2021年01月

2021年01月30日

30年前、ワープロには輝かしい未来があるはずだった

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1989年に雑誌のDIMEが「パソコンの台頭で、ワープロはいずれなくなるのか?」とワープロメーカーに公開質問状を出し、6社から回答を得ていた。DIMEは30年後の2019年にその記事を再掲載。1989年が平成元年、2019年の4月で平成が終了なので、平成を振り返る企画だったようである。

昨日、その抜粋がTwitterで流れてきた。

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まあ、ものの見事に恥ずかしい回答が並んでいる。

当時の状況を思い返してみると、Windows3.0が発売されたのは1990年だから、まだMS-DOSの時代。何をするにもコマンドと呼ばれる呪文のようなものを打ち込まねばならなかった。だからパソコンはどちらかといえば社内でも理科系の人が使うものだったし、ビジネスでの用途も限られていた。Macはもちろん当時からマウスを使って操作できたものの、1時間に1回はシステムエラーを起こして、それまでの仕事をパーにしてくれた(^^ゞ

それで文章はというと手書きで書いたものをワープロ・オペレーターに頼んでワープロ打ち、すなわち清書してもらうのが一般的だった。ただし、それは重要なものだけに限られていて、今じゃ信じられないが、社外に出す企画書や報告書で手書きのものも多かった。また社会人でキーボードを使える人はまだまだ少なく、ワープロ・オペレーターはけっこう高給だったと思う。

ワープロは1980年前後から発売されて、全盛期は1985年から1995年あたりの10年間程度と短い。1999年にはパソコンの売り上げを下回り、2003年には各社とも生産を終了している。


ここまで書いてパソコンのワープロソフトではなく、昔はワープロ専用機があったことを知らない人もいるだろうと気がついた。そこを説明するのは省略するけれど、ビジネス用のワープロ専用機って、こんな感じだったと写真だけを紹介しておく。
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こういうのが懐かしかったらジジババ確定ね(^^ゞ


さて、上のコメントは全盛期の真っ只中の1989年だし、回答したのはワープロメーカーの広報部だとの事情は割り引いて考える必要はある。でも当時は世間の認識もこの程度だったように思う。

それでどうなったか。ワープロが2003年に生産中止になったことは書いた。次は当然各社ともパソコンに力を入れたわけだが、それから約20年たった現在は

   NECと富士通:パソコン事業は中国のレノボ傘下
   シャープ:パソコン事業撤退。
        また会社自体が台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の傘下に入る
   東芝:パソコン事業はシャープ傘下に、つまりは鴻海精密工業の傘下
   キヤノン::パソコン事業撤退

まともに残っているのはパナソニックだけなのが現状。


何を言いたいかといえば、当たり前の事ながら、状況を読み違えて間違った判断をすれば、先を読めなければ企業は滅びるということ。そして心配なのがエンジンからモーターに、ガソリンから電気に主力が移ろうとしている自動車産業。10年前にはエンジンがなくなるなんて考えられなかった。いわばワープロにとっての1989年。しかし、その時から先を読んで努力を続けて来た企業だけがモーターの時代にも生き残る。

シャープやキヤノンのパソコンなんて、どんな製品だったか、もうほとんど記憶の彼方にしか残っていない。そんな風に忘れられる自動車メーカーも出てくるかもしれない。あの会社とあの会社は危ないなと指折り数えてみたりして(^^ゞ


もちろん他の業界にも当てはまるケースは色々とあるだろう。何事も永遠には続かず、驕(おご)る平家も久しからずは世の常だから。そう書くと何か日本の産業が先細りするような淋しい印象になってしまうが、逆に驕っているヤツらにつけいるチャンスもあるのだと前向きに捉えましょう。

wassho at 22:58|PermalinkComments(0) マーケティング、ビジネス 

2021年01月27日

Face IDでマスクのヒモが切れた(>_<)

iPhoneのロック解除の方法は

   Face ID  顔認証
   Touch ID  指紋認証

があって、現在販売されている機種では、2代目SE以外にFace IDが採用されている。ということで昨年末に買ったiPhone12miniもロック解除は顔認証になる。

この顔認証は「たんなる顔写真」ではなく3万箇所以上に赤外線を投影して計測した、顔の凹凸データを元に照合しているらしい。詳しい仕組みはわからないものの、指をボタンに押しつけなければいけなかった指紋認証と較べて、画面に顔を向けるだけなので(スマホを使う時は自然にそうなるので)ロックされているという意識を持つこともないくらいスムーズで便利な方法である。

ーーーが、しかし

コロナのせいで外出する時はマスク必須の現在。当然ながらマスクをしたままの顔ではFace IDで認証されない。ただしマスクを完全に外さなくても、鼻の下までずらせば、つまり口は隠れていても認証してくれる。じゃ口は関係ないのかと思ってしまうが、(マスクなしで)口を大きく開いた顔では認証されないのが不思議なところ。

