2019年05月

2019年05月30日

初めての入院 その10

昨日にめでたく退院。
数えてみるとMG病院で2日、TO病院で15日と合計17日間の入院生活。
長かったような短かったような。
入院中は検査の時以外はボーッとして過ごすしかない変化や刺激のない生活。
そうすると時間の感覚が麻痺してくる。だから17日間もという実感はまったくない。


友人たちからは色々と励ましのLINEやメールをもらった。感謝の気持ち以外ない。看護師をナンパしてくるというリクエストは果たせなかったが(^^ゞ またブログを読んでコメントを寄せてくれた人もいた。見ず知らずの人に心配してもらえるなんて思ってもみなかったこと。ありがとうございました。


昨日は帰宅してから、ほとんど何もしなかった。
本日午前中のミッションはシャワーを浴びること。入院中も3日に1回くらいの頻度で看護師さんがシャンプーしてくれたり、また暖かいウェットペーパータオルで体を拭いてくれたので、それほど不潔な状態にはなっていない。でもやはりサッパリしたいもの。

ただし問題は前回のエントリーで書いたように、お腹には管が挿さったまま。管が出ている周りは防水性のあるシートで覆われている。シャワーを浴びるには、その防水性をさらに高める必要がある。


手順としては、まず指やガーゼをカットするハサミを消毒用のアルコール綿で拭き拭き。

次に管はコネクターを介してビニールチューブに接続され体液入れの容器とつながっているのだが、その接続を切り離す。そして、それぞれの接続面を消毒。

お腹から伸びている管を、オリジナルの防水シートの上に這わせて絆創膏で留める。

そしてオリジナルの防水シートを覆うようにガーゼを被せる。その理由は、さらにその上から新たな防水シートを貼るのだが、オリジナルのシートの上に直接新しいシートを貼ると、それを剥がすときにオリジナルのシートも一緒に剥がれる可能性があるから。

ガーゼを絆創膏で留める。

そしてガーゼを覆うように新しい防水シートを貼る。防水シートは幅の広いセロテープのようなもの。ただしとても薄くて柔らか人工皮膚みたい。その粘着力自体は絆創膏より少し強い程度だが、密着力がかなり強い。


手順としてはその程度であるが、立ったまま下を見ながらのの作業だし、ガーゼも防水シートも複数枚使うのでなかなか思うように配置できない。結局15分以上はかかった。そしてシャワーは立って浴びるつもりだったが、シャンプーなどを取るために屈んだりすると防水シートが剥がれそうになったり。だからかなり気を使ってのシャワータイム。結局サッパリしたのか疲れたのかよくわからず。

シャワーが終わったら全てを剥がして元の状態に戻す。オリジナルの防水シートに少し湿り気を感じたが、これくらいなら大丈夫だろう。
まあ何かあれば、また救急車に乗ってやるぜ(^^ゞ

シャワー


シャワー作業資材の1回分は病院から貰ってきた。それで午後は駅前のドラッグストアまで次回以降の資材の買い出し。

しかし、そういう感覚は全くなかったのだが、TO病院で15日間もほぼ寝たきりの生活を続けていたせいで、思った以上にに体力が落ちていた。歩くスピードも普段の2/3くらいだし、熱もないのに時々ふらつく(>_<) もし今、暴走老人の車が突っ込んできたり、頭のおかしな奴が包丁を振りかざしてきても避ける自信はない。ちょっとショック。

ドラッグストアで売っていた防水シートは小さなサイズのものしかなかったので、結局それだけはアマゾンに発注。よく考えれば一式揃わないとシャワーは浴びれないのだから、全部アマゾンでもよかったか。


しばらくは自宅で療養生活。


ーーー続く

wassho at 23:07|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2019年05月28日

初めての入院 その9

本日はお腹に挿した管の3回目の調整。

入れた時と同じくレントゲンを撮りながらの状況確認。前回は問題がなければ抜くといわれたが「まだスペースが残っている」とのことで持ち越しとなった。膿が溜まっていた部分へ管を挿して吸い取ったから、もう膿はほとんど残っていない。しかし膿があったスペースが潰れていなかったという意味。そのスペースが残っていると何が不都合なのかの説明も受けた。でも詳しい内容は忘れてしまった。

今回も同じくスペースが残っているとの診断。このペースだと、管が受けるようになるまであと2週間くらい必要みたい。


全体的には経過は順調。腹膜内にまき散らされた膿の量は虫垂付近を100とすると直腸周りが65。現在、虫垂付近はほぼなくなり、直腸周りも抗生剤が効いて半減ということらしい。つまりトータルで165→33だから20%にまで減少したということ。また総合的には8割くらいは治ったという診断だった。

というわけで先ほど、明日に退院できることが決定\(^o^)/\(^o^)/


しかし問題はお腹に挿したままの管。管(実際にはどんなものか見ていない)の先にはビニールチューブがつながれ、自然排出された体液が流れるようになっている。当初はA4サイズより一回り小さなビニール製の袋が用いられ、点滴のスタンドの一番下にくくりつけられていた。

そして前回の調整の時にビニール製の袋から、握り拳くらいの容器に変わった。それを首からぶら下げたポシェットのようなものに入れている。

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このスタイルをあと2週間ほど続けなければならないのだ。外出時にはどうしたらいいのか今から悩んでいる。

また管がとれるまでお風呂には入れない。管が肌に露出しているところをラップでグルグル巻きにすればシャワーは浴びられるらしい。明日、看護師がそのやり方を説明してくれることになっている。


本日でTO病院に入院して丸2週間。
とりあえずひと安心。


ーーー続く

wassho at 18:07|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2019年05月27日

初めての入院 その8

高熱と蕁麻疹で止められていた食事が、5月24日(金)の昼から再開された。また25日(土)の昼より中粥食から軟菜食というメニューに変更になった。違いは五分粥が全粥に変わったこと。全粥とは重湯のスープがない普通のお粥である。
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お粥というものを普段ほとんど食べない。鍋の締めの雑炊かホテルの朝食バイキングの中華粥くらい。それらは味付きのお粥。しかし病院のお粥は味付けなしでとても食べづらい。考えてみればご飯と同じ事なのだけど、なぜかお粥で味がないとまったくおいしくないから不思議。

ところで、このメニューでは、お粥の上にあるお皿は親子丼の具のようなものが入っている。それをお粥と混ぜるとおいしく食べられた。
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それで閃いたのが振り掛け。病院内のセブンイレブンで売っていた。
これでお粥の味気なさに困ることはなくなった。
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中粥食は朝食も五分粥だったが、軟菜食ではパンが出てくる。
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配膳時刻は朝食が午前8時、昼食が正午、夕食が午後6時である。運動量はほとんどゼロなので、朝食の4時間後に昼食というのはけっこうキツイ。



病棟のあちこちの窓から見える風景。
方角によって変化に富んでいる。
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ーーー続く

wassho at 14:33|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2019年05月26日

初めての入院 その7

HCU(準集中治療室)で一晩を過ごし、次の日には一般病棟に移った。TO病院に入院して2日目となる5月16日(木)から本日に至るまで、特にドラマティックなことは起きていない。

