2021年04月
2021年04月26日
富士公園 〜 フラワーガーデン(総合レクリエーション公園)
なぎさ公園でツツジとポニーを楽しんだ後は、
来た時とは逆方向に富士見橋を渡って隣の富士公園に移る。
富士公園に入ると、こんな階段がある。
さて、どうして橋は富士見橋なのに、
公園は富士「見」公園ではなく富士公園なのか?
それはこの階段で上る小さな盛り上がりこそが富士山だから!
標高11メートルで名付けて江戸川富士。富士見橋はこの江戸川富士を見るためのものという設定のネーミング。ついでにいうとなぎさ公園でツツジが植えられていた場所を「芝生の小山」と書いたが「展望の丘」というのが正式名称。そちらは標高13.5メートル。ということで江戸川富士は丘より低い(^^ゞ
その江戸川富士の階段を上って頂上まで行っても、こんな彫像以外は、特に何もなく見晴らしのいい景色が広がっているだけ。まあ気持ちのいい場所なことは確か。
富士山を下って公園の奥に進む。
動物が集まってミーティングしている。
自分も仲間だと思っているらしい(^^ゞ
次の橋を渡ると富士公園を抜けてフラワーガーデンに入る。
バラを感じさせる通路が続く。
もちろんまだ咲いていない。(この日は4月15日)
そしてなぜかチューリップが1本だけ。
意外性を狙った? なにかの手違い? どちらだろう。
ところでデイジーとマーガレットとの違いがいつもわからない。ツバキとサザンカのように他にも似ている花はいろいろあるが、それなりに区別のポイントというものがある(それを覚えられるかどうかは別として)。
しかしデイジーとマーガレットについては、明確なポイントがなさそうなのである。それで名前の雰囲気から元気そうならデイジー、優しい感じがしたらマーガレットというのが私のナゾ基準。日が当たっているかどうかで印象が決まってしまうという気もするが。
そういうわけでこれはデイジー。
フラワーガーデンというのはバラ園のことらしい。
これがその入り口。
その脇にキミドリの新緑と、白&ピンクのツツジが配色よく並んでいる。
展望の丘の左側にもこの系統のツツジがあったが、こちらのほうが状態がよかった。
紅白が混じる源平咲きはよくある咲き方以外に、
ラインが1本入る珍しいパターンも。
バラ園を見下ろす位置に藤棚。ここ以外にも藤棚はいくつかあった。藤は美しいし背景の新緑と青空にも目を奪われるね。
藤棚の位置からバラ園を見下ろす。
いずれバラの季節も見に来ましょう。
ところで写真に高圧線が写っている。他の写真にも電線が写り込んでいるものが多いことに気がついたかも知れない。
実はこの総合レクリエーション公園は、高圧線沿いに造られた東西3キロに渡る公園や広場やグランドの集合体。総面積は24ヘクタール。高圧線の下は建築が禁止や制限される=使い道があまりないので、東京電力が江戸川区にその土地を提供して公園ができたようだ。
フラワーガーデンには噴水がたくさんあった。それで噴水といえばシャッタースピードを早くして水しぶきを止めた写真。これが私の水遊びみたいなもの。
これはメインの噴水が出ていなかったので水がこぼれ落ちるところを。
この水流ではなく細かな水滴が出るタイプは手強かった。
いろいろなところを狙ってみたが思ったような結果は得られず。
でも虹が写ったのでヨシとしよう。
これが最後の噴水。
もうアップは飽きたので全体写真だけ。
道路を渡ったバス停から。
この後ろ側にも公園は続いているがこの日はここで終了。ツツジと藤とポニーと噴水が見られて楽しいお散歩でした。さて次は5月11日までの予定となっている緊急事態宣言を睨みながら、バラをどこに見に行くか思案中。
おしまい
来た時とは逆方向に富士見橋を渡って隣の富士公園に移る。
富士公園に入ると、こんな階段がある。
さて、どうして橋は富士見橋なのに、
公園は富士「見」公園ではなく富士公園なのか?
それはこの階段で上る小さな盛り上がりこそが富士山だから!
標高11メートルで名付けて江戸川富士。富士見橋はこの江戸川富士を見るためのものという設定のネーミング。ついでにいうとなぎさ公園でツツジが植えられていた場所を「芝生の小山」と書いたが「展望の丘」というのが正式名称。そちらは標高13.5メートル。ということで江戸川富士は丘より低い(^^ゞ
その江戸川富士の階段を上って頂上まで行っても、こんな彫像以外は、特に何もなく見晴らしのいい景色が広がっているだけ。まあ気持ちのいい場所なことは確か。
富士山を下って公園の奥に進む。
動物が集まってミーティングしている。
自分も仲間だと思っているらしい(^^ゞ
次の橋を渡ると富士公園を抜けてフラワーガーデンに入る。
バラを感じさせる通路が続く。
もちろんまだ咲いていない。(この日は4月15日)
そしてなぜかチューリップが1本だけ。
意外性を狙った? なにかの手違い? どちらだろう。
ところでデイジーとマーガレットとの違いがいつもわからない。ツバキとサザンカのように他にも似ている花はいろいろあるが、それなりに区別のポイントというものがある(それを覚えられるかどうかは別として)。
しかしデイジーとマーガレットについては、明確なポイントがなさそうなのである。それで名前の雰囲気から元気そうならデイジー、優しい感じがしたらマーガレットというのが私のナゾ基準。日が当たっているかどうかで印象が決まってしまうという気もするが。
そういうわけでこれはデイジー。
フラワーガーデンというのはバラ園のことらしい。
これがその入り口。
その脇にキミドリの新緑と、白&ピンクのツツジが配色よく並んでいる。
展望の丘の左側にもこの系統のツツジがあったが、こちらのほうが状態がよかった。
紅白が混じる源平咲きはよくある咲き方以外に、
ラインが1本入る珍しいパターンも。
バラ園を見下ろす位置に藤棚。ここ以外にも藤棚はいくつかあった。藤は美しいし背景の新緑と青空にも目を奪われるね。
藤棚の位置からバラ園を見下ろす。
いずれバラの季節も見に来ましょう。
ところで写真に高圧線が写っている。他の写真にも電線が写り込んでいるものが多いことに気がついたかも知れない。
実はこの総合レクリエーション公園は、高圧線沿いに造られた東西3キロに渡る公園や広場やグランドの集合体。総面積は24ヘクタール。高圧線の下は建築が禁止や制限される=使い道があまりないので、東京電力が江戸川区にその土地を提供して公園ができたようだ。
フラワーガーデンには噴水がたくさんあった。それで噴水といえばシャッタースピードを早くして水しぶきを止めた写真。これが私の水遊びみたいなもの。
これはメインの噴水が出ていなかったので水がこぼれ落ちるところを。
この水流ではなく細かな水滴が出るタイプは手強かった。
いろいろなところを狙ってみたが思ったような結果は得られず。
でも虹が写ったのでヨシとしよう。
これが最後の噴水。
もうアップは飽きたので全体写真だけ。
道路を渡ったバス停から。
この後ろ側にも公園は続いているがこの日はここで終了。ツツジと藤とポニーと噴水が見られて楽しいお散歩でした。さて次は5月11日までの予定となっている緊急事態宣言を睨みながら、バラをどこに見に行くか思案中。
おしまい
2021年04月25日
なぎさ公園(江戸川区)でツツジ その2 &ポニーランド
どんな花も明るい日差しで見たほうがキレイに映えるものだが、
特にツツジは強い太陽光との相性がいい。
前回にも書いた低木剪定のところ。やっぱりイマイチ。公式ページによると「ツツジの絨毯」を意図したものらしいが企画倒れかな。ここにあるすべてのツツジが咲いていたらまた違った印象かも知れないが。
芝生の小山を下から見るとツツジの絨毯は左側に植えられている。
この写真ではわかりにくいが右側にもツツジがある。
右側のツツジはやさしい印象の配色。
けっこう傷んでいてアップに耐えられるものが少なかった。
再び外周通路に降りる。
もう一段降りて地面レベルからの眺め。
右見て左見ての写真を並べておくから、脳内で1枚に合成して広さをイメージして欲しい。区立の無料公園でこれだけの規模はなかなかご立派。55品種1万株が植えられている。
かなり小さな株が多いが、公園にこのツツジゾーンが設けられたのは2017年。あと5年もすれば密度やコンモリ感も増して格好がついてくるだろう。惜しむらくはこれが北東の斜面に造園されていること。ツツジ観賞には日差しが重要なのに。
ツツジ斜面の前にある藤棚。
満開だったけれどあまり香りはしなかったのが残念。
そしてツツジを見終えた後に向かったのは、すぐ隣にあるポニーランド。
子供達が見つめているのはポニーの運動?風景。
このポニーはかなり大きかった。
ちなみにポニーというのは馬の品種名ではなく、体高(肩の高さ)が147センチ以下の小型種の馬の総称。原付とか軽四のように区別を示すネーミング。なおサラブレッドなら体高は160〜170センチある。
日本の在来種は小さいのですべてポニーに分類される。戦国武将が乗っていたのはポニーだったなんてイメージが狂うね。武田の騎馬軍団と呼ばれるから強そうなのであって、それがポニー隊では(^^ゞ
通り過ぎる時に必ずカメラ目線をくれる賢いポニー。
もうひとつの馬場にいた前髪の可愛いこの子はプラムちゃん。
馬ヅラというと間抜けな顔つきのイメージになってしまうが、実際の馬の長い顔は何ともいえず愛くるしい。眺めていると癒やしの効果さえ感じる。加えて一攫千金も狙えるから競馬は人気があるんだろうな(^^ゞ
ーーー続く
特にツツジは強い太陽光との相性がいい。
前回にも書いた低木剪定のところ。やっぱりイマイチ。公式ページによると「ツツジの絨毯」を意図したものらしいが企画倒れかな。ここにあるすべてのツツジが咲いていたらまた違った印象かも知れないが。
芝生の小山を下から見るとツツジの絨毯は左側に植えられている。
この写真ではわかりにくいが右側にもツツジがある。
右側のツツジはやさしい印象の配色。
けっこう傷んでいてアップに耐えられるものが少なかった。
再び外周通路に降りる。
もう一段降りて地面レベルからの眺め。
右見て左見ての写真を並べておくから、脳内で1枚に合成して広さをイメージして欲しい。区立の無料公園でこれだけの規模はなかなかご立派。55品種1万株が植えられている。
かなり小さな株が多いが、公園にこのツツジゾーンが設けられたのは2017年。あと5年もすれば密度やコンモリ感も増して格好がついてくるだろう。惜しむらくはこれが北東の斜面に造園されていること。ツツジ観賞には日差しが重要なのに。
ツツジ斜面の前にある藤棚。
満開だったけれどあまり香りはしなかったのが残念。
そしてツツジを見終えた後に向かったのは、すぐ隣にあるポニーランド。
子供達が見つめているのはポニーの運動?風景。
このポニーはかなり大きかった。
ちなみにポニーというのは馬の品種名ではなく、体高(肩の高さ)が147センチ以下の小型種の馬の総称。原付とか軽四のように区別を示すネーミング。なおサラブレッドなら体高は160〜170センチある。
日本の在来種は小さいのですべてポニーに分類される。戦国武将が乗っていたのはポニーだったなんてイメージが狂うね。武田の騎馬軍団と呼ばれるから強そうなのであって、それがポニー隊では(^^ゞ
通り過ぎる時に必ずカメラ目線をくれる賢いポニー。
もうひとつの馬場にいた前髪の可愛いこの子はプラムちゃん。
馬ヅラというと間抜けな顔つきのイメージになってしまうが、実際の馬の長い顔は何ともいえず愛くるしい。眺めていると癒やしの効果さえ感じる。加えて一攫千金も狙えるから競馬は人気があるんだろうな(^^ゞ
ーーー続く
2021年04月24日
なぎさ公園(江戸川区)でツツジ
東京でツツジの見頃はゴールデンウイーク頃というのが相場。しかし今年はサクラが平年より12日も早く咲き出した気候に引っ張られたのか、ツツジも4月の半ばに最盛期を迎えた模様。例えば2019年には4月28日に訪れた根津神社。今年はもう花が痛んできたという理由で、ツツジ苑がなんと4月25日で閉鎖となる。
脱炭素という降って湧いたような社会・政策トレンドには少し懐疑的なのだが、それを別としても温暖化は確実に進行している。私の半生という時間タームで見れば、50年前にサクラというのは入学式に咲くものだったのが、今は卒業式の風物詩になっている。それと子供の頃に明日は35度というような天気予報はあり得なかった。
そんなこんなで今回は4月15日にツツジ花見。なぜか最近は墨田区・江東区・江戸川区といった東京の東南エリアに出かけることが多い。この江戸川区のなぎさ公園は河津桜もそこそこの規模で植えられており、実は2月に河津桜を見られる場所を探している時に旧中川と一緒に見つけた。河津桜は旧中川のほうがよさそうだったので、こちらはツツジにしたといういきさつ。
Googleの3Dマップだと東京東側の河川に囲まれた地形がよくわかる。なぎさ公園は旧江戸川の河口近くにあり、葛西臨海公園やディズニーランドもすぐそば。ちなみに江戸川あるいは旧江戸川より右側が千葉県になる。
東横線、日比谷線、東西線と乗り継ぎ葛西駅に到着。
ここまで自宅から1時間ほど。
東西線は東京の中野から大手町や日本橋といった都心を通って、千葉の西船橋までを結ぶ路線。東京メトロが運営する地下鉄なのであるが、実は路線の東側半分近くが地上を走っているという変わり種。この葛西駅も高架駅である。
バスターミナル。ここから都バスに乗る。
運行は1時間に3本だからちょっと不便。
終点のなぎさニュータウンで降りる。乗車時間は10分ほどだった。
なぎさ公園は江戸川区が総合レクリエーション公園として、このエリアに設けている公園のひとつ。ここでは富士公園、フラワーガーデンとつながっている。その先にもまだまだ公園は続いていて、葛西臨海公園(都立)もあるし、このあたりは公園が多くてうらやましい。
左側が富士公園で、道路を渡って右側がなぎさ公園なのだが、勘違いして左側に入ってしまう。だからこの橋を渡ってなぎさ公園に。
下から見ると歩道橋みたいだったが、かなり立派な橋だった。
橋の後ろに建っているのがなぎさニュータウン。なぎさニュータウンって名前はシャレているけれどただの団地だった(^^ゞ だいたいここは川沿いであって海じゃないから「なぎさ」というのは誇大ネーミング。まあ千葉にあっても東京ディズニーランドみたいなものか。
ニュータウンというのは1950年代から80年代までに開発されたものが多く、建物が老朽化したり住民も高齢化して「ニュータウンとはオールドタウン」となっているのが日本の住環境の皮肉。
このなぎさニュータウンの竣工は1977年から1980年だから、ニュータウンとしては新しい部類である(言葉の使い方がややこしいが)。葛西臨海公園などとセットで開発されたらしい。ただし5.8ヘクタールの敷地に全7棟で総戸数は1362というから規模的には小さくて、住宅開発分類としてのニュータウンに該当するかは微妙。該当しないとすれば「なぎさ」も「ニュータウン」も全部デタラメとなってしまうーーー
橋を渡ってなぎさ公園に降りる。新緑の黄緑が気持ちいい。
早くもツツジのお出迎え。
グランドが2つあったが、
コロナのせいでこんな表示が(涙)
ところで非常事態宣言が再度出されることが昨日に決まったが、なんと東京では禁酒法の時代になり夜間の灯火管制まで実施されるという噂。それでいてオリンピックの聖火リレーは絶賛開催中。オッチャンはもう知らん!!
