2020年07月
2020年07月31日
奈良時代の人口は300万人だった!?
先日、コロナの話題から派生したような企画内容のテレビ番組があり、古来より日本ではさまざまな疫病=感染症に見舞われてきた歴史を紹介していた。
その中で興味深かったのが
奈良時代に疱瘡(ほうそ=天然痘)が蔓延し、
100万人が亡くなった。
これは当時の人口の1/3に当たる。
との解説。
えっ! 100万人で1/3ということは
奈良時代の人口って、たったの300万人?
番組制作者からは「ソッチカイ!」と突っ込まれそうだが(^^ゞ
現在の日本の人口は約1億2600万人。もちろん昔はそれより少ないと常識的にわかるとしても、たったの300万人にビックリしたというか、そんな遠い昔の人口なんて考えたこともなかったので虚を突かれた感じ。
それで少し調べてみた。もちろん正確な統計は明治になってから。江戸時代以前は推測になるものの、いろいろ研究しての結果だから、それなりに近い数字なのだと思う。
情報ソースによって数字は異なるので、エイヤッと要約すると
縄文時代:26万人
縄文時代は1万3000年もの長い期間。始まった頃は2万人、最盛期で26万人に
達したとされる。たったそれだけの集団が作った土器や土偶が今も残っているのは
感慨深いなあ。
ただし縄文晩期には気候変動による寒冷化で8万人まで減少。
8万人って最盛期の1/3以下で、日本人滅亡の危機が迫っていたレベルじゃないか。
弥生時代:約1000年間で8万人から60万人まで増加。稲作が始まったおかげ。
古墳時代:具体的な数字を見つけられず。
奈良時代:450万人
テレビの300万人とは数字が違うが、天然痘で亡くなったのは150万人との説も
あり、それなら人口の1/3という比率は同じになる。いずれにせよ仰天の死亡率。
平安時代初期:550万人
平安時代末期:680万人
鎌倉時代初期:760万人
室町時代初期:820万人
江戸時代初期:1200万人
江戸時代中期:3100万人
明治時代:初期3300万人〜終期5000万人
終戦(1945年):7200万人
だから何だという数字ではある。しかし明治の始めは人口が今の1/3。ゆったり暮らせたろうなとか〜1000万人を超えたのは戦国時代。集団で合戦しているイメージがあるが今の1/10なら人集めが大変だったかもとか〜平安時代でも今の1/20かあ。そんなに人が少なければ暗闇に妖怪・魑魅魍魎が潜んでいると思うのも無理はないか〜など、あれこれモーソーが膨らんで楽しい。歴史の授業でも教えるべきだ。もっとも3000万人を超えた江戸中期以降はともかく、この国で1000万人以下の人しかいなかった状況は、どうにも具体的にイメージしづらいが。
2004年内閣府少子化白書のグラフでマクロ的に見ると、戦国時代が終わるまで日本の人口はなだらかに推移し、そして江戸時代になって爆発的に増えている。ただし江戸時代中頃からは停滞が始まり、ふたたび増加に転じるのは明治になってから。
そして現在は少子化の世の中である。
同じように数字を並べると
1967年(昭和42年):1億人突破
1974年(昭和49年):人口維持に必要とされる出生率2.08を下回る
2008年(平成20年):1億2808万人でピークに達し、以降は減少に転じる
2058年:1億人を割り込む予定
こちらは2015年厚生労働白書からのグラフ。
あと40年で終戦直後、80年で明治維新の頃の人口となる(/o\)
もっとも、これは移民を今より取らない前提でのシミュレーションであるが。
ところで少子化が問題になっているのは誰でも知っていると思うけれど、こういった具体的なイメージを持っている人は、ほとんどいないんじゃないかな?
それはさておき、あと80年かあ〜
その頃の日本をこの目で見たいが難しいだろうなあ(^^ゞ
その中で興味深かったのが
奈良時代に疱瘡(ほうそ=天然痘)が蔓延し、
100万人が亡くなった。
これは当時の人口の1/3に当たる。
との解説。
えっ! 100万人で1/3ということは
奈良時代の人口って、たったの300万人?
番組制作者からは「ソッチカイ!」と突っ込まれそうだが(^^ゞ
現在の日本の人口は約1億2600万人。もちろん昔はそれより少ないと常識的にわかるとしても、たったの300万人にビックリしたというか、そんな遠い昔の人口なんて考えたこともなかったので虚を突かれた感じ。
それで少し調べてみた。もちろん正確な統計は明治になってから。江戸時代以前は推測になるものの、いろいろ研究しての結果だから、それなりに近い数字なのだと思う。
情報ソースによって数字は異なるので、エイヤッと要約すると
縄文時代:26万人
縄文時代は1万3000年もの長い期間。始まった頃は2万人、最盛期で26万人に
達したとされる。たったそれだけの集団が作った土器や土偶が今も残っているのは
感慨深いなあ。
ただし縄文晩期には気候変動による寒冷化で8万人まで減少。
8万人って最盛期の1/3以下で、日本人滅亡の危機が迫っていたレベルじゃないか。
弥生時代:約1000年間で8万人から60万人まで増加。稲作が始まったおかげ。
古墳時代:具体的な数字を見つけられず。
奈良時代:450万人
テレビの300万人とは数字が違うが、天然痘で亡くなったのは150万人との説も
あり、それなら人口の1/3という比率は同じになる。いずれにせよ仰天の死亡率。
平安時代初期:550万人
平安時代末期:680万人
鎌倉時代初期:760万人
室町時代初期:820万人
江戸時代初期:1200万人
江戸時代中期:3100万人
明治時代:初期3300万人〜終期5000万人
終戦(1945年):7200万人
だから何だという数字ではある。しかし明治の始めは人口が今の1/3。ゆったり暮らせたろうなとか〜1000万人を超えたのは戦国時代。集団で合戦しているイメージがあるが今の1/10なら人集めが大変だったかもとか〜平安時代でも今の1/20かあ。そんなに人が少なければ暗闇に妖怪・魑魅魍魎が潜んでいると思うのも無理はないか〜など、あれこれモーソーが膨らんで楽しい。歴史の授業でも教えるべきだ。もっとも3000万人を超えた江戸中期以降はともかく、この国で1000万人以下の人しかいなかった状況は、どうにも具体的にイメージしづらいが。
2004年内閣府少子化白書のグラフでマクロ的に見ると、戦国時代が終わるまで日本の人口はなだらかに推移し、そして江戸時代になって爆発的に増えている。ただし江戸時代中頃からは停滞が始まり、ふたたび増加に転じるのは明治になってから。
そして現在は少子化の世の中である。
同じように数字を並べると
1967年(昭和42年):1億人突破
1974年(昭和49年):人口維持に必要とされる出生率2.08を下回る
2008年(平成20年):1億2808万人でピークに達し、以降は減少に転じる
2058年:1億人を割り込む予定
こちらは2015年厚生労働白書からのグラフ。
あと40年で終戦直後、80年で明治維新の頃の人口となる(/o\)
もっとも、これは移民を今より取らない前提でのシミュレーションであるが。
ところで少子化が問題になっているのは誰でも知っていると思うけれど、こういった具体的なイメージを持っている人は、ほとんどいないんじゃないかな?
それはさておき、あと80年かあ〜
その頃の日本をこの目で見たいが難しいだろうなあ(^^ゞ
2020年07月29日
カビの生えたお菓子を食べてしまった(>_<)
たまにスーパーやコンビニで目についたお菓子を衝動買いすることがある。その時は「あっ、これ食べたい」と思って買うのだけれど、家に着いた頃にはそんな気持ちがすっかりなくなっているから、まさに衝動買いの典型である。もちろん捨てはしないが、それを食べるのはしばらく先になる。
先日もそんな衝動買いをセブンイレブンでしてしまった。期間限定商品だったのか、もう店頭にはないし公式ホームページにも載っていなかった。写真はネットで拾ってきたものだが、多分これだったように思う。
これはわらび餅である、つまり生菓子である。パッケージに「要冷蔵」と書かれている。でも抹茶の写真に惹かれて衝動買いしただけだから、まったくそんな表示は気にしていなかった。そして例によって自宅に持ち帰った頃には興味もなくなり、いつものようにリビングの片隅に放置(/o\)
思い出してみると、これはパフェなどを売っている冷蔵庫陳列棚で売られていた。しかし、その陳列棚の上部は冷蔵庫ではなくクッキーなども並べられている。それと要冷蔵のお菓子って中身が透けて見えるパッケージものが多いから、それらが影響して冷蔵庫で保存する意識を持たなかったのかもしれない。
正確には覚えていないものの、多分5日間は常温で、すなわち真夏の高温多湿な室内に置きっぱなしになっていた気がする。そして運命の日がやってきたのは4連休初日の7月23日の深夜、そろそろ24日になろうとする頃。
その時はテレビでAmazonプライムのビデオを見ていた。こういう場合はビデオというのかな? まあとにかく映画を見ていた。しばらくして小腹が空いて抹茶味のお菓子があったと思い出す。
もともと夜は照明をあまり明るくしないで過ごすことが多い。じっくり映画を見るときはテレビの上の小さなダウンライト2つだけでかなり部屋は暗い。これがカビに気がつかなかった第1の要因。
ソファに抹茶わらび餅を持ってきて、テレビを見たままパッケージを破り、テレビを見たまま内蓋を開け、中に入っていた楊枝で1つ食べた。つまりお菓子にはほとんど目をやらないで口に入れた。これが痛恨となる第2の要因である。
別にヘンな味はしなかった。思ったより甘くないなと思った程度。映画に気をとられていたので何を食べたのかの認識もあまりなかった。残りのわらび餅の入っている容器をソファに置き、そのまま映画を見続けた。
10分ほど経って、2つめを食べようと容器を見た。残りの3つのうち、2つが白と緑(暗いので緑色には見えていなかったが)に分かれたツートンになっており、1つには白い円のような模様がわらび餅の表面に見えた。変わったわらび餅だなと思いながら、容器を手元に引き寄せて初めて
白いカビが生えている!!
のに気がついた(>_<)
白くて細い短い繊維が立って密集しているようなカビだった。ビックリしてすぐ捨てたので写真は撮っていない。さきほどネットで調べてみたが似たような画像は見つからなかった。
とりあえず映画鑑賞は中断。
さてどうする?
