2016年05月
2016年05月31日
黒田清輝展 生誕150年 日本近代絵画の巨匠
たぶん私にとって黒田清輝は、画家の名前と作品を一致して覚えた最初の日本人画家である。それは彼の代表作の「湖畔」という絵が子供の頃に記念切手になったから。私の世代で切手集めは一種の通過儀礼みたいなもので、私もそれなりに熱中していた。もっともすぐに飽きてしまったが、隣に住んでいた1歳年上のケンちゃんから教えてもらった、切手にまつわるエピソードは今でもよく覚えている。それは
世界に2枚しかないという貴重な切手があった。
あるコレクターが大金をはたいて、その切手を2枚とも購入した。
彼は切手の価値をさらに上げるために、そのうちの1枚を皆の前で燃やした。
というもの。まだ小学校低学年だったと思うが、教科書では教えてくれない世の中の本当の仕組みを学んだのは、これが最初だったかもしれない。
話を「湖畔」に戻すと、それが印象的だったのは、当時の記念切手では着物の女性がデザインされている場合、芸者や舞妓をモデルにしたような古典的な日本画が一般的だった。でも湖畔はごく日常的なの光景が描かれている。子供心に「普通の絵のくせに切手になっている」というのが意外だったのだろう。
その時は黒田清輝も湖畔も名前を知っていたわけではない。単に水色の浴衣の切手という認識。そして後に教科書的なもので「湖畔」を見て「あの切手の絵だ!」と再会。幼い時のいきさつがあったから、他の画家は忘れても彼と湖畔のことはしっかりと記憶に刻み込まれたというわけ。
それから月日が流れること30〜40年。ある時「智・感・情」という作品を知り、その作者が黒田清輝だった。「湖畔」の地味なイメージしかなかった黒田清輝だが「智・感・情」のような強烈な絵も描くんだと興味を持った。ところで黒田清輝の代表作の多くは、今回の展覧会を開催している、東京国立博物館の付属施設である黒田記念館に収められている。年に数回の一般公開があり、つまり期間は限定されるがいつでも見られる。いつでも見られると思うと不思議なことになかなか行かない。今回は記念館収蔵の作品も含めた大回顧展ということで、幼なじみの黒田清輝(^^ゞをじっくり見ようと訪れてみた。
黒田清輝は本名が「きよてる」で画家としてのペンネーム(筆ネーム?)が「せいき」。幕末の1866年に薩摩藩に生まれ(明治維新が1868年)。現在の東京外国語大学に進んで1884年から1893年までフランスに留学する。本当は法律を学びに行ったはずが、なぜか留学3年目の1886年から絵の勉強を始める。子供の頃にも絵は習っていたようだが、画家の道を歩み始めたのは二十歳頃ということになる。
まずはフランス留学時代の作品から。
祈祷 1889年(明治22)
針仕事 1890年(明治23)
マンドリンを持てる女 1891年(明治24)
ちょっと日本的な雰囲気があって、この時期の作品としては異色。タイトルにマンドリンとなかったら琵琶と思ってしまいそう。絵に入れる署名が漢字でかなり大きく書かれているのは、コンクールで日本人が描いたということをアピールする狙いがあったらしい。
読書 1891年(明治24)
初期の代表作とされる作品。生まれた時はチョンマゲの時代だった青年が、本格的に絵を描き始めて5年でここまでの「西洋画」を残せるのだから、黒田に持って生まれた才能があったことは間違いない。ただ、まだ勉強中の時代とはいうものの、マンドリンを除けばどれも教科書的な正統派というか、上手ではあってもグッと来るものがないなあというのが正直なところ。それと彼の絵は淡泊で、この日はカラヴァッジョ展も見てきたから余計にそう思うのかもしれないが、とても草食系な印象を受ける。
ついでに、
この頃の作品には両手を顔もしくは胸の前に持ってきているものが多い。勘ぐりすぎかもしれないが、そういうポーズは「絵になりやすい」。ズルイぞ清輝!
婦人像(厨房) 1892年(明治25)
モデルは読書と同じで黒田の恋人だったらしい。黒田の絵は草食系なのに、彼女は肉屋の娘だったのがおもしろい(^^ゞ
赤髪の少女 1892年(明治25)
菊花と西洋夫人 1892年(明治25)
黒田がフランス留学していたのは印象派の画家が活躍していた時期。グループとしての印象派の活動は終わりかけていたが、その人気がうなぎ登りだった頃である。でも彼が師事したのは革新的な印象派ではなく、どちらかというとオーソドックスな画風の画家。印象派の画家はいわば反体制派のロックミュージシャンのようなものだから、絵を教えるというようなことはしていなかったのかもしれない。また当時は田舎者の日本人に、印象派の絵はぶっ飛びすぎて性に合わなかった気もする。
先生の名前はラファエル・コラン。オーソドックスな画風と書くとつまらなさそうだが、このコランの絵がすごかった。
フロレアル(花月) ラファエル・コラン:1886年
この絵の何がすごかったと問われると困るのだけれど、ラファエル前派(ラファエル・コランと名前が同じだからややこしい)のオフィーリアと通ずるところもある。草むらに裸で寝転がっているだけで神秘的な要素は何も描いていないのに、なぜかとにかく神秘的に感じる絵。初めて見る作品で、久し振りに絵の前で一瞬立ち尽くす経験をした。
横幅185センチとかなり大きなサイズ。細密に描かれた女性とボカした草の描き方との対比で、その実物サイズで見ると女性が3D画像のように浮かび上がって見えるようにも感じる。クラシックな西洋絵画では「女性の裸体は自然の一部」という考えがあるらしいが、初めてその意味がわかったような気がする。
ブロンドー夫人の肖像 ラファエル・コラン:1891年
コランは従来の画風に印象派の影響を取り入れたもので外光派と呼ばれ、弟子の黒田もそう分類される。ただし黒田が日本近代絵画の父的な存在でも、フランスで外光派は中途半端な作風とされてコランはまったく人気がないらしい。私は好きだけどなあ。
他にもいろいろと黒田と同世代の画家の作品が参考として展示されていた。有名どころではミレー、モネ、ピサロなど。おもしろかったのは黒田が模写したレンブラントやミレーの作品があったこと。作品の下絵や練習用のデッサンはどの展覧会でもあるが、模写の展示は珍しいと思う。
朝 ジュール・ブルトン:1888年
羊飼いの少女 ジャン=フランソワ・ミレー:1863年
これは典型的なミレー作品。何の変哲もない絵といえばそうなのだが、彼のこのタイプの農民風景画は「シミジミといいなあ」と思えるから不思議。
あっ! ミレーも胸の前に手をやるポーズをw(゚o゚)w
ーーー続く
世界に2枚しかないという貴重な切手があった。
あるコレクターが大金をはたいて、その切手を2枚とも購入した。
彼は切手の価値をさらに上げるために、そのうちの1枚を皆の前で燃やした。
というもの。まだ小学校低学年だったと思うが、教科書では教えてくれない世の中の本当の仕組みを学んだのは、これが最初だったかもしれない。
話を「湖畔」に戻すと、それが印象的だったのは、当時の記念切手では着物の女性がデザインされている場合、芸者や舞妓をモデルにしたような古典的な日本画が一般的だった。でも湖畔はごく日常的なの光景が描かれている。子供心に「普通の絵のくせに切手になっている」というのが意外だったのだろう。
その時は黒田清輝も湖畔も名前を知っていたわけではない。単に水色の浴衣の切手という認識。そして後に教科書的なもので「湖畔」を見て「あの切手の絵だ!」と再会。幼い時のいきさつがあったから、他の画家は忘れても彼と湖畔のことはしっかりと記憶に刻み込まれたというわけ。
それから月日が流れること30〜40年。ある時「智・感・情」という作品を知り、その作者が黒田清輝だった。「湖畔」の地味なイメージしかなかった黒田清輝だが「智・感・情」のような強烈な絵も描くんだと興味を持った。ところで黒田清輝の代表作の多くは、今回の展覧会を開催している、東京国立博物館の付属施設である黒田記念館に収められている。年に数回の一般公開があり、つまり期間は限定されるがいつでも見られる。いつでも見られると思うと不思議なことになかなか行かない。今回は記念館収蔵の作品も含めた大回顧展ということで、幼なじみの黒田清輝(^^ゞをじっくり見ようと訪れてみた。
黒田清輝は本名が「きよてる」で画家としてのペンネーム(筆ネーム?)が「せいき」。幕末の1866年に薩摩藩に生まれ(明治維新が1868年)。現在の東京外国語大学に進んで1884年から1893年までフランスに留学する。本当は法律を学びに行ったはずが、なぜか留学3年目の1886年から絵の勉強を始める。子供の頃にも絵は習っていたようだが、画家の道を歩み始めたのは二十歳頃ということになる。
まずはフランス留学時代の作品から。
祈祷 1889年(明治22)
針仕事 1890年(明治23)
マンドリンを持てる女 1891年(明治24)
ちょっと日本的な雰囲気があって、この時期の作品としては異色。タイトルにマンドリンとなかったら琵琶と思ってしまいそう。絵に入れる署名が漢字でかなり大きく書かれているのは、コンクールで日本人が描いたということをアピールする狙いがあったらしい。
読書 1891年(明治24)
初期の代表作とされる作品。生まれた時はチョンマゲの時代だった青年が、本格的に絵を描き始めて5年でここまでの「西洋画」を残せるのだから、黒田に持って生まれた才能があったことは間違いない。ただ、まだ勉強中の時代とはいうものの、マンドリンを除けばどれも教科書的な正統派というか、上手ではあってもグッと来るものがないなあというのが正直なところ。それと彼の絵は淡泊で、この日はカラヴァッジョ展も見てきたから余計にそう思うのかもしれないが、とても草食系な印象を受ける。
ついでに、
この頃の作品には両手を顔もしくは胸の前に持ってきているものが多い。勘ぐりすぎかもしれないが、そういうポーズは「絵になりやすい」。ズルイぞ清輝!
婦人像(厨房) 1892年(明治25)
モデルは読書と同じで黒田の恋人だったらしい。黒田の絵は草食系なのに、彼女は肉屋の娘だったのがおもしろい(^^ゞ
赤髪の少女 1892年(明治25)
菊花と西洋夫人 1892年(明治25)
黒田がフランス留学していたのは印象派の画家が活躍していた時期。グループとしての印象派の活動は終わりかけていたが、その人気がうなぎ登りだった頃である。でも彼が師事したのは革新的な印象派ではなく、どちらかというとオーソドックスな画風の画家。印象派の画家はいわば反体制派のロックミュージシャンのようなものだから、絵を教えるというようなことはしていなかったのかもしれない。また当時は田舎者の日本人に、印象派の絵はぶっ飛びすぎて性に合わなかった気もする。
先生の名前はラファエル・コラン。オーソドックスな画風と書くとつまらなさそうだが、このコランの絵がすごかった。
フロレアル(花月) ラファエル・コラン:1886年
この絵の何がすごかったと問われると困るのだけれど、ラファエル前派(ラファエル・コランと名前が同じだからややこしい)のオフィーリアと通ずるところもある。草むらに裸で寝転がっているだけで神秘的な要素は何も描いていないのに、なぜかとにかく神秘的に感じる絵。初めて見る作品で、久し振りに絵の前で一瞬立ち尽くす経験をした。
横幅185センチとかなり大きなサイズ。細密に描かれた女性とボカした草の描き方との対比で、その実物サイズで見ると女性が3D画像のように浮かび上がって見えるようにも感じる。クラシックな西洋絵画では「女性の裸体は自然の一部」という考えがあるらしいが、初めてその意味がわかったような気がする。
ブロンドー夫人の肖像 ラファエル・コラン:1891年
コランは従来の画風に印象派の影響を取り入れたもので外光派と呼ばれ、弟子の黒田もそう分類される。ただし黒田が日本近代絵画の父的な存在でも、フランスで外光派は中途半端な作風とされてコランはまったく人気がないらしい。私は好きだけどなあ。
他にもいろいろと黒田と同世代の画家の作品が参考として展示されていた。有名どころではミレー、モネ、ピサロなど。おもしろかったのは黒田が模写したレンブラントやミレーの作品があったこと。作品の下絵や練習用のデッサンはどの展覧会でもあるが、模写の展示は珍しいと思う。
朝 ジュール・ブルトン:1888年
羊飼いの少女 ジャン=フランソワ・ミレー:1863年
これは典型的なミレー作品。何の変哲もない絵といえばそうなのだが、彼のこのタイプの農民風景画は「シミジミといいなあ」と思えるから不思議。
あっ! ミレーも胸の前に手をやるポーズをw(゚o゚)w
ーーー続く
2016年05月28日
宇都宮で餃子
前4回のエントリーで書いた石橋あやめ園のジャーマンアイリスと、大谷資料館の巨大地下空間の続き。5月21日の話。
予定ではツーリングの目的地はその2カ所だけだった。しかし石橋あやめ園から大谷資料館に向かって国道4号線を走っていると、餃子の製造所兼販売所という看板が目に入った。そういえば宇都宮は餃子で有名だったことを思い出す。
大谷資料館までの途中に「餃子の郊外店」のようなものがあるかと期待したのだが、そういうものは見あたらず。宇都宮駅東口の駐車場は、餃子店が何店か集まって餃子広場になっていることはテレビか何かで知っていた。帰り道としては少し遠回りになるが、餃子スイッチが入ってしまったのでひとっ走り。
「みんみん」というお店に入ることにする。
この「みんみん」ともう1つのチェーン店が宇都宮で一二を争う人気店だと聞いたことがある。もっとも今回は宇都宮駅についた頃に雨が降り出してきて、駐車場のゲートから一番近いのがこのお店だったという消極的選択理由。
店舗の向こう側は道路を挟んで宇都宮駅。
正面入口。テントのところは行列になった時のものかな。
焼き餃子、揚げ餃子、水餃子がある。蒸し餃子もあればよかったのに。
「ちゃおず」とフリガナが振ってある。これは餃子の中国語発音。ちなみに「餃子の王将」では餃子のことを「こーてる」と呼ぶ。あれは中国語ベースだけれど餃子とは関係ない単語らしい。
せっかくなので3種類頼んだ(^^ゞ
ここの餃子はわずかに小振りで、餡(あん:中の具のこと)も少なめかな。それぞれおいしかった。揚げ餃子は皮のカリカリ感がなかなかいける。滅多に食べないので満足度高し。焼き餃子はわずかながらも肉汁(野菜汁かもしれないが)を味わうことができる。「餃子の王将」は肉汁ゼロなのが実は気に入らない。水(すい)餃子は見た目通りの味。水餃子とはお湯で茹でた餃子。スープで茹でた餃子のほうがおいしいのに、それを食べれるお店がほとんどないのが残念。
いつの頃からか宇都宮は餃子で有名になった。また最近では浜松も餃子に力を入れており?、両者で消費量の日本一を争っているという話も聞く。金額でいうとどちらも全国平均の2倍以上を食べているらしい。地元で採れる食材ならともかく、オリジナルは中国料理なのに、どうして宇都宮と浜松で餃子が人気なのか不思議。
ところで宇都宮の餃子を食べたのは初めて。もちろんおいしかったが、まあ普通の餃子である。他の餃子と較べて特別に違う味がするわけではない。グルメレポーターなら驚いた表情を作りながら「今まで食べてきた餃子とまったく違う!「こんなおいしい餃子は初めて!」と大げさに表現するだろうな。
帰りは宇都宮インターから東北自動車道に乗る。駅から西へ延びているメインストリートをしばらく走り、国道119号の旧道へ右折してインターに向かう。この道路は日光街道で江戸時代のそれがベースになっている。日光街道に入ったとたん両サイドが背の高い並木でとなり、それまでと風景が一変する。日光といえば杉並木で有名。しかし宇都宮では並木の多くが桜だった。後で調べてみると日光市に至る16キロも続く日本有数の桜並木だそうだ。この季節ではもちろん桜は咲いていないが、うっそうとした並木に囲まれた古道の雰囲気がありツーリングムードを味わえた。
餃子を食べている間に上がった雨がインター手前でまた降り出す。いかにも寒冷前線通過といった感じで気温が16度まで下がり風も強まってきた。雨量はそれほどではないのに、なぜか雨粒が大きいという不思議な体験。高速でしばらく走ると雨雲エリアを抜けたようで、大きな渋滞もなく午後8時半頃に無事帰宅。走行320キロで久し振りの300キロ越え。というか最近は200キロさえ超えていなかった。バイク的には一番コーナーが多かったのが首都高という単調なルートだったが、ジャーマンアイリス、巨大地下空間、宇都宮餃子と3つの観光を楽しめて飽きない1日だった。
おしまい
予定ではツーリングの目的地はその2カ所だけだった。しかし石橋あやめ園から大谷資料館に向かって国道4号線を走っていると、餃子の製造所兼販売所という看板が目に入った。そういえば宇都宮は餃子で有名だったことを思い出す。
大谷資料館までの途中に「餃子の郊外店」のようなものがあるかと期待したのだが、そういうものは見あたらず。宇都宮駅東口の駐車場は、餃子店が何店か集まって餃子広場になっていることはテレビか何かで知っていた。帰り道としては少し遠回りになるが、餃子スイッチが入ってしまったのでひとっ走り。
「みんみん」というお店に入ることにする。
この「みんみん」ともう1つのチェーン店が宇都宮で一二を争う人気店だと聞いたことがある。もっとも今回は宇都宮駅についた頃に雨が降り出してきて、駐車場のゲートから一番近いのがこのお店だったという消極的選択理由。
店舗の向こう側は道路を挟んで宇都宮駅。
正面入口。テントのところは行列になった時のものかな。
焼き餃子、揚げ餃子、水餃子がある。蒸し餃子もあればよかったのに。
「ちゃおず」とフリガナが振ってある。これは餃子の中国語発音。ちなみに「餃子の王将」では餃子のことを「こーてる」と呼ぶ。あれは中国語ベースだけれど餃子とは関係ない単語らしい。
せっかくなので3種類頼んだ(^^ゞ
ここの餃子はわずかに小振りで、餡(あん:中の具のこと)も少なめかな。それぞれおいしかった。揚げ餃子は皮のカリカリ感がなかなかいける。滅多に食べないので満足度高し。焼き餃子はわずかながらも肉汁(野菜汁かもしれないが)を味わうことができる。「餃子の王将」は肉汁ゼロなのが実は気に入らない。水(すい)餃子は見た目通りの味。水餃子とはお湯で茹でた餃子。スープで茹でた餃子のほうがおいしいのに、それを食べれるお店がほとんどないのが残念。
いつの頃からか宇都宮は餃子で有名になった。また最近では浜松も餃子に力を入れており?、両者で消費量の日本一を争っているという話も聞く。金額でいうとどちらも全国平均の2倍以上を食べているらしい。地元で採れる食材ならともかく、オリジナルは中国料理なのに、どうして宇都宮と浜松で餃子が人気なのか不思議。
ところで宇都宮の餃子を食べたのは初めて。もちろんおいしかったが、まあ普通の餃子である。他の餃子と較べて特別に違う味がするわけではない。グルメレポーターなら驚いた表情を作りながら「今まで食べてきた餃子とまったく違う!「こんなおいしい餃子は初めて!」と大げさに表現するだろうな。
帰りは宇都宮インターから東北自動車道に乗る。駅から西へ延びているメインストリートをしばらく走り、国道119号の旧道へ右折してインターに向かう。この道路は日光街道で江戸時代のそれがベースになっている。日光街道に入ったとたん両サイドが背の高い並木でとなり、それまでと風景が一変する。日光といえば杉並木で有名。しかし宇都宮では並木の多くが桜だった。後で調べてみると日光市に至る16キロも続く日本有数の桜並木だそうだ。この季節ではもちろん桜は咲いていないが、うっそうとした並木に囲まれた古道の雰囲気がありツーリングムードを味わえた。
餃子を食べている間に上がった雨がインター手前でまた降り出す。いかにも寒冷前線通過といった感じで気温が16度まで下がり風も強まってきた。雨量はそれほどではないのに、なぜか雨粒が大きいという不思議な体験。高速でしばらく走ると雨雲エリアを抜けたようで、大きな渋滞もなく午後8時半頃に無事帰宅。走行320キロで久し振りの300キロ越え。というか最近は200キロさえ超えていなかった。バイク的には一番コーナーが多かったのが首都高という単調なルートだったが、ジャーマンアイリス、巨大地下空間、宇都宮餃子と3つの観光を楽しめて飽きない1日だった。
おしまい
2016年05月27日
大谷資料館の巨大地下空間 その3
チケット売り場の隣にある展示室。
袢纏(はんてん)の横に並んでいる提灯(ちょうちん)は、大谷資料館と書いてあるから単なる演出小物。紛らわしいヤロ(^^ゞ
資料館の外に出る。広場にはちょっと洒落たカフェのようなものもあっていい雰囲気。ここでしばらく休憩して身体を温める。
これは自然のまま風化している大谷石?
こちらは明らかに採掘跡。できれば地下だけではなく日が差し込む場所の採掘跡も見てみたいもの。それにしても、どういう意図で掘り進めてこういう形になったのだろう。
トイレも大谷石!
