2020年10月
2020年10月31日
まだ生えて(やが)るグラジオラス
8月22日にはあきらめて、でも翌23日にはもう少しがんばろうと気を取り直したものの、いつまで経っても花茎が伸びず、9月22日には期待することもなくなったグラジオラス。
グラジオラスは暑い頃に咲く花である。もう明日からは11月だというのに、115球を植えて100株ほどが発芽し、なのに1株も花を咲かせなかったグラジオラスは、まだ8株ほどが枯れもせずに残っている。図々しいにもほどがあるゼ(^^ゞ
虫が発生している株もある。この黒い点々は小さすぎて肉眼で形を識別できず、また動きもしないが、汚れとは考えにくいので虫だろう。
こちらは虫もつかず青々とした株。それでも花茎は出さず。
11月中頃にはチューリップの植え付けに備えてプランターの土を取り出すので、その時まではこのままにしておくつもり。なぜ花をつけなかったのかよくわからないが、今さら調べる気にもなれない。来年にリベンジするつもりもないし。
9月の最初に枝分かれし始めたサボテンの三角柱。枝分かれした部分が太くなったら切り離して、別のプランターに移植しようと思っていた。しかし太くはならずに、数日前に先端から第2弾の芽を出してきた。
枝分かれの根元はすごく細いから、あまり長くなるともげ落ちる気がするのだけれど、自滅するような成長は遺伝子プログラムにないはずと興味深く観察中。
3つ発芽したうち1つだけ残っていたリンゴは、予想通りまったく大きくならず。それに先週から上の部分が痛んできた。こうなるともうあまり期待できない。
グラジオラスは暑い頃に咲く花である。もう明日からは11月だというのに、115球を植えて100株ほどが発芽し、なのに1株も花を咲かせなかったグラジオラスは、まだ8株ほどが枯れもせずに残っている。図々しいにもほどがあるゼ(^^ゞ
虫が発生している株もある。この黒い点々は小さすぎて肉眼で形を識別できず、また動きもしないが、汚れとは考えにくいので虫だろう。
こちらは虫もつかず青々とした株。それでも花茎は出さず。
11月中頃にはチューリップの植え付けに備えてプランターの土を取り出すので、その時まではこのままにしておくつもり。なぜ花をつけなかったのかよくわからないが、今さら調べる気にもなれない。来年にリベンジするつもりもないし。
9月の最初に枝分かれし始めたサボテンの三角柱。枝分かれした部分が太くなったら切り離して、別のプランターに移植しようと思っていた。しかし太くはならずに、数日前に先端から第2弾の芽を出してきた。
枝分かれの根元はすごく細いから、あまり長くなるともげ落ちる気がするのだけれど、自滅するような成長は遺伝子プログラムにないはずと興味深く観察中。
3つ発芽したうち1つだけ残っていたリンゴは、予想通りまったく大きくならず。それに先週から上の部分が痛んできた。こうなるともうあまり期待できない。
2020年10月29日
ハイレゾなめてました
CDプレーヤーの代わりにパソコンを再生装置として使うのがPCオーディオというスタイル。その再生ソフトにはAudirvana(オーディルヴァナ)というのを使っている。先日、ユーザー特典として、DSDで録音されたRAIZESという高音質なアルバムを無料でダウンロードできるキャンペーンのお知らせが来た。
音楽ファイルにはいろんな種類がある。
PCM 44.1kHz → CDの規格
PCM 96kHz DSD 2.8MHz →ハイレゾとして一般的な規格
PCM 192kHz DSD 5.6MHz
PCM 384kHz DSD 11.2MHz
PCM 768kHz DSD 22.4MHz
PCMとDSDというのは録音方式の違い。イメージ的にはVHSかベータかみたいなもの(この比喩が通用しない世代も増えてきたが)。数字はサンプリング周波数というもので大きいほど高音質。ただしPCMとDSDは原理が違うので、単位も違っていて両者の数字だけの比較は無意味。
PCMには量子化ビット数というスペックもあるのだが、話がややこしくなるのでそれは無視して、PCM 44.1kHzというのがCDに収められている音楽ファイルの規格。だから2行目のPCM 96kHzまたはDSD 2.8MHz以上がハイレゾと呼ばれる。ハイレゾはハイ(高い)レゾリューション(解像度や分解能力)の略で、テレビで例えるならCDが今までの放送でハイレゾが4Kのような関係。
上に並べたPCM 96kHzとDSD 2.8MHzが音質的に同等かは議論があるだろうが、いわゆるハイレゾとしてダウンロード販売されている音楽ファイルのほとんどは、このどちらかなので同じ位置にしてみた。
今回のキャンペーンではDSDの2.8MHzから22.4MHzまで4つのファイル形式から選べた。残念ながら私が使っているDACというパソコンとアンプをつなぐ装置が、DSD 5.6MHzまでにしか対応していないので必然的にそれをダウンロード。
保有するPCオーディオ音源のほとんどはCDをパソコンに取り込んだもので、つまりPCM 44.1kHzである。いくつかハイレゾの音楽ファイルも持っているが、それも一般的なPCM 96kHz。だから今回のDSD 5.6MHzはワンランク上のハイレゾ初体験になる。
聴いてみた。
DSD 5.6MHzはビックリするほど高音質だった。
音質を文章にするのは難しい。いや文章にするだけならいくらでもできるが、その表現で本当に伝わるかどうかは別の話。それを承知で書けばDSD 5.6MHzから流れてきたのは生々しくて、彫りが深くて実体感のある音。パーカッションが使われている曲では、人の手で太鼓の皮を叩いていることがリアルに感じられる。それと音量はいつもと同じなのに、なぜか音がとても部屋の中に広がっているように聞こえるのが不思議。とにかくウチのオーディオセットには、ソースがよければこんないい音を鳴らす実力があったのかと驚かされた。
実は今までハイレゾを重視してこなかった。なぜならCD規格のPCM 44.1kHzと一般的なハイレゾ規格であるPCM 96kHzを聞き較べても「気のせい」程度の違いしか感じ取れなかったから。耳も鈍いし持っているオーディオ装置もショボイから仕方ないかと思っていたが、それがDSD 5.6MHz、そしておそらくはそれと同等のPCM 192kHz以上のハイレゾなら、はっきりと違いがわかることが確認できたのは大きな収穫。
もっとも、そのクラスのハイレゾは、一般的なハイレゾ以上に発売タイトル数が極端に少ない。だからこれからハイレゾな音楽ライフを存分に満喫できることにはならないのだが、それでも小さな楽しみができたことは素直にうれしい。
それにしてもAudirvanaの無料キャンペーンがなかったら、今回の経験はおそらくなかったと思う。それは決して食わず嫌いではなく、過去のCDとハイレゾの聞き較べを踏まえてのこと。それでも、そんなわずかな経験の判断で可能性を摘んでいたことには変わりない。具体的に気がついていないだけで、身の回りにそういうことはたくさんあるんだろうな。
世の中はどんどん変化していくのだから、自分の知見もアップデートしなければと反省。取り残されるというのは、それを怠るからだ。それはある意味ゴールがないということなので、その大変さにため息がでるけれど(^^ゞ
音楽ファイルにはいろんな種類がある。
PCM 44.1kHz → CDの規格
PCM 96kHz DSD 2.8MHz →ハイレゾとして一般的な規格
PCM 192kHz DSD 5.6MHz
PCM 384kHz DSD 11.2MHz
PCM 768kHz DSD 22.4MHz
PCMとDSDというのは録音方式の違い。イメージ的にはVHSかベータかみたいなもの(この比喩が通用しない世代も増えてきたが)。数字はサンプリング周波数というもので大きいほど高音質。ただしPCMとDSDは原理が違うので、単位も違っていて両者の数字だけの比較は無意味。
PCMには量子化ビット数というスペックもあるのだが、話がややこしくなるのでそれは無視して、PCM 44.1kHzというのがCDに収められている音楽ファイルの規格。だから2行目のPCM 96kHzまたはDSD 2.8MHz以上がハイレゾと呼ばれる。ハイレゾはハイ(高い)レゾリューション(解像度や分解能力)の略で、テレビで例えるならCDが今までの放送でハイレゾが4Kのような関係。
上に並べたPCM 96kHzとDSD 2.8MHzが音質的に同等かは議論があるだろうが、いわゆるハイレゾとしてダウンロード販売されている音楽ファイルのほとんどは、このどちらかなので同じ位置にしてみた。
今回のキャンペーンではDSDの2.8MHzから22.4MHzまで4つのファイル形式から選べた。残念ながら私が使っているDACというパソコンとアンプをつなぐ装置が、DSD 5.6MHzまでにしか対応していないので必然的にそれをダウンロード。