前日、お腹に管を通して膿を吸い出した後は、お腹の張りが少し減ったが、1日経って元に戻ったみたいだ。しかし入院時の腹痛と張りは、このあと1週間ほどで消滅した。

食事は当面禁止で点滴での栄養補給。ただし水やお茶、アクエリアスなどは飲んでいい。ジュースやカルピスはダメだといわれた。
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考えてみるとまともに食事をしたのは5月10日(金)の昼が最後。MG病院から退院していた10日から15日の期間も、後半の2日ほどにヨーグルトやウイダーインゼリーを食べた程度。しかしまったく空腹感は感じないし食欲もゼロ。腸が自ら安静を求めて食欲をコントロールしているのだろうか。


5月18日(土)にFZ医師に頼み込んで3時間の外出許可を得る。目的は帰宅して、あれこれ必要なものを持ってくること。なんたって財布とiPhoneしか持っていない。

もっともそれだけでも入院生活を送ることは可能。病院内にセブンイレブンがあって、下着、タオル、歯磨きセットなど必要なものはすべて揃う。パジャマは1日300円でレンタルしているがセブンイレブンで買うこともできる。またiPhoneの充電器&ケーブルも手に入った。

それでも帰りたかったのはパソコンやタブレットを持ち込みたかったから。また2週間も入院するのだから家の中の生ゴミも出しておきたかった。


友人のSG君にクルマで迎えに来てもらい帰宅。
帰宅して最初にしたのは 〜―γ( ̄ο ̄)oΟ◯パフーッ…
胃なら影響ありそうだけれど腸だから大丈夫でしょうというナゾの理屈。

病院に持ってきたものはノートパソコン、タブレット、iPhoneとタブレットを同時に充電できるUSB充電器、それと充分な長さのケーブル。情報機器以外ではかなりの数の下着パンツ、Tシャツを2枚ほど。ハンドタオル数本とバスタオル1枚。レンタルパジャマは継続することに決めていた。上着は浴衣に近い和風な構造で、下は普通のパジャマと同じズボン式。毎日交換されるし、この病院風のパジャマを着ていると入院ムードになるところが気に入っている(^^ゞ

頭を洗い、シンクに残っていた洗い物をし、ベランダの草花に水をやり、最後にゴミ出しをして病院に戻る。SG君にはとても世話になった。やはりイザという時に頼りになるのは遠くの身内より近くの友人である。



入院8日目の5月22日(水)の昼から食事が出るようになった。中粥食という五分粥とおかずの組み合わせ。五分粥はお粥と重湯が半々程度のお粥。まったく味がついていないので食べづらい。他のおかずはまあまあおいしかった。
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しかし夕方になって40度近い発熱と、胸のあたりに蕁麻疹(じんましん)が出た。痒みは感じない。蕁麻疹=アレルギー=食事が原因と連想するが理由はよくわからない。今まで食べ物でアレルギーが出たことはないし、昼ご飯に出されたもので、初めて食べたものはもちろんない。


翌日も高熱。ただしずっと熱が出ているのではなく、ジェットコースターのように上下する。体温39.9度なんてビックリするが、そんなに辛くもなかった。
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大学病院のいいところはいろんな診療科が揃っていること。蕁麻疹が体中に広がり、かなり赤みを帯びてきたので皮膚科に回された。診察は症状を目視しただけで、とくに細かな説明もなかったが、アレルギー止めの薬を処方された。


ーーー続く

wassho at 17:54|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2019年05月25日

初めての入院 その6

病名や症状については具体的に書かないつもりだったが、気がつけば何も隠していない文章になっている(^^ゞ まあ別にいいか。だいたいこのブログは、いつかやってくるかもしれない「過去の記憶が薄れる日」に備えて書いているようなものだから具体的でないと。


お腹の中に管(くだ)を通して膿を吸い出す手術はレントゲン室で行われる。少しずつ管を通し、その位置をレントゲン撮影して確かめるため。なお管の太さはボールペンの芯くらいらしい。

「では始めます」とFZ医師。次の言葉が「痛み止め入ります」。痛み止め? 麻酔じゃないの? かなりビビッたけれど、管を入れても痛くなかったから言葉の問題なんだろう。

しかし痛くなかったのは最初だけ。管を内部に進めるにつれて今まで体験したことにない、拷問レベルの激痛が走る。「中のほうは痛み止めが効きにくい場合もある」とFZ医師。激痛は10回くらい。あと2〜3回あったら泣いてたかも(^^ゞ

最後にゴリッとしたような感覚があった。それを伝えると「今、いい感じに固定されました」との答え。

何かが吸い出されている感覚はなかったし、吸い出されたものも見なかったが、私の膿は思っていた以上にきれいな膿だったとのこと。とにかくこれで第1ステップ終了。管は今もお腹の中にあって、そこから延長されたチューブによって小さなビニール袋とつながり、残りの膿が自然排出されている。それほどの量はでない。今日までの10日間で300cc位かな。また今までに2回、管の位置の微調整を行った。


ところでレントゲン室での作業になるのでFZ医師を始め、その他のスタッフは鉛入りのベストを着用している。FZ医師は35歳くらいだし、他のスタッフはもっと若いので、それが何となくサッカーのビブスのように見えて、医者ではなくサッカー選手に囲まれているような気分だった。



車椅子に乗せられ看護師に押されて向かったのはHCU。集中治療室という言葉は聞いたことがあると思うが、あれはICU=Intensive Care Unit。Intensiveが集中という意味ね。対してHCUはHigh Care Unit。いってみれば集中治療室と一般病棟の間にある準集中治療室みたいな存在。

とりあえずHCUで最低一泊して様子を見るらしい。何か大げさな気がしたが、一般病棟に空きがなかったからHCUに押し込まれたのかもしれない。


HCUはICUと同じく手術室のあるフロアに設けられている。一般病棟は病室とナースステーションが別れているが、HCUは大きなナースステーションの中にベッドが置かれているようなレイアウトである。だから看護師たちの会話もうるさいし、ずっと呻き声を上げている患者などもいて、あまり居心地のいい場所ではない。またトイレも必ずナースコールをして付き添ってもらわなければいけない。まあ重病人扱いなんだから当然か。

この5月15日(水)夜の時点では、管を入れて膿を排出したのでお腹の張りが少し減った程度で、基本的には症状の改善はほとんどない。何となく先行き不安な再入院1日目のスタート。
 

ーーー続く

入院


wassho at 17:47|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2019年05月24日

初めての入院 その5

TO病院に着く。ロービーに何でも案内係みたいな人がいたので事情を伝える。担当窓口を教えられ、そこでMG病院からの紹介状とCTなどのデーターの入ったDVDなどを渡す。そして診察券と診察票が作成された。診察票にはバーコードが印刷されていて、それを受け付け機にスキャンさせると受付完了で、後は呼び出しを待つことになる。あまり大病院のシステムに慣れていないけれど迷うことはなかった。ただとても広い病院なので、最初の総合受付から外科の受付まで歩く距離が長くて辛かった。

45分くらいで診察室に入れたかな。担当となるのはFZ医師。35歳くらいか。私と話をしながらMG病院のCTデータをパソコン画面で見る、つまりあまり顔を合わさないで話す形になるので少し感じ悪く思えた。

腸炎ですか盲腸ですかと尋ねてみる。盲腸ですとの答え。先ほどMG病院で採血した値もかなり悪いと言われる。

そしてとりあえずの結論として言われたことは、

   今からこの病院でCTその他を再検査する。
   そして、もし盲腸の手術が必要だと確定しても、病院のベッドはほとんど埋まっ
   ているので、空きが出るまでMG病院に入院して薬で抑えるか、あるいは他の
   手術できる病院に転院してもらうかもしれない。