ノドに指を突っ込んで吐き出そうか。
辛そうだし、そんな荒技をした経験はないので躊躇する。
しかしそれ以外に方法は思いつかない。
だが結局、小さなわらび餅の表面の最大で5割程度にカビが生えていたとして、たいした分量じゃないし、口にしたときに違和感もなかったし、10分以上たって吐き気もしないからーーーという根拠があるような無いような理由で何もしないと決めた(^^ゞ
その後に1時間ほど映画を見たが特に何も起きず。翌朝も体調に変化なく快便。ほぼ6日が経過した現在もピンピンしているから影響はなかったのだろう。ネットでざっと調べただけで鵜呑みにはできないとしても、少々のカビを食べても胃酸で死滅するから大丈夫らしい。もちろんカビの生えた食物は他も傷んでいるから食べるべきではないよ。
これを教訓に、今後はお菓子を衝動買いしても要冷蔵かどうか必ず確認しよう。そういえば幼い頃はバアちゃんに「ながら食いをしちゃダメ」といわれていたのを思い出した。年寄りのいうことはよく聞いておくものである。
先日もそんな衝動買いをセブンイレブンでしてしまった。期間限定商品だったのか、もう店頭にはないし公式ホームページにも載っていなかった。写真はネットで拾ってきたものだが、多分これだったように思う。
これはわらび餅である、つまり生菓子である。パッケージに「要冷蔵」と書かれている。でも抹茶の写真に惹かれて衝動買いしただけだから、まったくそんな表示は気にしていなかった。そして例によって自宅に持ち帰った頃には興味もなくなり、いつものようにリビングの片隅に放置(/o\)
思い出してみると、これはパフェなどを売っている冷蔵庫陳列棚で売られていた。しかし、その陳列棚の上部は冷蔵庫ではなくクッキーなども並べられている。それと要冷蔵のお菓子って中身が透けて見えるパッケージものが多いから、それらが影響して冷蔵庫で保存する意識を持たなかったのかもしれない。
正確には覚えていないものの、多分5日間は常温で、すなわち真夏の高温多湿な室内に置きっぱなしになっていた気がする。そして運命の日がやってきたのは4連休初日の7月23日の深夜、そろそろ24日になろうとする頃。
その時はテレビでAmazonプライムのビデオを見ていた。こういう場合はビデオというのかな? まあとにかく映画を見ていた。しばらくして小腹が空いて抹茶味のお菓子があったと思い出す。
もともと夜は照明をあまり明るくしないで過ごすことが多い。じっくり映画を見るときはテレビの上の小さなダウンライト2つだけでかなり部屋は暗い。これがカビに気がつかなかった第1の要因。
ソファに抹茶わらび餅を持ってきて、テレビを見たままパッケージを破り、テレビを見たまま内蓋を開け、中に入っていた楊枝で1つ食べた。つまりお菓子にはほとんど目をやらないで口に入れた。これが痛恨となる第2の要因である。
別にヘンな味はしなかった。思ったより甘くないなと思った程度。映画に気をとられていたので何を食べたのかの認識もあまりなかった。残りのわらび餅の入っている容器をソファに置き、そのまま映画を見続けた。
10分ほど経って、2つめを食べようと容器を見た。残りの3つのうち、2つが白と緑(暗いので緑色には見えていなかったが)に分かれたツートンになっており、1つには白い円のような模様がわらび餅の表面に見えた。変わったわらび餅だなと思いながら、容器を手元に引き寄せて初めて
白いカビが生えている!!
のに気がついた(>_<)
白くて細い短い繊維が立って密集しているようなカビだった。ビックリしてすぐ捨てたので写真は撮っていない。さきほどネットで調べてみたが似たような画像は見つからなかった。
とりあえず映画鑑賞は中断。
さてどうする?
ノドに指を突っ込んで吐き出そうか。
辛そうだし、そんな荒技をした経験はないので躊躇する。
しかしそれ以外に方法は思いつかない。
だが結局、小さなわらび餅の表面の最大で5割程度にカビが生えていたとして、たいした分量じゃないし、口にしたときに違和感もなかったし、10分以上たって吐き気もしないからーーーという根拠があるような無いような理由で何もしないと決めた(^^ゞ
その後に1時間ほど映画を見たが特に何も起きず。翌朝も体調に変化なく快便。ほぼ6日が経過した現在もピンピンしているから影響はなかったのだろう。ネットでざっと調べただけで鵜呑みにはできないとしても、少々のカビを食べても胃酸で死滅するから大丈夫らしい。もちろんカビの生えた食物は他も傷んでいるから食べるべきではないよ。
これを教訓に、今後はお菓子を衝動買いしても要冷蔵かどうか必ず確認しよう。そういえば幼い頃はバアちゃんに「ながら食いをしちゃダメ」といわれていたのを思い出した。年寄りのいうことはよく聞いておくものである。
2020年07月28日
電力メーターが故障した その5 2015年製のスマートメーター
故障した電力メーターが2015年製だとサービスマン氏との会話で判明したのは「その3」で書いた通り。
ブログを書くときに電力メーターについて少し調べてみると気になる記事を見つけた。
不具合発生のスマートメーター、東京電力が取替作業を完了
スマートジャパン 2020年4月15日
https://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/2004/15/news127.html
東京電力、不具合発生のメーター取り替え完了を報告 約9万台に影響
環境ビジネスオンライン 2020年4月16日
https://www.kankyo-business.jp/news/024796.php
これらの記事によると、2015年3〜12月と2016年8月〜9月に製造された東光東芝メーターシステムズ製のスマートメーター(電力メーター)に欠陥があったので、メーカーが東京電力パワーグリッド(東京電力の送電部門)に取り替えを申し入れ、2020年4月13日に9万7000台の作業完了を発表したとある。別の記事によると交換が発表されたのは2018年12月26日だから、完了までに1年と3ヶ月半を要したことになる。
スマートメーターとは従来のアナログ電力メーターに替わるデジタルの電力メーターで、情報を送信できるので検針の必要がなく、またスマート家電と連動してより簡単に電気を「見える化」できるらしい。詳しくは調べていないものの、ユーザーすなわち一般市民としては特に知っておく必要はないだろう。
ただしスマートメーターは電力小売り自由化とも関連しており、東京電力はその設置が大幅に遅れ「大失態」と報じられてもいる。
東京電力が大失態、スマートメーターの設置に大幅な遅れ
スマートジャパン 2016年3月4日
https://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1603/04/news090.html
こちらが欠陥商品だった東光東芝メーターシステムズのスマートメーター。故障した自宅のメーターの写真は撮っていないが、S15の文字があったのは記憶に残っている。
自宅のメーター故障で考えられる可能性は
1)
欠陥メーターだった。この場合は東京電力の交換作業から漏れていたことになる。「大失態」の記事を読むと東京電力のずさんさがわかるし、そういう社風・体質が交換作業でも引き継がれていた可能性は高い。
ちなみに「スマートメーター交換業務」でネット検索すると当時の「交換スタッフのバイト・パート募集」の広告が残っていて多数ヒットする。研修は受けるようだが、未経験者でも応募可能とある。中にはテキトウなヤツもいただろう。
2)自宅のメーターは2015年製でも対象となる3〜12月に製造された欠陥商品ではなかった。通年で製造されているとするならば、その確率は2/12=1/6=16.6%。う〜ん、微妙なところ。
でも結局、その正常な商品も故障したことになる。まあ4回も故障したテレビも東芝製だから別に慣れているけど(^^ゞ
スマートジャパンと環境ビジネスオンラインの記事では東京電力についてのみ書かれているが、当時の報道を見ると中部電力でも同じメーターが設置されたとされている。
また発火した事例や、それに関する隠蔽工作を指摘する記事もある。
スマートメーターの発火事故が続発する「根深い事情」
ダイヤモンド・オンライン 2019年3月12日
https://diamond.jp/articles/-/196561
というわけで東京電力と中部電力の管内に住んでいるなら、とりあえず上に貼った写真を参考に電力メーターを確認したほうがいいかも。
おしまい
追記:ここで取り上げた参考記事の消滅に備えて「スマートメーターの発火事故が続発する根深い事情」以外の記事を「続きを読む」のページに引用しておく。ただし引用したのはテキスト部分のみで図説などは貼り付けていない。
※後日追記
※なぜか別ページの「続きを読む」続きを読むにならずに、
※本文と同一ページに表示されています。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓続きを読む
ブログを書くときに電力メーターについて少し調べてみると気になる記事を見つけた。
不具合発生のスマートメーター、東京電力が取替作業を完了
スマートジャパン 2020年4月15日
https://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/2004/15/news127.html
東京電力、不具合発生のメーター取り替え完了を報告 約9万台に影響
環境ビジネスオンライン 2020年4月16日
https://www.kankyo-business.jp/news/024796.php
これらの記事によると、2015年3〜12月と2016年8月〜9月に製造された東光東芝メーターシステムズ製のスマートメーター(電力メーター)に欠陥があったので、メーカーが東京電力パワーグリッド(東京電力の送電部門)に取り替えを申し入れ、2020年4月13日に9万7000台の作業完了を発表したとある。別の記事によると交換が発表されたのは2018年12月26日だから、完了までに1年と3ヶ月半を要したことになる。
スマートメーターとは従来のアナログ電力メーターに替わるデジタルの電力メーターで、情報を送信できるので検針の必要がなく、またスマート家電と連動してより簡単に電気を「見える化」できるらしい。詳しくは調べていないものの、ユーザーすなわち一般市民としては特に知っておく必要はないだろう。
ただしスマートメーターは電力小売り自由化とも関連しており、東京電力はその設置が大幅に遅れ「大失態」と報じられてもいる。
東京電力が大失態、スマートメーターの設置に大幅な遅れ
スマートジャパン 2016年3月4日
https://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1603/04/news090.html
こちらが欠陥商品だった東光東芝メーターシステムズのスマートメーター。故障した自宅のメーターの写真は撮っていないが、S15の文字があったのは記憶に残っている。
自宅のメーター故障で考えられる可能性は
1)
欠陥メーターだった。この場合は東京電力の交換作業から漏れていたことになる。「大失態」の記事を読むと東京電力のずさんさがわかるし、そういう社風・体質が交換作業でも引き継がれていた可能性は高い。
ちなみに「スマートメーター交換業務」でネット検索すると当時の「交換スタッフのバイト・パート募集」の広告が残っていて多数ヒットする。研修は受けるようだが、未経験者でも応募可能とある。中にはテキトウなヤツもいただろう。
2)自宅のメーターは2015年製でも対象となる3〜12月に製造された欠陥商品ではなかった。通年で製造されているとするならば、その確率は2/12=1/6=16.6%。う〜ん、微妙なところ。
でも結局、その正常な商品も故障したことになる。まあ4回も故障したテレビも東芝製だから別に慣れているけど(^^ゞ
スマートジャパンと環境ビジネスオンラインの記事では東京電力についてのみ書かれているが、当時の報道を見ると中部電力でも同じメーターが設置されたとされている。
また発火した事例や、それに関する隠蔽工作を指摘する記事もある。
スマートメーターの発火事故が続発する「根深い事情」
ダイヤモンド・オンライン 2019年3月12日
https://diamond.jp/articles/-/196561
というわけで東京電力と中部電力の管内に住んでいるなら、とりあえず上に貼った写真を参考に電力メーターを確認したほうがいいかも。
おしまい
追記:ここで取り上げた参考記事の消滅に備えて「スマートメーターの発火事故が続発する根深い事情」以外の記事を「続きを読む」のページに引用しておく。ただし引用したのはテキスト部分のみで図説などは貼り付けていない。
※後日追記
※なぜか別ページの「続きを読む」続きを読むにならずに、
※本文と同一ページに表示されています。
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2020年07月27日
電力メーターが故障した その4
今回の電力メーターの故障状況を時系列で並べるとこんな感じ。
ただしあくまで私の推測。
1)
まず故障直後に急激な電圧低下を引き起こした。100ボルトで動作するパソコンは95ボルト以下になると落ちるらしいが、おそらくもっと下がっただろう。なぜなら故障直後にキッチンの照明を付けると普段の1/3程度の明るさだったから。ただし明るさと電圧は正比例ではないと思う。
2)
その後、電圧は徐々に回復あるいは急激に大きく低下したのは一瞬だけだったかも知れない。故障から30分後くらいにパソコンを付けてみたら起動した。動作にも異常なし。ということは95ボルト以上は出ている。ただし照明は95/100の明るさではまったくなかったのが、明るさと電圧が正比例でないことの根拠。
またこの時点でサーキュレーター(扇風機の一種)は極めて弱くしか回らなかった。消費電力を確認すると60ワットとたいした数字じゃないのに不思議。
3)
その後さらに電圧が回復してくるのは前回に書いた通り。東京電力のサービスマン氏が来たのは故障発生から2時間後。その時にはサーキュレーターも通常通り回っていた。ただし洗面所や風呂場の電球は、故障直後とあまり変わらない明るさだったのがナゾ。
さて電力メーターを交換した後に室内の確認作業をしたら、インターホンのパイロットランプが消えているのを発見。サービスマン氏に告げると、まずブレーカーのパネルを外し個別スイッチに検電棒のようなものを突っ込んでチェックしていた。そこに異常がないことを確認してインターホンのパネルを確認。今まで気にもしていなかったがインターホンには電源のオンオフスイッチというものがない。
結論は電圧低下で故障したとなった。サービスマン氏によるとインターフォンはオートロックの操作、火災やガス漏れの警報器も兼ねていて「割と繊細な機器」らしい。それで電力メーターの故障は東京電力の責任→それによって起きたインターフォンの故障も東京電力の責任ということになり、東京電力からマンションの管理会社に連絡して、そのどちらかから修理についての連絡が私にあるとの説明だった。(パソコンが壊れたら弁償してくれたのかな?)
