2018年09月

2018年09月30日

音楽とマリー・ローランサン

マリー・ローランサンは、1983年に発表された加藤和彦の「あの頃、マリー・ローランサン」というアルバムでその名前を知った。マリー・ローランサンの作品と認識して絵を観たのはそれから数年後だったと思うが、画家の名前を知らなかっただけで、それまでにも見たことのある絵だった。

それくらいマリー・ローランサンは、一目見れば彼女の作品とわかる独特の画風である。パステル調でホンワカと少女趣味的。だけどどこか抗しがたい魅力がある。また絵画というよりイラストに近い雰囲気でもある。ダンディだった加藤和彦はそこに何かファッションセンス的なものを感じたのかもしれない。


かつて長野県の蓼科にマリー・ローランサン美術館があり何年か前に閉館となった。そして昨年からニューオータニのガーデンコートに場所を移して再スタートしたことは知っていた。いつでも行けると思うと、なかなか行かないもの。ようやく先日、赤坂で打ち合わせがあったついでに訪れてきた。


地下鉄の地上出口を上がると赤坂見附の交差点。しかし改札を出てから長〜い地下通路を経てここにたどり着く。東京のホテル御三家はどこも駅から遠い。
IMG_0996


弁慶橋を渡って紀尾井町に入る。東京でもっともステイタスの高いエリア。橋の下を流れているというか溜まっているのは弁慶堀。貸しボートと釣り堀あり。弁慶堀というのは江戸城の外堀の一部。なお牛若丸の弁慶とは関係なく、江戸時代の弁慶ナニガシという大工が作ったから弁慶橋。
IMG_0997


道路を挟んで左がニューオータニ・ガーデンコートで、これはニューオータニのホテル敷地内にあるオフィスビル。右はかつての赤坂プリンスホテルの跡地を再開発して建てられた東京ガーデンテラス。こちらはオフィスやホテルとレストラン街の入る複合ビル。それにしても向かい合って建つガーデンコートとガーデンテラス。建築業界はもっとネーミングの勉強したら?
IMG_0998


マリー・ローランサン美術館はガーデンコートの6階にある。その途中にあったアナトリウム・チャペルという吹き抜け空間。スケルトンのドームがチャペルらしく、ここでの結婚式もニューオータニのウエディングプランにある。エスカレーターが写っていてわかるように、ここは通路の一部なんだけれど。なおフロアに座っている人は、神に祈りを捧げているのではなく休憩しているだけ(^^ゞ
IMG_1004


マリー・ローランサン美術館に到着。
IMG_1009

展覧会タイトルは「音楽とマリー・ローランサン」。これはアレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)の小説「椿姫」の挿絵を彼女が描いた〜のちに「椿姫」はオペラとしても上演されたーーーというつながりらしい。かなり強引なタイトルである。


ところで、この画家はこんな絵ーーーという印象は、多くの場合その画家の全盛期の画風をベースにしている。そしてたいていの画家は初期に、全盛期とまったく異なる絵を描いているもの。まだ駆け出しで自分の画風も確立していないから仕方のないこと。だからあまり初期の絵には興味がない。たいていは個性のないどこにでもあるような絵だから。しかし「あの」マリー・ローランサンが初期にはどんな絵を描いていたかは知りたかった。それを見たくて展覧会にやって来たといってもいいくらい。

話はそれるが、そんなどこにでもあるような有名画家の初期の絵について、評論家がのたまうのが「若い頃からデッサンがしっかりしていることがわかる」といったお約束のセリフ。エーカお前らヨー聞け。若い頃からデッサンがしっかりしてたから、後世に名が残る画家になれたんじゃ!


展覧会は4部構成。最初は「青春時代」。

最初の何点かは案の定どこにでもあるような絵だった。でも22歳頃に描いた自画像はちょっとゾクッとする出来映え。残念ながら他のどこにでもあるような絵は画像が見つからなかった。

「自画像」  1905年頃
4



しかしたった数年で作風はガラッと変わる。後年のマリー・ローランサン調とは違うが、平面的なスタイルはこの頃から始まったようだ。自画像なんて1905年と1908年で、こうも変わるかと驚く。