エッ、たらい回し?
しかしゴネてどうなるものでもなし、何となく考えるのも疲れてきたので素直に検査を受けることに。そして、この時点で私はもちろんFZ医師も事の深刻さを認識していなかった。

採血、レントゲン、CT等また同じような検査を繰り返して、再び診察を待つ。
呼ばれる。
診察室に入る。
前回と明らかに空気が違う。FZ医師の顔つきがキリッとしている。


盲腸(の病気)というのは、大腸の一番最初である盲腸の下にある虫垂という突起が、何らかの原因で化膿して炎症を起こすもの。放っておくと虫垂が破れたり穴が空いたりして中にある膿を内臓の中にまき散らしてしまう。その場合は腹膜炎を発症して命に関わる場合もある。

   再検査で判明したのは私がそういう状態だということ(>_<)(>_<)(>_<)

ということは5月11日(土)の検査から、この日の5月15日(水)までの5日間のどこかで虫垂の炎症が限度を超えたことになる。

虫垂が破れたりすることは知っていた。それは内臓に穴が空くわけだから、強烈な痛みを伴うものだと思っていた。実際そうらしい。しかし痛みとしては5月10日に救急車を呼んだ時がピークで、それ以来少しずつではあるが減少している。いつの時点でそうなったのかがまったくわからない。それが最大のナゾ


でもとにかく腹膜内に膿が出てしまっている最悪の事態である。
FZ医師によると膿は何箇所かに散らばっているが、もっとも量が多いのが虫垂付近で、次が直腸周り。そして虫垂付近の膿は今から管を挿入して吸い出す。直腸周りは場所的にその手法は難しいので2週間入院して抗生剤を投与し無害化を図るというのが基本方針。

エッ?2週間の入院。財布とiPhoneしか持っていないのに。着替え等を取りに帰りたいというと、入院や手術の手続き等を済ませて午後5時までに始めなければならないから無理と明確に却下された。この時点で午後3時半くらいだったかな。

ということで観念。
先ほど病院のベッドはほとんど埋まっているなどと断られかけていたのに、
めでたく最優先で即日入院の重篤患者と認められたというわけ(^^ゞ


ーーー続く

盲腸


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2019年05月23日

初めての入院 その4

退院の時に受けた注意事項は

  脱水症状にならないよう水やアクエリアスをよく飲むこと。コーヒーはもちろん
  お茶も利尿作用があるのでNG。

  1日〜2日は何も食べないこと。これは腸を安静にするためらしい。
  その後は食欲に応じてヨーグルトやゼリーなど消化のよいものから。

  整腸剤(ビオフェルミンだった)は1週間分を出されたが、調子がよくなったら
  飲む必要はないとのこと。

というわけで1週間ほど養生していれば治るんだと、その時点では思っていた。断続的な痛みには襲われていたが、気持ちはずいぶんと楽になった。


ところが5月11日(土)に退院して次の月曜日の5月13日に、MG病院のUZ医師から電話がかかってきた。土曜日に撮ったCTの「詳細レポート」が今朝上がってきて、それによると盲腸の疑いありと記されている。盲腸だった場合、MG病院では手術が出来ないので、大学病院等を紹介することになる。ついては今から来てくれないかーーーという内容だった。

  土曜日に盲腸の可能性はナイいうたやないけ
  詳細レポートが上がってきたって、自分でCT画像見とらんのか
  盲腸の手術も出来ない手術室って何のタメにあるねん

などといった感情はおくびにも出さず(^^ゞ、本日今から行くのは少しツライので明日ではどうかと答えた。UZ医師はあちこちの病院で勤務している掛け持ち医のようで、次の勤務日は水曜日の5月15日だった。ではその時にということになった。

    今から考えると、これが最大の判断ミス


15日の水曜にUZ医師の元を訪れる。CTの詳細レポートを見せながら説明してくれたが医学的なことはよくわからず。とにかく、もしこれが盲腸だった場合、既に危険な状態だから即刻に手術が必要ということで違う病院に転院というスキームだった。そうでなかった場合はMG病院に戻されるというようなことも言っていた。

入院した時の右下腹部の痛みは消えていたし、またこの日は腹部全体の痛みもあまりなかった。だから、その可能性は低いのではと尋ねると、そうかもしれないが悪い方も考えておくのが医者の仕事とのこと。またこの日も採血をしたが、退院した11日よりも数値は悪くなっていたらしい。

そして紹介状を書いてくれたのがTO病院。

じゃ明日にでもというと、診察の段取りを頼んでおいたので、今からすぐ行って欲しいと言われる。財布とiPhoneしか持っていないし、即刻入院なんてことになったら困るな。でもそれはないかなと思いつつタクシーでTO病院に向かった。


ーーー続く

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wassho at 21:28|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2019年05月21日

初めての入院 その3

5月10日(金)の続き

救急車で担ぎ込まれたからといって特別な処置をされることもなく、まずはあれこれ検査である。採血、検尿、CT、レントゲン、超音波エコーなど。担当してくれたのはいかにもアルバイトの当直医風情の先生で頼りないことこの上なし(/o\) 病名を尋ねたが、よくわからないとの答え。

点滴をされ、それに痛み止めも入っていたのか少し楽になってきた。
すると当直医の口から信じられない言葉が。

  「帰りますか?」

無理をすれば帰れたけれど、どうせ次の日も診察にこないといけないから入院の手続きを取った。


5月11日(土)

朝になって担当医となるUZ医師が病室にやってきた。あといくつか検査をするみたいだ。痛みはかなり引いている。

行ったのは胸部のレントゲンと造影剤を入れてのCT。


ところで昨夜「帰りますか?」といわれたくらいだから、この日には帰れると思い看護師に尋ねると「いったん入院の手続きをしたら1週間くらいはーーー」との答え。一体どうなってる、この病院の入退院基準。

昼過ぎに再びUZ医師がやって来て「腸炎ですね」と告げられた。右下腹部が痛かったので「盲腸の可能性は?」と尋ねると、それはないとのこと。

腸炎は整腸剤などは使うが、基本的に自己免疫で治すしかないらしい。だから病院にいても特にすることはないので退院してもいいという許可も出た。


本来なら、これで1泊2日の入院体験記になるはずだったが、
しかしそうはならなかったのである(>_<)


ーーー続く

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2019年05月20日

初めての入院 その2

5月10日(金)の続き

119番に電話したのは初めて。最初に「火事ですか?救急ですか?」とオペレーターに尋ねられる。救急と答え、症状を説明し病院に搬送して欲しい旨を伝える。最近は救急車をタクシー代わりに使う輩が増え、そのため電話での確認事項がキビシイと聞いたことがある。しかし今回はそういうことはなく、救急車を向かわせるので保険証や薬手帳などを準備しておくようにいわれて通話は終わった。救急車がいつ到着するかの言及はなし。iPhoneに記録された通話時間は58秒。

5分後に救急隊員から電話がかかってきた。070から始まる番号が表示されていた。以前はPHSの番号だったが、今は携帯電話でも使われている。救急隊員からだと確信して電話に出たが、迷惑電話対策で電話帳に載せている番号以外は通話できない設定の人はどうするのだろう。

