2018年11月

2018年11月29日

生誕110年 東山魁夷展 その4

東山魁夷は風景画家ではあるが、少し変わっていて、その風景には人間や動物などは基本的に描かれない。展覧会を見て回った中では、京都をテーマとした京洛四季スケッチというシリーズの一部に、祇園祭や狂言の舞台を描いたものがあって、人間が登場するのはその数点くらいである。動物に至っては鳥が1羽だけ描かれているものが2枚あるのみ。また建物もほとんど描かないので、前々回のエントリーで紹介したドイツとオーストリアを巡ったシリーズで、古城や街並みが多く登場するのは「海外もの」ゆえの別枠的存在である。

つまり東山魁夷の風景画の要素は山・海・川などの地形的な姿と、そこにある木々や草ということになる。花も遠景の桜くらいしか描かない。しかしなぜか1972年だけは例外で、この年には19作品を制作したらしいが、そのすべてに白馬が描かれている。決して大きく中心に描かれているわけではないが、白馬の存在感から明らかに絵の主役となっている。


「草青む」 1972年 デンマーク ヒレロード
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「春を呼ぶ丘」 1972年 北海道
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「緑響く」 1982年 長野県 蓼科高原 ※オリジナルは1972年制作だが、
                    行方不明になったため再制作
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1972年は唐招提寺から障壁画制作の依頼を受けた翌年で、その構想を練っていた頃。その年に限って絵を描こうとすると、脳裏に白馬のイメージが浮かんできたらしい。彼自身は「白馬は自らの祈りの現れ」と語っている。もし私がそんなことを言ったら「とうとう、そんなものが見えるようになってきたか」と心配あるいは見放されるに違いない(^^ゞ

この白馬の正体が何であるかは別としてとても幻想的な作品になっている。ただ白馬で幻想的というのがベタ過ぎて、ちょっと安っぽい気もするけれど。でもそんなひねくれた気持ちは捨てて東山ファンタジーに浸るのがいいようにも思う。




展覧会の最後は「心を写す風景画」というタイトル。今まで作品名の後に地名を記入してきたが、それはもちろん東山魁夷が風景画家として各地に赴いてスケッチをしてきた絵だから。御影堂の障壁画には揚州や桂林と行った中国の風景も描かれていて、そのために彼は日本との国交が正常化したばかりの中国まで出かけている。

やがて70歳を超えて、新たにスケッチ旅行に出かけるのが難しくなってきたので、晩年は過去の膨大なスケッチをベースに制作が続けられる。それがこのコーナーの作品。

「白い朝」 1980年 自宅
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「静唱」 1981年 パリ郊外 ソー公園
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「緑の窓」 1983年 ドイツ ラムサウ
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「行く秋」 1990年 ドイツ北部
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「夕星」 199年
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「心を写す風景画」のタイトルに影響されたのか、今までのドカーンと広い景色とは少し違って、同じ風景画でもより情感がこもった作品のように思えた。なんとなく東山魁夷の優しい目線を感じる。

「夕星」に地名がないのは、この絵だけは架空の風景だから。そしてこれが絶筆となる。「ここが最後の憩いの場になるのではという感を胸に秘めながら筆を進めた」。そんな彼の言葉を知ると、ひとつだけ夜空に描かれた星は彼自身のつもりだったのではないかと想像してしまう。



東山魁夷の作品には個性とか自己主張のようなものはあまり感じられない。そういうところが物足りなくて、今まであまり興味がなかったのだと思う。しかし多くの作品を観てわかったのは、これは最高級のカツオで取ったダシのような絵だということ。極上のステーキのように口に運ぶ前からワクワクしないし、ひと噛みしただけでガツンとくるわけじゃない。しかし上品でしみじみと旨く、そしていくらでも飲める。

最後にわかりにくい例えになってしまってゴメン。


おしまい

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2018年11月27日

生誕110年 東山魁夷展 その3

この展覧会では唐招提寺(とうしょうだいじ)の御影堂の障壁画が展示されている。障壁画(しょうへきが)とは主に襖(ふすま)に描かれた絵。

その唐招提寺とは奈良にある、律宗というあまり聞き慣れない宗派のお寺。創建したのは鑑真(がんじん)。中国の高僧で奈良時代(710年〜794年)に朝廷から請われて日本にやってきた。渡航に5回失敗し、6回目でようやく日本にたどり着いた時には視力を失っていたなんて子供の時に習った記憶のある人は多いはず。大昔だから中国と日本を船で渡るのはすごく大変だったんだろうなと思っていたが、調べてみると微妙に違う。

まず6回のチャレンジのうち船に乗って出航したのは3回だけである。1回目、3回目、4回目は中国(当時は唐)当局によって出航を差し止められたり他の理由で出航を断念している。それを含めて6回とカウントする?