「ピカソ」  1908年頃
8


「自画像」  1908年頃
9


「アリス・ドラン(アンドレ・ドラン夫人)」  1908年
12


「詩人の家族」  1909年
15




次の「扇」という作品から、また作風が変わってくる。そして「家具付きの貸家」からマリー・ローランサン調の基礎が固まったように思える。ただし後年の作品と較べると、全体的に色が控えめでラインはシャープ。こういうマリー・ローランサンは初めて見たけれど、かなり好みかも。色彩的に少女趣味的すぎないし、どことなくアンティークな雰囲気もある。

「扇」  1911年頃
18


「パッシーの橋」  1912年
21



「家具付きの貸家」  1912年
22


「ピアニスト」  1912年
25


「優雅な舞踏会あるいは田舎での舞踏」  1913年
26


「チェロと二人の姉妹」   1913〜14年
28


「日除け帽をかぶって立つ女」   1913年
29


「読書する女」   1913年頃
30



ーーー続く

wassho at 12:29|PermalinkComments(0) 美術展 

2018年09月25日

どうして警察「手帳」?

前々回まで書いていた警察ネタの続きというか番外編。

30歳以上の人なら、昔のドラマで刑事が内ポケットから黒い何かを取り出して、相手にチラッと見せるシーンは覚えているだろう。そう、見せていたのは警察手帳で、警察の者だ、私は刑事だと表現している。
警察手帳1


それが現在はこういうものを見せている。縦に二つ折りになったケースを開くと上部は身分証で、下にはバッジがついている。正確にはそれぞれ証票と記章と呼ばれる。このタイプのものが使われ出したのは2002年(平成14年)から。最初にドラマで見たとき、アメリカ風になったなあとの印象を受けた。
警察手帳2


アメリカの映画ではよく「バッジを見せろ」とか言っている。それでこの日本で2002年から使われ出したものをどう呼ぶかというと、

     なんと警察手帳!
     知ってたあ?


旧規格の警察手帳は、まさに手帳としての機能を持っていた。映画やドラマで警察手帳にメモを書き込むシーンを見たことがあるはず。それにしても「警察だ」と名乗るときに、手帳のガワを見せるだけで通用するなんて、いかにもお上に弱い日本的な慣習である。

しかし実は、あの手帳には写真付きの身分証が入っている。刑事と話をしたのは30年ほど前が最初だが、身分証のページを開いて見せながら協力を求めてきたので、その時に初めて身分証の存在を知った。映画やドラマでそんなシーンを見た経験はなかったと思う。

ともかく旧規格の警察手帳は、手帳と身分証の機能を持っているから警察手帳と呼んでも違和感はない。もっとも手帳と身分証のどちらが大事かといえば身分証だから、それを手帳というネーミングでくくるのはおかしい気もするが。

それに対して現行の警察手帳は手帳の機能をまったく持っていないのに、なぜ警察手帳のネーミングを継承したのだろうか。

   使い慣れていたから?
   新しいネーミングを思いつかなかった?

ナゾである。
もし警察のやっかいになったら、取り調べられる前にそれを質問してみよう(^^ゞ


警察手帳が新規格になったのは刑事ドラマと同じように、警察手帳をチラ見せするだけの警察官が多く、所属や身分を明らかにしない捜査や活動が問題視され始めたからのようだ。

旧規格の警察手帳には表紙に所属する警察本部の名前が書かれていた。それがチラ見せでも警察と明らかにしたとヘリクツがまかり通った理由。しかし新規格ではケースの外側には何も書かれていない。それだけではただの革製品だから、必然的にケースを開いて身分証とバッジを見せざるを得ない仕組みにしたのが新規格の警察手帳。

ところで新旧2つの警察手帳の身分証を見た経験からいうと、いや経験がなくても想像できると思うけれど、身分証を見せられても本物か偽物かの区別はつかないよ(^^ゞ

wassho at 23:39|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2018年09月24日

ほぼ3ヶ月ぶりにコーヒーを淹れる

コーヒー、コーヒー豆

小学校5年生の頃から自分でコーヒーを淹れている。以来、自宅にいてコーヒーを淹れなかったのは数えられるくらいの日数しかないはず。よほどの高熱を出して寝込んだか、二日酔いの後の迎え酒で三日酔いになった時くらいだ(^^ゞ

しかし今年の夏は猛烈な酷暑だったので熱いコーヒーを飲む気になれず、なんと7月、8月は1杯もコーヒーを淹れなかった。例年なら夏はアイスコーヒーも淹れるのだが、暑くてかったるくてそれもなし。もっともペットボトル入りのアイスコーヒーはたまに買っていたが。

