2018年04月

2018年04月25日

仰げば尊し我が BMW F800R

こういう風景をバイク界隈ではドナドナといったりする。
その由来はこの唄。

  ♪ある晴れた昼さがり 市場へ続く道〜

サビの部分である

  ♪ドナ・ドナ・ドナ・ドナ子牛を乗せて、
  ♪ドナ・ドナ・ドナ・ドナ荷馬車がゆれる〜

の歌詞とメロディは印象的だから覚えている人は多いんじゃないかな。ドナとは牛を追う時の掛け声らしい。曲名はズバリそのものの「ドナドナ」。唄えても曲名は知らない人はいるかもしれない。
ドナドナ


さて伊豆へのラストツーリング12回連載と、それより前にバイクでハシゴした美術館の話などを先に書いたので、早いものでもう1ヶ月近く経ってしまった。ドナドナされたのは3月28日。

手放したのはここに書いた駐車場が閉鎖になったのが理由。屋根なしの場所に保管する気はなかったし、別の業者が運営する屋内バイク専用駐車場も見つけたが空き待ち。それに自宅からはちょっと遠かった。そういうわけで潔くか仕方なくかは微妙であるが、とりあえずはバイクを降りるとした。



7年前に気まぐれで買ったバイク。その2週間前までそんなつもりはまったくなく、自分でもビックリの衝動買い。しかしこの7年間はかけがえのない時間を過ごしたと思う。メジャーな観光地からマイナースポットまで、いろいろなところをツーリングしてきた。人生の体験値がとても豊かになったと実感している。

バイクの楽しみ方は人それぞれ。私の場合はバイクに乗るそれ自体より、ツーリングの目的地優先だった。どこかへ出かけ、そこで日常とは少し違った過ごし方をする時間を大切にしてきた。それが最高のリフレッシュ、リセットになる。ストレスを解消しすぎて人間としての切れ味が鈍った気もするくらい(^^ゞ

だから、どちらかというとバイクは移動手段だったかもしれない。バイクいじりも必要最小限。それでも同じ場所に行くならクルマを運転するよりバイクのほうが楽しいとの気持ちはあるし(ツライことも多いが)、クネクネした道ではライディングそのものも味わってきた。ただしコーナーを「攻める」なんてまねは一度もしなかったけれど。



またバイクに乗りたいとは思っているものの、いつになるかはわからない。実現しない可能性もある。こういうのは成り行きに任せるのをポリシーとしている。どうしてもウズウズしたらレンタルバイクという手もある。それに関東より遠いエリアなら別の交通手段を利用して、現地ツーリングをレンタルバイクで走るほうがいいかなとも考えている。

考えてみるとBMW F800R自体の評価や感想をブログに書いたことはほとんどない。これしか乗っていないのでわからないのが正直なところ。でも7年間も乗り続けたのは特に大きな不満がなかった証でもある。世評ではスポーツでもなくツアラーでもない中途半端な性格のバイクとされている。そういうところが私にピッタリでした!


それではご斉唱ください(^^ゞ

   ♪思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
   ♪今こそ 別れめ いざさらば ーーーーーーーーー 号泣 (☍﹏⁰)。

wassho at 07:28|PermalinkComments(0)   *バイク関連 

2018年04月22日

朽ち果て美学のチューリップ

チューリップの花は先週あたりですっかり終わってしまい、もう萎れた花びらすらほとんど残っていない。


結局、白の単色は1つか2つ咲いただけで、2色咲きの黄色はゼロ。30球植えたはずのオレンジも7〜8つだけと、品種によって大きな差が出たのが今シーズンの特徴。
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真ん中の列だけまだ発芽していないプランターがあると何度か書いたが、球根が死んでいたようでそのままに終わった。
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また葉や茎だけ伸びてツボミをつけない株が毎年ある。今シーズンはそれが多かったように思う。そういうのは遅れてツボミをつけたとしても、老衰状態のツボミで花は咲かない。
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来週あたりに雄しべ雌しべがついている茎を切り取って何本咲いたか数えるつもり。開花率はかなり低いかも。4月初旬が暖かすぎたせいで満開になっている期間も短く、何かと不完全燃焼な気分である。


さらに、萎れていく花びらが面白い形になるのを眺めるのも楽しみのひとつにしているのだが、今年は春一番が何十回もあったといわれるように風の強い日が多く、あれよあれよという間に花びらも散ってしまった。

まだ元気なうちに倒されてしまいモノノアワレなチューリップ。
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強風の影響で朽ち果て期間も短かったので、今シーズンは「変な形大賞」はなし。
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ところで地面に接していたモノノアワレは4月12日の写真。なんと4月15日には最後の力を振り絞って、ここまで起きてきた! 先ほどの写真と較べて、花びらはかなり萎びているのにスゴイ。
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本日発見!
今年も出ましたアブラムシ。しかし昨年のような大量発生ではなく1本の茎だけ。初出現の昨年もそうだったけれど、アブラムシというのは盛りが過ぎたチューリップにつくものなのか? それなら花に影響しないから構わないとしても、やっぱりしっかり殺虫剤散布。
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恒例の雄しべ雌しべ写真。
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最後にちょっとはキレイな朽ち果て途中のチューリップを。
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wassho at 21:10|PermalinkComments(0)   *チューリップ 

2018年04月20日

白寿記念 堀文子展 その2

バイクでツーリングしながら美術館を訪れることが好きなのは、何度かブログでも書いてきた。ガァーっと走ってシーンと鑑賞するコントラストが楽しくてまた心地よい。ところで普段は当然ながら「見てみたい」という選択基準で展覧会を選ぶ。一方でツーリング目的地に美術館を組み込む場合は「よほど興味のないもの以外なら」とハードルが下がる。そう都合よくツーリングに併せて好みの展覧会が開かれているわけではないから。

しかし今回の堀文子展は見に行きたいと思った展覧会だった。それは彼女がブルーポピーを描いている画家だから。そのことはずっと以前にテレビ番組か何かで知ったように思う。また前回のエントリーで書いた彼女の略歴に「82歳の時に高原植物を求めヒマラヤ山脈を踏破」とあるが、その高原植物こそがブルーポピーである。

青いケシ

一般には「青いケシ」と呼ばれることが多いこの植物は、私がぜひ見たいと思い続けている花でもある。原産地はヒマラヤとかチベットあたり。東京の近くでは箱根の湿生花園で5月から6月にかけて花を咲かせる。この箱根湿生花園には過去に何度も訪れようとしたのだが、スケジュールが合わなかったり天候が悪かったりと果たせず。昨年ようやくツーリングできそうになったら「苗を分けてもらう北海道の天候不順により育成不良となったので、本年は植えていない」というまさかの告知がホームページに(>_<)

全国的にもっとも有名なのは長野県の大鹿村にある中村農園。ではそこまで行ってやるかと意気込んだものの、ちょっとバイクで行くには遠いなあと躊躇しているうちにシーズンが終わってしまい(/o\)

というわけで私にとって青いケシは、未だ目にしたことのない幻の花。だから絵でもいいからその花を見たかったというと大げさだが。


ヒマラヤの青き罌粟  2000年  ※罌粟は「けし」
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幻の花 ブルーポピー  2001年
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写真で見たことがある青いケシよりズングリした印象。日本で栽培されているのとヒマラヤとでは姿が違うのかな。ところで青い色の花は数少ないし、ポピーのツボミは気味の悪い変わった形をしている。だから予備知識なしでこの絵を見たら架空の植物と思うんじゃないかな。それにしても長野が遠いと断念した私に対して、この花を見るために82歳でヒマラヤまで出かけるなんて。完敗!


