2016年10月

2016年10月26日

レオナール・フジタとモデルたち

10月15日にバイクツーリングで訪れたDIC川村記念美術館のレオナール・フジタ(藤田嗣治)の展覧会の話。藤田嗣治(つぐはる)といえばこのオカッパ頭。どう見ても濃さそうなそのキャラクターとはまったく違う繊細な画風が彼の魅力。藤田嗣治(つぐはる)についての簡単な説明は以前のエントリーをご参照。
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いきなり脱線するけれど、いろんな意味でオープンな国といえばまずアメリカを思い浮かべる。しかしフランスあるいはパリというのは、異文化を積極的に受け入れる所だということに最近あらためて気がついた。藤田嗣治の少し前の印象派時代は浮世絵に関心が高かったし、黒澤明や北野武の映画を評価したもの海外ではパリからだ。コム・デ・ギャルソンやイッセイミヤケなんかも同じことがいえる。日本料理に対するリスペクトも高い。何かそういう気質があるのかな。私も日本は窮屈だから、これで話す言葉がフランス語じゃなければ住んでみたい気もするのだが(^^ゞ


さて展覧会のタイトルは「レオナール・フジタとモデルたち」と、描かれているモデル達にスポットを当てた構成になっている。でも普通に回顧展的に作品の変遷を楽しめる内容でもあった。ところで、ほとんどの画家はキャリアの最初の頃は、ごく普通のどこかで見たような絵を描いているものだが、藤田嗣治は最初からかなり個性的だったみたい。次の2つはパリに渡って数年目の作品。

フェルナンドとオウム  1917年
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なぜかエジプト的なものが想像され、最初はクレオパトラを描いているのかと思った。フェルナンド・バレーは彼の2度目の奥さんでフランス人。ちなみに最初の奥さんは日本人だった。しかし彼が1913年(大正2年)にフランスへ渡ったことで離婚というか解散ということになったみたい(/o\)



家族  1917年
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これはエジプト×モディリアーニ?



二人の女  1918年
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先の2つとたった1年しか違わないが、
だんだんとよく知っている藤田嗣治のイメージになってくる。



藤田嗣治は1920年代に「乳白色の肌」と呼ばれる独自の裸婦像でスター画家となる。次の2つは3番目の奥さんであるリュシー(英語読みだとルーシー)・バドゥーがモデル。目の色が2枚で異なるがそれは気にしないでおこう。藤田嗣治は彼女にユキと日本風の名前をつけている。

横たわる女  1923年
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ユキの肖像  1928年
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こちらは有名モデルだったモンパルナスのキキを描いたもの。最初はキキを描いた絵で藤田嗣治はパリに受け入れられるようになる。(この作品じゃない)

横たわる裸婦 1922年
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次の3つは4番目の奥さんであるマドレーヌ・ルクー。彼女は藤田嗣治の帰国にともなって来日し、なんと歌手として日本でレコード・デビューまでしている。まだ外人は珍しかったんだろう。もし音源が残っているなら聴いてみたいものだ。残念ながら身体が弱かったらしく、何度目かの来日の際、1936年に29歳の若さで亡くなっている。藤田嗣治はそれ以降も彼女をモデルに絵を描いていてとても愛していたように思える。しかし実は彼女が亡くなる1年前から、後に5番目の妻となる君代と付き合いだしている。オトコとオンナはいつの時代もワカラナイものである(^^ゞ


眠れる女  1931年
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私の夢  1947年
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オペラ座の夢  1951年
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山田キクの肖像  1926年
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藤田嗣治は1920年代に乳白色ばかり描いていたわけではなかった。山田菊(1897年〜1975年)は日本人外交官の父とフランス人の母を持つハーフで、幼少期を日本で過ごし、後にフランスで活躍した作家。1920年代には有名だったらしい。こんな人知らなかったわ。



アンナ・ド・ノアイユの肖像  1926年
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この人も知らなかったが著名な詩人であり小説家。フランスの最高勲章であるレジオンドヌール勲章を女性として初めて授与されている人物。ルーマニア貴族の血を引き、また伯爵夫人でもある。本当かどうか確認していないが、フランス人で名前に「ド」が入っているといい家柄だと聞いたことがある。しかし気難しい性格だったらしく、あれこれと描き方に注文をつけ、それで途中で藤田がイヤになって、この作品は製作途中の未完成品扱い。

でも背景はまだ描かれてはいないが、それも何となくこの絵の不思議な魅力になっているように思えて私はとても気に入った。社交界の女王的存在だった彼女のオーラも絵ににじみ出ている。画風的にも乳白色の時代と晩年の精巧な画風がちょうどいい感じでミックスされているように思う。このタイプの藤田の作品は初めて見た。他にも同じようなものがあれば是非見てみたい。



見応えがあった3メートル四方×4枚の大作。いわゆる群像作品。それが乳白色の技法で描かれているのもおもしろい。好みとしては「構図」の対のほう。「争闘」は筋肉の描き方のデフォルメがちょっと漫画チック。絵の中に「ドリャー」とかセリフの吹き出しを入れたくなる。

「争闘」のような筋肉描写は、その後の作品に引き継がれていないから、この作品はある種の実験的なものだったのかもしれない。関係ないけれど闘争ではなく争闘という言葉は初めて目にした。明治や大正の頃はそういう言い方をしていたんだろうか。


ライオンのいる構図 / 犬のいる構図  1928年
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争闘 I / 争闘 II   1928年
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1931年から藤田は中南米を巡る旅をする。そして2年後に日本に帰国。その頃の作品は従来とはガラッと変わった画風で興味深いものが多かったが、ブログに適当な画像があまり見つからず。