保有するPCオーディオ音源のほとんどはCDをパソコンに取り込んだもので、つまりPCM 44.1kHzである。いくつかハイレゾの音楽ファイルも持っているが、それも一般的なPCM 96kHz。だから今回のDSD 5.6MHzはワンランク上のハイレゾ初体験になる。
聴いてみた。
DSD 5.6MHzはビックリするほど高音質だった。
音質を文章にするのは難しい。いや文章にするだけならいくらでもできるが、その表現で本当に伝わるかどうかは別の話。それを承知で書けばDSD 5.6MHzから流れてきたのは生々しくて、彫りが深くて実体感のある音。パーカッションが使われている曲では、人の手で太鼓の皮を叩いていることがリアルに感じられる。それと音量はいつもと同じなのに、なぜか音がとても部屋の中に広がっているように聞こえるのが不思議。とにかくウチのオーディオセットには、ソースがよければこんないい音を鳴らす実力があったのかと驚かされた。
実は今までハイレゾを重視してこなかった。なぜならCD規格のPCM 44.1kHzと一般的なハイレゾ規格であるPCM 96kHzを聞き較べても「気のせい」程度の違いしか感じ取れなかったから。耳も鈍いし持っているオーディオ装置もショボイから仕方ないかと思っていたが、それがDSD 5.6MHz、そしておそらくはそれと同等のPCM 192kHz以上のハイレゾなら、はっきりと違いがわかることが確認できたのは大きな収穫。
もっとも、そのクラスのハイレゾは、一般的なハイレゾ以上に発売タイトル数が極端に少ない。だからこれからハイレゾな音楽ライフを存分に満喫できることにはならないのだが、それでも小さな楽しみができたことは素直にうれしい。
それにしてもAudirvanaの無料キャンペーンがなかったら、今回の経験はおそらくなかったと思う。それは決して食わず嫌いではなく、過去のCDとハイレゾの聞き較べを踏まえてのこと。それでも、そんなわずかな経験の判断で可能性を摘んでいたことには変わりない。具体的に気がついていないだけで、身の回りにそういうことはたくさんあるんだろうな。
世の中はどんどん変化していくのだから、自分の知見もアップデートしなければと反省。取り残されるというのは、それを怠るからだ。それはある意味ゴールがないということなので、その大変さにため息がでるけれど(^^ゞ
2020年10月24日
Go To で思い出す59円のマクドナルド
Go To キャンペーンはなかなか好評を博しているようだ。Go To トラベルなら1日につき2万円までの制限はあるものの、旅行代金割引と地域共通クーポン券で1/2相当額がが補助される。つまりは半額値引きである。
どれだけ知恵を絞ろうが、結局は値引きほど確実な販売促進策はないと昔からいわれる。しかも半額となれば成功は約束されているようなもの。通常のビジネスでは利益を出さなければいけないから、在庫処分でもない限り恒常的に半額の値引きをすることはない。
イヤ、なくはないかーーーと、ひと昔前の記憶から思い出したのがマクドナルドのハンバーガー。同社は1995年(平成7年)に210円だったハンバーガーを130円に4割値下げした。その後は期間限定でさらに安くなったりしたが、2000年からは定価130円、ただし平日は半額の65円とするキャンペーンを展開。210円から計算すると7割引である。2001年には吉野家も牛丼を400円から250円にするなどしてファーストフード業界に価格破壊が連鎖。当時のマクドナルドはデフレ時代の勝ち組ともてはやされた。
値引きしても、それ以上に客数が増えれば事業は成立する。ではあるが、そう計算通りには行かないのが世の常。ITバブル崩壊の不況が長引いて思ったほど客足が伸びず、さらに円安になって材料費がかさんだりして、マクドナルドは2002年に創業以来初めての赤字に転落。
というわけで2年間続いた平日半額キャンペーンは終了。130円のハンバーガーは曜日に関係なく80円で販売されることになった。つまり15円、2つ食べてもたった30円の値上げ。しかしこれで客離れを招いてしまったのだからビジネスは難しい。慌てたマクドナルドは数ヶ月後に59円に再値下げする。65円でもそうだがもはや菓子パンより安い、缶コーヒー1本の値段でハンバーガーが2つ食べられた時代が2000年代初頭である。
それで1995年の210円から、2002年の59円へと7割以上の値引きを続けた結果はどうなったか。マクドナルドに対するブランドイメージが大きく損なわれ、安い食事の代名詞になってしまった。その後も客単価は上昇せず業績は低迷。そこから抜け出すのに10年近くはかかったように思う。
ハンバーガーと旅行が同じだというつもりはないし、コロナ禍で目先の経済を回す政策としてのGo To を批判しているのでもない。しかし値引きは劇薬で、よく効くが副作用も大きい。「ハンバーガーに100円も払えるか!」と数年ほど言われたのである。Go To が終われば同じ旅行に2倍の費用がかかる。まだ先の話だし、取り越し苦労だったらいいけれど。
どれだけ知恵を絞ろうが、結局は値引きほど確実な販売促進策はないと昔からいわれる。しかも半額となれば成功は約束されているようなもの。通常のビジネスでは利益を出さなければいけないから、在庫処分でもない限り恒常的に半額の値引きをすることはない。
イヤ、なくはないかーーーと、ひと昔前の記憶から思い出したのがマクドナルドのハンバーガー。同社は1995年(平成7年)に210円だったハンバーガーを130円に4割値下げした。その後は期間限定でさらに安くなったりしたが、2000年からは定価130円、ただし平日は半額の65円とするキャンペーンを展開。210円から計算すると7割引である。2001年には吉野家も牛丼を400円から250円にするなどしてファーストフード業界に価格破壊が連鎖。当時のマクドナルドはデフレ時代の勝ち組ともてはやされた。
値引きしても、それ以上に客数が増えれば事業は成立する。ではあるが、そう計算通りには行かないのが世の常。ITバブル崩壊の不況が長引いて思ったほど客足が伸びず、さらに円安になって材料費がかさんだりして、マクドナルドは2002年に創業以来初めての赤字に転落。
というわけで2年間続いた平日半額キャンペーンは終了。130円のハンバーガーは曜日に関係なく80円で販売されることになった。つまり15円、2つ食べてもたった30円の値上げ。しかしこれで客離れを招いてしまったのだからビジネスは難しい。慌てたマクドナルドは数ヶ月後に59円に再値下げする。65円でもそうだがもはや菓子パンより安い、缶コーヒー1本の値段でハンバーガーが2つ食べられた時代が2000年代初頭である。
それで1995年の210円から、2002年の59円へと7割以上の値引きを続けた結果はどうなったか。マクドナルドに対するブランドイメージが大きく損なわれ、安い食事の代名詞になってしまった。その後も客単価は上昇せず業績は低迷。そこから抜け出すのに10年近くはかかったように思う。
ハンバーガーと旅行が同じだというつもりはないし、コロナ禍で目先の経済を回す政策としてのGo To を批判しているのでもない。しかし値引きは劇薬で、よく効くが副作用も大きい。「ハンバーガーに100円も払えるか!」と数年ほど言われたのである。Go To が終われば同じ旅行に2倍の費用がかかる。まだ先の話だし、取り越し苦労だったらいいけれど。
2020年10月22日
三菱国産ジェット:事実上の凍結ってーーー
本日の午後9時くらいに「三菱国産ジェット、事実上の凍結へ」というニュースが流れてきた。共同通信の単独スクープで三菱重工からのコメントはまだないようだが、6月にも計画の大幅縮小が発表されていたから、まったくの誤報である可能性は低いだろう。
ニュースではコロナによる航空機の需要減少が理由とされている。しかしこの事業は元々まったく予定通りに進んでいなかった。2008年から開発がスタートし、当初は2013年に航空会社へ納入というスケジュール。しかし、ようやく初飛行にこぎ着けたのが2015年で、納入時期はまるで定例行事のように6度も延期され、最後の延期では2021年以降というだけで明確な時期も示されなくなってしまった。
普通の商品や事業の開発ではあり得ない話。とっくに全員がクビになっている(^^ゞ しかし自分が携わっているわけでもなし、飛行機って大変だなあと呑気に思いつつ、多くの人と同じように初の国産ジェット旅客機の就航というメデタイ知らせを気長に待ち望んでいたクチである。
それも夢で終わったみたい(/o\)
以前にブラジルの航空機メーカーであるエンブラエルについて、こんなことを書いたくらいだから色々と思うことはある。どうしてコケたのか、どこで間違った、何が足らなかったのかーーーそういった分析や反省は、下り坂にさしかかった今後の日本にとって多くの教訓が含まれているはず。
それはさておき、