近くに大谷石の観音像もあるみたい。
ところで大谷石を使った建築で一番有名なのは、おそらく帝国ホテルの旧本館。大谷石の建材としての優秀性をアピールするのに、帝国ホテルが関東大震災に耐えたことがよく引き合いに出される。
これが往時の帝国ホテル旧本館。1967年(昭和42年)に立て替えのために取り壊されて、今は一部が愛知県犬山市の明治村に移設復元されている。そのまま残しておけば100年後には世界遺産を狙えたかも。
旧帝国ホテルに大谷石が使われていた話は知っていたし、旧帝国ホテルを撮影したこの写真も幾度か見たことがある。でも今まで大谷石と写真を関連づけて考えたことはなかった。それで改めて旧帝国ホテルの建物を見てみるとーーーほとんどレンガやん(/o\)
明治村に移設された帝国ホテル旧本館を紹介した記事を見ると、大谷石はメインの構造部材ではなく、基本的に装飾として使われていることがわかる。大谷石が地震に強いというのは、かなり盛った話みたい。
ちなみに、こちらはすべてが大谷石でできた宇都宮市にあるカトリック松が峰教会。内部が見学できて、運がよければパイプオルガンも聴けるらしい。次に機会があったら訪れよう。
話を大谷資料館に戻して。
駐車場の周りも大谷石に囲まれているので少し歩いてみる。
ここはまだ現役の採掘場なのかな?
駐車場から下った先は公園になっている。
大谷石の彫刻がいくつかあった。左側は時計。
お地蔵さんも大谷石! なぜかユーモラスな顔。
ここに到着した時にバイクは私だけだったが、帰り際にはずいぶん増えていた。
ここでの滞在時間は約2時間。
次の目的地に向かう。
ーーー続く
袢纏(はんてん)の横に並んでいる提灯(ちょうちん)は、大谷資料館と書いてあるから単なる演出小物。紛らわしいヤロ(^^ゞ
資料館の外に出る。広場にはちょっと洒落たカフェのようなものもあっていい雰囲気。ここでしばらく休憩して身体を温める。
これは自然のまま風化している大谷石?
こちらは明らかに採掘跡。できれば地下だけではなく日が差し込む場所の採掘跡も見てみたいもの。それにしても、どういう意図で掘り進めてこういう形になったのだろう。
トイレも大谷石!
近くに大谷石の観音像もあるみたい。
ところで大谷石を使った建築で一番有名なのは、おそらく帝国ホテルの旧本館。大谷石の建材としての優秀性をアピールするのに、帝国ホテルが関東大震災に耐えたことがよく引き合いに出される。
これが往時の帝国ホテル旧本館。1967年(昭和42年)に立て替えのために取り壊されて、今は一部が愛知県犬山市の明治村に移設復元されている。そのまま残しておけば100年後には世界遺産を狙えたかも。
旧帝国ホテルに大谷石が使われていた話は知っていたし、旧帝国ホテルを撮影したこの写真も幾度か見たことがある。でも今まで大谷石と写真を関連づけて考えたことはなかった。それで改めて旧帝国ホテルの建物を見てみるとーーーほとんどレンガやん(/o\)
明治村に移設された帝国ホテル旧本館を紹介した記事を見ると、大谷石はメインの構造部材ではなく、基本的に装飾として使われていることがわかる。大谷石が地震に強いというのは、かなり盛った話みたい。
ちなみに、こちらはすべてが大谷石でできた宇都宮市にあるカトリック松が峰教会。内部が見学できて、運がよければパイプオルガンも聴けるらしい。次に機会があったら訪れよう。
話を大谷資料館に戻して。
駐車場の周りも大谷石に囲まれているので少し歩いてみる。
ここはまだ現役の採掘場なのかな?
駐車場から下った先は公園になっている。
大谷石の彫刻がいくつかあった。左側は時計。
お地蔵さんも大谷石! なぜかユーモラスな顔。
ここに到着した時にバイクは私だけだったが、帰り際にはずいぶん増えていた。
ここでの滞在時間は約2時間。
次の目的地に向かう。
ーーー続く
2016年05月26日
大谷資料館の巨大地下空間 その2
前回のエントリーで写真を載せた、違和感ありありのアルミ引き戸をくぐって、いよいよ巨大地下空間に降りていく。
入り口に扉があるのは冷気を遮断するためだと思う。冷気は下に溜まるものだが、巨大地下空間ゆえ下から順に冷やされて、この入り口まで冷たくなるのだろう。この場所で既に大谷資料館の室内より温度が低く感じる。しかし見学を終えて下から階段を登ってきた人は、この場所に来て「暑いっ!」と声が出ていたから内部は相当寒そうである。
階段を下っていく。
ちょっとピラミッド探検気分になる。
相当下るのかと思いきや、以外と早く巨大地下空間が現れた。
右側に壁のような柱が何本かあって、その奥にも空間が広がっている。ホームページによると広さは約2ヘクタール(東京ドームがドーム全体で4.7ヘクタール、グランド部分だけなら1.3ヘクタール)。深さは平均で地下30メートル、最深部が60メートルに達するとのこと。
何とも表現しがたい独特の「広大感」である。
ところどころに置かれているオブジェ。
デジカメでは実際より明るく写っている。
2枚目は画像加工でさらに明るくして天井まで見えるようにしたもの。
気温は9度。地下に降りた時はそれほど寒くなかったが、しばらくすると徐々に身体が冷えてくるのを感じる。もちろんバイクの革ジャンは着たまま。ポロシャツ1枚じゃとても無理。
ところどころに、この先立ち入り禁止の看板。
この写真はピンぼけになってしまった。実は地下で撮った写真の1/3位がピンぼけ写真だった。ここはカメラで撮影するには暗すぎる場所である。
解説によると機械化によって手堀りの5倍の生産性を得たとある。
これが上に書かれている機械堀りでつくミゾ。
手掘りの後で機械りをしたと思われる現場。
ここでロケが行われた映画などの紹介パネル。
ドンペリのイベントもあったらしい。
さらに巨大地下空間をあちこち見て回る。暗いし広いので自分がどこにいるかよく分からない。一応全部見て回ったと思うが、全体図と現在位置を示した案内看板が欲しい。
エヴァンゲリオンの基地の地下深くにありそうな光景(^^ゞ
スタート地点に戻ってきた。写真中央でハの字型の階段になっている部分から地下空間見学が始まる。最初の写真はそこから見下ろしたもの。
採掘関連の展示もある。
先ほどの説明で「五十石だと1人あたり〜」と書かれていたのは切り出す大谷石のサイズのこと。ここにはいろんなサイズが並べられている。
プレートを読むと五十石は縦90センチ・幅30センチ・厚み15センチで重さ75キロ。大谷石は石の中では軽い部類だが、それでもかなりの重量。ちなみに墓石で使う花崗岩なら同じサイズで105キロ前後になる計算。
このサイズを表す五十石は「ごじゅっこく」ではなく「ごとお・いし」と読むらしい。尺(約30センチ)単位のはずだから他のプレートと読み較べると、五が厚みで十が幅を現していると思われる。これだと1尺が3センチになってしまうが語呂合わせのための変換だろう。またサイズにかかわらず縦の長さは固定だったみたい。
最後にスタート地点から下を眺めて、
巨大地下空間を後にする。引き戸のある入り口に戻るとやっぱり暑く感じた。「300段の階段」ということであるが、一気に上り下りするのではないから、それほど負担を感じることはない。
地下空間は事前に想像していた以上に圧倒された。とても巨大さを感じるのだが、でも考えてみれば地上で空を見上げた方が空間としては広い。その時に巨大だとは思わないから、人間は閉ざされて範囲が限られているほうが広さを感じるものなのか。あるいは普段接している屋内空間と無意識に比較するから広さを感じるのかもしれない。
それとここではある種の荒涼感も感じる。採掘跡とは廃墟みたいなものだから両者には通じるものがある。ただこれも考えてみれば、暗くて大谷石はよく見えないのだから単なる思い込み効果かもしれない。真新しいコンクリートで囲まれた空間だったらどう感じたものか。そんなひねくれた考察も含めて印象的な場所だった。
ともかく他では決して味わえない体験ができることは確か。一度見ておく価値は絶対にある。先日クラシックのコンサートを聴いてきたが、神秘的な曲をここで演奏したらさぞ素晴らしいに違いない。でも寒すぎるか(^^ゞ
ーーー続く
入り口に扉があるのは冷気を遮断するためだと思う。冷気は下に溜まるものだが、巨大地下空間ゆえ下から順に冷やされて、この入り口まで冷たくなるのだろう。この場所で既に大谷資料館の室内より温度が低く感じる。しかし見学を終えて下から階段を登ってきた人は、この場所に来て「暑いっ!」と声が出ていたから内部は相当寒そうである。
階段を下っていく。
ちょっとピラミッド探検気分になる。
相当下るのかと思いきや、以外と早く巨大地下空間が現れた。
右側に壁のような柱が何本かあって、その奥にも空間が広がっている。ホームページによると広さは約2ヘクタール(東京ドームがドーム全体で4.7ヘクタール、グランド部分だけなら1.3ヘクタール)。深さは平均で地下30メートル、最深部が60メートルに達するとのこと。
何とも表現しがたい独特の「広大感」である。
ところどころに置かれているオブジェ。
デジカメでは実際より明るく写っている。
2枚目は画像加工でさらに明るくして天井まで見えるようにしたもの。
気温は9度。地下に降りた時はそれほど寒くなかったが、しばらくすると徐々に身体が冷えてくるのを感じる。もちろんバイクの革ジャンは着たまま。ポロシャツ1枚じゃとても無理。
ところどころに、この先立ち入り禁止の看板。
この写真はピンぼけになってしまった。実は地下で撮った写真の1/3位がピンぼけ写真だった。ここはカメラで撮影するには暗すぎる場所である。
解説によると機械化によって手堀りの5倍の生産性を得たとある。
これが上に書かれている機械堀りでつくミゾ。
手掘りの後で機械りをしたと思われる現場。
ここでロケが行われた映画などの紹介パネル。
ドンペリのイベントもあったらしい。
さらに巨大地下空間をあちこち見て回る。暗いし広いので自分がどこにいるかよく分からない。一応全部見て回ったと思うが、全体図と現在位置を示した案内看板が欲しい。
エヴァンゲリオンの基地の地下深くにありそうな光景(^^ゞ
スタート地点に戻ってきた。写真中央でハの字型の階段になっている部分から地下空間見学が始まる。最初の写真はそこから見下ろしたもの。
採掘関連の展示もある。
先ほどの説明で「五十石だと1人あたり〜」と書かれていたのは切り出す大谷石のサイズのこと。ここにはいろんなサイズが並べられている。
プレートを読むと五十石は縦90センチ・幅30センチ・厚み15センチで重さ75キロ。大谷石は石の中では軽い部類だが、それでもかなりの重量。ちなみに墓石で使う花崗岩なら同じサイズで105キロ前後になる計算。
このサイズを表す五十石は「ごじゅっこく」ではなく「ごとお・いし」と読むらしい。尺(約30センチ)単位のはずだから他のプレートと読み較べると、五が厚みで十が幅を現していると思われる。これだと1尺が3センチになってしまうが語呂合わせのための変換だろう。またサイズにかかわらず縦の長さは固定だったみたい。
最後にスタート地点から下を眺めて、
巨大地下空間を後にする。引き戸のある入り口に戻るとやっぱり暑く感じた。「300段の階段」ということであるが、一気に上り下りするのではないから、それほど負担を感じることはない。
地下空間は事前に想像していた以上に圧倒された。とても巨大さを感じるのだが、でも考えてみれば地上で空を見上げた方が空間としては広い。その時に巨大だとは思わないから、人間は閉ざされて範囲が限られているほうが広さを感じるものなのか。あるいは普段接している屋内空間と無意識に比較するから広さを感じるのかもしれない。
それとここではある種の荒涼感も感じる。採掘跡とは廃墟みたいなものだから両者には通じるものがある。ただこれも考えてみれば、暗くて大谷石はよく見えないのだから単なる思い込み効果かもしれない。真新しいコンクリートで囲まれた空間だったらどう感じたものか。そんなひねくれた考察も含めて印象的な場所だった。
ともかく他では決して味わえない体験ができることは確か。一度見ておく価値は絶対にある。先日クラシックのコンサートを聴いてきたが、神秘的な曲をここで演奏したらさぞ素晴らしいに違いない。でも寒すぎるか(^^ゞ
ーーー続く
2016年05月25日
大谷資料館の巨大地下空間
ジャーマンアイリスを見た石橋あやめ園は、栃木県宇都宮市の南に隣接する下野市(しもつけし)にある。このあたりは平野だからバイクで走って楽しいところではない。ここから北上して日光を回る、あるいは西に進んでわたらせ渓谷に抜ければバイクツーリングにふさわしいルートが待っている。しかしこの日は観光に徹することにする。
第2目的地は宇都宮市北西部にある大谷資料館。大谷石(おおやいし)の採掘現場跡地の巨大地下空間を見学できるところである。その存在を雑誌か何かで初めて知ったのは大学生の頃だったかもしれない。日本にこんな場所があるのかと目を見張ったことを覚えている。それから30年を優に超えたが、死ぬまでにぜひ見たいと思っていた場所の1つにめでたく訪問できた。
大谷石というのは壁や塀(へい)などの石材として使われることが多い石。石にはめずらしくベージュ系統の色なので優しい雰囲気がある。街中であまり見かけない気もするし、石材としての普及や人気度の合いは知らない。でも実家は建て替える前まで大谷石の塀があったので、私には何となく愛着がある。大谷石は宇都宮市の大谷という場所を中心に採れる石。つまり栃木県産なので、栃木県に来ると壁や塀だけでなく大谷石でできた建物もあったりして、それを見るのが私の密かな楽しみ。
石橋あやめ園は国道4号線に面していて宇都宮までそれを北上する。ちなみに国道4号線は東京の日本橋から青森までを結ぶ日本で1番長い国道である。宇都宮の中心街に近づくと道路は国道119号線に変わり、やがて宇都宮駅から西に延びている当地のメインストリートに当たる。そこを左折してまっすぐ進み、最後にY字路を右にそれてしばらく進むと大谷資料館に着く。石橋あやめ園からは約25キロの距離だが左折と右折が1回ずつとシンプルなルート。
到着は午後2時頃。
クルマの駐車場はかなり広い。
バイクは路肩が広がっているような場所に駐めるように係員に言われた。そのおかげでBMW F800Rと大谷石のツーショット。石材として整形された大谷石しか見たことがないので、自然の姿の大谷石を見て妙に興奮する。
駐車場から資料館までは少し歩く。
この道がとてもヒンヤリした空気。しばらくしてその秘密がわかった。
放置してある?古いトラック。昭和30年代あたりのものかな。
写真右下のレバーにはFUEL CUTと書かれている。つまりFUEL=燃料を遮断する装置。
知識としては知っていたが本物を見たのは初めて。
ガソリンエンジンの場合、点火プラグに電流を送らなければ、火花が飛ばず燃料が燃えないのでエンジンは止まる。ディーゼルエンジンは知らない人のほうが多いかもしれないが、空気を高圧に圧縮して高温にして、そこに燃料を流し込んで自然発火させる。つまり点火プラグは存在しないから、その電流を切ってエンジンを止めるという方法は使えない。
それでどうするかというと燃料を送り込むのやめてエンジンを止める。今は燃料を電気ポンプで送り込んでいるから、その電流を切る。しかし昔は燃料ポンプをエンジンの力で回していた。だから燃料ポンプに流れる燃料を遮断して、エンジンに燃料が届かないようにする必要があった。それが写真のFUEL CUTというレバー。
だからこのトラックはディーゼルエンジン車。ディーゼルエンジンを止めるには、もうひとつ空気を高圧に圧縮する部分の弁を開く方法もあった。高圧に圧縮できない=燃料が流れても自然発火しない=エンジンが止まるという仕組み。昔はエンジンを止めるにもいろいろ操作が必要だったということ。
ついでにキー差し込み口の上にある電気回路のような模様が書かれたノブは、バッテリーの接続スイッチ。今はキーを1段回せばバッテリーが接続され、もう1段回してセルモーターを回転させてエンジンを掛ける。昔はこれを別々の仕組みで行っていた。このノブを押すか引くかしてからキーを回す。理由はよくわからないし、いつまでこんな仕組みがあったのかも知らない。
しかし今でも大型バスにはバッテリースイッチがある。これは運転手が運転席を離れてトイレに行ったり荷物の積み込みを行う時、安全のためにエンジンを切りキーも携行するが、そういう場合でもハザードランプや室内灯その他の電気系統を使えるようにするためらしい。一方で単なる昔からの慣習として大型バスだけにバッテリースイッチが残っているという説もある。
メッチャ話がそれた(^^ゞ
岩肌に大きな穴が空いているところが見えてきた。あれは巨大地下空間の入口ではなく休憩所なのだが、中ではつながっているみたいだ。地下空間の温度は年間を通じて8度前後。つまりかなり低い。それでどうも、あの穴から地下空間の冷たい空気が流れてきて、この道が涼しくなっているようだ。この写真左側の人が立っていないあたりを通ると、地下からの空気の流れから外れてしまうからか、明らかに体感温度が違ってくる。
巨大な大谷石に囲まれた広場。ここも昔は採石場だったんだろう。
先に休憩所を探検。
あまり奥には行けなかった。
これが大谷資料館。建物は大きくない。
というかネーミングがおかしい。館内には大谷石採掘関連の展示が少しあるが、それを目当てにここへ来る人はいない。もっと素直に地下空間のことをネーミングにすればいいのに。私は「大谷資料館に行ってきた」わけだが、どうもこの表現がピンとこない。
やんごとなき方々もお見えになっている。
大谷資料館は自治体や大谷石の協同組合が運営しているのではなく、地元の私企業(石材会社)の経営である。ケシカランことに今年の2月、その会社の社長がクズになった大谷石やコンクリートの産業廃棄物を不法投棄したとして逮捕されている。
階段が300段という張り紙にビビる(^^ゞ
入場料は700円。ちなみに駐車場は無料。
いろんな映画のロケ地としても使われている。
地下に降りる入口はアルミの引き戸で、雰囲気的に何となく違和感。
ーーー続く
第2目的地は宇都宮市北西部にある大谷資料館。大谷石(おおやいし)の採掘現場跡地の巨大地下空間を見学できるところである。その存在を雑誌か何かで初めて知ったのは大学生の頃だったかもしれない。日本にこんな場所があるのかと目を見張ったことを覚えている。それから30年を優に超えたが、死ぬまでにぜひ見たいと思っていた場所の1つにめでたく訪問できた。
大谷石というのは壁や塀(へい)などの石材として使われることが多い石。石にはめずらしくベージュ系統の色なので優しい雰囲気がある。街中であまり見かけない気もするし、石材としての普及や人気度の合いは知らない。でも実家は建て替える前まで大谷石の塀があったので、私には何となく愛着がある。大谷石は宇都宮市の大谷という場所を中心に採れる石。つまり栃木県産なので、栃木県に来ると壁や塀だけでなく大谷石でできた建物もあったりして、それを見るのが私の密かな楽しみ。
石橋あやめ園は国道4号線に面していて宇都宮までそれを北上する。ちなみに国道4号線は東京の日本橋から青森までを結ぶ日本で1番長い国道である。宇都宮の中心街に近づくと道路は国道119号線に変わり、やがて宇都宮駅から西に延びている当地のメインストリートに当たる。そこを左折してまっすぐ進み、最後にY字路を右にそれてしばらく進むと大谷資料館に着く。石橋あやめ園からは約25キロの距離だが左折と右折が1回ずつとシンプルなルート。
到着は午後2時頃。
クルマの駐車場はかなり広い。
バイクは路肩が広がっているような場所に駐めるように係員に言われた。そのおかげでBMW F800Rと大谷石のツーショット。石材として整形された大谷石しか見たことがないので、自然の姿の大谷石を見て妙に興奮する。
駐車場から資料館までは少し歩く。
この道がとてもヒンヤリした空気。しばらくしてその秘密がわかった。
放置してある?古いトラック。昭和30年代あたりのものかな。
写真右下のレバーにはFUEL CUTと書かれている。つまりFUEL=燃料を遮断する装置。
知識としては知っていたが本物を見たのは初めて。
ガソリンエンジンの場合、点火プラグに電流を送らなければ、火花が飛ばず燃料が燃えないのでエンジンは止まる。ディーゼルエンジンは知らない人のほうが多いかもしれないが、空気を高圧に圧縮して高温にして、そこに燃料を流し込んで自然発火させる。つまり点火プラグは存在しないから、その電流を切ってエンジンを止めるという方法は使えない。
それでどうするかというと燃料を送り込むのやめてエンジンを止める。今は燃料を電気ポンプで送り込んでいるから、その電流を切る。しかし昔は燃料ポンプをエンジンの力で回していた。だから燃料ポンプに流れる燃料を遮断して、エンジンに燃料が届かないようにする必要があった。それが写真のFUEL CUTというレバー。
だからこのトラックはディーゼルエンジン車。ディーゼルエンジンを止めるには、もうひとつ空気を高圧に圧縮する部分の弁を開く方法もあった。高圧に圧縮できない=燃料が流れても自然発火しない=エンジンが止まるという仕組み。昔はエンジンを止めるにもいろいろ操作が必要だったということ。
ついでにキー差し込み口の上にある電気回路のような模様が書かれたノブは、バッテリーの接続スイッチ。今はキーを1段回せばバッテリーが接続され、もう1段回してセルモーターを回転させてエンジンを掛ける。昔はこれを別々の仕組みで行っていた。このノブを押すか引くかしてからキーを回す。理由はよくわからないし、いつまでこんな仕組みがあったのかも知らない。
しかし今でも大型バスにはバッテリースイッチがある。これは運転手が運転席を離れてトイレに行ったり荷物の積み込みを行う時、安全のためにエンジンを切りキーも携行するが、そういう場合でもハザードランプや室内灯その他の電気系統を使えるようにするためらしい。一方で単なる昔からの慣習として大型バスだけにバッテリースイッチが残っているという説もある。
メッチャ話がそれた(^^ゞ
岩肌に大きな穴が空いているところが見えてきた。あれは巨大地下空間の入口ではなく休憩所なのだが、中ではつながっているみたいだ。地下空間の温度は年間を通じて8度前後。つまりかなり低い。それでどうも、あの穴から地下空間の冷たい空気が流れてきて、この道が涼しくなっているようだ。この写真左側の人が立っていないあたりを通ると、地下からの空気の流れから外れてしまうからか、明らかに体感温度が違ってくる。
巨大な大谷石に囲まれた広場。ここも昔は採石場だったんだろう。
先に休憩所を探検。
あまり奥には行けなかった。
これが大谷資料館。建物は大きくない。
というかネーミングがおかしい。館内には大谷石採掘関連の展示が少しあるが、それを目当てにここへ来る人はいない。もっと素直に地下空間のことをネーミングにすればいいのに。私は「大谷資料館に行ってきた」わけだが、どうもこの表現がピンとこない。
やんごとなき方々もお見えになっている。
大谷資料館は自治体や大谷石の協同組合が運営しているのではなく、地元の私企業(石材会社)の経営である。ケシカランことに今年の2月、その会社の社長がクズになった大谷石やコンクリートの産業廃棄物を不法投棄したとして逮捕されている。
階段が300段という張り紙にビビる(^^ゞ
入場料は700円。ちなみに駐車場は無料。
いろんな映画のロケ地としても使われている。
地下に降りる入口はアルミの引き戸で、雰囲気的に何となく違和感。
ーーー続く
2016年05月21日
石橋あやめ園でジャーマンアイリス
アヤメ、ハナショウブ、カキツバターーーこの3つは似たような花。何度か見に行っているし、それほど大規模でなければあちこちの公園でも植えられている。去年は横須賀しょうぶ園を訪れた。その西洋品種にあたるのがジャーマンアイリス。こちらは花屋や生け花以外では見た記憶がない。というわけでジャーマンアイリス鑑賞が本日の第1目的。
和種のアヤメ類を植えている公園はたくさんあるが、ジャーマンアイリスとなると数は少ない。それなりの規模で、かつ日帰りツーリングの範囲内にあるのは3カ所しか見つけられなかった。今回はその中で一番近い栃木県の宇都宮近郊にある石橋あやめ園。残り2つは軽井沢の近くと福島県の白河。千葉にもいくつかあるようだが規模は小さいみたい。
ツーリングでこんなに広い範囲の地図を載せるのは久し振りかな。
石橋あやめ園までのルートはシンプルで、首都高で都心部を抜け東北自動車道に入り北上、栃木都賀ジャンクションで北関東自動車道に乗り換えて東に進む。そこから2つめの壬生(みぶ)インターで降りて7〜8キロ。壬生インターを降りた先の地名は「おもちゃのまち」。ニックネームではなくそれが正式な地名。おもちゃ工場が多いらしくバンダイの博物館もある。その住所は「栃木県下都賀郡壬生町おもちゃのまち3-6-20」と楽しそう。
午前10時前に出発。このところの暑さはひと休みで、気温は20度とやや低めだった。北に向かうともっと寒くなるのかと心配したが、時間と共に26度くらいまで上昇。渋滞もなく12時前に石橋あやめ園到着。
駐車場の先の池を越えたところが石橋あやめ園。
のどかでいい光景。ただし写真にじゃまな電線あり(/o\)
入口で売られていたメダカ。
5匹入りで500円。高っ!
