2016年11月

2016年11月29日

円山応挙 「写生」を超えて その2

円山応挙には以前から見たいと思っていた作品が2つあって、今回はその両方が展示されている。だから青山でついでがあったとはいえ、54年振りの雪の日にわざわざやってきたしだい。この展覧会の会期は11/3〜12/18までと短く、しかも展示作品替えがあって、お目当ての作品は11/27までの展示。


雪松図屏風 1786年(国宝)
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そのひとつがこの屏風絵。この絵はその描き方に興味があった。実は雪が積もっていて白い部分は、白く塗ってあるのではなく、何も塗らずに紙の色のままなのである。塗ってあるのかいないのかはブログの小さな画像ではまったくわからないが、以前にそこそこのサイズのポスターで見た時も判別できなかった。

というわけで念願の本物とご対面。ウン、やっぱり塗ってない。紙のまんま。それをこの目で確かめられて満足。ただ何も塗っていないことは知識として知っているし、それがまさに目の前にあるのだけれど、どうも錯覚のように感じるというか何かとても不思議な気分になる。たぶん、脳は過去の経験則から白く塗っているとまず判断し、でも塗っていないという事実もインプットされて混乱しているんじゃないかなと思う。数歩離れて眺めると紙の白だとは見分けがつかなくなるから、今近づいて確認したばかりなのに、どう目を凝らしても白く塗っているように見えるからおもしろい。

白く塗るより、塗らないで紙の色で白を表現する方が、よほど手間がかかるような気がする。白く塗って、この絵が描けないというものでもないだろう。これは円山応挙のテクニックへのチャレンジなのか、あるいは塗っていないということで人々を驚かせたかったのか。そのあたりを尋ねてみたい気がする。またこの絵は金と墨の濃淡(と紙の白色)だけで描かれている。あまり屏風絵のことは知らないが、金色バックにモノトーンというのは珍しい気がする。それもやっぱりこの白色表現を際立たせるためだろうか。

何はともあれ見たかった雪の絵を、54年振りの雪の日に見ることができてうれしい。




龍門図 1793年
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もうひとつはこの3枚の真ん中にある絵。
わかりやすいように鯉(こい)の部分を拡大したのが下の画像。(色が違うのは無視して)
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いわゆる鯉の滝登り。水の一部は何も描かず紙の色だけで表現している。色を塗らないという点では先ほどの雪松図と同じ技法でも、こちらは光(水面の反射)を表現しているようにも思える。この絵は掛け軸サイズであまり大きくないので、離れてみていると墨の線が引いてあるだけの抽象画のようにしか見えない。近づいて初めて「あっ!鯉がいる」という驚きもあったと思う。

それにしても色を塗っていない部分がスパッと直線的である。どうやって描いたのだろう。今ならその部分にマスキングテープを貼っておくなどが考えられる。それに似たようなことをしていたのか。あれこれ想像を巡らすのも楽しいもの。



ここまで紹介してきたのは「応挙画の精華」と名付けられた最初の展示室の作品。次の展示室のテーマは「学習と写生の徴(しるし)」。絵も何点かあったが、メインの展示は円山応挙のスケッチ。ノート的に綴じられたものと巻物になっているものがあった。彼はスケッチ魔だったと伝えられている。特にスケッチノートはページの隅が手垢で汚れており、使い込んでいたことがわかる。たぶん作品を制作する時にデータベース的に参照していたんじゃないかな。

展示という点ではノートになっているものは見開きで1ページ分を見られるだけなので(週替わりで開くページが変更されるらしい)、ある程度の分量を見られる巻物のほうがありがたい。もっとも彼は何百年もたって、自分のスケッチブックがガラスケースに入れられて人目にさらされるとは思っていなかっただろう。

スケッチの雰囲気はこんな感じ。植物は図鑑を見ているかのよう。ウサギは別角度のポーズあるいは顔や鼻のアップがあったりして、いろいろと研究していたんだろうなと思わせる。
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最後の展示室は「七難七福図巻の世界」。七難七福図巻は円山応挙が3年をかけて描いたという大作の絵巻物。仁王教という経典にある七難と七福が描かれている。全3巻で難が2巻、福が1巻の構成。難では天災も描かれているが、強盗や追いはぎに襲われて殺されるシーンなどがグロテスクな表現で目を引く。福のほうはごく普通の生活の様子で、何をテーマにしている絵なのかよくわからなかった。ひょっとしたら福とはそういうものだという教えなのかもしれない。

残念ながら適当な画像が見つけられなかったのでブログでは紹介できず。気になる人は根津美術館に行ってちょうだい(^^ゞ なおとても長い絵巻物なので、すべてを見ることはできず週替わりで見られる部分が変更される。ここはいい雰囲気の美術館だが、それほど広い展示スペースでないのが残念。

ところで七難七福とは関係ないが、有名なことわざの七転び八起き。7回転んだのなら起き上がるのも7回じゃないと数が合わないと子供の頃から疑問ーーー。



展覧会は円山応挙の作品のみ。展示期間での入れ替えがあるので、見られるのは30点ほどであまり多くない。でも大きな屏風絵もあって応挙ワールドは堪能できる。この頃の文化や精神を今も引き継いでいるとは思わないけれど、それでも遺伝子のどこかに刻まれている感情が呼び起こされるような気持ちになる。


