのビーチを岬沿いにグルーっと岩場を歩いて巡るということ。もちろん観光コースとして紹介されているわけだから、険しいルートではないはず。でもちょっと楽しそう。
地図3




この崖沿いを時計回りに歩いていくことになる。
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崖はかなり切り立っている。海沿い特有の木の生え方が荒々しい。もう秋なのでウロコ雲が見える。今年の夏は猛暑日の連続記録を更新したりで厳しかったけれど、それもお盆までと短い夏だった。
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荒井浜の一番南側からの風景。
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テクテクと歩いて行く。
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だんだんと荒井浜が小さくなる。
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謎のパイプ発見。
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パイプが陸地に伸びている方向には油壺マリンパークの建物。マリンパークは水族館テーマパークのようなところだから、水槽に入れる海水をここから引いているのかも知れない。
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ところどころで咲いていたオレンジ色の花。
たぶんハマカンゾウ(浜萓草)だと思う。見ての通りユリの仲間。
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さらに進む。
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もう荒井浜は見えない。
足跡はたくさんあるが、ここまで来るともう誰もいなくなった。
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打ち寄せる波もちょっと荒い。
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割と広めの砂場があって、ところどころ崖がせり出してきて岩場を歩いての繰り返し。
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恐竜の背骨の化石発見(^^ゞ
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次の崖場には階段があった。
満潮の時に渡れなくなる場所には階段があると調べたときに読んだようなーーーツーリングの下調べはいつも大雑把なのでウロ覚え。
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階段の下の少し高くなった岩場で海を見おろしながら休憩。なかなかいい景色。心がスーッと軽くなるのを感じる。もっとも特に何も溜め込んでいないんだけど(^^ゞ
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コーヒータイム。魔法瓶ボトルに入れてあるのはカフェ・アメリカーノのアイスコーヒー版。かなり濃いめに作ってきな粉を入れてある。暑い時期のツーリングにはいつもこれで、真夏ならボトル2本を持っていく。濃いめ=シャキッとする〜きな粉=多少は栄養補給、熱中病対策にもなるかと思って。
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関係ないけれど、こんな岩の隙間で育っている草の生命力って凄い!




階段ではなく岩場つたいに行くことに挑戦。
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無理!
足場がまったくない。満潮の時にはーーーというのは私の勘違いで、ここは階段を使って進む場所のようだ。
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階段を上る。
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細っ!
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カヌーの一団が目の前を通り過ぎた。
カヌーも一度試してみたい。
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階段を降りた先は、結構厳しそうな岩場になっている。もっとも厳しいといっても歩くことは難しくないが、問題は足を濡らさずに進めるかどうか。
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何とか大丈夫。
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胴網浜が見えてきた。
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浜が見えてからが意外と長い。
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海に落ちて「助けてくれー」と叫んだら声が届く場所までたどり着く。
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無事に胴網浜到着。
ビーチの幅は100メートルあるかないかくらい。ここは北向きなので、もう後ろの山の影が差している。時刻は3時過ぎ。
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これはスタンドアップボードとかパドルボードとか呼ばれるもの(略称はSUP)。
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サーフボードに似た形でも立ってオールで漕ぐ。サーフィンするところでやっている人も多いが、このボードは厚みがかなりある。だからこれは波に乗るSUPじゃなくてカヌーのようにクルージングを楽しむタイプなのかなと思う。最近のマリンスポーツについては浦島太郎状態なのが淋しい。


とりあえずお約束のローアングル。砂にピントが合ってしまった。
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ーーー続く

