2021年09月
2021年09月30日
部屋着は柔道着
部屋の中で着ている服のパンツ(ズボンのほうね)は、
暑い季節から順に
下着のパンツのみ(>_<)
↓
半ズボン
↓
( )
↓
ジャージ
↓
裏地がボアのジャージ
↓
ダウンパンツ
となっている。
それで半ズボンでは少し寒くて、かといってジャージじゃまだ暑いという今の季節に重宝するのが( )のアイテム。タイトルでもうバレているが柔道着のパンツである。
長年愛用していたものが、なぜか見当たらなくなったので今年新しく買った。こんな大きなものがなくなるのはおかしいが、我が家では時々そうした怪奇現象が起きる(/o\)
もう外は秋の気温でも家の中の温度はまだそれほど下がっていない。そんな時期に柔道着の生地の厚さはピッタリなのである。それ以外のメリットとしてはとにかく楽ちん。服というより布を縫い合わせたブカブカの筒みたいなものだから、椅子に座ってもどこにも抵抗感がない。それに超オーバーサイズだから、どんなに太っても大丈夫(^^ゞ
また極めて丈夫である。柔道に耐える強度がある上に、部屋着としては(当然ながら室内で)春秋に合わせて2ヶ月弱使うだけだからほとんど傷まない。実は見当たらなくなった柔道着は高校の授業で使っていたもの。またなくさない限り、おそらくもう買い換えは必要ないだろう。
デメリットとしてはトイレで腰紐をほどかなければならないこと。
柔道着を知らない人のために写真を載せておくと、こんな感じで腰紐を縛って、ワッカのところで蝶蝶結びにする。私のようにデブっているとお腹を引っ込めてからキツメに結ぶ必要があるが、それでウエストが締め付けられて苦しくなることはない。
また当然ながらポケットはない。近くのコンビニ程度なら柔道着パンツのまま出かけることもあるが、その時はちょっと不便。
それ以外の特徴としては、なぜか柔道着パンツをはくと「ハチョー」と声を出してブルース・リーの真似をしたくなる(^^ゞ 柔道の動きとは違うけれどね。なお空手着は柔道着と同じデザインをしているが、やや生地が薄くて、突きや蹴りをしやすいように袖と裾が少し短いらしい。
ちなみにAmazonで2485円だった。
1着あっても困らないと思うよ。
暑い季節から順に
下着のパンツのみ(>_<)
↓
半ズボン
↓
( )
↓
ジャージ
↓
裏地がボアのジャージ
↓
ダウンパンツ
となっている。
それで半ズボンでは少し寒くて、かといってジャージじゃまだ暑いという今の季節に重宝するのが( )のアイテム。タイトルでもうバレているが柔道着のパンツである。
長年愛用していたものが、なぜか見当たらなくなったので今年新しく買った。こんな大きなものがなくなるのはおかしいが、我が家では時々そうした怪奇現象が起きる(/o\)
もう外は秋の気温でも家の中の温度はまだそれほど下がっていない。そんな時期に柔道着の生地の厚さはピッタリなのである。それ以外のメリットとしてはとにかく楽ちん。服というより布を縫い合わせたブカブカの筒みたいなものだから、椅子に座ってもどこにも抵抗感がない。それに超オーバーサイズだから、どんなに太っても大丈夫(^^ゞ
また極めて丈夫である。柔道に耐える強度がある上に、部屋着としては(当然ながら室内で)春秋に合わせて2ヶ月弱使うだけだからほとんど傷まない。実は見当たらなくなった柔道着は高校の授業で使っていたもの。またなくさない限り、おそらくもう買い換えは必要ないだろう。
デメリットとしてはトイレで腰紐をほどかなければならないこと。
柔道着を知らない人のために写真を載せておくと、こんな感じで腰紐を縛って、ワッカのところで蝶蝶結びにする。私のようにデブっているとお腹を引っ込めてからキツメに結ぶ必要があるが、それでウエストが締め付けられて苦しくなることはない。
また当然ながらポケットはない。近くのコンビニ程度なら柔道着パンツのまま出かけることもあるが、その時はちょっと不便。
それ以外の特徴としては、なぜか柔道着パンツをはくと「ハチョー」と声を出してブルース・リーの真似をしたくなる(^^ゞ 柔道の動きとは違うけれどね。なお空手着は柔道着と同じデザインをしているが、やや生地が薄くて、突きや蹴りをしやすいように袖と裾が少し短いらしい。
ちなみにAmazonで2485円だった。
1着あっても困らないと思うよ。
2021年09月29日
6時間後にマーライオン
以前に書いた、真夏の昼間はエアコンなしでも過ごせるのに、夜になると猛烈に暑さを感じてエアコンなしでは我慢できないーーーに続く「これって私だけの特異体質?」の第2弾。
いわゆるお酒に強いか弱いかについて、
私自身がどうなのかは自分でもよくわからないところがある。
体質的には弱いのだけれど、
30〜40歳代にかけて、かなりたくさん飲んだので、
いつの間にかそこそこ飲めるようになった。
というのが基本認識。ただしそんなに強くなかった時期でも、飲みに行けば周りと同じペースで飲んでいたから、弱いというほどではなかったのかも知れない。
でも、よくマーライオンした(^^ゞ
弱い頃のマーライオンは、自分のアルコール許容限度を超えて飲み過ぎるのが原因である。頭ではわかっていても、飲んでいる時はそんなこと忘れているんだよね(^^ゞ
そして、そこそこ強くなってからも、たまにマーライオンしてしまうことがある。ただし不可解なのは飲む量と相関しなくなったこと。ジョッキ1杯のビールでマーライオンする時もあれば、テキーラで気絶しそうになりながら平気なこともあった。その日の体調、何を食べた、どんな飲み方をしたーーーなどとも関係ない。まるでロシアンルーレットみたいで困るのだが、その頻度は若い頃に較べれば圧倒的に低いので楽しくお酒は飲めている。
ひょっとしたら若い頃にたくさんマーライオンしたので、身体がマーライオン体質?になったのかな。しかし「これって私だけの特異体質?」のテーマはそこじゃない。
さて酔い潰れてお店のトイレでマーライオンしてしまう人がいるし、駅や道路でもその痕跡を見ることがある。しかし私にそういう経験はない。なぜなら私のマーライオンは「やたら遅い」のである。具体的にいうと飲み終わってから6時間後。
例えば深夜12時にお開きになり、自宅に帰りシャワーでも浴び、その頃には酔いもほとんど醒めて、お腹が空いて何かつまんだりしてから午前2時頃に寝る。そしてぐっすり寝ているのにもかかわらず、午前6時に「オ、オ、オェ」となるのが私のマーライオン。誤差はプラスマイナス15分程度。きわめて正確な体内時計を持っている(^^ゞ
いわゆる悪酔いはしておらず、眠りにつく時には既にほとんどシラフである。それなのにマーライオンで起こされると冷や汗グッショリで、呼吸は荒く、そして頭は割れるように痛い。この頭の痛さは鎮痛剤を飲んでも無駄で、マーライオンしない限り収まることはない。だいたい3回くらいマーライオンするので約30分ほどのたうち回ることになる。そしてひと眠りして起きると、あの苦行は何だったのだ、もしかしたら夢かと思うほどすっきりと気分爽快なのである。その回復の早さもまた不思議。
人はいつ頃マーライオンするものなのか?他人に尋ねたことはないから知らない。でも何度か「6時間後に」の話をして、驚かれたことはあっても「私も!」という人は皆無だったから、やはり飲み終わった直後が普通で、これは珍しい事例なのだと思う。
医学的にマーライオンは「大量にお酒を飲んで」「肝臓がアルコールを処理できるレベルを超え」「その代わりの緊急避難として体外に排出する行為」のはずである。それに当てはめると、私の場合、お酒が肝臓に届くのに6時間(飲み始めから考えるとそれ以上)掛かっていることになる。そんなことはあり得るのか?それまでお酒は身体のどこにいるのだ? それに酒量と関係がなくなったのも理屈に合わない。
はっきりいって謎だらけであるのだが、医者に診てもらうほどのことでもなし、というか治療法はないだろうし、特異体質なんだろうと諦めてマーライオンと折り合いと付けながら送る人生である。もっとも近頃は酒量が減ったというか飲む回数が極端に少なくなってしまったのであるが。
何度も置き換え文字に使ってゴメンねマーライオン。
君とは長い友達なのだから許してくれ(^^ゞ
ちなみにマーライオンのマーは、下半身が人魚=マーメイドだから。
第3弾はいずれそのうち。
いわゆるお酒に強いか弱いかについて、
私自身がどうなのかは自分でもよくわからないところがある。
体質的には弱いのだけれど、
30〜40歳代にかけて、かなりたくさん飲んだので、
いつの間にかそこそこ飲めるようになった。