ーーー続く

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2016年11月28日

円山応挙 「写生」を超えて

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11月に東京で雪が降ったのは54年振りだという先週木曜日の24日、青山で打ち合わせがあったついでに、根津美術館で円山応挙の展覧会を見てきた。しかし温暖化はどこへ行った? この日に移動した目黒区、中央区、港区では午後3時過ぎまで雪が降っていたものの積もるということはなかった。ビックリするくらい寒くはあったが。

根津美術館は青山通りから徒歩10分ほどで南青山の少し奥まったところにある。昔はそのあたりまで来ると、いわゆる青山のファッショナブルな雰囲気とは無縁のエリアだったが、今は美術館のすぐそばまでいろんなお店がある。

しかし入口を入ってすぐのこの通路で、青山界隈からワープした気分。見事な演出の建築デザインだと思った。
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ロビーの雰囲気。石仏が展示されている。
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スマートでお洒落な仏像。さすが南青山? もっともこれは6世紀の中国のもの。 
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石仏越しに紅葉が見える庭園。根津美術館は日本庭園があることでも有名。2ヘクタールほどの敷地面積のうち7割位を庭が占めている。この美術館は明治時代の実業家で、東武鉄道などの経営者であった根津嘉一郎の、日本と東洋美術のコレクションのために作られたもの。
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庭園は後で見ることにして、まずは展示室へ。
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円山応挙は1733年〜1795年の人。江戸時代が1603年〜1868年だから、ちょうど江戸時代中頃に活躍したということになる。ところでほとんどの人はまず幽霊の絵で円山応挙の名前を知るはず。中には幽霊専門と思っている人も多いんじゃないかな。私もずっと以前はそうだったが、国宝に指定されている作品もある日本画の巨匠である。ちなみに幽霊を足がない姿にしたのは円山応挙だといわれている。


展示室に入って最初にあるのは「芭蕉童子図屏風(1769年)」。小さい画像しか見つけられなかったが、右側に大きな葉の植物があり、左側に3人の子供が遊んでいる姿が描かれている。そしてこの絵で驚愕の事実を知ることになる!
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芭蕉といったら松尾芭蕉を思い浮かべる。というかそれ以外を考えることもない。だから、この絵は松尾芭蕉の子供時代を描いたものかと思った。でも、それもちょっとおかしい。それで調べてみると、芭蕉(バショウ)とは右側に描かれている植物のこと。そして芭蕉とはなんとバナナの和名! もっとも温帯で育つ日本のバナナは食用には適さず、熱帯の食べられるバナナを昔は実芭蕉(ミバショウ)と読んで区別していたらしい。芭蕉なんて植物があるの知ってたあ?

松尾芭蕉の名前はこの植物にちなんだもの。彼はバショウがお気に入りで、自宅の庭にも植えていたらしい。だから松尾芭蕉は現代風に表現すれば松尾バナナということになる。なんか芸名みたいでイメージ崩れる(^^ゞ



「芭蕉童子図屏風」のような水墨画が何点かあり、ワビ・サビのイメージでよかった。残念ながら画像を見つけ出せず。この展覧会のタイトルに『写生を超えて』とあるように円山応挙は写生を重視した細密な画風。


牡丹孔雀図 1776年
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雪中水禽図 1777年
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木賊兎図 1786年  ※木賊(トクサ)はウサギの後ろの植物
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老松鸚哥図 1787年 ※鸚哥はインコ。老松はオイマツと読む。
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久し振りに見る日本画。私は日本画のお約束的な構図というか画面構成が好きになれないのだが、円山応挙はその細密さに目がいくせいか、あまり気にならない。


(屏風絵は上が右で、下が左を貼り付けてある。)

雨竹風竹図屏風 1776年(重要文化財)
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墨の濃淡だけで描かれた幽玄な雰囲気の屏風絵。いい味出しているんだけれど、タイトルにある雨や風はあまりイメージできなかったかな。



藤花図屏風 1776年(重要文化財)
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金箔をバックにした屏風絵。いかにもといった豪華な印象はなく、ごく自然な背景色に感じるのは全体的に品のいい絵だからだろうか。画像ではわからないが、花の房はとても写実的に描かれていて、日本画的にデフォルメされたワンパターンになっていないのが私好み。ところであちこちで藤の花を見てきたが、藤棚に仕立ててあるか、下から支柱で枝を支えているもの以外は知らない。こんなナチュラルに伸びている藤の木があるのなら是非とも見てみたい。


ーーー続く

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2016年11月23日

ダリ展 その3

フィリップ・ハルスマンという写真家とコラボレーションした作品。

ダリ・アトミクス 1948年
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アトミクスは原子的なという意味。この写真からそれを想像するのは前回エントリーの「ポルト・リガトの聖母」より難しい。撮影されたのはCGなんてなかった時代だから、アシスタントが猫とバケツを空中に投げ、同時にダリがジャンプしてという大仕事。絵やイーゼルには浮かんでいるように見せるための釣り下げワイヤーが写っている。でも、どうやったら水がこんな軌跡になるのだろう。ところで28回撮り直して6時間かかったらしい。猫ちゃんには迷惑な話(^^ゞ


死の快楽の中で(ダリと髑髏) 1951年
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あれ?ひょっとしてダリも歌川国芳の浮世絵のファンだったりして。なお髑髏はドクロとかシャレコウベと読む。



舞台芸術のためのスケッチや本の挿絵などの作品も展示されていた。1930年代のシュルレアリスム画風とはまた違うダリの個性が爆発したような絵で楽しめた。それぞれ連作で作品点数も多いのだが、いくつか選んで載せておく。

ドン・キホーテの挿絵から「風車への攻撃」 1954年
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不思議の国のアリスをテーマにした版画集から「マッド・ティーパーティー」 1969年
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ガラの晩餐というダリが出版した料理本から「レ・パナッシュ・パナッシュ」 1977年
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ジュエリーの展示も何点かあった。ダリ自身が制作したのかデザインだけなのかは不明。すべてゴールドがベースで、ドナルド・トランプの自宅に似合いそう(^^ゞ これは「記憶の固執(ピン)」という作品で1949年に作られたもの。
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さて後期になるとダリは異なる画風の絵をいろいろと描いている。駆け出し時代も様々な画風にチャレンジしていたから、それは彼の性分なのだろう。いくつか並べてみると、同じ画家の作品とは思えないくらい。タイトルも相変わらずヒネリにヒネッて絶好調!