話は変わるが、鼻と唇の間は「鼻の下」。それで「鼻の下を伸ばす」といえばスケベな意味合いになる。でも鼻の下なんか伸びないのに、どうしてそんな表現が生まれたのかナゾ。まあ「首を長くして」というおかしなのもあるけれど。


話を戻すと、だから外出時にiPhoneを使うには、しょっちゅうマスクを口のところまで下げる必要がある。これが面倒だし、たまには両手を使えない時もあって不便。そして先日、一日中ほぼ出ずっぱりのことがあって、何度もマスクの上げ下げをしていたら、なんとマスクのヒモが切れてしまった。

正確にいうならヒモが切れたのではなく、マスク面から取れてしまった状態。もちろん修復は不可能。接着してあるだけだから取れても不思議ではないが、そんなことは想定していなかったから、ちょっとアセった。幸い今はコンビニでもどこでもマスクを買えるようになっているが。

というわけで、それからは予備のマスクも持ち歩くようにしている。ますます面倒なコロナ生活である。なおマスクケースというものが売られていることは知っているが、別に封筒で充分じゃないかと思う。


ところでネットでは、半分だけマスクをした顔を左右で登録すれば、マスクをしていてもFace IDで認証されるという裏技が出回っている。しかし試してみたがダメだった。私の顔に何か問題があるのだろうか(^^ゞ

ついでにFace IDにはマスク姿で使えない以外に、もうひとつ欠点がある。それは顔認証されてロックが解除された後に、画面を一番下から上にスワイプしないとiPhoneの各画面にアクセスできないこと。これがなかなか指が届かなくて片手操作が難しい。

こちらがロックが解除された状態。
画面下の白い横棒あたりのところから上に向けてなぞる必要がある。
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ネットで調べると「設定」→「アクセシビリティ」→「タッチ」→「AssistiveTouch」という項目で補助のボタンのようなものを出して使えと書いてあるものが多い。それは便利だと設定しようと思ったら、同じく「タッチ」のところで「背面タップ」という項目があった。

そこを設定するとiPhoneの裏側を指でトントンとダブルタップするだけで、つまりスワイプなしの片手操作でホーム画面にアクセスできる事を発見。この使い方はほとんどネットで紹介されていない。もしiPhoneを使っているならお試しを。

ところで私のiPhoneの壁紙はルノワールでオシャレでしょ(^_^)

wassho at 23:26|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2021年01月23日

左利きのバリアフリー

先日、駅の改札を通ろうとしたら、
私の前を歩いていた人が、いきなり身体を90度ほど右にひねった。

何のことかわからないと思うが、
つまりこういうことである。

Apple PayあるいはGoogle Payの機能を使って、スマホやスマートウォッチにクレジットカードや電子マネーあるいはICカードを組み込むことができるようになった。昔でいうならおサイフケータイ。
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スマホなら改札を通る時にこうやればいいけれど、
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「左手」にはめたスマートウォッチを、
自動改札機の「右側」にあるカード読み取り部分にかざそうとすると、
身体をひねって腕を伸ばすことになる。
    ※この写真はwww.fukulow.info/applewatch-lifeから引用
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歩きながらだから、けっこうアクロバチックな動作である。スマートウォッチを使う人はスマホも持っているだろうから、交通系のカードはスマホに入れればいいと思うのだが、わざわざスマートウォッチを使う理由が何かあるのだろうか。


さて首都圏で自動改札機が設置され始めたのは1990年頃から。そしてICカードであるSuicaがJRで使えるようになったのが2001年。私鉄や地下鉄で使えるPASMOが誕生し、またSuicaとも相互利用が可能となったのが2007年である。私はPASMOになってからICカードを使い始めた。だから1990年から2007年までの17年間、つまり磁気式の切符や定期あるいはプリペイドカードの時代はけっこう不便を感じていたのである。

なぜなら左利きだから。

磁気式の切符などは改札機の右側にある投入口に差し込むことになるが、それを左手でやるものだから、上のスマートウォッチの写真のような状態になる。急いでいる時など自分の身体を腕がブロックしているような感覚。別に右手でも差し込めなくはないが、どうもしっくりこないので無意識のうちに左手が動く。

PASMOなどのICカードならタッチ、スマホに組み込んでいる場合はかざすだけで済む。投入口に差し込むのと較べればずいぶんとアバウトな動作なので、これは右手でも支障なく行える。

