2019年06月

2019年06月27日

上野公園の桜は53品種

昨日はクリムト展を見てきた。
開催されているのは東京都美術館だから上野公園。

前回、花見に来たときはキレイに咲いていたシダレザクラをiPhoneで。
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花の咲いていないシダレザクラをまじまじと見たのは初めて。
シダレザクラと知らなければ桜の木とは思わないかも。

葉の形は同じだから何が違うのだろう。葉の生え方の密度かな。
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まあとにかく今の上野公園は緑が濃くて初夏の風景。
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この道はさくら通り。アジサイがたくさん植えられている。
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しかしほぼ終わりの時期なので、アップに耐えられる花は多くない。
それに萎びていなくてももう元気はないね。
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ガクアジサイのほうが状態のよいものが多かった。
開花時期が微妙に違うのかもしれない。
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丸く咲くのがホンアジサイ。花に見えている部分は実は萼(ガク)で、ガクアジサイは萼(ガク)が額縁(がくぶち)のように並んでいるからガク(額)アジサイ。そのあたりのヤヤコシイことを知りたければ過去のエントリーをどうぞ

このガクアジサイは萎びていて写真はどうかと思ったんだけれど、光の当たり方がキレイだったので撮ってみた。するとセンターの花が見事にピンボケして、花の痛みが目立たずなんとなくイイ感じの雰囲気に。人工知能が搭載されていたか私のiPhone(^^ゞ
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さくら通りを進むと動物園の入り口もある公園中央の広場に出る。
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そこにある看板を何気なく見てビックリ!
なんと上野公園には53品種ものサクラがある。
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これほどの品種が集まっているところは滅多にないような気がする。ソメイヨシノ以外は数本だけなのかもしれないが、サクラの時期に上野公園にまた来たときは探してみよう。


クリムト展のことはいずれそのうち。

wassho at 23:49|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2019年06月25日

ラファエル前派の軌跡 その5

「母と子(サクランボ)」 フレデリック・レイトン 1864-65年頃

幸せそうで、かつ美しい作品。この時代は良妻賢母像が求められていて、こういう構図は珍しいそうだ。おそらくは日本画と思われる背後に置かれたツルの屏風にも目がいくが、なぜか彼女たちの着ているものが気になる。部屋着?寝間着?下着? 立ち上がってよく見せて欲しい(^^ゞ
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フレデリック・レイトンはロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(王立芸術院)の会長を20年近く務め、また画家として最初に貴族に列せられるなど英国美術界の頂点に君臨したといってもいい人物。ラファエル前派の立ち上げメンバー3名は1827〜29年生まれでレイトンは1830年。彼らと違ってロイヤル・アカデミー付属の美術学校には行っていないから先輩後輩の関係じゃない。しかしグループとしてのラファエル前派が解散した後だが、メンバーとは交流があったようだ。

ちなみにフレデリック・レイトンの邸宅は贅を尽くしたもので、レイトンハウスと呼ばれており現在は美術館になっている。ある年代以上の日本人ならレイトンハウスと聞くと別のものを思い出すはず。なお、あのレイトンハウスと、このレイトンハウスはまったく関係ない。



さて「ラファエロ前派周縁」の次は「バーン=ジョーンズ」というコーナー。エドワード・バーン=ジョーンズのこと。

この展覧会では「ラファエル前派第二世代」という分類があって、その代表格のエドワード・バーン=ジョーンズには1コーナーを与えたということらしい。しかし彼は1833年生まれ。ロセッティらと5歳くらいしか違わない。だから活動時期はほとんど変わらないわけで、第二世代というにはまったく無理がある。

展示されている作品数は27点。これは展覧会の冠になっているラスキンの40作品を除けば一番多い。作品を集め出したらエドワード・バーン=ジョーンズのものが多くなってしまい、ラファエル前派第二世代なんて理屈をひねり出したんだろう。

最初から最後まで、この展覧会の構成には納得がいかない。


「金魚の池」 1861-62年

バーン=ジョーンズの絵は独特の癖があるのだけれど、これはバーン=ジョーンズらしくない珍しい作品。誰にでも描けそうというと身も蓋もなくなってしまうが。でもいい味出ていると思う。そして何故かこの時代ではなくて、今の時代に描かれたような雰囲気を感じる。
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「慈悲深き騎士」 1863年

初期の傑作とされている作品。ぜんぜん好みじゃないが、すごく存在感があって長い時間見入ってしまった。画像じゃそのオーラみたいなものが伝わらないのが残念。

左側の人物は、頭に被っているいばらの冠と、足が杭で打ち付けられているからキリストだということはすぐにわかる。でもどうして屋根付き?十字架は?
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実はこれはある伝説のワンシーンを描いたもの。右側で跪いているのは騎士。仇討ちに出かけたのだが慈悲の心で相手を許してしまう。その後に「木彫りのキリスト像」の前で祈りを捧げていると、その慈悲の心を祝福した「木彫りのキリスト像」が身をかがめて彼を抱擁したというもの。

まさか「木彫りのキリスト像」だったとは! そんな奇跡が起こせるなら足の杭も抜いて、もっと近づけばというツッコミはナシということで(^^ゞ



「嘆きの歌」 1865-66年
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「フローラ(春の女神)」 1868-84年
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「赦しの樹」 1881-82年
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女神のフローラと、「赦しの樹」の男性の顔が同じ。画家でも漫画家でも「持ち顔」のバリエーションには限りがあるものだけれど、男と女は別にして欲しいかな。

さて「赦しの樹」のような裸の男女を見ると、ついアダムとイヴかなと思ってしまう。でもこれは別の物語。人物が描かれていると顔を中心に見てしまうもの。ハイ、女性の脚に注目。木の中からメリメリッと出てきている。そんな話はエデンの園になかった。それにリンゴも描かれていない。

この物語は

  トラキアの王女ピュリスがアテネの王デーモポーンという男性と結ばれる。
  色々と事情があってデーモポーンがピュリスを捨てる。
  ピュリスは自殺を図るが、哀れに思った神々によってアーモンドの木に変えられる。
  後悔したデーモポーンがその木を抱きしめると、幹からピュリスが現れた。

というもの。物語だけだと王子にキスされた白雪姫のようなハッピーエンド。しかしバーン=ジョーンズの絵では、どうみてもデーモポーンは厭がっているし、ピュリスは恨めしや〜な表情である。

よく調べてみると、この物語はピュリスとデーモポーンのギリシャ神話をベースにバーン=ジョーンズが創作したものらしい。オリジナルではピュリスが蘇ったりしない。

実は彼はマリア・ザンバコという女性と不倫関係になり、そのことで世間から批判され、またマリア・ザンバコとの仲がもつれると、彼女に公衆の面前で運河に飛び込むという自殺未遂を起こされたりと色々とツライ目にあっている(/o\)

そういうことが、芸の肥やしとなって絵に現れているのかな。



いい作品も見られたが、何かと不満の多い展覧会だった。ところでほぼ同じ時代の印象派なら年中といっていいほど、どこかで展覧会が開かれている。それと較べてラファエル前派は2〜3年おきくらいなのが残念。是非とも、次の展覧会は素敵な内容でありますように。


おしまい

wassho at 20:02|PermalinkComments(0) 美術展 

2019年06月24日

ラファエル前派の軌跡 その4

「滝」 ジョン・エヴァレット・ミレー 1853年

ラファエル前派は細部まで描き込むのがひとつの特徴。それでミレーはその細密な風景に人物を溶け込ませるのがうまい。そして最高傑作のオフィーリアもそうだが、これだけの絵を仕上げるのにどれだけのーーーと考えると半端なく力作なのに、眺めていてまったく気負いを感じないし、とてもナチュラルに目に入ってくる。本当にうまい絵というのは、そういうものじゃないかと思う。
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ちなみにモデルはラスキンの奥さんのエフィ。後にラスキンと離婚してミレーと結婚している。ラファエル前派の入り乱れた男女関係については書かないつもりなのに、つい触れたくなってしまう(^^ゞ