通話内容は氏名、住所、症状の確認。先ほど119番で話したことを繰り返した。ダブルチェックのため?あるいは情報が伝わっていない? どちらかは不明だが、身体的に切羽詰まっているので少しイラつく。

救急隊員にはもうすぐ到着するといわれた。遠くでサイレンが鳴っているのが窓から聞こえた。iPhoneに記録された通話時間は1分。

チャイムが鳴ってオートロックを解除。彼らが上がってくるまでに自宅玄関を出て廊下で待っていた。痛みは119番をした時より少し収まっている。

担架は要らないと思っていたのだが、彼らがエレベーターで運んできたのは車椅子の構造を持つ大きな椅子だった。それに坐らされ、すぐ下に降りるのかと思えば、脈拍や血圧を測り始めた。いわゆるバイタルのチェックというやつか?目にライトを当てて瞳孔の反応も調べられた。なお救急隊員は運転手も含め3名体勢だった。

それが済んでエレベータで1階に降りるとマンションの出入り口に担架が横たわっていた。断るのも面倒なので、それに寝かされ救急車の中に入る。まっすぐ仰向けに寝ると腹部に伸びのテンションがかかって痛かった。それを伝えると、少し身体を斜めにされ、また毛布をどう折りたたんだのか見えなかったが、それを膝にあたりに挟んでくれた。すると痛みはぴたりと消えた。さすがプロフェッショナルと感心。


しかし、そこからが少し不思議。車内で再びバイタルチェックのようなことを繰り返し、またどのように痛いのかについての問答が始まった。触診もされた。

これは想像だが、患者を病院に運ぶ前に、あるいは患者の受け入れを病院に要請する前に、救急隊員は基本的な症状情報を整理する義務があるのかもしれない。とにかく救急車に乗り込んでから出発するまで10分近くかかったように思う。


救急隊員に掛かり付けの病院はあるかと尋ねられた。そこでちょっと躊躇する。

前回のエントリーで書いたように昨年末に似たような腹痛(ただし症状はもっと軽い)があり、自宅近くのMG病院で診察を受けている。しかしたくさん検査をしたにもかかわらず、しっかりした診察が出来たとは言えなかった。大丈夫かあの病院? だからあまり乗り気ではなかったが手始めに「MG病院は救急病院?」と尋ねると「そうです」という答え。というわけで仕方なくというか成り行きでMG病院に決まった。

病院まで向かう途中「万が一の場合の連絡先」を尋ねられた。エッ!そんなに悪いのか!と心配になって、救急隊員に尋ねると「形式的なものです」との答え。誰にしようか考えているうちに病院に到着。救急隊員は病院スタッフに引き継ぎ事項の報告。また私を救急車の担架から診察室のベッドに移すなど慌ただしかった。だから結局、万が一の連絡先は答えずじまい。


ーーー続く

急患


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2019年05月19日

初めての入院

なんと信じられないことに、
元気で健康なだけが取り柄のこの私が現在入院中である。

命に関わるようなことはないはずだが、
診察後に即刻入院を命じられたのだから、
それなりに一大事である(>_<)

病名や症状についての詳細はブログに書かない。
病気の話ではなく、あくまで入院体験記。



5月9日(木)

午後9時か10時頃に突然「キュッと」お腹が痛くなった。トイレに行くと下痢だった。そんなふうにお腹を下すことは特別のことではないので(私がよくお腹を下すという意味ではない)あまり気にすることもなかった。


5月10日(金)

朝から何となくお腹が痛いというか調子が悪い。下痢も続いている。仕事を早めに切り上げ、午後2時頃から安静にするというか昼寝した。

午後5時頃に目がさめた。症状が悪化しているという自覚がある。熱も少しあるみたいだ。ただし自宅に体温計はないので自己感覚。


ところで私は滅多に病院に行かない。30歳以降で病院に行ったのは5〜6回程度。どこか具合が悪くなった時の私の判断基準は「これが1週間続いたら病院に行こう」である。幸いにも今まで健康で、上記の5〜6回の例外を除けば、1週間もあれば自然治癒する程度の病気にしかかからなかった。


しかし昼寝から目覚めた時の判断は「今日はもう病院の診察時間は終わってしまったから、このまま安静にして、明日になったら病院に行こう」というものだった。つまりかなりの緊急事態であることを自覚していた。

それには理由がある。先ほどの5〜6回の例外の1回が昨年末であり、当時と似たような腹痛だったからである。その時は「これが1週間続いたら〜」の判断基準を2回くらい延長して、でもいっこうに治る気配がないので諦めて病院に行った。検尿、採血、レントゲン、CTと一通りの検査をした。でも医者には原因や病名がよくわからないとのことだった。それでしばらく様子を見るという判断先送りになり、痛み止め、整腸剤、お腹の張りを押さえるという対処療法のクスリが数日分処方された。

ただし、そのクスリを半分も飲まないうちに症状は治まった。もう1週間さらに病院に行くのを遅らせればとよかったと思ったくらい。

その治ったと考えていたものが、実は再潜伏みたいな状態でパワーを蓄積しており、そして今まさ暴れ出しているのではないのかと、この時は考えたのである。それが出来るだけ早く病院に行こうとした根拠。もちろん再潜伏なんて医学的あるいは論理的な判断とは言えない。要は不安になったということ(^^ゞ


午後6時半頃から痛みはだんだんと激しくなり、いわゆる刺すような痛みに変わった。ずっと痛いのではなく断続的な波状攻撃。痛いとか、ウ〜ンといった声を漏らすことはないものの、だんだんと痛みに耐えるのが難しくなってきた。

そのうち腹部全体を圧迫するような痛みも始まった。こちらは痛いというより苦しいと表現した方が正確か。強烈なのが来ると息まで止まりそうだった。既にまっすぐ立つのも難しい状況になっていた。


観念して午後7時過ぎに救急車を呼んだ。

救急車


ーーー続く

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2019年05月14日

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019 ディーヴァ・オペラ

5月3日に聴いた公演は弦楽四重奏、ピアノ三重奏、ピアノ協奏曲、ピアノ曲、バイオリン協奏曲の5つ。バランスとしては悪くないし今年はそれだけにするつもりだった。しかしどうしても声楽関連を聴きたくなり、5月3日のチケットを予約したしばらく後にプログラムを眺めているとモーツァルトのオペラがあったので急遽チケットを手配。公演日は5月5日。


いつもは銀座駅から東京国際フォーラムへ向かうが、気分転換に二重橋前駅から。距離的にはどちらもそう変わらない。

ちょっと寄り道して行幸通りへ。
皇居に夕日が落ちかけている。時刻は午後6時過ぎ。
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反転して東京駅方面。
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近づいての撮影。
35ミリ換算15ミリになる広角ズームだと巨大な東京駅もだいたい収まる。
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上の写真は横:縦比が3:2。ちょっと道路部分が気になったので16:9にトリミングしてみた。ワイド感が強調されてるかな?
DSCF3186のコピー


東京駅の横にあるJPタワー。元は東京中央郵便局。外観の一部に郵便局舎が残されている。ビルのデザインはクラシックな方が断然に好き。
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ここを渡って数分歩くと東京国際フォーラムに着く。
ガラス棟の両端は鋭角なので見る角度によってはカミソリのよう。
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毎年撮影しているAホール前の光る廊下。
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一番賑やかな時間帯かな。
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とりあえず駆けつけ1杯。
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会場はB7ホール。
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最後尾17列の位置から。
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座席は8列目を確保。
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横方向の風景。
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【公演番号326】
 モーツァルト:オペラ 後宮からの誘拐