それはさておき、
よく見るとこの2つの作品は咲いている花の形と向きがそっくりである。おそらく同じスケッチから絵を書き起こしたものと思われる。ブログのためにネットで色々と調べているときに気がついたのだが、堀文子にはこういう微妙なバリエーション違いの作品が多い。

いいか悪いかは別として現代の画家は、リトグラフなどとネーミングをされた数量限定の高級印刷ポスターを制作するために、バリエーション違いの作品がいくつも必要になるんだろうな。えーっと「いいか悪いかは別として」と前置きするときは、心の底にネガティブな気持ちがあるよね(^^ゞ



春  1969年
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花霞  1973年
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春を描いたウメとサクラの絵。この2つはどちらもよかったが、もうすぐサクラが満開になろうかという時に展覧会を訪れたので、「花霞」を見るとワクワクする感覚を覚えた。霞の奥にスーッと引き込まれそうな魅力もある。堀文子のファンタジーてんこ盛りに少し飽きてきて、それが控えめなのがよかったのかもしれない。



そんな私の気持ちを察したのか? 彼女のファンタジーはだんだんと枯れていい味になり、また新たな世界を見せてくれた。特に「冬野の詩」は日本画とファンタジーの究極の集大成だと思う。


初秋  1979年
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群雀  1975年
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華やぐ終焉  2004年
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秋炎  1970年
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霧氷  1982年
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冬野の詩  1988年
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しかしそれだけで収まらないのが堀文子大先生。なんと顕微鏡をのぞき込みながら絵を描き始めた! ここまで来ると「私の創造性についてこれる?」と挑発されているような気にもなるし、また同時に「描いて、見て、楽しければそれが絵画」と教えられているようにも思えた。それにしても、まさか絵の展覧会でミジンコを見るとは思わなかったわ。


極微の宇宙に生きるものたち II  2002年
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妖精(クリオネ)と遊ぶ  2003年
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光る海  2008年
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海が太陽に照らされて輝いている時、それはカメラ的には逆光ということ。だから写真を撮っても、目の前の海とは似ても似つかぬ暗い風景が撮れるだけ。カメラをいじったことがある人なら、それで残念な気持ちになったことがあるだろう。そしてこの絵を見て思うはず。お見事!



バラエティに富んだ作品でたいへん楽しめた展覧会だった。ファンタジーと観察眼。今振り返って思えば、これが堀文子作品のベースにある要素かな。さらに遡ればそれは好奇心と行動力に支えられているような気もするけれど、堀文子研究者じゃないので「サクラ、キレイ〜」とか「わーっ、ミジンコやあ」とか思いながらニコニコと時間を過ごせただけで充分な幸せ。

ところでこの展覧会は彼女の白寿を記念してのもの。喜寿、米寿、白寿は11年ごとにやってくる。でも99歳の白寿の次は、翌年100歳で紀寿あるいは百寿というお祝いになるらしい。また展覧会を開いてくれたら見に行くよ。


おしまい

wassho at 20:04|PermalinkComments(0) 美術展 

2018年04月19日

白寿記念 堀文子展

1つ前のエントリーと同じく、こちらも3月17日に美術館をバイクでハシゴしてきた展覧会。この堀文子雄展は神奈川県立近代美術館・葉山館での開催。


堀文子の作品は何度か目にしたことはあるが、これだけまとまった数では初めて。少しモダンな日本画を描く女性の画家程度の印象しか持っていなかったが、展覧会を見終えてその認識は180度変わった。一言でいうとーーーと書きたいが、一言ではなかなかカバーできない守備範囲の広い人。画家の画風が変わっていくのはよくあること。しかし堀文子の場合は、次から次へと描きたいテーマが現れて、それにつれて絵も変わるようだ。だから展覧会では彼女の絵しか展示されていないのに、何人かの画家の絵を見たような気分になる。

サブタイトルになっている白寿は、喜寿や米寿ほど耳にすることはないが99歳という意味。漢字の百から一を取ると白になるという理由らしい。喜寿も米寿も漢字の読みがその由来だが、白寿はちょっとトンチが効いておもしろい。

ということで1918年(大正7年)生まれの御年99歳で、この7月には100歳になられる。18歳の時、自宅近くで二・二六事件を目撃したというから年代を感じる。前回の東京オリンピックをテレビで見たくらいじゃ、まだまだ子供(^^ゞ

略歴を見ると43歳から46歳まで3年をかけてエジプト、ギリシャ、イタリア、フランス、アメリカ、メキシコを放浪し〜69歳でイタリアにもアトリエを構えて〜77歳でアマゾン、マヤ遺跡・インカ遺跡へスケッチに出かけ〜82歳の時に高原植物を求めヒマラヤ山脈を踏破とある。好奇心も旺盛なのだろうが、この行動力は素晴らしい。




まずは初期の作品から。次の2点は1949年に八丈島を訪れて描いたもの。

八丈島風景B  1949年
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八丈島  1950年
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どちらもカゴを頭で支えて何かを運んでいる女性がモチーフ。南方的な雰囲気が色濃く出ている。でもいくら1949年(昭和24年)の八丈島が今とは違うとしても、こんなゴーギャンのタヒチみたいな光景が八丈島にあったの?


月と猫  1950年
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これも背景の描き方から八丈島かな。何ともユーモラスな作品。いわゆる猫好きには堪らないというやつか。もちろんこんなポーズも身体の模様もあり得ないから、八丈島シリーズは堀文子のファンタージーがかなり盛られていると気付く。


そして、そのファンタジーにドンドン引き込まれることに。それにしても次の2つは同じようなテーマを描いているのに、まったく違う世界になっている。

高原  1952年
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山の思い出  1955年
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43歳からの世界放浪の時にメキシコでインスピレーションを得て描かれた作品。もちろんファンタジーだから、メキシコに行ってもこんな恐ろしい目に会うことはないだろう(^^ゞ

チアパスの夜  1966年
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仮面と老婆  1966年
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メキシコを描いたものは他にも数点が展示されていたが、他の国の作品はなかった。描かなかったのか、たまたま今回は選定されなかったのだろうか。エジプトやギリシャに堀文子がどんなファンタジーをいだいたのか、またアメリカが彼女の目にどう映ったかはとても興味がある。



堀文子がイタリアにアトリエを構えたのはトスカーナ地方。イタリア中西部でフィレンツェがあるところ。こんな景色が広がっているかは別として、一度は訪れて見たいルネサンスの発祥地。

トスカーナの花野  1990年
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さて、そろそろ文章を1つの流れとしてはまとめきれないほどいろんなタイプの作品が続く。何人かの画家の絵を見たような気分になると、最初に書いた意味がわかってもらえると思う。

終り  1992年
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ベランダでチューリップを育てるのが私の趣味。そしてチューリップが盛りを過ぎて花びらが変形していく様を見るのも楽しみにしているのだが、堀文子にも同じ趣味があった? と思ったらもっと深遠なものをこのヒマワリから感じていたみたい。彼女のエッセイから引用すると

  ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ

  ひまわり畠の終焉は、その時の私の何かを変える程の衝撃だった。ひまわりは頭に
  黒い種をみのらせ、生涯の栄光の時を迎えていたのだ。大地を見つめる顔は敗北で
  はなく、そのやせた姿にも解脱の風格があった。その顔一杯の種は、次の生命を
  宿し充実していた。死が生涯の華々しい時だという事を、ひまわりから学んだ
  あの日を忘れない。

彼女と私の精神レベルの違いを思い知る(^^ゞ 「死が生涯の華々しい時」とは含蓄のある言葉。なお堀文子はエッセイや画文集を何冊か出している。




ひまわりのような精神性溢れる絵を描いたと思えば、手のひらを返したように次のような作品が展示されているのが堀弘子の面白いところ。彼女の絵を何点か見せられた後に「この画家が描いたその他の作品を、この会場の中から選びなさい」というクイズを出されたら正解する自信はないなあ。


