2020年09月

2020年09月29日

缶入りコーラは蒸発する

どうでもいい話ではあるが、あまり経験した人はいないと思うので。


小学校か中学校だったのかの記憶はないが、あるときの遠足が雨で中止になった。その遠足に持っていこうと缶入りのコーラを買ってあった。遠足がなくなって残念な気持ちがあったからか、すぐにそのコーラを飲む気になれず、しばらくそのままにしてあった。

ひょっとしたら秋の遠足で、その後に寒くなって飲む機会をなくしたのかもしれない。それでコーラを勉強机の上に設けられていた棚に上げた。(高校生になった頃に勉強部屋を増築したので、その棚があったということは小学校か中学校の時の話なのである)

かなり天井に近いところにあった棚で、そこに置いたことでコーラのことはすっかり忘れてしまった。先ほど書いた勉強部屋を増築した時には、いろんなものを移動させるからその時に見つけた。しかし新しい部屋のクローゼットの中に押し込んでしまい。そして大学2年生の時に実家を改築することになり、またそのコーラを見つけた。

中止になった遠足が中学3年生の時だとしても、その時点で5年も経っている。見た目に異常はなかったが飲む気は起きずに再びクローゼットの奥に(^^ゞ 次に見つけたのは社会人4年目に東京に引っ越すことになり、あれこれ荷物を整理しているときである。もう10年ものの立派なビンテージ。

その時に思ったのは「こんな古いコーラを持っている奴はそういないだろう」「そうだ、記念にこのままとっておいて死ぬときに飲もう!」ということ。腐ったり変質するだろうって? どうせその後に死ぬのだから別にいいじゃない(^^ゞ


ただしそのコーラは東京に持ってこずに実家に置いたままになっていた。そして長い年月が流れる。数年前に実家に置いてあったものを整理することになり、すっかり忘れていたコーラとご対面。最低でも45年は経っているもはやクラシックである。

「あっ、あのコーラだ」「昔は死ぬときに飲もうなんてシャレで思っていたけれど、そろそろ現実味を帯びる年齢になったなあ」などと感慨深く思いながら、クローゼットの奥に鎮座していたコーラを手に取ってビックリ仰天!

    缶の重さしかなかった

コーラが漏れたのかと思い周辺の場所を見たが、そんな形跡はなし。つまり半世紀近く経過するうちに蒸発したのである。もちろん缶が破れたりはしていないから、蒸発する箇所はないはずだが、接合部のミクロあるいはナノ単位の隙間から長い時間をかけて蒸発したのだと思われる。とりあえず缶飲料は蒸発するという事実を知る。


死に水はコーラで取ってもらおうと思っていたのに(取ると表現するが臨終の際に水を飲ませること)残念である。さらに後悔しているのは、そのコーラ缶を荷物整理の際に間違って捨ててしまったこと(>_<)

ちなみにこんな缶だった。
色が今とは違って、ちょっと高級感があるね。
缶コーラ


写真引用:https://pbs.twimg.com/media/CTruxl3VEAA6m4E?format=jpg&name=large

wassho at 22:56|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2020年09月26日

子育て支援への違和感 その2

前回に書いた子育て支援への違和感「その1」は、子育て支援そのものではなく、人口減少に歯止めをかける目的に対して

   少子化対策・子育て支援
   移民

という手段への取り組みを較べてのものであった。外国人労働者レベルじゃなくて質の高い移民を多く獲得する方向に舵を切らないと日本は立ち行かなくなると考えている。ただし、だからといって少子化対策・子育て支援が不要だと思っているわけじゃない。


子育て支援の政策トレンドが明確になったのは、民主党政権時代の2010年に実施された「子ども手当」からかな。それまでの政策とそれほど違いはなかったのかもしれないが、ネーミングのインパクトが大きく認知効果はあった。

あれから10年。子育て支援政策がどう推移し、どれだけ充実したのかーーーは、ほとんど知らない。だって子育てしていないから(^^ゞ ところで少子化対策担当の特命大臣が置かれるようになったのは、もう少し古く2003年の小泉内閣に遡る。以来途切れることなく任命されている。

しかし2003年に1.29だった出生率は最大でも1.45にしかならず、2019年にはまた1.36に下がっている。このわずかな数字変化の評価は難しいものの、まあ歴代大臣は何も実績を上げられなかったと言っていいだろう。5月に安倍内閣は出生率1.8の目標を掲げた。それは管内閣にも引き継がれるだろうが、具体的な施策をつけたわけではないので目標というより願望である。

