2016年12月
2016年12月30日
7年10ヶ月ぶりの機種変更
タイトル通り実に7年10ヶ月ぶりにケータイを機種変更した。買い換えたのは2009年1月31から使っているドコモのガラケーである。
もう1台ソフトバンクで契約したiPhoneもあって、ケータイはいわゆる2台持ちというスタイルで今まで使ってきた。メインというか私にとってオフィシャルなのはドコモ。主に通話用でメールもたまに使う。いっぽうiPhoneの電話番号やメールアドレスは災害でも起きてドコモがダウンした時の非常連絡用に家族に伝えてある程度で、私もアドレス帳を見ないとわからないほど。こちらは携帯音楽プレーヤーとしての用途が一番多く、その他にはLINEでのやりとりなど。もちろん移動中にニュースなどは見るし、バイクツーリングで地図や渋滞情報を調べたり、たまには写真を撮ったりもするけれど、いろんなアプリを駆使してスマホで何でもこなすという使い方ではない。スマホよりパソコンがなくなった方が困るという昭和のオトコなのである(^^ゞ
それでドコモのガラケー。通話とたまのメール程度だから機能・性能に不満があるはずもない。一度大きく故障したものの、その後は問題なし。何度か交換した電池は、最近またへたり気味になっているが、毎晩充電するのが日課になってきたので急を要する事態でもない。昔のケータイと違って、これの前に使っていた機種あたりからボディにあまり傷がつかなくなってきたから、見た目もそんなにボロくない。だから、よほどどこかが大きく壊れない限り、ひょっとしてこれを使い続けるのかもしれないなどとも思っていた。
でもやっぱり壊れる時はきた。それは突然ではなく実にジワーッと壊れた。私のガラケーはスライド式なので、スライドさせると液晶画面が点灯する。2年位前から最初わずかに照度が低く点灯しだした。でもほとんど瞬時に通常の明るさになる。それが最初の照度がどんどん低くなり、通常の明るさに復帰するのにますます時間がかかるように症状が進行。
現在、スライドさせた時点ではほぼ真っ暗で、なんとか画面を読み取れる明るさになるまで1分近くかかるようになってしまった(/o\) 他の機能には異常はなく液晶画面が暗くても電話はできる。しかし、かかってきた電話が誰からかわからないし、電話をかける時もアドレス帳を見られるようになるまで待たされる。それでそろそろ潮時かと。
実はケータイに対する不満はiPhoneのほうが大きかった。これも5年と1ヶ月になる。我ながら物持ちがいい(^^ゞ 機種はiPhone4S。OSは発売当時のiOS 5.11からバージョンアップさせていない。iOS 6から搭載されたアップルの地図の出来が悪く、それがようやくまともになったiOS 7でアイコンのデザインが一新されて、フラットデザインと呼ばれるブサイクなアイコンになったというのがその理由。
iOS 5のiPhone画面
iOS 7のiPhone画面
そのうち悔い改めるかと思ったが、現在のiOS 10もフラットデザイン継続中。
デザインも気に入らなかったしiOS5でも機能的に不足はなかったのでバージョンアップしなかったのだが、新しいアプリをインストールしようとすると「iOS6以上が必要です」といわれることが多くなり、現在は新規インストールはまったく不可能。またインストールしてある既存アプリのバージョンアップもできなくなった。
それだけならまだ我慢できたが、いくつかのアプリの動作がおかしくなってきた。例えばtenki.jpの天気予報アプリは5月31日の予報で止まったままである。まったく動いていないのではなく、現在の気温などは正しく表示されるのに。またLINEのスタンプは新しいものが使えなくなってしまった。
それじゃとようやくiOSのアップデートを試みると、なぜか「インターネットへの接続が解除されているため」という理由で拒否される。もちろんインターネットにはつながっている。あれこれ調べて回避策にトライもしてみたが結果は同じ。
というわけで今回のドコモ機種変更はガラケーからiPhoneに。そしてソフトバンクのiPhoneは近々解約する予定。実は機種変更手続きで想定外のトラブルに見舞われ、それがきっかけで節約できたような無駄遣いしたようなお買い物となった。そんな話はいずれ後ほど。
ーーー続く(来年しばらくしてから)
もう1台ソフトバンクで契約したiPhoneもあって、ケータイはいわゆる2台持ちというスタイルで今まで使ってきた。メインというか私にとってオフィシャルなのはドコモ。主に通話用でメールもたまに使う。いっぽうiPhoneの電話番号やメールアドレスは災害でも起きてドコモがダウンした時の非常連絡用に家族に伝えてある程度で、私もアドレス帳を見ないとわからないほど。こちらは携帯音楽プレーヤーとしての用途が一番多く、その他にはLINEでのやりとりなど。もちろん移動中にニュースなどは見るし、バイクツーリングで地図や渋滞情報を調べたり、たまには写真を撮ったりもするけれど、いろんなアプリを駆使してスマホで何でもこなすという使い方ではない。スマホよりパソコンがなくなった方が困るという昭和のオトコなのである(^^ゞ
それでドコモのガラケー。通話とたまのメール程度だから機能・性能に不満があるはずもない。一度大きく故障したものの、その後は問題なし。何度か交換した電池は、最近またへたり気味になっているが、毎晩充電するのが日課になってきたので急を要する事態でもない。昔のケータイと違って、これの前に使っていた機種あたりからボディにあまり傷がつかなくなってきたから、見た目もそんなにボロくない。だから、よほどどこかが大きく壊れない限り、ひょっとしてこれを使い続けるのかもしれないなどとも思っていた。
でもやっぱり壊れる時はきた。それは突然ではなく実にジワーッと壊れた。私のガラケーはスライド式なので、スライドさせると液晶画面が点灯する。2年位前から最初わずかに照度が低く点灯しだした。でもほとんど瞬時に通常の明るさになる。それが最初の照度がどんどん低くなり、通常の明るさに復帰するのにますます時間がかかるように症状が進行。
現在、スライドさせた時点ではほぼ真っ暗で、なんとか画面を読み取れる明るさになるまで1分近くかかるようになってしまった(/o\) 他の機能には異常はなく液晶画面が暗くても電話はできる。しかし、かかってきた電話が誰からかわからないし、電話をかける時もアドレス帳を見られるようになるまで待たされる。それでそろそろ潮時かと。
実はケータイに対する不満はiPhoneのほうが大きかった。これも5年と1ヶ月になる。我ながら物持ちがいい(^^ゞ 機種はiPhone4S。OSは発売当時のiOS 5.11からバージョンアップさせていない。iOS 6から搭載されたアップルの地図の出来が悪く、それがようやくまともになったiOS 7でアイコンのデザインが一新されて、フラットデザインと呼ばれるブサイクなアイコンになったというのがその理由。
iOS 5のiPhone画面
iOS 7のiPhone画面
そのうち悔い改めるかと思ったが、現在のiOS 10もフラットデザイン継続中。
デザインも気に入らなかったしiOS5でも機能的に不足はなかったのでバージョンアップしなかったのだが、新しいアプリをインストールしようとすると「iOS6以上が必要です」といわれることが多くなり、現在は新規インストールはまったく不可能。またインストールしてある既存アプリのバージョンアップもできなくなった。
それだけならまだ我慢できたが、いくつかのアプリの動作がおかしくなってきた。例えばtenki.jpの天気予報アプリは5月31日の予報で止まったままである。まったく動いていないのではなく、現在の気温などは正しく表示されるのに。またLINEのスタンプは新しいものが使えなくなってしまった。
それじゃとようやくiOSのアップデートを試みると、なぜか「インターネットへの接続が解除されているため」という理由で拒否される。もちろんインターネットにはつながっている。あれこれ調べて回避策にトライもしてみたが結果は同じ。
というわけで今回のドコモ機種変更はガラケーからiPhoneに。そしてソフトバンクのiPhoneは近々解約する予定。実は機種変更手続きで想定外のトラブルに見舞われ、それがきっかけで節約できたような無駄遣いしたようなお買い物となった。そんな話はいずれ後ほど。
