2017年03月

2017年03月31日

草間彌生展 我が永遠の魂 その2

「我が永遠の魂」と「明日咲く花」や「真夜中に咲く花」が展示されているフロアの次は、草間彌生の初期作品の展示。

彼女は1929年(昭和4年)長野県の松本市生まれ。少女時代に統合失調症(以前は精神分裂と呼ばれていた病気)になり、それによる幻聴や幻覚から逃れるために絵を描き始めたとされる。16歳で長野県の展覧会に入選するなど、その才能は早くから認められていたようだ。地元の高校を卒業後、京都の美術高校に編入して日本画を1年間学んで松本に戻り、本格的に画家活動を始める。その後にアメリカに渡るが、それまでが草間彌生の松本時代と呼ばれる期間である。


前回のエントリーに載せた彼女の風貌・ファッションはとてもエキセントリックだが、松本時代の彼女はごく普通のお嬢さんといった感じ。これは松本時代の最終年、1957年に撮影された28歳頃のもの。
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これが16歳で全信州美術展覧会で入選した作品。京都で日本画を学ぶ前だけれど、何となく日本画テイストが感じられる。なお草間彌生が日本画に進まなかったのは、古くさい日本画画壇の体質に馴染めなかったからといわれている。

「稔り」 1945年
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「残夢」 1949年
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「残骸のアキュミレイション(離人カーテンの囚人)」 1950年
    ※アキュミレイションは蓄積物というような意味。
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「集積の大地」 1950年
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この3枚は悪くないけど、駆け出し画家のありがちな絵という印象も拭えない。しかし次の3枚からは一皮むけた腕前を感じる。もっともこれは評価というより私の好みの問題かも。


「発芽」 1952年
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「誘惑される太陽」 1954年
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「風神」 1955年
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この路線で進んでもおもしろかったとは思うが、それでは今のように圧倒的存在感を持つモダンアートの女王としてのポジションは得られなかったとも思う。それはともかく1957年の終わりに彼女はアメリカに渡る。

草間彌生のアメリカ時代は1957年から1973年の17年間。最初はシアトルだったが、1年ほどで活動の舞台をニューヨークに移す。この写真は1961年、彼女が32歳頃に撮られたもの。背景に摩天楼(もう死語かな)が写っている。松本時代の写真と較べると、なにか肝の据わった人物の印象になっている。
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アメリカ時代の草間彌生は、だんだんといい感じになってきた松本時代とはガラッと路線を変える。前回のエントリーで書いた私が酔えないモダンアートの世界に突入。次の2枚のうち前者は縦2.1メーター横4.15メーターの巨大なカンバスを白いドットですべて塗りつぶしたもの。後者はVIA AIR MAILのシールを無数に貼り付けたコラージュ。美術史の流れの中で何かエポックメイキングな価値を持っている作品なのかもしれないが、それは美術界内側の話であって、ごく一般人の私には何の興味も持てない作品。


「No. AB」 1959年
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「Airmail Accumulation」 1961年
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この作品は布でくるんだものを脚立に組み付けた立体作品。こういうものは彫刻の概念を拡張した「ソフト・スカルプチュア(スカルプチュアは彫刻という意味)」というジャンルらしい。それで草間彌生はこのソフト・スカルプチュアに最も早く取り組んだ1人とのこと。ところでこのソフト・スカルプチュア。会場ではウンコだと思っていたのだが、後で調べてみるとオチンチンだということがわかった。それにしては先っちょが尖りすぎだと思うけど(^^ゞ

「トラヴェリング・ライフ」 1964年
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「マカロニ・コート」 1963年
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ニューヨーク時代の草間彌生はヌードも披露。ところで元アイドルが熟女になって脱げば興味を引いても、お婆ちゃんの若い頃のヌードには「ヌードとして」関心が持てないのはなぜなんだろう(^^ゞ

「自己消滅(網強迫シリーズ) 1966年
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「自己消滅」 1967年
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草間彌生は当時「ハプニング」と呼ばれた過激なパフォーマンスでも有名だった。次の写真は男女が屋外で裸になって、身体に水玉を描くというパフォーマンス。
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何となく昔懐かしいヒッピーな雰囲気。もうヒッピーという言葉を知らない世代も増えてきたが。なおこの2枚の写真は展覧会の展示物ではない。
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残念ながらニューヨーク時代の草間彌生は私の趣味じゃない。でも1957年(昭和32年)当時に単身でアメリカに渡りアートシーンの先頭を切り開いた、現在は御年88歳の日本人女性がいたことは素直にすごいと思うし、また誇らしい気持ちになる。