「結婚通知ー捨てられて」 ジョン・エヴァレット・ミレー 1854年

先ほど書いたことの裏返しになるのかもしれないが、人物しか描かれていない肖像画だとミレーはちょっと物足りないかな。それにこの絵は婚約破棄された女性の悲しみや屈辱を描いているらしいが、特にそんな感情は伝わってこない。
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「誠実に励めば美しい顔になる」 ウィリアム・ホルマン・ハント 1866年

ロセッティ、ミレーと並んでラファエル前派を立ち上げたメンバーの1人であるハント。でもなんとなく影が薄い。過去のラファエル前派展覧会のブログでも取り上げていない。際だった個性がないからかな。

この作品はタイトルがナゾ。もし今の世の中で、こんなタイトルをつけて作品を発表したら炎上しそう(^^ゞ それはさておき見れば見るほど味わいのあるスルメのような絵。ただし、これが「ラファエロ以前に戻ろう」というコンセプトに合致しているかどうかはよくわからない。でもこれはこれでいいんじゃないか。
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「リュートのひび」 アーサー・ヒューズ 1861-62年

キャンバスの上側が丸くて、草むらを背景に女性が横たわっていて、ましてラファエル前派の展覧会なら、どうしてもオフィーリアを連想してしまう。あれほど凄味のある絵ではないにしても。
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アーサー・ヒューズは初めて聞く名前。調べてみるとラファエル前派のメンバーではない。しかしロセッティらメンバーとの親交はあり、影響を受けていることは他の作品からも明らか。次の「音楽会」もそうだが、どことなく思わせぶりな雰囲気が作風みたい。


「音楽会」 アーサー・ヒューズ 1861-64年
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ラファエロ前派のコーナーには、他にフォード・マドクス・ブラウン、ジョン・ブレット、アルフレッド・ウィリアム・ハント、ジョン・ウィリアム・インチボルトの作品が展示されていた。そして次はラファエロ前派周縁というコーナーになるのだがーーー。

ラファエロ前派とはロセッティらが目指した運動に賛同した画家たちの総称ではなく、固有名詞のグループ名で、そのグループのメンバーがラファエル前派の画家である。それはロセッティ、ミレー、ハントら3人の立ち上げメンバーと、後から加わった次の4名。

   ウィリアム・マイケル・ロセッティ(ダンテ・ゲイブリエルの弟、批評家)
   ジェームズ・コリンソン(画家)
   フレデリック・ジョージ・スティーヴンス(批評家)
   トーマス・ウールナー(彫刻家)

ラファエロ前派の英語名はPre-Raphaelite Brotherhood。Brother-hoodは「兄弟分のちぎり」的なニュアンスでかなり強固な結びつき。逆にいえばメンバーとそうでないものとの区別は明確である。アイドルがみんなAKBじゃないのと同じ。

もちろん彼らの運動は大きな影響を与えたから、ラファエロ前派的なことを目指した画家たちを、今日においてラファエル前派グループとして括ることは不自然じゃない。

しかしである。
わざわざ「ラファエロ前派」と「ラファエロ前派周縁」というコーナーに分けておいて、「ラファエロ前派」のコーナーにメンバーじゃない画家の作品を展示するのはおかしいだろう。

もっとも4名のうち作家は2名だし、4名ともウィキペディアに載っていないほどマイナーな存在。それで作品を集められず、だからといってロセッティ(兄)、ミレー、ハントの3名の作品だけじゃコーナーが持たなかったんだろう。ただでさえロセッティ(兄)の作品が多くてバランスを欠いているのに。

そんな事情はわからなくもないが、この展覧会はラスキンのコーナーでケチがついているので、ついでに吠えてみたしだい。



さてラファエロ前派周縁の作品はウィリアム・ヘンリー・ハントから。


「ヨーロッパカヤクグリ(イワヒバリ属)の巣」 1840年頃
「果実ースピノサスモモとプラム」 1843年

いわゆるスーパーリアリズムな作品。ラファエロ前派は細部の描写をおろそかにしないから、そういう意味では方向性は同じ。でもなんとなくラファエロ前派な感じはしない。スーパーリアリズムは好きなんだけれど
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それにしてもウィリアム・ヘンリー・ハントは、立ち上げメンバーのウィリアム・ホルマン・ハントと名前が似ていてややこしい。



「初めて彩色を試みる少年ティツィアーノ」 ウィリアム・ダイス 1856-57年

この絵を見てどこかデジャヴ(既視感)な気持ちになる。すっかり忘れていたが、ウィリアム・ダイスの作品は初めて見たラファエル前派の展覧会にあった。「ペグウェル・ベイ、ケント州 1858年10月5日の思い出」という作品。

両者の共通点は細密な描写で、とくに風景はスーパーリアリズムな。しかし人物(この作品の場合は彫像も)は同じ細密でも少し描き方が違う。つまり1枚の絵に2種類の細密さが同居していること。これがなんとも不思議な感覚で魅力的。
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「アラン島の風景」 ウィリアム・ダイス 1858-59年

同じ手法だが、特に母親と思われる女性はフィギュアのように思える。それと描いている内容なのか明るい日差しのせいなのか、とてもアッケラカンとした印象になるのが面白い。
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ーーー続く

wassho at 23:51|PermalinkComments(0) 美術展 

2019年06月23日

ラファエル前派の軌跡 その3

展覧会は5つのコーナーで構成されていたが、その中でラファエル前派のコーナーだけは写真撮影が認められていた。
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初回のエントリーに書いたように、この展覧会はラ・フォル・ジュルネの公演の合間を縫って見に来たもの。つまり普段の展覧会と違ってデジカメ持参。ラッキーと思って撮ってみたがーーー


絵をまっすぐに撮るのは意外と難しい。カメラに左右の傾きがないように構えるのは当然として、前後の傾きもなくして作品の中央で構えないと、このように台形に歪んでしまう。テクニック的にはたいした話じゃないんだけれど、人がたくさんいる中で撮影ポジションを確保して、そういった確認を素早くすることに慣れていない。いつも適当にシャッターを押しているから。
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それに天井や作品を照らしている照明も映り込むし。モデルの顔の前にある縦の白い点々がそれ。右の二の腕にも大きめにひとつ映り込んでいる。これは避けようがない。(最後から2枚目の写真の天井に原因となった照影が写っている)
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じゃということで、壁に並んでいる様子を撮ってみたが、別に面白くもなし。
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というわけで会場風景を何点か撮っただけで撮影終了。
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ところで2枚目の写真は左側の絵がずいぶんと傾いているが、写真ほぼ中央にある壁の線を見てもらえばカメラが傾いていないことがわかる。カメラというのは、こういう風に意外と歪んで写るもの。カメラレンズの光学的特性によるものであるが、もう21世紀なんだから、見た通りに写るカメラを開発してほしいと常々思っている。


さてスマホが普及した現在は一億総カメラマン時代な状況。だから多くの人がこのコーナーではスマホを取り出していた。当然ながら人の流れは悪くなる。絵が画面にいい感じで収まるように撮影位置を前後したりするから、他人とぶつかることもある。幸い?ラファエル前派はあまり人気がない。だからそれほどの混雑にはならないので大丈夫という判断だったのかもしれないが。


欧米の美術館では一般に撮影がOKなところが多い。それに対して日本ではほとんど認められていない。それに不満だったが、ちょっと認識が変わった。図録(カタログのこと)のようには撮れないし、それに近いものを目指したら撮影的にも、人が途切れるタイミングを待つことも含めてとても時間がかかる。そんな人が増えたら大変だし、スマホで気軽に撮るだけでも混雑が増す。結構デメリットあるかも。

もっとも会場風景は記録というか思い出として残したいし、気に入った作品の前でピースサインやハートマークをしての記念撮影もしてみたいのだけれど(^^ゞ


ーーー続く

wassho at 15:46|PermalinkComments(0) 美術展 

2019年06月22日

ラファエル前派の軌跡 その2

ラスキン中心のコーナーの次は、いよいよラファエル前派の展示となる。
前回に書いたようにラファエル前派を始めたのは3名。その名前は

   ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ   (16)
   ジョン・エヴァレット・ミレー      (5)
   ウィリアム・ホルマン・ハント      (3)