ーーー続く(来年しばらくしてから)
2016年12月27日
ベンジャミンの挿し木 その3
5月15日にベンジャミンの挿し木に挑戦し、1回は失敗したもののセオリー通り土ではなく赤玉だけのポットに挿すことで、7月にはなんとか2本が発根したことを以前に書いた。
時期は忘れてしまったが、ほどなく残りの2本も無事発根。しかし合計4本のうち1本は早々に枯らしてしまう。そいつは枝がY字型というか変形トの字型で片方にしか葉がなかった。幹になったら1本でまっすぐ伸びてくれないと困るので、葉のあるほうの枝を切り取って残りの枝の横に挿した。発根していない状態では土ではなく赤玉ということはわかっていたが、つい横着。案の定それは枯れてしまい、葉がないほうの枝に葉芽が出ることもなく、そちらも枯れてしまった(>_<)
でもまだ3鉢あった。それらはまったく大きくはならないのだけれど、とりあえず見た目は元気な感じで夏が過ぎ、秋が過ぎ。そして11月の中頃にベランダから部屋の中に移した。するとだんだんと弱り始めーーー
これは12月23日の写真。
回復するとは思えなかったので、引き抜いて成仏させてあげる
Ω\ζ゜)チーン
唯一残った鉢。萎れている葉もあるが、とりあえずまだ生命力は感じる。
しかし7月10日に赤玉から土に植え替えた時から半年近く経っているのに、
まったくといっていいほど成長していない。
こちらが7月10日の写真。
最初はこんなものなのか、あるいは現時点でもう失敗しているのかはよくわからない。何となく後者のような予感が(/o\)
幸いなことに、とても弱ってきたので20年振り位にサイズアップしたプランターに植え替えた親木のベンジャミンは、その後に元気を取り戻しまたたくさんの葉を付けるようになった。だから今回がダメでも、挿し木は何度でもチャレンジできる。
時期は忘れてしまったが、ほどなく残りの2本も無事発根。しかし合計4本のうち1本は早々に枯らしてしまう。そいつは枝がY字型というか変形トの字型で片方にしか葉がなかった。幹になったら1本でまっすぐ伸びてくれないと困るので、葉のあるほうの枝を切り取って残りの枝の横に挿した。発根していない状態では土ではなく赤玉ということはわかっていたが、つい横着。案の定それは枯れてしまい、葉がないほうの枝に葉芽が出ることもなく、そちらも枯れてしまった(>_<)
でもまだ3鉢あった。それらはまったく大きくはならないのだけれど、とりあえず見た目は元気な感じで夏が過ぎ、秋が過ぎ。そして11月の中頃にベランダから部屋の中に移した。するとだんだんと弱り始めーーー
これは12月23日の写真。
回復するとは思えなかったので、引き抜いて成仏させてあげる
Ω\ζ゜)チーン
唯一残った鉢。萎れている葉もあるが、とりあえずまだ生命力は感じる。
しかし7月10日に赤玉から土に植え替えた時から半年近く経っているのに、
まったくといっていいほど成長していない。
こちらが7月10日の写真。
最初はこんなものなのか、あるいは現時点でもう失敗しているのかはよくわからない。何となく後者のような予感が(/o\)
幸いなことに、とても弱ってきたので20年振り位にサイズアップしたプランターに植え替えた親木のベンジャミンは、その後に元気を取り戻しまたたくさんの葉を付けるようになった。だから今回がダメでも、挿し木は何度でもチャレンジできる。
2016年12月23日
フレンチプレス その2
フレンチプレスの使い方は簡単である。
1.ポットの中に粗目に挽いたコーヒー豆を入れる。
2.お湯をポットに注ぐ。
3.フィルターを引き揚げた状態で上蓋をはめる。
4.4分待つ。
5.フィルターを押し下げる。
6.カップにコーヒーを注ぐ。
これだけで基本的にテクニックは必要ない。誰が淹れても同じレベルになるのがフレンチプレスのいいところ。お湯を一気に全部注ぐ、あるいは最初はドリップの時のように蒸らす程度に入れる、お湯を注いでからスプーンでかき混ぜるなど、いろいろ試してみたがほとんどコーヒーの味は変わらない。
ドリップだと低めの温度のお湯で入れると甘みが出て、高めだと苦みが強くなるが、そういう差もなぜかあまりでない。お湯に浸している時間が長いからかな。しいていえば豆の挽き度合い。使っているミルの目盛りは8まであるが、今のところ6に設定。ちなみにマキネッタの時は2で、ペーパードリップでは3.5にしている。
言葉で味の表現は難しいが、ペーパードリップとマキネッタで作るカフェ・アメリカーノの中間くらいのイメージで、やや深めでまろやかな味となる。ドリップで丁寧に入れた時のような繊細さやキレのよさはない。フレンチプレスで繊細さを出すテクニックをひとつ思いついているのだが、まだ試していない。
ところで新たに購入したフレンチプレス器具の容量は500ml。マグカップ2杯分用として選んだことは前回のエントリーに書いた。でも、これが微妙に小さかった。私はカップの上までナミナミと注ぐのが好きなので、500mlだと2杯目の時に1センチほど足りなくなる。買ったのはボダム(メーカー名)のコロンビアという製品で、容量は350ml〜500ml〜1000ml〜1500mlという区分。500mlでは足りないかなあ、でも大は小を兼ねるといっても1000mlじゃ大きすぎるしと悩んでの選択だった。実は他のメーカーも同じような容量区分のラインナップだったと認識していたのだが、今改めて調べてみると600mlとか800mlを出しているメーカーもあった(>_<)
金属製のフレンチプレスを選んだのは、前回に書いたようにガラス製だとすぐ割ってしまうのが一番の理由。もうひとつは魔法瓶構造による保温性も魅力だった。フレンチプレスは好みによるが4分ほどコーヒー豆をお湯に浸すことになる。ガラス製だとその間に冷めそうな気がしたから。でも、この保温機能がショボかった。上蓋は魔法瓶構造になっていないし、ポット部分もお湯を入れて触ると熱くなっているから保温性能は推して知るべし。続けてお代わりを飲む場合は大丈夫でも、30分ほど間隔が空くと温め直したくなる。
また上蓋にはプラスティック製の内蓋のようなものがついており、その一部にスリットが切ってあって、そこを通ってコーヒーが注ぎ口に流れていく仕組み。
(こちらの写真を参照)
先ほど書いたように容量が足りないのでポットにはギリギリこぼれないレベルまでお湯を入れている。スリットと注ぎ口の位置が一致していると、上蓋をセットした時やフィルターを押し込む時にお湯があふれ出してしまう。だからスリットは注ぎ口と違う向きにしておいて、カップに注ぐ時に上蓋を回してスリットの位置を注ぎ口に揃えている。上蓋は魔法瓶構造ではなく単なる金属板だから、とても熱くなっており、それを回す時に指がアッチッチとなる。これが目下の最大の悩み。
フレンチプレスの欠点は抽出し終えたコーヒー豆を捨てにくい点だろう。ペーパードリップならフィルターごと捨てられるし、マキネッタもバスケットと呼ばれる部分でコーヒー豆が湿って固まっているので、ゴミ箱の上でそれを降ればポトリと落ちる。フレンチプレスの場合はかなり水分を含んだ状態のコーヒー豆であり、ポットを逆さまにしても全部は落ちてこない。手でゴミ箱にかき出したとしたら水もゴミ箱に入るし、完全にコーヒー豆を捨てたいなら、さらに水を足してゆすぐようにして捨てなければならない。シンクに三角コーナーがあればそこで処理すればいいが私の家では使っていない。
それでどうしているかというと、そのままシンクにバシャーッと(^^ゞ 最初は少し気になっていたが、数ヶ月ほぼ毎日使って排水溝が詰まることもないから大丈夫みたい。
フレンチプレスのフィルターは金属のメッシュでできている。
かなり目は細かいが、フィルターを細かなコーヒー豆がすり抜けることもあるし、フィルターの縁からコーヒーに混ざることもある。それが気になる人はカップに注ぐ時に茶こしを使うといいだろう。私は気にならないタイプのつもりだったが、試しに使ってみると、やっぱりコーヒー豆が混じっていない方が快適なので、今は使うことが多い。
それである時に気がついた。フレンチプレスはポットでお湯にコーヒー豆を浸して、抽出したコーヒーに豆が混ざらないように金属のメッシュを挟んだだけの構造である。それだったら、急須と茶こしの組み合わせと同じじゃないか!!!
