2020年03月

2020年03月31日

砧公園で芝生のサクラ その3

サクラを眺めながら歩いていると、鮮やかに色づいている一画が見えた。
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モモの花だった。
砧公園にモモが咲いているなんて知らなかった。ラッキー\(^o^)/
ただしちょっと日陰の場所。
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ピンクと濃いピンク。
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このミックスは源平桃という品種。これはちょっと変わった品種で、1本の木に白とピンクと、白&ピンクがミックスした3種類の花を咲かせる。ミックスの花は「絞り」と呼ぶ。おそらく絞り染めからの連想だろう。
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実は2つ前のピンク桃は源平桃のピンク。よく見れば白&ピンクと同じように花びらに模様が入っていることがわかる。3種類のうちどの花が咲くかの比率は毎年違うらしい。ここの源平桃で白だけの花はほとんどなかったように思う。

源平桃の名前は、源平合戦の時に源氏が白、平氏が赤の旗を使用したことに由来する。運動会などで赤組と白組に分けるものルーツは源平合戦に遡るらしい。また紅白が混ざる咲き方のことを源平咲きと呼び、ウメやツツジにもある。

これは昨年に根津神社で撮ったツツジの源平咲き。
残念ながらウメはまだ見たことがない。
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それにしても華やかな光景。
ずっとモモを眺めていると、サクラが素っ気なく見えてくるので危険(^^ゞ
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サクラのアーチをくぐって、サクラの花見をリスタート。
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もうお約束になってきた逆光での撮影。
これは斜め後ろから光が当たっている。
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こちらは太陽も写っているド逆光。
こんなことをして何が楽しいのか自分でもよく分からず。
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ただ新たな発見をした。
逆光の写真を見ると眩しい。写真が光っているわけではないから、眩しかった記憶が脳によみがえって、ある種の錯覚を起こしているのだと思う。ド逆光の写真をしばらく眺めてみて欲しい。本当に目が疲れるから。おそらく瞳孔も小さくなっているんじゃないかな。

(ここまで書いて、その場にいた人間でなければ記憶はよみがえらないことに気がづいた。
 一般的な眩しい記憶でも作用するかどうかは私には確かめようがない)


とりあえず眩しいことにして、
目のリフレッシュに普通に順光でのサクラ写真をどうぞ。
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ブラブラ歩いていると吊り橋があった。
形だけ真似ているのかと思ったら、渡るとけっこう揺れてビックリ。
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これは公園の造作としての水路じゃなくて谷戸川(やとがわ)という河川。世田谷区を流れる3.5キロの川で最終的には多摩川に合流する。
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フ〜ンと読み流しそうになったが、3.5キロの長さということはスタート地点も世田谷区ということになる。調べてみると源流は成城警察署付近らしい。高級住宅地で知られる成城だが、成城警察署は環八沿いにある。あんなところに水でも湧いているのか?

それ以上は調べていないが、川の源流なんて遠くの山奥にあるものだと思っていた。
世の中、まだまだ知らないことばかりだ。


ーーー続く

wassho at 18:13|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2020年03月30日

砧公園で芝生のサクラ その2

前回に紹介した場所から、ファミリーパークの中央部分に進む。
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これはクヌギかコナラだと思う。
どちらもブナ科コナラ属で似ているので違いがよく分からない。
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ぶら下がっているのは実ではなく花。
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この季節は葉はあまりなく花がほとんどを占めている。緑の房が無数にぶら下がって、かなり不思議な光景。ちなみにクヌギやコナラの実がドングリ。正確にいうならブナ科のうちクリ、ブナなどを除いた木の実の総称がドングリ。

サクラとのツーショットで。
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ぶら下がりついでにシダレヤナギ。
3月だからシダレ部分はまだ短い。
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ふたたび芝生にサクラを眺めながら。
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写真の右側が西で太陽はそちら側にある。それで、この日の写真は空の色がとてもグラデーションになった。ちょっと幻想的に見えてイイ感じだけれど、今までこんな現象は起きなかったから、ひょっとしたらカメラの不具合なのかも(/o\)
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手前の花にピントを合わせたり、遠くまで花がたくさんあるように撮ったりして遊ぶ。
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芝生の広場を歩き回る。
写真が傾いているように見えるのは、少し斜面になっている場所だから。
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とにかくたくさんのサクラ。砧公園には930本のサクラが植えられている。ちなみに上野公園は800本といわれている。
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しかし肉眼では、芝生の周りにもっとたくさんのサクラが咲いているのだが、写真だと花数のボリュームが感じられない。人間の目というか脳は見たいものを強調して認識する。だからカメラのほうが正確な光景あるいは情報であるが、記憶と違うイメージになるのは残念。AIでそのあたりを補正してくれるカメラが欲しい。



この日は35mm換算15-36mmのレンズなので相当に広い範囲が撮れる。
この写真は15mm相当。
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ただ広角レンズは横方向だけではなく縦にも広く写るから、何となく間延びしたイメージにもなってしまう。

それで上下をトリミングしてみた。左右の写っている範囲は変わらないものの、こちらの方が広々した印象になる。
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参考までに縦横比は

   オリジナル 3:2  縦を1としたら横は1.5
   トリミング 16:9 縦を1としたら横は1.78

縦横比という言葉なのに最初の数字が横の比率を示すのがカメラ業界のナゾ。なおレンズ交換式じゃない普通のデジカメや、スマホのカメラは4:3が一般的。縦を1としたら横は1.33になる。


芝生の広場にサクラが咲いているのが砧公園の魅力。
ただし前回も書いたが、季節的に芝生がまだ青々としていない。
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しかしサクラ名所案内などを見ると、もっと緑の濃い芝生の砧公園の写真が載っている場合が多い。そこで緑じゃないなら、緑にしてしまえホトトギス(^^ゞ
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ーーー続く

wassho at 20:01|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2020年03月29日

明明後日(しあさって)は4月なのに雪!

本日の東京は雪である。
3月29日なのに、3日後には4月になるのに雪である。

正確には降ったのは朝だけで、その後は雨になり現在は雨も上がっている。
残念ながら、遅起きしたので降っている様子は見逃した(>_<)
でも窓から見下ろすと積雪の名残が。
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今頃に雪が降るなんて新記録かなと思って調べると、2010年と1969年と1967年に4月17日に雪が降った記録があった。3月だとランキング10位にも入らない。それにしても初雪の反対語が終雪とは知らなかった。読みは「しゅうせつ」。初雪が訓読みなのに終雪は音読みなのね。
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4月17日に雪が降るなんてすごいなあ〜、ひょっとしたらと自分のブログを確認してみると、しっかり書いてた(^^ゞ ブログにしたのはもちろん、雪が降ったことすらすっかり忘れていた。人間の記憶なんてそんなもの。本日の雪だって数ヶ月すれば忘れちゃうかな。


2010年のブログを読むと、この頃はトマトキムチ鍋に凝っていたみたい。私はおいしくできた料理があると、そればっかり作って、そのうち飽きてイヤになるというパターンが多い。このトマトキムチ鍋もまったくそうで、最後に食べたのがいつか思い出せないくらい。今日は寒いから久しぶりに作ってみるか。


寒いといえば気象庁によると、本日の東京の気温は午後12時22分に0.7度まで下がった。観測記録としてはこれが最低気温となるが、いわゆる天気情報では

   最低気温:午前0時から午前9時までの一番低い気温
   最高気温:午前9時から午後6時までの一番高い気温

ということなので、本日の最低気温は午前9時に記録した1.4度ということになる。また上記の定義では、日中に寒気が強くなり最高気温が最低気温より低い場合もあり得る。そういうことってあったのかな。


こんな気温が低いとベランダのチューリップもツボミのように閉じてしまう。もちろん夜はこうなっているのだけれど、昼間にこういう光景を見られるのは珍しい。

<3月27日>
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<本日>
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<3月27日>
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<本日> 赤チューリップがイチゴみたいになっている(^^ゞ
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雨粒のついたチューリップもいと美しきである。

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wassho at 17:31|PermalinkComments(0) 生活、日常 |   *チューリップ

2020年03月28日

砧公園で芝生のサクラ

訪れたのは3月25日。
そしてその日の夜に小池都知事がコロナウイルスに関する会見を行い、不要不急の外出自粛などを都民に求めた。

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それに伴い、27日から大規模な桜名所の上野公園、代々木公園、井の頭公園は園内の一部が通行止めになっているし、有料の新宿御苑や昭和記念公園などは閉鎖された。

ナンテコッタイ(/o\)
というわけで今年の花見は、この砧公園が最後になるだろう。な〜に、サクラは来年も咲くさとポジティブにいきたいところだが、冷静に書いておくと、1年後にコロナウイルスが終焉しているというのは現時点で単なる希望的観測でしかない。
いったいどうなることやら┐(´-`)┌



さて砧(きぬた)公園は世田谷区にある大きな公園。広さは39ヘクタールで都内第9位。ちなみに駒沢公園が41ヘクタールで第8位、上野公園が53ヘクタールで第6位である。開園は1957年(昭和32年)で、それ以前は都営のゴルフ場だったらしい。


到着したのは午後2時過ぎ。その前の所用に手間取って少し遅くなってしまった。
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案内図で分かるように、ほとんどが芝生の広場なのが砧公園の特徴。
だからとても開放的な気分になれる。
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なんだけどーーー東名高速が隣に走っているので、クルマの走行音が公園のどこにいても鳴り響いているのが難点。だんだんと慣れてくるとはいえ、けっこう耳障りで、せっかくの開放感を損ねている。だから実はあまり好きな公園じゃない。
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写真の高架は東名からつながっている首都高。東名高速の終点である用賀出口の隣にあるのが砧公園といったほうが、多くの人にはわかりやすいかも知れない。


公園の奥にあるファミリーパークというエリアを目指して進む。
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通路沿いにソメイヨシノではないサクラが3本並んでいた。

シラユキという名前だが、ほんのりとピンク。
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シロタエ。
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オオシマザクラは馴染みがある。
でも桜餅の葉がこれだとは知らなかったなあ。
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だんだんと目的エリアに近づいてきた。
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少し日が傾いていたので、陰影のできているサクラがあった。
こういうの大好き。
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地面まで伸びてきているソメイヨシノ。
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この日も先日の小石川後楽園と同じく、カメラは35mm換算15-36mmの広角ズームレンズを装着していた。つまり遠くの花を大きくは撮れないレンズなので、手の届く位置にサクラがあると助かる。
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大きな幹から小さな枝が伸びているサクラあるあるな光景。
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砧公園のサクラは巨木が多い。
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それが芝生のある場所に生えているのが魅力的。
季節的にちょっと芝生の色がまだ薄いけれど。
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ズームインからズームアウトで圧巻の花数を。
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ーーー続く

wassho at 21:10|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2020年03月27日

咲きそろい始めてきたが、実は注文通りに届いていなかったチューリップの球根


3月19日に初開花したチューリップ。
チューリップの苦手な暖冬だったし、
悲惨だった昨年のトラウマもあるので心配していたが、
約1週間ほど経って、だんだんと賑やかになりひと安心。
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現在、咲いているのは4種類。