隣の1000円の楊貴妃というのはメダカを観賞用に品種改良したものらしい。まったく知らなかったが、この専門店ページには57種類の観賞用メダカが載っている。
石橋あやめ園は公園ではなくジャーマンアイリスの生産と販売をしている農園。シーズン中はこのビニールハウスにあるものを選んで買うことができる。入園料はなく見るだけなら無料である。
ジャーマンアイリスはヨーロッパ産のアヤメ類を観賞用に品種改良したもの。ただしジャーマンアイリスあるいはドイツアヤメと、ドイツをつけた名前で呼ぶのは日本だけらしい。ベースとなったのはゲルマニカという品種でドイツやフランスで品種改良が始まったが、その後に多くの品種が開発されたのはアメリカとのこと。
一目見ればアヤメの仲間だとわかるが、
和種のものよりゴージャスな印象で花のサイズも大きい。
6枚ある花びらは、3枚が上に立ち上がり3枚が横に広がる。下の花びらには毛虫みたいなものが乗っかっているのが特徴。この毛虫も花びらの一部らしい。知らなかったらドッキリするね。
色数が豊富なのもジャーマンアイリスの特徴。
この2つは色は同じだが花びらの模様が微妙に異なる。
フリンジといって花びらの縁がギザギザになったジャーマンアイリス。チューリップでもそうだが、なぜかフリンジのあるものが好き。いろんな花をフリンジに品種改良して欲しい。
フリンジだけエコヒイキしてツボミも撮影。
すべての品種の名前が表示されているが、数が多いので名前までは写真には撮らなかった。石橋あやめ園では200種類くらいのジャーマンアイリスを栽培しているらしい。
石橋あやめ園は線路沿いにある立地。高架の上が東北新幹線で下に在来線が走っている。電車が通ると少しうるさいが、そんなに頻繁には来ない。
基本的にはハウス栽培のようだが、ハウスの外にも少し植えられていた。
時期的には1週間ほど遅かったかな。花が終わったジャーマンアイリスはこんな感じになる。不思議なことに花の色にかかわらず、花殻(はながら:咲き終わった花のこと)はすべてこの色に変色するようだ。
だから「いかにも枯れた」という色ではないので、花と花殻が混ざっていてもあまり気にならない。もっと多く花の種類があったのかもしれないが、こんなにたくさんのジャーマンアイリスを見たのは初めてなので充分に満足した。
こちらはツートンのジャーマンアイリス。
紫色系のツートンは色の対比が鮮やかできれい。
こんな色の組み合わせがあるのもジャーマンアイリスならでは。
ジャーマンアイリスのビニールハウスは10棟ほどで丸屋根。こちらは平たい屋根のビニールハウスで別の花が育てられている。
ジャーマンアイリスばかり見ていると飽きてくるのでいい箸休め。これはアルストロメリアという花。日本名は百合水仙。見た目にユリとの共通性はあってもスイセンには似ていないと思うけれど。
ここは夜に暖房を入れているのか少し石油の匂いがした。それと壁部分が取り払われて屋根だけになっているジャーマンアイリスのハウスと違って、壁も少し残されているので暑かった。
全体の色にかかわらず、短い筋模様が出る部分は花びらが黄色になるようである。ピンクの花の筋模様を見ているとキツネに見えてくる(^^ゞ
ハウス内で鉢植えも売られているし、メダカの横で切り花も売られていた。
アルストロメリアのハウスはそのまま売店につながっている。
日陰になっているベンチで休憩。お客さんは私以外に6〜7組程度。最盛期を過ぎているのでノンビリしたムード。ゆっくりと花を見て回ることができた。ハウス内で花の列の間の通路は狭いので、混んでいたらけっこう大変かも。
駐車場に戻る途中にもいくつか植物が植えられている。
ポピー。
シャクナゲ。
4月終わりに見てきた高蔵寺のシャクナゲより勢いがあったかも。
津久井湖城山公園で先週見たルピナスも少しだけ。
石橋あやめ園で1時間少々過ごした後、次の目的地へ向かう。
ーーー続く
和種のアヤメ類を植えている公園はたくさんあるが、ジャーマンアイリスとなると数は少ない。それなりの規模で、かつ日帰りツーリングの範囲内にあるのは3カ所しか見つけられなかった。今回はその中で一番近い栃木県の宇都宮近郊にある石橋あやめ園。残り2つは軽井沢の近くと福島県の白河。千葉にもいくつかあるようだが規模は小さいみたい。
ツーリングでこんなに広い範囲の地図を載せるのは久し振りかな。
石橋あやめ園までのルートはシンプルで、首都高で都心部を抜け東北自動車道に入り北上、栃木都賀ジャンクションで北関東自動車道に乗り換えて東に進む。そこから2つめの壬生(みぶ)インターで降りて7〜8キロ。壬生インターを降りた先の地名は「おもちゃのまち」。ニックネームではなくそれが正式な地名。おもちゃ工場が多いらしくバンダイの博物館もある。その住所は「栃木県下都賀郡壬生町おもちゃのまち3-6-20」と楽しそう。
午前10時前に出発。このところの暑さはひと休みで、気温は20度とやや低めだった。北に向かうともっと寒くなるのかと心配したが、時間と共に26度くらいまで上昇。渋滞もなく12時前に石橋あやめ園到着。
駐車場の先の池を越えたところが石橋あやめ園。
のどかでいい光景。ただし写真にじゃまな電線あり(/o\)
入口で売られていたメダカ。
5匹入りで500円。高っ!
隣の1000円の楊貴妃というのはメダカを観賞用に品種改良したものらしい。まったく知らなかったが、この専門店ページには57種類の観賞用メダカが載っている。
石橋あやめ園は公園ではなくジャーマンアイリスの生産と販売をしている農園。シーズン中はこのビニールハウスにあるものを選んで買うことができる。入園料はなく見るだけなら無料である。
ジャーマンアイリスはヨーロッパ産のアヤメ類を観賞用に品種改良したもの。ただしジャーマンアイリスあるいはドイツアヤメと、ドイツをつけた名前で呼ぶのは日本だけらしい。ベースとなったのはゲルマニカという品種でドイツやフランスで品種改良が始まったが、その後に多くの品種が開発されたのはアメリカとのこと。
一目見ればアヤメの仲間だとわかるが、
和種のものよりゴージャスな印象で花のサイズも大きい。
6枚ある花びらは、3枚が上に立ち上がり3枚が横に広がる。下の花びらには毛虫みたいなものが乗っかっているのが特徴。この毛虫も花びらの一部らしい。知らなかったらドッキリするね。
色数が豊富なのもジャーマンアイリスの特徴。
この2つは色は同じだが花びらの模様が微妙に異なる。
フリンジといって花びらの縁がギザギザになったジャーマンアイリス。チューリップでもそうだが、なぜかフリンジのあるものが好き。いろんな花をフリンジに品種改良して欲しい。
フリンジだけエコヒイキしてツボミも撮影。
すべての品種の名前が表示されているが、数が多いので名前までは写真には撮らなかった。石橋あやめ園では200種類くらいのジャーマンアイリスを栽培しているらしい。
石橋あやめ園は線路沿いにある立地。高架の上が東北新幹線で下に在来線が走っている。電車が通ると少しうるさいが、そんなに頻繁には来ない。
基本的にはハウス栽培のようだが、ハウスの外にも少し植えられていた。
時期的には1週間ほど遅かったかな。花が終わったジャーマンアイリスはこんな感じになる。不思議なことに花の色にかかわらず、花殻(はながら:咲き終わった花のこと)はすべてこの色に変色するようだ。
だから「いかにも枯れた」という色ではないので、花と花殻が混ざっていてもあまり気にならない。もっと多く花の種類があったのかもしれないが、こんなにたくさんのジャーマンアイリスを見たのは初めてなので充分に満足した。
こちらはツートンのジャーマンアイリス。
紫色系のツートンは色の対比が鮮やかできれい。
こんな色の組み合わせがあるのもジャーマンアイリスならでは。
ジャーマンアイリスのビニールハウスは10棟ほどで丸屋根。こちらは平たい屋根のビニールハウスで別の花が育てられている。
ジャーマンアイリスばかり見ていると飽きてくるのでいい箸休め。これはアルストロメリアという花。日本名は百合水仙。見た目にユリとの共通性はあってもスイセンには似ていないと思うけれど。
ここは夜に暖房を入れているのか少し石油の匂いがした。それと壁部分が取り払われて屋根だけになっているジャーマンアイリスのハウスと違って、壁も少し残されているので暑かった。
全体の色にかかわらず、短い筋模様が出る部分は花びらが黄色になるようである。ピンクの花の筋模様を見ているとキツネに見えてくる(^^ゞ
ハウス内で鉢植えも売られているし、メダカの横で切り花も売られていた。
アルストロメリアのハウスはそのまま売店につながっている。
日陰になっているベンチで休憩。お客さんは私以外に6〜7組程度。最盛期を過ぎているのでノンビリしたムード。ゆっくりと花を見て回ることができた。ハウス内で花の列の間の通路は狭いので、混んでいたらけっこう大変かも。
駐車場に戻る途中にもいくつか植物が植えられている。
ポピー。
シャクナゲ。
4月終わりに見てきた高蔵寺のシャクナゲより勢いがあったかも。
津久井湖城山公園で先週見たルピナスも少しだけ。
石橋あやめ園で1時間少々過ごした後、次の目的地へ向かう。
ーーー続く
2016年05月18日
上野公園で美術三昧(未遂)その2
え〜、すでに5月18日であるが、
これは5月3日に書いたエントリーの後半である。
ゴールデンウイークのラ・フォル・ジュルネ関連は、同時に出かけた皇居公園のエントリーも含めると7本にもなったし、先日は津久井湖までツーリングしてルピナスを見てきたりしたので後回しになってしまった。5月3日に見た黒田清輝とカラヴァッジョの2つの展覧会はこれとは別エントリーにする予定だし、チューリップ2016総集編もまだ「その1」しかアップしていない。当分はブログネタに不足はなさそうである(^^ゞ
さて5月3日に話を戻すと。
東京国立博物館の見学を終えて上野公園に戻る。
伊藤若冲(じゃくちゅう)の展覧会は公園入り口のチケット売り場で70分待ちといわれたので買わなかったのだが、公園中央に戻ると東京都美術館に並ぶ行列がチラッと見えた。
どんな風になっているのか確かめたくて美術館入り口までいってみると、
相変わらず70分待ち。
しかもチケットを買うのは別の行列!
とにかく長〜い長〜い行列。
3つ上の写真は美術館の敷地外、この写真の建物の左側裏に伸びた行列である。
公園に来た時から3時間近く経っているから、ひょっとして多少は空いているかもという期待は見事に打ち砕かれる。今はゴールデンウイーク中だし、それが終わったら見に来ようかとも考えていたのだがーーー。
実はその後、若冲の展覧会はたいへんなことになっている。展覧会のホームページに待ち時間の案内が表示されていて、それによると
【混雑状況5月17日(火)】
10時00分現在、チケット売り場の待ち時間は約30分、
入室までの待ち時間は約240分です。
10時15分現在、チケット売り場の待ち時間は約40分、
入室までの待ち時間は約260分です。
12時30分現在、チケット売り場の待ち時間は約20分、
入室までの待ち時間は約210分です。
15時45分現在、チケット売り場の待ち時間は約5分、
入室までの待ち時間は約120分です。
16時00分現在、チケット売り場の待ち時間は約5分、
入室までの待ち時間は約90分です。
入室終了時間となりました
チケット待ち40分+入室待ち260分=300分=なんと5時間待ちである!
日によって多少の差はあるが、ゴールデンウイーク明けからずっと入室待ち時間だけで午前中は200分前後、最終入場時刻でも90〜120分はかかっている。会期は5月24日まで。何となくこの勢いは収まりそうにない。今になって思えば5月3日の70分待ちなら並べばよかったと激しく後悔(/o\)
ちなみにこのギネスブック級の行列、常識があれば入場時間を指定した整理券でも配ろうと考えるはず。しかし東京都美術館はひたすら並ばせて平気らしい。
東京都美術館から国立西洋美術館へ向かう途中で、こんな看板が目についた。
上野の東照宮なんて知らなかったが、とりあえず行ってみる。
ぼたん苑は有料だったので入らず。
もう最盛期は過ぎているだろうという判断もあった。
さらに奥に進むと東照宮らしい金ピカな建物が現れた。
有料なので再び入らず。
神君家康公のご加護がありますように。ちなみに上野東照宮は家康以外に8代吉宗(よしむね)と最後の将軍である15代慶喜(よしのぶ)が祀られている。
何度も上野公園に来ているが、なぜか今まであまり眺めなかった五重の塔。
これは旧寛永寺のもので、今は上野動物園の敷地内となっている。オリジナルは1631年に建てられ、これは火事で焼失後の1639年に再建されたもの。江戸初期の建物が幕末の戦争や関東大震災、空襲をくぐり抜けて残っているのは素晴らしい。
上野公園とその周辺は、もともと家光が開いた徳川家の菩提寺である寛永寺があったところ。東照宮=家康を祀る神社があるのもその関係かな。しかし明治維新の時、幕府軍が寛永寺に立てこもって戦場となり主要な建物のほとんどを焼失。敷地も明治政府に没収されて、後に上野公園となった。本堂は5月3日のエントリーで紹介した噴水広場の場所にあったらしい。現在の寛永寺は上野公園の北側に、江戸時代と較べれば数十分の一の規模で明治8年に再建されたもの。15名いる徳川将軍中6名の墓地もある。
動物園を出た向かいの遊園地。
マーケティング的に実に正しい立地といえる。
動物園の入り口は工事中で別の場所に移っていた。
カラバッジョ展が行われている国立西洋美術館の午後4時の様子。上野公園に来た時はチケットを買うのに15分くらいの待ち時間だったが、既に行列は解消していた。
展覧会の感想はまた別のエントリーで。ところで展覧会をハシゴしたのは実に久し振り。黒田清輝も洋画家だが、カラバッジョと較べると魚を食べて育った人間と肉を食べて育った人間はやっぱり違うなあと実感。そういうのは見較べないと、なかなか気付くことがないので興味深かった。
以上、5月3日のお話でした。
おしまい
これは5月3日に書いたエントリーの後半である。
ゴールデンウイークのラ・フォル・ジュルネ関連は、同時に出かけた皇居公園のエントリーも含めると7本にもなったし、先日は津久井湖までツーリングしてルピナスを見てきたりしたので後回しになってしまった。5月3日に見た黒田清輝とカラヴァッジョの2つの展覧会はこれとは別エントリーにする予定だし、チューリップ2016総集編もまだ「その1」しかアップしていない。当分はブログネタに不足はなさそうである(^^ゞ
さて5月3日に話を戻すと。
東京国立博物館の見学を終えて上野公園に戻る。
伊藤若冲(じゃくちゅう)の展覧会は公園入り口のチケット売り場で70分待ちといわれたので買わなかったのだが、公園中央に戻ると東京都美術館に並ぶ行列がチラッと見えた。
どんな風になっているのか確かめたくて美術館入り口までいってみると、
相変わらず70分待ち。
しかもチケットを買うのは別の行列!
とにかく長〜い長〜い行列。
3つ上の写真は美術館の敷地外、この写真の建物の左側裏に伸びた行列である。
公園に来た時から3時間近く経っているから、ひょっとして多少は空いているかもという期待は見事に打ち砕かれる。今はゴールデンウイーク中だし、それが終わったら見に来ようかとも考えていたのだがーーー。
実はその後、若冲の展覧会はたいへんなことになっている。展覧会のホームページに待ち時間の案内が表示されていて、それによると
【混雑状況5月17日(火)】
10時00分現在、チケット売り場の待ち時間は約30分、
入室までの待ち時間は約240分です。
10時15分現在、チケット売り場の待ち時間は約40分、
入室までの待ち時間は約260分です。
12時30分現在、チケット売り場の待ち時間は約20分、
入室までの待ち時間は約210分です。
15時45分現在、チケット売り場の待ち時間は約5分、
入室までの待ち時間は約120分です。
16時00分現在、チケット売り場の待ち時間は約5分、
入室までの待ち時間は約90分です。
入室終了時間となりました
チケット待ち40分+入室待ち260分=300分=なんと5時間待ちである!