まだ試していないけれど、そのうち急須でコーヒーを淹れてみようと思っている(^^ゞ
おしまい
1.ポットの中に粗目に挽いたコーヒー豆を入れる。
2.お湯をポットに注ぐ。
3.フィルターを引き揚げた状態で上蓋をはめる。
4.4分待つ。
5.フィルターを押し下げる。
6.カップにコーヒーを注ぐ。
これだけで基本的にテクニックは必要ない。誰が淹れても同じレベルになるのがフレンチプレスのいいところ。お湯を一気に全部注ぐ、あるいは最初はドリップの時のように蒸らす程度に入れる、お湯を注いでからスプーンでかき混ぜるなど、いろいろ試してみたがほとんどコーヒーの味は変わらない。
ドリップだと低めの温度のお湯で入れると甘みが出て、高めだと苦みが強くなるが、そういう差もなぜかあまりでない。お湯に浸している時間が長いからかな。しいていえば豆の挽き度合い。使っているミルの目盛りは8まであるが、今のところ6に設定。ちなみにマキネッタの時は2で、ペーパードリップでは3.5にしている。
言葉で味の表現は難しいが、ペーパードリップとマキネッタで作るカフェ・アメリカーノの中間くらいのイメージで、やや深めでまろやかな味となる。ドリップで丁寧に入れた時のような繊細さやキレのよさはない。フレンチプレスで繊細さを出すテクニックをひとつ思いついているのだが、まだ試していない。
ところで新たに購入したフレンチプレス器具の容量は500ml。マグカップ2杯分用として選んだことは前回のエントリーに書いた。でも、これが微妙に小さかった。私はカップの上までナミナミと注ぐのが好きなので、500mlだと2杯目の時に1センチほど足りなくなる。買ったのはボダム(メーカー名)のコロンビアという製品で、容量は350ml〜500ml〜1000ml〜1500mlという区分。500mlでは足りないかなあ、でも大は小を兼ねるといっても1000mlじゃ大きすぎるしと悩んでの選択だった。実は他のメーカーも同じような容量区分のラインナップだったと認識していたのだが、今改めて調べてみると600mlとか800mlを出しているメーカーもあった(>_<)
金属製のフレンチプレスを選んだのは、前回に書いたようにガラス製だとすぐ割ってしまうのが一番の理由。もうひとつは魔法瓶構造による保温性も魅力だった。フレンチプレスは好みによるが4分ほどコーヒー豆をお湯に浸すことになる。ガラス製だとその間に冷めそうな気がしたから。でも、この保温機能がショボかった。上蓋は魔法瓶構造になっていないし、ポット部分もお湯を入れて触ると熱くなっているから保温性能は推して知るべし。続けてお代わりを飲む場合は大丈夫でも、30分ほど間隔が空くと温め直したくなる。
また上蓋にはプラスティック製の内蓋のようなものがついており、その一部にスリットが切ってあって、そこを通ってコーヒーが注ぎ口に流れていく仕組み。
(こちらの写真を参照)
先ほど書いたように容量が足りないのでポットにはギリギリこぼれないレベルまでお湯を入れている。スリットと注ぎ口の位置が一致していると、上蓋をセットした時やフィルターを押し込む時にお湯があふれ出してしまう。だからスリットは注ぎ口と違う向きにしておいて、カップに注ぐ時に上蓋を回してスリットの位置を注ぎ口に揃えている。上蓋は魔法瓶構造ではなく単なる金属板だから、とても熱くなっており、それを回す時に指がアッチッチとなる。これが目下の最大の悩み。
フレンチプレスの欠点は抽出し終えたコーヒー豆を捨てにくい点だろう。ペーパードリップならフィルターごと捨てられるし、マキネッタもバスケットと呼ばれる部分でコーヒー豆が湿って固まっているので、ゴミ箱の上でそれを降ればポトリと落ちる。フレンチプレスの場合はかなり水分を含んだ状態のコーヒー豆であり、ポットを逆さまにしても全部は落ちてこない。手でゴミ箱にかき出したとしたら水もゴミ箱に入るし、完全にコーヒー豆を捨てたいなら、さらに水を足してゆすぐようにして捨てなければならない。シンクに三角コーナーがあればそこで処理すればいいが私の家では使っていない。
それでどうしているかというと、そのままシンクにバシャーッと(^^ゞ 最初は少し気になっていたが、数ヶ月ほぼ毎日使って排水溝が詰まることもないから大丈夫みたい。
フレンチプレスのフィルターは金属のメッシュでできている。
かなり目は細かいが、フィルターを細かなコーヒー豆がすり抜けることもあるし、フィルターの縁からコーヒーに混ざることもある。それが気になる人はカップに注ぐ時に茶こしを使うといいだろう。私は気にならないタイプのつもりだったが、試しに使ってみると、やっぱりコーヒー豆が混じっていない方が快適なので、今は使うことが多い。
それである時に気がついた。フレンチプレスはポットでお湯にコーヒー豆を浸して、抽出したコーヒーに豆が混ざらないように金属のメッシュを挟んだだけの構造である。それだったら、急須と茶こしの組み合わせと同じじゃないか!!!
まだ試していないけれど、そのうち急須でコーヒーを淹れてみようと思っている(^^ゞ
おしまい
2016年12月22日
フレンチプレス
2012年にマキネッタという器具でコーヒーを淹れていることを書いた。それでイタリアンなアメリカンであるカフェ・アメリカーノを楽しんでいる。ただし少々ヘビーなコーヒーとなるので、朝に飲むコーヒーには普通のペーパードリップでという使い分けをしてきた。
でも数ヶ月前からペーパードリップはやめて、おもにフレンチプレスを使っている。こういう仕組みの器具なのだが日本での知名度はあまり高くない。なぜか紅茶をこれで出す喫茶店とかもある。しかし紅茶にこの器具を使うのは日本だけの風習のようである。フレンチプレスはヨーロッパでは広く普及していて、映画やドラマのキッチン・シーンでも何度か見たことがある。ちなみにフランスではフレンチプレスとは呼ばないらしいのがおもしろい。
ドリップからフレンチプレスに替えたのは、マキネッタを使い出してからだんだんとドリップで淹れるコーヒーに物足りなさを感じてきたから。マキネッタはカフェ・アメリカーノというお湯割りにしているとはいえ、エスプレッソベースだから濃いめのコーヒーとなる。でもドリップと比較しての物足りなさとは味の濃い薄いとは関係ない。
ポイントはコーヒーオイル。ピーナッツほどじゃないけれどコーヒー豆にも油分が含まれている。コーヒーを淹れる時にそれも抽出される。しかしペーパードリップ、ネルドリップ、サイフォンなど繊維系のフィルターを使う器具では、お湯に溶け出した油分がそこで漉されてしまいコーヒーの中には残らない。マキネッタやフレンチプレスは穴やメッシュの金属フィルターなので、コーヒーオイルも含まれたコーヒーが出来上がるという理屈。
それでこのコーヒーオイルが、結構コーヒーの味を左右する存在と気付いたわけ。具体的にはコーヒーオイルによって甘みが増すように私には感じられる。甘みといっても砂糖のような甘みではないが、説明しにくいので省略。
実は以前からフレンチプレスの器具は持っていた。これは上蓋に開閉式の飲み口がついていて、そこから直接コーヒーを飲むことのできるポータブルタイプ。買ったのはかなり前で、なんのために買ったのか、そしてなぜほとんど使っていなかったのかも思い出せない。でもある日、これが家にあることに気づきフレンチプレスのよさを再確認したしだい。
たぶんアウトドア用に買ったと思われるポータブルタイプのフレンチプレスは容量350ml。朝はマグカップに2杯コーヒーを飲むので、自宅用としてはサイズが小さい。それで今回買ったのがこちらのタイプ。容量は500ml。
フレンチプレスはガラスでできた製品が多い。同じ500mlでガラス製なら2000〜3000円だが、金属製で魔法瓶構造になっているこれは8000円ほどする。こちらにしたのはユーザーコメント欄に「ガラスのフレンチプレスを割ってしまったので、今度はこちらにしました」というコメントが多かったから。私はなぜかコーヒーサーバー(ペーパードリップの時にコーヒーを落とすガラスの容器)と相性が悪くよく割ってしまう。25年ほど前に1ヶ月に3つ割ったことがあり(^^ゞ それ以来ガラスのコーヒーサーバーは使わずに、牛乳を温めるような小さな鍋に棒を2本渡して、その上にドリップの器具をセットして使うという特殊な方法で淹れている。