子育て

さて子育て支援。その政策を論じるには内容、実効性、費用対効果などを評価しなければならない。また少子化対策への寄与だけで判断するのかどうかも難しいところ。2003年からの出生率推移を見れば、今までの政策は成果がなかったと考えざるを得ないが、具体的・個別的な関心があったわけではないので、子育て支援=やるべきことだから賛成と漠然的に思ってきた。

しかし、その一方で昭和の中頃に生まれて育った身としては、あの頃のほうが貧しい家庭は多かったと思うし、今より家事労働も大変だったのに、子育て支援などなくても皆それなりにキチンと育ったという気持ちがどうしてもぬぐえない。付け加えれば出生率も2を超えていた。それが子育て支援という言葉を聞いたときに覚える違和感「その2」である。

私の世代が支援されなかったから、今もするなというセコい話ではもちろんない。相対的に社会は豊かになり生活は楽になったのに、昔はなくても何とかなった子育て支援が、なぜ現在は必要を超えて必須とされているのだろうかとの単純な疑問。端的にいえば社会が変わったということなんだろうが、何が、どうして、どのように変わってしまったのか。

これは単なる個人的な好奇心に過ぎないけれど、その解明なしに有効な少子化対策・子育て支援の政策はできないだろうという気もしている。

wassho at 19:49|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2020年09月24日

子育て支援への違和感

ここしばらく政策といえばコロナ対策一辺倒だったが、自民党の総裁選で岸田氏が「出産費用ゼロ」を、管氏が「不妊治療の保険適用」を打ち出してから、子育て支援の話題が多く聞かれるようになってきた。新内閣が発足して21日には「結婚したら60万円の補助金」というニュースも。これも所管は内閣府の子供・子育て本部だから子育て支援の政策と見なせる。

その背景はよく知られているように少子化=人口減少である。

  1967年(昭和42年):人口1億人突破 
  1974年(昭和49年):人口維持に必要とされる出生率2.08を下回る
  2008年(平成20年):1億2808万人でピークに達し、以降は減少に転じる
  2058年:1億人を割り込む予定

    ※このブログでの出生率は合計特殊出生率のこと
     1人の女性が一生の間に産む子供の人数の平均値

こちらの2015年厚生労働白書のグラフを見ると、80年後の2100年の人口は3795万人から6485万人と推定されている。出生率を高めに見積もった希望的観測でも現在と較べて人口半減という凄まじさである。80年後なんて先のこと過ぎてピンとこないが、今生まれた子供が死ぬ頃にはそうなっているということである。
人口グラフ2

過去10年間の出生率の平均は1.4人程度。子供を産むには男女の2名が必要で、それが平均で1.4人の子供を作れば7掛けということ。7掛けが2世代続けば4.9掛けになり3世代なら3.4掛け。人間は子供を産むまでより産んだ後のほうが生きている期間が長いから、7掛けでも当面は2人+1.4人で人口は増えるとしても、親が死んだ後は出生率通りの人口減少となる。


国力は経済力が基盤であり、その経済力は人口と相関する。人口が減少しても付加価値の高い産業にシフトすればという議論はある。理屈は間違ってはいないけれど、夫婦共稼ぎで子供も社会人である家族の世帯年収を単身者が上回ることは相当に難しい。だから人口減少に歯止めをかけるのは国家として最重要の課題だと思ってる。

増加ではなく「歯止め」と書いたのは減少することは確実だから。人口を維持できる出生率は2.08人(2人じゃないのは寿命をまっとうしない人もいるから)とされ、人口を増やすにはそれ以上が必要になる。1947年(昭和22)から1949年は4人以上、1950年(昭和25)から1951年では3人以上という時代もあったが、現在では1.4人から2人に高めることすら1ドルを360円に戻すくらい非現実的な話になる。ちなみに上のグラフでは出生率を高位・中位・低位に分けて人口推計をしていて、その値はそれぞれ1.60人・1.35人・1.12人である。つまり高くても8掛けが限度らしい。

ということは人口減少に対して、少子化対策の子育て支援というのは焼け石に水程度の効果しかない。そしてそれをカバーするには移民しか方策は残っていない。抵抗感は根強いし、移民政策にも色々問題はある。しかしジェットコースターのように急激に下るグラフを見れば必要性は明らかだろう。