 ディーヴァ・オペラ


オペラといってもほとんど舞台セットのないステージでピアノ伴奏だけで行われるオペラである。こういう簡易バーションのオペラを室内オペラというらしい。フルスケールのオペラは言ってみれば劇場オペラか。

ディーヴァ・オペラはイギリスの室内オペラ専門の劇団。
今回のメンバーをコピペしておくと

  ベルモンテ(スペインの貴族):アシュリー・カトリング
  オスミン(太守の監督官):マシュー・ハーグリーヴズ
  ペドリッロ(ベルモンテの召使):リチャード・ダウリング
  太守セリム:デイヴィッド・ステファンソン
  コンスタンツェ(ベルモンテの婚約者):ガブリエラ・キャシディ
  ブロンデ(コンスタンツェの召使、英国人):バーバラ・コール・ウォルトン
  音楽監督・ピアノ:ブライアン・エヴァンス
  総監督:アンヌ・マラビーニ・ヤング

このディーヴァ・オペラによるモーツァルトのオペラは、今年のラ・フォル・ジュルネの目玉公演のようで3日間連続での上演。ちなみに上演時間は2時間で途中で15分間の休憩時間が設けられている。

とはいっても、あまり高い期待はしていなかった。なんたって簡略版だから。声楽が聴ければいいや程度の気持ち。

出演しているのは男性4名、女性2名である。最初の25分くらいは男性しか出てこない。私はソプラノが好きなのでちょっと退屈する。そしてコンスタンツェ役のガブリエラ・キャシディ登場。この歌手は別格に素晴らしかった。ところどころ歌うのが難しいパートもあったが、それも完璧にこなしていたように思う。彼女がいることによって全体のクォリティもランクアップしたように感じられた。そこからどんどん引き込まれていった。


舞台セットは必要最小限といった感じでも、衣装は本格的。それが安ぽっさを感じさせない理由。衣装を眺めているだけでもけっこう楽しめる。なお一番右にいるのがガブリエラ・キャシディ。
衣装

ピアノ伴奏は音楽監督のブライアン・エヴァンスが務める。ほぼ2時間引きっぱなしで大変だと思うが、この演奏もとても良かった。単に演奏が上手いというだけでなく、ステージの進行というかノリとシンクロした弾き方だったと思う。

びっくりしたのは途中で照明が暗転していくつかの舞台セットを入れ替えた時。その搬入搬出は男性歌手たちがやっていた。そうやってコストカットしているのだろうが、ラ・フォル・ジュルネには山ほどスタッフがいるのだから手伝ってあげればいいのに。

まあとにかく楽しかった。終わってみれば「簡易バージョン」という印象や我慢はまったくなし。もちろんそれは「後宮からの誘拐」がもともと小規模な設定なせいもあるけれど、室内オペラへの認識を新たにした。ラ・フォル・ジュルネに2日も足を運んだ甲斐があったというもの。大満足な公演だった。


今年もクラシック音楽に浸れたラ・フォル・ジュルネ。毎年書いて実現していない「今年こそはラ・フォル・ジュルネ以外も生演奏を聴きに行こう」とまた書いておく(^^ゞ


おしまい

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2019年05月11日

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019 神尾真由子 タタルスタン国立交響楽団 アレクサンドル・スラドコフスキー


初日5つ目で最後の公演はラフマニノフのピアノ協奏曲と同じAホール。そしてこの公演は私にとって因縁の組み合わせ。
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ラフマニノフのエントリーの時にも書いたが、5年前に初めてのラ・フォル・ジュルネで最初に聴いたのがこのAホールだった。5000人収容とクラシック音楽にとっては広すぎるこのホールは49列の座席がある。その最後列1つ手前の座席で聴いたチャイコフスキーのバイオリン協奏曲は、遠くから小さな音量で聞こえてきただけだった。

久しぶりの生演奏を聴いた満足感はあったものの、その音量のことはトラウマに(/o\) ラ・フォル・ジュルネに行くたびに、座席が何列目だったとか、ホールの音響がどうだったかと書いているのはそれが影響している。その後、Aホールのいろいろな席で公演を聴いた。その経験をもとにアドバイスすると、オーケストラの音量を楽しみたいのであれば15列目までがリミットである。

さてこの公演は5年前と同じくAホールでチャイコフスキーのバイオリン協奏曲。オーケストラと指揮者も、タタルスタン国立交響楽団とアレクサンドル・スラドコフスキーの同じ組み合わせである。もっとも5年前のウサを晴らすためにこの公演を選んだわけじゃない。単純にチャイコフスキーのバイオリン協奏曲が好きなだけ。オーケストラと指揮者が同じことはチケットを買う段階では気づかなかった。


受付を横から見たところ。
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今回は左側から入場。
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49列ある22列目付近。
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そこから見たホール後方と2階席部分。
5年前はほぼ後ろの壁際にいたわけだから、そりゃ聴こえないわ。
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今回の座席は4列目のセンターからわずかに左寄り。バイオリンソロは左側に立つから、ほぼベストポジション。5年前の私にこのことを報告してあげたい(^^ゞ
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ハープを最終調整中。
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コントラバスは6台。
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【公演番号116】
 シャブリエ:狂詩曲「スペイン」
 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35

 神尾真由子 (ヴァイオリン)
神尾真由子

 タタルスタン国立交響楽団
タタルスタン国立交響楽団

 アレクサンドル・スラドコフスキー(指揮)
アレクサンドル・スラドコフスキー


神尾真由子は10年ほど前に発売されたパガニーニのアルバムを持っている。自身がすぐれたバイオリン奏者だったパガニーニの作品はどれも難曲で知られる。そしてチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲もソロバイオリンに超絶技巧を要求する。彼女は難しい曲が好きなのかな。私は大好きである。演奏テクニックのことはよくわからないが、超絶技巧な曲というのは音数が多くて楽しいから。


最初の演奏はシャブリエの狂詩曲「スペイン」。作曲家もこの作品も全く初耳。リズミカルで元気のいい曲だった。言っちゃ悪いが前座にぴったり。ハープの音色に期待していたのに、全体の音に埋もれてあまり聞き取れず。オーケストラはラフマニノフの時と同様にノリのいい演奏で音もよく鳴っていた。

「スペイン」は6〜7分の短い曲だった。それが終わると金管楽器の人を中心に約1/3が退席。次のヴァイオリン協奏曲では必要がないからなのであるが、わずかな出番でちょっとお気の毒。そして神尾真由子が登場。私は10年前のジャケット写真でしか彼女を知らなかったので、ちょっとイメージが違って戸惑う(^^ゞ

演奏の良し悪しを評価するほどの教養と耳はないのだが、私にはパーフェクトな演奏に思えた。だから大変満足。もちろん音量的にも。身も蓋もない感想でゴメン。難解なパートでも細かなニュアンスが感じ取れたのが満足した理由のひとつでもあるが、後ろの席で聞いいている人にはそのニュアンスは伝わらず、ゴリゴリ弾いているだけに聴こえたかもしれない。音量だけじゃなくて音楽性においても座席位置は大切と新たに認識。