フレンチプレスで淹れたコーヒーには基本的に満足している。しかし使ってみて気付いたこともいろいろあった。
ーーー続く
でも数ヶ月前からペーパードリップはやめて、おもにフレンチプレスを使っている。こういう仕組みの器具なのだが日本での知名度はあまり高くない。なぜか紅茶をこれで出す喫茶店とかもある。しかし紅茶にこの器具を使うのは日本だけの風習のようである。フレンチプレスはヨーロッパでは広く普及していて、映画やドラマのキッチン・シーンでも何度か見たことがある。ちなみにフランスではフレンチプレスとは呼ばないらしいのがおもしろい。
ドリップからフレンチプレスに替えたのは、マキネッタを使い出してからだんだんとドリップで淹れるコーヒーに物足りなさを感じてきたから。マキネッタはカフェ・アメリカーノというお湯割りにしているとはいえ、エスプレッソベースだから濃いめのコーヒーとなる。でもドリップと比較しての物足りなさとは味の濃い薄いとは関係ない。
ポイントはコーヒーオイル。ピーナッツほどじゃないけれどコーヒー豆にも油分が含まれている。コーヒーを淹れる時にそれも抽出される。しかしペーパードリップ、ネルドリップ、サイフォンなど繊維系のフィルターを使う器具では、お湯に溶け出した油分がそこで漉されてしまいコーヒーの中には残らない。マキネッタやフレンチプレスは穴やメッシュの金属フィルターなので、コーヒーオイルも含まれたコーヒーが出来上がるという理屈。
それでこのコーヒーオイルが、結構コーヒーの味を左右する存在と気付いたわけ。具体的にはコーヒーオイルによって甘みが増すように私には感じられる。甘みといっても砂糖のような甘みではないが、説明しにくいので省略。
実は以前からフレンチプレスの器具は持っていた。これは上蓋に開閉式の飲み口がついていて、そこから直接コーヒーを飲むことのできるポータブルタイプ。買ったのはかなり前で、なんのために買ったのか、そしてなぜほとんど使っていなかったのかも思い出せない。でもある日、これが家にあることに気づきフレンチプレスのよさを再確認したしだい。
たぶんアウトドア用に買ったと思われるポータブルタイプのフレンチプレスは容量350ml。朝はマグカップに2杯コーヒーを飲むので、自宅用としてはサイズが小さい。それで今回買ったのがこちらのタイプ。容量は500ml。
フレンチプレスはガラスでできた製品が多い。同じ500mlでガラス製なら2000〜3000円だが、金属製で魔法瓶構造になっているこれは8000円ほどする。こちらにしたのはユーザーコメント欄に「ガラスのフレンチプレスを割ってしまったので、今度はこちらにしました」というコメントが多かったから。私はなぜかコーヒーサーバー(ペーパードリップの時にコーヒーを落とすガラスの容器)と相性が悪くよく割ってしまう。25年ほど前に1ヶ月に3つ割ったことがあり(^^ゞ それ以来ガラスのコーヒーサーバーは使わずに、牛乳を温めるような小さな鍋に棒を2本渡して、その上にドリップの器具をセットして使うという特殊な方法で淹れている。
フレンチプレスで淹れたコーヒーには基本的に満足している。しかし使ってみて気付いたこともいろいろあった。
ーーー続く
2016年12月17日
ゴッホとゴーギャン展 その3
ゴッホ:モンマルトル、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの裏 1887年
ずっと見たいと思っていたルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を、今年の夏に目にすることができたのはいい思い出である。それでゴッホのこの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの裏」という作品が、ルノワールのそれとあまりに違うのに驚いた。ルノワールは店の中、ゴッホは外という違いはあるが、もしゴッホの描いた情景が正しいとすればムーラン・ド・ラ・ギャレットはずいぶんと田舎の畑の中にポツンとあることになる。しかもルノワールが描いたのはゴッホの11年も前。こんなところにルノワールが描いたような人々がダンスを楽しむ場所があったとは信じがたい。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットのあるモンマルトルはシャンゼリゼ通りから3〜4キロ。印象派の時代にはパリのど真ん中より家賃が安いので芸術家が多く住んでいたといわれる。ブドウ畑もあったらしい。明治の初め頃まで青山なんて東京の町外れといわれていたのと同じようなものか。
それにしてもあまりに田舎の風景。ところで、よく見ると遠くに山並みが描かれている。パリから山が見えるか? ということでゴッホは自然豊かな情景を描くのが好きだから、この絵はモンマルトルから見える風景に、彼のイマジネーションを重ねて描いたというのが私の推測。当たっているかな?
ゴーギャン:マルティニク島の風景 1887年
ゴーギャンはパリ生まれのフランス人。でもあまりパリに馴染めなかったのか、画家になってからは他の地域にいることが多かった。この絵は中米のドミニカ近くのマルティニク島に半年ほど住んでいた時に描かれたもの。ちなみにマルティニク島は今でも海外県と呼ばれるフランスの植民地である。
ゴッホは1888年の2月に南仏のアルルに移り、
10月にゴーギャンが合流して共同生活が始まる。
ゴッホ:グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝 1888年
何となく日本的な雰囲気を感じないだろうか。実はアーモンドの花はサクラにそっくりなのである。植物学的にも同じバラ科で品種としても近い。もっともアーモンドを食べながらサクラを連想することは難しいかも。かねてよりアーモンドの花見をしたいと思っているのだけれど、まとまって植えられているのは神戸、浜松、岡山あたりで関東に見あたらないのが残念。
ゴッホ:収穫 1888年
ゴッホは黄色が好きだから畑を黄色く塗ったのかと思ったが、これは麦の穂が実っている表現みたいだ。日本で収穫というタイトルなら稲刈りをしている人をたくさん描きそうなものだが。画像で見ると平凡にしか見えないが、実物を見るとジワーッとよさの伝わる絵である。
ゴッホ:ゴーギャンの椅子 1888年
ゴッホは自分用には質素な椅子を使っていたけれど、ゴーギャンのために肘掛け付きのいい椅子を用意してアルルに迎えたとされる。それにしても椅子の座面にロウソクを置くなんて、ちょっと不安定そうで心配になる。
ゴーギャン:アリスカンの並木路、アルル 1888年
ゴーギャン:ブドウの収穫、人間の悲惨 1888年
ブドウといわれなければブドウ畑を描いているとはわからない。そこに悲惨というテーマを被せる意味も、説明も読んでみたがよくわからない。ストレートなゴッホの絵と違ってゴーギャンは難解なメッセージを絵に込めるタイプ。
ゴーギャン:アルルの洗濯女 1888年
この絵は特にメッセージ性はないと思うが、画面右上の炎のようなものは何を描いているのか不明。空間構成はかなり歪んでいるというか現実を無視した描き方。だから描いている内容は具体的なのに、何となく抽象画を眺めているような気分になる。
1888年の12月23日にゴッホは錯乱して耳切り事件を起こす。共同生活は解消となり25日にゴーギャンはパリに戻る。ゴッホの代表作の多くはアルルで描かれたもので、ゴーギャンとの共同生活が終わってから、風景画にはうねるような筆遣いが見られるようになる。
ゴッホ:タマネギの皿のある静物 1889年
ゴッホ:オリーブ園 1889年
ゴッホ:刈り入れをする人のいる麦畑 1889年
ゴッホ:渓谷(レ・ペイルレ) 1889年
ゴーギャンの絵はあまり変化していない。かなり風景をデフォルメした画風。
ゴーギャン:家畜番の少女 1889年
1891年にゴーギャンはタヒチに渡る。誰でも名前はよく知っているだろうが、念のためにタヒチの場所はココね。現在もフランス領。リゾートとしてのタヒチで思い浮かぶのは水上コテージのあるこんなイメージかな。