というのが基本認識。ただしそんなに強くなかった時期でも、飲みに行けば周りと同じペースで飲んでいたから、弱いというほどではなかったのかも知れない。
でも、よくマーライオンした(^^ゞ
弱い頃のマーライオンは、自分のアルコール許容限度を超えて飲み過ぎるのが原因である。頭ではわかっていても、飲んでいる時はそんなこと忘れているんだよね(^^ゞ
そして、そこそこ強くなってからも、たまにマーライオンしてしまうことがある。ただし不可解なのは飲む量と相関しなくなったこと。ジョッキ1杯のビールでマーライオンする時もあれば、テキーラで気絶しそうになりながら平気なこともあった。その日の体調、何を食べた、どんな飲み方をしたーーーなどとも関係ない。まるでロシアンルーレットみたいで困るのだが、その頻度は若い頃に較べれば圧倒的に低いので楽しくお酒は飲めている。
ひょっとしたら若い頃にたくさんマーライオンしたので、身体がマーライオン体質?になったのかな。しかし「これって私だけの特異体質?」のテーマはそこじゃない。
さて酔い潰れてお店のトイレでマーライオンしてしまう人がいるし、駅や道路でもその痕跡を見ることがある。しかし私にそういう経験はない。なぜなら私のマーライオンは「やたら遅い」のである。具体的にいうと飲み終わってから6時間後。
例えば深夜12時にお開きになり、自宅に帰りシャワーでも浴び、その頃には酔いもほとんど醒めて、お腹が空いて何かつまんだりしてから午前2時頃に寝る。そしてぐっすり寝ているのにもかかわらず、午前6時に「オ、オ、オェ」となるのが私のマーライオン。誤差はプラスマイナス15分程度。きわめて正確な体内時計を持っている(^^ゞ
いわゆる悪酔いはしておらず、眠りにつく時には既にほとんどシラフである。それなのにマーライオンで起こされると冷や汗グッショリで、呼吸は荒く、そして頭は割れるように痛い。この頭の痛さは鎮痛剤を飲んでも無駄で、マーライオンしない限り収まることはない。だいたい3回くらいマーライオンするので約30分ほどのたうち回ることになる。そしてひと眠りして起きると、あの苦行は何だったのだ、もしかしたら夢かと思うほどすっきりと気分爽快なのである。その回復の早さもまた不思議。
人はいつ頃マーライオンするものなのか?他人に尋ねたことはないから知らない。でも何度か「6時間後に」の話をして、驚かれたことはあっても「私も!」という人は皆無だったから、やはり飲み終わった直後が普通で、これは珍しい事例なのだと思う。
医学的にマーライオンは「大量にお酒を飲んで」「肝臓がアルコールを処理できるレベルを超え」「その代わりの緊急避難として体外に排出する行為」のはずである。それに当てはめると、私の場合、お酒が肝臓に届くのに6時間(飲み始めから考えるとそれ以上)掛かっていることになる。そんなことはあり得るのか?それまでお酒は身体のどこにいるのだ? それに酒量と関係がなくなったのも理屈に合わない。
はっきりいって謎だらけであるのだが、医者に診てもらうほどのことでもなし、というか治療法はないだろうし、特異体質なんだろうと諦めてマーライオンと折り合いと付けながら送る人生である。もっとも近頃は酒量が減ったというか飲む回数が極端に少なくなってしまったのであるが。
何度も置き換え文字に使ってゴメンねマーライオン。
君とは長い友達なのだから許してくれ(^^ゞ
ちなみにマーライオンのマーは、下半身が人魚=マーメイドだから。
第3弾はいずれそのうち。
2021年09月27日
2022年シーズンのチューリップ球根を発注
懲りもせずまたチューリップを植えることに。
今シーズンで13年目になる。
どんな品種を買うか・組み合わせるかの球根選びは、楽しいようで意外と面倒でもある。それで過去には横着をして、ベーシックな品種ばかりを選んだり、逆にほとんど変わり種の品種だけで揃えたこともあった。花が咲いてみると前者はちょっと物足りなく、後者ではチューリップが咲いたという感じがあまりしなかった(/o\)
昨シーズンは
基本の単色5色セット75球
5品種詰め合わせ30球を3種類
1つだけ単品で20球
という内容。つまりほとんど自分で選んでいない(^^ゞ
詰め合わせセットはバラエティ感が出るように組み合わされているから、これを買うのが間違いがなくてかつ楽な方法である。しかし今年は少し自分の考えを盛り込んで選んでみようかと。
チューリップ 球根 大球 5色50球セット (各10球) 1290円
これはベースとしてほぼ毎回購入している。
みかんブレンド (無選別) 20球 690円
オレンジのチューリップが好きなので、ほぼ毎回選ぶのであるが、なぜかオレンジ色はどの品種も開花率が低くてあまり咲かない。あるいはオレンジと書かれていたのに赤に近い品種のこともあった。
この「みかんブレンド」は以前に「オレンジブレンド」という名前で売られており、キレイなオレンジ色のチューリップが咲いた。しかし「みかんブレンド」になってから購入した時にほとんど咲かなかったので、それ以来敬遠してきた商品。
しかしオレンジ単色の品種は他にないので再チャレンジすることに。カタログに黄&橙と書かれているのが不安材料だが。7〜8株でいいからオレンジ色のチューリップが咲いてくれることを願う。
さてチューリップの変わり咲きには八重咲き、ユリ咲き、パーロット咲き、フリンジ咲きなどがある。どれも魅力的ではあるものの、私が一番好きなのは花びらの周辺がトゲトゲになるフリンジ咲き。フリンジとは縁(ふち)というのが基本的な意味。
そして今回はフリンジ品種を単品で4つ選んだ。
ベルサーチ 6球 390円
スイーツパラダイス 6球 390円
ハワイ 6球 390円
ブリスベン 6球 490円
これは八重咲きでもある。
そろそろ選ぶのも面倒になってきたので(^^ゞ 詰め合わせセットを。
人気バルブオブザイヤーセット 4種24球 (各6球) 1390円
このセットにはクイーンズランドというフリンジ咲きが入っている。
だから今シーズンのフリンジ品種は合計5つになる。たぶんこれまでで最も多い。
人気八重咲セット 4種24球 (各6球) 1790円
この中のアイスクリームという品種を、以前に植えたことがあるが咲かなかった(発芽したかどうかも不明)。過去の失敗品種は避けるようにしているが、このユニークな花の形を是非見てみたくてリベンジすることにした。
再び単品で、
プリティラブ 20球 890円
これはユリ咲きの品種。鮮やかさに期待。
アプリコットビューティ 20球 890円
この品種は杏(あんず・アプリコット)色なので、「みかんブレンド」が不作だった時の保険の意味も兼ねて選んだ。昨シーズン(今年の春)に咲いたのはこんな感じ。
スイートライト 6球 490円
合計188球で9190円、別途送料が900円かかって合計1万90円。
メインの縦長プランターに植えられるのは8球・7球・8球の3列で23球だから、
8プランターで184球。余る4球は別の丸プランターに植えることになる。
発注日は昨日の9月26日で、購入先は日本一配送が遅い国華園。どうせいつものように11月下旬になっても送られてこず、問い合わせをすると3日後に届くというパターンになると思う。ある意味わかりやすく使い勝手のいいお店。ちなみに今年からホームページにはこんな表示が書かれていた。
「場合がある」ではなく「必ず」だし
「1ヶ月以上」ではなく「2ヶ月近く」でしょ(^^ゞ
とりあえず楽しみに待つとしよう。
今シーズンで13年目になる。
どんな品種を買うか・組み合わせるかの球根選びは、楽しいようで意外と面倒でもある。それで過去には横着をして、ベーシックな品種ばかりを選んだり、逆にほとんど変わり種の品種だけで揃えたこともあった。花が咲いてみると前者はちょっと物足りなく、後者ではチューリップが咲いたという感じがあまりしなかった(/o\)
昨シーズンは
基本の単色5色セット75球
5品種詰め合わせ30球を3種類
1つだけ単品で20球
という内容。つまりほとんど自分で選んでいない(^^ゞ
詰め合わせセットはバラエティ感が出るように組み合わされているから、これを買うのが間違いがなくてかつ楽な方法である。しかし今年は少し自分の考えを盛り込んで選んでみようかと。
チューリップ 球根 大球 5色50球セット (各10球) 1290円
これはベースとしてほぼ毎回購入している。
みかんブレンド (無選別) 20球 690円
オレンジのチューリップが好きなので、ほぼ毎回選ぶのであるが、なぜかオレンジ色はどの品種も開花率が低くてあまり咲かない。あるいはオレンジと書かれていたのに赤に近い品種のこともあった。