2回目と5回目は出航した。そして暴風雨で船は難破。特に5回目は上海の近くから南方の海南島まで漂流している。その距離約2000キロ。途中にいくらでも岸があるやろ(^^ゞ
地図

現在の海南島は中国のハワイなどといわれるリゾートだが、当時は暮らすにはきつかったらしい。鑑真は約1年間滞在した後(滞在したのは海南島ではなく桂林という説もある)、本拠地の揚州に戻る。おそらく陸路。その途中に失明。南方の気候と激しい疲労からといわれる。子供の頃、日本までの航海が大変だったとして、それでなぜ失明するのか、荒れる船上で目を怪我したのかなと思っていたが、そういうわけだったのね。

しかし疲労で失明するかな? 緑内障などを患ったと考えるほうが合理的。失明の原因を日本への渡航とするのはちょっと違うかも。

それはともかく6回目の渡航でようやく成功。沖縄(当時は外国)と屋久島を経由して、754年に九州の太宰府に到着。その時も4隻の船団のうち1隻は行方不明になり、1隻は沖縄から九州に向かう途中にベトナムまで流されているから、やはり当時の航海は命がけだったのだと改めて思う。ちなみにこの時は遣唐使が帰国する船に同乗。最初からそういう手配をしてあげれば、もっとスムーズに来日できて失明もしていなかったかも。


鑑真が亡くなって、その弟子たちが作ったのが鑑真和上坐像(がんじん わじょう ざぞう)。国宝であり日本最古の肖像彫刻。彫刻といっても削っているのではなく、麻布を漆で貼り合わせて作られている。
鑑真和上坐像


その鑑真和上坐像が安置されているのが御影堂(みえいどう)。この建物は唐招提寺のホームページによれば「元は興福寺の別当坊だった一乗院宸殿の遺構で、明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われたものを昭和39年(1964)移築復元したものです」というからビックリ。これが庁舎だったなんて、さすが奈良!
御影堂外観


その御影堂の障壁画を東山魁夷が制作。 ※写真は産経フォトから引用
御影堂障壁画

鑑真や東山魁夷のことは抜きにして、この障壁画のことはかなり昔から知っていた。記憶に残っていたのは、お寺の和室のフスマに鮮やかなブルーが「派手やな〜」「似合わんな〜」と違和感があったから。そして今回、その制作意図が「鑑真は困難を乗り越え海を渡ってきた」からだと知る。果たして鑑真は大変な目にあった海に囲まれて喜んでいるか?(^^ゞ

それにしてもお坊さんが柵の外側からお経を上げているのが奇妙だが、これは拝観者のための柵をいちいち片付けるのが面倒ということなのかな。現在、御影堂は大改修中で、その期間を利用してこの展覧会に障壁画が貸し出されている。障壁画の何枚かが貸し出されることは過去にもあったが、今回は全部で68枚あるすべての障壁画が展示されている。


御影堂障壁画「山雲」 1975年
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御影堂障壁画「濤声」 1975年  ※濤声=とうせい=波の音
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どちらも上の画像は障壁画全体のごく一部。
「濤声」をさらにアップで。
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これじゃ雰囲気が伝わらないので展示風景を。 
※写真はインターネットミュージアムから引用
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実際の展示室はもっと暗い。下から照明を当てているのだが、まるで裏面から照射しているように感じる。暗い空間の中でブルーの障壁画が、宙に浮いているように思えて超幻想的だった。絵というより映像を観ているような感覚になる。障壁画というのは空間芸術なんだと認識する。


御影堂障壁画「揚州薫風」 1980年
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「濤声」とはガラッと変わって中国の水墨画風。これはもちろん鑑真が中国人だからであり、揚州は彼の出身地。御影堂の障壁画が東山魁夷の鑑真へのオマージュであることがわかる。

こちらは鑑真が滞在したことのある桂林の風景を描いた「桂林月宵」の展示風景。 
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写真でわかるように、展示は御影堂の造作を再現して畳まで敷く凝りよう。何となくお寺の雰囲気も感じられて、作品が引き立てられていたように思う。しかしメインの「濤声」の展示はちょっと暗すぎる。照明効果で楽しめはしたが、ちょっと演出過剰かな。御影堂で拝観する「素」の姿を見てみたかった気もする。


ーーー続く

wassho at 07:07|PermalinkComments(0) 美術展 

2018年11月24日

生誕110年 東山魁夷展 その2

まずは人物像のおさらい。

東山魁夷は1908年(明治41年)生まれで1999年(平成11年)に90歳で亡くなる。だから今年が生誕110年。ちなみに明治は45年まで。

横浜で生まれ3歳から神戸育ち。東京美術学校(現:東京芸術大学)卒業後にドイツのベルリン大学(現フンボルト大学)に留学。終戦間近の1945年には兵隊に取られてもいる。戦後は千葉県の市川市を拠点とする。

美術学校在学中から展覧会に入選はしていたが、美術界で広く認められるようになったのは1947年に「残照」が日展で特選となってからといわれる。当時の東山は39歳だから意外と遅咲き。そして、それまでの間借り生活だったのが、1953年に自宅を新築しているから儲かりだしたみたい(^^ゞ

そこから先のことはあまり調べていない。しかし1960年に東宮御所、1968年には皇居宮殿の障壁画を制作していることから、「残照」から10数年以内に当代一流と見なされる画家まで登り詰めていたことになる。遅咲きでも咲いた後は早かった。1969年には文化勲章を受章。

1970年代から80年代にかけて唐招提寺の障壁画を担当。これらはいずれ重要文化財や国宝になるんじゃないかな。またこの頃から彼のことを「国民的画家」などと呼ぶようになったみたいだ。