ユートピア  2001年
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鳥達の唄  2002年
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ーーー続く

wassho at 08:51|PermalinkComments(0) 美術展 

2018年04月17日

青山義雄展 きらめく航跡をたどる

3月17日に横須賀美術館と神奈川県立近代美術館の葉山館をバイクでハシゴしてきた展覧会。伊豆へのラストツーリングが12回もの連載になって、すっかりブログにするのが遅れてしまった。この青山義雄展は横須賀美術館での開催。



青山義雄は1894年(明治27年:日清戦争勃発の年)に横須賀に生まれ、1996年に102歳で亡くなった画家。1921年(大正10年)27歳の時にフランスに渡る。1935年に41歳で一時帰国のつもりで日本に戻ったが、第二次世界大戦(1939〜1945年)の影響などで、次にフランスに渡れたのは1952年58歳の時。その後は92歳までフランスで活動を続ける。帰国の理由は「体力の衰え」だそうで、ということは80歳代ではまだピンピンしていたわけだ。

27歳から41歳までの14年間と58歳から92歳までの34年間の合計48年間、つまり画家として活躍した時期の多くを青山義雄はフランスで過ごしたことになる。だから日本での知名度はまだ低いらしい。かといってフランスで有名というわけでもなさそうだが。私も彼のことをまったく知らなかった。

青山義雄のことを調べると必ず触れられているのがマティスとの交友関係。マティスが彼の才能を認め、彼はマティスを師匠と仰いでいたとされる。第二次世界大戦の影響で、まだ日本人に渡航制限があった第2期渡仏の際は、マティスが入国に必要な書類を用意したらしい。だからそれなりの深い関係があったのは事実。でも何かにつけて「あの巨匠マティスが認めた日本人画家」みたいな枕詞を付けて青山義雄を呼ぶのはどうかと思う。



さて彼のようにそれほどメジャーでない画家の展覧会を、ブログで取り上げるときに困るのは作品の画像を集められないこと。過去にもそういうことはあったが、今回は特に集まらなかった。自分が気に入った作品を載せて、あれこれ適当なことをエラソーに書くのが趣味なのに(^^ゞ

まあ文句を言っても始まらないのでーーー



二人の男 1922年
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展覧会では年代を追って作品が紹介され画風の変遷を知ることができる。しかしこの最初に渡仏した翌年の作品だけは他の作品とまったくつながりがなかった。たまたま選定の都合でそうなったのか、あるいはこの画風をその後はやめてしまったのかはわからない。どことなくCDのジャケットにでも似合いそうなポップな雰囲気もある。この路線も少し続けて発展させて欲しかったな。



海辺の輪舞  1926年
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いやでもマティスのダンスを連想する作品。ところで青山義雄はマティスと同じように「色彩の魔術師」と日本では呼ばれる。それが「元祖色彩の魔術師」であるマティスが彼を気に入った理由だとも。しかし青山義雄がマティスに出会った第1期フランス時代の彼は、色数は使っていても暗めの色調。原色もよく使ったフォーヴィスムのマティスと共通点はない。「あの巨匠マティスが認めた日本人画家」なんてキャッチフレーズが一人歩きして、安直な連想になっているのだろう。



北洋落日  1938年
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日本に戻っていたときの作品。色鮮やかになってくるのはこの頃から。でもまだ「魔術師」のレベルには達していない。他に画像が見つからなかったので仕方なく紹介。



南仏アルプス遠望  1954年
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再び渡仏した頃の作品。タイトルがなければ作品上部に描かれているのが、山並みとは気付かなかったと思う。「浦賀水道・春」もそうだが、ところどころにあり得ない色使いをして、でも全体の調和が取れて美しく描くのが青山義雄の世界なのかもしれない。



バラ園  1993年
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この作品ではないが青山義雄は92歳で帰国した2年後に、バラの絵を描くためにまた1年間フランスに渡航している。スーパーじいちゃん!


浦賀水道・春  1992年
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これは観音崎のホテルに滞在して描いたとされるから、横須賀美術館の向かいにある京急ホテルからの眺めだろう。人生の大半をフランスで過ごした青山義雄が、行き交う船に思いを馳せていたのかもしれない。展覧会を訪れた人は同じ景色を見ながら横須賀美術館に入るわけで、画家とシンクロしたような気分に浸れる。

また海岸ツーリング好きとしては、青だけではなく緑も使って描き別けた海の表現が素晴らしい。京急ホテルに入ったことはないが、観音崎周辺にはこういうふうに見える場所もある。しかし空が紫色なのは海の表現を引き立たせるため? あるいは心象風景? まあきれいな絵だからどっちでもイイヤ。



青山義雄はオーソドックスな画風である。一目見てわかるようなオリジナリティはない。あえていえばどこの画廊にもひとつくらいは飾ってあるような普通の絵。でも展覧会を見終えて「来てよかったな」という気持ちになった理由はおそらく、きれいな色使いのものが多かったことに加えて、それらが

  彼が長く過ごした南仏ニースなどを描いた作品だった

点にあるような気がする。やはり「絵になるところを描いたほうが絵になるのだ」という真理を再確認。別にディスっているわけじゃない。画家の仕事の半分は何を描くかの選択だと思っている。


それにしても展覧会の作品画像を集められなかったことにフラストレーションがたまる。興味を持ったらGoogleで青山義雄を画像検索して彼の世界を楽しんでちょうだい。とりあえず検索結果の画像を貼っておく。

けんさく


wassho at 07:16|PermalinkComments(0) 美術展 

2018年04月14日

ラストツーリングは伊豆半島 番外編

やってもうたあああああ!!!
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場所は初日の3月23日に訪れた細野高原。ここは道幅も狭いけれど、ところどころ道路が傷んで大きなデコボコになっている。その特にひどいところを通過するとき、慎重にとスピードを落としすぎてタイヤが引っかかったようになり、バイクが大きく傾いて足で支えきれずーーー。今から考えればデコボコは無視して、ある程度のスピードで一気に通過したらよかったのかもしれない。

転倒時のスピードはほぼゼロだから「立ちごけ」みたいなもの。※バイクの世界で立ちごけというのは、バイクが停止している時にバランスを崩してバイクを倒してしまうこと。たいへん恥ずかしいこととされている(^^ゞ

身体に怪我はないが、倒れたほうのハンドル左側にあるクラッチレバーの先端が折れた。もっともバイクのクラッチとブレーキのレバーは先端手前にに切れ込みが入っていて、こういう場合は折れるようになっているのだが。おそらくバイクの重みでレバーがグニャッと変形して操作不能になることを防ぐためだと思っているが、正確な理由はよく知らない。
切れ込み


これは宿で撮った折れたレバーの先端。
今ではBMW F800Rの形見となっている(^^ゞ
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ところでレバーはテコの原理でクラッチやブレーキを操作する。理科の知識を思い出せば、先端が折れる→力点と支点の距離が短くなる→テコの作用が弱まり操作により力が必要となる。クラッチが重くなると困るなあと思ったが、実際はこんなにレバーの先端を握るわけではないのでまったく問題なかった。



ただしヘッドライトも切れた。まだ明るかったが、メーターパネルにLAMPの警告灯が。クルマと違いバイクは昼間でもヘッドライトを付けて走ることが義務づけられている。こちらはちょっと問題。ポジションランプのようなものは生きていたので、検問でもない限りすぐにしょっ引かれることはないが。しかし明日の帰りは夜になることが確実。

下田の町でヤマハのバイク屋さんがあったので入ってみる。運悪く整備ができる人が出かけていて1時間以上戻らないとのこと。次の日は土曜日だったが、朝9時から開いているというので再訪することにした。