この「みかんブレンド」は以前に「オレンジブレンド」という名前で売られており、キレイなオレンジ色のチューリップが咲いた。しかし「みかんブレンド」になってから購入した時にほとんど咲かなかったので、それ以来敬遠してきた商品。
しかしオレンジ単色の品種は他にないので再チャレンジすることに。カタログに黄&橙と書かれているのが不安材料だが。7〜8株でいいからオレンジ色のチューリップが咲いてくれることを願う。
さてチューリップの変わり咲きには八重咲き、ユリ咲き、パーロット咲き、フリンジ咲きなどがある。どれも魅力的ではあるものの、私が一番好きなのは花びらの周辺がトゲトゲになるフリンジ咲き。フリンジとは縁(ふち)というのが基本的な意味。
そして今回はフリンジ品種を単品で4つ選んだ。
ベルサーチ 6球 390円
スイーツパラダイス 6球 390円
ハワイ 6球 390円
ブリスベン 6球 490円
これは八重咲きでもある。
そろそろ選ぶのも面倒になってきたので(^^ゞ 詰め合わせセットを。
人気バルブオブザイヤーセット 4種24球 (各6球) 1390円
このセットにはクイーンズランドというフリンジ咲きが入っている。
だから今シーズンのフリンジ品種は合計5つになる。たぶんこれまでで最も多い。
人気八重咲セット 4種24球 (各6球) 1790円
この中のアイスクリームという品種を、以前に植えたことがあるが咲かなかった(発芽したかどうかも不明)。過去の失敗品種は避けるようにしているが、このユニークな花の形を是非見てみたくてリベンジすることにした。
再び単品で、
プリティラブ 20球 890円
これはユリ咲きの品種。鮮やかさに期待。
アプリコットビューティ 20球 890円
この品種は杏(あんず・アプリコット)色なので、「みかんブレンド」が不作だった時の保険の意味も兼ねて選んだ。昨シーズン(今年の春)に咲いたのはこんな感じ。
スイートライト 6球 490円
合計188球で9190円、別途送料が900円かかって合計1万90円。
メインの縦長プランターに植えられるのは8球・7球・8球の3列で23球だから、
8プランターで184球。余る4球は別の丸プランターに植えることになる。
発注日は昨日の9月26日で、購入先は日本一配送が遅い国華園。どうせいつものように11月下旬になっても送られてこず、問い合わせをすると3日後に届くというパターンになると思う。ある意味わかりやすく使い勝手のいいお店。ちなみに今年からホームページにはこんな表示が書かれていた。
「場合がある」ではなく「必ず」だし
「1ヶ月以上」ではなく「2ヶ月近く」でしょ(^^ゞ
とりあえず楽しみに待つとしよう。
2021年09月26日
東京オリンピック開会式あれこれ その7
開会式での日本選手のユニフォーム。
これが毎度毎度かわり映えしないというのが前回に書いた話。
どの程度かわり映えしないかについて詳しくは前回を参照して欲しいが、
日本が戦後に参加した17の大会において、
上下で色違いのブレザー&ボトムのユニフォームだったのが13回
そのうち赤と白の日の丸カラー配色が9回
とマンネリを競うオリンピックなら金メダルを取れるレベル。
それでも1992年のバルセロナから2004年のアテネまでの4大会では、著名デザイナーを起用したり、かなりアバンギャルドに攻めたり(裏目に出たけど)した時期もあった。しかし今回に至るその後の4大会ではまたブレザースタイルに戻っている。
なぜそうなったのか、その背景までは知らない。
でも邪推するとーーー
8月8日の閉会式では、次の開催国であるフランスへの引き継ぎセレモニーが行われた。その時にパリからの中継映像が流れたのをご覧になっただろうか。イベントに集まった人々があまりマスクをしていないのにも驚いたけれど(ワクチン接種有無やPCR検査陰性など厳格に管理されていたらしい)、やたらカッコイイ映像が流れて彼我のセンスや演出力の差を見せつけられた思いになった(/o\)
残念ながら資料はあまりなく、
これはそのカッコイイ映像ではなく、現地パブリックビューイングの風景。
ところで中継の最後のほうにカメラのレンズに向かって、マジックで「パリ 2024」と落書きしたちょっとイケてる男性がいたのを覚えているかな?
この人物はトニー・エスタンゲ。3度も金メダルを取ったカヌーの元選手であり、43歳と若いが現在はフランスのオリンピック大会組織委員会の会長を務めている。つまり彼がパリのオリンピックを仕切る。
同じく大会組織委員会の会長として東京のオリンピックを牛耳っていたのは84歳のこのご老人。女性は話が長いと発言して辞任に追い込まれはしたが。
そりゃトップのセンスが違えば、あれこれ変わってくるよね。
それはユニフォームに限った話ではもちろんない。
改めるなら、そういうところからだぞ日本。
前置きが長くて話もそれたが、
日本には優秀なファッションデザイナーはたくさんいるのだから、次のパリ大会ではぜひそういった人を起用して腕を振るわせてほしいもの。
さてユニフォームのデザインが大切なのは、それによって注目を集める=日本のPRにつながるからであるが、その実現については少し違ったアプローチの方法もある。それが今回のメインテーマ。
今回の開会式で、最も注目を浴びネットでバズったのは、カザフスタンの旗手を務めたこの人のユニフォームというかコスチューム。まあマスクで少し得した面もあるが(^^ゞ
マッチョな上半身を披露したトンガのこの選手も人気が高かった。
バヌアツやツバルも負けじと。
日本にも相撲という裸の伝統があるのだが(^^ゞ
ちょっと事例が偏ってしまったが、ここで注目すべきなのは旗手や一部の選手に、選手団のユニフォームとは別のコスチュームを用意するという手もあるということである。
そしてもうひとつの観点は、こういった世界各国から人々が集まる場において、民族衣装あるいはそれをベースにしたものはインパクトがあるし「バエる」ということ。
そこから導かれるのは、
日本の旗手あるいは少数の先頭集団には
他の選手達とは別に
和装をベースとしたコスチュームを採用すべし
ということ。
やはり着物のインパクトは強力である。
百合子だっていい女に見える(^^ゞ
もちろん本物の着物では、行進には向かないし真夏には暑いから、あくまで和装をモチーフにしたコスチュームデザインということ。価格や着る手間も考える必要がある。参考として上で紹介した民族衣装の選手だって、民族衣装そのものを着ているわけじゃない。
逆に旗手あるいは少数の先頭集団以外の選手はジャージでいいんじゃないかな。今回のブレザー&ボトムを制作したのは「紳士服のAOKI」で、オリパラ総勢1600人を採寸してジャストフィットのものを提供したそうである。その労はねぎらわれるべきではあるが、オリンピック全体の戦略としては努力の方向が間違っている気がしなくもない。
カザフスタンの女神とトンガの戦士の写真は世界中に拡散した。それはそのコスチュームが人々の心をつかんだから。その結果としてそれぞれの国へなにがしかの貢献になったはず。一方で同じレベルで日本の選手を紹介した海外の人はほとんどいないだろう。たかが服のデザインの話と捉えるべきではないのだ。
次はがんばろうね。
おしまい
これが毎度毎度かわり映えしないというのが前回に書いた話。
どの程度かわり映えしないかについて詳しくは前回を参照して欲しいが、
日本が戦後に参加した17の大会において、
上下で色違いのブレザー&ボトムのユニフォームだったのが13回
そのうち赤と白の日の丸カラー配色が9回
とマンネリを競うオリンピックなら金メダルを取れるレベル。
それでも1992年のバルセロナから2004年のアテネまでの4大会では、著名デザイナーを起用したり、かなりアバンギャルドに攻めたり(裏目に出たけど)した時期もあった。しかし今回に至るその後の4大会ではまたブレザースタイルに戻っている。
なぜそうなったのか、その背景までは知らない。
でも邪推するとーーー
8月8日の閉会式では、次の開催国であるフランスへの引き継ぎセレモニーが行われた。その時にパリからの中継映像が流れたのをご覧になっただろうか。イベントに集まった人々があまりマスクをしていないのにも驚いたけれど(ワクチン接種有無やPCR検査陰性など厳格に管理されていたらしい)、やたらカッコイイ映像が流れて彼我のセンスや演出力の差を見せつけられた思いになった(/o\)
残念ながら資料はあまりなく、
これはそのカッコイイ映像ではなく、現地パブリックビューイングの風景。
ところで中継の最後のほうにカメラのレンズに向かって、マジックで「パリ 2024」と落書きしたちょっとイケてる男性がいたのを覚えているかな?