wassho at 22:51|PermalinkComments(0)   *ツーリング 

2015年09月22日

油壺 荒井浜

諸磯から油壺に移動。
マリンパークと市営の駐車場があるが、今回は市営駐車場に止める。バイクは210円。ちなみに油壺は神奈川県三浦市三崎町小網代で、油壺の名前は住所として使われていない。
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駐車場から岬の先に向かって歩く。
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ここが荒井浜に降りる入り口。派手に看板が立っているから見落とすことはない。
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彼岸花が咲いていた。
後ろに咲いている名前はわからないが、色の組み合わせはイマイチ。
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ゴツゴツした木立の間を抜けていく。
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左側は崖で木の間から海が見えているのだが、写真に撮ると露出の関係か写っていない。
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途中にあった建物は東京大学地震研究所の油壺地殻変動観測所。
人気(ひとけ)は感じられなかった。
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木が途切れたところからのぞけた油壺湾
きちんと整列して停泊していた諸磯湾と違ってバラバラに停まっている感じ。
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ところで油壺は入り組んだ湾なので、壺に入れられた油のように波が立たないから油壺と呼ぶとどこかで聞いた気がする。でもここにはまったく違う残酷な光景が名前の由来と書いてある。
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分かれ道。
標識はないが、右側に下っているほうは荒井浜がもう見えている。
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でも何となく左側が気になって
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しばらく進んで下りになると建物があって、その先に海が見えてきた。
(先ほどと同じ理由で写真に海は写っていない)
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立ち入り禁止のこの建物は東京大学の三崎臨海実験所。地震研究所とは学部が違うからか、こちらの名前は油壺ではなく三崎。実験所と書いてあるがホームページを見ると海洋生物の研究をしている施設のようだ。それにしても東大は油壺が好きなのかな。
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東京大学のモンドコロが目に入らぬか!
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東大実験所の建物の前を抜けると海岸の入り口。坂になっているのは先ほどの分かれ道で右側に下っていた道。つまり東大の敷地分を遠回りして同じところに着いたということ。
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荒井浜は西向きに南北へ延びた海岸。
北側には「カメハメハ大王の渚」という海の家があった。
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北側の端からビーチの全景。長さは150〜200メートルといったところ。カメハメハの向こう側にも海の家があって、ビーチの広さの割に店の占める面積が大きい。水はきれいだった。
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さらに北側は岩場になっている。写真の奥に諸磯漁港にあったオレンジ屋根の家が見える。(クリックすると写真は大きくなる)
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このエリアは磯遊び場。
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「月に雁」ならぬ「月にトンビ」。
三日月が昼間に見えるのは珍しい気がする。
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北側の岩場からビーチを眺める。
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ところでキケンと書かれているととても興味を引かれるのだが、
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入り口にはフェンスがあるし、
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フェンスを乗り越えたとしてもつながっていない!
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水と戯れる人。
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泳ぐ人。
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ヨガをする人。
ずっとこの姿勢だったのでヨガだと気付くまで少々時間が掛かった。
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カメハメハはバーベキューレストランのようだ。
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ビーチの南側にはこんなお店があった。でも何かを展示しているのではなさそう。美しい海を眺めながら飲食して過ごすという意味なのかも。
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初日のエントリーに書いたように油壺には3つのビーチがある。今回はそこをただ訪れるだけじゃなく、ちょっとした探検をすることを目的としてやって来たのだ。


ーーー続く。

wassho at 23:06|PermalinkComments(0)   *ツーリング 

2015年09月20日

三浦半島のマイナースポット巡りPart2

去年の秋に三浦半島のマイナースポット巡りをした。主な訪問地は破崎緑地、ついでに立ち寄ったメジャースポットの観音崎、今では私のもっとも好きな場所のひとつとなった燈明崎、そして大浦海岸三戸海岸などである。今回はそのPart2となるツーリング。

海方面に出かけるのは3ヶ月ぶり。それで広い海岸を見たくてまずは三浦海岸沿いを走ることに。もちろんここはメジャースポット。今回のメインは三浦半島南端に近い油壺(あぶらつぼ)である。油壺自体は有名な場所だが、そこにある3つの浜や隣の諸磯はまあマイナースポットと呼んでも差し支えないと思う。
地図1


二日続けてツーリングするのは初めてかなあ。まあ今年の夏は天候不順であまりバイクに乗れなかったから、この秋は積極的に乗ろう。午前11時に出発。気温27度。昨日は暑さでバテそうになったから本日はメッシュ革ジャン着用。寒いときのためにウインドストッパーという、メッシュジャケットの下に着込む風よけ用極薄ジャンパーも持参。というかずっとバイクに積みっぱなしになっているけれど。

昨日と違ってルートのほとんどを高速道路が占めるツーリング。高速道路上では30度くらいだったが、メッシュ革ジャンではちょっと寒かった。でもウインドストッパーを着るほどではなし。バイクは気温によって着るものを選ばなければいけないのがやっかいなところ。走っている時だけでなく現地に着いてからのことも考える必要があるからなおさら。第三京浜〜横浜新道〜横浜横須賀道路と三浦半島に向かう高速道路は一部で渋滞はあったものの、それなりに順調に走れた。


佐原というインターチェンジで降りて県道27号線で南下して、海岸沿いを走っている国道134号線にでる。134号はさすがに連休渋滞といったところ。渋滞につきあってのんびり海岸を眺めたり、ときどきバイクの機動性を生かしたりしながら進む。

134号線は途中で内陸側に進路を変え、その先の海岸通りは県道215号線になる。そこまで来るともうクルマの数は少ない。ただし215号に入ってすぐのところは時々ネズミ取りをしているので要注意。

久々に海とツーショットのBMW F800R。
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ビーチはそこそこの賑わい。
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広い砂浜。三浦半島東側の三浦海岸は、西側の湘南エリアの海岸と較べて砂の色が明るいのがよい。遠くの岬に煙突が立っているのは久里浜の火力発電所。
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北側方面。岬の先端は雨崎。遠くに霞んでいるのは対岸の房総半島。雨崎は(表現がおかしいが)三浦半島を代表するマイナースポットらしい。今回は訪れないがいずれそのうち。
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三浦海岸は東京湾すなわち内海なのでサーフィンできるような波は立たない。でもウインドサーフィンは盛ん。写真のウインドサーフィンは、私が持っていたものと較べてずいぶんと短くで幅広い。サーフィンはロングボードが人気だがウインドサーフィンはまた違うトレンドなのかな。去年は30年振りにサーフィンをした。ウインドサーフィンをする機会もまたあって欲しい。ちなみにサーフィンほど熱心ではなかったけれど、カリブ海でウインドサーフィンをしたことがあるのが私のこっそり自慢。
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残念ながら水質はあまりよくなかった。
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ちなみにこのあたりを広く三浦海岸と一般に呼ぶが、厳密には北側は津久井浜で県道215号沿いは菊名海岸という。津久井浜から三浦海岸つまり国道134号線にある駐車場はすべて有料。でも菊名海岸=県道215号は無料の駐車場がいくつか設置されている。今回バイクを停めたのは菊名海岸。
地図22