日によって多少の差はあるが、ゴールデンウイーク明けからずっと入室待ち時間だけで午前中は200分前後、最終入場時刻でも90〜120分はかかっている。会期は5月24日まで。何となくこの勢いは収まりそうにない。今になって思えば5月3日の70分待ちなら並べばよかったと激しく後悔(/o\)
ちなみにこのギネスブック級の行列、常識があれば入場時間を指定した整理券でも配ろうと考えるはず。しかし東京都美術館はひたすら並ばせて平気らしい。
東京都美術館から国立西洋美術館へ向かう途中で、こんな看板が目についた。
上野の東照宮なんて知らなかったが、とりあえず行ってみる。
ぼたん苑は有料だったので入らず。
もう最盛期は過ぎているだろうという判断もあった。
さらに奥に進むと東照宮らしい金ピカな建物が現れた。
有料なので再び入らず。
神君家康公のご加護がありますように。ちなみに上野東照宮は家康以外に8代吉宗(よしむね)と最後の将軍である15代慶喜(よしのぶ)が祀られている。
何度も上野公園に来ているが、なぜか今まであまり眺めなかった五重の塔。
これは旧寛永寺のもので、今は上野動物園の敷地内となっている。オリジナルは1631年に建てられ、これは火事で焼失後の1639年に再建されたもの。江戸初期の建物が幕末の戦争や関東大震災、空襲をくぐり抜けて残っているのは素晴らしい。
上野公園とその周辺は、もともと家光が開いた徳川家の菩提寺である寛永寺があったところ。東照宮=家康を祀る神社があるのもその関係かな。しかし明治維新の時、幕府軍が寛永寺に立てこもって戦場となり主要な建物のほとんどを焼失。敷地も明治政府に没収されて、後に上野公園となった。本堂は5月3日のエントリーで紹介した噴水広場の場所にあったらしい。現在の寛永寺は上野公園の北側に、江戸時代と較べれば数十分の一の規模で明治8年に再建されたもの。15名いる徳川将軍中6名の墓地もある。
動物園を出た向かいの遊園地。
マーケティング的に実に正しい立地といえる。
動物園の入り口は工事中で別の場所に移っていた。
カラバッジョ展が行われている国立西洋美術館の午後4時の様子。上野公園に来た時はチケットを買うのに15分くらいの待ち時間だったが、既に行列は解消していた。
展覧会の感想はまた別のエントリーで。ところで展覧会をハシゴしたのは実に久し振り。黒田清輝も洋画家だが、カラバッジョと較べると魚を食べて育った人間と肉を食べて育った人間はやっぱり違うなあと実感。そういうのは見較べないと、なかなか気付くことがないので興味深かった。
以上、5月3日のお話でした。
おしまい
2016年05月14日
津久井湖城山公園でルピナス
以前、あしかがフラワーパークでも見たルピナスという花。神奈川県にある津久井湖の公園に咲いているというので出かけてきた。いろんな花壇で見る花だが、まとまって植えられているのは東京近郊ではここだけのようである。
往きは高速道路。中央自動車道を八王子ジャンクションで圏央道に乗り換えて、2つめのインターである相模原で降りて10分くらいの距離。
ついでに地図に東京の西側にある大きな湖を記してみた。今回訪れたのが津久井湖で帰りは相模湖を回ってきた。奥多摩湖、宮ヶ瀬湖、丹沢湖はバイク・ツーリングのコースとしては定番的存在。狭山湖と多摩湖はバイクを含めて今まで訪れたことがない。街中にあって他のツーリング・スポットからは離れた場所にあるのでなかなかチャンスがない。ちなみに野球場の西武ドームが多摩湖の横にある。
午前10時半頃に出発して1時間15分くらいで到着。
(この案内図は南北が逆さま)
1965年に相模川をダムで堰き止めてできたのが津久井湖。津久井湖東端の南にあるのが標高375メートルの城山。鎌倉〜戦国時代にはここに津久井城があった。津久井湖城山公園は津久井湖と城山の両方にまたがる公園。湖岸にはこの水の苑地と、対岸に花の苑地という2カ所の公園がある。
ところで津久井湖西端の北側にも標高670メートルの城山があって、同じ名前だからややこしい。そちらにも山城があった。もともとどちらも山には名前がなくて、城ができたから城山と呼ばれるようになったのだろう。日本の山の名前で城山というのが一番多いらしく、全国に276もあるそうだ。
駐車場はけっこう広くバイクを駐めるスペースもゆったりしている。
湖岸に降りていく通路にルピナスが植えられている。
そのコーナーを回るとルピナスの花壇が目に飛び込んでくる。
一度見たら忘れられないルピナスの形。
ルピナスを知らない人には決してイメージできない光景(^^ゞ
私もこんなにたくさん咲いているのを見るのは初めてである。
別名が昇り藤とのこと。
なかなか納得のいく名前。藤もマメ科である。
スイングパノラマで広めに撮ってみた。
全部で1万2000株あるらしい。
花壇上部のルピナス。
花壇の上から津久井湖を眺める。
階段には噴水が設けられている。
シャッタースピード早めで水滴の瞬間を撮るのがなぜか好き。
さらに芝生まで降りて振り返る。
丸い石のオブジェと滝。
噴水と同じように滝も流れたり止まったりする。
滝の裏側に行けることに気がついた。
裏側に入る。
そこから景色を眺めても特にどうということはない。丸い石が大きく見える程度。
夏だと気化熱効果で涼しいのかな。
湖岸には降りられないようになっていた。
もっとも埋め立て湖だから砂浜のような部分はないのだが。
でもこんな階段があったので、
降りて奥に進んでみる。
ボート乗り場というか放置場所? 桟橋は岸につながっていない。
テニスコートの横を通って、
さらに奥に進むと釣り人がいて、
その横で行き止まり。
冒険は3分で終了してしまった。
とりあえず記念に写真を撮る。向こう側が相模川の上流方向。
帰りにボートをよく見るとーーー帽子を被った白鳥というのは珍しいかも。パンダのボートも見たことはない気がする。ところでパンダって泳げるの?
降りた階段とは別の階段で公園に上がるとボートの切符売り場があった。
廃業ではなく休業らしいが。
公園の一角にあった小学生の絵。
何気なく写真を撮ってみただけだけれど、
絵をどのように防水加工しているのか今になって気になってきた。
この公園のメインは城山であり水の苑地はそれほど広くない。道路を挟んで少し小高くなったところに相模川を堰き止めている城山ダムを眺める展望テラスがあるようだが、それを除いてだいたい見て回れたかな。
再びアップ中心でルピナス。
上の方がトウモロコシのヤングコーンのようになっているのは、まだ花がツボミの段階。ルピナスは下から順番に咲いていくみたい。
低い位置からの撮影も試みるが、あまり空が青くなかったのが残念。
ルピナスは結構いい香りがする。藤のように濃厚な甘みではなく、スッキリとした甘い香り。ただし香りはそれほど強くないので花に近づいてクンクンする必要あり。
ルピナスが満開の不思議な光景を堪能した後は、津久井湖から相模湖まで進み、そこから大垂水峠(おおたるみとうげ)経由で帰ってきた。
津久井湖南岸の国道413号線は適度なクネクネとアップダウンがあるいい道路なのだが、渋滞していることが多い。この日はゴールデンウイークの次の週末ということで普段よりはクルマが少なかった。相模湖もダムによる人造湖。1947年と津久井湖の18年前に完成。もっとも最初の地図に記した7つの湖はすべてダム湖である。
相模湖には立ち寄らず、そのまま甲州街道・国道20号線に出て大垂水峠に向かう。20号線が高尾山の南側を通る15キロほどの区間が大垂水峠と呼ばれる。東京と神奈川の県境をまたいでいて、つまり都心から近いワインディングロードなので、走り屋のメッカとしてはもっとも古くから有名な場所だと思う。今もメッカかどうかは知らないが、昼間は交通量が多くてゆっくりとツーリングを楽しむだけである。コーナーは減速のためのデコボコ舗装が続くのであまり快適じゃない。
大垂水峠を抜けると圏央道の高尾山インターがある。もう少し甲州街道を走ろうかと素通り。しばらくすると京王電鉄の高尾山口駅。登山・ハイキング客で駅の周りはとっても混雑していた。高尾山は標高599メートル。都心から電車で1時間ほどで麓駅に着き、山の中腹までケーブルカーもあるので手軽に登れる。入山者は年間260万人と世界一らしい。
そのまま高尾〜八王子と進むとそろそろ道路も混んできたが、高速道路には乗らずズルズルとそのまま一般道を走ることに。結局3時間近く市街地走行をして午後4時半頃帰宅。走行135キロ。なぜかこの日はあまり渋滞があまり苦にならず。公園で、こんな光景を見て愉快な気持ちになっていたからかもしれない。
往きは高速道路。中央自動車道を八王子ジャンクションで圏央道に乗り換えて、2つめのインターである相模原で降りて10分くらいの距離。
ついでに地図に東京の西側にある大きな湖を記してみた。今回訪れたのが津久井湖で帰りは相模湖を回ってきた。奥多摩湖、宮ヶ瀬湖、丹沢湖はバイク・ツーリングのコースとしては定番的存在。狭山湖と多摩湖はバイクを含めて今まで訪れたことがない。街中にあって他のツーリング・スポットからは離れた場所にあるのでなかなかチャンスがない。ちなみに野球場の西武ドームが多摩湖の横にある。
午前10時半頃に出発して1時間15分くらいで到着。
(この案内図は南北が逆さま)
1965年に相模川をダムで堰き止めてできたのが津久井湖。津久井湖東端の南にあるのが標高375メートルの城山。鎌倉〜戦国時代にはここに津久井城があった。津久井湖城山公園は津久井湖と城山の両方にまたがる公園。湖岸にはこの水の苑地と、対岸に花の苑地という2カ所の公園がある。
ところで津久井湖西端の北側にも標高670メートルの城山があって、同じ名前だからややこしい。そちらにも山城があった。もともとどちらも山には名前がなくて、城ができたから城山と呼ばれるようになったのだろう。日本の山の名前で城山というのが一番多いらしく、全国に276もあるそうだ。
駐車場はけっこう広くバイクを駐めるスペースもゆったりしている。
湖岸に降りていく通路にルピナスが植えられている。
そのコーナーを回るとルピナスの花壇が目に飛び込んでくる。
一度見たら忘れられないルピナスの形。
ルピナスを知らない人には決してイメージできない光景(^^ゞ
私もこんなにたくさん咲いているのを見るのは初めてである。
別名が昇り藤とのこと。
なかなか納得のいく名前。藤もマメ科である。
スイングパノラマで広めに撮ってみた。
全部で1万2000株あるらしい。
花壇上部のルピナス。
花壇の上から津久井湖を眺める。
階段には噴水が設けられている。
シャッタースピード早めで水滴の瞬間を撮るのがなぜか好き。
さらに芝生まで降りて振り返る。
丸い石のオブジェと滝。
噴水と同じように滝も流れたり止まったりする。
滝の裏側に行けることに気がついた。
裏側に入る。
そこから景色を眺めても特にどうということはない。丸い石が大きく見える程度。
夏だと気化熱効果で涼しいのかな。
湖岸には降りられないようになっていた。
もっとも埋め立て湖だから砂浜のような部分はないのだが。
でもこんな階段があったので、
降りて奥に進んでみる。
ボート乗り場というか放置場所? 桟橋は岸につながっていない。
テニスコートの横を通って、
さらに奥に進むと釣り人がいて、
その横で行き止まり。
冒険は3分で終了してしまった。
とりあえず記念に写真を撮る。向こう側が相模川の上流方向。
帰りにボートをよく見るとーーー帽子を被った白鳥というのは珍しいかも。パンダのボートも見たことはない気がする。ところでパンダって泳げるの?
降りた階段とは別の階段で公園に上がるとボートの切符売り場があった。
廃業ではなく休業らしいが。
公園の一角にあった小学生の絵。
何気なく写真を撮ってみただけだけれど、
絵をどのように防水加工しているのか今になって気になってきた。
この公園のメインは城山であり水の苑地はそれほど広くない。道路を挟んで少し小高くなったところに相模川を堰き止めている城山ダムを眺める展望テラスがあるようだが、それを除いてだいたい見て回れたかな。
再びアップ中心でルピナス。
上の方がトウモロコシのヤングコーンのようになっているのは、まだ花がツボミの段階。ルピナスは下から順番に咲いていくみたい。
低い位置からの撮影も試みるが、あまり空が青くなかったのが残念。
ルピナスは結構いい香りがする。藤のように濃厚な甘みではなく、スッキリとした甘い香り。ただし香りはそれほど強くないので花に近づいてクンクンする必要あり。
ルピナスが満開の不思議な光景を堪能した後は、津久井湖から相模湖まで進み、そこから大垂水峠(おおたるみとうげ)経由で帰ってきた。
津久井湖南岸の国道413号線は適度なクネクネとアップダウンがあるいい道路なのだが、渋滞していることが多い。この日はゴールデンウイークの次の週末ということで普段よりはクルマが少なかった。相模湖もダムによる人造湖。1947年と津久井湖の18年前に完成。もっとも最初の地図に記した7つの湖はすべてダム湖である。
相模湖には立ち寄らず、そのまま甲州街道・国道20号線に出て大垂水峠に向かう。20号線が高尾山の南側を通る15キロほどの区間が大垂水峠と呼ばれる。東京と神奈川の県境をまたいでいて、つまり都心から近いワインディングロードなので、走り屋のメッカとしてはもっとも古くから有名な場所だと思う。今もメッカかどうかは知らないが、昼間は交通量が多くてゆっくりとツーリングを楽しむだけである。コーナーは減速のためのデコボコ舗装が続くのであまり快適じゃない。
大垂水峠を抜けると圏央道の高尾山インターがある。もう少し甲州街道を走ろうかと素通り。しばらくすると京王電鉄の高尾山口駅。登山・ハイキング客で駅の周りはとっても混雑していた。高尾山は標高599メートル。都心から電車で1時間ほどで麓駅に着き、山の中腹までケーブルカーもあるので手軽に登れる。入山者は年間260万人と世界一らしい。
そのまま高尾〜八王子と進むとそろそろ道路も混んできたが、高速道路には乗らずズルズルとそのまま一般道を走ることに。結局3時間近く市街地走行をして午後4時半頃帰宅。走行135キロ。なぜかこの日はあまり渋滞があまり苦にならず。公園で、こんな光景を見て愉快な気持ちになっていたからかもしれない。
2016年05月13日
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2016(5)
前のプログラムが終わったのが午後8時頃で、次のプログラムが9時45分の開演。各ホールのプログラムを上手に選べば、あまり間隔を開けることなくなく聴けるのだが、今年はAホールのプログラムしか買えなかったので待ち時間が長い。
とりあえず広場の屋台村でビール。ケバブも買ったが、これが具が少なくパサパサで最悪にマズかった(/o\) 去年食べたのはおいしかったののに。広場を見ると前日はワーゲンのバンの屋台だったところに、この日は違うクルマの屋台が出ている。日によって屋台は入れ替わっているみたいだ。この店でまた食べることがないように、マズいケバブ屋台の写真を撮っておくべきだったかな。
展示ホールを覗いてみる。ほとんど撤収準備状態だったがCD売り場はまだ営業していた。
並べ方は工夫されていて、こちらは各プログラムで演奏された曲を有名アーティストがレコーディングしたCDのコーナー。
こちらは今回のラ・フォル・ジュルネで演奏したアーティストが出しているCD。(内容はプログラムとは関係ない)
何かおもしろそうなCDはないか探し始めたたころで蛍の光が流れ出す。残念、いい暇つぶしだと思ったのに(^^ゞ
ラ・フォル・ジュルネの公式CDというのがあって、これは出演者が以前に発売していたものから、ラ・フォル・ジュルネで演奏した曲を寄せ集めたもの。この日最初のプログラムで聴いたペレスがピアノを弾くファリャの「スペインの庭の夜」も収められているが(オーケストラは別の団体)、第1楽章しか入っていないので購入せず。
それでこの公式CD、売り場の入口で店員が盛んに声を出して売り込んでいた。そのコーナーの裏側に回ると見覚えのある女性の写真のジャケット。去年の公式CDが売れ残っているみたい。来年はここに2015〜2016公式CDと並ぶのだろうか?
展示ホールはEホールに名前が変わったらしい。
さてAホール。座席は前回のプログラムと席番号が1つ違うだけの5列目の右隅。ステージ中央からの距離は真ん中に位置する座席9列目あたりに相当する。
席番号がひとつ違うだけだから前回とステージの見え方は同じ。しかし今回はクラシックの演奏会では滅多に見られないものがステージ奥に鎮座している。
5月5日の最後に聴いたプログラムは
松下功:和太鼓協奏曲「飛天遊」
ストラヴィンスキー:バレエ「春の祭典」
1曲目は和太鼓協奏曲。世の中にそんな協奏曲があったとは。
1980年代の終わり頃だったと思うが、鬼太鼓座(おんでこざ)という和太鼓がブームになったことがあって、テレビなどでもよく取り上げられていた。祭り囃子や盆踊りでの和太鼓には馴染みがあっても、和太鼓がメインの演奏?というのは物珍しくてインパクトが強かったように思う。人の身長より大きな和太鼓も登場したりして迫力満点だった。(記憶が曖昧なので時期は間違えているかもしれない)
一方でドンドコ鳴るだけの太鼓を延々と聴いていておもしろいのかという気持ちもあった。それと太鼓を叩く奏者の肉体美をやたら強調したパフォーマンスとか、何となく感動の押し売りみたいな雰囲気も気に入らなかった。まあそれはテレビ側の演出だったのかもしれないが。
そんなこんなで結局、今日にいたるまで演奏としての和太鼓を聴く機会には恵まれず。今回、ラ・フォル・ジュルネのプログラムに和太鼓を見つけた時は、ここで聴かなければ一生聴かずに終わってしまうかもと速攻でこのプログラムを選んだしだい。
指揮はロベルト・トレヴィーノ。
昨年は彼の指揮でベートーベンの英雄交響曲を聴いた。
オーケストラがシンフォニア・ヴァルソヴィア。
前日にヘンデルの天地創造を聴いたし、去年に英雄交響曲を演奏したのもこのオーケストラ。
和太鼓奏者が林英哲(えいてつ)。
パンフレットによると1984年にニューヨークのカーネギーホールでも叩いたとある。カーネギーホールは日本でいうなら武道館みたいな位置づけで、そこに出演することが一種のステイタス。
プログラムは和太鼓協奏曲の飛天遊から。最初は細かく太鼓を叩いて小さな音から始まり、やがて力一杯の連打。まあビックリするくらいの大音量。室内・屋外という違いはもちろんあるとしても、祭り囃子や盆踊りの和太鼓とはまったく次元が違う。和太鼓ひとつでオーケストラより大きな音が出る。太鼓の大きさはたぶん1メートル前後。想像していたより小さなサイズだったが、その音量は耳で聴くというより全身で感じると表現すべきなくらいのパワフルさ。
演奏は10分少々で、和太鼓のソロはその半分くらい。飽きるということはなかった。叩き方=リズムもいろんな展開があったし、太鼓を叩く場所によって微妙な音色や音程の変化も感じられる。時々発せられる掛け声で気分が高揚するのは、やっぱり日本人の血が騒ぐのかも。
協奏曲的には和太鼓のソロ・和太鼓とオーケストラの掛け合い(交互に演奏する)・一緒に演奏する部分に分かれていた。掛け合いの部分はおもしろかった。和太鼓にこんな可能性があったのかと新発見。できたらベートーヴェンやチャイコフスキーにも和太鼓協奏曲を作曲してもらいたかったと思うくらい。
ただし和太鼓とオーケストラが一緒に演奏するパートはちょっと厳しい。その時はメインの和太鼓ではなく、上に載せた写真にわずかに写っている和太鼓のパーカッションセットのようなものを主に叩く。それでもオーケストラに負けない大音量だから、和太鼓パーカッションとオーケストラの音がお互いに邪魔をする。結果として騒音のようにしか聞こえなかった。和太鼓と協奏曲を演奏するならオーケストラは3組くらい必要かな。そんな公演をどこかで実現して欲しい。
演奏が終わるとものすごい拍手。クラシックの場合、指揮者が舞台の袖に下がってから3回再登場するまで拍手を続けるのがお約束になっている。たまにはたいした演奏でもなく、さっさと終わりたい時もあるのだが。でもこの時はラ・フォル・ジュルネで、かつて聞いたことのない拍手の大きさ。皆さん感動したみたい。私としてもこの日の和太鼓は忘れられない体験となった。クラシックコンサートなので「ブラボー」と叫んでいる人がいたが、この場合は「いよ日本一!」というべきだよね(^^ゞ
2曲目がストラヴィンスキーの春の祭典。よくハルサイと省略して呼ばれる。ストラヴィンスキーは1882年生まれで1971年没=明治15年〜昭和46年。つまり比較的最近の作曲家。だからか一般的なクラシックとはかなりイメージの違う音楽が多い。特にこの春の祭典はちょっと前衛的でヘンテコな曲。全部で14楽章に分かれていて、どれも複雑なリズムと不協和音のオンパレード。オーケストラを使ってどんな音を出せるか実験しているような印象も受ける。
しかし単に前衛的なだけの曲はたくさんあるが、春の祭典は完成度が高いので多くのオーケストラで録音されている人気作品。私も一時よく聴いていた。今でも1年に1度くらいは無性に聴きたくなる中毒性の高い曲でもある。なぜか春の祭典を聴くと猛獣のいる密林あるいはジュラシックパークにいる気分になる。共通するのは自然豊かで危険な場所。チューバーが多く使われているので、それがゾウや恐竜の鳴き声を連想させるのかも。
ホームページには書かれていなかったが、パンフレットにはシンフォニア・ヴァルソヴィアと共に東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の名前があった。ヴァルソヴィアは小編成のオーケストラだから、フルオーケストラを必要とするこの曲の演奏に助っ人が必要だったみたい。ヴァルソヴィア2/3、東京シティ・フィルハーモニック1/3位の混成メンバーでの演奏だった。
演奏はよかったと思う。この曲はたぶんCDで100回以上聴いていると思うが、それと同じような感じで楽しめた。ティンパニーの音量がかなり大きかったのは和太鼓に刺激されたのかも。この曲の演奏は難しいはず。内容的に複雑だし、不協和音が多いから演奏していて「決まった!」というような手応えもないんじゃないかな。オーケストラのメンバーは真剣そのものの表情で演奏していた。
春の祭典は迫力のある大作品。でも気持ちが高ぶるような音楽じゃない。最終楽章も割とあっけなく終わる。初めてこの曲を聴いた人には訳のわからないうちに過ぎた時間だったはず。しかも前曲が盛り上げイノチの和太鼓。このプログラムはラ・フォル・ジュルネ2016としてもファイナル・プログラムとして位置づけられている。だからオオトリとしての盛り上がりが欲しいところだが、ちょっと選曲ミスだったかな。大拍手だった和太鼓と較べて、ごく普通の拍手にとどまったのはオーケストラが少し気の毒だった。
とにもかくにも今年のラ・フォル・ジュルネを聴き終えた。私としてはオラトリオ、ファリャというスペインの作曲家の音楽、そして和太鼓と新しい体験が3つできて満足度高し。来年もまた来られますように。
おしまい
※アーティストの写真はホームページからの借用
http://www.lfj.jp/lfj_2016/performance/artist/artist_name.html
とりあえず広場の屋台村でビール。ケバブも買ったが、これが具が少なくパサパサで最悪にマズかった(/o\) 去年食べたのはおいしかったののに。広場を見ると前日はワーゲンのバンの屋台だったところに、この日は違うクルマの屋台が出ている。日によって屋台は入れ替わっているみたいだ。この店でまた食べることがないように、マズいケバブ屋台の写真を撮っておくべきだったかな。
展示ホールを覗いてみる。ほとんど撤収準備状態だったがCD売り場はまだ営業していた。
並べ方は工夫されていて、こちらは各プログラムで演奏された曲を有名アーティストがレコーディングしたCDのコーナー。
こちらは今回のラ・フォル・ジュルネで演奏したアーティストが出しているCD。(内容はプログラムとは関係ない)
何かおもしろそうなCDはないか探し始めたたころで蛍の光が流れ出す。残念、いい暇つぶしだと思ったのに(^^ゞ
ラ・フォル・ジュルネの公式CDというのがあって、これは出演者が以前に発売していたものから、ラ・フォル・ジュルネで演奏した曲を寄せ集めたもの。この日最初のプログラムで聴いたペレスがピアノを弾くファリャの「スペインの庭の夜」も収められているが(オーケストラは別の団体)、第1楽章しか入っていないので購入せず。
それでこの公式CD、売り場の入口で店員が盛んに声を出して売り込んでいた。そのコーナーの裏側に回ると見覚えのある女性の写真のジャケット。去年の公式CDが売れ残っているみたい。来年はここに2015〜2016公式CDと並ぶのだろうか?