名前の後ろにつけた数字はこの展覧会での作品数。なおミレーは「落ち穂拾い」のミレーとは別人。2人はほぼ同世代の画家。

ロセッティの作品が最も多いが、彼の作品は

   コッテリと濃い
   ジェイン・モリスという女性をモデルにした絵が多い。
   他の女性を描いてもジェイン・モリス顔になる(^^ゞ

という特徴がある。


「ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)」 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 1863-68年頃

この作品はラスキンに酷評されたらしいが、今回の展覧会のポスターにもなったようにいい絵だと思う。彼はどこが気に入らなかったのだろう。ロセッティは他のラファエル前派の画家たちより独自路線志向が強かったから、そういうことも影響しているのかもしれない。
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「シビュラ・パルミフェラ」 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 1865-70年

これを見るのは2度目。背景に目隠しされたキューピッドやドクロが描かれていたり、色々と読み解かなければいけない絵でもある。絵を眺めただけでそこまで理解することは難しいのだけれど、なんとなく美人を描いただけの絵じゃないことは雰囲気に表れている。
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「クリスマス・キャロル」 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 1867年
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「夜が明けて―ファウストの宝石を見つけるグレートヒェン」 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 1868年
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「ラ・ドンナ・デッラ・フィネストラ(窓辺の女性)」 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 1870年
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「ムネーモシューネー(記憶の女神)」 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 1876-81年
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はい、どれも同じ顔ですね。
この中でモデルがわかっているのは

    シビュラ・パルミフェラ → アレクサ・ワイルディング
    ラ・ドンナ・デッラ・フィネストラ(窓辺の女性) → ジェイン・モリス
    ムネーモシューネー(記憶の女神) → ジェイン・モリス

ジェイン・モリスというのはラファエル前派のメンバーであるウィリアム・モリスの奥さんであり、ロセッティの愛人でもあった女性。ラファエル前派というのはグループ内の男女関係が入り乱れていたのも特徴。ワイドショーだったら1ヶ月は放送できるくらいの分量になるので、このブログでそのテーマは省略。

ジェイン・モリスの写真。
撮られたのは1865年だからから26歳頃。
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1865


こちらは1898年の撮影で59歳頃。ずいぶんと印象が変わっている。
若い頃は髪が剛毛に見えるが、単にウェーヴをかけていただけだったのかな。
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ロセッティの描くジェイン・モリスを決して嫌いではない。ラファエル前派に興味を持ったきっかけは、2014年の展覧会のポスターに使われたロセッティの「プロセルピナ」という作品だったのだから。今回で2度目となる「シビュラ・パルミフェラ」だって、また見ることができてうれしかった。
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しかしブログの画像ではわかりにくいかもしれないが、ロセッティのジェイン・モリスあるいはジェイン・モリス似の女性像はコッテリと濃くヘビーなのである。今回それが9作品も並んでいたので胸やけした(^^ゞ

また胸やけするくらい強烈なので、他の作品の印象が少し薄くなってしまったことも否めない。このコーナーの作品数は36点。その中でロセッティは16点で半数近くを占めている。前回のエントリーで全体の中でラスキンの作品が1/4も占めることに不満を述べたが、ロセッティについても同じことがいえる。どうにもバランスの悪い展覧会である。


ーーー続く

wassho at 23:29|PermalinkComments(0) 美術展 

2019年06月21日

黄色のユリも咲いた

6月16日に初開花したユリ。
翌17日には2つ目も開花。
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雄しべの花粉にピントを合わせて。
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そして本日、黄色のユリも開花。
\(^o^)/といきたいところだが、ピンクのユリの間に咲いているし花は下を向いていて、あれこれアングルを工夫しても、まったくインスタ映えしない(ブログだけれど)。
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ところでピンクのユリの花びらはもう傷み始めている。16日から数えると本日は5日目。思ったより長持ちしない。

それと16日に、咲いたユリは商品写真と違ってまだら模様で、これから色が濃くなるのかなと書いたが、まだら模様のまま痛み始めたからそうではないみたい。まだら模様もキレイだが、もうちょっと派手な方がいいかな。


さてチューリップは3月22日に初開花を報告して以降、例年と違ってまったくブログを書いていない。その理由はーーーお察し願いたい(涙)

いずれ総集編は書くつもりであるが。

wassho at 21:44|PermalinkComments(0)   *チューリップ以外 

2019年06月20日

ラスキン生誕200年記念 ラファエル前派の軌跡

ポスター

5月のゴールデンウィークにラ・フォル・ジュルネ(クラシックの音楽祭)の公演の合間を縫って見に行った展覧会。他にいろいろブログにすることが多かったのでようやくの投稿。

ラファエル前派については過去に2回の展覧会を見に行き、それを5回のブログにしている。
あれこれ読みたければそちらをどうぞ。

   ラファエル前派その1
   ラファエル前派その2
   ラファエル前派その3

   英国の夢 ラファエル前派展その1
   英国の夢 ラファエル前派展その2

ラファエル前派って何?ラファエロの間違いじゃないかと思ったくらい、最初の展覧会に行くまで、このカテゴリーのことは知らなかった。ごくかいつまんで書くと、

  19世紀中頃のイギリスではルネサンス期、特にラファエロを手本にした
  権威主義的な絵画が主流だった。
    ↓
  それに反発した3名の美術学校の学生が、1848年にラファエロ以前に戻ろうと
  結成したグループがラファエル前派。
        ※ラファエルはイタリア語のラファエロの英語読み
    ↓
  こういう動きは当然として美術界から反感を買う。その彼らを擁護し支援したのが
  ジョン・ラスキンという大物の美術評論家。
    ↓
  ラファエロ前派のグループ自体は1853年には事実上解散したが、その考え方は
  その後も広がりを見せる。ほぼ同じ時代の象徴派と並ぶ影響があったという説もある。

イギリス、若者、反抗という点から、ラファエル前派は何となくビートルズとイメージが重なる。さしずめジョン・ラスキンがビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティン。

それはともかくラファエル前派の絵画を私はたいへん気に入った。どこがどうよかったのかは過去のブログを読んでほしい。だからこの展覧会も楽しみにしていた。



しかし最初に書いておくと、期待値が高かったからかもしれないが、この展覧会はイマイチの感が否めず。これが初めて見るラファエル前派だったら、ラファエル前派は私のお気に入りのカテゴリーになっていなかったかもしれない。

その要因の1つは展覧会のタイトルに「ラスキン生誕200年記念」とあるように、ラスキンに重きを置いたコンセプトや構成にある。

全展示152点のうちラスキンが40作品、つまり1/4を占める。しかも展覧会のほぼ出だしからである。そして、そのほとんどがツマラナイ(/o\)

ラスキンが当時の美術評論家としてかなりの地位と名声を得ていたことは間違いない。しかし画家としては40作品も展示するレベルにはまったく達していない。ジョージ・マーティンだってピアノを弾いたし、ひょっとしたら歌も歌ったかもしれない。でもそれをレコーディングするなんてことはしなかった。三菱1号館美術館にはラスキンの熱烈なファンでもいるのだろうか。


ところでラスキンはラファエロ前派より1世代ほど前のイギリス屈指の風景画家であるターナーとも親しかったことで有名。そういうことから展覧会はターナー作品から始まる。しかしラファエロ前派の画家たちは当然ターナーの絵を見ているはずだが、彼らがターナーから直接的な影響を受けた形跡はない。「ラスキン生誕200年記念」だから仕方ないが、ラファエル前派的にはターナーを一緒に並べる意味はないし雰囲気的にも合っていない。

まあ数年ぶりにターナーの絵を何点か見られたのはよしとするが。

「エーレンブライトシュタイン 破壊される要塞」 ターナー 1819-20年
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「エーレンブライトシュタイン」 ターナー 1832年頃
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「カレの砂浜――引き潮時の餌採り」 ターナー 1830年
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仕方ないので、ラスキンの作品も紹介。