ーーー続く

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2019年05月08日

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019 広瀬悦子

初日4つ目の公演は最初のエルメス弦楽四重奏団と同じB5ホール。
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座席はまたもや最も後ろの6列目。でもこのホールでピアノなら問題ない。
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壁の上部にあるのは音響効果を考えた反響板かな。材質も解らないから何ともいえないが。いずれにせよ板の付け根にはホコリが溜まっているに違いない(^^ゞ
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【公演番号1364】
 リスト:巡礼の年 第1年「スイス」

 広瀬悦子 (ピアノ)
広瀬悦子


この公演は広瀬悦子を聴きたくて選んだ。彼女のCDは何枚か持っている。デビューアルバムの頃からは随分と妖しさを増した(^^ゞ しばらくご無沙汰だったが最近はバラキレフやリャプノフといった、あまり聞き慣れない作曲家のアルバムを出しているので再び注目している。もうメジャーな曲のCDはほとんど持っているので、そういう企画じゃないとなかなか購買意欲が起こらない。


リストの「巡礼の年」は

   「第1年:スイス」
   「第2年:イタリア」
   「ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)」
   「第3年」

からなるピアノ曲4部作。巡礼というタイトルはついているが特に宗教と深く関わったものではなく、旅先で得たインスピレーションから作曲した小作品をまとめたものといわれている。実際、第1年のスイス旅行はリストがマリー・ダグーという伯爵夫人と恋仲になり、彼女が妊娠し、パリにいられなくなってスイスに姿をくらました逃避行だから巡礼とは程遠い。

またリストというと超絶技巧を連想する。しかし「巡礼の年」は叙情的でしっとりとした曲が多い。また4部作すべて合わせて26曲で構成されているが、どれも似通っているというか特徴があまりない。だから随分と昔からお気に入りリストに入っている作品なのだが、ある曲の一部を聞かされて「これは4部作のどれだ」と質問されたら多分わからないかも。


さて広瀬悦子先生は紺色のドレスでご登場。拍手に迎えられピアノの前でにこやかな笑顔でお辞儀。そして椅子に座ると、なんと一呼吸もおかずに弾き始めた。3秒後には陶酔とはいわないまでも曲に入り込んでウットリした表情。どんだけスイッチ入るの早いねん!

憑依するタイプ? ちょっとオンナとして怖いものを感じながらも(^^ゞ演奏は楽しめた。すごく丁寧に引いている感じ。さきほど「巡礼の年」は超絶技巧ではないと書いたが、それなりに複雑だったり激しかったりする部分もある。広瀬悦子はパワフルなピアニストの部類だと思うのだけれど、あまり強打しているようには聞こえず余裕をもって弾いているようにも思えた。

ところで椅子に座ってから引き出すまでは超早かった彼女だが、曲と曲の間のインターバルは微妙に長い。さあ一息ついただろうから弾き始めるかと思ったら、そこからハンカチで顔を拭いたりして引っ張る。何となく聞き手として間合いが取れない。私と相性悪いのかな。けっこうファンだったのに寂しい(^^ゞ

「第1年:スイス」は50分近くある大曲。でもあっという間に時間が過ぎた。ある意味とりとめのない作品。とりとめなく永遠にピアノの音に浸っていたかった気分。




広場に出たのは午後8時半ごろ。さて何を食べようかと迷って、選んだのはステーキ&ポテト。多分去年まではいなかったキッチンカー。
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盛り付けはフライドポテトの上に肉が載せてあるだけで、ただでさえインスタ映えしないのに(ブログだけれど)思いっきりブレた(>_<)
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少し甘めのソースでの味付け。ある程度焼いてある肉を注文があってから、もう一度鉄板でジュッとやるみたいで焼き加減が微妙。でも、まあおいしかった。しかし900円はちょっと高かったかな。


これも今年からだと思うが、いくつかのテーブルにランプが置かれていた。
アンティーク調に見えるのに電球なのは仕方ないか。
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ーーー続く

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2019年05月06日

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019 空き時間

初日の3つ目の公演を聴き終えて広場に出てきたのは午後5時半ごろ。
次の公演が始まるまで2時間弱。
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広場にある無料コンサートのステージ。
そういえば今年はまだここでの演奏を見かけていない。
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プログラムによれば次の演奏は1時間後。席に座っている人はこのまま1時間も待つつもりでいるのか? それとも単に休憩しているだけ?
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東京国際フォーラムのシンボルであるガラス棟。右側上部に31の会議室があり、ラ・フォル・ジュルネでも1部屋利用している。
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当日券のチケット売り場。
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地下にあるEホール。地下に降りるにはチケットかチケットの半券が必要。ホールといっても5000平方mの巨大なイベント空間で、ラ・フォル・ジュルネでは半分を無料コンサートのステージ、半分をグッズ販売スペースに当てている。
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ちょうどコンサートが始まるところだった。
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人でいっぱい。
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この日は広角ズームのレンズだったので写真をトリミング。様々なパーカッションだけのグループみたい。沖縄っぽいリズムの演奏をしていた。
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しばらく聴いてみたが、つまらなかったので早々に退散。



グッズ売り場に移動。
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これは初めて見るかな。材質が何かは触り忘れた。
それにしても2万円で売れるのかな。
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他はだいたい例年通りの品揃え。
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作曲家人形は年々売り場が小さくなっている(/o\)
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こちらは新星堂のブース。
今まではCDだけだったような気がするのだが(記憶は曖昧)、
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本を除けば隣のブースと同じようなものを売っていた。
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CD売り場は壁際だけ。やはりCD不況は深刻。店頭と同じ価格で売っているようだけれど、2割ほど下げれば、これだけの集客があるのだから飛ぶように売れると思うよ。私も大人買いする(^^ゞ
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地上に出るとフルートの無料コンサートをやっていた。写真では柱に隠れてしまったが、一番右は低音用のアルトフルート。本物を見たのは初めてで、その大きさにびっくり。しかしそれほど低い音が出るわけではなさそう。
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時刻は午後7時前。夜の帳(とばり)が下りてきたといったところ。
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ーーー続く

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2019年05月05日

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019 ネルソン・ゲルナー タタルスタン国立交響楽団 アレクサンドル・スラドコフスキー

三菱一号館美術館から戻って、初日3つ目の公演はAホール。過去にも散々書いてきたが5000人収容の巨大ホールで、15列目までの座席を確保しないと音量的にはまったく楽しめないホールである。
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受付も広くて、
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1階席へ行くのに2回エスカレーターに乗る。
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この位置で49列ある座席の22列目。
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確保したのは10列目の右寄りの座席。この角度だとピアニストの手は見えないが、それはステージ左右にあるモニターで我慢。
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【公演番号114】
 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 op.30

 ネルソン・ゲルナー(ピアノ)
ネルソン・ゲルナー

 タタルスタン国立交響楽団
タタルスタン国立交響楽団

 アレクサンドル・スラドコフスキー(指揮)
アレクサンドル・スラドコフスキー


アレクサンドル・スラドコフスキーとタタルスタン国立交響楽団の組み合わせは、初めてラ・フォル・ジュルネに来た時に聴いている。その時はこの巨大ホールの最後列の1つ手前という席だったので「誰かボリューム上げてくれ!」と心の中で叫んだ(^^ゞ

ネルソン・ゲルナーは1969年生まれのアルゼンチン人。まったく知らないピアニスト。しかしあまたあるピアノ協奏曲の中でも、演奏の難しさでは1位2位を争うといわれているラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を弾くのだから相当の腕前のはず。