というわけで磁気式からICカードという技術の進歩で、自動改札機が左利きに対してバリアフリーになったのに、スマートウォッチというさらに進んだ技術で振り出しに戻って、しかも右利き左利き関係なく不便になったという不条理が何となくおかしい。

wassho at 18:04|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2021年01月19日

田中一村展 千葉市美術館収蔵全作品 その3

「千葉へ」のコーナーでは仏教を題材とした作品や、着物や傘などの図柄を描いたデザイナーとしての仕事?、それに一村が撮った写真なども展示されていた。

そして第4章の「一村誕生、心機一転の戦後」というコーナーに移る。ちなみに彼の本名は田中孝で、画号としては1947年39歳まで田中米邨(べいそん)を使用。

名前を一村と改めた1947年(昭和22年)にはメジャーなコンクールに入選するものの、その後は前回に書いたように鳴かず飛ばずの日々が続く。だからタイトルに「心機一転」とあるが、それが何を指しているかよくわからない。そして残念なのは展示されていた作品がいわゆる小作品がほとんどで、コンクール出品級の大作・力作がなかったこと。これはこの展覧会全般に言えることでもある。


1955年(昭和30年)に一村は九州・四国・紀州などへスケッチ旅行に出かける。この旅行によって南国に魅せられたようで、それが奄美大島移住につながったのだと思う。

旅土産の色紙という一画が設けられていた。

「筑波山」  1955年
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「新緑 北日向」  1955年
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「室戸 奇巌」  1955年
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そしていよいよ1958年(昭和33年)に50歳にして単身で奄美大島に移住。どうして奄美大島なのかの資料は見つからなかったが、当時、沖縄はまだアメリカ占領下で、沖縄の北側にある奄美大島が日本の最南端だったからだと思う。


「仁戸名蒼天」  1960年頃

何となく南国っぽいが、これは千葉の風景。奄美大島から一時的に千葉へ戻った時の作品。
仁戸名蒼天の意味は調べたがわからなかった。
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第5章 奄美へ アダンへの道

「クロトンとカヤツリグサ」 

制作時期が不明だからか第4章に展示されていたが、これは南国でしょう。
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「アカショウビン」  1961年
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「クロトン」  1961年頃
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そして代表作の「アダンの海辺」 1969年
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この絵を見に展覧会にきたといっても過言ではない。南国というより違う惑星の風景のようであり、そして果物を描いた絵なのに、もっと宇宙的な生命体を連想してしまう存在感がある。まあとにかくトリップできるいい絵である。パソコンでブログを読んでいるならクリックで拡大して眺めましょう。砂浜や波の描写にも見入ってしまうはず。


参考までに一村が描いた動植物を写真で。
アカショウビン

クロトン

アダン


色紙に描かれた奄美大島の風景。

「奄美の海」  1975年
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「奄美風景」  1975年
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「奄美冬彩」  1975年
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ところでこの写真は、何年か前にフランスで開かれた日本展に出品された一村の作品。実はこんなふうに一村の和風トロピカルワールドを満喫できると思っていたのだが、大作・力作は「アダンの海辺」しかなかったのがちょっと肩すかし。今回は美術館収蔵の作品を展示するという企画趣旨なのだろうが、もう少しサービス精神が欲しかったな。
フランス

奄美大島には田中一村記念美術館があって、かなりの作品が揃っているらしい。
コロナが収まったらGO TOでも利用して行ってみるか(^^ゞ


おしまい

wassho at 21:29|PermalinkComments(0) 美術展 

2021年01月18日

田中一村展 千葉市美術館収蔵全作品 その2

ところで、この展覧会はタイトルがやたら長い。
正式名称は、

  千葉市美術館拡張リニューアルオープン・開館25周年記念
  千葉市制100周年記念
  川村コレクション受贈記念

  田中一村展 ー 千葉市美術館収蔵全作品

と67文字もある。

この美術館がオープンしたのは1995年(平成7年)11月で、千葉市中央区の区役所との複合施設としてのスタートだった。その区役所が2019年に別の建物に移転し、展示スペースなどを拡張するリニューアル工事が完成したのが2020年7月。その7月に開催された展覧会が「リニューアルオープン・開館25周年記念」なのは当然として、その次の9月の展覧会、そして3つ目となる2021年1月からのこの展覧会でも「リニューアルオープン・開館25周年記念」を名乗っているのは、ちょっと引っ張りすぎかな。

「千葉市制100周年記念」は展覧会とは何の関係もないが、市立美術館としては入れざるを得なかったのかもしれない。そういうセンスが役所仕事的。

「川村コレクション受贈記念」というのは上記と較べれば、サブタイトルとする価値がある内容。一村は30歳の時(1938年:昭和13年)、母方の叔父である川村幾三氏を頼って千葉に移住する。彼は一村にとって最大の理解者であり支援者。だから川村家には一村の作品が多く残されていて、それらが2018年にこの美術館に寄贈や寄託されたとのこと。この展覧会の作品数は130点で、そのうち川村コレクションが半分ほどを占めているから相当な割合である。

また川村コレクション以外に、前回の投稿に書いた2010年の展覧会以降に収蔵された作品もかなり増えてきたので、一度まとめてお見せしましょうというのが「千葉市美術館収蔵全作品」という企画趣旨。サブタイトルとするには文章表現として芸がない気もするが。