こちらは75歳の時のお姿。
no title


今まで東山魁夷の展覧会を訪れたことはない。でも彼のことは美術番組等でよく取り上げられているし、個展じゃなくても何度か作品を観たことはある。

それで東山魁夷に対する印象は、

   東山ブルーと呼ばれる色を多く使う。実際には緑なんだけれど、日本は信号でも
  「青」信号となぜか緑を青と置き換えるのでブルー。

   写真でいうならソフトフォーカスのようなホワっとした画風である。

   シンプルというか単純な絵が多い。悪くいえば大雑把な画風。

といったところ。前回のエントリーでも書いたように、あまり私の趣味ではなかった。この展覧会もボナールと同時開催でなければ、あるいは唐招提寺の障壁画が展示されていなかったら訪れていなかったかもしれない。でも百聞は一見にしかずじゃなくて、まとめて観ると違う世界が見えてくる体験であった。



「残照」 19477年
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先ほど書いた東山魁夷の出世作。とても山岳地帯ぽく思えるが、実は千葉県君津市の鹿野山からの風景である。標高はたったの379メートル。隣の鬼泪山(きなだやま:標高319メートル)はマザー牧場のあるところといえば、千葉を知っている人にはイメージしやすいかもしれない。バイクツーリングで房総半島の山はよく訪れている。低い山並みだからつまらない景色なんだが、それと同じようなものを見てこんな絵になったかと、出だしから一発食らわされた感じ。


「道」 1950年
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こちらは青森県の種差海岸。芝生が広がる美しい海岸のようだ。そしてこれは、東山魁夷といえば必ず紹介される有名な作品。戦後間もない時代にに、このまっすぐに伸びる道を見て人々が元気づけれれたなんて解説がよくされる。戦争が終わって5年でまったく余裕のない頃に、一体どれだけの人がこの絵を見たのだと、評論家のそんな後付けポエムには辟易するけれど。

東山魁夷は「残照」で画風を変え、この「道」はその路線で行くんだという決意の表れだともいわれる。そういう目で見ると「単純で大雑把な風景画」じゃなくて別の絵に見えてくるから不思議。風景に想いを込めることは可能なのかもしれない。ただ他の作品のすべてがそうではないと思う。

それとこれだけの規模の回顧展なのだから、「残照」以前の作品も見たかったところ。彼の初期の作品はネットで調べると何点かの名前はわかっても、画像がまったく見つけられない。大画伯の過去は封印されてる? ナゾ



「たにま」 1953年 長野県 野沢温泉
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「木霊」 1958年 伊豆 淨蓮の滝
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「秋翳(しゅうえい)」 1958年 群馬県 水上町
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「青響」 1960年 福島県 土湯峠
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「萬緑新」 1961年 福島県 猪苗代
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ここからは北欧編。1962年(昭和37年)に北欧へスケッチ旅行して描かれた作品。「映象」や「冬華」は確かに寒そう。でもいわれなければ外国とは気づかないかな。

「映象」 1962年 スウェーデン ノルディングロー
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「冬華」 1964年
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「白夜光」 1965年 フィンランド クオピオ
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次は京都を中心に描く時期になる。川端康成に京都も近代化してきているから今のうちに描いておけと勧められたらしい。しかし小説家と風景画家では京都の捉え方が違っていたようで、街中の風景を描いたのは数点しかない。ほとんどは自然の景色や古刹の庭など今でも描ける場所ばかり。ちょっと選び方がベタかな。川端康成も苦笑したかも(^^ゞ


「月篁(げっこう)」 1967年 嵯峨野
28


「谿紅葉(たにもみじ)」 1968年 芹生峠
29


「花明かり」 1968年 円山公園
30


「夏に入る」 1968年 大山崎
32


「春雪」 1973年 洛北
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京都の次はまた海外で、1969年にドイツとオーストラリアの古都を巡っている。ドイツは2年間留学していたから思い入れはあっただろう。この時は建物を中心に描いているので外国だとわかりやすい。

「窓」 1971年 ドイツ ローデンブルク
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「古都遠望」 1971年 ドイツ ヴィンブヘン
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「晩鐘」 1971年 ドイツ フライブルク
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作品を見続けるうちに東山魁夷への印象が少しずつ変わってきた。絵そのものに対する認識は同じだが、その評価が「単純で大雑把」から「おおらかで伸びやか」になったというか。今まで「退屈」と思っていたのに「安らぎを覚える」絵のように感じる。少し前の表現を使えば「癒し系」。作品を単体では特に感じることがなくても、まとまって観るとそこに共通する何かに刺激を受けることは草間彌生展でも経験した。両者はまったくタイプが異なるから、絵には、あるいは人間の感覚にはそういうところがあるのだろう。

東山ブルーにもけっこう酔えた。絵を観る時に特定の色は意識してない。しかし考えてみればゴッホの黄色やフェルメールの青など、それなしでは考えられない色もある。色は何がどう描かれているかと同じくらい重要なのかも。これから絵の楽しみ方に幅が出るような気もして、これはうれしい発見。