ーーー続く

wassho at 08:48|PermalinkComments(0) 美術展 

2017年03月29日

草間彌生展 我が永遠の魂

先日、六本木の国立新美術館で開催されている草間彌生(やよい)展を見てきた。彼女は日本のみならず国際的にもモダンアートの女王的な存在。2016年には米国タイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれ、また日本では文化勲章も受章している。作品の価格は数千万円クラスだという。

しかしこのブログで何回か書いたと思うが、私はモダンアートが苦手というか趣味に合わないというか。はっきり言って好きじゃないし、モダンアートあるいはモダンアート美術界(業界?)を少し見下しているところもある。でもまあ、たまには毛色の変わったものを眺めて肥やしにしようかと考えたしだい。



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草間彌生大先生は御年88歳。もちろんいまだ現役。そして見て通りの奇抜なファッション。こんな人を街中で見かけたら目をそらす(^^ゞ それとマスコミで紹介される時は、だいたいこういう風に目を見開いて睨みつけている写真が使われることが多い。だから、よっぽどブッ飛んだバア様かと思っていたが昨年の文化勲章受章のニュースで

 「文化勲章にもまさるもっともっと素晴らしい人間愛と、世界の平和のために
  私たちは芸術をやっていくことができればこれにまさる光栄はないと思っております」

 「大変感激しております。今後とも草間彌生の生き様を見ていただきたい。私は多くの
  人々が私の芸術を見てもらうことに全てを賭けています。どうぞ草間彌生をよろしく
  お願いします」

 「今後もなお一層、自分の芸術を高めるために努力を惜しむことなく闘ってまいります」

などときわめて真っ当なコメントを述べていたことが意外であり印象的だった。いろんなメディアで草間彌生のことはよく紹介されるけれど、それまではあまり関心を持たず読むこともほとんどなかった。でもこの時から彼女に少し興味を持ちだしていた気もする。


水玉は草間彌生の作品でよく使われるモチーフであり、国立新美術館の木々も水玉でラッピング。私もネクタイは水玉が好きだから実は趣味があったりして。
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訪れたのは平日の午後2時頃。チケットを買うのに5分くらいの行列。
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展示室に入って最初は小さなコーナーで、この富士山の絵だけが置かれている。背景の水色部分に小さな白いドットが無数に描かれているが、草間彌生はその技法をよく使う。

「生命は限りもなく、宇宙に燃え上がっていく時」 2014年
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その小さなコーナーを抜けると、いきなり草間彌生ワールド全開。
ちょっと度肝を抜かれた感じ。
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このフロアは写真撮影が認められている。なぜかケータイのみ可能でデジカメは禁止。
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巨大な空間とそれに負けていない作品のパワーが伝わるかな。
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壁にある絵は草間彌生が2009年から描き続けている「我が永遠の魂」と名付けられた連作。現在作品数は500点を超えているそうで、この展覧会には132点が展示されている。500点を8年で割ると62.5だから、80歳から1週間に1枚の割合で描いていることになる。しかも写真を見てわかるように、これらはかなり大きなサイズの作品。信じられないくらいのバイタリティーである。



フロアに置かれているオブジェは「明日咲く花」または「真夜中に咲く花」という題名がつけられている。これをどう評価していいのかはわからないけれど、理屈抜きに楽しくてエネルギーに満ちあふれているのは確か。私がもう50ウン歳ほど若かったら作品の周りでスキップしながらはしゃいだだろう(^^ゞ
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材質は見たところ(触れられないので)FRPのようだ。こういうのはどうやって作るのだろう。着色も筆で塗ったような感じではなかった。製作過程をどこかで紹介して欲しい。これのミニチュア版がグッズとしてあったら買いたかったのだが、残念ながら売っていなかった。洗面所やトイレにでも飾れば運気が向上しそうである。