経年変化で塗装がひび割れて趣の出た案内看板。またパノラマシャトルの文字は、割れ落ちた部分がフォントのデザインを崩していい味になっている。私もこういう風に朽ちていきたいものである(^^ゞ
とりあえず奥に進み、
外周通路のようなところに出た。ただしツツジの気配はなし。
そこで、ここから内側に入ってみると、
きれいな芝生の小山になっていた。
左側に赤いツツジがたくさん見えたので、
近寄ってみたところ、かなりの低木剪定でイマイチつまらない。
また照明のところで道も途切れていた。
仕方なく再び外周通路に降りて、
しばらく進むとようやくツツジ園ぽい雰囲気になってきた。
外周通路から斜面を見上げる。
これは先ほどの行き止まりになっていた低木剪定のところ。
小山のほうに上がる。
ツツジ越しに旧江戸川を眺められるポジション。
今度はツツジを見下ろして楽しむ。
ーーー続く
脱炭素という降って湧いたような社会・政策トレンドには少し懐疑的なのだが、それを別としても温暖化は確実に進行している。私の半生という時間タームで見れば、50年前にサクラというのは入学式に咲くものだったのが、今は卒業式の風物詩になっている。それと子供の頃に明日は35度というような天気予報はあり得なかった。
そんなこんなで今回は4月15日にツツジ花見。なぜか最近は墨田区・江東区・江戸川区といった東京の東南エリアに出かけることが多い。この江戸川区のなぎさ公園は河津桜もそこそこの規模で植えられており、実は2月に河津桜を見られる場所を探している時に旧中川と一緒に見つけた。河津桜は旧中川のほうがよさそうだったので、こちらはツツジにしたといういきさつ。
Googleの3Dマップだと東京東側の河川に囲まれた地形がよくわかる。なぎさ公園は旧江戸川の河口近くにあり、葛西臨海公園やディズニーランドもすぐそば。ちなみに江戸川あるいは旧江戸川より右側が千葉県になる。
東横線、日比谷線、東西線と乗り継ぎ葛西駅に到着。
ここまで自宅から1時間ほど。
東西線は東京の中野から大手町や日本橋といった都心を通って、千葉の西船橋までを結ぶ路線。東京メトロが運営する地下鉄なのであるが、実は路線の東側半分近くが地上を走っているという変わり種。この葛西駅も高架駅である。
バスターミナル。ここから都バスに乗る。
運行は1時間に3本だからちょっと不便。
終点のなぎさニュータウンで降りる。乗車時間は10分ほどだった。
なぎさ公園は江戸川区が総合レクリエーション公園として、このエリアに設けている公園のひとつ。ここでは富士公園、フラワーガーデンとつながっている。その先にもまだまだ公園は続いていて、葛西臨海公園(都立)もあるし、このあたりは公園が多くてうらやましい。
左側が富士公園で、道路を渡って右側がなぎさ公園なのだが、勘違いして左側に入ってしまう。だからこの橋を渡ってなぎさ公園に。
下から見ると歩道橋みたいだったが、かなり立派な橋だった。
橋の後ろに建っているのがなぎさニュータウン。なぎさニュータウンって名前はシャレているけれどただの団地だった(^^ゞ だいたいここは川沿いであって海じゃないから「なぎさ」というのは誇大ネーミング。まあ千葉にあっても東京ディズニーランドみたいなものか。
ニュータウンというのは1950年代から80年代までに開発されたものが多く、建物が老朽化したり住民も高齢化して「ニュータウンとはオールドタウン」となっているのが日本の住環境の皮肉。
このなぎさニュータウンの竣工は1977年から1980年だから、ニュータウンとしては新しい部類である(言葉の使い方がややこしいが)。葛西臨海公園などとセットで開発されたらしい。ただし5.8ヘクタールの敷地に全7棟で総戸数は1362というから規模的には小さくて、住宅開発分類としてのニュータウンに該当するかは微妙。該当しないとすれば「なぎさ」も「ニュータウン」も全部デタラメとなってしまうーーー
橋を渡ってなぎさ公園に降りる。新緑の黄緑が気持ちいい。
早くもツツジのお出迎え。
グランドが2つあったが、
コロナのせいでこんな表示が(涙)
ところで非常事態宣言が再度出されることが昨日に決まったが、なんと東京では禁酒法の時代になり夜間の灯火管制まで実施されるという噂。それでいてオリンピックの聖火リレーは絶賛開催中。オッチャンはもう知らん!!
経年変化で塗装がひび割れて趣の出た案内看板。またパノラマシャトルの文字は、割れ落ちた部分がフォントのデザインを崩していい味になっている。私もこういう風に朽ちていきたいものである(^^ゞ
とりあえず奥に進み、
外周通路のようなところに出た。ただしツツジの気配はなし。
そこで、ここから内側に入ってみると、
きれいな芝生の小山になっていた。
左側に赤いツツジがたくさん見えたので、
近寄ってみたところ、かなりの低木剪定でイマイチつまらない。
また照明のところで道も途切れていた。
仕方なく再び外周通路に降りて、
しばらく進むとようやくツツジ園ぽい雰囲気になってきた。
外周通路から斜面を見上げる。
これは先ほどの行き止まりになっていた低木剪定のところ。
小山のほうに上がる。
ツツジ越しに旧江戸川を眺められるポジション。
今度はツツジを見下ろして楽しむ。
ーーー続く
2021年04月19日
日比谷公園で藤とツツジと芝刈りロボット
ネモフィラとチューリップの背後に、
白い花がきれいに咲いている木があった。
それは「♫ 君と好きな人が百年続きますように〜」のハナミズキ。
実はここ最近やたらJ-POPのカバーアルバムを聴いている。それで一青窈(ひととよう)のハナミズキはもっとも多くの歌手にカバーされている曲のひとつなことがわかった。そんな話はいずれそのうち。
ここはツツジとハナミズキのエリアであるが、
4月7日の時点ではそれほど咲いていなかった。
公園内を移動。
これは昨年にイエローオータムを見たイチョウ並木。
「木陰」がイイ感じだったのだけれど、
写真に撮ってみると、普通にちょっと暗いだけなのがツライ(/o\)
やってきたのは雲形池。
公式ホームページによると、この鶴は日本で3番目に古い噴水らしい。
じゃ1番と2番はどこ?と調べてみると
京都の仙洞御所:17世紀 ただし存在の証拠なし
金沢の兼六園:1861年(明治維新が1868年)
上野公園:1877年(明治10年)
長崎公園:1878年(明治11年)
大阪の箕面公園:1898年(明治31年)現存せず
あたりがネットで得られた情報。雲形池の噴水ができたのは1903年と1905年(明治36年と38年)の2つの説がある。いずれにせよ京都御所のを除いたとしても5番目なのだけど。それとなぜか長崎公園の噴水が日本で最初と断定している情報も多かった。何かと謎多き噴水の歴史である。
雲形池にやってきたのは噴水を見るためではなく、ここには藤棚があるから。
でもまだあまり育っていなかった。
ほとんど棚から垂れ下がらず。
そして甘い香りもしない。だからなのか藤の花につきものの蜂もいない。
ただし藤棚の後ろにはツツジが植えられていて、
先ほどのエリアよりはたくさん咲いていた。
出口に向かう途中にある第一花壇。前回にも書いたように日比谷公園の花壇とは芝生広場で、花は片隅にある程度。
キレイに咲いている一角があって、あれはスミレかパンジーかビオラのどちらだろうと思っていたら(この3つの見分けは難しい)、品種を書いた標識のようなものが見えた。
近づいてみると、
宣伝かい!
ところで芝生広場でこんなものを見つけた。
この状況から推測すると、これは掃除ロボットのルンバのように、自動で芝刈りをしてこの場所に充電のために戻ってくる芝刈りロボットのようだった。
なんとホンダ製。ロゴが切り文字の貼り付けだから試作機らしい。
調べてみると、今年の夏から発売とのこと。そのうちこれが公園やゴルフ場で芝刈りしながら走っている姿を見るのかな。ちょっとSFぽいかも。
ホームページは https://www.honda.co.jp/lawn-garden/miimo/index.html
最後に心字池でしばらく鴨を眺めてから退出。
1時間半くらいの花散歩でした。
おしまい
白い花がきれいに咲いている木があった。
それは「♫ 君と好きな人が百年続きますように〜」のハナミズキ。
実はここ最近やたらJ-POPのカバーアルバムを聴いている。それで一青窈(ひととよう)のハナミズキはもっとも多くの歌手にカバーされている曲のひとつなことがわかった。そんな話はいずれそのうち。
ここはツツジとハナミズキのエリアであるが、
4月7日の時点ではそれほど咲いていなかった。
公園内を移動。
これは昨年にイエローオータムを見たイチョウ並木。
「木陰」がイイ感じだったのだけれど、
写真に撮ってみると、普通にちょっと暗いだけなのがツライ(/o\)
やってきたのは雲形池。
公式ホームページによると、この鶴は日本で3番目に古い噴水らしい。
じゃ1番と2番はどこ?と調べてみると
京都の仙洞御所:17世紀 ただし存在の証拠なし
金沢の兼六園:1861年(明治維新が1868年)
上野公園:1877年(明治10年)
長崎公園:1878年(明治11年)
大阪の箕面公園:1898年(明治31年)現存せず
あたりがネットで得られた情報。雲形池の噴水ができたのは1903年と1905年(明治36年と38年)の2つの説がある。いずれにせよ京都御所のを除いたとしても5番目なのだけど。それとなぜか長崎公園の噴水が日本で最初と断定している情報も多かった。何かと謎多き噴水の歴史である。
雲形池にやってきたのは噴水を見るためではなく、ここには藤棚があるから。
でもまだあまり育っていなかった。
ほとんど棚から垂れ下がらず。
そして甘い香りもしない。だからなのか藤の花につきものの蜂もいない。
ただし藤棚の後ろにはツツジが植えられていて、
先ほどのエリアよりはたくさん咲いていた。
出口に向かう途中にある第一花壇。前回にも書いたように日比谷公園の花壇とは芝生広場で、花は片隅にある程度。
キレイに咲いている一角があって、あれはスミレかパンジーかビオラのどちらだろうと思っていたら(この3つの見分けは難しい)、品種を書いた標識のようなものが見えた。
近づいてみると、
宣伝かい!
ところで芝生広場でこんなものを見つけた。
この状況から推測すると、これは掃除ロボットのルンバのように、自動で芝刈りをしてこの場所に充電のために戻ってくる芝刈りロボットのようだった。
なんとホンダ製。ロゴが切り文字の貼り付けだから試作機らしい。
調べてみると、今年の夏から発売とのこと。そのうちこれが公園やゴルフ場で芝刈りしながら走っている姿を見るのかな。ちょっとSFぽいかも。
ホームページは https://www.honda.co.jp/lawn-garden/miimo/index.html
最後に心字池でしばらく鴨を眺めてから退出。
1時間半くらいの花散歩でした。
おしまい
2021年04月18日
日比谷公園でネモフィラとチューリップ その2
こちらが日比谷公園のチューリップ。自宅でのチューリップ開花ピークは3月30日から4月5日あたりまでだった。この日は4月7日なので黄色に傷んでいる株も多かったが、全体的にはまだ充分に楽しめた状態。
ベランダでは望めないボリューム感は堪能できるが、
なぜにこの3色しかない? ♫ ならんだ ならんだ 赤・白・黄色〜がチューリップの基本であるとしても、ちょっと物足りないゾ。
数株だけこんな色のが混ざっていたが、
これは違う色の品種というより球根を育成する過程での奇形だろう。
ここまでの写真はすべて順光(太陽を背にして)で撮ったもの。
でもチューリップはこのように逆光のほうがきれいに写る場合が多い。
ドヤ!