正午(ポルト・リガトの小屋) 1954年
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海の皮膚を引きあげるヘラクレスがクピドをめざめさせようとするヴィーナスにもう少し待って欲しいと頼む 1963年
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「幻覚を与える闘牛士」のための習作 1968〜70年
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トラック(我々は後ほど、5時頃到着します) 1983年
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位相幾何学的なよじれによって女性像がチェロになる 1983年
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シュルレアリスム以外のダリの絵はほとんど知らなかったから、さまざまなタイプの彼の絵を知ることができてよかった。前回書いたようにパズルを解く気はなくても、それでも凝視して見ることにどうしてもなるので、すべて見終わった後にはお腹一杯になる展覧会。好き嫌いはあると思うが、ダリでこの規模の展覧会が開かれるのはまた10年くらい先だと思われるので見ておいて損はない。会期は12月12日まで。

ところでダリといえばギョロッと眼を向いて髭がピンと伸びた変顔?的な写真が多いが、素の彼はなかなかイケメンなことを最後に紹介しておこう。
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おしまい

wassho at 13:18|PermalinkComments(0) 美術展 

2016年11月22日

ダリ展 その2

シュルレアリスム(日本語的にはフランス語と英語をチャンポンにして、シュールレアリズムということが多い)というのは訳語が超現実主義であり、今まで特に深くも考えずに現実を超越したことだと理解してきた。ときどき夢で見るような「あり得ない、つじつまの合わないような世界」のような感じ。でも調べてみるとシュルレアリスムとは意識外や無意識の表現とか、理性が介入しない表現とか「なんじゃそれ?」という難しい解説が並ぶ。とてもついていけない。ついていきたいとも思っていないけれど。

ところで日本で何かをシュールだなあという時は、現実離れしていると共に何か冷徹な視点が含まれている時に使うような気がする。またシュールなギャグというのはブラックユーモアに近いニュアンスかな。たぶんこの日本的語法のシュールと、シュルレアリスムのシュールとは別物なんだろう。

話は戻って、つまりシュルレアリスムにおいて、絵は手段やメディアであって、目的は画家のメッセージを伝えるということになる。全体としても、描かれているひとつひとつのものにも何か意味がある。単にそこにあったからと形を描いたものではない。だからパズルのように絵を読み解くのが正しい見方かもしれない。しかも無意識の表現だから、そのパズルは超難解である。

しかし心配ご無用。ダリは自分で「ダリの作品は誰にもわからない。ダリにもわからない」といっている。パズルなんか解かなくてもダリ・ワールドを充分に堪能できるのだ。ところでこのダリの言葉、日本語にすると誰にも=ダリにもとダジャレになっていて笑える。いや、これこそが言語を超えたシュルレアリスムだったりして(^^ゞ



子ども、女への壮大な記念碑 1929年
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子供は見あたらないけど? よく見るとモナリザが描かれている。その隣はナポレオン? また右奥にはミレーの晩鐘で祈りを捧げている二人もいる。画像では小さいが、本物は縦140センチとそこそこのサイズなので結構目につく。「この絵とかけて、子ども、女への壮大な記念碑と解くーーーその心は」と誰か謎解きを解いてちょうだい。

ところでアップした画像にはたまたま額縁も一緒に写っているが、ダリの絵のほとんどは、こういうシンプルな木枠だけの額縁だった。巨匠クラスの画家の絵はクラシックでデコラティブな額縁に入っていて、中には絵と似合っていないと思うことも多い。だから私的にこれはとても好印象。


先ほど書いたようにパズルを解く気はないので、ダリの不思議な世界をひたすら眺めて楽しむだけ。へんてこりんな絵なのに、ボーッと眺めていると落ち着いた気分になれるから不思議なもの。

降りてくる夜の影 1931年
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謎めいた要素のある風景 1934年
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オーケストラの皮を持った3人の若いシュルレアリストの女たち 1936年
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皿のない二つの目玉焼きを背に乗せ、ポルトガルパンのかけらを犯そうとしている平凡なフランスパン 1932年
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これはタイトル長すぎ! とりあえずフランスパンがオチンチンを意味していることはわかった(^^ゞ ポルトガルのパンというのを食べたことがなかったので検索してみると、こんなブログを見つけた。なかなかおいしそうだ。


引き出しのあるミロのヴィーナス 1936年
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ヴィーナス自体はダリが彫刻したのではなく模造品であり、それに引き出しを造り、ふわふわした飾りをつけたもの。本当に引き出しが開くのかは不明。もし私がこんなものを作ったら「よっぽど暇なのか?」の一言で片付けられるのは確実。