黄色でフリンジ(花びらのトゲトゲ)のあるイエローバレリー。
普通種の赤。
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ユリ咲きの紫。
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赤いフリンジのバレリーゲルギエフ。
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日差しの強い時間帯に撮ると表情も違ってくる。
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こういうキレイなのが自宅のベランダで見られるのはうれしいのだけれど、
ふと、おかしなことに気がついた。
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赤のチューリップが多すぎる!
数えたら20本も同じ花が咲いていた。



それで購入当時のブログを調べてみると、これは富山県花卉(かき)球根農業協同組合で購入した「春いっぱい100球セット」に入っていたもの。10品種各10球で100球セットのはず。

改めて同組合のホームページで確認したら、購入当時と現在では写真が違っていた。とりあえず現在の商品説明を載せておく。
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現在ベランダで咲いている赤チューリップは、色と形から判断して2枚目にある「一重咲き橙」だと思う。それにしても、この色でオレンジというのは相当に強引な設定。

そして、これが20本咲いているということは、他の品種が何か抜けていることになる。ちょっとガッカリ。もう咲いちゃったけれど、明らかに富山県花卉球根農業協同組合の梱包ミスだから、今からでも返品できるかな(^^ゞ


何かと一筋縄ではいかないチューリップ・ガーデニングである。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
2020年4月12日追記
梱包ミスではありませんでした。
4月12日のブログに続きを書いています。
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/53352136.html

wassho at 21:04|PermalinkComments(0)   *チューリップ 

2020年03月26日

City Pop シティ・ポップという海外のトレンド

1年くらい前から話題だったようだが、うかつにも知らなかった。
でもまだ何それ?な人のほうが圧倒的に多いと思うので紹介しておく。

City Popとは

   欧米でハマる若者が続出している
   1970年代後半から1980年代の日本のポップス

のこと。

具体的には山下達郎、竹内まりや、角松敏生、杏里、EPO、山下久美子、大滝詠一、大貫妙子、南佳孝などの名前がよく取り上げられている。あえて定義づければ「洗練された雰囲気のある、おしゃれな都会派ポップス」であり、その中でも少しリズミカルなものが受けているようだ。当時に「ナウなヤング」だった人なら「ああ、あのへんね」とわかるはず。そう「カーステ」でいつも聴いていたやつである。それで分からない人には、分かるように説明する文章力がないのでゴメン。

ユーミンは?サザンは?とか尋ねられても困る。私もCity Popは数日前に初めて知ったばかりなのでまったく詳しくない。でも先ほどの顔ぶれを見ると超メジャーじゃなく準メジャーなミュージシャンが多いようにも思える。また逆に当時も今も聞いたことがないようなミュージシャンが紹介されていたりする。なおその頃の日本でこれらの音楽をCity Popと呼んでいたという記憶はない。特にジャンル名はなかったように思う。


さて
ネットでの拾い読みを信じるなら、きっかけは竹内まりやの Plastic Love という曲を、誰かが動画に仕立ててYouTubeに投稿したことから。2017年7月の話。再生回数2500万回以上とバズった。残念ながらその動画は現在、著作権侵害の申し立てによって削除されている。

その後、ちゃっかりワーナーミュージックがブームに便乗して、2019年5月にミュージックビデオを公開しているので、そちらを貼り付けておく。でもオリジナルを見たいなあ。


私はけっこう竹内まりやのファンである。数えたらCDは5枚あった。彼女の魅力は「初めて聴いた曲でも、なぜか懐かしい気がする」ところかな。それはさておき、この Plastic Love は別にヒット曲じゃない。1984年発売の VARIETY というアルバムに収録されているが、後のベストアルバムには組み入れられず。そんな曲からブームが起きるのだから面白いもの。それも33年もたってから海外で。


関係ないけどアルバム VARIETY で当時29歳の竹内まりやはなぜかセーラー服。しかもデコルテ(鎖骨のあたりね)も露わに、またヘアスタイルは、まだバブル景気の数年前というのにジュリアナのオネエチャン風というアンバランス。ナゾ過ぎる。誰かこのジャケットに込められた制作意図を知っていたら教えて欲しい。
VARIETY

ところでCity Popで一番人気があるのが、竹内まりやと山下達郎なんだそうである。そして海外のファンは二人が夫婦だと知って超絶ビックリするらしい。日本人の感覚ならマイケル・ジャクソンとマドンナが実は夫婦だったみたいなものかな。

もっとも当時の「ナウなヤング」が、初めて山下達郎の写真を見た時に驚愕した「歌声とのあまりの落差」には遠くおよぶまい(^^ゞ 山下達郎とビル・ラバウンティは双璧だったなと、分かる人にしか分からない思い出話。※今と違って、その頃ビジュアルな情報は後になってから広まった


よく1周回ってまた流行りだしたなんていわれる。City Popは何周回っているんだという気もするが、確かなのはこれはYouTubeやSNSがなければ生まれなかったトレンドだということ。これからも思いもしないことが起きるのかも知れない。そういうのはコツコツ拾って楽しみましょう。

wassho at 18:32|PermalinkComments(0) 音楽、オーディオ | 生活、日常

2020年03月25日

しだれ桜を眺めに小石川後楽園 その4

シャクナゲの咲いている道があったので登ってみる。
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シャクナゲはツツジと同じくゴールデンウィーク頃に咲く花のはず。これは早咲きの品種なのかもしれない。もっともこの日は最高気温21度と5月並みの気温だったけれど。まあとにかくサクラと一緒に見られて得した気分。
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花菖蒲やカキツバタの畑、藤棚のあったあたりを見下ろす。
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いったん下に降りて道を進むと円月橋という石橋があった。
説明を読むと江戸時代には高度な土木技術だったみたい。
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しかし石をアーチ状に積む技術なんてローマ時代からあった。ピラミッドですら整然と積まれているのに、日本の城の石垣はどうしてガタガタなのだといつも憤慨しているが、もともと石を扱う文化がないから相当遅れていたんだろうなあ。


円月橋の脇から伸びる道を登る。
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今度はピンクのシャクナゲ。
白よりは開花が遅いようで、また高い場所にあったので間近で見られず。
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シャクナゲ多いなと思いながら歩いていると先ほどの白いシャクナゲのところに出た。同じ道だったみたい。


このあたりは道が入り組んでいて、この後も同じところをグルグル回ることが何度かあった。小石川後楽園で遭難したらシャレにならない(^^ゞ
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しかし、こんな風に木を見上げながら歩くのは楽しくて大好き。
もっとも上ばかり見ているから道に迷うのかも知れないけど。
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2本目に見たしだれ桜が見えた。
私が通った時よりかなり人の列が伸びている。
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川縁に出る。
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清水寺の音羽の滝になぞらえたとある。
それにしても、どれだけ京都ラブやねん。
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もっとも説明にあるように滝はなく水が流れているだけ。
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小石川後楽園には、もうひとつ白糸の滝もあるのだが修復工事中で近づけず。
そちらは高さ1メートルほどの滝があるみたいだ。


下流に見えるのは最初に渡った渡月橋。
ということはこれは大堰川だから、清水寺の音羽の滝にはかなり無理のある設定。
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川沿いを歩いて渡月橋を渡り、4本目に見た一番ピンク色の濃いしだれ桜をもう一度。
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2本目のしだれ桜を写真に撮ろうとする人々。
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馬場桜の近くに戻ってきて、立派なマツを眺める。
昔はやった「命!」というギャグのポーズに似ているかも。
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この説明によると池は琵琶湖を模していて、このマツも唐崎の一本松に見立てているらしい。唐崎は近江八景のひとつでマツが有名なところ。京都をはじめ各地の景勝地になぞらえた造園が大名庭園の特徴のひとつ。
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これはソメイヨシノ。内庭のと違ってこの周りのはすべてまだ3分咲き程度。
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ソメイヨシノはソメイヨシノ同士で交配できず、接ぎ木でしか増やすことができない。だからすべてのソメイヨシノは同じ遺伝子を持っているので、同じ条件のエリアなら同じ時期に咲くというのが通説。もちろん多少の個体差はあるとしても3分咲きと満開では違いすぎる。内庭のはソメイヨシノと何かの混合品種じゃないかというのが私の推測。それが正しいという自信はまったくないが。


メインの池から張り出している小さな池が蓮池と呼ばれていて、そこにもしだれ桜がある。これはまだ若木でかなり小さい。
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本日5本目で、これが最後のしだれ桜。
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他のしだれ桜と較べてかなり色が白い。
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最近よくやる逆光での花の撮影。もっともカメラの設定で何か工夫をしているわけではなく、キレイに撮れますようにと願いながらシャッターを押しているだけ。
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というわけでしだれ桜花見は終了。思っていたより花数が少なく、有名どころのしだれ桜のように豪華絢爛という感じではなかったが、それなりに楽しめた1日だった。


西門に向かうと売店は行列でふさがれて、何を売っているのかも分からず。
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午後1時頃に来た時は入場券を買うのに10人ほどが並んでいる程度だったが、帰りの3時過ぎには敷地の外までの行列。
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これなら最後尾のプラカードも活躍。
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コロナの影響でお花見を取りやめた人が多く、でもあまりのいい天気に我慢できなくなり、この時間になってやってくる人が増えたのだろうか。

今年はほとんどのところでお花見宴会が禁止らしい。
静かに楽しみましょう。


おしまい

wassho at 09:18|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2020年03月24日

しだれ桜を眺めに小石川後楽園 その3

小石川後楽園は築山泉水回遊式の日本庭園。もっとも昨年の秋から今年にかけて訪れた六義園浜離宮庭園など、大名家の屋敷に造られた大名庭園は基本的に築山泉水回遊式である。

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その築山・泉水・回遊式だが、まず築山(つきやま)とは、土を盛ったり岩を積み上げたりして造った山に見立てた場所。

泉水(せんすい)は池のこと。日本庭園では池をお上品に泉水と呼ぶみたい。別に泉が湧いて池になっているという意味ではない。大きさを誇って大泉水という名前になっていることも多い。泉水ではなく池泉(ちせん)という言葉が使われる場合もある。

造園において土木工事レベルが必要になるのが築山と泉水。だからそれが2つ揃っていれば、それなりのスケールの庭園ということになる。

回遊式はその名前の通り庭を歩いて鑑賞すること。反対語は(言葉がヘンだが)鑑賞式で、室内やある定められた場所から眺める庭。大きな庭園は必然的に回遊式になる。お寺の枯山水なんかは特定の位置から眺めることが多い。

以上が言葉の説明だが、築山泉水回遊式なんて一言で定義できるくらいで、どの庭園も似たり寄ったりなのが難点。もっとも西洋式庭園だって、いろいろと様式に縛られているが。