菊名海岸を後にして215号線を進む。途中から内陸部に折れて標高のある丘の上を走る。丘の上はキャベツ&大根の畑が一面に広がっている。まだ小さい葉っぱしかなかったから、今は大根を植え始めたばかりなのだろう。このあたりは緩やかなカーブが続くいい道であるが、農作業のトラックが落とす土が道路に散らばっている箇所が多い。


丘を下ると三浦半島の南に面したエリアを走ることになる。最初に現れるのは松輪漁港。松輪の漁港を過ぎるとまた丘を登って降りて毘沙門の漁港、そしてまた丘を登って降りて宮川の漁港と続く。どれも海岸沿いならどこにでもある小さな漁港。しかしこのあたりで採れるサバは10年ほど前から松輪サバというブランドとして売り出されている。サバのブランドといえば大分県の関サバが有名で松輪サバはあまり耳にしない。しかし関係者の間では「西の関サバ、東の松輪サバ」と拮抗する評価らしい。どちらも食べたことがないけれど(涙)。


さらに進むとマグロで有名な三崎に入る。さすがに連休なのでメインストリートにあるお店はどこも「2〜3時間待ちじゃない?」というような行列ができていた。今回はスルーして、そのまま油壺まで走る。


さていよいよ三浦半島のマイナースポット探訪。最初に訪れたのは油壺の岬と平行して海に突き出している諸磯(もろいそ)の岬にある諸磯漁港。
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広めの桟橋が延びている。
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諸磯湾と油壺湾の入り口。のんびりとした海でいい感じ。
どちらも湾というよりは入り江というべき規模。
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諸磯漁港の西隅に小さな浜があった。オレンジ屋根の家にしてみればまさにプライベートビーチ。もっとも日本では海岸の私有はできずプライベートビーチというのは法律的に存在しない。海岸に通じるエリアを買い占めて実質的にプライベートビーチに仕立てているところはあるが。
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桟橋の先端から振り返った光景。
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漁港から海岸沿いの道路に戻り諸磯湾とBMW F800Rのツーショット。
冬ならこの正面に富士山が見える。
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油壺湾には油壺ヨットハーバーがある。この係留施設は諸磯湾にあるのに油壺京急マリーナという名前。つまり油壺という地名はそれだけブランド価値が高いということ。
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ーーー続く

wassho at 20:57|PermalinkComments(0)   *ツーリング 

2015年09月19日

かにが沢公園で曼珠沙華(彼岸花)

2年前に見た埼玉県日高市にある巾着田の曼珠沙華(まんじゅしゃげ=彼岸花)の記憶は今でも鮮明である。それくらい圧倒された。シルバーウイーク初日の今回は、小規模ながら珍しい曼珠沙華があるところを訪れてみた。場所は神奈川県座間市にある「かにが公園」。


正午に出発。気温30度前後。少し迷ったがメッシュではない普通の革ジャンを着用。結果的にはこれが裏目に出る。地図で濃いピンク色に塗られているのは国道246号。それをまっすぐ進んで目的地近くで右折すれば公園に着く予定だった。しかし246号は多摩川を渡って神奈川県に入ったあたりから激しく渋滞。まともなスピードなら普通の革ジャンでOKでも30度で渋滞は結構きつい。日差しも強く汗びっしょりになる。

そろそろ渋滞も解消するだろうと期待しつつ進んだが、いっこうにその気配なし。ガマンできなくなって、適当に右折して走ったのが水色のルート。しかしこれも246号と似たり寄ったりの渋滞。渋滞がなくなったのは、ほとんど公園の近くになってから。自宅から35キロの程の距離を2時間かけてようやくたどり着いた(/o\)
ちず



公園の駐車場はそれほど大きくない。ここに写っている2倍程度の広さ。この連休中は曼珠沙華イベントもあるので近くに臨時駐車場も用意されているみたいだ。市民ボランティアと思われる人が案内係をしており、隅っこのほうにバイクを停めさせてくれた。料金は無料。
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公園に入ってすぐのところ。
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曼珠沙華は側道のようなところに植えられている。
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これが普通の曼珠沙華の光景。
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そして、かにが沢公園にはピンクの曼珠沙華がある。
白い曼珠沙華の比率も高い。
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ピンクの曼珠沙華を見たのは初めて。たぶん見たことがある人は少ないんじゃないかな。優しくて上品な印象。花の姿形は赤い曼珠沙華と同じに思える。
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園芸種としては黄色やオレンジもあるらしいが、日本では曼珠沙華の人気がないのでほとんど植えられていないらしい。求む!色とりどりの曼珠沙華を栽培してくれる公園。