草間彌生のサイン。全部で7作品あって2010年から2016年にかけての制作。
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細かなドットが無数に描かれていたり、近づいて眺めるととても手の込んだ絵だということがわかる。でもそれを別にすれば小さな子供が描くような絵である。この絵を1枚だけ見せられたら「なんじゃこりゃ」で終わっていたと思うが、これだけの数を並べられると、まさに圧巻としかいいようがないのも事実。広いフロアが異空間のように感じられる。

ここにある絵がすべてラファエロだったら、ゴッホだったらーーーそれはそれで壮観だろうが異空間という感じはしないと思う。芸術はその作品に酔えるかどうかが私の判断基準。モダンアートは理解できたり価値を認めたりできても酔えないから関心の対象外だった。でもこの日は草間彌生のファンタジーに酔うことができた。望外の収穫。
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「我が永遠の魂」というのが連作としてのネーミングで、それぞれに個別の名前もついている。例えばこの4枚は左上から時計回りに「うれいのごとく くれないの赤きくちびる おしあてて あつきなみだを ながせども あゝ 春はゆく 春はゆく」「私に愛を与えて」「我が悲しみのきわみ」「夕焼けの花壇」といった具合。左上のなんて絵のタイトルというより詩みたい。タイトルを確認してから絵を眺めれば、もっといろいろなことを感じたような気もするが、作品があまりに多すぎてそこまでできなかった。
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この展覧会は(作家の生涯にわたる作品を展示する)回顧展だが、展示の仕方が少し変わっていて、現在の草間彌生の作品からスタートする(普通の回顧展は年代順の構成)。この後、彼女の初期の作品から順に見ていくわけだが、それを見終えると出口ではなく、またこのフロアに戻ってくるという順路になっている。

それでこのフロアに立つと、また一から見直したくなるのである。初期や中後期の作品も大変よかったので、結局展覧会を3周も見て回ってしまった。モダンアートなんてとバカにしていたのは誰だ!(^^ゞ
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ーーー続く

wassho at 23:42|PermalinkComments(0) 美術展 

2017年03月26日

クロッカスとチューリップの状況

もうすぐ4月なのに本日の東京は正午で気温5.5度。ブルブルとまるで真冬の寒さ。21日に気象庁が靖国神社で桜が開花したと発表したけれど、満開になるにはまだしばらく時間が掛かりそう。


3月10日に開花したクロッカスは、その後も順調でたくさん花をつけている。
最初は黄色と紫の花だけで、その色の球根しか入っていなかったのかと思っていたら、
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白や、白と紫のミックスなんかも咲き出した。
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今日は雨で日差しがないから花はしぼんでいるものの、普段はベランダを賑やかにしてくれている。(これは昨日の撮影)
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チューリップも発芽は順調。

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3月18日
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今シーズンは190球根を発注して、国華園のミスで4球少なく届き、後で16球送られてきたから差し引き合計は202球。8つの長方形プランターに植えられるのは184球で、例年なら残りは実家の庭に植えている。しかし今年は正月に帰省しなかったので丸形のプランター3つを買い増して202球すべてを植えた。また古いプランターをかき集めてクロッカスも植えたからベランダはプランターだらけである。


現在、発芽していないと思われるのは8球ほど。発芽していない部分を少し掘ってみても芽は伸びてきていないから、これらの球根はご臨終かと思われるΩ\ζ゜)チーン
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でも発芽率は(202−8)÷202=96%だからかなりの好成績かと。

しかしである。
去年の同じ日の3月26日には今にも咲きそうなツボミが11個もあり、一昨年も3月22日にツボミが膨らみ30日に開花している。それと較べると今年の生育は遅れ気味。

開花率は2015年シーズンが25%、2016年シーズンで57%とここ2年は惨憺たる結果。この96%の発芽率がぬか喜びでなければいいのだが。ゆっくりでいいからたくさん咲いて欲しいものだ。

wassho at 17:24|PermalinkComments(0)   *チューリップ |   *チューリップ以外

2017年03月22日

Twitter(読むだけ)始めました

iPhoneを昨年末に買い換えたのをきっかけにTwitterのアプリを入れた。当時まだ就任前のトランプ大統領がTwitterで罵詈雑言を発信しているとよくニュースになっており、それを直接読んでみたいと思ったのが一番の理由。