気になったのは「事実上の凍結」という表現。正確に表現するなら開発の失敗、もう少し軟らかく言い換えるとしても断念や撤退が正しい日本語のはず。それを凍結と訳のわからない比喩にして、事実上と二重にオブラートに包むような言い回し。もはや婉曲の域を超えてごまかしの表現である。こんな言葉遣いひとつで揚げ足を取るのは憚られるが、現実を直視する気概がないのかと思う。もっとも今に始まったわけでなく、敗走を転進と言い換えて大本営発表していた国だけれど。
反省するなら、そういうところからだぞ日本人。
ニュースではコロナによる航空機の需要減少が理由とされている。しかしこの事業は元々まったく予定通りに進んでいなかった。2008年から開発がスタートし、当初は2013年に航空会社へ納入というスケジュール。しかし、ようやく初飛行にこぎ着けたのが2015年で、納入時期はまるで定例行事のように6度も延期され、最後の延期では2021年以降というだけで明確な時期も示されなくなってしまった。
普通の商品や事業の開発ではあり得ない話。とっくに全員がクビになっている(^^ゞ しかし自分が携わっているわけでもなし、飛行機って大変だなあと呑気に思いつつ、多くの人と同じように初の国産ジェット旅客機の就航というメデタイ知らせを気長に待ち望んでいたクチである。
それも夢で終わったみたい(/o\)
以前にブラジルの航空機メーカーであるエンブラエルについて、こんなことを書いたくらいだから色々と思うことはある。どうしてコケたのか、どこで間違った、何が足らなかったのかーーーそういった分析や反省は、下り坂にさしかかった今後の日本にとって多くの教訓が含まれているはず。
それはさておき、
気になったのは「事実上の凍結」という表現。正確に表現するなら開発の失敗、もう少し軟らかく言い換えるとしても断念や撤退が正しい日本語のはず。それを凍結と訳のわからない比喩にして、事実上と二重にオブラートに包むような言い回し。もはや婉曲の域を超えてごまかしの表現である。こんな言葉遣いひとつで揚げ足を取るのは憚られるが、現実を直視する気概がないのかと思う。もっとも今に始まったわけでなく、敗走を転進と言い換えて大本営発表していた国だけれど。
反省するなら、そういうところからだぞ日本人。
2020年10月21日
ハンコ廃止で困る?のは
前回に続いてハンコ廃止のお話。
ハンコのない国で何がハンコの役割を果たしているかといえば、いわゆるサインである。ただし現在話題となっているハンコ廃止というのは、ハンコ文化からサイン文化への転換を目指すものではない。基本的にはあらゆる手続きをデジタル化ネット化して、本人証明の手段としては電子署名とすることになる。社会の進化としては必然的な方向だし、サイン文化の国だって目指すところは同じはず。
社会的ニーズに合致してコスト的に見合うなら、それはどんどん進めるべきである。もっともニーズやコストに関係なく、おかしな仕組みが出来上がる可能性も危惧される。なんたって税金1兆円を投じて、何の役にも立たなかった住基ネットを作り上げた国である(/o\) ひと昔前まで利権といえば土建屋だったが、最近はIT利権が幅をきかせているらしい。
話は戻るがハンコが廃止されても、すべてがデジタル化され電子署名に置き換わるのではなく、しばらくは紙の書類も相当数が残るだろう。実は法的に押印が求められているケースは極めて少なく、ビジネスでの契約書なんかも本来は必要なく慣例的に添えているだけ。もっとも、ある種の重みづけの効果はあるが。
一般に契約書では、氏名などはすべて印刷されていて、そこにハンコをつくだけになっていることが多い。それが「こういうご時世ですから」とハンコ廃止になるのだろうか。その場合は自署で記名することになる。
しかし日本語はいわゆるサインには向いていないのがツラいところ。まったくの楷書では本人確認的に疑問が残るし、よほどの達筆でない限りそういうケースではマヌケな印象になってしまう。
ちなみにこちらは前バラク・オバマ、現ドナルド・トランプ両大統領のサイン。格好いいかどうかは別として、どちらもパーソナリティはよく表現されている。サインというならオリジナリティや、こういうスラスラ感も欲しいところ。
日本語にも崩し文字や続け文字はある。今はほとんど見かけないが、私の親世代までは使いこなせたような気がする。しかし崩すのは主に平仮名だし、続ける方向が縦書きだから、ほぼ横書き主体の現在ではサインに応用は困難。
芸能人ぽいド派手なのじゃなくって、ビジネスにも使えるような日本語のサインを作ってくれるサービスもネットでいくつか見かけた。でも今すぐ必要でもないから、脱ハンコ以上・電子署名未満の時代に備えて自分でサインを考え始めますか。
ハンコのない国で何がハンコの役割を果たしているかといえば、いわゆるサインである。ただし現在話題となっているハンコ廃止というのは、ハンコ文化からサイン文化への転換を目指すものではない。基本的にはあらゆる手続きをデジタル化ネット化して、本人証明の手段としては電子署名とすることになる。社会の進化としては必然的な方向だし、サイン文化の国だって目指すところは同じはず。
社会的ニーズに合致してコスト的に見合うなら、それはどんどん進めるべきである。もっともニーズやコストに関係なく、おかしな仕組みが出来上がる可能性も危惧される。なんたって税金1兆円を投じて、何の役にも立たなかった住基ネットを作り上げた国である(/o\) ひと昔前まで利権といえば土建屋だったが、最近はIT利権が幅をきかせているらしい。
話は戻るがハンコが廃止されても、すべてがデジタル化され電子署名に置き換わるのではなく、しばらくは紙の書類も相当数が残るだろう。実は法的に押印が求められているケースは極めて少なく、ビジネスでの契約書なんかも本来は必要なく慣例的に添えているだけ。もっとも、ある種の重みづけの効果はあるが。
一般に契約書では、氏名などはすべて印刷されていて、そこにハンコをつくだけになっていることが多い。それが「こういうご時世ですから」とハンコ廃止になるのだろうか。その場合は自署で記名することになる。
しかし日本語はいわゆるサインには向いていないのがツラいところ。まったくの楷書では本人確認的に疑問が残るし、よほどの達筆でない限りそういうケースではマヌケな印象になってしまう。
ちなみにこちらは前バラク・オバマ、現ドナルド・トランプ両大統領のサイン。格好いいかどうかは別として、どちらもパーソナリティはよく表現されている。サインというならオリジナリティや、こういうスラスラ感も欲しいところ。
日本語にも崩し文字や続け文字はある。今はほとんど見かけないが、私の親世代までは使いこなせたような気がする。しかし崩すのは主に平仮名だし、続ける方向が縦書きだから、ほぼ横書き主体の現在ではサインに応用は困難。
芸能人ぽいド派手なのじゃなくって、ビジネスにも使えるような日本語のサインを作ってくれるサービスもネットでいくつか見かけた。でも今すぐ必要でもないから、脱ハンコ以上・電子署名未満の時代に備えて自分でサインを考え始めますか。
2020年10月20日
ハンコ廃止に水を差してみる
河野太郎大臣が猪突猛進しているハンコ廃止。署名に捺印を添えるのは、その書面を本人が作成したことの証明を補強する意味がある。しかし大量生産される三文判にその機能はないから、単に形式的あるいは慣例的なもの。ちなみに普通の市民生活で実印が求められるのは不動産取引、車の名義変更、銀行融資ほか10種類にも満たない。
だからほとんどの捺印には意味がないのでハンコ廃止は結構なことである。しかし数回前のブログに「手段は目的になりがち」で、手続きの合理化・簡素化の手段であるハンコ廃止が、そのうち目的になってしまう懸念を書いた。
昨日だったと思うが「確定申告の捺印廃止を検討」というニュースがあった。別に反対はしないけれど、年に1回のことなのでハンコが廃止になったところで手間暇にほとんど影響しない。そのために法律改正をしなければいけないのだから、ご苦労なコッタというのが正直な感想。
それでハタと気がついたのは、ハンコ廃止でニュースになっているのは行政手続きに関するものばかりであること。官庁や自治体と仕事をしているのでなければ、毎月役所に行く人なんてほとんどいないだろう。つまり河野大臣がいくらがんばっても、それは人々の生活にほとんど影響ないことなのである。
ハンコの問題は昔から議論されている。それが急にクローズアップされたのは「上司にハンコをもらわないと仕事が進まないからテレワーク、ステイホームできない」というコロナ禍における危機感のせいである。つまり廃止しなければいけないのは、あるいは廃止する価値があるのは、行政手続きのように一般人が滅多に作成しない公的な書面ではなく、稟議書や決裁書といった日々作成する身内でやりとりする書面なのである。そう一部ではお辞儀ハンコという謎マナー(^^ゞがあるとされるアレである。
こういうハンコ文化がなくならないと意味がない。というか、そこにまで手を広げていかないと政府が進めようとしているハンコ廃止は、いっちゃ悪いが単なるヤッテル感の演出と実質的に違わない。