サービスマン氏が帰って1時間後くらいに彼から電話が掛かってきた。内容はマンションの管理人は常駐かどうかの質問。毎日はいないと思うと答えると、明日もう一度電力メーターを確認したいとの話なので、午前中なら在宅していると答える。
翌日午前10時くらいにサービスマン氏から電話。玄関まで降りてオートロックを開けないとと思ったのに、もう中に入っているという。
うすうす気づいていたが、電力や水道の検針の人達はマンション管理会社から暗証番号か何かを知らされてオートロックを開けるのだと思う。引っ越しの時も大手運送会社だとオートロックのドアを開きぱなしにして荷物を運んでいる。おそらくあれも暗証番号で操作している。そういう暗証番号って定期的に変更しているのかな。していることを前提にはできないと考えるべきだろう。
つまりオートロックは、ある程度以上の情報収集力を持った相手には無防備なのだ。まあそんなプロフェッショナルに狙われていないから別にいいけど(^^ゞ
サービスマン氏は電力メーターの作動確認に来ただけのようで、10分ほどしたら作業終了しましたと電話があり、この日は顔を合わすこともなし。
それで現在の問題は、あれから1週間以上経つのに未だにインターホンの修理連絡がどこからもないこと。前回、故障の連絡をして2時間で問題が解決して、日本っていい国だなあと書いたけれど、全然ダメじゃん(/o\)
それと電力メーターをについてネットで調べていたら、少し気になる情報を見つけた。
ーーー続く
ただしあくまで私の推測。
1)
まず故障直後に急激な電圧低下を引き起こした。100ボルトで動作するパソコンは95ボルト以下になると落ちるらしいが、おそらくもっと下がっただろう。なぜなら故障直後にキッチンの照明を付けると普段の1/3程度の明るさだったから。ただし明るさと電圧は正比例ではないと思う。
2)
その後、電圧は徐々に回復あるいは急激に大きく低下したのは一瞬だけだったかも知れない。故障から30分後くらいにパソコンを付けてみたら起動した。動作にも異常なし。ということは95ボルト以上は出ている。ただし照明は95/100の明るさではまったくなかったのが、明るさと電圧が正比例でないことの根拠。
またこの時点でサーキュレーター(扇風機の一種)は極めて弱くしか回らなかった。消費電力を確認すると60ワットとたいした数字じゃないのに不思議。
3)
その後さらに電圧が回復してくるのは前回に書いた通り。東京電力のサービスマン氏が来たのは故障発生から2時間後。その時にはサーキュレーターも通常通り回っていた。ただし洗面所や風呂場の電球は、故障直後とあまり変わらない明るさだったのがナゾ。
さて電力メーターを交換した後に室内の確認作業をしたら、インターホンのパイロットランプが消えているのを発見。サービスマン氏に告げると、まずブレーカーのパネルを外し個別スイッチに検電棒のようなものを突っ込んでチェックしていた。そこに異常がないことを確認してインターホンのパネルを確認。今まで気にもしていなかったがインターホンには電源のオンオフスイッチというものがない。
結論は電圧低下で故障したとなった。サービスマン氏によるとインターフォンはオートロックの操作、火災やガス漏れの警報器も兼ねていて「割と繊細な機器」らしい。それで電力メーターの故障は東京電力の責任→それによって起きたインターフォンの故障も東京電力の責任ということになり、東京電力からマンションの管理会社に連絡して、そのどちらかから修理についての連絡が私にあるとの説明だった。(パソコンが壊れたら弁償してくれたのかな?)
サービスマン氏が帰って1時間後くらいに彼から電話が掛かってきた。内容はマンションの管理人は常駐かどうかの質問。毎日はいないと思うと答えると、明日もう一度電力メーターを確認したいとの話なので、午前中なら在宅していると答える。
翌日午前10時くらいにサービスマン氏から電話。玄関まで降りてオートロックを開けないとと思ったのに、もう中に入っているという。
うすうす気づいていたが、電力や水道の検針の人達はマンション管理会社から暗証番号か何かを知らされてオートロックを開けるのだと思う。引っ越しの時も大手運送会社だとオートロックのドアを開きぱなしにして荷物を運んでいる。おそらくあれも暗証番号で操作している。そういう暗証番号って定期的に変更しているのかな。していることを前提にはできないと考えるべきだろう。
つまりオートロックは、ある程度以上の情報収集力を持った相手には無防備なのだ。まあそんなプロフェッショナルに狙われていないから別にいいけど(^^ゞ
サービスマン氏は電力メーターの作動確認に来ただけのようで、10分ほどしたら作業終了しましたと電話があり、この日は顔を合わすこともなし。
それで現在の問題は、あれから1週間以上経つのに未だにインターホンの修理連絡がどこからもないこと。前回、故障の連絡をして2時間で問題が解決して、日本っていい国だなあと書いたけれど、全然ダメじゃん(/o\)
それと電力メーターをについてネットで調べていたら、少し気になる情報を見つけた。
ーーー続く
2020年07月25日
電力メーターが故障した その3
インターホンが故障してオートロックを部屋から解除できないので、玄関まで東電のサービスマン氏を迎えに行く。マスクにフェイスシールドのコロナ装備だった。
30歳代くらいでナカナカのイケメンに思えた。しかしマスクをしてヘルメットも被っているから目元だけでは正確にはわからず。話はそれるけれど、最近は街でキレイな女性を見かけても、この人は本当に美しいのか、あるいは後ろ姿美人のようなマスク美人なのかなどと想像してしまう(^^ゞ
エレベーターで私の部屋の階まで上がる。エレベータの扉が開くと電力メーターの音が飛び込んでくる。ただし東電に連絡した1時間前と較べると音は少し小さくなっている。また部屋の照明などの明るさも、この時点で少し回復していた。
メーターボックスの扉の前まで行く。下側にある水道メーターは扉になっていて開閉できるのに、上にある電力メーターはのぞき窓があるだけでパネルははめ殺しである(パネルをとるにはネジを外す必要がある)。どうしてなんだろう。それとこの中にガスのメーターはない。今まで気にしたこともなかったが、どこにあるのかな?
結論から言うと電力メーターを交換して不具合は治まった。
その過程でわかったことが3つ。
1)大きな音の原因
前回に書いたように電流・磁界の関係で電力メーターが振動しているのだけれど、その電力メーターはメーターボックス内の壁ではなく、ボックスの中に間仕切りとして設置された薄い鉄板に固定されていた。電力メーターの振動がその鉄板を震わせて増幅され大きな音になっていたというメカニズム。コンクリートの壁に固定されていたら、こんな音はしないとサービスマン氏。まあその音のおかげで、素人の私が原因は電力メーターと早期に特定できたわけであるが。
2)電力メーターからは、2系統に分けられてブレーカーにつながっている
電力メーターの不具合で電圧が下がっているとして、暗くなった照明と明るさの変わらない照明があるのが謎だった。サービスマン氏の説明を聞いてわかったのは、電力メーターからは2系統に分かれてブレーカーにつながっているということ。故障したのは1系統で、だからそうでない系統につながっていた照明やコンセントには影響なかったのだ。ブレーカーの全体を操作するスイッチは1つしかないから、ブレーカー以前に電線が分かれているとは思っていなかった。
3)電力メーターは知らないうちに交換されている
こんな会話で判明したのは
サービスマン「電力メーターの故障です」
私 「老朽化ですかね」
サービスマン「いえ、普通の故障です」
私 「新築で入居してから12年くらいだから」
サービスマン「このメーターは2015年製ですね」
電力メーターの交換には電気を止める必要はなく、集合住宅の場合には事前に通知することなく交換されている場合があるらしい。でも今回はブレーカーを切ってから電力メーターを交換した。その理由を聞き忘れてモヤモヤしている(^^ゞ
メーターを交換して、ブレーカーや照明の明るさなどを点検して作業に要したのは1時間弱くらい。最初にマンションの管理会社に連絡して時間を無駄にしたが、東京電力に電話したら1時間から2時間以内に係員を向かわせると言われ、その言葉通りに1時間後にサービスマン氏がやってきて、1時間で修理が終わった。
つまり故障して東京電力に電話して2時間で問題解決。
これってけっこうスゴくない?