「モンブランの雪―サン・ジェルヴェ・レ・バンで」 ジョン・ラスキン 1849年
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「ストラスブール大聖堂の塔」 ジョン・ラスキン 1842年
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「高脚アーキヴォールト:カ・フォスカリ川岸、ビザンツ帝国期の廃墟−ヴェネツィア」
 ジョン・ラスキン 1849年
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1枚目は観光地でキャンバスを立てて写生しているオッサン・オバハンの絵と変わらない。2〜3枚目は描写が細かいので小さな画像だと多少はマシに見える。残りの作品のほとんどはこの3枚以下のレベル。もっともラスキンの立場に立って考えると、彼はよく旅行をしている。この時代にカメラは発明されていたが、持ち運んで風景を撮るレベルの実用性はなかったはず。美術評論家として興味を持った風景の記録用、研究用に描いたものなんじゃないかな。まさか生誕200年の展覧会が外国で開かれるなんて予想だにしていなかったと思うけれど。

ラスキンの絵をさんざん見せられた後に、ようやくラファエル前派の作品になる。
しかし、そこでもいろいろ問題が。


ーーー続く

wassho at 08:28|PermalinkComments(0) 美術展 

2019年06月18日

初めての入院 その13

退院してから3回目の通院。

前回は血液検査の結果が思わしくなかった。今回も少し改善した程度で無罪放免とはならず。体調的にはまったくノーマルなのに、どこが悪いのだろう。

とりあえず抗生剤はやめて2週間様子を見ることになった。薬を飲まないのだから、そんなに心配することはないだろうと自分に言い聞かせる。


その抗生剤。抗生物質という名前の方がなじみがあるが、抗生物質を薬にしたものを抗生剤というみたいだ。抗生物質は「微生物が産生し、ほかの微生物の発育を阻害する物質」という定義。だから平たくいうと細菌を壊したり増えるのを抑える薬が抗生剤である。ちなみに世界で最初に開発されたのはペニシリン。名前だけはよく知っていたが、調べてみると肺炎、梅毒、喉頭炎、中耳炎などに効く薬だった。それぞれの病気につながりはなさそうに思えるが。

私が処方されていた抗生剤をネットで調べると、細菌のDNA複製を阻害し、殺菌作用があると書かれていた。適応する疾患は

   肺炎、慢性呼吸器病変の二次感染、急性気管支炎、乳腺炎、肛門周囲膿瘍、
   咽頭・喉頭炎、扁桃炎(扁桃周囲炎、扁桃周囲膿瘍を含む)、腎盂腎炎、
   前立腺炎(急性症、慢性症)、精巣上体炎(副睾丸炎)、尿道炎、感染性腸炎、
   腸チフス、パラチフス、コレラ、涙嚢炎、麦粒腫、瞼板腺炎、外耳炎、中耳炎、
   副鼻腔炎、化膿性唾液腺炎、歯周組織炎、歯冠周囲炎、顎炎、炭疽、ブルセラ症、
   ペスト、野兎病、Q熱、結核、膀胱炎、表在性皮膚感染症、深在性皮膚感染症、
   リンパ管・リンパ節炎、慢性膿皮症、痤瘡(化膿性炎症を伴うもの)、
   外傷・熱傷および手術創等の二次感染、胆管炎、胆のう炎、バルトリン腺炎、
   子宮内感染及び付属器炎、子宮頸管炎

と、これまた幅広い。
どうでもいいけれど「ブルセラ症」なんて名前の病気があるんだ。


この抗生剤の効果はすぐわかる。飲むとウンチがクッチャくなるから。抗生剤は細菌に作用するものの、都合よく悪い細菌だけをやっつけてはくれない。腸内には善玉菌と悪玉菌がいる。FZ医師によるとこの抗生剤は両方の細菌をやっつけてしまうとのこと。善玉菌がいなくなるとウンチがクッチャくなるのだ(^^ゞ

ということは今、私の腸には善玉菌はいないけれど悪玉菌もいない。だから「善玉菌を増やす」とうたっているヨーグルトやサプリメントを摂れば善玉菌だらけになるのかな?


今回の検査で無罪放免にはならなかったが、普通の生活、食事をしていいし、飲み過ぎなければアルコールもOKという許可も出た。まあ仮釈放といったところかな。

というわけで病院から自宅に戻ってきた昼過ぎに祝杯(^^ゞ
まだ先はあるだろうが、ここまでの道のりも長かったゼ。
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ーーー続く

wassho at 20:50|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2019年06月17日

ハマキムシが発生(>_<)

もう決して満開にはならないとしても、年末年始には赤い花を咲かせて、それなりに楽しませてくれるクリスマス・カクタス。写真は去年のクリスマスの様子

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例年はゴールデンウイーク頃に伸びた葉を剪定する。剪定といっても節状になっている葉の先を適当にちぎり取るだけだが。

しかし今年はゴールデンウイーク中にやりそびれ、そして5月10日からまさかの入院。28日に退院したものの、お腹にチューブが挿されたままの状態だった。というわけで1ヶ月以上遅れた昨日に剪定をすることに。

ベランダに出てクリスマス・カクタスを見ると、

    ナンジャ!! この黒いツブツブは!!!

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アップで。
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地面にも黒いツブツブがいっぱい。
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明らかに虫、すなわち害虫の糞である。
私のガーデニング生活はクリスマス・カクタスから始まったようなものだが、
こんな経験はしたことがない。

剪定は中止してネットで調べる。
どうやらハマキムシという害虫のようである。葉にくるまって隠れるのが葉巻虫の名前の由来らしいが、クリスマス・カクタスのような分厚い葉まで襲うとは。



この時点で虫のようなものは見当たらなかった。
とりあえず葉についた糞を古い歯ブラシでこすり落とす。

よく見ると被害甚大(/o\)
ハマキムシに食われてクリスマス・カクタスの葉がとても細くなってしまっている。
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左側があまり食われていない葉。
中央と右側は食われて細くなった葉。
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それにしてもすごい糞の量である。いつからいたのだと過去の写真を調べて見る。
すると、これは5月29日に撮った写真。異常なしのように思えるが、
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画像を拡大してみるとハマキムシがいた!
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つまり少なくとも5月29日から、約2週間半も食われぱなしだったことになる。
許してくれクリスマス・カクタスm(_ _)m


歯ブラシで糞を落としているときに念入りに観察したがハマキムシはいなかった。もう食い飽きてどこかへ行ったかと思ったら、土の表面のゴミを取り除こうと土を触っていると、土の中からハマキムシが出現。こいつらは危険を感じると土の中に隠れるみたい。
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ハマキムシは意外と速いスピードで移動する。
もちろん地面に落として踏みつけた。
その写真も撮ってあるが、グロいので掲載は自主規制(^^ゞ

出てきたハマキムシは2匹。プランターに割り箸を突っ込んで徹底的に捜索した。ほかの植物も確認する。どうやらもう大丈夫そう。


糞を落とし剪定も済ませたクリスマス・カクタス。葉先だけでなく食われた葉も根元近くからチギったので、相当にスカスカな状態。最初の写真と較べるとあまり違いがないように見えるが、5月29日の写真と見較べてほしい。逆にいえば、5月29日から葉を食われて、徐々にスカスカになった変化に気がつかなかったことを後悔。かなり心配だが、夏になれば葉がたくさん伸びてくるはず。しかし、またハマキムシがやってこないか今年は要注意観察が必要かも。
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それにしても小さなベランダでハマキムシ2匹で大騒ぎである。無農薬で栽培している農家ってたいへんだろうなと、あらぬ思いをいだいたハマキムシ初体験。

wassho at 23:58|PermalinkComments(0)   *チューリップ以外 

2019年06月16日

ユリが咲いた!