この人物はトニー・エスタンゲ。3度も金メダルを取ったカヌーの元選手であり、43歳と若いが現在はフランスのオリンピック大会組織委員会の会長を務めている。つまり彼がパリのオリンピックを仕切る。
同じく大会組織委員会の会長として東京のオリンピックを牛耳っていたのは84歳のこのご老人。女性は話が長いと発言して辞任に追い込まれはしたが。
そりゃトップのセンスが違えば、あれこれ変わってくるよね。
それはユニフォームに限った話ではもちろんない。
改めるなら、そういうところからだぞ日本。
前置きが長くて話もそれたが、
日本には優秀なファッションデザイナーはたくさんいるのだから、次のパリ大会ではぜひそういった人を起用して腕を振るわせてほしいもの。
さてユニフォームのデザインが大切なのは、それによって注目を集める=日本のPRにつながるからであるが、その実現については少し違ったアプローチの方法もある。それが今回のメインテーマ。
今回の開会式で、最も注目を浴びネットでバズったのは、カザフスタンの旗手を務めたこの人のユニフォームというかコスチューム。まあマスクで少し得した面もあるが(^^ゞ
マッチョな上半身を披露したトンガのこの選手も人気が高かった。
バヌアツやツバルも負けじと。
日本にも相撲という裸の伝統があるのだが(^^ゞ
ちょっと事例が偏ってしまったが、ここで注目すべきなのは旗手や一部の選手に、選手団のユニフォームとは別のコスチュームを用意するという手もあるということである。
そしてもうひとつの観点は、こういった世界各国から人々が集まる場において、民族衣装あるいはそれをベースにしたものはインパクトがあるし「バエる」ということ。
そこから導かれるのは、
日本の旗手あるいは少数の先頭集団には
他の選手達とは別に
和装をベースとしたコスチュームを採用すべし
ということ。
やはり着物のインパクトは強力である。
百合子だっていい女に見える(^^ゞ
もちろん本物の着物では、行進には向かないし真夏には暑いから、あくまで和装をモチーフにしたコスチュームデザインということ。価格や着る手間も考える必要がある。参考として上で紹介した民族衣装の選手だって、民族衣装そのものを着ているわけじゃない。
逆に旗手あるいは少数の先頭集団以外の選手はジャージでいいんじゃないかな。今回のブレザー&ボトムを制作したのは「紳士服のAOKI」で、オリパラ総勢1600人を採寸してジャストフィットのものを提供したそうである。その労はねぎらわれるべきではあるが、オリンピック全体の戦略としては努力の方向が間違っている気がしなくもない。
カザフスタンの女神とトンガの戦士の写真は世界中に拡散した。それはそのコスチュームが人々の心をつかんだから。その結果としてそれぞれの国へなにがしかの貢献になったはず。一方で同じレベルで日本の選手を紹介した海外の人はほとんどいないだろう。たかが服のデザインの話と捉えるべきではないのだ。
次はがんばろうね。
おしまい
2021年09月24日
東京オリンピック開会式あれこれ その6
開会式は既に2ヶ月も前のことになってしまったが、
もう1つくらい書いても構わないかなと。
そのテーマはファッションである。
さて日本選手団の入場シーンを記憶している方も多いだろう。これを見て、いつも代わり映えのしないユニフォームだなと思ったのが今回のことを書くきっかけ。
女性用はパンツとキュロットスカートのバリエーションがある。男性用パンツもタックありとなしを選べると書いてある記事もあった。ポケットチーフは縫い付けてあるのかな? ところでベルトが白なのはセンス的にどうよ? 私なら恥ずかしいな。
こちらは1964年(昭和39年)の前回東京オリンピックの写真。
帽子を被っているのと女性はプリーツスカートという違いはあるものの、基本的には上下の配色が逆さまなだけで似たようなファッションである。
ところで、この頃はまだ軍隊調の入場行進だがレディーファーストだったんだね。
過去の大会を遡って調べてみると、
写真上の2016年リオデジャネイロと、下の2012年ロンドンはほとんど同じ。
2008年の北京では日の丸カラーから脱却している。
日本選手のユニフォームの変遷を書くつもりではなかったのに、
乗りかかった船であれこれ調べてしまった(^^ゞ
1968年メキシコ大会 男女で上下の配色が逆。
1972年ミュンヘン大会 ミニスカート!(^_^)
1976年モントリオール大会
1980年のモスクワ大会はボイコット。
1984年ロサンゼルス大会
1988年ソウル大会 なぜか集合写真が見当たらず。これは旗手の小谷実可子。
1964年の東京から1988年のソウルまで、基本的に日の丸をモチーフとした赤白のブレザー&ボトムというワンパターンを続けてきた日本のユニフォーム。しかし1992年のバルセロナからはようやくデザインに目覚めたようである。
1992年バルセロナ大会
単純に日の丸カラーで上下を分けるのではなく、白いスーツに部分的に赤で差し色を施すという手法はお見事。また背中に日の丸そのものを持ってきたのもグッドジョブ!
デザイナーは森英恵。ミセスファッション分野の人でクリエイティブなイメージはあまりなかったし、この時点で既に60歳代後半だったが、日本のファッションデザインを切り開いてきた実力は伊達じゃなかった。
1996年アトランタ大会
デザイナーは芦田淳。大御所ではあるけれど超コンサバ畑の人。どう考えたって人選を間違えている。案の定、またありきたりなブレザースタイルに戻ってしまった。赤とグレーの組み合わせは悪くないはずなのに、なぜか赤を着ていても地味な印象。
2000年シドニー大会
オリンピック関係者の間では「シドニーの悲劇」と呼ばれているらしい(^^ゞ 紺スーツの上にレインボウなマントを羽織っての登場。
今もそうだがオリンピックのユニフォームは開会前に披露されるのが通例。しかしこの時のJOC(日本オリンピック委員会)は、このデザインに絶対の自信を持ち、かつ当日のインパクトを狙って事前の発表をしなかった。
それで開会式が始まるや非難の嵐!抗議の電話が鳴り止まず! (まだネットは今ほど普及していなかった) というわけでこれを誰がデザインしたのかは未だに秘匿されている(^^ゞ
ちなみにマントの下が白くてもっとカジュアルな服装だったら、そんなに悪くなかったのでは?という気もする。
2004年アテネ大会
日本のオリンピック史上で最高にキュートなユニフォーム。プリントによる柄物というのもユニフォームとしては新鮮。デザイナーは高田賢三。
ただしキュートなデザインは女性選手だけ(^^ゞ もっとも白いユニフォーム&白地に柄物のユニフォームでチーム全体としてのバランスを取ったのかも知れない。すべて柄物じゃクドかっただろう。
このアテネの次が先に紹介した2008年の北京。そしてロンドン、リオデジャネイロ、今回の東京オリンピックへと続く。というわけでユニフォームに著名デザイナーを起用したのは、2004年の高田賢三が今のところ最後になっている。
なお1964年の東京大会以前も調べてみたのだが、写真が白黒なのでユニフォームが日の丸カラーなのか確認できず。白黒だと赤も紺も同じように写る。
1952年 ヘルシンキ大会 第二次世界大戦後に日本が参加したのはこの大会から。
1956年 メルボルン大会
1960年 ローマ大会
それではと、白黒写真をAIによってカラー化するというプログラムをいくつか試してみた。どれもブレザーを紺に着色するが、旗手の持つ日の丸が赤くなっていないので信憑性は今ひとつ。
最後におまけとして、日本が初めてオリンピックに参加した1912年(明治45年/大正元年)ストックホルム大会の入場行進。参加した選手は2名で、旗手ともう1名は日の丸に隠れているが、おそらくは競技本番用のスポーツウエアを着用している。また後ろの役員はモーニングコートにシルクハットの正装。時代を感じるね。
戦後初参加の1952年メルボルンから今回の2020年東京まで、17大会ののユニフォームを並べてみて、とりあえずわかったのは、
上下色違いのブレザー&ボトムが13回。
13回のうち日の丸カラーでの配色が9回(ただし残り4大会のうち2つは色が不明)。
9回のうち上着が赤が7回、上着が白が1回。
メキシコ大会のみ男性の上着が赤で、女性が白という配色。
1996年アトランタまでは帽子(男性は主にハット)が組み合わされていた。
2004年のアトランタでのみ帽子が復活するが、役員は無帽、女子選手はソフトハット、
男子選手はキャップなので、1996年までのフォーマル感を演出するための帽子とは
意味合いが異なる。
2000年シドニーまで男性の選手&役員はネクタイをしていた。その後はノーネクタイ
となる。前回2016年リオデジャネイロで復活したが、今回の東京では再び
ノーネクタイに戻った。
1996年のアトランタまで女子選手のユニフォームにはショルダーバッグが組み合わ
されていた(ただし1988年のソウルは未確認)。
服とは関係ないが、1970年代まで男性選手と女性選手の身長差がとても大きい
ように感じる。また(年配の)役員達はさらに背が低い。
ーーーあたりかな。もっと大きな写真、様々な角度から撮った写真があればもう少し詳しく観察できるのだが。
さて結論としては、日本のユニフォームはいくつかの例外を除き「スタイルはスポーティーでフォーマル感もあるから、いつものブレザースタイルでエエヤロ」「色は日の丸カラーの赤と白を使うのが慣例やからそれでエエヤロ、色的にもスタジアムで目立つし」と無難な選択を続けてきたことがわかる。オリンピックの場において、ファッションでも日本をアピールしようとの気概はないに等しい。まあ「シドニーの悲劇」がトラウマになっているのかも知れないが(^^ゞ
しかし、もう少しはがんばってもらいたい、そのためにはというのが次回で述べる話。
途中で書いたように、日本のユニフォームの変遷とはほとんど関係ないが。
ーーー続く
もう1つくらい書いても構わないかなと。
そのテーマはファッションである。
さて日本選手団の入場シーンを記憶している方も多いだろう。これを見て、いつも代わり映えのしないユニフォームだなと思ったのが今回のことを書くきっかけ。
女性用はパンツとキュロットスカートのバリエーションがある。男性用パンツもタックありとなしを選べると書いてある記事もあった。ポケットチーフは縫い付けてあるのかな? ところでベルトが白なのはセンス的にどうよ? 私なら恥ずかしいな。
こちらは1964年(昭和39年)の前回東京オリンピックの写真。
帽子を被っているのと女性はプリーツスカートという違いはあるものの、基本的には上下の配色が逆さまなだけで似たようなファッションである。
ところで、この頃はまだ軍隊調の入場行進だがレディーファーストだったんだね。
過去の大会を遡って調べてみると、
写真上の2016年リオデジャネイロと、下の2012年ロンドンはほとんど同じ。
2008年の北京では日の丸カラーから脱却している。
日本選手のユニフォームの変遷を書くつもりではなかったのに、
乗りかかった船であれこれ調べてしまった(^^ゞ
1968年メキシコ大会 男女で上下の配色が逆。
1972年ミュンヘン大会 ミニスカート!(^_^)
1976年モントリオール大会
1980年のモスクワ大会はボイコット。
1984年ロサンゼルス大会
1988年ソウル大会 なぜか集合写真が見当たらず。これは旗手の小谷実可子。
1964年の東京から1988年のソウルまで、基本的に日の丸をモチーフとした赤白のブレザー&ボトムというワンパターンを続けてきた日本のユニフォーム。しかし1992年のバルセロナからはようやくデザインに目覚めたようである。
1992年バルセロナ大会
単純に日の丸カラーで上下を分けるのではなく、白いスーツに部分的に赤で差し色を施すという手法はお見事。また背中に日の丸そのものを持ってきたのもグッドジョブ!