第二次世界大戦の戦禍を避けるため、ダリは1940年から48年までアメリカに移住する。ちなみにダリはスペイン人。スペインと第二次世界大戦って、あまりイメージが結びつかないというか世界史の授業では習わなかった気がする。ただその前の1936年から39年までスペインは内戦で、そしてファシズムの時代になったから、さらに世界大戦が始まったらたまったものじゃないと考えたのかな。

既にダリはシュルレアリスムで成功したした画家であり、アメリカでの人気も高かった。前回のエントリーで書いた横浜美術館の「幻想的風景」はアメリカで描かれた作品で、注文主は化粧品メーカー創業者のヘレナ・ルビンスタイン。この展覧会でも展示されていた。


日本に原爆が投下されたことにダリは衝撃を受けたらしい。たぶん一般人とは衝撃の受け方が違うと思うがーーー。そして彼は原子核神秘主義という核物理学にインスパイアされたようなカルトな思想を提唱して絵を描くようになってくる。それにしてもタイトルにある聖母の最高速度って意味ワカラン。

ウラニウムと原子による憂鬱な牧歌 1945年
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ビキニの3つのスフィンクス 1947年
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ラファエロの聖母の最高速度 1954年
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ポルト・リガトの聖母 1950年
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この作品は以前のシュルレアリスムに戻った要素があり、またルネサンス的な雰囲気も持っている。縦275センチとサイズも大きく、眺めていると不思議な浮遊感が漂っている。よく見れば例によっておかしな絵だが、ダリには珍しく美しい絵でもある。構図は原子構造を模しているらしいが、その意味はイマイチわからず。ちなみにポルト・リガトはスペインの地名。


ーーー続く

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2016年11月20日

ダリ展

訪れたのは9月の終わりだったか10月の初めで、少し前の話になる。忘れていたわけではないが、何となくブログを書きそびれていた。


さてサルバドール・ダリ。子供の頃、教科書で彼の絵を見た印象は強烈だった。いいとか悪いとか、好きとか嫌いとかではなく、ただただ不思議な気持ちになったことを覚えている。なんじゃこりゃ!と口にしたかどうかは忘れたが、世の中にはずいぶんと変わった絵もあるものだとも思った。それはたぶんこの絵だった気がする。タイトルは「記憶の固執」(この展覧会の出品作品ではない)。
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またダリは、たぶん私がフルネームでの名前と顔を覚えた最初の西洋画家。彼は1904年(明治37年)生まれで1989年(平成元年)没。つまり私が子供の頃はまだ現役バリバリで、それで一時、何かでよく話題になっていたのだと思う。そしていつもこんな顔写真付きで紹介されるものだから、そりゃいやでも覚える。
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やがてダリの画風はシュルレアリスム(日本語的にはシュールレアリズムということが多い。訳語としては超現実主義)ということなどを知るが、あまり興味は持たずにいた。あの顔写真が災いしてキワモノ的な印象ももっていた。また子供の頃は、ぐにゃっとなった時計が描かれたダリの絵を見て、空間も時間もゆがんでいると思えて興奮したような感受性も、年齢と共になくしていったのかもしれない。また印象派の展覧会ならしょっちゅう開かれているが、ダリの絵を見る機会はあまりない。


しかし去年、ホイッスラーの展覧会を横浜美術館に見に行って、併設されているコレクション展でダリの「幻想的風景」という作品を見て、久し振りにダリの不思議な異空間世界を堪能。だからこの展覧会は密かに楽しみにしていて、私としては珍しく開催されて早いうちに出かけたのだ。日本での回顧展は10年振りで、また今回は過去最大規模とのこと。



ところで回顧展の最初のほうに展示されている作品は、まだ画家が自分の画風を確立していない時期のもの。だからたいていはつまらないというか、どこかで見たようなありがちな絵だ。例えばこんな感じ。

縫い物をする祖母アナの肖像 1920年
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しかしダリの場合はいろんな画家の作風を真似たような作品も多かったのが特徴。「魔女たちのサルダーナ」はどうみてもマティスの「ダンス」からの影響ありありだし、「アス・ピアンクからのカダケスの眺望」はセザンヌとモネを掛け合わせたような絵だ。ダリというと破天荒な天才画家のイメージがあるが、意外と若い頃は勉強熱心だったようだ。

魔女たちのサルダーナ 1918年
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アス・ピアンクからのカダケスの眺望 1919年
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ラファエロ風の首をした自画像 1921年
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この作品になると、何からパクッたかをタイトルに堂々と明記(^^ゞ ただ、この絵とラファエロ自身が描いた自画像とは、少し首が長い以外はまったく違う画風。全体的な模倣は卒業して、一部にインスピレーションを得ても、自分の画風で描くと進化したのかもしれない。ちなみにダリはこの時16歳。


アス・リャネーの浴女たち 1923年
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ダリにしては貴重な?ノンビリした絵。これは点描だから、スーラとかの印象派の作品を意識していたのかな。


そしてダリは、当時の大きなムーブメントであったキュビスムにも手を広げている。

静物(スイカ) 1924年
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ピュリスム風の静物 1924年
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ピュリスムというのはキュビスムの次のムーブメントとされるが、あまりよく知らない。訳語は「純粋主義」。修正キュビスムみたいなものらしい。





作品を順番に見ていって、最初にダリらしいなと思ったのが次の作品。よく知っているというか、それしか知らないシュルレアリスムの彼の画風とはまったく違うのに、なぜダリらしいと思ったのか自分でも不思議。