少しは涼しくなってきても「コーヒーを淹れない習慣」がついてしまい、淹れ始めたのは数日前から。豆は6月に買って残っていたもの。

それがなくなったので本日コーヒー豆を買いに行った。通販も含めていろんなお店でコーヒー豆を買ったが、今は主に近所のコーヒー豆専門店を利用している。注文を受けてから焙煎するタイプのお店。

話は逸れるが、コーヒーは焙煎したて・挽きたて・淹れたてがよいとされる。しかし私は焙煎直後の豆は、どこか焦げたような味が感じられて好きじゃない。2〜3日目当たりが一番おいしいと思う。

さて店員とは顔なじみである。お店に入るなり「お久しぶりです」と挨拶された(>_<) 夏が暑すぎたのでコーヒーを飲んでいなかったという話をすると、店員から「そうですよね〜」との返事。飲んでいなかったのは私だけではなくて、7月8月は売り上げガタ減りでヤバかったらしい。なんとなくお店に行きづらい気持ちもあったが、それを聞いて安心した(^^ゞ

夏の暑さと売り上げとの関係では、ビールやアイスクリームがすぐに思い浮かぶ。しかし、まったく意識していないものも影響を受けているのだと実感。ちょっと視野が狭かったかな。これから血中カフェイン濃度を高めて頭を回転させよう。

wassho at 21:59|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2018年09月22日

110番通報の体験談 その2

前回に書いた110番通報の後日談。

遺体を目撃した場所は国道246号沿いだから、その後も、その横をクルマで数え切れないくらい走っている。でも三軒茶屋で食事や買い物をすることは滅多にないし、また現場は三軒茶屋駅周辺の賑やかな界隈からは少し離れている。だから、徒歩で現場を通りかかったことは数回しかない。30年で数回だからほとんどないに等しい。

ただ初めて現場を徒歩で歩いた時のことはよく覚えている。もっともなぜその場所を歩く必要があったのかは記憶にない。おそらく三軒茶屋に何か用事があり、自宅まで散歩がてら歩いて帰ったのだと思う。

それは110番通報からかなり年月がたってからのことだった。だから事件を目撃したこともすっかり忘れていた。でも現場に近づいた時に急に思い出した。霊感などが働いたのではなく、風景で「あっ、この場所は」と思い出した。それで地縛霊になっていて取り憑かれたらどうしようとか、彼女の声が聞こえてきたら怖いなとか、急にビビッた(>_<) でもよく考えたら感謝こそされても、恨まれることはないはずだ。というわけで普通に歩いて通り過ぎたけれど。ブログに書かせてもらったので、改めてご冥福を祈ろう。今はマンションも建て変わっていて、現場に行っても正確な位置はわからなくなっている。



さて本題の後日談。110番通報から半年くらいたった頃(もっと後だったかもしれない)、警察から電話がかかってきた。感謝状を渡したいという。こっちが忘れかけた頃に感謝するらしい。それになんと最寄りの交番まで取りにこいという。ずいぶんと上から目線の感謝である。

でもまあ、どんなものか興味があったので取りに行った。交番の警官から感謝の言葉はなく「ああ、預かってます」程度の扱いだった。別に感謝されたいと思っていたわけではないが、マーケティング的にいえば、自社に好意を寄せてくれる絶好の機会の損失である。もちろん損失してゼロになるのではなくマイナスの結果を生み出す。


それはさておき、もらったのは感謝状と金属製のメダルだった。メダルは割と大きくて直径10センチくらい。真ん中にパトカーの図柄があって、下のほうに警視庁交通機動隊と書かれていた。私の名前が彫られているかどうかは忘れた。それにしても、どうして交通違反を取り締まる部署のメダルなんだ?


その2つは常にクルマのダッシュボードに入れてあった。
ひょっとしたら役立つかもしれないから。
なんたって交通機動隊謹製である。

何年もたってから、ついにその日がやってきた。
ネズミ取りに引っかかった(>_<)

違反切符を切られる場所(通称サイン会場)で、少しは点数を負けてくれるかもしれないとヘラヘラしながら「いや〜、そんなにスピードが出ていたとはーーー私は善良な市民で、警察からはこんなものも頂いているのですが」とか言って、感謝状とメダルを見せた。