デザイナーは森英恵。ミセスファッション分野の人でクリエイティブなイメージはあまりなかったし、この時点で既に60歳代後半だったが、日本のファッションデザインを切り開いてきた実力は伊達じゃなかった。
1996年アトランタ大会
デザイナーは芦田淳。大御所ではあるけれど超コンサバ畑の人。どう考えたって人選を間違えている。案の定、またありきたりなブレザースタイルに戻ってしまった。赤とグレーの組み合わせは悪くないはずなのに、なぜか赤を着ていても地味な印象。
2000年シドニー大会
オリンピック関係者の間では「シドニーの悲劇」と呼ばれているらしい(^^ゞ 紺スーツの上にレインボウなマントを羽織っての登場。
今もそうだがオリンピックのユニフォームは開会前に披露されるのが通例。しかしこの時のJOC(日本オリンピック委員会)は、このデザインに絶対の自信を持ち、かつ当日のインパクトを狙って事前の発表をしなかった。
それで開会式が始まるや非難の嵐!抗議の電話が鳴り止まず! (まだネットは今ほど普及していなかった) というわけでこれを誰がデザインしたのかは未だに秘匿されている(^^ゞ
ちなみにマントの下が白くてもっとカジュアルな服装だったら、そんなに悪くなかったのでは?という気もする。
2004年アテネ大会
日本のオリンピック史上で最高にキュートなユニフォーム。プリントによる柄物というのもユニフォームとしては新鮮。デザイナーは高田賢三。
ただしキュートなデザインは女性選手だけ(^^ゞ もっとも白いユニフォーム&白地に柄物のユニフォームでチーム全体としてのバランスを取ったのかも知れない。すべて柄物じゃクドかっただろう。
このアテネの次が先に紹介した2008年の北京。そしてロンドン、リオデジャネイロ、今回の東京オリンピックへと続く。というわけでユニフォームに著名デザイナーを起用したのは、2004年の高田賢三が今のところ最後になっている。
なお1964年の東京大会以前も調べてみたのだが、写真が白黒なのでユニフォームが日の丸カラーなのか確認できず。白黒だと赤も紺も同じように写る。
1952年 ヘルシンキ大会 第二次世界大戦後に日本が参加したのはこの大会から。
1956年 メルボルン大会
1960年 ローマ大会
それではと、白黒写真をAIによってカラー化するというプログラムをいくつか試してみた。どれもブレザーを紺に着色するが、旗手の持つ日の丸が赤くなっていないので信憑性は今ひとつ。
最後におまけとして、日本が初めてオリンピックに参加した1912年(明治45年/大正元年)ストックホルム大会の入場行進。参加した選手は2名で、旗手ともう1名は日の丸に隠れているが、おそらくは競技本番用のスポーツウエアを着用している。また後ろの役員はモーニングコートにシルクハットの正装。時代を感じるね。
戦後初参加の1952年メルボルンから今回の2020年東京まで、17大会ののユニフォームを並べてみて、とりあえずわかったのは、
上下色違いのブレザー&ボトムが13回。
13回のうち日の丸カラーでの配色が9回(ただし残り4大会のうち2つは色が不明)。
9回のうち上着が赤が7回、上着が白が1回。
メキシコ大会のみ男性の上着が赤で、女性が白という配色。
1996年アトランタまでは帽子(男性は主にハット)が組み合わされていた。
2004年のアトランタでのみ帽子が復活するが、役員は無帽、女子選手はソフトハット、
男子選手はキャップなので、1996年までのフォーマル感を演出するための帽子とは
意味合いが異なる。
2000年シドニーまで男性の選手&役員はネクタイをしていた。その後はノーネクタイ
となる。前回2016年リオデジャネイロで復活したが、今回の東京では再び
ノーネクタイに戻った。
1996年のアトランタまで女子選手のユニフォームにはショルダーバッグが組み合わ
されていた(ただし1988年のソウルは未確認)。
服とは関係ないが、1970年代まで男性選手と女性選手の身長差がとても大きい
ように感じる。また(年配の)役員達はさらに背が低い。
ーーーあたりかな。もっと大きな写真、様々な角度から撮った写真があればもう少し詳しく観察できるのだが。
さて結論としては、日本のユニフォームはいくつかの例外を除き「スタイルはスポーティーでフォーマル感もあるから、いつものブレザースタイルでエエヤロ」「色は日の丸カラーの赤と白を使うのが慣例やからそれでエエヤロ、色的にもスタジアムで目立つし」と無難な選択を続けてきたことがわかる。オリンピックの場において、ファッションでも日本をアピールしようとの気概はないに等しい。まあ「シドニーの悲劇」がトラウマになっているのかも知れないが(^^ゞ
しかし、もう少しはがんばってもらいたい、そのためにはというのが次回で述べる話。
途中で書いたように、日本のユニフォームの変遷とはほとんど関係ないが。
ーーー続く
2021年09月20日
東京オリンピック開会式あれこれ その5
前回に予告したのは、開会式を誰が企画演出したとしても、おそらく私は満足しなかっただろうという話。それは「その2」で書いた内容と少し被る。
オリンピックの開会式は
選手の入場行進
国旗を掲揚したり大会の開始を宣言するいわば式典部分
式典部分に含まれるが、その最大の見せ場である聖火の点火
の3要素で構成されていた。そしていつの頃からか、その前座にショーというか各種の出し物が催されるようになり、やがてそれが第4の要素として定着する。
そのショーで断トツだったのは「その2」にも記した1984年のロサンゼルスオリンピックでの空飛ぶロケットマンだと思う。
2012年のロンドンオリンピックでは開会式に出席するためエリザベス女王が、エスコート役のジェームス・ボンドを伴ってヘリからパラシュートで飛び降りた(もちろん代役のスタントマン)。ただアイデアとしてはシビれたが、スタジアムに着地せずリアルさに欠けたのが残念。
さて過去の開会式内容をすべて調べるのはたいへんなので、あくまで記憶に頼った話になるが、1984年のロサンゼルスオリンピックの頃、ショーというのは前述の開会式3要素を盛り上げるための「余興」だったと思う。だから別にロケットマンが空を飛ぶことに意味などない。観客をビックリさせてやろう、そしてその勢いを開会式につなげようという目的だったはず。
しかし、やがてショーは余興から主要プログラムに昇格し、それに割かれる時間も長くなる。ひょっとしたらそれは放映権を握るテレビ局の意向が働いたのかも知れない(放送時間が長くなればCMもたくさん流せる)。
そしてショーの時間が長くなれば一発芸だけでは済まなくなり、ショー単独での意味合いやストーリーを持った構成にならざるを得ない。そして、そういうものはだんだんと複雑に難解になっていくのが世の常というもの。
ちなみに今回の式典コンセプトは日本での開催にもかかわらず、なぜか英語で表現され(和訳は提供されていない)、
オリ・パラ:開会・閉会の4式典の共通コンセプトが Moving Foward。
オリンピック開会式の単独コンセプトが United by Emotion。
となっている。意訳すれば「前向きに生きる」と「感動でつながる」というような意味。
そしてその United by Emotion には次のような解説が付いている。
【United by Emotion】
世界中の人々がコロナウイルスという脅威の中で日々を過ごし、これまでの大会と
は明らかに違う環境で迎える東京2020大会。私たちは年齢、国籍、立場など様々な
違いを持つ上に、今は同じ場所にいることも難しい状況にあります。
だからこそ、アスリートによってこれから繰り広げられる数々の挑戦を通じて、喜び
や悔しさを共に感じる瞬間を届けていきたい。そう、どんなに離れていても、言葉や
文化が違っても、スポーツには世界中の人々を感動でつなぐ力があると信じています。
それは私たち人類が普遍的に共有している、かけがえのない財産です。
あらためて「スポーツの役割」「オリンピックの価値」に気づき、これまでの日々を
共に進んできた世界中の人々への感謝と称賛や、未来への希望を感じることができる
時間をセレモニーでは目指します。人類は多種多様な違いを活かしながら、共感を
通じて連帯し、助け合って生きていくことができる。そう感じてもらえる体験になる
ことを願って。
ーーーだとさ。
そして7月23日に見せられたのが、
これらが Moving Foward と United by Emotion を表現していましたか?と問えば、
悪意が過ぎるかな(^^ゞ
さて言いたいことはショーの演目がコンセプトを表現するのに成功していたかどうかではない。とりあえず今回の開会式は忘れて、コンセプトに基づいた完璧なショーが実施されたと仮定して欲しい。
その上でである。
オリンピックという339種目ものスポーツ世界一を決める、人類が造り出せる最も素晴らしいイベントを前にして、Moving Foward だか United by Emotion か知らないが、そんな訳のわからない「意識高い系」なテーマに基づいた、小難しい出し物を長々と見たいかということ。
私はまったく見たいとは思わない。
そんなものよりも例えばの話、ロケットマンでも飛んできて、何ならブルーインパルスがスタジアム上空で旋回するだけでもいいけれど、ウォーと叫んで盛り上がりながら、自国での予選を勝ち上がりはるばる日本までやってきた選手達が、目の前で入場行進を果たす晴れ姿に声援を送りたい。それが正しい開会式の楽しみ方というものである。
開会式のショー演目で、これに勝っているものあった?