展示ホールはEホールに名前が変わったらしい。
さてAホール。座席は前回のプログラムと席番号が1つ違うだけの5列目の右隅。ステージ中央からの距離は真ん中に位置する座席9列目あたりに相当する。
席番号がひとつ違うだけだから前回とステージの見え方は同じ。しかし今回はクラシックの演奏会では滅多に見られないものがステージ奥に鎮座している。
5月5日の最後に聴いたプログラムは
松下功:和太鼓協奏曲「飛天遊」
ストラヴィンスキー:バレエ「春の祭典」
1曲目は和太鼓協奏曲。世の中にそんな協奏曲があったとは。
1980年代の終わり頃だったと思うが、鬼太鼓座(おんでこざ)という和太鼓がブームになったことがあって、テレビなどでもよく取り上げられていた。祭り囃子や盆踊りでの和太鼓には馴染みがあっても、和太鼓がメインの演奏?というのは物珍しくてインパクトが強かったように思う。人の身長より大きな和太鼓も登場したりして迫力満点だった。(記憶が曖昧なので時期は間違えているかもしれない)
一方でドンドコ鳴るだけの太鼓を延々と聴いていておもしろいのかという気持ちもあった。それと太鼓を叩く奏者の肉体美をやたら強調したパフォーマンスとか、何となく感動の押し売りみたいな雰囲気も気に入らなかった。まあそれはテレビ側の演出だったのかもしれないが。
そんなこんなで結局、今日にいたるまで演奏としての和太鼓を聴く機会には恵まれず。今回、ラ・フォル・ジュルネのプログラムに和太鼓を見つけた時は、ここで聴かなければ一生聴かずに終わってしまうかもと速攻でこのプログラムを選んだしだい。
指揮はロベルト・トレヴィーノ。
昨年は彼の指揮でベートーベンの英雄交響曲を聴いた。
オーケストラがシンフォニア・ヴァルソヴィア。
前日にヘンデルの天地創造を聴いたし、去年に英雄交響曲を演奏したのもこのオーケストラ。
和太鼓奏者が林英哲(えいてつ)。
パンフレットによると1984年にニューヨークのカーネギーホールでも叩いたとある。カーネギーホールは日本でいうなら武道館みたいな位置づけで、そこに出演することが一種のステイタス。
プログラムは和太鼓協奏曲の飛天遊から。最初は細かく太鼓を叩いて小さな音から始まり、やがて力一杯の連打。まあビックリするくらいの大音量。室内・屋外という違いはもちろんあるとしても、祭り囃子や盆踊りの和太鼓とはまったく次元が違う。和太鼓ひとつでオーケストラより大きな音が出る。太鼓の大きさはたぶん1メートル前後。想像していたより小さなサイズだったが、その音量は耳で聴くというより全身で感じると表現すべきなくらいのパワフルさ。
演奏は10分少々で、和太鼓のソロはその半分くらい。飽きるということはなかった。叩き方=リズムもいろんな展開があったし、太鼓を叩く場所によって微妙な音色や音程の変化も感じられる。時々発せられる掛け声で気分が高揚するのは、やっぱり日本人の血が騒ぐのかも。
協奏曲的には和太鼓のソロ・和太鼓とオーケストラの掛け合い(交互に演奏する)・一緒に演奏する部分に分かれていた。掛け合いの部分はおもしろかった。和太鼓にこんな可能性があったのかと新発見。できたらベートーヴェンやチャイコフスキーにも和太鼓協奏曲を作曲してもらいたかったと思うくらい。
ただし和太鼓とオーケストラが一緒に演奏するパートはちょっと厳しい。その時はメインの和太鼓ではなく、上に載せた写真にわずかに写っている和太鼓のパーカッションセットのようなものを主に叩く。それでもオーケストラに負けない大音量だから、和太鼓パーカッションとオーケストラの音がお互いに邪魔をする。結果として騒音のようにしか聞こえなかった。和太鼓と協奏曲を演奏するならオーケストラは3組くらい必要かな。そんな公演をどこかで実現して欲しい。
演奏が終わるとものすごい拍手。クラシックの場合、指揮者が舞台の袖に下がってから3回再登場するまで拍手を続けるのがお約束になっている。たまにはたいした演奏でもなく、さっさと終わりたい時もあるのだが。でもこの時はラ・フォル・ジュルネで、かつて聞いたことのない拍手の大きさ。皆さん感動したみたい。私としてもこの日の和太鼓は忘れられない体験となった。クラシックコンサートなので「ブラボー」と叫んでいる人がいたが、この場合は「いよ日本一!」というべきだよね(^^ゞ
2曲目がストラヴィンスキーの春の祭典。よくハルサイと省略して呼ばれる。ストラヴィンスキーは1882年生まれで1971年没=明治15年〜昭和46年。つまり比較的最近の作曲家。だからか一般的なクラシックとはかなりイメージの違う音楽が多い。特にこの春の祭典はちょっと前衛的でヘンテコな曲。全部で14楽章に分かれていて、どれも複雑なリズムと不協和音のオンパレード。オーケストラを使ってどんな音を出せるか実験しているような印象も受ける。
しかし単に前衛的なだけの曲はたくさんあるが、春の祭典は完成度が高いので多くのオーケストラで録音されている人気作品。私も一時よく聴いていた。今でも1年に1度くらいは無性に聴きたくなる中毒性の高い曲でもある。なぜか春の祭典を聴くと猛獣のいる密林あるいはジュラシックパークにいる気分になる。共通するのは自然豊かで危険な場所。チューバーが多く使われているので、それがゾウや恐竜の鳴き声を連想させるのかも。
ホームページには書かれていなかったが、パンフレットにはシンフォニア・ヴァルソヴィアと共に東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の名前があった。ヴァルソヴィアは小編成のオーケストラだから、フルオーケストラを必要とするこの曲の演奏に助っ人が必要だったみたい。ヴァルソヴィア2/3、東京シティ・フィルハーモニック1/3位の混成メンバーでの演奏だった。
演奏はよかったと思う。この曲はたぶんCDで100回以上聴いていると思うが、それと同じような感じで楽しめた。ティンパニーの音量がかなり大きかったのは和太鼓に刺激されたのかも。この曲の演奏は難しいはず。内容的に複雑だし、不協和音が多いから演奏していて「決まった!」というような手応えもないんじゃないかな。オーケストラのメンバーは真剣そのものの表情で演奏していた。
春の祭典は迫力のある大作品。でも気持ちが高ぶるような音楽じゃない。最終楽章も割とあっけなく終わる。初めてこの曲を聴いた人には訳のわからないうちに過ぎた時間だったはず。しかも前曲が盛り上げイノチの和太鼓。このプログラムはラ・フォル・ジュルネ2016としてもファイナル・プログラムとして位置づけられている。だからオオトリとしての盛り上がりが欲しいところだが、ちょっと選曲ミスだったかな。大拍手だった和太鼓と較べて、ごく普通の拍手にとどまったのはオーケストラが少し気の毒だった。
とにもかくにも今年のラ・フォル・ジュルネを聴き終えた。私としてはオラトリオ、ファリャというスペインの作曲家の音楽、そして和太鼓と新しい体験が3つできて満足度高し。来年もまた来られますように。
おしまい
※アーティストの写真はホームページからの借用
http://www.lfj.jp/lfj_2016/performance/artist/artist_name.html
2016年05月11日
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2016(4)
アンコールのダンス・オブ・ファイヤの余韻さめやらぬまま広場に出る。広場は左右をホールの建物に取り込まれているし、背の高い木もたくさん植えられているので、午後6時過ぎのこの時刻でも少し薄暗い。
屋台は相変わらずの大賑わい。
次のプログラムは7時45分開演なので、
東京フォーラムからは1分の距離にある有楽町駅前に出てブラブラ。
とはいっても有楽町はオフィスからも近く、いってみれば生活圏内。だから特に見て回りたいようなところもなし。
というわけで開演1時間前に会場入り。
今年はプログラムとプログラムの間の空き時間が、中途半端な間隔になってしまったので用意周到に文庫本持参。
ホールとしては5列目だけれど端っこの席なので、前に座席はなく最前列気分。
心配していた音のバランスは、バイオリンが少し遠くで聞こえる感は否めない。しかしチェロやコントラバスの細かな旋律ががよく聞こえたので、それはそれで楽しめた。左右どちらかの隅っこを選ぶとしたら右のほうがいいかも。
5月5日の二番目に聴いたプログラムは
ヴィクトロワ:青龍
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 op.23
チャイコフスキーのピアノ協奏曲は聞き慣れた曲。もう1つのヴィクトロワは今度こそ正真正銘まったく知らない作曲家。パンフレットによるとヴィクトロワはロシアで音楽活動をしている現役の作曲家。今年はAホールのプログラムしかチケットを取れなかったから偶然なのだが、本日は3公演とも知っている曲と知らない曲のカップリング。それ自体はいい組み合わせだった。
指揮はドミトリー・リス。
オーケストラがウラル・フィルハーモニー管弦楽団。
ドミトリー・リスはここの常任指揮者のようだ。
ピアノがルーカス・ゲニューシャス。
この写真にキュンとなった女子の皆さん。残念ながらこれは二十歳そこそこの頃の写真のようである。ゲニューシャスは1990年生まれだからまだ25か26歳のはずであるが、この日に見た彼はポッチャリと肉付きがよくなり(スーツが窮屈そうだった)写真の面影はあるものの、歳の割には老け顔の微妙な風体になっていた(/o\)
今回は指揮者もピアニストもロシア人。オーケストラもロシアのオーケストラ。ヴィクトロワはウクライナ生まれだがまあ似たようなもの。そしてチャイコフスキーはもちろんロシア人。というわけでオールロシアのプログラム。
まずはヴィクトロワの青龍から演奏が始まる。相撲の朝青龍と違って青龍は「せいりゅう」と読む。中国の伝説上の神獣・四神のひとつで東を守っているらしい。パンフレットによると、この曲は青龍をモチーフとして東西文化の融合を形にしたものとのこと。小難しい現代音楽は苦手なのだが、割とあっさり目でそんなに違和感なく聴けた。ただし東洋的な匂いが音楽に現れているとは感じず。珍しかったのは途中で打楽器のようにコントラバスやチェロが楽器を手で叩いて音を出したこと。バイオリンではそれはなかったが、何億円もするストラディバリウスだったらどうするんだろう?
演奏が終わって拍手が始まると、女性がひとり客席からステージ下にやってきた。指揮者が彼女に拍手というような素振りをしている。客席の中程にコーラス隊でもいたのかと思い振り返っても他には誰もいない。1人で唱ってたから聞こえなかった? あるいはダンサー? そんな風にも見えなかったけど。その時は彼女の正体がわからなかったが、公演が終わって会場を出る時に「あの女性は作曲者のヴィクトロワ」という会話が耳に入ってきた。せっかく作曲者本人が来ているなら、ちょっとトークでもしてくれればいいのに。
そしてゲニューシャス入場でチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番。この曲の初めはかなりきらびやかなイメージ。でもピアノは派手でも、実はオーケストラ部分はチャイコフスキーらしい旋律になっているところが好き。チャイコフスキーらしい旋律って何という質問はなしということで(^^ゞ
ゲニューシャスはかなり素晴らしかった。チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番はピアニストにとってかなり疲れる曲だと思うが、フォルテシモで連打するところも超早弾きところも、すべてを支配下に置いてまだ余裕があった感じ。オーケストラも最終日の公演なので少し疲れている印象は受けたが音はよかったと思う。
指揮者とピアニストがロシア人で、オーケストラもロシアで多くはロシア人だろうから、とてもロシアっぽい演奏かとも期待したが、それはそうでもなかった。考えてみれば当たり前でチャイコフスキーやラフマニノフにロシアやスラブの雰囲気を感じるところはあるけれど、ロシア人が演奏したからといって譜面通りやるわけだから、それがことさら増幅されるわけでもない。
それにロシア的スラブ的というのも外人がサムライとかゲイシャガールというのと同じで、日本人が思い込んでいる勝手な古典的イメージに過ぎない。演奏者も普段はスマホを持ってユニクロを着てナイキを履いている現代人である(←比喩的表現です)。ゲニューシャスにいたっては平成生まれの若者。ドストエフスキーやトルストイよりもゲームやSNSに馴染みがあるに違いない(←憶測です)。
とはいってもロシア・スラブ的な旋律が大好き(^^ゞ
ーーー続く
※アーティストの写真はホームページからの借用
http://www.lfj.jp/lfj_2016/performance/artist/artist_name.html
屋台は相変わらずの大賑わい。
次のプログラムは7時45分開演なので、
東京フォーラムからは1分の距離にある有楽町駅前に出てブラブラ。
とはいっても有楽町はオフィスからも近く、いってみれば生活圏内。だから特に見て回りたいようなところもなし。
というわけで開演1時間前に会場入り。
今年はプログラムとプログラムの間の空き時間が、中途半端な間隔になってしまったので用意周到に文庫本持参。
ホールとしては5列目だけれど端っこの席なので、前に座席はなく最前列気分。
心配していた音のバランスは、バイオリンが少し遠くで聞こえる感は否めない。しかしチェロやコントラバスの細かな旋律ががよく聞こえたので、それはそれで楽しめた。左右どちらかの隅っこを選ぶとしたら右のほうがいいかも。
5月5日の二番目に聴いたプログラムは
ヴィクトロワ:青龍
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 op.23
チャイコフスキーのピアノ協奏曲は聞き慣れた曲。もう1つのヴィクトロワは今度こそ正真正銘まったく知らない作曲家。パンフレットによるとヴィクトロワはロシアで音楽活動をしている現役の作曲家。今年はAホールのプログラムしかチケットを取れなかったから偶然なのだが、本日は3公演とも知っている曲と知らない曲のカップリング。それ自体はいい組み合わせだった。
指揮はドミトリー・リス。
オーケストラがウラル・フィルハーモニー管弦楽団。
ドミトリー・リスはここの常任指揮者のようだ。
ピアノがルーカス・ゲニューシャス。
この写真にキュンとなった女子の皆さん。残念ながらこれは二十歳そこそこの頃の写真のようである。ゲニューシャスは1990年生まれだからまだ25か26歳のはずであるが、この日に見た彼はポッチャリと肉付きがよくなり(スーツが窮屈そうだった)写真の面影はあるものの、歳の割には老け顔の微妙な風体になっていた(/o\)
今回は指揮者もピアニストもロシア人。オーケストラもロシアのオーケストラ。ヴィクトロワはウクライナ生まれだがまあ似たようなもの。そしてチャイコフスキーはもちろんロシア人。というわけでオールロシアのプログラム。
まずはヴィクトロワの青龍から演奏が始まる。相撲の朝青龍と違って青龍は「せいりゅう」と読む。中国の伝説上の神獣・四神のひとつで東を守っているらしい。パンフレットによると、この曲は青龍をモチーフとして東西文化の融合を形にしたものとのこと。小難しい現代音楽は苦手なのだが、割とあっさり目でそんなに違和感なく聴けた。ただし東洋的な匂いが音楽に現れているとは感じず。珍しかったのは途中で打楽器のようにコントラバスやチェロが楽器を手で叩いて音を出したこと。バイオリンではそれはなかったが、何億円もするストラディバリウスだったらどうするんだろう?