警官はニコニコしながら「それはそれ、これはこれということで」と取り合ってくれなかった。なんの役にも立たない感謝状とメダルである(^^ゞ 今はもうない。

もちろん感謝状とか関係なく、もしこれからも事故や事件を見かけたら110番通報するよ。



おしまい

wassho at 17:23|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2018年09月21日

110番通報の体験談

110番

警察ネタの第3弾。

今までに一度だけ110番通報をしたことがある。
もう30年以上も昔の話ではあるが。

当時は青山にあるコンサルティング会社に勤めていた。深夜までの残業や徹夜は日常茶飯事で猛烈に忙しかった。労働時間に関して今ならブラック企業認定でも、誰も「働かされている」という意識は持っていなかったはず。今にして思えば、やる気や目的意識ではどこにも負けない社員が揃った会社だった。そんな会社で7〜8年、まさに馬車馬のように働いた。いわゆる「リア充」もおろそかにすべきではないが、若い時期の一定期間、ドップリと仕事漬けになるのは大切だし必要だと思っている。不思議なことに、その時期は遊びもド派手だった(^^ゞ


さてある日、明け方近くまで仕事をした私はタクシーで自宅へ帰った。この仕事は身体も疲れるけれど頭が疲れる。ほとんど思考停止状態でタクシーの窓からボーッと外を眺めていた。国道246号で三軒茶屋の駅前を過ぎた頃、前方の歩道に何かがあるのが見えた。

タクシーがだんだんと近づく。そこにあったのは死体だった。マンションから歩道に飛び降りたと思われる。うつ伏せの状態だったが、顔は車道側を向いていた。そして、はっきりと私と目が会った。女性で年齢は25〜35歳くらい。白いネグリジェ姿だった。ネグリジェってオバサンが着るものだと思っていたが、とにかくネグリジェだった。

タクシーはその場所を一瞬で通り過ぎたが、その1/100くらいの時間ですべてを理解したような感覚だった。思考停止状態だった私の頭脳は瞬時に起動し、そして軽いパニックになった。

しばらく進むと国道246号は環七との交差点に出る。その場所には交番がある。タクシーを停めて警官に通報しようと思ったのだが、どうしても声が出せずに通り過ぎた。なぜか運転手は死体を見なかったらしい。ごく普通にタクシーは走っていた。

自宅に着いた。興奮しているのが自分でもわかった。タクシーで死体の横を通り過ぎてから5分ほど経過しているはずだった。明け方近くとはいえ、場所は三軒茶屋近くの246号沿いである。もう誰かが発見しているだろうと思った。でも110番した。しなければ気がすまなかった。

  「事故ですか、事件ですか」

110番のオペレーターは開口一番そう尋ねてきた。これはお約束のセリフである。そこでふと我に返った。飛び降り自殺は事故なのか事件なのか? 冗談みたいな疑問だけれど不思議なことにそれで興奮が収まり落ち着いた。

どちらを答えたか忘れたが、目撃した状況や場所を伝えた。
市民としての義務は果たした。そして速攻でベッドに潜り込んだ。


さて、ここからが体験者だから語れる出来事。

110番通報して私としては一件落着のつもりだったのだが、それから30分くらいの間に5〜6回も警察から電話がかかってきた。内容は主に場所はどこかという質問だった。最初の通報と同じ説明をした。国道246号という幹線道路、三軒茶屋という主要駅、そこから同じく幹線道路の環七に至るまでの歩道。サルでもわかりそうな場所なのに、なぜ何度も電話してくるのか。刑事ドラマでは、よく第1発見者が犯人の可能性が高いなどというから、ひょっとして自宅にパトカーでも来るのかと半分マジで思った。

でもだんだんと事情がわかってきた。最初にかかってきた電話はおそらく110番の管理センターからの確認だと思うが、それ以降は所轄の警察署や交番からだったような気がする。なぜなら背景が騒がしかったし、最後は電話の後ろで「それはもう出動した」というような声が聞こえたから。

どうなっている警視庁の情報伝達システム!
もっとも30年前の話なので、今では違うかもしれない。
いや30年前でも、けしからん出来事である。
警察は意外とレベルの低い組織じゃないかと思ったりする。


とりあえず、なかなか寝させてくれなくて困った。
それで、この110番通報には後日談もある。


ーーー続く

wassho at 07:54|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2018年09月19日

捜査中の刑事と

前回が警察の捜査のことだったので、ついでに刑事との思い出話を。

幸いにも今まで刑事のお世話になったことはない。でも捜査中の刑事に遭遇したことは4回ほどある。これって多いのかな少ないのかな。他の人とそんな話をしたことはないからよくわからない。