しかし宿で2度目の温泉に入っているとき、予備のヘッドライトバルブ(電球)を持っていることを思い出す。何年も前に買ってツーリングバックに押し込んだまますっかり忘れていた。

翌朝に交換作業開始。しかしどうやっていいのかさっぱりわからない。懐中電灯の電球を交換するようなわけにはいかなかった。整備マニュアルの類はもちろん持ってきていない。それでネットで色々と調べる。内部で電球を固定するスプリング・クランプという留め金があるのだが、なぜか

   簡単に外れる
   プロの整備士でも折れないように外すのは難しい

という相反する情報があった。まあ折れたら折れたでその時にまた考えましょうということで自力での交換を決意。ところがまずヘッドライトユニットの裏側にあるフタを回して外すのだが、これが固く締まっていてビクともしない。だいたい指先しか入らないような奥まった場所にあって力を入れられない。それでも渾身の力を振り絞ってなんとかクリア。早朝から疲れるぜ。懸案のスプリング・クランプはあっさり外れた。プロでも難しいと書いた人は何か勘違いでもしたのか。ネットの情報は半信半疑で接するべしと改めて思い知る。それでも誰かが交換方法をアップしてくれていなかったら自力交換は無理だったわけで、やはり便利な時代&情報提供者に感謝。



BMW F800Rに乗っていた7年間で立ちごけしたのはこれで4回目。単純にバランスを崩してというより、不意を突かれて「ここでやらかすか〜」ということばかり。まあバイクでも人生でも転倒するときはそんなものか(^^ゞ いずれにせよラストツーリングで最後の立ちごけをしたのも、そのうち懐かしい思い出になるはず。


おしまい

wassho at 18:02|PermalinkComments(0)   *ツーリング 

2018年04月13日

ラストツーリングは伊豆半島 その11 西天城高原線・西伊豆スカイライン

堂ヶ島を後にして136号線で海沿いの景色を楽しみながら走る。加山雄三の光進丸が停泊している安良里(あらり)も通ったが、その時はまだ炎上前なので気にも留めず。ところで船が燃えたんだから炎上という言葉づかいは間違っていないけれど、昨今は炎上と聞くと違うものを先に思い浮かべてしまうね(^^ゞ

道路


そこそこ走ってバイクを駐めたのが「恋人岬」と恥ずかしい名前の場所(^^ゞ
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展望台は2箇所あるが景色はイマイチ。なぜかお地蔵さんがいる。
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このハンドサインは何を意味しているのだろう。中指を押っ立てるのは知っているが(^^ゞ
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私がいたのは恋人岬の駐車場で、岬そのものはこの先にある。眺望もいいし、お約束のラブコールベルもあるらしい。しかし700メートルつまり往復1400メートルの距離。しかも坂道や階段。というわけで岬まで行かず小休止しただけで恋人岬は終了。


136号線を進んで土肥の手前で遅めのランチタイム。なお土肥は「とい」と読む。伊豆には読み方の難しい地名が多いような気もする。

周りに何もない道路沿いにポツンとあったお店。いかにも観光客狙いでどうかと思ったが、それなりにサカナのクオリティは高く満足。値段は忘れたがボッタクリではなかった。
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この後は土肥の外れまでを136号線、そこから県道17号線に乗り換えて、半島の西側付け根までずっと海沿いをツーリングする予定だった。それで以前に走った分を含めてメデタク伊豆半島一周が完了する。しかし海鮮丼を食べているうちに気が変わった。

 理由その1
  西伊豆を北上すると富士山を進行方向に見ることになる。海越しに眺める富士山が
  西伊豆を走る醍醐味のひとつ。しかし松崎で富士山を見た後は、富士山周辺の雲が
  厚くなり姿が隠れてしまう。堂ヶ島で既に見えなくなっていた。


 理由その2
  海沿いを走るのが大好きな私でも、さすがに少々飽きてきた(^^ゞ


というわけで予定変更。食堂を出た後は136号線を引き返し、恋人岬と安良里の中間にある宇久須(うぐす)という所から東に進んで県道410号線で西天城高原線を目指す。

この県道410号線、最初は快適なんだけれどだんだんと林道レベル、そして険道になってくる。路面の状態も悪し。それに急勾配を登りながらの、かつ小半径で180度左曲がりヘアピンという苦手なカーブが何箇所もある。ヒーコラ状態。


やがて峠を登り切り県道59号線となる。そこからの道幅はまとも。牧場のような所を通り過ぎて北上すると県道411号線の西天城高原線となる。ここはバイクを走らせて楽しい道。舗装の状態もすごくいい。ただしバイクを駐めて景色を眺めるような場所はなし。

さらに進むと県道127号線の西伊豆スカイラインに接続する。元は有料道路だが無料になったのは10年以上も昔。そのせいなのか舗装はかなり悪い。西天城高原線と較べて余計にそう感じるのかもしれない。ただし尾根道なので視界が広く開放感は抜群。


まるで天空の道路。
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素晴らしい見晴らし。標高が高いのでまだ草原が緑じゃないのだけが残念。
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ハイキングコースも設けられている。
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眼下に見えるのは沼津市の戸田。
沼津市が伊豆半島まで食い込んでいることはあまり知られていないと思う。
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これがBMW F800Rにとって最後のツーリング写真(惜別)。
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西天城高原線と西伊豆スカイラインを併せて20キロほどのワインディングロードをタップりと楽しんだ。西伊豆スカイラインはコーナーがブラインドではないので進入時の減速が甘くなりがち。二度ほどオットットと冷や汗をかく(^^ゞ

西伊豆スカイラインは終点で県道18号線に突き当たり、そこを右折して下っていくと修善寺の温泉街。街並みのクラシックな雰囲気がいい感じ。海辺が好きだが、次に伊豆に来る時は修善寺にも泊まりたいと思う。

温泉街を過ぎて修善寺道路という有料道路に入る。料金所がETC対応していないのが不便。この道路に乗ってしまうと、もう風景は高速道路と同じなので伊豆の風情も味わえない。後はひたすら帰るだけ。5キロほどの修善寺道路が終わると、すぐにまた8キロと距離の短い伊豆中央道という有料道路になる。とことん金を巻き上げる観光行政。

そして次が伊豆縦貫自動車道。こちらは無料。将来的には東名の沼津から始まるこの伊豆縦貫道が、伊豆中央道や修善寺道路などと一体になり伊豆半島内陸部を縦断して下田まで延びる計画。しかしルートさえ決まっていない区間もあるから、全線開通は10年以上先になるんじゃないかな。


さて伊豆縦貫道に入る時、名前は忘れてしまったがどこかのインターから先が「事故のため通行止め」との電光掲示が出ていた。しかし周りのクルマはドンドンと伊豆縦貫道に入っていく。この辺の土地勘はないので私もそれに従う。まあ高速道路(正確には自動車専用道路)で通行止めになるなら、降りるべき場所で誘導があるだろうと考える。

伊豆縦貫道に入ってからは「どこで降りろ」という電光掲示はなかった。それなのに、とある出口ですべてのクルマが降りていく。別に本線上に通行止めの柵などはなく、もっと先まで行くことは可能なのに。ここを走っているのは道をよく知っている地元のクルマばかりなのか?あるは1台が降りたら皆がそれに続く集団心理? よく状況が理解できないままに私もその出口から降りた。

しばらく走るとまた伊豆縦貫道の入口があり、多くのクルマがそこに入っていくのが見えた。通行止めの表示はない。先ほどの出口から、あの入口までが通行止め区間ということだったの? またしても状況が理解できないまま伊豆縦貫道に再度進入。でもすぐに渋滞となり、渋滞の先には通行止めの柵。そこには警官がいてUターンするように誘導している。