人生で初の入院をするなど、
令和になってからズッコケ感が否めないけれど、
本日めでたくユリが初開花\(^o^)/

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初発芽したのは3月17日なので、それから3ヶ月での開花となる。
半分咲きかけているのがあと1つ。昨日はどちらもこの状態だった。
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ツボミはたくさんあるので、これからが楽しみ。
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これは2週間ほど前の5月29日の写真。
ベランダのフェンスは1m20cmあるからユリというのは背が高い。
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ところで購入した球根はこの3色。
今は白とピンクのまだら模様だが、これからきれいなピンクになるのかな?
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何色でもいいから、たくさん咲いて、
入院で凹んだ私を楽しませておくれ。

wassho at 17:11|PermalinkComments(0)   *チューリップ以外 

2019年06月11日

初めての入院 その12

本日は退院してから2回目の通院日だった。

病院に着くとまず採血、そしてCT撮影。

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CTはレントゲンの一種だけれど、コンピューター断層撮影(computed tomography)の名の通り身体を断層=輪切りにして撮影できる。

一般のレントゲンはX線照射装置→身体→画像センサー(昔ならフィルム)の順に並んで撮る。デジカメに置き換えるなら太陽光線→被写体→画像センサー。つまり撮影は一方向からのみ。

一方でCTは円周上全域に画像センサーが配置され、身体を円の中に置いて、X線照射装置が円周上をグルグル回って360度全方向から撮影する。またベッドがスライドして身体の広い範囲を撮影する。それで得られた画像データをコンピューターで合成して、広範囲の輪切り画像を得られるという仕組み。

説明がよくわからない? 
じゃ習うより慣れろというから、病気になってCTの検査を受けてみて(^^ゞ


その2つを終えてから診察室に入る。もう体感的にはまったく異常はないので「よかったですね、すっかりよくなりました」という言葉を期待していたのだがーーー

CT撮影はお腹の中にまき散らした膿の状態を確認するためのもの。FZ医師によれば当初の5%位になっているとのことでひと安心。輪切り画像を見ながら説明してもらったが「これが内蔵です、これが膿です」と表示されるわけではなく、また内蔵も膿も同じグレーの影みたいなもので、その微妙な形を読み取って判断している。ほとんど職人技。

ところで今回の入院は、最初に診察を受けたMG病院のUZ医師が盲腸ではないと判断し、その後に上がってきたCTの詳細レポートなるものに「盲腸の疑いあり」と記載されていたことで対応が遅れた。医療関係の友人にそのことを尋ねると「CT画像を読み取るのが得意な先生と、そうじゃない先生がいる」とのこと。そうじゃない先生は専門の技師かなんかにレポートを依頼するらしい。なんとなく内科医より、手術で身体の中を直接見ている外科医の方が信頼できそうな気がする。


それはさておき問題は血液検査の結果。ある項目が入院時より悪化しているらしい。原因はいろいろ考えられるのだが、悪いケースの想定は、説明を聞くのもブログに書くのもビビる内容だから書かないでおく。

それで今回は、前回の通院までで投与を終了していた抗生剤をまた飲むことになった。5%残っている膿が影響しているという判断なのだろうか。そのあたりはあまり詳しく尋ねなかった。



ーーーというわけで不本意ながら、まだ続く。
とりあえずは元気なんだけどなあ。

wassho at 18:26|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2019年06月10日

お粥についての誤解

先日、入院していた時のこと。
最初の1週間は食事がなく点滴での栄養補給のみ。これは腸を安静にする=働かせないための措置。

病院食が始まったのは8日目から。最初は中粥食という五分粥とおかずの組み合わせ。五分粥とはお粥(かゆ)と重湯(おもゆ)が半々程度のお粥。

<これが五分粥の病院食 米粒はほとんど重湯に隠れている>
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やがて中粥食から軟菜食メニューに変更になった。おかずも1皿増えたが、いちばんの違いは五分粥が全粥に変わったこと。全粥とは重湯のスープがない普通のお粥である。

<これが全粥の病院食 米粒が見えている>
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そしてそのお粥。入院中にも書いたが味がなくて、五分粥はスープみたいなものだからなんとか我慢できても、全粥はとても食べにくかった。それで病院内の売店で振り掛けを買って使っていた。
振り掛け

それにしてもお粥とは水の量を多くして柔らかく炊いた米であって、基本的にはご飯と同じもののはず。ご飯は味付けなしでも不満はないのに、お粥だとなぜまったくおいしくないのか不思議だった。


さて退院して2週間近くたつのに、現在もお粥を食べている。たまにパンの時もあるし、おかずだけの場合もあるけれど、主食は基本的にお粥である。退院するときに医師から食事についての注意は特になかった。でもまあ消化に良いものは常識だろうと思って選んだお粥が、なぜかいまだに続いている。体が欲しているのか、あるいは気持ち的にビビっているのかはわからない。とにかく今のところ普通のご飯を食べる気にはならないでいる。


もちろんお粥はレトルトである。
写真はスーパーの棚。写真には入っていないが、もう2〜3種類ある。
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病院での経験を踏まえて具入りの味付きのお粥を買っていた。でも、もうそれぞれ何回も食べたし、そういえば病院で買った振り掛けも残っているのを思い出し、写真の右から二番目の、特別栽培の魚沼産コシヒカリ100%だという「魚沼白がゆ」を先日買ってみた。これは具が何も入っていない、味付けのないプレーンなお粥である。

     食べた。
     美味しかった!

つまりお粥はご飯と同じ程度おいしいものであって、病院のお粥に味がなくてマズいと感じたのは、味がなかったからではなくて、単に病院のお粥のレベルが低かっただけだとわかった。普段はお粥なんて食べないので、そのことに気づかなかったというか、そう判断をする情報を持っていなかった。


やはり何事も経験は大事。
そしてお粥の名誉回復のためにこんなブログを書いた(^^ゞ

wassho at 08:56|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2019年06月08日

奇想の系譜展 その4

鈴木其一 (すずき きいつ 1796-1858)

琳派(りんぱ)については以前に書いたから解説は省略する。琳派最後のスーパースターである酒井抱一(さかい ほういつ)の弟子が鈴木其一である。

その琳派の歴史は安土桃山後期に遡り江戸後期まで続く。そのトリを飾ったといってもいい鈴木其一がどうして奇想などという傍流のレッテルを貼られるのか。

最初のエントリーに書いたように、この展覧会は辻惟雄が1970年に出版した「奇想の系譜」という書物をベースにしている。ただしそこで取り上げられているのは6名の絵師で鈴木其一は含まれていない。この展覧会を監修したのは辻惟雄の門下生といってもいい山下裕二という美術史家・評論家。そして最近の彼はかなり鈴木其一「推し」である。それには伊藤若冲の大成功によって、この業界は第2の若冲発掘に躍起という背景がある。そこで本来は「奇想の系譜」とは関係ない鈴木其一を監修者権限で展覧会にブッ込んできたのではないか。まあ美術の世界だっていろいろと「大人の事情」はあるだろう。ちなみに展覧会に出展されているのは8名で、本に載っていないもう1人は白隠彗鶴である。

そんな邪推が当たっているかどうかは別として、琳派好きとしては鈴木其一を見ることができてよかった。ただし作品数が少なかったのが残念。


「百鳥百獣図 ひゃくちょう・ひゃくじゅう・ず」 1843年

琳派らしさは横に置いて、ちょっと「若冲入っている」ような作品。また伊藤若冲、長沢芦雪に続いて鈴木其一も象を描いている。なぜか3人とも白い象。元ネタが白く描いていたのかな。そして象の後ろにはラクダまで。象より大きいのは本物を見たことがなく、正確な情報もなかったからだろう。数多くの鳥や動物が描かれていて、また想像上のものもあって楽しく見飽きない作品。
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「四季花鳥図屏風」 1854年

同じ金箔ベースでもグイグイ押してくる狩野派は、やはり武家屋敷や寺社に置かれるのがふさわしい。しかし琳派の金箔はもっと肩の力が抜けていて、現代のリビングルームでもマッチするモダンさがあると思う。相当に広くて他のインテリアも絵に負けないリビングという条件はつくけれど(^^ゞ

右隻の水の中から伸びているのはアヤメの類で、他の花の種類は具体的にわからないが、おそらく開花時期の違いは無視した花のラインナップ。花好きとしてはそこに違和感を感じざるを得ないが、まあ賑やかでいいか。

なお作品は六曲一双の屏風だが、左隻はその左半分の画像しか見つからなかったので画像のサイズが揃っていない。
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「貝図」 

後ろにある植物は梅の実だと思う。白と黒の縞があるのはたぶん赤貝。だとしたら貝殻表面の凹凸が描かれていないから、一見すると写実的に見えるが実はそうでもないことになる。中途半端な絵ともいえるが、何ともいえない雰囲気と落ち着きを感じるのは鈴木其一の力量なのだろう。
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歌川国芳 (うたがわ・くによし 1797-1861)