演奏が終わって拍手が始まると、女性がひとり客席からステージ下にやってきた。指揮者が彼女に拍手というような素振りをしている。客席の中程にコーラス隊でもいたのかと思い振り返っても他には誰もいない。1人で唱ってたから聞こえなかった? あるいはダンサー? そんな風にも見えなかったけど。その時は彼女の正体がわからなかったが、公演が終わって会場を出る時に「あの女性は作曲者のヴィクトロワ」という会話が耳に入ってきた。せっかく作曲者本人が来ているなら、ちょっとトークでもしてくれればいいのに。
そしてゲニューシャス入場でチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番。この曲の初めはかなりきらびやかなイメージ。でもピアノは派手でも、実はオーケストラ部分はチャイコフスキーらしい旋律になっているところが好き。チャイコフスキーらしい旋律って何という質問はなしということで(^^ゞ
ゲニューシャスはかなり素晴らしかった。チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番はピアニストにとってかなり疲れる曲だと思うが、フォルテシモで連打するところも超早弾きところも、すべてを支配下に置いてまだ余裕があった感じ。オーケストラも最終日の公演なので少し疲れている印象は受けたが音はよかったと思う。
指揮者とピアニストがロシア人で、オーケストラもロシアで多くはロシア人だろうから、とてもロシアっぽい演奏かとも期待したが、それはそうでもなかった。考えてみれば当たり前でチャイコフスキーやラフマニノフにロシアやスラブの雰囲気を感じるところはあるけれど、ロシア人が演奏したからといって譜面通りやるわけだから、それがことさら増幅されるわけでもない。
それにロシア的スラブ的というのも外人がサムライとかゲイシャガールというのと同じで、日本人が思い込んでいる勝手な古典的イメージに過ぎない。演奏者も普段はスマホを持ってユニクロを着てナイキを履いている現代人である(←比喩的表現です)。ゲニューシャスにいたっては平成生まれの若者。ドストエフスキーやトルストイよりもゲームやSNSに馴染みがあるに違いない(←憶測です)。
とはいってもロシア・スラブ的な旋律が大好き(^^ゞ
ーーー続く
※アーティストの写真はホームページからの借用
http://www.lfj.jp/lfj_2016/performance/artist/artist_name.html
2016年05月10日
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2016(3)
東御苑からタクシーでAホールの正面玄関に乗り付けるも、
そのまま1階ロビーを素通りして屋台村でビールタイム。
49列ある1階の21列目から見たステージ。
ステージの壁に模様があるのは、開演前はそういう映像を投影しているから。
このプログラムの席は3列目のほぼセンター。今回取れた中で一番いい座席のはずだったのだが、この位置が後でちょっと災いすることになる。
5月5日の最初に聴いたプログラムは
シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 op.38「春」
ファリャ:交響的印象「スペインの庭の夜」
シューマンは好きな作曲家だが、彼の交響曲はそうでもない。CDも持っているけれどあまり聴いていないかな。ファリャは名前も知らない作曲家だと思っていたが、チケットを買った後で調べたら三角帽子というバレエ音楽のCDを持っていた。
ファリャはスペインの作曲家。スペインの画家はよく知っているがクラシック音楽ってあったけ?というのが私の知識レベル。ビゼーのオペラ「カルメン」は有名でも彼はフランス人。それよりも??と思ったのが「交響的印象」という言葉。普通の交響曲以外に、交響詩や交響組曲というジャンルがあることは知っている。でも交響的印象というのは初めて聞いた。言葉の組み合わせとしても何か違和感がある。それでホームページを見るとピアニストの名前がある。シューマンの交響曲にもちろんピアノは登場しないから、ピアノはファリャの曲で弾かれることになる。スペインのクラシック、交響的印象ってどんなだろうというのがこのプログラムの関心事。
演奏は指揮がマールトン・ラーツ。ステージに出てくる時も去る時も少し小走りで元気に溢れている。指揮の仕方もダイナミック。2曲目の時は指揮棒を忘れて登場し、ダッシュで取りに戻っていた。
オーケストラはハンガリー・ジュール・フィルハーモニー管弦楽団。
ピアニストがルイス・フェルナンド・ペレス。
この温厚そうな顔からは想像できない熱くてエネルギッシュなピアノを弾く。
シューマンの交響曲が始まる。前日のハイドンの天地創造では歌声に気を取られていたが、改めて生で聴くオーケストラの音はいいなと顔がにやけてくる。音に厚みがあって柔軟。普段は気にならないが、生の音を聴くと録音されたものはどこか音に硬さがあるような気がする。音量はオーディオをフルボリュームにしたときより大きな音で鳴っているはずだが、そうは聞こえないのが生オーケストラの不思議。音が大きいのとうるさいのは違うということなのかもしれない。シューマンの交響曲はまとまりのない曲だしメロディーラインに印象的なところもないが、音に酔いしれて楽しく聴けた。
そしてファリャの「スペインの庭の夜」。ピアノが主役だったからピアノ協奏曲といえるし、構成的には交響詩かな。交響詩は説明が難しいけれど、物語的というか情景を音楽で表現したような曲。うん、やっぱり説明になっていない(^^ゞ というか交響曲だって言葉で説明するのは難しいよね。
それでこの「スペインの庭の夜」。かなりよかった。優雅な部分あり、幻想的な部分あり、謎めいたな部分ありとドラマ性のある内容。今度CDを探そう。でも、これがスペイン的かといわれたら、考えてみるとスペインのことは観光ポスター的にしか知らないので、よくわからないというのが正直なところ。
でもドイツ、オーストリアあたりのクラシック音楽のメインストリームとは違う雰囲気なのは明らか。それと曲全体の雰囲気が近代的。そのまま映画やドラマ音楽に使えそうである。それはファリャが1876年生まれ1946年没(明治9年〜昭和21年)と一般的な意味でのクラシック音楽の最後の時期に活躍したことも影響しているのだろう。
ピアノのペレスはかなりダイナミックな演奏。ちょっと鍵盤を叩きすぎるような気もするが、生演奏ではそれくらいでいいような気もする。問題は演奏ではなくピアノ。響きがなくものすごく固い音だった。
座席は3列目中央で目の前で演奏しているようなものだからなのか? でもピアノの響きというのはピアノのボディの中で生まれるものだから、ピアノに頭を突っ込まない限りそんなことはないはず。しかし次のプログラムでは同じホールの少し離れた席でこのプログラムよりは響きのあるピアノの音に聞こえたから、やはり聴く位置が関係するのか? 理由はよくわからないが、ピアノの音が固かったのは残念だったし、その固い音を3列目の大音量で聴くのはちょっときつかった。
ラ・フォル・ジュルネではあまりアンコール演奏はないのだが、ペレスはソロでアンコールを演奏してくれた。同じくファリャのダンス・オブ・ファイヤという曲。これがまさに火を噴くような熱演! 固いピアノの音が鼓膜を直撃したけれど、そんなことも忘れて聴き入った。このアンコールのインパクトが大きすぎて、それまでの演奏を忘れそうになるくらいの満足度。
ーーー続く
※アーティストの写真はホームページからの借用
http://www.lfj.jp/lfj_2016/performance/artist/artist_name.html
そのまま1階ロビーを素通りして屋台村でビールタイム。
49列ある1階の21列目から見たステージ。
ステージの壁に模様があるのは、開演前はそういう映像を投影しているから。
このプログラムの席は3列目のほぼセンター。今回取れた中で一番いい座席のはずだったのだが、この位置が後でちょっと災いすることになる。
5月5日の最初に聴いたプログラムは
シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 op.38「春」
ファリャ:交響的印象「スペインの庭の夜」
シューマンは好きな作曲家だが、彼の交響曲はそうでもない。CDも持っているけれどあまり聴いていないかな。ファリャは名前も知らない作曲家だと思っていたが、チケットを買った後で調べたら三角帽子というバレエ音楽のCDを持っていた。
ファリャはスペインの作曲家。スペインの画家はよく知っているがクラシック音楽ってあったけ?というのが私の知識レベル。ビゼーのオペラ「カルメン」は有名でも彼はフランス人。それよりも??と思ったのが「交響的印象」という言葉。普通の交響曲以外に、交響詩や交響組曲というジャンルがあることは知っている。でも交響的印象というのは初めて聞いた。言葉の組み合わせとしても何か違和感がある。それでホームページを見るとピアニストの名前がある。シューマンの交響曲にもちろんピアノは登場しないから、ピアノはファリャの曲で弾かれることになる。スペインのクラシック、交響的印象ってどんなだろうというのがこのプログラムの関心事。
演奏は指揮がマールトン・ラーツ。ステージに出てくる時も去る時も少し小走りで元気に溢れている。指揮の仕方もダイナミック。2曲目の時は指揮棒を忘れて登場し、ダッシュで取りに戻っていた。
オーケストラはハンガリー・ジュール・フィルハーモニー管弦楽団。
ピアニストがルイス・フェルナンド・ペレス。
この温厚そうな顔からは想像できない熱くてエネルギッシュなピアノを弾く。
シューマンの交響曲が始まる。前日のハイドンの天地創造では歌声に気を取られていたが、改めて生で聴くオーケストラの音はいいなと顔がにやけてくる。音に厚みがあって柔軟。普段は気にならないが、生の音を聴くと録音されたものはどこか音に硬さがあるような気がする。音量はオーディオをフルボリュームにしたときより大きな音で鳴っているはずだが、そうは聞こえないのが生オーケストラの不思議。音が大きいのとうるさいのは違うということなのかもしれない。シューマンの交響曲はまとまりのない曲だしメロディーラインに印象的なところもないが、音に酔いしれて楽しく聴けた。
そしてファリャの「スペインの庭の夜」。ピアノが主役だったからピアノ協奏曲といえるし、構成的には交響詩かな。交響詩は説明が難しいけれど、物語的というか情景を音楽で表現したような曲。うん、やっぱり説明になっていない(^^ゞ というか交響曲だって言葉で説明するのは難しいよね。
それでこの「スペインの庭の夜」。かなりよかった。優雅な部分あり、幻想的な部分あり、謎めいたな部分ありとドラマ性のある内容。今度CDを探そう。でも、これがスペイン的かといわれたら、考えてみるとスペインのことは観光ポスター的にしか知らないので、よくわからないというのが正直なところ。
でもドイツ、オーストリアあたりのクラシック音楽のメインストリームとは違う雰囲気なのは明らか。それと曲全体の雰囲気が近代的。そのまま映画やドラマ音楽に使えそうである。それはファリャが1876年生まれ1946年没(明治9年〜昭和21年)と一般的な意味でのクラシック音楽の最後の時期に活躍したことも影響しているのだろう。
ピアノのペレスはかなりダイナミックな演奏。ちょっと鍵盤を叩きすぎるような気もするが、生演奏ではそれくらいでいいような気もする。問題は演奏ではなくピアノ。響きがなくものすごく固い音だった。
座席は3列目中央で目の前で演奏しているようなものだからなのか? でもピアノの響きというのはピアノのボディの中で生まれるものだから、ピアノに頭を突っ込まない限りそんなことはないはず。しかし次のプログラムでは同じホールの少し離れた席でこのプログラムよりは響きのあるピアノの音に聞こえたから、やはり聴く位置が関係するのか? 理由はよくわからないが、ピアノの音が固かったのは残念だったし、その固い音を3列目の大音量で聴くのはちょっときつかった。
ラ・フォル・ジュルネではあまりアンコール演奏はないのだが、ペレスはソロでアンコールを演奏してくれた。同じくファリャのダンス・オブ・ファイヤという曲。これがまさに火を噴くような熱演! 固いピアノの音が鼓膜を直撃したけれど、そんなことも忘れて聴き入った。このアンコールのインパクトが大きすぎて、それまでの演奏を忘れそうになるくらいの満足度。
ーーー続く
※アーティストの写真はホームページからの借用
http://www.lfj.jp/lfj_2016/performance/artist/artist_name.html
2016年05月08日
皇居 東御苑
北の丸公園を抜けて東御苑へ。
北桔橋門(きたはねばしもん)の先の受付で、例によって入園票を受け取ると、目の前に現れる石垣。これは昨年も見た天守台=天守閣が建っていた土台部分。
巨大な天守台の横を抜けて、
芝生広場に。このあたりは大奥があったところ。去年も書いたが、ここに家康や家光がいたのかと思うと歴史と今とのつながりを感じる。
今年歩いたのはマップに赤く塗ったエリア。マップの7の芝生広場から15へ抜ける道は現地の案内看板には書いてなかった?ので、いったん入口のほうに戻る。
このモダンな建物は、
宮内庁書陵部。
書陵部というのは皇室関連の文書と陵墓(天皇の墓)を管理してて、両方の漢字をくっつけた造語。それにしても言葉の響きと建物のイメージが合わない。
書陵部の先の坂道には、
梅が植えられている。
梅の実がたくさんなっていた。
坂を下りると石垣。本丸を守るためのものと思う。
上の写真の左側、東方向に降りていくと二の丸エリア。
本丸や二の丸というのは城の中のエリアの呼び名。城は曲輪(くるわ)または郭(くるわ)と呼ばれるいくつかのブロックで構成される。その中で重要なブロックには「丸」の名前がつく。
最も重要な曲輪が本丸。基本的には大名の執務・居住エリア。その次に重要なのが二の丸で三の丸がそれに続く。なぜか本丸を一の丸とは呼ばないし、数字を使うのは三の丸までが習わしで四の丸や五の丸というのはない。三の丸以降の重要ブロックは北の丸や西の丸といった東西南北、あるいはその他固有の名前がつけられる。
ちなみに今年のNHK大河ドラマは真田丸。それは真田信繁(幸村)が大阪冬の陣で築いた陣地の名前で、丸がつくのはそこが重要ブロックだから(と思う)。ついでに船名に丸をつけるのが城の丸に由来しているのかどうかはわかっていない。
今の二の丸エリアは雑木林になっている。
土地に何も手を入れないと雑木林になる。公園部分もそうだが皇居本体もできるだけ雑木林を残すように造園されているらしい。皇居がなかったら都心のヒートアイランド現象はもっと激しいかも。
都道府県の木が植えられている一画があった。
この宮崎県産のフェニックスは反則かなあ。目立ちすぎる(^^ゞ
諏訪の茶屋。
数奇屋風の書院茶室様式らしい。茶室とは四畳半ほどの大きさだし、虚飾を廃したシンプルな造り。書院造りは基本的に格式ばったもの。この2つがどうして合体するのか建築には詳しくないのでよくわからない。
二の丸庭園。
松は立派で形もいいのだが、背景が雑木林だから眺めとしては映えない。庭園美と自然との共生は意外と難しいのかも。
雑木林の中の遊歩道を歩く。
東京駅から歩いてこられる場所で森林浴ができるのは素晴らしい。
大手門のほうへ降りていく。見覚えのある100人番屋。江戸時代を背景に高層ビル群が見える光景がシュール(超現実的)。
大手門を出た橋の上から。ここを境に北側にあるお堀が大手濠で、南側が桔梗濠(ききょう)と呼ばれる。
皇居のお堀は20程のエリア別にそれぞれ名前がついているが、そのほとんどが濠(ごう)で淵がつくのは千鳥ヶ淵と牛ヶ渕だけ。江戸城の場合、濠というのは基本的に掘って造ったか窪地に水を溜めたもの。淵は小さな川をダムでせき止めて水面を広げたものという違いらしい。
お堀には明治の中頃まで玉川上水(多摩川の上流で取水して江戸市中に水を供給していた水道)が流れ込んでいたが、玉川上水廃止後は新宿にあった浄水場の余った水だけを使うようになり、それも1965年頃に廃止されて(その跡地が都庁などがある新宿副都心)、現在は雨水と地下水だけがお堀の水源。大雨が降れば下水の水も流れ込む。浄化設備による取り組みはいろいろ行われているようだが、今のところ皇居のお堀といえばグリーンという印象なのが残念。
中央分離帯のところで信号が赤になってしまったついでに内堀通りを撮影。
東御苑を出たのが午後4時。この日のラ・フォル・ジュルネは4時45分スタートのプログラムから。歩いて東京フォーラムに向かっても間に合う時刻であるが、屋台村でビールを飲んで休憩したかったのでタクシーで移動。
北桔橋門(きたはねばしもん)の先の受付で、例によって入園票を受け取ると、目の前に現れる石垣。これは昨年も見た天守台=天守閣が建っていた土台部分。
巨大な天守台の横を抜けて、
芝生広場に。このあたりは大奥があったところ。去年も書いたが、ここに家康や家光がいたのかと思うと歴史と今とのつながりを感じる。
今年歩いたのはマップに赤く塗ったエリア。マップの7の芝生広場から15へ抜ける道は現地の案内看板には書いてなかった?ので、いったん入口のほうに戻る。
このモダンな建物は、
宮内庁書陵部。
書陵部というのは皇室関連の文書と陵墓(天皇の墓)を管理してて、両方の漢字をくっつけた造語。それにしても言葉の響きと建物のイメージが合わない。
書陵部の先の坂道には、
梅が植えられている。
梅の実がたくさんなっていた。
坂を下りると石垣。本丸を守るためのものと思う。
上の写真の左側、東方向に降りていくと二の丸エリア。
本丸や二の丸というのは城の中のエリアの呼び名。城は曲輪(くるわ)または郭(くるわ)と呼ばれるいくつかのブロックで構成される。その中で重要なブロックには「丸」の名前がつく。
最も重要な曲輪が本丸。基本的には大名の執務・居住エリア。その次に重要なのが二の丸で三の丸がそれに続く。なぜか本丸を一の丸とは呼ばないし、数字を使うのは三の丸までが習わしで四の丸や五の丸というのはない。三の丸以降の重要ブロックは北の丸や西の丸といった東西南北、あるいはその他固有の名前がつけられる。
ちなみに今年のNHK大河ドラマは真田丸。それは真田信繁(幸村)が大阪冬の陣で築いた陣地の名前で、丸がつくのはそこが重要ブロックだから(と思う)。ついでに船名に丸をつけるのが城の丸に由来しているのかどうかはわかっていない。
今の二の丸エリアは雑木林になっている。
土地に何も手を入れないと雑木林になる。公園部分もそうだが皇居本体もできるだけ雑木林を残すように造園されているらしい。皇居がなかったら都心のヒートアイランド現象はもっと激しいかも。
都道府県の木が植えられている一画があった。
この宮崎県産のフェニックスは反則かなあ。目立ちすぎる(^^ゞ
諏訪の茶屋。
数奇屋風の書院茶室様式らしい。茶室とは四畳半ほどの大きさだし、虚飾を廃したシンプルな造り。書院造りは基本的に格式ばったもの。この2つがどうして合体するのか建築には詳しくないのでよくわからない。
二の丸庭園。
松は立派で形もいいのだが、背景が雑木林だから眺めとしては映えない。庭園美と自然との共生は意外と難しいのかも。
雑木林の中の遊歩道を歩く。
東京駅から歩いてこられる場所で森林浴ができるのは素晴らしい。
大手門のほうへ降りていく。見覚えのある100人番屋。江戸時代を背景に高層ビル群が見える光景がシュール(超現実的)。
大手門を出た橋の上から。ここを境に北側にあるお堀が大手濠で、南側が桔梗濠(ききょう)と呼ばれる。
皇居のお堀は20程のエリア別にそれぞれ名前がついているが、そのほとんどが濠(ごう)で淵がつくのは千鳥ヶ淵と牛ヶ渕だけ。江戸城の場合、濠というのは基本的に掘って造ったか窪地に水を溜めたもの。淵は小さな川をダムでせき止めて水面を広げたものという違いらしい。
お堀には明治の中頃まで玉川上水(多摩川の上流で取水して江戸市中に水を供給していた水道)が流れ込んでいたが、玉川上水廃止後は新宿にあった浄水場の余った水だけを使うようになり、それも1965年頃に廃止されて(その跡地が都庁などがある新宿副都心)、現在は雨水と地下水だけがお堀の水源。大雨が降れば下水の水も流れ込む。浄化設備による取り組みはいろいろ行われているようだが、今のところ皇居のお堀といえばグリーンという印象なのが残念。
中央分離帯のところで信号が赤になってしまったついでに内堀通りを撮影。
東御苑を出たのが午後4時。この日のラ・フォル・ジュルネは4時45分スタートのプログラムから。歩いて東京フォーラムに向かっても間に合う時刻であるが、屋台村でビールを飲んで休憩したかったのでタクシーで移動。
2016年05月07日
皇居 北の丸公園
昨年はラ・フォル・ジュルネのプログラムの空き時間に会場を抜け出し、皇居の外苑と東御苑を見て回ってなかなか楽しめた。それで今年は3つある皇居の公園の残り1つである北の丸公園を訪れることに。それと北の丸公園に隣接する東御苑で昨年は見なかった場所にも足を運んできた。
5月5日のラ・フォル・ジュルネで聴くプログラムは午後4時45分から。だから今回は皇居を回ってから会場に向かうという順序。
都営新宿線の九段下駅で降りる。少し歩けば北の丸公園である。道路を挟んで写真右側の木々は靖国神社の参道。
公園入口の東側のお堀は牛ヶ淵(うしがふち)という。桜の名所である千鳥ヶ淵(ちどりがふち)は誰でも知ってと思うが、こちらの名前はかなりマイナー。牛ヶ淵も千鳥ヶ淵と同じように桜がたくさん咲くのに。
公園の入口に入らず靖国通りをそのまま進むと、高燈篭(たかとうろう)あるいは常燈明台(じょうとうみょうだい)と呼ばれるものがある。灯台のような形をしているが、元々は明治4年(1871年)に造られ、靖国神社に祀られた霊のために明かりをともしていたもの。靖国神社の前に建てられていたが道路改修の都合で道を挟んだこの場所に移転したらしい。
灯台のような形と書いたが、九段は小高い丘となっているので(九段の丘の下にあるのが九段下という地名)当時は品川沖の船から高燈篭の明かりが見えて、灯台の役割も果たしていたようである。
高燈篭と並んで建てられているのが品川弥二郎と大山巌の銅像。品川弥二郎は長州藩出身の幕末から明治にかけて活躍した政治家。大山巌(いわお)は薩摩出身の軍人。日清日露戦争を指揮し、死後は国葬が執り行われた。ちなみに日本で国葬となったのは今まで21名。
大山巌は何となく知っていたが、品川弥二郎の名前は記憶にないなあ。銅像なんかを見て少し歴史を調べてみるのも都内散歩のおもしろさ。
銅像を過ぎると桜名所の千鳥ヶ淵。
桜のシーズンにはこんな風景やあんな風景が見られる。
いよいよ北の丸公園に入る。入口は田安門。外側にある高麗門と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)のセットで田安門を構成している。
敵に外側の門を突破されてもまっすぐ進入できないようにして、内側の櫓(やぐら)の上から攻撃するという構造。この仕組みを枡形門(ますがたもん)といい、多くの城で採用されている。ということは攻める側もこの構造を承知なわけで、どれだけの効果があったのかは疑問。もっとも江戸城は敵の攻撃にさらされたことはないはず。私が大砲のない時代の軍隊の指揮官なら、この構造物を焼き尽くしてから進入するかな。
この田安門は江戸城初期の頃から残る建物で重要文化財になっている。
田安門というのは徳川御三卿(ごさんきょう)の1つである田安家が、この門の近くに屋敷を構えていたことに由来する名前。御三卿は田安・一橋・清水だけれど、同じく徳川の分家である尾張・紀州・水戸の御三家と較べると印象が薄いかな。それにしても御三家や御三卿というのは徳川の世を未来永劫存続させようという強い意志を感じるね。
田安門をくぐってすぐのところにあるのが日本武道館。広々とした敷地の中にあるからか、それほど大きな建物には感じない。
運動禁止の立て札があちこちに。運動がどこまでの範囲を示すかわからないが、このあたりはジョギングしている人もいなかった。
現在位置。この後は地図で左下45度方向へ進む。
いい感じの芝生広場。
芝生の隣が水辺になっている。
川というより敷地内部に張り巡らされたお堀というべきなんだろう。
新緑と青空。まさに初夏。
芝生広場を進むと日差しがまともに当たるので水辺沿いのコースを歩く。
芝生広場を取り囲むように水辺が続き、先ほどとは反対方向から見た風景。
絵に描いたようなノンビリした風景。
これは花びらに白い模様があるからカキツバタかな。
公園の隅にあるこのクラシックな建物は、
旧近衛師団指令部庁舎で、現在は東京国立近代美術館の工芸館。
また銅像で北白川宮能久親王。能久は「よしひさ」と読む。皇族であり軍人。昔の皇族は数が多いので少し調べただけでは「誰なのか」ピンとこない。とりあえず明治天皇の義理の叔父に当たる人らしい。
軍人あるいは武士の銅像はやっぱり馬に乗っているのが似合う。今の軍人を銅像にするなら制作者はポーズに悩むかも。
田安門からほぼまっすぐ南下しただけで、あちこちを歩き回らなかったので北の丸公園は30分くらいで通り抜けた。
北の丸公園と東御苑の間には道路が横切っている。ここには写っていないが首都高も通っている。北の丸〜東御苑〜外苑の3つは一般に開放されているとはいえ、お堀で囲まれたエリア全体が皇居というイメージが何となくあるので、東京に来て初めてこのあたりの道路を通った時は少し驚いた記憶がある。
北の丸公園の南側出口に門はない。田安門は江戸城の出入り口であったから門が設けられているけれど、北の丸公園の南側は江戸城内部だからかな。
北の丸公園の南出口に面しているのが乾門。江戸城内部なのに門?
調べてみると乾門は明治になってから作られた門。ここから先が天皇の宮殿・住居である本当の意味での皇居。大雑把にいうと徳川家は江戸城の東半分を主に使っていたのに対して、天皇家は西半分を使っている。そして余った東半分の北の丸〜東御苑〜外苑が一般に開放されたという歴史のいきさつ。
乾門に近づくと警官が手を振って「こっちに来るな」と合図する。カメラを構えるとちょっとオスマシ(^^ゞ 普段は立ち入り禁止だが、新年の一般参賀などではこの門から入る。
乾門から1〜2分離れたところの北桔橋門(きたはねばしもん)から東御苑に入る。
また江戸城内部なのに門?であるが、東御苑は江戸城本丸(将軍の住居)だったところであるから、警戒厳重にその内部への出入りを監視していたということだろう。
北桔橋門の東側は平川壕というお堀。東御苑=本丸側の石垣はかなり高くて防御力を高めていることがわかる。赤い印がある建物は去年に片岡球子展を見た東京国立近代美術館。
この出入り口では警官による持ち物チェックがある。
これが極めて役所的な「キチンと仕事をしていますよ」アピールのためのパフォーマンス。とりあえずカバンの中を見るだけ。帰りに通った大手門ではチェックをしていないから、ここだけでやっても意味があるとは思えない(大手門はここよりはるかに人の出入りが多いので、荷物チェックするなら大仕事になる)。荷物しか見ないのでポケット入れた爆弾はお咎めなし。それに警察や軍隊で警備の仕事は二人一組が鉄則のはずだが、見ての通りお巡りさんはたった1人でのんびりと。とりあえず日本が平和の国でよかった.