つまり入場行進という最強のコンテンツが控えているのだから、開会式のショーは意識高い系なアーティストごっこはやめて、会場を盛り上げる余興に徹するべし・戻るべしというのが私の考え。つまり開会式とは?というソモソモ論からの発想。だから現状の価値観で制作されたショーなら、内容にかかわらず満足しないと前回に書いたのである。
なお今回のショーは入場行進の前後で1時間ほど費やされたと思うが、余興なら15分もあれば充分ではないか。回を重ねる毎に参加選手は増えて入場行進に時間が掛かるし、お偉いさんの話は長いし(^^ゞ
もちろん時間が短くなれば必要な費用も少なくなる。今回のオリ・パラ:開会・閉会の4式典には165億円が投じられたとされる。あの程度の出し物で、どうしてそんなに掛かるのか不思議。まあアベノマスクの260億円よりは安かったが(/o\)
こんな意見が通るとはまったく思っていないけれど、
開会式で原点に戻って一番考え直すべきことはーーーという話でした。
ーーーコロッと話題を変え「東京オリンピック開会式あれこれ」はまだ続く(^^ゞ
オリンピックの開会式は
選手の入場行進
国旗を掲揚したり大会の開始を宣言するいわば式典部分
式典部分に含まれるが、その最大の見せ場である聖火の点火
の3要素で構成されていた。そしていつの頃からか、その前座にショーというか各種の出し物が催されるようになり、やがてそれが第4の要素として定着する。
そのショーで断トツだったのは「その2」にも記した1984年のロサンゼルスオリンピックでの空飛ぶロケットマンだと思う。
2012年のロンドンオリンピックでは開会式に出席するためエリザベス女王が、エスコート役のジェームス・ボンドを伴ってヘリからパラシュートで飛び降りた(もちろん代役のスタントマン)。ただアイデアとしてはシビれたが、スタジアムに着地せずリアルさに欠けたのが残念。
さて過去の開会式内容をすべて調べるのはたいへんなので、あくまで記憶に頼った話になるが、1984年のロサンゼルスオリンピックの頃、ショーというのは前述の開会式3要素を盛り上げるための「余興」だったと思う。だから別にロケットマンが空を飛ぶことに意味などない。観客をビックリさせてやろう、そしてその勢いを開会式につなげようという目的だったはず。
しかし、やがてショーは余興から主要プログラムに昇格し、それに割かれる時間も長くなる。ひょっとしたらそれは放映権を握るテレビ局の意向が働いたのかも知れない(放送時間が長くなればCMもたくさん流せる)。
そしてショーの時間が長くなれば一発芸だけでは済まなくなり、ショー単独での意味合いやストーリーを持った構成にならざるを得ない。そして、そういうものはだんだんと複雑に難解になっていくのが世の常というもの。
ちなみに今回の式典コンセプトは日本での開催にもかかわらず、なぜか英語で表現され(和訳は提供されていない)、
オリ・パラ:開会・閉会の4式典の共通コンセプトが Moving Foward。
オリンピック開会式の単独コンセプトが United by Emotion。
となっている。意訳すれば「前向きに生きる」と「感動でつながる」というような意味。
そしてその United by Emotion には次のような解説が付いている。
【United by Emotion】
世界中の人々がコロナウイルスという脅威の中で日々を過ごし、これまでの大会と
は明らかに違う環境で迎える東京2020大会。私たちは年齢、国籍、立場など様々な
違いを持つ上に、今は同じ場所にいることも難しい状況にあります。
だからこそ、アスリートによってこれから繰り広げられる数々の挑戦を通じて、喜び
や悔しさを共に感じる瞬間を届けていきたい。そう、どんなに離れていても、言葉や
文化が違っても、スポーツには世界中の人々を感動でつなぐ力があると信じています。
それは私たち人類が普遍的に共有している、かけがえのない財産です。
あらためて「スポーツの役割」「オリンピックの価値」に気づき、これまでの日々を
共に進んできた世界中の人々への感謝と称賛や、未来への希望を感じることができる
時間をセレモニーでは目指します。人類は多種多様な違いを活かしながら、共感を
通じて連帯し、助け合って生きていくことができる。そう感じてもらえる体験になる
ことを願って。
ーーーだとさ。
そして7月23日に見せられたのが、
これらが Moving Foward と United by Emotion を表現していましたか?と問えば、
悪意が過ぎるかな(^^ゞ
さて言いたいことはショーの演目がコンセプトを表現するのに成功していたかどうかではない。とりあえず今回の開会式は忘れて、コンセプトに基づいた完璧なショーが実施されたと仮定して欲しい。
その上でである。
オリンピックという339種目ものスポーツ世界一を決める、人類が造り出せる最も素晴らしいイベントを前にして、Moving Foward だか United by Emotion か知らないが、そんな訳のわからない「意識高い系」なテーマに基づいた、小難しい出し物を長々と見たいかということ。
私はまったく見たいとは思わない。
そんなものよりも例えばの話、ロケットマンでも飛んできて、何ならブルーインパルスがスタジアム上空で旋回するだけでもいいけれど、ウォーと叫んで盛り上がりながら、自国での予選を勝ち上がりはるばる日本までやってきた選手達が、目の前で入場行進を果たす晴れ姿に声援を送りたい。それが正しい開会式の楽しみ方というものである。
開会式のショー演目で、これに勝っているものあった?
つまり入場行進という最強のコンテンツが控えているのだから、開会式のショーは意識高い系なアーティストごっこはやめて、会場を盛り上げる余興に徹するべし・戻るべしというのが私の考え。つまり開会式とは?というソモソモ論からの発想。だから現状の価値観で制作されたショーなら、内容にかかわらず満足しないと前回に書いたのである。
なお今回のショーは入場行進の前後で1時間ほど費やされたと思うが、余興なら15分もあれば充分ではないか。回を重ねる毎に参加選手は増えて入場行進に時間が掛かるし、お偉いさんの話は長いし(^^ゞ
もちろん時間が短くなれば必要な費用も少なくなる。今回のオリ・パラ:開会・閉会の4式典には165億円が投じられたとされる。あの程度の出し物で、どうしてそんなに掛かるのか不思議。まあアベノマスクの260億円よりは安かったが(/o\)
こんな意見が通るとはまったく思っていないけれど、
開会式で原点に戻って一番考え直すべきことはーーーという話でした。
ーーーコロッと話題を変え「東京オリンピック開会式あれこれ」はまだ続く(^^ゞ
2021年09月18日
東京オリンピック開会式あれこれ その4
パラリンピックも終わって既に2週間ほどが経ち、
もうオリ・パラの話題はほとんど聞かなくなってきた。
では、そろそろオリンピック開会式の話の続きでも書きますか(^^ゞ
何を今さら感あるあるだけれど、文末に「ーーー続く」と書いてそのままになっていたし。
それらのエントリーはこちらから。
東京オリンピック開会式あれこれ その1 一番よかったこと 一番残念だったこと
東京オリンピック開会式あれこれ その2 一番惜しかったこと
東京オリンピック開会式あれこれ その3 一番改善して欲しいこと
当初の予定では「その4」から開会式の個別的な事柄について書くつもりだった。自国開催という意味では滅多にないイベントである。だからあれこれと書き残しておきたい気持ちは強い。しかし、さすがに7月23日の話を今からはちょっとアレなので(ドレ?)、少し視点を変えた開会式に対する感想を2つほど。
開会式については評価するより批判する意見のほうが圧倒的に多かった。そんな中で飛び出したのが文春砲による「幻のオリジナル開会式企画は素晴らしかった」というスクープ。
それによると、
開会式の企画はMIKIKO(ミキコ:本名は水野幹子)という人物(Wikipediaに
よれば振付師、演出家)が担当し、骨格はほぼ固まっていた。
しかしオリンピックが1年延期された際に電通の意向によってMIKIKO氏は降板させ
られ、代わりに起用されたのが電通出身のクリエイティブ・ディレクターである
佐々木宏。クリエイティブ・ディレクターの説明は難しいが、広告などの制作に
おける監督みたいなもの。
この佐々木氏によってオリジナル企画がズタズタにコピペされたのが、開会式が
ダメダメになった原因。
などと解説されていた。
もっともらしいストーリーで、あり得そうな話ではある。
今は文春オンラインの有料会員でないと閲覧できないが、スクープされた当時はMIKIKO企画のあらすじや絵コンテ(主要場面をスケッチで表現したもの)のようなものを無料で見ることができた。もちろん私も見た。「あの開会式よりは全体的にまとまっている気はするが、このレベルの資料だけじゃ善し悪しはわからないな」というのがその感想だった。
しかしネットでの反応を見ると大絶賛の嵐。「鳥肌が立った!」「これぞクールジャパン!」「脳内にある開会式の記憶をこれと置き換えたい!」「この開会式を別途実現するクラウドファンディングがあれば絶対に出資する!」などなど。
それらのコメントを読んで思ったのは、言っちゃ悪いが「大衆って操作されやすいな」ということ。大衆という言葉がキツいなら世間と置き換えてもいい。
そう思ったのは、まず文春砲の資料だけで素人に全貌が掴めるはずがないこと。別に私がわからなかったから、そう言っているのではないよ(一応これでも多少はクリエイティブ関連の仕事経験はある)。次に、あのスクープは「MIKIKO氏=善、電通や組織委員会=悪」の設定でストーリーが煽られていたこと。