1度目は今から30年ほど昔。サミットか国賓の来日警備のために、戸別訪問をしている刑事が青山の仕事場にやってきた。なぜかその刑事と気が合い、しばらく雑談した。それについては、以前にブログで書いている


2度目は今調べてみると1999年の事件。当時住んでいたマンションの最寄り駅近くの工事現場で殺人事件があった。ニュースでも大きく取り上げられていたので、当然その事件については知っていた。半月くらい経ったある日、自宅に刑事がやってきた。もちろん私を捜してではなく、周辺の聞き込みというやつ。

事件のことは知っているが、自宅から駅に行く時に、その現場付近は通らないというような話をしたと思う。玄関先での会話だった。

やってきたのは30歳代と50歳代くらいの二人組の刑事。刑事ドラマの取り調べでは片方がきつく当たり、もう片方が優しく接して役割分担を演じるシーンがよくある。何となくその二人もそんな感じで、若いほうの刑事は少し威圧的な態度。もちろん取り調べじゃないから、ドラマのようなことはないのだけれど。しかし何を言われたかは忘れたが少しカチンと来たことは覚えている。その時、ちょっと挙動不審な振りでもして、からかってやろうかと思ったがグッと堪えた(^^ゞ

ちなみに、この事件は未だに未解決である。


3度目は2004年。ただネットで調べてもぴったりの事件はなかったので、時期は違っているかもしれない。こちらは近くの公園での殺人事件。これも報道で知っていた。それである日、その公園近くの中華料理屋にいると聞き込み捜査の刑事がやってきた。その時の刑事は一人だった。

私は一番奥の席に座っていて様子をうかがっていたので、聞き込みだということはすぐにわかった。実はもうほとんど食べ終わっていたのだが、何を尋ねられるか興味があったので順番が来るのを待つことにした。急に店を立ち去って怪しまれても困るし(^^ゞ

当時、その公園ではよくジョギングをしていて、立ち入り禁止のテープで囲まれている現場も知っているし、そこに花束を手向けに来た女性を見たことがあるというようなことを話した。刑事は少し興味を持ったようで、あの公園は夜になると変な連中も集まるのだがと話し出した。残念ながら、その公園には昼間しか行ったことがなかったから、そこで聞き込みは終了。

でもその時の会話ですごく印象に残っていることがある。

その刑事は被害者のことを「仏さんは若いチンピラで」と言った。「仏さん」は刑事ドラマではおなじみのセリフだけれど、本当にそういう言葉を使うんだ!と、なぜか新発見をしたような気分になった。仏さんほどではないにしても「チンピラ」と言う言葉が使われているのにも少し驚いた。

刑事ドラマと実際の警察の捜査とは違うとは聞いたことがあるし、まあそうだろうなとも思っている。でも100%作り話でもないだろうし、現役の刑事だって、若い頃に見た刑事ドラマから影響は受けているのかもしれない。


4度目は5年ほど前。銀座のオフィス近くの公園でのホームレス病死事件。上の2つと違ってニュースにはならなかったように記憶している。でも公園に警察が集まっているのは見ていたし、いわゆるご近所の噂で何が起きたのかは知っていた。

数日後、その公園付近を歩いていると刑事に呼び止められた。刑事が事件のことを話し、私はオフィスが近くだから知っていると答えた。刑事はそのホームレスの身元を探しており、彼の写真を見せるので、この近くの他の場所で見たことがないかを確認して欲しいと言った。役に立てるとは思わなかったが、いいよと答えた。

すると刑事は「たいへん恐縮ですが、少しショッキングな写真ですので、気をしっかりと」というようなことを言った。意味がわからなかったのだが、次の瞬間に写真を見せられた。

死体の写真だった。考えてみればホームレスが死体で写っているのは当然でも、とっさにはそこまで頭が回っていなかった。もう少し丁寧に説明して、心の準備をさせて欲しかったなあ。病死だから殺されて血まみれなわけじゃない。でもそれなりに凄惨な写真で、次の日くらいまでは何となく気分が悪かった。


オチも教訓もない単なる思い出話。
でも写真を見て欲しいと言われたら、死体かどうかは確認したほうがいいかも。

刑事


wassho at 20:16|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2018年09月14日

今はどの程度のハイテク社会?