太陽光が透けてチューリップが輝いているように見える。
これはこれで色のバランスはいいけれど、やはり他の色も植えて欲しい。チューリップで赤・白・黄色以外に、単色で一般的なのはピンク・紫・オレンジ。黒に近いのもあるが、花全体が青や緑になるものはない(たぶん)。
チューリップの先にネモフィラがもう1面あった。
大きな木の下に植えられているので木漏れ日的な影がいい感じ。
チューリップは逆光がきれいなのだからネモフィラではどうかと試みてみたが。
ネモフィラは太陽の方向を向くので、逆光で花が咲いているところを上手く捉えられない。それとチューリップと光の透け方が違うようで、あまり輝いている感じにはならなかった。
これでは斜め逆光くらい。
ネモフィラを前景にしてのチューリップ。
ネモフィラとチューリップの隣には第二花壇と呼ばれる芝生広場がある。日比谷公園において花壇というのは芝生広場を意味する。花が植えられている本来の意味での花壇は、その広場の片隅に付属している程度である。
日比谷公園の皆さん聞こえますか? そんな公園のしきたりは無視して、
来年はこの広い芝生広場にチューリップを植えるのです。そしてネモフィラと
チューリップは場所を分けずに一体化させましょう。そうすればリピーターも
呼べる名所になること間違いなしです。下記のリンクでイメージを頭に叩き込んだら
今から準備を始めるのです(^_^)
https://pds.exblog.jp/pds/1/201404/29/42/b0299042_2123957.jpg
http://small-life.com/images/blog/15041620/06.jpg
https://yokokanno.com/jazz-leica/wp-content/uploads/2019/04/01.jpg
ところで上の写真で中央にあるのは前回の投稿でも書いたように帝国ホテル。その右側に建っているガラス張りのビルは日比谷U-1ビルという。元の名前は大和生命ビルで、大和生命が2007年に破綻してから、何度か持ち主が変わって現在の名前になった。
それはさておき、その場所が鹿鳴館の敷地だったことはあまり知られていない。夜ごとに華々しく舞踏会が繰り広げられた、いわゆる鹿鳴館時代は1883年(明治16年)から1887年(明治20年)までと案外短く、その後は建物がいろいろな用途に転用されて、1940年(昭和15年)に取り壊された。
帝国ホテルの建て替えのことを前回に書いたが、それはホテルだけではなく近隣ビル群を含めた再開発プロジェクト。どうやらこの日比谷U-1ビルも含まれているらしい。建築家フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル旧本館、そして鹿鳴館が一部に再現されたような街作りになるといいなあ。
ーーー続く
ベランダでは望めないボリューム感は堪能できるが、
なぜにこの3色しかない? ♫ ならんだ ならんだ 赤・白・黄色〜がチューリップの基本であるとしても、ちょっと物足りないゾ。
数株だけこんな色のが混ざっていたが、
これは違う色の品種というより球根を育成する過程での奇形だろう。
ここまでの写真はすべて順光(太陽を背にして)で撮ったもの。
でもチューリップはこのように逆光のほうがきれいに写る場合が多い。
ドヤ!
太陽光が透けてチューリップが輝いているように見える。
これはこれで色のバランスはいいけれど、やはり他の色も植えて欲しい。チューリップで赤・白・黄色以外に、単色で一般的なのはピンク・紫・オレンジ。黒に近いのもあるが、花全体が青や緑になるものはない(たぶん)。
チューリップの先にネモフィラがもう1面あった。
大きな木の下に植えられているので木漏れ日的な影がいい感じ。
チューリップは逆光がきれいなのだからネモフィラではどうかと試みてみたが。
ネモフィラは太陽の方向を向くので、逆光で花が咲いているところを上手く捉えられない。それとチューリップと光の透け方が違うようで、あまり輝いている感じにはならなかった。
これでは斜め逆光くらい。
ネモフィラを前景にしてのチューリップ。
ネモフィラとチューリップの隣には第二花壇と呼ばれる芝生広場がある。日比谷公園において花壇というのは芝生広場を意味する。花が植えられている本来の意味での花壇は、その広場の片隅に付属している程度である。
日比谷公園の皆さん聞こえますか? そんな公園のしきたりは無視して、
来年はこの広い芝生広場にチューリップを植えるのです。そしてネモフィラと
チューリップは場所を分けずに一体化させましょう。そうすればリピーターも
呼べる名所になること間違いなしです。下記のリンクでイメージを頭に叩き込んだら
今から準備を始めるのです(^_^)
https://pds.exblog.jp/pds/1/201404/29/42/b0299042_2123957.jpg
http://small-life.com/images/blog/15041620/06.jpg
https://yokokanno.com/jazz-leica/wp-content/uploads/2019/04/01.jpg
ところで上の写真で中央にあるのは前回の投稿でも書いたように帝国ホテル。その右側に建っているガラス張りのビルは日比谷U-1ビルという。元の名前は大和生命ビルで、大和生命が2007年に破綻してから、何度か持ち主が変わって現在の名前になった。
それはさておき、その場所が鹿鳴館の敷地だったことはあまり知られていない。夜ごとに華々しく舞踏会が繰り広げられた、いわゆる鹿鳴館時代は1883年(明治16年)から1887年(明治20年)までと案外短く、その後は建物がいろいろな用途に転用されて、1940年(昭和15年)に取り壊された。
帝国ホテルの建て替えのことを前回に書いたが、それはホテルだけではなく近隣ビル群を含めた再開発プロジェクト。どうやらこの日比谷U-1ビルも含まれているらしい。建築家フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル旧本館、そして鹿鳴館が一部に再現されたような街作りになるといいなあ。
ーーー続く
2021年04月17日
日比谷公園でネモフィラとチューリップ
銀座方面へ出かけたついでに日比谷公園でネモフィラとチューリップを見てきた。ちなみに地下鉄で日比谷は銀座の隣駅。訪れたのは4月7日である。
日比谷の交差点。
丸の内方向に見る皇居のお堀。
この光景は東京の中でも抜群に美しい。
霞ヶ関方向。
お堀の主みたいなヤツがいた。
こちらが日比谷公園。
銀座方面を眺めながら交差点を渡る。
この場所が国道1号線という認識はあまりないなあ。
日比谷公園に入る。
皇居と日比谷公園の位置関係ね。
入ったのは案内図の右上・現在地にある有楽門。有楽町に一番近いからその名前なのだろう。ネモフィラとチューリップは公園のほぼ中央、第二花壇の左側にある。
有楽門を入ってすぐのところにある小径。昨年の12月にはここで紅葉を見た。
右側の石垣で高くなっているところを登ると、
心字池を上から眺められる。
心字池とは「心」の文字を形取った池で日本庭園でよく見られる。しかし以前にその形を調べたら驚愕の事実を発見した(ちょっと大げさ)。
奥に進んで石垣から降りるとツバキが咲いていた。
ツバキって冬のイメージがあるが、品種によっては春遅くまで咲いている。
でもこんな明るい雰囲気はあまりに合わないかも。
噴水広場に到着。
噴水があればシャッタースピードを速めて、しぶきの一瞬を捉えないと気が済まない。
噴水の右側に建っているのが帝国ホテル本館で、
その後ろの少し背の高いビルがタワー館。
タワー館を2024〜30年、本館は2031〜36年の予定で建て替えることが3月25日に発表された。本館の竣工は1970年、タワー館は1983年である。それぞれ51年と35年前。このクラスのホテルでさえそうなんだから、日本の建築物の寿命って本当に短いね。
噴水のすぐ隣にネモフィラ。
ネモフィラを見るのは2年ぶりかな。可憐を絵に描いたような姿をしている。ここの規模はたいしたことないけれど、都心で見られるだけで儲けものと考えましょう。
雄しべの先が黒い点になっていて、風に揺れるとそれが目や口に見えて、ネモフィラが喋ったり笑っているように思える時がある。長く見つめていると危険な花(^^ゞ
ネモフィラの隣にチューリップが続いている。
ーーー続く
日比谷の交差点。
丸の内方向に見る皇居のお堀。
この光景は東京の中でも抜群に美しい。
霞ヶ関方向。
お堀の主みたいなヤツがいた。
こちらが日比谷公園。
銀座方面を眺めながら交差点を渡る。
この場所が国道1号線という認識はあまりないなあ。
日比谷公園に入る。
皇居と日比谷公園の位置関係ね。
入ったのは案内図の右上・現在地にある有楽門。有楽町に一番近いからその名前なのだろう。ネモフィラとチューリップは公園のほぼ中央、第二花壇の左側にある。
有楽門を入ってすぐのところにある小径。昨年の12月にはここで紅葉を見た。
右側の石垣で高くなっているところを登ると、
心字池を上から眺められる。
心字池とは「心」の文字を形取った池で日本庭園でよく見られる。しかし以前にその形を調べたら驚愕の事実を発見した(ちょっと大げさ)。
奥に進んで石垣から降りるとツバキが咲いていた。
ツバキって冬のイメージがあるが、品種によっては春遅くまで咲いている。
でもこんな明るい雰囲気はあまりに合わないかも。
噴水広場に到着。
噴水があればシャッタースピードを速めて、しぶきの一瞬を捉えないと気が済まない。
噴水の右側に建っているのが帝国ホテル本館で、
その後ろの少し背の高いビルがタワー館。
タワー館を2024〜30年、本館は2031〜36年の予定で建て替えることが3月25日に発表された。本館の竣工は1970年、タワー館は1983年である。それぞれ51年と35年前。このクラスのホテルでさえそうなんだから、日本の建築物の寿命って本当に短いね。
噴水のすぐ隣にネモフィラ。
ネモフィラを見るのは2年ぶりかな。可憐を絵に描いたような姿をしている。ここの規模はたいしたことないけれど、都心で見られるだけで儲けものと考えましょう。
雄しべの先が黒い点になっていて、風に揺れるとそれが目や口に見えて、ネモフィラが喋ったり笑っているように思える時がある。長く見つめていると危険な花(^^ゞ
ネモフィラの隣にチューリップが続いている。
ーーー続く
2021年04月15日
ラスト花見は目黒川 その2
もう何度も見ているとはいえ、川に掛かるサクラはやはり美しい。
この大きな用水路のようなものを川と呼ぶのには少し抵抗があるが。
まさにサクラのアーチと呼ぶのにふさわしい光景。
一寸法師になってお椀の船でドンブラコしたい(^^ゞ
iPhone12 miniには35mm(フィルム)換算で、26mmの広角レンズと14mmの超広角レンズが備わっている。35mm換算の説明は省略するがレンズの数字(焦点距離を示している)が小さいほど広い範囲が写る。広角レンズの反対が望遠レンズね。14mmというのはカメラ的には相当に広角で、一昔前ならかなりのカメラマニアでないと持っていないようなスペック。
同じ場所からレンズを切り替えて撮影してみる。
26mmの広角レンズ
14mmの超広角レンズ
カメラレンズというのは原則として、中央部分がもっとも忠実に被写体を捉え、画面の隅に行くほど変形して写る。その傾向は広角レンズになるほど顕著。14mmで撮影した写真を見ると特に左側中段で桜の花がかなり横長になっている。また左右とも画面上段はかなりボヤけている印象。
デジカメで使っている35mm換算15mm〜36mmの広角ズームレンズでは、ここまでのアラは出ないからスマホとはまだかなり性能の違いがある。とは言っても、パッと見ではそんな変形まで目がいかないし、14mmの超広角ならではの迫力ある風景をスマホで撮れるのだから便利になったものである。あと5世代くらいで一眼やミラーレスといった高級デジカメにスマホは追いつくんじゃないかな。
目黒川の特徴は売店がオシャレなこと。
ラムチョップを売っているサクラ名所なんてヨソにないでしょ?
いわゆる屋台スタイルと、花見の期間だけ改装して対応する店舗がある。
それでサクラを背景にバエる写真を撮ろうと工夫する女子。
服も桜色を意識しているのかな。
青空多めで再び26mmと14mm。
iPhone12 Proなら望遠レンズもついているのだけれど。
でもこうしてトリミングすればとりあえずは拡大できるし(^^ゞ
これにてサクラだけで9ヶ所、ウメも含めれば13ヶ所におよんだ “花活” は終了。
来年はマスクなしで見られますように!