園内マップでシダレザクラと書いてあるところから、
右下の内庭というところへ向かって池沿いに進む。
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少し離れたところから望む馬場桜。
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池から離れて木立の間をつかの間の森林浴。回遊式の場合は、こういうエリアを設けるのがお約束。限られた敷地の中で、シーンの切り替え効果を狙ってのことと思う。
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私の好きな「緑のモミジ日の光透け」。
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内庭に到着。
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カメ発見。
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庭園を反時計回りに進んだのは、
この内庭のソメイヨシノが満開だとホームページに載っていたから。
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まさに満開。
どうしてこの場所のソメイヨシノだけが先に咲くのかが不思議。
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キレイだけれど、やはりソメイヨシノはほとんど真っ白だからツマラナイ。昨年はピンク色のサクラを見たくて、国立劇場にジンダイアケボノやコマツオトメを見に出かけた。しかし、たくさんサクラが咲いている圧巻の風景を眺めたいとなると、必然的にソメイヨシノになるのが悩ましいところ。



サクラを背景に入れながら、花より団子のバエる写真を撮ろうとする人(^^ゞ
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これは東門。出入り口としては使われていない。江戸時代はこの門の向こうに藩邸が並んでいて、それに近い庭だからここが内庭と呼ばれていたらしい。
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サムライが向こうから歩いてきそうだ。
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内庭からメインの池に戻って。正面が馬場桜。
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マツがたくさん植えられている広場に出る。
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そこに1つだけ咲いていた白い花。
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形だけ見ると八重咲きのウメのようにも見えるーーー。しかし今から咲き始めるのは季節的に合わないし、花の直径も5〜6センチあった。玉牡丹というウメに似ている気もするが、正体はよく分からず。
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マツの広場を抜けたところにあったのは、水戸光圀が息子の嫁に農民の苦労を分からせようと作ったとされる田んぼ。美談のように聞こえるが、こんなわずかの面積で体験できることなんて、農民の苦労とはかけ離れていると思うな。
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なお田んぼは手前の茶色い部分だけね。刈り取った稲を残しているのは、ここが田んぼだとわかりやすくするためなのかな。

名前の分からない木が2本。
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これはアセビ(馬酔木)。
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風景を楽しみながら進む。
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シャガが咲いていた。アヤメの仲間のきれいな花。
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これは藤棚だけれど低すぎないか? 特に手前のやつ。
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低い藤棚のおかげで、フジの木を初めてマジマジと眺めることができた。
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それにしても、まだまったく芽吹いていないが、これがあと1ヶ月ほどであのフジの花になるのか? それともこれは枯れているの?


遅咲きのウメが残っていた。ただしアップには耐えられない状態。八重咲きでかなり大きな花。サクラも八重桜は咲くのが遅いから、八重咲きは遅咲きと思っている。その解釈で正しいのかな?
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わずかに残っていた白いウメ。
白いソメイヨシノが好きじゃなくても白梅は美しいと感じる矛盾(^^ゞ
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このあたりは花菖蒲やカキツバタの畑。
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久しぶりに見た気がするタンポポ。
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ーーー続く

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2020年03月23日

しだれ桜を眺めに小石川後楽園 その2

入り口から進んで池の正面にあるのが馬場桜。
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これは品種名ではなく単なる呼び名のようだ。いくつかの桜の図鑑を調べたが馬場桜は載っていないし、ネットで画像検索するとしだれ桜以外の馬場桜もたくさん見つかる。

東京ドームとツーショットで。
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樹齢は約75年。以前は樹齢100年を超えるしだれ桜があり、それが枯れたので現在のものに植え替えられたとのこと。植え替えられた時期は分からなかった。ただ現在の馬場桜も見ての通りに結構スカスカで、この庭園のシンボルツリーというには物足りない。10年ほど前の写真がネットにあったが、花の数は今より2〜3倍は多い。どうも枝が少なくなっているようだ。折れたのか?枯れたのか?そしてどうして?

それでもキレイだったし、桜を見た時特有の華やいだ気分にさせてくれた。

この日は35mm換算15-36mmの広角ズームレンズを装着していたので、
あまりアップには撮れない。
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池の反対側にもしだれ桜。
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こちらの方が満開感がある。
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すぐ隣に3本目のしだれ桜。
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続く4本目は川にまで張り出している。そして色が濃い。
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その川に架かっている橋が京都嵐山の渡月橋になぞらえたもの。
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川も嵐山にちなんで大堰川(おおいがわ)と書かれている。
しかし渡月橋の下を流れているのは桂川なんだけど?
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調べてみると桂川の上流は保津川だが、さらにその上流が大堰川と呼ばれていることが分かった。川下りの保津川下りがあるから、保津川までは知っていたが大堰川なんて初めて聞いた。京都の人なら知っているのかな。いずれにせよ大堰川は間違いと思うけれど、江戸時代は川の名前も違ったのかも知れない。それにしても後楽園はどれだけ京都好きやねん(^^ゞ


渡月橋の先は登りになっている。
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少し高い場所からしだれ桜を眺める。イイ感じ。
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登りは続いていたけれど、反対方向に園内を回りたかったので道を引き返す。


緑のモミジがピンクの桜をオーバーラップ。
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馬場桜のところまで戻り、先ほどとは違う角度で。
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ーーー続く

wassho at 09:07|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2020年03月22日

しだれ桜を眺めに小石川後楽園

昨日、桜が満開になるのは来週後半あたりかな〜、どこへ見に行こうかな〜とネットで桜名所をチェックしていたら、小石川後楽園のしだれ桜が満開とホームページに書かれていたので、急遽出かけてきた。


小石川後楽園は水戸徳川家の上屋敷(藩邸)内に造られた庭園。完成したのはあの水戸光圀の頃。場所は東京ドームの隣。というか東京ドームの敷地も元は上屋敷だった。
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明治になって上屋敷跡地に東京砲兵工廠(こうしょう)という軍需工場が建てられる。しかし1923年(大正12年)の関東大震災で大きな被害を受けたので、その機能を徐々に九州の小倉にある工場に移転し、1935年(昭和10年)に閉鎖。その土地が民間に払い下げられて1937年にできたのが東京ドームの前身の後楽園球場。庭園のほうは砲兵工廠時代もそのまま維持され、現在は東京の都立公園。ひょっとして関東大震災がなかったら東京ドームはなかったのかも。


ついでに書いておくと小石川後楽園・東京ドームは皇居の北側から北に1.5キロほどのところにある。
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このあたりは昔は小石川という地名だった。江戸時代の小石川療養所で有名。1878年(明治11年)に小石川区とされたが、1947年(昭和22年)に本郷区と合併して文京区になり、現在は町名の一部に小石川という名前を残すのみ。

後楽園とは「先に憂いて後で楽しむ」というような内容の漢詩から引用した名前。それで小石川後楽園とは、小石川にある後楽園という意味だけれど、これがちょっと気に入らない。

日本三名園と称されるのは
  
    水戸の偕楽園  金沢の兼六園  岡山の後楽園

である。

だから岡山の後楽園に遠慮して小石川後楽園と地名付きの名前にしたと思っていた。しかし調べてみると、1629年完成の「水戸藩の後楽園」は最初から後楽園という名前だったのに対し、1700年完成の「岡山藩の後楽園」はずっと御後園(ごこうえん)という名前だった。それが1871年(明治4年)に後楽園に改名。そして「水戸藩の後楽園」は1923年(大正12年)に国の史跡・名勝に指定する際に、岡山のと区別するために小石川後楽園に改名された。後楽園の元祖は小石川のほうなのに。



さて最寄り駅は飯田橋。大江戸線のC3出口が一番近い。
しかしC3出口までが遠い(^^ゞ
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それとほとんど人通りがないのに驚いた。ところでここは駅構内だけれど、元は車道だったのだろうか? 駅でセンターラインって初めて見た気がする。
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大江戸線は東京で2番目に新しい地下鉄なので地中深くてエレベーターが長い。
緑色のパイプはアートのつもりなのか。
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地上に出てもオブジェみたいなものが。駅にアートを!とか広告代理店かゼネコンがプレゼンしたんだろうなあ。このレベルじゃ税金の無駄遣い以外の何物でもない(大江戸線は都営地下鉄)。
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気持ちのいい青空で花見日和。
この道を進んで、
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C3出口から2分ほどで小石川後楽園に到着。
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シダレザクラ満開\(^o^)/
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現在位置はマップ左下の西門。
ここは7ヘクタールもあるのに出入り口が1つしかない。
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10人ほどしか並んでいないから最後尾とプラカードを出す必要はないと思うけど。
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都立公園なのでお値段お手頃。
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いよいよ入場。
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10歩ほど進むとこの光景が飛び込んでくる。
巨大な東京ドームが雪山のように見えなくもない。
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ーーー続く

wassho at 20:15|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2020年03月20日

この三連休はコロナを忘れよう

コロナウイルスはもう病気だけの問題じゃなくて、経済や国際社会のあり方をも脅かす事態になってきた。今や世界は半鎖国状態。100年に1度の危機と叫ばれた2008年のリーマンショックなんてカスリ傷だったと思えるくらい、第二次世界大戦以降で最大の騒動である。


致死率、あるいは他の病気の死亡者数と較べていろいろ疑問に思うことはある。
しかし(/_')/ソレハコッチニオイトイテ

グローバルなサプライチェーンも分断されるから、これからかつて経験したことのない物不足におそわれる予感はある。経済というか収入・生活に深刻な打撃を受ける人も出てくる。ひょっとしたら日本ではコロナウイルスより、それが原因でーーーー人のほうが多くなるんじゃないかという恐れもある。
しかし(/_')/ソレモコッチニオイトイテ


未知のことで予測がつかないし、出口も見えないから誰でも何かと不安になる。しかし、もうそろそろコロナウイルス騒動に疲れてきた人が多いんじゃないかな。不安というのは人間に組み込まれたある種の安全装置ともいえるけれど、長く作動させると悪影響が出てくるやっかいなものでもある。

ということでこの三連休はコロナウイルスのことは忘れましょう。ネットや新聞でコロナ関連の情報は読まない、テレビもコロナを扱っていたらチャンネルを変え足り音を消したり。本当は、のんびりしたければ休日にテレビを見ないのがお勧めである。

ドラッグなどに行ってもマスク売り場をのぞくのは禁止。どうせ売っていないよ(^^ゞ 友人や家族とはコロナと口にしたら罰金の制度を設けましょう。

大丈夫、3日くらいでコロナ情勢は何も変わらない。
生活で注意すべき点についてはもうミミタコのはず。

今日と明日は全国的に天気も良さそう。
よい休日を。

wassho at 13:47|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2020年03月19日

コロナに負けずに2020チューリップが初開花!