というわけでクルマも含めて高速道路でのUターンを初体験! 初日には雪景色の中を走るという初体験をしたが、最後にこんな初体験が待っていたとは本当に想定外。これはラストツーリングゆえのご褒美に違いない。

ここから最寄りのインターチェンジは東名の沼津。しかし国道246号が空いていたので東京方向に行けるところまで行こうかと考え、結局は御殿場から東名に乗った。伊豆をツーリングした後に道路標識に御殿場の文字が見えると、もう地元まで帰ってきた気分になるからおもしろい。


帰宅したのは午後9時。走行距離は520キロと初めての500キロ越え。まあ二日間の合計であるが。それにしてもラストツーリングは思い出たっぷりの素晴らしいものになった。もっと何度も泊まりがけで伊豆に出かけるべきだったなと少し後悔。三浦半島のようにマイナーなスポット巡りもしてみたい。でもいずれまたバイクに乗る機会もあるだろうから、その時まで楽しみは残しておこう。


ーーー文脈的に最終回の雰囲気だが、まだ続く(^^ゞ

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2018年04月11日

ラストツーリングは伊豆半島 その10 加山雄三

とうとうブログ連載が10回目となったこのラストツーリング。改めて記しておくと3月23日から一泊二日のツーリングだった。今回はバイクのツーリングにしてはおかしな副題になっている。


青い洞窟を楽しんで遊覧船が桟橋に戻る。出口に向かうと「加山雄三ミュージアム」の文字が目に入る仕掛けになっている。
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そういえば遊覧船のチケットを買った時に、ミュージアムの入場券のようなものも一緒に渡された。クルーズというイベントを終えた「目的を果たした感」で、そのことを忘れてしまわないように念押しだろう。案内を掲げるには正しい場所といえる。

それにしても周りにいた多くの人が発していた言葉が「どうしてここに加山雄三?」。私も同じ意見。加山雄三といえば海のイメージがあるが、なんとなく元祖湘南ボーイ的な存在と思っていた。


遊覧船乗り場のある広場。
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この敷地から136号線を挟んだ向こう側にミュージアムはある。写真の右奥に写っている、茶色い屋根の建物がそれ。1階がレストラン、2階が土産物店、3階が加山雄三ミュージアムになっている。地下通路で136号線をくぐることもできる。

ミュージアムが入っている建物の外壁にある加山雄三の大きな写真。ここでも「加山雄三? なんで?」というような会話を交わす家族連れが何組かいた。やはり伊豆と彼の組み合わせには違和感がある。
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加山雄三は好きだが是非ミュージアムを観たいと思うほどのファンでもなく、時間も押していたので、中には入らず堂ヶ島を後にした。

ーーー本来はそれだけの話のはずだった。訪れなかった加山雄三ミュージアムのことはブログに取り上げなかったかもしれない。状況が変わったのは、このラストツーリングのブログを何本か書いた後の4月1日。


この日の夜に加山雄三の光進丸という大型クルーザーが、火災を起こして大きなニュースとなった。そして場所は西伊豆と報じられていた。「西伊豆? つい先日にツーリングしてきたばかりじゃないか」と思いながら、ネットで調べてみるとそれは安良里(あらり)という所。堂ヶ島から北に5〜6キロほどしか離れていない。

そして光進丸はその安良里の漁港を母港としていたこともわかった。ということは、その絡みで当地に縁ができ、一番の観光スポットである堂ヶ島に加山雄三ミュージアムができたとの推察が成り立つ。オープンしてもう20年ほどになるらしい。とりあえず違和感は解消。


しかしである。なぜ光進丸は首都圏にいくつもあるマリーナじゃなくて、伊豆の中でも田舎の漁港なんぞを母港にしているのだ?

深くは調べていないが、どうも経済的な理由らしい。報道でも「加山雄三の光進丸」→「加山雄三が実質的オーナーの光進丸」と表現が変化してきているが、現在の本当の所有者はこの船のメンテナンスもしていた安良里にある藤高造船という会社。企業でも業績が悪くなると自社ビルを売却して、そのビルに賃貸で入り続けることがあるが、まあ似たようなスキームだろう。

加山雄三といえば誰もが認める大スター。しかし茅ヶ崎にあったパシフィックホテルの倒産や、湯沢のスキー場が資金難で閉鎖されるなど、実業に手を出しては何かと失敗しているという側面もある。それに俳優としても歌手としても第一線で活躍していたのは私が子供の頃の大昔だ。あのクラスともなれば黙っていても仕事は来るんだろうけれど、それなりに苦労はあるのかもしれない。(以上はゲスの勘ぐりなので鵜呑みになさらぬよう)


それはともかく光進丸の火災はお気の毒だし残念というほかない。

全長は報道によって25.59メートルあるいは30.56メートルと違うが、中間を取って28メートルと考え、それをフィートに換算すると約92フィート。一般に40フィート程度で大型クルーザーと呼ばれているので、その2倍以上となる。プライベートで使用されているクルーザーとしては、おそらく日本で最大級じゃないかな。  
   写真引用 https://4travel.jp/travelogue/11063752
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それがこんなことになるなんて(/o\)  
   写真引用 https://this.kiji.is/353340012198675553?c=62479058578587648
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加山雄三と伊豆との関係がわかってスッキリしたが、それを調べるきっかけが光進丸の火災とはイヤな気分だ。

ところであれこれ調べている時に知ったのだが、本日4月11日は加山雄三の誕生日。今年で御年81歳になられる。

   ハッピーバースデイいくつになっても若大将!
   気を取り直して次の船を手に入れてちょうだい。
   あなたほど海と船が似合う男はいませんから。


ーーー続く

wassho at 08:56|PermalinkComments(0)   *ツーリング 

2018年04月10日

ラストツーリングは伊豆半島 その9 堂ヶ島・天窓洞で遊覧船

遊覧船が桟橋を離れて洞窟クルーズ開始。
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この岩の先端も波に浸食されて洞窟ができている。大小含めて、このあたりにはかなりの数の洞窟があるみたいだ。


遊歩道で堂ヶ島を楽しむ人々。
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クルーズを終えて戻ってきた遊覧船とすれ違う。この船の後部甲板のオープンデッキは人が一杯だが、私の乗っている船はそれほどでもなく席も確保できた。
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だんだんと沖に出て、
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天窓洞の入口(写真中央)が見えてきた。このまま向かうのかと思ったら、逆方向に進んでドンドン離れていく。
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このあたりの風景を少し見せてから洞窟に入るみたいだ。波の浸食によって生み出されたリアス式海岸の荒々しい断崖絶壁。でもとても美しい。
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「これはナニナニと呼ばれている岩です」「この場所にはこういうイワレがあります」とか色々とアナウンスが流れてくるんだけれど、あまり覚えていない(^^ゞ 写真を整理していて思い出したのは、

亀がよじ登っているような形をした亀甲岩(かめごういわ)。
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象島。左端が象の鼻のようで少し右側に象の足も見える。
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やっぱりビジュアルなインパクトは記憶に残るね。



天窓洞のほうに戻ってきて、いよいよ中に入るのかと思ったら、またしてもその前を通り過ぎ少し奥まったところに回り込む。

この狭いところを通り抜けるのがコースに組み込まれているみたいだ。
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写真だとそうでもないけれど、実際はなかなかの迫力というか緊張感がある。
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無事通過!
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今度こそ天窓洞にアプローチ。
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何度も汽笛を鳴らしながら近づいていく。ここから出る時も鳴らしていたから、洞窟の中に他の船がいないことの確認を念入りに行うルールのようだ。
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突入!
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暗くてよくわからなかったが、洞窟の内部はいくつかに枝分かれしているようだった。