というわけで手持ちの作品だけでこれだけの回顧展が開けるのだから、この美術館のコレクションはたいしたもの。ただし一村の絵の変遷についてはよく理解できたものの、物足りない部分もあった。それはまた後ほど。


第1章 若き南画家の活躍

南画(文人画ともいう)とは何ぞやというのはさておいて、一村は幼い頃から南画に才能を発揮して神童と呼ばれたりする。しかし大正時代になって南画は流行らなくなり、そこであれこれ新しい画風を模索。しかし画壇からは認められず展覧会にも落選続きで、失意のうちに奄美大島へいわば都落ち。そこで後に日本のゴーギャンと称された画風を確立するが、世間には知られないままに世を去るというのが彼の超簡単な略歴。


この展覧会にあったのは神童レベルじゃないと思うし、
南画というにはかなりモダンな画風かな。

「つゆ草にコオロギ」  1921年

コオロギはツユクサの一番上に一匹だけ描かれている。
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「鉄網珊瑚(紅梅図)」  1926年

上の作品から5年後に描かれている。画風が変化するのはあり得るとして、文字の形がまったく違うのが興味深い。筆跡判定できないね(^^ゞ
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「山水図 略擬雲林筆意」  1930年
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第2章 昭和初期の新展開

「浅き春」  1931年
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「椿図屏風」  1931年
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24歳で描かれた一村の転換点とされる作品。ぱっと見はド迫力なんだけれど、よく見ると意外と繊細に描かれている。派手なだけじゃなくて、何か切実に訴えてくるものが感じられる。他の作品と較べてかなり画風が違うが、他にもこんな作品があるなら見てみたい。

なおこの屏風は2曲1双、つまり2つ折れの屏風が左右でワンセットであるが、左隻(左側)の屏風には金箔が貼られているだけで何も描かれていない。そういう作品なのか制作途中だったのかなどは不明らしい。


次の作品は正確な制作時期が不明。ところで牡丹の花には見えないし、彼岸花は絵の片隅に描かれているだけで、「つゆ草にコオロギ」と同じくタイトルと内容の不一致がビミョーに気になる。でも絵としては日本画のワンパターン感がなくて、けっこう好きな部類。

「牡丹図」  
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「彼岸花」
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第3章 千葉へ

翡翠とはカワセミの別名。それはいいとして、この柿も牡丹の花と同じく、あまり柿には見えない。昔の柿はこんなふうに縦長だったのかな。

「翡翠図」
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「柿」
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風景画は何となく南画の雰囲気も残っている。これらは千葉の風景という括りで紹介されていたが、これが千葉ですといわれてもなあ(^^ゞ 例によって野梅はメインではなく画面下に小さく描かれている。一村のネーミングパターンが読めてきたかも。「はさ場」とは刈り取った稲を干す場所ね。

「夕日」  1941〜42年頃
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「千葉寺はさ場」  1945年頃
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「黄昏野梅」  1947年頃
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ーーー続く

wassho at 20:29|PermalinkComments(0) 美術展 

2021年01月16日

田中一村展 千葉市美術館収蔵全作品

田中一村(いっそん)のことは10年ほど前に、今回と同じ千葉市立美術館で開かれた展覧会の情報で初めて知った。興味を引かれたが、ちょっと千葉までは遠いなあと思っているうちに行きそびれてしまう。2018年には生誕110年ということでNHKの日曜美術館でも取り上げられたし、佐川美術館で大規模な展覧会があった。何となく「この画家の絵は見なくちゃならない」という確信のようなものを感じたものの、佐川美術館は滋賀県にあるので(/o\)

というわけで3度目の正直のような田中一村展。コロナで緊急事態宣言発令中ではあるが、密な事態にはなるまいと14日に千葉まで出かけてきた。


田中一村は1908年(明治41年)生まれで1977年(昭和52年)に69歳で没した。東京美術学校(現・東京芸術大学)の日本画科では東山魁夷と同期。生前はほとんど評価されなかったので日本のゴッホと呼ばれたり、また後年は奄美大島に移りトロピカルな題材のものを描いたので日本のゴーギャンと言われることもある。しかし、そろそろ日本の〇〇という西洋コンプレックス丸出しの表現はやめたほうがいいと思うのだが。

栃木県生まれの田中一村であるが、画業的には東京時代、千葉時代(1938年〜1958年)、奄美大島時代(1958年〜1977年)に分けられる。それで千葉に20年間住んでいたことから、千葉では県民画家扱いで千葉市美術館はかなりのコレクションを有している。

撮影年月日は不明であるが、奄美大島時代の田中一村。
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かなりガリガリでも生気溢れるイメージ。
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さて千葉市美術館は千葉のど真ん中、千葉駅の近くにある。考えてみると千葉県のあちこちにはクルマやバイクで数え切れないくらい出かけたが、電車では初めてだし、だいたい千葉の中心部には今まで行ったことがない。本日は意外な人生初体験(^^ゞ

当然、東京駅からJRで行くものだと思っていたが、乗り換え案内で調べると、渋谷からだと地下鉄半蔵門線で錦糸町まで行き、そこでJRに乗り換えろとの指示だった。それでそうしたのだが、渋谷から錦糸町までって30分もかかる。渋谷と錦糸町を直線で結んだ中間あたりに東京駅があるのだから、本当にこれが一番早かったのかな?