ところで東山魁夷は木をすごくデフォルメして描く。「青響」はブナ、「春雪」は杉の木でまあそんなものだと思うけれど、「月篁」の竹はちょっと違う気がするけどなあ。


ーーー続く

wassho at 17:43|PermalinkComments(0) 美術展 

2018年11月22日

生誕110年 東山魁夷展

先週、六本木の国立新美術館で東山魁夷とピエール・ボナールの展覧会を見てきた。寿司とサンドイッチを順番に食べるようなものであるが、一度に見られて出かける手間が省けるかと。

ピエール・ボナールは印象派に続くナビ派に属する画家で、美術界においてもその存在は準メジャー級、だから世間一般ではほとんど知られていないと思う。大きな展覧会で品揃えの一環的な扱いで出品されている程度で、私もあまり作品を観たことはない。しかしなぜか昔から気になるというか好きな存在。そのボナールの展覧会ということで、けっこう心待ちにしていた。

一方の東山魁夷(かいい)。昭和を代表する日本画家の1人で、絵は観たことがなくても名前だけなら知っている人も多いと思う。とても人気のある画家ではあるが、実はその作品にあまり興味は持っていなかった。だから絵を楽しみにというより教養を深めるために観ておこうかというつもりで。でもけっこう魅了された。いままで東山魁夷なめてたわ(^^ゞ


地下鉄の六本木駅から東京ミッドタウンに向かう通路。
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東京ミッドタウンのことを、ずっと六本木ミッドタウンだと勘違いしていたことはいつか書いた。それで今年の春に日比谷にもミッドタウンが出来たから、やっぱり六本木ミッドタウンのほうが整合性がとれるじゃないかと思ったら、日比谷は東京ミッドタウン日比谷という名前になっていた(^^ゞ 実は東京ミッドタウンの住所は赤坂9丁目で、日比谷のほうは有楽町1丁目だったりする。


ミッドタウンの地下1階の広場を抜けて、
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地上に出る。
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六本木駅から国立新美術館に行くにはもっとショートカットできる道順があるのだが、私はここを通るのが好き。
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国立新美術館に到着。
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隣の敷地にある政策研究大学院大学。国立大学ではあるが、いまだにどんな大学なのかよくわからない。左側に写っているのは六本木ヒルズ。写真って風景を撮ると台形に写るから、ピサの斜塔みたいになる。
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東山魁夷展は2階の展示室。
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ーーー続く
ポスター


wassho at 23:47|PermalinkComments(0) 美術展 

2018年11月21日

MDR-ZX660 その2

MDR-ZX660

さっそく届いたMDR-ZX660のパッケージを開く。

ヘッドホンの見た目は写真より落ちる。オレンジ色がデザインのアクセントになっていて、それがいいなと思っていたのだが、逆にそのオレンジ色部分が安っぽくてオモチャのような質感。

しかし、そういうところは期待していなかったから大丈夫。なんたって5500円のヘッドホンなのだから。

装着してみる。とても軽いし、締め付けも適度で頭へのフィット感はいい。
ちょっとほくそ笑む(^^ゞ


音を鳴らす。

    ーーーー絶句(>_<)

ナンジャこの音は。
言葉で説明は難しい。表現するならスカスカのガサガサ。例えるとFM放送とAM放送では音質に違いがあるけれど、まるでAM放送的な感じ。あるいはもっと、一昔前の電話の聞こえ方といったほうが近いかもしれない。とにかく値段に関係なく音楽用の製品で、これはないだろうというのが私の評価。

ちなみに低音から高音までよく鳴っているし、そのバランスもいい。細かな部分もよく聴き取れる。だから音の特性的なところが悪いのではなく、音質のまさに「質」的なところがとんでもなくおかしい。先ほどAM放送とか昔の電話のようと書いたが、それらは再生される周波数帯域が狭いから音が悪い。このヘッドホンはそこに問題がないのにブサイクな音がするのが不思議。これ以上は私の知識では追いつかない。とにかくナゾ


試しにベイヤーダイナミックのT90(ヘッドホン)と聴き較べてみる。月とスッポンほど違う。まあ値段も10倍ほど違うからこれは仕方ないか。ふだん携帯音楽プレーヤーで使っているパイオニアのSE-CH5BL(イヤホン)とも聴き較べる。こちらは同じくらいの価格の製品である。やっぱり月とスッポンほど違う。スピーカーではあるがテレビと較べても格段にクォリティが低い。いい勝負なのはノートパソコンのスピーカーくらい。とにかくオーディオつまり音を楽しむレベルに達していない。


とりあえずエージングに望みをつなぐ。エージングというのはクルマの慣らし運転のようなもの。スピーカー等は振動板の固さがほぐれて音がよくなる可能性がある。鳴らし放しにして

  24時間後:変化なし
  48時間後:変化なし
  72時間後:気持ち滑らかに鳴るようになったように思える

しかしエージングでは初期の固さがほぐれても、根本的な質の部分が改善されるわけではない。だから昔の電話のような聞こえ方なのは同じ。ダメだこりゃ。今時、こんなハズレな製品があるとは想定外。