そして見えてきました。青く光る海面!!
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想像以上に幻想的、神秘的だった。
残念ながら写真ではその美しさのわずかしか伝えられない。
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天井に窓が開いていることがよくわかるカットで。
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ちょっと夢を見ているような錯覚を覚える。
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ビックリしたのは遊覧船は洞窟の中の狭い通路を、何度も切り返してUターンしたこと。
船はバックで進めないのが不便。バイクもだけれど。

無事に洞窟から出る。中にいたのは5〜6分。
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ところで「青の洞窟」として世界的に有名なのはイタリアのカプリ島。実はある人から「あそこと同じイメージを持っていると、ちょっと違うよ」といわれていた。もちろんカプリ島の洞窟は写真や映像でしか見たことがない。しかし洞窟の構造=光の入り方が異なるから「ちょっとどころか、かなり違う」ことは確かだが、それで残念ということはまったくない。暗闇に青く光る海面に吸い込まれそうになるくらい素晴らしい体験だった。

またこのあたりを訪れたらリピートするのは確実。


ーーー続く

wassho at 08:02|PermalinkComments(0)   *ツーリング 

2018年04月08日

チューリップは早くも盛りを過ぎ(/o\)

4月5日に「7割くらいが開花し、今が一番きれいで見応えがある」と書いたばかりであるが、今年はかなり気温が高いせいか、予想より早いペースで衰え始めている。ちなみに東京は4月1日から8日までの平均最高気温が、昨年の17.2度に対して今年は21.6度と4度以上も高い。

まあ「今が一番きれい」というのをその瞬間のこととすれば、判断は間違ってはいなかったわけだが、もう少し長続きして欲しかった。

ところで何かの花を見に行くなら満開の時に行きたいと思うもの。しかしその少し前にするのがたいていの場合は正解。なぜなら満開の時には、早くから咲き始めた花が既に痛み始めており、それが全体の印象をマイナスに引っ張るから。どの花なら何分咲きがいいかと区別できるほどの経験値は持っていないが、とりあえず8分咲きの時くらいに見に行けばそれほど外さない。もっともサクラは開花時期が短く、最初の花も傷まないので満開予報に併せて出かけて大丈夫。


だんだんと残念になるベランダ。
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花はまだきれいなのに倒れてしまうものも増えてきた。
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もともとガバーッと開いてチューリップに見えなかった黄色単色は、
ますます謎の姿に。
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もっとも朽ち果てていくチューリップを眺めて楽しむという、
ヘンタイ趣味も持ち合わせている(^^ゞ
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このピンクは今が盛りに見えるが、実は下の写真の赤チューリップの色が抜けたもの。写真ではきれいなピンクでも、実際は精気が感じられずいかにも終わったという印象である。
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もちろん最近に咲き始めた品種もある。白に紫の縁取りがあるシャーリーはかなり増えてきた。ちなみに一緒に写っている黄色×赤の2色咲きは最初に咲きだした品種なのに、今でも元気で一番の長持ち。
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ピンク単色と、ピンク×白の2色咲き。赤チューリップがピンクになってしまったので現在のベランダはピンク比率高し。
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ベランダに出ればチューリップが衰え始めているのは一目瞭然なのだが、
写真なら構図を選んでごまかせる(^^ゞ
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それに部屋の中から視界に入る程度なら、まだまだ全然OK!
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wassho at 17:57|PermalinkComments(0)   *チューリップ 

2018年04月07日

ラストツーリングは伊豆半島 その8 マーガレットラインから堂ヶ島

さて石廊崎で広い広い海を満喫した後は、再び県道16号で次は伊豆の西海岸を目指す。


ところで石廊崎から数キロ西に行ったところに「ヒリゾ浜」という所がある。そこは海の透明度がとても高くてキレイと聞いていたので立ち寄るつもりだったのだが、道案内看板などがなく通り過ぎてしまった。後で調べたらヒリゾ浜はいわゆる普通の海岸ではなく、岩礁に囲まれた複雑な地形なので渡し船でしか行けないとのこと。またその船が出ているのは7月から9月の期間だけらしい。それで看板もなかったのかな。まあまたの機会にということで。

堂ヶ島地図

やがて16号は国道136号に合流し子浦の地区に入る。そこから松崎の雲見温泉まで約20キロをつないでいる区間が通称マーガレットライン。海岸近くまで迫っている山中を走るワインディングロート。道路としては136号線だが、千葉でも国道410号線を房総フラワーラインと名付けているのと同じようなもの。ただしこちらは1972年から83年までは有料道路だった。

雲見でマーガレットラインは終わるが、引き続き松崎町まで4〜5キロの国道136号線は富士見彫刻ラインと呼ばれている。こちらは海岸沿いを走るので富士山が見える、また道路沿いのあちこちに彫刻が置かれているので富士見彫刻ライン。ちなみにマーガレットラインの由来は松崎でマーガレットの栽培が盛んだから。ただし道路沿いの植栽としてマーガレットは植えられていないみたい。


富士見彫刻ラインで。
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バイクなしで富士山。
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また富士見彫刻ラインではサクラが咲き始めており、そのアーチをくぐって走ることができた。幸せ\(^o^)/ 残念ながら桜のあるところでバイクを駐められなかったので、松崎町のホームページから写真を拝借。ついでに道路沿いの彫刻も。
matuzaki sakura



松崎町の市街地まで降りて富士見彫刻ラインは終わり、そこから少し走って堂ヶ島。石廊崎と並んでこのラストツーリングの2大目的地。あえていえば、こちらがメインディッシュ。

駐車場に入る。
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しかしここは観光地によくある「売店やレストランの土地なので、何か買ったり食べたりしてくれたら無料」という場所だったみたい。オッチャンが寄ってきて「もうご飯食べた?」とか尋ねられたけれど、適当にあしらっていたら「その辺に駐めて」といわれた。あまりガメツイ土地柄ではないのかも。決して「無料ってデカデカと書いてあるやないか!」とスゴンダわけではない(^^ゞ


バイクの写真を撮っていたら青い荷台のトラックが横に止まった。なんと、この日の朝に散策した弓ヶ浜にあった青木さざえ店じゃないか。たった5時間ほど前のことなのに、やけに懐かしさを感じる。
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堂ヶ島に来た目的は海岸の岩肌にできた洞窟である天窓洞を見ること。天窓の名の通り、龍宮窟と同じように天井が陥没している。ただし天井のほぼすべてが陥没している龍宮窟と違って、こちらは洞窟の一部に穴が空いている状態。そこから光が暗い洞窟に差し込んで、照らされた海面が青く光るという。

以前に何度か通りかかっているのだが、天気が悪かったり、もう夕方だったりで見られずじまい。数回前のエントリーで「ツーリングや旅行はいつだって天気がよいことに越したことはないが、今回は絶対に晴れて欲しい理由があった」と書いたのはそういうこと。


天窓洞には遊覧船で行く。
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天窓洞だけを見るコースで1200円。
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遊覧船乗り場。
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船が浮いているのがわかるほどの透明度。
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ほとんど待つことなく乗船。天窓洞だけを見るコースは5〜10分間隔で出航している。
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船内の様子。ここではなく後部甲板のオープンスペースに陣取った。
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後部甲板ではライフジャケットを着用しなければならない。ただし別に係員がチェックしに来る訳じゃない。
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出航前のまだ接岸されている状態なのに、ずっとスクリューは回っている。船と桟橋がロープでつながれているかどうかは見ていないが、これで船を桟橋に押しつける必要があるのかな。ナゾ
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空を見上げると変わった形の雲。とにかく快晴で何より。
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ーーー続く

wassho at 20:10|PermalinkComments(0)   *ツーリング 

2018年04月06日

ラストツーリングは伊豆半島 その7 石廊崎

石廊崎は伊豆半島最南端にある岬。明治時代に日本で10番目の西洋式灯台が設置された場所でもある。ちなみに地名は石廊崎(いろうざき)なのに、灯台は石廊埼灯台(いろうさき)となぜか漢字と読み方が異なっている。