裸婦 1924年
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巻き髪の少女 1926年
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これもシュルレアリスムじゃないけれど、すでにダリ・ワールドに半歩突入。うまく表現できないが、彼独特の広大かつ荒涼とした空間の雰囲気を強く感じる。


そしていよいよシュルレアリスムというコーナーに入ると、ダリ・ワールド全開の作品が並んでいた。


ーーー続く

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2016年11月18日

南条の里〜本栖湖〜河口湖 その2

(13日のツーリングの続き)


本栖湖北側から富士山の美しい眺めを堪能した後は、とはいっても狭い路肩に突っ立っていただけだが、Uターンして国道139号線に戻り河口湖を目指す。途中にある精進湖と西湖は今回スルー。139号線から分岐して西湖と河口湖の北側を走る県道21号線は湖北ビューラインと名付けられている。中には名ばかりのビューラインもあるが、この湖北ビューラインは本当に景色のいい道。特にこの季節は点在する紅葉を縫うように進んでいく。

今回の目的地の位置関係はこんな感じ。
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河口湖のもみじトンネル到着は午後3時。写真の左側が駐車場で空きスペースはあったけれど、ひっきりなしにクルマが出入りするので道路沿いに駐めることにした。
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まずは紅葉と河口湖と富士山のお約束三点セット。ススキも少しだけ写っている。
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湖北ビューラインは片側1車線の対面通行だが、ここだけ中央分離帯があり、そこにモミジが植えられている。東向きの車線はまさにモミジのトンネル状態。
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肝心のレッドオータムは、茶色は混じっておらず鮮やかなものの色がまだ少し薄い。やや朱色オータムといったところ。イエローオータムの色づきはしっかりしていたが、まだ緑のモミジも多く残っている。来るのが1週間ほど早かったかもしれない。
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でも、この赤・黄色・緑の競演はたまりません!!!
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話はそれるが、西洋絵画でモミジの紅葉を描いたものを見たことがない気がする。葉から透けて落ちてくる陽の光がきれいだから、印象派なんかの題材には適していると思うんだけれど。ヨーロッパにはモミジがないのか? メイプルシロップがあるから、そんなことはないはず。ナゾ



湖畔に降りる。狭いスペースだが降りてくる観光客はほとんどいないので貸し切り状態。
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ここにはベンチも適当な岩も何もないので、地ベタに腰を下ろして、釣り人や鴨を眺めながらしばしのリラックス&コーヒータイム。
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ところで、ご覧のようにさざ波が押し寄せてくるわけだが、その間隔が海の波と較べてとても早いことに気がついた。そうしたら海の波の間隔って場所や日によって違うのか同じなのか気になってきた。サーフィンで「乗れるサイズの波」が来る間隔が違うことは体験的に知っている。そうではなくて常に押し寄せるさざ波の話。考えているうちに頭の中が???になってグルグル回り出す。せっかくボケーッとリラックスしていたのに。
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富士山は何も教えてくれない(^^ゞ これはズームレンズを調節して目で見たのと富士山が同じサイズ感になるように撮ったもの。この迫力が富士山周辺まで来る醍醐味。
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まだ少し朱色ぽかったが、久し振りに茶色の混じっていない赤いモミジに満足して「もみじトンネル」を後にする。北側湖畔の東寄りにある、歩いてモミジを見て回る「もみじ回廊」のあたりはこの時間でもかなりの人出だった。中央自動車道・富士吉田線の河口湖インターへ至る道路の渋滞はいつも通り。本線に合流してからの渋滞もいつも通り(/o\) こればかりは仕方がない。出発時に心配した気温は昼頃から富士山周辺でも20度前後の陽気となり、この時期としては暖かかった。

午後6時半頃帰宅して、走行は333キロとゾロ目だったのでちょっとうれしい。


おしまい

wassho at 20:25|PermalinkComments(0)   *ツーリング | お花畑探訪

2016年11月13日

南条の里〜本栖湖〜河口湖

あちこちに紅葉を見に行ったが、私の好きな「茶色の混じっていない鮮やかな赤色のモミジ」がたくさんあるのは、河口湖がやはり一番だったというのが現在の認識。今まで河口湖には2回紅葉ツーリングをしている。同じ所を同じ目的でツーリングしないというのがポリシーである。今年はそれを曲げて鮮やかなレッドオータムを楽しむことにした。まあ既に2回訪れているのだから3度目もあったということで、私のポリシーなんてその程度。


でも河口湖で紅葉を見るだけじゃ芸がないのでひと工夫。それは富士宮市の下条という地区にある『富士山の形に植えられた「ざる菊」』。ここは去年、小田原の鈴木さんというお宅で初めてざる菊というものを見た後に、ざる菊のことをいろいろ調べていて知った。ちなみにざる菊とはザルをひっくり返したような丸い形に植えられた小菊のこと。


ルートは東名高速を御殿場ジャンクションで新東名に乗り換え、新富士インターで降りて富士宮市街を抜け、ざる菊のある南条の里へ。その後は富士山の西側を北上して本栖湖に立ち寄って河口湖に向かう。帰りは河口湖インターから中央自動車道。ルートのほとんどは高速道路なのだが、富士山は大きいので新富士インターから河口湖インターまで80キロほどある。そのほとんどが緩やかなカーブと富士山を眺めながら走れるルートなのでツーリングの満足度は高い。
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午前10時前出発。東京は最高気温20度越えの予報だったが、まだ13.5度だった。富士山の周りはかなり寒いのかと心配になる。東名高速に乗るには目黒通り〜環八と進む。ところがこの日は世田谷246ハーフマラソン大会というのが行われており、目黒通りが右折禁止になっていた。つまり環八に入れない。これは想定外の出来事。まあちょっと遠回りすればいいだけの話だが。

