2018年10月

2018年10月29日

RIMPA TO NIHONGA―現代日本画に見る琳派の様相 その2

ドアを開けて美術館に入ると受付があり、すぐその先からが展示室になっている。3フロアに分かれた展示室は1階を見てからエレベーターで3階に上がり、階段で2階に下りる順路になっている。1階と3階がRIMPA TO NIHONGAの企画展、2階が桜百景と名付けられた桜をテーマとした作品の展示がある。すべて併せて35作品の展示だからこぢんまりした規模の美術館である。

しかし展示室に足を踏み入れたとたんモダンな琳派ワールド全開で圧倒される。特に1階は展示されている10作品のほとんどが500号越えのビッグサイズなのでなおさら。

現代日本画のカテゴリーにはまったく詳しくないので、画家に関してビッグネームの加山又造以外は数名を見たことがあったかなあ、名前を聞いたような気もするなあというレベルだった。そういうわけでマイナーな画家が多くネットで作品の画像収集もはかどらず。何点かとても面白いと感じた作品を紹介できないのが残念。


那波多目(なばため)功一 「昇陽菊図」 1999年
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平松礼二 「路・野菊讃」 1996年
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画像は2隻の屏風のうちの右隻。縦は168センチ、2つ合わせて幅は711センチの巨大作品。これだけ大きいとブログの画像ではまったく別物に見えてしまう。この作品を何と表現したらいいのかわからないけれど、けっこう息を詰めて見つめてしまった。ただしタイトルを見るまで菊ではなく紅葉を描いた絵だと思っていたのは内緒(^^ゞ


加山又造 「淡月(たんげつ)」 1996年
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私の頭の中で加山又造は画家というよりクリエーターの分類に入っている。もう亡くなって15年くらいだろうか。この人は本人も美術界も「現代の琳派」を意識していた画家。それでもってこの淡月は尾形光琳にも見せたいくらいの出来映え。そしてメインのしだれ桜ではなく、背景に置いた月を絵のタイトルにするセンスにもヤラレタ!の快感。


加山又造 「洋猫」 1970年
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これは15号と普通サイズであるが、他が500号越えだからやたら小さく感じる。そして見れば見るほどスタイリッシュな作品。ただ目は青く塗りつぶされていて実物サイズで見ると穴が空いているようにも見える。それって狙いなのかな。そうだとしたら何を狙っているのだろう?


林潤一 「四季花卉図」 2000年 
               ※花卉(かき)とは観賞用の花をつける植物の総称。
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実際にはこんな光景を見ることはできない。左から冬〜春〜夏〜秋と、それぞれのシーズンに咲く花を無理やり並べた作品。あまり琳派的なイメージも感じず。しかしお花畑好きの私にとっては天国のような世界。



ここからが3階の展示室で13作品並んでいた。1階と違い500号越えは1つだけで50号から80号のサイズが中心。それでも充分に大型サイズであるが。


中野嘉之(よしゆき) 「秋映譜」 1991年
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下田義寛 「疎林」 1986年
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千住博 楽園の幕間」 1992年
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中島千波 「白麗花」 1993年
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2階は桜に関連する作品。
企画展に併せたのか琳派ぽいイメージの作品が多かった。


染谷香理 「誰が袖ー春」 2016年
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木下めいこ 「桜鏡」 2014年
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鈴木紀和子 「誘い」 2013年
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中島千波 「春夜三春の瀧櫻」 1998年
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思っていた以上に楽しめた展覧会だった。それぞれの作品から感じたのは「研ぎ澄まされた美意識の高さ」のようなもの。目に突き刺さるようにビシバシ伝わってきた。それが琳派と通ずるところなのかなとも思う。

そういう感覚は西洋絵画にはあまり見られないし、また岩絵の具を使う日本画ならではの繊細さによるところも大きい。欲を言えば、その美意識でもっとモダンというか日本的なものから離れたなテーマで描いて欲しい。例えば花なら桜や菊じゃなくてバラとか。もちろん日本的な感性は残してである。

とりあえず現代日本画に少し興味が湧いてきた。


おしまい

wassho at 20:39|PermalinkComments(0) 美術展 

2018年10月28日

RIMPA TO NIHONGA―現代日本画に見る琳派の様相

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中目黒駅からすぐ近くの「郷さくら美術館」で開かれていた展覧会を見てきた。郷は「さと」と読む。自宅から散歩圏内にこんな美術館があるなんて最近まで知らなかった。ここは現代日本画を専門とする美術館。昭和生まれで現役で活躍している日本画家の作品をコレクションしている。また50号以上の大型作品が中心らしい。参考までに50号とは長辺が1.167メートルである。

中目黒駅を降りて桜で有名な目黒川を渡るとすぐ美術館が見えてくる。昔からあるビルを今風にリノベーションしたような外観の建物である。うっかり写真は撮り忘れた(^^ゞ ここでは目黒川の桜にちなんでか、3フロアある展示室の1つは常に桜をテーマとした作品の展示。残り2フロアを使って年に4〜5回の企画展が行われている。企画展は自前のコレクションが中心のようだ。


美術館の歴史は浅く福島県郡山市の本館がオープンしたのが2006年、中目黒は2012年から。ただし郡山の本館は2016年4月から長期休館となっている。その理由はホームページに「諸般の事情により」としか記されていない。休館は昨年からだから東日本大震災は関係なさそう。地方都市でこのコンセプトでは集客が厳しかったのかも。

しかし2017年にはニューヨークでSato Sakura Gallery New Yorkを開設している。英語でギャラリーは美術館と画廊の両方の意味がある。しかし日本の郷さくら美術館の英語表記はMuseumを使っているからニューヨークでは画廊として販売もしているのだろう。今回の展覧会を見て確信したけれど、マーケティングを間違わなければこの美術館が扱う現代日本画はアメリカでも受け入れられるに違いない。

それにしても、かなりニッチなカテゴリーに特化した美術館である。美術館名から推測すると大企業の文化貢献事業ではない。そこで誰がこんな物好きなことをと興味を持ったので少し調べてみると、この美術館の経営母体は郡山の名家のようだ。オーナーの名前は四家千佳史(しけ・ちかし)氏。福島県の小松製作所のディーラー?を営む家系に生まれ、29歳で建設機械レンタル会社を起業。急成長して後に小松製作所の系列会社と経営統合。現在は小松製作所本社の役員を務める建設機械業界では風雲児的に有名な人物のようである。年齢はまだ50歳。

絵画でも音楽でも芸術というのは金持ちの道楽に支えられて発展してきた歴史を持つ。こういう個性的な美術館があるのは喜ばしい限り。タワマン買ってフェラーリ買って、まだお金が余っているIT長者の方がいれば是非(^^ゞ




展覧会タイトルのRIMPA TO NIHONGAがローマ字なので、スッと頭に入ってこないがRIMPAとは琳派(りんぱ)のことである。琳派とは流派すなわち集団名であるが、これがなかなかユニークな流派なのである。絵画の流派には