この大きな用水路のようなものを川と呼ぶのには少し抵抗があるが。
まさにサクラのアーチと呼ぶのにふさわしい光景。
一寸法師になってお椀の船でドンブラコしたい(^^ゞ
iPhone12 miniには35mm(フィルム)換算で、26mmの広角レンズと14mmの超広角レンズが備わっている。35mm換算の説明は省略するがレンズの数字(焦点距離を示している)が小さいほど広い範囲が写る。広角レンズの反対が望遠レンズね。14mmというのはカメラ的には相当に広角で、一昔前ならかなりのカメラマニアでないと持っていないようなスペック。
同じ場所からレンズを切り替えて撮影してみる。
26mmの広角レンズ
14mmの超広角レンズ
カメラレンズというのは原則として、中央部分がもっとも忠実に被写体を捉え、画面の隅に行くほど変形して写る。その傾向は広角レンズになるほど顕著。14mmで撮影した写真を見ると特に左側中段で桜の花がかなり横長になっている。また左右とも画面上段はかなりボヤけている印象。
デジカメで使っている35mm換算15mm〜36mmの広角ズームレンズでは、ここまでのアラは出ないからスマホとはまだかなり性能の違いがある。とは言っても、パッと見ではそんな変形まで目がいかないし、14mmの超広角ならではの迫力ある風景をスマホで撮れるのだから便利になったものである。あと5世代くらいで一眼やミラーレスといった高級デジカメにスマホは追いつくんじゃないかな。
目黒川の特徴は売店がオシャレなこと。
ラムチョップを売っているサクラ名所なんてヨソにないでしょ?
いわゆる屋台スタイルと、花見の期間だけ改装して対応する店舗がある。
それでサクラを背景にバエる写真を撮ろうと工夫する女子。
服も桜色を意識しているのかな。
青空多めで再び26mmと14mm。
iPhone12 Proなら望遠レンズもついているのだけれど。
でもこうしてトリミングすればとりあえずは拡大できるし(^^ゞ
これにてサクラだけで9ヶ所、ウメも含めれば13ヶ所におよんだ “花活” は終了。
来年はマスクなしで見られますように!
2021年04月14日
ラスト花見は目黒川
今年最後のサクラ花見は目黒川。
それにしても今年は2月20日の羽根木公園を皮切りに
ウメ 4ヶ所 羽根木公園・隅田公園・香取神社・亀戸天神
河津桜 2ヶ所 林試の森・旧中川
しだれ桜 2ヶ所 東郷寺・大國魂神社
ソメイヨシノ 5ヶ所 芝公園・林試の森・かむろ坂・本門寺・目黒川
と合計13ヶ所もウメやサクラを見て回ったことになる。その数だけを考えればビックリするけれど、1日に複数の場所に行くことのほうが多いから、日数で数えれば8日である。やっぱり多いか(^^ゞ でも毎年これくらいのペースで見続けたい。
訪れたのは3月29日。すでに2週間ちょっと前になってしまったが、なかなかブログがリアルタイムの生活に追いつかない。
当初、目黒川のサクラを見に行く予定はなかった。
それなのに気が変わったのはーーー
1)
3月26日に訪れた池上本門寺は、五重塔や力道山の墓はよかったものの、サクラ的には少し物足りなかった。それに途中で空も曇ってしまい景色としても冴えなかった。だからここをシメにしたくないなという気持ちがどこかにあった。
2)
今年のソメイヨシノ花見はサクラのアーチをテーマにしたことは何度か書いた。そのテーマで最初に思い浮かんだのが実は目黒川である。それなのに選ばなかったのは、ここには平均すれば3年に1度は訪れていて少し飽きていたのと、東京でおそらくトップ3に入る人気花見スポットなので大混雑するからコロナを警戒して。
しかしである。前日28日の日曜日、つまり東京で満開を見られる最後の週末にニュースで目黒川の花見風景を報じていた。そして実況のアナウンサーは「コロナなのに多くの人が」と批判的な口調だったが、映像を見ると例年の混雑具合と較べてかなり人が少なかったのである。日曜日でこの程度なら平日は大丈夫かと。
3)
東横線に乗ると、中目黒駅の少し先あるいは手前で目黒川のサクラが一瞬だけ目に入る。この日も出掛けに電車の中からサクラを見て「やっぱり目黒川はいいなあ」と思い、そして予定より早く帰ってきたので、気がついたら中目黒駅で降りていたというしだい。
つい出来心の中目黒駅(^^ゞ
花見は自粛と呼びかけているが、その下にマスクしろソーシャルディスタンス取れ、食べ歩きはやめろとか花見前提の注意書き。本音と建て前の使い分けが難しい日本のコミュニケーション。
駅の改札を出て山手通りを渡る。ここで見ると人は多いが、ここから徐々に川沿いに分散していくのだからと都合よく解釈する(^^ゞ
この場所での混雑度合いは例年の平日の1/3程度かな。
駅からまっすぐ来たところにある日の出橋。
ここからのサクラ風景はあまりよくないので、川沿いのサクラを眺めながら上流側に移動する。この日は花見に来るつもりはなかったから撮影はiPhone。
目黒川は川の両サイドに片側通行の道路があるだけで、お弁当を広げたり宴会をするような場所はない。歩きながらサクラを眺めるのがここのスタイル。それでもわずかなスペースで強引に宴会する人はいるが、それもコロナで封じられてしまった。
そのおかげで残った花びら絨毯。
東京でサクラが満開と発表されたのは3月22日。それから1週間経っているから、少し葉も出始めて、満開マイナス20%くらいの花数だったかな。
ーーー続く
それにしても今年は2月20日の羽根木公園を皮切りに
ウメ 4ヶ所 羽根木公園・隅田公園・香取神社・亀戸天神
河津桜 2ヶ所 林試の森・旧中川
しだれ桜 2ヶ所 東郷寺・大國魂神社
ソメイヨシノ 5ヶ所 芝公園・林試の森・かむろ坂・本門寺・目黒川
と合計13ヶ所もウメやサクラを見て回ったことになる。その数だけを考えればビックリするけれど、1日に複数の場所に行くことのほうが多いから、日数で数えれば8日である。やっぱり多いか(^^ゞ でも毎年これくらいのペースで見続けたい。
訪れたのは3月29日。すでに2週間ちょっと前になってしまったが、なかなかブログがリアルタイムの生活に追いつかない。
当初、目黒川のサクラを見に行く予定はなかった。
それなのに気が変わったのはーーー
1)
3月26日に訪れた池上本門寺は、五重塔や力道山の墓はよかったものの、サクラ的には少し物足りなかった。それに途中で空も曇ってしまい景色としても冴えなかった。だからここをシメにしたくないなという気持ちがどこかにあった。
2)
今年のソメイヨシノ花見はサクラのアーチをテーマにしたことは何度か書いた。そのテーマで最初に思い浮かんだのが実は目黒川である。それなのに選ばなかったのは、ここには平均すれば3年に1度は訪れていて少し飽きていたのと、東京でおそらくトップ3に入る人気花見スポットなので大混雑するからコロナを警戒して。
しかしである。前日28日の日曜日、つまり東京で満開を見られる最後の週末にニュースで目黒川の花見風景を報じていた。そして実況のアナウンサーは「コロナなのに多くの人が」と批判的な口調だったが、映像を見ると例年の混雑具合と較べてかなり人が少なかったのである。日曜日でこの程度なら平日は大丈夫かと。
3)
東横線に乗ると、中目黒駅の少し先あるいは手前で目黒川のサクラが一瞬だけ目に入る。この日も出掛けに電車の中からサクラを見て「やっぱり目黒川はいいなあ」と思い、そして予定より早く帰ってきたので、気がついたら中目黒駅で降りていたというしだい。
つい出来心の中目黒駅(^^ゞ
花見は自粛と呼びかけているが、その下にマスクしろソーシャルディスタンス取れ、食べ歩きはやめろとか花見前提の注意書き。本音と建て前の使い分けが難しい日本のコミュニケーション。
駅の改札を出て山手通りを渡る。ここで見ると人は多いが、ここから徐々に川沿いに分散していくのだからと都合よく解釈する(^^ゞ
この場所での混雑度合いは例年の平日の1/3程度かな。
駅からまっすぐ来たところにある日の出橋。
ここからのサクラ風景はあまりよくないので、川沿いのサクラを眺めながら上流側に移動する。この日は花見に来るつもりはなかったから撮影はiPhone。
目黒川は川の両サイドに片側通行の道路があるだけで、お弁当を広げたり宴会をするような場所はない。歩きながらサクラを眺めるのがここのスタイル。それでもわずかなスペースで強引に宴会する人はいるが、それもコロナで封じられてしまった。
そのおかげで残った花びら絨毯。
東京でサクラが満開と発表されたのは3月22日。それから1週間経っているから、少し葉も出始めて、満開マイナス20%くらいの花数だったかな。
ーーー続く
2021年04月13日
2021年チューリップの答え合わせ
ベランダのチューリップは既に終盤突入の雰囲気となってきた。今年のピークは3月30日から4月5日あたりまでだったかな。開花率は全部が咲き終わってから摘み取った茎を数えないとわからないが、印象として6割は超えたと思う。満開感はあと一歩足りなかったものの、そこそこ楽しめたシーズンだった。
4月2日の写真。
さて
これから咲く花はもうないので、今回は球根の商品カタログと照らし合わせて、どれが咲いたかの答え合わせ。植えたのは21品種で合計185球。
「クリームアップスター」
見本とはかなり違うし八重咲きでもない。しかし黄色に赤がわずかに入るのはこれしかなかったので、これをクリームアップスターと強引認定。ただし1つしか咲かなかった(怒)
「プリティウーマン」
「ビューティートレンド」
「パープルプリンス」
普通球のムラサキとの違いを判別できないが、初期に咲いたこちらがパープルプリンスなのだと思う。
「サンネ」
色の濃さがかなり違うがーーー
「アプリコットビューティー」
これも見本とは色が違うが、この色の系統で消去法で当てはめるとこれになる。もっとも色的にはカタログ写真より、こちらのほうがアプリコット(あんず)に近い。
「アンジェリケ」
色は近いが見本は八重咲きなので、これはアンジェリケじゃないかも知れない。
しかし、だったらこれは何なのだという疑問がーーー。
「ストロングゴールド」
パープルプリンスと同じく普通球の黄色との違いを判別できない。黄色はたくさん咲いたから、とりあえずストロングゴールドも咲いたことは間違いない。
「ロココ」
この色と形の花は咲いていないゾ(激怒)
「フレーミングパロット」
植えた数だけ咲いたけれど、すべて茎が伸びずに低い位置で咲いたーーーというより力なく開いた。また6球のうち半分は黄色の色が抜けて白っぽい。そんなこんなで、この品種のゴージャスさを楽しめず。
「フラッシュポイント」
普通はツボミの段階で花の色がわかるものだが、このフラッシュポイントまさかの大変化。花弁の一部にツボミの時の面影が残っているのがわかると思う。
開花した後は、すぐにガバーッと開ききってしまうので、キレイに咲いているのは2日間程度。ただしこの状態になってからは長持ちする。
「バレリーナ」
オレンジ系は期待していたのに、2つしか咲かなかった(憤怒)
「マンゴーチャーム」
「マウントタコマ」
「ファンシーフリルス」
大好きなフリンジ(花弁のギザギザ)なのに1つしか咲かなかった(怒髪天)
普通球は5色とも咲いた。
これだけ品種名や価格が書かれていないが、
これは「キャンディーコーナー」という品種のカタログ写真。
これを20球も植えたのに1つも咲かなかった。
許せない !!! もう怒の熟語を思いつかないくらい怒 !!!
だれか国華園に行って暴れてきて欲しい。刑務所にはちゃんと差し入れするから(^^ゞ
4月2日の写真。
さて
これから咲く花はもうないので、今回は球根の商品カタログと照らし合わせて、どれが咲いたかの答え合わせ。植えたのは21品種で合計185球。
「クリームアップスター」
見本とはかなり違うし八重咲きでもない。しかし黄色に赤がわずかに入るのはこれしかなかったので、これをクリームアップスターと強引認定。ただし1つしか咲かなかった(怒)
「プリティウーマン」
「ビューティートレンド」
「パープルプリンス」
普通球のムラサキとの違いを判別できないが、初期に咲いたこちらがパープルプリンスなのだと思う。
「サンネ」
色の濃さがかなり違うがーーー
「アプリコットビューティー」
これも見本とは色が違うが、この色の系統で消去法で当てはめるとこれになる。もっとも色的にはカタログ写真より、こちらのほうがアプリコット(あんず)に近い。
「アンジェリケ」
色は近いが見本は八重咲きなので、これはアンジェリケじゃないかも知れない。
しかし、だったらこれは何なのだという疑問がーーー。
「ストロングゴールド」
パープルプリンスと同じく普通球の黄色との違いを判別できない。黄色はたくさん咲いたから、とりあえずストロングゴールドも咲いたことは間違いない。
「ロココ」
この色と形の花は咲いていないゾ(激怒)
「フレーミングパロット」
植えた数だけ咲いたけれど、すべて茎が伸びずに低い位置で咲いたーーーというより力なく開いた。また6球のうち半分は黄色の色が抜けて白っぽい。そんなこんなで、この品種のゴージャスさを楽しめず。
「フラッシュポイント」
普通はツボミの段階で花の色がわかるものだが、このフラッシュポイントまさかの大変化。花弁の一部にツボミの時の面影が残っているのがわかると思う。
開花した後は、すぐにガバーッと開ききってしまうので、キレイに咲いているのは2日間程度。ただしこの状態になってからは長持ちする。
「バレリーナ」
オレンジ系は期待していたのに、2つしか咲かなかった(憤怒)
「マンゴーチャーム」
「マウントタコマ」
「ファンシーフリルス」
大好きなフリンジ(花弁のギザギザ)なのに1つしか咲かなかった(怒髪天)
普通球は5色とも咲いた。
これだけ品種名や価格が書かれていないが、
これは「キャンディーコーナー」という品種のカタログ写真。
これを20球も植えたのに1つも咲かなかった。
許せない !!! もう怒の熟語を思いつかないくらい怒 !!!