4月8日に愛媛県の刑務所から脱走した犯人を捕まえるのに22日間を要した。大阪の富田林署から拘留中の容疑者が逃走して、今日で1ヶ月と2日たっているが未だ逃走中。

少し横道にそれるが、大阪の事件は容疑者が弁護士との接見が終わったのに気付かず、そして接見室の「立て付けの悪さ」を利用されて逃げられるという、前代未聞のトホホな事件である。にもかかわらず、1ヶ月以上もたつのに警察の誰かが責任を取ったいうニュースはない(よね?)。私が警察庁長官か国家公安委員長なら(どちらが任命権者か知らない)富田林署の署長は即刻更迭、1ヶ月経てば大阪府警本部長にもなにがしかの処分を下すけれど。よくいわれるように日本は責任を取らない・取らせない社会だと実感(/o\)


さて、大阪の事件は警察が総力を挙げて捜査していることは間違いない。それでもまだ捕まっていない。もしこれが映画やドラマなら、膨大な防犯カメラの映像を顔認証システムとやらを使って瞬く間に解析し、Nシステムとかその他ハイテクな手法を用いて、とっくに逮捕されているに違いない。1ヶ月間も捜査しているシーンが続けば、ストーリーとして間延びしちゃうからね。

コンピューター・ネットワークの上ならば、現在は昔のSF映画に近いレベルに達しているように思う。ひょっとしたら携帯電話からの位置情報を検知して、私が会った人物の目星をつけられるのかもしれない。携帯電話をハッキングして会っている人物との会話を傍受することも、それほど先のことではないだろう。少なくとも、このブログを読んでいるあなたを特定することは簡単なはず。ビビッた?(^^ゞ

でも、それ以外の生活分野においては、どの程度に捜査のハイテク化が進んでいるのだろうかと、ふと思ったしだい。今の映画やドラマじゃなくて、ひょっとしたら、まだ「太陽に吠えろ」の頃とたいして変わりないのかな。

wassho at 08:44|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2018年09月12日

チキンラーメンの思い出とナゾ

叔母に会うと、いつもこの話を聞かされた。

   お前が小さい頃、うちに遊びに来る時はたくさんご馳走を用意しておいたのに、
   何を食べたい?と尋ねると「チキンラーメン!」というからガッカリしたわ。

たいへん申し訳ございませんでした m(_ _)m
彼女が亡くなって10何年か経つ。
生きていれば、今でもこのネタでイジられているだろう(^^ゞ


ただし私はチキンラーメンを食べたいといった記憶はないし、それどころか小さい頃にチキンラーメンは食べたかもしれないが、それが好物だった記憶もないのである。叔母の話はおそらく5歳くらいまでのことだから、単に覚えていないだけなのかもしれないが。ちなみにインスタントラーメンの記憶があるのは小学3〜4年生くらいからで、我が家の定番は父親が好きだったエースコックのワンタンメン。高校生くらいまでオヤツや夜食としてよく食べた。私が初めて自分で作った料理?は、このワンタンメンだったかもしれない。たまに懐かしくなるけれど、近所のスーパーでは売っていないのが残念。


幼い私がチキンラーメンが好きだったかどうかのナゾはさておいて、本題のナゾはチキンラーメンの味。ここから先は、もしチキンラーメンを食べたことがなかったり、長らく食べていなくて味を忘れているのなら、ぜひ食べてからまた読んで欲しい。


チキンラーメンは1958年(昭和33年)に発売された日本で最初の、ということは世界で最初のインスタントラーメンである。もっともインスタントラーメンの定義の仕方によっては、チキンラーメンより先に発売されていたものもあるらしい。それでも今日のカップ麺まで続くインスタントラーメン市場を開拓したのは間違いなくチキンラーメンだろう。

さてチキンラーメンはチキンエキスを使っているからチキンラーメンという名前。現在のラーメンはインスタントでもお店で食べるものでも、数え切れないくらいのバリエーションがある。でも一番ベーシックなのは鶏ガラからスープを取ったものだろう。ラーメン以外にも鶏ガラスープを使った料理はたくさんあるから、鶏ガラスープというのはだいたいこんな味というのが頭の中にある。

しかしチキンラーメンの味というのは、他のどんな鶏ガラスープを使った料理の味とも似ていない。チキンラーメンの味というしかない。もしチキンラーメンを食べたことが無くて、そのスープを飲まされ、これは何からダシを取ったものかと問われれば、わからないと答えると思う。