人口減少は最重要課題であり、それは移民をどう受け入れるか、というより獲得するかというのが第1の問題なのである。それなのに同じ目的に対する手段でも、世間受けする子育て支援は実現しても、反対の多い移民についてお茶を濁す程度にしか進まない。そのあたりに危惧を感じている人は少ないように思える。

子育て支援を否定するつもりはまったくないが、人口減少というテーマに対しては「やってる感」を出しているだけと言えなくもない。それが違和感その1である。


ーーー続く

wassho at 20:34|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 

2020年09月22日

花茎もあらわれないグラジオラス

株が倒れまくって「もうあきらめた」と8月22日にブログに書いて、でも翌23日には株数が減ったのだから支柱を立てて「もうすこしがんばろう」と気を取り直したグラジオラス。

しかし3ヶ月で花が咲くと言われるのに、6月19日に植え付けて3ヶ月が経った本日現在で開花はなし。それどころかツボミをつける花茎すら生えてこない。あと2週間くらいは様子を見るつもりであるが、まあダメなんだろうなと期待もしなくなった。


8月23日は菜箸と割り箸を支柱の代用にして、そこそこ上手くいったが、やはり短いし数も足らなかったので数日後に支柱を買いに行った。しかし太くて長いものしか売られておらず、再び菜箸で代用することに。ただし今回は2本連結で。
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支柱に強度は必要ないからと割り箸6本バージョンも(^^ゞ
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8月22日には「115球を植えて100球ほど発芽したのに59株になった(涙)」と書いた。そこからもどんどん立ち枯れして現在はわずか19株しかない。もう涙も出ないな。

一番賑やかだった7月26日の様子。
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1週間前の9月15日。現在もほぼ同じ。
とりあえずまだ枯れていないというだけで精気はまったく感じられない。
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何が悪かったのかな。一番考えられるのはプランターに深さがないこと。でもユリはそこそこ咲いたのに。あるいは最初から支柱を使って倒れないように育てないといけないのかもしれない。それは数的に無理だったけれど。

もう諦めてはいるが、見たかったなあベランダに咲くグラジオラス。


wassho at 16:09|PermalinkComments(0)   *チューリップ以外 

2020年09月21日

三角柱サボテンの枝分かれ?

写真の後列で、緑の茎の上に、黄色や赤の丸い花が咲いているように見えるのが緋牡丹(ひぼたん)というサボテン。「緋」は鮮やかな赤という意味だが、なぜか色に関係なく緋牡丹と呼ぶ。
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正確にいうと丸く色のついた部分が緋牡丹で、コイツらは

   葉緑素を持たないから
     ↓
   光合成してエネルギーを得られず
     ↓
   だから単体では生きられないので
     ↓
   他の柱状のサボテンを台木として、その先端に接ぎ木して育てる

ということになっている。つまりは寄生植物みたいなもの。ならば自然の状態ではどう生きているのか興味があるが、ざっと調べた程度ではわからなかった。

それで台木には袖ヶ浦や竜神木(サボテンの種類)も使われるらしいが、もっとも安価な三角柱というサボテンが一般的。私は三角柱以外の緋牡丹は見たことがない。名前の通りに三角形の柱状に伸びるサボテン。

しかし三角柱は数年で枯れてしまう弱い品種。なんと緋牡丹の本体よりも寿命が短いとのこと。台木がダメになったら別の台木に移植することも可能だが、それはマニアの領域。だからその数年を楽しむのが緋牡丹というサボテン。


赤と黄色の緋牡丹は2018年、ピンクとオレンジのは2019年のそれぞれ12月の世田谷ボロ市で買った。赤と黄色は2019年の11月に1つのプランターに植え替え、今年の5月に4色をまとめて寄せ植えした。
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しかし7月にピンクの緋牡丹がご臨終(/o\)
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三角柱がダメになって緋牡丹が枯れたのではなく、緋牡丹自体が枯れた。ちょっと聞いていた話と違うけれど。またピンクのを買ってくるかと、とりあえず寄せ植えはそのままにしてあった。写真は8月22日の撮影。
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すると9月の最初に三角柱から葉のようなものが出てきて、あれよあれよという間に大きくなった。これは9月15日の撮影。1週間経った現在もほぼ同じ大きさ。葉ではなく三角の断面になっている。見てわかるように台木部分と違って新緑の鮮やかさ。台木にはないトゲまで生えている。
DSCF8164