とにかく絶望、後悔。
そして73時間後に別のヘッドホンをポチってしまった。


新しいヘッドホンについてはいずれそのうち。


おしまい

wassho at 06:45|PermalinkComments(0) 音楽、オーディオ 

2018年11月18日

MDR-ZX660

MDR-ZX660はソニーのヘッドホンである。
今、これを買ってしまったことを猛烈に後悔している。

MDR-ZX660


購入動機はこんないきさつでーーー

かつては週末に10キロほどジョギングするのが日課(週課?)だったが、かれこれ10年ほどは走っていない。何度か数キロほどを走り、さあこれからジョギングを復活させるぞ!とこのブログにも書いたことがあるけれど、その宣言を守ったことはなく(/o\)

もっとも週末にそれくらい走る程度では体調・体力・体重にほとんどプラス効果はない。それでもマイナスになるのを防ぐ効果はあるわけで。その積み重ねが10年分蓄積してかなりヤバイ現状に。

走らなくなった第1の理由は、ジョギングコースにしていた公園から離れたところに引っ越したこと。引っ越した当初は自転車でその公園まで行ってジョギングしていたものの、それがだんだんと億劫になり。ちなみに私はジョギングコースのある公園でジョギングを始めたせいか、一般道を走るのがどうも苦手。何度か試したこともあるが、走っていて苦しい時に赤信号に引っかかると気持ちが萎えて、それを言い訳にして走れなくなってしまう。

第2の理由は7年前に再び乗り始めたバイクかな。ジョギングも楽しいから20年ほど走っていたのだが、そりゃバイクで走るほうがもっと楽しいわけで(^^ゞ

でもまあバイクも降りてしまったし、また自分の足で走ろうかと。しかし、そろそろ寒くなるし、いきなりジョギング再開じゃなくて、まずは脚力回復ということで週末に長い距離の散歩を自分に義務づけることにした。



そろそろ本題へ。

それでお散歩用のヘッドホンを買うことにしたというわけ。コンプライというイヤーピースに交換してからイヤホンの音質には満足している。しかし安物でもヘッドホンのほうがイヤホンよりいい音がするだろうという考えから。普段の外出でヘッドホンをつけるのは、なんとなく見た目的に抵抗があるのだが、実はヘッドホンの音質で音楽を聴きながら外を歩いてみたい気持ちはあった。お散歩ならそれもいいかと。

またベイヤーダイナミックのT90というヘッドホンも持っているが、外に持ち出すにはちょっと大げさな感じ。それに開放型の構造だから音が外に漏れる。何よりケーブルが3メートルと室内用になっているので、外で携帯音楽プレーヤーに挿して聴くには長すぎて不向き。

だから機種選定の条件は

   小型のオンイヤータイプで
   密閉型で
   5000円から1万円くらい

となった。

オンイヤー(on ear)というのは、ヘッドホンの耳当て部分が耳くらいの大きさで「耳にのせる」タイプのもの。反対語はアラウンドイヤーあるいはオーバーイヤーで、耳当てが耳の周りをスッポリ覆うタイプ。

スライド1

オンイヤーにしたのは大げさな感じにしたくなかったのと、耳を覆わないので多少の音漏れはするが、逆に外からの音も入ってくるので、ボーッと散歩するには安全かなと考えてのこと。これから寒くなって「防寒の耳当て」としてはアラウンドイヤーのほうが優れてはいるが。なおオンイヤーのヘッドホンは携帯音楽プレーヤーで鳴らすことを想定されているからか、ケーブルは1m20cmくらいの長さのものが多い。

予算的には特に根拠はなく、散歩のお伴の用途なら私の耳にはそれくらいで大丈夫でしょうと。それに暖かくなる頃にはジョギングを再開しているはずだから使用期間も短いので。


そういうわけで音質にそれほどこだわらない買い物ということで、試聴せずにネット通販で購入。eイヤホンという専門店のサイトで調べて、アマゾンの価格と比較してアマゾンで買うという「あるある」なパターン。レビューではそこそこの評価だったし、ソニーのイヤホンを2台続けて使って気に入っていたという安心感もMDR-ZX660を選んだ理由のひとつ。価格は5500円程だった。ちなみにこれは既に型落ち品で発売当初は7000円くらいだったようである。

日付が変わった深夜に注文したにもかかわらず、その日のうちに届いた。お急ぎ便のプライム会員じゃないのにビックリ。そういえばネット通販の荷物が多すぎて運送会社のキャパを超えてタイヘンというニュースを聞かなくなったが、どうなったのだろう。


さっそく届いたことを喜んだのもつかのま、
すぐに絶望を味わうことになる。


ーーー続く

wassho at 22:10|PermalinkComments(0) 音楽、オーディオ 

2018年11月15日

牛丼にチーズのトッピング

前回に引き続き、
チーズをトッピングするとおいしい意外な組み合わせの第2弾。

牛丼


実は牛丼はあまり好きじゃない。「早い、安い」は認めても、あまり「旨い」とは思えないから。外回りをしている時にとてもお腹が空いて、でも時間がないといった場合に吉野家があれば入る程度。最後に行ったのは5年くらい前かな。ちなみに吉野家は「早い、安い、旨い」のキャッチフレーズをもう使っていないみたい。ホームページを見ると