ゴーギャン:タヒチの3人 1899年
ゴーギャン:タヒチの牧歌 1901年
最初のエントリーに書いたようにゴーギャンといえばタヒチ時代のものしか知らなかった。そしてゴーギャンのタヒチ絵は大好きなのだけれど、同時にやや複雑な気分にもなるのである。
ゴーギャンがなぜタヒチに住んだのかはよく調べていない。一度パリに戻ってきたが合計8年位をタヒチで過ごしている。タヒチの次はそこから1500キロほど離れたマルキーズ諸島に移り、2年後にそこで亡くなっている。先にも書いたようにアルル以前もあまりパリにはいなかったから、基本的に田舎が好きで、かつ非文明的なところを礼賛しているように思える。
そしてゴーギャンのタヒチ絵を見ると、うまく表現できないが人間の生命力、地に足が付いた生活感のようなものを感じる。そんな絵は他の画家にはない彼の魅力。でもーーー
かなり昔に、普通に生活を送り仕事もしているが、少し知恵遅れという設定の男性が主人公のドラマを見た。その彼がヒロインに恋をして、その気持ちがとてもピュアなものとして伝わってくるのである。そして少し知恵遅れという設定じゃなければ、そんなピュアな想いはドラマとして成立しないと思った。普通の人間じゃピュアになれないのもナンダカナ〜というのと、同時に知恵遅れならピュアということがすんなり腑に落ちるのは、ある種の差別意識が反映しているような気持ちにもなった。
10月に沖縄で警官が基地反対派に対して「土人」といって問題になった。タヒチ絵に描かれているのは、ゴーギャン当時の感覚ではまさに土人である。未開な土人だから感じる逞しい生命力と、知恵遅れなら恋もピュアだろうというのは同じような思考回路かと思う。
別に罪悪感を感じながらゴーギャンのタヒチ絵を見ているわけでは決してない。でも何となく無意識に上から目線になっているようで、そこのところがいつも少し引っかかる。
ゴーギャン:肘掛け椅子のヒマワリ 1901年
ゴッホが自分の耳を切って終わったゴーギャンとの共同生活であるが(最初はゴーギャンの耳を切りにきたらしい)、その事件がなくても、性格がぶつかったり芸術上の意見が合わなかったりして関係はかなり悪化していたとのこと。しかし二人はその後に会うことはなかったが、手紙のやりとりなどは続いていたとされる。
ゴッホが自殺したのは耳切り事件の2年後の1890年。それから11年後、ゴーギャンのタヒチ時代の最後に描かれたこの絵は、もちろんアルルでヒマワリの絵をたくさん描いていたゴッホへのオマージュだろう。ゴーギャンを迎える時にゴッホは自分は粗末な椅子を使っていても、彼のために肘掛けのついた椅子を用意した。今度はゴーギャンがゴッホのアイコンであるヒマワリを肘掛け椅子にのせて描く。タイトルにわざわざ肘掛け椅子と書かれているから、この絵はアルルでのエピソードを踏まえていると思われる。ちょっといい話。
最初のエントリーに書いたように、タヒチ以前のゴーギャンはどんなだろうという興味で展覧会を見に来た。結論としてはビミョー。少なくとも特に欲しいと思う絵はなかった。やっぱりゴーギャンはタヒチ絵あってのゴーギャンかな。
おしまい
ずっと見たいと思っていたルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を、今年の夏に目にすることができたのはいい思い出である。それでゴッホのこの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの裏」という作品が、ルノワールのそれとあまりに違うのに驚いた。ルノワールは店の中、ゴッホは外という違いはあるが、もしゴッホの描いた情景が正しいとすればムーラン・ド・ラ・ギャレットはずいぶんと田舎の畑の中にポツンとあることになる。しかもルノワールが描いたのはゴッホの11年も前。こんなところにルノワールが描いたような人々がダンスを楽しむ場所があったとは信じがたい。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットのあるモンマルトルはシャンゼリゼ通りから3〜4キロ。印象派の時代にはパリのど真ん中より家賃が安いので芸術家が多く住んでいたといわれる。ブドウ畑もあったらしい。明治の初め頃まで青山なんて東京の町外れといわれていたのと同じようなものか。
それにしてもあまりに田舎の風景。ところで、よく見ると遠くに山並みが描かれている。パリから山が見えるか? ということでゴッホは自然豊かな情景を描くのが好きだから、この絵はモンマルトルから見える風景に、彼のイマジネーションを重ねて描いたというのが私の推測。当たっているかな?
ゴーギャン:マルティニク島の風景 1887年
ゴーギャンはパリ生まれのフランス人。でもあまりパリに馴染めなかったのか、画家になってからは他の地域にいることが多かった。この絵は中米のドミニカ近くのマルティニク島に半年ほど住んでいた時に描かれたもの。ちなみにマルティニク島は今でも海外県と呼ばれるフランスの植民地である。
ゴッホは1888年の2月に南仏のアルルに移り、
10月にゴーギャンが合流して共同生活が始まる。
ゴッホ:グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝 1888年
何となく日本的な雰囲気を感じないだろうか。実はアーモンドの花はサクラにそっくりなのである。植物学的にも同じバラ科で品種としても近い。もっともアーモンドを食べながらサクラを連想することは難しいかも。かねてよりアーモンドの花見をしたいと思っているのだけれど、まとまって植えられているのは神戸、浜松、岡山あたりで関東に見あたらないのが残念。
ゴッホ:収穫 1888年
ゴッホは黄色が好きだから畑を黄色く塗ったのかと思ったが、これは麦の穂が実っている表現みたいだ。日本で収穫というタイトルなら稲刈りをしている人をたくさん描きそうなものだが。画像で見ると平凡にしか見えないが、実物を見るとジワーッとよさの伝わる絵である。
ゴッホ:ゴーギャンの椅子 1888年
ゴッホは自分用には質素な椅子を使っていたけれど、ゴーギャンのために肘掛け付きのいい椅子を用意してアルルに迎えたとされる。それにしても椅子の座面にロウソクを置くなんて、ちょっと不安定そうで心配になる。
ゴーギャン:アリスカンの並木路、アルル 1888年
ゴーギャン:ブドウの収穫、人間の悲惨 1888年
ブドウといわれなければブドウ畑を描いているとはわからない。そこに悲惨というテーマを被せる意味も、説明も読んでみたがよくわからない。ストレートなゴッホの絵と違ってゴーギャンは難解なメッセージを絵に込めるタイプ。
ゴーギャン:アルルの洗濯女 1888年
この絵は特にメッセージ性はないと思うが、画面右上の炎のようなものは何を描いているのか不明。空間構成はかなり歪んでいるというか現実を無視した描き方。だから描いている内容は具体的なのに、何となく抽象画を眺めているような気分になる。
1888年の12月23日にゴッホは錯乱して耳切り事件を起こす。共同生活は解消となり25日にゴーギャンはパリに戻る。ゴッホの代表作の多くはアルルで描かれたもので、ゴーギャンとの共同生活が終わってから、風景画にはうねるような筆遣いが見られるようになる。
ゴッホ:タマネギの皿のある静物 1889年
ゴッホ:オリーブ園 1889年
ゴッホ:刈り入れをする人のいる麦畑 1889年
ゴッホ:渓谷(レ・ペイルレ) 1889年
ゴーギャンの絵はあまり変化していない。かなり風景をデフォルメした画風。
ゴーギャン:家畜番の少女 1889年
1891年にゴーギャンはタヒチに渡る。誰でも名前はよく知っているだろうが、念のためにタヒチの場所はココね。現在もフランス領。リゾートとしてのタヒチで思い浮かぶのは水上コテージのあるこんなイメージかな。
ゴーギャン:タヒチの3人 1899年
ゴーギャン:タヒチの牧歌 1901年
最初のエントリーに書いたようにゴーギャンといえばタヒチ時代のものしか知らなかった。そしてゴーギャンのタヒチ絵は大好きなのだけれど、同時にやや複雑な気分にもなるのである。