これを切り取って植え直せば育つかな? それとピンクの台木だった三角柱が元気なことがわかったから、ダメ元で他の緋牡丹の子株(丸い粒みたいな部分)を移植してみようかなとかを検討中である。

wassho at 23:10|PermalinkComments(2)   *チューリップ以外 

2020年09月20日

金盛丸の子株を分離

昨年12月の世田谷ボロ市で買ってきたサボテンの金盛丸。一緒に買った多肉植物の「魅惑の月」は5月の終わりに枯れたというか腐ったようになってしまったが、こちらは元気いっぱいで子株が大きくなったので分離してみた。


2019.12.20  買ったときから子株はついていた。
191220DSCF4424


2020.03.01
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2020.05.04  ポットからプランターに植え替え。
        この時はまだ魅惑の月も元気だったのにーーー
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ここまでの写真でわかるように金盛丸は丸い形のサボテンだと思っていた。しかし6月の中頃から徐々に縦に伸びて棒状に変化してきた。

2020.07.12  最近やたら使われる表現でいえば「シュッと」してきたというか。
        子株もかなり大きくなる。
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2020.08.09  子株がさらに大きくなりプランターの縁に当たり出す。
200809DSCF8097

子株が圧迫される感じになってきたので、

   このままで大きなプランターに植え替える
   子株を分離する

のどちらかの対策をしようと考える。

しかしネットで調べたら夏のサボテンは成長期ではないので、そういった作業は春か秋にと書いてあるものが多かった。というわけで、ようやく少し涼しくなってきた本日に実施。大きなプランターに植え替えても背丈が高くなる品種ではなさそうなので、子株を分離することにした。魅惑の月で使っていたプランターも余っているし。

作業前の様子。子株は親株と同じくらいの高さになっている。
また先週くらいに新しい子株も出てきた。
DSCF8169


サボテンの分離をするのは初めて。どうやるのだ? 詳しく調べるのも面倒だったので、最初は手でひねって、ダメだったらナイフで切り離す作戦に決定。なお軍手をはめて作業しようとしたものの、サボテンのトゲは軍手の繊維の隙間から入ってきてまったく役に立たない。我慢できる痛さではなかったので革の手袋に変更した。

ひねるまでもなく少し引っ張るように力を入れたら、アッサリと抜けるように取れた。
既に根もついている。
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親株に大きな穴が開くと思っていたのに、まったく見当たらず。根があったということは地面から生えていたのか? しかし新しい子株を見ると親株の側面から派生している。よくわからないが、これからこの新しい子株を観察して謎解きをしよう。
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根が乾燥するまでしばらくそのままにしておくものらしいので、現在はベンジャミンのプランターに放置中。
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それにしても買ってきた時と較べるとずいぶんと形が違う。これから寒くなるとまた丸くなるのかな。未経験分野なので、あれこれ新鮮である。

wassho at 16:53|PermalinkComments(0)   *チューリップ以外 

2020年09月14日

レコードの売り上げがCDを上回る!

9月11日のAFPニュースによると、アメリカで今年上半期の売り上げは

   レコード 約246億円
   CD    約138億円

となったそうだ。

レコード

これはCDがレコードに負けたというより、かつて音楽メディアの中心だったCDがストリーミング(ネット配信)サービスに押されてどんどん衰退し、マニアックなマーケットとして一定の規模があったレコードより小さくなったということ。ちなみに同時期のストリーミングの売り上げは約5094億円と圧倒的。

CDの売り上げが減少しているとは、ずいぶんと前から言われていることだが、まさかレコードに抜かれるとはビックリ。SNSでのやりとりに取って代わられてメールが衰退し、郵便のほうが多くなったというようなイメージである。

一方で日本レコード協会の統計によると、日本での2019年の売り上げは、

   レコード    約21億円
   CD       約1495億円
   ストリーミング 約706億円

とアメリカとはまったく状況が異なる。世界的にCDが衰退していく中で日本はそうでもないとは聞いていたが数字を確認したのは初めてで、こんなに違うとは思わなかった。

3媒体を合計して比率で表すと

    アメリカ
      レコード      4%
      CD         3%
      ストリーミング    93%

    日本
      レコード      1%
      CD         67%
      ストリーミング    32%

国によってこんなに構造が違うマーケットも珍しいかな。アイドルの握手券商法がどの程度影響しているのか興味があるが、そういったデータはネットで見つからなかった。


理由はともかく日本はまだまだCDが主流といえるが、それでも売り上げが大きく下がっていることに変わりはない。シングル、アルバム含めた国内のCD売り上げのピークは1998年の5879億円。それが昨年の2019年には1495億円と20年間で1/4まで減少している。