そしてブラックな未来予想もしておこう。行政手続きにおけるハンコはほとんどが廃止されるだろう。しかしその代わりにナントカカードの登録とか提示とかパスワード入力など面倒な手続きが増えるに違いない。
「昔は判子をつくだけで済んだのに」と嘆く日がきっとやってくる(/o\)
だからほとんどの捺印には意味がないのでハンコ廃止は結構なことである。しかし数回前のブログに「手段は目的になりがち」で、手続きの合理化・簡素化の手段であるハンコ廃止が、そのうち目的になってしまう懸念を書いた。
昨日だったと思うが「確定申告の捺印廃止を検討」というニュースがあった。別に反対はしないけれど、年に1回のことなのでハンコが廃止になったところで手間暇にほとんど影響しない。そのために法律改正をしなければいけないのだから、ご苦労なコッタというのが正直な感想。
それでハタと気がついたのは、ハンコ廃止でニュースになっているのは行政手続きに関するものばかりであること。官庁や自治体と仕事をしているのでなければ、毎月役所に行く人なんてほとんどいないだろう。つまり河野大臣がいくらがんばっても、それは人々の生活にほとんど影響ないことなのである。
ハンコの問題は昔から議論されている。それが急にクローズアップされたのは「上司にハンコをもらわないと仕事が進まないからテレワーク、ステイホームできない」というコロナ禍における危機感のせいである。つまり廃止しなければいけないのは、あるいは廃止する価値があるのは、行政手続きのように一般人が滅多に作成しない公的な書面ではなく、稟議書や決裁書といった日々作成する身内でやりとりする書面なのである。そう一部ではお辞儀ハンコという謎マナー(^^ゞがあるとされるアレである。
こういうハンコ文化がなくならないと意味がない。というか、そこにまで手を広げていかないと政府が進めようとしているハンコ廃止は、いっちゃ悪いが単なるヤッテル感の演出と実質的に違わない。
そしてブラックな未来予想もしておこう。行政手続きにおけるハンコはほとんどが廃止されるだろう。しかしその代わりにナントカカードの登録とか提示とかパスワード入力など面倒な手続きが増えるに違いない。
「昔は判子をつくだけで済んだのに」と嘆く日がきっとやってくる(/o\)
2020年10月17日
世界はほしいモノにあふれてる「ロンドンKIMONOスペシャル」
「世界はほしいモノにあふれてる」はNHKの番組。なぜか「ほしい」が平仮名。2年ぐらい前から始まって、確か当初は「旅するバイヤー極上リスト」のサブタイトルがついていたように思う。その名の通り、さまざまな分野のバイヤーが世界のあちこちで商品を買い付ける様子を密着取材した内容が中心。
紹介される商品に興味深いものが多く制作的にもクォリティは高い。視聴率的なことはわからないもののNHK番組としては人気があるのじゃないかな。私のテレビでは毎週の録画リストに登録されている。最近は別の出来事で注目されたけれど、それは今回のテーマから話がそれるので触れないでおこう。
先日の放送が「ロンドンKIMONOスペシャル」。こちらは着物ではなくKIMONOと表記したかった意味が何となくわかる。日本人がイメージしている着物とはまったく違うファッションの紹介だから。
番組に登場したロンドンの着物愛好家というかKIMONOをファッションに取り入れている皆さん。左から2番目の振り袖の女性はハイヒールを履いているのに、このメンバーで並ぶと伝統的に見えるね(^^ゞ
日本でもアンティークの着物を少し着崩すスタイルは一部で流行っていて、真ん中の男性のような着こなしは銀座あたりでたまに見かける。30歳代の人が中心に思う。しかし女性はせいぜい大正ロマン的なイメージ止まり。ここまでブッ飛んだファッションは見たことがない。
圧巻は右端の女性。彼女は南アフリカ出身で、アフリカの布地を使って着物を手作りしたとのこと。そして頭にもその布を巻く発想とセンスの素晴らしさ! よく見ると他の人が靴なのに彼女だけが下駄を履いているのも面白い。
番組はイギリス人で日本在住35年のシーラ・クリフという着物の伝道師のような女性が、ロンドンのKIMONO事情をナビゲートする構成。どこかの大学教授らしい。
アンティーク・ファッションのお店で着物が人気商品として売られていたり、日本じゃフォーマルウエアの黒い着物がカジュアルなジャケットとして人気があるとか、シーラ女史が着物とコーディネートするド派手なピアスや帽子なども斬新で「目からウロコ」な番組内容だった。衰退産業になって久しくゴリゴリ守旧派体質な着物業界の皆さんが見たら目玉ごと落ちるかも(^^ゞ
番組を通じて感じたのはクロスオーバー(もう死語?)って面白いし大事だなということ。日本人だとやはり着物に対する固定概念から抜けきれないので、こんなファッションは生まれにくい。別に日本人の感性が劣っているのではなく、かつて1980年代の東京コレクションはヨーロッパ人の目からウロコを落としまくった。ひょっとしたら当時のコムデギャルソンやイッセイミヤケなどのファッションは、彼らにこのKIMONOのように映っていたのかと思ったり。
10月20日に再放送もあるので興味が湧いたら是非。
※写真は番組インスタからの引用
紹介される商品に興味深いものが多く制作的にもクォリティは高い。視聴率的なことはわからないもののNHK番組としては人気があるのじゃないかな。私のテレビでは毎週の録画リストに登録されている。最近は別の出来事で注目されたけれど、それは今回のテーマから話がそれるので触れないでおこう。
先日の放送が「ロンドンKIMONOスペシャル」。こちらは着物ではなくKIMONOと表記したかった意味が何となくわかる。日本人がイメージしている着物とはまったく違うファッションの紹介だから。
番組に登場したロンドンの着物愛好家というかKIMONOをファッションに取り入れている皆さん。左から2番目の振り袖の女性はハイヒールを履いているのに、このメンバーで並ぶと伝統的に見えるね(^^ゞ
日本でもアンティークの着物を少し着崩すスタイルは一部で流行っていて、真ん中の男性のような着こなしは銀座あたりでたまに見かける。30歳代の人が中心に思う。しかし女性はせいぜい大正ロマン的なイメージ止まり。ここまでブッ飛んだファッションは見たことがない。
圧巻は右端の女性。彼女は南アフリカ出身で、アフリカの布地を使って着物を手作りしたとのこと。そして頭にもその布を巻く発想とセンスの素晴らしさ! よく見ると他の人が靴なのに彼女だけが下駄を履いているのも面白い。
番組はイギリス人で日本在住35年のシーラ・クリフという着物の伝道師のような女性が、ロンドンのKIMONO事情をナビゲートする構成。どこかの大学教授らしい。
アンティーク・ファッションのお店で着物が人気商品として売られていたり、日本じゃフォーマルウエアの黒い着物がカジュアルなジャケットとして人気があるとか、シーラ女史が着物とコーディネートするド派手なピアスや帽子なども斬新で「目からウロコ」な番組内容だった。衰退産業になって久しくゴリゴリ守旧派体質な着物業界の皆さんが見たら目玉ごと落ちるかも(^^ゞ
番組を通じて感じたのはクロスオーバー(もう死語?)って面白いし大事だなということ。日本人だとやはり着物に対する固定概念から抜けきれないので、こんなファッションは生まれにくい。別に日本人の感性が劣っているのではなく、かつて1980年代の東京コレクションはヨーロッパ人の目からウロコを落としまくった。ひょっとしたら当時のコムデギャルソンやイッセイミヤケなどのファッションは、彼らにこのKIMONOのように映っていたのかと思ったり。
10月20日に再放送もあるので興味が湧いたら是非。
※写真は番組インスタからの引用
2020年10月15日
オッサンのリュック
iPhoneの写真を整理していたら出てきた見知らぬ人。
撮影したのは今年の3月。
すっかり忘れていたけれど、こんな写真を撮ったのは
オッサンが
ビジネスウエアを着て、ビジネスデザインのリュックなのに
思い切り下のほうで背負って
いたから。
どう感じるかは人それぞれの感性だとしても、私には思わず写真を撮るほど
痛いなあ(/o\)
と感じる光景だった。
でもどうしてこんなに低くしちゃったのだろう。
ワカモノはリュックをダラーンとさせているから、そうしないとダサいと指さされるとでも思ったのかな。だとしたら痛い上になんだかお気の毒。
リュックをどう背負うかは、性別・年齢・服装・リュックのデザインや大きさで変わってくる。まあオッサンになればなるほど難易度が上がるというか、ヘタに若作りするとミットモなくなる危険性が大。とりあえず彼の場合は、もっと上で昔ながらの位置にとアドバイスしておこう。それといい歳なんだからポケットのジッパーは閉めようね。
アウトドア用品だったリュックが、ファッショナブルなデザインになって、若い女性がハンドバッグやショルダーバッグと同じようなアイテムとして使うようになったのは1980年代の中頃からだったように思う。それと徐々に一部は低い位置に背負うというよりぶら下げるようにもなった。