   匠味 ほっとする味とぬくもり
   健康 食べる健康、歩く健康
   安全 人が見守る安全安心

と、わかったようなわからないようなことが書いてあった。

さてチーズをトッピングして食べたのは、牛丼屋のお店ではなくコンビニの牛丼。ある時セブンイレブンで弁当を買おうと思ったら、ほとんど売り切れていて丼物だけが残っていたので買ってみた。

うれしい発見その1

コンビニの丼物は容器が具とご飯に分かれている。レンジでチンした後に自分で具をご飯の上に乗せて食べる仕組み。吉野家で食べる時も生卵をかけるのだけれど、そのほとんどは具に絡まる。でもコンビニ牛丼の場合はご飯の上に生卵をかけて、それから具を乗せられる。つまりしっかり卵かけご飯になる。

それが気に入って、しばらくしてまた牛丼を買ってきた。ところでセブンイレブンの牛丼はかなり味付けが濃い。それで閃いたのが、うれしい発見その2のチーズをトッピングすること。

細切りチーズを具に載せてからレンジでチン。もちろんチーズは溶ける。卵掛けご飯にしてから具を乗せてチーズ牛丼の出来上がり。これがおいしかった。前回のラーメンにチーズは興味があったらどうぞ程度だが、牛丼にチーズはぜひ試してみるべきである。

ちなみに味はラーメンの時と同じく、それほどチーズ味にはならない。しかしよく考えたら、それは細切りチーズというものが、それほど味の濃いチーズじゃないからかもしれない。細切りチーズにも色々種類があるから、そのうちあれこれ試してみようかな。

wassho at 21:04|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2018年11月13日

ラーメンにチーズのトッピング

9月にチキンラーメンの味のナゾについて書いた。
その時に少し変わった食べ方をしたのだが、今回はその話。

それはチーズをトッピングしたこと。
正確にいうなら細切りチーズ。
麺と一緒にお湯を注いだから、トッピングといっても溶けて麺に絡まった状態になる。

細切りチーズ

きっかけはチキンラーメンを作るときに、卵を入れようと思って冷蔵庫を開けたら細切りチーズが目についたという偶然から。真冬に豆腐を外に置いておいたら、凍って高野豆腐になったエピソードと似ているかな(^^ゞ

ちなみに私の食生活に細切りチーズは欠かせないものとなっている。トーストはほとんどチーズトーストにして食べる。スーパーで買ってくるピザやグラタンはチーズ増量。レトルトカレーもいろんな具材を足して煮込むのだが、その時も細切りチーズは必ず加える。その他あれこれ。


話を戻すと冷蔵庫で細切りチーズを見つけたとき、チキンラーメンのあの独特のちょっとクドイ味にはチーズは合うという直感があった。だから試したわけである。

結果はおいしかったよ。かなり大量に入れたが(カレースプーンに山盛り3杯くらい)、チーズ味ラーメンになったというより、全体的にコクが増した感じ。

それに気をよくして、チキンラーメン以外の、普通の醤油味と塩味のインスタントラーメンではどうだろうと実験好きな性格が頭をもたげて(^^ゞ

買ってきたのがは、塩ラーメンのサッポロ一番と醤油ラーメンの出前一丁。現在のインスタントラーメンの袋麺(反対語はカップ麺)は生麺に近い食感のタイプが主流。でもチキンラーメンとの比較なら昔ながらのインスタントラーメンがいいかなと考えてのチョイス。味噌ラーメンが含まれていないのは、スーパーには5食パックしかなく1袋では買えなかったので。普段はほとんどインスタントラーメンを食べないものだから断念。

スライド1

なお一緒に調理して食べ較べたわけじゃない。それぞれ別の機会に食べた。麺を煮る3分間の最後1分くらいに細切りチーズ投入。

チーズを入れたことによる感想はチキンラーメンの時と同じ。チーズ味ラーメンになったというより、全体的にコクが増した感じ。逆にいうとラーメンは思っているより味が濃いものだと知る。それぞれの相性をいうと、塩ラーメンにはけっこうチーズが合うと感じた。醤油ラーメンもコクが増して悪くはないけれど別に入れなくてもいいかな。なお途中でパルメザンチーズも振りかけてみたが、これはどちらのラーメンにもイマイチ。

ラーメン店でチーズのトッピングができるところはあるのかな? 溶かさなければいけないから調理オペレーション的には煩雑になるだろうが、家系ラーメンとか濃厚味のラーメンには合うと思うなあ。

まあ暇があったらインスタントラーメンで試してみてちょうだい。

ところでラーメンとチーズの組み合わせも珍しいと思うが、実はもっと意外なものとの組み合わせでおいしものを見つけた。その話はいずれそのうち!