歌川国芳の自由奔放な発想も奇想と呼ぶのにふさわしい。現在、歌川国芳は多くのファンがいて、また江戸時代にも人気絵師だったのに、奇想の系譜が出版された1970年当時は「その他大勢」の扱いだったということに驚く。


「一ッ家 ひとつや」 1855年

この絵は初めて見たし、歌川国芳にこんな作品があるとはまったく知らなかった。縦2.28m横3.72mの巨大なサイズと描かれている内容で迫力満点である。何を表現しているかというと

  浅草に老婆と娘が住んでいた。最初は男と思ったが、よく見れば垂れ乳である(^^ゞ
  老婆は旅人を泊めては殺し金品を奪っていた
  娘はそれに反対だった
  ある日、童子に化身した観音菩薩が宿泊する
  いつものように殺害しようとする老婆、それを止めようとする娘

というシーン。この先はどうなったのか調べてもわからなかった。また観音菩薩はなぜあまり金品を持っていない童子に化けたのかも疑問。しかしこの絵の前に立つと、そんなことは気にならずに、ひたすらその迫力に押されっぱなしになる。

ちなみにこの絵は吉原遊廓の主人がパトロンとなり浅草寺に奉納された(吉原は浅草の近くにある)。しかしこの絵で、信者あるいは参拝客に何を訴えたかったのかな?
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ここから先はいつもの歌川国芳ワールドの浮世絵。
ビジュアルとタイトルだけで楽しめるので解説はナシ。

「相馬の古内裏 そうまのふるだいり」1845年頃
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「宮本武蔵の鯨退治」 1847年
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「鬼若丸の鯉退治」 1845年頃
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「龍宮玉取姫之図」 1853年頃
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そして歌川国芳といえば人体で描かれた顔もはずせない。

「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」 1847年頃
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奇想という言葉を奇想天外、奇抜という解釈で捉えると、方向性は違ってもまさに奇想と思えるのは曽我蕭白と歌川国芳。また「山中常盤物語絵巻」に感じられる岩佐又兵衛の狂気を含めてもいい。狩野山雪と鈴木其一は、この展覧会にあった絵を見る限り正統派に近い絵師に思えた。長沢芦雪はユニークではあるが奇想というほどではない。白隠慧鶴は他の絵師とはジャンルが違うといえるし、その画風もちょっと変わっている止まり。ただし布教の手段として絵を用いるという行動は奇想と呼べるかもしれない。

引っかかるのは伊藤若冲。現在の視点で彼の絵を見れば堂々たる日本画としか思えない。一部にお茶目な作品もあるが、それをもって奇想とはいえない。しかしバッハやモーツァルトの時代にワーグナーやマーラーの音楽を演奏すれば、同じクラシックではなく別のジャンルの音楽に感じたかもしれない。あまりに違うので拒否反応もあっただろう。そう考えると伊藤若冲は奇想だったという想像も働く。わかりにくい例えでゴメンm(_ _)m

別に奇想という言葉にこだわっている、あるいは否定しているわけじゃない。ちょっと面白いキーワードあるいはカテゴリー分類だったので引き込まれただけ。そういう意味では右脳だけでなく左脳にも刺激を受けた展覧会だった。それにバラエティに富んだ作品を見られていい企画だったと思う。西洋の絵画と較べて古い日本画はどうしてもワンパターンな印象が拭えない。それを覆すような展覧会を今後も期待する。


おしまい

wassho at 16:43|PermalinkComments(0) 美術展 

2019年06月06日

奇想の系譜展 その3

狩野山雪 (1590〜1651年)

狩野と名前がついているのでもちろん狩野派の絵師である。狩野派といえば室町時代から江戸時代までの400年間にわたり、日本画の中心であった本流中の本流。つまり奇想とは真逆の存在。しかし狩野山雪が奇想の画家として取り上げられているということは、狩野派の中にも跳ね上がりの絵師がいたのか?

ーーーという期待をしたが、作品を見る限りごくオーソドックスで「狩野派 正統日本画展」という展覧会に展示されていたとしても違和感のないものが並ぶ。どうしてこれが奇想なのか。見る目のある人なら狩野派としては斬新なところがあるのだろうか。私の感性と教養では何もわからず。


「梅花遊禽図襖 ばいか・ゆうきん・ず・ふすま」 1631年

不自然に曲がった梅の幹がアバンギャルドな表現といえなくもないが、全体的には威風堂々とした正統派。
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「龍虎図屏風」

龍と虎はよくある組み合わせ。どちらも強さの象徴。それにしてはこの屏風絵は変わっている。まったく覇気がない。龍は悩んでいるあるいは困ったような顔つき。虎は龍を見上げてはいるが睨んではいないし、前脚を揃えて従順なポーズ。それが面白いとか、そのような表現に何か美術史的な価値があるとは思わないが、珍しい作品であることは確か。
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「武家相撲絵巻」

全12巻の絵巻。日によって場面を入れ替えての展示。もう記憶が曖昧で貼り付けた画像が私が見たものかどうかの自信はないが、どれも似たような絵なので差し支えないかと。

描かれているのは平安や鎌倉の時代の相撲らしい。相撲を取っていない人の服装から1〜2枚目が平安時代で、3枚目が鎌倉時代かな。逆にいえば、その程度しか違いがない。
それにしても2枚目は投げ飛ばしすぎやろ(^^ゞ
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白隠彗鶴 (はくいん・えかく 1685〜1768)

臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧。禅宗には「言葉に頼るな」という教えがあるらしく、それで絵を仏教の教えを伝える手段として用いたとされている。そういう点ではこの展覧会の他の絵師とは絵に対するスタンスが異なる。


「達磨図」 1727年頃 静岡・永明寺蔵
「達磨図」 1768年頃 大分・万寿寺蔵

いつ何で知ったのかは忘れたが、この2つの達磨図を最初に見たときのインパクトは強烈だった。永明寺の達磨図を見たのは中学か高校の頃だったような気がする。ダルマといえば縁起物の置物だと思っていたのに、それが人間で僧侶で、こんな険しい顔をしているることにビックリした。万寿寺のほうは大人になってからだと思うが、まるでポップアートのような作風が印象的だった。これらが同一人物の作品だと知ったというか認識したのはずっと後になってから。それを2つ一緒に眺められる日が来るとは。

ちなみに達磨はインド人の僧侶で禅宗の開祖。白隠彗鶴は禅宗である臨済宗の僧侶だから、開祖である達磨の絵を多く描いたというわけ。白隠彗鶴の絵は現存するだけで1万点以上あるとされ、そのうち達磨図は200点ほどらしい。
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「蛤蜊観音図 はまぐり・かんのん・ず」
「布袋図 ほてい・ず」
「鍾馗鬼味噌図 しょうき・おにみそ・ず」

どれもユーモラスな作風。この絵を見せながら楽しく説法をしたのかも知れない。それぞれに書かれている文章をまったく読めないのが残念。

蛤蜊観音図は中国の皇帝がハマグリを食べようとしたら、中から観音様が現れたという言い伝えがベース。
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ボッティチェリのこの絵と結びつけるのは、もちろん無理がある(^^ゞ
ヴィーナス


布袋図の文章が書かれている紙はメビウスの輪のように捻れているとのことだが、解説されないと気がつかないかな。
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鍾馗(しょうき)とは中国の道教の神様。彼がすり鉢に入れた鬼をすりつぶして味噌にしている様子らしい。それがどういうメッセージなのかはよくわからないが、少なくともそんなんに恐ろしいシーンには見えない。
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全般的には漫画に近い画風の白隠彗鶴。面白おかしい感じこそすれ奇想という印象は受けない。なぜか奇想というカテゴリー分けに文句ばかり言っている。


ーーー続く

wassho at 23:08|PermalinkComments(0) 美術展 

2019年06月05日

奇想の系譜展 その2

曽我蕭白 (そが しょうはく 1730-1781)