これをCD不況と業界では称しているけれど、まず言葉遣いが間違っている。不況というのは好況と循環するものだが、CDの場合は衰退するだけだろう。まあそんな揚げ足取りはさておいて、CD不況の原因は「エンタメ・コンテンツの多様化」「レンタルや中古市場の存在」「違法コピーの横行」「ストリーミングサービスの発展」など色々と分析されている。しかし大事なことを忘れているんじゃないか。CDが売れないのは

     パッケージのセロファンを剥がしにくいから(^^ゞ

である。どうしてあんなに剥がしにくいのか。メーカーの人間は自分でCDを買ったことがあるのかと毎回ムカつく。たまに剥がしやすいように切り取りテープが巻かれているものがあるが、そのテープの端が浮いておらずつまめなかったり、テープが途中でCDケースから外れてしまったり役に立たない場合がほとんどである。

考えてもみてくれ。幼い頃、生まれて初めてキャラメルの箱を開けるときに、セロファンの剥がし方で苦労したことがあるか? なのにどうしてCDのセロファンは21世紀になっても簡単に剥がせないのだ(怒)

どうせ改良されないだろうから、セロファンを剥がしやすくすればCDの売り上げは回復すると無責任に宣言しておこう(^^ゞ

wassho at 21:21|PermalinkComments(0) 音楽、オーディオ | 社会、政治、経済

2020年09月13日

宝塚音楽学校の不文律とマキャベリ

タカラジェンヌを養成する宝塚音楽学校で、長年に渡って受け継がれてきた伝統や不文律を廃止したとのニュースが一昨日に流れていた。

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             引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/
                879073b2432ccdaa6fb8780a58fd05f5eb4fcb8d

宝塚音楽学校は「各種学校」に分類される2年制の学校。廃止された伝統や不文律のほとんどは1年生と2年生の上下関係に由来する。その厳しさは昔から軍隊並みと評されるほど。ちなみに1年生は予科生で2年生が本科生と呼ばれている。そのネーミングだけでも推して知るべしな校風である。

上の記事にある「阪急電車への挨拶」を説明しておくと、宝塚音楽学校は阪急電鉄の沿線にある→電車には上級生が乗っているかもしれない→だから電車が通るのを見かけたら挨拶する、具体的には電車に向かって頭を下げる行為。コンニチワー!と叫ぶわけじゃないよ。

廃止されたかどうかはわからないものの、他にも宝塚ルールは色々とあって、

  道路は2列縦隊で歩く。
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  廊下は私語厳禁。曲がるときは壁に沿って直角に曲がる。
  予科生は授業が始まる前の「午前6時から8時まで」学校を「毎日」掃除する。
  本科生のいうことは絶対!
  寮では音を立ててはならない。電子レンジはチンと鳴る前に扉を開ける。

  学校から駅に向かう道路は高い場所と低い場所を通っている2本が
  平行しており、予科生は本科生を見下ろさないように低い方の道路を歩く。
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とかを聞いたことがある。

こういう無意味な校則や礼儀作法とかの類いには「ケッ」と思うほうなんだけれど、宝塚の場合は学校とはいえかなり特殊なところだし、ここまで突き抜けているのは貴重でお笑いの域に達しているから続けて欲しかった気もする。しかし10年ほど前にはこういう校風も影響したと思われる「いじめ事件」で裁判も起きているから、見直しは必要だったのだろう。

それにしても記事にある「眉間にしわを寄せて口角を下げる予科顔」ってどんな顔? 是非見てみたい。試しに自分でやってみたが、口角を上げるのはできても下げるのは難しくて、変顔にしかならなかった(^^ゞ



ところで、このような話を聞くと「何事も妥当性があって始まる。やがてそれは妥当性を超えて一人歩きするし、妥当性がなくなっても続く」との言葉が思い浮かぶ。先輩に挨拶をするのは常識の範囲内なら妥当性があるとしても、電車にまで頭を下げるのは妥当性を通り越している。

この言葉のネタ元はマキャベリの「すべての行為は正義から始まる」で、以前にもブログにしたことがある。しかし今回、改めてマキャベリの語録を調べてみると、この言葉が見当たらなかった。記憶違いだったのかなあ。もうかれこれ30年くらいマキャベリの言葉だと思ってきたから、今さら別人の言葉だったら困るなあ。かつては企業改革のプロジェクトなどで、よく引用していたから面目丸つぶれである(/o\)