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2018年11月06日

ちょっと困ったサンセベリア

このブログには初登場となるサンセベリア。割とポピュラーな品種なので、観葉植物に興味がなくても目にしたことがある人は多いはず。こいつは茎は地中に埋まっていて葉だけがニョキニョキ出てくるまさに「観葉」植物である。和名はトラノオ(虎の尾)。模様がそんな感じ。本当かどうか知らないけれど、観葉植物の中でもっとも空気清浄効果が高いともいわれている。

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サンセベリアの原産はアフリカで、そのせいか乾燥にめっぽう強い。どれくらい強いかというと、休眠状態に入る12月から3月くらいの間は一切水をやらなくてよい驚異の我慢強さ。冬の間は室内に取り込むから、そんなに低温にならないとしても、それでも水やりは不要。逆にその時期に水をやると根腐れしてしまうほど。

以前はそんなことを知らず冬でもたまに水をやっていた。すると葉の根本が腐ったようになって株から抜けてしまう。でもその葉を何等分かに切って土に挿しておくと、その葉の下からまた新しい葉が出てくる。

ただし、そうして増やしたサンセベリアは葉の模様が元のものと同じにならない。写真のセンターがオリジナル、両サイドは挿し葉で増やしたものである。挿し葉では葉の縁取りの部分のラインが消えてしまう。株分けで増やした場合はオリジナルの模様が保たれる。


買ってきたときは小さかったのに、いつの間にか大きくなり、株分けや挿し葉で3鉢になってしまった。そして今年の夏は猛暑だったので故郷のアフリカを思い出したのか、気がついたらあっというまに葉の枚数が増えていた。
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窒息しそうな密集度合いである。しかしもうすぐ休眠期なので株分けするのはためらわれる。来年の春まで息していてくれるかな?

そして暖かくなったら株分けはするとして、3鉢以上もサンセベリアは要らない。そうすると間引きをしなくてはいけない。それはツライのでどこかに姥捨て山をしてこようか。

植物を増やすのは、大好きな土いじりができるから嬉々としてやっちゃうけれど、増えたら増えたで、それをどうするかが悩みどころ。フリーマーケットで売る、あるいは譲るなどの話も聞くが、フリーマーケットでものを買ったことすらないし。


ところでサンセベリアを育てて6〜7年になるが、昨年からまるで白骨化のように葉が白くなったり、穴が空いたりするようになった。穴は虫の仕業かと思い注意深く観察したものの、それらしきものは発見できず。ネットで調べても特に情報なし。今もってナゾ
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とにかくもうすぐ部屋が狭くなる季節。

wassho at 21:52|PermalinkComments(0)   *チューリップ以外 

2018年11月05日

ちょっと困ったベンジャミン

25年ほど一緒に暮らしているベンジャミン。2016年の5月に20年振りくらいに大きなプランターに移し、2017年の7月には三つ叉になっていた幹を二叉に剪定した。

幹が1本減ったせいか以前より少し元気になったような気がする。ただしプランターをサイズアップしたときに幹が太くなることを期待したが、2年たってもその兆候はあらわれていない。ちなみにこの写真は見おろすように撮っているので、二叉の角度が実際より開いて見えているかな。
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いつもベンジャミンと書いているが、見た通りこいつは斑入りのスターライトベンジャミンという品種。斑入り(ふいり)というのは白く斑(まだら)になることね。幹を1本切った以外はほったらかしのボサボサ頭なので、来年は丸い形に剪定するなんてことも試してみようかと思っている。
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というわけでこのベンジャミンについては順調というか普通に、育っているというか生きているというか。ちょっと困っているのが挿し木して増やしたベンジャミン達。

2016年5月にプランターを替え時に初めて挑戦した挿し木は、普通の土に挿すという無知で12本中11本を枯らしてしまった(/o\) 6月に残った1本と新たな3本で再挑戦。それも翌2017年1月までに全滅(>_<)

懲りずに2017年7月の三つ叉剪定時に18本で再々挑戦! そして9月までに6本が枯れた。でも枯れることを前提に18本も挿したのである。まだ12本も残っていると希望をつなぐ。

予想に反してその後は脱落者を出すことなく順調で、これが今年の1月の写真。
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そして現在。
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1月の時にも12本は多すぎると思っていたのに、もう枯れる気配なし! この春夏秋でどれくらい成長したかはプランターに1本挿してある菜箸と見較べればわかると思う。

ただ順調に大きくなってはいるが、いまだに「木」ではなく「枝」のようなままなのが気掛かり。ベンジャミンを25年ほど前に母親から貰ってきたとき、大きさはこの挿し木と同じくらいだったけれど、もっと「木」の姿をしていたような記憶がある。


もうすぐベランダの観葉植物を部屋に取り込む時期が来る。とりあえずこのまま取り込むつもり。他にもいろいろあるので、またリビングの窓際がプランターに占領される(/o\) そして春になって間引きするのは気が進まないから、出来たら冬の間に適当にご臨終してくれればと思ったりして。コウイウのを人間のエゴっていうのかな。

wassho at 20:53|PermalinkComments(0)   *チューリップ以外 

2018年11月04日

foobar2000をDP-X1Aで使う

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私がほぼ毎日使っている携帯音楽プレーヤーのオンキョーDP-X1A。音質は最高だが操作性は最低最悪である。そのイラダチを書いたエントリーはこちら。もしDP-X1A関連のすべてのエントリーを読みたければページの一番下にあるタグ:DP-X1Aからどうぞ。

上記にリンクしたエントリーでこのように書いた。

   ところでDP-X1AはAndroidのOSで動いている。ということは別の音楽アプリを
   インストールすれば操作性に関してはカバーできるのかもしれない。今のところ
   それが可能なのか、どんな音楽アプリがあるのかなどは調べていない。そんな面
   倒なことをするために買った訳じゃないから、オンキョーには一刻も早い内蔵ソフト
   の改良を求めたいのである。