ところで市民マラソンを生で見たのは初めて。皆かなりヘロヘロで走っていた。大会ホームページを見ると目黒通りはコース終盤だし、午前8時半のスタートから計算すると、私が遭遇したのは制限時間の130分をクリアできるかどうかというレベルのランナーだったようだ。それにしてもジョギングをやめてから10年以上になるなあ。バイクばかり乗っていないで健康にいいことをしないとと、ツーリングしょっぱなから反省モード。


足柄サービスエリアで本日最初の富士山撮影。
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この季節の東名高速では厚木を超えた辺りからところどころで富士山が見える。先週に小田原へツーリングした時も見えたが、1週間で冠雪は5割くらい増えたような気がする。今年の冬は寒いというのは当たっているのかもしれない。ところで去年はこのサービスエリアにあったエヴァンゲリオンの展示やネルフ出張所(売店)はもうなくなっていた。なんとなく残念。


御殿場ジャンクションで東名から新東名に分岐する。2012年に開通当初の新東名を走った時は、いかにも「新築」といった路面の美しさを感じたが、4年経った現在では東名とあまり変わらないレベルになっている。また当時は道路と道路をつなぐ金具の段差のなさに感激した。しかし今回は乗り越える時に少しショックを感じた。高速道路というのは思っているより劣化のペースが速いのかもしれない。


新東名はところどころススキがたくさん生えている場所を通る。それを楽しんでいるうちに新富士インターに。そこからはナビに頼って走る。富士宮市の中心部を走るのはたぶん初めて。有名な富士宮焼きそばの看板が立ち並んでいるのかと思っていたが、ひとつも見なかった気がする。もっと駅前に行かないとお店はないのかな。しばらく走ると建物がまばらになって田舎的な風景に。お茶畑が多かった。お茶は斜面で栽培するイメージだがそうでもないみたい。


ざる菊を紹介するホームページには所在地が「静岡県富士宮市下条806-1(土井ファーム)」と書かれていた。今回は住所をナビに打ち込み土井ファームという牧場に着いた。しかし周りにざる菊が見あたらない。付近を少し走ってみてもそれらしいところを発見できず。ちょうど畑で農作業をしているオバサンがいたので尋ねてみると「このあたりじゃないと思いますよ。先ほども尋ねられたけど。この先にあるお寺で聞いてみれば」との答え。地元ではあまり有名じゃないらしい。

お寺に行ってみたが建物が奥の方にあったので、土井ファームに引き返して併設されているカフェで尋ねてみた。ざる菊を探してここに来る人が多いみたいで、カフェでは用意された略図を使って説明してくれた。店員さんはとても親切。ジェラードが名物のようだが、アイスクリームを食べるには少し涼しかったのでお礼だけ言って退散。

ざる菊は土井ファームからバイクでなら1〜2分離れた牧野酒造という蔵元の近くにある。住所は下条1037。

というわけでようやくざる菊園に到着。時刻は午後1時過ぎ。
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下条にあるのに南条の里とはこれいかに。ホームページによると南条というのは鎌倉時代にこの地を治めていた地頭の名前とのこと。
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富士山を背景にざる菊はキレイだったが「富士山の形」には見えなかった。
脚立が用意されていたのでそれに登ってみる。
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やっぱり富士山には見えない(/o\) もっと脚立の上まで登ればよかったかもしれないが、グラグラしていたしカメラを持っていて片手でしか支えられなかったので断念。
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畑の中に入ると、こんなシャレの効いた看板が(^^ゞ
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赤のざる菊は写真ではサマになっているけれど、実際はかなり見頃過ぎの感じ。
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他の色はきれいだった。
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ざる菊の内部構造がわかる貴重な写真かも。
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こちらの山頂から見たほうが富士山の形にしようとした意図がよくわかるかな。
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イメージしていたより小規模なざる菊園だった。これだけを目的にツーリングやドライブをすることは薦めないが、近くを通る時に話のネタに立ち寄るにはいいんじゃないかな。


南条の里から見える富士山をアップで。中腹はかなり赤富士っぽく見える。
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南条の里を後にして適当に走っていたら富士山西側のメイン道路である国道139号線に出た。途中で静岡県道71号〜75号にそれてしまったが、そのまま進めばまた139号線と朝霧高原あたりで合流する。朝霧高原では草原越しに遮るものなく富士山を眺められる。道路には途中いくつか駐車スペースがあって、多くの人が富士山を眺めたり写真を撮っている。でも反対車線側だったので停まらなかった。

停まらなかったもう1つの理由は、草原がこの季節は茶色だから。ここで写真を撮るなら草原が青々した季節でしょーーーという気持ちも少しあった。でも朝霧高原を少しすぎてから気がつく。草原が青い頃には富士に雪がない!