石廊崎は今回の2大目的地のひとつ。南伊豆の定番観光スポットであるが、なぜか今まで訪れたことがなかった。そこでラストツーリングでは是非にとも。

石廊崎地図


田牛海岸の龍宮窟を出発して弓ヶ浜の近くまで戻る。そこから国道136号線は海岸を迂回して内陸部に向かっており、海岸線を走るのは県道16号線となる。この16号線がとても素晴らしい。海沿いを緩やかなクネクネとアップダウンが連続し、当然ながら眺めも最高。房総半島の野島崎から千倉までの、国道410号線より1本海側の道路は私のお気に入りルートだが、そこを数倍スケールアップした感じ。今回は伊豆の4大名道といわれる伊豆スカイライン、マーガレットライン、西天城高原線、西伊豆スカイラインのすべてを回ったが、16号線を走っている時が一番楽しかった。


しかしブログ的には、いい気分で走っているとバイクを駐めて写真を撮ろうという気にならないのが難点。それに走って楽しい道路=写真映えする場所というわけでもない。

それでも何とか絵になるところで記念撮影。
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このあたりまで来ると海岸は砂浜ではなく岩も多い。
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ゆったりライディングを楽しんで石廊崎到着。
正確にいうなら岬の付け根にある漁港が石廊崎巡りのスタート地点。
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両側から崖が重なるようにせり出していて、まるで秘密基地の出入り口みたいだ。
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遊覧船に乗って海から石廊崎を眺めることもできる。
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徒歩だとそれなりの距離。
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階段を上った後もずっと坂道。
この先でかなり勾配がきつくなりハーハーゼーゼー(>_<)
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漁港を見おろす。ここで海抜22メートル地点。
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漁港の出入り口部分の複雑な地形。ここに漁港があるとは思えないほど美しい。
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ようやく坂道を登り切ると道路があるじゃないか! でもこれはまだ建設途中で舗装されていなかった。いずれはもっと楽に石廊崎巡りができるようになる模様。
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さらに進むと灯台が見えてきた。
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灯台のそばにあった気象観測所。アメダスの計測でもしているのかな。
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701年(ちなみに大化の改新が646年)に創建されたという石室神社の鳥居をくぐる。その頃の石廊崎はまさに未開の地だったと思うが、よくそんなところに神社を建てる気になったものだ。
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石廊埼灯台(いろうさき)灯台に到着。フェンスの外から眺められるだけだったのが残念。灯台に登るのが趣味なのに。ナントカと煙は高いところが好き(^^ゞ
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現在の灯台は昭和8年(1933年)に建て替えられたもの。
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灯台の横をすり抜け、いよいよ石廊崎の先端つまり伊豆半島の最南端地点へ。
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いかにも溶岩が流れ込んでできた地形。
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そしてあれが先端。まさに先端。
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この急な階段を降りたところにあるのが石室神社。ここから海風が一段と強くなる。
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海側から見た写真。岩肌のくぼみにねじ込むようにして作られた小さな社殿。現在のものは明治34年(1901年)に造られたもの。
石室神社

            写真引用 https://izugeopark.org/geosites/irojinja/


社務所の奥が社殿となっている一体構造。海側からの写真でわかるように細長い造り。
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神社から離れて、先端に向かう途中で遊覧船が漁港から出てきた。
それにしても美しい風景。
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遊覧船はなかなか可愛いデザイン。船体はかなり揺れているようで、両手で手すりを握っている人もいる。
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さてこのゴジラの背中の向こうが先端。風は強いし、崖の上だし、通路も狭いからちょっと緊張するよ。
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崖の下はこんなだし。
この岬は50メートル近くの高さがあるから高所恐怖症の人はキビシイかも。
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メデタク最南端に立つ。これで伊豆、房総の両半島で最南端をゲット!
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多々戸浜からも見えた神子元島(みこもとしま)は石廊崎から9キロしか離れていないので、その左右奥の利島や新島と違い霞まないではっきり見えている(上の写真↑)。なお新島までなら約45キロ。
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ゴジラの頭の部分に海に向かって設けられているのは熊野神社の祠。だからこの狭いエリアに2つの神社が並んでいることになる。
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この熊野神社と先ほどの神子元島にまつわるロマンティックなエピソードがある。
少し長いがウィキペディアから引用。

  石廊崎近くの長津呂の郷に住むお静という名主の娘が、漁師の幸吉と恋に落ちたが、
  身分の違いで許されぬ恋であったため、幸吉は神子元島に流された。幸吉を忘れら
  れないお静は、毎夜石廊崎の先端で火を焚き、神子元島の幸吉と愛を確かめ合って
  いた。

  ある晩、神子元島の火が見えないことを心配したお静は、たまらず小船を出して
  神子元島に向かったが、折りからの大風で波は高く船は進まず、お静は一心不乱に
  神に祈った。その甲斐あって神子元島に漂着し、無事二人はめぐりあい結ばれた。
  その後二人を親たちも許すこととなり、末長く幸せに暮らしたという。

  お静が火を焚いたところに熊野権現の祠が祀られ、以来縁結びの神として知られる
  こととなった。明治初期の神仏分離により熊野神社と称するようになった。

ホンマカイナ?(^^ゞ

ついでに調べてみると神子元島は島というより海に突き出した岩山。こんなところに流罪になったら生き延びる自信はないなあ。ちなみに灯台があるだけの無人島で、釣りやダイビングで人気があるらしい。
神子元島

 写真引用 http://www.meiwakaiun.com/meiwaplus/closeup/closeup-vol34.html



岸から沖を眺めたら海面が見えるだけで、どの場所からでも同じ光景のはず。しかし石廊崎で目の前に広がる海は一段と雄大に思えた。まさに海は広いな大きいな。ここは南東を向いているから、このずっと先は南米大陸の南の外れあたりかな。
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♪♪行ってみたいな、そんな国〜


ーーー続く

wassho at 07:51|PermalinkComments(0)   *ツーリング 

2018年04月05日

チューリップは7割ほど開花

目分量で7割くらいが咲いたように思う。
今が一番きれいで見応えがある時期かも。

今回は花びらが逆光に透けて、光り輝くチューリップの写真を中心に。

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まだ咲いていないのは単色の白とピンク
それと2色咲きの黄白。桃白も少ししか開花してない。
とにかく白が咲いていないので、ちょっと色彩的に濃くなってしまっている。

これは単色の白ではなく紫の縁取りがあるシャーリーという品種。これも2つしか咲いていない。どうも今シーズンは白に嫌われているみたいだ。
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オレンジも30球植えているのにまだ1つか2つが蕾んだだけ。
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終了のチューリップもそろそろ出てきた(/o\)
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何はともあれ毎朝ベランダが光り輝いていてビューティフル\(^o^)/
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wassho at 08:38|PermalinkComments(0)   *チューリップ 

2018年04月04日

ラストツーリングは伊豆半島 その6 多々戸浜〜龍宮窟

ラストツーリング2日目の最初は、前日に時間がなくて訪れられなかった多々戸浜と龍宮窟。弓ヶ浜から下田方向へ少し戻ることになってしまうが、特に龍宮窟は是非見ておきたかった。今回のツーリングの隠れテーマは洞窟でもある。



弓ヶ浜、白浜と共に伊豆の3大ビーチとされる多々戸浜。地図でもわかるようにこれらは、それほど離れていない。白浜から弓ヶ浜までは15キロくらい。
ちず


多々戸浜(たたどはま)到着。
せっかく海岸を背景にBMW F800Rを駐めたのに電線がジャマ。
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電線消したった(^^ゞ
2DSC08823 のコピー