もちろんコロナウイルスはチューリップに感染しない。
それはまあまあ気持ちの問題として、
ともかくメデタク本日にチューリップが初開花\(^o^)/
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過去9年間の初開花日の中央値は3月30日。やはり暖冬の影響で今シーズンは10日ほど早い。これが今後の推移や開花率に影響しないことを祈るばかり。


フリンジ(花びらのトゲトゲ)のあるイエローバレリーという品種。
花びらにある緑の筋はこれから消えるのかな?
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ツボミが4つ待機中。
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別の品種のツボミも1つ発見。
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イエローバレリーのツボミを最初に確認したのは3月13日。
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3月15日に葉の中から出てきて、
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3月17日には茎が伸びて、
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これが昨日3月18日の様子。
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全体的な成長の様子。まず2月1日。
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約1ヶ月後の3月3日。
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それから約2週間後の3月15日。
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まだ芽吹いたばかりのも少しある。
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発芽していない球根は5つ程度だと思う(正確に数えるのはなかなか難しい)。212球を植えたから発芽率は98%と上出来。ただデータはとっていないものの、発芽率と開花率は相関していないというのが実感。散々だった2019年シーズンのトラウマが消えていないので、何かと素直に喜べないでいる。

とにかくコロナを吹き飛ばすくらいたくさん咲いてちょうだい!

wassho at 18:20|PermalinkComments(0)   *チューリップ 

2020年03月17日

池上梅園で遅咲きのウメ その3

斜面から降りて、前庭の先ほどは見ていなかったエリアへ。


例のナゾの工作物があった。
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しかし今度はよく見ると寒牡丹の文字が。
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寒牡丹の文字があったのは1つだけで、
その株を見落としたらナゾの工作物のままで終わっているところだった。
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寒ボタンや冬ボタンは開花時期にワラ傘を被せて寒さ対策をする。ここではグルグル巻きにしてあるから、もう花は終わってしまったのだろう。咲き終わった後にまでそんなことをするとは知らなかった。それにしても今年は初めて冬ボタンを見に上野の東照宮へ出かけたし、ボタンに縁があるのかも。春ボタンもどこかへ見に行きたいものだ。


ハナショウブもあるみたい。
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マツ好きだけれどマキも嫌いじゃない。こういう形に剪定してあるのがマキね。正確にはイヌマキという品種。コウヤマキというのもあって、それはクリスマスツリーのような三角錐の形をしている。
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斜面の下側は中に入れるようになっている。
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よく見るとウメの木の下はツツジじゃないか。そこそこの株数はありそうだ。
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今年のウメはこれで見納め。
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1時間半ほどで退出。
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コンパクトな梅園だけれども、斜面のウメを下からも横からも上からも眺められるから、スケールの割に見応えがある。品種もそこそこ豊富。それに自宅から割と近いから、ご近所お気に入りスポットに認定。とりあえずツツジが咲いたらまた来よう。


おしまい

wassho at 08:33|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2020年03月16日

池上梅園で遅咲きのウメ その2

前庭から茶室などのあるエリアに移動。

茶室の門。
上部に2本の垂直に立っている棒状のものがある。竹でできている部分と屋根の勾配をつないでいるのだと思うが、どうしてこんなに長い? 何か意味があるのかな。まさかWi-Fiのアンテナじゃないよね(^^ゞ
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これは清月庵という茶室。
建て主の川尻善治の説明に「伊藤深水のアトリエを設計した設計家」とあるのは、伊藤深水が著名な日本画家だから、そのネームバリューを借りたということもあるのだろうけれど、もとはこの土地に伊東深水の自宅やアトリエがあったから(戦争で焼失)。伊東深水の娘が朝丘雪路ね。
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見る人が見れば銘木を使った建築と分かるらしいのだがーーー。
パンフレットによれば中に5.5畳と9畳の茶室があって茶会用途なら借りることができる。ただし現在はコロナウイルスのために閉鎖中。こんなところにまで影響が(/o\)
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奥に見えるのはもうひとつの茶室である聴雨庵。
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ウロウロしていると座論梅コッチという標識。
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行ってみると絶賛終了中(>_<)
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それにしてもこのウメだけ別格扱いで紹介されているので調べてみると、座論梅は日本に4本しかない貴重品種とのこと。ネットでは「日本に4本ということだけ」をコピペした情報がほとんどだった。さらに調べると、大田区在住の梅愛好家の野々村という人物が中国から持ち帰ったものを株分けして、池上梅園・水戸偕楽園・ 深大寺植物園に寄贈したらしいことが分かった(本人が持っているのを含めて4本)。読み方は「ざろんばい」。

ネットの写真を見ると花の付き方が変わっているようだが、私レベルでは濃いピンクの八重咲きの梅にしか見えない。貴重品種ではあるが、ビックリするほど変わった姿のものではないようだ。その違いがわかって座論梅をめでられる日はーーー多分来ないな(^^ゞ

なお座論梅で検索すると、ほとんどが宮崎県新富町にあるウメがヒットする。しかしそれと野々村氏の座論梅とは違う品種みたいだ。どうして同じ名前を付けたのだろう。あちらは樹齢600年の国の天然記念物。梅の愛好家なら当然知っていただろうに。ナゾ

ついでに宮崎の座論梅は樹齢600年なのに、神武天皇ゆかりの梅だとされているのがおかしい。もちろん彼は架空の人物だけれど、いちおう設定では即位したのが紀元前660年ということになっている。


座論梅の近くで咲いていたウメ。
最近トライしている逆光での撮影。
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さらにウロウロ。
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先ほどの聴雨庵を正面から。こちらは政治家・藤山愛一郎の茶室を移築したもの。戦時中はいろいろと密談が行われた場所らしい。
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石塔。説明とかはなかった。
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甘酒などを売っている売店エリア。
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和室と呼ばれている建物。まともな名前を付けようという考えはなかったのか?
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その和室の屋根に留まっていたアオサギ。こいつがピクリとも動かない。まるで置物レベル。ハシビロコウという鳥が動かないと有名だが、サギも同じ習性らしい。池の魚をじっと狙っているのかも。脚が一本しかないのは写真の角度のせいかもしれない。
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青空に映えてキレイだった雪吊り。
東京の雪吊りは雪害対策じゃなくて季節感を演出する飾り。
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入り口のほうに戻って斜面を登る。
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梅園の隣にあるスゴイ家が見えた。それでもアルミサッシ(^^ゞ
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階段の途中から眺められるこの光景が池上梅園の魅力。これを見られただけで今年のウメ花見はヨシとする気分になる。
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さらに登る。
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前庭のほうを見下ろして。池上梅園の面積は1ヘクタール弱。ここで見えているのは、その1/3くらいかな。ウメは白梅150本、紅梅220本の全部で370本ある。
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最上部の展望デッキ。
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変わった形のウメがあった。まるで打ち上げ花火が開いたみたいだ。
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東屋があって、
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その奥には池上本門寺の墓地が見える。
たしか力道山の墓もあったはず。
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ウメの花のミニパノラマを堪能して展望台を降りる。
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線路が見えた。
えっ? えっ? えっ?
こんなところに電車は走っていないはず!
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調べてみると近くに馬込車両検修場という都営地下鉄の車両基地があることが分かった。終点の西馬込駅の先で地上に出てここまで走り、バックして基地に入るらしい。
馬込車両検修場

大昔に「地下鉄の電車はどこから入るの?」という漫才のネタがあった。
ここからだったんだね(^^ゞ


ーーー続く

wassho at 08:26|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2020年03月15日

池上梅園で遅咲きのウメ

訪れたのは2月27日なので2週間と半分ほど前。

今年は浜離宮庭園や上野東照宮などで少しはウメを見られたものの、たくさんの数のウメが咲いているのは眺めていないなあと不完全燃焼な気持ちがーーー。しかしただでさえ暖冬なのに既に2月末とタイミングを逸してしまい。それで遠くの梅園まで出かけて残念な開花状況だったらイヤだし、近所に適当なところはないかと選んだのが大田区にある池上梅園。


池上梅園はそこそこ有名で存在は知っていたが訪れるのは初めて。日蓮宗の主要寺院である池上本門寺に隣接している。何となく寺の境内の一部を梅園にしたようなイメージもあるが、元々は個人の邸宅・庭園があったところで寺とは無関係。現在は区立公園になっている。

大田区のホームページをチェックすると、前日付で「散り始めが目立ってきたが、遅咲きは見頃」との情報だった。散り始めが目立つとは、傷んだ汚い花も一緒に目に入ってしまうということである。まあ仕方がない。

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自宅からは直線距離なら約5キロとそれほど離れていない。しかし沿線が違うため電車を3本乗り継いで向かう。乗り換えも含めて電車に乗っている時間が30分ほど。

最寄り駅は都営地下鉄浅草線の西馬込(にしまごめ)駅。浅草線がこんなところまで延びているなんて思ってなかった。
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目の前は国道1号線。このまま進めば大阪の梅田まで続いている。
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7〜8分歩くと池上梅園コッチの標識。左斜め前方に進むような矢印になっているが、実際はそんな道路はなく、Uターン的に曲がるのでちょっと紛らわしい表示。
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でも曲がってすぐこの標識があって、
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池上梅園に到着。
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傾斜地に植えられたウメがここの特徴。
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傾斜地を左側から登って右側に降り、敷地右側の庭園部分を見て、また入り口に戻ってくるのが、おそらく一般的な見学コース。
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でも私が着いた時にちょうど団体さんが傾斜地を登っていったので、前庭部分から先に見ることにした。写真の右側が傾斜地で左側が前庭。
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ウメというのは花を付ける枝が急角度でグングンと上に伸びていくもの。でもこの梅園では途中でカットして先端を揃えているみたい。そうじゃないのもあったから、品種で剪定の方法を変えているのかも知れない。
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あれこれキレイどころを。
池上梅園には30品種ほどのウメがあるとのこと。
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この日は快晴で花見日和。
バックが青空だと写真のレベルは自動的にワンランク向上して助かる。

前庭内部の様子。
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謎の工作物?
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前庭の中から斜面を眺める。最初の国道1号線の写真で分かるように、このあたりは丘陵地帯じゃなくて平らな地形。よくこんな段差があったものだ。
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ーーー続く

wassho at 07:55|PermalinkComments(0) お花畑探訪 

2020年03月14日

ハマスホイとデンマーク絵画 番外編

展覧会を見終えて東京都美術館を出る。駅のほうに向かって噴水池のある広場にさしかかると、池の周りに黄色い花が見えた。
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チューリップだった。
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この時期(訪れたのは2月12日)に普通のチューリップは咲かないから、これはアイスチューリップ。氷漬けで花を保存していたのではなく、

   球根を普通にポットに植える
    ↓
   根が張った頃に冷蔵庫で保管する
    ↓
   冷蔵庫から出すと、チューリップは冬でも春と勘違いして育って花を咲かせる

というもの。
この日、美術館の前に訪れた東照宮ぼたん園の冬ボタンも、方法は違うが温度を操作して本来の時期ではない時に開花させるもの。上野公園はそういうのが好きなのか。


昔、アイスチューリップというものを知り、それを昭和記念公園まで見に行った時は、いわゆるチューリップの名所と較べて数が圧倒的に少なくてガッカリしたものだが、今回は予期していないことだったので、噴水の周りに少し咲いているだけでもラッキー感あり。

昭和記念公園の名誉のために書いておくと、あそこの春のチューリップは抜群に素晴らしい。あちこち見に行ったけれど、東京近郊では昭和記念公園と、ひたち海浜公園のチューリップが断トツに他を引き離してのベスト2。



噴水風景と一緒に。もう日が暮れかけていたので花を撮るにはちょっと暗い。
それにしてもどうして黄色ばかりなんだろう?
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wassho at 13:11|PermalinkComments(0) お花畑探訪 | 美術展

2020年03月13日

リンゴの種が発芽!