本栖湖の湖畔到着。
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湖畔に立ち寄ったのはオシッコ休憩のため。
ここは東側湖畔で富士山も見えないので水辺までは近づかず。
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湖畔に降りる道で記念撮影。通っている時は木々の色づきがキレイに思えたのに、写真に撮ってみるとそうでもなかった。
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湖畔を離れたら、本栖湖の北側を走る本栖みちと呼ばれる国道300号を少し走り、こんな狭い路肩にバイクを無理やり駐める。
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それはここから眺める富士山が抜群に美しいから。
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本当はもう少し先に中ノ倉展望台というものがあり、そこからだと千円札に描かれているのと同じ構図で富士山を眺めることができる。いわば本栖湖撮影の定番スポット。でも湖畔から30分ほど獣道のような登山道を上らなければならない。もっといいカメラに買い換えでもしたらチャレンジすることにしよう。


BMW F800Rとのツーショットも忘れずに。
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ーーー続く

wassho at 22:04|PermalinkComments(0)   *ツーリング | お花畑探訪

2016年11月11日

大磯漁港・照ヶ崎海岸

小田原フラワーガーデンを後にして県道74号で小田原駅近くを通り、国道1号に入って大磯に向かう。立ち寄る海岸を大磯にしたのは、ひょっとしたら海を挟んで富士山が見えるかなと期待して。

小田原から大磯にかけての1号線は片側1車線で、道路沿いに微妙にひなびた建物があったりしていい雰囲気。なぜかここを走ると季節にかかわらず、子供の頃の夏休みの気分を思い出すのが不思議。しかし常に渋滞している。交通量もそこそこあるのだが、とてもゆっくり走るクルマが多いのも原因だと思う。この辺の人はノンビリしているのかな。超低速車が前にいたらちょっと強引にでも抜かないとペースが上がらないので、ここは瞬時の判断力が必要な道路でもある(^^ゞ


大磯漁港到着。500台規模の駐車場があるが、バイクは入れないみたいなので、車止めの横をすり抜けたりして奥に進み、この岸壁にいつも駐めている。
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正面の建物が漁港の事務所かな。
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釣りを楽しむ人多数。
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漁船を眺めるのが意外と好き。
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1隻出港していった。漁って朝早くに出かけるイメージがあるけれど違うのかな。
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バイクを駐めた漁港から少し離れたところには、家族連れで釣りをしている人が多かった。漁港奥の防波堤にいるのはもう少しマニア度の高そうな釣り人。でも私がこのあたりをブラブラしている間に、魚を釣り上げたところは一度も見なかったから、腕前は五十歩百歩なのかも。
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防波堤の切れ目。ここから漁船が出入りする。奥の突堤の向こう側がサーフィンのできる北浜。ここから見た限りあまり波もなさそうだったので、この日は足を伸ばさず。
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大磯には3つの海岸がある。西側の旧吉田茂邸跡辺りが「こゆるぎの浜」。境目がよくわからないが東に進むと、それが照ヶ崎海岸と呼ばれる。そして大磯漁港を挟んでさらに東が北浜。なぜ東じゃなくて北浜なのかはナゾ。
地図大磯

一般に大磯海岸と呼ばれるのは北浜。サーフィンのポイント的には大磯メインとか大磯高校前とか場所によって細かく名前が変わる。また大磯ロングビーチというのは、旧吉田邸跡の近くにある大磯プリンスホテルのプール施設の名前で海岸とは関係ない。



漁港とは反対側の突堤の上を通って照ヶ崎海岸に行く。
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写真の右側ギリギリ辺りに富士山があるのだが、この日は見えなかった。往きの東名から富士山がキレイに見えたので期待していたのに残念。逆光なので実際より暗く写っている。
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海岸の一番東側は岩ゴツゴツな風景。
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海岸に降りてブラブラしたり、海を眺めてボーッとしたり。
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上の写真だと砂浜っぽく見えるが、波打ち際に岩があったりする。
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海の景色も何となく冬が近いイメージ。
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真ん中で折れたサーフボードが捨ててあった。照ヶ崎では普段サーフィンしている人はいないが、大きな波が来た時にトライしたのかな。それにしてもマナーのなっていないサーファーである。
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国道1号の江ノ島方向はさらに渋滞がひどくなっていたので、西湘バイパスで二宮まで戻る。ただし西湘バイパスは大磯から二宮までは無料区間なのだが、下り(小田原方向)は二宮インターに出口がないため大磯ロングビーチ出前の分岐で降りることになる。少し1号線を走って、二宮から県道71号線で北上し秦野中井インターから東名。事故渋滞と自然渋滞があったが、なんとか切り抜けて午後5時過ぎに帰宅で走行175キロ。目的地とルート共に新鮮味のないツーリングではあったが、バラと海でそれなりに楽しめた。


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おしまい

wassho at 07:47|PermalinkComments(0)   *ツーリング 

2016年11月06日

小田原フラワーガーデンで秋バラ

天候不順だったり、グズグズしていたりで秋バラのシーズンを逃してしまった。こんな時に強い味方なのが小田原フラワーガーデン。ここの秋バラは比較的遅くに咲く。そういう品種を選んでいるのか、あるいは小田原は暖かくて秋の訪れが遅いからなのかは不明。しかし小田原フラワーガーデンは去年も訪れたし、実は今年は天候不順が幸いして他のバラ園でもまだ咲いているところが多い。それで少し迷ったが、まだ見られるというバラ園より、これから見頃になるバラ園のほうがきれいな状態の花が多いだろうという判断。帰りには海岸に立ち寄りたいという気持ちもあった。


往きは大井松田インターで降り、帰りは秦野中井のインターから東名に入るルート。この2つのインターチェンジのそばには南足柄広域農道と、やまゆりラインというお気に入りのクネクネ道がある。でも今回はどちらもパス。特に理由はないが、毎回同じルートだとつまらないという気持ちが働いたのかもしれない。
地図小田原