ラフマニノフのピアノ協奏曲といえば第2番の人気がダントツに高い。オタク的マニアがいるということではハルサイに並ぶかも。しかし第3番も同じくらいの名曲だと思う。メロディメーカーであるラフマニノフらしさは存分に散りばめられているし、超絶技巧を聞く楽しみもある。音数の豊かさでは優っているかもしれない。ただし第2番のように情念を揺すぶられるような凄みはない。あれは中毒性のある危険な音楽。


演奏は素晴らしかった。オーケストラはよく鳴っていたし、ネルソン・ゲルナーのピアノは万華鏡のように幻想的な美しさがあった。しかも力強い。ときどきモニターで指使いを見ると、聞こえている音楽から想像するものより3倍くらいの指の運動量。ピアニストはハードワークである。

アレクサンドル・スラドコフスキーは特定の楽団員の方を指して「もっと来いもっと来い」とか「押さえろ」などのジェスチャーを時々やるタイプの指揮者。あれって事前の打ち合わせの確認のためなのか、あるいはその場で不足を感じて指示しているのかどちらなんだろう。

演奏が終わっての拍手は過去にAホールで聞いたなかでも大きかったと思う。一言でいうならノリのいい演奏だった。写真はホールを出るときに撮ったもの。2階まで満席。そりゃ5000人を前にしたら演奏家はやる気出るよね。
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ーーー続く

wassho at 23:39|PermalinkComments(0) イベント、旅行 | 音楽、オーディオ

2019年05月04日

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019 アレクサンドル・クニャーゼフ ニキータ・ボリソグレブスキー ボリス・ベレゾフスキー


メガネを買うには検眼してレンズを加工してというプロセスがある。つまり時間がかかる。それでもなんとか2つ目の公演開始時刻までに間に合ってよかった。


会場はB7ホール。B5と同じく多目的イベントスペースである。収容人数はB5の約250名に対してB7は約800名と広い。しかし音楽的には天井が低いのが難点。座席は17列中の6列目センター位置を確保。
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【公演番号123】
 チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲 イ短調 op.50 「偉大な芸術家の思い出に」

 アレクサンドル・クニャーゼフ(チェロ)
アレクサンドル・クニャーゼフ

 ニキータ・ボリソグレブスキー(バイオリン)
ニキータ・ボリソグレブスキー

 ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ)
ボリス・ベレゾフスキー

実はこのプログラム、チケットを予約する時点では誰が演奏するか明かされておらず、いわゆるサプライズ公演の企画趣向。それも面白かろうという理由と、ピアノ三重奏を生で聴いたことがなかったので選んだ。ラ・フォル・ジュルネではホールの入り口で曲と演奏家についての簡単な解説が書かれたパンフレットが配られる。それが見当たらなかったので係員に尋ねると、この公演では演奏が終わってから配るとのこと。そこまでシークレットにしなくてもと思ったが。

演奏家がステージに入ってきた。アレクサンドル・クニャーゼフは昨年の公演を聴いたのですぐにわかった。彼は世界のトップのチェリストの1人である。他の二人は初めて見る顔。

ニキータ・ボリソグレブスキーは30歳代半ばくらいのロシア人。準若手といったポジションかな。ボリス・ベレゾフスキーもロシア人でこちらは50歳。タワーレコードで検索するとCDは167件もヒットした。まったく知らないピアニストだったが、バイオリンの諏訪内晶子やワディム・レーピンと共演したCDも出していて、それは持っていることが判明。諏訪内晶子はよく聴いていた時期があったので実はお馴染みさんだったことになる。ちなみにボリス・ベレゾフスキーの胴回りは上の写真からイメージする2倍は太い。背も高くて巨漢である。

では、その写真をドン! これでもまだ3割スリムに写っているかな。自分より腹が出ている人を見るとなぜか安心する(^^ゞ なお写真はKAJIMOTOのホームページから。
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ところでチェロのアレクサンドル・クニャーゼフ。今年のラ・フォル・ジュルネの出演者リストには載っていない。どうやら別のコンサートで来日していたらしい。かたくなにシークレットにしていたのは事務所を通していないショクナイだったりして(^^ゞ


「偉大な芸術家の思い出に」というタイトルが付いているこの作品は、チャイコフスキーの友人であったピアニストが亡くなった際に追悼曲として作られたもの。とはいっても泣きの旋律だけじゃなくてリズミカルなところもあったりしてバラエティに富んでいる。特徴的なのは第2楽章が変奏曲となっていること。つまり主題が少しずつアレンジを変えて繰り返される。その数なんと12回。そして第2楽章の最後は第1楽章の変奏。あまり曲の構成なんかを意識して音楽を聴くことはないが、これはサルでも私でも理解できるわかりやすさ。ただ12回の繰り返しはちょっと中ダレして飽きてくるかな。

エルメス弦楽四重奏団の演奏では音の厚みが印象的だったけれど、この演奏では特にチェロで倍音の響きを感じた。倍音が豊かとかよく評論で使われるるフレーズだが、何のことか今ひとつ理解できていなかった。それがわかったような気がしたが、あれが倍音だったと自信があるわけじゃない。

アレクサンドル・クニャーゼフは盤石な印象。演奏の良し悪しがわかるほどの耳と教養はないのだが、ニキータ・ボリソグレブスキーの演奏にも不満はまったくなかった。それはボリス・ベレゾフスキーも同じ。ただし彼の演奏はとてもエネルギッシュだったが、ピアノの響き方に少し違和感。少しビブラートがかかっているというかチェンバロが混ざっているというか。それがネガティブかというとそうでもないのだが。


会場の外に出たのは午後2時半ごろ。例年と較べて少し人出が少ないような気がする。10連休で遠くに行く人が多かったのだろうか。
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メガネのレンズ加工を待つ間に有楽町の駅前でランチは食べた。でも、とりあえずビール。そしてビールだけじゃ寂しいのでフランクフルト。ボリス・ベレゾフスキーと較べれば、私なんてスリムなほうなんだから気にしない(^^ゞ
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ここはいつも夜にタイルが光っているのを撮る場所。こういう構図だとさすがに換算15mmの広角レンズは迫力がある。
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上のタイルがあるのは丸の内側の出入り口。そこから出て向かったのは三菱一号館美術館。徒歩数分の至近距離。
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美術館の入り口は中庭にある。入ってみると人だかりが。ラ・フォル・ジュルネは東京国際フォーラムのメイン会場以外に、丸の内や銀座など周辺17ヶ所で無料のミニコンサートも開いている。
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バイオリンとクラリネットの電子楽器。この写真を撮った直後に演奏が終わってしまったので、ほとんど聴くことができなくて残念。
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相変わらずキレイな中庭。
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展覧会はラファエル前派に関するもの。
ラ・フォル・ジュルネとラファエル前派。ちょっと似てるか?
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展覧会についてはまた後日。そういえば3月の終わりに上野でサクラ花見と同時に訪れた都立美術館の「奇想の系譜」展のことをまだブログにしていない(>_<)