メキシコにおけるマドレーヌ  1934年
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自画像  1936年
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そして1938年頃から従軍画家として戦地に赴き、いわゆる戦争画の制作を手がける。ストレートな国威発揚モノと違い、藤田嗣治が描くとこうなるのかと思わせる作品が多い。残念ながらこの展覧会では展示されていなかった。戦後になると戦争画の件で批判され、それに嫌気がさして1950年にフランスに戻る。レオナール・フジタはその後にフランスに帰化して以降の名前。ちなみにフジタはFoujitaと綴る。


パリに戻ってからはかなり精緻な画風になってくる。

ジャン・ロスタンの肖像  1955年
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カルチエ・ラタンのビストロ  1958年
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そして宗教をテーマとした作品も手がけるようになる。そこでも後期の藤田嗣治ワールド全開。この頃は少女の絵が多くて、なぜか鳥の物まねをするように口をすぼめたような表情で描く。ただし次の作品はそういう顔つきをしていない。

花の洗礼  1959年
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礼拝  1962〜63年
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正直にいうと、この絵を見た時に思わず吹き出してしまった(^^ゞ あのオカッパ頭がまじめな顔をして、しかもひざまずいた修道士の姿で! 私にはどう見ても笑いを取りにいっているようにしか見えないのだが、藤田嗣治にそんな意図はあったのかな。左側の修道女は5番目の奥さんである君代夫人とされる。


デッサン(作品の下絵みたいなもの)を始め、いろんな資料も数多く展示されていた。写真は藤田嗣治が出した手紙やハガキ。読んでみると、もちろん私宛に書かれたものではないのだが、なぜか彼とやりとりしているような感覚になってきて不思議な気分。ただ字が細かいし、かなり崩した筆跡なので内容は大まかにわかった程度。
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乳白色を堪能できたし、アンナ・ド・ノアイユという今まで知らないタイプの作品もあり、最後に笑うこともできて?満足度の高い展覧会だった。またポーラ美術館なみにガラガラなのでゆったりと鑑賞できる。藤田嗣治に関心があるなら、少し遠いけれど出かけていって損はない。来年の1月15日まで開催されていて、もう少ししたら美術館の庭で紅葉も楽しめるかもしれない。

wassho at 23:32|PermalinkComments(0) 美術展 

2016年10月18日

一宮〜太東崎〜大原

川村記念美術館を後にして九十九里方面に向かう。


とりあえず東金九十九里有料道路までたどり着こうと県道66号から国道126号を走る。66号はほどよい田舎道路で楽しかった。東金九十九里有料道路はその名の通り、内陸部である東金(とうがね)市から九十九里の海岸までの約10キロを結ぶ有料道路。海水浴シーズンを除けば渋滞することはあまりないが、ETCが設置されておらず現金で払わなければいけないのがバイクとしては面倒。ところが9〜10月の土日は無料開放しているとのことで料金所はフリーパス。ラッキー!

東金九十九里有料道路は終点で九十九里有料道路に接続している。こちらは九十九里の南側の海岸沿いを結ぶ17キロほどの有料道路。眺めは最高の道路だが、同じくETCは利用できない。ド田舎の山奥にある有料道路と違って、それなりの交通量があるはずなので行政の怠慢としかいいようがない。それはさておき東金九十九里有料道路が無料開放なんだから、きっと九十九里有料道路もーーーと期待して走っていくとーーーーなんとなんと九十九里有料道路が通行止め! 津波対策工事とやらで今年の4月1日から来年の7月31日まで閉鎖しているらしい(>_<)

しかたないので県道30号で南下。30号は海岸から300メートルくらい内側にあるので海はまったく見えない。それでも九十九里の南の端である一宮町の近くまで来ると、道路沿いにサーフショップが増えてきて海気分が盛り上がる。こんな不動産屋まである。


一宮の海岸に出る。午後2時半頃。
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踏み固められてはいるが砂地なので、バイクのサイドスタンドが地面にめり込む。そういう時のために小さなプラスチック板はいつも持ち歩いている。


南側方向。
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北側方向。駐まっているクルマはほとんどサーフィンに来た人のもの。
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波はそこそこ。
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この季節に見ると夏の忘れ物のようなイメージがある。
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沖に延びている突堤。
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海を横から眺める。
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普段は一番先端まで行くのだが、
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時々こうなるので、この辺で断念。
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お約束のローアングル。気温は20度以上あったが、海風があるので少し寒かった。
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一宮海岸の次に訪れたのは、そこから10キロくらい南にある太東崎灯台。「たいとうさき」と濁らずに読む。以前にも来たことがあるが、ビーチの後は高台から太平洋を眺めようという趣向。
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♪海は広いな〜大きいなあ〜
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とても話し好きのオッチャンがいて、その彼に教えてもらった波打ち際にある道らしきもの。歩いて岬を回れるのか? 相当危なそうだけれど。
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私のバイクの隣に駐まっているクルマには大きなアンテナがついている。アマチュア無線の実験をやっているらしくアンテナは自作らしい。太平洋の向こうのアメリカと交信しているのかと尋ねてみたが、どうもそういうことではないみたい。結局何をしているのかよくわからず。
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太東崎灯台のすぐ下に太東海浜植物群落と呼ばれる海岸がある。国指定天然記念物に指定されているとのことなので、ついでに立ち寄ってみた。


なんか思っていたイメージと違う。
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この先の砂浜のところがそうらしいが、柵があって立ち入り禁止になっている。特に花も咲いている様子もなかったし、砂浜までいくことはしなかった。