午前10時半頃出発。気温は18度くらいだったが、日差しが強かったので革ジャンの下はトレーナー+厚手のシャツ+下着という組み合わせ。東名に入ると21〜22度くらいになる。話は変わるが高速道路は夏も冬も一般の道より気温が高い。遮るものは何もなく風通しは抜群なのになぜ暑いのか不思議だったが、どうも高速道路では影ができないので日中はずっと太陽熱で道路が暖められているかららしい。


朝ご飯は食べたのになぜかお腹が空いてきて、途中のパーキングエリアでソバを食べたりして12時半頃に小田原フラワーガーデン到着。駐車場はかなり埋まっていたが、ここはバイクや自転車用のスペースがないので1台で堂々と。
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ローズフェスタ開催中。
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中央の広場には噴水がある。
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お約束のシャッタースピード早めでの水しぶき写真。
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広場の奥に一段高くバラが植えられている。
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斜面に植えられているのはマリーゴールドとポーチュラカ。
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マリーゴールドはキレイだったが、ポーチュラカはまだこれから。
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バラゾーンに上がる。
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看板に偽りなく、このバラはとてもいい香りがした。しかし香りの種類のネーミングに「ブルー」って説明努力放棄(^^ゞ まあ何ともいえないいい香りなのは確かであるが。
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毎度毎度同じようなアップの写真だけれど。
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この品種は1つの株で微妙に色の違う花を咲かせていた。
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バラ園に行くとバラの香りが漂っている場合と、花に鼻を近づけてクンクンしないと香りを感じられない場合がある。風が強い場合は仕方がないが、そうでなくても香りが漂っていないことも多いのが不思議。でもこの日はクンクンせずとも香りを楽しめて満足。


小田原フラワーガーデンのバラ園はそれほど大きな規模ではなく、ここの敷地の半分は梅林である。この日は梅林の一部を少し歩いた程度。梅のシーズンに訪れたことはないので、来年の観梅はここにしようかな。
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バラゾーンの先に大きなドームがあって、
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下から覗く。
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紅葉している木はあまりなかった。
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でも落ち葉に秋の終わりを感じるかな。
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天気は抜群によく暑くてトレーナーを途中で脱いだくらい。それで当然、好物の下からアオって青空を背景にした写真も撮るわけだけれど、雲ひとつないと青い画用紙のようになってしまう(/o\)
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密集した感じも記録に残したいのだが、例によって私のカメラの望遠サイズでは中途半端にしか風景を切り取れない。
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まるで春の陽気のようなポカポカ天気のもとで、きれいなバラを見て、いい香りを嗅いで普段のバラ鑑賞より幸せな気分。やっぱり香りの要素は大きいかな。


ーーー続く

wassho at 23:10|PermalinkComments(0)   *ツーリング | お花畑探訪

2016年11月05日

ベランダ・チューリップ2016総集編その2(いまさらながら)

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5月2日に総集編その1をアップしてから、その続編をすっかり書き忘れていたことに気がついた。次に何を書こうとしていたのか、今となっては思い出せないので、まあ適当にそれまで載せていない写真を並べてておく。なお2016年シーズンというのは去年の秋に球根を植えて今年の春に咲いたチューリップのこと。


2015年シーズンの開花率25%というさんさんたる結果に較べればマシとはいえ、2016年も57%と振るわなかった。いろいろ土作りを工夫したのにーーー。おそらく一番の原因は暖冬。チューリップにとって冬は寒ければ寒いほどいいらしい。そして暖冬の影響で茎の長さが短かったのも今年の特徴。中にはこんな一頭身チューリップもできて、そういうのは初めての体験。
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さて悪い話は忘れて、今年よかったのが初めて植えたフリンジ咲きのチューリップ。フリンジというのは花びらの先のギザギザのこと。
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ピンクのフリンジ咲きは花の中に青い線がある。
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これはマリリンという品種。
可憐な感じがよかったが、すぐにガバーッと開いてしまうのが難点。
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フレーミングパロットという品種はゴージャスだった。
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コイツは芽の段階から「他とは違うぞ」というオーラを放っている。
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ただし残念ながら8球植えて咲いたのは1つだけで、しかもプランターの隅に咲いたので、キレイに見えるアングルで撮ることができず。


写真を見返してみるとアップで撮った写真は意外に少なかった。
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こういう風に光が差し込んでいる写真を撮るようにしているのだが、それも少なかった。
まああまり日当たりのよくないベランダで育てているのだから仕方がない。
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花の命は短くてーーー。キレイだったチューリップもいずれこうなる。
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でも私のチューリップ鑑賞期間はたぶん人より長い。なぜなら朽ち果てていく花を眺めるというヘンタイ趣味があるから(^^ゞ

花粉!
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雌しべ!
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既に乾燥してる。
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真上から見るのも楽しい!
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本当は雄しべや雌しべ単体で眺めるのではなく、こんなふうに花びらも含めて、たまにおもしろい形になるのを見つけるが好き。ただ肉眼ではいい形に見えても、写真に撮ってみるとなぜかイマイチな場合も多い。というわけでご紹介は1つだけ。
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総集編を書き忘れていることを思い出したのは、お気づきかもしれないが次シーズンの球根を買ったから。実は25%、57%と2年連続して開花率が悪かったので、モチベーションが上がらず、1回休もうかとも考えていたが、つい惰性でーーー。それで今回は品種の選び方をガラッと変えてみた。その話はいずれそのうち。

wassho at 22:16|PermalinkComments(0)   *チューリップ