JR錦糸町駅のホームに上がるとスカイツリーが目の前に見えた。
何となくうれしい。
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総武線の快速に乗って千葉駅まで、さらに32分。
はるばるやってきたという感じで千葉に到着。
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千葉市美術館は千葉駅東口から

   徒歩15分
   バスだと下車してから徒歩3分
   モノレールだと下車してから徒歩5分

と案内にあった。初千葉なので歩いて行くことに。

千葉駅東口。
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iPhone12miniの超広角モードは35mm換算で14mm。私の持っているミラーレスカメラの広角ズームレンズが35mm換算で15mm〜36mmで、それよりも広いのだからビックリする。20mm以下なんてかなりマニアックな領域だったのに、それがスマホで撮れるのだからすごい時代になったものだ。(35mm換算というのはとりあえず無視して、数字が小さければ広い範囲が写る広角レンズで、数字が大きければ遠くのものが大きく写る望遠レンズと思ってください)


これはモノレールの軌道。見てわかるように千葉のモノレールは吊り下げ式。吊り下げモノレールは乗ったことがないので乗ってみたかった気もする。
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駅前大通りというのを歩いて行く。
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上の写真で赤くいくつか見えているのは、美術館アッチの標識。
ただしこの標識が美術館まで続いているわけじゃないから、あまり役立たない。
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駅前大通りの終端にあるのが千葉市中央公園。
名前は立派でも、まあ単なる広場。
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もう少し歩いて美術館に到着。自宅からドア to ドアでジャスト2時間だった。
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道路を渡って美術館の全景を撮るのが面倒だったので、ホームページから借用。かっこいいのか悪いのかよくわからないデザインである。
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何となく007の映画では爆破されたことになっているMI6(イギリス秘密情報部)のビルを思い出したが、似ているのは中央が高くて階段状になっていることだけだった(^^ゞ
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中に入るとこんなレトロな広い場所があった。「さや堂ホール」という名称でコンサートや展覧会に貸し出しているらしい。
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後で調べたら、この建物は旧川崎銀行千葉支店を鞘堂方式(古い建物をそのまま抱き込むように新しい建物を建てる)で保存、再生した建物とのこと。そういえば2枚前の写真で建物の右側はモダンだが、円柱の後ろは昔の建物の面影が残っている。

というわけでここは銀行が建てられた1927年(昭和2年)にタイムスリップできる空間。ただし柱の数が左右で違うし、左側の2本は根本が他の柱と別の形なのが不思議。



ーーー続く

wassho at 19:46|PermalinkComments(0) 美術展 

2021年01月10日

ブログの目次を制作中

目次

このブログはパソコン画面でなら「最新記事」というエリアで、直近の50タイトルまでが一覧表示されている。50タイトルというのはライブドア・ブログの仕様による制限である。またスマホ画面にはその機能はない。

どうせなら過去のすべてのタイトルを目次のように読めたら便利だし、スマホでもタイトルだけの表示機能が欲しい。というわけで過去の全投稿のタイトルを抜き出したものを別のブログとして制作することにした。その名も

    「晴れ 時々 マーケティング」の目次
     https://haretoma-mokuzi.blog.jp

リンクボタンはパソコン画面では「最新記事」の下、スマホ画面ではトップページとアーカイブページの「記事検索」の下に配置している。


現時点で制作できているのは2004年から2011年までのタイトル。緊急事態宣言でステイホームのこの3連休中に仕上げようと思っていたが、ちょっと作るのに飽きてきたので(^^ゞ 今月終わりまでに完成させることにした。いろいろなソフトの機能を使ってそれなりに省力化しているものの、それでも細かな単純作業が続くのである。

ステイホームでよほどすることがなければ、過去の投稿でもご覧ください。

wassho at 14:06|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2021年01月07日

発出は大人の事情で遺憾?