リンゴを食べた後の芯から種を取り出してシャレで植えてみたのが2月2日
一昨日の朝、暖かさ度合いを確かめるためにベランダに出てみたら発芽しているのを発見!
頭が黒いのは、まだ種の皮を被っているから。
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3月8日の日曜日にチューリップの水やりをした時には発芽していなかった。それなりに芽が伸びているから発芽したのは9日かな。だとしたら36日間で発芽したことになる。

植えておいて言うのもおかしいが、まさか発芽するとは思っていなかった。
とにかくメデタシ\(^o^)/

リンゴの種は6粒撒いたから、まだ芽が出てくるかな。
一緒に種を植えた柿も発芽するかな。

久しぶりにワクワクする春のベランダである。

wassho at 06:30|PermalinkComments(0)   *チューリップ以外 

2020年03月12日

ハマスホイとデンマーク絵画 その5

人物画と風景画の次は室内画。念のために断っておくと、ハマスホイの作品をジャンル別に分けたのは私の頭の整理の都合で展覧会の構成とは異なる。

そのハマスホイは400点ほどの作品を残し、その1/3が室内画といわれる。その比率がどのくらい高いのかは他の画家のデータがないから判断しかねるが、彼の名声を築いたのは間違いなく室内画の作品。

もっともハマスホイに限らず、前回までに紹介したように、当時のデンマークでは室内画が多くを占めていた。その理由は

  王侯貴族に替わり裕福な市民が絵画の中心的消費者になる。
     ↓
  彼らが好んだのは宗教や歴史などの高尚なものではなく身近で日常的なテーマ。
     ↓
  とりわけ例のヒュゲと呼ばれる、くつろぎや快適感。
     ↓
  それの表現に適したのが室内画。

ということらしい。何事にも歴史的な理由があるものだ。
しかし1900年頃から、ヒュゲの舞台としての室内ではなく、室内を描くこと自体に意味を見いだす動きが出てくる。それは歴史が次の段階に進んだという理解でいいと思う。そして、その最右翼がハマスホイ。


「寝室」 1896年

寝室なのに、彼の室内画で一番明るくて爽やかな感じなのはご愛敬。部屋には柔らかな光が満ちており印象派的な作風。そして人物が外を眺めていると何となくストーリーを感じるもの。目覚めた後のヒュゲなひとときといったところ。

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「室内」 1898年

しかしこちらの人物は、もう鏡と人物とテーブルを結んだ三角形からなる、絵の構図要素でしかないように思える。全体にぼやけた感じだが、テーブルクロスの折り目は意外にくっきり。ここの空間というか空気感を強調したかったのかな。

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「画家の妻のいる室内、ストランゲーゼ30番地」 1902年

たまに顔の描かれている作品を見ると、別にもう顔はいらないかなとも思えたり。

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ところでこの絵は画面の左右や上の部分がグニャグニャと波打っている。解説によると「キャンバスが過度に引き延ばされた結果により生じた」とのこと。キャンバスに元に戻ろうとする力が働いて、描いた後から歪んだということか。かなり年月が経ってからのことかも知れない。それにしても古今東西キャンバスの貼り方が下手くそで影響が出た絵なんて見たことがない。

自業自得ではあるがハマスホイは草葉の陰で悔やんでいるだろうなあ。 精緻に描いた静謐な絵なのに、妙なトリップ感が出てしまっている。

関係ないけれど、右隅にあるストーブの形が面白い。薪かな石炭かな?


「背を向けた若い女性のいる室内」 1903-04年

ポスターにもなっているこの展覧会のハイライト。壁の明るい色調と人物が大きく描かれているのが他の室内画との違い。それによってハマスホイにしてはノーマルというか安心して眺めていられる感じ。

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この画像で陶器の質感も見事に描かれていることが分かると思うが、黒いドレスもそれに劣らずよかった。それは残念ながら画像では伝わらないところ。ただしよく見ると腰のひねり方が少し不自然。ハマスホイにとって人物は構図の要素に過ぎないから、このポーズにする必然性があったのだろうな。

ハマスホイは「北欧のフェルメール」と評されているらしい。「いや、目指していたものがまったく違うやろ」というのが私の考え。しかしこの作品だけは、フェルエールを見ている時と同じような穏やかな気持ちになる。


「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」 1910年

続き部屋になっている空間を描きたかった。それだけでは間が持たないから人間も配置してみたというところかな。

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上部を見るとわかりやすいが、この絵は右に向かって下に傾いている。波打っているのとは違うけれど、これもキャンバスの貼り方がまずかったせいなのだろうか。それにしてもハマスホイの不器用さが悔やまれる(^^ゞ

ピアノ鍵盤の下に何もないのはピーダ・イルステズの「ピアノに向かう少女」と同じ。やはりこの時代のピアノはそういう構造のようだ。ということは音も少し小さかったのかな。ところで手前のテーブルは脚にローラーがついている。この時代にもうそんなものがあったのかと意外だった。相変わらずどうでもいいところに目がいってしまう。



ハマスホイの室内画が人気を博しているのは、その禁欲的なまでにシンプルな室内空間が好まれているからだろう。いつの頃からか生活感の匂わないインテリアがファッショナブルだとされてきた。たまにネットや雑誌で住宅関連のものを見ると、日本と欧米では部屋を飾るということに大きな違いがあることに驚かされる。日本のインテリアは部屋にものを置かないことを競っているようである。

またデザインのリサーチなどをすると、日本人はシンプルとカワイイの他は、デザインを表現する言葉を知らないのではないかと思うこともある。単に表現力の不足という見方もできるが「シンプルに暮らす」なんてキーワードも多くの人を惹きつけるから、シンプルは日本人にとって至高の価値観である。その割に空気を読んだり忖度したりと面倒な社会である。


ヒュゲな雰囲気の室内から、室内そのものを描くようになっていたデンマーク絵画。さらにハマスホイは家具も取り去って、建築としての室内を描き出す。ここまで来るともうフェチの世界。珍しいタイプ絵としての楽しませてもらったけど、縦横の線しか絵に要素はないから、キャンバスの貼り方失敗による歪みも目立ちまくり(/o\) 望む!修復作業。


「室内 — 開いた扉、ストランゲーゼ30番地」 1905年

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「室内 — 陽光習作、ストランゲーゼ30番地」 1906年

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「人物と家具」「人も家具もなし」と続いて最後に「家具はあるが人物はいない」作品。後ろの扉は両開き扉で、その半分だけが開いていることに気がつかないと「ボーッと見てるんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られるよ(^^ゞ

「カード・テーブルと鉢植えのある室内、ブレズゲーゼ25番地」 1910-11年

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扉が半分開いていることに気づきにくいのは、隣の部屋の奥行きが感じられず壁のように見えるから。それは隣の部屋に何もないのだから仕方がない。そう考えると「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」でピアノや奥さんのイーダが描かれていた理由も分かる。でもこの絵で描きたかったのは隣の部屋の明るさが醸し出す手前の部屋の雰囲気で、そういうのがハマスホイの美意識なんだろうと思う。


ハマスホイは画像で見ても静かな感じが伝わってくる。さらに展覧会というのは静かなものだが、彼の作品の周りはまさに静まりかえった空間になっている。そんな雰囲気に身をおけたのは有意義な体験。1点だけじゃなかなかよさの分からない画家かも知れない。スケーイン派や他の画家の室内画など多彩な内容でいい展覧会だった。


おしまい

wassho at 09:05|PermalinkComments(0) 美術展 

2020年03月10日

ハマスホイとデンマーク絵画 その4

さていよいよ第4部の「ヴィルヘルム・ハマスホイ — 首都の静寂の中で」のコーナーへ。第3部にも何点かあった「後ろ姿の女性あるいは少女の絵」で、多少の雰囲気はつかんでいたものの、さらに突き詰めた世界が待っていた。

この展覧会の広告コピーが「静かなる衝撃、再び」「ハマスホイの静謐な世界」である。それでわかるように「静か」というのがハマスホイのキーワード。付け加えるとすれば時間が止まっているようにも感じる。そして展覧会で眺めていると、少し例えが正確じゃないのだが、まるで水墨画を見ているような気分になってくる。

それは絵の構成要素がミニマル(最小限)であること、グレーのモノトーンで描かれていたり、彩色があっても彩度(色の濃さ)が極めて低いなどがもちろん影響している。しかし、それよりも、絵だから具体的に形を描いているのだけれど、伝わってくるのはそれじゃないというような感覚が水墨画と似ている。どうしてそう感じるのかはわからないし、その解明に意味があるとも思わない。でもハマスホイの魅力は、そのミステリアスな情景を楽しむことにあるんじゃないかな。


とりあえず人物画から。

「画家と妻の肖像、パリ」 1892年

これはごく普通の絵。ハマスホイと妻のイーダの新婚旅行先パリでのツーショット。素っ気ない描写でも、ハマスホイにとってはこれで幸せマックスな表現なのかも。この絵だけは展覧会の最初に展示されていた。

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「画家の妻、イーダ・ハマスホイ(旧姓イルステズ)」 1894年

もし目を閉じていたら死化粧をしたご遺体と思ったかも。どうしてこの顔色?なのかはハマスホイに尋ねてみないと分からないが、たぶん別に理由はないだろう。タイトルに奥さんの旧姓をわざわざ入れているのは不思議。ちなみに前回で紹介したピーダ・イルステズはイーダのお兄さん。

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「三人の若い女性」 1895年

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左からピーダ・イルステズの妻(つまりイーダの兄の妻)、ハマスホイの妻イーダ、ハマスホイの妹。というわけで親戚といえば親戚だけれど、血のつながりはまったくない3人。私なら親戚づきあいで、こんな組み合わせになる機会は滅多にないかも。狙ったのかどうかは不明だが、この設定からして興味深い。

そして、まさに「シーン」という文字が浮かんできそうな静寂さ。やや平面的に描かれた3人は目線も合わしていない。このままのポーズでずっと過ごしていそう。それでいて気まずそうな雰囲気はまったくなし。

どうして?とこの絵に引き込まれたら、それはもうハマスホイの術にはまっている(^^ゞ


「イーダ・ハマスホイの肖像」 1907年

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また懲りもせずに暗い絵を描いていると思うかも知れない。でもこの絵にはちょっとエピソードがある。

  「イーダは前年(1906年)の5月に手術を受けており、およそひと月半の間、
   病院のベッドに横になっていた。ハマスホイは目の下に隈ができ、額には血管が
   浮き出た妻の容貌をありのままに描いた。病の痕跡を敢えて残すことによって、
   画家は生死の境を乗り越えた妻への感謝と愛情を表したかったのかもしれない。」

もっともハマスホイ自身が、こういう制作意図だと言ったんじゃないけど。感謝と愛情の気持ちはあったとしても、それはそれとして、あるがままを淡々と描いたような気もする。もちろんハマスホイ流に。いくら病み上がりだったとしても、こんな顔色はしていない。



年代が前後するが、画学生の頃のハマスホイは課題制作でこんな絵も描いている。人物が光を浴びているハマスホイのレア作品。

「裸婦」 1884年

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次は結婚前にイーダが彼の家にやってきて、ハマスホイの母と一緒にいるところ。「三人の若い女性」と同様に両者の視線は合っていないし、それぞれが別のことをしているが「取って付けた感」はなく、こういうシーンならあり得る。別に将来の嫁と姑の争いを暗示しているわけではない(^^ゞ 絵はやたら暗いが、それなりに光は当たっており、つまり普通の絵でハマスホイらしさはまだ表れていない。どうやら彼が個性を発揮するのは1895年あたりからのようだ。

それにしてもイーダの手がやたら大きい。「イーダ・ハマスホイの肖像」を見ても彼女の手はかなりゴツゴツしていたみたいだ。またツマラヌことに目がいってしまった。

「夜の室内、画家の母と妻」 1891年

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最後に、ずっと時代が下って1910年頃の作品。これは習作であるが、彼がヌードを描くのは画業初期以来のことらしい。

後ろの二人はなぜか同じポーズ。練習で描くなら違うポーズじゃないと意味ないと思うのだが。注目は手前の女性の顔。正面を向いている! 塗りつぶされているけれど、久しぶりに顔を描こうと思ったのかな?