   狩野派:狩野一族で代々引き継がれている家元制の一門。
   印象派:写実ではなく感じたままに印象を描こうとの思想に共感したグループ。
   エコール・ド・パリ(パリ派):1920年代を中心にパリで活躍した画家という、
                 絵の内容は関係なく、ある一定の時期で区切られた
                 呼び名。


などの分類方法がある。画風や技術、思想、時期などコアとなるものは様々だとしても、それを中心に集まっているからこそ集団。しかし琳派は集まっていないのである。

琳派のスーパースターは3人。

  江戸初期:俵屋宗達(1570年頃〜1640年頃)
  江戸中期:尾形光琳(1658年〜1716年)
  江戸後期:酒井抱一(さかい ほういつ 1761年‐1829年)

生きていた時代が違うからこの3人に接点はない。それに俵屋宗達と尾形光琳は京都で、酒井抱一は江戸で活躍した画家である。また琳派としての流儀が伝えられたわけでもない。だいたい琳派とは昭和の中頃につけられたネーミングであり、当人達は流派の意識を持ちようがない。

しかし俵屋宗達の約100年後に生まれた尾形光琳が俵屋宗達の絵を、そして尾形光琳の約100年後に生まれた酒井抱一が尾形光琳と俵屋宗達の絵をリスペクトして手本にしたので画風が受け継がれたという意味で琳派と呼ばれる。ちなみに琳派のリンは尾形光琳のリン。

3人のつながりがよくわかるのは有名な風神雷神図。
風邪薬のキャラクターじゃないよ(^^ゞ

俵屋宗達
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尾形光琳
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酒井抱一
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風神雷神図以外で最も知名度(見た気がする度)がある琳派作品は、尾形光琳の燕子花(かきつばた)図かなあ。
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            ※これらは郷さくら美術館の展覧会とは関係ない。


琳派のお約束は金箔。だから冒頭に載せたポスターもゴールド比率高し。もっとも金箔で絵の背景を埋め尽くすのは安土桃山時代の狩野派から始まっているから琳派だけの特徴じゃない。その狩野派は室町幕府から信長・秀吉の時代を経て徳川幕府でも常に政権の権力者と結びついていた日本絵画の圧倒的権威。だから古典的で壮大つまり立派な絵が中心。対して琳派も権力者がパトロンだったことに変わりはないが「公式」じゃなかったせいか、もっと自由でクリエイティブな作品が多い。尾形光琳の燕子花図なんてポップアートみたいだ。


さてこの展覧会は「現代日本画に見る琳派の様相」と大げさな副題がついているものの、琳派的な匂いのする現代作品を集めましたというような内容。作品が展示されているほとんどの画家達は、特に琳派を意識したり琳派になろうとしている訳じゃない(と思う)。でも隠れ琳派好きとしては現代感覚の琳派ってどんなだろうと興味を持って訪れた次第。

ところで今気付いたけれどタイトルのRIMPA TO NIHONGA。TOは「と」なのか英語の「to」なのかどっち?


前書きだけで長くなったので本日はここまでで。


ーーー続く

wassho at 13:01|PermalinkComments(0) 美術展 

2018年10月25日

ユリの球根も買った

実はチューリップと一緒にこっそりユリの球根も買った。深く考えてのことではなく何となく目についたから。だからユリの育て方もまだ調べていないが、とりあえずチューリップと同じく10月から11月に植えるらしい。ただし花が咲くのはチューリップより2ヶ月ほど後の6月から7月。

注文したのは「お楽しみ特大球カサブランカセット3種9球 2,980円(税込)」という商品。

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カサブランカというのはユリの代表的な園芸品種の1つ。園芸品種というのは品種改良されたという意味。メジャーな花=花屋で売っているような花というのは、野生種から品種改良されていろんなバリエーションがある。

国華園のホームページによるとこの特大球は球周22センチ以上とある。円に当てはめれば直径は3.14で割って7センチになる。だから買ったのは9球でも大きめのプランター3つが必要。チューリップのプランターが8つで、春になれば観葉植物もベランダに出す。置き場所は大丈夫かな?



ユリといえば以前にバイクツーリングで訪れた富士見高原リゾート花の里と、ハンターマウンテンで見た白樺林で咲くユリの花が忘れられない。その潜在意識があったからチューリップ以外の選択肢としてユリを選んだのかもしれない。今回上手く咲かせることが出来たら、その次は白樺にも挑戦するか(^^ゞ

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wassho at 07:00|PermalinkComments(0)   *チューリップ以外 

2018年10月23日

少なめに発注したチューリップの球根

前シーズンまでの開花率は、

   2014年 80%
   2015年 25%
   2016年 57%
   2017年 79%
   2018年 58%

2018年シーズンは土の熱湯消毒などまでしてがんばったのに、開花率が振るわずチューリップに対するモチベーションは大幅にダウン。6月にプランターから枯れ葉や球根を取り除いた時おぼろげに考えていたのは、2019年シーズンのチューリップはゼロにしないまでも大幅に減らして何か新しい植物にチャレンジするということ。

チャレンジするには何を育てるかを決めることも含めて、それなりにお勉強が必要。しかしグウタラと何もしないまま、あれよあれよというまに球根を植えるシーズンがやってきてしまい(^^ゞ

というわけで2019年シーズンもチューリップ続行。まあ2015年の開花率25%の時は別として、50%以上あれば満開になる10日間程は、今朝は何が咲いたかと無駄に早起きするくらいワクワクできるのだからと自己説得。



ただし次シーズンは少し球根の量を減らすことにした。従来は球根を8球・7球・8球の3列配置で1つのプランターに23球を植えていた。それを8球・8球の2列配置で16球にする。これはモチベーションダウンで減らしたのではなく、ちょっと詰め込み過ぎだったかもという考えから。もっとも3列配置で80%開花したシーズンもあるのだが、とりあえず新しい試みということで。プランターは8台だから3列植えの184球から2列植えでは128球になる。

2017年シーズンはベーシックな品種を選ばず、パロット咲き、フリンジ咲き、レンブラント咲き、八重咲きなどの球根セットだけを植えた。けっこうゴージャスなベランダになったが、ちょっとチューリップじゃないものが咲いている感も否めず(^^ゞ それで2018年シーズンはベーシック中心にしたら開花率が低いせいもあって少し物足りなかった。意外と品種選びは難しいのである。今回は数も減らしたのでなおさら。それで選んだのは


まずはベーシックな5色。以前はこのセットで普通球〜大球〜特大球から選べたのに、今回は普通球と特大球しかなかった。特大球の花は大きいが、そのせいか茎が倒れやすいので大球が欲しかったのだけれど。普通球でもよかったが何となく特大球を選択。ちなみに購入したのは惰性でいつもの国華園。写真はホームページから拝借。

特大球 5色50球セット (各10球) 1,285円(税込)
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派手めの品種の詰め合わせセットは4種類あって、その中から1つ選択。黄色と紫が上のセットと被っているが、それなりに違いはあるだろうと期待。

バルブオブザイヤーDセット 5種40球 (各8球) 1,933円(税込)
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ところで品種名の後ろに「外」と記されているものがある。昨年まではなかった表示。それが何を意味するかの説明はないが、どうも海外登録品種のようだ。こんな注意書きがある。

    海外登録品種であり、権利者合意のもと当社で販売しております。  
    権利者の許可なしに、球根の増殖・販売は禁じられております。

今ひとつ説明不足な文章。「外」のつかない品種にこの注意書きはないから、国内品種だったら増やして販売してもいいのかな?