ただし、それを裏付けるような文献は見つからず、これは単なる私の記憶である。なぜそんなことを覚えているかというと、アイドル全盛時代の小泉今日子を青山かどこかで見かけて「顔ちっちゃ!リュック低っ!」と思ったのが印象的で今でも覚えているから(^^ゞ
ファッションの路上定点観測を行っているアクロスのホームページで、いろんな時代のリュック姿を見ることができる。色々と移り変わりがあって面白い。上の写真は下記のそれぞれのページからの引用。
1985年9月
https://www.web-across.com/observe/cnsa9a000006pokf.html
1988年6月
https://www.web-across.com/observe/srnrj2000002c0n2.html
1991年9月
https://www.web-across.com/observe/srnrj2000002u77k.html
1999年10月
https://www.web-across.com/observe/d6eo3n000001v626.html
2008年2月
https://www.web-across.com/observe/d6eo3n000004mek4.html
2010年3月
https://www.web-across.com/observe/cnsa9a0000050m7f.html
2012年3月
https://www.web-across.com/observe/cnsa9a000008j165.html
2013年9月
https://www.web-across.com/observe/srnrj2000001g8ve.html
2014年2月
https://www.web-across.com/observe/srnrj20000027pvc.html
2015年12月
https://www.web-across.com/observe/srnrj2000003byf3.html
また同ページのデータによると街ゆく人(若者中心)のリュック比率は
1985年 男性1.1% 女性0.8%
2015年 男性23.0% 女性13.4%
と30年間で男性は20倍、女性は17倍に増えている。ビジネスリュックが一般化してきたのはここ最近だから、2020年現在ではもっと増えているだろう。
私もビジネスバッグはリュックオンリーだし、オフ用にもいくつか持っている。やはり両手がフリーになるのは便利だし楽だから。しかし年齢と共にカジュアル系は難しくなる。あのジジイ、ブッサイク!と笑われないよう気をつけないと(^^ゞ
撮影したのは今年の3月。
すっかり忘れていたけれど、こんな写真を撮ったのは
オッサンが
ビジネスウエアを着て、ビジネスデザインのリュックなのに
思い切り下のほうで背負って
いたから。
どう感じるかは人それぞれの感性だとしても、私には思わず写真を撮るほど
痛いなあ(/o\)
と感じる光景だった。
でもどうしてこんなに低くしちゃったのだろう。
ワカモノはリュックをダラーンとさせているから、そうしないとダサいと指さされるとでも思ったのかな。だとしたら痛い上になんだかお気の毒。
リュックをどう背負うかは、性別・年齢・服装・リュックのデザインや大きさで変わってくる。まあオッサンになればなるほど難易度が上がるというか、ヘタに若作りするとミットモなくなる危険性が大。とりあえず彼の場合は、もっと上で昔ながらの位置にとアドバイスしておこう。それといい歳なんだからポケットのジッパーは閉めようね。
アウトドア用品だったリュックが、ファッショナブルなデザインになって、若い女性がハンドバッグやショルダーバッグと同じようなアイテムとして使うようになったのは1980年代の中頃からだったように思う。それと徐々に一部は低い位置に背負うというよりぶら下げるようにもなった。
ただし、それを裏付けるような文献は見つからず、これは単なる私の記憶である。なぜそんなことを覚えているかというと、アイドル全盛時代の小泉今日子を青山かどこかで見かけて「顔ちっちゃ!リュック低っ!」と思ったのが印象的で今でも覚えているから(^^ゞ
ファッションの路上定点観測を行っているアクロスのホームページで、いろんな時代のリュック姿を見ることができる。色々と移り変わりがあって面白い。上の写真は下記のそれぞれのページからの引用。
1985年9月
https://www.web-across.com/observe/cnsa9a000006pokf.html
1988年6月
https://www.web-across.com/observe/srnrj2000002c0n2.html
1991年9月
https://www.web-across.com/observe/srnrj2000002u77k.html
1999年10月
https://www.web-across.com/observe/d6eo3n000001v626.html
2008年2月
https://www.web-across.com/observe/d6eo3n000004mek4.html
2010年3月
https://www.web-across.com/observe/cnsa9a0000050m7f.html
2012年3月
https://www.web-across.com/observe/cnsa9a000008j165.html
2013年9月
https://www.web-across.com/observe/srnrj2000001g8ve.html
2014年2月
https://www.web-across.com/observe/srnrj20000027pvc.html
2015年12月
https://www.web-across.com/observe/srnrj2000003byf3.html
また同ページのデータによると街ゆく人(若者中心)のリュック比率は
1985年 男性1.1% 女性0.8%
2015年 男性23.0% 女性13.4%
と30年間で男性は20倍、女性は17倍に増えている。ビジネスリュックが一般化してきたのはここ最近だから、2020年現在ではもっと増えているだろう。
私もビジネスバッグはリュックオンリーだし、オフ用にもいくつか持っている。やはり両手がフリーになるのは便利だし楽だから。しかし年齢と共にカジュアル系は難しくなる。あのジジイ、ブッサイク!と笑われないよう気をつけないと(^^ゞ
2020年10月13日
目的と手段のオセロゲーム
先日のこと某省庁へ出向くと、建物の前に1人で座り込んで抗議活動をしている男性がいた。小型の街宣車から演説が流れ、立て看板も周りにいくつか。軍服のようなものを着てはいたけれど、いわゆる暴力的な右翼とは少し違う雰囲気。音量も控えめ。本人はいたって真面目に取り組んでいるようだ。立て看板の汚れ具合から見ると、かなり長期間に渡って活動してきたと思われる。
政治的な主張をするのは尊重されるべき権利である。しかしその光景を見て、この人は抗議すること自体が目的になってしまっているんだろうなと思った。意見を広く伝えたい、賛同者を募って主張を実現したいという目的に対して、これより他に効果的な手段はいくらでもあるはず。
少し話は変わるが「趣味とは手段が目的になったもの」という言葉がある。たとえばオーディオは音楽を再生する手段だが、オーディオマニアになると装置自体が目的になってしまう。ほとんどの〇〇マニア・オタクと呼ばれるものにはこれが当てはまる。この言葉自体は趣味を定義したものであるが、簡潔でわかりやすいので目的と手段の関係性を一般的に説明する場合にもよく引用される。
とても本質を突いた説明のように思えるが、しかしモノゴトはそんなに単純でもない。「では何のために音楽を聴く?」という質問をした瞬間に音楽は目的から手段になってしまうから。そして「楽しい気分になるために」「どうして楽しい気分を求める?」と延々に目的と手段のオセロゲームが続く。おそらく最後は生きている意味を問われることになる(^^ゞ
またこれはマニアを揶揄するときに使われることもある。でも何が目的で手段かというのは価値観に左右されるもの。音楽が目的でオーディオは手段が一般的な価値観かもしれない。その場合はオーディオに凝るのはほどほどにという判断になる。しかし目的は音質の追求という価値観もありなはず。それならオーディオに大金をつぎ込むのが正義になる。
それに、あらゆる目的はさらなる目的の手段になり得るのだから「世の中はすべて手段でできている」といえなくもない。つまり目的など何も存在しないことになる。ここまで来ると禅問答のようなもので、それだけ目的と手段というのは難解なテーマだということ。わかりやすい説明あるいは比喩は取り扱い要注意である。