私も7月23日の開会式は落第だと思っているから、いろいろと批判したくなる気持ちはわかる。それでもまんまと文春砲の印象操作に乗せられて、MIKIKO企画をまるで神のように完璧なものとして崇めるのはどうかなという気がする。
それとこれは確信しているけれど、もしMIKIKO企画で開会式が行われたとしても、やはり多くの批判が起きただろうということ。こういった企画で万人を満足させることはできないし、ネット時代になって大衆は「権威」を批判する味を覚えた。あら探しをすれば批判はいくらでも可能で、何たって悪口を言うのは楽しいもの(^^ゞ
また佐々木氏を始め過去の発言を問われて辞職あるいは解任された関係者数名と同じように、もしMIKIKO氏がそのまま責任者のポジションにいたら、あることないこと色々と書き立てられたはず。
話はそれるが、開会式がチグハグな演出になった理由の一因として、政治家がコイツを出せアイツを出せとネジ込んできたからともいわれている。前述の大絶賛されたMIKIKO企画は、まだそれらが反映される前の内容。だからそこは割り引いて評価する必要がある。もちろん彼女がどう反映させたかは未知数であるが。
なお政治家の横やりをケシカランと思う向きもあるだろうが、まあ古今東西、世の中とはそういうものだと飲み込むしかない。優秀なクリエイターというのは、それらの口出しを上手にさばき取り入れ昇華させる能力を持った人。ミケランジェロだって注文主のリクエストを無碍(むげ)には断らない。
さて感想の2つ目は、
今まで書いたのとは違う意味で、仮にMIKIKO企画が実現しても開会式には不満を持っただろうなということ。それは開会式とは?というソモソモ論が関わってくる。
ーーー続く
ところでブログに何もビジュアルがないのも寂しいから、
開会式で最もなごめたシーンと腹立ったシーンでも貼っておこう。
もうオリ・パラの話題はほとんど聞かなくなってきた。
では、そろそろオリンピック開会式の話の続きでも書きますか(^^ゞ
何を今さら感あるあるだけれど、文末に「ーーー続く」と書いてそのままになっていたし。
それらのエントリーはこちらから。
東京オリンピック開会式あれこれ その1 一番よかったこと 一番残念だったこと
東京オリンピック開会式あれこれ その2 一番惜しかったこと
東京オリンピック開会式あれこれ その3 一番改善して欲しいこと
当初の予定では「その4」から開会式の個別的な事柄について書くつもりだった。自国開催という意味では滅多にないイベントである。だからあれこれと書き残しておきたい気持ちは強い。しかし、さすがに7月23日の話を今からはちょっとアレなので(ドレ?)、少し視点を変えた開会式に対する感想を2つほど。
開会式については評価するより批判する意見のほうが圧倒的に多かった。そんな中で飛び出したのが文春砲による「幻のオリジナル開会式企画は素晴らしかった」というスクープ。
それによると、
開会式の企画はMIKIKO(ミキコ:本名は水野幹子)という人物(Wikipediaに
よれば振付師、演出家)が担当し、骨格はほぼ固まっていた。
しかしオリンピックが1年延期された際に電通の意向によってMIKIKO氏は降板させ
られ、代わりに起用されたのが電通出身のクリエイティブ・ディレクターである
佐々木宏。クリエイティブ・ディレクターの説明は難しいが、広告などの制作に
おける監督みたいなもの。
この佐々木氏によってオリジナル企画がズタズタにコピペされたのが、開会式が
ダメダメになった原因。
などと解説されていた。
もっともらしいストーリーで、あり得そうな話ではある。
今は文春オンラインの有料会員でないと閲覧できないが、スクープされた当時はMIKIKO企画のあらすじや絵コンテ(主要場面をスケッチで表現したもの)のようなものを無料で見ることができた。もちろん私も見た。「あの開会式よりは全体的にまとまっている気はするが、このレベルの資料だけじゃ善し悪しはわからないな」というのがその感想だった。
しかしネットでの反応を見ると大絶賛の嵐。「鳥肌が立った!」「これぞクールジャパン!」「脳内にある開会式の記憶をこれと置き換えたい!」「この開会式を別途実現するクラウドファンディングがあれば絶対に出資する!」などなど。
それらのコメントを読んで思ったのは、言っちゃ悪いが「大衆って操作されやすいな」ということ。大衆という言葉がキツいなら世間と置き換えてもいい。
そう思ったのは、まず文春砲の資料だけで素人に全貌が掴めるはずがないこと。別に私がわからなかったから、そう言っているのではないよ(一応これでも多少はクリエイティブ関連の仕事経験はある)。次に、あのスクープは「MIKIKO氏=善、電通や組織委員会=悪」の設定でストーリーが煽られていたこと。
私も7月23日の開会式は落第だと思っているから、いろいろと批判したくなる気持ちはわかる。それでもまんまと文春砲の印象操作に乗せられて、MIKIKO企画をまるで神のように完璧なものとして崇めるのはどうかなという気がする。
それとこれは確信しているけれど、もしMIKIKO企画で開会式が行われたとしても、やはり多くの批判が起きただろうということ。こういった企画で万人を満足させることはできないし、ネット時代になって大衆は「権威」を批判する味を覚えた。あら探しをすれば批判はいくらでも可能で、何たって悪口を言うのは楽しいもの(^^ゞ
また佐々木氏を始め過去の発言を問われて辞職あるいは解任された関係者数名と同じように、もしMIKIKO氏がそのまま責任者のポジションにいたら、あることないこと色々と書き立てられたはず。
話はそれるが、開会式がチグハグな演出になった理由の一因として、政治家がコイツを出せアイツを出せとネジ込んできたからともいわれている。前述の大絶賛されたMIKIKO企画は、まだそれらが反映される前の内容。だからそこは割り引いて評価する必要がある。もちろん彼女がどう反映させたかは未知数であるが。
なお政治家の横やりをケシカランと思う向きもあるだろうが、まあ古今東西、世の中とはそういうものだと飲み込むしかない。優秀なクリエイターというのは、それらの口出しを上手にさばき取り入れ昇華させる能力を持った人。ミケランジェロだって注文主のリクエストを無碍(むげ)には断らない。
さて感想の2つ目は、
今まで書いたのとは違う意味で、仮にMIKIKO企画が実現しても開会式には不満を持っただろうなということ。それは開会式とは?というソモソモ論が関わってくる。
ーーー続く
ところでブログに何もビジュアルがないのも寂しいから、
開会式で最もなごめたシーンと腹立ったシーンでも貼っておこう。
2021年09月07日
副反応が少しだけあった/少ししかなかった
8月15日にコロナのワクチンを打った後、世間で騒がれている副反応はまったく出なかった。そんなものは生活をする上でないほうがよいとしても、あまりに人々と違うと「ワクチンが効いてないのとチャウカ?」とか「たまに間違えてワクチンを希釈する生理食塩水だけを打ったというニュースあるけれど、それだったのでは?」とビミョーに気になるもの。
こちらの図表は2021年8月4日の厚労省発表データをNHKがまとめたの。
接種したワクチンはファイザー製で、データによると1回目の疼痛は92.6%だから「ほとんどの人」に強い痛みが出ている。私の周りでも2日間は運転ができなかったという人がいたくらい。このデータでは副反応なしの割合がわからないが、最大で100 − 92.6=7.4% なので、それが少数派なのは間違いない。まあ何かにつけて少数派になることが多い考えや性格の持ち主なのは自覚しているが(^^ゞ
さて2日前の9月5日に2回目の接種を受けた。
接種前の問診で副反応がなかったことを述べたが「そういう人もいますよ」とあまり関心を持たれず。統計的にはかなりの少数派なのに。そして「2回目は出るかもしれませんねえ」と適当な会話。この問診係って医者にとってはいいアルバイトなんだろうなあ。
午後7時過ぎに注射。
経験した人はわかるだろうが、このワクチンの注射はまったく痛くないというか針が刺さっている感覚すらもほとんどない。非常に細い注射針だかららしいのだが、すべての注射にこの針を使って欲しい。
翌日は午前6時半頃にいったん目が覚める。
つまりワクチン接種の約12時間後である。腕も痛くないし、熱もないし、眠たいから倦怠感はわからなかったが、とりあえずまた副反応はないのかと思いつつ、二度寝に入る(^^ゞ
午前8時半に起床。
あれっ?熱っぽい。体温計で測ってみると37.3度。まあ微熱といったところ。ちなみに医学的に明確な定義はないものの、普段の体温に関係なく37.5度以上が発熱で38度以上なら高熱らしい。
それにしても2時間前には何ともなかったのに、この2時間のうちに体温が上昇したのだろうか。ちょっと不思議。なおこれ以外の副反応はなし。
午後3時過ぎまで外出。微熱にしてはツラかったのは、これは副反応だという思い込みが影響した気がする。
帰宅して体温を測ると37.2度。まあ測定誤差の範囲で朝から変わらずといったところ。特にすることもなかったし大事を取って午後6時まで仮眠する。起きた時も37.2度で変わらず。
午後11時頃に測ってみると36.9度だった。どうやら副反応が収まってきたらしい。そしてワクチン接種後2日目の本日は起床時に36.4度と完治したみたい。先ほどブログを書く前にも測ってみたが同じ温度だった。よって副反応は約1日で終了となった(おそらく)。
上の図表を見ると2回目の接種で(38度以上だけれど)発熱の副反応が出た人は21.3%しかいない。他の副反応と較べても圧倒的に少ない。というわけで何かにつけて少数派になるというアイデンティティを無事にキープする(^^ゞ
実は倦怠感ということを感じたことがないので、
その体験を密かに期待していたのに!