赤とピンク。
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白とピンク。
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赤・白・ピンク。
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かなり大きな木の下に曼珠沙華が植えられているので、ところどころで木漏れ日がスポットライト的に曼珠沙華を照らしていい感じ。
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これは失敗。
花火みたいに写ってしまった。
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ピンクの曼珠沙華が植えられているのは公園の入り口近くだけで、奥にあるメインの場所は赤い曼珠沙華がほとんど。かにが沢公園の曼珠沙華は10万本。500万本の巾着田とは規模では較べものにならないが、あちらが別格というべきだろう。ここは3分もあれば曼珠沙華エリアを通り過ぎてしまう面積とはいえ、充分に楽しめるボリュームはある。
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せっかく来たので公園を探検。かにが沢公園は面積約4.3ヘクタール。南北に延びた細長い公園で、東西の横幅は70〜80メートルくらいだと思う。

子供広場。
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地形の段差を利用した巨大な滑り台あったが、なぜか使用禁止になっていた。
是非一度、滑ってみたい。
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公園は窪地のような地形で、両サイドにはマンションや住宅が並んでいる。
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一番奥にあった広場。
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黙々と壁キャッチボールをやっていたジイさん。どっしりした下半身は、この鍛錬のたまものかな。それにしてももうずいぶんと野球の道具に触れていないなあ。
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引き返して入り口へ戻る。
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とてもシンプルというか特に何もない公園だった。
でも桜の木は多かったから花見は見応えがあるかも。

ところで厚木基地が近いので上空には自衛隊の飛行機が頻繁に飛んでいる。四発のプロペラ機だからたぶん対戦哨戒機P3C。イメージしていたよりズングリした機体だった。海側から飛んできて座間市上空でUターンして厚木基地に降りているようだ。公園あたりではかなり高度は低い。15分おきくらいに飛んでくるので、その数の多さに驚いた。ちなみに公園から小田急線の線路を挟んだ向かい側は米軍のキャンプ座間。このあたりはけっこうミリタリーなエリアでもある。



公園を出たのは3時半頃。日差しも弱くなって気温は27.5度まで下がり、帰りの246号は空いていたとはいえないものの激しい渋滞はなし。走行75キロで約1ヶ月ぶりのバイク。



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2015年09月15日

山口組分裂に見る?クルマ・マーケットの変化

報道されているように山口組が、山口組と神戸山口組に分裂して揉めている。
その関連で山口組本部の映像をテレビでよく見るこの頃である。


話はいきなり変わるが、大学生のときのバイト先にAさんというバイトの管理者のような人がいた。年齢は35歳くらいで、50名程いたバイトに的確に指示を出す有能な人だった。しかし独特のオーラがあり何かと正体不明なところがあった。古参バイト達の噂では「その筋の有力者の息子」ともいわれていた。そして家は山口組の近所らしかった。

ある時、休憩時間に誰かが好奇心を抑えきれず「Aさんのお宅はどこなんですか?」と本人に尋ねた。Aさんは駅からの道順を答えた。質問した奴は、その住所を知っていたのか噂を元に適当にいったのかわからないが「じゃ山口組の裏じゃないですか」といった。するとAさんは


  「近所なのは確かだけれど、
   なぜ山口組が『表』で、ウチの家が『裏』になる?」

といった。Aさんは優しい人だったが、その時の言葉はものすごく「ドスが効いて」いてバイト全員で震え上がった。ドスが効いた言葉というのを実際に耳にしたのは、今のところあれが最初で最後である。とにもかくにも「その筋の有力者の息子」という噂は、その時から真実と確定され、それ以降は仕事をさぼるバイトはいなくなった(^^ゞ 何か事件があって、テレビで山口組本部が写るたびに毎度よみがえる懐かしい思い出である。そしてAさんは本当は何者だったのだろう?



さて話は戻って山口組分裂騒動。
テレビに映るのは会議?のために集まった各組の親分や幹部が、山口組本部にクルマで出入りするシーン。今まではそういう連中が乗るクルマは黒塗りのベンツ、たまにセンチュリーというのが通り相場だった。つまり大型の最高級セダン。

しかし今回出入りしているクルマは、ニュースを見る2回に1回はミニバンである。ほとんどは黒色だが、たまに白のミニバンも写っている。車種はトヨタのアルファードまたはヴェルファイヤ(トヨタの中では一番大きいミニバン)がほとんどのようである。


  ヤクザがミニバン?
  なんかイメージ狂うなあ。

機能面から見た選択としては間違っていない。
親分や幹部が乗るのは後席だから、アルファードクラスのミニバンなら一番大きなベンツよりも座席は広々としている。ヤクザの世界も高齢化が進んでいると思うが、セダンよりもミニバンのほうが乗り降りは楽である。車高が高くて見晴らしがセダンよりもいいので、襲撃してくるヒットマンを早く見つけられるかも(^^ゞ

走行性能や乗り心地はセダンのほうが上回る。しかし日本で使っている限り、しかも後席ならもうほとんど差は感じられないかも知れない。実際、大型ミニバンはセダンに代わって企業VIPの送迎車としても数を増やしつつある。価格は300万円から600万円ほどであるが、トヨタも日産も200万円ほど価格が高くて内装が豪華なエグゼクティブ仕様をラインナップに揃えている。