このブログを始めたのは2004年の11月でずいぶんと昔。日本でブログ元年と呼ばれ急速にブログが普及したのは2005年か2006年だから、まあハシリの頃に手をつけたことになる。その後SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)と呼ばれるTwitterやFacebookが2008年頃に日本でも導入されたけれど特に触手は動かず。その他のいろんなSNSも同様。新しもの好きだし社会勉強も兼ねて一通りは眺めてみても、別にまあいいかとそれだけで終わっていた。例外はLINE。でもこれは実際の知り合いだけの“プライベート”なネットワークなので個人的にはSNSという分類に入れるのはピンとこない。

Twitterロゴ

Twitterに話を戻すとトランプ大統領は今でも毎日吠えている。3日遅れでそれがニュースになることもあり、意外とタイムラグがあるものだと思ったりする。英語的にはTwitterは短文なので私レベルでもだいたい読める。でも2〜3の単語がわからずそれで全体の意味が理解できないことも。それでTwitterには翻訳機能もついているのだが、この翻訳がダメダメなのが悩みの種。現在はTwitterで文章をコピーしてグーグルの翻訳アプリにペーストしている。グーグルの翻訳は8割方満足できる。しかしこのひと手間が結構面倒。Twitterの翻訳はBingというマイクロソフトが提供するサービスを使っているが、是非考え直してもらいたい。


※ここからはTwitterの専門用語が出てくるが、それを説明するのは大変なので、知らない人は自分で調べてちょうだいm(_ _)m


現在フォローしているアカウントは50弱。基本的に情報ツールとして利用しているから半分くらいはメディア系。英語の勉強のために海外メディアもいくつか入っている。ついグーグル翻訳してしまうが。


Twitterを設定すると最初に「フォローするお勧めのアカウント」というのが30名くらい表示される。いわゆる著名人であったり、マスコミでは見かけなくてもネット世界では有名な人たち。最初はそれをすべてフォローしていた。そうすると山ほどツイートが流れてくるし、たいした内容でもないので数日でほとんど外してしまった。現在残っている中で一番楽しみにしているのはデイブ・スペクターのアカウント。例の“アメリカン・ジョーク”を毎日ツイートしてくれる。まあよく考えつくものだと尊敬し始めた。


50弱のフォローでも流れてくるツイートはかなりの数になる。とてもすべては読めず目を通しているのは1/4くらい。Twitterを始めると読むべきツイートかそうでないかを瞬時に判断する速読術が身につくかも。ところでビックリするのはTwitterユーザのフォロー数は中央値で466だという調査結果。ちょっと信じがたい数字。いったいどれだけの時間をTwitterに費やしているんだろう。仕事柄たいていの調査結果は背景の想像がつくのだが、まだまだ世間知らずなのかな。自信喪失(/o\)


でも時々有名人でない一般人のツイートが炎上するという事件があるから、それが起きるには多数のユーザーがその程度のフォローをしているということなのかもしれない。Twitterにはリツイートという他人のツイートを転送するような機能があって、フォローしているアカウントが重複していないと強引に仮定すれば、単純計算でリツイートを含めたフォロー数は466の二乗=21万7156にもなる。それがいわゆる拡散のメカニズム。また話題のキーワードを表示する画面もあるし、キーワードで検索する機能もある。バカッター事件の時もどうして多くの人がそのツイートを知ったのか不思議だったが、そのあたりは今後の自由研究課題。いつの夏休みになるかわからないが。


ところで昔、見聞を広めるためにまったく興味のない分野の雑誌を、年に2〜3冊買うことをよくやっていた。現在フォローしているアカウントの1/3はそんな感じで、私の守備範囲外の人たちや企業。頻繁に入れ替えているせいもあるし、情報の質的にもなかなか見聞を広めるまでは至っていないけれど、たまにヘエ〜というような発見はある。Twitterの珍しい使い方かな。なお自分でツイートすることは今のところ考えていない。でもまったくキャラを替え、別人になりきってツイートするのはおもしろいかなと密かに企んでいる。

wassho at 21:13|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2017年03月15日

首の不思議

運動不足を少しでも防ぐためにラジオ体操を始めたことは何回か前のエントリーで書いた。それで初めて気がついた「首を右に傾けるとグチュとイヤな音がする」という不安な現象。未だ何も解決せずというか、不安に思っているだけで原因究明や解決のアクションを起こしていないのだが、首を傾けたり回したりしているうちにおもしろいことを発見した。