灯台方向。写真には写っていないが私の膝の所に柵があってこの先には進めない。この道が灯台から見えた道につながっているんだろうか? それが生活に必要だとは思えないから観光道路なのか? それにしてはデンジャラス。
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ガードレール下はこんな感じ。
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太東海浜植物群落が期待はずれだったので、大原海岸で口直し。太東崎からは7〜8キロくらい。ちなみに太東崎や大原は千葉県いすみ市になる。
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ここは九十九里の海岸より砂の色がやや明るい。もっとも御宿ほどの白い砂浜ではないが。あそこは千葉の中でも特別な存在。
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時刻はもう4時半頃で薄暗い。
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不規則に波が押し寄せてくるので沖ばかり見ているとアブナイ。
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水平線に沈む夕日を眺めたいが東向きの海岸なので、それは無理な相談。かといって振り返っても夕焼けが見えるわけでもなし。
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あの建物はトイレで上に展望台があるのに、なぜかいつも閉鎖中。
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夕日は見られなかったが、海に浮かぶ満月に風情を感じる。
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大原を出たのが午後5時頃。勝浦辺りまで海岸を眺めながらのツーリングを楽しみたかったが、日没が近かったので諦めて、国道465号〜297号で圏央道を目指す。もう少しマイナーな県道のほうがクネクネ的には楽しいが、暗くなってからではちょっと怖い。日が落ちると気温もグッと下がって14度くらいになり、今シーズン初めての寒さを感じる。

市原鶴舞インターから圏央道に入りアクアライン経由で7時半頃帰宅。走行250キロと7月以来久々の200キロ越え。美術館を目的地に含めたArt and Rideは2つの趣味を満たせるので有意義に1日を過ごせた気分。


おしまい

wassho at 20:32|PermalinkComments(0)   *ツーリング 

2016年10月15日

川村記念美術館〜九十九里で太平洋

金曜日にテレビで「明日からは土日とも晴れで、週末が2日連続で晴れるのは8月6日以来の70日ぶり」と言っていた。話しているアナウンサーもどこかうれしそう。まあそれくらい今年は夏から天候に恵まれなかった。

じゃあちょっと青空の太平洋でも眺めてくるかと。もちろん湘南も太平洋であるが、私の場合あそこは相模湾という分類になっていて、房総半島の東側が一番近い太平洋ということになる。ただし何度もツーリングしているエリアだから海岸に行くだけじゃ芸がない。あれこれ調べていたら、千葉県佐倉市にある川村記念美術館でレオナール・フジタ (藤田嗣治) の、ちょっとよさげな展覧会をやっていることを発見。佐倉を経由するので太平洋は九十九里のどこか適当なところでというプランになった。


地図は上側から時計回り。美術館は東関東自動車道の佐倉インターの近く。そこに行くにはいくつかルートがあるが、今回は首都高の湾岸線経由で都心部を迂回して東関東自動車道に入ることにした。出発は午前9時半頃。まず環七で大井南というインターまで行くと、これが予想外の渋滞。途中に道路工事で片側1車線になっているところが数カ所。

そして大井南インターの手前でも渋滞。進んでみると信号が消えていて警官が手旗で誘導しているのが原因だった。数日前に送電線が燃えて東京の広い範囲で停電する事故があり、信号も一部で機能しなくなったことはニュースなどでご存じかと。それとは関係ないと思うけれど、とにかく久し振りに生で見る手旗信号。
地図


首都高湾岸線に入ってからは順調。ナビもセットしておいたが、佐倉インターを降りてからは要所要所に美術館の看板もあって迷うことはない。

美術館の前は22号線というまあしょぼい田舎県道。そこから美術館の敷地に入ると、別世界にワープしたかと思うほどキレイに整えられた杉並木が広がっている。よっぽどバイクを停めて写真を撮ろうかと思ったくらい。駐車場の脇にも芝生があるんだから推して知るべし。
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到着は午前11時過ぎ頃。駐車場は無料。
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正確にはDIC川村記念美術館という。
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DICは旧社名の大日本インキ化学工業株式会社なら聞いたことがあるかもしれない。大日本印刷じゃなくて大日本インキのほうね。ちなみにインキとインクは同じ意味だが、産業用途ではインキという言葉を使う傾向があると思う。そのDIC創業者の川村一族が収集したコレクションを収蔵・公開している企業所有の私設美術館。


最寄り駅まで無料の送迎バスが出ている。
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入館料は1300円。また200円で敷地内の散策路のみの入園も可能。ここにはDICの研究所と美術館が建てられていて、総面積は30ヘクタール(9万坪)と広大。もっとも散策できるのは5ヘクタール分くらいだったかな。
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この小さな入口から入っていく。
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こんな茂みの中を抜けていくと、
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ドカーンと広大で美しい風景が現れる。
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家畜の飼料を溜めておくサイロみたいなデザインの建物。ブサイクというか意味不明というか。外観が見られるのはここだけで全体像はわからず。
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展覧会のことはまた別に書く予定。でも予告編として、フジタで一番気に入ったのは、この「アンナ・ド・ノアイユの肖像」。
アンナ・ド・ノアイユの肖像



常設コレクションではシャガールの「ダヴィデ王の夢」。でもこれは横幅2.75メートルの大きな絵で、そのサイズも含めてよかった絵だったかな。小さな写真で見るとちょっと印象が違う。
ダヴィデ王の夢



それと橋本関雪の「木蘭」。これは六曲一双(折れ曲がり面が6つある屏風が二組でワンセット)の大きな屏風で、合計の横幅は7.58メートル。ブログに貼り付けたら、とっても細長く見えてしまう。
木蘭