これは全体の色バランスを考えて選んだ品種。これも「外」印付き。

ダイナスティ 20球 637円(税込)
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以前はオレンジブレンド、昨年から名前が変わってみかんブレンドというセットをよく買っていた。オレンジ色のチューリップが咲くと何となく風景が元気なイメージになってよろしい。しかし前シーズンはそのミカンブレンドの開花率が著しく低かったので今回はパス。

そこで選んだのが、名前ほどオレンジ色じゃないけれど、普通とは違うフリンジの形だしという理由で

ルーブルオレンジ 8球 529円(税込)
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それとこの品種。

原種系チューリップ サーモンジェム 10球 529円(税込)
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原種系とは観賞用にそれほど品種改良されておらず、野生の品種に近いという意味だと思う。原種系はいわゆるチューリップの形とはかけ離れたものが多い。だから今までは避けてきた。でもこのサーモンジェムはチューリップの形に近いし、オレンジ色だし、新しいことも始めましょうということで。


来年はたくさんたくさん咲きますように(願)

wassho at 20:50|PermalinkComments(0)   *チューリップ 

2018年10月19日

カレー用の福神漬け

カレーライス
先日、久し振りに自宅でカレーでも食べようかと。

とはいってもカレーはレトルトだし、ご飯もパック入りである。
とはいってもカレーにはあれこれ具材を加えるスペシャルメニューである。
極秘レシピの公開はいずれそのうち。

それで福神漬けも買おうかと。
考えてみたら福神漬けを買うのはこれが人生最初である。

人はカレーを食べるとき福神漬けがないとないと我慢できない派と、そうではない派に二分される。私はそうではない派である。あるいはカレーの付け合わせは福神漬けがいいか、らっきょがいいかでも好みは分かれる。私はらっきょが苦手なので選ぶのなら福神漬け。

こういった二分論はわかりやすいので説得力がある。しかし言語明快意味不明な言葉と同じで、何となくわかった気にさせるだけのもの。安直な分け方には批判もある。それで私の好きなジョークを。

   人は、
   人は二分できると考える人と、
   そうではないと考える人に二分される \(^o^)/



話がそれたm(_ _)m
スーパーの漬け物売り場に行ってみると福神漬けはすぐに見つかった。赤い色をしているからわかりやすい。それを手に取ろうとしたとき、隣りに同じメーカーの「カレー用福神漬け」と書かれたものがあるのに気がついた。こちらは黄色っぽい色をしている。パッケージの原材料表示は読まなかったが、使われている野菜は同じもののようだった。

福神漬けには、普通の福神漬けとカレー用の福神漬けがあるのか。
しかしカレーの時以外に、普通の漬け物のように福神漬けを食べる人っているのかな?

今回はそんな素朴な疑問のお話。もっともカレー店の福神漬けは黄色っぽいのが多いから、そういう商品を出したのだろうけれど、ネーミングがブサイクねという皮肉。


ついでに、
仮に夫婦子供の家族構成でも、そんなに頻繁にカレーを食べる家庭は少ないと思うから、漬け物業界は福神漬けのパック容量をもっと少なくした方がいいと思うゾ。

wassho at 21:35|PermalinkComments(0) 生活、日常 | マーケティング、ビジネス

2018年10月17日

横山崋山 その4

第5章「風俗−人々の共感」の続き。


「花見図」
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女性は日本髪だし桜の花見をしているのだから、描かれているのは日本の風景に間違いない。しかしどうしても中国風に見えてしまう。おそらく他の展示に中国風の絵が多く、それらと背景の色が同じだからかな。オソロシア刷り込み効果。

話は戻るが「紅花屏風」で人物が漫画的に見えると書いた。その理由のひとつに顔の形や表情の作り方のバリエーションが乏しいことが上げられる。つまり自分の持ちネタだけで人物を描いているから。マンガでもチョイ役やその他大勢役の人物の顔は、作品が違ってもだいたい同じで使い回しである。この「花見図」では15名が描かれているが、顔は5パターンくらいしかない。崋山の描く人物は動作が活き活きとしているのに、そのあたりが残念。


「夕顔棚納涼図」
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国宝である久隅守景(くすみもりかげ)の「納涼図屏風」へのオマージュ。「納涼図屏風」は肩に力の入っていない味わい深い絵である。でも「最も国宝らしくない国宝」とも評される作品。それには同感で、もし私に国宝の選定権限があったら絶対に選んでいない。でもさすがに横山崋山は「納涼図屏風」の価値を見抜いていたんだろうな。


「大原女図」
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鎌倉時代から昭和の初め頃まで、京都の大原に住む女性が薪を頭に載せて運んで行商していた。彼女たちを大原女(おおはらめ)と呼ぶ。それにしてもすごい薪の量にびっくり。頭で運ぶのが有名だが馬も使っていたことが伺える。

都のあった京都は郊外からの行商が盛んだった。その担い手は女性で三大行商女と呼べるのが、この大原女と、白川女と畑の姥。白川女は白川からやってくる花の行商。畑の姥(はたのおば または うば)は雲ヶ畑などの林業の盛んな地区から間伐材で作った床几(しょうぎ:ベンチみたいなもの)やハシゴを売りに来る。どの行商も基本は頭に載せて運ぶ。そういうのはアフリカ奥地の女性を連想するけれど、意外と人類共通の発想なのかもしれない。



最終の第6章が「描かれた祇園祭−《祇園祭礼図巻》の世界」。いってみれば崋山の風俗画から祇園祭だけを取り出した構成。

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この「祇園祭礼図巻(1835〜1837年)は上下2巻の巻物で、それぞれ約15メートルの超大作。祇園祭といえば山鉾巡行がクライマックス。しかしこれは山鉾だけではなく、山鉾と一緒に練り歩く人や祭りを見物する人も描いた「すべて見せます祇園祭」みたいな作品。「紅花屏風」も絵によるドキュメントのような作品だったが、崋山は人々にあれこれ教えたくて仕方がない池上彰みたいな絵師だったのかも。