私は右側には首を45度ほど傾けられるけれど、左側にはその半分くらいしか傾けられない。それはたぶん普段の姿勢として、私の頭が右側に少し傾いていることが多いのが原因かもしれない。そんなに極端に傾いているわけではなく、誰でもリラックスしている時は左右どちらかに少しは傾いているものだと思う。まあそれでも長年そんな姿勢だったせいで、首の左側の筋肉が伸びきって、左側に傾ける時に充分に縮まないようになってしまったのかもしれない。


発見というのは身体が直立した状態では前述の通りなのだが、ソファにもたれかかると左側にも首がよく傾くということ。感覚的には右側の半分だったものが3/4位まで改善されている気がする。最初はソファにもたれかかって無駄な力が抜けるからかと思ったが、立ったままでも上体を前傾あるいは後傾させれば同じような現象が起きることもわかった。背骨の角度で首や肩周りの筋肉の緊張状態が変わるのかも知れない。


はい、何の役にも立たないそれだけの話。でも今まで聞いたことがなかったし(でしょ?)、ネットで調べてもそんな情報は見つけられなかったから、次のノーベル医学賞はきっと私が受賞するに違いない(^^ゞ


ところで始めて1ヶ月半ほどになるラジオ体操。最近、歩いている時や(電車などで)突っ立っている時、上半身がすごく楽になってきた。上半身が楽と書いてもニュアンスを伝えづらいし、今まで上半身がツラかったわけでもない。しかし何となく身体が軽快な感じ。

Eテレのラジオ体操放送でコーチが一番口にするのが「筋肉をほぐしましょう」という言葉である。もし本当に筋肉がほぐれてしまったら大惨事だが(^^ゞ、まあ多少は体操の効果が出てきたのかもしれない。

wassho at 20:02|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2017年03月13日

クロッカスが開花

チューリップの球根を買ったらオマケでついてきたクロッカス。
3月7日にツボミが付いているのを発見。
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そして10日に黄色がめでたく開花。写真は11日の土曜日に撮ったもの。
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紫もツボミが大きくなってきた。
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黄色のツボミがもう1つ。同じ鉢の他の芽にはツボミの気配がないが、このツボミも前日までは同じようなものだった。クロッカスは一夜にして突然に膨らむみたいだ。
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さてチューリップは今のところ順調に発芽している。

2月18日
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2月25日
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3月11日
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ところで2月3日に少しは咲いたことをブログに書いたクリスマス・カクタス。室内に取り込まずベランダに出しっぱなしの鉢のつぼみは色つやも悪く、例年ならそのまま落ちてしまう。それなのに今年はーーー

2月18日:色が濃くなってきているのを発見。
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2月25日に3代目の挿し芽でメデタク1つ開花!ベランダで咲いたのは実に久し振り。
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ただし初代の挿し芽はツボミのまま(/o\)
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しかし3月7日には初代、3代目共に開花。
ツボミの数は少ないけれど、膨らんだものはすべて咲いたのでいちおう満開?
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                           (撮影は3月11日)


春は近かりしなり。

wassho at 01:15|PermalinkComments(0)   *チューリップ |   *チューリップ以外

2017年03月08日

最近、抹茶を飲んでいる

少し前までよく放送されていたネスレ・ドルチェ グストの抹茶を飲むコマーシャル。料亭の主人が「店で出せる味や」というセリフが印象的だった。


先日それを飲む機会があった。
想像以上においしかった。


それで自宅でも抹茶に挑戦することに。ドルチェ グストは詳しくは知らないがエスプレッソマシンのようなもの。そちらはイルサというマキネッタで間に合っているし、抹茶のためだけにあの大きな器具を買う気もしなかった。

ミニサイズの泡立て器があったことを思い出し、とりあえずそれで抹茶をかき混ぜてみようとキッチンを探す。しかし見つからず。それはコーヒースプーンの代わりに使うシャレ商品のようなもので、たぶん誰かにもらったものだ。使った記憶もなくもう捨ててしまったのかもしれない。
ミニ泡立て器