セダンと較べてかなり差があると思われるのは安全性。親分を乗せて無茶な運転はしないだろうけど、運転手は技量のある組員を選んだほうがいいかも。またミニバンは構造的に重心も高い。ぶつかり合いながら走るカーチェイスをやるときは不利だが、そんなのは映画の中だけの話かな。


というわけで親分や幹部の送迎に大型ミニバンを選ぶことは理にかなっている。しかしクルマは合理性だけで選ばれるものではない。ベンツなどの大型高級セダンと大型ミニバンとの一番の違いはステイタス、つまりどれだけイバリが効くかどうか。世間一般ではクルマにステイタスを求める意識が希薄になって、一昔前ならマークIIやクラウンを買っていた人たちが、ファミリーカーとしての実用性が圧倒的に高いミニバンを買うようになってセダンマーケットは廃れた。


  しかしヤクザは見栄張ってナンボの世界


と思っていたから、今回の騒動でのクルマの出入りシーンに「えっ、もうヤクザもそんな時代?」と驚いたのである。


もっとも海外のマフィアはかなり前から、大型セダンから大型SUVに乗り換えている。アメリカならシボレー・サバーバンやキャデラック・エスカレード、ヨーロッパやロシアではレンジローバーが多い。もちろん映画での話ではあるが、それなりに事実を反映しているはず。だから日本のヤクザもようやくグローバルスタンダードに追いついたのかも知れない。(ちなみにミニバンがこんなにたくさん走っている国は日本だけで、ガラパゴスなジャンルといえる)


あるいは今回の分裂騒動も、その遠因は暴力団対策法による締め上げで経済的に苦しくなったからといわれている。国産大型ミニバンがベンツの大型セダンに対して圧倒的に優位なのは価格。だいたい1/4から1/3の価格で買える。たぶん燃費も数割はいいはず。

 子分「親分、もう大きなベンツを買うお金がありません!
    小さいベンツでもいいですか?」

 親分「そんなみっともないことできるか、ボケ!」

 子分「だったらミニバンどうですか? 国産ですけど室内はメチャ広いので
    親分も楽ですよ」

ーーーというような会話が交わされたのかな?


ヤクザが何に乗ろうがマーケットに影響はないが、もっともクルマに対して保守的と思われるゾーンでの変化ということで関心を持った次第。ベンツ本社もニュースに釘付けになっていたりして。

wassho at 08:37|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2015年09月13日

最近ついてないかもーーー

午前8時に起きたときは青空だったが、9時に天気予報を見たら昼から雨のようなので、本日のバイクツーリングは中止。天気予報的には微妙な言い回しではあったが、雨雲レーダーの予測を見たら目的地がしっかり覆われていたので出かける気が失せた。お盆明け後の関東地方は天候不順。おかげで涼しかったもののバイクには1ヶ月ほど乗れておらず残念。


ついてないかもーーーと書いたのは天気のことではない。出かけるときに雨が降るとイヤなものだが、日本では平均すれば3日に1度は雨が降っている計算になる。だから雨については諦めが肝心で運不運は無関係。逆に快晴は年に22日しかない。

ところで気象的に快晴というのは雲の量を0から10までの11区分に分けて、1以下の場合を快晴という。雲の量が2から8なら晴れらしいから、天気予報の晴れは実際には曇りに近い場合も含まれる。逆に夏の真っ青な空に大きな入道雲があっても快晴と感じるので、気象用語と生活における天気の感覚とは少しずれているかも知れない。ところで雲の量って空全体を見渡せるところはほとんどないのに、どうやって観測しているんだろう?



ついてない話 その1

20年ほど前に治療した歯の詰め物が取れたことは少し前に書いた。それもついていない話だったが、なぜか昨日から耳が痛い。

幼稚園の頃は中耳炎によくなった。しかし、あまりに昔でどんな痛みなのかは覚えていない。これも中耳炎なのかなあ。そういうのは何となく子供がかかる病気だと思っていたのに。

金曜日の寝る前に少し痛みを感じたような気がして、でもまったく気にも留めていなかったが、昨日は朝起きたら左の耳というか鼓膜がかなり痛かった。でも今日はかなり痛みが少ない。昨日は唾を飲み込むときにも、耳たぶの反対側を押さえて耳の穴を閉じるようにしないと痛くてたまらなかったが、今は別にそんなことをしなくても大丈夫。鼓膜自体から感じる痛みもほとんどない。でもなぜか左側のこめかみがときどき痛い。耳は関係ないのか。

もっと違う深刻な病気だったらどうしよう(>_<) 今日は日曜日だし明日は忙しいから、火曜日になってもまだ痛かったら、それこそ半世紀ぶりの耳鼻科通院。




ついてない話 その2

6月に買った通勤用のリュック。実は最初から気になっていたのだが、右側のストラップが肩からずり落ちる。長さをきちんと揃えたり、背負うときに右肩を深めにしても効果なし。縫製が左右非対称になっている不良品ということはないが、どうも手提げの時に使う取っ手がストラップを微妙に押しているようだ。

あまりに頻繁にずり落ちるので、もうガマンできなくなってきた。このエントリーをアップしたら新しいものを探そうかと思っている。それと使い出してから初めてわかったのだが、このリュックはその構造に起因する不便な点もいくつかある。