それはさておき、この言葉を気に入っているのは世の中のアホな事象のほとんどが、これに当てはまると思うから。それなりに広まり定着していることで、最初からアホだった例はあまりない。ただし、そのメカニズムがわかったからといって、今ではアホになってしまったことを改善できるかは別の話なのが難しいところ。例えば車検制度なんてその最たるもの。

実はしばらく前にある映画を見て、この言葉を思い出していた。それをブログにしようと思いつつ、内容が過激になりそうなのでどう書こうかとグズグズしているうちに宝塚のニュースが先に飛び込んできたといういきさつ。次に「〇〇〇とマキャベリ」のタイトルを見たら思い出してちょうだい。

なお気にする人はいないだろうからマキャベリの言葉で押し通す予定(^^ゞ

wassho at 10:31|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2020年09月11日

雨と晴れの境目

これは本日に大阪で撮られたニュース写真。タイトルは「ゲリラ豪雨をもたらす巨大雨柱」となっていた。

雨柱

なかなか見られない光景だと思うが、どうして雨柱の全体を写真に捉えなかったのだろう。右側がどこまで続いているのか気になるじゃないか(^^ゞ


この写真では雨が降っているところと、降っていないところが雨柱によってきれいに分かれている。ところで普通の雨でも降っているところと、いないところの境目はあるはず。もっとも境目付近で雨量は徐々に少なくなるから気づきにくい。だから境目を目撃したことのある人はほとんどいないと思う。

でも私はある(自慢)。


それは中学校の時。私は水泳部だった。校庭の隅にプールがあり、その隣には屋外のバスケットコートがあった。夏休みに練習していると、たまに「水泳部〜、頼むう〜」とバスケ部員がプールとコートの境にあるフェンスまでやってくるので、プールの水をバケツで掻き出してかけてやったものである。

ある日、カンカン照りの快晴だったのが突然に雲行きが怪しくなった。しばらくするとゴォーと大きな雨音が聞こえだした。しかし雨は降っていない。??と思ってプールの外を見ると、雨は校舎のあたりに降っていた。そしてゆっくり校庭のほうに雨雲が移動し、しばらくしてプールも土砂降りになった。いわゆる夕立レベルの雨の強さ。

しかし雨はプールを横切っていったものの、プールとバスケットコートの境にあるフェンスのところで止まった。そして2〜3分もしないうちに雨は上がり、すぐにカンカン照りに戻った。

   ナンデヤネン!
   水がいるのはコッチや!

と嘆くバスケ部員(^^ゞ

校庭を見ると雨が降ったところと降らなかったところで、一直線に色分けされていた。顧問の先生が「こんなことは滅多にない」といっていたのを覚えている。実際その通りで、あれから50年近く経ったけれど、雨と晴れの境目を体験したのは今のところあれが最初で最後である。

しかしこういうのは確率の問題だから、今のようにゲリラ豪雨が日常茶飯事になってくると体験する人も増えてくるかな。待ちきれない人はゲリラ豪雨に遭ったら、境目を目指して走りましょう(^^ゞ

wassho at 23:13|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2020年09月10日

カレーシチュー

先日のこと、何の脈絡もなく「小学校の給食にカレーシチューというメニューがあった」ことを思い出した。どうしてそんなことを突然に閃くかな。いつもながら脳の働きは不思議である。

けっこう頻繁に登場したメニューだった記憶がある。けれどもカレーシチューがどんな味だったかが思い出せない。カレー味なのは確かだとして、具体的にどうカレーで、どうシチューだったんだろう。味が思い出せないくらいだから、それが好きだったのかどうかも不明である。好きじゃなかったから思い出せないのかな。

しかし味は思い出せないくせに、頭の中がカレーシチューで一杯になってしまったた。考えてみるとカレーシチューとは、世の中で給食にしか存在しない不思議なメニューである。レストランで食べられるところはないし、ルーやレトルトとしても売られていない。

とりあえずスーパーでレトルトのカレーとビーフシチューを買った。両方を温めてボウル皿に入れて混ぜる。思ったよりおいしかったが、給食の味がこれじゃなかったことは確かである。もちろんそれは想定していたこと。しかしその時は、何でもいいからカレーシチューを食べないと気が済まなかったのである(^^ゞ