とはいうものの、ときどきは目的と手段を混同していないかを確認すべきなのも確か。最近の行政改革で話題になっている印鑑の廃止も典型的なケース。歴史的に考察すれば、署名に捺印を添えるようになったのは、印影が唯一無二のもので正当性を証明・補強する手段として合理的だったからでだろう。そのうちにハンコを押すことが目的になり対象が拡大する。しかも量産品の三文判が出回って印鑑がその機能を失って以降もである。このあたりはマキャベリの「すべての行為は正義から始まる」とも絡んで人間の愚かさアルアルなパターン。
ついでにいうとハンコをなくすのは手続きの簡素化、不要な行為の排除という目的のための手段。でもそのうちハンコをなくすことが目的となって本末転倒な事態が起きるかも。まあ世の中は一歩進んで二歩下がるものだから仕方ないけど。
ところで私は何の目的があってこのブログを書いているのか、
何を実現するための手段なのだろうかと思い悩む秋の夜(^^ゞ
政治的な主張をするのは尊重されるべき権利である。しかしその光景を見て、この人は抗議すること自体が目的になってしまっているんだろうなと思った。意見を広く伝えたい、賛同者を募って主張を実現したいという目的に対して、これより他に効果的な手段はいくらでもあるはず。
少し話は変わるが「趣味とは手段が目的になったもの」という言葉がある。たとえばオーディオは音楽を再生する手段だが、オーディオマニアになると装置自体が目的になってしまう。ほとんどの〇〇マニア・オタクと呼ばれるものにはこれが当てはまる。この言葉自体は趣味を定義したものであるが、簡潔でわかりやすいので目的と手段の関係性を一般的に説明する場合にもよく引用される。
とても本質を突いた説明のように思えるが、しかしモノゴトはそんなに単純でもない。「では何のために音楽を聴く?」という質問をした瞬間に音楽は目的から手段になってしまうから。そして「楽しい気分になるために」「どうして楽しい気分を求める?」と延々に目的と手段のオセロゲームが続く。おそらく最後は生きている意味を問われることになる(^^ゞ
またこれはマニアを揶揄するときに使われることもある。でも何が目的で手段かというのは価値観に左右されるもの。音楽が目的でオーディオは手段が一般的な価値観かもしれない。その場合はオーディオに凝るのはほどほどにという判断になる。しかし目的は音質の追求という価値観もありなはず。それならオーディオに大金をつぎ込むのが正義になる。
それに、あらゆる目的はさらなる目的の手段になり得るのだから「世の中はすべて手段でできている」といえなくもない。つまり目的など何も存在しないことになる。ここまで来ると禅問答のようなもので、それだけ目的と手段というのは難解なテーマだということ。わかりやすい説明あるいは比喩は取り扱い要注意である。
とはいうものの、ときどきは目的と手段を混同していないかを確認すべきなのも確か。最近の行政改革で話題になっている印鑑の廃止も典型的なケース。歴史的に考察すれば、署名に捺印を添えるようになったのは、印影が唯一無二のもので正当性を証明・補強する手段として合理的だったからでだろう。そのうちにハンコを押すことが目的になり対象が拡大する。しかも量産品の三文判が出回って印鑑がその機能を失って以降もである。このあたりはマキャベリの「すべての行為は正義から始まる」とも絡んで人間の愚かさアルアルなパターン。
ついでにいうとハンコをなくすのは手続きの簡素化、不要な行為の排除という目的のための手段。でもそのうちハンコをなくすことが目的となって本末転倒な事態が起きるかも。まあ世の中は一歩進んで二歩下がるものだから仕方ないけど。
ところで私は何の目的があってこのブログを書いているのか、
何を実現するための手段なのだろうかと思い悩む秋の夜(^^ゞ
2020年10月12日
とりあえず気分だけ Go To
Go To トラベルで1名1泊あたり最大1万4000円の割引を受けられるはずが、大手宿泊予約サイトで3500円に引き下げられる事態が起きている。またGo To イートでは付与されるポイントより安いメニューを頼む「錬金術」が問題になった。
前代未聞の政策なので何かとトラブルが発生するのは仕方ないかもしれない。致命的なミスではないのでそのうち改善されるだろう。しかし内容を見ると、それくらい想定しておけよという気がしなくもない。官僚の発想というか思考ロジックが現実社会とは少しずれているのかもしれない。
さて Go To とは何の関係もないし、基本的に生活の役に立たない情報だけれど、多少は旅行モチベーションを高めてくれる(かもしれない)サイトの紹介。
Flightradar24(フライト・レーダー)は飛行機の現在位置をリアルタイムで表示してくれる。飛行機には空中衝突を防止するために自分の位置情報を発信する装置が備わっており、その電波を受信して地図上に表示している。軍用機にも同じような装置はあるはずだが、それは受信できないのかこのサイトで表示されるのはおもに民間航空機。
日本周辺の画面はこんな感じ。これは夜の8時頃。こんなにたくさん飛んでいるんだとビックリした。飛行機のアイコンが少しずつ動くのが意外とカワイイ。
地図を全世界に広げたところ。
飛行機アイコンをクリックすると、その便の情報が画面左に表示され、また航跡がマップ上に描かれる。便名で検索することもでき、空港への到着時刻を知るという使い方もできる。多少は実用的に使えそうに思えるが、そんな情報は空港や航空会社のサイトにアクセスしてもわかるかな(^^ゞ
日本と中国上空をアップで。
飛行機が多く飛んでいる=それだけ経済が発展していると考えてもいいと思う。日本と中国では国土の広さや人口が違うが、それにしても中国上空は賑やか!ということが実感できる。
なお北朝鮮にはアイコンがない。これはFlightradar24が各地のボランティアによって受信された電波を利用する仕組みだから。北朝鮮ではそれを受信していないからであり、飛行機がまったく飛んでいないということではない。
MarineTraffic(マリン・トラフィック)はFlightradar24の船舶版とでもいうようなもの。どのくらいの大きさの船から表示されているのかわからないが、アイコンの色は赤がタンカー、緑が貨物船、オレンジが漁船のようだ。
午後8時頃の東京湾。丸印のアイコンは停泊中なのかな?
それにしても自宅にいながら、世界の飛行機や船の航路を眺められるのは不思議な気分。Go To できないときの暇つぶしにどうぞ。
Flightradar24
https://www.flightradar24.com
MarineTraffic
https://www.marinetraffic.com/jp
前代未聞の政策なので何かとトラブルが発生するのは仕方ないかもしれない。致命的なミスではないのでそのうち改善されるだろう。しかし内容を見ると、それくらい想定しておけよという気がしなくもない。官僚の発想というか思考ロジックが現実社会とは少しずれているのかもしれない。
さて Go To とは何の関係もないし、基本的に生活の役に立たない情報だけれど、多少は旅行モチベーションを高めてくれる(かもしれない)サイトの紹介。
Flightradar24(フライト・レーダー)は飛行機の現在位置をリアルタイムで表示してくれる。飛行機には空中衝突を防止するために自分の位置情報を発信する装置が備わっており、その電波を受信して地図上に表示している。軍用機にも同じような装置はあるはずだが、それは受信できないのかこのサイトで表示されるのはおもに民間航空機。
日本周辺の画面はこんな感じ。これは夜の8時頃。こんなにたくさん飛んでいるんだとビックリした。飛行機のアイコンが少しずつ動くのが意外とカワイイ。
地図を全世界に広げたところ。
飛行機アイコンをクリックすると、その便の情報が画面左に表示され、また航跡がマップ上に描かれる。便名で検索することもでき、空港への到着時刻を知るという使い方もできる。多少は実用的に使えそうに思えるが、そんな情報は空港や航空会社のサイトにアクセスしてもわかるかな(^^ゞ
日本と中国上空をアップで。
飛行機が多く飛んでいる=それだけ経済が発展していると考えてもいいと思う。日本と中国では国土の広さや人口が違うが、それにしても中国上空は賑やか!ということが実感できる。
なお北朝鮮にはアイコンがない。これはFlightradar24が各地のボランティアによって受信された電波を利用する仕組みだから。北朝鮮ではそれを受信していないからであり、飛行機がまったく飛んでいないということではない。
MarineTraffic(マリン・トラフィック)はFlightradar24の船舶版とでもいうようなもの。どのくらいの大きさの船から表示されているのかわからないが、アイコンの色は赤がタンカー、緑が貨物船、オレンジが漁船のようだ。
午後8時頃の東京湾。丸印のアイコンは停泊中なのかな?