何箇所かの抜粋。
ところで高さのある山鉾は巻物という横長の紙面には不向き。それで崋山は大胆にトリミングして描いている。そのことが、いってみれば祇園祭図鑑のようなこの作品に絵としてのリズムを与えている。
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下絵も実に綿密。資料的な価値も高いらしい。
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とにかくすごい力作である。巻物だから縦は30センチ少々なので、15メートルの長さがあっても絵の大きさ的な迫力はない。それでも崋山の執念のようなものは伝わってくる。しかし、だからといってこの絵を見て楽しかった、何か揺さぶられたということでもない。貴重な記録を拝見いたしましたという感じ。私が絵画に求めているものとは方向が違うのだろう。



実は今回、展覧会を見終えた後のプチ幸せ感のようなものをあまり得られなかった。確かに絵は抜群に上手いし、描いてるものに対する愛情のようなものも感じる。でも突き抜け感が足りないというか、クリエイティブじゃないというか。

もっともこの時代の日本画には型というものがあっただろうし、絵は画家の自己表現じゃなくてクライアントの注文内容に沿って描くものだ。それはわかっちゃいるのだが、それでもスゴイ!と思う日本画もあるわけで。横山崋山のテクニックをもってしたらーーーと思うのは無い物ねだりかな。長らく忘れられていて、彼の再評価が始まったのは最近だから、また埋もれている作品があることを期待しよう。


おしまい

wassho at 23:32|PermalinkComments(0) 美術展 

2018年10月14日

横山崋山 その3

第5章は「風俗−人々の共感」。今や風俗というとムフフなニュアンスになってしまうが、本来の意味は

   ある時代や社会、ある地域や階層に特徴的にみられる、衣食住など日常生活の
   しきたりや習わし、風習のこと。広く世相や生活文化の特色をいう場合もある。
   (引用:ウィキペディア)

それで風俗画こそが横山崋山を崋山たらしめているジャンルだと思う。代表作がこの「紅花屏風」。制作は1823年から1825年。

紅花はキク科の植物。商品として馴染みがあるのは種から絞られる紅花油であるが、花を発酵・乾燥させて作る着色料も食品や化粧品に使われている。以前は繊維の染料としても。
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「紅花屏風」は京都の紅花問屋が崋山に依頼したもので、描かれているのは紅花産地での生産や加工の風景。京都の商家は祇園祭の時に、家にある絵や屏風を人々に見せる習慣があり、その目的のために制作したようだ。今でいえば自社の商品をより知ってもらうPR活動といったところ。

崋山は紅花産地の埼玉と山形に何度も赴き、屏風の制作に6年を掛けている。その甲斐あって実にリアルで緻密な仕上がりの作品。まるで絵によるドキュメンタリー。今までに紹介した、空想の内容をお約束の作法で描いた中国風の絵もテクニックは見事だが、やはりその目で見て描いたものは圧倒的に活き活きしている。ぜひクリックして大きなサイズで見て欲しい。

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上が右隻で下が左隻。餅状に加工された紅花の大きさから、右隻が埼玉、左隻が山形を描いたものとされている。左隻では港から北前船で紅花が江戸に向けて運ばれる様子も描かれている。フワーッと雲のようなものを描いて空間をワープするのが日本画の面白いところ。

一部をクローズアップした画像。
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しかし、よくこれだけの人数を描き込んだなとも思う。総勢約200人。しかも背景として人がたくさんいますといった描き方ではなく、1人1人に役割を持たせている。崋山は絵だけではなく人間観察も好きだったに違いない。

ただ惜しむらくは、日本画なので人物描写に(多少の陰影は施されているが)立体感がなく漫画的に見えるところ。だから大作なのは感じられても何となく軽い。大作だからこそ余計にそう感じる気もする。もちろん日本画とはそういうものと言われればそうなのかもしれない。たから寿司とステーキを較べても意味がないのだが、私はステーキが好きということなんだろう。

ついでにもう1つ。畑で咲いている紅花は黄色い花がだんだんと赤みを帯びてくるが、紅色ではなくオレンジ色である。現地は見ているはずなのに、どうして加工後の紅色で花を描いたのか不思議。
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参考までに紅花の加工を解説してくれるページ。
https://www.motoji.co.jp/report_yamagishikouichi_koubou_2009/


ーーー続く

wassho at 23:52|PermalinkComments(0) 美術展 

2018年10月13日

横山崋山 その2

第2章は「人物−ユーモラスな表現」というタイトル。別にユーモラスに描かれているものばかりじゃないのだけれど、崋山の人物描写力を堪能しましょうというコーナーなんだろう。なお、ここでもすべて中国画風の作品である。


「唐子図屏風」 1826年 
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一隻(屏風1枚)が縦166センチ、横374センチと大きなサイズ。上が右隻(うせき)、下が左隻。この絵は当てはまらないが、もし屏風絵にストーリーがあるなら右隻から左隻、それぞれ右から左へと進行する。屏風は中国で生まれたもので縦書き漢字文化は右から左だから。

村の子供が思い思いに遊んでいる作品である。右隻中央のニワトリはただ眺めているだけじゃなくて闘鶏かもしれない。金屏風の豪華さと描かれている内容がミスマッチな気もするが、それが面白いというか新鮮。

ところで、ここまでの展示は水墨画ばかりだった。ほとんどモノトーンの世界だったので、鮮やかな彩色のこの屏風を見て何となくホッとした。写真でもそうだけれどモノトーンは色彩としてはシンプルなのに、心理的にはヘビーに感じているんだなと実感。

ブログに載せるサイズだととても小さくなってしまうので一部をアップで。なお写真をクリックすると拡大するので上の屏風でも試してみて。
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前回のエントリーで絵が観念的になる、お約束のルールができてしまうことについて書いた。これなんかも典型例だと思う。子供達を愛くるしく描きたかったんだろう、あるいは子供は愛くるしくあるべきと考えていたのかもしれない。実際とてもふくよかでかわいく描けている。でもこんなにたくさんの子供が集まって、全員が揃いも揃って丸顔なんてことはないんじゃない?


「関羽図」
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有名な三国志の武将。三国志は西暦180年から280年頃の出来事。まず歴史書として編纂され、その内容が講談などでエンタテイメント化されて民衆に伝わっていく。最終的に歴史小説としてまとめられたのは三国時代が終わって1200年後といわれている。日本では鎌倉時代から室町時代に変わろうとする頃。そして中国から日本に伝来したのが江戸初期。江戸後期の崋山の時代には、それぞれの登場人物はすっかりおなじみのものになっていたのだろう。だからこれはお約束的に描かざるを得ないか。

ちなみに三国志の概要はわかっているつもりだが小説を通読したことはない。
いくら100年の物語とはいえ長すぎるんだもん(^^ゞ


「鍾馗図」
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鍾馗(しょうき)は中国の道教の神様。仙人や気功の「気」また太極図などが出てくるのが道教ね。この鍾馗には厄除けのご利益があるとされる。日本でも江戸時代に五月人形にしたり、屋根瓦の上に魔除けとして祀ったりしたらしい。

ところでこの絵は左足の向きがヘン。不可能な体勢ではないが何のためのポーズ?