本日コロナの緊急事態宣言が菅総理から発出された。期間は明日からの1ヶ月間で、主に飲食店の営業時間などに制限がかかる。罰則はないが協力した店舗には1日6万円×30日=180万円の協力金が出るとのこと。

コロナのことはさておいて、目についたのは「発出」という言葉づかい。漢字から意味はよくわかるものの、ナンジャソレ?という気がする。法律に基づく措置なので発令というのが適当なはず。

緊急事態宣言

発令=命令というニュアンスから強制的なイメージを避けたかったのか。ただでさえ支持率が低下気味だから、少しでも嫌われたくなかったのかもしれない。それでいて発表じゃ言葉に重みがないと考えたか。しかし発出とは単に出すという意味だから、宣言の発出なんて意味がダブっていると思うけれど。


1月2日に小池都知事が官邸に乗り込んでから緊急事態宣言は政治的なトピックであったが、報道では発令という表現が主に使われていたように思う。それが総理が発出と言った途端に右にならえするマスコミにもナンダカナア〜という気持ちである。なお昨年4月の緊急事態宣言の時も安倍総理は発出だったはずだが(だいたい発出を連発したのは彼である)、報道の状況がどうだったのかまでは覚えていない。しかしネットで画像を検索すると発令と報道している事例も見られる。


話はそれるが、少し前に売春→援助交際→パパ活という言葉の変遷について書いた。それに限らず日本語には言葉を置き換える文化がある。その背景や意図は様々だろうが、言葉の印象を曖昧にしようとするものが多い。

近年の最高傑作は「大人の事情」かな。使われ出したのは10年くらい前だろうか。はっきり覚えているわけじゃないが、20年前にこんな表現はなかったと思う。

大人の事情とは、

  合理性や正義のある事情じゃないけれど
  それを大っぴらにすると、なにかと軋轢が起こるので、
  そのあたりを忖度してナアナアで済ませましょう

ということで持ち出される事情である。「ここはひとつ大人の事情ということで」と妥協が成立するのがこの国の特殊性。外国語には翻訳不可能な日本語だろう。


さらに時代を遡っての最高傑作は「遺憾」だと思っている。「それについて遺憾に思います」というのは、

  「申し訳ございませんでした」と謝る屈辱感はまったく感じなくてすむのに
   遺憾と言っておけば謝ったことになる

というマジックワードである。メンツやプライドも絡んで謝罪するのは心理的なハードルが高い。それは相手方も同じで謝罪のあるなしは大問題。だから謝罪で話がこじれる。それを一気に解決するのだから、この表現を発明した人は天才である。

もともと遺憾は「残念」という意味を堅苦しくしたような言葉。相手に対して使えば非難にもなる。しかし堅苦しすぎて血の通っていない言葉である。「我が国の領海を侵犯したことは遺憾」なんて声明からはほとんど抗議の意志が感じられない。天才はこのクソ丁寧さを逆手に取っている。

そして遺憾を自分に使えば誤りを認めたことになる。しかし誤りを認めても謝ったわけじゃない。しかし、その辺をあまり追求しないで謝罪したことにするのが「大人の事情」ってやつかな(^^ゞ

言葉というのは面白いというか、バカバカしいというか。とりあえずコロナをもらわないように気をつけましょう。

コロナ対策


wassho at 23:30|PermalinkComments(0) ノンジャンル 

2021年01月05日

スマホの色選びにご用心

本当はタイトルを「間接照明などで夜は部屋の明るさを抑えている人なら、スマホの色を選ぶ時に是非とも注意すべきこと」にしたかった。でもあまりに長すぎるので。


昨年末にスマホを買い換えた。機種はiPhone 12 mini。まだ買い換えるつもりはまったくなかったのにどうして買い換えたのかとか、なぜその機種にしたのかなどは、いずれ機会があれば書くとして今回は色選びについて。

iPhone 12 miniには白、赤、青、薄緑、黒の5色のラインナップがある。
iphone-12カラー1


もっともベゼルレス(液晶画面の縁取りなし)だから、
色がついているのは裏側と側面だけになる。
iphone-12カラー2

iPhoneは今までは白いボディーを選んできた。ガラケーの時代も黒以外はなかった大昔は別として、白があれば白なければシルバーという選択だった。理由はシンプルで、いろいろなものに囲まれていてもすぐ目につくから。もちろん赤や黄色でもその理屈は成り立つが、ビジネスシーンでも使うものとしてはちょっと派手すぎる。

ーーーだったのだけれど、今回は青を選んだ。深い理由はない。何となく白に飽きた気持ちがあったのかもしれない。とにかくあまり何も考えずに取った行動だった。


     そして後悔している(/o\)

それは昼間でもそうであるが、特に夜になると部屋のどこにスマホを置いたのかわからなくなるからである。


私は部屋の照明が明るすぎるのを好まない。メインの照明を使うのは掃除をする時くらいで、それ以外は小型のダウンライトやスタンド照明で過ごしている。平均的な家庭と較べて感覚的には半分くらいの明るさかもしれない。深夜にはさらに照明を絞る。

スマホを置く場所は決まっていないが、ソファやデスクのサイドテーブルの場合が多い。ソファは紺色でサイドテーブルは黒である。そしてベゼルレスなので液晶がついていない時は真っ黒になるiPhoneは、まったく周りに同化してしまう。白いのは比較のために置いた今まで使っていた初代 iPhone SEである。
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裏面だと。(iPhone SEに貼ってあるのはカード入れ)
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iPhone 12 miniだけだと見事なカメレオンぶり。
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いつも決まった位置にスマホを置けばいいのだけれど、それができない性分なのよ。それなのにこういう日常の細かなイラッとすることが大嫌いというやっかいな性格でもある。