さて展覧会と常設コレクションを見た後は園内散策。
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しかし残念ながら、この美しい池の周りを歩くことはできない。
無情に立ち入り禁止のフェンスあり。
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反対方向を撮ったもの。池の左側に白鳥が2羽。写真では砂粒サイズでも、実際はかなり大きな白鳥だった。
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池から離れる方向に道が続いている。
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モミジ。たぶん紅葉の時期もキレイなところなんだろう。私は日を透かしてみる緑のモミジも好き。
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先ほど池の写真を撮った場所の対岸にやって来た。
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ここからの風景はイマイチ。
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池から一段下りたところに芝生広場がある。
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芝生広場の横の散策路に沿って歩く。
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今頃サクラ? 調べてみるとこれは十月桜という春と秋の2回咲くサクラらしい。
日本中に植えるべし!!
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中学生があちこちで写生していた。土曜日なのに。美術部なのかな。
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散策路から分岐して森の奥に入っていく道もある。
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お地蔵さん。DICがこの土地を購入する前からあったものだろうか。ちなみに美術館のオープンは1990年。古き良き(?)バブルの時代。
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分岐した道はどこまで続くのか少し心配になったが、ちょっと斜面を廻って元の位置に降りてきただけだった。
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再び散策路を歩いて、
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芝生広場に戻る。奥に立っているのはヘンリー・ムーアの彫刻。
雲ひとつない青空で気持ちよし。
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美術館を後にする。
それにしてももう100円払うから(^^ゞ池の周りを歩かせて欲しかった。
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出口付近にあるレストラン&売店。レストランは入り待ちの人多数。
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出口に停まっていた送迎バス。よく見るとモネの絵がボディに描かれていた。
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ーーー続く

wassho at 22:20|PermalinkComments(0)   *ツーリング | 美術展

2016年10月13日

町田ダリア園 その2

お食事中の蝶々とハチ。
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ダリアを一輪だけアップで撮るのにも飽きてきたので、2つ3つの花を集合的に撮ってみようと思いつく。でもこれがなかなか難しい。大きな花だから株と株の間隔も広い。状態のよい花同士が写真映えのするレイアウトで並んでいるなんて、そんな都合のいいことはあまりないのだ。望遠側に長いレンズがあれば奥の方に咲いている花も狙えるんだろうけれど、私の持っているズームレンズでは柵の外側に咲いているものしか撮れないし。


最初のエントリーとはできるだけ違う種類のダリアをアップしたつもり。
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2つ3つの集合写真でも難しいんだから、お花畑的に賑やかな雰囲気を撮れるように咲いている場所はもっと少ない。
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お花畑的にうまく撮れないので、遠くの一輪にだけピントを合わせ、背景はボカしてごまかすという作戦に変更。何事も諦めが肝心。
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それにしてもたくさんの品種があるものだ。一説によるとダリアの品種は3万を超え、花の中で品種数が一番多いとのこと。町田ダリア園のホームページでは、花の形だけで13種類に分けられている。ここまでくると全部ひっくるめてダリアと呼ぶのもどうかという気もしてくる。また背丈が5メートルを超えるダリアもあるらしいから、一度見てみたいものだ。


ダリアを見に行く度に書いているが、ダリアは後ろから見てもきれい。
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ツボミも大きいから迫力がある。
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不揃いに成育中?
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花が子供を咲かせているようだが、もちろん別々の茎が重なっているだけ。
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上から順番に見て噴水の所まで降りてきた。こういうところではシャッタースピードを速くして水しぶきを撮るのが私のお約束(^^ゞ
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町田ダリア園は障害者の働く福祉作業所が運営している。
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大きな休憩所がある。お茶は無料。
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お花屋さん。
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ここで売っているのはダリア以外のベゴニアとか。
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ダリアの苗はもっと奥の方で売っている。その後ろが作業所の施設かな。2階にクルマが並んでいてビックリしたが、右側は坂道だから2階のところで道路に面しているのだろう。
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町田=郊外で田舎じゃない。だから小さなダリア園だという先入観があった。しかし一昨年に訪れた秩父の「両神山麓花の郷」と較べてそんなに見劣りはしない。満開になるのはこれからかな。花数はやや少ない気がした。それと小振りな花が多く、人の顔くらいの巨大なダリアが咲いていなかったのがちょっと残念。「わあデカッ!」と驚くのもダリア鑑賞の醍醐味なのである。でも近場でこれだけのダリアを見られて大満足。なんだかんだで3時間半くらいブラブラしていた。


帰りは高速道路を使わずにとりあえず18号線を走る。こんなディープ町田に来たことはなかったが、ダリア園の周辺は結構田舎っぽくて、つかのまツーリングに来た気分を味わえた。57号線に入り鶴川まで来る。そのまま進むと世田谷道路につながるが、いつも混んでいるイメージがあるので、TBS緑山スタジオの方向に南下。このあたりはほどよい郊外ルートといった感じ。こどもの国(そういう名前の遊園地)を過ぎると同じ形のマンションや住宅が並んでいるところがあってなかなかの街並み。その後しばらくは国道246号と平行している道路でニュータウンぽいエリアを抜け、青葉台の手前辺りで246号に入る。

午後5時頃帰宅で、走行77キロと縁起よし(^^ゞ


おしまい

wassho at 21:40|PermalinkComments(0)   *ツーリング | お花畑探訪

2016年10月10日

町田ダリア園

三連休のうち土日は曇り時々強い雨だった。最終日の月曜は「予報は曇りだが晴れるところも多いはず」という、だったらそう予報しろよというような、どっちつかずの内容をテレビで聞いた。起きてみると雲は厚いものの降水確率は10%と低かったので、近場なら大丈夫かと思ってツーリング先に選んだのが東京の町田市にある町田ダリア園。