日本っていい国だなあとちょっと感激した。
ただしまだ、すべてが一件落着にはなっていない。
ーーー続く
30歳代くらいでナカナカのイケメンに思えた。しかしマスクをしてヘルメットも被っているから目元だけでは正確にはわからず。話はそれるけれど、最近は街でキレイな女性を見かけても、この人は本当に美しいのか、あるいは後ろ姿美人のようなマスク美人なのかなどと想像してしまう(^^ゞ
エレベーターで私の部屋の階まで上がる。エレベータの扉が開くと電力メーターの音が飛び込んでくる。ただし東電に連絡した1時間前と較べると音は少し小さくなっている。また部屋の照明などの明るさも、この時点で少し回復していた。
メーターボックスの扉の前まで行く。下側にある水道メーターは扉になっていて開閉できるのに、上にある電力メーターはのぞき窓があるだけでパネルははめ殺しである(パネルをとるにはネジを外す必要がある)。どうしてなんだろう。それとこの中にガスのメーターはない。今まで気にしたこともなかったが、どこにあるのかな?
結論から言うと電力メーターを交換して不具合は治まった。
その過程でわかったことが3つ。
1)大きな音の原因
前回に書いたように電流・磁界の関係で電力メーターが振動しているのだけれど、その電力メーターはメーターボックス内の壁ではなく、ボックスの中に間仕切りとして設置された薄い鉄板に固定されていた。電力メーターの振動がその鉄板を震わせて増幅され大きな音になっていたというメカニズム。コンクリートの壁に固定されていたら、こんな音はしないとサービスマン氏。まあその音のおかげで、素人の私が原因は電力メーターと早期に特定できたわけであるが。
2)電力メーターからは、2系統に分けられてブレーカーにつながっている
電力メーターの不具合で電圧が下がっているとして、暗くなった照明と明るさの変わらない照明があるのが謎だった。サービスマン氏の説明を聞いてわかったのは、電力メーターからは2系統に分かれてブレーカーにつながっているということ。故障したのは1系統で、だからそうでない系統につながっていた照明やコンセントには影響なかったのだ。ブレーカーの全体を操作するスイッチは1つしかないから、ブレーカー以前に電線が分かれているとは思っていなかった。
3)電力メーターは知らないうちに交換されている
こんな会話で判明したのは
サービスマン「電力メーターの故障です」
私 「老朽化ですかね」
サービスマン「いえ、普通の故障です」
私 「新築で入居してから12年くらいだから」
サービスマン「このメーターは2015年製ですね」
電力メーターの交換には電気を止める必要はなく、集合住宅の場合には事前に通知することなく交換されている場合があるらしい。でも今回はブレーカーを切ってから電力メーターを交換した。その理由を聞き忘れてモヤモヤしている(^^ゞ
メーターを交換して、ブレーカーや照明の明るさなどを点検して作業に要したのは1時間弱くらい。最初にマンションの管理会社に連絡して時間を無駄にしたが、東京電力に電話したら1時間から2時間以内に係員を向かわせると言われ、その言葉通りに1時間後にサービスマン氏がやってきて、1時間で修理が終わった。
つまり故障して東京電力に電話して2時間で問題解決。
これってけっこうスゴくない?
日本っていい国だなあとちょっと感激した。
ただしまだ、すべてが一件落着にはなっていない。
ーーー続く
2020年07月24日
電力メーターが故障した その2
廊下に出て、どうやら電力メーターに不具合が生じていることまではわかった。
しかし、どうして電力メーターなどから音がするのだ?
そこで昔の電力メーターは銅線を巻いたコイルのようなものが見えていたことを思い出す。コイルに電流を流せば磁界が生じる。磁界にはN極とS極があって引き合ったり反発したりする。電流の流れ方がおかしくなり、その引き合ったり反発したりする作用が超短い周期で発生し、つまり振動になり、それがメーター全体を震わせて音が鳴っているのだろうか。今の電力メーターはデジタルでコイルがあるのかどうか知らないけれど、コイルがなくても電流が流れれば同じく磁界は生じるから、原因は似たようなところだろう。
その推理が正しいかどうかは別として、とりあえず回ってもいない換気扇から大きな音がしているのが超常現象でないとわかって安心した(^^ゞ
部屋に戻ってプレーカーを切ってみる。原因が電力メーターにあるのなら関係ないはずだが、ひょっとしたらリセットされるかと期待して。残念ながら効果はなかった。
次は修理の依頼。
このマンションの管理会社は東急系列である。1階にある掲示板によると
専有部(室内)の設備故障に関する問い合わせ先:東急住宅リース連絡センター
共有部の設備異常に関する問い合わせ先:東急ビルメンテナンス
となっている。電力メーターは廊下にあっても、あれが専有なのか共用なのかはちょっと微妙なところ。でも漏水・停電等は東急ビルメンテナンスへと別の張り紙もあったので、そちらに連絡することにした。
スマホの履歴で時刻を確認すると
14時12分
東急ビルメンテナンスに連絡して状況を説明。担当が席を外しているので15分ほどで折り返すといわれる。
14時31分
東急ビルメンテナンスから電話。再度、状況を話す。〇〇〇(よく聞き取れなかった)と相談して連絡するといわれる。
15時00分
東急住宅リース連絡センターより電話がくる。やはりこちらの担当だったのか。また状況を説明する。内容を確認するので、そのまま待ってくれといわれる。話し口調からして、電話をしてきたのはオペレーターだと思われる。
1分ほど待ってオペレーターが戻り、電力メーターのトラブルのようなので東京電力に直接連絡して欲しいといわれる。
何となくたらい回し感があって気分を害した。しかし、それももっともだと思い、わかったと返事する。なお東急ビルメンテナンスと東急住宅リース連絡センターの対応の感じは悪くなかった。
15時11分
東京電力のカスタマーセンターに電話する。4回目となる状況説明。もう立石に水のごとくスラスラ喋れる(^^ゞ
60分から120分以内に係員を向かわせるとの返事。ずいぶんとピンポイントな設定の返事だと驚く。
16時15分
電話を終了してほぼ1時間後、東電の修理担当者から、今マンションの玄関にいると電話がある。なぜそこから電話してくる?
そういえばカスタマーセンターに連絡した時に「廊下に設置してある電力メーターの修理をするが、状況確認の必要がある場合、部屋の中に立ち入ってもいいか?」とわざわざ尋ねられたことを思い出す。プライバシー関連については何かと慎重なご時世になって、それで東電はピンポンする前に電話で許可を取るのか?と一瞬思ったがーーー
実はその時点でインターホンが故障していて、それでの電話だった。電圧が下がった時に電源が切れてしまったらしい。オートロックを解除できるかと言われて試してみたが反応せず(インターホンのパネルでオートロックも操作する)。
というわけで玄関までお迎えに行く。
ーーー続く
2020年07月23日
電力メーターが故障した
先日の昼間に自宅で仕事をしていると、突然パソコンの電源が切れて画面が真っ暗になった。まあそういう現象は、あり得ないことじゃない。しかし、この時はパソコンが切れたと同時にキッチンの換気扇が唸りだした。換気扇は回っていなかったし、普通に換気扇が回る音がウォーンだとすれば、ヴァーンという音で、しかも強モードの2倍くらいの音量。
ポルターガイストの怪奇現象か!
出たな妖怪(^^ゞ
とりあえず換気扇を確認しようと思い、キッチンに入り照明のスイッチを入れる。
電球が暗い?
感覚的には普段の半分程度の明るさしかない。ブレーカーが落ちて電球が点灯しないならわかるけれど、暗いってどういうこと?
他の照明も付けてみた。あちこちのコンセントから電源を取っている電気スタンドのランプは暗かった。廊下、トイレ、洗面所も暗い。不思議なことにリビングと寝室のメインの照明は暗くなかった。
テレビのスイッチを入れるとついた。テレビとパソコンは別のコンセントから電源を取っている。パソコンとコンセントが共通の、デスクの下に置いてあるサーキュレーター(扇風機みたいなもの)も止まっていたので、テレビ側のコンセントにつないでみた。ファンは回ったものの、かなり弱々しく風を起こせるレベルじゃない。
どうも電圧が下がっているようだ。しかしいわゆる停電とかブレーカーが飛んだりして電気が来なくなる経験はあっても、電圧が下がるなんて話は聞いたことがない。それに電源系統(配線別)によって、どうして差があるのだ。さらに回ってもいない換気扇からなぜ大きな音がしているのだ!
状況の理解がまったくできなかったが、一旦ブレーカーをオンオフしてみようと考える。ブレーカーは玄関脇にある。それで玄関に行くと扉の向こうから何か音が聞こえている。わっ! ひょっとして火事とか?と慌てて玄関ドアを開けるとガァーとものすごい騒音が響いている。
廊下に出てみると音はこの扉の奥から聞こえていた。
この中には電力メーターや水道メーターが収められている。つまり電力メーターが唸っていたのだ。さらにメーターの奥にはいろんな配管も通っているので(扉上部の網目から何本かのパイプが見える)、電力メータの音がその配管を伝わって換気扇のダクトで反響していると思われた。
とりあえず音についての謎は解けたが。
ーーー続く
ポルターガイストの怪奇現象か!
出たな妖怪(^^ゞ
とりあえず換気扇を確認しようと思い、キッチンに入り照明のスイッチを入れる。
電球が暗い?
感覚的には普段の半分程度の明るさしかない。ブレーカーが落ちて電球が点灯しないならわかるけれど、暗いってどういうこと?
他の照明も付けてみた。あちこちのコンセントから電源を取っている電気スタンドのランプは暗かった。廊下、トイレ、洗面所も暗い。不思議なことにリビングと寝室のメインの照明は暗くなかった。
テレビのスイッチを入れるとついた。テレビとパソコンは別のコンセントから電源を取っている。パソコンとコンセントが共通の、デスクの下に置いてあるサーキュレーター(扇風機みたいなもの)も止まっていたので、テレビ側のコンセントにつないでみた。ファンは回ったものの、かなり弱々しく風を起こせるレベルじゃない。
どうも電圧が下がっているようだ。しかしいわゆる停電とかブレーカーが飛んだりして電気が来なくなる経験はあっても、電圧が下がるなんて話は聞いたことがない。それに電源系統(配線別)によって、どうして差があるのだ。さらに回ってもいない換気扇からなぜ大きな音がしているのだ!