こんな側面と裏面を覆うケースなら白いiPhoneに変身させられるが、ケースを使うのは好みじゃない。それにこれを使えば、手に取る度に「なぜ最初から白を選ばない、このオロカモノ!」と自責の念に駆られそうである(^^ゞ
カバー


白かまたは目立つ色のカードケースを貼り付けるという手もある。
カードケース

初代のiPhone SEのApple Pay(おサイフケータイ機能)は、PASMOやSuicaといった交通系カードは対応していなかったので、カードケースにPASMOを入れていた。スマホとPASMOという2つの荷物が1つになって便利だったし、握った時にカードケースが滑り止めになって安心感もあった(日常の細かなイラッとすることが大嫌いな性格)。

しかし新しいiPhoneは交通系カードに対応しているので、そこに何を入れるのだという問題はある。だから、とりあえずは白あるいは反射か蓄光素材のテープかシールを貼るか、あるいはソファの肘掛けにでも小さなトレイを置いて、常にそこにスマホを置くように自分を躾けるか(^^ゞ などとあれこれ思案中。

本当はポンポンと手を叩いたり、あるいは「iPhone、どこ?」と呼びかけたら光ったり音が鳴って場所を教えてくれるといいのだが、まだそこまで便利にはなっていないようで。

というわけで「間接照明などで夜は部屋の明るさを抑えている人なら、スマホの色を選ぶ時に是非とも注意すべきこと」というお話。

wassho at 21:52|PermalinkComments(0) 生活、日常 

2021年01月02日

初詣は大円寺と目黒不動尊 and More その2

目黒通りに出て山手通りとの交差点まで戻る。ここからの選択肢は3つ。

  中目黒へ行き東横線に乗って帰る。
  まっすぐ歩いて帰る。
  目黒不動尊に回り道して歩いて帰る。

目黒不動尊は散歩がてらに何度か訪れているので目新しさはない。私の初詣はお参りというより普段と違うイベント感覚優先なのだけれど、自宅に戻っても特にすることはないからと寄ることにした。



目黒通りを左折して、ここから500メートルほど。
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西側の横門に到着。
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七福神のひとつ恵比寿が祀られているエリアは池で隔てられている。
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大円寺の大黒天に続いて二福神目をゲット。
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ちなみに地名の恵比寿は、かつてヱビスビールの工場があったことに由来する。日立や住友や豊田など企業名から取った市町村はかなりある。そのヱビスはもちろん七福神の恵比寿にあやかったネーミング。しかし最初は大黒天ビールにするつもりが、既に大黒ビールが存在したのでヱビスにしたらしい。恵比寿ガーデンプレイスが大黒天ガーデンプレイスだったかもしれないと思うとちょっとおもしろい。


隣に稲荷神社。メインの鳥居の前に奉納者の名前が書かれた鳥居がある。伏見稲荷の千本鳥居のように並べようとして、後が続かなかったのか?
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銭洗いの水。
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こことは別に目黒不動尊には「独鈷(とっこ)の滝」と呼ばれる有名な湧き水がある。まあ滝ではまったくないが枯れたことはないらしい。



正面の入り口に出る。
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目黒不動尊は瀧泉寺という名前。しかし東急目黒線の最寄り駅も「不動前」だし、瀧泉寺と呼ばれることはあまりないかな。「尊」も省略して目黒不動ということが多い。その不動尊とは不動明王を本尊とするという意味。ただ明王のうち主要なものを五大明王というが、筆頭の不動明王以外はあまり馴染みがない存在である。

    不動明王
    降三世明王
    軍荼利明王
    大威徳明王
    金剛夜叉明王または烏枢沙摩明王


仁王門。その前後には露天も出ていて賑やかだった。
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写真ではわかりづらいが本堂はこの先の階段の上にあり、そこまでずっと行列が続いている。単に並ぶのが嫌いなだけだけれど、コロナだから蜜は避けようと言い訳して(^^ゞ お参りはパス。
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人のあまりいない阿弥陀堂や地蔵堂を見て回って、目黒不動での初詣は終了。
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目黒不動から and More 2つめの林試の森公園までは3分ほどで着く。
ここは私の定番の散歩コース。
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東の出入り口から、西の出入り口まで抜けていく。
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このブログでは何度も載せている風景。
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夕日に照らされた紅葉残りの色彩を楽しむ。
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という内容で2021年の初詣散歩が終了。
約2時間の行程。iPhoneのアプリを見たら4.8kmで8209歩だった。

ではコロナと上手に付き合って、2021年がいい年になりますように。



おしまい


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2021年01月01日

初詣は大円寺と目黒不動尊 and More

    謹賀新年
    商売繁盛
    疫病退散
    集える年になりますように!