給食


改めて調べてみると「懐かしのカレーシチュー」と手作りレシピがいろいろと公開されていた。どうやら給食でもカレーシチューはもう提供されていないらしい。埼玉県鶴ヶ島市の学校給食センターのホームページによると、

    現在の給食ではあまり出されることのないカレーシチューですが、
    1976年以前の給食では、コッペパンやソフト麺との組み合わせで出される
    ことがあったメニューです。

とある。

現在の給食は米飯を出すのでカレーは普通にカレーライス。コッペパンやソフト麺が主流の時代は、もう少しサラッと調理する必要があり「ポトフの仕上げにカレールーも使って味付けしたカレーシチュー」が主流だったようである。調べているうちに何となく味の記憶もよみがえってきた。

それにしても給食の時間って楽しかったなあ。冷静に考えればどうってことのない献立なのに、友達がたくさんいて、将来に夢や希望があればメシは旨いということか。食べているものは今のほうが断然レベルが上なのに、あんな体験がもうできないのは寂しいね。


wassho at 22:44|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2020年09月09日

アイスコーヒーのブレンド

2018年は9月24日に「ほぼ3ヶ月ぶりにホットコーヒーを淹れた」ことをブログにしている。夏が暑すぎてホットのコーヒーは3ヶ月間ほど飲んでいなかったという話。それで本年2020年は本日に久しぶりのホットコーヒー。だいたい2ヶ月ぶりかな。今年も暑かったけれど、超絶猛暑の記憶が未だに残っている2018年よりはマシだったということか。身体は正直なものである。

と思ったら東京の7月と8月の平均気温は、

       7月  8月
  2018年 28.3度 28.1度
  2019年 24.1度 28.4度
  2020年 24.3度 29.1度

と8月に限れば今年と去年のほうが2018年より高い。2018年は7月の気温がやたら高いから、8月になった頃にはもうヘロヘロだったのかな。もっとも気温の平均値だけでは正確なところは語れないので、やっぱりここは1ヶ月早くホットコーヒーを飲んだという身体の感覚を信じることにしよう。

コーヒー豆


ところでこの夏はアイスコーヒーをたくさん作った。淹れる回数が多いということは、それだけ創意工夫する機会も増えるということ。それで発見したゴールデンレシピを。

私の淹れるアイスコーヒーは水出しである。水出しコーヒーは味はいいが香りに乏しいという難点がある。でもアイスコーヒーは冷やすときに香りも飛ぶので、たくさん作るのに手間の掛からない水出しにしている。

作り方は極めてシンプル。豆を挽いてお茶パックや出汁パックと呼ばれる紙の袋に詰め、冷水ポットに沈めておくだけ。そのまま冷蔵庫に入れて6〜7時間で出来上がる。だから創意工夫といっても、できることは豆の分量の加減くらいしかない。

あれこれ試して私がベストだと思ったのは、水2リッターに対してコーヒーメジャーに軽く山盛り8杯分の豆を挽くこと。もっともこれは魔法瓶構造のタンブラーやマグカップを使って氷を入れないで、つまり氷で薄まらずに飲むという前提だし、そもそもが水代わりにガブガブ飲むアイスコーヒーとしてのことだから、人によって好みは違うだろう。

それでポイントは8杯の豆のうち2杯はアイスコーヒー用でない普通のホットコーヒー用の豆を使うこと。比率でいうなら3対1。これでとてもクリアな味わいのアイスコーヒーが出来上がる。いわゆるブレンドの妙。もっともこれは創意工夫というより、暑いのでホットコーヒーは淹れない〜その豆が古くなってしまうとモッタイナイいう倹約精神から生まれたものであるが。


だから是非お試しをというレベルのものじゃない。
何の手間も掛からずに好みの味になって、ちょっとうれしかったというお話。

wassho at 21:58|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2020年09月04日

オールドロックをiMacで

春頃にはAmazonミュージックで昔懐かしいAORをよく聴いていた。一通り聴き終わった後はまたクラシック中心の生活に戻ったが、お盆の前くらいにAmazonミュージックのことを思い出し、今度は以前に紹介した「ロックの名盤435選」というサイトを参考にしながら古いロックをよく聴いている。

led-zeppelin


パソコンはDAC(デジタル・アナログ・コンバーター)という機器を介してオーディオアンプにつながっており、つまりパソコンで再生してもオーディオのスピーカーが鳴るようになっている。