ーーー続く

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2019年05月03日

ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019 エルメス弦楽四重奏団

ロゴ

もうすっかり私にとってゴールデンウィークの定番になった、クラシックの音楽フェスであるラ・フォル・ジュルネ。通いだして今年で6年目。

ラ・フォル・ジュルの概要について毎回説明してきたけれど、もう新たに書くこともないので今年は省略。知りたい人は公式ホームページの「ラ・フォル・ジュルについて」を読むか、あるいはこのブログの「ラ・フォル・ジュルのタグ」をクリックして過去のエントリーの中から探してちょうだい。

今年は5月3日に5公演、5月5日に1公演のチケットを手配した。本当は1日にまとめたいのだが、そう都合よく聴きたい公演がタイムテーブルに並んではくれない。また本日の2公演目と3公演目には2時間半ほど空き時間があるので、近くの三菱一号館美術館で展覧会を見てきた。このラ・フォル・ジュルネ+αな過ごし方もいつものパターン。



有楽町駅の高架の向こうに見えるガラスの船みたいなのが会場の東京国際フォーラム。
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東京国際フォーラムとビックカメラ有楽町店は向かい合って建っている。
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時刻は午前10時ちょっと前。これが最初の公演時間帯で、6つの公演のうち5つはもう始まっているから広場にいる人の数は少ない。
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今年のテーマは「CARNETS DE VOYAGE」、日本語では「ボヤージュ 旅から生まれた音楽(ものがたり)」と設定されている。ポスターだと日本語がちょっと小さい。ちなみにラ・フォル・ジュルネはフランス発祥だから、ところどこフランス語が出てくる。イベント名であるラ・フォル・ジュルネ:La folle journeeは熱狂の日と訳されていて、英語に直訳するとThe crazy day。
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屋台村もだいたいいつもと同じ顔ぶれ。
去年に初出店だった「俺のフレンチ」の屋台は今年いなかった。
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広場の真ん中あたりから有楽町側の入り口を見たところ。
こんな写真も毎年ワンパターンだけれど。
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最初に聴く公演はB5ホール。
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B5ホールは音楽専用ではなく多目的イベントスペース。長方形のホールの壁際センターにステージがあって、それを取り囲むような椅子の配置。最後列の座席しか取れなかったが、それでも6列目だし、このホールは狭いから音量的には大丈夫。
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【公演番号131】
 バルトーク:弦楽四重奏曲第4番
 ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調 op.96 「アメリカ」

 エルメス弦楽四重奏団
Hermes

エルメス弦楽四重奏団はわりと最近にCDを買ったので選んでみた。10年ほど前にフランスのリヨン国立音楽院の学生で結成されたユニットらしい。メンバーは写真左から

  ヴィオラ:ユン=シン・チャン(Yung-Hsin Chang)
  第1ヴァイオリン:オメール・ブシェーズ(Omer Bouchez)
  第2ヴァイオリン:エリーゼ・リュウ(Elise Liu)
  チェロ:アンソニー・コンドウ(Anthony Kondo)

アンソニー・コンドウは顔つきと名前からして日本人とフランス人のハーフなのかな。エルメス弦楽四重奏団についてはネットで調べても、先ほど書いた結成のいきさつと、その後に様々なコンクールで賞を取ったことくらいしか情報が出てこない。ちなみにCDは8枚ほど出ている。

それにしてもエルメス!である。しかもフランスの楽団。スペルもあのファッションブランドのエルメスと同じHermes。エルメスはギリシャ神話の神の名前ではあるが、ブランドのエルメスと商標関係で揉めなかったのかなといらぬお節介。もっとも10年以上活動を続けているということはOKなんだろう。いずれにしてもインパクト抜群のネーミングである。


さて席についてメガネを持ってくるのを忘れたことに気がついた。もちろん音楽は耳で聴くものであるが、コンサートは目でも楽しむものである。また過去にも書いてきたようにクラシックの場合、目で見ると音楽がよくわかるからメガネは必須。ナンテコッタイ(/o\)


最初はバルトーク。ちょっと前衛的で苦手な部類の作曲家。この弦楽四重奏曲第4番はおそらく初めて聴く。やはり案の定の展開で始まった。でもCDじゃなくて目の前で演奏されていると素直についていけるから不思議。メガネがないからよく見えないのだけれど。

音はとても良かった。弦から出た音が弦楽器の胴体で共鳴して音が大きくなっていることが感じ取れる。オーディオで聴く弦楽四重奏と違って音にとても厚みがある。この実体感のようなものを味わいたくてコンサートに来ているわけだから大満足。

びっくりしたのが第4楽章。4つの楽器全てで、最初から最後までピチカート奏法なのである。弦楽器を弓で擦るのじゃなくて指で弾くのがピチカート。よくある手法だが、あくまでもアクセント的に用いられるのが普通。ボン、ボン、ボンと静かに背景音的に鳴る感じ。しかしバルトークの第4楽章はピチカートだけでアンサンブルが成り立っている。また普通のピチカートの場合、それはごくわずかな小節だけだから、弓は手に持ったまま指で弦を弾く。バルトークの第4楽章で弓は使わないので、バイオリンもビオラもチェロも奏者は右手には何も持っていない。こんな光景は初めて見た!

そしてそのピチカートの音が大きい。そこで疑問。指じゃなくてピックのようなようなものを使っているんじゃないか? ーーーどうしてこんな大事な時にメガネがない(>_<) 残念ながら肉眼では手元の細かいところまではよく見えず。ステージ手前までダッシュしたい気持ちだった。でもまあ何となくではあるが指しか使っていないように思えた。演奏はけっこう指先にハードだと思う。

続く第5楽章はところどころロックのようにリズムカル。どこかにサイドギターが隠れているんじゃないかと冗談で思うくらい。さて全体を通して不協和音の塊だし、無骨な音楽だし、もしこの曲を100回聴いてもワンフレーズも覚えられそうにない。しかしたまに聴く分には面白いもの。ライブならなおさら。それとキレイな曲をキレイに弾くことより、こんなヘンテコリンな曲を上手にまとめることの方が難しいと思う。だから演奏家にとっては挑戦しがいがあって好まれるのかなと思ったりする。


2曲目はドヴォルザーク。バルトークとは正反対に流れるような美しい旋律が冒頭から続く。第2楽章は情感たっぷりで第3〜第4楽章は軽やか。露天風呂でシャンパンでも飲みながら聴きたい感じ。エルメス弦楽四重奏団の演奏は素晴らしかったし、何一つ文句はないのだけれど、バルトークの直後に聴くと何か物足りないのが不思議。別にバルトーク好きになったわけでは決してないのに。

というわけで
バルトークの毒に当てられて始まったのが今年のラ・フォル・ジュルネである。



公演が終わり窓をのぞくと、広場も賑やかになっていた。
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しかし屋台村には目もくれず私が向かった先は、
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徒歩で数分先にある有楽町の駅前。
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なぜならメガネ買うため。
やはり演奏者の表情までわからないとコンサートの楽しみが半減する。それでも今年は耳に集中しようかと考えたがハタと気がついた。美術館にも行くことを(^^ゞ もっとも美術館をキャンセルして、2公演目と3公演目の間の2時間半ほど空き時間に自宅に戻ってメガネを持ってくることは可能。しかし、それも面倒である。え〜い、めでたく令和が始まった記念だと理屈をつけてーーー無駄な出費(/o\)


ところで本日のデジカメは35mm換算15-36mmの広角ズーム装着で、これは15mmでの撮影。こういう街中の風景だと錯覚的に広く写る。この駅前はこんなに広々していないんだけどね。
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ーーー続く

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