ホームページで調べると原材料は以下。

  油揚げめん(小麦粉、植物油脂、しょうゆ、食塩、チキンエキス、香辛料、糖類、
  たん白加水分解物、卵粉、デキストリン、香味調味料、オニオンパウダー)/加工
  でん粉、調味料(アミノ酸等)、炭酸Ca、かんすい、酸化防止剤(ビタミンE)、
  ビタミンB2、ビタミンB1、(一部に小麦・卵・乳成分・ごま・大豆・鶏肉を含む)

特にあの味のヒントとなるようなものは見あたらない。ちなみにカップヌードルはチキンエキスとポークエキスの両方を使っている。カップヌードルのスープも独特の味だが、それでも似たような味のものはあるように思う。チキンラーメンだけが、世の中のどんなスープとも違う独特の味である。

チキンエキスは使っていても、味のベースとなっているのは原材料にある香辛料や香味調味料なんだろうか。あの味のナゾを工場見学でもして確かめたい気持ちである。それにもしチキンラーメンに近い味の料理があるならぜひ食べてみたい。



ところでチキンラーメンの話を書いたのは、先日、とても久し振りにチキンラーメンを食べたから。その時に少し変わった食べ方をした。まあおいしかったのだが、もう少し実験を続けたいと思っている。いつになるかわからないが、その時にまた。


ちきんらーめん


wassho at 23:40|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2018年09月10日

ブルーシートの違和感と危惧

2014年に御嶽山の噴火があった時、災害や事故の報道で使われ出した「心肺停止」という表現に違和感を持っている話を書いた。同じような違和感を感じるものがもうひとつある。それは遺体搬出の時に使われているブルーシート。

遺体はおそらく担架に乗せて運ばれている。そしてなぜか何が何でも、その担架を見せまいと大勢の人間がブルーシートで周りを取り囲んで移動する。

まさか遺体は担架に素のままで載せられていないだろう。布か毛布のような物で覆われているか、あるいは遺体袋に入れられているはず。それをなぜ隠す必要がある?


  知らしむべからずーーーといったお上意識?

  布などで覆った担架で運んでいたのに「遺体をさらすとは残酷だ、あるいは不謹慎だ」
  との勘違いなクレームがあって、それに対する過剰反応?

  大けがをした生存者は布などで覆えない。でも凄惨な状態なのでブルーシートで取り
  囲んで運んだら、いつの間にかそれが布で覆った遺体にも適用されるようになった?

  何かの確たる理由で遺体搬出にブルーシートを使った事例があった。それが理由が
  なくてもブルーシートを使うべしと拡大解釈されていった?

真相はわからないが、クレーム対策でそういうことが始まって、それを「忖度」して過剰に対応する現場がではじめて、ヨソがやっているからウチでもと右へ倣えで「常識になった」というのが私の想像。だからブルーシートには違和感以上に、思考停止の無駄な作業に思えて、そういう映像を見るたびにイラッとする。


おかしなのは警察でも犯人(容疑者)が移送車から降りて、警察の建物に入る途中などでブルーシートを使うようになったこと。この場合、容疑者の人権に配慮との理屈は成り立つ。しかしブルーシートで取り囲まれるような重大犯罪の容疑者は、逮捕されたら(あるいはそれ以前から)氏名も顔写真も公表されるのだから、それはヘリクツである。またマレーシアで北朝鮮の金正男を暗殺した女性二人は、移送の際に防弾チョッキを着用させられていた。しかし日本の警察がブルーシートを使う時は、そんな状況じゃないだろう。


ブルーシートで遮蔽されている映像を見てイラつくのは、隠されているものは見たくなる欲求の表れかもしれない(根源的な心理の話で、別に遺体を見たいわけじゃないので念のため)。現場の気苦労もわからないわけじゃない。それでも過剰なブルーシートを見て思うのは、おかしな集団心理が社会に働いていないかという危惧。ちょっと大げさかな。でもいっけん正しそうな行為だけに始末が悪い。

本来は工事現場などで活躍するブルーシート。
それが何かよくない連想をされるようになってブルーシートもお気の毒。


参考までに「心肺停止の違和感と危惧」のページ

    http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/53073150.html
    http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/53076740.html


2021年3月追記
最近は目隠し専用器具まで使われている。
https://wassho.livedoor.blog/archives/53381989.html


2022年8月追記
何が何でもブルーシート
https://wassho.livedoor.blog/archives/53431114.html

wassho at 22:48|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2018年09月07日

地震と停電と懐中電灯

7月に広島や岡山で洪水が起こり、数日前に台風21号が近畿地方を荒らしまくったと思ったら、今度は北海道で大地震。天災は忘れた頃にやってくるという言葉があるが、もはや忘れる間もなくやってくるという状況である。