こちらの図表は2021年8月4日の厚労省発表データをNHKがまとめたの。
接種したワクチンはファイザー製で、データによると1回目の疼痛は92.6%だから「ほとんどの人」に強い痛みが出ている。私の周りでも2日間は運転ができなかったという人がいたくらい。このデータでは副反応なしの割合がわからないが、最大で100 − 92.6=7.4% なので、それが少数派なのは間違いない。まあ何かにつけて少数派になることが多い考えや性格の持ち主なのは自覚しているが(^^ゞ
さて2日前の9月5日に2回目の接種を受けた。
接種前の問診で副反応がなかったことを述べたが「そういう人もいますよ」とあまり関心を持たれず。統計的にはかなりの少数派なのに。そして「2回目は出るかもしれませんねえ」と適当な会話。この問診係って医者にとってはいいアルバイトなんだろうなあ。
午後7時過ぎに注射。
経験した人はわかるだろうが、このワクチンの注射はまったく痛くないというか針が刺さっている感覚すらもほとんどない。非常に細い注射針だかららしいのだが、すべての注射にこの針を使って欲しい。
翌日は午前6時半頃にいったん目が覚める。
つまりワクチン接種の約12時間後である。腕も痛くないし、熱もないし、眠たいから倦怠感はわからなかったが、とりあえずまた副反応はないのかと思いつつ、二度寝に入る(^^ゞ
午前8時半に起床。
あれっ?熱っぽい。体温計で測ってみると37.3度。まあ微熱といったところ。ちなみに医学的に明確な定義はないものの、普段の体温に関係なく37.5度以上が発熱で38度以上なら高熱らしい。
それにしても2時間前には何ともなかったのに、この2時間のうちに体温が上昇したのだろうか。ちょっと不思議。なおこれ以外の副反応はなし。
午後3時過ぎまで外出。微熱にしてはツラかったのは、これは副反応だという思い込みが影響した気がする。
帰宅して体温を測ると37.2度。まあ測定誤差の範囲で朝から変わらずといったところ。特にすることもなかったし大事を取って午後6時まで仮眠する。起きた時も37.2度で変わらず。
午後11時頃に測ってみると36.9度だった。どうやら副反応が収まってきたらしい。そしてワクチン接種後2日目の本日は起床時に36.4度と完治したみたい。先ほどブログを書く前にも測ってみたが同じ温度だった。よって副反応は約1日で終了となった(おそらく)。
上の図表を見ると2回目の接種で(38度以上だけれど)発熱の副反応が出た人は21.3%しかいない。他の副反応と較べても圧倒的に少ない。というわけで何かにつけて少数派になるというアイデンティティを無事にキープする(^^ゞ
実は倦怠感ということを感じたことがないので、
その体験を密かに期待していたのに!
2021年09月04日
腕立て伏せは1回でいい
東京ではカレンダーが8月から9月に変わった途端に、
平均気温が20度前後まで下がり、まるで秋本番を思わせる天候が続いている。
おそらく全国的にも同じようなものかと。
さよなら今年の夏。
ついでに、さよならガースー(^^ゞ
さてフィットネスというか最低限の筋力維持のために、昔から腕立て伏せやスクワットを日課としてきたし、2017年からはラジオ体操も始めたとブログにも書いた。
しかし2018年の春頃、足に怪我をしてしまい2週間ほどは歩くことも困難に。当然ながらスクワットやラジオ体操は中断。腕立て伏せは「膝つき腕立て伏せ」といわれるフォームだから怪我は関係なかったのに、何となくついでにやめてしまった。
足の怪我は多分1ヶ月くらいで治ったのだが、すっかりサボり癖がついてしまい(^^ゞ
そして何度も再開しなきゃと思いつつもズルズルとーーー
ようやく2019年の5月1日、平成から令和に年号が移ったのをきっかけに自分にハッパをかけて約1年ぶりに再開。そしたら、その矢先の5月中頃に虫垂破裂でまさかの入院(>_<)
退院した時はまだお腹に管が刺さっていたものの、9月くらいには腕立て伏せなどの運動をするには充分に回復した。しかし、その後にブログには書いていないコンナことやアンナことがあったりして、それが言い訳にもなって、結果として運動を再開せず。
そして気がつけば2年と半年ほどの月日が流れ、
運動をサボっているという罪悪感すらまったく感じなくなり(^^ゞ
しかし8月に入って、なぜか突然に身体が運動というか負荷的刺激を欲し始め、
とりあえず腕立て伏せとスクワットをまた少しずつ始めだした。
ラジオ体操もそろそろ再開するつもり。
このやる気がなくなりませんように。
ところで腕立て伏せやスクワットは「どの程度の回数をやるべきなのか」いうことがついて回る。運動生理学的には色々と見解があるだろうが、私の考えは「ツラくなる少し手前のところでやめるべし」。その理由はツラくなるまでやると、そのツラい経験が脳に拒否反応を植え付けて、結果として続かなくなるから。
もちろん運動はツラいことを乗り越えないと次のレベルに進まないのであるが、フィットネスレベルなら継続のほうが大事かと。それに継続すれば「ツラくないレベル」も徐々に上がってくる。このポリシーには自信を持っているが(それでもついサボってしまうが)、先日さらにハイレベルな目からウロコの考えを知った。
それは
腕立て伏せは1回やればいい
というもの。
もちろんスクワットや腹筋に置き換えても同じ。
その理由は回数をこなしてツラいから「今日も腕立てをしなきゃいけない、イヤだイヤだ」と気が重くなりサボってしまうのであり、だったら抵抗なく始められるように1回だけすることにしようというもの。ただし、始めさえすれば1回だけでは終わる気にはならないもの。つまりこの方法は人間心理を巧みに利用している。意外と簡単に自分で自分をだませるから面白い。
他の分野でこういうトリックができないか考え中。もし見つかればあれこれとハッピーに過ごせるツールになりそう。とりあえずはあなたも、このブログを読み終わったら1回だけ腕立て伏せをしてみましょう(^^ゞ
平均気温が20度前後まで下がり、まるで秋本番を思わせる天候が続いている。
おそらく全国的にも同じようなものかと。
さよなら今年の夏。
ついでに、さよならガースー(^^ゞ
さてフィットネスというか最低限の筋力維持のために、昔から腕立て伏せやスクワットを日課としてきたし、2017年からはラジオ体操も始めたとブログにも書いた。
しかし2018年の春頃、足に怪我をしてしまい2週間ほどは歩くことも困難に。当然ながらスクワットやラジオ体操は中断。腕立て伏せは「膝つき腕立て伏せ」といわれるフォームだから怪我は関係なかったのに、何となくついでにやめてしまった。
足の怪我は多分1ヶ月くらいで治ったのだが、すっかりサボり癖がついてしまい(^^ゞ
そして何度も再開しなきゃと思いつつもズルズルとーーー
ようやく2019年の5月1日、平成から令和に年号が移ったのをきっかけに自分にハッパをかけて約1年ぶりに再開。そしたら、その矢先の5月中頃に虫垂破裂でまさかの入院(>_<)
退院した時はまだお腹に管が刺さっていたものの、9月くらいには腕立て伏せなどの運動をするには充分に回復した。しかし、その後にブログには書いていないコンナことやアンナことがあったりして、それが言い訳にもなって、結果として運動を再開せず。
そして気がつけば2年と半年ほどの月日が流れ、
運動をサボっているという罪悪感すらまったく感じなくなり(^^ゞ
しかし8月に入って、なぜか突然に身体が運動というか負荷的刺激を欲し始め、
とりあえず腕立て伏せとスクワットをまた少しずつ始めだした。
ラジオ体操もそろそろ再開するつもり。
このやる気がなくなりませんように。
ところで腕立て伏せやスクワットは「どの程度の回数をやるべきなのか」いうことがついて回る。運動生理学的には色々と見解があるだろうが、私の考えは「ツラくなる少し手前のところでやめるべし」。その理由はツラくなるまでやると、そのツラい経験が脳に拒否反応を植え付けて、結果として続かなくなるから。
もちろん運動はツラいことを乗り越えないと次のレベルに進まないのであるが、フィットネスレベルなら継続のほうが大事かと。それに継続すれば「ツラくないレベル」も徐々に上がってくる。このポリシーには自信を持っているが(それでもついサボってしまうが)、先日さらにハイレベルな目からウロコの考えを知った。
それは
腕立て伏せは1回やればいい
というもの。
もちろんスクワットや腹筋に置き換えても同じ。
その理由は回数をこなしてツラいから「今日も腕立てをしなきゃいけない、イヤだイヤだ」と気が重くなりサボってしまうのであり、だったら抵抗なく始められるように1回だけすることにしようというもの。ただし、始めさえすれば1回だけでは終わる気にはならないもの。つまりこの方法は人間心理を巧みに利用している。意外と簡単に自分で自分をだませるから面白い。
他の分野でこういうトリックができないか考え中。もし見つかればあれこれとハッピーに過ごせるツールになりそう。とりあえずはあなたも、このブログを読み終わったら1回だけ腕立て伏せをしてみましょう(^^ゞ