その代わりこんなものをみつけた。これはハリオというメーカーのクリーマーゼットという小型の電動泡立て器。本体の長さは20センチちょっと。マキネッタを買った時に、エスプレッソに泡立てたクリームやミルクを入れて飲むかと考えて揃えたもの。しかしマキネッタで作るのはエスプレッソのお湯わりであるカフェ・アメリカーノがほとんど。2〜3回使っただけで買ったことすら忘れていた。
クリーマー


マグカップに抹茶とお湯を入れクリーマーゼットでビューンとかき回す。
作業は数秒で終わる。抹茶の泡立ちも充分。

ドルチェ グストの時も思ったけれど抹茶ってこんなにおいしい飲み物だったのかというのが感想。いわゆる茶道のお手前で抹茶を飲んだことは2〜3回あるが、もっと苦くて飲みづらかった印象だった。濃度が違ったのかな。


調べてみると抹茶というのはお茶の葉をただ粉末にしただけでなく、あまり日差しを当てないなど葉の育て方が違うとのこと。そうすると苦みや渋みが少ない茶葉になるらしい。普通のお茶と較べると葉に含まれるカテキンは半分くらいだが、抹茶は粉ごと飲むようなものだから結果的にその摂取量は多くなる。そういえば以前は夏になると水出し緑茶を作っていて、それにも抹茶を少し混ぜていたことを思い出した。


正確な表現は難しいのだが抹茶に苦みや渋みはまったくなく、逆にほのかな甘みを感じる。これがなかなか魅力的。電動泡立て器がなくても、ミニサイズの泡立て器(数百円)でOKだと思うし、ちょっと時間はかかるだろうがハシで混ぜてもとりあえずは作れるんじゃないかな。泡は立たないかもしれないが、どうせ泡は飲んでいる途中に消えるし味には影響ない。もちろん茶筅(ちゃせん)で立てるのが本格的だが、それだと面積の広い茶碗が必要になる。とにかく抹茶を飲んだことがない人は試してみて損はしないと思う。


現在、お湯の温度とか混ぜ方とかいろいろと研究中。抹茶はスーパーで売っている30グラムで500円くらいのもの。そのうち高級なのも試してみようかと思っている。しかしコーヒー豆もそこそこいいものを使っているけれど、それと較べても日本茶の高級品はベラボーに高いから、高級抹茶を知って引き返せなくなったら怖い(^^ゞ

wassho at 08:39|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2017年03月05日

iPhone SEにした理由 その2

機種交換の手続きに何事もなければ、何の疑いもなくというか深く考えずにiPhone7にしていたはずだが、幸か不幸かそうはならなかった。

それであれこれ考え直してみた。
その一番の理由は前回書いたようにiPhone7のサイズが私の使い方にあわなかったから。デザインもいいとは思えなかったので、この時点で購入モチベーションはかなりダウン。


ところでiPhoneにはSEという機種がある。メモリーは64ギガまでとそれまで使っていたiPhone4Sと同じ容量で大きくないとはいえ、価格はビックリの2万2680円。10万5624円するiPhone7の256ギガメモリータイプと較べて8万2944円も安い。この機種の存在は最初から知っていたものの廉価版、安物のイメージしかなく購入対象には入っていなかった。でも私にとって使いやすいサイズはこのSEしかない。


そこでガラケーとiPhoneの2台持ちだった今までの使い方を整理してみると、

  ガラケーで電話とメールを使用。

  iPhoneは携帯音楽プレーヤーとしての使用時間が断トツに長い。

  いろいろなアプリも使っていても、そのほとんどはウエッブをベースに作られ
  ている。アクション系のゲームとかはしないので処理能力の高いCPUは必要ない。


よって、そこから導き出されるのは

  電話とメールと私が使うアプリならiPhoneSEで充分だろう。

  廉価版といっても5年前のiPhone4Sよりハイスペックだし、今までだって
  パワー不足を感じたこともない。液晶画面もiPhone4Sより少しは大きい。


だから

   「スマホは安いiPhoneSEにして」
   「それで浮いたお金で」
   「本格的な携帯音楽プレーヤーを」

別に買った方が、より幸せなデジタル・モバイル生活を送れるとの結論になる。


そして実際にそうした。
新しく買った携帯音楽プレーヤーについては、いずれまたの機会に。


iPhoneSEはまったく不足なく使えている。唯一の誤算は私が自宅で使っているMacと接続でなかったこと。これはバージョン10.6.8と古いMacOSを使っているのが原因。少し専門的な話になるが、10.6.8より後のMacOSでは、昔のMacに搭載されていたモトローラ製CPU向けのアプリケーションを動かすロゼッタという機能が廃止された。