今回の地震は北海道で発電所がすべてストップしてしまったことが、混乱に拍車を掛けているように思える。いわく全域停電。かなりショッキングな言葉である。過去に使われた事例はなかったんじゃないかな。どこかの発電所がダウンすれば、他の発電所でカバーすればいいようなものだが、発電・送電の仕組み上、すぐには対応できないらしい。

普段はまったく気にも掛けないが現代の社会や文明は、ありとあらゆること、隅から隅まで電気を使う前提で成り立っている。電気が来ないことが長引けば、江戸時代の生活に戻ることに等しい。その場合、簡単に手に入るのは空気くらいしか思いつかない。

さいわい本日には1/3位のエリアで電気が復旧するとのこと。まだまだたいへんだと思うが、北海道の皆さんはなんとかしのいで欲しい。ところで日本に壊滅的な打撃を与えるとされる南海トラフ地震が、これから30年のうちに70〜80%の確率で起きるらしいけれど、その時はどうなるのだろう。江戸時代になる覚悟が必要なのかな。



大げさな話はこれくらいにして、停電について以前に防災関連のセミナーで聞いたことを思い出したので参考までに。

夜に停電になれば真っ暗である。当然、懐中電灯の類が必要。ただし、それをどこにしまってあるかが問題。普通の停電なら手探りで家の中を進めば何とかなるかもしれない。しかし大地震で家具が転倒し、気も動転している中で懐中電灯を探すのはたいへんだということ。だから保管場所が大事になる。

この話を聞いた時、寝る時はベッドサイドにスマホを置いてあるし、カメラのライトを懐中電灯代わりにするアプリも入っているから、それを頼りに懐中電灯を探せば大丈夫だと思った。しかしそれを見透かしたように講師は言った。「スマホのように軽いものは大地震の揺れで吹っ飛ぶので、暗闇で見つけるのは簡単ではない」。

その時はゴモットモと感心したが、このブログを書くまですっかり忘れていた(^^ゞ
講師は滑り止めのゴムシートを敷くだけで、かなり違うと言っていたかな。早急に対策しなければ。

停電、懐中電灯


wassho at 07:55|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2018年09月06日

SNSと台風21号

台風21号の強風による被害の映像をニュースでたくさん見た。屋根が吹き飛ばされる様子にも驚いたが、クルマが倒されて押し流されているのは衝撃的だった。そのような光景は初めて見たように思う。

しかし冷静に考えてみると、大阪全域で断続的にそんなことが起こっていたわけではない。ごく限られたエリアで瞬時の出来事である。つまり撮影しようと狙ってできるものではない。それなのに数多くの映像がテレビで放送されたのは、近隣の住民や、たまたま通りがかった人がスマホで録画してSNSにアップし、それをマスコミ各社が利用したからだろう。(ニュースに使えるものをアップするとマスコミから、そのSNSを通じて利用させて欲しいと連絡が来ると聞いたことがある)

私のTwitterは読む専門で、フォローしているアカウントもごく僅か。それでもリツイートされてくる投稿によって、ほぼ生中継的にいろんな映像を見ることができた。(Twitterの仕組みを知らない人は調べてね)

それで今さらではあるが、改めてSNSによって情報の伝わり方や在り方は変わってきたと実感。最近、プラスチック製のストローの是非が問題になっているが、あれもバリ島の海岸にプラスチックゴミが散乱している写真や動画を、多くの人がSNSにアップしたことが影響したらしい。少し前のハリウッドのセクハラ騒動も、MeTooを表明するSNSがなければ違う展開になっていたはず。

もちろんいいことばかりではなく、巧妙に偽造された動画などで、とんでもないデマに躍らされることも今後は起きるだろう。どんなテクノロジーだって使い方によって毒にも薬にもなる。今回だって台風は関西各地に被害をもたらしたはずだが、人口が多くSNSにアップされた映像も多い大阪が、よりニュースを占めた感は否めない。

ニュースがすべての事実を伝えることは無理だし、話題となるものが選ばれるのは昔からだけれど、これからますます劇場型になるような危惧も感じている。私もクルマが押し倒される映像が流れるたびに見入っていたからエラソーなことは言えないがーーー。

wassho at 06:53|PermalinkComments(0) ノンジャンル