だれか国華園に行って暴れてきて欲しい。刑務所にはちゃんと差し入れするから(^^ゞ
2021年04月11日
池上本門寺で力道山の墓参り
仁王門〜大堂のある境内のメインエリアから五重塔に向かう途中に、
こんな案内を見つけた。
池上本門寺に力道山の墓があることは何となく知っていて興味もあったのだが、広い墓地のどこにあるのかわからないしーーーと思っていたら、まさかの墓コッチの矢印。それだけ訪れる人がいるということか。
とはいっても、1963年(昭和38年)に亡くなっている人物なので、今となっては知らない人のほうが多いかも知れない。
力道山は1924年(大正13年)生まれのプロレスラー。たんなるレスラーじゃなくて日本にプロレスを導入した人物。ジャイアント馬場もアントニオ猪木も彼の弟子である。初興行が1954年(昭和29年)で、ちょうどその前年から始まったテレビ放送でプロレスは、今風に表現するなら大人気コンテンツとなった。
どれだけ人気があったかというと、当時、普通の家庭にはテレビは普及しておらず、まだ街頭テレビが主流の時代。そしてこれが1955年(昭和30年)に新橋駅前に力道山のプロレスを見ようと集まった1万2000人!!
現在でもパブリック・ビューイングというのがあるが、
当時の街頭テレビで使われていたのはこんなテレビ。これはレプリカであるが、チャンネルのダイヤル(それすら知らない世代も増えたが)の大きさなどから推測すると14インチ以下のサイズじゃないかな。
新橋駅前に設置されていたテレビは2台。だから上の写真では人々の顔の向きが2分されている。しかしほとんどの人はテレビで力道山のプロレスを観戦したというより、遠くで小さく光る箱を見ただけだと思う。おそらく音も聞こえなかったはず。
それでも戦争に負けてヘコんでいた日本人にとって、力道山が大きな外人レスラーをボコボコにやっつけるのは何よりの楽しみだったのである。ある意味ではロマンのある時代だったのかも知れない。
力道山の人気は絶大で、1963年にデストロイヤーという覆面レスラーと戦った試合は64%の視聴率を叩き出す。これは現在でも歴代4位の記録。もっとも歴代視聴率10位までのうち1960年代が6つを占め、昔はそれだけテレビの価値が高かったということでもあるが。
力道山の晩年に私はまだ幼稚園。だから具体的なことは何も覚えていない。それでも彼が今でいうスーパースターだったことは何となく理解していたし、トレードマークの黒タイツ姿は今でも目に焼き付いている。別に力道山のファンでもないが、身近な歴史上の人物といった感じで、彼の墓が自宅からそこそこ近い場所にあることを知った時から、機会があれば訪れてみたかったのである。いくつになっても強いヒーローに憧れるのがオトコノコ(^^ゞ
案内の看板はけっこうアバウトで、最初の矢印に従って進んだら、分かれ道のところでどちらに行けばいいのかわからなくなった。しかし適当に歩いていたらまた看板を発見。
それにしても縁もゆかりもない墓地の奥まで入っていくのはヘンな気分だ。
3つめの看板。
比較的新しく造成されたぽいエリアの中に入っていくと、
いました! 力道山。
なかなか広くて立派なお墓。
ヘタとはいわないが、決して達筆ではない文字かな。
亡くなったのは39歳だったんだ。幼稚園児にとって39歳なんてジジイもいいところだから、もっと年配だと思っていた。ちなみに死因はナイトクラブでヤーさんと喧嘩になり、馬乗りになってシバいていたら、下からナイフで刺されて、それが原因で腹膜炎を発症して1週間後に亡くなったというもの。
梶原一騎に真樹日佐夫と濃い名前が並んでいる(^^ゞ
北野武も名前を連ねているが力道山と縁があったのかな?
ところでこの墓は少し変わっている。正面の墓石には南無妙法蓮華経と刻まれている。日蓮宗ではそういう墓も建てるらしいのだが、この墓は墓標を見ると長男のものである。その右側が力道山の墓。なぜに親じゃなくて息子がセンター? そして彼の墓には戒名が刻まれている。墓石の正面に戒名というのは珍しいと思う。
もっとも墓のこととかは詳しくないから、
あくまで私の乏しい知識に照らし合わせての感想ではあるが。
お墓に軽く黙礼して銅像をポンポン叩いて(相撲取りとかレスラーの身体は叩きたくなるでしょ)お墓参りは終了。有名人の墓を訪れたのは初めてかな。世の中にはそれを趣味とする「墓マイラー」という人もいるらしい。意外と楽しいかも知れない。
池上本門寺の三部作ブログはこれにて終了。はっきり言ってサクラ的にはそれほどの名所ではない。しかし五重塔と力道山で「来た甲斐」は充分にあって、満足した気持ちで石段を降りることができた。
おしまい
こんな案内を見つけた。
池上本門寺に力道山の墓があることは何となく知っていて興味もあったのだが、広い墓地のどこにあるのかわからないしーーーと思っていたら、まさかの墓コッチの矢印。それだけ訪れる人がいるということか。
とはいっても、1963年(昭和38年)に亡くなっている人物なので、今となっては知らない人のほうが多いかも知れない。
力道山は1924年(大正13年)生まれのプロレスラー。たんなるレスラーじゃなくて日本にプロレスを導入した人物。ジャイアント馬場もアントニオ猪木も彼の弟子である。初興行が1954年(昭和29年)で、ちょうどその前年から始まったテレビ放送でプロレスは、今風に表現するなら大人気コンテンツとなった。
どれだけ人気があったかというと、当時、普通の家庭にはテレビは普及しておらず、まだ街頭テレビが主流の時代。そしてこれが1955年(昭和30年)に新橋駅前に力道山のプロレスを見ようと集まった1万2000人!!
現在でもパブリック・ビューイングというのがあるが、
当時の街頭テレビで使われていたのはこんなテレビ。これはレプリカであるが、チャンネルのダイヤル(それすら知らない世代も増えたが)の大きさなどから推測すると14インチ以下のサイズじゃないかな。
新橋駅前に設置されていたテレビは2台。だから上の写真では人々の顔の向きが2分されている。しかしほとんどの人はテレビで力道山のプロレスを観戦したというより、遠くで小さく光る箱を見ただけだと思う。おそらく音も聞こえなかったはず。
それでも戦争に負けてヘコんでいた日本人にとって、力道山が大きな外人レスラーをボコボコにやっつけるのは何よりの楽しみだったのである。ある意味ではロマンのある時代だったのかも知れない。
力道山の人気は絶大で、1963年にデストロイヤーという覆面レスラーと戦った試合は64%の視聴率を叩き出す。これは現在でも歴代4位の記録。もっとも歴代視聴率10位までのうち1960年代が6つを占め、昔はそれだけテレビの価値が高かったということでもあるが。
力道山の晩年に私はまだ幼稚園。だから具体的なことは何も覚えていない。それでも彼が今でいうスーパースターだったことは何となく理解していたし、トレードマークの黒タイツ姿は今でも目に焼き付いている。別に力道山のファンでもないが、身近な歴史上の人物といった感じで、彼の墓が自宅からそこそこ近い場所にあることを知った時から、機会があれば訪れてみたかったのである。いくつになっても強いヒーローに憧れるのがオトコノコ(^^ゞ
案内の看板はけっこうアバウトで、最初の矢印に従って進んだら、分かれ道のところでどちらに行けばいいのかわからなくなった。しかし適当に歩いていたらまた看板を発見。
それにしても縁もゆかりもない墓地の奥まで入っていくのはヘンな気分だ。
3つめの看板。
比較的新しく造成されたぽいエリアの中に入っていくと、
いました! 力道山。
なかなか広くて立派なお墓。
ヘタとはいわないが、決して達筆ではない文字かな。
亡くなったのは39歳だったんだ。幼稚園児にとって39歳なんてジジイもいいところだから、もっと年配だと思っていた。ちなみに死因はナイトクラブでヤーさんと喧嘩になり、馬乗りになってシバいていたら、下からナイフで刺されて、それが原因で腹膜炎を発症して1週間後に亡くなったというもの。
梶原一騎に真樹日佐夫と濃い名前が並んでいる(^^ゞ
北野武も名前を連ねているが力道山と縁があったのかな?
ところでこの墓は少し変わっている。正面の墓石には南無妙法蓮華経と刻まれている。日蓮宗ではそういう墓も建てるらしいのだが、この墓は墓標を見ると長男のものである。その右側が力道山の墓。なぜに親じゃなくて息子がセンター? そして彼の墓には戒名が刻まれている。墓石の正面に戒名というのは珍しいと思う。
もっとも墓のこととかは詳しくないから、
あくまで私の乏しい知識に照らし合わせての感想ではあるが。
お墓に軽く黙礼して銅像をポンポン叩いて(相撲取りとかレスラーの身体は叩きたくなるでしょ)お墓参りは終了。有名人の墓を訪れたのは初めてかな。世の中にはそれを趣味とする「墓マイラー」という人もいるらしい。意外と楽しいかも知れない。
池上本門寺の三部作ブログはこれにて終了。はっきり言ってサクラ的にはそれほどの名所ではない。しかし五重塔と力道山で「来た甲斐」は充分にあって、満足した気持ちで石段を降りることができた。
おしまい
2021年04月10日
池上本門寺で五重塔
大堂から仁王門を眺める。
仁王門の手前を左に進むと笹部桜(ささべざくら)というサクラが咲いていた。関東では珍しい品種らしく柵に囲まれてVIP待遇。
とても繊細な印象を受けるサクラ。花弁はわずかにピンクを帯びている。しかし茎部分の緑が鮮やかなのと、山桜のように満開の時期でも少し葉を出す品種のようで、その葉の緑もはっきりした色なので、一見した印象はグリーンを感じる白いサクラ。
これは模様なのかな?
チューリップでこんな斑点が現れたらウイルスにやられたサインだけれど。
こちらは普通のソメイヨシノ。
左上からがソメイヨシノで、右下からが笹部桜(ささべざくら)。
さらに先に進むと五重塔がある。
ご覧の通り墓地の中を歩いて行くのだが、サクラに気を取られるからか墓石はあまり気にならない。サクラのないシーズンならどうなのだろう。
別の方向から。
しかしどうしてこんなところに道路標識があるのだ?
墓地の中まで車で入ってこられるのか?
前回の投稿で階段ではなく池上会館のエレベーターでも境内に上がれると書いたが、ここがその屋上部分。さらに展望台が設けられていた。
ナントカと煙は高いところが好き(^^ゞ
南&東方向。
この展望台から五重塔を眺めると京都にでもいるような気分。
池上本門寺は空襲でほとんどの伽藍を焼失したが、この五重塔は移築や改修はされているものの徳川2代将軍秀忠の時代である1607年の建立。
いわゆる寺院建築にはあまり興味がないのに、なぜか塔は好き。昨年の紅葉で行った豪徳寺で見た三重塔もよかった。五重塔や三重塔を目的にアチコチに出かけてみようかな。
ーーー続く
仁王門の手前を左に進むと笹部桜(ささべざくら)というサクラが咲いていた。関東では珍しい品種らしく柵に囲まれてVIP待遇。
とても繊細な印象を受けるサクラ。花弁はわずかにピンクを帯びている。しかし茎部分の緑が鮮やかなのと、山桜のように満開の時期でも少し葉を出す品種のようで、その葉の緑もはっきりした色なので、一見した印象はグリーンを感じる白いサクラ。
これは模様なのかな?
チューリップでこんな斑点が現れたらウイルスにやられたサインだけれど。
こちらは普通のソメイヨシノ。
左上からがソメイヨシノで、右下からが笹部桜(ささべざくら)。
さらに先に進むと五重塔がある。
ご覧の通り墓地の中を歩いて行くのだが、サクラに気を取られるからか墓石はあまり気にならない。サクラのないシーズンならどうなのだろう。
別の方向から。
しかしどうしてこんなところに道路標識があるのだ?
墓地の中まで車で入ってこられるのか?
前回の投稿で階段ではなく池上会館のエレベーターでも境内に上がれると書いたが、ここがその屋上部分。さらに展望台が設けられていた。
ナントカと煙は高いところが好き(^^ゞ
南&東方向。
この展望台から五重塔を眺めると京都にでもいるような気分。
池上本門寺は空襲でほとんどの伽藍を焼失したが、この五重塔は移築や改修はされているものの徳川2代将軍秀忠の時代である1607年の建立。
いわゆる寺院建築にはあまり興味がないのに、なぜか塔は好き。昨年の紅葉で行った豪徳寺で見た三重塔もよかった。五重塔や三重塔を目的にアチコチに出かけてみようかな。
ーーー続く
2021年04月09日
池上本門寺でサクラ
3月26日は午後からのアポがキャンセルになったので、かむろ坂のサクラを通り抜けた後は池上本門寺まで足を伸ばしてきた。ここは以前から一度は行っておきたいなと思っていたところ。先日に訪れた東郷寺では参道の階段を背景にしたしだれ桜が見事だったが、池上本門寺にも境内に上がる長い階段の脇にサクラががある。こちらもさぞかしーーーそんな連想と期待が行動をプッシュしたのかも知れない。
ただしアクセス的には少し不便で、かむろ坂の最寄りとなる東急目黒線の不動前駅から、目黒線〜大井町線〜池上線と3本も乗り継ぐ必要がある。駅から駅までは乗り換えを含めて40分くらい。
その東急池上線は五反田と蒲田を結ぶ路線。車両は3両編成でローカル線的なイメージも少しある。乗ったのは今回が初めてかな。ところで1976年(昭和51年)の昔、野口五郎の「私鉄沿線」にインスパイヤーされたという「池上線」という曲があった。しかし「古い電車のドア」とか「すきま風に震えて」という歌詞が含まれていたので、激怒した東急電鉄が潰しに掛かったとか掛からなかったとか。当時の池上線は本当にボロかったらしい(^^ゞ
しっとりいい感じに聴かせる昭和の歌謡曲である。
さて池上線に揺られてやってきた池上駅。
住所は大田区になる。
池上駅の看板の隣に池上本門寺の表示が大きく掲げられている。 このエリアの最重要施設に敬意を表しているのか、あるいは寺が広告費を払っているのかどちらだろう?