何年か前に神代植物園で秋バラのついでのつもりでダリアを見て以来、けっこうダリアファンである。大きくて派手で「花を見た」という満腹感を味わえる。グーグルでダリアを検索すると829万件ヒットする。一方でコスモスだと2230万件だから、誰でも名前を知っている花だと思うが、人気はそれほどでもないのかもしれない。


午前11時に出発。気温は20度でワイシャツ+トレーナー+革ジャンといういでたち。1週間前の彼岸花ツーリングでは高速道路上で32度もあり、半袖ポロシャツ+メッシュ革ジャンだったのと較べると大きな変わりよう。何度か書いた気もするが春と秋が短くなっている、つまり、ずっと寒くて急に暑くなる・ずっと暑くて急に寒くなるという気候パターンになりつつあるのが気掛かり。


改めて書くと東京というのは東西に広がった地形で、図で紫色の東側が23区、ピンク色部分に26の市がある。その他に町(べーシュ)や村(グリーン)がいくつか。行政的にはこの26市を多摩地区と呼ぶけれど、三鷹や調布までが多摩だというのはどうもしっくり来ない。でも一番西側エリアを一般に奥多摩と呼ぶのは、あまり意識されていないと思うが、センター部分が多摩だからである。町田市はピンク部分の1番南にある市。ちなみに東京の人口は大雑把に23区が70%、多摩地区が30%。
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往きのルートは東名の町田インターで降り、国道16号を北上。その後は都道52号〜18号と進む。52号は鎌倉街道と名前がついているが、鎌倉までつながっているわけではなく、町田市と隣の相模原市を結ぶ13キロ程度のごく短い道路で名前負け。ナビはセットせず、ダリア園のホームページにあった交差点名を頼りに進めばOKだった。
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高速道路の渋滞はなかったのに16号や52号が結構混んでおり、正午過ぎに町田ダリア園に到着。
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駐車場の片隅、自転車と同じエリアにバイクを駐める。駐車料金は無料。
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ダリア園の入園料は500円。
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入口すぐに噴水あり。
噴水をアップで撮ったせいで、この写真だとずいぶん敷地が狭く写っている。
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噴水の後ろ側から。すり鉢状の斜面にダリア園が作られている。とりあえず1番上までいって、そこから降りながらダリアを観賞することにした。
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大きなカメラを持った人多数。また先生と思われる人が10人位を相手にカメラの設定を指導する講習会のようなものも開かれていた。先生も含めて全員が女性のいわゆるカメラ女子。女子といっても40歳代だったけど(^^ゞ
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一番上からの眺め。総敷地面積は1.5ヘクタールというで、
ダリアが植えられているのはその1/2くらいかな。
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いろんなダリアを楽しみながら斜面を降りていく。
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得意の下から撮って空を背景にする構図も試すものの、青空じゃないので残念。
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ダリア園の隣りにこんな看板。
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すり鉢状の地形なので動物広場はダリア園より高い位置にある。
これでダリア園の半分くらい。
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「みどりの動物」って、こういうことね。
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ダリア園上部に咲いていたきれいな花。名前はわからない。とても柔らかそうだが、触ってみるとそうでもなかった。
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ーーー続く

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2016年10月08日

東京都庭園美術館 その2

東京都庭園美術館には建物、すなわち旧朝香宮邸を見に来たわけで、開催されている展覧会はどうでもよかった。しかも私が苦手というか関心のないモダンアートな内容である。でも900円の入場料には展覧会分が含まれているし、館内の部屋を見て回る途中にあるのでしっかり見てきた。

美術館のホームページから制作者のプロフィール冒頭をコピペすると

 フランスの現代美術家クリスチャン・ボルタンスキー(1944年−)は、映像作品や
 パフォーマンス性の高い作品を制作していた初期から現在まで一貫して、歴史の中で濾過
 される記憶の蘇生、匿名の個人/集団の生(存在)と死(消滅)を表現してきました。

もうこの辺から理解不能(^^ゞ
展覧会のタイトルは「アニミタス さざめく亡霊たち」。再度ホームページから解説の一部をコピペすると

 この<亡霊たち>は、すでに失われた過去のものではなく、「アニミタス」という言葉の
 語源が「霊魂」のほかに「生命」をあらわすように、今ここに存在しないもの(あるは、
 したかもしれないもの)、まだ生まれていないものたちが、この世界に確かに存在し、
 そうした無数の「他者」と共に私たちは生きているということを伝えるものです。

別にややこしい解説の所だけを選んで抜き出したんじゃないよ。まあモダンアートのこういう頭でっかちなところが、私がアートに求めているものと違っていて、アホクサと感じるところ。

展覧会は3つのエリアに分かれている。まず美術館本館=旧朝香宮邸の1階ではコピペしたような内容の話を男女の会話の構成で流していた。興味もなく聞いていなかったので具体的には覚えていない。


本館の2階、たぶん若宮の部屋のいくつかを利用して展示されていたのは、まずこんな影絵のようなものが2つ。小さな窓から覗くようになっている。
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こちらは真っ暗な部屋に心臓のバックバックという鼓動を録音した音が流れていて、それに併せて赤いランプが点滅する仕掛け。
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こんなのを見て生命の何かを感じて、それを何かしら楽しめたり、あるいは考えを巡らせる人って本当にいるのかな。いるから展覧会をやっているんだろうけれど、私には中学の文化祭の「出し物」程度にしか思えなかった。