白い砂浜のきれいなビーチ。広さは弓ヶ浜の半分くらい。
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ここでサーフィンするのは気持ちよさそう。ただしウェットスーツだけじゃなくサーフブーツを履いている人もいたから、南伊豆とはいえまだ水温は低いのかも。
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遠くに見えるのは灯台があるから神子元島(みこもとしま)のはず。
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海岸の端に溶岩が流れて固まったようなものが。
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岩肌まで白くてきれい。左側の岬を回った向こうに多々戸浜と同サイズの入田浜がある。
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溶岩らしきものの上から海を眺める。
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見たはコンクリートに固められた石ころといった感じ。溶岩として流れてきたのなら石ころにはならないと思うので、これは何なんだろう。地質学の知識はほとんどなし。
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このあとはもう海岸(砂浜)に降りる予定はないから、伊豆のビーチはこれで見納めというか立ち納め。
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多々戸浜を後にして龍宮窟へ。136号線から龍宮窟へ向かう分岐点には標識があったが、その後に道路がいくつも枝分かれしているのに案内板はなし。思ったより長く走って道を間違えたかなと思ったが無事到着。

隣は田牛(とうじ)海水浴場。
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こちらは砂利浜だった。もっと奥の方は砂浜のように見えた。
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龍宮窟(くつ)というのは海岸に突き出した岬に洞窟ができ、その上部が陥没して天井が開いたという場所。まずは岬を上から回って洞窟をのぞき込み、それから洞窟の中に入ることにする。
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ハートビュースポットという標識に従って、
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かなり細い道を上っていく。ところどころ滑りやすくて歩きにくい。
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龍王社という祠を過ぎたら、
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下りになり、
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なにやらハート型のものが見えたが、
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そこに近づくにはロープが張られた、この獣道みたいな急な坂を下りないといけないらしい。写真の先の坂は見えないから断崖絶壁になっている模様。
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それはちょっと無理と諦め、そちらには進まずに歩いて行くと、ハートビュースポットというのは、あそこではなかったようで、
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天井の開いた洞窟を上から眺めたのがこれ。
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確かにハートの形に地形が浸食されている。でも「それが?」という気がしなくもない。


視界の開けたところから眺望を楽しむ。
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ウ〜ン、この海の色が堪らん。まさにエメラルドグリーン。でも宝石のエメラルドの色とはかなり違うのに、どうしてこういう海の色をエメラルドグリーンというのだろう。それはともかくいつまでも眺めていたくなる海の色。


また坂を上り下りしながら進むと、
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サンドスキーのゲレンデ?を見ることができる。
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スキーやサンドボードをしている人はいなかった。
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少年がソリ遊びをまだ続けようか思案中。
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伊豆のサンドスキーのことは何となく知っていたけれど、ここだったとは。傾斜はかなりあるが距離は短いのであっという間に滑りきってしまいそう。リフトはもちろん見たところ階段とかもなく、それがけっこうキツイかも。

それにしても美しいと同時に不思議な光景。斜面は砂なのに海と接する部分は砂利浜である。どういうメカニズムでこうなるのだろう。地質学の知識はほとんどなし(2回目)。




龍宮窟の上部を回る散策を終了して元の場所に戻り、
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いよいよ洞窟の中に入る。
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洞窟ができ天井が崩れるメカニズムの解説。
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けっこう急な階段を降りていく。往きはよいよい帰りは怖い。
でも写真の奥に見える角を回ったらすぐに、
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天井がなくなった部分が見えてきた。
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写真の中央上部に人が写っているが、あそこが先ほど上からハートの形を覗いたところ。
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壁際というか崖際にいると石が落ちてきそうな雰囲気。
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誰かが根気よく積み上げた石。最上部は絶妙のバランス!
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洞窟の入り口部分の海面が、太陽光線に照らされエメラルドグリーンに光って幻想的に美しいのだけれど上手に撮影できず。写真をクリックで拡大すれば、なんとか写っている程度
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今まで洞窟というものに入ったのは、秋吉台の鍾乳洞と富士山の氷穴くらいかな。こういう波によってできた洞窟は海蝕洞というらしいが、龍宮窟はその面積の大部分で天井がないので洞窟という感じはほとんどしない。でも珍しいところに来られてよかった。

ところでレンズの広角側が足りなかったのと撮影テクニック不足で、龍宮窟の全体像を収め切れなかったので下記のリンクからプロが撮った写真をどうぞ。

  https://estlinks.co.jp/miteco/wp-content/uploads/2017/01/ryugukutsu_02-1200x800.jpg


ーーー続く

wassho at 08:33|PermalinkComments(0)   *ツーリング 

2018年04月02日

ラストツーリングは伊豆半島 その5 弓ヶ浜を散策

前日は箱根と天城高原が雪景色で、宿に着いてからゲリラ豪雨に見舞われたが、本日はメデタク快晴。ツーリングや旅行はいつだって天気がよいことに越したことはないが、今回は絶対に晴れて欲しい理由があった。その訳は何回か後のエントリーでわかる。それにしてもこのシリーズはいつまで続くんだろう(^^ゞ



さて弓ヶ浜の海岸まで散歩。
宿から10メートルほどにこんな標識。
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細い路地を抜けると、
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あっという間に到着。
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弓ヶ浜は日本の渚・百選にも選ばれている。
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しかしこの百選は水産業の業界団体が中心になって選んだものだが、今ひとつ信頼性に欠ける。九十九里は景観ではなく66キロという長さで選ばれたとしか思えないし、なんと葛西臨海公園まで百選に入っている。あそこが日本を代表する渚なんてことは断じてない。



しかし弓ヶ浜は本当に訪れる価値のある海岸。
今まで私が見た中で五本の指に入る美しさ。
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波は穏やかでSUP(スタンドアップ・パドルボード)をしている人が何名かいただけ。
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ちなみに伊豆の三大ビーチはここ弓ヶ浜と白浜、多々戸浜といわれる。白浜と多々戸浜はよく波が入るのでサーフィンが盛ん。


岸側の光景と海岸の前の道路。
毎日、ここを散歩したい!
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波の表情を楽しみ、
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まっさらな砂浜に足跡をつけ、
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誰かのLOVEな作品を見つける。
なんだか日常とは違う時空に生きているように思えてくる。
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監視塔があったので登ってやろうかと。時空は違っても性格は変わらないみたいだ(^^ゞ
しかしハシゴが外されていたのでかなわず。
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監視塔の下にあった形のいい流木。
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あまりの素晴らしい景色に、こんな無粋なものがあっても気にならず。
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KEEP CLEAN そう願いたいもの。
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ずっとこの場にいたい気もしたが、そうもいっていられないのでーーー
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宿に戻ることにする。こちらがメインの道路。
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青木さざえ店。有名なお店らしい。
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このあたりの家のほとんどに、この夏みかんのようなものが植えられていた。
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これは桃の花かな。
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朝ご飯。
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こういう真っ当な和定食を食べると正しい生活をしている気分になる。

しかし、いつもは朝ご飯を食べない。コーヒーを飲むだけ。食欲がないというか胃腸が目覚めていない気がするというか。朝ご飯を食べないと身体に悪いといわれるが、食べたくない時に無理に食べるほうが健康にはマイナスと考えている。

なんだけれどーーー旅行や出張でホテルなどに泊まると、朝ご飯をもりもり食べられるのが不思議。朝目覚めた瞬間からお腹が空いている(^^ゞ そういう人は多いみたいだが、昼や夜の食欲は変わらないのに、朝だけなぜ普段と違うのだろう。人体のナゾ




いよいよ初めての泊まりがけツーリング、二日目(3月24日)の出発。


ーーー続く

wassho at 07:59|PermalinkComments(0)   *ツーリング