駅の建物は昨年に改築したばかりで、
商業施設としての駅ビル etomo は4日後の3月30日にオープンだった。
駅を出たところにある五叉路。
そのうちの1つが参道につながる本門寺通り。
この通りには、50年前から時間が止まっているようなお店がいくつもあった。
本門寺通りを抜けて参道に出る。
小さな川を渡る。この川は呑川(のみがわ)。世田谷では呑川の近くに住んでいたが、こんなところまで流れてきているのだと少しビックリ。
この参道の両側にもいくつかの寺が並んでいる。
この観音堂が本成院で、
こちらは写真を拡大しないと読めないが本妙院と似たような名前。
これらは本門寺とは無関係ではないのだろうが、
公式ホームページのマップには掲載されていない。
ところで、これは先ほどの参道の写真の総門部分を拡大したもの。
大きくて立派な門構えである。
しかし総門に近づいて下から煽り気味に気味に撮ったら、まるで民家レベルのサイズ感に写ってしまった。私は何をやらかしたのだろう?
それはさておきこれが池上本門寺のサクラ&階段。正直なところ東郷寺のしだれ桜のような圧倒感はないのだけれど、控えめながらこれはこれで美しい風景。
この階段は此経難持坂(しきょう・なんじ・ざか)。加藤清正が寄進したとされ96段ある。これを上らなくても、少し離れたところに建っている池上会館のエレベータで境内に入ることも可能。
中間地点。
下から眺めて印象と違って、あまりキツくない。
上りきって下を眺める。
階段のところから左側通行になっているのはコロナ対策なのだと思う。
少し右側にそれたエリアに日蓮の像があった。サクラに囲まれているが、像もソメイヨシノも白いのでちょっと色彩感に欠ける。
石像に見えたがアルミでできているらしい。
メインストリートに戻って仁王門をくぐる。
急に空が曇りだしてきた(/o\)
なぜか一方通行のカラーコーンはここまで。
上の写真でもわかるようにとにかく広い寺で、いくつもの伽藍が並んでいる。
これは仁王門の横にある日朝堂。
その隣にある浄行菩薩というあまり聞き慣れない菩薩像。
これは案内マップには載っていない。
お札などを売っているところに「墓地受付所」の看板があるのはいいとして、
境内のど真ん中にプレハブ小屋を建てて、
値段を掲げながら墓地の営業をするのはちょっとなあーーー
大堂(だいどう)。写真では伝わらないが相当に大きな建物。ただし同規模の本殿というのが別にあって位置づけの違いがよくわからない。それと神社が本殿で、寺は本堂だと思っていたのだがここでは違うみたいだ。
中の様子。デジカメだから明るく撮れているが、かなり暗いので(シャッタースピードが遅くなり)手ブレしている。暗いところではカメラをしっかりグリップする必要があるが、液晶画面を見ている分には明るく感じるのでついそれを忘れてしまう。
お賽銭箱の前に焼香があった。
こんな場所では、あまり見たことがないように思うが日蓮宗の流儀なのかな。
葬式で焼香をしたことはあっても、それが何でできているのかを知らない人は多いかと思う。焼香はいわゆる香木を刻んだ木片である。
空の色が冴えないのでサクラもイマイチで残念。
ーーー続く
ただしアクセス的には少し不便で、かむろ坂の最寄りとなる東急目黒線の不動前駅から、目黒線〜大井町線〜池上線と3本も乗り継ぐ必要がある。駅から駅までは乗り換えを含めて40分くらい。
その東急池上線は五反田と蒲田を結ぶ路線。車両は3両編成でローカル線的なイメージも少しある。乗ったのは今回が初めてかな。ところで1976年(昭和51年)の昔、野口五郎の「私鉄沿線」にインスパイヤーされたという「池上線」という曲があった。しかし「古い電車のドア」とか「すきま風に震えて」という歌詞が含まれていたので、激怒した東急電鉄が潰しに掛かったとか掛からなかったとか。当時の池上線は本当にボロかったらしい(^^ゞ
しっとりいい感じに聴かせる昭和の歌謡曲である。
さて池上線に揺られてやってきた池上駅。
住所は大田区になる。
池上駅の看板の隣に池上本門寺の表示が大きく掲げられている。 このエリアの最重要施設に敬意を表しているのか、あるいは寺が広告費を払っているのかどちらだろう?
駅の建物は昨年に改築したばかりで、
商業施設としての駅ビル etomo は4日後の3月30日にオープンだった。
駅を出たところにある五叉路。
そのうちの1つが参道につながる本門寺通り。
この通りには、50年前から時間が止まっているようなお店がいくつもあった。
本門寺通りを抜けて参道に出る。
小さな川を渡る。この川は呑川(のみがわ)。世田谷では呑川の近くに住んでいたが、こんなところまで流れてきているのだと少しビックリ。
この参道の両側にもいくつかの寺が並んでいる。
この観音堂が本成院で、
こちらは写真を拡大しないと読めないが本妙院と似たような名前。
これらは本門寺とは無関係ではないのだろうが、
公式ホームページのマップには掲載されていない。
ところで、これは先ほどの参道の写真の総門部分を拡大したもの。
大きくて立派な門構えである。
しかし総門に近づいて下から煽り気味に気味に撮ったら、まるで民家レベルのサイズ感に写ってしまった。私は何をやらかしたのだろう?
それはさておきこれが池上本門寺のサクラ&階段。正直なところ東郷寺のしだれ桜のような圧倒感はないのだけれど、控えめながらこれはこれで美しい風景。
この階段は此経難持坂(しきょう・なんじ・ざか)。加藤清正が寄進したとされ96段ある。これを上らなくても、少し離れたところに建っている池上会館のエレベータで境内に入ることも可能。
中間地点。
下から眺めて印象と違って、あまりキツくない。
上りきって下を眺める。
階段のところから左側通行になっているのはコロナ対策なのだと思う。
少し右側にそれたエリアに日蓮の像があった。サクラに囲まれているが、像もソメイヨシノも白いのでちょっと色彩感に欠ける。
石像に見えたがアルミでできているらしい。
メインストリートに戻って仁王門をくぐる。
急に空が曇りだしてきた(/o\)
なぜか一方通行のカラーコーンはここまで。
上の写真でもわかるようにとにかく広い寺で、いくつもの伽藍が並んでいる。
これは仁王門の横にある日朝堂。
その隣にある浄行菩薩というあまり聞き慣れない菩薩像。
これは案内マップには載っていない。
お札などを売っているところに「墓地受付所」の看板があるのはいいとして、
境内のど真ん中にプレハブ小屋を建てて、
値段を掲げながら墓地の営業をするのはちょっとなあーーー
大堂(だいどう)。写真では伝わらないが相当に大きな建物。ただし同規模の本殿というのが別にあって位置づけの違いがよくわからない。それと神社が本殿で、寺は本堂だと思っていたのだがここでは違うみたいだ。
中の様子。デジカメだから明るく撮れているが、かなり暗いので(シャッタースピードが遅くなり)手ブレしている。暗いところではカメラをしっかりグリップする必要があるが、液晶画面を見ている分には明るく感じるのでついそれを忘れてしまう。
お賽銭箱の前に焼香があった。
こんな場所では、あまり見たことがないように思うが日蓮宗の流儀なのかな。
葬式で焼香をしたことはあっても、それが何でできているのかを知らない人は多いかと思う。焼香はいわゆる香木を刻んだ木片である。
空の色が冴えないのでサクラもイマイチで残念。
ーーー続く
2021年04月07日
かむろ坂でサクラの通り抜け
前回のタイトルを「林試の森公園でサクラを通り抜け」としたが、それは目的地としてではなく、通りすがり的に見たというニュアンスで書いた。今回はサクラのアーチをくぐり抜けたという意味で、通り抜けという表現はこちらだけに使うべきだったかな。
それはさておき林試の森公園の東門を出てテクテク歩いて行く。
大きな通りとの交差点が見えてきた。
ここが小山台1丁目で、ここを左折して通り抜けがスタート。
と思っていたのだが右折方向にピンクの街路樹が。かむろ坂は10年ほど前にも来ているが、その時にこんなのはなかった。いつ植えたのだろう。
花びらの色と形からして河津桜であることは間違いない。
キレイに咲いているところを狙って。
河津桜も見られてラッキー!と思ったものの、ここで疑問が。前回の投稿で記したように林試の森の河津桜は、花はすべて散って既に葉がたくさん茂っている状態になっている。それなのにここの河津桜にはどうして花がまだ残っているのだ。林試の森からここまでは250メートル、徒歩5分も掛からない距離なのに。ナゾ
===
<後日追記>
河津桜と思っていたのは陽光桜という品種だったm(_ _)m
ソメイヨシノとエドヒガンを掛け合わせたアマギヨシノに、さらにカンヒザクラを掛け合わせた園芸品種。河津桜のように早咲きではなく、ソメイヨシノより少しだけ早く咲く。
===
(/_')/ソレはコッチニオイトイテ
さて左折方向の景色がこれ!
説明は要らないと思うし、説明のしようもないけれど(^^ゞ 延々と続くサクラのアーチ。
自宅の前が桜並木なんてうらやましい。
地名の由来。
サクラに関連した優雅なものかと思ったらーーー哀れすぎる(/o\)
小山台1丁目から、かむろ坂上の交差点までで全体の半分くらい。
写真だと代わり映えのしない風景が連続するだけになってしまい、この日の感激を伝えられないのが残念。満開のサクラアーチを(かなりの距離に渡って)通り抜けるのは気分がいいというか、ほのぼのと幸せな気持ちになってくる。また、おそらくはこの後の新緑アーチも素晴らしいに違いないなんて連想もする。
まだサクラは続いているが、ここで右折して不動前の駅に向かう。
ここまでで5〜600メートルくらい。
下町ぽい商店街を抜けて、
東急目黒線の不動前駅に着く。
線路を超えた側のほうが賑やかだった。
もともとこの日(3月26日)はここから目黒線で目黒まで行き、JR山手線に乗り換えて某所での打ち合わせに向かうつもりだった。しかし、そのスケジュールが変更となったので、じゃあついでにともう1ヶ所花見をしてきた(^^ゞ
それはさておき林試の森公園の東門を出てテクテク歩いて行く。
大きな通りとの交差点が見えてきた。
ここが小山台1丁目で、ここを左折して通り抜けがスタート。
と思っていたのだが右折方向にピンクの街路樹が。かむろ坂は10年ほど前にも来ているが、その時にこんなのはなかった。いつ植えたのだろう。
花びらの色と形からして河津桜であることは間違いない。
キレイに咲いているところを狙って。
河津桜も見られてラッキー!と思ったものの、ここで疑問が。前回の投稿で記したように林試の森の河津桜は、花はすべて散って既に葉がたくさん茂っている状態になっている。それなのにここの河津桜にはどうして花がまだ残っているのだ。林試の森からここまでは250メートル、徒歩5分も掛からない距離なのに。ナゾ
===
<後日追記>
河津桜と思っていたのは陽光桜という品種だったm(_ _)m
ソメイヨシノとエドヒガンを掛け合わせたアマギヨシノに、さらにカンヒザクラを掛け合わせた園芸品種。河津桜のように早咲きではなく、ソメイヨシノより少しだけ早く咲く。
===
(/_')/ソレはコッチニオイトイテ
さて左折方向の景色がこれ!