旧朝香宮邸に隣接された新館にあった展示はまず、薄いヴェールに目を印刷したものがたくさんぶら下がっているもの。これはヴェールくぐりながら部屋の中を歩いて鑑賞する。
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もう1つは、部屋の中に大きなスクリーンがあって、風鈴のようなものが映し出されチリリンと音も聞こえる。この景色がエンドレスで続く。
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部屋の中には草が敷き詰められていて、その触感を靴底から感じる。デジカメ写真だから少し床も写っているが、実際には真っ暗で床の様子は見えない。でも匂いからしたら麦わらだったかもしれない。

スクリーンの裏側に回ると、風鈴のぶら下げられている景色が海から山になっている。ただそれだけ。
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この部屋に30分もいたら感じるものがあるんだろうか。時間の無駄としか思えないから、そんなことはしない。滅多に見ないモダンアートの感想は、こんなもの作ってアーティストと呼ばれ、それでメシが食えるんだからいい商売だなあと相変わらず敵意むき出し(^^ゞ




目玉と風鈴映像が展示されていた新館は写真右の通路で本館とつながっている。2年前にできた建物で、展示スペースの他にレストランや売店が入っている。
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テラスとか。
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隣の本館を見上げる。
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逆光で写りがおかしいが新館の前にあった謎の木。幹の様子は松で葉も針状なのに、今までに見たことのない葉の付き方。やっぱり松なのかなあ。とても気になる。
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新館全景。今風の建築であるものの、そんな印象を持たないのは色使いのせいだろう。レトロな旧朝香宮邸の隣にあって違和感を感じさせないのはいい仕事だと思う。
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新館から本館に戻り、部屋のいくつかをもう一度見学した後に本館を出る。
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庭園美術館なので、もちろん庭付きである。
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しかし何と、そのほとんどが工事中で閉鎖!(>_<)
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でも芝庭から眺める旧朝香宮邸の優雅な姿に大満足。
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吉田茂は外相から首相になった後も、首相公邸に移らず外相公邸であるここに居座り続けた。その彼の気持ちはよくわかる。私も3日でいいからここに住みたい。


芝生の片隅にオブジェ。
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近寄ってみると大理石でできていた。
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オブジェ越しに旧朝香宮邸。
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なんとなく上質な異空間を散歩してきた気分(除くボルタンスキーの展示物)。セレブなんて安っぽい言葉ではなく、本物の上流階級がわずかながらも日本にも存在した時代があったんだなあなどと思いを巡らせた旧朝香宮邸の見学だった。それがいい時代だったかどうかは別の話だとしても、芸術はそういう人たちが育ててきたのもまた事実。まあそんな理屈は抜きにして、美しい建物や部屋を見て目の保養になった。庭園部分の工事が終わったら、また訪れて見ようと思う。


おしまい

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2016年10月06日

東京都庭園美術館

目黒に所用があったついでに、前から行きたいと思っていた東京都庭園美術館に足を伸ばしてきた。山手線の目黒駅から歩いて7〜8分の所にある。

東京都庭園美術館とは

 元は旧皇族の朝香宮(あさかのみや)の邸宅。
 2代続いた朝香宮の初代である朝香宮鳩彦(やすひこ)が建築。
 朝香宮鳩彦は昭和皇后の叔父であり、また奥さんは明治天皇の娘。
 ちなみに宮家とは天皇の跡継ぎを絶やさないための分家。江戸時代なら
 尾張・紀州・水戸の徳川御三家みたいなもの。

 敷地は元高松藩の下屋敷。敷地面積は約3万5000平米=1万600坪。
 建物は1929年(昭和4年)着工、1933年(昭和8年)5月竣工。
 建築面積は約1000平米=300坪、延べ床面積約2100平米。
 鉄筋コンクリート造り地上3階・地下1階。

 終戦〜皇籍離脱により1947年(昭和22年)に朝香宮一家が退去。
 1950年まで吉田茂が首相・外務大臣公邸として使用。終戦直後のいろんな
 歴史の裏舞台にもなったと思われる。
 1950年に西武鉄道に払い下げられ白金プリンス迎賓館となる。
 白金プリンス迎賓館は結婚式や催事を開く民間商業施設だが、1974年(昭和49年)に
 赤坂離宮が迎賓館に改修されるまで、ここが国が国賓を迎える迎賓館としても使われ
 ていたらしい。そんなことしていたんだと初めて知った。

 その後は1975年からプリンスホテル本社として使用される。
 こんなところがオフィスなら優雅に仕事できそう。
 西武は建物を取り壊してホテルに建て替える計画を発表したが、旧朝香宮邸を守れとの
 反対運動が起こり断念。1981年(昭和56年)に東京都に売却される。
 1983年に都立の美術館として一般公開される。

といった歴史を持つ。

それでこの東京都庭園美術館=旧朝香宮邸が有名なのは、アール・デコ様式の名建築だから。横浜や神戸の異人館でもレトロな西洋建築の雰囲気を味わえるけれど、旧朝香宮邸はそれらとは格違いの世界的に見てもトップクラスの建築遺産。室内設計はアンリ・ラパンで、調度品のいくつかを手がけたのはルネ・ラリックと何となく聞いた記憶のある名前が並ぶ。(アール・デコって何?については、以前に簡単に書いたから興味があったらこのリンクから。ページの中頃辺り)