ーーー続く
5月5日のラ・フォル・ジュルネで聴くプログラムは午後4時45分から。だから今回は皇居を回ってから会場に向かうという順序。
都営新宿線の九段下駅で降りる。少し歩けば北の丸公園である。道路を挟んで写真右側の木々は靖国神社の参道。
公園入口の東側のお堀は牛ヶ淵(うしがふち)という。桜の名所である千鳥ヶ淵(ちどりがふち)は誰でも知ってと思うが、こちらの名前はかなりマイナー。牛ヶ淵も千鳥ヶ淵と同じように桜がたくさん咲くのに。
公園の入口に入らず靖国通りをそのまま進むと、高燈篭(たかとうろう)あるいは常燈明台(じょうとうみょうだい)と呼ばれるものがある。灯台のような形をしているが、元々は明治4年(1871年)に造られ、靖国神社に祀られた霊のために明かりをともしていたもの。靖国神社の前に建てられていたが道路改修の都合で道を挟んだこの場所に移転したらしい。
灯台のような形と書いたが、九段は小高い丘となっているので(九段の丘の下にあるのが九段下という地名)当時は品川沖の船から高燈篭の明かりが見えて、灯台の役割も果たしていたようである。
高燈篭と並んで建てられているのが品川弥二郎と大山巌の銅像。品川弥二郎は長州藩出身の幕末から明治にかけて活躍した政治家。大山巌(いわお)は薩摩出身の軍人。日清日露戦争を指揮し、死後は国葬が執り行われた。ちなみに日本で国葬となったのは今まで21名。
大山巌は何となく知っていたが、品川弥二郎の名前は記憶にないなあ。銅像なんかを見て少し歴史を調べてみるのも都内散歩のおもしろさ。
銅像を過ぎると桜名所の千鳥ヶ淵。
桜のシーズンにはこんな風景やあんな風景が見られる。
いよいよ北の丸公園に入る。入口は田安門。外側にある高麗門と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)のセットで田安門を構成している。
敵に外側の門を突破されてもまっすぐ進入できないようにして、内側の櫓(やぐら)の上から攻撃するという構造。この仕組みを枡形門(ますがたもん)といい、多くの城で採用されている。ということは攻める側もこの構造を承知なわけで、どれだけの効果があったのかは疑問。もっとも江戸城は敵の攻撃にさらされたことはないはず。私が大砲のない時代の軍隊の指揮官なら、この構造物を焼き尽くしてから進入するかな。
この田安門は江戸城初期の頃から残る建物で重要文化財になっている。
田安門というのは徳川御三卿(ごさんきょう)の1つである田安家が、この門の近くに屋敷を構えていたことに由来する名前。御三卿は田安・一橋・清水だけれど、同じく徳川の分家である尾張・紀州・水戸の御三家と較べると印象が薄いかな。それにしても御三家や御三卿というのは徳川の世を未来永劫存続させようという強い意志を感じるね。
田安門をくぐってすぐのところにあるのが日本武道館。広々とした敷地の中にあるからか、それほど大きな建物には感じない。
運動禁止の立て札があちこちに。運動がどこまでの範囲を示すかわからないが、このあたりはジョギングしている人もいなかった。
現在位置。この後は地図で左下45度方向へ進む。
いい感じの芝生広場。
芝生の隣が水辺になっている。
川というより敷地内部に張り巡らされたお堀というべきなんだろう。
新緑と青空。まさに初夏。
芝生広場を進むと日差しがまともに当たるので水辺沿いのコースを歩く。
芝生広場を取り囲むように水辺が続き、先ほどとは反対方向から見た風景。
絵に描いたようなノンビリした風景。
これは花びらに白い模様があるからカキツバタかな。
公園の隅にあるこのクラシックな建物は、
旧近衛師団指令部庁舎で、現在は東京国立近代美術館の工芸館。
また銅像で北白川宮能久親王。能久は「よしひさ」と読む。皇族であり軍人。昔の皇族は数が多いので少し調べただけでは「誰なのか」ピンとこない。とりあえず明治天皇の義理の叔父に当たる人らしい。
軍人あるいは武士の銅像はやっぱり馬に乗っているのが似合う。今の軍人を銅像にするなら制作者はポーズに悩むかも。
田安門からほぼまっすぐ南下しただけで、あちこちを歩き回らなかったので北の丸公園は30分くらいで通り抜けた。
北の丸公園と東御苑の間には道路が横切っている。ここには写っていないが首都高も通っている。北の丸〜東御苑〜外苑の3つは一般に開放されているとはいえ、お堀で囲まれたエリア全体が皇居というイメージが何となくあるので、東京に来て初めてこのあたりの道路を通った時は少し驚いた記憶がある。
北の丸公園の南側出口に門はない。田安門は江戸城の出入り口であったから門が設けられているけれど、北の丸公園の南側は江戸城内部だからかな。
北の丸公園の南出口に面しているのが乾門。江戸城内部なのに門?
調べてみると乾門は明治になってから作られた門。ここから先が天皇の宮殿・住居である本当の意味での皇居。大雑把にいうと徳川家は江戸城の東半分を主に使っていたのに対して、天皇家は西半分を使っている。そして余った東半分の北の丸〜東御苑〜外苑が一般に開放されたという歴史のいきさつ。
乾門に近づくと警官が手を振って「こっちに来るな」と合図する。カメラを構えるとちょっとオスマシ(^^ゞ 普段は立ち入り禁止だが、新年の一般参賀などではこの門から入る。
乾門から1〜2分離れたところの北桔橋門(きたはねばしもん)から東御苑に入る。
また江戸城内部なのに門?であるが、東御苑は江戸城本丸(将軍の住居)だったところであるから、警戒厳重にその内部への出入りを監視していたということだろう。
北桔橋門の東側は平川壕というお堀。東御苑=本丸側の石垣はかなり高くて防御力を高めていることがわかる。赤い印がある建物は去年に片岡球子展を見た東京国立近代美術館。
この出入り口では警官による持ち物チェックがある。
これが極めて役所的な「キチンと仕事をしていますよ」アピールのためのパフォーマンス。とりあえずカバンの中を見るだけ。帰りに通った大手門ではチェックをしていないから、ここだけでやっても意味があるとは思えない(大手門はここよりはるかに人の出入りが多いので、荷物チェックするなら大仕事になる)。荷物しか見ないのでポケット入れた爆弾はお咎めなし。それに警察や軍隊で警備の仕事は二人一組が鉄則のはずだが、見ての通りお巡りさんはたった1人でのんびりと。とりあえず日本が平和の国でよかった.
ーーー続く
2016年05月06日
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2016(2)
ラ・フォル・ジュルネの人気は高くなっているみたいだ。一昨年〜昨年は4月の終わりに座席の位置を気にしなければ、どのプログラムを聴こうかと選り好みできた。しかし今年は4月最初の時点でAホール以外、つまり中小サイズのホールで私の聴きたい=あまりマニアックでないプログラムのほとんどは売り切れになっていた。今年はピエール=ロラン・エマールや広瀬悦子といったCDを持っているアーティストも参加していて、その演奏を是非聴きたかったのに残念。
というわけで今年聴いたのはAホールのプログラムのみ。ここは5000人規模の超大型ホールで、過去に何度か書いたようにクラシックの演奏会をするには無理があるサイズ。経験上1階の15列目までで聴かないと音量的にフラストレーションが溜まる。49列ある1階の46列目で聴いたことがあるけれど「スピーカーのボリューム回してくれ〜」という気分だった。2階の経験はないがおそらく論外。
クラシックの場合に理想的なのは5〜8列目の真ん中あたり。前に行くほど音は大きいが、ステージは客席より高いので、あまり前だとオーケストラ全体が見えない。また端のほうだとオーケストラは横に広がって演奏しているから音のバランスも悪くなる。しかし身体全体で浴びるように音楽を聴きたいというのが生演奏に出かける優先事項なので、左右は気にせずできるだけ前の座席を買うことに決める。
チケットを買ったのは4月4日。それで購入できたのが次の座席。57や58番はとても隅っこという感じだが、そのプログラムでセンター寄りの座席はもう40列以降にしか残っていなかった。
5月4日に聴いたのはハイドンのオラトリオ「天地創造」。ハイドンを代表する傑作という知識はあっても、あまり聴いた記憶もないしCDも持っていない。でもこのプログラムを選んだのは、この曲がオラトリオで声楽をともなうから。オペラと較べてオラトリオという音楽用語は聞き慣れないかもしれないが、こういう区別になっている。
オペラ
オーケストラの演奏付きで登場人物が歌いながら芝居を演じるもの。
オペラの現代版がミュージカル。もっともミュージカルの歌は肉声じゃなくマイクで拾ってスピーカーで流すのが大きく違う。音楽も生演奏とは限らない。
オラトリオ
まず音楽のテーマがキリスト教関連のものということになっている。
オーケストラと声楽の共演なのはオペラと同じで、その内容や構成も演劇的であるが、オラトリオでは芝居はしない。歌手は普通に立って歌う。
演奏は指揮者がダニエル・ロイス。アクション大きめの振り方。
ちょっと大杉漣に似ているかも。
オーケストラは昨年ベートーベンの英雄交響曲を聴いたシンフォニア・ヴァルソヴィア。
この写真よりも小編成での演奏だった。ちなみにヴァルソヴィアとはポーランドの首都のワルシャワのフランス語読みらしい。ラ・フォル・ジュルネはフランス発祥のイベントなのでフランス語がよく使われる。
歌手陣は
リュシー・シャルタン (ソプラノ)
この写真は運転免許証的に写りが悪い。もっとキレイな人だった。
ゾエリーヌ・トロイエ (アルト)
ほとんどを合唱団メンバーとして歌い、最後にメイン歌手として前列に登場。天地創造ではそういう演出がお約束らしい。
ファビオ・トゥルンピ (テノール)
アンドレ・モルシュ (バリトン)
この写真よりもっと髪が長く髭も濃くて、パッと見はあの「ショーン・ マクアードル川上」に似ている(^^ゞ 声もよくイケメンなんだけれど背がかなり低い。
なおの高さは、高いものから次の順番となる。
女性
ソプラノ
メゾソプラノ
アルト
男性
テノール
バリトン
バス
ローザンヌ声楽アンサンブル
ソロで歌う歌手がいてオーケストラもいるから合唱団はオマケみたいなものかと思っていたが、一番感動したのは合唱の素晴らしさだったかもしれない。
人間って大きな声が出るんだなあというのが最初の驚き。喉仏あたりにある声帯は2センチ弱程の筋肉。楽器と違って喉や口の中で声が共鳴して大きくなるわけでもない。それが小編成とはいえオーケストラの演奏をバックにソロで歌ってかき消されないのだからすごいものだ。ソロの4人に自宅のリビングで歌ってもらったら、どんな音量なんだろうか。
曲や演奏の批評を書くのは私の感性や音楽知識レベルでは難しい。感想として表現するなら演奏を聴いている間ずっと心地よかったということ。天地創造の演奏は約2時間と大変長いのだが、退屈せず居眠りすることもなく音楽に身をゆだねていた感じ。リュシー・シャルタンの歌声は美しく澄み切っていたし、ローザンヌ声楽アンサンブルのコーラスはステージ奥から放物線を描いて私のいる場所に落ちてくるような気がした。
ただし何を歌っているかはさっぱりわからない。会場では歌詞を記したパンフレットをくれるのだがほとんど見ずじまい。それを読むと「はじめに神は天と地を想像された。地は形なく、むなしく、闇が淵のおもてにあった」で始まり「いまや野は爽やかな緑をさしいだして目を楽しませ、花々の優しい装いがその優美な眺めをさらに高めた」とか「喜ばしき輪を描いて大気の中を揺れ動き、健やかな鳥たちの群れが舞う」というような歌詞が延々と続いている。だから天地創造のキリスト教的な叙述だと理解しているだけで充分。歌というより人の声という音色を楽しんだというところ。もし日本語で歌われたら退屈したかも。
でもそう考えるのは少数派のようで、4000人ほど入っていたと思われる観客の多くがいっせいにパンフレットのページをめくるものだから、その時の紙の音は結構大きかった。ステージ両サイドの壁には大きなスクリーンがあって演奏風景を常に映し出しているのだから、そこに歌詞を表示すればいいのにと思う。
それはともかく初めての生オラトリオは大変満足のいく体験だった。オラトリオは宗教音楽だから、全体としては単調なパートの部分が多い。だからCDで聴くとちょっと退屈する。でも生演奏だと音以外の何かが伝わってくるのか、ずいぶんと印象が違って生き生きとした音楽に感じた。次は舞台装置は簡単でいいから、ラ・フォル・ジュルネでオペラもやってくれるとうれしいな。
ーーー続く
※アーティストの写真はホームページからの借用
http://www.lfj.jp/lfj_2016/performance/artist/artist_name.html
というわけで今年聴いたのはAホールのプログラムのみ。ここは5000人規模の超大型ホールで、過去に何度か書いたようにクラシックの演奏会をするには無理があるサイズ。経験上1階の15列目までで聴かないと音量的にフラストレーションが溜まる。49列ある1階の46列目で聴いたことがあるけれど「スピーカーのボリューム回してくれ〜」という気分だった。2階の経験はないがおそらく論外。
クラシックの場合に理想的なのは5〜8列目の真ん中あたり。前に行くほど音は大きいが、ステージは客席より高いので、あまり前だとオーケストラ全体が見えない。また端のほうだとオーケストラは横に広がって演奏しているから音のバランスも悪くなる。しかし身体全体で浴びるように音楽を聴きたいというのが生演奏に出かける優先事項なので、左右は気にせずできるだけ前の座席を買うことに決める。
チケットを買ったのは4月4日。それで購入できたのが次の座席。57や58番はとても隅っこという感じだが、そのプログラムでセンター寄りの座席はもう40列以降にしか残っていなかった。
5月4日に聴いたのはハイドンのオラトリオ「天地創造」。ハイドンを代表する傑作という知識はあっても、あまり聴いた記憶もないしCDも持っていない。でもこのプログラムを選んだのは、この曲がオラトリオで声楽をともなうから。オペラと較べてオラトリオという音楽用語は聞き慣れないかもしれないが、こういう区別になっている。
オペラ
オーケストラの演奏付きで登場人物が歌いながら芝居を演じるもの。
オペラの現代版がミュージカル。もっともミュージカルの歌は肉声じゃなくマイクで拾ってスピーカーで流すのが大きく違う。音楽も生演奏とは限らない。
オラトリオ
まず音楽のテーマがキリスト教関連のものということになっている。
オーケストラと声楽の共演なのはオペラと同じで、その内容や構成も演劇的であるが、オラトリオでは芝居はしない。歌手は普通に立って歌う。
演奏は指揮者がダニエル・ロイス。アクション大きめの振り方。
ちょっと大杉漣に似ているかも。
オーケストラは昨年ベートーベンの英雄交響曲を聴いたシンフォニア・ヴァルソヴィア。
この写真よりも小編成での演奏だった。ちなみにヴァルソヴィアとはポーランドの首都のワルシャワのフランス語読みらしい。ラ・フォル・ジュルネはフランス発祥のイベントなのでフランス語がよく使われる。
歌手陣は
リュシー・シャルタン (ソプラノ)
この写真は運転免許証的に写りが悪い。もっとキレイな人だった。
ゾエリーヌ・トロイエ (アルト)
ほとんどを合唱団メンバーとして歌い、最後にメイン歌手として前列に登場。天地創造ではそういう演出がお約束らしい。
ファビオ・トゥルンピ (テノール)
アンドレ・モルシュ (バリトン)
この写真よりもっと髪が長く髭も濃くて、パッと見はあの「ショーン・ マクアードル川上」に似ている(^^ゞ 声もよくイケメンなんだけれど背がかなり低い。
なおの高さは、高いものから次の順番となる。
女性
ソプラノ
メゾソプラノ
アルト
男性
テノール
バリトン
バス
ローザンヌ声楽アンサンブル
ソロで歌う歌手がいてオーケストラもいるから合唱団はオマケみたいなものかと思っていたが、一番感動したのは合唱の素晴らしさだったかもしれない。
人間って大きな声が出るんだなあというのが最初の驚き。喉仏あたりにある声帯は2センチ弱程の筋肉。楽器と違って喉や口の中で声が共鳴して大きくなるわけでもない。それが小編成とはいえオーケストラの演奏をバックにソロで歌ってかき消されないのだからすごいものだ。ソロの4人に自宅のリビングで歌ってもらったら、どんな音量なんだろうか。
曲や演奏の批評を書くのは私の感性や音楽知識レベルでは難しい。感想として表現するなら演奏を聴いている間ずっと心地よかったということ。天地創造の演奏は約2時間と大変長いのだが、退屈せず居眠りすることもなく音楽に身をゆだねていた感じ。リュシー・シャルタンの歌声は美しく澄み切っていたし、ローザンヌ声楽アンサンブルのコーラスはステージ奥から放物線を描いて私のいる場所に落ちてくるような気がした。
ただし何を歌っているかはさっぱりわからない。会場では歌詞を記したパンフレットをくれるのだがほとんど見ずじまい。それを読むと「はじめに神は天と地を想像された。地は形なく、むなしく、闇が淵のおもてにあった」で始まり「いまや野は爽やかな緑をさしいだして目を楽しませ、花々の優しい装いがその優美な眺めをさらに高めた」とか「喜ばしき輪を描いて大気の中を揺れ動き、健やかな鳥たちの群れが舞う」というような歌詞が延々と続いている。だから天地創造のキリスト教的な叙述だと理解しているだけで充分。歌というより人の声という音色を楽しんだというところ。もし日本語で歌われたら退屈したかも。
でもそう考えるのは少数派のようで、4000人ほど入っていたと思われる観客の多くがいっせいにパンフレットのページをめくるものだから、その時の紙の音は結構大きかった。ステージ両サイドの壁には大きなスクリーンがあって演奏風景を常に映し出しているのだから、そこに歌詞を表示すればいいのにと思う。
それはともかく初めての生オラトリオは大変満足のいく体験だった。オラトリオは宗教音楽だから、全体としては単調なパートの部分が多い。だからCDで聴くとちょっと退屈する。でも生演奏だと音以外の何かが伝わってくるのか、ずいぶんと印象が違って生き生きとした音楽に感じた。次は舞台装置は簡単でいいから、ラ・フォル・ジュルネでオペラもやってくれるとうれしいな。
ーーー続く
※アーティストの写真はホームページからの借用
http://www.lfj.jp/lfj_2016/performance/artist/artist_name.html
2016年05月04日
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2016(1)
ゴールデンウイークにラ・フォル・ジュルネに行くようになって3年目。もっとクラシック音楽を生で聴きたいとは常々思ってはいるものの、今のところコンサートに出かけるのはこの音楽祭だけである。今年は4日に1つ、5日に3つと合計4つのプログラムを楽しんできた。ちなみに全部で300程のプログラムがある。
4日のプログラムは午後8時開場・8時45分開演なのだが、8時開演と勘違いして7時半に会場である東京国際フォーラムに入ってしまった。
広場はいつも通りの大賑わい。
タイプ2と呼ばれるワーゲンのバンを使った屋台。
空冷のビートル(カブトムシ)がタイプ1で、このバン以外にタイプ3〜4とカルマンギアと5つのバリエーションがあった。フロントウインドウが2分割されているのがタイプ2の初期モデルで1950年から67年までの製造。だからこのクルマは少なくとも50年近く前のクルマということになる。かなり昔だが友人のタイプ2に乗って九州まで行ったことがある。分割ウインドウから見える風景とシンプルきわまりなく遮音性ゼロの車内で、なんとなく第2次世界大戦頃の爆撃機に乗っているような気分だったのは懐かしい思い出。
この日に聴くのは宗教音楽なのでビールは禁止。
宗教上の理由ではなく眠たくなったら困るから(^^ゞ
広場の中央にあるステージで行われている無料演奏会。
デジタルズーム2.5倍くらいで撮ってみる。
演奏していたのは洗足音楽大学の三島彩・鈴木舞衣のお二人。
今年のテーマは「la nature ナチュール - 自然と音楽」。毎年テーマ設定があるけれど、それがプログラムの選定とどう関わっているのかいまいち理解できず。
いろいろなイベントが行われている展示ホールに入る。
入口両サイドに飾られていたフラワー・アレンジメント。
これはとてもキレイだったのに、
陽の光ではなく照明の下で写真を撮ると人工的な感じで写ってしまう。
展示ホールの下にも無料演奏のステージがある。
グッズ売り場。
去年より作曲家グッズが増えているような気がする。
これは去年もあった人形。左からハイドン、バッハ、ベートーベンかな。
このミニチュア楽器はケースもついている。
時間をもてあましたので結局ーーー(^^ゞ
会場に入る。
今年チケットを買えたのはすべてAホール。その話は後ほど。
何度訪れても巨大さを感じる5000人収容のAホール。
この位置で1階席の2/5程度。
3列目のやや右寄りの席で聴く。
ーーー続く
4日のプログラムは午後8時開場・8時45分開演なのだが、8時開演と勘違いして7時半に会場である東京国際フォーラムに入ってしまった。
広場はいつも通りの大賑わい。
タイプ2と呼ばれるワーゲンのバンを使った屋台。
空冷のビートル(カブトムシ)がタイプ1で、このバン以外にタイプ3〜4とカルマンギアと5つのバリエーションがあった。フロントウインドウが2分割されているのがタイプ2の初期モデルで1950年から67年までの製造。だからこのクルマは少なくとも50年近く前のクルマということになる。かなり昔だが友人のタイプ2に乗って九州まで行ったことがある。分割ウインドウから見える風景とシンプルきわまりなく遮音性ゼロの車内で、なんとなく第2次世界大戦頃の爆撃機に乗っているような気分だったのは懐かしい思い出。
この日に聴くのは宗教音楽なのでビールは禁止。
宗教上の理由ではなく眠たくなったら困るから(^^ゞ
広場の中央にあるステージで行われている無料演奏会。
デジタルズーム2.5倍くらいで撮ってみる。
演奏していたのは洗足音楽大学の三島彩・鈴木舞衣のお二人。
今年のテーマは「la nature ナチュール - 自然と音楽」。毎年テーマ設定があるけれど、それがプログラムの選定とどう関わっているのかいまいち理解できず。
いろいろなイベントが行われている展示ホールに入る。
入口両サイドに飾られていたフラワー・アレンジメント。
これはとてもキレイだったのに、
陽の光ではなく照明の下で写真を撮ると人工的な感じで写ってしまう。
展示ホールの下にも無料演奏のステージがある。
グッズ売り場。
去年より作曲家グッズが増えているような気がする。
これは去年もあった人形。左からハイドン、バッハ、ベートーベンかな。
このミニチュア楽器はケースもついている。
時間をもてあましたので結局ーーー(^^ゞ
会場に入る。
今年チケットを買えたのはすべてAホール。その話は後ほど。
何度訪れても巨大さを感じる5000人収容のAホール。
この位置で1階席の2/5程度。
3列目のやや右寄りの席で聴く。
ーーー続く
2016年05月03日
上野公園で美術三昧(未遂)
上野公園にある
国立西洋美術館
東京都美術館
東京国立博物館
この3つをハシゴして丸1日ドップリと美術の世界に浸りたいとは以前から思っていた。それには暇な時間があって、かつ各施設が同時におもしろそうな展覧会を開催していることが条件になる。それで現在
国立西洋美術館:カラヴァッジョ
東京都美術館 :伊藤若冲(じゃくちゅう)
東京国立博物館:黒田清輝
という期待の持てるラインナップ。ゴールデンウイーク中なので混雑しているのが難点だが、渋滞の高速道路でツーリングに行くよりいいかと思い上野公園に出かけてきた。
JR上野駅公園口から公園を眺めたところ。予想通りの賑わいぶり。
駅に入ろうとする人もこの混雑。
上野公園の正面入口。なぜかここに来ると遠足に来た時の高揚した気分をいつも感じる。上野公園に遠足に来たことはないのに不思議。
案内所のチケット売り場にも行列。各美術館・博物館でチケットを買うのに並ぶのも想定内だが、ここなら1回並ぶだけで済むからと考え、
並ぶことにした。
列はそれほど長くないのに窓口は1つだけだからなかなか進まない。それでも7〜8分くらいだったかな。並んで待っている間に暇だったので、振り返って上野グリーンサロンというレストランを撮ってみる。
このチケット売り場ではなぜかカラヴァッジョ展のチケットは買えない(もちろん並ぶ前に確認済み)。それで若冲(じゃくちゅう)と黒田清輝を買おうとしたら、若冲は70分待ちだけれどいいかと尋ねられる。当初の予定では黒田→若冲→カラヴァッジョの順で見るつもりだった。若冲を最後にして夕方なら多少はマシになっているかとも考えたが、その時はまたその時に考えようということで、結局黒田展のチケットのみ購入。1枚だけ買うなら、ここで買う必要もなかったが、若冲展が恐ろしく混雑していることを最初に知ることができたのはよかった。
というわけで3つ見るはずが2つに。三昧(ざんまい)とは3つという意味の言葉ではないのだが、タイトルの「上野公園で美術三昧(未遂)」というのはそういうこと。
チケット売り場に一番近いのが国立西洋美術館=カラヴァッジョ展。これはチケットを買うための行列。係員のお姉さんに尋ねるとチケットを買うのに15分くらいかかるが、入場待ちの時間はないとのこと。ただ会場内はかなり混雑しているとも教えてくれた。
とりあえず東京国立博物館に向かう。それにしてもすごい人の数である。花見のシーズンはもっと混んでいるのかなあ。写真奥が上野動物園。
公園中央の広場ではテントが多数。ここはよくイベント会場にもなる。
現在、開催中は「子供ブックフェスティバル」。
図鑑とか絵本とか。
売り上げの一部じゃなくて全部寄付するの?