曽我蕭白の絵を見たのは過去に数回しかない。それでも一目見たら忘れられないインパクトがあるので、回数の割には強く記憶に残っている絵師である。

奇想というのがこの展覧会のテーマなら、8名の中で最もその言葉が当てはまるのは曽我蕭白だろう。別の言葉でいえば不気味な絵を描く。どうしてこんな絵を?と思ってしまうが、美術部でもそういう連中は必ずいるし、またホラー映画が大好きな人もいる。その彼ら彼女らが不気味な人間かというとそんなことはないから、一定の割合で特に深い理由はなく、そういうことを好む(ごく普通の)人間がいるものなのだ。だから曽我蕭白は一般受けしなくてもニッチなマーケットでのニーズは高かったと思う。


「群仙図屏風」 1764年頃

墨絵を背景に人物はカラーで描いた作品。六曲一双の屏風で上の画像が右隻で下が左隻。
なお画像はすべてクリックすると大きくなる。

左隻に描かれている女性を除くと、他は子供も含めて醜く気味が悪い。そして描かれている大人は仙人というのだから訳がわからなくなる。ある意味、軽くクラっとする快感を楽しめる作品。
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「雪山童子図 せっせん・どうじ・ず」 1764年頃

この絵に不気味さはない。それでも描かれた当時は充分にアバンギャルドだったはず。

子供が鬼と遊んでいるように思えるが、実は子供は修行中の釈迦。そして鬼は帝釈天が姿を変えて現れたもの。鬼はある仏教の教えを釈迦に伝える。そしてもっと教えてもいいけれど、お腹が空いているから教えた後はお前を私に食わせろという。この作品は釈迦が残りの教えを聞いた後、鬼に食べられるために木から飛び降りるところが描かれている。つまり釈迦の修行への熱意を表現した宗教画。もちろん釈迦が飛び降りた瞬間に鬼は帝釈天に戻るから食われはしない。

  そんなストーリーはよほど仏教に詳しくないとワカランワ(^^ゞ

しかし絵は変わっていても、こういうテーマを選んで描くのだから、曽我蕭白がイカれたサイコ野郎じゃないことは確かだ。
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「美人図」 1764年頃

美人画も曽我蕭白が描くとこうなる。彼女が手にしているのは噛みちぎってボロボロになった手紙である。着物も着崩れているし表情もどこか虚ろ。つまりこれは江戸時代のメンヘラ女子!
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長沢芦雪 (ながさわ ろせつ 1754-1799)

長沢芦雪は円山応挙の弟子である。
奇想という印象はなくオーソドックスが画風に思えるのだが。


「龍図襖」 1786年頃
「郡猿図襖」 1795年
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「白象黒牛図屏風」 1795年頃

奇想とは思わないが、画面いっぱいに描かれた象と牛がユニーク。またそれぞれカラスや犬が小さく一緒に描かれているのも特徴。明らかに見る人を意識していると思う。表現を変えればウケ狙い。また伊藤若冲も同じ頃に象を描いているから、流行りのテーマだったのかな。
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「なめくじ図」 

さらにユニークなのがこの作品。大きさは約30センチ四方。ということは掛け軸に入れて床の間に飾る絵。そこにナメクジ、しかもほとんどが這った痕。シャレで描いたのだろうか。長沢芦雪は憎めないね(^^ゞ
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「方広寺大仏殿炎上図」 1798年

大仏といえば奈良か鎌倉だが、かつては京都に東大寺より大きな大仏があった。建てたのは豊臣秀吉で完成したのが1595年。しかし翌年の地震で倒壊。1598年に秀吉が亡くなると、1599年に息子の秀頼が再建を開始。しかし1602年に大仏に銅を流し込む際に火災が発生。この作品はそれを描いたもの。

その後また再建を図り1614年にはほぼ完成するが、同時に製作した鐘の銘文に「国家安康」「君臣豊楽」と書かれていることに家康がイチャモンをつけ、それが大坂冬の陣へつながっていく。教科書ではその鐘のことしか習わなかったかな。いずれにせよ豊臣家にとっては踏んだり蹴ったりの方広寺である。

絵はとてもシンプル。スケール感は全くないから、方広寺という大寺院が炎上しているのか、その辺の建物が火事になっているのかは見ただけではわからない。でも方広寺の火災のことを知識として知っていると、迫力のある絵に感じられるから不思議。それと左下の文章(署名?)の一部が炎と同じ朱色で書くセンスが気に入った。
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「山姥図 やまんば・ず」 1797年頃

かつて1990年代に渋谷にもたくさん生息していたヤマンバ(^^ゞ 改めて調べてみると「山奥に住む老女の妖怪」らしい。ドキッとするような顔つきで描かれている山姥だけれど、曽我蕭白を見た後ではそれほど驚かない。

ところでこの山姥は山姥界でも有名な山姥なのである。彼女に手を取られているのは「♪マサカリかついだ金太郎」の金太郎。クマと相撲を取って勝ったあの金太郎である。金太郎の誕生にはいろんな説があって、人間の女性が人間の子供をシングルマザーとして産んだ、山姥が雷神の子供を産んだ、あるいは相手は龍だったとか。おとぎ話のフィクションンなのにバリエーションがあるのが面白い。
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岩佐又兵衛(いわさ またべえ 1578-1650)

「奇想の系譜」の著者である辻惟雄(つじ・のぶお)は岩佐又兵衛に触発されて本を書き始めたらしい。私は今まで知らなかった絵師。

しかし経歴を調べると戦国武将の荒木村重(あらき むらしげ)の息子だというから驚いた。荒木村重というのは織田信長の有力武将であったが、なぜか(理由ははっきりしない)謀反を起こし、信長に女性を含む家族や一族郎党1000名近くを皆殺しにされている。わからないことが多いだけに、歴史的には何かと気になる人物。本人が生き延びたことは知っていたものの、当時2歳だった息子がいて、それが絵師になっていたとは初耳。

岩佐又兵衛は絵巻物で有名らしい。この展覧会でも3作品が出展されている。絵巻とは横長の巻物に絵と文章でストーリーを綴ったもの。なぜか私はいつも巻絵といってしまう。


「山中常盤物語絵巻 やまなか・ときわ・ものがたりえまき」

源義経がまだ15歳で牛若丸だった頃、平家討伐のために奥州(東北地方)へ出向く。母親の常盤御前は彼の後を追うが、途中の宿で盗賊に襲われ惨殺される。後日に母を殺されたことを知った牛若丸が、その盗賊に復讐するという物語。全12巻、総延長150mという大作。なお山中というのは襲われた宿が山の中にあったから。

展覧会では第4巻と5巻の入れ替え展示。私が見たのは第5巻だが、適当な画像を見つけられなかったので他の巻も含めて貼っておく。そして、これがとんでもないスプラッター(殺害・血しぶき)絵巻なのである。


第3巻 牛若丸の元へ向かう常盤御前。
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第4巻 宿に押し入る盗賊。
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第4巻 常盤御前が襲われる。
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第5巻 宿の主人に看取られながら常盤御前は絶命。
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第9巻 牛若丸が盗賊に復讐を果たす。
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今ならR指定かな。これでもかと残酷なシーンが続く。注目すべきは常盤御前を殺害する盗賊も、盗賊に復讐する牛若丸も「嬉々として」人を殺していること。この物語自体はフィクションだから「嬉々とさせて」いるのは岩佐又兵衛の演出である。そこには奇想というよりは狂気を感じる。

それで思い出すのは岩佐又兵衛が荒木村重の息子だということ。彼の母親は荒木村重の謀反の失敗によって首をはねられている。そのことが影響しているのか。しかし、それは岩佐又兵衛が2歳の出来事だから記憶はないだろうし、また彼は事前に乳人に連れられて逃亡しているので現場を目撃したわけでもない。

じゃこの狂気はどこから来ているのか。それはあれこれ想像するしかないし、本人が書いた解説でも出てこなければ永遠にわからないだろう。ひとつだけ言えるのは、こういうスプラッターものには熱烈なファンがつくということである。