状況の理解がまったくできなかったが、一旦ブレーカーをオンオフしてみようと考える。ブレーカーは玄関脇にある。それで玄関に行くと扉の向こうから何か音が聞こえている。わっ! ひょっとして火事とか?と慌てて玄関ドアを開けるとガァーとものすごい騒音が響いている。
廊下に出てみると音はこの扉の奥から聞こえていた。
この中には電力メーターや水道メーターが収められている。つまり電力メーターが唸っていたのだ。さらにメーターの奥にはいろんな配管も通っているので(扉上部の網目から何本かのパイプが見える)、電力メータの音がその配管を伝わって換気扇のダクトで反響していると思われた。
とりあえず音についての謎は解けたが。
ーーー続く
2020年07月20日
明後日から東京オリンピックのはずだった
ほとんど話題にもなっていないが、コロナがなければ、明後日の7月22日が東京オリンピックの開会式だった。いよいよ始まるぞと、本日はワクワクする週明けを迎えられたはず。
今のところ1年間の延期ということになっている。しかし開催できるのかな。現在、日本政府はコロナ対策として129カ国を入国拒否対象地域に指定している。東京オリンピックの参加国と地域は206ということだが、それは選手が数名の極めて小さな国や地域なども含んでの数字なので、もし明後日からなら海外の選手のほとんどは来日できない状況である。
それが1年経ったら、何事もなかったようにハッピーに集まれるのか?私にはわからないというか、コロナがいつ治まるかなんて、現時点で世界中の専門家の誰にもわからない。
グラフはYahoo!の「新型コロナウイルス感染症まとめ」のページから引用した全世界での感染者数の推移。明らかに増加中。楽観的に今がピークと考えて、グラフが現在までと逆の曲線を描いてこれから減少していくとすれば、2月20日から今日まで5ヶ月だから、5ヶ月先の年末に治まるという計算になる。しかし今がピークということに何の根拠もないので、そんなシミュレーションはただの与太話。
感染と発症は別だし、毎シーズン約1万人が亡くなるインフルエンザに対して、昨日時点で985人の死者数(国内の数字)のコロナウイルスには過剰反応じゃないかという疑問はずっと持っている。しかしそれを言ったところで、今さら世の中の流れが変わるわけじゃなし。それに私も過剰反応が身に染みついてしまったので、すっかり安心にならないとオリンピックを楽しむ気にはなれない。
コロナウイルスは、そんなに恐ろしい感染症じゃないとは思うが、問題は治療薬がまだないこと。現在の患者には似たような症状に効くクスリで対処している状況。だから「すっかり安心できる」というのは治療薬が開発されることを意味する。それさえあればコロナになってもインフルエンザ程度、あるいはもっと軽い病気にかかったレベルの出来事になるはず。
それでその治療薬はいつできるのか。
残念ながら1年以内に量産できるというニュースはない。
アカンヤン(/o\)
規模を縮小する、無観客で実施する、スタジアムに入れる観客を大幅に制限するなどの方策はあるかも知れない。でもそんなオリンピックに意味はあるか?楽しめるか?盛り上がるか?という気がする。
1年延期した2021年オリンピックの開催最終判断は来年の3月に行うらしい。さきほどのシミュレーションの理屈でいうなら、それには9月の初旬にピークから下降する局面に入っていなければならない。来年の今頃「一時はどうなるかと思ったけれど、コロナってどこかへ行っちゃったね(^_^) 」となっていればいいのだが。
さて現在、東京の次は2024年のパリと2028年のロサンゼルスまで開催地が決まっている。けれどもリスクを賭けて1年後の開催を目指すより、すっきりと4年延期して東京2024年、パリ2028年、ロサンゼルス2032年で調整した方がいいように思えてきた。いくら何でも4年あれば治療薬はできているだろうから。もちろんこれは、そんな交渉が可能かどうかはまったくわからない立場での考えである。でも2021年が中止で、改めて2032年に立候補するなんてことになったらイヤだなあ。
思えば、ここからケチがついていたようなと逆恨み(^^ゞ
▢▢▢▢▢▢▢▢
後日追記(訂正)
2020年7月22日ではなく24日から開幕の誤りでしたm(_ _)m
ウィキペディアの誤った記述を参考にしたのが原因です。
こんな投稿をしたこともあるのに面目ない(/o\)
今のところ1年間の延期ということになっている。しかし開催できるのかな。現在、日本政府はコロナ対策として129カ国を入国拒否対象地域に指定している。東京オリンピックの参加国と地域は206ということだが、それは選手が数名の極めて小さな国や地域なども含んでの数字なので、もし明後日からなら海外の選手のほとんどは来日できない状況である。
それが1年経ったら、何事もなかったようにハッピーに集まれるのか?私にはわからないというか、コロナがいつ治まるかなんて、現時点で世界中の専門家の誰にもわからない。
グラフはYahoo!の「新型コロナウイルス感染症まとめ」のページから引用した全世界での感染者数の推移。明らかに増加中。楽観的に今がピークと考えて、グラフが現在までと逆の曲線を描いてこれから減少していくとすれば、2月20日から今日まで5ヶ月だから、5ヶ月先の年末に治まるという計算になる。しかし今がピークということに何の根拠もないので、そんなシミュレーションはただの与太話。
感染と発症は別だし、毎シーズン約1万人が亡くなるインフルエンザに対して、昨日時点で985人の死者数(国内の数字)のコロナウイルスには過剰反応じゃないかという疑問はずっと持っている。しかしそれを言ったところで、今さら世の中の流れが変わるわけじゃなし。それに私も過剰反応が身に染みついてしまったので、すっかり安心にならないとオリンピックを楽しむ気にはなれない。
コロナウイルスは、そんなに恐ろしい感染症じゃないとは思うが、問題は治療薬がまだないこと。現在の患者には似たような症状に効くクスリで対処している状況。だから「すっかり安心できる」というのは治療薬が開発されることを意味する。それさえあればコロナになってもインフルエンザ程度、あるいはもっと軽い病気にかかったレベルの出来事になるはず。
それでその治療薬はいつできるのか。
残念ながら1年以内に量産できるというニュースはない。
アカンヤン(/o\)
規模を縮小する、無観客で実施する、スタジアムに入れる観客を大幅に制限するなどの方策はあるかも知れない。でもそんなオリンピックに意味はあるか?楽しめるか?盛り上がるか?という気がする。
1年延期した2021年オリンピックの開催最終判断は来年の3月に行うらしい。さきほどのシミュレーションの理屈でいうなら、それには9月の初旬にピークから下降する局面に入っていなければならない。来年の今頃「一時はどうなるかと思ったけれど、コロナってどこかへ行っちゃったね(^_^) 」となっていればいいのだが。
さて現在、東京の次は2024年のパリと2028年のロサンゼルスまで開催地が決まっている。けれどもリスクを賭けて1年後の開催を目指すより、すっきりと4年延期して東京2024年、パリ2028年、ロサンゼルス2032年で調整した方がいいように思えてきた。いくら何でも4年あれば治療薬はできているだろうから。もちろんこれは、そんな交渉が可能かどうかはまったくわからない立場での考えである。でも2021年が中止で、改めて2032年に立候補するなんてことになったらイヤだなあ。
思えば、ここからケチがついていたようなと逆恨み(^^ゞ
▢▢▢▢▢▢▢▢
後日追記(訂正)
2020年7月22日ではなく24日から開幕の誤りでしたm(_ _)m
ウィキペディアの誤った記述を参考にしたのが原因です。
こんな投稿をしたこともあるのに面目ない(/o\)
2020年07月15日
モナリザは美人だった!?
誰でもが知っているモナリザ。名画中の名画であり人類の至宝とされている。しかし教養を疑われたら困るから口にしてこなかったけれど、昔からこれがいい絵だと思ったことは一度もない。唯一無二の強烈な存在感があるのは認める。絵からオーラが出ている感じさえする。でもそれと眺めていたいかどうかは別の話。平たくいえば趣味に合わない。私が大事にしている「酔える」絵でもない。
ところで本物のモナリザを見たことはないが、書籍や雑誌あるいはネットの画像で見るモナリザは全体に黄色がかっている。ほとんどがそうだから、本物もそうなのだろう。
レオナルド・ダ・ヴィンチがモナリザを描いたのは1503年から1506年(1519年に亡くなるまで加筆修正を続けたとの説もある)だから、ざっと500年前で日本では戦国時代が始まった頃の作品。いわゆる汚れに関しては充分にクリーニングされているらしいので、黄色っぽいのは変色したのだろうか。しかしダ・ヴィンチの他の作品やルネサンス時代の他の画家の作品では、人物がこんなに黄色くなってはいないから、これは黄色く描いたのだろうか。少し調べてみたものの、そんなことは美術界で話題になっていないようで理由はわからず。
ところでデジカメが出始めた頃、あるいは携帯電話にデジカメが搭載された頃、明るさが足らない場所で人物を撮ると黄色が強くなってしまうケースが多かった。それをよく画像ソフトで補正したものである。
というわけでモナリザにも(^^ゞ
私には、この方が自然な色合いに思える。
思うにモナリザが好きになれない一番の理由は、描かれている人物に魅力を感じないからだ。よく見れば整った顔立ちで気品も感じる。しかし黄色い顔をして眉毛もないから、子供の頃に初めて見た時は何となく薄気味悪かった。その印象を今も引きずっているのかも知れない。しかし、どうして眉毛がないのだ? 江戸時代の既婚女性のような眉毛を剃り落とす風習はルネサンスのヨーロッパになかったはずなのに。
さてそういうわけでモナリザには関心がなかったのだが、先日ネットで面白いものを見つけた。それはAIを使って名画のモデルに命を吹き込もうとする試み。それでモナリザがこんなふうに。メッチャかわいいやん! やっぱりモナリザはいい絵だなあ(^^ゞ
動画ではモナリザの他にボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」、レンブラントの「夜警」なども見られる。前半はほとんど言葉だけの解説で、モナリザが登場するのは開始1分30秒あたりから。フェルメールのデキはイマイチかも。
この動画で現代風になったモナリザを見て、2012年の展覧会で知った「アイルワースのモナリザ」を思い出した。この絵はダ・ヴィンチがモナリザを描く10年程前に、同じモデルで制作したとの説もある。その真贋ははっきりしないとしても、AIモナリザはアイルワースにそっくりである。
AIで「何をどうして」モナリザの顔を再現したのか動画では説明されていない。説明されたら理解できるものでもないが。今回のものはエンジニアのちょっとしたお遊びだろうが、これからはAIを利用して資料の断片から歴史を読み解くことができるようになる予感がして興味深い。
ところでAI動画ではモナリザが笑顔を振りまいている。ダ・ヴィンチの描いたモナリザの表情は「謎めいた微笑み」などとよくいわれる。でもあまりに控えめなのでビミョー過ぎるとも思っている。先ほど絵の黄色っぽさを補正した時に、フォトショップ・エレメンツ(画像ソフト)に「顔立ちを調整」という項目を見つけたので試してみた。左側が調整済みのモナリザ。クリックして拡大した方がわかりやすい。
スマホの写真系アプリのように劇的には変化しないが、
唇の形を笑顔にして
目を少し大きく
アゴをわずかにシャープにして
額も気持ち狭くしてみた
ちょっとは愛想のいいモナリザになったかな?