「七福神酒宴図」  1819年
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「西王母図」
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彼女が持っている桃を食べると3000年の寿命を得られるという女性仙人。崋山は美人画も達者な腕前。それにしてもやはり絵には色があったほうがいい。



第3章は「花鳥−多彩なアニマルランド」と題されている。動物がメインのコーナー。花の絵もあったが画像が見つからなかったので紹介できず。


「虎図」
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「松竹梅 鶴龍虎図」
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「日の出・波に鶴図」
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「鷲図」
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さて日本画に多い虎について。
日本列島が大陸とつながっていた有史以前は別として、日本に野生の虎はいない。虎が初めて運ばれてきたのは平安時代とか、日本人が虎を見たのは豊臣秀吉による朝鮮出兵の時が最初など、生きた虎と日本人が関わった時期には諸説ある。しかし古代より虎の存在自体は知られていたようで、万葉集にも3首ほど虎が詠まれた歌が選ばれている。漢詩、絵、毛皮などがその情報源だったのだろう。ちなみに日本で最初の動物園である上野動物園に虎がやってきたのは1887年(明治20年)である。

江戸時代には虎の見せ物小屋があったともいわれるが、基本的に虎の姿は絵で知るものだったはず。だから当時の日本画は、虎を見たことがない絵師の描く、昔からある虎の絵の焼き直しだからワンパターンである。無駄に勇ましく力強いし、なぜかとてもギョロ目に描かれたものが多い。だいたい虎は基本的に木に登らない。

あの円山応挙もそういうお約束の虎を描いている。しかしさすがに写生の第一人者。虎は猫の親戚だということを知ったらしく、猫を観察して虎を描いたものがある。猫にしか見えなくて笑えるが(^^ゞ

     <参考資料:円山応挙の虎>
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ちなみに猫は明るいところで、目の瞳孔が細長く縦一直線になる。しかし虎はそうはならずに人間と同じく丸いまま。だから虎の絵で縦長の瞳孔だったら、それは猫を参考に描いたものである。当時の絵師はそんなことでバレるとは思っていなかっただろうが。



第4章は「山水−華山と旅する名所」。つまり風景画のコーナー。


「城州白河之図」  1813年
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何となく中国風の雰囲気が漂う。しかしタイトルを見ると城州とは山城国(やましろのくに)のことで、つまりは京都。今は岡崎と呼ばれるあたりが南白河で、そこから現在の北白川までが白河。ところでこれはいつ頃の白河を描いたものなんだろう。江戸時代なら白河はもっと開けていたはずと思うのだが。

「富士山図」
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少し富士山が細長いのは崋山の美意識かな。描いた場所は旅の途中の駿河国・吉原宿、現在の静岡県富士市といわれている。しかし海越しに愛鷹山を手前に富士山を見るなら、伊豆半島の西側付け根まで行かなければならないはず。バイクであちこちから富士山を見てきた私の目はごまかせないぞ(^^ゞ まったくの空想ではないにしろ、かなり「盛った」絵のようだ。


「雪景山水人物図」
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これは円山応挙の「雪松図屏風」と同じように雪の部分は、白く塗っているのではなく何も塗らずに描いている。もっとも説明がないと気付かないが。


ーーー続く

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2018年10月12日

横山崋山

先日、丸の内まで出かけたついでに東京駅にある東京ステーションギャラリーに立ち寄ってきた。開催されているのは江戸時代後期の絵師である横山崋山の展覧会。

ポスター

横山崋山(かざん)は夏目漱石の坊ちゃんにその名前が登場したり、日本美術を広く海外に紹介したフェノロサからも高い評価を得るなど、明治時代までは著名な存在だったらしい。しかし特定の流派に所属していない、様々な画風の絵を描いたのが災いしてアイデンティティが希薄、作品の多くが海外に流出したなどの理由によって長らく忘れられた存在に。再評価され始めたのはごく最近で、この規模の展覧会が開かれたのも今回が初めてとのこと。

でもまあ、この分野にあまり詳しくない身としては、横山といいえば横山大観で、崋山といえば渡辺崋山と、ビッグネームがふたつ並んでいる横山崋山は初めて知った気がしないのだが(^^ゞ ついでに横山崋山は1781または1784年生まれで1837年没。ペリー来航が1853年で明治維新が1868年だから幕末の少し前に活躍した人物。なお彼について書かれた資料は極めて少ないらしい。確かなのは残された作品と今も京都にある墓だけともいわれているくらい。


話はそれるが日本で今、展覧会に一番人を集められる画家は誰か。モナリザでもやってくれば別だが、おそらく伊藤若冲(じゃくちゅう)だろう。2016年に開かれた展覧会ではなんと5時間待ちでも人々が行列した。(私は70分待ちの段階で諦めたのを未だに後悔している)

伊藤若冲も江戸時代中期に活躍し名声を得たが、明治以降は忘れられて再評価されたのは1970年代になってからである。それが今や押しも押されぬスーパースター。その驚異のV字回復にあやかりたいのか、どうも日本画界隈では第2の伊藤若冲を生み出そうという魂胆があるみたいだ。急激な西洋化が進んだ明治に、時代に埋もれてしまった江戸時代の絵師は相当数いる。それを発掘して第2の伊藤若冲、伊藤若冲の再来、伊藤若冲の後継者とマーケティングされている例がチラホラ。

横山崋山もそんな扱われ方をされているのがどうもね。



さて展覧会は6つの章立てで構成されている。最初は「蕭白を学ぶ−華山の出発点」。横山崋山の作品は、ごく一部を除いて制作した時期がわかっていない。だから内容別の構成なのだと思う。

蕭白というのは曾我蕭白(そが しょうはく)という横山崋山より50年ほど前に生まれた絵師のこと。画風は極めて正調だが内容的にエキセントリックな作品が多いので奇想の絵師などと評される。横山崋山が養子に入り育った横山家は、その曾我蕭白のパトロンで、彼は曾我蕭白の絵には馴染みがあったらしい。展覧会では横山崋山が曾我蕭白を模写した作品が、オリジナルの曾我蕭白と並んで展示されていた。

「蝦蟇仙人図(がませんにんず)」 曽我蕭白 
01


「蝦蟇仙人図」 横山崋山
02

先に模写と書いたが100%のコピーを描こうとしたのではなく、今風にいえば崋山が蕭白をリスペクトしてオマージュとして捧げた作品。両者を較べると、一言でいえば崋山のほうが洗練されているし、デッサン力という表現が適当かどうかわからないが人体の描き方に無理がなく躍動感もある。しかし見るものの目を引き魂を揺さぶるのは蕭白のほうだと思う。鬼気迫る感じの蕭白に対して崋山はアッサリと淡泊。