具体的な話はいずれそのうち。両手が自由になるリュックの便利さには充分満足しているものの、なにぶん初めての買い物で授業料が高くついたというところ。



ついてない話 その3

7月に写真と似たような靴を買った。中学から高校の途中までアイビールックが流行っていた頃、こういうスリッポンとかローファーと呼ばれる靴をよく履いていた。もっとも当時はこんなカジュアルっぽいデザインではなく、もっとオーセンティックなものだったが。まあとにかく久し振りにこんな靴を履いてみたくなったわけ。
ローファー

見た目は気に入っている。しかし、この靴、やたら伸びる。買ったときはもちろんピッタリとフィットしたサイズなのに、現在は歩くたびにカカトが浮き気味。このペースで伸び続ければ年内には歩くと靴が脱げてしまうに違いない(^^ゞ

それと靴底が柔らかいというか、しっかりしていない感触で長く歩くと疲れる。革靴は基本的に伸びるものだし、どんな靴でもお店で試しに履いた程度では履き心地はわからないもの。でもこんなに期待を裏切る靴は初めてである。やっぱりついていないかな。ちなみに靴底はゴム製でブランドはリーガル。



ついていない話 その4

傘は雨が降ったときにコンビニなどで買うことも多いが、基本的に1本はまともな傘を持つようにしている。20代後半の頃、あまりあちこちに傘を置き忘れてくるのに自分でも嫌気がさして、高い傘なら置き忘れないかもと考えたのがきっかけ。日本橋の丸善まで出かけて2万円か3万円だして買った高級傘は、決してどこにも置き忘れることはなかった(^^ゞ

たぶん10年くらいは使ったと思う。最後は傘を開くとパチッと止まるところがバカになってしまい、ズルッと上までいってしまい、傘は開いても上を向けて傘を差すと閉じてしまうという高級傘にしてはずいぶんマヌケな姿で生涯を終えた。

それ以来、そこまで値段の張る傘は買っていないものの、最近まで使っていたのが傘の骨が普通の傘の倍の16本のタイプ。強風でもオチョコにならないという性能を試す機会もないまま、どこかに引っかけたのか少し破れてしまった。

ちょっといい傘を買う理由は、実はクオリティよりも色にある。コンビニなどで売られている男性用傘は黒とか紺とか濃い色ばかり。私は明るい色の傘が好きなのだ。

  雨の日に傘まで黒いと気分が滅入る。
  夜に黒い傘を差していると交通事故的に危険が増す気がする。
  明るい色の傘だと人の傘と間違いにくい。傘立てですぐ自分の傘を見つけられる。

というのが主な理由。

それで先月に新しい傘を買った。黒の細いボーダー柄でパッと見は明るいグレーに見える。東急ハンズで5000円くらいだった。
かさ


この傘は骨組みは普通の8本でも、少し丈夫に作ってあるらしく強風に強いらしい。ただし、そのせいかちょっと重い。それは別にいいとして、先日の台風17〜18号の大雨のときに差していると、傘のくせに雨漏りしだした(/o\)

叩き付けるような強い雨だったからかなあとも思ったが、今までそんな雨でも雨漏りなんてことは記憶にない。いったん雨漏りして生地に水が染み込んだせいか、その日は雨が弱くなってからも雨が漏れた。テッペンから漏れているのか傘のシャフトを伝わって水滴が手にも落ちてくる。超撥水性の生地を使用と書いてあったのに。

後で確認したが穴が空いているというようなことはない。縫い目も肉眼で見た限り異常なし。とりあえず、さっきベランダでたっぷりと防水スプレーを吹きかけておいた。これで問題がなくなってくれることを期待しよう。


風邪を人にうつすと治るという。
ついてない話を人に読ませて脱出しようという魂胆(^^ゞ

wassho at 14:06|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2015年09月04日

浅草サンバカーニバル その3

事前にネットで調べた情報では

1)露店は出ていない
2)周りのコンビニなどのお店の水やビールはすぐに売り切れる

ということだった。だから水分補給のためにサーモボトル(魔法瓶の水筒ね)にアイスコーヒーでも入れて持っていこうかと考えていたくらいである。幸か不幸か当日は気温20度程度だったので、その必要はなかったが。

確かに露店は少なくとも雷門通りにはなかった。でも店先にテーブルを並べてビールなどを売っている飲食店はいくつかあり。

少し疲れたので一旦休憩しようと、雷門通りを渡って駒形橋のほうに歩いて行く。しばらく進むとイオンのミニスーパーみたいな店舗があった。水もビールも品揃えに問題なし。向かい側にセブンイレブンもあったが、この日の天候なら品切れを起こすことはなかっただろう。

イオンでビールを買って、路地を少し入ったところの小さな公園でしばらく休憩。雷門通りから3ブロックほど離れたところだが、サンバカーニバルの喧噪はまったく聞こえず静かなもの。