プロが画像ソフトを使って(表情ではなく)質感をレタッチ(補正・調整)したのがこちら。ずいぶんと生々しいモナリザに仕上がっている。ダ・ヴィンチの描いたモナリザはどこか存在感が希薄で、それが女神的な雰囲気にもつながっている。でもレタッチされたものを見ると、この描かれた人物の実在を強く感じる。それと顔の形はほとんど変えていないのにオリジナルよりずっと美人だ。まあスッピンと化粧した顔の違いともいえるが(^^ゞ
動画で制作の様子を見ることができる。
ダ・ヴィンチが見たら好奇心を抑えられず、あの世から蘇ってきそうな内容である。
古典的な名画をリアルに再現するというのは意外と面白い。この前、超写実絵画の展覧会を見てきたくらいだから、私の好みに合うのだろう。もっといろいろな作品を見たいものである。特にラファエロで誰か試してくれるとうれしい。
ところで本物のモナリザを見たことはないが、書籍や雑誌あるいはネットの画像で見るモナリザは全体に黄色がかっている。ほとんどがそうだから、本物もそうなのだろう。
レオナルド・ダ・ヴィンチがモナリザを描いたのは1503年から1506年(1519年に亡くなるまで加筆修正を続けたとの説もある)だから、ざっと500年前で日本では戦国時代が始まった頃の作品。いわゆる汚れに関しては充分にクリーニングされているらしいので、黄色っぽいのは変色したのだろうか。しかしダ・ヴィンチの他の作品やルネサンス時代の他の画家の作品では、人物がこんなに黄色くなってはいないから、これは黄色く描いたのだろうか。少し調べてみたものの、そんなことは美術界で話題になっていないようで理由はわからず。
ところでデジカメが出始めた頃、あるいは携帯電話にデジカメが搭載された頃、明るさが足らない場所で人物を撮ると黄色が強くなってしまうケースが多かった。それをよく画像ソフトで補正したものである。
というわけでモナリザにも(^^ゞ
私には、この方が自然な色合いに思える。
思うにモナリザが好きになれない一番の理由は、描かれている人物に魅力を感じないからだ。よく見れば整った顔立ちで気品も感じる。しかし黄色い顔をして眉毛もないから、子供の頃に初めて見た時は何となく薄気味悪かった。その印象を今も引きずっているのかも知れない。しかし、どうして眉毛がないのだ? 江戸時代の既婚女性のような眉毛を剃り落とす風習はルネサンスのヨーロッパになかったはずなのに。
さてそういうわけでモナリザには関心がなかったのだが、先日ネットで面白いものを見つけた。それはAIを使って名画のモデルに命を吹き込もうとする試み。それでモナリザがこんなふうに。メッチャかわいいやん! やっぱりモナリザはいい絵だなあ(^^ゞ
動画ではモナリザの他にボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」、レンブラントの「夜警」なども見られる。前半はほとんど言葉だけの解説で、モナリザが登場するのは開始1分30秒あたりから。フェルメールのデキはイマイチかも。
この動画で現代風になったモナリザを見て、2012年の展覧会で知った「アイルワースのモナリザ」を思い出した。この絵はダ・ヴィンチがモナリザを描く10年程前に、同じモデルで制作したとの説もある。その真贋ははっきりしないとしても、AIモナリザはアイルワースにそっくりである。
AIで「何をどうして」モナリザの顔を再現したのか動画では説明されていない。説明されたら理解できるものでもないが。今回のものはエンジニアのちょっとしたお遊びだろうが、これからはAIを利用して資料の断片から歴史を読み解くことができるようになる予感がして興味深い。
ところでAI動画ではモナリザが笑顔を振りまいている。ダ・ヴィンチの描いたモナリザの表情は「謎めいた微笑み」などとよくいわれる。でもあまりに控えめなのでビミョー過ぎるとも思っている。先ほど絵の黄色っぽさを補正した時に、フォトショップ・エレメンツ(画像ソフト)に「顔立ちを調整」という項目を見つけたので試してみた。左側が調整済みのモナリザ。クリックして拡大した方がわかりやすい。
スマホの写真系アプリのように劇的には変化しないが、
唇の形を笑顔にして
目を少し大きく
アゴをわずかにシャープにして
額も気持ち狭くしてみた
ちょっとは愛想のいいモナリザになったかな?
プロが画像ソフトを使って(表情ではなく)質感をレタッチ(補正・調整)したのがこちら。ずいぶんと生々しいモナリザに仕上がっている。ダ・ヴィンチの描いたモナリザはどこか存在感が希薄で、それが女神的な雰囲気にもつながっている。でもレタッチされたものを見ると、この描かれた人物の実在を強く感じる。それと顔の形はほとんど変えていないのにオリジナルよりずっと美人だ。まあスッピンと化粧した顔の違いともいえるが(^^ゞ
動画で制作の様子を見ることができる。
ダ・ヴィンチが見たら好奇心を抑えられず、あの世から蘇ってきそうな内容である。
古典的な名画をリアルに再現するというのは意外と面白い。この前、超写実絵画の展覧会を見てきたくらいだから、私の好みに合うのだろう。もっといろいろな作品を見たいものである。特にラファエロで誰か試してくれるとうれしい。
2020年07月14日
緋牡丹のピンクがご臨終(>_<)
5月の初旬に植え替えをした時から、ピンク色の緋牡丹は元気がなく色が悪かった。もとに戻ることを願っていたものの、2日前の7月12日にご臨終を確認。残念。
昨年の12月にオレンジ色と一緒に世田谷のボロ市で買ってきた。
その1年前に買った赤と黄色と4色揃い踏みの写真。3月1日撮影。
5月4日。ショッキングピンクに近かったのに、かなり色が薄くなる。(写真の右端)
5月17日。傷んでいる部分があるのを発見。
6月21日。痛みが倍くらいに広がってきた。
7月5日。傷んでいるのじゃなくて、その部分はもう死んでいるような状態。
7月12日。一気に全体に広まってご臨終。
せっかくまとめて4本を寄せ植えにしたのに(/o\) 他の緋牡丹に異常はないから、育て方ではなくピンクの個体が弱かったのだと考えている。しかし5月の末に多肉植物の「魅惑の月」が枯れたのに続いてだからショック。
実は緋牡丹というサボテンは色のついた丸い部分だけで、茎のように見える緑の部分は三角柱とかいう別のサボテン。緋牡丹は葉緑素を持たないので光合成ができず=成長できないので、他のサボテンに接ぎ木して育てられる。だったら野生ではどうなっているのか疑問なのだが、とにかくそういうことになっている。とりあえず三角柱は無事のようなので、しばらくはそのままで様子を見るとしよう。まったく面白みのない形ではあるが。
昨年の12月にオレンジ色と一緒に世田谷のボロ市で買ってきた。
その1年前に買った赤と黄色と4色揃い踏みの写真。3月1日撮影。
5月4日。ショッキングピンクに近かったのに、かなり色が薄くなる。(写真の右端)
5月17日。傷んでいる部分があるのを発見。
6月21日。痛みが倍くらいに広がってきた。
7月5日。傷んでいるのじゃなくて、その部分はもう死んでいるような状態。
7月12日。一気に全体に広まってご臨終。
せっかくまとめて4本を寄せ植えにしたのに(/o\) 他の緋牡丹に異常はないから、育て方ではなくピンクの個体が弱かったのだと考えている。しかし5月の末に多肉植物の「魅惑の月」が枯れたのに続いてだからショック。
実は緋牡丹というサボテンは色のついた丸い部分だけで、茎のように見える緑の部分は三角柱とかいう別のサボテン。緋牡丹は葉緑素を持たないので光合成ができず=成長できないので、他のサボテンに接ぎ木して育てられる。だったら野生ではどうなっているのか疑問なのだが、とにかくそういうことになっている。とりあえず三角柱は無事のようなので、しばらくはそのままで様子を見るとしよう。まったく面白みのない形ではあるが。
2020年07月10日
コロナに補償という言葉遣い
前回に引き続いて、このところ耳に引っ掛かる言葉遣いはコロナウイルス関連。
ただし「自粛を要請する」じゃない。
自粛は自ら控えることで、それを他者に要請するという表現は論理的に100%おかしい。自粛という単語および自粛の要請という表現が一般に使われ出したのは、昭和天皇の崩御前後からで、当時はその議論がかなりあったと記憶している。
あれから30数年経って、コロナウイルスでまた自粛の要請という表現が使われている。しかしその表現の是非について、とやかく言う向きはほとんどないように思える。これは言葉とは変化するもの・それに慣れるものというより、忖度社会がより一層進んだからだと解釈している。法律を作って罰則を設ければオオゴトになるから、ちょっと意味はおかしいけれど自粛の要請でいいんじゃないと多くの人が思っているのだろう。あるいはそれが通るほど社会のナアナア化が進んだと言い換えられるかも知れない。
言葉遣いより、そちらの方がよほど問題だと思う。しかしそうした空気は私にも伝染するわけで、何となく気にならないというかスルーしてしまっているというか。それがいいのかどうか自分でもよくわからない。
さてコロナウイルス関連で気になっているのは「政府が補償」という言葉遣いである。ごく当たり前のように使われている。しかし補償とは償(つぐな)って補うこと。そして償うというのは悪いことをしたり損害を与えた側がする行為である。
政府がコロナウイルスを作ったりまき散らしたわけじゃないのだから償う立場にはない。だから政府が補償するという言葉遣いはまったくおかしい。もちろん経済対策を否定しているのではなくて、政府が支給するお金は支援とか援助などの言葉であるべきという意見。
実際には政府が企業や個人に支払っているお金は、支援金や給付金という名前がついていて補償金とはなっていない。それなのにどうして政府が補償、自粛の補償などというのだろうか。しかもこれはコロナウイルスに限った使われ方なのである。地震や台風で被災者を救済する時に補償とはいわない。コロナウイルスだけ補償という言葉遣いなのかが不思議。
なお世界各国で同じような対策を行っているから、どういう単語を使っているか興味があるのだが、面倒なのでまだ調べていないーーー
ところで「政府が補償」という表現については言葉遣いとしての違和感だけでなく、その声高な主張の一部に「あさましいなあ」とか「情けないなあ」と感じているのも事実。そんなタカリ社会になって大丈夫かとか、ジイちゃんバアちゃんは戦争の補償なんかもらってないゾというのが頭の片隅にある。
その気持ちはまだうまく整理できていない。だから、それは置いておいて、私もありがたく10万円の申請をすることにします。もっとクレや!(^^ゞ
ただし「自粛を要請する」じゃない。
自粛は自ら控えることで、それを他者に要請するという表現は論理的に100%おかしい。自粛という単語および自粛の要請という表現が一般に使われ出したのは、昭和天皇の崩御前後からで、当時はその議論がかなりあったと記憶している。