それにしても自宅にいながら、世界の飛行機や船の航路を眺められるのは不思議な気分。Go To できないときの暇つぶしにどうぞ。
Flightradar24
https://www.flightradar24.com
MarineTraffic
https://www.marinetraffic.com/jp
2020年10月08日
「お」をつける・つけない
田舎を旅して紹介するようなテレビ番組で、畑で農作業している人を見つけて近づいていく場面があった。その畑で育っている作物を見て女性レポーターが
これは、おダイコン?
と尋ねた。
ダイコンに「お」をつけるかあ?と感じた。私は生まれてから今日までダイコンに「お」をつけて発音したことなどない。しかし同時に意外と違和感がないことにも気づく。もしそれが「おニンジン」なら、暇を持て余したクレーマー視聴者からテレビ局に抗議が殺到していたかも。
色々と単語を当てはめてみると
「おネギ」とはいうが「おタマネギ」とはいわない。
「おイモ」というのに、ジャガイモもサツマイモも「お」をつけない。
でも「おジャガ」や「おサツ」とはいう。
「おビール」は水商売ぽいが「お紅茶」というと上品な感じがする(^^ゞ
例を上げていくと切りがないが、国語的にいうと「お」または「ご」は丁寧に表現するための接頭辞。それがついた単語は使い方によって尊敬語、謙譲語、美化語に分かれる。何に「お」「ご」がつく・つかないの明確な法則はなく、いろいろな理由が積み重なって歴史的にそうなったというしかないだろう。
また性別や年代、社会階層などによっても使われ方あるいは印象が違ってくるのがややこしいところ。先ほど「おダイコン?」と尋ねたレポーターはやや年配の女性アナウンサーだったから違和感がなかった。男性レポーターだったり、女性でもアイドルとかならおかしかっただろう。それと最初に??と思ったのは、言葉を発した場所が畑だったから。台所や料理として出てきたものを彼女が「おダイコン」と言ったら何も感じずスルーしていたかもしれない。だから使う状況にも左右される言葉である。
ネットで調べると色々ヒットして玉石混交だが、マナー論ではなく国語解説として参考になるものをいくつか記しておく。
現代日本語における接頭辞「お」の付く語の意味分類について
放送における美化語の意識調査
放送で使われる敬語と視聴者の意識
敬意を込めて敬語を使うための敬語教室
もちろん言葉だから時代によっても変化する。「お受験」いう使い方はテレビドラマの台詞から広まった。そのドラマは見ていないが、野際陽子が「お受験!」と叫ぶ番宣のコマーシャルはインパクトがあったので記憶に残っている。調べたら1994年のスウィート・ホームというTBSのドラマだった。小学校受験をコメディタッチで描いたものらしい。
この「お受験」の「お」は美化語になるのだろうが、美化を通り越して「尊さ」のニュアンスすら感じられ、それが受験の厳しさを連想させている。「お」のひらがな1文字でそれを表現した制作者のセンスは素晴らしい。
さて「お」や「ご」は敬語表現のひとつであるが、この敬語というのが正しく使うのは至難の業。完璧な敬語をマスターしている日本人はどれくらいいるのだろうか。重箱の隅をつつくような試験をすれば満点を取れるのは1%の1%くらいかな。そんなに難しいのは言語として間違っているような気がしなくもない。
とにかく空や山に「お」はついても、海や川にはつかないのだから日本語は難しいね。しかし習ってもいないし理屈もわからないけれど、なんとなく使い分けられるのだから言葉って不思議である。
ついでに書いておくと、無意識のうちに発音も複雑に使い分けている。
↓
参考:銀座と新橋で正しい英語発音は無理だと悟る?
これは、おダイコン?
と尋ねた。
ダイコンに「お」をつけるかあ?と感じた。私は生まれてから今日までダイコンに「お」をつけて発音したことなどない。しかし同時に意外と違和感がないことにも気づく。もしそれが「おニンジン」なら、暇を持て余したクレーマー視聴者からテレビ局に抗議が殺到していたかも。
色々と単語を当てはめてみると
「おネギ」とはいうが「おタマネギ」とはいわない。
「おイモ」というのに、ジャガイモもサツマイモも「お」をつけない。
でも「おジャガ」や「おサツ」とはいう。
「おビール」は水商売ぽいが「お紅茶」というと上品な感じがする(^^ゞ
例を上げていくと切りがないが、国語的にいうと「お」または「ご」は丁寧に表現するための接頭辞。それがついた単語は使い方によって尊敬語、謙譲語、美化語に分かれる。何に「お」「ご」がつく・つかないの明確な法則はなく、いろいろな理由が積み重なって歴史的にそうなったというしかないだろう。
また性別や年代、社会階層などによっても使われ方あるいは印象が違ってくるのがややこしいところ。先ほど「おダイコン?」と尋ねたレポーターはやや年配の女性アナウンサーだったから違和感がなかった。男性レポーターだったり、女性でもアイドルとかならおかしかっただろう。それと最初に??と思ったのは、言葉を発した場所が畑だったから。台所や料理として出てきたものを彼女が「おダイコン」と言ったら何も感じずスルーしていたかもしれない。だから使う状況にも左右される言葉である。
ネットで調べると色々ヒットして玉石混交だが、マナー論ではなく国語解説として参考になるものをいくつか記しておく。
現代日本語における接頭辞「お」の付く語の意味分類について
放送における美化語の意識調査
放送で使われる敬語と視聴者の意識
敬意を込めて敬語を使うための敬語教室
もちろん言葉だから時代によっても変化する。「お受験」いう使い方はテレビドラマの台詞から広まった。そのドラマは見ていないが、野際陽子が「お受験!」と叫ぶ番宣のコマーシャルはインパクトがあったので記憶に残っている。調べたら1994年のスウィート・ホームというTBSのドラマだった。小学校受験をコメディタッチで描いたものらしい。
この「お受験」の「お」は美化語になるのだろうが、美化を通り越して「尊さ」のニュアンスすら感じられ、それが受験の厳しさを連想させている。「お」のひらがな1文字でそれを表現した制作者のセンスは素晴らしい。
さて「お」や「ご」は敬語表現のひとつであるが、この敬語というのが正しく使うのは至難の業。完璧な敬語をマスターしている日本人はどれくらいいるのだろうか。重箱の隅をつつくような試験をすれば満点を取れるのは1%の1%くらいかな。そんなに難しいのは言語として間違っているような気がしなくもない。
とにかく空や山に「お」はついても、海や川にはつかないのだから日本語は難しいね。しかし習ってもいないし理屈もわからないけれど、なんとなく使い分けられるのだから言葉って不思議である。
ついでに書いておくと、無意識のうちに発音も複雑に使い分けている。
↓
参考:銀座と新橋で正しい英語発音は無理だと悟る?
2020年10月06日
服を虫に食われていた!