ゴーギャンがなぜタヒチに住んだのかはよく調べていない。一度パリに戻ってきたが合計8年位をタヒチで過ごしている。タヒチの次はそこから1500キロほど離れたマルキーズ諸島に移り、2年後にそこで亡くなっている。先にも書いたようにアルル以前もあまりパリにはいなかったから、基本的に田舎が好きで、かつ非文明的なところを礼賛しているように思える。
そしてゴーギャンのタヒチ絵を見ると、うまく表現できないが人間の生命力、地に足が付いた生活感のようなものを感じる。そんな絵は他の画家にはない彼の魅力。でもーーー
かなり昔に、普通に生活を送り仕事もしているが、少し知恵遅れという設定の男性が主人公のドラマを見た。その彼がヒロインに恋をして、その気持ちがとてもピュアなものとして伝わってくるのである。そして少し知恵遅れという設定じゃなければ、そんなピュアな想いはドラマとして成立しないと思った。普通の人間じゃピュアになれないのもナンダカナ〜というのと、同時に知恵遅れならピュアということがすんなり腑に落ちるのは、ある種の差別意識が反映しているような気持ちにもなった。
10月に沖縄で警官が基地反対派に対して「土人」といって問題になった。タヒチ絵に描かれているのは、ゴーギャン当時の感覚ではまさに土人である。未開な土人だから感じる逞しい生命力と、知恵遅れなら恋もピュアだろうというのは同じような思考回路かと思う。
別に罪悪感を感じながらゴーギャンのタヒチ絵を見ているわけでは決してない。でも何となく無意識に上から目線になっているようで、そこのところがいつも少し引っかかる。
ゴーギャン:肘掛け椅子のヒマワリ 1901年
ゴッホが自分の耳を切って終わったゴーギャンとの共同生活であるが(最初はゴーギャンの耳を切りにきたらしい)、その事件がなくても、性格がぶつかったり芸術上の意見が合わなかったりして関係はかなり悪化していたとのこと。しかし二人はその後に会うことはなかったが、手紙のやりとりなどは続いていたとされる。
ゴッホが自殺したのは耳切り事件の2年後の1890年。それから11年後、ゴーギャンのタヒチ時代の最後に描かれたこの絵は、もちろんアルルでヒマワリの絵をたくさん描いていたゴッホへのオマージュだろう。ゴーギャンを迎える時にゴッホは自分は粗末な椅子を使っていても、彼のために肘掛けのついた椅子を用意した。今度はゴーギャンがゴッホのアイコンであるヒマワリを肘掛け椅子にのせて描く。タイトルにわざわざ肘掛け椅子と書かれているから、この絵はアルルでのエピソードを踏まえていると思われる。ちょっといい話。
最初のエントリーに書いたように、タヒチ以前のゴーギャンはどんなだろうという興味で展覧会を見に来た。結論としてはビミョー。少なくとも特に欲しいと思う絵はなかった。やっぱりゴーギャンはタヒチ絵あってのゴーギャンかな。
おしまい
2016年12月15日
ゴッホとゴーギャン展 その2
どんな巨匠でも駆け出しの頃の作品はあまりたいしたことはない。中には「エッ、こんなレベルだったの?」とビックリする画家もいる。でもゴッホとゴーギャンの初期の作品は、オリジナリティは感じられないが、それなりに完成度が高いというか鑑賞できるレベルの作品だった。何を偉そうにと書きながら思うけれど。
ゴッホ:古い教会の塔、ニューネン(農民の墓地) 1885年
ゴーギャン:夢を見る子供(習作) 1881年
展覧会はゴッホとゴーギャンだけではなく、同時期の画家の作品も何点か出展されており、なかなかおもしろいものが多かった。
ミレー:鵞鳥番の少女 1866年
鵞鳥は「がちょう」。実際はどうだったかはわからないが、水の中に入ってやや低い視点から見た構図に思える。海に行けばローアングルで必ず写真を撮る私の趣味に合う(^^ゞ
ピサロ:ヴェルサイユへの道、ロカンクール 1871年
広々した印象を受けるのは典型的な遠近法で描かれているからだろうけど、これもカメラでいえば腰あたりで構えた時の写り方に近い気がする。もっとももし座って写生をしたなら、自然とその位置になるのだが。
ピサロ:エラニーの牧場 1885年
ピサロは印象派の中ではトップスターじゃないけれど、なかなかいいじゃんと改めて思った。ゴッホとゴーギャンという派手目な画風の展覧会で、地味なピサロの絵に惹かれたのが意外。
シャルル・アングラン:セーヌ川、朝(サン=トゥアン) 1886年
ゴッホといえば自画像が多い画家の印象がある。でもそれはモデルを雇うお金がなかったというトホホな理由らしい。彼の画家としてのキャリアは10年ほどだが、その前半に自画像がないのは鏡すら買うお金もなかったからでとことん貧乏生活。バブルの頃、大昭和製紙の会長が当時の絵画界では最高額となる125億円でゴッホの絵を競り落としたが、ゴッホが生きているうちに売れた絵は1枚だけだといわれている。
ゴッホ:パイプをくわえた自画像 1886年
ゴッホ:自画像 1887年
ゴッホ:パイプと麦わら帽子の自画像 1887年
こちらはゴーギャンの自画像。彼はアマチュアからプロに転向した画家で、この絵を描いた1885年頃に画家が本業になったといわれている。
ゴーギャン:自画像 1885年
ゴッホの自画像の変遷を見ると1887年に彼は、今の我々がゴッホと聞いて思い浮かべる画風になったようである。一方のゴーギャンは、まだその頃にはどこにでもありそうな絵という感じ。でもゴッホがゴーギャンを誘って共同生活を始めるのは1888年だから、天才ゴッホの目はゴーギャンの才能を見抜いていたのだろう。
ーーー続く
ゴッホ:古い教会の塔、ニューネン(農民の墓地) 1885年
ゴーギャン:夢を見る子供(習作) 1881年
展覧会はゴッホとゴーギャンだけではなく、同時期の画家の作品も何点か出展されており、なかなかおもしろいものが多かった。
ミレー:鵞鳥番の少女 1866年
鵞鳥は「がちょう」。実際はどうだったかはわからないが、水の中に入ってやや低い視点から見た構図に思える。海に行けばローアングルで必ず写真を撮る私の趣味に合う(^^ゞ
ピサロ:ヴェルサイユへの道、ロカンクール 1871年
広々した印象を受けるのは典型的な遠近法で描かれているからだろうけど、これもカメラでいえば腰あたりで構えた時の写り方に近い気がする。もっとももし座って写生をしたなら、自然とその位置になるのだが。
ピサロ:エラニーの牧場 1885年
ピサロは印象派の中ではトップスターじゃないけれど、なかなかいいじゃんと改めて思った。ゴッホとゴーギャンという派手目な画風の展覧会で、地味なピサロの絵に惹かれたのが意外。
シャルル・アングラン:セーヌ川、朝(サン=トゥアン) 1886年
ゴッホといえば自画像が多い画家の印象がある。でもそれはモデルを雇うお金がなかったというトホホな理由らしい。彼の画家としてのキャリアは10年ほどだが、その前半に自画像がないのは鏡すら買うお金もなかったからでとことん貧乏生活。バブルの頃、大昭和製紙の会長が当時の絵画界では最高額となる125億円でゴッホの絵を競り落としたが、ゴッホが生きているうちに売れた絵は1枚だけだといわれている。
ゴッホ:パイプをくわえた自画像 1886年
ゴッホ:自画像 1887年
ゴッホ:パイプと麦わら帽子の自画像 1887年
こちらはゴーギャンの自画像。彼はアマチュアからプロに転向した画家で、この絵を描いた1885年頃に画家が本業になったといわれている。
ゴーギャン:自画像 1885年
ゴッホの自画像の変遷を見ると1887年に彼は、今の我々がゴッホと聞いて思い浮かべる画風になったようである。一方のゴーギャンは、まだその頃にはどこにでもありそうな絵という感じ。でもゴッホがゴーギャンを誘って共同生活を始めるのは1888年だから、天才ゴッホの目はゴーギャンの才能を見抜いていたのだろう。
ーーー続く
2016年12月14日
ゴッホとゴーギャン展
9月の終わりか10月の初めに見たダリ展をブログに書いたのが11月20日だったが、このゴッホとゴーギャン展も訪れたのは11月18日と1ヶ月近く前である。