おそらく最後のまとめでも書くと思うが「崋山の絵は上手いのだけれど、どこか物足りない」という印象は、この最初の作品から引きずることになる。


          ※これ以降は特に記さない限り、すべて横山崋山の作品。

「寒山捨得図」
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「蘭亭曲水図」
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どちらも中国絵画でよくもちいられるモチーフの作品。寒山捨得は寒山(かんざん)と捨得(じっとく)という唐の時代の僧侶の名前から。蘭亭曲水図は書聖と称される中国の書家の王義之に関連するもの。彼が蘭亭という別荘で開いた宴会は絵としてよく描かれ、それらは蘭亭曲水図と呼ばれる。

江戸時代の日本画には中国風の絵も多い。それは外国を描くのが「絵になる」からだ。いつの時代だって非日常性は絵に求められるものであり、その表現手段のひとつが外国を描く、あるいは外国的に描くことなのだと思う。現在の西洋絵画のポジションが江戸時代の中国風作品。しかし鎖国状態の日本では、古くからある中国の絵、あるいはそれを参考に描いた絵がベースとなる。つまり外国そのもののオリジナルとは接しないまったくの空想。だからだんだんと観念的になるし、あれこれお約束的なルールが出来てしまう。私の鑑賞眼のレベルを横に置いていえば、そういう絵は似たり寄ったりで、面白いと感じたことはあまりない。


ーーー続く

wassho at 06:42|PermalinkComments(0) 美術展 

2018年10月09日

コンプライ Comply

法律や倫理を守りましょうというコンプライアンスではなく、コンプライというメーカーのイヤホンのイヤーピース=ゴムで出来ている耳に差し込む部分のパーツのお話。

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現在使っているパイオニアのSE-CH5BLというイヤホンをなぜ買ったか、どんな音質なのかはしばらく前にブログにした。バランス接続の効果かどうかは別として高音はいいのだけれど、オリジナルは3500円クラスのイヤホンだからか中低音は物足りない。それが全体の厚み不足というかリアリティのなさにつながっているような気もする。しかしSE-CH5BLに慣れてしまったら、そんなに不満は感じないというようなことを書いた。

でもやはり我慢できなくなってきた。中低域が不足しているのは明らかだ。


実はSE-CH5BLを買ったときから気になっていることがあった。SE-CH5BLはステム=イヤーピースを装着する部分の軸が少し太い。当然そのステムの直径に合わせてイヤーピースも膨らまざるを得ない。S、M、Lサイズと3種類のイヤーピースが付属しているが、Sサイズでも私の耳にはわずかに大きい感触だった。

イヤホンで音楽を聴いているなら試してみればわかるが、イヤホンを少し耳の奥まで押し込むと低域が増す。SE-CH5BLも耳奥に押しつけるといい感じに鳴った。ただしイヤーピースが大きいので、そうするには常にイヤホンを指で押さえている必要がある。


というわけでイヤーピースを別のメーカーのものに交換。

コンプライのイヤーピースはゴムではなく発泡性のウレタンのようなもので成形されている。また体温で柔らかくなるらしい。その柔軟性を活かして耳穴にピッタリとフィットさせて装着製や遮音性を向上させる。それによって音質が向上するというのがメーカーの謳い文句。
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コンプライはゴム製のイヤーピースと較べてサイズは2倍くらい大きい。これは装着前に指で押しつぶして小さくしてから耳穴に突っ込み、その後で膨らんでフィットするという仕組みだから。同時にこれでゴム製より耳穴の奥までイヤーピースが届くことにもなる。

それで結果は

   オリジナルが3500円、
   バランスケーブルに換えただけで6500円のイヤホンが
   3万円クラスの音になった!!!

もっとも1万円程度のイヤホンしか使ったことがなく、3万円クラスの音は知らないのだけれど。まあそれくらい満足しているということ。私と同じような不満をイヤホンに持っている人はぜひ試してみるべき。


問題は耐久性。コンプライは粗くて脆そうな素材でもある。ネットでは毎日使って1ヶ月位しかもたなかったという書き込みもある。3つセットで約2000円。だから1つ約670円。本当に1ヶ月でダメになるなら1年で8040円、2年で16,080円、3年で24,120円の交換費用という計算になる。素直にもっと高級なイヤホンを買ったほうが安上がり。ナヤミドコロ。

耐久性については、いずれレポートする予定。

wassho at 22:41|PermalinkComments(0) 音楽、オーディオ 

2018年10月07日

ユニットバスは鉄でできていた!

ウチは一応デザイナーズマンションということになっている。
なんだけれどバスルームはごく普通のユニットバス。

そのバスルームには3つの棚がついている。
写真はいわゆるイメージ写真ね。
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しかしゴチャゴチャとバスルームグッズがあるので棚が3つでは足りない。ちなみに一番上の棚にはアヒル、イルカ、カエルのオモチャという三種の神器が置いてある(^^ゞ

それで吸盤で貼り付くトレイのようなものでなんとかできないか考えた。
とりあえず近くの100円ショップへ。

お風呂用品ではなくキッチン用品売り場でサイズ的に使えそうなトレイを見つけた。吸盤式とマグネット式があった。吸盤式は食器洗剤とスポンジを置くように作られているのかトレイに段差があった。私の用途で段差は必要ないというか邪魔。

マグネット式のイメージはこんな感じ。
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こちらのほうがよかった。しかしユニットバスの壁はプラスチック樹脂でできている。だから磁石はつかない。と思っていたら隣りにこんな商品が売られているのを発見。

3

これをまず貼り付けて、そこに磁石をつかせるという仕組み。ちなみにキッチンの流しなどに使われるステンレスは磁石がつかないが、ステンレス=鉄をメインとした合金=その成分内容によって磁石がつくステンレスもある。

しかしこのプレートをユニットバスの壁に両面テープのようなもので貼るわけである。バスルームだから湿度も高くなるしシャワーもかかる。大丈夫か?

でも100円ショップだから、トレイと補助プレートを買っても200円(^^ゞ
ダメなら、また考えようとお買い上げ。


トレイの側面には2箇所に磁石があった。それに合わせて補助プレートをユニットバスの壁に貼る位置や間隔を先に決めなければいけない。定規と鉛筆を持ってバスルームで位置決め作業開始。その時、何気なくトレイをバスルームの壁に近づけたところ

    トレイの磁石がユニットバスの壁に引っ付いた!!!

目が点になった。どうしてプラスチックに磁石が?