広場の先に噴水池があって、向こうに見えるのが東京国立博物館。
25年ほど前に訪れたことがあるが、何を見たのか完全に忘れた。
東京国立博物館のチケット売り場。
奥の方に人が並んでいるけれど、案内所で買うより早かったかも。
東京国立博物館は敷地が12ヘクタールとても広くて複数の建物が並んでいる。
まず正面にあるのがこの本館。何となく天平寺院的な雰囲気のデザイン。この建物は重要文化財に指定されている。
右側が東洋館。日本とアジアの文化財を収集するのが東京国立博物館の目的。
左側が西洋風の表慶館。1909年(明治42年)にオープンした日本でもっとも古い(近代的で本格的な)美術館。この建物も重要文化財。
ここのツツジは今が盛りという感じ。自宅の周りではほとんどが萎れている。同じ東京なのにこの違いはどこから?
iPhoneではなくデジカメを持ってきてラッキー。
東京国立博物館にはこの色のツツジしかなかったのが残念。
黒田清輝展はさらに奥の平成館で開催されている。
富士宮焼きそばにも長い行列。
これが平成館。
やっぱり今の建築はシンプルすぎてつまらない。
森鴎外の執務室は取り壊されたらしい(>_<)
彼が東京国立博物館の総長とは知らなかったが。
平成館の2階で黒田清輝展を鑑賞。
展覧会については、また別のエントリーで書く予定。
1階は考古展示室になっていて特別展(企画展)のチケットで見ることができる。
埴輪、鏡(裏面を磨いて鏡になっている。もちろん今は錆びてただの金属円盤)、土器、銅鐸などをみて古代の日本にタイムトリップ。
土偶。絶対に宇宙人がモデル(^^ゞ
ちなみに土偶は1万5000年前から紀元前4世紀頃までとされる縄文時代で、埴輪は3世紀〜7世紀の古墳時代のもの。
これは教科書でも見たことがある国宝の挂甲武人(けいこうぶじん) と呼ばれる埴輪。写真だと木製にも見えるがもちろん焼き物。完全装備の兵士だけれど、その後の武士の兜・鎧姿とはずいぶんと違う。
何となくあどけなく哀愁も感じさせる表情。
他の展示室であれこれ日本美術を鑑賞。
日本の美術館はなぜか撮影禁止だが博物館はOK。ただし黒田清輝展は美術館と同様に撮影禁止だった。またそれ以外の展示もすべてが撮影OKなのではなく、展示室ごと、あるいは展示コーナーごと、場合によっては作品ごとに撮影OKと禁止が分けられている。どういう基準で区別しているのかは不明。実は展示品の中に、グッときた仏像があったのに残念ながらそれは撮影禁止だった。
平成館と本館は通路でつながっていて、順路に沿って歩くと本館に誘導されるようになっている。これは本館にあるミュージアムショップ。
土産物屋と侮る事なかれ。
柿右衛門の香炉は23万7600円!
また展示を見て歩く。
テラスに出られる場所があった。池の向こうに見えるのは東京国立博物館に移設保管されているいくつかの茶室や邸宅の1つだと思う。テラスから芝生に降りることはできなかった。
本館の2階に上がる。
本館は建物内部もクラシックな雰囲気。開館は1938年(昭和13年)。
金屏風とか水墨画とかを眺める。
縦に展開する絵巻は初めて見た。
これはローマにある「嘘つきが手を入れると噛み切られる」という
「真実の口」ではなく、
奈良時代の鬼瓦。奈良時代の鬼はユーモラスな顔をしてた?
すべての展示を見たわけではないが、それでも膨大な展示品の数である。今回は駆け足だったが、じっくり見たら1日あっても足らない。特別展を見なければ入場料は620円なので内容を考えればベラボーに安い。来年のゴールデンウイークは、これに絞って上野公園に来ようかとも思う。
ただし展示の仕方は少し単調に思える。おそらく学術的に各時代を万遍なく展示してあるのだろうが、もう少しメリハリやダイナミックさも欲しい。来場者の西洋人比率が高かったが、例えば彼らにはサムライの世界を堪能できるようなコンセプトでの展示室があると喜ばれるだろうし、日本文化の紹介としても有意義なはずだ。展示もただ並べるだけじゃなく来場者目線で工夫して欲しい。国立博物館は学術的な施設かもしれないが、もっとエンタテイメント性を加味すれば、収蔵品は第一級の品々なのだから魅力あるワンダーランドになる可能性を持っている。
ーーー続く
国立西洋美術館
東京都美術館
東京国立博物館
この3つをハシゴして丸1日ドップリと美術の世界に浸りたいとは以前から思っていた。それには暇な時間があって、かつ各施設が同時におもしろそうな展覧会を開催していることが条件になる。それで現在
国立西洋美術館:カラヴァッジョ
東京都美術館 :伊藤若冲(じゃくちゅう)
東京国立博物館:黒田清輝
という期待の持てるラインナップ。ゴールデンウイーク中なので混雑しているのが難点だが、渋滞の高速道路でツーリングに行くよりいいかと思い上野公園に出かけてきた。
JR上野駅公園口から公園を眺めたところ。予想通りの賑わいぶり。
駅に入ろうとする人もこの混雑。
上野公園の正面入口。なぜかここに来ると遠足に来た時の高揚した気分をいつも感じる。上野公園に遠足に来たことはないのに不思議。
案内所のチケット売り場にも行列。各美術館・博物館でチケットを買うのに並ぶのも想定内だが、ここなら1回並ぶだけで済むからと考え、
並ぶことにした。
列はそれほど長くないのに窓口は1つだけだからなかなか進まない。それでも7〜8分くらいだったかな。並んで待っている間に暇だったので、振り返って上野グリーンサロンというレストランを撮ってみる。
このチケット売り場ではなぜかカラヴァッジョ展のチケットは買えない(もちろん並ぶ前に確認済み)。それで若冲(じゃくちゅう)と黒田清輝を買おうとしたら、若冲は70分待ちだけれどいいかと尋ねられる。当初の予定では黒田→若冲→カラヴァッジョの順で見るつもりだった。若冲を最後にして夕方なら多少はマシになっているかとも考えたが、その時はまたその時に考えようということで、結局黒田展のチケットのみ購入。1枚だけ買うなら、ここで買う必要もなかったが、若冲展が恐ろしく混雑していることを最初に知ることができたのはよかった。
というわけで3つ見るはずが2つに。三昧(ざんまい)とは3つという意味の言葉ではないのだが、タイトルの「上野公園で美術三昧(未遂)」というのはそういうこと。
チケット売り場に一番近いのが国立西洋美術館=カラヴァッジョ展。これはチケットを買うための行列。係員のお姉さんに尋ねるとチケットを買うのに15分くらいかかるが、入場待ちの時間はないとのこと。ただ会場内はかなり混雑しているとも教えてくれた。
とりあえず東京国立博物館に向かう。それにしてもすごい人の数である。花見のシーズンはもっと混んでいるのかなあ。写真奥が上野動物園。
公園中央の広場ではテントが多数。ここはよくイベント会場にもなる。
現在、開催中は「子供ブックフェスティバル」。
図鑑とか絵本とか。
売り上げの一部じゃなくて全部寄付するの?
広場の先に噴水池があって、向こうに見えるのが東京国立博物館。
25年ほど前に訪れたことがあるが、何を見たのか完全に忘れた。
東京国立博物館のチケット売り場。
奥の方に人が並んでいるけれど、案内所で買うより早かったかも。
東京国立博物館は敷地が12ヘクタールとても広くて複数の建物が並んでいる。
まず正面にあるのがこの本館。何となく天平寺院的な雰囲気のデザイン。この建物は重要文化財に指定されている。
右側が東洋館。日本とアジアの文化財を収集するのが東京国立博物館の目的。
左側が西洋風の表慶館。1909年(明治42年)にオープンした日本でもっとも古い(近代的で本格的な)美術館。この建物も重要文化財。
ここのツツジは今が盛りという感じ。自宅の周りではほとんどが萎れている。同じ東京なのにこの違いはどこから?
iPhoneではなくデジカメを持ってきてラッキー。
東京国立博物館にはこの色のツツジしかなかったのが残念。
黒田清輝展はさらに奥の平成館で開催されている。
富士宮焼きそばにも長い行列。
これが平成館。
やっぱり今の建築はシンプルすぎてつまらない。
森鴎外の執務室は取り壊されたらしい(>_<)
彼が東京国立博物館の総長とは知らなかったが。
平成館の2階で黒田清輝展を鑑賞。
展覧会については、また別のエントリーで書く予定。
1階は考古展示室になっていて特別展(企画展)のチケットで見ることができる。
埴輪、鏡(裏面を磨いて鏡になっている。もちろん今は錆びてただの金属円盤)、土器、銅鐸などをみて古代の日本にタイムトリップ。
土偶。絶対に宇宙人がモデル(^^ゞ
ちなみに土偶は1万5000年前から紀元前4世紀頃までとされる縄文時代で、埴輪は3世紀〜7世紀の古墳時代のもの。
これは教科書でも見たことがある国宝の挂甲武人(けいこうぶじん) と呼ばれる埴輪。写真だと木製にも見えるがもちろん焼き物。完全装備の兵士だけれど、その後の武士の兜・鎧姿とはずいぶんと違う。
何となくあどけなく哀愁も感じさせる表情。
他の展示室であれこれ日本美術を鑑賞。
日本の美術館はなぜか撮影禁止だが博物館はOK。ただし黒田清輝展は美術館と同様に撮影禁止だった。またそれ以外の展示もすべてが撮影OKなのではなく、展示室ごと、あるいは展示コーナーごと、場合によっては作品ごとに撮影OKと禁止が分けられている。どういう基準で区別しているのかは不明。実は展示品の中に、グッときた仏像があったのに残念ながらそれは撮影禁止だった。
平成館と本館は通路でつながっていて、順路に沿って歩くと本館に誘導されるようになっている。これは本館にあるミュージアムショップ。
土産物屋と侮る事なかれ。
柿右衛門の香炉は23万7600円!
また展示を見て歩く。
テラスに出られる場所があった。池の向こうに見えるのは東京国立博物館に移設保管されているいくつかの茶室や邸宅の1つだと思う。テラスから芝生に降りることはできなかった。
本館の2階に上がる。
本館は建物内部もクラシックな雰囲気。開館は1938年(昭和13年)。
金屏風とか水墨画とかを眺める。
縦に展開する絵巻は初めて見た。
これはローマにある「嘘つきが手を入れると噛み切られる」という
「真実の口」ではなく、
奈良時代の鬼瓦。奈良時代の鬼はユーモラスな顔をしてた?
すべての展示を見たわけではないが、それでも膨大な展示品の数である。今回は駆け足だったが、じっくり見たら1日あっても足らない。特別展を見なければ入場料は620円なので内容を考えればベラボーに安い。来年のゴールデンウイークは、これに絞って上野公園に来ようかとも思う。
ただし展示の仕方は少し単調に思える。おそらく学術的に各時代を万遍なく展示してあるのだろうが、もう少しメリハリやダイナミックさも欲しい。来場者の西洋人比率が高かったが、例えば彼らにはサムライの世界を堪能できるようなコンセプトでの展示室があると喜ばれるだろうし、日本文化の紹介としても有意義なはずだ。展示もただ並べるだけじゃなく来場者目線で工夫して欲しい。国立博物館は学術的な施設かもしれないが、もっとエンタテイメント性を加味すれば、収蔵品は第一級の品々なのだから魅力あるワンダーランドになる可能性を持っている。
ーーー続く
2016年05月02日
ベランダ・チューリップ2016総集編その1 開花率は57%(/o\)
毎年ゴールデンウイークは庭仕事ならぬベランダ仕事を行うことになっている。今年のメインはベンジャミンを新しいプランターに植え替えること。前回に植え替えてから、たぶん20年以上はそのままになっている。ただしプランターを発注するのが遅かったし、大型のプランターは取り寄せ品ということでまだ届いていない。
いつもチューリップは完全に枯れ草になるまで片付けないのだが、サンセベリアやクリスマス・カクタスの手入れもするし、何よりベンジャミンの植え替えには作業スペースが必要なので本日に引っこ抜いてプランターをベランダの隅にまとめた。
4月6日に半分満開となったとブログにも書いたチューリップ。そのときに花があまり咲いていなかったエリアは、その後パラパラと花をつけた程度で、結局あれから1週間ほどがピークだった。
来年以降の参考のために、まずは約1週間隔での時系列写真。
発芽しなかったエリアもいくつかあって、いったいどうなっているのかと掘り返してみた。
写真は4月17日。
ここにどんな形の球根を植えたのかは覚えていないが、何となく小さくなっているような気がする。だたし球根そのものはしっかりとした硬さがあり、腐ったりしている様子はなかった。
この冬は暖冬だったので花が咲くのは早かったが背丈が低いものが多いと、ひたち海浜公園のホームページに書いてあった。それと関係あるのかどうか、突然変異?と以前に紹介したチューリップ。
3月13日にこの背丈で花びらを覗かせている芽を発見。
3月19日には葉の部分も色がつき始め、全身で花になるのかと期待する。
3月23日には隣にも同じような芽が出る。
3月25日には花びらが広がるそぶりを見せたが、
3月29日には、しおれ始めて
4月5日にはご臨終の様子Ω\ζ゜)チーン
このパターンは6〜7本あったかな。
葉も茎もない花だけが地面に咲く姿を期待していたのに(^^ゞ
こちらの一頭身チューリップは、
とりあえず咲いた。でも茎が伸びず葉の中で花びらが無理やり開いた感じ。
今年多かったのはツボミがツボミのまま終わってしまうパターン。チューリップは秋に植えて冬の寒さに耐えることで強くなるらしい。暖冬だったので体力不足な傾向があったのかもしれない。
花が落ちた茎を折っておいたのがこちら。10本が10束と左上に4本で合計104開花。ツボミのまま枯れたものは含めていない。植えたのは184球根なので104÷184=57%の開花率。
昨シーズンの25%と較べればマシだが、かなり期待はずれな数字。今シーズンは土作りもしっかりやったのに、やっぱり天候には勝てなかったということか。
とはいっても昨シーズンと較べればずいぶんと楽しめた。時系列記録の写真は全体を写すように撮っているから味気ないけれど、キレイな写真はこれからアップする予定。
ーーー続く
いつもチューリップは完全に枯れ草になるまで片付けないのだが、サンセベリアやクリスマス・カクタスの手入れもするし、何よりベンジャミンの植え替えには作業スペースが必要なので本日に引っこ抜いてプランターをベランダの隅にまとめた。
4月6日に半分満開となったとブログにも書いたチューリップ。そのときに花があまり咲いていなかったエリアは、その後パラパラと花をつけた程度で、結局あれから1週間ほどがピークだった。
来年以降の参考のために、まずは約1週間隔での時系列写真。
発芽しなかったエリアもいくつかあって、いったいどうなっているのかと掘り返してみた。
写真は4月17日。
ここにどんな形の球根を植えたのかは覚えていないが、何となく小さくなっているような気がする。だたし球根そのものはしっかりとした硬さがあり、腐ったりしている様子はなかった。
この冬は暖冬だったので花が咲くのは早かったが背丈が低いものが多いと、ひたち海浜公園のホームページに書いてあった。それと関係あるのかどうか、突然変異?と以前に紹介したチューリップ。
3月13日にこの背丈で花びらを覗かせている芽を発見。
3月19日には葉の部分も色がつき始め、全身で花になるのかと期待する。
3月23日には隣にも同じような芽が出る。
3月25日には花びらが広がるそぶりを見せたが、
3月29日には、しおれ始めて
4月5日にはご臨終の様子Ω\ζ゜)チーン
このパターンは6〜7本あったかな。
葉も茎もない花だけが地面に咲く姿を期待していたのに(^^ゞ
こちらの一頭身チューリップは、
とりあえず咲いた。でも茎が伸びず葉の中で花びらが無理やり開いた感じ。
今年多かったのはツボミがツボミのまま終わってしまうパターン。チューリップは秋に植えて冬の寒さに耐えることで強くなるらしい。暖冬だったので体力不足な傾向があったのかもしれない。
花が落ちた茎を折っておいたのがこちら。10本が10束と左上に4本で合計104開花。ツボミのまま枯れたものは含めていない。植えたのは184球根なので104÷184=57%の開花率。
昨シーズンの25%と較べればマシだが、かなり期待はずれな数字。今シーズンは土作りもしっかりやったのに、やっぱり天候には勝てなかったということか。
とはいっても昨シーズンと較べればずいぶんと楽しめた。時系列記録の写真は全体を写すように撮っているから味気ないけれど、キレイな写真はこれからアップする予定。
ーーー続く