説明は要らないと思うし、説明のしようもないけれど(^^ゞ 延々と続くサクラのアーチ。
自宅の前が桜並木なんてうらやましい。
地名の由来。
サクラに関連した優雅なものかと思ったらーーー哀れすぎる(/o\)
小山台1丁目から、かむろ坂上の交差点までで全体の半分くらい。
写真だと代わり映えのしない風景が連続するだけになってしまい、この日の感激を伝えられないのが残念。満開のサクラアーチを(かなりの距離に渡って)通り抜けるのは気分がいいというか、ほのぼのと幸せな気持ちになってくる。また、おそらくはこの後の新緑アーチも素晴らしいに違いないなんて連想もする。
まだサクラは続いているが、ここで右折して不動前の駅に向かう。
ここまでで5〜600メートルくらい。
下町ぽい商店街を抜けて、
東急目黒線の不動前駅に着く。
線路を超えた側のほうが賑やかだった。
もともとこの日(3月26日)はここから目黒線で目黒まで行き、JR山手線に乗り換えて某所での打ち合わせに向かうつもりだった。しかし、そのスケジュールが変更となったので、じゃあついでにともう1ヶ所花見をしてきた(^^ゞ
2021年04月06日
林試の森公園でサクラを通り抜け
今年は早春に河津桜をたっぷりと見たし、
春本番は今さら普通に咲いているソメイヨシノじゃつまらないので、
(1)しだれ桜を見に行く
(2)サクラのアーチを見に行く
(3)芝公園で東京タワーとサクラを見る
という花見ポリシーを立てた。
諸事情あって(1)と(3)を3月24日にまとめてこなし、26日に(2)を実行することになった。場所は東急目黒線の不動前駅近くの「かむろ坂」というところ。そこから1駅でJR山手線の目黒駅に出られて、その後の移動に便利なのがそこを選んだ理由。
ところで自宅から不動前までは約2.5キロと少し遠い。しかし電車だとかなり遠回りになるので歩いて行くことにした。その場合、途中に林試の森公園がある。ここは河津桜のほうが有名だがソメイヨシノもある。というわけで河津桜の3分咲きと満開に続いて、今年3度目の林試の森での花見となった(^^ゞ
西門から入るとすぐに表れるのは、
「大きな広場」という芸のない名前をつけられた大きな広場。
広場の周囲半分くらいにサクラが植えられている。
それにしてもソメイヨシノは白いな。これがサクラだと知っているからサクラに見えるけれど、花のところだけを切り取って「樹氷の写真です」と言われたら信じてしまうレベル。
けっこうアーチになっていた。
林試の森公園は本日のメインじゃないので早めに切り上げて、
東門を目指して進む。
毎度お馴染みの池の風景。
河津桜の時も使った階段。
そのときは階段を上ってここまで来ると、前方がピンク色に染まっていたが、
もちろん、もう河津桜は緑の葉を茂らせている。
これが本日3月26日で、
同じ木の2月22日の様子がこれ。
河津桜の向こうに真っ白なサクラが。
他の木との対比で遠目には純白に見えるが、
近づいてみると一部にピンクの花もある源平咲きだった。
品種名はわからず。
関係ないけれど禁止や指示の多い世の中はイヤだなあ。
ソメイヨシノがあまりに白いので他のサクラと較べてみた。デジカメの色がどれだけ正確かの問題はあるが、この色の違いは私の記憶と矛盾していない。
林試の森のソメイヨシノ 3月26日
林試の森の河津桜 2月22日
旧中川の河津桜 2月23日
東郷寺のしだれ桜 3月24日
大國魂神社のしだれ桜 3月24日
大國魂神社のが心象風景にある桜色に近いかな。昔のソメイヨシノはそれくらいの色をしていたが、今のソメイヨシノは戦後すぐに植えられたものが多く、もう寿命近くの老木になっているので色をつける力が衰えたという説もある。30年前、40年前のサクラの色を具体的に覚えている訳ではないのだが、何となくこの説に説得力を感じている。
サクラは開花期間の後半になると花の中心が赤くなるが、その時期が来ないと樹氷のように白いというのが現在のソメイヨシノである。
サクラの色にあれこれ思いをはせながら、東門を抜けてかむろ坂に向かう。
春本番は今さら普通に咲いているソメイヨシノじゃつまらないので、
(1)しだれ桜を見に行く
(2)サクラのアーチを見に行く
(3)芝公園で東京タワーとサクラを見る
という花見ポリシーを立てた。
諸事情あって(1)と(3)を3月24日にまとめてこなし、26日に(2)を実行することになった。場所は東急目黒線の不動前駅近くの「かむろ坂」というところ。そこから1駅でJR山手線の目黒駅に出られて、その後の移動に便利なのがそこを選んだ理由。
ところで自宅から不動前までは約2.5キロと少し遠い。しかし電車だとかなり遠回りになるので歩いて行くことにした。その場合、途中に林試の森公園がある。ここは河津桜のほうが有名だがソメイヨシノもある。というわけで河津桜の3分咲きと満開に続いて、今年3度目の林試の森での花見となった(^^ゞ
西門から入るとすぐに表れるのは、
「大きな広場」という芸のない名前をつけられた大きな広場。
広場の周囲半分くらいにサクラが植えられている。
それにしてもソメイヨシノは白いな。これがサクラだと知っているからサクラに見えるけれど、花のところだけを切り取って「樹氷の写真です」と言われたら信じてしまうレベル。
けっこうアーチになっていた。
林試の森公園は本日のメインじゃないので早めに切り上げて、
東門を目指して進む。
毎度お馴染みの池の風景。
河津桜の時も使った階段。
そのときは階段を上ってここまで来ると、前方がピンク色に染まっていたが、
もちろん、もう河津桜は緑の葉を茂らせている。
これが本日3月26日で、
同じ木の2月22日の様子がこれ。
河津桜の向こうに真っ白なサクラが。
他の木との対比で遠目には純白に見えるが、
近づいてみると一部にピンクの花もある源平咲きだった。
品種名はわからず。
関係ないけれど禁止や指示の多い世の中はイヤだなあ。
ソメイヨシノがあまりに白いので他のサクラと較べてみた。デジカメの色がどれだけ正確かの問題はあるが、この色の違いは私の記憶と矛盾していない。
林試の森のソメイヨシノ 3月26日
林試の森の河津桜 2月22日
旧中川の河津桜 2月23日
東郷寺のしだれ桜 3月24日
大國魂神社のしだれ桜 3月24日
大國魂神社のが心象風景にある桜色に近いかな。昔のソメイヨシノはそれくらいの色をしていたが、今のソメイヨシノは戦後すぐに植えられたものが多く、もう寿命近くの老木になっているので色をつける力が衰えたという説もある。30年前、40年前のサクラの色を具体的に覚えている訳ではないのだが、何となくこの説に説得力を感じている。
サクラは開花期間の後半になると花の中心が赤くなるが、その時期が来ないと樹氷のように白いというのが現在のソメイヨシノである。
サクラの色にあれこれ思いをはせながら、東門を抜けてかむろ坂に向かう。
2021年04月05日
ところで今年のラ・フォル・ジュルネはどうなった?
ラ・フォル・ジュルネというのはクラシックの音楽祭。毎年ゴールデンウイークに有楽町の東京国際フォーラムで開催される。有料・無料含めて公演数は400ほどもあってまさに祭典と言える規模。演奏するのは中堅どころが多いが、たまに一流アーティストも出演する。私にとっては欠かせないイベントのひとつになっている。
しかし当然ながら昨年はコロナで中止。それで今年も中止だろうと思っていたというか決めつけていたのだが、念のためチェックしておこうかと。
Googleで「ラ・フォル・ジュルネ」と検索すると先頭に表示されるのは
ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2020 Beethoven
のタイトル。これはベートーヴェンがテーマだった昨年のページ。
ホームページのURL(アドレス)は https://www.lfj.jp であるが、それをブラウザーに入力しても https://www.lfj.jp/lfj_2020/ と昨年のページにジャンプして表示されてしまう。
今年のラ・フォル・ジュルネは中止ではなく、
最初からなかったということなのだろうか?
その2020年のホームページを見ると、主催は「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2020 運営委員会」となっており、その下に株式会社KAJIMOTO/株式会社東京国際フォーラム/三菱地所株式会社の名前が書かれていた。KAJIMOTOというのはクラシック音楽専門のプロモーターである。
年度を2021年に変えて「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2021 運営委員会」で検索してみたがヒットせず。それぞれの会社のホームページにもアクセスしてみたが、今年のラ・フォル・ジュルネに言及した情報はなかった。
なお東京国際フォーラムのプレスリリースはとても数が少なく、最初に表示される5件めにビックリマーク付きで、一昨年10月のラ・フォル・ジュルネの開催決定のお知らせがまだ載っているという恥ずかしさ。
ただし後日に、開催が中止になったというお知らせは載せられていない。広報として不誠実といわざるを得ないだろう。それにしても最新が昨年の11月ってーーー
公式のSNSも確認してみると最終更新が、
Facebook:2020年7月16日
Twitter:2020年10月26日
Instagram:2020年5月1日
ーーーと夜逃げ状態?
ちなみに各SNSのアドレスに2020の文字はなかった。
https://www.facebook.com/lafollejourneeaujapon/
https://twitter.com/lfjtokyoblog
https://www.instagram.com/lafollejournee/
そういえば時々メールが届いていたなとメールソフトをさかのぼってみると、
2020年2月7日
「ラ・フォル・ジュルネTOKYO運営委員会事務局」名義
アドレスは lfjtokyo2020@kajimotomusic.com だから発信元はKAJIMOTO
内容はワイン関連イベントのお知らせ
2020年2月18日
「LFJチケット販売サイト」名義でLFJメールマガジンのタイトル
(LFJとはラ・フォル・ジュルネの略)
アドレスは lafolle_info@pia.co.jp だから発信元はチケットぴあ
内容はチケット販売スケジュールのお知らせ
以下2月18日と同じ発信元で
2020年3月13日
チケット販売延期のお知らせ
2020年3月30日
開催中止のお知らせ
それが最後で、そして今年は何の連絡もなし。
さてラ・フォル・ジュルネの主催者は運営委員会方式で、その年ごとに結成されるのだろうか、そして今年は結成していないから何の連絡もないのだろうか?
そんなことが許されるとは思えない。2005年から長年続いた、あれだけの大規模なイベントなのだから、キチンと状況を説明する社会的責任があるはずだ。もちろん状況は説明されなくてもわかっているが、もっと大事なのは私はラ・フォル・ジュルネの会員なので(だからメールも届いている。よく覚えていないが会員にならないとネットでチケットを購入できないような仕組みだったと思う)、会員になる時に登録したクレジットカードを含む個人情報はどうなっているのかということ。夜逃げしてもらっちゃ困るのである。
運営委員会に名前を連ねている東京国際フォーラムは、東京都が51%を出資している公共性の高い企業である。三菱地所はもちろん日本を代表する企業のひとつ。KAJIMOTOはよく知らなかったが1951年(昭和26年)から続く老舗のようだ。
そんなメンツが揃っているのに何のアナウンスもないとは。
この国はだいぶアカンようになってきたのかな(/o\)
コロナのあたふたで、それが露呈するケースが多い気がする。
しかし当然ながら昨年はコロナで中止。それで今年も中止だろうと思っていたというか決めつけていたのだが、念のためチェックしておこうかと。
Googleで「ラ・フォル・ジュルネ」と検索すると先頭に表示されるのは
ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2020 Beethoven
のタイトル。これはベートーヴェンがテーマだった昨年のページ。
ホームページのURL(アドレス)は https://www.lfj.jp であるが、それをブラウザーに入力しても https://www.lfj.jp/lfj_2020/ と昨年のページにジャンプして表示されてしまう。
今年のラ・フォル・ジュルネは中止ではなく、
最初からなかったということなのだろうか?
その2020年のホームページを見ると、主催は「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2020 運営委員会」となっており、その下に株式会社KAJIMOTO/株式会社東京国際フォーラム/三菱地所株式会社の名前が書かれていた。KAJIMOTOというのはクラシック音楽専門のプロモーターである。
年度を2021年に変えて「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2021 運営委員会」で検索してみたがヒットせず。それぞれの会社のホームページにもアクセスしてみたが、今年のラ・フォル・ジュルネに言及した情報はなかった。
なお東京国際フォーラムのプレスリリースはとても数が少なく、最初に表示される5件めにビックリマーク付きで、一昨年10月のラ・フォル・ジュルネの開催決定のお知らせがまだ載っているという恥ずかしさ。
ただし後日に、開催が中止になったというお知らせは載せられていない。広報として不誠実といわざるを得ないだろう。それにしても最新が昨年の11月ってーーー
公式のSNSも確認してみると最終更新が、
Facebook:2020年7月16日
Twitter:2020年10月26日
Instagram:2020年5月1日
ーーーと夜逃げ状態?
ちなみに各SNSのアドレスに2020の文字はなかった。
https://www.facebook.com/lafollejourneeaujapon/
https://twitter.com/lfjtokyoblog
https://www.instagram.com/lafollejournee/
そういえば時々メールが届いていたなとメールソフトをさかのぼってみると、
2020年2月7日
「ラ・フォル・ジュルネTOKYO運営委員会事務局」名義
アドレスは lfjtokyo2020@kajimotomusic.com だから発信元はKAJIMOTO
内容はワイン関連イベントのお知らせ
2020年2月18日
「LFJチケット販売サイト」名義でLFJメールマガジンのタイトル
(LFJとはラ・フォル・ジュルネの略)
アドレスは lafolle_info@pia.co.jp だから発信元はチケットぴあ
内容はチケット販売スケジュールのお知らせ
以下2月18日と同じ発信元で
2020年3月13日
チケット販売延期のお知らせ
2020年3月30日
開催中止のお知らせ
それが最後で、そして今年は何の連絡もなし。
さてラ・フォル・ジュルネの主催者は運営委員会方式で、その年ごとに結成されるのだろうか、そして今年は結成していないから何の連絡もないのだろうか?