案内看板では2つの展覧会をやっているように思えるが「アール・デコの花弁」は室内公開とほぼ同じ意味。家具などのインテリアを時々模様替えして展覧会の体裁にしているようだ。建前は、あくまで美術館なので何の展覧会も開かれていない時は、庭の見学はできるが建物の中には入れない。
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門をくぐって、
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目黒駅徒歩圏内とは思えない木々の中を進んでいく。
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やがて現れる薄いクリーム色の建物。
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外観は割とシンプルでアール・デコな印象はない。現在の建築と較べると窓が小さいように思える。でも天上高が4〜5メートル程度と高いので相対的にそう見えている面もある。建物に入ると窓が小さいとは感じない。それにしても落ち着いた趣。
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関係ないけれど、この日は天気がよかった。ただし10月なのに気温30度越え。
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いよいよ中へ。写真では小さいが玄関の左右に狛犬。西洋建築なのに?という気がしなくもないが、意外と建物と溶け込んでいた。
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ところで部屋の中で写真を撮ることはあっても、部屋そのものを撮る機会はあまりない。そしてこれがなかなか難しい。家具の置いてある部屋はまだしも、そうでない場合はまったく部屋の雰囲気が伝わらない。デジカメ持参でTHIS IS アール・デコな写真を撮ろうと思っていたのに、ほとんどが現場記録のようなものになってしまった(/o\)

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数多くの部屋があるが、建物内部の公開方法は次の3パターン。

  部屋の中に入れる
  扉が閉まっていて見ることができない
  扉は開いていても、部屋の中には入れない

上の写真だと3枚目の書斎とバスルームが扉の所から覗けただけ。


1階の間取り図
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2階の間取り図
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1階は中庭を挟んで左側(南側)が主に来客用のスペースで、右側の色が濃くなっている部分が使用人達の働き場所。使用人部分は公開されていないのが残念。

1階で気になるのは包丁室という存在。包丁の格納庫?それとも当時は、包丁を使う作業スペースを、調理をする厨房とは別に設けていたのか?とにかくナゾの存在である。

2階はプライベートゾーン。家族4人分のスペースがあって、各人が寝室だけじゃなくて専用の居間を持っている。さすがは宮家なので全室スイートルーム(続き部屋)仕様といったところ。

なお写真で市松模様の廊下が、殿下&妃殿下の寝室に面しているベランダである。


インテリアや室内装飾をいくつか。
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これは妃殿下居間に面しているバルコニー。
このタイルが凝ったものらしいが説明書きの内容は忘れてしまった。
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廊下や階段もいい感じ。
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こんなカーペットの浮き防止の留め具は初めて見た。
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こちらが元オーナー夫妻。
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いってみれば西洋かぶれの宮様が道楽で建てた建物を、21世紀の平民が豪邸訪問よろしく見学しているといったところ。


ーーー続く

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2016年10月05日

権現堂堤で彼岸花 その2

再び堤の上を歩く。
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見おろす彼岸花もなかなかよし。
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現在位置はバイクを駐めた場所からまっすぐ堤に上がった辺り。
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これは川と逆の方向を向いているので右側が上流。明治天応が訪れた記念碑とある。どうも上流の彼岸花の終端のまだ先にあったみたい。記念碑の近くにも案内看板を出しておいてくれたらいいのに。
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こちらの看板は右側が下流。引き続き歩いて行く。
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下流側の堤の下を歩く。先ほどの看板だと150メートル先に彼岸花が咲いているような書き方だが、実際にはずっと彼岸花が続いている。下流のほうが花の状態は少しよかった。
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ここが下流の終点かと思ったが、
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堤の上へ登ってみると、
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まだ先があった。
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でも彼岸花も少なくなってきたので、ここでUターン。
斜面を見おろしながら元の方向へ戻る。
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中川の向こう岸に渡っても何もなさそうだったので素通り。
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順礼の碑というものがあった。聖地を回るのは巡礼だと思っていたが順礼とも書くらしい。石碑には文字ではなく絵が描かれているようだが風化してよく見えなかった。
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そんなに古いものじゃないんだけれどーーー。
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それにしても、まったく正反対の由来が2つ伝わっているというのは珍しいと思う。(写真をクリックすると拡大されるので読んでみて)
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スタート地点だった売店の所まで戻ってくる。
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この時の気温は30度には届いていなかったと思うが、日差しが夏並でかなり暑かった。それで何か飲もうと思ったのだが、売店のドリンク&ソフトクリーム売り場には7〜8人の列が途切れない。自販機のようなものは駐車場も含めて一切ない。花見のシーズンならもっと混雑するだろうから、ここ権現堂堤に来る時は飲み物持参をお勧めする。


結局並ぶのもかったるく、売店の先の喫煙コーナーで一服休憩。そしたらそのさらに先に順礼の碑の大型版の順礼供養塔があった。こちらは礼が古い漢字で順禮となっている。先端が尖った変わった形。文字は文部大臣当時の鳩山一郎(後の首相、鳩山由紀夫や邦夫のおじいさん)。彼が文部大臣だったのは昭和6〜9年だから、順礼の碑よりこちらのほうが古い。
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その隣にあったのが「矢嶋健八郎君碑」。文字は文部大臣の田中隆三とある。調べてみると鳩山一郎の前任者で昭和4年から6年に文部大臣を務めた政治家。
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時の文部大臣が文字を書いているのだから、何か謂われのある碑だとは思うが、周りに解説のようなものはなし。幸手市や公園のホームページにもこの碑のことは載っていない。それで矢嶋健八郎で検索してみると、


なんとヒットせず(/o\)
矢嶋健八郎君、あなたは一体どなた?
矢嶋


ちなみに順礼供養塔と矢嶋健八郎君碑をかなり下からアオって撮っているのは、石版の前に木の枝がぶら下がっていて、普通の角度で撮影したら字が読めないから。公園管理者はもう少し手入れに気を配ったほうがいい。




権現堂堤にいたのは1時間半くらい。川の堤沿いだから風景的に単調なのは仕方ないが、ほどよい広さで彼岸花を楽しめた。最盛期は過ぎていた彼岸花も、遠目に見る分には充分に赤い空間を堪能できた。天候不順に感謝?