「裸婦習作」 1909-10年

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続いて風景画を。

「ゲントフテの風景」 1892年

「画家と妻の肖像、パリ」と同じ年に描かれた、同じ程度に素っ気ない風景画。でもハマスホイにしてみれば、これで充分にカラフル?

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「農場の家屋、レスネス」 1900年

もうハマスホイが充分にハマスホイしていた頃の風景画。レスネスはデンマークの地名。後で紹介する室内画と違って、屋外描写では強烈に光を感じるのが面白い。まさにドピカーンである。

そして時は止まっているし音も聞こえない。静寂を通り越して無音。どうしてそう感じるのか不思議。描かれているのは割と簡単な情景で、少し油絵を練習したら描けそうなくらい。なのにこの存在感。けっこう圧倒されてしまった作品。

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「若いブナの森、フレズレクスヴェアク」 1904年

これだけなら素通りしたと思うが、あれこれハマスホイの作品を見ていると、何かヒントになるものが見つかるのではないかと眺めてしまった。わかったのは自然描写だと特に静寂でもないこと。それとハマスホイでも森を描く時は緑色を使う(^^ゞ

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「ロンドン、モンタギュー・ストリート」 1906

しかし街並みを描くと再び静寂が。画面は暗くても、夜明け前や夕方という感じはしなくて心象風景のように思える。それでいてゴーストタウンのようにならないのは街路樹のせいかな。木の描き方は「若いブナの森」と似ている。なぜか画面中央左寄りに青い色が塗られている。

実は「農場の家屋」で無音や時間の停止を感じるのは、明暗のコントラストが強いせいかとも思ったが、この絵でも同じくだから、その仮説は棄却。

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ーーー続く

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2020年03月09日

ハマスホイとデンマーク絵画 その3

「こりゃ、ハズレの展覧会に来てしまったか?」と思った第1部の「日常礼賛 ― デンマーク絵画の黄金期」だったが、第2部の「スケーイン派と北欧の光」でテンション回復。そしてこの第3部「19世紀末のデンマーク絵画 ― 国際化と室内画の隆盛」はなかなか面白かった。

とはいっても前半はどこかで見たような作風が並ぶ。

「花咲く桃の木、アルル」 1888年
 クレスチャン・モアイェ=ピーダスン
(一般的にはクリスチャン・ムーリエ=ペーターセン)

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印象派そのものの描き方。モアイェ=ピーダスンはゴッホと親しく、これはアルルでゴッホとキャンバスを並べて同じ桃の木を描いた作品といわれている。マーケット的には、そのエピソードだけで価格が跳ね上がるね(^^ゞ

参考までにゴッホの「花咲く桃の木、マウフェの思い出に」も紹介しておく。モアイェ=ピーダスンの絵を見て「どこかで見たような気がすると思ったら、そうかゴッホの〜」とか書けたらカッコよかったんだけれど。
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「居間に射す陽光、画家の妻と子」 1888年
 ヴィゴ・ピーダスン (一般的にはヴィゴ・ペダーセン)

赤ちゃんが描かれているだけで可愛いとか、母と子の愛情に癒やされたなんてことは思わないし書かない。しかし、この後はだんだんと精気のない作品が続くので、意外とこの作品が印象に残った。作風はルノアールをお手本にしたのかな。

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「アンズダケの下拵えをする若い女性」 1892年 ※下拵え=したごしらえ
 ピーダ・イルステズ (英語読みならピーター・イルステッド)

これはまんまフェルメールの追随。ドレスの色は黄色以外にして欲しかったけど。それにしても食材の下準備をしているにしては雰囲気が怖いな。

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「春の草花を描く子供たち」 1894年
 ヴィゴ・ヨハンスン

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ほのぼのとした光景。4人の子供の「描く姿の描きわけ方」が上手いなあと思った。ところでデンマークにはヒュゲ(hygge:一般的にはヒュッゲ)という言葉があって、くつろいだ、心地よい雰囲気という意味。それはデンマーク人が大切にしている文化・価値観だと、あちこちの解説に書いてある。そんなのどこの国でも同じやろーーーと思ってしまうのはヒュゲとは真逆のひねくれた態度かな(^^ゞ

それはともかく、これはヒュゲを表現した絵らしい。展覧会のホームページには「デンマーク文化“ヒュゲ”に触れる」というのがこの展覧会の「見所」と紹介されていたが、そういう作品は数点しかなかったような。もっともヒュゲはフワーッとした概念だから、それを感じる感じないは微妙なところではあるが。

そして次が、この展覧会でのヒュゲ代表作とされる同じくヴィゴ・ヨハンスンが1891年に描いた「きよしこの夜」。ヒュゲ感じる? 幸せそうなことは充分に伝わってくるけれど。

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そのヒュゲから距離を置き始めるのが1900年頃からのデンマーク絵画。大切にしている価値観じゃなかったのかと突っ込みたいところだが、ときどき方向転換したくなるのが芸術家というもの。そしてここからの作品はすべて人物は後ろ姿、また一人だけで描かれている。絵の要素として人物は必要でも、人の気配は最小限に抑えたかったのか。美術的には背景としての室内ではなく、室内の美しさそのものを表現するためにとか解説される。


「遅めの朝食、新聞を読む画家の妻」 1898年
 ラウリツ・アナスン・レング (一般的にはローリット・アンデルセン・リング)

まだヒュゲの面影は少し残っているかもしれない。なぜかこの絵を見た時、昭和の団地の光景が脳裏でシンクロした。室内に似ているところは特にないのに、オバチャンの服装の雰囲気だろうか?

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ところで画家の名前はLaurits Andersen Ring。このAndersen:アンデルセンをアナスンと読ませるのだから、この展覧会の表記はやはり変わっている。デンマーク語に忠実にというのは理解できなくもないが、ちょっと原理主義的。



「読書する女性のいる室内」 1913年以前
 カール・ホルスーウ

だんだんと絵がミニマルになってハマスホイとの近似性を感じる。カール・ホルスーウの作品をネットで調べると、人物はほとんどが後ろ姿あるいは横顔で、わずかにある正面から描かれた絵も下を向いているものばかり。よほど顔を描くのを避けていたみたい。

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「ピアノに向かう少女」 1897年
「縫物をする少女」 1898-1902年
 ピーダ・イルステズ (英語読みならピーター・イルステッド)

同じような手法でも、幼い子供が描かれていると情感がにじみ出るというか人間味のある絵になる。よく番組制作で「子供と動物にはかなわない」などという。少し意味合いは違うものの、その言葉を思い出しながら眺めていた。

関係ないが、この頃のピアノは鍵盤の下に何もなかったんだ。

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「読書する少女のいる室内」 1903年
 カール・ホルスーウ

先ほどの絵とは違って調度品が多く描かれている。カール・ホルスーウ作品ではこちらが通常で、あのミニマル感は例外。でもこれは、ちょっと詰め込みすぎな感じもする。少女の後ろのテーブルのザルは必要だった?

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ところで「おさげの髪」を前と後ろに分けて垂らしているのは何か意味があるのかな?



「飴色のライティング・ビューロー」 1901年
 ギーオウ・エーケン (一般的にはゲオルク・アーヘン)

この絵の前に立つと自分の顔が映り込むかと思うくらい、見事にリアルな質感で描かれている。しかし、あんな高いところに花瓶があったら取り替えるのに不便だと、いつもながら絵の本質とは関係ないところに最初に目がいってしまう。

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この絵を見ると、後ろ姿でも人を入れたかった気持ちがわかる。もちろん人がいなければこの構図では描かないにしても、人あっての家具であり部屋であるという気がする。もっともハマスホイは人はおろか家具さえない室内画を描くのだけれど。


ーーー続く

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2020年03月07日

ハマスホイとデンマーク絵画 その2

展覧会は次の4部で構成されている。

 1:日常礼賛 — デンマーク絵画の黄金期
 2:スケーイン派と北欧の光
 3:19世紀末のデンマーク絵画 ― 国際化と室内画の隆盛
 4:ヴィルヘルム・ハマスホイ ― 首都の静寂の中で


デンマークの絵画では1800年から1864年までを黄金期と呼ぶらしい。童話作家のアンデルセンが1805〜1875年だから、だいたいそれと重なる時期。名前だけは知っているチボリ公園ができたのも1843年。それにしても黄金期が「1864年まで」と、どうしてそんなに細かく刻めるのか。少し調べたけれどわからなかった。

それでその黄金期である展覧会の第1部は、つまらなかったとはいわないが、別にフツーというか、黄金期がこれで大丈夫かという気持ちになったのが正直なところ。それでも印象に残った3つを紹介。

          ※この展覧会の名前表記は独特なので、一般的なものも併記した

「果物籠を持つ少女」 1827年頃 
 コンスタンティーン・ハンスン (一般的にはコンスタンティン・ハンセン)

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このコーナーでは異彩を放っていた作品。子供を描いたにしては服の色も全体のトーンも地味だし、表情も何となく寂しそうだ。言ってみれば「素」に近いこの「低い温度感」のようなものは、後で紹介するハマスホイに通ずるものがあるのかも知れない。


「外科医クレスチャン・フェンガとその家族」 1829年 
 マーティーヌス・ラアビュー (一般的にはマーティヌス・ラービュー)

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外科医だから、そこそこの上流階級かと思う。オウムも飼っているし。この絵はぎこちなさ満載なところがおもしろい。中央の外科医には「なんでお前だけカメラ目線やねん」と突っ込もう(^^ゞ 向かって右側の妻には「編み物を立ってするか?」、左側の娘には「ポーズがわざとらし過ぎるやろ」と言いたいな。 素人に動きを付けさせるとこうなるというような見本。画家がきちんと演出しなければと思うが。

それはそうとして、こういう当時の風俗がわかる絵は好きである。例えばこの絵からは、この時代からヨーロッパでは犬を室内で飼っていたことが伺えたりする。


「海岸通りと入り江の風景、静かな夏の午後」 1837年
 クレステン・クプゲ (一般的にはクリスチャン・ケプケ)

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ゆったりとした風景画。高く伸びている木は何だろう。イチョウかな? まるでお手本のようにサマになっている絵であるが、実は不思議さいっぱいでもある。

まずタイトルを見るまでは湖を描いているのだと思っていた。なぜなら陸地の草が水際まで続いているから。波打ち際まで草に覆われている海岸なんてあるか?