ところが先日、そのDACが故障した。その場合はオーディオではなくパソコンのスピーカーから音が出ることになる。音質的にはかなり劣る。マッタクモーと思いつつ、しばらく聴いているうちに、そのチープな音質がオールドロックには意外と似合っていることに気づく。

正確に表現するなら、似合っているといっても適しているわけではない。オールドロックといえども、できるだけ高音質で再生すべきである。ただしオールドロックを聴く→懐かしい雰囲気を味わう→パソコンの音質が昔のラジカセやカーステに近い、という意味でイイ感じに楽しめるということ。

使っているパソコンは現行型のiMacで、パソコンの中ではそこそこ音がいい部類だとされている。ただしiMacは低音が過剰気味で、しかも締まりがない音質なので私は評価していなかった。しかし、それがラジカセやカーステのショボイ音質をなんとかしようと低音を目盛り一杯ブーストしていた時代の音質に近いのである。まさに塞翁が馬。


さて先に書いたDACの故障。電源が入らなかったのだが、調べてみると故障ではなく電源アダプターからの電線が抜けていただけだった。再び差し込んで一件落着。

しかしである。それを差し込むところは、かなりキツキツで、どうか考えても勝手に抜けるような作りではないのである。もちろんDACを動かしたりもしていない。

    誰かが抜いたとしか考えられないーーー

もう9月だけれど、まだまだ夜も暑いので怪談話でした(^^ゞ


wassho at 23:47|PermalinkComments(0) 音楽、オーディオ 

2020年09月03日

パパ活と遊女の不思議

売春を援助交際と言い換えるようになったのが30年前の1990年頃から。最初は女子高生の売春を意味したが、やがてプロ以外のアルバイト的な売春を広く指す言葉になったように思う。そして5年ほど前から広まってきたのがパパ活という言葉。愛人契約的なニュアンスを含めて使われ出した経緯があるものの、今では援助交際すなわち売春とほぼ同義語と考えていいだろう。

援助交際やパパ活などの表現が生まれるのは、売春の言葉を避けたいからである。こうやって言葉を置き換えてイメージを変えるのは日本語の伝統文化みたいなもので、例えば結婚式で「切る」は忌み言葉だからケーキには「入刀」されることになっている。

そして売春と言いたくないのは、もちろんそれが道徳的に悪いとされ法律としても違法だから。もっとも売春を身体を使う職業として考えた場合、歌ったり踊ったりするのと、あるいはスポーツ選手と何が違うのかは興味深いテーマ。しかし今回の趣旨からは外れるので触れないでおく。

というわけで、とりあえず売春は悪いことであり、それを援助交際やパパ活と言い換えようが、売春する行為が大っぴらに認められることはないし、言葉としても人前で発するのは憚られる後ろめたさがついて回る。

歌麿遊女


しかしである。
これが遊女という言葉になると、そういった売春のネガティブ感がまったく消えてしまうのが不思議なところ。言うまでもなく遊女は江戸時代の売春婦を指す言葉。明治になって呼び名が娼婦になり太平洋戦争前後から売春婦の名前に変わった(と何となく思っている)。

浮世絵には遊女を描いたものがたくさんある。というか芝居や遊郭といった「浮かれた世」を題材に始まったから浮世絵である。遊郭の遊女もピンキリで、浮世絵に描かれるのは高級な遊女であったとしても、売春を生業にしていたことに変わりない。

そして普段なら二言目には女性蔑視だ、セクハラだと叫びそうな人であっても、浮世絵の遊女については「売春婦を描いた作品」である基本情報はスルーして、遊女の艶やかな美しさなどとアートとして楽しんでいるのである。遊女という言葉を使うことの抵抗感も皆無である。

これがもし「パパ活女子」といったうタイトルの絵があるなら、どんなに美しい作品でもそうはならない。遊女もパパ活もやることは一緒なのにね(^^ゞ


どうして遊女という単語には後ろめたさがないのか。当時は合法的存在だったのは事実だとしても、それだけではないように思える。遠い昔に使われた言葉だから、貴族や武士と同じように概念としてしか捉えらず生身の感情が湧いてこないからか。あるいは「遊」の文字が持つ楽しさや軽やかさに売春のイメージがマスキングされるせいか。

浮世絵に描かれている女性って遊女が多いなあと気がついた数年前から、考えているテーマだけれど、未だ納得できる仮説を得られていない。そしてテーマがテーマだけに、あまり人とも話ができず(^^ゞ

wassho at 21:17|PermalinkComments(0) 社会、政治、経済 | 美術展