そうか、ユニットバスの強度を保つために、ところどころ鉄のフレームが入っているのかと考えた。しかしユニットバスの壁のどの位置でも磁石がつく。ということは部分的にフレームがあるわけではない。どこかで施工中のユニットバスを外側から見たことがあるが、ユニットバスの外側が鉄で出来ているということはなかった。じゃあどうして? ひょっとして磁石がつくプラスチックがあるのか? いや、プラスチックは石油製品で基本は炭素分子だからから、それはあり得ないーーー。私は夢の中で作業しているのか(>_<)


結論をいうと、ユニットバスの壁はポリエステル樹脂金属積層鋼板というので出来ているらしい。文字から解釈して金属とプラスチックを貼り合わせた素材だと思う。その金属が鉄かその仲間なら磁石がつくという原理。

それを知っていれば納得のことで、
だから浴室用のマグネット式トレイも売られているのだけれど、

とにかくプラスチックに磁石がついてビックリしたというお話。

wassho at 20:16|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2018年10月06日

Androidの画面はつけっ放しにできないという事実

前回と同様にAndroidと書いているが、ひょっとしたら私の持っているHuawei(ファーウェイ)のMediaPad M3 Liteというタブレット固有の問題かもしれない。その当たりは他の機種を触ったことがないので悪しからず。



スマホやタブレットにはバッテリーの消耗を押さえるために、一定時間操作しないと画面を消す機能が備わっている。どのくらいの時間で消すかは自分で設定できる。そしてiPhoneやiPadでは「消さない」という設定ができるが、Androidではそれができないのである(/o\) 最長でも10分の選択肢しかない。

これで何が困るかというと、前回にも書いたパソコンと一緒にタブレットを使うのは、タブレットに資料を表示させて、それを参考にしながらパソコンで作業するときである。しばらく表示させたままにしておきたいことも多い。iPadの時は画面は消さない設定で使っていた。でもAndroidの場合は10分たつと消えてしまう。その度に画面を触って再表示させなければならない。ある程度時間がたってしまうと指紋認証も求められる。指紋認証のセンサーはタブレットの一番下にあるから、スタンドに載せたままだととてもやりにくい。

どうしてAndroidは「消さない」という選択ができないのだろう。
大いに疑問。そして不便きわまりない。



そんなにあれこれブーたれてるのならiPadを買えばだって?
それはごもっともな指摘。でも昨年の12月にAndroidというか、このMediaPad M3 Liteを買ったのにはそれなりの理由があった。

タブレットにはいろんな大きさがある。それで私の使い方を考えて、片手だけで持てることを第1の条件にした。つまり小さいタブレットを買うということ。MediaPad M3 Liteは8インチ画面で解像度が1920×1200ピクセル、タブレットの横幅は123ミリである。手を広げれば何とか片手でしっかり持てるサイズ。これに相当するiPadはiPad mini4という機種。7.9インチ画面で解像度が2048×1536ピクセル、タブレットの横幅は135ミリ。

スライド1


iPad mini4は横幅サイズも微妙に大きかったが、なんといっても2015年9月発売の古い機種なのが気に掛かった。いっぽうのMediaPad M3 Liteは2017年8月の発売。購入した2017年12月時点では最新機種。中身のスペックについては何も調べていない。それにCPUなどにパワーの必要な使い方をする訳じゃない。それでも、この分野の商品で2年の差は購入をためらう理由になる。


それと画面の縦横比を較べると

  MediaPad M3 Lite→1920×1200ピクセル→横を1とすると縦は1.6
  iPad mini4→2048×1536ピクセル→横を1とすると縦は1.3

解像度の話は面倒なので横に置くと、要するにiPadのほうが正方形に近い画面(AppleのiPadはすべてこの比率である)。何となくズングリしているし、ウェッブ画面を見るならMediaPadの縦型のほうがいいだろうという判断。


スマホがドンドン大型化しているので、タブレット特に小型のタブレットのマーケットは縮小傾向にある。先日に新機種が発売されたiPhoneで、一番大きなサイズは6.5インチもある。だからiPad miniの後継機種はもう発売されないというのがもっぱらの噂。Android勢も同じかもしれない。

そのうちに小型タブレット難民になる予感ありあり。こんなふうに世間一般のニーズと私のニーズが一致しないことはよくある。それは決して私がヘソ曲がりじゃなくて、悪貨が良貨を駆逐している現象なのだと固く信じている(^^ゞ

とりあえず前回に書いた下からケーブルを挿せるスタンドを買うか。


ーーー続く

wassho at 19:42|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2018年10月05日

Androidの画面は縦に上下反転しないという事実

昨年の12月に「Androidは上までスクロールしないという事実」を書いた。相変わらず不便である。まあそれなりに慣れたものの、他にこれだけはどうしようもない欠点がもう2つある。なおAndroidと書いているが、ひょっとしたら私の持っているHuawei(ファーウェイ)のMediaPad M3 Liteというタブレット固有の問題かもしれない。その当たりは他の機種を触った経験がないので悪しからず。


さてiPadの基本は縦持ちであり画面は縦長。そしてそれを横に倒すと横長になった画面にあわせて表示される。また縦長の画面を上下逆さまになるように持っても、画像が上下反転される。つまり縦横にどう持とうが関係なく機械が画面の表示を調整してくれる仕組み。

そんなことは当たり前だと思っていたのに、Androidのタブレットは縦長の画面を上下逆さまにした場合に画像が反転されない。逆さまになったままなのである(/o\)

それがそんなに不便かといわれると、手に持って使っているぶんには関係ない。縦画面で使う時は、タブレットの上下を正しく持てばいいだけである。

しかし私は、時々こんなタブレット用のスタンドを使っている。パソコンと一緒にタブレットも使う時は、手に持てないのでスタンドを使わざるを得ない。ベッドで長々とタブレットを使う時も、手で持つと疲れるのでスタンドを利用している。
スタンド1

これもタブレットをスタンドに載せるだけならいいのだが、問題は充電しながら使う時である。iPadもAndroidも充電ケーブルの差し込み口は縦長にしたときの下辺にある。iPadでは上下逆さまにスタンドに載せて差し込み口が上になるようにしてケーブルを挿していた。Androidじゃ、それができないのである。画像を縦位置で上下反転させる機能を付加することに、何の苦労も入らないしコストもかからないはず。どうして反転させないのだろう。ナゾ



ところでこのブログを書くためにあれこれ写真を探していると、こんなタイプのタブレットスタンド見つけた。これなら充電ケーブルが下側に来る問題は解決する。ただしこのタイプのものは大きくてベッドでは使いづらそうだし、折りたたみもできないから持ち運びにくいのが難点。

スタンド2


ーーー続く

wassho at 20:48|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2018年10月03日

音楽とマリー・ローランサン その3

最後の時代区分は「円熟期」。

狂騒の時代や熱狂の時代といわれた1920年代のパリの華やかさは、1929年の世界恐慌で幕を閉じる。そして1939年から始まる第二次世界大戦。パリはナチス・ドイツに占領される。しかしマリー・ローランサンは盤石の構え。第一次世界大戦ではスペインに亡命し、それが少し絵にも影を落とした。しかし、この頃の彼女は社会の動向とは関係なく、あのマリー・ローランサン調を邁進している。戦争が始まったのは彼女が56歳になろうとする頃。もう何事にも動じないオバチャンになっていたのだろう(^^ゞ