次に空がピンク色である。夕日の情景らしいので、それを画家の感性でピンクに表現したことはよしとしよう。もっとも夕焼けには見えないが、それも目をつむろう。しかし、だったらタイトルに「午後(英題ではafternoon)」はないだろ。 もっとも英語では夕方という言葉や概念がないから、late afternoon か early evening とかになるけど。

そして空がピンクなのは許すとしても、海までがピンクは無理があるなあ。海が夕日に染まるのは太陽から伸びている光の部分だけだし、それも夕日のオレンジ色じゃない。また海面というのは空の色を反射して色がついているのだが、海がピンクになるには空全体が相当にピンクになっている必要がある。

あまり理屈ぽく眺めると絵を楽しめない(^^ゞ


これで黄金期の絵なのかと書いたが、調べてみるとデンマーク近代絵画を切り開いたのはエカスベア(またはエガスベアまたはエッカースベルグ)という画家。美術学校の教授や学長も務め、このコーナーに展示されているのは彼の生徒たちが中心。そのエカスベアの作品をネットで調べると素晴らしいものが多かった。どうしてこの展覧会にエカスベアを1枚も持ってこなかったのか。それがとても残念。



次のコーナーは「スケーイン派と北欧の光」。スケーインは地名だが、これも一般的にはスケーエンの表記が多い。この展覧会はデンマーク語に近い表記にこだわっているけれど、世間と違う言葉を使われると、後で検索する時なんかに不便なので困る。ちなみにデンマーク語は発音が難しいとされる言語で、母音の数が数え方によっては30個近くにもなる(日本語はもちろん5個で英語が15から20個)。それと綴りと発音があまり一致しないらしい。

話はそれるが、電話回線がデジタル化され始めた頃の話。世間では「デジタル」だったが、NTTは英語に忠実な「ディジタル」という表記をかたくなに使用していた。その頃はインターネットが普及し始め、検索というツールも使われ出した頃。そして「デジタル」での検索では自社の「ディジタル」に関する情報にまったくヒットしないことに気づいたNTTは、こっそりと「ディジタルからデジタル」に表記を変更することになった。ちょっと懐かしい、あまり知られていない昔の業界裏話。

スケーインとスケーエンやハマスホイとハンマースホイ、別にどちらでもいいが早く標準を確立して欲しい。ただしゴーギャンはゴーガンじゃなくゴーギャンだ!!


さて、そのスケーインはデンマークの漁師町。当時はド田舎で純朴な村人が住んでいたらしい。そして日当たりのいい場所とのこと。それに憧れてスケーインに集まった画家がスケーイン派。ゴッホのアルル、ゴーギャンのタヒチみたいなものかな。あるいはバルビゾン派のオーシャン版。海好きとしては海景画が多いこともあって、このコーナーは楽しめた。


「ボートを漕ぎ出す漁師たち」 1881年
 ミケール・アンガ (一般的にはミカエル・アンカー)

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男たちは消防服のようなものを着ているし、海も荒れているから、これは海難救助の出動シーンを描いたもの。緊迫感溢れる作品で見応えがあった。まるで報道写真のようでもある。当時はナショナリズムの高まりもあって、こういう英雄的な題材が好まれたらしい。


「救難信号」 1883年
 オスカル・ビュルク (一般的にはオスカル・ビョルク)

先ほどの絵がなければ何を描いているのか理解できなかっただろうし、タイトルを読んで?と思ったはず。もちろんこれは船の救難信号を聞きつけて窓から海を眺めているシーン。

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どんな救難信号だったのだろう。救助にいくのがあの程度のボートだから、助けられる船は水平線より手前の目視できる位置にいるのだろう。一般家庭にいて救難信号に気づくということは汽笛かサイレンか。それとも信号弾や発煙筒? 手巻きのサイレンはもう存在していたと思うが、汽笛には蒸気か電気が必要。信号弾はまだ普及していないはず。

ひょっとしたら船からの救難信号じゃなくて、助けにいくから皆集まれ〜の合図のことかも知れない。それなら灯台や監視所で鐘を打ち鳴らしていることが想像できる。絵を見ると細かいことが気になるのが私の性格。

ところで描かれている人物は母親と息子、そして赤ちゃんの3人。母親と息子からは緊張感がヒシヒシと感じられるのに対して、当然ながら赤ちゃんは無邪気なもの。そのあたりの「緊張と緩和」みたいな描き分けが、あざといというか鼻につくというかーーー。救難信号の謎が解けないので絵に文句を付けてみた(^^ゞ


「スケーインの海に漕ぎ出すボート」 1884年
 オスカル・ビュルク (一般的にはオスカル・ビョルク)

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ミケール・アンガの「ボートを漕ぎ出す漁師たち」を見ている時、少し離れた場所にあるこの絵も目に入った。160センチ × 約200センチの大きなサイズなので描かれている内容もわかった。それでてっきり同じ画家のバージョン違いのような作品だと思った。そしてこの絵の前に立って、違う画家だと知ってビックリ。

この絵とアンガの絵の、正面を向いている男性ははどう見ても同じ人物に思える。王侯貴族や著名モデルじゃなく、いわばその他大勢の群衆で、同じ人物を違う画家が描いたのを見たのは初めて。小さな漁村だから、彼らを描くうちに自然とダブったのだろう。まあとにかく珍しい経験ができた。なお、もう同じ人物だと確定したので異論を挟まないようにお願いします(^^ゞ

ところでこの絵はボートを海から引き上げているようにしか見えないのだけれど。西洋人と東洋人では「押し方」が違うのか?


「漁網を繕うクリストファ」 1886年
 ピーザ・スィヴェリーン・クロイア (一般的にはペーダー・セヴェリン・クロイヤー)

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写実的なアンガやビュルクと違って印象派的な作品。そしてやたらダンディで赤いスカーフまで巻いている。これはバーかそんな店の光景だろうと思ったら、まさか漁師が網の修理をしているところとは。左上に書いている文章は、この絵を画家のエルネスト・バイエに贈ったことを示すものらしい。〜〜さん江みたいなものだろうが、こんなに大きく書くか?


以下、印象派的な作品を中心に。スケーイン派の画家たちは印象派のムーブメントをフォローしていたわけじゃなさそうだが、一度あの画風を知ると描かずにはいられなかったのかも知れない。音楽でいうとクラッシックしかなかった世界に、いきなりポップスがあらわれたのが当時の印象派のインパクトかなと思っている。


「台所の片隅、花を生ける画家の妻」 1884年
 ヴィゴ・ヨハンスン

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「娘の髪を編む母親」 1888年
 クリスティアン・クローグ (一般的にはクリスチャン・クローグ)

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「朝食 ― 画家とその妻マリーイ、作家のオト・ベンソン」 1893年
 ピーザ・スィヴェリーン・クロイア (一般的にはペーダー・セヴェリン・クロイヤー)

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「スケーイン南海岸の夏の夕べ、アナ・アンガとマリーイ・クロイア」 1893年
 ピーザ・スィヴェリーン・クロイア (一般的にはペーダー・セヴェリン・クロイヤー)

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ーーー続く

wassho at 12:04|PermalinkComments(0) 美術展 

2020年03月06日

ハマスホイとデンマーク絵画

ブログにするのがずいぶんと遅くなってしまったが、
2月12日に上野の東照宮ぼたん苑を見終えて向かったのは、
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動物園を横目で眺めて、
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毎度おなじみの東京都美術館。
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この日は入り口にこんな看板。
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係員のオバサンが立っていて、
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こんなカードを渡された。
居住地を調べているらしい。
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渡されていたのは全員じゃない。そういう場合はランダム性を確保するために何人かおきに声をかけるというルールでやることが多い。あるいは性別や年代別に目標数を決めて声をかける場合も。こういう場で私は「声をかけられにくいタイプ」なんだけど、看板を撮影していたから協力してもらえると思われたのか、あるいは美しい冬ボタンを鑑賞した後なので優しい顔になっていたのか(^^ゞ

アンケートは該当する部分に穴を空けて、このボックスに投入するだけ。
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単純に来場者特性を調べていたのか、あるいはコロナウイルス対策の準備として情報収集をしていたのか。居住地しか調べていないから後者ぽいかな。だとしたら、この頃はまだ今ほどヒステリックな状況になっていなかったから、東京都の対応は迅速だったといえる。


さて今回の展覧会は「ハマスホイとデンマーク絵画」。
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昨年のロシア展ウィーン展、今年になってからはハンガリー展に続いてデンマークと、西洋美術にとってはマイナーな国の展覧会が開かれていることはうれしい。メインストリームの絵画だって少しかじった程度でエラソーなことをいえる身分ではないけれど、何事も広く浅くが私の信条。

出展されている画家は初めて聞く名前ばかり。実はハマスホイだって最初は画家の名前だと思っていなかった。「レアリスムとデンマーク絵画」のように何かの美術用語かと(^^ゞ

改めて書いておくとヴィルヘルム・ハマスホイ(1864-1916)は、日本でなら明治維新の4年前に生まれたデンマークの画家。苗字のHammershoiはハンマースホイと表記されることも多い。ハマスホイのほうがデンマーク語の発音に近いらしいが、どうもこの展覧会はその方針で画家を名付ける方針のようで、他の画家も従来とは違う日本語表記が多かった。

ハマスホイはデンマークを代表する画家として名声を得たが、死後は急速に忘れられ、20世紀後半に再評価が始まったとのこと。よくあるパターンといえるが、

    どうして絵画のような実体のあるものが忘れられるのか?
    (音楽ならわかるような気もするが)

    再評価待ちの過去の著名画家って、後どれくらいいるのか?

といつもながら疑問というか好奇心がわく。カラヴァッジョなんて教会の壁に描いているのに、350年も忘れられていたなんて信じられない。


さて私はハマスホイの名前すら知らなかったが、展覧会はそこそこの入りで、そして若い女性がとても多かったのが印象的だった。そんなに人気があったのか、ひょっとしてブームなのかーーー何となく世間の事を知らなかったような気分で凹む。

展覧会はハマスホイが生まれる少し前、19世紀初頭からのデンマーク絵画のトレンドを紹介してハマスホイにつなげるという構成。だからデンマーク絵画の歴史を俯瞰するというものじゃない。ハマスホイはかなり独特の画風で、また他の画家もハマスホイに近いものを集めたのかも知れないが、いつもの展覧会とはかなり違ったものが楽しめた。

そういう意味でお勧めの展覧会なのだが、現在は2月29日からコロナウイルス感染防止のために休館中。今のところ休館は3月16日までの措置で会期は3月26日まであるものの、現状では再開の可能性は低いだろう。ハマスホイの前回の展覧会は12年前の2008年で、なかなか見る機会はない画家だから残念なことである。


ーーー続く

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2020年03月04日

スーパーチューズデーは火曜日つまり平日

アメリカの大統領候補を決める予備選のうち、多くの州での選挙が集中し、その後の選挙戦を大きく左右するのがスーパーチューズデー。2月または3月の初旬の火曜日に行われるからその名前がついた。

それが今回は3月3日で、日本時間だと本日なので選挙結果が速報されている。それにしても78歳のサンダースと77歳のバイデンが最有力候補だなんて、アメリカは大丈夫か。対するトランプだって73歳だし。

それはさておき、
先にも書いたが火曜日だからチューズデー・Tuesdayなのである。日本人的には木曜日のサースデー・Thursdayと混同しやすいTuesdayである。略語のTUEとTHUだとなおさら紛らわしい。ところでプレミアムフライデーはどこへ行った?