「官女観菊図  かんじょ・かんぎく・ず」
「伊勢物語 鳥の子図」

凄惨なスプラッターを描く一方で、岩佐又兵衛はまったく180度正反対の、まるで平安時代のような穏やかな作品も残している。ふたつめに言えるのは、ゲージュツ家の心理を理解するのは不可能(^^ゞ
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「柿本人麻呂図・紀貫之図 かきのもと・の・ひとまろ・ず・き・の・つらゆき・ず」

柿本人麻は飛鳥時代、紀貫之は平安時代の歌人。どちらも偉人というべき存在。それをユーモラスに、そしてやや中国風に描いている。そういう型にはまらない自由な発想は好きである。
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「妖怪退治図屏風」

江戸時代の正統派的な屏風絵。右隻に描かれているのが妖怪なのが奇想といえるが「山中常盤物語絵巻」をみた後ではとっても健全な作品に見える。
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最初に山中常盤物語絵巻を見たときは岩佐又兵衛をあまり好きになれなかった。しかしすべてを見終わると彼の画風の幅広さ、つまりは自由自在に表現できる才能に引き込まれていた。ところで岩佐又兵衛は「浮世絵の祖」ともいわれている。しかしこの展覧会で浮世絵を連想させるような作品はなかった。それがどんなものかは是非見てみたい。


ーーー続く

wassho at 23:04|PermalinkComments(0) 美術展 

2019年06月04日

初めての入院 その11

退院して6日経った本日、診察のために通院。

採血の後、レントゲン室でFZ医師の診察を受ける。膿を抜いた後の空洞は無くなっていたので、お腹に挿していた管を抜けることに。

いつものように「麻酔たっぷりでお願いします」というと(^^ゞ 抜くときは麻酔はしないという返事でビビる。いつ抜くのだろうと身構えていると「はい、抜けました」と言われて拍子抜け。痛みどころかまったく何も感じなかった。

管を見せてもらうと5センチくらいしかない。もっと長いものが挿さっているいる感覚だったのに。何度か管の位置を調整したから(短くしたとは言われていないが)最初はもっと長かったのかもしれない。

何はともあれ身体からチューブが伸びているサイボーグ生活から卒業。


来週にまたCT検査をして直腸付近に溜まっていた膿がどうなっているかを確認する。抗生剤で退治できていればいいのだが。もしそうでなければ虫垂付近に管を挿して膿を抜くのとはレベルの違う手術というか施術が必要となる。チョー不安

しかし処方されている抗生剤は明日でなくなるが、それ以降は飲む必要はないとのことなので、FZ医師の見立ては楽観的なのかもしれない。いずれにしても1週間後が運命の分かれ道。


診察が終わって支払いの手続きをしている時、このブログを読んでくれたS女史から見舞いのメールが届く。ずいぶんご無沙汰しているが忘れられていなくてよかった(^^ゞ

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TO病院から駅まではモネにでも描かせたいような遊歩道になっている。
病人としてはけっこう救われた気分になる。


ーーー続く

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2019年06月02日

奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド

訪れたのは上野公園に桜を見に行った3月28日。それから都内各地での花見やラ・フォル・ジュルネなどのことを書き、また先日まで2週間ほど入院していたのでブログにするまで2ヶ月以上も過ぎてしまった。

まずは記憶をロールバックするために上野公園の写真。
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そして公園内にある東京都立美術館。
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奇想ーーー奇想天外とはいうから意味はわかるが、奇想単独ではあまり聞きなれない言葉である。改めて辞書で調べると「普通には思いつかない、変わった考え。奇抜な着想」とある。系譜とは「つながり」のこと。家系図のようなものをイメージするとわかりやすい。

展覧会のタイトルとなっている「奇想の系譜」は1970年(昭和45年)に刊行された書物のタイトルでもある。著者は美術史家で現在は東大名誉教授でもある辻惟雄(つじ・のぶお)。世間にはほとんど無名だった岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳ら6名の江戸時代の画家をこの本で取り上げている。当時の日本史の教科書に彼ら6名の名前はなく、また美術史の分野でさえ「その他大勢」の扱いだったらしい。

しかし今や伊藤若冲は、展覧会を開けば日本で最も観客を集めるスーパースターだし、他の5名もかなり名前を知られた存在になっている。まさに先見の明。もっとも「奇想の系譜」が発売された当初は3000部しか売れず廃刊になっているから、この本がきっかけで一気に6名の画家の再評価が進んだわけではない。それでも1988年、2004年に再出版され、現在は18刷を数えるロングセラーとなっている。私もいつかそんな仕事を成し遂げたいものだ。

なお展覧会は上記の6名に白隠慧鶴と鈴木其一の2名を加えた構成となっている。それぞれキャッチコピーがついていて、なかなかカッコいい。琳派の画家である鈴木其一を奇想のカテゴリーに入れるのは?という気がしなくもないが。

   幻想の博物誌     伊藤若冲
   醒めたグロテスク   曽我蕭白
   京のエンターテイナー 長沢芦雪
   執念のドラマ     岩佐又兵衛
   狩野派きっての知性派 狩野山雪
   奇想の起爆剤     白隠慧鶴
   江戸琳派の鬼才    鈴木其一
   幕末浮世絵七変化   歌川国芳



伊藤若冲 (いとう じゃくちゅう 1716-1800)

入館までに5時間待ちの行列という伝説を作った2016年の展覧会。私が訪れた日はまだ70分待ちだったのだが、それでもそんなに並べるかと展覧会を見なかったことを今だに後悔している。それ以来、首都圏である程度の規模で若冲作品を見られる最初の展覧会だと思う。

しかし一番見たかった「旭日鳳凰図」の展示が3月10日までだったのが残念(/o\)


「紫陽花双鶏図 あじさい・そうけい・ず」 1755年頃
「白梅錦鶏図 はくばい・きんけい・ず」  1775年頃

どちらも若冲らしい細密で鮮やかで色数の多い描写。お見事という以外に言葉が思い浮かばない。今回は若冲をよく見るために美術用の単眼鏡を用意した。それで細部までしっかり見ることができたのだが、だからといってさらに楽しめたかというとそうでもなかった。筆使いの分析をするのでもなければ、普通に見えるがままに鑑賞するのが一番かと。
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「梔子雄鶏図 くちなし・ゆうけい・ず」 1745年頃

若冲が30歳代の最も初期の作品といわれている。だから先ほど書いた「細密で鮮やかで色数の多い」という画風ではまだない。言っちゃ悪いが並みレベルの作品。白で描かれた羽根の部分はとても省略されていて「透明ニワトリ」みたいである。
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「虎図」 1755年

江戸時代の画家に生きている虎を見る機会はなかったはず。だからどんな巨匠であってもリアリティのない漫画のような絵になってしまうのは仕方ないところ。この絵を見れば若冲も例外ではないことがわかる。無理して描かなくてもいい気がするが画家魂が疼くのかな。
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「蝦蟇河豚相撲図 がま・ふぐ・すもう・ず」

なんともユーモラスな作品。若冲にこういう作品はどれくらいあるんだろう。
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「象と鯨図屏風」 1797年

これも漫画のような象である。若冲は14歳の頃に天皇に見せるため京都(若冲は京都の画家)に連れてこられた象を見たらしい。でも流石に80歳を超えての作品なので、象の記憶は曖昧なイメージでしかなかったのかもしれない。鯨はおそらく見たことがなかっただろう。それにしても、あるいはだからこそか、現在のポップアートとしても通用する作風とその出来栄えには感心する。

象のユニークな描き方に惹かれて、この作品を見ることを楽しみにしていた。しかし写真でも汚れがわかると思うが、実物は屏風の折れ曲がるところの紙がささくれだって、かなり痛んでいる印象だった。いずれキレイに修復されるといいのだが。

作品は六曲一双の屏風。6面で構成された屏風が2つでワンセットという意味。上の写真が右側に配置される右隻、下が左隻である。
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伊藤若冲は14作品の展示。墨絵の花や鶏の作品もあった。しかし「細密で鮮やかで色数の多い」のが若冲という思い込みが強いせいか、それらを見てもあまり楽しめなかったのも事実。それでも若冲ワールドの片鱗に触れられて幸せな時間だった。


ーーー続く

wassho at 23:31|PermalinkComments(0) 美術展