あれから30数年経って、コロナウイルスでまた自粛の要請という表現が使われている。しかしその表現の是非について、とやかく言う向きはほとんどないように思える。これは言葉とは変化するもの・それに慣れるものというより、忖度社会がより一層進んだからだと解釈している。法律を作って罰則を設ければオオゴトになるから、ちょっと意味はおかしいけれど自粛の要請でいいんじゃないと多くの人が思っているのだろう。あるいはそれが通るほど社会のナアナア化が進んだと言い換えられるかも知れない。
言葉遣いより、そちらの方がよほど問題だと思う。しかしそうした空気は私にも伝染するわけで、何となく気にならないというかスルーしてしまっているというか。それがいいのかどうか自分でもよくわからない。
さてコロナウイルス関連で気になっているのは「政府が補償」という言葉遣いである。ごく当たり前のように使われている。しかし補償とは償(つぐな)って補うこと。そして償うというのは悪いことをしたり損害を与えた側がする行為である。
政府がコロナウイルスを作ったりまき散らしたわけじゃないのだから償う立場にはない。だから政府が補償するという言葉遣いはまったくおかしい。もちろん経済対策を否定しているのではなくて、政府が支給するお金は支援とか援助などの言葉であるべきという意見。
実際には政府が企業や個人に支払っているお金は、支援金や給付金という名前がついていて補償金とはなっていない。それなのにどうして政府が補償、自粛の補償などというのだろうか。しかもこれはコロナウイルスに限った使われ方なのである。地震や台風で被災者を救済する時に補償とはいわない。コロナウイルスだけ補償という言葉遣いなのかが不思議。
なお世界各国で同じような対策を行っているから、どういう単語を使っているか興味があるのだが、面倒なのでまだ調べていないーーー
ところで「政府が補償」という表現については言葉遣いとしての違和感だけでなく、その声高な主張の一部に「あさましいなあ」とか「情けないなあ」と感じているのも事実。そんなタカリ社会になって大丈夫かとか、ジイちゃんバアちゃんは戦争の補償なんかもらってないゾというのが頭の片隅にある。
その気持ちはまだうまく整理できていない。だから、それは置いておいて、私もありがたく10万円の申請をすることにします。もっとクレや!(^^ゞ
2020年07月07日
ゲームに課金するという言葉遣い
ときどき世間での言葉遣いに違和感を覚える時がある。もっとも言葉は時代と共に変化していくもの。現時点で国語学者などが明確に誤りと指摘するケースがあったとしても、多くの人が使い続ければ、やがてそれが「正しい日本語」になる。
だから違和感があったとしても、それに反発してもあまり意味はないし、そんな言葉遣いの間違いを指摘するのもジジ臭くてイヤなんだけれど、まあとりあえず書いておこう。
私はゲームをしないので詳しくないのだが、スマホなどのゲームでは
無料でも遊べる
有料のアイテムを買えば、プレイヤーがパワーアップされてもっと楽しく遊べる
そんな仕組みになっている場合が多いようだ。
そして、その有料アイテムを購入することをゲームに「課金する・課金した」と表現する人が多い。それに違和感ありありなのである。
課金の「課」は「される」もので「する」ものではない。税金を払うのを「税金を課税した」とは言わないと例えればわかりやすいと思う。課税は取り立てることで、税金を払うのは「納税した」である。
文法的には100%誤りだと思うものの、多くの人が使っているので、最近は辞書でも「近年は支払うという意味でも用いられることがある」と注釈を付けている事例もある。
「課金する・課金した」の表現が広まった理由は、課税に対する納税のように対になる単語がなかったからだとの説がある。よく似た事例で引き合いに出されるのが「募金」。募はつのる・集めるという運営側の概念だから、お金を払うのに「募金する・募金した」の表現はおかしい。しかしこれも対となる言葉がない。あえていうなら「寄付」になるが、何となくそぐわない。それで「募金する・募金した」と誰かが言い始め、それが広まって一般的になったとの歴史。今では赤い羽根に募金してきたと言っても「何、その日本語?」と咎められることはまずないだろう。
したがって「課金する・課金した」もいずれ耳に馴染むようになる。でもそれまでが厄介だなあ。「ムカつく」が腹が立つ意味での非常に強い罵り表現だったのに、とても軽い意味でも使われ出した頃、その言葉を聞く度に軽くビクッとしたのを思い出す。ところでムカつくの定義が変わったのはいつ頃だったっけ? まったく記憶が消えたというか現代のムカつくに頭の中がすっかり置き換えられている。旧時代のムカつくのニュアンスも既にはっきりと思い出せない。
このように新しい言葉遣いなんて、とっとと慣れるに越したことはないのだ。しかし実はもうひとつとても違和感をいだいている言葉がある。それは最近よく使われるコロナ関連。
ーーー続く
(補足1)
課金の意味が転用したのは、課税・納税のように対になる単語がないから説は、一見説得力があるように思える。しかし「課金する・課金した」の表現が使われるのは主にゲーム料金、そこから派生してせいぜい携帯電話料金までである。家賃を課金してきたなどとはいわない。そのあたりにこの言葉遣いが発生したメカニズムが潜んでいるように思える。誰か賢い人に掘り下げて欲しい。
(補足2)
「課金する・課金した」と言う表現が始まったのが2003年頃、広まったのは2013年頃かららしい。私はゲームをしないので耳にしたのは数年前から。ゲームをする人には、何を今さらな話かも知れない。
だから違和感があったとしても、それに反発してもあまり意味はないし、そんな言葉遣いの間違いを指摘するのもジジ臭くてイヤなんだけれど、まあとりあえず書いておこう。
私はゲームをしないので詳しくないのだが、スマホなどのゲームでは
無料でも遊べる
有料のアイテムを買えば、プレイヤーがパワーアップされてもっと楽しく遊べる
そんな仕組みになっている場合が多いようだ。
そして、その有料アイテムを購入することをゲームに「課金する・課金した」と表現する人が多い。それに違和感ありありなのである。
課金の「課」は「される」もので「する」ものではない。税金を払うのを「税金を課税した」とは言わないと例えればわかりやすいと思う。課税は取り立てることで、税金を払うのは「納税した」である。
文法的には100%誤りだと思うものの、多くの人が使っているので、最近は辞書でも「近年は支払うという意味でも用いられることがある」と注釈を付けている事例もある。
「課金する・課金した」の表現が広まった理由は、課税に対する納税のように対になる単語がなかったからだとの説がある。よく似た事例で引き合いに出されるのが「募金」。募はつのる・集めるという運営側の概念だから、お金を払うのに「募金する・募金した」の表現はおかしい。しかしこれも対となる言葉がない。あえていうなら「寄付」になるが、何となくそぐわない。それで「募金する・募金した」と誰かが言い始め、それが広まって一般的になったとの歴史。今では赤い羽根に募金してきたと言っても「何、その日本語?」と咎められることはまずないだろう。
したがって「課金する・課金した」もいずれ耳に馴染むようになる。でもそれまでが厄介だなあ。「ムカつく」が腹が立つ意味での非常に強い罵り表現だったのに、とても軽い意味でも使われ出した頃、その言葉を聞く度に軽くビクッとしたのを思い出す。ところでムカつくの定義が変わったのはいつ頃だったっけ? まったく記憶が消えたというか現代のムカつくに頭の中がすっかり置き換えられている。旧時代のムカつくのニュアンスも既にはっきりと思い出せない。
このように新しい言葉遣いなんて、とっとと慣れるに越したことはないのだ。しかし実はもうひとつとても違和感をいだいている言葉がある。それは最近よく使われるコロナ関連。
ーーー続く
(補足1)
課金の意味が転用したのは、課税・納税のように対になる単語がないから説は、一見説得力があるように思える。しかし「課金する・課金した」の表現が使われるのは主にゲーム料金、そこから派生してせいぜい携帯電話料金までである。家賃を課金してきたなどとはいわない。そのあたりにこの言葉遣いが発生したメカニズムが潜んでいるように思える。誰か賢い人に掘り下げて欲しい。
(補足2)
「課金する・課金した」と言う表現が始まったのが2003年頃、広まったのは2013年頃かららしい。私はゲームをしないので耳にしたのは数年前から。ゲームをする人には、何を今さらな話かも知れない。
2020年07月02日
超写実絵画の襲来 ホキ美術館所蔵 その4
いわゆる静物画は昔から超写実的なものが多くある。私が認識している範囲では、17世紀のオランダ絵画(フェルメールと同時代)や、その少し前のフランドル絵画と呼ばれていた頃からそういう手法はあったと思う。はじめてグラスが透明に描かれている絵を見た時はビックリしたものである。
それで青木敏郎の絵を見た時、そのオランダ絵画を思い出し、超写実絵画には油絵の雰囲気を残したものと、そうでないものに分かれることに気がついた。
ところで超写実絵画には
写真をキャンバスに投影して写し取る←→写真は参考にするが投影はしない
エアブラシで描く←→筆や鉛筆などで描く
などに手法が分かれるらしい。写真を投影して、それをなぞってエアブラシで描くのをスーパーリアリズム、そうでないのを写実絵画あるいは超写実絵画と区別するようでもあるが、あまり詳しく調べていない。何となく曖昧なところもあるし、だいたい同じ意味を日本語と英語で使い分けているだけだからネーミングとしても成立していない。
それはさておき、この展覧会の作品は鉛筆画を除きすべて筆で描かれたもの。それなにの「油絵の雰囲気を残したものと、そうでないものに分かれる」のは技法として何が違うのだろう。それと17世紀から人物画でも精細に描いたものはあるが、静物画と異なり、今日の超写実絵画の人物画とはリアリティのレベルが違う。当時とは何が違う? 道具や材料はそう変わらないと思うが、そのあたりがナゾ。
「レモンのコンフィチュール、芍薬、染付と白地の焼き物」 青木敏郎 2013年
この展覧会の中にあっては古典絵画かと思えるくらいであって、本物そっくりで頭がクラッとくることはない。でもこれはこれで実に味わいがあるというか酔えるというか。そういう意味で「絵って何?」といろいろと考えさせられた作品でもある。
なおコンフィチュールとはジャムみたいなもの。ただし、ここで描かれているのはあまり煮込まないで形を残した砂糖菓子のようである。ただこれが、やたらギラギラとしていて色も悪く、今はもう見なくなった「汚い食堂の店先にある、クオリティが低くて安っぽい食品サンプル(ロウでできたヤツね)」のように見えて仕方なかった。この絵の時代設定は不明だが、昔のコンフィチュールはそうだったの? とりあえずマズそう(^^ゞ