そんなことが許されるとは思えない。2005年から長年続いた、あれだけの大規模なイベントなのだから、キチンと状況を説明する社会的責任があるはずだ。もちろん状況は説明されなくてもわかっているが、もっと大事なのは私はラ・フォル・ジュルネの会員なので(だからメールも届いている。よく覚えていないが会員にならないとネットでチケットを購入できないような仕組みだったと思う)、会員になる時に登録したクレジットカードを含む個人情報はどうなっているのかということ。夜逃げしてもらっちゃ困るのである。
運営委員会に名前を連ねている東京国際フォーラムは、東京都が51%を出資している公共性の高い企業である。三菱地所はもちろん日本を代表する企業のひとつ。KAJIMOTOはよく知らなかったが1951年(昭和26年)から続く老舗のようだ。
そんなメンツが揃っているのに何のアナウンスもないとは。
この国はだいぶアカンようになってきたのかな(/o\)
コロナのあたふたで、それが露呈するケースが多い気がする。
2021年04月03日
芝公園 その2 丸山古墳のサクラ
17号地から丸山古墳のある1号地へ向かう。
距離は300メートルほど。
ホテルの入り口前を通る。
パークタワー東京というのがホテル名。その上に書かれているザ・プリンスはホテルのブランド名。プリンスホテル系列には5つのブランドがあり、ザ・プリンスは上から2番目のグレード。
さてブランド名の上にあるのはロゴマークで、プリンスのPを表しているらしいが、これでPをイメージできる人はほとんどいないだろう。理解されなければ記憶もされない。ということはプリンスホテルも想起されないからマーケティング的にどうかと思う。
1号地に到着。このエリアに来るのは初めて。
芝公園に梅園があるのは何となく知っていたが、ここだったのか。
小高くなっているところにサクラが見える。
この盛り上がりが古墳らしい。
梅のシーズンはとっくに終わっているが、この紅梅だけが咲いていた。
隣にサクラも咲いていて、
白、緑、紅ついでに青空の組み合わせが美しい。
坂を上る。
サクラが5〜6本植えられている場所があった。立ち入り禁止のテープは、ここで何か事件があったのじゃなくて、コロナだから宴会するなという意味ね。
同じ場所を別角度から。思っていたのと違って、かなりショボイ場所だった。
古墳の案内。
この東京都教育委員会の表示では芝丸山古墳となっているが、港区区役所のホームページでは「芝」がつかずに単に丸山古墳である。
丸い山があれば、そこは丸山という地名になることが多い。古墳はこんもり盛り上がっているから丸山と呼ばれやすく、それが古墳だとわかると丸山古墳と名付けられる。そんな理屈で丸山古墳というのは全国各地にある。それじゃ区別がつかないから頭に地名を着けるのだろう。
ここにいても古墳感はまったくないが、測量図では一部が欠けてはいるものの、確かに前方後円墳の形をしている。
広場の背後に小さな祠(ほこら)があった。
こちらは丸山じゃなくて円山という表記。随身はこの日の午前中に大國魂神社で見た「随神」と同じく警護の意味合い。
ところでこの祠は増上寺の裏鬼門に位置すると書かれているが、その増上寺は江戸城の裏鬼門を封じるために置かれたもの。ということはこの稲荷大明神こそがラスボスか(^^ゞ
さらに上を目指す。
これは大野伴睦(ばんぼく)という昭和中期の大物政治家の句碑。
俳人でもあったらしい。
東京都公園協会のホームページによれば「昭和38年6月調理師法施行5周年にあたって、長年調理師会の名誉会長として尽力した政治家大野伴睦の労に謝するため贈呈されたものです」と書かれている。
どうしてそれが芝公園にあるのかわからないが、誰かが忖度したのだろう(^^ゞ
最上部の広場。
このモニュメントは伊能忠敬・測地遺功表という名前。
伊能忠敬が全国を測量した起点がこの近くだったらしい。
ここにはサクラは咲いていないし、下を眺めてもツマラナイし、
増上寺は中途半端に見えるだけだし、
撤収!
サクラのレベルでいえば17号地と較べてかなり劣る。ここは古墳の上で花見をすることに喜びを感じる考古学オタク以外にはお勧めできないかな。
遠くに赤く見えているのが最初に見た紅梅。でもこのあたりが梅林のメインのようだ。
たいした規模じゃないけれど、次の梅のシーズンには見に来ましょう。
17号地の方向に戻る。
葉をすっかり落としているのは、私がゴッホのイチョウと名付けている木。
生命力に溢れるイエローオータムを毎年楽しみにしている。
ハナショウブが咲いていた。
当然こういうことを企む。
結局のところサクラと東京タワーのツーショットは上手に撮れなかった。それは花数が少なかったり枝が目立ったりするから。しかし写真ではそうであっても、人間の目というか脳は「見たいと思ったように変換して見る」もの。だからブログに載せた写真のイメージよりは遙かに東京タワー花見を楽しめたのである。
来年もどこか別の場所でツーショットにトライしたい。
おしまい
距離は300メートルほど。
ホテルの入り口前を通る。
パークタワー東京というのがホテル名。その上に書かれているザ・プリンスはホテルのブランド名。プリンスホテル系列には5つのブランドがあり、ザ・プリンスは上から2番目のグレード。
さてブランド名の上にあるのはロゴマークで、プリンスのPを表しているらしいが、これでPをイメージできる人はほとんどいないだろう。理解されなければ記憶もされない。ということはプリンスホテルも想起されないからマーケティング的にどうかと思う。
1号地に到着。このエリアに来るのは初めて。
芝公園に梅園があるのは何となく知っていたが、ここだったのか。
小高くなっているところにサクラが見える。
この盛り上がりが古墳らしい。
梅のシーズンはとっくに終わっているが、この紅梅だけが咲いていた。
隣にサクラも咲いていて、
白、緑、紅ついでに青空の組み合わせが美しい。
坂を上る。
サクラが5〜6本植えられている場所があった。立ち入り禁止のテープは、ここで何か事件があったのじゃなくて、コロナだから宴会するなという意味ね。
同じ場所を別角度から。思っていたのと違って、かなりショボイ場所だった。
古墳の案内。
この東京都教育委員会の表示では芝丸山古墳となっているが、港区区役所のホームページでは「芝」がつかずに単に丸山古墳である。
丸い山があれば、そこは丸山という地名になることが多い。古墳はこんもり盛り上がっているから丸山と呼ばれやすく、それが古墳だとわかると丸山古墳と名付けられる。そんな理屈で丸山古墳というのは全国各地にある。それじゃ区別がつかないから頭に地名を着けるのだろう。
ここにいても古墳感はまったくないが、測量図では一部が欠けてはいるものの、確かに前方後円墳の形をしている。
広場の背後に小さな祠(ほこら)があった。
こちらは丸山じゃなくて円山という表記。随身はこの日の午前中に大國魂神社で見た「随神」と同じく警護の意味合い。
ところでこの祠は増上寺の裏鬼門に位置すると書かれているが、その増上寺は江戸城の裏鬼門を封じるために置かれたもの。ということはこの稲荷大明神こそがラスボスか(^^ゞ
さらに上を目指す。
これは大野伴睦(ばんぼく)という昭和中期の大物政治家の句碑。
俳人でもあったらしい。
東京都公園協会のホームページによれば「昭和38年6月調理師法施行5周年にあたって、長年調理師会の名誉会長として尽力した政治家大野伴睦の労に謝するため贈呈されたものです」と書かれている。
どうしてそれが芝公園にあるのかわからないが、誰かが忖度したのだろう(^^ゞ
最上部の広場。
このモニュメントは伊能忠敬・測地遺功表という名前。
伊能忠敬が全国を測量した起点がこの近くだったらしい。
ここにはサクラは咲いていないし、下を眺めてもツマラナイし、
増上寺は中途半端に見えるだけだし、
撤収!
サクラのレベルでいえば17号地と較べてかなり劣る。ここは古墳の上で花見をすることに喜びを感じる考古学オタク以外にはお勧めできないかな。
遠くに赤く見えているのが最初に見た紅梅。でもこのあたりが梅林のメインのようだ。
たいした規模じゃないけれど、次の梅のシーズンには見に来ましょう。
17号地の方向に戻る。
葉をすっかり落としているのは、私がゴッホのイチョウと名付けている木。
生命力に溢れるイエローオータムを毎年楽しみにしている。
ハナショウブが咲いていた。
当然こういうことを企む。
結局のところサクラと東京タワーのツーショットは上手に撮れなかった。それは花数が少なかったり枝が目立ったりするから。しかし写真ではそうであっても、人間の目というか脳は「見たいと思ったように変換して見る」もの。だからブログに載せた写真のイメージよりは遙かに東京タワー花見を楽しめたのである。
来年もどこか別の場所でツーショットにトライしたい。
おしまい
2021年04月02日
芝公園17号地のサクラ
3月24日の午前中は東郷寺と大國魂神社、そして午後は芝公園でサクラを見た。もともとこの日は芝公園だけでサクラを見るはずだったのだが。そのあたりのいきさつはここと、ここにも書いた。
関係ないけれど午前中というのに、どうして午後中はないのだろ。
夜中ならあるのに。ナゾ
まずはこのブログでお馴染みの東京タワー写真から。
この位置から100回以上は見ているが、いつ来ても見とれてしまう。
芝公園ってどこ?というのは説明が難しいというか私もよくわかっていない。下の地図のグレーに塗られた部分が上から「東京プリンスホテル」「増上寺」「ザ プリンス パークタワー東京(地図に書かれているホテル名は旧名)」の敷地で、その周りを囲むようにグリーンで表示されているのが一般的には芝公園とされる。その解釈で実際の不都合はない。
ただし公園は1号地から25号地に分けられている。そして、その号地のすべてが公園ではなく、例えば2号地は増上寺に割り当てられているし20号地には東京タワーが建っている。そして増上寺も東京タワーも芝公園内にあるとは言わない。
このあたりのすっきりとした説明は少し調べたが見当たらなかった。元々はすべてが増上寺の敷地だったものを、明治政府が取り上げた?歴史が関係しているのかな。
とりあえずこの日に訪れたのは17号地と、1号地にある芝丸山古墳。芝公園でまとまってサクラが咲いているのはこの2ヶ所だけだと思う。
ちなみに東京タワーの右下に広がっているのが昨年の紅葉シーズンに訪れたもみじ谷。
黄色の矢印が冒頭の写真を撮った位置と向きである。
ついでにGoogleマップのフル3D表示で芝公園の位置。(拡大すれば)写真中央のやや右下に東京タワーが写っている。なお、この表示は写真の拡大・圧縮がかなり極端だから面積的な把握には向いていない。
さて17号地に南から入る。
♫ならんだ ならんだ 赤 白 黄色〜
これではサクラが多すぎて東京タワーが見えない(^^ゞ
場所を変えて撮り直し。
中心部分が赤くなっている花とそうでないのがある。赤くなっているのは開花してから時間が経っている花。
サクラと東京タワーを一緒に撮りたかったのに、イメージ通りに咲いているサクラがどうにも見つからない。また花数的にもやや少なくて枝が目立ってしまう。
いっそサクラがないほうがよかったりして(^^ゞ
道路に面しているところは桜並木。
小高くなっているところから見下ろす。
弁天池。ここは紅葉がきれいなので、
何となくサクラも期待していたのにーーー植えられていなかった(>_<)
というわけで17号地の散策は終了して、古墳のあるエリアに向かう。
ーーー続く
関係ないけれど午前中というのに、どうして午後中はないのだろ。
夜中ならあるのに。ナゾ
まずはこのブログでお馴染みの東京タワー写真から。
この位置から100回以上は見ているが、いつ来ても見とれてしまう。
芝公園ってどこ?というのは説明が難しいというか私もよくわかっていない。下の地図のグレーに塗られた部分が上から「東京プリンスホテル」「増上寺」「ザ プリンス パークタワー東京(地図に書かれているホテル名は旧名)」の敷地で、その周りを囲むようにグリーンで表示されているのが一般的には芝公園とされる。その解釈で実際の不都合はない。
ただし公園は1号地から25号地に分けられている。そして、その号地のすべてが公園ではなく、例えば2号地は増上寺に割り当てられているし20号地には東京タワーが建っている。そして増上寺も東京タワーも芝公園内にあるとは言わない。
このあたりのすっきりとした説明は少し調べたが見当たらなかった。元々はすべてが増上寺の敷地だったものを、明治政府が取り上げた?歴史が関係しているのかな。
とりあえずこの日に訪れたのは17号地と、1号地にある芝丸山古墳。芝公園でまとまってサクラが咲いているのはこの2ヶ所だけだと思う。
ちなみに東京タワーの右下に広がっているのが昨年の紅葉シーズンに訪れたもみじ谷。
黄色の矢印が冒頭の写真を撮った位置と向きである。
ついでにGoogleマップのフル3D表示で芝公園の位置。(拡大すれば)写真中央のやや右下に東京タワーが写っている。なお、この表示は写真の拡大・圧縮がかなり極端だから面積的な把握には向いていない。
さて17号地に南から入る。
♫ならんだ ならんだ 赤 白 黄色〜
これではサクラが多すぎて東京タワーが見えない(^^ゞ
場所を変えて撮り直し。
中心部分が赤くなっている花とそうでないのがある。赤くなっているのは開花してから時間が経っている花。
サクラと東京タワーを一緒に撮りたかったのに、イメージ通りに咲いているサクラがどうにも見つからない。また花数的にもやや少なくて枝が目立ってしまう。
いっそサクラがないほうがよかったりして(^^ゞ
道路に面しているところは桜並木。
小高くなっているところから見下ろす。
弁天池。ここは紅葉がきれいなので、
何となくサクラも期待していたのにーーー植えられていなかった(>_<)
というわけで17号地の散策は終了して、古墳のあるエリアに向かう。
ーーー続く