そのスーパーチューズデーという言葉は割と知られているけれど、不思議なのは火曜日に選挙をするのか?という疑問を持つ人が少ないこと。私は初めて気づいた時、けっこうカルチャーショックだったのだけど。
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なぜ火曜日かというとアメリカ建国当初の状況が影響している。

  キリスト教では日曜日は安息日なので選挙などをしてはいけない。
  月曜日を投票日とすると広いアメリカでは投票所に行くのに日曜日から出かけ
  なければいけない人もいる(まだ馬車の時代)。これも安息日に反する。
  だから火曜日が投票日になった。

ということらしい。
今なら月曜日でもよさそうなものだが、もう伝統なのだろう。

日本では選挙は基本的に日曜日である。それは日曜日が休みの日だから。アメリカ人は火曜日に選挙があっても困らないのか? 選挙のある火曜日は遅刻したり仕事を抜け出してもOKとされるのか? まあそのうち調べましょう。期日前投票や郵送による投票はあるみたいだ。

それに日曜日が安息日というキリスト教的理由から火曜日になったのなら、他のキリスト教国はどうなのか。Wikipediaによるとイギリスは木曜日が慣例らしい。また韓国の大統領選は水曜日とのこと。もっとも韓国はキリスト教徒3割、仏教徒2割でキリスト教の国とまではいえないが。まあそのうち調べましょう(2回目)。


所かわれば品かわるで、選挙制度も国によってさまざま。ところでアメリカの大統領予備選は民主党あるいは共和党の大統領「候補」を決める選挙で大統領選挙じゃない。しかしこれは日本の自民党総裁選や各党代表選のような政党内での内輪の選挙ではなく、日本風にいえば国政選挙として実施される。州によって制度に違いはあるものの有権者は党員じゃなくて国民。これにも少々ビックリ。

そろそろ自民党の総裁選も国政選挙でやったらいいんじゃないと思ったり(^^ゞ

wassho at 20:54|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2020年03月03日

コロナウイルスと水筒に半分の水

とうとう学校が休校になり、大型イベントが中止になり、人が多く集まる施設は閉鎖され、社員の多くを在宅勤務にする大企業が出始めて、また北海道では知事が緊急事態宣言を出すなどコロナウイルスは近年に経験したことのない未曾有の事態になってきた。

厚労省

マスクは1月下旬からずっと売り切れが続いている。2月12日に厚労省から「例年以上の毎週1億枚以上を国民の皆様に届けられることになった」という「デマ」がツイートされ、その後も政府がいろいろ発表しているが、店頭に豊富に並ぶまでそれを信じろというのが無理な話。そんな社会心理が働いてティッシュやトイレットペーパーまでが消えた。スーパーでは米などの棚も空っぽである。

すべて昨日撮影の写真
ドラッグのマスク売り場
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生理用品売り場
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ティッシュとトイレットペーパー売り場
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スーパーの米売り場
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パスタ売り場
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それで国内におけるコロナウィルスの被害状況はどうなっているかというと
3月2日時点で、

  感染者総数980名。
  うちクルーズ船と武漢から引き上げてきたチャーター便と検疫官などが738名。
  それを差し引いた国内での感染確認は258名。

  ※計算が合わないがデータに重複があるらしい
  ※なお国内感染者には中国からの旅行者なども含む

  死亡した人はクルーズ船6名と国内感染6名の合計12名。


これをどう見るべきなのか。
感染者数は、その人数を少なくカウントするために検査をさせていないという話も聞かれるが、死亡者数については間違いのないところだろう。それで

  たった12名が亡くなった程度で騒ぎすぎだ
  コロナウイルスは感染力は高いが危険性は低い

という意見がある。
致死率は6÷258なら2.3%、12÷980なら1.2%である。報道では全世界で最終的には2%を切るというのが今のところの推定。これはSARS(サーズ)の10%、MERS(マーズ)の35%と較べると相当に低い。エボラ出血熱なんて致死率が50%もあった。そういう意味では死のウイルスと恐れる必要はない。

しかし致死率は低くても、感染力は高いとしたら(←抽象的な表現だけれど)別の視点も出てくる。つまり仮に致死率が2%だとしても1000万人が感染すれば20万人が亡くなる計算になる。参考までに書いておくと東日本大震災と阪神・淡路大震災の死者は、それぞれ約1万8500人と6500人である。

それに1000万人が感染したら、それは医療の完全崩壊を意味するから致死率は2%では済まない。参考までに日本の病院のベッド数は156万床、医師は32万人である。もちろんここからコロナウイルスに対応できる割合はごく僅か。ひょっとしたら太平洋戦争の犠牲者300万人を超えるかも知れない。そう考えると感染防止のためにできることはすべて行うべきとなる。


いくら何でも1000万人は数字を膨らませすぎと思われるかも知れない。私もそう思う(^^ゞ しかし第1次世界大戦の頃に流行ったスペイン風邪では、当時の人口5500万人のうち39万人が死亡している。感染者数のデータは見つけられなかったが、総人口に対する致死率は0.7%。それを現在の人口1億2000万人に当てはめると85万人になる。

ちなみにスペイン風邪はインフルエンザの1種で、当時の世界人口約20億人にたいして感染者5億人以上、死亡者5000万人から1億人といわれている。もちろん当時と現在では医療レベルも衛生環境もまったく違うから、同じ事になるかもと心配しながら生活する必要は今のところない。


致死率と感染力の関係は、あの話に似ている。

   砂漠で水筒の水が半分になった。
   それを「まだ半分も残っている」と思うか、あるいは
  「もう半分しか残っていない」と思うのか。

いわゆる楽観論・悲観論の例え。
もっとも現在の状況は楽観論・悲観論ではなく、事実認識は二の次で、周りが騒ぐから自分も騒いでしまうというものかな。冷静に考えれば馬鹿げているが、世の中というのはそういうもの。このブログだって、その騒ぎに乗っかってネタにしているだけ(^^ゞ

ところで水筒の例えで、あなたはどう思うと尋ねられると「半分は半分やろ」と答えて、いつも話の腰を折ってしまうーーー
砂漠


wassho at 22:31|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2020年03月01日

世界らん展2020 その7

さて、そろそろ帰ろうかと思った午後5時半頃に「6時より照明を落として展示をライトアップします」というようなアナウンスが流れる。せっかくだから、それを体験してから帰ろうかと。


照明が落ちた会場。
なかなかいい雰囲気である。
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ただし大型の創作展示はライトアップの光量も大きいので、照明が明るい時とあまり変わらず写ってしまう。
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ランの花を観賞するにはまったく支障がない。
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展覧会の当日券は2300円で、午後5時から入場できるナイト当日券は1200円と約半額。展覧会は午後9時までやっているから(そうじゃない日もある)、ナイト券のほうが圧倒的にお得。午後5時に入って照明が落ちるまでに「鉢ごとの単体展示」を鑑賞して、暗くなってからそれ以外の展示を巡り歩くのがいいと思う。


これは100万輪のラン(オンシジュウム)で作られているというシンボルモニュメント。桜蘭(おうらん)と名前が付けられていた。でも桜蘭(さくららん)というランとは関係ない別の品種の花があるんだけどな。
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照明が明るい時の様子。
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こういうのはライトアップがバエる。
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「蘭舞」の展示から。これはなかなか幻想的でイイ感じだった。
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下から照明を当てたら怖いヤロ!
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もう少しすればレーザー光線のショーなども始まるようだったが、
待ちきれずに帰ることに。
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チェロのコンサートをやっていた。
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いろんなゲストを呼んで30分ほどのステージを1日に数回やっているみたい。1日券チケットを買うなら、そのステージも選んだ上で会場に来るといいかもしれない。それなら半日遊べる。



話は変わるが、
前回のエントリーでコロナウイルスで入場者が減っているのかもと書いた。それで過去の記録はどうなっているかと調べてみるとビックリの事実が。

元々は世界蘭会議という研究発表と展示評価を3年に1回行うイベントがあった。その12回大会が日本で開かれたのが1987年。その展示会が当時の向ヶ丘遊園で行われ、主催者予想の25万人を大幅に上回る40万人を集客する。

それに気をよくして(^^ゞ世界蘭会議から展示評価を切り離して拡大させた“Japan Prize 蘭 International Orchid Show”として東京ドームで開催されたのが1989年。これが世界らん展の実質的な前身とされる。

そして1991年から2018年まで開催されたのが「世界らん展日本大賞」。2019年からは「世界らん展−花と緑の祭典−」に名前が変わって現在に至る。

というわけで30回以上の歴史を持つイベントであるが、その入場者数は近年になって大幅に減少している。
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これが営業成績ならクビ間違いなしのグラフになってしまった(^^ゞ

一目でわかるのは(クリックでグラフは拡大できる)2009年に39万人もあった入場者が2010年には20万人とほぼ半減していること。いったい何が起きたのだろう? こんなに減らすのは逆に難しいと思うけれど。そして、その半減のせいで目立たないが、2018年は12万人弱と、2009年から半減した2010年の20万人と較べて58%に減少している。

場所は2回目の1989年からずっと東京ドーム。開催期間は1995年から2015年までが9日間で2016年からは7日間になり、2019年からは8日間に。展示株数は2004年から10万株。つまり規模的には40万人以上の集客があった時から変わっていない。2000年しか調べていないが当時の入場料は2000円だったから、現在とほぼ同じ。

しかしこういうイベントって半減の半減して1/4しか人が来なくてもやっていけるのか。だとしたら楽な商売。基本的にスポンサーフィーだけで経費はペイしているのだろうけど。

もっとも2018年から2019年は11万8827人から13万6236人へと15%増加している。長期低落傾向に歯止めがかかったのかも知れない。しかし今年はーーー(本日現在、まだ発表はない)。いろいろなイベントやスポーツ大会が軒並み中止になっているし、学校閉鎖で仕事ができなくなる人もいて、コロナウイルスは健康被害より経済被害のほうが大きいような気配が濃厚である。



東京ドームを出たのは午後6時半過ぎ。
ナイト券で入る「わかってらっしゃる」皆さん。
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4時間くらいの滞在だった。花いっぱいの東京ドームをウロウロできて満足。ネットで調べると毎年似通った展示のようだから、4年に1回くらいでまた来てみようかな。その時も続いていますように(^^ゞ


おしまい

wassho at 09:17|PermalinkComments(0) お花畑探訪