画風は基本的にパステルカラーながらも、だんだんと鮮やかな色彩になってくる。それと描かれている女性から、あどけなさや妖精らしさがが薄れ、何となく実体感が出てきたかな。


「ばらの女」  1930年
68


「シュザンヌ・モロー(青い服)」  1940年
81


「音楽」  1944年頃
86


「扇をもつ若い女」  1950年頃
91


「三人の若い女」  1953年頃
94



マリー・ローランサンの絵とじっくり対峙しても特に何も得られない。そのセンスと画風をサラッと楽しむべき絵。別に軽んじている訳じゃない。スーツとTシャツ、ファッションにはどちらも必要。ひょっとしたらTシャツのほうがオシャレに着こなすのは難しいかも。

ところでマリー・ローランサンには、一目見て彼女の作品とわかるアイデンティティがあるから、ある意味ワンパターンな画家と思っていた。しかし今まで見たことがなかった「青春時代」区分は別としても、それぞれの時代区分での画風の変遷を知ることができたのは面白かった。まあ微妙な違いなんだけど。

復習を兼ねて並べてみると。
(左上から時計回りに、青春時代→亡命時代→1920年代→円熟期)
スライド1


ついでにマリー・ローランサンの写真あれこれ。
スライド2



この展覧会には平日の午後1時過ぎに訪れた。チケットを買っているときに1人会場から出てきて、中に入ってみると私だけ。生まれて初めての展覧会貸し切り状態! しばらくしてもう1人やって来たけれど、ポーラ美術館より空いている(^^ゞ しかしここはニューオータニのガーデンコート。おそらく家賃も相当高いはず。もともと長野の蓼科にあったマリー・ローランサン美術館は来場者数が伸びずに閉館になった。その二の舞にならなければいいのだがと余計な心配。現在ここに移転して1年とちょっと。マリー・ローランサン好きは早めに見に行ったほうがいいかもしれない。

ちなみに展示スペースは「えっ、これだけ?」思うくらい、こじんまりとしている。作品数は70点ほどだった。


ニューオータニはマリー・ローランサン美術館も入っているオフィスビルのガーデンコート、ホテル新館であるガーデンタワー、ホテル本館のザ・メイン(ヘンな名前)の3つの建物で構成され、それぞれは渡り廊下でつながっている。美術館のある6階が渡り廊下のある階だったので、ホテルのほうへ歩いてみた。いわゆるホテルのアーケード街を通るようになっている。でも買い物するわけでもないので、外に出てホテル自慢の日本庭園を散策すればよかった。もしマリー・ローランサン美術館に来るならご参考に。


というわけでホテル本館から退出。
IMG_1015


ホテルすぐそばの道路はいい感じ。さすがは紀尾井町。ちなみに「紀」州徳川家、「尾」張徳川家、彦根の「伊」井家の江戸屋敷があったから紀尾井町。お殿様もここを通ったかな。
IMG_1020


階段があったので登ってみる。
IMG_1023

IMG_1021


残念ながら、次の約束があったので探検できず。

さて今年の秋は、バイクも手放してしまったので美術館に行きまくる予定。


おしまい

wassho at 21:30|PermalinkComments(0) 美術展 

2018年10月01日

音楽とマリー・ローランサン その2

前回に紹介した1912年〜13年、マリー・ローランサンが30歳までの作品には、今まで知らなかった彼女の画風が見られた。しかもそれが好みに合うものだったので展覧会に足を運んだ甲斐があったというもの。

ところでマリー・ローランサンの作品を観ると、なぜか竹久夢二と東郷青児を思い出す。3人の絵はまったく違うが、おそらく

   他の誰にも似ていない画風で女性を描いている。
   それがサラッと軽めのタッチで、
   現実とは距離のある空想的な雰囲気を漂わせている。

あたりの共通点がそう思わせるのかもしれない。もっとも竹久夢二と東郷青児の絵は、オッサンの女性を美化するモーソーがなせる業なのに対して、マリー・ローランサンは女性なのが面白い。ところでモーソーといえば宮崎駿がアニメで描く少女のキャラクターは、まったくもって老人のモーソーの産物だとかねがね思っている(^^ゞ


さて展覧会は最初の「青春期」に続いて、あと3つの時代区分を設けている。それぞれ作風は異なるが「これらの作品が、どの時代区分に当てはまるか選びなさい」という問題を出されたら全問正解は難しいかも。


2つ目の時代区分は「亡命時代」。マリー・ローランサンは30歳半ばでドイツ人と結婚してドイツ国籍となる。しかし第1次世界大戦が始まり、ドイツがフランスに宣戦布告したのでフランスにはいられなくなった。また夫がドイツに戻れば兵士として出征しなければならないので夫婦でスペインに亡命する。

このスペイン亡命時代は、マリー・ローランサンにとって閉塞的で厳しい日々だったといわれている。画業も停滞した模様。そういう背景を知った上で絵を眺めれば、どことなく陰性の雰囲気があるかな。でもマリー・ローランサンの描く女性は基本的に無表情だから、こちらの気持ち次第でどのようにも見えてしまう。


「王女」  1915年
32


「棕欄のそばの女」  1915年頃  ※棕欄=しゅろ:ヤシ科の植物の総称
34


「鏡を持つ裸婦」  1916年
35

この作品だけは黙って見せられればマリー・ローランサンとは思わないだろう。他のものとは明らかに異なる内容と画風。どこかクラシックなものを感じる。亡命中にいろいろと模索することもあったのか、あるいはスペインの画家達に影響を受けたのだろうか。


「舞踏」  1919年
40


「ギターをもつ女道化師」  1920〜22年
45




次の区分は「1920年代」。第1次世界大戦が終わり、夫とも離婚してフランス国籍を回復したマリー・ローランサンは1921年にパリに戻る。戦争に勝った後の1920年代のパリは、狂騒の時代や熱狂の時代、あるいはパリがもっとも輝いていた〜パリが一番パリらしかった時代などといわれる。ところで東京が一番東京らしかった時代ってあったのかな。

美術史的にはエコール・ド・パリの時代。これは絵の特徴や内容に関係なく、その頃に活躍した画家をひとまとめにしただけの呼び名。有名どころはモディリアーニ、シャガール、ユトリロ、パスキン、キスリング、藤田嗣治あたり。

パリに戻って彼女は元気になったようである。「亡命時代」と較べれば色使いも明るい。マリー・ローランサン=パステルカラーという図式はこの頃に完全に定着する。また「接吻」や「ラッパをもって」のような、甘くロマンティックな雰囲気もこの頃の特徴である。

「三美神」  1921年
47


「ギターと二人の乙女」  1924年
53


「お城の生活」  1925年
57


「接吻」  1927年頃
62


「ラッパをもって」  1929年
67



ーーー続く

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