ダリ展と違って訪れた日が明確なのは、東京都立美術館がある上野公園で写真を撮ってデータとして日付が残っているから。もし写真に撮りたいようなものがなくても、どこかに出かけた時はスマホで何か撮っておくのがいいかもしれない。30年前のことはよく覚えていても3日前の記憶は曖昧になってきているから(^^ゞ
11月18日の上野公園入口。
銀杏のイエローオータムはなかなか見応えがあった。
噴水前の広場で忍者フェスタなるものが。
でも食べ物屋台ばっかり。
忍者の里の伊賀牛らしい。
忍者のいた江戸時代に日本人は牛を食べていないけど(^^ゞ
平日の夕方なのにけっこう賑わっていた。
こんな人もいたが、あまり注目を浴びているとはいえず。
やっぱり食べ物メインのイベントみたい。ここでは10種類のうち2つに「チーズ忍者まん」「黒忍者まん」と、とってつけたような名前がついていた。
一番忍者を感じたのがこれという、よくわからないイベントだったーーー。
そしてやって来たのが「ゴッホとゴーギャン展」。
実はこの展覧会は目玉となるような超有名作品はない。それでも見に来たお目当てはゴーギャン。
ゴッホとゴーギャンは1888年(明治21年)に南仏のアルルというところで共同生活を送る。でもその年の暮れにゴッホは精神障害から有名な「耳切り事件」を起こし共同生活は崩壊。そして1890年に自殺。一方のゴーギャンは1891年にタヒチに移り住む。一般にゴーギャンと聞いて思い浮かぶイメージはタヒチ以降のもの。私もそれしか見たことがない。だからもっと以前はどんな絵を描いていたのか、ゴッホと一緒の時はどうだったのかということに何となく興味を持って。
結論を先に書くと、タヒチ以前のゴーギャンはそれほどでもなかったのだが、それは次回以降に。
ーーー続く
ダリ展と違って訪れた日が明確なのは、東京都立美術館がある上野公園で写真を撮ってデータとして日付が残っているから。もし写真に撮りたいようなものがなくても、どこかに出かけた時はスマホで何か撮っておくのがいいかもしれない。30年前のことはよく覚えていても3日前の記憶は曖昧になってきているから(^^ゞ
11月18日の上野公園入口。
銀杏のイエローオータムはなかなか見応えがあった。
噴水前の広場で忍者フェスタなるものが。
でも食べ物屋台ばっかり。
忍者の里の伊賀牛らしい。
忍者のいた江戸時代に日本人は牛を食べていないけど(^^ゞ
平日の夕方なのにけっこう賑わっていた。
こんな人もいたが、あまり注目を浴びているとはいえず。
やっぱり食べ物メインのイベントみたい。ここでは10種類のうち2つに「チーズ忍者まん」「黒忍者まん」と、とってつけたような名前がついていた。
一番忍者を感じたのがこれという、よくわからないイベントだったーーー。
そしてやって来たのが「ゴッホとゴーギャン展」。
実はこの展覧会は目玉となるような超有名作品はない。それでも見に来たお目当てはゴーギャン。
ゴッホとゴーギャンは1888年(明治21年)に南仏のアルルというところで共同生活を送る。でもその年の暮れにゴッホは精神障害から有名な「耳切り事件」を起こし共同生活は崩壊。そして1890年に自殺。一方のゴーギャンは1891年にタヒチに移り住む。一般にゴーギャンと聞いて思い浮かぶイメージはタヒチ以降のもの。私もそれしか見たことがない。だからもっと以前はどんな絵を描いていたのか、ゴッホと一緒の時はどうだったのかということに何となく興味を持って。
結論を先に書くと、タヒチ以前のゴーギャンはそれほどでもなかったのだが、それは次回以降に。
ーーー続く
2016年12月03日
チューリップ球根植え付け 2017年シーズン
2015年シーズンは25%程しか開花せず、それで2016年シーズンは気合いを入れて土作りをし、苦土石灰(くどせっかい)を混ぜるという芸の細かいことまでしたのに、暖冬の影響もあってかまたもや開花率57%という残念な結果に終わる。それでモチベーションが上がらず2017年シーズンは1回休もうかという気分だったが、なんとなく惰性で球根を買ったことは2016年総集編その2で書いた。
ところで今まで球根は、ベーシックな単色と2色咲きのセットを選んでから、残りを少し変わった品種で揃えるという買い方をしてきた。しかし今年は品種選びの方法を変更。その理由はーーー
モチベーションが下がっているので、細かく品種を選ぶのが面倒だった(/o\)
従来の買い方では単色と2色咲きで半分以上を占めるので、シーズンごとの
代わり映えに乏しい。
ーーーの2点。それで今回は単色と2色咲きは買わずに、福袋詰め合わせを5セットという作戦で。購入先はいつもの国華園で写真は同社ホームページから拝借。
「パロット咲チューリップ福袋(4〜5品種見計らい・名称付) 40球以上」1717円
「フラワーバルブ・オブ・イヤー福袋(4〜5品種見計らい・名称付) 40球以上」1717円
「フラワーバルブ・オブ・イヤー」というのはオランダ国際球根協会が、国ごとに毎年1つ表彰するチューリップがあって、その歴代受賞花の詰め合わせ。ただし、どこの国のいつの年の歴代受賞花なのかは記されていない。
「フリンジ咲チューリップ福袋(4〜5品種見計らい・名称付) 40球以上」1501円
「レンブラント咲チューリップ福袋(3〜4品種見計らい・名称付) 30球以上」1285円
「八重咲チューリップ福袋 40球以上(4〜5品種見計らい・名称付)」1609円
以上で190球以上、送料700円とポイント値引き100円があって合計8429円。去年より953円安くなった。ベランダに植えられるのは「8個+7個+8個」の3列を8プランターなので184球。少し余るがこれは例年通り正月に実家に帰省した時に使う予定。
ただし今回は国華園とちょっとトラブル。10月23日に発注して11月7日に届いたが、中身は確認していなかった。そして11月23日の勤労感謝の日に植えようと思って箱を開けると、数が足らなかったり品種が重複していたり。国華園にクレームを入れ、翌日不足分は再送するとの返事が来たが、なかなか届かず催促してようやく届いたのが本日の12月3日。なお重複していた品種については「仕様」だとの回答。まあ商品タイトルからはギリギリ逸脱してはいないが私は納得していない。この件はまた別の機会に。
今年は土作りも手間暇とお金は控えめに。プランターをひっくり返してふるいにかける意欲がなかったので、とりあえず10月中頃に鉢底石の手前までスコップですくってバケツに。それに苦土石灰を混ぜて本日まで放置しておいた。苦土石灰は土と混ざると化学反応を起こして、土壌をチューリップが好むアルカリ寄りにするが、同時にガスを出すらしい。そのガスは球根には有害なので植え付けの1週間ほど前までに混ぜて寝かせるのがセオリー。ただカラカラに乾燥した土と反応するのか?植え付けた後の水やりで初めて反応してガスを出すのでは?というのが昨年の後の祭り的反省点。
真相は調べていないが、とりあえず今年は苦土石灰を霧吹きで湿らせてからプランターから取り出した土と混ぜた。まあ気休め。もっとも苦土石灰があまり残っていなかったので、あの分量でアルカリ寄りに戻せたかはちょっと疑問。だから結局全部が気休め(^^ゞ
そのバケツの土と新しい培養土を7:3位で混ぜてプランターの半分くらいまで入れる。そして球根を並べる。今まではプランターに「8個+7個+8個」の3列で並べてきた。やっぱり多すぎるかとも思い2列にすることも考えたが、今年は例年と違って特大球の球根は買っていないので変更せずに3列配置。気合いの入っていた昨年は、色のバランスを事前に考えて並べたものだが今年はごく適当。
並べ終えた後、ベランダに転がっている「鉢底石が入っている袋」だと思っていたものが堆肥だったことに気付く。分量も少なかったし、今さら球根をのけて下の土にまた混ぜるのも面倒。それで球根の上に撒くことにした。たぶん去年の残りで封も切ってあるので、堆肥とは思えないくらいサラサラに乾燥している。でも袋の下の方は多少湿り気もあり、最後にそれをプランターの上で逆さまにしたところ、ちょっと青みがかったイモ虫のようなものが10匹ほど落ちてきた(>_<)。踏みつけて殺すのはかわいそうだったので、ベランダの外へ投げてあげた。