「あかいはな」 五味文彦 2010年
リアリティでなら断然こちらのほうが優れている。しかしテクニックには感嘆しても、絵としての味わいは皆無。人物画だと6月26日に紹介した「綾〇〇〇的な」や「信じてる」のようにリアリティがある一線を越えると「特別な何か」を感じるのに、静物画では写真にしか見えないのが不思議。
続いて紹介するのはクリエイティブ賞。
展覧会とは関係なく私が勝手に選定したもの。
「飛行計画 ー詩は聞こえたか−」 五味文彦 2012年
コラージュは雑誌のグラビアページやポスターなどを材料にして作る。つまり写真の貼り合わせ。それをまるで写真のような超写実技法で、写真なしで再現するという試みが面白い。シャレがわかっているで賞でもいいかな。
よく見ればコラージュでは不可能な表現もあったりして芸が細かい。ただしタイトルの意味はさっぱりわからないが。
「夢の箱」 島村信之 2017年
見た瞬間に「ヤラレタ!」と思った作品。クワガタの標本を絵にするという発想が素晴らしい。また横幅2メートルちょっとある大きな作品で、大きなクワガタだと体長50センチほどのサイズで描かれていて迫力も充分。そんなクワガタにもし出くわしたら、死んだふりするかも(^^ゞ
似たようなものだけれどアイデア賞を3点。
「UTSUSEMI」 五味文彦 2014年
動物の柔らかい毛並み、鳥の羽の滑らかさ、食器の硬質な感じーーー超写実絵画のテクニック見本として面白いかと。画家のドヤ顔が目に浮かぶようだが。
「聖なるもの THE-IV」 野田弘志 2013年
写真は構図やテクニックよりも被写体が9割大事というのが、ここ数年カメラを持って出かけることが多くなった私の感想。絵もそうなんだと思う。
「いにしえの王は語る」 五味文彦 2018年
どんな木なの想像が膨らむが、この部分を切り取ったのが画家の感性。写真も漠然と撮っていてはダメだな。それと写真にもタイトルを付けたら作品ぽくなるかな(^^ゞ
次は残念だ賞。この絵が残念なことはまったくなくて、残念なのは鉛筆画がこの作品しか展示されていなかったこと。鉛筆の超写実絵画は一種独特の浮遊感が感じられるものが多くて好きなのに。
「横たわる男」 磯江 毅 200-2002年
展示されていたのは70点弱で、ややこぢんまりしたスケール。ただこの手の作品は見ていると息が詰まるというと大げさだが、少し緊張感が強いられるので、これくらいの作品数が適切かも知れない。写真以上に写実的な描写に何の意味があるのかについては意見は分かれるかも知れない。しかし100メートルを9秒台で走ったって、冷静に考えれば「だからどうした」ともいえるわけで、私は単純にワーッ、すげえ!と楽しみたい。
おしまい
それで青木敏郎の絵を見た時、そのオランダ絵画を思い出し、超写実絵画には油絵の雰囲気を残したものと、そうでないものに分かれることに気がついた。
ところで超写実絵画には
写真をキャンバスに投影して写し取る←→写真は参考にするが投影はしない
エアブラシで描く←→筆や鉛筆などで描く
などに手法が分かれるらしい。写真を投影して、それをなぞってエアブラシで描くのをスーパーリアリズム、そうでないのを写実絵画あるいは超写実絵画と区別するようでもあるが、あまり詳しく調べていない。何となく曖昧なところもあるし、だいたい同じ意味を日本語と英語で使い分けているだけだからネーミングとしても成立していない。
それはさておき、この展覧会の作品は鉛筆画を除きすべて筆で描かれたもの。それなにの「油絵の雰囲気を残したものと、そうでないものに分かれる」のは技法として何が違うのだろう。それと17世紀から人物画でも精細に描いたものはあるが、静物画と異なり、今日の超写実絵画の人物画とはリアリティのレベルが違う。当時とは何が違う? 道具や材料はそう変わらないと思うが、そのあたりがナゾ。
「レモンのコンフィチュール、芍薬、染付と白地の焼き物」 青木敏郎 2013年
この展覧会の中にあっては古典絵画かと思えるくらいであって、本物そっくりで頭がクラッとくることはない。でもこれはこれで実に味わいがあるというか酔えるというか。そういう意味で「絵って何?」といろいろと考えさせられた作品でもある。
なおコンフィチュールとはジャムみたいなもの。ただし、ここで描かれているのはあまり煮込まないで形を残した砂糖菓子のようである。ただこれが、やたらギラギラとしていて色も悪く、今はもう見なくなった「汚い食堂の店先にある、クオリティが低くて安っぽい食品サンプル(ロウでできたヤツね)」のように見えて仕方なかった。この絵の時代設定は不明だが、昔のコンフィチュールはそうだったの? とりあえずマズそう(^^ゞ
「あかいはな」 五味文彦 2010年
リアリティでなら断然こちらのほうが優れている。しかしテクニックには感嘆しても、絵としての味わいは皆無。人物画だと6月26日に紹介した「綾〇〇〇的な」や「信じてる」のようにリアリティがある一線を越えると「特別な何か」を感じるのに、静物画では写真にしか見えないのが不思議。
続いて紹介するのはクリエイティブ賞。
展覧会とは関係なく私が勝手に選定したもの。
「飛行計画 ー詩は聞こえたか−」 五味文彦 2012年
コラージュは雑誌のグラビアページやポスターなどを材料にして作る。つまり写真の貼り合わせ。それをまるで写真のような超写実技法で、写真なしで再現するという試みが面白い。シャレがわかっているで賞でもいいかな。
よく見ればコラージュでは不可能な表現もあったりして芸が細かい。ただしタイトルの意味はさっぱりわからないが。
「夢の箱」 島村信之 2017年
見た瞬間に「ヤラレタ!」と思った作品。クワガタの標本を絵にするという発想が素晴らしい。また横幅2メートルちょっとある大きな作品で、大きなクワガタだと体長50センチほどのサイズで描かれていて迫力も充分。そんなクワガタにもし出くわしたら、死んだふりするかも(^^ゞ
似たようなものだけれどアイデア賞を3点。
「UTSUSEMI」 五味文彦 2014年
動物の柔らかい毛並み、鳥の羽の滑らかさ、食器の硬質な感じーーー超写実絵画のテクニック見本として面白いかと。画家のドヤ顔が目に浮かぶようだが。
「聖なるもの THE-IV」 野田弘志 2013年
写真は構図やテクニックよりも被写体が9割大事というのが、ここ数年カメラを持って出かけることが多くなった私の感想。絵もそうなんだと思う。
「いにしえの王は語る」 五味文彦 2018年
どんな木なの想像が膨らむが、この部分を切り取ったのが画家の感性。写真も漠然と撮っていてはダメだな。それと写真にもタイトルを付けたら作品ぽくなるかな(^^ゞ
次は残念だ賞。この絵が残念なことはまったくなくて、残念なのは鉛筆画がこの作品しか展示されていなかったこと。鉛筆の超写実絵画は一種独特の浮遊感が感じられるものが多くて好きなのに。
「横たわる男」 磯江 毅 200-2002年
展示されていたのは70点弱で、ややこぢんまりしたスケール。ただこの手の作品は見ていると息が詰まるというと大げさだが、少し緊張感が強いられるので、これくらいの作品数が適切かも知れない。写真以上に写実的な描写に何の意味があるのかについては意見は分かれるかも知れない。しかし100メートルを9秒台で走ったって、冷静に考えれば「だからどうした」ともいえるわけで、私は単純にワーッ、すげえ!と楽しみたい。
おしまい
2020年07月01日
超写実絵画の襲来 ホキ美術館所蔵 その3
前回の投稿で紹介したのは人物画。
今回は風景画を中心に。
しかし、これがまったくクラッとこなかった。
それが自分に対して不思議。
雄大な風景や、スナップ的に景色を切り取ったものに何も感ぜずーーー
「摩周湖・夏天」 野田弘志 1999年
「気配ー春」 大畑稔浩 2015年
「ひまわり畑」 藤原秀一 2006年
描かれているのが人工物だと、さらに何も感ぜずーーー
「SHAFT TOWER(赤平)」 石黒賢一郎 2010年
「階段 Stairwell」 廣戸絵美 208-2009年
これなら別に写真でいいじゃないかとすら思えたりーーー
「瀬戸内海風景ー川尻港」 大畑稔浩 2003年
「ナローカナルのボート乗り場」 原雅幸 2007年
とりあえずテンション下がりまくり(/o\)
2017年の平塚での展覧会では犬塚勉の「梅雨の晴れ間」、水野暁の「The Volcano−大地と距離について/浅間山」といった超写実風景画を見て舞い上がっていたのに。
何が違うんだろうと考える。写実の精緻さで今回が劣っているということはない。平塚以来、この手の絵は見ていないから飽きたということでもない。というわけで原因不明。3年経って感性が老化した可能性には触れたくない(^^ゞ
というわけで、私が超写実絵画に求める
本物以上に本物そっくりなのに、
本物じゃないことを知っていることから来る混乱で
頭がクラッとして、そこに不思議な快感を覚える
という楽しみは風景画からは得られなかったものの「スゴいな〜」「どうやって描いているの」「描いているとき息してるのかなあ」といった超写実テクニックに対する驚嘆は十分すぎるほどに味わえたから、それほど不満はない。
ーーー続く
今回は風景画を中心に。
しかし、これがまったくクラッとこなかった。
それが自分に対して不思議。
雄大な風景や、スナップ的に景色を切り取ったものに何も感ぜずーーー
「摩周湖・夏天」 野田弘志 1999年
「気配ー春」 大畑稔浩 2015年
「ひまわり畑」 藤原秀一 2006年
描かれているのが人工物だと、さらに何も感ぜずーーー
「SHAFT TOWER(赤平)」 石黒賢一郎 2010年
「階段 Stairwell」 廣戸絵美 208-2009年
これなら別に写真でいいじゃないかとすら思えたりーーー
「瀬戸内海風景ー川尻港」 大畑稔浩 2003年
「ナローカナルのボート乗り場」 原雅幸 2007年
とりあえずテンション下がりまくり(/o\)
2017年の平塚での展覧会では犬塚勉の「梅雨の晴れ間」、水野暁の「The Volcano−大地と距離について/浅間山」といった超写実風景画を見て舞い上がっていたのに。
何が違うんだろうと考える。写実の精緻さで今回が劣っているということはない。平塚以来、この手の絵は見ていないから飽きたということでもない。というわけで原因不明。3年経って感性が老化した可能性には触れたくない(^^ゞ
というわけで、私が超写実絵画に求める
本物以上に本物そっくりなのに、
本物じゃないことを知っていることから来る混乱で
頭がクラッとして、そこに不思議な快感を覚える
という楽しみは風景画からは得られなかったものの「スゴいな〜」「どうやって描いているの」「描いているとき息してるのかなあ」といった超写実テクニックに対する驚嘆は十分すぎるほどに味わえたから、それほど不満はない。
ーーー続く