そういうわけで音楽アプリを入れる気はサラサラなかった。ところが先日ネットでまったく別のことを調べているときに「foobar2000 Android版」の文字が見えた。音楽CDをパソコンに取り込んで、CDプレーヤーの代わりにパソコンをオーディオにつないで再生する、あるいはハイレゾの音楽ファイルをパソコンにダウンロードして再生するなどをPCオーディオという。foobar2000はPCオーディオにおけるWindowsの音楽再生ソフトではおそらく一番定評のあるソフト。私はMacを使っているからWindowsには詳しくないものの、それでもfoobar2000の名前程度は知っていた。

「foobar2000がAndroidで使えるのか、じゃやってみるか」とトライ。あまり調べもせず、とりあえずDP-X1AからPlayストアにアクセスしてfoobar2000をダウンロード。アッサリと立ち上がった。ちなみに無料アプリである。ページ先頭の宇宙人?キツネ?みたいなのはfoobar2000のアイコン。


使ってみた感想は今までのイライラは何だったのかと思うくらい使いやすい。foobar2000は日本語化されておらずメニューは英語でも、直感的に操作できるのでまったく問題はない。

DP-X1Aに最初から搭載されている音楽アプリ(Musicという名前)がどう使いづらいのかを、実機でデモンストレーションしないで理解してもらうのは難しい。でもとりあえず努力して書いてみるとーーー

Musicを起動すると、その前に演奏していたアルバムの画面が表示される。そこから別のアルバムを聴くためにアルバムリストに戻るには

  「戻る」のアイコンをタップ
  するとファイル階層の一番上位の画面が表示される
  そこからアルバムリストの階層に移動するのに3画面をスワイプ
  つまり1タップ3スワイプの4動作が必要

それに対してfoobar2000ではその前に演奏していたアルバムの画面から「戻る」のアイコンをタップするとアルバムリストに直ちに移動する。4動作対1動作、毎回のことだからこの差は大きい。というかiPhoneでも1タップでアルバムリストに戻れたし、なぜオンキョーがこんな操作性の悪い設計にしたのかまったく理解できない。

それとそのアルバムリストは、Musicでは小さなジャケット写真に大きな文字で1画面につき6アルバム表示される。foobar2000では大きなジャケット写真に小さな文字で1画面に12アルバム。私もそうだが、ほとんどの人はジャケット写真でアルバムを選ぶ。だからfoobar2000のほうが2倍の早さでアルバムを探し出せる。ただしMusicにある「アルバムリスト画面をスクロールするときにアルバムタイトルの先頭1文字が表示される機能」はfoobar2000にはない。

比較写真  左がfoobar2000、右がMusic
※Musicのジャケット写真が不鮮明なのはiPhoneのフラッシュで色が飛んでいるから。
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さて音楽アプリだから本来大事なのは音質。残念ながらこれはMusicのほうがいい。ただしその差は極めて僅か。私の耳にはMusicのほうがfoobar2000より百分のいくつかクリアに聞こえる。その程度の違いだから再生を切り替えながら比較すれば違いを感じても、目隠しテストなら聴き分けられない自信がある(^^ゞ

音質の差はMusicが開発においてDP-X1Aのハードウエアに最適化されているからかもしれない。それとアップサンプリングの倍率も影響していると思う。Musicでは192KHzにアップサンプリングしている。foobar2000では96KHzまでしか設定できない。CDの44.1KHzからの倍率で比較すれば4.4倍と2.2倍の差。それとfoobar2000ではアップサンプリングをする・しないで音質に「気のせい」ほどの違いしかない。本当にアップサンプリングしているの?と疑うくらい。ところでMusicとfoobar2000のソフトウエア本来の音質の違いはアップサンプリングなしで聴き較べればわかる。あるいはMusicのアップサンプリングをfoobar2000と同じ96KHzに設定してもいい。でもそんな実験をするとドロ沼にはまりそうなのでやっていない。


さて日本の人口から見てDP-X1Aを使っている人なんてごくごく僅か。その中でこのブログを読む人は統計的に「いないと」無視していいレベルなのは承知している。しかし奇跡的にDP-X1Aの操作性の悪さに頭に来ているユーザーがこのページにたどり着いたなら「迷う前にfoobar2000をインストールすべき」といっておこう。


ついでに奇跡が起きたときのための追伸。

foobar2000では最初にMedia Libraryで音楽ファイルを指定する必要がある。マイクロSDにファイルを入れているならExternal Storageを指定すればいい。ただしこれでは2枚あるマイクロSDの1番目のスロットに挿してあるカードしか認識されない。ネットで「foobar2000 DP-X1A」と検索してもそれに関する情報は見つからない。実はここで途方に暮れた。

しかし心配ご無用。External Storageと書かれているあたりに指を置いてスクロールするとADD FOLDERのボタンがあらわれるので、それをタップすれば2番目のスロットにあるカードが指定できる。たまたま画面に指が触れてスクロールできるのを発見したけれど、そうでなければ本日のブログはfoobar2000をボロクソにこき下ろすところだった(^^ゞ

wassho at 17:37|PermalinkComments(0) 音楽、オーディオ