ちょっと一服のつもりが近況報告やなんやかんやで話が弾み、沿道に戻ったのは1時間後の5時半頃。雷門の交差点周辺はますます人出が増えている。
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これではとてもパレードを見られないので田原町駅方向へ移動。ところで最初にパレードを見たのは東西に延びる雷門通り北側の歩道〜車道。休憩後は南側に移ったが、南側は最初のエントリーに書いたように有料席が設けられている。その後ろから見ることになるからパレードの隊列まで少し遠い。有料席が途切れたところで、なおかつ人の少ない場所を見つけるのに少し手間取った。


話は変わるがスカイツリーの下側の展望台が雲で隠れている。あのあたりは高さ350メートルのはず。曇ってそんな低いところにもできるんだと驚く。霧というべきなのかも知れないが、これも異常気象?
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幸い雨は浅草にいる間に数回パラパラときただけで、傘も帽子もまったく必要なかった。もっとも傘は禁止らしく本格的に雨が降っているときはカッパを着て見物するらしい。



戻って最初に見たのは子供のパレード。
靴にカバーを掛けてお揃いのデザインに見せているのは芸が細かい。
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結構年配な参加者もいる。
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この大きなスカートをはいてクルクル回るように踊るバイアーナというのは、(本場ブラジルでは)若い頃はパシスタなどで活躍していて、歳を取って激しい動きであるサンバが踊れなくなった女性のためのポジションらしい。そしてもっと高齢になるとヴェーリャ・グアルダという名誉世話役グループのメンバーとなって、踊らずにパレードの最後尾を練り歩くという。歩けるようになってから歩けなくなるまで、ずっと参加できるのがサンバのようだ。


パレードの途中では寸劇みたいなこともやっている。
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寸劇の幼稚園児とどうつながるかわからないが工事現場のグループ。
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古代ローマ軍風のコスチュームに、サッカーボール&ブラジル国旗。
まあ何でもありなのだ(^^ゞ
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このチームのアレゴリアはちょっと立派だった。
チーム名はエスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂ。
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次にやってきたのはG. R. E. S.ウニアン・ドス・アマドーリス。関東の大学サークルが集まった学生サンバ連合。これが最終チームになる。
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最初のアレゴリアはスモーク付き。
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今回見に来るまで、こんな仮装行列のようなものがサンバパレードにあるとは知らなかった。パシスタで踊るのはそれなりの才能と努力が必要だろうけれど、こういうポジションならハードルは低いから誰でも参加できる。
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ブログを書きながら、いろいろサンバについて調べている。
このように同じコスチュームを着て踊る集団をアーラと呼ぶ。
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ビキニに羽根飾りのコスチュームがタンガで、それを着て踊るダンサーがパシスタ。でもこういうお揃いのタンガを着ているのはアーラ・ジ・パシスタと呼ばれる中間的なポジション。ここで認められたらパシスタになれるんだろうか。
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音楽は生演奏が条件らしい。
ちなみにバテリアが打ち鳴らす打楽器は、この演奏とは関係なくリズムを刻んでいる。
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お揃いでないタンガを着ているのがパシスタ。パシスタ以外は振り付けに沿ったダンスを踊るが、パシスタは自分が好きなように踊っていいようだ。間違ってたらゴメン。
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最後のアレゴリアを見送って浅草サンバカーニバル見物は終了。
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今までテントウ虫のサンバとマツケンサンバ以外はサンバと縁はなかったが(^^ゞ、初めて見たサンバカーニバルはとても楽しかったし新鮮だった。仮装行列的な要素があって、老若男女を問わず参加できるものだとは意外だった。また単なるパレードではなく、テーマをダンスやコスチュームで表現して、チームの優劣を競うコンテストだということも今まで知らなかった。ブラジルで国民的行事として盛り上がるのは、その間口の広さと競争を促すシステムが国民性に合っているんだろうなあと勝手に想像している。

そして印象的だったのはパレードに参加している人の楽しそうな雰囲気。見ているこちらもウキウキしてくる。特にパシスタはあんなに激しく踊りながら(しかもパレードは45分ほどの長丁場である)ずっと笑顔を観客に振りまいている。たぶんそれはサンバを踊って楽しいから自然と笑顔になるのだと思う。


サンバカーニバルは今年で34年目とすっかり浅草に定着している。またもともと浅草の振興のために始められたイベントである。でもサンバパレードをするのに、やっぱり浅草の道路は狭いかな。天候のせいで今年の人出は例年より少ないはずだが、それでも沿道はギュウギュウ詰め。バテリア(打楽器隊)のリズムに合わせてサンバのステップのまねごとでもしたかったけれど、とてもそんなスペースはない。

また本場ブラジルと較べてアレゴリア(山車)が決定的に見劣りする。それは制作費の問題を抜きにしても、浅草でやる限りあんなサイズにならざるを得ないだろう。ブラジルに負けないサンバパレードを目指すのか、あるいは日本的に箱庭サイズでやっていくのか。どちらがいいのかは当事者でない私は知らないしわからない。でもサンバは広々とした開放感のある空間で楽しみたいというのが正直なところ。

ところで広い道路があって見物スペースも取れるところなんて、都心の近くならお台場くらいしか思い浮かばない。オリンピックのときにサンバパレードをやれば日本の印象も変わるかもよ。ブラジル選手団にはオリンピックをボイコットされるかもしれないけど(^^ゞ