元旦は餅の代わりに、大晦日に食べ忘れた年越しそばと一緒におせち料理をいただいた。まったく出だし順調な2021年である(^^ゞ 本年もお暇があればお読み下さい。


さて昨年はサレジオ教会、円融寺、碑文谷八幡宮、つまりキリスト教・仏教・神道の3つの宗教で初詣のハシゴをした。自宅徒歩圏内でそれ以上に素晴らしい初詣プランはもうちょっと考えつかない。同じ場所へ行くのもつまらないし、大晦日には前日の944名から1337名へと一気に大台を大幅超えのコロナ新規感染者数だったから、不要不急の外出は控えようとも考えたがーーー

まあしかし明治神宮のような激混みのメジャーどころへ行くわけじゃないからとGoogleマップと睨めっこ。それで散歩がてらに目黒駅近くの大円寺と、帰りに気が向いたら目黒不動尊もというプランをたてる。だから今年は仏教オンリー。



目黒通りと山手通りの交差点。そこには2019年の元日に初詣に出かけ、人が多くてお参りするには並ばなければいけなかったので、境内をチラ見しただけの大鳥神社がある。今年も相変わらずの混雑で入場待ちの行列が敷地の外まで続いている。
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目黒通りを直進。このまま進めばJR目黒駅。
割と知られているけれど、目黒駅があるのは東京都品川区上大崎2丁目で目黒区じゃない。
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桜で有名な目黒川を超えたら、
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右折する。
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このちょっときれいな植え込みは、「千と千尋の神隠し」の舞台のモデルともなった目黒雅叙園のもの。元は昭和初期に建てられた料亭で、その後に日本で最初の総合結婚式場となった。現在はホテルでもあるが全室スイートルーム。
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植え込み横の行人坂を上がっていく。
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行人坂の由来。
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その行人とは、中世から江戸時代にかけて

   学侶(がくりょ):学問や研究、祈祷に専念
   衆徒(しゅと):上記に加えて寺院の運営を担当
   行人(ぎょうにん):寺院の世俗的あるいは実務的な業務を担当

という僧侶の身分があり、そのいわば下層僧侶にあたる。行人坂の由来で「高僧行人」と書かれているのは「ノンキャリアだけれど、そこそこ出世した官僚」のような意味だろうか?

また僧兵などは衆徒や行人で構成されるから、行人坂の由来で「不良のやからを一掃」というのは武力・腕力を持ってという意味で、御仏の教えで諭したのではないと思う。


それにしても、かなりの急勾配。
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ただし50メートルほどで大円寺に到着。ここまで自宅から30分ほど。
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大円寺は大圓寺とも書く。
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左はおみくじを買う人で、右はお参りの順番待ち。
まったく混雑しておらずコロナに優しいお寺。
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大円寺は五百羅漢と呼ばれる石像が有名。1772年(10代将軍:徳川家治の頃)に起きた大火災の犠牲者供養のために作られたといわれる。すべて表情が違うとのこと。
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これらは割と新しいかな。
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その火災は行人坂火事と呼ばれ、振袖火事、車町火事と並んで江戸三大火事の1つに数えられる(それぞれ明和の大火、明暦の大火、文化の大火ともいう)。どれくらいの火災だったかというと死者は1万5000人で元号を変えたくらいの大惨事。そしてその火元だったのがなんとここ大円寺(>_<) それで幕府にシバかれて76年後に島津家の菩提寺になるまで再建を許されなかったという黒歴史を持つ。もっとも大円寺は放火されたとされるが。


こちらは「とろけ地蔵」。これは漁師が網にかかったお地蔵さんをこの寺に納めたもの。もともと塩分で浸食されていたところに、行人坂火事で炎にさらされ表面が溶け落ちる。
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しかし、それが「悩みを溶かしてくれる」という評判をよんで信仰を集めたらしい。
江戸っ子のシャレなのかな?


この金ぴかの仏像は薬師如来。自分の身体の悪い部分と同じ場所に金箔を貼り付けると御利益があるらしい。全身に貼られているということは、ありとあらゆる病気を持った人が訪れているということか? その金箔は御守り売り場にあるのかな。貼る気がないから確認するのを忘れた(^^ゞ
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境内あれこれ。こぢんまりとしたお寺である。
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大円寺は大黒天を祀っており山手七福神の1つだという看板。ちなみに七福神詣とは元日から七日にかけて7つの神様のところを回ること。ちょっとシンドイな。
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大円寺を後にして行人坂を下り、雅叙園の植え込みをまた眺めて、
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そのまま直進。目黒通りより1本南側の太鼓橋から見た目黒川。
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そして川沿いに立っているのが、
1970年代に日本中にその名をとどろかせた目黒エンペラー!
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目黒通りから見えるから場所はわかっていたものの、目の前を通るのは初めて。建物はかなり老朽化してそうだけれど、元日から営業していた(^^ゞ
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これが今回の and More ね。


ーーー続く

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