その後は球根の上からまたバケツの土。先ほど書いたように球根の下には新しい培養土を混ぜて入れてある。だからトータルで土の分量は増えているはず。でもプランターに入れる土が足らなくなってくる。なぜかいつもそうなる。いったい土はどこに消えるのか不思議。
新たに用意しておいた培養土だけでは不足分をまかなえないので、7月にベンジャミンの植え替えをした時に出た土を利用することに。これは20年ほど手つかずでプランターの中に入っていた土である。まあ球根はそれ自体に栄養分を蓄えているわけだから問題ないでしょう、たぶん。 培養土の残りをすべて使い比率は半々程度になった。それでメデタク植え付け終了で水やり。ちなみに土の深さを稼ぐために、ウォータースペースは設けずにプランターのギリギリまで土を入れるのが私の流儀。だから土が流れやすいので水やりには時間がかかる。なお植え付けの作業なんて毎年同じ光景なので、今回は写真なし。
さて2017年シーズンはどうなることやら。
とりあえず80%位は咲いて欲しいなと、過去2年を踏まえ控えめな希望。
ところで今まで球根は、ベーシックな単色と2色咲きのセットを選んでから、残りを少し変わった品種で揃えるという買い方をしてきた。しかし今年は品種選びの方法を変更。その理由はーーー
モチベーションが下がっているので、細かく品種を選ぶのが面倒だった(/o\)
従来の買い方では単色と2色咲きで半分以上を占めるので、シーズンごとの
代わり映えに乏しい。
ーーーの2点。それで今回は単色と2色咲きは買わずに、福袋詰め合わせを5セットという作戦で。購入先はいつもの国華園で写真は同社ホームページから拝借。
「パロット咲チューリップ福袋(4〜5品種見計らい・名称付) 40球以上」1717円
「フラワーバルブ・オブ・イヤー福袋(4〜5品種見計らい・名称付) 40球以上」1717円
「フラワーバルブ・オブ・イヤー」というのはオランダ国際球根協会が、国ごとに毎年1つ表彰するチューリップがあって、その歴代受賞花の詰め合わせ。ただし、どこの国のいつの年の歴代受賞花なのかは記されていない。
「フリンジ咲チューリップ福袋(4〜5品種見計らい・名称付) 40球以上」1501円
「レンブラント咲チューリップ福袋(3〜4品種見計らい・名称付) 30球以上」1285円
「八重咲チューリップ福袋 40球以上(4〜5品種見計らい・名称付)」1609円
以上で190球以上、送料700円とポイント値引き100円があって合計8429円。去年より953円安くなった。ベランダに植えられるのは「8個+7個+8個」の3列を8プランターなので184球。少し余るがこれは例年通り正月に実家に帰省した時に使う予定。
ただし今回は国華園とちょっとトラブル。10月23日に発注して11月7日に届いたが、中身は確認していなかった。そして11月23日の勤労感謝の日に植えようと思って箱を開けると、数が足らなかったり品種が重複していたり。国華園にクレームを入れ、翌日不足分は再送するとの返事が来たが、なかなか届かず催促してようやく届いたのが本日の12月3日。なお重複していた品種については「仕様」だとの回答。まあ商品タイトルからはギリギリ逸脱してはいないが私は納得していない。この件はまた別の機会に。
今年は土作りも手間暇とお金は控えめに。プランターをひっくり返してふるいにかける意欲がなかったので、とりあえず10月中頃に鉢底石の手前までスコップですくってバケツに。それに苦土石灰を混ぜて本日まで放置しておいた。苦土石灰は土と混ざると化学反応を起こして、土壌をチューリップが好むアルカリ寄りにするが、同時にガスを出すらしい。そのガスは球根には有害なので植え付けの1週間ほど前までに混ぜて寝かせるのがセオリー。ただカラカラに乾燥した土と反応するのか?植え付けた後の水やりで初めて反応してガスを出すのでは?というのが昨年の後の祭り的反省点。
真相は調べていないが、とりあえず今年は苦土石灰を霧吹きで湿らせてからプランターから取り出した土と混ぜた。まあ気休め。もっとも苦土石灰があまり残っていなかったので、あの分量でアルカリ寄りに戻せたかはちょっと疑問。だから結局全部が気休め(^^ゞ
そのバケツの土と新しい培養土を7:3位で混ぜてプランターの半分くらいまで入れる。そして球根を並べる。今まではプランターに「8個+7個+8個」の3列で並べてきた。やっぱり多すぎるかとも思い2列にすることも考えたが、今年は例年と違って特大球の球根は買っていないので変更せずに3列配置。気合いの入っていた昨年は、色のバランスを事前に考えて並べたものだが今年はごく適当。
並べ終えた後、ベランダに転がっている「鉢底石が入っている袋」だと思っていたものが堆肥だったことに気付く。分量も少なかったし、今さら球根をのけて下の土にまた混ぜるのも面倒。それで球根の上に撒くことにした。たぶん去年の残りで封も切ってあるので、堆肥とは思えないくらいサラサラに乾燥している。でも袋の下の方は多少湿り気もあり、最後にそれをプランターの上で逆さまにしたところ、ちょっと青みがかったイモ虫のようなものが10匹ほど落ちてきた(>_<)。踏みつけて殺すのはかわいそうだったので、ベランダの外へ投げてあげた。
その後は球根の上からまたバケツの土。先ほど書いたように球根の下には新しい培養土を混ぜて入れてある。だからトータルで土の分量は増えているはず。でもプランターに入れる土が足らなくなってくる。なぜかいつもそうなる。いったい土はどこに消えるのか不思議。
新たに用意しておいた培養土だけでは不足分をまかなえないので、7月にベンジャミンの植え替えをした時に出た土を利用することに。これは20年ほど手つかずでプランターの中に入っていた土である。まあ球根はそれ自体に栄養分を蓄えているわけだから問題ないでしょう、たぶん。 培養土の残りをすべて使い比率は半々程度になった。それでメデタク植え付け終了で水やり。ちなみに土の深さを稼ぐために、ウォータースペースは設けずにプランターのギリギリまで土を入れるのが私の流儀。だから土が流れやすいので水やりには時間がかかる。なお植え付けの作業なんて毎年同じ光景なので、今回は写真なし。
さて2017年シーズンはどうなることやら。
とりあえず80%位は咲いて欲しいなと、過去2年を踏まえ控えめな希望。
2016年12月01日
根津美術館の庭園
円山応挙展を見た後は庭園の散策。あまり時間がなかったので、とりあえずだいたい見て回ったというところ。撮影はiPhoneで。仕事のあいまに訪れたのでデジカメを持っていなかったが、持ってきたらよかったと少し後悔。
美術館の建物から庭に降りたすぐの所。
ここが港区南青山6丁目とはまったく思えない別世界が広がっている。
私が好きな鮮やかなレッドのモミジではないが、茶色の混じり度合いは少ないほう。日本庭園にはこれくらいの色合いのほうが似合うかも。
ところどころに小さな石仏がある。
紅葉の時期は下を見ながら歩くのも楽し。
茶室のようなものも何軒かあった。
中に入ることができる。ただ別にお茶を出しているわけではなく、この時は単なる畳敷きの休憩室のように使われていた。靴を脱ぐのも面倒だったので素通り。
庭園の真ん中に池が横たわっており、その周りを散策するようになっている。
ちょっと木々が多いというか、うっそうとしすぎている気もするけれど、私の日常行動範囲の中では一番いい庭園かな。まさに都会の喧噪を忘れられる空間。ただ庭園だけの見学はできず、企画展の時は1300円、常設展だけの場合でも1100円の美術館入場料を取られる。200〜300円で庭だけ入れてくれる設定があるとうれしいのだが。
根津美術館のある辺りから南側の六本木通りにかけては緩やかな斜面なので、それを利用して庭園はかなり起伏のある設計になっている。それもなかなかポイントが高い。
グルッと回って美術館に戻る。
以前はもっと古めかしい建物だったが、2009年に立て替えたとのこと。
円山応挙展に行こうと思った時、庭園のことは考えていたが紅葉はまったく頭になかった。なにせ11月として54年振りに雪が降ったと大騒ぎだった日だから、気分的にすっかり真冬モードだったもので。だから思いもかけず紅葉見物もできて得した気分。
おしまい