何の変哲もないけれど、そこそこ気に入っていたグレーのウールジャケット。写真の撮り方が悪くてまったくおしゃれに見えないが、割と有名なデザイナーのものだった。
先ほど帰ってきて、ハンガーに掛けようと前身頃を開いたときに、
たまたま照明にかざすような位置関係になって、
裏地越しにこんな光が透けて見えた。
ナンジャこれはと背中側を見ると(/o\)
アップでしっかりお見せしましょう(>_<)
一番大きいのは8mm×5mm位の大きさ。
何かに引っかけたのなら穴にはならないと思う。それにこんなふうに分散しているのもおかしい。これが虫に食われたというやつなのかな。今までこんなことになったことがないのでよくわからないが。経験がないのだからクローゼットやタンスの防虫剤というのも使ったことがない。
それにしてもこんな大きな穴の開いた服を着ていたなんて恥ずかしい。いつから開いていたのかな。服を着るときに穴なんてチェックしないからなあ。
それよりも問題はクローゼットに入っている他のジャケットやスーツである。もし全滅していたら絶叫する。
恐ろしくてまだ確かめていない(^^ゞ
先ほど帰ってきて、ハンガーに掛けようと前身頃を開いたときに、
たまたま照明にかざすような位置関係になって、
裏地越しにこんな光が透けて見えた。
ナンジャこれはと背中側を見ると(/o\)
アップでしっかりお見せしましょう(>_<)
一番大きいのは8mm×5mm位の大きさ。
何かに引っかけたのなら穴にはならないと思う。それにこんなふうに分散しているのもおかしい。これが虫に食われたというやつなのかな。今までこんなことになったことがないのでよくわからないが。経験がないのだからクローゼットやタンスの防虫剤というのも使ったことがない。
それにしてもこんな大きな穴の開いた服を着ていたなんて恥ずかしい。いつから開いていたのかな。服を着るときに穴なんてチェックしないからなあ。
それよりも問題はクローゼットに入っている他のジャケットやスーツである。もし全滅していたら絶叫する。
恐ろしくてまだ確かめていない(^^ゞ
2020年10月05日
2020年10月04日
2021年シーズンのチューリップ球根を発注
グラジオラスはまだ10数株ほど枯れずに残っているが、9月22日に書いたように花茎は未だに出現せず。もう10月になったのであきらめた。写真も撮っていない。
気を取り直して来シーズンのチューリップ球根を発注。2020年シーズンは開花率74%と久しぶりにマトモに咲いてくれてうれしかった。2021年も満開になりますように。
その昨シーズンは、いつもの国華園だけではなく富山県花卉球根農業協同組合というところからも初めて購入した。色について宣伝に偽りありな品種もあったが、まあまあイイ感じに咲いたので今年も買おうと思ったらーーー。
いろんな品種を混ぜ合わせたセット商品の内容が昨年と同じ(>_<) 昨年のセット内容に大きな不満はなかったが、まったく同じものを買うのもためらわれて、それで今年は国華園のみということに。すべてを単品で選ぶのは大変なのでセット商品が中心である。
チューリップ 球根 中咲セット 5色75球 (各15球) 2189円
まずはベーシックな普通品種。この手のものはいつも買っているが、今回は「咲く時期が揃っている」という謳い文句のセットがあった。早咲き、中咲き、遅咲きの3種類あって、それぞれの開花時期が
早咲き:3月中旬〜4月中旬
中咲き:4月上旬〜下旬
遅咲き:4月下旬〜5月中旬
とある。その期間の範囲内に咲くのではなく、その期間のどこかで揃って咲くという意味だと思う。それで3月中旬や5月中旬はまずいだろうと消去法で中咲きのセットを選ぶ。本当に咲き揃うのか疑問&楽しみ。
次にベーシックではない品種のセット。あれこれ迷ったが、途中で面倒になって同じシリーズのセットを3本買うことになった。よくあるパターン(^^ゞ
バルブオブザイヤーAセット 5種30球(各6球) 2189円
バルブオブザイヤーBセット 5種30球(各6球) 2189円
バルブオブザイヤーCセット 5種30球(各6球) 2189円
最後に球根の数量調整で選んだ品種。安いけれどなかなか面白い色模様である。
キャンディコーナー 20球 759円
以上の21品種で合計185球。プランターに植えられるのは、8球・7球・8球の3列で23球×8プランターの184球。久しぶりにほとんど過不足なく買えたので、来シーズンは60型以外のプランターを予備で使うのはなし。
例によって国華園の出荷は11月中頃だろう。クレームのメールを入れるとすぐに出荷されるからスケジュールを立てやすいが(^^ゞ
さて、チューリップが咲く頃にコロナは治まっているかな?
気を取り直して来シーズンのチューリップ球根を発注。2020年シーズンは開花率74%と久しぶりにマトモに咲いてくれてうれしかった。2021年も満開になりますように。
その昨シーズンは、いつもの国華園だけではなく富山県花卉球根農業協同組合というところからも初めて購入した。色について宣伝に偽りありな品種もあったが、まあまあイイ感じに咲いたので今年も買おうと思ったらーーー。
いろんな品種を混ぜ合わせたセット商品の内容が昨年と同じ(>_<) 昨年のセット内容に大きな不満はなかったが、まったく同じものを買うのもためらわれて、それで今年は国華園のみということに。すべてを単品で選ぶのは大変なのでセット商品が中心である。
チューリップ 球根 中咲セット 5色75球 (各15球) 2189円
まずはベーシックな普通品種。この手のものはいつも買っているが、今回は「咲く時期が揃っている」という謳い文句のセットがあった。早咲き、中咲き、遅咲きの3種類あって、それぞれの開花時期が
早咲き:3月中旬〜4月中旬
中咲き:4月上旬〜下旬
遅咲き:4月下旬〜5月中旬
とある。その期間の範囲内に咲くのではなく、その期間のどこかで揃って咲くという意味だと思う。それで3月中旬や5月中旬はまずいだろうと消去法で中咲きのセットを選ぶ。本当に咲き揃うのか疑問&楽しみ。
次にベーシックではない品種のセット。あれこれ迷ったが、途中で面倒になって同じシリーズのセットを3本買うことになった。よくあるパターン(^^ゞ
バルブオブザイヤーAセット 5種30球(各6球) 2189円
バルブオブザイヤーBセット 5種30球(各6球) 2189円
バルブオブザイヤーCセット 5種30球(各6球) 2189円
最後に球根の数量調整で選んだ品種。安いけれどなかなか面白い色模様である。
キャンディコーナー 20球 759円
以上の21品種で合計185球。プランターに植えられるのは、8球・7球・8球の3列で23球×8プランターの184球。久しぶりにほとんど過不足なく買えたので、来シーズンは60型以外のプランターを予備で使うのはなし。
例によって国華園の出荷は11月中頃だろう。クレームのメールを入れるとすぐに出荷されるからスケジュールを立てやすいが(^^ゞ
さて、チューリップが咲く頃にコロナは治まっているかな?
2020年10月01日
ローマ皇帝はイケメンだった!?
以前に「モナリザは美人だった」のテーマでブログを書いた。AI(人工知能)を使ってモナリザをリアルな画像に仕立てた話。今回はそのローマ皇帝版である。主に彫刻をベースに再現している。制作したのはダニエル・ヴォシャートというデザイナー。映画業界でCGなどを手がけていて、コロナで仕事が暇になったから作ったらしい。
初代皇帝のアウグストゥスから54代目までが再現されている。古代ローマは帝政になってからの約500年間に77名の皇帝がいたものの、存在感のある皇帝がいたのは帝政時代前半だから、必要充分にカバーされていると思う。
アウグストゥスといえば、この彫刻が有名であるが、
他にもいろいろ参考にしたようだ。ヴォシャートのホームページには54名に対して800枚の画像を解析したとあるから、1名あたり平均15枚の計算になる。
彫刻以外に肖像画や硬貨も使ったみたい。
54名勢揃いの顔写真。時代が下るにつれてさまざまな人種がミックスされているように思える。ローマ帝国は征服地の出身でも皇帝になれる多様性のある社会だった。
そして意外とイケメンな皇帝が多い。これは左がアウグストゥス(紀元前63年〜14年)、右がマクシミヌス・トラクス(173年〜238年)である、ハリウッドスターのダニエル・クレイグとジョージ・クルーニーにどことなく似ている。
でもよく考えたら、AIにインプットされたのは彫刻の画像。すなわちローマ時代に「皇帝陛下」を彫ったものだから、その時点でかなりイケメンに修正されていたはず。あまりにリアルな画像なので、まるで真実のように思えてしまうのが、こういった作品の危ういところ。これから「AIによる〇〇〇」を売り物にする商品やサービスはどんどん増えてくるが、鵜呑みは禁物なのをこういうお遊びで学びましょう。
残念なのはカエサルのCGがないこと。彼は皇帝ではなかったから制作されなかったと思われる。しかしローマ時代の人物で一番人々が見たいと思うのはカエサルのはず。
そして日本のクリエーターにも是非がんばってもらいたい。
いずれ画像ではなく動画で表現されるだろうし、さらには歴史的な記録を元にAIによって思考や人格までを再現できるようになるかもしれない。おそらく会話も可能になる。つまり生きている人間を相手にするのと変わりない。ひょっとしたらAIは生死を超える存在になる可能性もある。
そうなるとなかなか哲学的な課題もはらむだろう。それはさておき「AIによって蘇った信長と光秀の対談が実現!テーマはもちろん本能寺の変。司会はブルータスに同じような目に遭わされたカエサル!」なんてのを見てみたいなあ(^^ゞ
参考:ダニエル・ヴォシャートのホームページ
https://www.voshart.com/ROMAN-EMPEROR-PROJECT
https://medium.com/@voshart/photoreal-roman-emperor-project-236be7f06c8f