残念だったのは赤い彼岸花しかなかったこと。白は数株みつけたが、もう枯れていた。ピンクはあったとしても枯れていたら赤と見分けがつかないし。彼岸花は赤のイメージでそれは大切にしたいが、白やピンクが半分くらいを占めていてもいいような気もするけれど。見たことはないが黄色や紫もあるらしい。全国の彼岸花栽培者の皆さん、ひとつご検討をよろしく。


往きとまったく同じルートで午後4時過ぎに帰宅。走行160キロ。また台風が来ていて、それは明日には通り過ぎるのに、今週末もまた雨の予報。やれやれ。


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おしまい

wassho at 08:38|PermalinkComments(0)   *ツーリング | お花畑探訪

2016年10月02日

権現堂堤で彼岸花

久し振りのツーリングーーーーと、このところバイクに乗る度に、その枕詞を書いている気がする。週末に用事があったり、バイクへのモチベーションが下がり気味なこともあるけれど、なんといっても今年は夏から雨の日が多すぎる。温暖化で台風がたくさん発生して、夏から秋にかけて日本は雨期ということに今後なりませんように。


この日曜日は何とか晴れとなったので、埼玉県の幸手市(さってし)にある権現堂堤(ごんげんどうつつみ)という所に彼岸花を見に出かけてきた。中川という利根川の支流沿いに桜名所の堤があって、その斜面に秋になると彼岸花が咲くことでも有名なところ。中川沿いには春に八潮へ桃を見に行ったし、初めて訪れた時はその雄大な光景に「ここは本当に葛飾区か?」と驚いた水元公園も中川から引き込んだ水路だし、普段は名前を聞くこともないのに何かと縁のある川である。


ルート的には90%以上高速道路で味気ないのは仕方ないところ。首都高で都心を抜けて東北自動車道に入り、久喜白岡ジャンクションで圏央道に乗り換えて1つ目の幸手インターで降りる。インターからは10分くらい。
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出発は午前11時半頃。最高気温の予想は28度だったので少し迷ったが、自宅を出ると夏のような日差しだったのでメッシュの革ジャン着用。ところでこのルートだと首都高6号線で隅田川沿いを走ることになる。2020年の東京オリンピックのボート会場が揉めているらしいが、どうして隅田川でやらないのかと思う。まあ単に隅田川とボートはイメージ的に似合うというだけの思いつきでしかないが。

渋滞はほとんどなく、途中のサービスエリアで昼ご飯を食べて午後1時前には到着した。
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ガランとした駐輪場にバイクを止める。駐車場も公園も無料。
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休憩用のテント。ちなみにこの日が9月10日から開かれていた曼珠沙華(まんじゅしゃげ)祭りの最終日。彼岸花を見るには遅すぎる時期であるが、今年の天候不順が幸いして、まだ見られるというのが事前に得た情報。
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まずは堤の下を上流方向に向かって歩くことにした。写真で彼岸花の上に重なって見えるのは桜の木で、春にはさぞ見事だろうと思わせる。
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萎れている花も多かったが、充分に赤いカーペットを楽しめた。
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最終日は大変混雑すると幸手市のホームページに書かれていたが、人出は少なかった。
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しばらく歩くと一番端まで来た。
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振り返って。
背の高い脚立でもないと、長く伸びる彼岸花の帯を写せないのが残念。
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現在位置は看板の左端。ここから下流側へ850メートル桜並木が続いているとの案内。彼岸花の情報はないが、同じエリアに植えられているのだと思う。
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堤の上に出る。
権現堂堤の一部が桜堤と呼ばれているようだ。
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堤の上から中川はあまり見えない。
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彼岸花も少し植えられている程度。
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ということで、川のほうへ降りることにした。
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川側斜面の彼岸花は完全に見頃過ぎ。堤の左右でずいぶん違うものだ。
川側は北東で反対側が南西の斜面になる。
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川べりまで広場のようになっている。
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川に面した小道。
たいした景色じゃなかった。
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でも久し振りの青空がまぶしかった。
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写真で左右に流れているのが中川。
その中川に直角に接しているのが権現堂川で堰が設けられている。
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権現堂川をまっすぐ進むと利根川だが、現在は利根川と中川を結ぶ水路というより水害防止等の調整池となっているようだ。グーグルマップでは権現堂川と表示されるが、幸手市のホームページでは行幸湖(みゆきこ)という扱い。このあたりは川の氾濫が多かった地域で(だから大きな堤があるのだろう)江戸時代から河川の付け替えとかを多くやっていた模様。ただし少し調べた程度では変遷の全容をつかめず。権現堂川は昭和3年に廃河川となっているが、46年に一級河川に指定されている。よくわかんない。


少し下流に洒落たデザインの吊り橋。
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川沿いの一画にヤギが飼育されていた。
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日向ぼっこも好きみたい。
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まったく愛想がないというか人間に興味を示さないのでシャッターチャンスに恵まれず。エサと勘違いしないかと、ハンカチなどをそれっぽく取り出して見るも効果なし。
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屋久島ヤギという種類らしい。
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動物園でも同じだが、展示という表現には少し引っかかりを感じる。
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少し公園的に整備されたところもあった。
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でも特に見るべきようなところもなかったので堤に戻る。
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ーーー続く

wassho at 22:03|PermalinkComments(0)   *ツーリング | お花畑探訪