私はそれらのアプリケーションで作成したかなりの数のファイルが今でも必要になる場合が多く、MacOSのバージョンアップができずにいる。こういうMacユーザーはロゼッタ難民といわれているらしい。


しかしiCloud(アイ・クラウド)というAppleが提供するウエッブを介した仕組みを使えば、iPhoneとMacでデータの転送や同期ができるので今のところ大きな不便は感じていない。ただしiCloudではMacに貯めた音楽データをiPhoneに送ることはできない。もちろん携帯音楽プレーヤーは別のものを買ったので問題はない。もし当初の予定通りiPhone7に機種変更して、それを音楽プレーヤーとしても使うのだったら、Macも新しい機種が1台必要になるところだった。ヤバかったぜ(^^ゞ




おしまい

wassho at 18:17|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2017年03月02日

iPhone SEにした理由

昨年末に7年10ヶ月ぶりに携帯を買い換えようとしたら、ビックカメラとドコモのせいで不愉快な思いをした話は以前に書いた。その時は手続きができず、数日後に改めて買い換えに出かけるはめに。


ドコモのガラケーを7年10ヶ月、いわゆる2台持ちしていたソフトバンクのiPhoneは5年1ヶ月も使っていたくらいで、ケータイやスマホといったものにあまり重きをおいていない。私にとっては単なる実用品。だからドコモのiPhoneに一本化する以外は、どの機種にするとかどんな契約にするかとは深く考えていなかった。


もちろん事前に価格くらいは調べた。最新型のiPhone7の256ギガ・メモリータイプは10万5624円(これは現在ドコモのホームページに載っている価格。昨年12月から変動していてもごく僅かだと思う)。高っか!と思ったけれど、iPhone以外の選択は考えていなかったし、音楽プレーヤーとしても使うので256ギガのメモリー容量は魅力的だった。それと1つ前のバージョンであるiPhone6Sは128ギガのメモリーまでのものしかなく、それでいて価格は9万9792円。その差はたったの5832円。だったら新しいiPhone7にするかというのがその時点の判断。


iPhone7をまじまじと見たのは最初に買いに行った時が初めてである。
それで感想は


(1)デカッ!

5年間使っていたのはiPhoneは4Sという機種。その次の5シリーズで少し大きくなり、6シリーズではさらに大きくなり、また6Plusという大画面バージョンがラインナップに加えられたことは知っていた。(最新の7シリーズは6シリーズと同じ大きさ)


そして実際にiPhone7を手に取ってみると想像以上に大きかった。もちろん画面は大きい方が見やすいし「電話機」としてはギリギリ扱える大きさではある。しかし私は基本的にケータイをズボンのポケットに入れて持ち運んでいる。常にマナーモードでバイブレーションで着信等を知るのだが、なぜかジャケットの内ポケットでは振動を感じない場合が多いからである。iPhone7はズボンに入れるには少し邪魔な大きさのように感じられた。


写真のSEは5シリーズと同じ大きさ。だからiPhoneは4Sはそれより一回り小さい。こちらの記事で、特に歴代機種を重ねて描いてあるイラストを見るとサイズの違いがよくわかる。
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(2)ブサイク(/o\)

iPhoneは6シリーズから厚み部分がやや丸みを帯びたデザインになった。まあこれは好みの問題としても、何となくシンプルで機能美的なイメージが薄まり、アンドロイドのスマホに似てしまったというか。この写真じゃ全体的なイメージの違いはわからないかもしれないが。
スライド2


そんなわけでiPhone7のデザインはあまり気に入らなかったが、他に選択肢はないから、それを買うつもりだった。しかし前述したようにその日には買えなかったのである。


次に買いに行くまで数日間あった。
そのおかげで少し考える時間ができた。



ーーー続く

wassho at 22:15|PermalinkComments(0) 生活、日常