また見に行こうと思う。
次は暑さでクタクタになっても、やっぱり夏らしい日にサンバを見たい。


おしまい

wassho at 08:20|PermalinkComments(0) イベント、旅行 

2015年09月01日

浅草サンバカーニバル その2

最初に陣取った場所から雷門の前まで移動。サンバチームはパレードしてくるから、どこで見ても同じなんだけれど、浅草に来たらやはり雷門を見ないと気が済まない。
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同じように考える人が多いらしく雷門の前は先ほどより混雑していた。もう少し先まで進もうかとも考えたが、運良く3列目ぐらいに入り込めたのでここで見物することに。
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3番目のチームは移動している間に通り過ぎてしまって、次に見たチームは4番目のFlor de Matsudo Cereja(フロール・ヂ・マツド・セレージャ)。Matsudoは千葉の松戸。
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色鮮やかなオネイサンたち。
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こういう山車(ダシ)はアレゴリアと呼ぶ。この写真のように手で押すのがアレゴリアで、トラックを仮装して作られているのをフロートと区別する場合もある。本来は山車(日本語)=アレゴリア(ポルトガル語)=フロート(英語)で同じ意味。
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大きなスカートをはいているのはバイアーナと呼ばれる役割。サンバパレードにはいろいろ様式があるので、少し勉強したらもっと楽しめるかも知れない。
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ちょっと背脂が(^^ゞ
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テレビニュースで流れる浅草サンバカーニバルでは、キレイでスタイルのいいダンサーしか写らない。でも実際にはかなりお腹のたるんだ人もたくさん踊っている。写真で撮ると(止まっているから)見栄えが悪いけれど、目の前でサンバの音楽・リズムを浴びながら踊っているのを見るとそんなことは気にならなくなる。むしろ開放感があるというか生命力を感じるというか、揺れるお腹を見ながら楽しくなってくるから不思議。


もちろん、こういう美しいダンサーのほうが素敵なのはいうまでもないが(^^ゞ
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これまた写真では魅力が伝わらないが、激しくお尻を振るダンスもサンバの魅力。まあお尻を振っているのではなくてステップを踏むから揺れるのだが。でも動きが激しいからかエロい感じはほとんどなし。何はともあれ遠慮なくお尻を眺められるからサンバカーニバルは楽しい!
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こういう人を見ているだけで元気になってくるね。
口を開けた写真が多いのは、別にイエーイとか叫んでいるのではなく、各チームのテーマ曲を歌いながらパレードするから。
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こちらは可愛い子供ダンサー。
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そしてアレゴリアのお立ち台?に乗ったダンサー登場。ここにいる人たちが一番位が高そうに思えるけど、この場所では狭くてそんなに踊れないから、パレードの中でソロで踊っている人のほうが上手(なのだと思う)。ちなみにこのビキニに羽根飾りの衣装はタンガという名前で、それを着て踊っているダンサーをパシスタと呼ぶ。
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5番目のチームG. R. E. S. リベルダージ登場。
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この竹馬みたいなのを履いて、前の人に遮られずパレードを見たい!
沿道で脚立(きゃたつ)などを使えばひんしゅくを買うのは間違いない。しかし風呂の椅子くらいの大きさの踏み台を持参して高さを稼いでいる人は結構いた。
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鮮やかな色のコスチュームが多いから、こういう白黒は新鮮に感じる。
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羽根とはいえ、こんなにつけていたら重いんだろうなあ。
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バテリア(打楽器隊)の行進。
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初体験のサンバカーニバルで意外だったのが音楽。通りにはサンバの音楽がガンガン鳴り響いているイメージを持っていたが、実際はそうでもなかった。アレゴリアにはスピーカが載せられているし、スピーカーだけを積んだクルマも隊列の中に配置されているが音量は割と控えめ。ちょっと物足りない。

ただしバテリアが目の前を通過するときだけは別。今までこんな大きな太鼓の音を聴いた経験はないというくらいに、サンバのリズムが耳に飛び込んでくる。写真では一部しか写っていないけれど、バテリアはだいたい50人から100人くらいる。各チームのパレード時間は45分くらい。ずっと大音量の中にいるから、バテリアのメンバーが一番ハイになれるかも。


今までサンバカーニバルはタンガを着たパシスタのイメージしかなかったが、そうでない衣装を着た人たちのほうが圧倒的に多い。
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もちろんパシスタがパレードの花形なのは間違いないが、こういう格好をする勇気とダンステクニックのない人も参加して楽しめるのがサンバカーニバルだと初めて知った。
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ちびっ子パシスタ!
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1時間ほど立ちっぱなし&頻繁に背伸びで少し疲れたので、ビールでも飲みながらどこかで座ろうということになる。写真は雷門通りを渡るときに道路の真ん中から撮ったもの。この群衆の中をパレードしたら、そりゃ気持ちいいはず。
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赤いベストを着ているのは報道陣でパレードコースの中に入るのが認められている。しかし金髪で相撲取りみたいな女性はスリッパ履いているし、本当に報道関係者なのかな?
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ーーー続く

wassho at 23:27|PermalinkComments(0) イベント、旅行